うーん、まいったなぁ、という少女の呻きが深山の青空に吸い込まれていく。
水晶玉を抱えた魔理沙は三角帽子を縁側に置き、ちらりと横でとろける橙を見遣った。
陽光の下幸せに眠る猫娘の周りには、ふくふくとした猫達が転がる。
猫の中でも化けかけた者などは二足で立ち、時に三つ揃いさえ着こなして幾ばくかが魔理沙を眺め、人間だ人間だ、とおーおー歓声を上げていた。
「うーん、まいったなぁ」
ずず、と啜った茶は温い。
事の始めは数時間ほどさかのぼる。
魔理沙はマヨヒガの空に記憶を巻き戻した。
今日も陰鬱として暗い、そこは紅魔館の大図書館。
埃っぽくも静かな空気をけたたましく引き裂いて箒が飛ぶ。
「おっじゃましまーーす!!」
毎度のように邪魔も極まれる登場で扉を蹴破り飛び込んでくるのは、ご存じ白黒霧雨魔理沙その人である。
門番とメイド長の警備を突き抜けて帽子を押さえる彼女は、え、と声を上げて飛び込んだ図書館の中で立ち尽くす。
小悪魔に髭が生えていた。
「んぅーパチュリー様っ……もうちょっと丁寧にですねぇ……ひぃ!?」
――あれ?小悪魔って悪魔だよな。ドワーフとかじゃないよな?
呆然としてそんな事を脳内で呟く魔理沙を余所に、顔半分を髪と同じ色の髭で包んだ小悪魔の頬へパチュリーは四苦八苦とカミソリを当てている。
「こら、動かない。手元が狂うでしょ」
ぞぞ……と小さく音が響いて刃先はたどたどしく、怯える小悪魔の髭は乱雑にそり落とされて行く。
赤い髭が器の上に取られていき、そのまま10分ほど見ていると小悪魔はすっかりそり落とされていつもの顔に……いや、傷だらけの顔に戻った。
「うー、パチュリー様ぁもうちょっと方法はなかったんですか?」
顔中に血止めを塗りたくるように頬を撫でつつ、涙目の小悪魔は恨めしげな視線をパチュリーの抱える器に注ぐ。
すると彼女はその赤い髭がこんもり盛られた器を置いてニヤリと笑って口を開いた。
「あら、なら脱毛剤で取った方が良かった?頭の毛も抜ける可能性があるけど」
ひえぇと怯える小悪魔をほったらかしに、パチュリーはさらに言葉を続ける。
「それとも、そっちのネズミが剃った方が良かったかしら?」
振り向いた彼女の視線は本棚の奥でがさごそ動く魔理沙に注がれていた。
「んー?私も髭剃りの経験は無いぜ?」
集中していた二人に声も掛けなかった魔理沙は、いつものようにあさった本を抱えて頭を出し返事をする。
そんな不遜な白黒にため息をついたパチュリーは、あー、と悲しげに呻く小悪魔を背に、あえて嫌味な口調で呟いた。
「あら、どこかの雑貨屋の店主にしてあげた覚えはないのかしら」
すると魔理沙は本棚から飛び出してパチュリーの前に転がり込み、にたりと笑って唇を歪める。
「いや、アイツ髭がほとんど生えないんだよ。頼んでも剃らせてくれないしなぁ」
返ってきた言葉はちょっと斜め上だった。
逃げるようにいつもの柔らかい椅子に腰掛けたパチュリーは、重厚な机を前にしてごほんと咳払いをし、気を取り直すように言う。
「ねぇ、魔理沙」
んぁ、と返した魔理沙は本を片手に、返して下さい呻いて取り返そうとする小悪魔をあしらいつつパチュリーの方を振り向いた。
見れば机の上には先ほど小悪魔から剃り落とした髭の他、何かねっとりした液体の入った瓶や空気が詰まったような袋、動物の腱らしき物体や銀色のねじれた根っこのような良くわからない物が並んでいる。
「丁度良かったわ。取ってきて欲しい物があるのよ」
机に肘を突いて口元を覆うように僅かに俯いたパチュリーは、すこし仰々しげに言葉を続ける。
「あー?霊夢の賽銭箱の中身意外なら大体取ってきてやるぜ」
死んだら返すよ、すぐだろ?と小悪魔を押しのけた魔理沙はそんな風に身を乗り出して安請け合いを口にした。
いつもの通りの魔理沙の姿に改めてため息をついたパチュリーはそんな魔理沙に呆れたように言葉を返す。
「そんな存在しない物の話はしてない。……と、いっても、こっちも存在するか怪しいんだけど」
続けるパチュリーの語調は少しばかり濁り、魔理沙は珍しい物を見るかのような目でその瞳を覗き込んだ。
「へぇ、お前が無いかも知れないって言うような代物か」
にしてもなんだこりゃ、と机の上の珍品達を見回し黙考する彼女に、そうね、と息をついたパチュリーは意を決したように口を開く。
「猫の足音を取ってきてちょうだい」
あぁなるほど、と魔理沙の得心の声が図書館に響いた。
女の髭、鳥の唾液、魚の息、熊の腱、山の根、そして猫の足音。
小悪魔が髭の生える薬を使われたりもう出て行く気力もなくなるぐらい野山を駆けずり回って集めようとするこれらはある神宝の材料――その名も知れたグレイプニールの材料だ。
世界の終わりの日まで破滅の獣たるフェンリル狼を繋いでおくという北欧神話の銀の絹糸、なのはいいが何故にパチュリーはこんな物を作ろうというのだろう。
フランドールを繋ぐというならばあまりに凶暴で残酷だろう、幾ら彼女が「破滅」の性質を備えていると言っても世界の終わりまで持つ訳もない、太陽の前に砕ける程度の破滅だ。
「フランの首飾りには派手すぎるんじゃないか?」
そんな風にその辺りのことをパチュリーに訪ねてみれば、彼女は事も無げに「ただ作りたいだけよ」と僅かに目を泳がせて返された。
「破滅」の回避手段ではなく単純に丈夫な糸として使うという用法もあるだろうが、にしても何の為にそこまで頑強な糸が必要なのだろうか?
あそこにいる犬なんて……魔理沙の脳裏には今一つな居眠り番犬くらいしか思いつかない。
まぁ、神話級の道具の再現なんてものは魔法使いであると言うだけで挑戦する理由にはなりそうではある。
事実、魔理沙自身も製造儀式を見学できるのと完成品をサンプルに分けてもらえるという条件につられて記録・通信魔法入り水晶を片手に箒に跨っていた訳だが。
「さーて、と。こっちで良いよなぁ?」
風呂敷包みを背負って天を駆ける彼女には、一応猫の足音の見当があった。
マヨヒガに住むスキマ妖怪の式の式、猫又の橙。
彼女自身の足跡という当てもあるし、いつぞやの天狗の新聞か何かで猫を山ほど擁していると書かれていた。
出所は怪しいがおそらく真実だろう、たっぷりと取ってきてと言われているし、数が居るならそれに越したことはない。
まぁどうにかなるだろ、と呟いた彼女は、勢いを増して緑なす山々の向こうに飛んだ。
尋ね人、いや訪ね猫はあまりにもあっさりと現れた。
とりあえずそれらしい森に降り立った魔理沙がきょろきょろと辺りを見回していると不意に目の前の草むらががさりと鳴る。
「ばぁー!!」
べし、と箒が頭を打って、驚かそうと飛び出した猫娘が地面を転がった。
「よう、お前相変わらず暇そうだな」
箒に打たれた頭を抱える彼女を前に、出る杭は打たれると言わんばかりに魔理沙はいけしゃあしゃあ言ってみせる。
とはいえ、妖怪の仕事が人を驚かすことであるとするなら彼女はただいま絶賛営業中であったわけだが。
ぐしゃぐしゃと頭を掻いて落ち着きを取り戻した彼女はなにするのよと爪を伸ばして威嚇して見せるが、対する魔理沙は朗らかに笑い声を上げて言葉を返す。
「なんだ、やるか?私はこう見えても平和主義者なんだぜ?」
魔理沙が盛大に、そして不適に笑みを零して懐から八卦路をちらつかせて見せれば、橙は橙で前の騒動を思い出してびくりと固まり、二本の尾を少しばかり膨らませた。
「あーっと……その、今日はつきたてじゃないから勘弁してあげるわよ。で、何の用?」
爪を仕舞って猫を被るように居住まいを正した彼女は澄ました様子でそう問いかける。
また家に泥棒に来たんじゃないでしょうねと言わんばかりの橙の視線を受けた魔理沙は、しかし背中の風呂敷をおろして答えを返す。
「いやなに、今日はお前に用事があって来たんだぜ?」
地面に置いた風呂敷の隙からちらりと覗くのは――鰹節。
思わず目が細まった橙が見る所、風呂敷包み一杯に入っているようだ。
交際費としてパチュリーから支給されたその鰹節は瞬間にふわりと香りをたてて、吸い込んだ橙はほにゃりと表情をとろかせてしまう。
――あぁ……幸せのにおいがする……おかかー……かつぶしー……――はっ!!
「な!?こんな物を持ってきて私をどうするつもり!?」
頭を振って正気を取り戻した橙は、私には藍様という人がと叫びながら後ろに飛び退いて毛を逆立ててフーッとうなってみせる。
すると魔理沙は相変わらずの悪い笑みのままに風呂敷包みを背負い直して言った。
「おっと、匂いを嗅いだか?じゃあお代は音でいただこう。今日は猫の足音が欲しくて来たのさ」
形のない匂いの払いは形のない音と相場が決まってるんだぜ、とふざけるように言う彼女に、橙はただ困惑した顔を見せていた。
「ふーん、で、そのぐれーぷじゅーす?の材料になるような足音をくれたら、その鰹節をくれるってこと?」
ま、大体そういうことだぜ、と返す魔理沙を伴って、猫の町と化した無人屋敷、マヨヒガへの道すがら事情を説明されていた橙は頭を捻るように唸りながら森の中を進んでいく。
橙の話によれば、猫の巣は最近はちょっとした化け猫も増えてすっかり発展してきているという。
スキマ妖怪の家とは別なので多少なり勝手に出来るらしい。
そして簡単に自慢を終えた橙は一瞬言いよどんで、でも、とぼやくように漏らした。
「猫は足音が無いのが自慢なんだけどなぁ……」
好物とプライド、彼女の天秤は今、大いに揺れていた。
森を抜けると堂々とした一軒家がそびえ立ち、耳を澄ませばにゃーお、と猫の鳴き声が混じる。
声を聞いた橙はにゃーおと鳴き返して魔理沙を呼び、門の向こうに誘っていった。
「うひゃぁ……こりゃぁ本当に猫の町だ」
風呂敷を箒の柄に通して担ぐ魔理沙は、塀の向こうの光景に思わず感嘆を上げる。
右を見ても左を見ても猫、猫、猫。
それだけならただの猫屋敷ではあるが、ここはそれだけにとどまらない。
広い庭のそこここに、かなり大きめの犬小屋の手の込んだような物がまるで町か何かのように点々と並んでいる。
しかもそこには化け猫のなりかけなのか二本脚で立つ猫がふらふらと歩き回り、中にはどういう訳か三つ揃いで決めて居る上等な化け猫まで居た。
最近発展させてるのよ、とどこか自慢げに橙が胸を張った。
まったく、世の中の流れは速い物である。
「こんにちはー……あれ?橙様、そちらの方は何ですか?」
魔理沙が立ちんぼでうーん変だぜなどと呟いていると、件の三つ揃いの中の縞猫が寄ってきてそんな風に声をかけてくる。
「あ、シマちゃんこんにちは。こっちは人間の魔理沙」
すると橙はそんな風に魔理沙をさして口を開き、聞いたその縞猫は大きな声で、人間!?と声を上げた。
とたん、静かなマヨヒガに緊張が走り、猫の群が右往左往する……というか野次馬にやってくる。
おー おー
人間だ 人間だ
おー おー
普通の猫に二本脚の猫が混ざり人垣ならぬ猫垣となって、魔理沙の周りは至ってほのぼのとしたお祭り騒ぎであった。
マヨヒガは人がいないからこそのマヨヒガで、ならば人間はかほどに珍しくあるのだろう。
「みんな聞いてー」
と、そんな中橙は手を筒にして口に当てて声を上げ、注目を寄せる。
みんなの足音が欲しいの、と簡潔な要求を述べて報酬の鰹節の話をすると、前半で猫たちは頭を捻って後半で目が眩しいほどに輝いた。
「足音、ですか?」
洋服の縞猫が思い出して聞き返したのを皮切りに、猫たちは足音、足音?と戸惑うようにざわついた。
これだけぞろぞろ集まっておいて足音はろくに響いていない。
猫たちは口々に無理だ、無理じゃない?無理だよね、にゃぁ、と呟いて静かに蠢く。
「あー、とりあえずいろいろ試させてもらうぜ?」
断りを入れた魔理沙は懐から水晶玉を出し、片手にそこら辺の猫を一匹抱えてちょっと頼むと言って背丈から地面に落とす。
にゃ、と鳴いて、とす、と土を踏み、猫は逃げるように猫垣の中に消えていく。
水晶玉がうっすら輝いて音は石の中に吸い込まれ、魔理沙は振り向いて次ーと声を上げた。
にゃ とす にゃ とす ニャ とす
水晶玉はぴかぴかと光って次々に音を記録していく。
これで良いか、と思った魔理沙は、さらに猫たちを捕まえては落とし、軽い土埃を響かせた。
にゃ とす にゃ とす にゃぁ とす
にゃ とす に゛ゃ とす にゃ とす
にゃ゛ どす にゃ とす に゛ゃ゛ どずん
ほどほどに音の溜まった水晶玉の中身を魔力を通して確認した魔理沙はよし、と頷く。
「それでいいんですか?」
すると件の洋服縞猫が興味深げに水晶を覗き込み、ご苦労様と投げ落とされた猫たちの頭を撫でる橙を背にそんな風に呟いた。
それは足音と言うより着地音のような……と彼が漏らせば、魔理沙は思わず、う、と止まってしまう。
とりあえずパチュリーに聞いてみるか、と水晶玉の通信機能を思い出した魔理沙は、少し意識を集中してその魔力の糸を手繰る。
「もしもしー?パチュリー?通じてるかー?」
『はいはい、こちらヒューストンよ。で、どうしたの』
水晶玉の中にゆらりと紫もやしの顔が映った。
『ダメね。純粋な、しかもまともな音量のある足音でなければ意味がないわ』
解らなければ人に聞く。聞いてみたらばこの有様。
水晶玉の向こうで事情を聞き、録音を視聴したパチュリーは水晶玉の中で丸く伸びてさらりと駄目を出す。
『同じように氷や割れ物を踏んで割らせるのも、氷や割れ物の割れる音だから駄目。微かな音じゃないちゃんとした足音を頼むわ』
厳しい目をしたパチュリーがびし、と指を突きつけると、ぐんにゃり歪んだそれに魔理沙はへいへいと声を返してはぁとため息をついた。
水晶玉から顔が消え、どうしたものかの様子で彼女はゆらりと猫の町を眺めた。
「とりあえず、お茶でも飲んでいけば?」
そして橙は湯飲みを差しだし、彼女の記憶は今に繋がるのであった。
――さてどうしたもんかねぇ。
縁側に手を突いて悩む魔理沙はもう一口茶を啜って早速昼寝に入ってしまった橙の方を見やる。
それにしても温い茶で、猫の淹れる茶は自然に猫舌仕様なのだろうかと魔理沙は足先で橙の二本の尻尾をつついて思った。
かたや庭の方を眺めれば、つたない作りながらも猫の町並みが広がる。
家々の数は二桁あるかと言ったところで、ここの猫全部が家に住んでいるわけでもないのだろうが賑やかさは十分に町の風格を有していた。
「こいつらもなんだかわかんないなぁ」
人間の真似でもしているのだろうか、にくや、と読めなくもないような小さな看板の下には雀や鼠の死体が並んで捻り鉢巻きをした化け猫がいかにも大将と言った風格でにゃあにゃあ呼び込んでいる。
店があるなら客もいるわけで、若奥様と言った雰囲気の優美な歩き方をする化け猫は、木の実を硬貨のように支払って雀一匹を買い、にゃあにゃあ何かの世間話をした後籠に入れて歩いていく。
まるで人間がそうするように、しかし人間よりもどう見てものんびりと、彼らは「町」を遊んでいた。
そして目を少しずらして路地裏の様な家の間に目をやれば、おそらく化け猫にはなりきっていない奴等なのだろう、壁に捕まってよろよろと二本足で立ち上がる練習をしている。
「へぇ」
猫の意外な向上心を目にした魔理沙は思わず関心の声を上げ、すると練習中だった猫たちはびくりと魔理沙の方を見て四本足に戻り、顔を洗い出してしまった。
練習を見られるのが恥ずかしいのだろうか、答えは今ひとつ分からないが茶を啜る魔理沙はこのまま寝るのも悪くないかなぁ等と思い始めてふと傍らで魔理沙の一挙手一投足を見ている瞳に目線を向けた。
「なぁ、何か良い考えはないか?」
猫に訪ねても無駄なような気も大いにしたが、とりあえず藁よりは縋る甲斐もあるだろう、魔理沙は見学者達に声を掛けて意見を聞く。
「意見と言われましても……」
さっきからずっとそばにいた洋服の縞猫は、困ったような顔をしてその他の見学者達を見やった。
鯖柄の奴、斑の奴、真っ黒な奴、三毛の奴、市松模様の奴、良くわからない汚い色の奴、虎の奴。
いろんな猫はいるがどれもがどうした物かと弱り果てて頭を抱えてしまう。
ふむ、と顎先に手を当てた魔理沙は、少し気分を変えようとばかりに猫たちにこんな質問をぶつけてみた。
「じゃあ、ちょっと気分を変えよう。お前等には職業とか趣味とか特技ってあるのか?」
とりあえず近所の件の縞を指して口を開けば、一瞬驚いた彼はすぐに気を取り直してもふもふした口を開く。
「えーっと、私は一応この町の町長なのですが……」
へぇ偉いんだな、と魔理沙が感心したように声を上げれば、彼はしかし申し訳わけなさそうに言葉を続けた。
「えっと、でも、特技や趣味は特に……あえて言うなら人間の真似でしょうか……」
化け猫とは化けてこそ化け猫である。
ならば人間の物まねを趣味とするのは、存在として当然なのかも知れない。
困ったような彼の言葉にふぅんと返事を返した魔理沙は、ほとんど冷め切った茶をさらにもう一啜りしてその隣にいた猫に同じ質問を振った。
次に指さされた彼は市松模様のある白黒猫で、町長の彼のような服は特に着ないで立っている。
僕ですか、と呟いた彼は、どこからか出した小さな赤い玉をもち、胸を張って言った。
「僕はとってこいが出来ます!」
――……犬か?
とりあえず差し出された玉を受け取った彼女は、指先でそれを弾いて畳の向こうに転がす。
すると他の猫たちが思わずじゃれつきそうに身体を膨らませて必死に堪えている姿を尻目に、彼は優雅に身を躍らせて赤い玉を銜えると、一目散に魔理沙の目の前にそれを置いて静かに座り込んだ。
なるほど、猫にとっては冷静にとってこいをするというのは案外難しいらしい。
へー、と声を漏らした魔理沙は市松模様の彼に手の平を被せると、そのまま揉むように撫で回してやる。
手元でゴロゴロ喉が鳴り、魔理沙は、じゃあ次のお前は?とまた別の猫に目線をやった。
すると視線を向けられた三毛猫はすまなそうににゃあと鳴く。
すかさず町長が耳元に口を寄せ、彼女はまだ二本足で立つことも喋ることも出来ないと耳打ちした。
「あーそりゃ悪かった、じゃあそっちの……えーっと、オレンジ色の猫は?」
にゃぱ、と返事をして飛び出してくる猫は確かに赤とか茶色というよりオレンジじみた色をしている。
そして彼は外から来たような大きめのペンを手に、紙を地面に敷いてまたもや胸を張って言った。
「オレ、字が書けます!」
背丈の半分近いサイズをしたそのペンを拝むように両手に挟み込んだ彼は、そのまま地面の紙に向かって巨大習字でもするかのように柔軟な身体を踊らせる。
うんにゃにゃわぁーうんにゃにゃわぁー
やたらに気分も良さそうに筆を走らせる彼がひとしきり踊り終わると、魔理沙は市松猫から手を離してその紙を手にとり口に出して読んでみた。
「……し……しいレまいレ?」
それは字と言うよりもミミズののたくりで、とりあえず魔理沙は必死に読んでは見た物の実際の所何なのか解らない。
するとオレンジ色の彼はえ!?と驚いて元から無い肩をがっくりと落とし、にぼしだったのに……と呟いてとぼとぼと去っていてしまう。
そう、それは「しいれまいれ」等ではなく「にぼし」と書かれていたのだった。
「あ、ちょ、ごめ、見えるから、にぼしに見えるから!」
あまりに悲壮感溢れる彼の小さな背中に、魔理沙は思わずそんなフォローを入れる。
だがそんな言葉で彼の悲しみが癒せるはずもなく、何かを感じ取ったのかそんな彼に寄ってきた赤毛の子猫を連れ立って彼は寂しげに行ってしまった。
「あちゃー……」
「まぁ、彼は浮き沈みが激しい人ですから」
人じゃなく猫だろう、と思わずツッコミを入れたくなるようなフォローを入れる町長をほったらかしに、魔理沙は気を取り直して次の猫に訪ねた。
「あー……じゃあ、お前は何かできるのか?」
すらりと立ち上がる真っ黒な雌の黒猫は、そんな魔理沙の台詞にまたもや胸を張って声を返してくれる。
「ホーンパイプダンスが踊れます!」
何処の踊りだか思わず、は?と声を上げて魔理沙は一時停止してしまう。
と、黒猫は止まった魔理沙の挙動をやってくれと言う合図と取ったのか、すっと前足の一方を高く上げてアイリッシュな空気を醸して踊り出した。
くるりんくるりん廻って足を上げては下ろし、黒い猫が畳の上を陽気に踊りまわる。
するとどうだろう、ステップを踏みならせば猫の足からでも微かにぽそぽそと足音が聞こえた。
「あれ?」
そりゃあ音が出るようにしなければ踏みならすとは言えないのだから音が出るのは当然である、が、これは猫の足音なんじゃないだろうか?
「あーーっ!!」
思わず魔理沙は声を上げ、驚いた黒猫は飛び退いて手元の市松猫は逃げだし、町長までも四本足で縁側に逃げ込んで橙が、ふえ?と目を覚ました。
「えっと……お気に召しませんでした?」
壁に塗り込めたりしないで、と困惑するように訪ねる黒猫に対し、魔理沙はいやいやと頭を振っておかげで問題解決だぜ、と言葉を返してにやりと笑う。
縁側から頭を覗かせる町長の方を向いた魔理沙は、今だ戸惑う彼に向かってさも楽しげに口を開いた。
「町長、人間の真似が好きなんだよな?」
縁側に片手をかけた町長は困惑さめやらぬままにはぁ、と返答して魔理沙は続ける。
「じゃあ、人間の踊りはどうだ?しかも集団でやる奴だ。人間らしい集団行動だぜ」
――人間の踊り……
その言葉を囁かれたとき、彼の目は獲物を狙うようにきらりーんと輝いた。
後ろでは要領を得ない橙が、ただ何のことか解らずむにゃむにゃしていた。
「よーし準備は良いかぁ!?」
今や、縁側はステージである。
どこからか出してきたスーツをビシッと着こなした町長以下、二本足で立つ猫たちは整然と並んでいいでーすと準備完了の声を上げた。
魔理沙に並んでみている橙は、どこかわくわくした様子でそれを眺めている。
――普通に歩いたのでは小さすぎ、大きくするような仕掛を使ってもいけない。
ならば――そう、最初から「大きな足音を立てること」に意義のあることをさせればいい!!
魔理沙が記憶から引きずり出した音楽を八卦炉から無理やり魔法で出力すれば、軽快なリズムが唐突にマヨヒガに響きだした。
すると猫たちは振り付けに従い、爪を出した足で跳ねるように縁側を蹴り、足を踏みならして一糸乱れず踊り出す。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
軽やかに猫たちの足は縁側を踏みならし、肉球は柔らかく、爪は乾いた音を立てて響き渡る。
毛皮の小さなダンサー達は、とりどりの衣装の身体を一杯に躍動させて舞い踊る。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
そう、これはタップダンスだ。
即ち「足音を鳴らすこと」が主たる目的である踊りである。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
猫の町に、マヨヒガに、緑成す山々の奥に、猫たちの軽快な足音が響き渡る。
その楽しげな音は、そのまま猫たちの気が済むまで、太陽が傾くまで続いていた。
「ういーっす取ってきたぜー」
少し日の暮れかけた図書館の門を足で開けて魔理沙は片手の水晶玉を突き出す。
傍らのソファでは疲れ切った小悪魔が小さな寝息を立てていた。
「そう、ご苦労様」
そして迎えるパチュリーは、そんな風に流して水晶玉を受け取った。
それにしても考えたわね、とパチュリーは水晶玉に魔力を通しながら呟く。
「まさか、猫にタップダンスを仕込むなんて」
うん、使えるわ、と水晶玉を置いて振り返る彼女に、魔理沙はにやりと笑ってまぁなと答えた。
次いで早速儀式を始めようと言うのか、パチュリーは材料のいくつかを魔理沙に持たせて、ふと手を止めて漏らした
「しかもここまでになるとは……意外だったわ」
女の髭、鳥の唾液、魚の息、熊の腱、山の根、そして猫の足音。
彼女たちの手には神話の糸を紡ぎ出す材料が揃っている。
「まさか、猫の町でタップダンスが本格的に流行るなんて」
水晶玉にうつる景色の中で、鰹節を銜えた猫たちは老いも若いも二足も四足も無く、楽しげに踊っていた。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
夜、窓を開けた魔理沙はふと風の中に軽快な音を聞いた。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
幻聴だろうか?いや、ちゃんと聞こえている。こんなに満月の綺麗な日はマヨヒガから魔法の森まであの音が届いたって良いじゃないか。
たかたたったたかたたったたったたったたたたた♪
紡がれた銀の糸玉を月に透かし、魔法使いはふふ、と笑って口を開いて見せた。
「変だぜ♪」
終
その数日後、タップダンスを習得して舞う橙に萌え転がって幻想郷を横断する狐が現れたと言うが、天狗の新聞のからの情報なので信用はならない。
本気で終
元ネタは全くわかりませんがw
がんばれ、ねこたち
で、グレイプニールは?
大好きですこのお話。猫カワイス
のんびりまったりな猫話、ごちそうさまです。
なめんなよー!
猫の街ってのがまた幻想的で良い感じでした~
>なめんなよー
懐かしい(w
いいですね
魔理沙がとても普通の魔法使いで素適でした
いやー、いいですなあ。こういうのんびりまったりにゃんころりん(意味不明)なお話も。
続きも期待しております。是非是非。
・・・ところで猫まっしぐらな猫属性の私としては、この猫天国な町へたどり着くための道を是非とも教えていただきたいのですが(大マジ)
それはともかく、幻想郷ならぬ理想郷がここにあった・・・。
次はぜひとも、人間の研究のためにパチュリーのとこへ本を借りに行く猫達の話を(うじゃうじゃ
幸せ、分けてもらいましたw
ネタはアポロか?
私にもこの楽園への行き方を御教授下さい。
山ほどの猫缶とカリカリをお土産に持っていきます。
あと、うちの17歳になる老描の終の棲家として。
あと、ぐれーぷじゅーすとやらがいかにして役立つかのてん末も是非。
一風変わった猫達のお話、幸せになりました。
画面内の何処かをクリックすると無限の超光速で飛び去って行く。
にゃー
変だぜ♪
もう言うことないぜw
転がりすぎて第一宇宙速度を突破しそうになりました。