静に浮かぶ月が淡い光を反射し、星々が煌々と輝く夜空の下。
約束した訳でも無いのに、夜の竹林で二人の少女は対峙する。
それは、必然だった。
必然だからこそ、約束の必要など何処にもない。
偶然であれば、それは事件であり、事故であり、歴史となってしまう。
八十、八百、八千と幾度も繰り返してきた変わらない日常。
在って然るべき事。
日常は必然でなければならない。
故に、二人の対峙は必然だった。
長く美しい黒髪をなびかせる少女は夜空を舞うように、飛来する大量の御札の合間を縫う。
「ふふッ、この程度じゃ準備運動にもならないわよ?」
御札の波をかいくぐりながら、黒髪の少女は余裕を見せる。
少女を襲う大量の御札は、祟り、呪いの類を防ぎ、封じる『滅罪寺院傷』
貼り付いてしまえば、破ったり、剥がすまで霊的な力は発揮されなくなる。
しかし、霊的な方向に特化した御札である為、紙と同じで水や火に弱い。
当然、疫病なんぞにはまったく効果は無い代物である。
「フン、小手調べに決まってるでしょ?」
対峙する、御札を撒き散らす少女は炎を身に纏い、燃える翼を背負っていた。
無数のリボンを結びつけた白髪をサラリと散らしながら、何処からともなくナイフを取り出す。
数枚の御札が貼り付けられた、曰くありげな古い短刀である。
「あんたのせいで、”私に殺された人間達”の恨みの籠められた、呪いのナイフ。運動不足のあんたに避けられるかな?」
そう言いながら、手に持ったナイフを、少女の居る御札の檻へ投擲する。
投擲されたナイフは、恨みの主が富士へと引き連れた武士の数だけ分裂し、列を成して飛来する。
「まったく、この程度なの?」
ナイフは規則正しく列を作っているので、御札の舞う中少女はいともたやすくナイフを避ける。
「言わなかったか? そのナイフには呪いが籠められている事を」
白髪の少女がニヤリと笑う。
黒髪の少女の背後で、ナイフに貼られた御札が妖しく煌き、進行方向を真逆に変える。
少女を付狙うように、背後からナイフが迫り、その内の一本が肩口に深く突き刺さる。
「ぐッ……、そういう、事ッ」
ナイフを引き抜きつつ、背後から迫り来るナイフを避ける為、黒髪の少女は身を捻る。
服を切り裂かれ、覗いた肌はパックリと割れて赤く染まっていた。
紙一重とは行かない。
やはり、少女は運動不足なのだ。
しかも、飛来するナイフはまだまだ多い。
このままではいつかナイフに身を切り裂かれてしまう。
「ッ……、今のままじゃ辛いわね……」
黒髪の少女――蓬莱山 輝夜はそう呟くと、懐から秘宝を取り出し、霊力を流し込み、宝に秘められた力を起動する。
『燕の子安貝』
輝夜の手に握られた子安貝が、淡く光を発し、輝夜の全身を包みこむ。
身に負った傷は瞬く間に癒え、四肢に力が漲る。
そして、弾幕がとても良く見える。
「あはははッ、隙間だらけじゃない」
生命を象徴する秘宝の力で飛躍的に向上した身体能力を駆使し、御札とナイフの僅かな隙間に身を滑らせる。
正に紙一重。
袖が裂かれても、髪が数本落ちても、今度は傷一つつかない。
前後から迫る鋭いナイフを、輝夜は舞うように避けてゆく。
「ほらほら妹紅、弾幕が薄いわよ?」
御札で制限された空間を、まるで舞台に見立てて輝夜は舞う。
独りでに舞うナイフはさながら、ダンスを知らない滑稽なパートナーと言った所か。
「……なら満足させてやるッ」
妹紅と呼ばれた白髪の少女は身に纏った炎を燃焼させる。
「焼け焦げろ!」
一喝と共に、燃え盛る炎の翼を、尾を、大きく展開させる。
視界を覆い隠すほどの炎の羽根が輝夜目掛け、豪雨のように降り注ぐ。
輝夜の舞の相手を務めていた『月のいはさかの呪い』の宿るナイフをも巻き込む。
炎に触れたナイフは忽ち焼け溶けてしまう。
炎の雨は、輝夜を焼き尽くそうと降りかかるが、輝夜の余裕の笑みは崩れない。
「すごい密度……、でも……」
裂かれた袖をクルリと回すと、輝夜の手元に『火鼠の皮衣』が宙空に姿を現す。
焼けず、焦げず、燃えずの衣。
どんな高温も通さない避火の秘宝が、霊力を注がれてその加護を発揮する。
燃え盛る皮衣が淡く輝き、避火結界が瞬時に、輝夜の周囲に展開される。
降りかかる炎の羽根は結界に触れると同時に消滅してゆく。
「単純ねぇ」
目前で起こる赤い輝きと消滅を眺めながら、輝夜は涼しい顔をしてそう呟いた。
しかし、炎を防がれた妹紅は笑い声を上げる。
「くくくッ、お前、私の姿が見えるかい?」
輝夜は何を?と思ったが、すぐさまその事態に気がつく。
明滅する炎が邪魔で、妹紅が何をしているか判らないのだ。
気がつけば、輝夜の周囲に霊力が収束していた。
「――はッ!?」
「皮衣ごと、爆ぜろぉお!」
妹紅の火気を帯び、圧縮された霊力は言葉と共に大爆発する。
鼓膜を破らんばかりの轟音と爆発の衝撃が輝夜を襲う。
輝夜の周囲に煙幕が漂う。
「爆ぜろッ、爆ぜろッ!」
妹紅が叫ぶたびに、二度、三度と火山の噴火を思わせる爆発が輝夜の周辺で巻き起こる。
普通の相手ならばこれで勝敗は決するだろう。
しかし、相手――輝夜は、妹紅と同じく普通ではない。
二人の間での、特別な弾幕ごっこのルール――背中か、両手両膝を地面に着いたら負け――がある。
二人はお互いに死んでも好きな場所で復活が可能なので、この条件を満たさなければ延々と戦い続ける事になる。
もうもうと巻き起こる煙幕に向けて、妹紅は一気に距離を詰める。
経験上、あれだけの爆発では彼女は死なない。
しかし、殺せない代わりに動きは封じられているはず。
「はははッ、これで私の勝ちだ!」
勝利宣言をし、『火の鳥』を生み出す為に右腕に炎を渦巻かせる。
煙幕が晴れ、ボロボロになった輝夜の姿を確認した時、輝夜を地面へ招待する為のとっておきである。
しかし、煙幕が晴れたときに妹紅が目にしたのは淡く光る鉢だった。
「残念ね、『仏の御石の鉢』よ……、そして、間に合ったわ……」
砕けず、割れず、傷つかずの石鉢。
『燕の子安貝』によって増幅された身体能力を得ていた輝夜は、一回目の爆発に巻き込まれながらもどうにか身を守ると、この秘宝の起動に成功していた。
霊力を注がれた石鉢は、輝夜を護る対物理障壁を展開し、続く二度、三度の爆発を防いでいた。
「なん、だと――ッ」
想定外の現実に、妹紅は虚を突かれ、動きが一瞬停止してしまう。
「くぅ……、しかし、今のお前にこの炎は防げないだろう!」
渦巻く炎を掌に集め、『火の鳥』を産み出す。
未だ、妹紅の勝利は揺るがない。
このまま火の鳥をぶつければ石鉢ごと輝夜を焼きながら地面へと押し遣れる。
「確かに防げない……、でも、間に合った、と言わなかったかしら?」
火の鳥が形成され、後は飛び立つばかりとなった時、妹紅の右手は手首から先を突然失った。
「つぁッ?」
火の鳥は飛び立つ事無く、離れてしまった右手を焼き尽くしながら落下していく。
一瞬の出来事に動きを止めた妹紅の四肢に、四色の光が突き刺さる。
四肢の関節を全て破壊された時、妹紅はやっと気がついた。
五色に輝く五つの宝玉が自分の周囲を旋回していた事に。
その宝玉こそが輝夜が間に合ったと言った秘宝――『龍の頸の玉』だった。
霊力を注がれた宝玉は、輝夜の意思で自由に飛び回り、雷光の如き五色の光で敵を穿つ。
「今度は私の番ね……」
翳る場所無しと謳われるほどの眩い美貌の少女は、手にした虹色に輝く玉を実らせた枝を優雅に振るう。
枝を振った軌跡に、虹色の玉が無数に生み出される。
そして枝の後を追うようにして、玉の群れはその数を増す。
枝が周囲をぐるりと回り終える頃には、七色の玉は膨大な数になっていた。
5つ目の秘宝『蓬莱の玉の枝』は、玉の増殖と操作を可能とする秘宝だった。
「そぁ、決着よ!」
黒髪の少女――輝夜は大きく枝を振り上げ――
「くっそぉおおおおッ」
燃え上がりながら、動かぬ我が身に悪態をつく白髪の少女――妹紅に向かって振り下ろす。
色取り取りの玉の群れは、正に虹色の瀑布となって妹紅の体を飲み込み、少女の体を容赦なく地面へと叩き付けた。
§ § §
土煙が朦々と立ち込める中、白髪の少女は血達磨になって地面に横たわっていた。
四肢の関節は完全に破壊されていて動かない。
切断された右腕。
身に纏う炎でいくらか防いだとは言え、膨大な量の玉をぶつけられグシャグシャになった全身。
さらには地面に激突して、花を手折ったように不自然に曲がった首。
全身が致命傷だらけであった。
あれだけの攻撃を受けて、人の形を留めているだけ良い方だろう。
まず生きてはいない。――これが普通の人間ならば。
しかし、白髪の少女は普通ではない。
その身は蓬莱の薬によって呪われていた。
全身の傷口から火の粉が吹き出し、発火する。
白髪の少女――藤原妹紅――の魂――は、肉体を新たに作り直す『復活』ではなく、蘇生を選んだらしい。
欠損した部分で燃え上がる炎は、徐々に肉となり、欠損した体を補う。
土煙が落ち着いた頃、死体に限りなく近かった少女は傷跡一つ無く全身元通りになっていた。
「――ッ、ケホケホ」
妹紅はまだ残る土煙でむせ、起き上がろうとして――やめた。
勝敗は決したのだ。
敗者は敗者らしく地面に伏していれば良い。
大の字になって仰向けになって横たわる妹紅の元に、黒髪の少女――輝夜が歩み寄る。
輝夜は嬉しそうに、妹紅の――憮然とした――顔を逆さまに覗き込む。
「あらあら、泥だらけねぇ。こんなに汚れちゃって……」
確かに妹紅の全身は、降りかかる土煙で汚れていた。
クスクスと笑う少女をジト目で見上げて、妹紅は反論する。
「……汚したのは誰よ?」
しかし輝夜はそれには答えず、はぐらかす様に笑う。
「うふふ、可愛い顔が台無しよ?」
「か、かゎ……、っ煩い!」
「もう、照れちゃって……」
ほんのりと頬を朱色に染めた妹紅は、もう一度「煩いッ」と言った。
輝夜はクスクス笑いながら妹紅の傍らに座る。
「くぅー、最後の一手。あれで近寄らなければ……」
「ふふ……、どうかしらねぇ?」
皮衣程度なら、『无』で切り裂くといった選択肢もあったのだ。
しかし、今更悔やんでも仕方が無いのは自分自身が一番良く知っていた。
だから妹紅はそれ以上言わないし、輝夜もその事については何も言わない。
「……さぁて、今日はどうしようかしら? この前は確か……」
敗者は勝者に大人しく従うか、もしくは目の前から退散する。
これが弾幕ごっこのルールである。
「明日は絶対に勝つからな!」
何をしてやろうかと、上機嫌でアレコレ考えていた輝夜は、妹紅の負け惜しみの言葉を聞いて暫し思案する。
「そう、ねぇ……」
クスリと笑うと、輝夜は妹紅を見つめる。
「もし、その明日が来なかったらどうする?」
「……は?」
輝夜は何を言っているのだろう?
殺されても死なない私達に、来ない明日は無いと言うのに。
そんな事を思いながら妹紅は輝夜を見つめ返す。
「つまり、私達二人の日常よ。今まで続いた『在って当然の事』が、明日訪れなかったらどうする?」
この夜の出会いが突然無くなったらどうする?
輝夜はそう言いたいのだ。
妹紅は咄嗟に答えが出なかった。
なにせ、今までそんな事考えもしなかったから――
頭が空白になった妹紅に、輝夜は矢継ぎ早に質問する。
「もし私が、明日ここに来なかったら?」
「もし私が、幻想郷から出て行ったら?」
「もし私が、月に帰ってしまったら?」
「もし私が、死ん――」
「――言うな!」
死という単語を聞いたとたん、妹紅は吼えた。
地に伏していた体を起し向き直ると、輝夜を睨み付けた。
蓬莱人の死。
いつか誰かに聞いた気がする。
生者は血を失えば、肉体を維持できなくて死ぬ。
死者は地を失えば、居場所を失い存在は消える。
蓬莱人は知を失い、者から物となり意味を失う。
考えもせず、動く事もない、ただ在るだけの存在。
それはなんて、惨いのだろう。
そんなモノは生きているとは言いがたく、死と同意である。
「ここにお前が来ないのなら、直接永遠亭に乗り込んで私が殺してやる」
「幻想郷から出て行くのなら、外の世界まで追いかけて私が殺してやる」
「月に帰るのなら、月にだって行ってやる。そして月で私が殺してやる」
「いいか、お前は、私が殺すんだッ。だから、だから、死ぬなんて……」
輝夜の問いに答えながら、妹紅は大粒の涙をポロポロと零していた。
止めようのない感情が、妹紅を支配する。
妹紅は過去に彷徨ったのだ。
目的も無く千年もの間、独り孤独に。
そんな孤独な千年の後、殺し合いという、他者との係わり合いの楽しさを知ってしまった。
再び、独り孤独に捜し求め彷徨うなんて事は考えられなかった。
妹紅は流れる涙を拭う事無く続ける。
「私、がッ、お前を殺すんだッ。お前も、私を殺せば、いい、だろう?」
嗚咽が混じり、所々途切れる。
「ずっと、ずっと、永遠に、『今』を続ければ、いいじゃないかぁ」
全て言い終わる頃には、妹紅は迷子になった子供の様に泣きじゃくっていた。
「あぁ、泣かないで、泣かないで妹紅……」
輝夜は泣きじゃくる妹紅の頬にそっと手を添え、指で涙を拭う。
妹紅は嫌がる事無く涙を零し続ける。
「ごめんね妹紅、少し、意地悪が過ぎたわね……」
子供をあやす様に、輝夜は優しく妹紅の髪を撫で付ける。
「っくッ、ぁぅ、ひっく……」
どこにも逃がさないという意思表示だろうか?
それとも、いなくならないで欲しいという思いから?
グシュグシュと鼻を鳴らす妹紅は、輝夜の服の裾をぎゅっと握っていた。
「わ、私をおいて、いなくなるなんて、絶対に許さないから、な……」
俯きながら、小さくとだが、はっきりと呟いた妹紅の頭を、輝夜はそっと胸に抱き寄せる。
「私ね……、貴女との殺し合いはとても興奮するわ」
たとえ冗談でも、心を傷を抉ってしまった償いの代わりに、輝夜の口は本心を紡ぎだす。
「こうやって語らう一時なんかは、とても大切で……、大好きよ……」
妹紅は身動きせず、優しく紡がれる言葉を心に刻む。
「だからね妹紅、大丈夫、安心して……」
輝夜はぎゅっと、妹紅を抱きしめる。
輝夜の胸に抱かれたまま、妹紅は小さく頷いた。
「……うん……」
§ § §
暫くして、落ち着いた妹紅は自分の状態に気がつく。
「……はッ、ぁわわ」
恥ずかしくなった妹紅は、急いで離れようともがく。
しかし、輝夜は抱いている頭を離そうとしない。
「今日は私が勝ったんだから、大人しくしてもらうわよ?」
クスクスと輝夜は笑うと、妹紅を抱いたまま後ろにゆっくりと倒れる。
当然、抱かれたままの妹紅は、輝夜に重なるように倒れてしまう。
「ぁ……、ま、負けたから、……だぞ?」
妹紅は輝夜に重なったまま、言い訳を小さく呟いて横を向くと、言われたとおり大人しくなった。
「えぇ……、ふふ……」
その素直な様子に、輝夜は必死に笑いを噛み殺す。
夜空に浮かぶ月と、煌々と輝く星々を眺める。
静かな一時。
重なった妹紅の重みが心地よいのか、輝夜は目を細める。
妹紅は相変わらず恥ずかしそうに横を向いたままだった。
輝夜はぽつりと呟く。
「……これからも、ずっとずっと、殺し合いましょう」
妹紅はその言葉に頷き、返事をする。
「……うん……」
「……愛してるわ」
「……私、も……」