雲の切れ間をたゆたい飛ぶ人影は美しく
それはただ手放しに賛美してよいはずなのに
私は胸の痛みを表情に出さないことに必死だった
「こういう飛び方もたまにはいいわね。」
箒に横座りした霊夢が上空から降りてきた。
私は愛用の箒を受け取り、足を組みなおしてから言う。
「ま、亀よりは乗り心地いいだろ。」
「そうね。 にしたって、何で魔女は箒なの?」
「さぁな。乗らないのもいる。」
湖向こうの紅い屋敷をあごで指して言った。
霊夢は顔だけ振り返って、「そういえばあの引きこもりも魔女だったか。」と呟いた。
私は、「らしいな。」と返してから、眉間にしわを寄せてひとつ補足する。
「……どこぞの魔法莫迦の蒐集家もな。」
「あんたか?」
「冗談。一緒にしてくれるなよ。」
じくじくと胸の痛みが広がる
心の奥底に暗い感情がどろどろと流れ
気付かぬうちに表層にすら染み出して色を変える
ほんの数日前までは私は先生だった。
つい昨日に先輩になって。
そして今日同僚になった。
理解していたはずだった。 世の中は居ると、天才というものが。
そして私はそうでは無い事、私の友人がそうである事も。
そうやって割り切っているはずだった。
だがそれはただの思い込みだったのだろう。
私の心を守る為に。 努力を無駄と思わぬ為に。
でなければ今、これほど胸が痛むはずが無い。
私は振り返って、遠く霞んで見える貧相な神社に遠吠えた。
「箒で飛ぶのは魔女の専売特許だぜ?」
胸の痛みが治まらない
流れている血の量が多すぎるのか
…他の所に流してやるのがいいだろう
「……何の用?」
「そうつんけんするなよ。 ちょっと冷やかしに来ただけだ。」
「相変わらず性悪ね。」
「お互いに。」
アリスは一瞬苛立った表情を覗かせたが、僅かに思案顔をした後口の端を吊り上げた。
全く間が悪い。 恐らく何か希少品でも手に入れたのだろう。
「いいわ、冷やかされてあげる。 お代は悔し涙と遠吠えで手を打つわ。」
そう言い残してアリスは上機嫌に家の奥へ入っていった。
さて、はらわたが煮えくり返るやら、頭の血管が切れるやら。
どちらにせよ少し過激な療法になりそうだ。
私は帽子を被りなおして無遠慮に家に上がった。
好きな人に自分の良い面を見せたいように
嫌いな人には自分の悪い面を見せることで距離を置く
大嫌いな人は、そもそもからして近寄らせない近付かない
これは参った。 本気で泣かされるかもしれない。
「ま、せいぜい味わって飲むことね。」
私の目の前に置かれた一升瓶。
『銘酒 水道水』と書かれたそれは、幻想郷の酒好きの間で幻とも言われる逸品だ。
私が以前捜し求めた時にはとうとう見つからなかった品でもある。
アリスが水道水(銘酒)をグラスに注いでこっちに寄越す。
自分の分も注ぎ終わると、にやりと笑い頬杖をついた。
「さぁ乾杯といきましょうか?」
「……何にだ?」
「そうね。 私の見事な蒐集振りに。」
私は一度舌打ちしてからグラスを掲げた。
『乾杯。』
時折走り疲れて立ち止まる事がある
そういうときにはいつも孤独と焦りを感じる
走り続ける人たちに置いて行かれているようで酷く怖い
「しけた顔してるわね。」
「……かもな。」
「ふぅん……。 つまんないの。」
「そんなだから性悪なんだよ。」
「慰めて欲しいポーズを見せる方が余程。」
「………。」
「せっかくの酒が不味くなるのも御免だわ。その程度の用なら帰ってくれる?」
「……その程度、か。」
「当然。」
「何も聞いてないのにか?」
「あんたが自慢されて静かだなんて尋常じゃないわ。」
「なら一大事なんだろうさ。」
「頭まで悪くなったの?この野魔法使い。」
「何?」
「一大事なら私のところには来ないでしょう?」
「……確かにな。」
「ひとつ言っておくわ。」
「もうなんとでも言ってくれ。」
「鬱陶しいからへこたれた程度でそんないらいらする顔しないでくれる?」
表も裏も結局は一つの所にあるものだ
ならどちらか片方しか知らないとしても
その本質を見極める事が出来るのだろう
「あんたに諭されるとはな。」
「殴ってやっても良かったのよ?」
「女の子は顔が命だぜ?」
「馬鹿言わないで。 一升瓶で、頭をよ。」
「はは。 命拾いして何よりだ。」
「張り合う相手がいたほうが面白いのよ。」
「生かしておいてくれるのか、そりゃ有り難い。」
「ツケは返してもらわないとね。」
「私はなかなか泣かないぜ?」
「それなら。」
「どうする?」
「今度シャリアピンステーキでも作ってもらおうかしら。」
「何だそりゃ?」
「たまねぎをたっぷり使うステーキよ。」
「なるほど、一ころだな。」
虹の様に華やかで無くとも
太陽の様に燦然と輝くことが無くとも
私は私として笑ったり泣いたりしながら生きていく
「ちゃんとツケは払いなさいよね。」
振り返らずにひらひらと手を振って箒にまたがる。
「まあそのうちな。」
「まあそのうちね。」
飛び立つ寸前、ひとつ聞き忘れた事を思い出した。
「なぁ、なんで魔女は箒なんだ?」
はぁ?という返事を合図に私は帽子を押さえて星空の散歩に向かった。
わだかまりは消せてはいない
胸の痛みも無くなったわけではない
だけれど、お揃いの箒でこんな空を飛ぶのもいいかもしれない
「霊夢~!」
「ああ、おはよう魔理沙『先生』。」
「その呼び方も今日までだな。」
「そうなの?」
「ああ。」
私は用意してきた箒を差し出し、自分の帽子を霊夢に被せた。
「卒業オメデトウ、霊夢君。」
霊夢はくすくす笑いながら箒を受け取る。
「ありがとうございます、魔理沙先生。」
「というわけで今晩は卒業祝いにその箒で夜空の散歩だ。」
「今までと大して変わらないわね。」
「何か言ったかね?」
「いいえ、何も。」
いつものように二人で笑いあう。
彼女は彼女らしく、私は私らしく。
いつも通りである事に、自然と笑顔がこぼれた。
手が届かないところにいるなんて誰が言った?
私とは全然違うんだなんてどうして思ってしまった?
手をつないだら答えなんて探す必要も無いくらい近くにあったのに
「あ、『霧雨魔理沙の使ったグラス』じゃ大した価値にならないわね。…失敗したなぁ。」
呟きを聞き取るものも今は無く。
それはただ手放しに賛美してよいはずなのに
私は胸の痛みを表情に出さないことに必死だった
「こういう飛び方もたまにはいいわね。」
箒に横座りした霊夢が上空から降りてきた。
私は愛用の箒を受け取り、足を組みなおしてから言う。
「ま、亀よりは乗り心地いいだろ。」
「そうね。 にしたって、何で魔女は箒なの?」
「さぁな。乗らないのもいる。」
湖向こうの紅い屋敷をあごで指して言った。
霊夢は顔だけ振り返って、「そういえばあの引きこもりも魔女だったか。」と呟いた。
私は、「らしいな。」と返してから、眉間にしわを寄せてひとつ補足する。
「……どこぞの魔法莫迦の蒐集家もな。」
「あんたか?」
「冗談。一緒にしてくれるなよ。」
じくじくと胸の痛みが広がる
心の奥底に暗い感情がどろどろと流れ
気付かぬうちに表層にすら染み出して色を変える
ほんの数日前までは私は先生だった。
つい昨日に先輩になって。
そして今日同僚になった。
理解していたはずだった。 世の中は居ると、天才というものが。
そして私はそうでは無い事、私の友人がそうである事も。
そうやって割り切っているはずだった。
だがそれはただの思い込みだったのだろう。
私の心を守る為に。 努力を無駄と思わぬ為に。
でなければ今、これほど胸が痛むはずが無い。
私は振り返って、遠く霞んで見える貧相な神社に遠吠えた。
「箒で飛ぶのは魔女の専売特許だぜ?」
胸の痛みが治まらない
流れている血の量が多すぎるのか
…他の所に流してやるのがいいだろう
「……何の用?」
「そうつんけんするなよ。 ちょっと冷やかしに来ただけだ。」
「相変わらず性悪ね。」
「お互いに。」
アリスは一瞬苛立った表情を覗かせたが、僅かに思案顔をした後口の端を吊り上げた。
全く間が悪い。 恐らく何か希少品でも手に入れたのだろう。
「いいわ、冷やかされてあげる。 お代は悔し涙と遠吠えで手を打つわ。」
そう言い残してアリスは上機嫌に家の奥へ入っていった。
さて、はらわたが煮えくり返るやら、頭の血管が切れるやら。
どちらにせよ少し過激な療法になりそうだ。
私は帽子を被りなおして無遠慮に家に上がった。
好きな人に自分の良い面を見せたいように
嫌いな人には自分の悪い面を見せることで距離を置く
大嫌いな人は、そもそもからして近寄らせない近付かない
これは参った。 本気で泣かされるかもしれない。
「ま、せいぜい味わって飲むことね。」
私の目の前に置かれた一升瓶。
『銘酒 水道水』と書かれたそれは、幻想郷の酒好きの間で幻とも言われる逸品だ。
私が以前捜し求めた時にはとうとう見つからなかった品でもある。
アリスが水道水(銘酒)をグラスに注いでこっちに寄越す。
自分の分も注ぎ終わると、にやりと笑い頬杖をついた。
「さぁ乾杯といきましょうか?」
「……何にだ?」
「そうね。 私の見事な蒐集振りに。」
私は一度舌打ちしてからグラスを掲げた。
『乾杯。』
時折走り疲れて立ち止まる事がある
そういうときにはいつも孤独と焦りを感じる
走り続ける人たちに置いて行かれているようで酷く怖い
「しけた顔してるわね。」
「……かもな。」
「ふぅん……。 つまんないの。」
「そんなだから性悪なんだよ。」
「慰めて欲しいポーズを見せる方が余程。」
「………。」
「せっかくの酒が不味くなるのも御免だわ。その程度の用なら帰ってくれる?」
「……その程度、か。」
「当然。」
「何も聞いてないのにか?」
「あんたが自慢されて静かだなんて尋常じゃないわ。」
「なら一大事なんだろうさ。」
「頭まで悪くなったの?この野魔法使い。」
「何?」
「一大事なら私のところには来ないでしょう?」
「……確かにな。」
「ひとつ言っておくわ。」
「もうなんとでも言ってくれ。」
「鬱陶しいからへこたれた程度でそんないらいらする顔しないでくれる?」
表も裏も結局は一つの所にあるものだ
ならどちらか片方しか知らないとしても
その本質を見極める事が出来るのだろう
「あんたに諭されるとはな。」
「殴ってやっても良かったのよ?」
「女の子は顔が命だぜ?」
「馬鹿言わないで。 一升瓶で、頭をよ。」
「はは。 命拾いして何よりだ。」
「張り合う相手がいたほうが面白いのよ。」
「生かしておいてくれるのか、そりゃ有り難い。」
「ツケは返してもらわないとね。」
「私はなかなか泣かないぜ?」
「それなら。」
「どうする?」
「今度シャリアピンステーキでも作ってもらおうかしら。」
「何だそりゃ?」
「たまねぎをたっぷり使うステーキよ。」
「なるほど、一ころだな。」
虹の様に華やかで無くとも
太陽の様に燦然と輝くことが無くとも
私は私として笑ったり泣いたりしながら生きていく
「ちゃんとツケは払いなさいよね。」
振り返らずにひらひらと手を振って箒にまたがる。
「まあそのうちな。」
「まあそのうちね。」
飛び立つ寸前、ひとつ聞き忘れた事を思い出した。
「なぁ、なんで魔女は箒なんだ?」
はぁ?という返事を合図に私は帽子を押さえて星空の散歩に向かった。
わだかまりは消せてはいない
胸の痛みも無くなったわけではない
だけれど、お揃いの箒でこんな空を飛ぶのもいいかもしれない
「霊夢~!」
「ああ、おはよう魔理沙『先生』。」
「その呼び方も今日までだな。」
「そうなの?」
「ああ。」
私は用意してきた箒を差し出し、自分の帽子を霊夢に被せた。
「卒業オメデトウ、霊夢君。」
霊夢はくすくす笑いながら箒を受け取る。
「ありがとうございます、魔理沙先生。」
「というわけで今晩は卒業祝いにその箒で夜空の散歩だ。」
「今までと大して変わらないわね。」
「何か言ったかね?」
「いいえ、何も。」
いつものように二人で笑いあう。
彼女は彼女らしく、私は私らしく。
いつも通りである事に、自然と笑顔がこぼれた。
手が届かないところにいるなんて誰が言った?
私とは全然違うんだなんてどうして思ってしまった?
手をつないだら答えなんて探す必要も無いくらい近くにあったのに
「あ、『霧雨魔理沙の使ったグラス』じゃ大した価値にならないわね。…失敗したなぁ。」
呟きを聞き取るものも今は無く。
嫉妬を乗り越えられた魔理沙も全然大アリ