預かり物
何処かの森の何処かにある一件の店があった。
名前は『香霖堂』。
古道具屋を謳っている。
古道具屋と言っても、本当に価値がある古道具もあればそこら辺で拾ってきたガラクタや店主が作った怪しげなマジックアイテム、更には外の世界の物まである。
凄く怪しげな店だ。
その怪しさからなのか、それとも実用性のある物がないからなのか、客はほとんどいない。
一部の特殊な常連客を除いては……
「こんにちわ、霖之助さん」
店内だけでなく、居住区である店の奥までずかずかと上がりこんでくる紅白の少女。
「霊夢、勝手に居間まで上がるなと何度言えば―」
「次からは気をつけるわ」
紅白の少女、博麗 霊夢は店主である森近 霖之助の言葉を遮って卓袱台の前に座った。
「この間頼んでおいたあれを取りにきたんだけど」
「あぁ、あれか。ちょっと待ってて」
霊夢の言葉を受け、霖之助は店の方に移動する。
「えーっと、あった」
1本の棒を持ち、居間へと戻る。
「はい、どうぞ」
その棒を霊夢の前に置き、霖之助自身もまた座った。
そして、湯のみにお茶を―
「霊夢」
「うん?」
「何故お茶が無くなっているのかな?」
「さぁ、何でかしら?」
そう言って霊夢は自分の目の前にある湯のみの茶を啜る。
「はぁ……」
深い溜め息を吐き、霖之助は居間の更に奥、台所へ茶を補充しに行く。
火を炊き、湯を沸かし、茶葉と湯を茶瓶に入れる。
湯は沸かしすぎず、適温で止める。
あまりに熱いと茶の香りが飛んでしまうのだ。
「………まだいたのか」
もう帰ってしまったのかと思ったら、霊夢はまだ居間に腰掛けていた。
「折角だからお茶を頂いて行こうと思って」
「さっき頂いたじゃないか」
「さっきのはさっきの、今のは今のよ」
「はぁ……」
再び、霖之助は深い溜め息を吐いた。
図々しい。
その一言が霖之助の脳裏に浮かぶ。
しかし、霖之助はそれを口に出しはしない。
黙って自分と霊夢の湯のみにお茶を注ぐ。
「いつも思うけど霖之助さんって凄いわよね」
「そうかい?」
「霖之助さんのお払い棒、凄く性能が良いんだもの。あと、お茶を淹れるのも凄く上手」
「褒めていただいてどうも。それで、そのお払い棒の代金だけど……」
懐から算盤を出し、代金を計算する霖之助。
「ツケておいてね」
「……………」
霖之助が値段を提示する前に霊夢はそう言った。
「霊夢」
「うん?」
「褒め言葉もいいけれど、たまには代金を払ってくれないか?」
「それはそれ、これはこれ」
「はぁ……」
3度目の溜め息。
もういつものことなので、追及は諦めた。
「ところで、霖之助さん」
「なんだい?」
「そこの神棚に飾ってあるお払い棒は譲ってくれないの?」
そう言って、霊夢は天井に近い位置にある神棚を指差した。
そこには卓袱台の上にあるのと同じようなお払い棒が1本立ててあった。
「あぁ、あれか」
「あれを譲ってくれたら用意する手間が1回省けるんじゃないの?」
「うーん、確かにそれはそうなんだが……」
「だけど?」
「あれは預かり物なんだ。だから、譲ることはできない」
「預かり物ねぇ」
興味津々で神棚を見ている霊夢。
「誰からどういう理由で預かったの?」
「聞きたいかい?」
「お茶菓子代わりにはなるでしょ」
「………まあ良い。聞かせてあげよう。少し長くなるけどね」
霊夢と自分の湯のみに茶を注ぎ、霖之助は語り始める。
昔、ある所に1人の青年がいた。
名を長雨(ながめ)という。
長雨は姿は人間ではあるが人間ではなく、妖怪でもなく、ましてや悪魔でも幽霊でもない。
不思議な存在だった。
人を食うでもなく、不死でもない。
傷が付けばしばらくは痛むし、腹が減れば野菜や魚、肉を食べる。
ほとんどが人間と同じである。
長雨は商売を生業としていた。
商売と言っても、店を持ち、常連客を作って成り立つような商売ではない。
旅をする商人、言わば行商である。
何かを拾ったり作ったりして、それを金に変えたり物々交換をしてその日を過ごしている。
諸国を歩きまわり、それを繰り返す。
本当に、ただの人間の行商人にしか見えず、それと同じと言っても過言ではなかった。
ただ一つ、歳を取らないという点を除いては……
長雨の運命が動いたのは、とある里で行われていた祭りでのこと。
様々な料理が揮われ、そして男達は神輿を担いで騒いでいる。
長雨も商売を昼間で切り上げ、祭りを楽しんでいた。
里の者達は長雨が部外者だからといって邪険に扱ったりはしなかった。
皆、ただ祭りを楽しんでいた。
3,4時間ほど時間が経つと、神輿は終わり、皆雑談に華を咲かせていた。
長雨もまた、子供達や老人と自分の見聞などについて話し込んでいた。
そんな時である。
「おお、巫女様じゃ」
老人の枯れた声を機に、騒ぎが突如ピタリと止む。
「巫女様じゃ」
「巫女様~」
「ありがたやありがたや」
一人の声に多くの声が続く。
長雨は何事かと見ようと思った。
しかし、人だかりのせいで全く見えない。
「すいません、なんの騒ぎなんでしょうか?」
先ほどまで話していた老人に訊ねる。
「巫女様がいらっしゃったんじゃよ」
「巫女様?」
「巫女様はこの里、いや、ここら近辺の里の守り主様じゃ。普段はほれ、向こうにある山の神社にいらっしゃる」
そう言って、老人は暗くていまいち見えないが、ある山を指差した。
「この里は神社に最も近い。だから皆、巫女様のことを本当に慕っておられるのじゃよ」
「なるほど」
その話を聞いて、長雨が真っ先に思いついたのは商売のことだった。
その巫女様とやらが何かを買ったり交換したりしてくれれば、この里はもちろんこの近辺でかなり商売がしやすくなる。
自分とて、食わねばやっていけない身体である。
利用できる者は誰でも利用したかった。
「ちょっとすいませんね」
老人もまた、その巫女様とやらを拝みに行ってしまった。
相変わらず、長雨の位置からでは巫女の姿は見えない。
けれど、長雨は巫女の姿を見に行こうとは思わない。
会えば真っ先に商談をしてしまいそうだから。
人だかりは散る気配が全くない。
事実、巫女が帰るまで人々は散らなかった。
「巫女様…か」
巫女が帰った後、また雑談が始まる。
長雨もまた、さっきと同じ老人や子供達と雑談を続けた。
翌朝、長雨は神社があるという山に登った。
『山は妖怪が出るから十分に注意した方がええ』
昨夜話をした老人はそんなことを言っていた。
「妖怪ねぇ……」
いまいちピンとこない。
長雨はまだ妖怪らしい妖怪を見たことがない。
だから、山に出る妖怪がどんな容姿をしていてどんな声をしていて、どんな力を持っているのかなど想像もつかない。
気にはなるが恐怖はいまいち湧かなかった。
「それにしても」
普段から旅をしているため、登山は慣れている。
しかし、なかなか神社とやらに着かない。
「うーむ、道を間違えたかな?」
麓からは神社は見えていた。
それに向かって真っ直ぐあるいたつもりである。
けれど、どれだけ歩いても辿り着かない。
それどころか、さっきから同じ所を歩いているようにも思えた。
「ふむ」
何を思ったか、長雨は木に登る。
一番上まで登り、辺りをグルっと見回してみた。
「なーるほど」
何かに納得する。
そして木から降り、荷物を探る。
荷物から1枚の札を取り出し、それを身体に貼った。
「人間じゃないと苦労するもんだな」
そう言って、また歩き出す。
突如、目の前が歪んだ。
しかし、長雨は臆することなく進む。
歪みの中を歩き続ける。
「ふうっ」
僅か1,2分で歪みは収まった。
改めて前を見ると、そこにはそれ以上でもそれ以下でもない、普通の神社の風景が拡がっていた。
ただ一点を除いては、至って普通だった。
「……………」
長雨は時が止まったような気がした。
何故か?
目の前の光景が、余りにも美しすぎるから。
「……………」
鳥居から境内まで続く道の真中、そこに誰かがいた。
女性…いや、見た感じ、まだ少女と呼べるかもしれない。
幼さの残るその少女は舞っていた。
清く、力強く、美しく。
余程集中しているのだろうか?
少女の顔が長雨の方を向いても、その存在に気付いた様子はない。
だからと言って、声をかけたりはしない。
声をかけてしまえば、今のこの空間が壊れてしまいそうだから……
数十分をして、舞は終わった。
長雨は言葉をかけるではなく、ただ拍手を贈っていた。
「こ、こんにちわ」
少女は拍手の音で、ようやく長雨の存在に気が付いた。
そして、気恥ずかしそうに挨拶をする。
「こんにちわ」
そんな少女を見て、長雨はニッコリと笑って挨拶を返す。
「あの、巫女様に会わせていただけないでしょうか?」
もじもじとしている少女に優しく言う。
「巫女…ですか?」
「はい。お出かけ中ですか?」
少女以外に人の気配がしない。
他に誰かいるのならきっと出かけているのだろう。
長雨はそんな風に考えていた。
「えっと……私がその巫女なんですけど」
「えっ?」
少女の言葉に長雨は驚いた。
長雨は少女のことを、巫女に仕えている使用人辺りだと思っていた。
しかし、目の前の少女は自分が巫女だと言う。
「えぇっと、ほんとに巫女様ですか?」
「ほんとのほんとです」
「うーむ……」
長雨は巫女は中年くらいの女性だと予想していた。
だから、商品もそれらしいのを揃えてきたのだが……
「それで、私に何かご用ですか?」
ようやく落ち着いたのか、少女は姿勢を正して訊く。
「えっとですね。私は旅の商人なんです。近隣で巫女様の噂を聞き、少しでもお近づきになれたらと思って参りました」
「あぁ、行商の方ですか。それでしたらこちらへどうぞ」
「あっ、どうも」
奥へと案内される長雨。
奥と言っても、神社の中なのだが……
「どうぞ、お座りになってください」
「は、はい」
気が付くと居間まで通されていた。
「お茶は熱いのでよろしいでしょうか?」
「あっ、お構いなく」
お茶を淹れるため、少女は更に奥へと引っ込んだ。
涼しい風が通る居間に、長雨が1人取り残される。
「この神社……」
外から見れば本当に普通の神社にしか見えない。
しかし、中に入ってみればイメージが変わった。
ここは神社というよりも、巫女が住んでいる家でしかない。
ただ家の前に鳥居と賽銭箱とガラガラと鳴らす大きな鈴があるくらいだ。
一種のペテンにかけられたような気がした。
「お待たせしました」
お盆に二つの湯のみを置いた状態で少女が再び現れる。
その湯のみを、長雨の前と自分が座るであろうところの前に置いた。
「どうぞ」
「どうも」
湯気が出るほどの熱々のお茶を、二人は一口啜る。
「美味しいですね」
「ありがとうございます」
長雨の言葉に、少女は笑顔で言葉を返す。
その笑顔を見た後、長雨はまた一口茶を啜った。
「それで、どんな物を扱っているのですか?」
「そうですね……広く言えば何でも、狭く言うならお客様に合った物を扱っております」
半分は嘘である。
所詮、行商の身。
『客に合った物』を売るのではなく、客が『自分に合った物』を買うと言った方が正しい。
しかし、注文があれば長雨は受け付ける。
『客に合った物』が売れるのは精々その時ぐらいだ。
「今はどんな物があるんですか?」
「今はこんな物があります」
長雨は持ち物から商品となるものをいくつか出した。
御札、勾玉、茶葉、お茶菓子。
それらを机の上に置き、咳払いを一つしてから長雨は口を開いた。
「これらの札には様々な種類があり、1枚1枚その効果が違います。厄除け、魔払い、結界封じ、除霊等々」
「へぇ~」
「勾玉は何の力もありません。しかし、これに力を込め、好きなときに解放してその力を使うことができます。一種の憑代ですね」
「ふむふむ」
「お茶っ葉は言わずもがな。この近隣で採れるお茶です。お茶菓子も同じく、この地方で美味しいと言われている物です」
「ほっほう」
長雨はこの選出を誤算だと思った。
御札と勾玉は良いとしても、茶葉とお茶菓子は若い少女相手にはウケないと思ったからだ。
「それじゃあ、お茶っ葉とお茶菓子をください」
「………えっ?」
「お茶っ葉とお茶菓子です」
「えっと、あの、御札と勾玉は……」
「お茶っ葉とお茶菓子を」
「……………」
少女は御札と勾玉に目をやる事なく、茶葉とお茶菓子だけをもの欲しそうに見ていた。
その様子に、長雨は気圧される。
「おいくらですか?」
「えっ?あっ、えぇっと」
長雨は慌てて懐から算盤を出し、パチパチと計算を始める。
「全部でこれだけになります」
「少し待っててくださいね」
そう言って、少女は傍にある棚の引出しをごそごそと漁る。
「これで足りますか?」
引出しから包みを出し、机の上に置く。
中からは銅や銀で作られた大量の硬貨が出てきた。
「は、はい。充分です」
長雨は広げられた硬貨の中から代金分だけを取った。
「ありがとうございました。それではこれで……」
「待ってください」
立ち上がり、そそくさと帰ろうとする長雨を、少女は呼び止めた。
「何か?」
「折角美味しいお茶菓子が手に入ったんです。ご一緒にどうですか?」
「いえ、しかし」
「お客様にお茶とお菓子をふるまうのは礼儀ですよ」
「はぁ、そうですか。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
長雨は再び座り込んだ。
恐らく、さっき少女が言った礼儀は少女の中だけのものであり、しかも今思いついたのであろう。
その証拠に、さっきまでお茶菓子など出てこなかった……
お茶を淹れなおし、お茶菓子を器に盛る。
「さぁ、どうぞ」
「いただきます」
今度は商談ではなく、ただのお茶会が始まる。
茶を一口二口啜り、そしてお茶菓子を楽しむ。
非常にゆったりとした時間が二人の間には流れていた。
お茶が半分ほど減った頃、長雨はふと何かを思いつき、口を開いた。
「巫女様」
「香夢、です」
「えっ?」
「私の名前。『香る夢』と書いて『こうむ』です」
「はぁ、そうなのですか」
「確かに私は巫女です。人々に崇められている存在ではありますが、二人きりの時までそういうのは止めてください」
「は、はい。それじゃあえっと…香夢様?」
「見た感じ、あなたの方が年上みたいですから呼び捨てで構いませんよ」
「いえ、それではこちらとしては少し……それじゃあ香夢さんで」
「はい」
「香夢さん」
「はいっ、なんでしょうか?」
「失礼を承知でお聞きしたいのですが、この神社、少しおかしくはありませんか?」
「と言いますと?」
「外から見れば神社ですけど、中を見るととても神の社とは思えません。一体、どんな神を祀っていらっしゃるのですか?」
香夢はうーんと考え込んだ。
考え込むようなことだろうか?
「多分、何も祀っていません」
「………それって神社として成立するのでしょうか?」
「成立しないかもしれませんね。里の人達に言ったら多分皆驚きますよ」
自分達が崇拝していた神社に神がいないと聞けば、誰でも驚くだろう。
それを判っているのかいないのか、無邪気に笑う香夢。
「けど、仕方ないんです。私が生まれる前からこうでしたから」
「そうなんですか?」
「はい、先代もここに暮らしていたそうですよ」
「その先代は今どちらに?」
「亡くなりました」
「えっ……?」
「あっ、別に気にしないで下さい。私も先代を見たことないんです。だから、先代と言っても何処か他人のような気がして……」
「そ、そうですか」
笑顔は消えたものの、そんなに哀しそうには見えない。
その様子からすると、今の話はまんざら嘘でもないようだ。
「私達は代々、妖怪退治を習しとしてます。だからきっと、巫女と言う存在自体が守り神として崇められ、ここが神社として認識されているのではないでしょうか?」
「なるほど……」
そういえば昨日の老人も、香夢のことを『守り主様』と言っていた。
そう考えれば、生きた神、現人神が住まう社としてこの神社は成り立っているのかもしれない。
「今度は、私からいくつか良いですか?」
「どうぞ」
「さっき、こう言いましたよね?扱っている物は狭く言えばお客様に合った物だって」
「えぇ、そうですね。注文があれば受け付けますよ」
「それじゃあ、一つ注文させてもらっていいですか?」
「どうぞ」
「お払い棒って作れますか?」
「お払い棒…ですか?」
「はい。先代からずっと使っているのがあったのですが、老朽に耐えられなくて……」
「なるほど」
「お願いできますか?」
「もちろんお受けしますよ。なんなら、その先代様からの物に負けないのを作りましょうか?」
「あはは、是非ともお願いします」
笑い合う二人。
この時間を失うのが惜しいのか、空になった湯のみにはさらに茶が淹れられる。
「えっと、他にですね、あなたのことについて少し聞かせてもらえませんか?」
「と言いますと?」
「出身地とか商売の話とか」
「良いですよ。お話しましょう」
「それと、あなたが何者なのかも……」
香夢のその言葉に、長雨の表情が固まる。
「それはどういう意味ですか?」
「あっ、いえ…ただ、あなたが人間でないことが判ったから」
「何故?」
「ここに来るまでに、結界がありましたよね?」
「えぇ、ありましたね」
「あの結界は本来、人間もしくは物凄く力のある妖怪等しか通れないようになっているんです。前者は何事もなく通れますが、後者は力づくでですね」
「あの結界を張ったのは香夢さん?」
「はい、そうです」
「では、結界が破られたというのもお見通しですか……」
「はい。ほんとはつい先ほどわかったんですけどね」
人間ならば結界を破る必要はないし、そもそも結界に引っかからない。
普通の妖怪ならば通れないし、力の強い妖怪ならばその力の大きさを既に香夢に量られているかもしれない。
「通るのには先ほど紹介した結界封じの札を使いました。まあ、それだけでは私が何者かは証明できませんがね」
「えぇ、そうですね。それはあなたがここまで来た方法であり、あなた自身ではありません」
長雨は溜め息を吐いた。
自分のことを説明するのは難しい。
いや、難しいのではなく、詳しく説明ができない。
なんせ、長雨自身が自分のことを詳しく知らないのだから。
「もし仮に、私が『自分は里を襲い、人を喰らうような妖怪だ』と言ったら、香夢さんはどうしますか?」
「あなたを退治します。それが役目ですから」
「では、『自分は妖怪ではあるが、人間を襲ったりはしない』と言えば?」
「することによりますね。他の妖怪を扇動して里を襲わせたりするのならば退治しないといけませんし」
「ふむ……」
その目に迷いはなく、そう言えば本当にやりかねない。
やはり、人間を守っているだけはある。
「この際だからはっきり言いましょう。私は自分が何者なのか、全くではありませんが詳しくは判りません」
「えっ……」
「私の身体の基本構造は恐らく人間と同じでしょう。けれど、私は歳を取りません。かれこれ60年ほどこの姿を保っています。だからと言って、妖怪のような恐ろしい能力や生命力があるわけでもありません。人間ほどの能力と刀で斬られた程度ですぐに死んでしまうであろう身体しか持ち合わせていません。どちらかと言うと人間寄りかもしれませんが、人間ではありません。だからと言って、妖怪だと断言することも決してできません」
「不老長寿ではあるが不死ではなく、何かを営む能力はあっても壊す能力はない、ということですか」
「えぇ、これらの道具を作ることはできても、強大な力で様々なものを壊すことはできません」
「確かに、人間とも妖怪とも言えませんね。とても曖昧」
「半人半妖というのもあります。けれど、私の両親は人間でした」
「何か薬を飲んだとか、両親のうちの片方が特殊な力を持っていたとかは?」
「いえ。両親は普通の商人でしたし、特殊な薬を飲んだという経験もありません」
「よくわかりませんね」
「そうですね。しかし、これだけは言えます」
「なんでしょう」
「私は自身が妖怪に襲われることはあっても、人を襲ったりはしません。人の多くは私の商売相手であり、時には友となります。だから、私には人を襲う理由も利益もありません」
「根っからの商売人なんですね」
「そうですとも」
二人とも笑った。
その後、香夢はまた考え込んだ。
「まあ良いでしょう。あなたが妖怪であれ、人間であれ、その意思があるなら私は何も言いません」
「ありがとうございます」
それが香夢の出した結論である。
その言葉により、長雨の緊張は解けた。
「あぁ、もうそろそろ日が暮れますね」
「そうですね。そろそろお暇させてもらいます」
「あっ、最後に一つ聞かせてください」
「はい?」
「あなたのお名前を」
「長雨です」
「長雨様ですね。今後は普通に結界を通れるようにしておきますね」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、楽しい一時をありがとうございました」
深々とお辞儀をする香夢。
それに対し、長雨もお辞儀を返す。
「お払い棒の件、お願いしますね」
「はい、もちろんです」
「それじゃあまた」
「さようなら」
幼き巫女に見送られ、長雨は神社を後にした。
その様子は、何処か楽しそうでもあった。
お払い棒というのは実に簡単に作れる物である。
適当な棒切れに特殊な切り方をした紙を紐でいくつか縛り付けるだけ。
本当にこれだけでできる。
しかし、簡単に作ってしまったのならそれの力は無いに等しい。
それに加えて、外部からの力で簡単に折れてしまう。
長雨は自分の商売にプライドを持っている。
『先代の物よりも良いのを作る』と言ってしまったがため、本当にそうしようと画策していた。
先代の物がどれほどなのか確かめはしてないが、そこら辺は頭になかった。
まず、長雨は棒となる木を求めた。
良い物は大体が老木から作った棒を使っている。
老木は年老いてる分、様々な力を内にはらんでいたりするからだ。
けれど、ただの老木では長雨は満足できなかった。
そんな時、長雨は神木の噂を聞いた。
神木とは神社に祀られ、神体とされている木のことである。
大きすぎる程の霊力を持ち、切った者には報いや祟りが起きるという話もある。
その神木を、切ってから50年経った状態の物が何処かの国で売り出されるとかなんとか。
50年という年月は神木の魂を治めるために要する。
そうすることにより、報復や祟りを起こす邪気を鎮めることができ、後には膨大な霊力が残った木切れができあがる。
ただ適当に祀られているだけの普通の木の場合が多いが、もしも本物ならば枝1本程度で暫くは遊んで暮らせるほどの値が付くだろう。
しかし、物の価値や貨幣の価値という物は国によって違う。
現金をあまり多く持っていないため、長雨はそれを上手く利用した。
その木が売られる国では銀がとても貴重であるらしい。
そこで、長雨は自分の手持ちをはたいて安い所で銀を買い集め、神木売りと物々交換を行うことにした。
「ふむ、これはかなり良いな」
手にもち、霊力を感じる長雨。
僅かな木切れではあるが、その力は計り知れない。
今の2,3倍の量があれば、物凄い霊力兵器が作れるかもしれない。
それほどの力がその木切れにはあった。
どうやら正真正銘本物の神木らしい。
予定通り、銀と神木の交換を行った。
こうすることにより、長雨は現金で払うよりも圧倒的に安い価格で見事神木を手に入れることに成功した。
神木と言ってもそれその物ではなく、木切れ程度の物である。
手持ちが少なかったせいでもあるが、それでも棒にするには充分の大きさだった。
それを棒状に加工し、残りはとっておく。
次に長雨は紙を探した。
上等の和紙で、塩を吸収しやすい物を求めた。
塩には食物の味を調えるだけでなく、魔を祓い魂を清める効果がある。
和紙に塩水を軽く染み込ませ、それを乾かして文字を書き込み札とする。
書き込むと言っても、使うのは普通の墨ではない。
特定の時のみその文字が浮かび上がる特殊な液体だ。
炙り出しに近いかもしれないが、炙り出しではなく、戦闘時や何かの儀式時の様に、力の流動が激しい場合にのみその効果が出るようになっている。
札の効果は破魔や除霊や結界封じ等々。
棒や紙だけでも充分な効果ではあるが、紙を札にすることによって更に力を増幅させる。
紐には銀糸を使う。
銀糸とは普通の糸に薄く広げて細かく切った銀、所謂銀箔を巻きつけた物のことを言う。
銀を使っているのだから高いかと思えば、使っている銀は僅かな上にお払い棒一本に使う糸の量は少ないため、銀貨1枚程度で手に入った。
それを使い、紙を棒に縛り付けてゆく。
「仕上げは……」
長雨の荷物から、幾重にも紙に包まれた何かが取り出される。
紙の中には赤っぽい石の塊、俗に言う鉱石が包まれていた。
この鉱石は緋々色金という特殊な金属である。
この金属は錆びに非常に強く、そしてなかなか形状が変化しないので有名だ。
ただ、価値もそれ相応に凄いのではあるが、もはや長雨には価値云々のことなどどうでも良かった。
これを使い、棒から紙に至るまで極薄いコーティングを施す。
そうすることにより、壊れないようにすることはできないが老朽化を極端に遅くすることができるのだ。
更に、この緋々色金でのコーティングは老朽化を遅らせるだけでなく、対象の力が外に漏れるのを防ぐ効果もある。
余計な力を外部に流出させず、その分内部に充分な力を蓄えておくことができる。
物質のコーティングには持って来いの金属である。
しかし、問題もあった。
緋々色金は確かになかなか形状が変化しない、言い換えるのならば変化しにくい。
それはつまり、衝撃に対する耐久性もさることながら、非常に耐熱性が高いということである。
およそ2000℃までは形状を保ち、そこから100℃ほどの合間に溶解をするらしい。
けれど、一旦溶解してしまえばコーティングは簡単である。
緋々色金は溶解には高温を要するが、凝固には今度は低温を要する。
低温と言っても、精々10℃程度。
コーティングをした後でも、冬以外は常温で放置していても凝固しない。
つまり、この金属を溶かすことが一番の問題となっているのだ。
今の長雨には2100℃もの高温を出す手段がない。
だが、長雨が取った行動は至ってシンプルだった。
「無ければ作れば良い」
そう呟き、特殊な溶鉱炉を作成に取り掛かる。
耐熱性ばかり高く、柔らかい金属を使い、簡単な竈を作った。
そこに神木の欠片を少しとその他の燃料を入れ、火を炊く。
神木の欠片の力によって一気に火力が上がり、期待通りに緋々色金を溶かすことに成功した。
そしてコーティングを終え、近隣の氷室を少し貸してもらい、緋々色金を凝固させる。
全てを終えるのに2ヶ月と10日ほど掛かった。
「ふむ、上出来だな」
拘り過ぎたそのお払い棒は見た目は適当に作った物と全く変わりがない。
しかし、一度持ってみれば、驚いて思わず手を離してしまいそうなほど力に満ち溢れていた。
良い仕事をした。
その満足感が、長雨を包み込んでいた。
翌日、長雨は神社へと向かった。
前回と違い、今度は結界にぶつからない。
簡単に神社に辿り着くことができた。
しかし、着いてからは前回と同じだった。
「……………」
近くの適当な大きさの石に腰を掛け、香夢の舞を観る。
香夢が長雨に気付く気配は全くない。
長雨も、香夢の気を惹こうとは決してしなかった。
舞う者と観る者。
同じ時間の中にいながら、全く違う世界にいる気分だった。
けれど、そんな時間は長くは続かない。
「な、長雨様!?」
「やぁ、どうも」
舞が終わったのか、香夢は長雨の存在に気付いた。
「も、申し訳ございません。私…その、気が付かなくて……」
「いえ、構いませんよ。声を掛けなかった私も私ですし。それに……」
「は、はい」
「いえ、何でもありません。それより、前に注文された品を届けに来ました」
「あっ、はい。それではこちらに」
また奥の居間へと通される。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
机の前に座り、暫くするとお茶が出てきた。
今回はお茶菓子として煎餅も出てきた。
「こちらになります」
お茶を飲む前に長雨は包みを取り出した。
その包みの中には、香夢が注文したお払い棒が入っている。
「凄い力を感じますね」
「判りますか?」
「えぇ」
包みを長雨より受け取り、香夢はそっと包みを開いた。
「これは……」
「如何ですか?」
「素晴らしいです。先代様の物よりもずっと……ずっとずっと凄いです」
「ありがとうございます」
取り合えず、長雨が注文以外で約束した『先代の物よりも良いのを作る』というのはクリアできたようだ。
「あの、御代の方はいくらぐらいなのでしょうか?」
「えっ?あっ、えーっと……」
値段のことを考えていなかった。
長雨は懐から算盤を取り出し、大急ぎで計算をする。
しかし、使っている材料が材料であるため、香夢では払いきれないであろう値しか割り出せない。
「安く見積もってもこれだけになりますね」
「えっと……これっていくらくらいなんですか?」
「……………」
算盤が判らないとは思わなかった。
「そうですねぇ。銀貨にすると100枚くらいでしょうか?」
「そ、そんなにするんですか?」
長雨としては限界まで割り引いたつもりである。
しかし、香夢の表情と言葉からすると、やはり払えないのかもしれない。
神木は安く手に入れたが、緋々色金が物凄く高い。
香夢の懐具合を考えずにやってしまったことを今更ながら後悔した。
「私、そんなにお金払えません」
「あぁ、別に物々交換でも構いませんよ」
物々交換と言っても、寂れた神社もとい家屋に何があるだろうか?
もしかしたらあっと驚くお宝があるかもしれないが、あるという保障もない。
「そうだ」
何かを思いつき、香夢は何処かへ行く。
そして、十分ほどして戻ってきた。
「これでは駄目でしょうか?」
香夢が持ってきたのは古ぼけた玉だった。
埃を被っていないところからして、手入れはしているのだろう。
「これは?」
「えっと、先祖代々受け継がれている物です」
「ふむ……」
長雨はその玉に少し触れてみた。
「……………」
長雨の脳裏に言葉が流れる。
その言葉が何を意味するのかは、長雨は知っている。
言葉が止まった後、長雨は持っていた玉を机の上に置いた。
「これは頂けません」
「えっ?どうしてですか?」
「この玉とそのお払い棒の価値を比べた時、この玉の方が圧倒的に価値があるからです。商人は自分の商売で相手にお金を払わせることがあっても、自分がお金を払ってはいけません。だから、これは受け取れません」
「じゃあ、どうしよう……」
「そうですね」
二人とも、うーんと考える。
「そうだ」
「はい?」
「あなたが前に使っていたという壊れたお払い棒を見せてもらえませんか?」
「構いませんけど」
「お願いします」
「それでは、少々お待ちくださいね」
香夢が出て行ったのを確認した後、長雨はお茶を一口啜る。
すっかり冷めている。
「お待たせしました」
5分もしない内に香夢は戻ってきた。
手には折れかかって曲がっているお払い棒があった。
「手に取っても構いませんか?」
「あっ、どうぞ」
机の上に置かれた折れかけているお払い棒を、長雨は慎重に持った。
それは長雨が作った物に劣らず、相当に出来の良い物であった。
長雨の物と同じく神木と銀糸を使い、そして紙は文字が書きこまれて札となっていた。
しかし、緋々色金は使われていない。
そのためなのかどうかは判らないが、神木からは力が漏れ続け、さらには老朽化によって棒が折れたことにより、そこからも力が漏れ出している。
今も尚それなりの力を持っているものの、完全に垂れ流しの状態になっている。
人間で言うならば、血管が切れて血が流れ続けているようなものだ。
もはやただのゴミにしか見えないが、何かしら手を加えればまだ何かに使えるかもしれない。
「どうです?これと銀貨10枚で交換しませんか?」
「えっ?」
香夢は今までの中で一番驚いた表情をした。
既に使えなくなった物に銀貨90枚の価値がついたのだ。
長雨とて、逆の立場なら驚いていたかもしれない。
「あの、本当にそれで良いんですか?」
「構いませんよ」
「は、はい、わかりました。お願いします」
香夢は前回と同じ場所からお金を取り出した。
銀貨10枚を取っても、まだもう少し銀貨はある。
それに、銅貨も数十枚はある。
これなら香夢も生活に困ったりはしないだろう。
香夢に収入があるのかどうかは謎だが。
「確かに頂きました」
「本当にすいません」
「いえ、良いんですよ。ちゃんと品定めしてから決めたことですし。あぁ、そうだ。これはオマケです」
そう言って、長雨は荷物からお茶っ葉とお茶菓子を取り出す。
それを見た途端、香夢の表情が笑顔になった。
「ありがとうございます。あっ、お茶取り替えましょうか?」
「お願いします」
話してばかりいたせいか、お茶は冷め切っていた。
これが冷たいの域まで冷めているのならばまだ良いが、精々ぬるい止まりである。
それならば、まだ熱々のお茶の方がマシだ。
香夢がお茶を淹れ直したところで、またもやお茶会が始まる。
「お茶はやはり熱いのに限りますね」
「ですねぇ」
お茶を飲んでいるときの香夢は本当に幸せそうだ。
まるで、天にでも昇っているかのように……
「香夢さん、良いですか?」
「はい、なんでしょう」
「気になっていたんですが、私がここに来ていた時に舞っていた舞。あれは何と言う舞なのでしょうか?」
「あぁ、あれはうちに代々伝わっている『夢想』という舞です。って言っても、先代に教えられたわけじゃないんですけどね」
「というと?」
「何故か知ってるんです。小さい頃からずーっと、何でか判らないけど踊ってました」
「ふむ……」
「夢想う者は天より生まれ、転じて生ず」
「?」
「舞の詩の冒頭です。まあ、何のことかは私にも判りませんけど」
「天より生まれ、転じて生ず…か。中々興味深いですね」
「基本的には里のお祭りの時に踊ってます。ここで踊ってるのは練習ですね」
「なるほど」
前に初めて巫女の話を聞いた時の祭りでも、もしかしたら舞っていたのかもしれない。
人を割ってでも見ればよかったと、長雨は今更ながら後悔していた。
「長雨様」
「うん?」
「今度は長雨様のことを話してくれませんか?ほら、前は色々とあって、その……」
「あぁ、構いませんよ。何から話しましょうか?」
「それでは、どんな所に行ったのかを聞かせてもらえますか?」
「はい」
長雨は自分の旅の様々な見聞を香夢に話した。
楽しい話もあれば、哀しい話もある。
時には酷く気分を害するような話も出た。
途中、長雨は何度か話すのを止めようかとも思った。
しかし、香夢は大丈夫だと言い、話の続きを望んだ。
笑ったり怖がったり哀しそうな顔をしたり。
そんな香夢を見る内に、長雨は自分のある感情に気付いていた。
<続>
昔話の雰囲気が、空の女の子を探すお話の過去編に近いものを感じました
千年前の夏。どちらも踊るように散りゆくからなのかは、解らないのだけれど
霊夢がいる場面とそれ以外が何か違う。それはたぶん、語り部が違うからなのでしょう