注意!
1:オリジナル設定、自分的解釈を含みます。ご注意ください。
2:先に拙作「ETERNAL TRIANGLE」を読む事をお勧めします。
―――ようこそ、妖怪の領域へ。
「・・・とうとう私も妖怪の仲間入りか・・・・・」
―――もう後戻りはできない。一度選んだ道は、最後まで歩き通さなければならない。
「分かってる。妖怪の道を選んだのは、私・・・・」
―――この世界を照らす一本の光を辿れば、『この世』に還って行ける。
「まるで蜘蛛の糸みたい・・・・細い道ね」
―――だが、これは何よりも確かな『生』への道。
「もちろん通るわ。通って、還ってみせる」
―――第二の人生に、幸福を・・・・・・
「・・・・もう人じゃないけど・・・・・・・ありがたく受け取っておくわ」
―――・・・・・・・・・・・・
それっきり、声は聞こえなくなった。
あの声はなんだったのか、紫は考えない。考えなくても、何となく分かっていた。自信はないが。
そして声が聞こえなくなったという事は、『それ』がいなくなったという事。ならばどこへ行ったのか。
それは、恐らく自分の中へ。
完全な妖怪となった自分と一体化した・・・だから語りかけてくる必要はなく、心で思うだけでいい・・・紫の勝手な推測だが。
ならばここで立ち止まっている必要はない。微かに見える道を辿って、このすき間を越える。
一つ辿っては道を探り、一つ探っては道を辿る。
まるで夜道を歩くように慎重に慎重に、道を見失わないように一歩を踏み出す。
光の道はだんだん大きく太くなり、出口が近い事を現している。
もうすぐ、もうすぐなんだ・・・はやる気持ちを抑え、一歩一歩を確実に踏み出す。
そして光が全身を包むくらいに大きくなった時、紫は我慢できず光に飛び込んだ。
体が浮き上がる感覚、白く染まる視界、決して消えない意識、目を開けていられないほどの眩い光。
誰かに手を引っ張られているような感覚。地獄から極楽へ。『死』から『生』へ・・・
紫は『この世』に戻ってきた。以前と変わらぬ姿で。
少し違う点といえば常に世界のすき間を開いているというくらいで、それ以外は着ている服から化粧まで昔と何も変わらない。
だが、世界は変わった。何もかもが変わっていた。
幽々子と歩いた桜並木はもうなくなっていた。
花が咲いていないのではない。それ以前の問題で樹が一本もないのだ。
誰かが何かの目的で樹を切り倒した。そう考えたが、ここには切り株すら見当たらない。
全ての樹が、根元から消え去っているのだ。
「何これ・・・一本残らず・・・樹が・・・・・ない・・・・・・」
何よりも先に驚きが来た。
幽々子と一緒に桜が見れなくなったとか、誰がなぜこんな事をとか、それ以前に純粋な驚きがあった。
桜のない並木道はなんとも殺風景なものだ。樹がある事を前提にした風景だから、樹がなければ実に寒々しい。
そしてそんな殺風景な景色を呆然と眺める紫の目に、一匹の狐が目に留まった。
「・・・・あ・・・あれは・・・・・」
白い毛皮を持つ狐に、紫は確かに見覚えがあった。
その身はすっかり痩せ細り、毛も傷んでいるが、その顔は忘れない。紫の式、白だ。忽然と姿を消した主人を白はずっと待ち続けていたのだ。
「白・・・生きてたのね・・・・・」
体の様子からして、もう何日も食べ物を口にしていないという雰囲気だ。
そこまでして主人の帰りを待つ白を見て、紫の目頭も思わず熱くなる。
「帰って来たよ・・・・白・・・・・・・」
紫が近づいて来たのが分かったようで、白も振り返る。それに応えて紫も手を伸ばす。
ゆっくりと近づく白と紫。そして紫の伸ばした手が白に触れようとした時・・・
白が飛び掛ってきた。愛情ではなく敵意をむき出しにして。
「きゃっ!?」
牙による一撃はどうにか避けたが、唸り声を上げつつ白は身を低くして警戒を怠らない。
「どうして・・・?白、私よ。紫よ・・・・・」
紫の言葉は届かない。白は闘犬のごとく牙をむき出しにして睨みつけている。
「・・・・そうか・・・私、もう妖怪なんだった・・・・・・」
白は、『人間・八雲 紫』を待っている。紫はそう感じた。
彼女の姿を見て襲い掛かってきたのは、目の前にいるのが『人間・八雲 紫』の姿をした妖怪だから(本人だが)。
目の前の相手が主人の姿を真似ていると思い、それに憤慨しているのだろう。少なくとも紫にはそう見えた。
―――『人間・八雲 紫』は必ずどこかにいるという夢を見続けるか。
―――それとも八雲 紫は妖怪になったという現実を受け入れるか。
「白、あなたはどうする・・・・・・?」
もう一度手を差し出す。そして、案の定噛まれる。
「くっ・・・・・・・うぅっ」
紫は泣いていた。それは手を噛まれた事による痛みではなく、白が自分から離れていった事を感じて。
噛まれた手からは血が一滴も流れない。これこそが人間をやめた証拠、妖怪の証明。
そして、紫は決心した。
空いている方の手を白にかざす。掌に光が集まり、無数の米粒のような形となりそこにわだかまる。
「せめて、いい夢を見てね・・・・白・・・・・・」
現実を受け入れられないなら、決して叶わない夢だがいつまでも夢を見続けていて欲しい。
例えわずかであっても、希望を胸に残しておいて欲しい。
妖気の弾を収束させながらも紫はまだ泣いていた。
自分にできる最後の情け。せめて、苦しまないよう一瞬で・・・・・・
「サヨナラ・・・白・・・・・ごめんね・・・・・」
放たれる光。悲鳴すら上げられずに倒れる白。だがその強い瞳は紫を見つめ続けている。
白の体から式符が焼け落ち、白い毛皮が普通の狐の黄金色に変わっていく。
そして間もなく黄金色の毛皮は血の赤に染まる。式神『白』は、今完全に消滅したのだった。
「ごめんね・・・・・・ごめんね・・・・・・・・・」
動かなくなった白を抱き上げ、紫はまた泣いた。
永く連れ添ってきた式、それは家族のようなものだ。例え自らの存在が変わってしまっても、その想いは変わらない。
その命を消してしまった・・・はずす事のできない十字架だ。
すき間を開き、白の亡骸をその中へ入れた。
ここなら決して白の体は朽ちず、奪われず、なくならない。
すき間はもはや紫の体の一部、白を自らの中に取り込んだようなものだ。
「白・・・これでもう、私たちは一緒よ・・・・・いつまでも、いつまでも・・・・・」
自らもすき間に入りその入り口を閉じる。目指す先は西行寺家。
白が生きていたという事は、自分が神隠しにあってから今に至るまでそれほど時間は流れていない。
ならば幽々子も変わらぬ姿でいるはずである。
白を失った悲しみは大きいが、幽々子に会いたい気持ちもある。
紫は白の亡骸を抱え、はやる気持ちを抑えすき間の中を進んだ。
久しぶりに見る西行寺家は・・・・・・影も形もなかった。
すっかり落ちぶれているわけでも、廃墟になっているわけでもない。あの桜の樹と同じく、建物がそっくり消えているのだ。
西行寺家には見事な桜の樹がある。二人で歩いた桜のトンネルもきれいだが、それすら霞んでしまいそうなほど見事な樹だ。
その桜の樹ですら根元から消え去っている。地面に大きく開いた穴がそこに樹があった事を、樹の大きさを表している。
そして建物がないのならそこに住んでいる人間もいるはずがないだろう。ここは、人気の全くない荒地と化していた。
「嘘・・・・あんなに大きな家が、あんなに大きな樹が、影も形もなくなるなんて事・・・・・・あるはずないじゃない・・・・・」
そこに大きな家があったであろう場所を見て紫は呆然とした。
目の前の現実があまりに現実離れしているため、何かの夢か冗談かと思ったほどだ。
だが実際に家も樹もない、それが現実なのだ。
「あの桜並木も・・・西行寺家も・・・どこに行ったの・・・・・・?」
紫と関わりのある物が次々と消えていく。これは何かの偶然か、何らかの必然か・・・
いくら考えても分からないが、一つだけ自信を持って言える事があった。
これは、恐らく神隠し。
神隠し。かつて自分もあった事もあるこの現象なら、桜並木や家一軒が消え去るくらい造作もないのかも知れない。
それなら、世界のすき間をくまなく探せば見つかるかも知れない・・・
紫は再びすき間の中に潜った。
赤。黒。人の腕。目玉。初めて見た時よりはだいぶ慣れた。
赤と黒が織り成すまだら模様は常に移ろい、見ていて飽きる事がない。目にいいとは言えないが。
腕は色んなモノを持っていたりする。それは人だったり、妖怪だったり、物だったり。
『外の世界』のモノと思われる物を持っている時もある。これも全て神隠しによるものだ。
目玉は、視線さえ合わせなければ気にならない程度には慣れた。むしろ、孤独と思わせてくれないのでないよりはマシなのかも知れない。
だが、今はそれらに構っている時ではない。神隠しで人や物が消えるのならそれら全てはここ、世界のすき間に放り込まれるはず。
このすき間がどれほどの広さを持つのかは紫も知らないが、家一軒(庭、大樹つき)を飲み込む程度の広さはあるだろう。
だが例えどんなに広くても、探し続ければいつか見つかる・・・いや絶対に見つけてみせる。
強い意志で紫は消えた西行寺家と幽々子を探し始めた。
一日・・・
二日・・・
三日・・・
四日・・・
それこそ寝食も忘れ紫は探し続けた。
妖怪となった彼女は多少飲まず食わずでいてもどうという事はない。だがそれでも彼女は日を追うごとにやつれ、
四十九日探し続けた末についに力尽きた。
肉体と精神の疲労の中で感じるのはただただ絶望のみ。白はもう戻ってこない、幽々子は見つからない・・・
独りぼっちになった紫はそれから五十一日間泣き続けた。涙が涸れ果てても泣き続け、泣きはらした後には瞳から光の消えた紫が残っていた。
壊れかけの心を引きずって。
抜け殻同然となった紫は、この世とすき間を行ったり来たりしながらふらふらと時を過ごした。
特に生きる目的などない。自殺も図ったが簡単には死ねない程度の妖力を身につけてしまったし、死ぬ理由も特にない。
頼れる人も物もなく、ただ何となく紫は『生きる』のではなく『存在』していた。
そうして当てもなく山の中を歩いていた時の事。一匹の狐が目に留まった。体のあちこちに大きな傷を負っている。
それがただの狐なら彼女は気にも留めず去って行っただろう。だがその狐はそうさせなかった。
全身が血で赤く染まっているが、見事な九本の尻尾を腰からぶら下げている。俗に言う『九尾の狐』だ。
「妖狐か・・・・・・珍しいわね」
狐の存在は紫を振り向かせるに十分だった。そして、紫は実に数年ぶりに自分以外の物に興味を示した。
白面金毛を持ち、絶世の美女に化けると言われる狐。死ねば猛毒を振るい続けると言われる狐。だがそれが全てではない。
その狐の目は、あの『白』にソックリだった。ただの偶然だろうが、見れば見るほど似ている。
傷ついた体を必死に起こして紫を見上げる。その姿が白の最期に重なって見えた。
(・・・・・・まさか・・・これは罪滅ぼしなの・・・・・・?)
あの時、紫は白を殺した。そして今、死にかけの狐が紫の前にいる。
これは何かの偶然か、何らかの必然か・・・紫にはこれが必然に思えた。
今度はこの狐を救えと。安易に『死』に誘うのではなく、『生』へと導いてみろと。
何者かがそう言っているように感じた。
そして、白と同じ目をした狐を放っておけない自分がいる。
「助けるわ・・・今度は死なせない・・・・・」
狐を抱き上げ、すき間の中へ入る。
紫の瞳には強い光が宿っていた。
「ん・・・・・・」
狐が目を覚ました。もっとも、今は人の姿を取っているが。
すらりと伸びた腕と脚。白面金毛の名に恥じない白い肌と金色の髪。そして九本の尻尾。
絶世の美女というにはあまりにも凛々しい顔立ちだったが、とりあえず美しい事に変わりはない。
「ここは・・・・一体・・・・・・?」
「あっ、まだ起きちゃ駄目!」
「痛ッ!うぐぅッ・・・・・!!」
あちこちに巻いた包帯から血が滲み出る。
「あなた、ひどい傷を負ってたのよ。傷は塞がりかけてるけど完全に治ったわけじゃないんだから」
「・・・・・・」
「・・・お互い色々聞きたい事があるでしょうから、まずはあなたからどうぞ」
狐の少女は待ってましたとばかりに質問を次々に浴びせかけた。
ここはどこなのか。(紫は)何者なのか。なぜ瀕死のはずの自分が助かったのか。
その一つ一つに紫は丁寧に答えていく。そして4つ目の質問が来た。
「どうして・・・どうして私を助けたの?」
「・・・それは・・・・・簡単なようでなかなか難しい質問ね」
「九尾の狐が珍しかったから?」
「そんな単純な理由では助けない」
「困ってる人を放っておけない性格?」
「私はそこまでお人よしでもないわ」
「・・・・・強いて言うなら・・・・・・あなたを放っておく事ができなかった」
紫の目が一瞬遠くなった気がした。
それが何を意味するか、狐の少女は直感的に感じ取ったがあえて口にはしない。
「大切なモノを失って・・・それで思い切り後悔して・・・泣いて・・・傷ついたあなたを見て死なせてはいけないと思った。そういう事よ」
「・・・・・私、その『あなたの大切なモノ』と似ているの・・・?」
「え・・・?」
「もし似ているのなら・・・・あなたの傍にいさせて。いや、いさせて下さい!」
少女の提案に、紫は目を丸くした。
「私、もう行く所もないし頼れる身寄りもいないし・・・・・・あなたは私を助けてくれたから、せめて恩返しがしたいの・・・・」
「・・・・私なんかと一緒にいて・・・いいの?道ならいくらでもあるのよ?」
「いいんです。私の命を救ってくれたんだから、一生をかけて恩返ししないと私の気が済みません。
あなたが駄目だと言うのなら諦めますが・・・・・・」
何もかもが出来過ぎていた。
白と同じ目の少女。それが、自分と一緒にいたいと言い出す。
(これは・・・運命なの?ただの偶然なの?)
―――彼女を受け入れるのも運命。彼女を拒むのもまた運命。
(運命は与えられる物じゃない、自分の力で変えていける・・・そういう事なのね)
―――道は何本もある。ただし、選べるのは一本だけ。後戻りも許されない。
(大丈夫、私の歩く道はもう決まってる)
紫は少女をそっと抱いた。
「あなたの名前を教えて・・・いつまでも『あなた』じゃ呼びにくいし」
「私の・・・・名前・・・・・ごめんなさい、名前・・・ないの・・・・」
「・・・・・そう・・・・じゃあ、私が考えてあげる」
腕を組みつつ考える。凛々しい彼女にはそれなりに凛々しい名前を。
これから自分と一緒に過ごす相手につける名前・・・名前・・・
「・・・・そうね、藍(らん)なんてどうかしら」
「らん・・・・・?」
「藍色の『らん』。虹の中では紫色のすぐ隣に来る色。私とずっと一緒にいられるように、ね・・・」
「藍か・・・いい名前です」
「じゃあ決まりね。あなたは今日から『八雲 藍』を名乗りなさい」
「え、八雲・・・・・・!?」
「私と一緒にいるのなら、それはもう家族同然。八雲を名乗ってもいいわ」
「・・・・・は、はい!」
藍と名づけられた少女はかすり傷や切り傷だらけの顔を精一杯明るくして微笑んだ。
それを見て紫の表情も明るくなる。
(これで良かったのよね、白・・・・・・)
もう一人ぼっちじゃない。白も幽々子もいないが藍がいる。
過去を振り切ったわけじゃない。後ろもたまに見つつ、しかし前を向いて歩こうと決めただけ。
横には藍がいる、道の途中で落伍したりはしない。
数年の時を経て、壊れかけていた紫の心が治りつつあった。
結界『夢と現の呪』
式神『八雲 藍』
1:オリジナル設定、自分的解釈を含みます。ご注意ください。
2:先に拙作「ETERNAL TRIANGLE」を読む事をお勧めします。
―――ようこそ、妖怪の領域へ。
「・・・とうとう私も妖怪の仲間入りか・・・・・」
―――もう後戻りはできない。一度選んだ道は、最後まで歩き通さなければならない。
「分かってる。妖怪の道を選んだのは、私・・・・」
―――この世界を照らす一本の光を辿れば、『この世』に還って行ける。
「まるで蜘蛛の糸みたい・・・・細い道ね」
―――だが、これは何よりも確かな『生』への道。
「もちろん通るわ。通って、還ってみせる」
―――第二の人生に、幸福を・・・・・・
「・・・・もう人じゃないけど・・・・・・・ありがたく受け取っておくわ」
―――・・・・・・・・・・・・
それっきり、声は聞こえなくなった。
あの声はなんだったのか、紫は考えない。考えなくても、何となく分かっていた。自信はないが。
そして声が聞こえなくなったという事は、『それ』がいなくなったという事。ならばどこへ行ったのか。
それは、恐らく自分の中へ。
完全な妖怪となった自分と一体化した・・・だから語りかけてくる必要はなく、心で思うだけでいい・・・紫の勝手な推測だが。
ならばここで立ち止まっている必要はない。微かに見える道を辿って、このすき間を越える。
一つ辿っては道を探り、一つ探っては道を辿る。
まるで夜道を歩くように慎重に慎重に、道を見失わないように一歩を踏み出す。
光の道はだんだん大きく太くなり、出口が近い事を現している。
もうすぐ、もうすぐなんだ・・・はやる気持ちを抑え、一歩一歩を確実に踏み出す。
そして光が全身を包むくらいに大きくなった時、紫は我慢できず光に飛び込んだ。
体が浮き上がる感覚、白く染まる視界、決して消えない意識、目を開けていられないほどの眩い光。
誰かに手を引っ張られているような感覚。地獄から極楽へ。『死』から『生』へ・・・
紫は『この世』に戻ってきた。以前と変わらぬ姿で。
少し違う点といえば常に世界のすき間を開いているというくらいで、それ以外は着ている服から化粧まで昔と何も変わらない。
だが、世界は変わった。何もかもが変わっていた。
幽々子と歩いた桜並木はもうなくなっていた。
花が咲いていないのではない。それ以前の問題で樹が一本もないのだ。
誰かが何かの目的で樹を切り倒した。そう考えたが、ここには切り株すら見当たらない。
全ての樹が、根元から消え去っているのだ。
「何これ・・・一本残らず・・・樹が・・・・・ない・・・・・・」
何よりも先に驚きが来た。
幽々子と一緒に桜が見れなくなったとか、誰がなぜこんな事をとか、それ以前に純粋な驚きがあった。
桜のない並木道はなんとも殺風景なものだ。樹がある事を前提にした風景だから、樹がなければ実に寒々しい。
そしてそんな殺風景な景色を呆然と眺める紫の目に、一匹の狐が目に留まった。
「・・・・あ・・・あれは・・・・・」
白い毛皮を持つ狐に、紫は確かに見覚えがあった。
その身はすっかり痩せ細り、毛も傷んでいるが、その顔は忘れない。紫の式、白だ。忽然と姿を消した主人を白はずっと待ち続けていたのだ。
「白・・・生きてたのね・・・・・」
体の様子からして、もう何日も食べ物を口にしていないという雰囲気だ。
そこまでして主人の帰りを待つ白を見て、紫の目頭も思わず熱くなる。
「帰って来たよ・・・・白・・・・・・・」
紫が近づいて来たのが分かったようで、白も振り返る。それに応えて紫も手を伸ばす。
ゆっくりと近づく白と紫。そして紫の伸ばした手が白に触れようとした時・・・
白が飛び掛ってきた。愛情ではなく敵意をむき出しにして。
「きゃっ!?」
牙による一撃はどうにか避けたが、唸り声を上げつつ白は身を低くして警戒を怠らない。
「どうして・・・?白、私よ。紫よ・・・・・」
紫の言葉は届かない。白は闘犬のごとく牙をむき出しにして睨みつけている。
「・・・・そうか・・・私、もう妖怪なんだった・・・・・・」
白は、『人間・八雲 紫』を待っている。紫はそう感じた。
彼女の姿を見て襲い掛かってきたのは、目の前にいるのが『人間・八雲 紫』の姿をした妖怪だから(本人だが)。
目の前の相手が主人の姿を真似ていると思い、それに憤慨しているのだろう。少なくとも紫にはそう見えた。
―――『人間・八雲 紫』は必ずどこかにいるという夢を見続けるか。
―――それとも八雲 紫は妖怪になったという現実を受け入れるか。
「白、あなたはどうする・・・・・・?」
もう一度手を差し出す。そして、案の定噛まれる。
「くっ・・・・・・・うぅっ」
紫は泣いていた。それは手を噛まれた事による痛みではなく、白が自分から離れていった事を感じて。
噛まれた手からは血が一滴も流れない。これこそが人間をやめた証拠、妖怪の証明。
そして、紫は決心した。
空いている方の手を白にかざす。掌に光が集まり、無数の米粒のような形となりそこにわだかまる。
「せめて、いい夢を見てね・・・・白・・・・・・」
現実を受け入れられないなら、決して叶わない夢だがいつまでも夢を見続けていて欲しい。
例えわずかであっても、希望を胸に残しておいて欲しい。
妖気の弾を収束させながらも紫はまだ泣いていた。
自分にできる最後の情け。せめて、苦しまないよう一瞬で・・・・・・
「サヨナラ・・・白・・・・・ごめんね・・・・・」
放たれる光。悲鳴すら上げられずに倒れる白。だがその強い瞳は紫を見つめ続けている。
白の体から式符が焼け落ち、白い毛皮が普通の狐の黄金色に変わっていく。
そして間もなく黄金色の毛皮は血の赤に染まる。式神『白』は、今完全に消滅したのだった。
「ごめんね・・・・・・ごめんね・・・・・・・・・」
動かなくなった白を抱き上げ、紫はまた泣いた。
永く連れ添ってきた式、それは家族のようなものだ。例え自らの存在が変わってしまっても、その想いは変わらない。
その命を消してしまった・・・はずす事のできない十字架だ。
すき間を開き、白の亡骸をその中へ入れた。
ここなら決して白の体は朽ちず、奪われず、なくならない。
すき間はもはや紫の体の一部、白を自らの中に取り込んだようなものだ。
「白・・・これでもう、私たちは一緒よ・・・・・いつまでも、いつまでも・・・・・」
自らもすき間に入りその入り口を閉じる。目指す先は西行寺家。
白が生きていたという事は、自分が神隠しにあってから今に至るまでそれほど時間は流れていない。
ならば幽々子も変わらぬ姿でいるはずである。
白を失った悲しみは大きいが、幽々子に会いたい気持ちもある。
紫は白の亡骸を抱え、はやる気持ちを抑えすき間の中を進んだ。
久しぶりに見る西行寺家は・・・・・・影も形もなかった。
すっかり落ちぶれているわけでも、廃墟になっているわけでもない。あの桜の樹と同じく、建物がそっくり消えているのだ。
西行寺家には見事な桜の樹がある。二人で歩いた桜のトンネルもきれいだが、それすら霞んでしまいそうなほど見事な樹だ。
その桜の樹ですら根元から消え去っている。地面に大きく開いた穴がそこに樹があった事を、樹の大きさを表している。
そして建物がないのならそこに住んでいる人間もいるはずがないだろう。ここは、人気の全くない荒地と化していた。
「嘘・・・・あんなに大きな家が、あんなに大きな樹が、影も形もなくなるなんて事・・・・・・あるはずないじゃない・・・・・」
そこに大きな家があったであろう場所を見て紫は呆然とした。
目の前の現実があまりに現実離れしているため、何かの夢か冗談かと思ったほどだ。
だが実際に家も樹もない、それが現実なのだ。
「あの桜並木も・・・西行寺家も・・・どこに行ったの・・・・・・?」
紫と関わりのある物が次々と消えていく。これは何かの偶然か、何らかの必然か・・・
いくら考えても分からないが、一つだけ自信を持って言える事があった。
これは、恐らく神隠し。
神隠し。かつて自分もあった事もあるこの現象なら、桜並木や家一軒が消え去るくらい造作もないのかも知れない。
それなら、世界のすき間をくまなく探せば見つかるかも知れない・・・
紫は再びすき間の中に潜った。
赤。黒。人の腕。目玉。初めて見た時よりはだいぶ慣れた。
赤と黒が織り成すまだら模様は常に移ろい、見ていて飽きる事がない。目にいいとは言えないが。
腕は色んなモノを持っていたりする。それは人だったり、妖怪だったり、物だったり。
『外の世界』のモノと思われる物を持っている時もある。これも全て神隠しによるものだ。
目玉は、視線さえ合わせなければ気にならない程度には慣れた。むしろ、孤独と思わせてくれないのでないよりはマシなのかも知れない。
だが、今はそれらに構っている時ではない。神隠しで人や物が消えるのならそれら全てはここ、世界のすき間に放り込まれるはず。
このすき間がどれほどの広さを持つのかは紫も知らないが、家一軒(庭、大樹つき)を飲み込む程度の広さはあるだろう。
だが例えどんなに広くても、探し続ければいつか見つかる・・・いや絶対に見つけてみせる。
強い意志で紫は消えた西行寺家と幽々子を探し始めた。
一日・・・
二日・・・
三日・・・
四日・・・
それこそ寝食も忘れ紫は探し続けた。
妖怪となった彼女は多少飲まず食わずでいてもどうという事はない。だがそれでも彼女は日を追うごとにやつれ、
四十九日探し続けた末についに力尽きた。
肉体と精神の疲労の中で感じるのはただただ絶望のみ。白はもう戻ってこない、幽々子は見つからない・・・
独りぼっちになった紫はそれから五十一日間泣き続けた。涙が涸れ果てても泣き続け、泣きはらした後には瞳から光の消えた紫が残っていた。
壊れかけの心を引きずって。
抜け殻同然となった紫は、この世とすき間を行ったり来たりしながらふらふらと時を過ごした。
特に生きる目的などない。自殺も図ったが簡単には死ねない程度の妖力を身につけてしまったし、死ぬ理由も特にない。
頼れる人も物もなく、ただ何となく紫は『生きる』のではなく『存在』していた。
そうして当てもなく山の中を歩いていた時の事。一匹の狐が目に留まった。体のあちこちに大きな傷を負っている。
それがただの狐なら彼女は気にも留めず去って行っただろう。だがその狐はそうさせなかった。
全身が血で赤く染まっているが、見事な九本の尻尾を腰からぶら下げている。俗に言う『九尾の狐』だ。
「妖狐か・・・・・・珍しいわね」
狐の存在は紫を振り向かせるに十分だった。そして、紫は実に数年ぶりに自分以外の物に興味を示した。
白面金毛を持ち、絶世の美女に化けると言われる狐。死ねば猛毒を振るい続けると言われる狐。だがそれが全てではない。
その狐の目は、あの『白』にソックリだった。ただの偶然だろうが、見れば見るほど似ている。
傷ついた体を必死に起こして紫を見上げる。その姿が白の最期に重なって見えた。
(・・・・・・まさか・・・これは罪滅ぼしなの・・・・・・?)
あの時、紫は白を殺した。そして今、死にかけの狐が紫の前にいる。
これは何かの偶然か、何らかの必然か・・・紫にはこれが必然に思えた。
今度はこの狐を救えと。安易に『死』に誘うのではなく、『生』へと導いてみろと。
何者かがそう言っているように感じた。
そして、白と同じ目をした狐を放っておけない自分がいる。
「助けるわ・・・今度は死なせない・・・・・」
狐を抱き上げ、すき間の中へ入る。
紫の瞳には強い光が宿っていた。
「ん・・・・・・」
狐が目を覚ました。もっとも、今は人の姿を取っているが。
すらりと伸びた腕と脚。白面金毛の名に恥じない白い肌と金色の髪。そして九本の尻尾。
絶世の美女というにはあまりにも凛々しい顔立ちだったが、とりあえず美しい事に変わりはない。
「ここは・・・・一体・・・・・・?」
「あっ、まだ起きちゃ駄目!」
「痛ッ!うぐぅッ・・・・・!!」
あちこちに巻いた包帯から血が滲み出る。
「あなた、ひどい傷を負ってたのよ。傷は塞がりかけてるけど完全に治ったわけじゃないんだから」
「・・・・・・」
「・・・お互い色々聞きたい事があるでしょうから、まずはあなたからどうぞ」
狐の少女は待ってましたとばかりに質問を次々に浴びせかけた。
ここはどこなのか。(紫は)何者なのか。なぜ瀕死のはずの自分が助かったのか。
その一つ一つに紫は丁寧に答えていく。そして4つ目の質問が来た。
「どうして・・・どうして私を助けたの?」
「・・・それは・・・・・簡単なようでなかなか難しい質問ね」
「九尾の狐が珍しかったから?」
「そんな単純な理由では助けない」
「困ってる人を放っておけない性格?」
「私はそこまでお人よしでもないわ」
「・・・・・強いて言うなら・・・・・・あなたを放っておく事ができなかった」
紫の目が一瞬遠くなった気がした。
それが何を意味するか、狐の少女は直感的に感じ取ったがあえて口にはしない。
「大切なモノを失って・・・それで思い切り後悔して・・・泣いて・・・傷ついたあなたを見て死なせてはいけないと思った。そういう事よ」
「・・・・・私、その『あなたの大切なモノ』と似ているの・・・?」
「え・・・?」
「もし似ているのなら・・・・あなたの傍にいさせて。いや、いさせて下さい!」
少女の提案に、紫は目を丸くした。
「私、もう行く所もないし頼れる身寄りもいないし・・・・・・あなたは私を助けてくれたから、せめて恩返しがしたいの・・・・」
「・・・・私なんかと一緒にいて・・・いいの?道ならいくらでもあるのよ?」
「いいんです。私の命を救ってくれたんだから、一生をかけて恩返ししないと私の気が済みません。
あなたが駄目だと言うのなら諦めますが・・・・・・」
何もかもが出来過ぎていた。
白と同じ目の少女。それが、自分と一緒にいたいと言い出す。
(これは・・・運命なの?ただの偶然なの?)
―――彼女を受け入れるのも運命。彼女を拒むのもまた運命。
(運命は与えられる物じゃない、自分の力で変えていける・・・そういう事なのね)
―――道は何本もある。ただし、選べるのは一本だけ。後戻りも許されない。
(大丈夫、私の歩く道はもう決まってる)
紫は少女をそっと抱いた。
「あなたの名前を教えて・・・いつまでも『あなた』じゃ呼びにくいし」
「私の・・・・名前・・・・・ごめんなさい、名前・・・ないの・・・・」
「・・・・・そう・・・・じゃあ、私が考えてあげる」
腕を組みつつ考える。凛々しい彼女にはそれなりに凛々しい名前を。
これから自分と一緒に過ごす相手につける名前・・・名前・・・
「・・・・そうね、藍(らん)なんてどうかしら」
「らん・・・・・?」
「藍色の『らん』。虹の中では紫色のすぐ隣に来る色。私とずっと一緒にいられるように、ね・・・」
「藍か・・・いい名前です」
「じゃあ決まりね。あなたは今日から『八雲 藍』を名乗りなさい」
「え、八雲・・・・・・!?」
「私と一緒にいるのなら、それはもう家族同然。八雲を名乗ってもいいわ」
「・・・・・は、はい!」
藍と名づけられた少女はかすり傷や切り傷だらけの顔を精一杯明るくして微笑んだ。
それを見て紫の表情も明るくなる。
(これで良かったのよね、白・・・・・・)
もう一人ぼっちじゃない。白も幽々子もいないが藍がいる。
過去を振り切ったわけじゃない。後ろもたまに見つつ、しかし前を向いて歩こうと決めただけ。
横には藍がいる、道の途中で落伍したりはしない。
数年の時を経て、壊れかけていた紫の心が治りつつあった。
結界『夢と現の呪』
式神『八雲 藍』
これで残りのスペカは7枚。どう書かれるのか、楽しみにしてます。