数多くの霊が集まる場所、白玉楼。
その白玉楼には時折、不思議な生き物の群れがそこに住む者たちの前に姿を現していた。
ある者は『それ』を見て美しいと言い、ある者は『それ』を見て恐怖におののいた。
その生き物とは……。
蝶、である。
青白く輝く、不思議な不思議な蝶の群れ。
力強い光を放つも蝶もいれば、弱々しい、今にも消えそうな光を放つ程度の蝶もいる。
その不思議な蝶達は、十匹から二十匹程度の群れで現れ、夜の闇を明るく照らながら狂ったように
舞いを舞った後、最後は闇の中へと消えていく。
まるで、最初からそこには何もいなかったかのように。
まるで、命の灯火が消えたかのように。
辺りは再び、虚無へと包まれるのだ。
白玉楼に住む者達は口々に、その蝶の群れをこう呼んだ。
『亡霊蝶』と。
不思議な不思議な蝶の群れ。
その蝶の群れの中でも、特に不思議で珍しく、滅多に見ることができない蝶がいた。
青白い色を放つ蝶の群れの中に混じって。
ただ一匹、淡い紫色の光を放つ奇怪な蝶が。
その蝶が現れると、辺りは紫色の『死』の臭いで一杯になると言う。
その蝶は決まって、西行寺家の広大な庭に姿を見せると言う話である。
ある厳格な老剣士は、あの蝶の群れは一体何なのかと問われた時、こう吐き捨てるように言った。
「知らぬ」
なるほど、もっともな答えである。
この白玉楼に住む者は誰一人として、あの蝶の群れの事について答えられないのだ。
いつからいるのか、いつどんな時に現れるのか、一体何の目的で存在しているのか。
その問いに、答えられる者はいない。
しかしその老剣士は、後に考えを改めたようだ。いや、問いの答えを見つけたのかもしれない。
何故、突然その答えを見つけたのかは、その老剣士にしか知らないであろう。
しかし聞こうにも。
その老剣士は、既に白玉楼にはいないようだったが。
ある亡霊の姫は、蝶の群れの事をこう述べた。
「あれは多分、私の予想では霊体が蝶の姿になって現れたものではないかしら?
この世からあの世へと逝く時、蝶の姿になって天に昇って来た霊達の群れだと私は
思っているんだけど。どうかしら?」
また、ある隙間の主は、同じ問いにこう答えた。
「あれは、人の記憶や意思が蝶の形となって彼の世に現れたもの。生前の記憶が、死んで忘れ去られた
時、行き場を失った『それ』は美しい蝶の姿となり、自分の『主』を探して彷徨っているの。
その生前の記憶が……思いが、大きければ大きいほど、強ければ強いほど放つ光が強くなり、
死の臭いで一杯になっていくのよ」
果たしてどちらの答えが正しいのか。それは誰にも判らない。
もしかしたら両方とも正しいのかもしれないし、両方とも間違っているのかもしれない。
結局は、その亡霊蝶の群れの正体は誰にも判らないのだ。
判っている者がいるとしても、それを証明するものは何一つ無いし、もしあったとしても
誰一人として信じないかもしれない。
そうしていつの間にか、その亡霊蝶の群れは白玉楼の名物となっていった。
ある時、実に不思議な現象が起こった。
いつもより濃い闇に覆われた、冬の寒さが身に凍みる夜の事。
亡霊の姫と、彼女を護衛している幼い剣士の二人が、仲良く並んで庭を散歩している時だった。
それは唐突に、彼女達の前に現れた。
闇を照らす、亡霊蝶の群れ。
それも、十や二十という少ない数ではない。
何十、何百、何千……数える事も億劫になるような、膨大な数の蝶の群れ。
それが、夜空を埋め尽くすかのごとく現れ、青白い光を放ちながら踊りだしたのだ。
まるで、空を喰い尽くしているかのよう。
そう、亡霊の姫がそれを見てポツリと呟いた。
暫くの間、思い思いの舞いを楽しむかのように、散り散りになって空を漂っていた蝶の群れだったが、
やがて、まるで予め決められていたかのように一箇所に集まりだした。
姫と剣士も、その場所へと向かう。
そして、たどり着いた先は……。
一本の、朽ち果てた桜の木の前だった。
西行妖……その桜の木を知るものは、皆が皆、口を揃えてそう呼んでいた。
その木の周りに、蝶の群れがゆっくりと集まってくる。
まるで、その桜の木に呼ばれているかのように。
その時、亡霊の姫は気がついた。
他の蝶達が空を舞っているというのに、一匹だけ、桜の木に止まって動かない蝶がいる事に。
淡い紫の光を放つ、死に満ち満ちた蝶。
それが西行妖に止まり、まるで死んでいるかのように微動だにしないでいた。
幾千の青い蝶の群れと、一匹の紫の蝶。
それが今、西行妖を取り囲むようにしていた。
暫し呆然と、その蝶の群れを眺める二人。
そんな二人の耳に、何処からとも無く不思議な歌が聞こえてきた。
何だか、とても悲しい歌が。
聞き惚れてしまいそうな、とても美しい歌声に乗せられて……。
それは、このような歌だった。
亡霊蝶が 飛んだ
空まで 飛んだ
空まで 飛んで
闇夜に 消えた
亡霊蝶が 消えた
飛ばずに 消えた
伝えられずに
闇夜に 消えた
風 風 吹くな
消えないように
その歌にあわせるかのように、青い蝶の群れが静かに空を泳ぐ。
そして、まるでその歌に従うかのように……ゆっくりと、闇の中に溶けていった。
しかし、辺りに闇はまだ訪れない。紫色の蝶が、まだ西行妖に止まっていたからだ。
先ほどよりも尚一層、強い紫色の光を放つ亡霊蝶。
だが、それも束の間の事だった。
その蝶も、歌にあわせるかのように……。
ゆっくりと、死んでしまったかのように地面に落ちると、地面に溶け込んでいった。
『姫』の眠る、西行妖の根元へと。
そして……辺りは再び、濃い闇と静寂が支配していった。
暫く狐に包まれたかのような表情をしていた亡霊の姫と剣士だったが、やがて気を取り直し、
各個の部屋へと戻っていった。
それから数日後。
亡霊の姫は、書架から古い記憶を見つけたのだった。
「富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ、
その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。
願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ……」
その記憶は、何を伝えようとしていたのか。
あの蝶は、何を伝えたかったのか。
それは誰にも判らない。
何故ならば、あの時の歌と同じように……その思いは、亡霊の姫には伝えられなかったのである。
そして恐らく、もう二度と伝えられる事は無いだろう。
風が吹かない限りは。
風は未だ、止まったままだ。
姫が死んだ、あの時から。
風が吹けば、その思いは伝えられるかもしれない。
だが、風が吹けば彼女は消えてしまう。
だから、風は未だ止まったままだ。
そして恐らく……。
風は、もう二度と吹くことは無いだろう。
何時までも彼女は、冥界のお姫様として、死に絶えた西行寺家のお嬢様として暮すのである。
風は未だ、止まったままだ。そして、二度と吹くことはない。
その白玉楼には時折、不思議な生き物の群れがそこに住む者たちの前に姿を現していた。
ある者は『それ』を見て美しいと言い、ある者は『それ』を見て恐怖におののいた。
その生き物とは……。
蝶、である。
青白く輝く、不思議な不思議な蝶の群れ。
力強い光を放つも蝶もいれば、弱々しい、今にも消えそうな光を放つ程度の蝶もいる。
その不思議な蝶達は、十匹から二十匹程度の群れで現れ、夜の闇を明るく照らながら狂ったように
舞いを舞った後、最後は闇の中へと消えていく。
まるで、最初からそこには何もいなかったかのように。
まるで、命の灯火が消えたかのように。
辺りは再び、虚無へと包まれるのだ。
白玉楼に住む者達は口々に、その蝶の群れをこう呼んだ。
『亡霊蝶』と。
不思議な不思議な蝶の群れ。
その蝶の群れの中でも、特に不思議で珍しく、滅多に見ることができない蝶がいた。
青白い色を放つ蝶の群れの中に混じって。
ただ一匹、淡い紫色の光を放つ奇怪な蝶が。
その蝶が現れると、辺りは紫色の『死』の臭いで一杯になると言う。
その蝶は決まって、西行寺家の広大な庭に姿を見せると言う話である。
ある厳格な老剣士は、あの蝶の群れは一体何なのかと問われた時、こう吐き捨てるように言った。
「知らぬ」
なるほど、もっともな答えである。
この白玉楼に住む者は誰一人として、あの蝶の群れの事について答えられないのだ。
いつからいるのか、いつどんな時に現れるのか、一体何の目的で存在しているのか。
その問いに、答えられる者はいない。
しかしその老剣士は、後に考えを改めたようだ。いや、問いの答えを見つけたのかもしれない。
何故、突然その答えを見つけたのかは、その老剣士にしか知らないであろう。
しかし聞こうにも。
その老剣士は、既に白玉楼にはいないようだったが。
ある亡霊の姫は、蝶の群れの事をこう述べた。
「あれは多分、私の予想では霊体が蝶の姿になって現れたものではないかしら?
この世からあの世へと逝く時、蝶の姿になって天に昇って来た霊達の群れだと私は
思っているんだけど。どうかしら?」
また、ある隙間の主は、同じ問いにこう答えた。
「あれは、人の記憶や意思が蝶の形となって彼の世に現れたもの。生前の記憶が、死んで忘れ去られた
時、行き場を失った『それ』は美しい蝶の姿となり、自分の『主』を探して彷徨っているの。
その生前の記憶が……思いが、大きければ大きいほど、強ければ強いほど放つ光が強くなり、
死の臭いで一杯になっていくのよ」
果たしてどちらの答えが正しいのか。それは誰にも判らない。
もしかしたら両方とも正しいのかもしれないし、両方とも間違っているのかもしれない。
結局は、その亡霊蝶の群れの正体は誰にも判らないのだ。
判っている者がいるとしても、それを証明するものは何一つ無いし、もしあったとしても
誰一人として信じないかもしれない。
そうしていつの間にか、その亡霊蝶の群れは白玉楼の名物となっていった。
ある時、実に不思議な現象が起こった。
いつもより濃い闇に覆われた、冬の寒さが身に凍みる夜の事。
亡霊の姫と、彼女を護衛している幼い剣士の二人が、仲良く並んで庭を散歩している時だった。
それは唐突に、彼女達の前に現れた。
闇を照らす、亡霊蝶の群れ。
それも、十や二十という少ない数ではない。
何十、何百、何千……数える事も億劫になるような、膨大な数の蝶の群れ。
それが、夜空を埋め尽くすかのごとく現れ、青白い光を放ちながら踊りだしたのだ。
まるで、空を喰い尽くしているかのよう。
そう、亡霊の姫がそれを見てポツリと呟いた。
暫くの間、思い思いの舞いを楽しむかのように、散り散りになって空を漂っていた蝶の群れだったが、
やがて、まるで予め決められていたかのように一箇所に集まりだした。
姫と剣士も、その場所へと向かう。
そして、たどり着いた先は……。
一本の、朽ち果てた桜の木の前だった。
西行妖……その桜の木を知るものは、皆が皆、口を揃えてそう呼んでいた。
その木の周りに、蝶の群れがゆっくりと集まってくる。
まるで、その桜の木に呼ばれているかのように。
その時、亡霊の姫は気がついた。
他の蝶達が空を舞っているというのに、一匹だけ、桜の木に止まって動かない蝶がいる事に。
淡い紫の光を放つ、死に満ち満ちた蝶。
それが西行妖に止まり、まるで死んでいるかのように微動だにしないでいた。
幾千の青い蝶の群れと、一匹の紫の蝶。
それが今、西行妖を取り囲むようにしていた。
暫し呆然と、その蝶の群れを眺める二人。
そんな二人の耳に、何処からとも無く不思議な歌が聞こえてきた。
何だか、とても悲しい歌が。
聞き惚れてしまいそうな、とても美しい歌声に乗せられて……。
それは、このような歌だった。
亡霊蝶が 飛んだ
空まで 飛んだ
空まで 飛んで
闇夜に 消えた
亡霊蝶が 消えた
飛ばずに 消えた
伝えられずに
闇夜に 消えた
風 風 吹くな
消えないように
その歌にあわせるかのように、青い蝶の群れが静かに空を泳ぐ。
そして、まるでその歌に従うかのように……ゆっくりと、闇の中に溶けていった。
しかし、辺りに闇はまだ訪れない。紫色の蝶が、まだ西行妖に止まっていたからだ。
先ほどよりも尚一層、強い紫色の光を放つ亡霊蝶。
だが、それも束の間の事だった。
その蝶も、歌にあわせるかのように……。
ゆっくりと、死んでしまったかのように地面に落ちると、地面に溶け込んでいった。
『姫』の眠る、西行妖の根元へと。
そして……辺りは再び、濃い闇と静寂が支配していった。
暫く狐に包まれたかのような表情をしていた亡霊の姫と剣士だったが、やがて気を取り直し、
各個の部屋へと戻っていった。
それから数日後。
亡霊の姫は、書架から古い記憶を見つけたのだった。
「富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ、
その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。
願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ……」
その記憶は、何を伝えようとしていたのか。
あの蝶は、何を伝えたかったのか。
それは誰にも判らない。
何故ならば、あの時の歌と同じように……その思いは、亡霊の姫には伝えられなかったのである。
そして恐らく、もう二度と伝えられる事は無いだろう。
風が吹かない限りは。
風は未だ、止まったままだ。
姫が死んだ、あの時から。
風が吹けば、その思いは伝えられるかもしれない。
だが、風が吹けば彼女は消えてしまう。
だから、風は未だ止まったままだ。
そして恐らく……。
風は、もう二度と吹くことは無いだろう。
何時までも彼女は、冥界のお姫様として、死に絶えた西行寺家のお嬢様として暮すのである。
風は未だ、止まったままだ。そして、二度と吹くことはない。
お疲れ様でした、来年も良い作品を期待します(笑