Coolier - 新生・東方創想話

歳月のみぞ識る 《中編》

2006/06/08 10:42:44
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※この作品は私的解釈がふんだんに盛り込まれた二次作品です。




 妖忌が西行寺家にやってきてから早二年。
 その年月の経過と共に、妖忌はさらに腕を磨きより逞しくなった。
 そして彼が仕える主、西行寺幽々子もまた名家の名に恥じぬ、美しい女性へと成長している。

 しかし年月がもたらしたのは、何も二人の成長だけではない。
 成長と言うよりは変化のあったものがここにもいた。


 ★


 幽々子はいつものように自室で書物を読んでいた。
 することがないときは、こうして読書に耽るか歌を詠むかして過ごしている。
 この静寂が支配しつつも、穏やかな時間が幽々子は好きだった。
 しかし最近はこの時間が乱されつつある。
「幽々子~、遊びに来たわよ~」
 またしても現れたその張本人に、幽々子は自分が招いた結果ながらも嘆息する。
 扉も開けずに、どこからともなく現れた女性。
 それは以前に都で一戦交えた神隠しの妖怪こと、八雲紫であった。
 あの日以来、紫は幽々子をたいそう気に入り、
 時折こうして屋敷に勝手に上がっては騒ぐだけ騒いで帰って行く。
 見た目は人間と変わらないため、うっかり屋敷の者に見つかっても
 大声を出されない点だけは、不幸中の幸いといえた。
 幽々子の知り合いということで、無断で屋敷に入っていても咎められることはなく、
 紫の存在は一躍西行寺家の中でも有名になっていた。
 しかしこちらの予定などお構いなしにやってくる紫に、幽々子はほとほとあきれ果てていた。
「紫、私は今本が読みたいの。そうでなくても、あなたが来る頻度が増してきて、
 私が一人で過ごせる時間が少なくなっているというのに」
「あら、あなたが言ったんでしょう? 人間と戯れたいなら私が相手をするって」
 それを言われると幽々子は辛い。
 確かにそう言ったのは事実である。
 それに幽々子自身、紫と話すのは嫌いではなかった。
 人間を喰うと言っても、それが主食ではないようではあるし紫は話の通じる妖怪だ。
 だがしかし、そう言う問題ではなく。
「でもね、私にも私の都合というものがあるの」
「私には私の都合があるわ」
 あぁ言えばこう返す。
 つかみ所のない紫との会話は、楽しいが疲れるものでもあった。
「失礼します」
 そこにちょうど良いタイミングで、妖忌が入ってきた。
 妖忌は紫の姿を見るや、顔を険しくする。
「またお前か。昨日も一昨日も来たというのに、いったい何の用だ」
「特に用はないわ」
 よくもまあこれだけいけしゃあしゃあと言えるものだ、と感心すら覚える。
 まったくもって迷惑きわまりないが。
「幽々子様は勉強中だ。遊びに誘うならもう少し待っていろ」
「本当に勉強していたのかしら?」
 あたりまえだろう、と妖忌は幽々子の方を向く。
 幽々子がサボるなど――
「え、ええ……勿論、勉強していたわ」
 どこかギクシャクとした言葉遣いの幽々子。
 妖忌の顔が少し引きつる。
 幽々子は机の上を隠すように、体を動かし引きつった笑みを浮かべる。
 その背後、空間の裂け目が現れ、そこから伸びた手がスッと隠していたものを掴んだ。
「あらあらまぁまぁ。これはこれは……」
 紫の楽しそうな声に、幽々子はハッとして後ろを向く。
 そこにはあるべきはずのものがなくなっていた。
「紫、あなた!」
 紫の手には一冊の書物。
 丁寧に紐綴じされたそれを見た幽々子の顔が真っ赤に染まる。
「成る程ねぇ……これは誰にも見せられないわけだわ」
「紫っ」
 幽々子がここまで感情を露わにして激昂するとはいったいなんなのであろうか。
 興味がないわけではなかったが、主の私物を勝手に見るわけにもいかないと
 妖忌は二人のやり取りを只じっと見守っていた。
「返しなさいっ」
「うふふ、取れるものなら取ってみなさいな」
「もう~っ」
 狭くはないがけして広いとも言えない部屋の中をばたばたと走り回る二人。
 部屋の前を通る誰もが何事かと不審に感じていることだろう。
 しかし幽々子の部屋である以上、立ち入る勇気がないに違いない。
「幽々子様、気晴らしも宜しゅうございますが、ほどほどにしてください。
 私は外で稽古をしてまいりますから、何かあったら呼んでくだされ」
 この場にいても別に何もないと結論づけた妖忌は部屋を出ていった。


 閉められた障子戸を見て、紫はにまりと笑う。
「邪魔者はいなくなったわね……いや、いてくれた方が面白かったかしら」
 紫の言わんとしていることが分かっている幽々子は気が気でない。
「紫、その意地悪な性格、少しは直す気はないの?」
「それは無理よ。私は今の私が気に入っているんだもの」
 平然と受け流す紫に、幽々子は負けじと言葉を続ける。
「でも少しは直さないと嫌われるわよ」
「嫌われる? いったい誰に? もしかしてあなた?」
「そ、そうよ」
「ふふ、それはないわね。あなたもこういう私が好きなんでしょう?」
 このように返されてはもはや返せないではないか。
 返さない言葉の代わりとして、降参の意思を示す為にため息をつく幽々子。
 紫もこれが潮時と、素直にその書物を返した。
 返しながら、それまでの口調から一転した優しげな声で話しかける。
「その想い、いつまで留めておくつもりなの?」
 紫の言葉に幽々子の表情が曇る。
 返したもらった書物を胸に抱き寄せて、口を噤んだ。
「彼だけだものね。あなたを人間として、女の子として見てくれているのは」
 幽々子が抱きしめる書、それは彼女の心の内が綴られた日記帳。
 そこには彼女の妖忌に対する想いが、幾日分にも渉って書き留められていた。
「そんなに好きなら言ってしまえば楽になるのに」
「言えるわけないでしょう……私なんかじゃ」
 自分は人間の姿をした人外の者だと、自分で思いこんでいる幽々子にとって、
 誰かを好きになることは決して許されないこと。
 そう思っているのも幽々子自身なのだが、彼女はこれまで人に好意を寄せたことが
 なかったので、その思いこみはいっそう強い楔として埋まっているのだ。
「ますます人間という生き物が分からなくなるわ。好きなのに好きになれないって、
 いったいどういう感情なのかしら」
 紫はふぅむと腕を組んで考え込む。

 彼女は生まれてから長い歳月を生きてきた。
 今でこそ人間は食料以外のものとして見てはいるが、生まれてしばらくずっとは、
 食料としか見ていなかった、というかそれにしか見えなかったのだ。
 だが時が経つにつれ、自分と同じように知恵をつけ始めた人間という食料に、
 それ以外の価値を見いだし始めた紫は同時に興味を感じ始めた。
 そして今、こうして自分は人間と共に時を過ごしている。
 長い長い年月の間で、初めてまともに会話をした人間。
 その時間はとても不思議で、とても温かくとても楽しいもの。
 彼女といると退屈することがなかった。


 人として生きることを許されなかった幽々子だったが、妖忌や紫との出会い通じて
 友人と馬鹿みたいな事で大騒ぎしたり、年頃の女性として当然のように恋をしたりと
 だんだん普通の人生を送れるようになり始めていた。
 そんな個々に穏やかな時が流れる中、幽々子の体にはある変化が生じていた。
 それは幽々子自身も気づくことのない些細な変化。


 ★


 普通の生活を送れるようになりつつあったと言っても、幽々子の仕事がなくなるわけではない。
 都に集まってくる物の怪の数は増す一方で、幽々子はほとんど毎日のように出かけていた。
 都にも著名な陰陽師なり祈祷師なりがいるはずなのだが、
 それでも対処が間に合わないまでに、今の都は化け物の巣窟と化しているのである。
 今日も幽々子の元に何通もの依頼状が届いていた。


 草木も眠る丑三つ時。
 届いた依頼の事件解決も、この一通に書かれたもので最後となる。
「もう日付も変わった頃でしょう。早く済ませて帰りましょうぞ」
「そうね、ここ最近毎日ですもの」
「寝不足はいけないわねぇ。お肌にも悪いし」
 ピタリと止まる二人の足。
「あらどうしたの? さっさと終わらせて帰るんじゃなかったかしら」
 揃って右を向くと、そこには空間を裂いてできた歪みに座り浮かんでいる紫。
 いつの間に、という言葉はこの妖怪の前では何の意味も成さない。
「こんな時間に何をしに来たの。先に言っておくけれど、遊ぶのは却下だからね」
 少し怒気を込めて幽々子が言うと、紫はクスクスと笑いながら答える。
「こんな時間って、夜は私達の時間でしょう? 何をしに来たかについてだけれど、
 久しぶりにあなた達の仕事ぶりが見たくなってね。
 邪魔はしないし、手出しもしないからいつも通りにやっちゃってちょうだいな」
 もはやため息しか出てこず、幽々子と妖忌は再び現場へと向かう足を進めた。
 隣には勿論紫が着いてきている。
 にこにことした笑顔を崩さずに、まるでこの状況を散歩として楽しんでいるようだ。
 そんな紫とは対照的に、幽々子は若干疲れた様子で歩いていた。
 しかし、心なしか笑っているようにも見えたのは、まったくの気のせいでもないだろう。


 到着したのは枯れ果て生気を失った草原。
 かつては畑だったのだろう。
 しかし今は見るも無惨に荒れ果てている。
「殺風景な場所ね」
 紫はあまり楽しくなさそうに呟いた。
 楽しい楽しくないの問題ではないのだが、紫だから仕方があるまい。
「幽々子様、お気をつけください」
「ええ、この依頼の内容から考えて相手は……」
 刹那、三人の間を突風が吹き抜ける。
 冷たく鋭い風に、思わず目を細める幽々子。
「危ないっ」
 突き飛ばされる幽々子。
 突き飛ばした妖忌はすぐさま楼観剣を抜き、風を斬るように刀を振るった。
 一閃の後、不自然に風が止む。
「現れたな」
 妖忌の見つめる先、そこには前足が巨大な鎌と化した巨大鼬がこちらを睨んでいた。
 鎌鼬。
 風と共に現れて、獲物をその鋭い鎌を用いて切り裂く獰猛な妖怪だ。
 普段は三匹で一纏めになって襲ってくる。
 一匹目が獲物のバランスを崩し、二匹目が切り裂く。
 三匹目はなにをするのかというと、その傷口に薬を塗るのだ。
 傷を負った者は、しばらくしてから感じる激痛に悶え苦しむことになる、かなりたちの悪い妖怪だ。
 しかし今目の前にいるのは、見るに二匹目のみ。
「負の気を吸収して、力をつけた二匹目が、他の二匹を吸収しちゃったようね」
「そんなことがあるの?」
「妖怪だって日々変化していくものよ」
 じゃああなたも変化しているの、と幽々子は聞く寸前で留めた。
 紫は出会ったときに比べて変わったと思う。
 それは他ならぬ自分が関係しているのは明白だ。
「それにしても、あの鎌鼬の大きさは以上ね。どれだけ多くの負の力を吸収したのかしら」
 幽々子は周囲に目を向けた。
 この草原だけではない。
 今や都全体に重苦しい負の力が充満している。
 それに気づかず、自分たちの栄華にかまけて優雅に暮らす者達は、
 きっといつかその報いを受けるだろう。
 それは西行事の家も例外ではない。
 いつか、きっとそう遠くない未来に報いを受けねばならないときが来る。
 確信ではないが、幽々子はこの荒れ果てた野原を見てそう思った。
「いいの? お付きの剣士さんが戦っているのに惚けちゃって」
 紫の言葉に幽々子はハッとする。
 自分は何のためにここにいるのだ。
 慌てて本来の目的を思い出し妖忌を見ると、彼は一人で鎌鼬と渡り合っていた。
 鎌と刀が火花を散らし、月明かりに照らされた薄闇に小さな花を幾つも咲かせる。
「妖忌、離れてっ」
 幽々子の指示が聞こえた妖忌は一飛びで鎌鼬から距離を取った。
 入れ替わるようにして鎌鼬と対峙する幽々子。
 その手に握られた扇を使い、死蝶を呼び込む。
 死者の魂が周囲に集まっているというのに、幻想的にすら見える幽々子の姿。
 これでこの事件は解決したも同然だろう。
 妖忌がそう確信する隣で、紫はまるでにらみつけるような眼差しで幽々子を見つめていた。
 怒りや憎しみは込められていない。
 ただじっと、紫にしか見えない何かが彼女の表情を険しくしていた。


 鎌鼬の退治は難無く終わった。
 戻ってきた幽々子に妖忌は労いの言葉をかける。
「幽々子」
 紫に名を呼ばれ、幽々子は彼女の方に顔を向けた。
 ご苦労様、とでも言ってくれるのだろうか。
 そんなことを考えていた幽々子の耳に、乾いた音が響き渡った。
 何をされたのかわからなかった。
 しばらくして、頬がじんじんと痛みだし、ようやく叩かれたのだと理解した。
 しかし今度はその理由が分からない。
 鎌鼬を退治することに関して、紫はなにも言わなかったはずだ。
 今更同胞を退治されたことに怒りを感じでもしたのだろうか。
 いや紫はそのような考え方をするような妖怪ではない。
「紫、お前何をする!」
 当然妖忌は二人の間に割って入った。
 呆然とする幽々子と、怒る妖忌をその双眸に映しながら紫は一言だけ呟くように告げた。


「もう二度とその力は使わない方がいい……」


 たったそれだけ言って、紫はその姿をスキマの中へと消した。
 残された二人はただ呆然とするしかない。
 紫が取った行動も、その残した一言もまったくもって理解できない。
 しかしいつまでもここでこうしているわけにもいかず、
 二人は西行事の屋敷へと戻っていった。



 その日を境に、紫はその姿を見せることはなくなった。



 ★


 紫が姿を見せなくなってから数ヶ月が経った。
 再び神隠しが起こったという噂もなく、屋敷に来ることもない。
 どうして彼女が突然姿を見せなくなったのか。
 幽々子はそのことをずっと考えていた。
「幽々子様、また依頼書が」
 そこに妖忌がいつもの依頼状をもって現れる。
 しかしそれを渡すのを躊躇うように、彼はその手紙を握りつぶす。
「幽々子様、もうおやめになってはいかがですか」
「妖忌……」
「紫殿が来なくなってからというもの、幽々子様はいつも元気がありません。
 することといえば書を読むか物の怪退治に出かけるかのみ。
 一年前の幽々子様はもっと明るくお笑いになっていた。
 あまり認めたくはありませんが、それは紫殿がいてくれたからではないですか?」
「……そうね、それは認めざるをえないことだわ」
「なら、物の怪退治をなさるよりも、紫殿を探すために時間を使った方が、幽々子様のため」
「でも……私がやめてしまえば人々はどんどん強くなっている妖怪の餌食にされてしまう」
 こんな時でも幽々子は自分よりも他人を心配するというのか。
 その慈愛の精神には感服するが、それで幽々子自身がつぶれてしまっては元も子もないではないか。
 そこまで彼女を憔悴させてはいけない。
「幽々子様、本日は私が一人で参ります。幽々子様はお休みになってください」
 何か言おうとする幽々子の言葉を遮り、妖忌は白楼剣を鞘に収めたまま畳の上に突き立てた。
「私は、幽々子様の従者としてお仕えし始めてから二年以上の月日を過ごしました。
 一目見たその時から、あなたをお守りするとそう心に誓い、今日に至ります。
 あの日の決意は、そのままこの心に刻まれております。
 幽々子様、これ以上あなたが力を酷使することはございませぬ。
 あなたをお守りする盾になる、そう申しましたでしょう?
 妖怪退治は私が行います。紫殿も私が必ず見つけます。ですから幽々子様は、これ以上……」
 妖忌の必死の言葉に、幽々子はようやく微笑みを向けた。
 その微笑みを答えと見なし、妖忌は一礼を返すと部屋を後にした。
 きっと都へと向かったのだろう。
 残った幽々子はあの日記帳を開いた。
 一年前のものを読み返すと、そこには紫と共に過ごした楽しい思い出が詰まっていた。
 そして妖忌に募らせている恋心も、赤裸々な言葉で綴られている。
 この頃は自分で言うのも何だが、とても輝いていたように思う。
 友人と言葉にしたことはなかったが、きっと紫は親友だったのだ。
 そのたった一人がいなくなっただけで、ここまで落ち込んでしまうとは。
 今まで他を避けてきた分、自分近しい者達にはそれだけ特別な感情を抱いていたのだろう。
「でも……どうして貴方はいなくなってしまったの」
 紫が最後に残した言葉。
 もうその力は使うな、と紫はそのように言い残した。
 それが意味するところは未だわかっていない。
 それでもこの力を使わなければ仕事はできないため、今日までずっと使い続けてきた。
 別段これまでと変わったところはない。
 だが妖忌があのように申し出てくれたことだし、しばらくは力を使わずに生活しよう。
 もしかすると力を使わなくなれば、紫がひょっこり顔を出すかもしれない。


 しかし、運命はすでに戻れぬ所まで進んでいたのである。


 ★


「幽々子様、ただいま戻りました」
 ここ最近、妖忌はずっと朝帰りだ。
 妖怪退治の頻度は、何故か以前に比べるとだいぶ減ってはいたのだが、
 それでも被害は出続けており、毎日のように妖忌は出かけていた。
 幽々子の側を離れるのは、やはり気が気ではないのだが自分から申し出たことでもあるし、
 なによりここでやめたらまた幽々子が動くことになる。
 妖忌は、昼間は幽々子の世話役、夜は妖怪退治という生活をここずっと続けていた。
 しかし妖忌も人間である。
 どれだけ鍛えようとも、疲労が溜まれば体もまともには動かない。
(しょうがない……昼間まで少し眠る、か……)
 自室に戻った妖忌は、眠気が誘うままにすぐに眠りに落ちた。



 目覚めは雨音で起きた。
 いつの間に降り出したのか、だいぶ雨足は強い。
 それに気づかないほど、自分はぐっすり眠っていたのだろう。
「寝過ぎてしまったかもしれん……早く幽々子様の所に行かなくては」
 寝乱れた衣服を正し、妖忌は部屋を出た。
 しかし幽々子の部屋へ向かうはずの足は、部屋を出たところでその動きを止める。
 妖忌は周囲を探るように、目線を動かす。
 聞こえてくるのは雨音のみ……
 雨が降っているから当然なのだが、いや違う。
 雨音“しか”聞こえないのだ。
 静かすぎる。静かすぎて不気味なくらいに、屋敷はひっそりと静まりかえっている。
 妖忌は嫌な予感を胸に抱き、幽々子の部屋へと足を急がせた。


 しかし、幽々子の部屋に彼女はいなかった。
 布団は綺麗に折りたたまれ、部屋自体は小綺麗に片付いている。
 自室から出ることが、妖怪退治以外なかった幽々子が何処に行ったというのだろうか。
 そしてこのやけに静まりかえった屋敷。
 関係があると考えないほうがおかしいというものだ。
 嫌な予感は募る一方で、妖忌は幽々子の姿を求めて廊下を駆け出した。
「なっ」
 妖忌の足が突然止められる。
 その足下には横たわる人間――の躯。
 何も映していない虚ろな瞳が、もう息絶えていることを示している。
 この男は西行寺家に仕える小間使いの一人のはずだ。
 しかし、どうしてこんなところで死んでいるのだろうか。
 よく見ると外傷は一切ない。
 それに死に顔をあまりまじまじ見るのは、死者に対して失礼だが、その顔をよく見ると
 まったくの無表情で死んでいる。
 死を目前すれば、多少なりともその表情はゆがむはずだ。
 老衰で眠るように死ぬときは例外かもしれないが、このような場所でこんな風に
 死んでいるのなら、誰かに殺されたと考えるのが妥当で、それならばまず
 顔は恐怖や苦痛に歪んで当然だと思われる。
 しかし、この男にはそれが見られない。
 まるで自分が死んだことに気がついていないまま死んだようだ。
「これは一刻も早く幽々子様を見つけなければ……」
 死者の目蓋を閉じると、妖忌は再び廊下を駆け出した。



 妖忌は自身の目を疑った。
 屋敷中のあちこちに、先程見た男と同じように死んでいる者達の屍体が転がっていたのだ。
 それが全員死に顔が一律して死に顔とは思えないほど自然なままなのである。
 中には笑顔で死んでいる者もいた。
「いったい……いったい何が起きたというのだ」
 自分が眠りについていた間に、これだけの人数が一斉に死んでいるとは。
 妖忌は屋敷中でそのような光景を目の当たりにした。
 まるで自分以外のすべての人間が死に絶えているようだ。
 まさか幽々子まで、と妖忌の脳裏を最悪の結末がよぎる。

 妖忌は屋敷中のあとあらゆる場所を探した。
 その中で、西行寺家の主、その妻や息子の屍体も見つけた。
 あと見つかっていないのは幽々子だけ。
 妖忌が最後にたどり着いたのは、屋敷の片隅にある倉だった。
 いつもは鍵がかかっているはずなのだが、今は開いている。
 誰かが中に入った証拠だ。
 妖忌は扉に手をかけると、躊躇なく開け放った。
 かび臭い独特の匂いが鼻をつく。
 埃が舞い、ただでさえ薄暗いのに視界は最悪となる。
 しかし妖忌ははっきりと聞いた。
 どこかで啜り泣く、彼女の声を。
「幽々子様ぁっ!」
 倉の中すべてに響き渡る大声で、その名を呼ぶ妖忌。
 すると啜り泣いていた声が反応した。
 しかし返答はない。
 妖忌はその声がしていた方へと歩を向けた。
「幽々子……様?」
 倉の隅の隅にうずくまるようにして泣いている幽々子を見つける。
 幽々子が無事であったことにまずは安堵の息を漏らす妖忌。
「大丈夫ですか?」
 言いながら彼女の肩を触ろうとした、その時である。
「触っちゃ駄目っ」
 幽々子の手に叩かれ、妖忌は思わず腕を引っ込める。
「いったい、どうしたというのですか」
 屋敷の様子から察するに、何かあったのは間違いない。
 幽々子だけが助かっている以上、彼女から事の次第を聞かなければ何もわかりはしないだろう。
 そこで妖忌ははたと気がつく。
 “幽々子だけが助かっている”という事実。
 まさか、と妖忌は先程までとは別の最悪の予想をする。
「幽々子様、何があったのか……お聞かせ願えますか」
 これから彼女が何を言おうと、自分は幽々子を裏切りはしない。
 たとえそれが自分の考える最悪の答えであったとしても、だ。
 幽々子は妖忌に背を向けたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
 外ではまだ雨が降り続いている。


 ★


 その日の朝。
 幽々子は妖忌が戻ってきていることを家の者から聞き、彼の部屋へと向かった。
 そこでぐっすりと泥のように眠る彼の姿を見て、心配した幽々子は自身の手料理を
 振る舞って元気づけようと考えた。
 しかし何分ずっとお嬢様として生活してきた幽々子は料理などしたことがない。
 それでも小間使い達の見様見真似で、調理を始める幽々子。
 だがその手つきはたどたどしく、見ている者をハラハラさせるものであった。
 見かねた小間使い達は手助けしようと、幽々子の手元に手を伸ばす。
 その拍子に幽々子はその者の手を切ってしまった。
 慌てる幽々子以上に、小間使い達は騒ぎ出す。
 「殺される」「何をされるか分かったものではない」「恐ろしや」――
 これまで内面に溜めていた幽々子への畏怖の感情が一気にあふれ出す。
 ただでさえ憔悴していた幽々子の精神は、その言葉責めにさらに追い打ちをかけられた。
 そしてすべてが爆発したのである。



「気づいたとき……私の周りにいた人はみんな死んでいたわ」
 幽々子は淡々と話を続ける。
「私がその時何を考えていたかわかる?」
 言葉に自嘲が混じり、幽々子は吐き捨てるように叫んだ。
「私を畏れる者はみんな死んでしまえばいいっ!!」
 悲しい叫びを吐露する幽々子。
 その声には嗚咽が混じっていた。
「……私の力は人間に働くものではなかったの。それがいつの間にか、
 人間を死に追いやることができるようになっていたみたい……それも私の意思一つでね。
 紫がどうして私に力を使うなと言ったか、ようやくわかったわ」
 紫はいち早く気づいていたのだ。
 幽々子の力はいずれ生あるものすべてに作用するようになると。
 ならばなぜそのことを教えてくれなかったのか。
 いや、今はそんなことを考えるより幽々子自身の心配をするべきだ。
「幽々子様、ひとまずお部屋にお戻りください」
 妖忌はなんとか幽々子を立たせると、彼女の自室へと連れ帰った。


 幽々子は部屋に戻ってすぐに意識を失い倒れてしまった。
 よほどの衝撃を受けたのだから、当然のことだろう。
 何せ自分の力で何人もの人間を――殺めてしまったのだから。
 その中には実の親兄弟までいるのだ。
 彼女が受けた衝撃は計り知れない。
 妖忌は、幽々子が落ち着いたのを確認すると部屋を出た。


 ★


 それから数日。
 あれだけあった屍体の山も、妖忌の迅速な対応によって埋葬された。
 大した墓は作れなかったが、そのままにされたり、
 一緒くたにされて埋められるよりはだいぶマシだろう。
 幽々子の容態も落ち着きを取り戻し、意識も元に戻っている。
 とは言っても、あれからまるまる三日は眠り続けていたのだが。
 妖忌は睦月の寒空を見上げながら、今回のことについて考えていた。
 もうこの屋敷には自分と幽々子しか住んでいない。
 屋敷の周囲には人も近寄らず、幽霊屋敷とすら人々の間では言われる始末。
 なかなかどうして言い得て妙ではあるのだが、だからといって
 笑って受け止められるはずはない。
 幽々子はあれからまったく外に出ず、食事もろくに摂っていない。
 妖忌ができるのはそれでも食事を運び続けることと、話し相手を務めることだけ。
 妖怪退治も最早行えるような状況ではない。
 それでも人というのは傲慢な生き物で、幽霊屋敷と蔑みながらも、
 幽々子や妖忌が住んでいることが分かると、再び退治の依頼状を送りつけてくるようになった。
 妖忌は今日も届いた依頼状を胸元に仕舞い込むと、幽々子の昼食を作るため、
 此度の発端となった調理場へと向かった。


「幽々子様、昼食を作って参りました。一緒に召し上がりましょう」
 障子戸を開くと、幽々子が視線を向けてくる。
 その目に光はなく、まるで死人のようにさえ見えた。
 食事を取っていないため可憐な顔つきは多少やつれ、部屋にも荒んだ空気が溜まっているように感じる。
「さぁ、食べるものは食べないと」
 妖忌が箸を渡そうとするが、幽々子は受け取ろうとしない。
 変わらぬ様子に、妖忌も身を引き食膳を下げようとする。
 その時彼の胸元からあの手紙がこぼれ落ちた。
「それは……」
 幽々子がぽそりと言葉を発する。
 久方ぶりに聞いた彼女の言葉は、とても彼女のものとは思えないほど弱りきったものだった。
 だがそれでも幽々子が言葉を発したことは、妖忌にとってとても意味あることである。
「その手紙に興味があるのですか?」
 こくりと頷く幽々子。
 妖忌は少し躊躇いながらも、その手紙を幽々子に渡した。
「いつもの依頼状です。ですが、今の幽々子様では外を出歩くことはできないでしょう」
「それでもいいわ」
「わかりました……」
 妖忌は食膳を片付けるため、幽々子の部屋を後にした。
 もしかすると二度と以前のように笑ってくれることはないかもしれない。
 それでも……少しずつでも、彼女がもう一度笑えるように。
「私はあなたのおそばにおります故……」



 その日の夕方。
 それまで屋敷内の片付けをしていた妖忌は、そろそろ夕餉の時刻であると、
 再び幽々子の部屋へと向かった。
 昼間、少しでも声を出してくれたから、話ができるかもしれない。
 そう思うだけで妖忌の心は弾んだ。
「幽々子様、入りますよ?」
 返答がないのはここ最近ずっとなので、しばらく待ってから静かに戸を開く。
 しかし、そこに幽々子の姿はなかった。
 布団は畳まれていない。
 何処へ行ったのだろうか。
 焦る妖忌の目にある物が映った。
 それは幽々子が興味を示したあの依頼状。
 妖忌はそれをもちあげすぐに目を通す。

 そこにはこのような内容が書かれていた。


「拝啓、西行事幽々子殿。

 此度は貴女に助けてもらいたい事があって書状を出させていただきました。
 じつは最近都の側にある巨大な桜木が、妖力をもったらしく、
 近寄るものすべてを死に追いやっていると聞くのです。
 つきましては、妖怪退治の腕では名高いあなたのお力添えを頂きたく
 ぶしつけとは思いますが、このように依頼をさせていただきます」


 ★


 その桜は、この国で最も大きく、そして最も美しいと謳われていた。
 満開になればその根元には裕に百人の人間が宴を開けるほどの巨大さを誇り、
 なにより見る物の心を一瞬で奪うほどの美しさを備えているという。
 その苗木を植えたのが他ならぬ西行寺家であったため、
 その桜は家の名を宿して“西行桜”と呼ばれ親しまれていた。

 そんな西行桜の評判を聞きつけた一人の歌聖がいた。
 自然の美しさを歌として形に残し、各地を巡っていたという。
 死期を悟った彼は、せめて最期をこの世で最も美しい自然の元で迎えたいと
 この桜の元を訪れたのだ。
 そして彼がここにたどり着いたとき、桜はその年一番の美しさを魅せていた。
 歌聖はその美しさを最期の歌として残し、その生涯を閉じた。
 それ以来、桜は以前にも増してその美しさを増し、人々を魅了するようになった。
 それは魅了したものを死に誘うという、まさしくこの世ならざる美しさ。
 しかし、それだけの力を持った桜は、都に充満していた負の気をその身に
 吸収したことと重なって、妖力を持つようになってしまったのだ。
 化け物桜と化してしまった西行桜は、いつしかその名を西行妖と変えられ、
 人々は一切寄りつかなくなってしまったのである。


 幽々子はそんな西行妖を前にしていた。
 今はまだ桜花が開く季節ではないため、その死に誘う美しさは力を持たない。
 花見にも行ったことがない幽々子は、西行妖の巨体をただじっと眺めていた。
 その美しさで人々を死に誘う西行妖。
 意思一つで人々を死に誘う西行寺幽々子。
「私達はよく似ているわね……」
 悲しげな響きを含んだ幽々子の独白。
 冷たい冬の空気に言葉は溶けるように消えていく。
「あなたは人を殺したくて花を咲かせるの?」
 ざわざわと西行妖の枝々が揺れる。
「そう、そんなはずはないものね……私も同じ。
 こんな力必要ない。好きで人を死に誘える力なんて、望んで手に入れたわけではないわ」
 だったらいっそ、こんな力をもった私なんて――
 幽々子は西行妖への語りかけを続ける。
「西行妖、貴方はどうなの。このまま人を死に追いやってまで、その花を咲かせ続けたい?」
 ざわざわ、ざわざわ……
 幽々子は確かに西行妖の言葉を聞いた気がした。


 コ・ロ・シ・タ・ク・ナ・イ


 その言葉が幽々子に最後の決意を決めさせた。
「同じ願いを持つものとして、お願いがあります」


 私を――殺して。



 ★


 妖忌が駆けつけたとき、彼は息を呑んだ。
 冬だというのに桜が咲いている。
 ただ咲いているのではない。
 枝が折れてしまうのではないかと思わせるほど、その木は花を満開に咲かせている。
 そのこの世のものとは思えない薄桃色の吹雪が舞う中を、扇を手に蝶と共に踊る少女。
 これまで幾度となく、幽々子の舞を見てきた妖忌だったが、
 今日ほどの美しい舞は初めて見た。
 いや美しさだけではない、そこには圧倒される力強さが込められている。
 近寄ることは許さない。
 体がそう命じられているかのように、妖忌は一歩も動けずにいた。
「幽々子……様」
 足を動かそうとするが、意思とは裏腹にぴくりとも動かすこともできない。
 あのまま幽々子をあそこにいさせてはいけない。
 それがわかっているのに、自分の体はまったく動こうとしないのだ。
「く……そぉぉぉぉぉっ」
 動け、動け、動け動け動けっ…… 
 念じてみても、それでも動くことはできない。
 妖忌が必死にもがいていたその時に、自体に異変が生じた。

 突然周囲に突風が吹き荒れる。
 風に煽られ、西行妖の花びらが一気に舞い散り、桃色の奔流が視界を遮る。
 その限られた視界の隙間、妖忌はこちらに向かって微笑む幽々子の姿を見た。
 名を呼ぶが、風の音にかき消され自分の声すら聞こえない。
 幽々子の微笑みは花びらの中に消え、妖忌の視界は完全に桃色に支配される。


 これが妖忌の見た、この世で最後の幽々子の姿であった。


 ★


 視界が晴れたとき、そこには何もなかった。
 あれだけ巨大な存在を誇っていた西行妖も、その花吹雪の中で舞う幽々子の姿も。
 まるでそこには最初から何もなかったように、ただの平地だけが残されている。
 妖忌はすぐに幽々子の姿を探したが見つかることはなかった。
 体力も尽きかけようとしていたその時、昇り来る日の光を遮るように、
 彼の目の前に彼女は現れた。
 暗くなった視界に気づき、妖忌が顔を上げるとそこには無表情で立つ紫の姿。
「紫……なのか」
 疲れ切った妖忌に、紫は一本の竹筒を手渡す。
 妖忌は渡された水を一気に飲み干した。
「……いずれ、こうなることはわかっていたわ」
 紫とは思えぬ重い口調で、彼女は静かに呟いた。
 口元を拭いながら、妖忌はその言葉に噛みつく。
「何だと」
「幽々子の力は、そもそも人間の体で制御できるものではなかったのよ……。
 私の忠告通りに力を使うことをやめていても、いつかは今日のような日が
 訪れることは間違いなかった……」
「ちょっと待て、すべてを知っていたのなら、どうして幽々子様の前から姿を消した?」
 それをせめて自分に教えてくれていれば、紫と協力してこんな結末は迎えずに済んだかもしれない。
 それに今の話から、紫が姿を消していた理由が直接見つからないことも気に懸かる。
「私はずっと幽々子を見ていた。私があの子と会わなくなったあの日から、今日までずっと」
「直接会えば良かっただろう」
「会えれば……ね」
「どういうことだ」
 紫はぱちんと指を鳴らす。
 とたん、妖忌の背筋におぞましいまでの寒気が走った。
「何をしたっ」
「都を覆い続けていた私の結界を完全に解いたのよ」
「結界……だと」
 紫は自分の力を“境界を操る程度の力”と称した。
 その力を用いて、都を完全に覆い包むほどの結界を張り続けていたのだという。
 どうしてそのようなことをしたのか。
 その問いに対して、紫はこのように答えた。
「都に充満する負の力を抑えていたの。でも、私の結界から滲み出るまでに
 手遅れの状態だったから、気休め程度でしかなかったけれど」
 結界を張り続けるために、紫はずっと姿を見せなかったのだと、そういうことらしい。
 そういえば最近は妖怪達の被害も数を減らしていた。
 それは紫が負の力を抑える結界を張っていたからなのだと気づく。
 しかしそれならば何故結界を張ったのかと、次はそこに行き着く。
「幽々子の力を変化させたのは、他ならぬ人間達。
 自分たちが発する負の力に気づかず、憎み合い殺し合う彼等は、
 いつしか私達よりも魑魅魍魎に近しい存在になりつつある。
 幽々子はそんな彼等を助けようと力を使い、彼等の負の力を図らずともその身に受け続けた。
 その結果が……これよ」
 視線を向けた先、そこは西行妖が植わっていたはずの平地だ。
 何もなくなってしまった平地を見つめる紫の顔は初めて見る表情を浮かべている。
「幽々子様は……死んだのか」
 認めたくなかった、いや今でも認めたくない事実を妖忌は初めて口にした。
「えぇ……西行妖と共にね」
 お互いに自身の力を疎っていた幽々子と西行妖は、互いの力を以てして
 二度とこの力が振るわれないように、互いを消滅させたのだ。
「……紫」
「何かしら」
「お前は境界を操ることができると言ったな。それはどんな境界でも操れるのか」
「そうね。現と幻、妖怪と人間、生と死。この世を作る相反するものには
 すべからく境界があって、私はそれを操る力を持っているわ……それがどうかした?」


「私の……生と死の境界を曖昧にしてくれ」


 頭を下げる妖忌に、紫は冷たく言い放つ。
「そんなことをしてどうなるというの。幽々子は死んだのよ」
「わかっている……だから、私は探しにいく」
「何を」
 妖忌は日が昇り、朝靄漂う山々に目を向けた。
 その目には強い意志が宿っている。
「幽々子様の魂だ」
「その為に生きてもいないし死んでもいない体になる、そういうこと?」
 妖忌はしっかと頷く。
 どうあっても曲げぬ様子に、紫は観念したようにため息をついた。
「わかったわ……要するに半分人間、半分は幽霊の状態にでもすればいいのね」
 紫が手を振るうと、妖忌の体から青白い人魂が抜き出てくる。
 それは天に昇ることなく、彼の体に取り憑くようにして留まった。
「すまない……だが、最後にもう一つだけ頼みを聞いてもらえないか」
「まったく。何かしら?」
「もし、また幽々子様に会うことがあったなら、その時はまた友達になってあげてくれ」
 妖忌の申し出が予想外のものだったのか、紫の表情が崩れる。
「わかったわ……頼みというより“約束”ね。貴方達人間が好きな」
「約束……まさかお前からそのような言葉聞くことになるはな」
 妖忌はふっと笑うと、その腰を上げた。
 二振りの愛刀をしっかりと携える。
「それではな……また幽々子様の元で会おう」
「えぇ、“約束”よ」
「ああ、約束だ」
 そして妖忌は旅に出た。
 いつ行き着くともわからない、長い長い旅へと。



 ★


 その後、人々の記憶から魂魄家の名はその姿を消した。
 魂魄家最後の血筋となった青年は、いずこかへ消え消息はわからない。
 一人の女性を探すために旅に出たという噂が流れたが、それもいずれ忘れ去られた。
 魂魄家にまつわるすべての記憶がこの世から消えたとき、
 彼はようやく愛するもののいる場所にたどり着く。
 人々より忘れ去られしもの達が、最後に行き着く記憶の最果て。


 その名は幻想郷。


 その天空に位置する冥界の屋敷、白玉楼。
 そこには亡霊の少女が住んでいる。
 天衣無縫に、死後の生活を楽しんでいるという彼女の名は――


「失礼する。我が名は魂魄妖忌。この屋敷に仕えたくやって来た所存。
 白玉楼が主、西行寺幽々子殿に会わせていただきたい!」


~続く~       
妖々夢、脳内補完具現化SS二話目をお送りします。

半人半幽霊に関する設定は完全に自己解釈です。
西行妖が咲いた所を見た妖忌と、幽々子の過去を知る紫。
この二人のことを考えていたらふとそのような設定を受信し、
それを題材になんか書けないか、と考えたのが、今作のそもそもの発端だったりします。

この作品は、予定通り三話で完結しそうです。
少しかっ飛ばしすぎているかもしれませんが、だらだらするよりはマシだと思うので。
後一話、このどうしようもないSSにお付き合いくださいませ。
雨虎
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