雨蛙の鳴く声が聞こえてくる。
輝夜は瑞々しい空気に満ちた竹林の中を、やや足早に進んでいた。
ふと思い立って妹紅にちょっかいでも出しに行こうかしら、と永遠亭を出たものの、少々間が悪かったようだ。
午前中から雲行きが微妙だったが、どうやら一雨降りそうな気配である。
ちょっと失敗だったかしら、とも思ったが、今更引き返すのも面倒だ。
緑の中を行くこと暫く。さわさわと鳴る竹の中、こじんまりとした佇まいの庵が見えて来た。
「ふう……まったく辺鄙なところに住んでるんだから」
同じように竹林の奥に住む自分のことは棚に上げて、着物の裾が汚れぬように地面すれすれまで降りた輝夜は庵の戸を叩いた。
「妹紅ー、いるんでしょー?」
以前に問答無用で戸を弾幕でぶち破ったところ、後日同じように永遠亭の戸を壊された経験から、輝夜は
「殺しに窺う時はまずノックから」という奇妙なルールを律儀に守っていた。親しき仲にも何とやら、である。
「もしもーし?」
返事が無い。
「出てこないなら戸を吹き飛ばすわよー」
……けろけろけろ。
輝夜の呼びかけに応えるのは、雨蛙の声ばかり。
せっかく足を運んだというのに、何たる仕打ち。
自分で勝手に訪ねてきたことをこれまた棚に上げ、輝夜は戸に手をかけた。
「お前は完全に包囲されている! 両手を上げて出てきなさい!」
いかにも建てつけの悪そうな戸をガタガタ言わせながら、輝夜は両手に力を込める。
「ぐぬぬ……」
あれ、こんなに開け辛かったかしら。
一抹の疑問が脳裏を掠めたが、細腕に懸命に力を込めて――
がららっ。
よし、開いた! そう思った次の刹那。
大きな丸太が、輝夜目掛けて凄まじい勢いで突っ込んできた。
「ひゃあっ! 助けちょめぎょっ」
咄嗟のことに反応できず、輝夜は身体をくの字に折り曲げて竹林の奥へと吹き飛んだ。
開いた戸の陰で手を叩いて爆笑している妹紅の姿がちらりと見えたが、間もなく輝夜の視界は暗転した。
ざんねん! かぐやのぼうけんは ここで おわってしまった!
……まさかあんなにストレートにひっかかるとは思わなかった。
妹紅は自作トラップ“てるよのボディで除夜の鐘”の効果に満足しつつ、丸太を庵の中へと運び込んだ。
今日の天気は今ひとつだが、良いものが見れたおかげで清々しい気分で過ごせそうだ。私ってナイス。
さて中断していた竹細工の作業に戻ろうか、と思ったそのとき。
けたたましい音を立てて戸が開かれ――
「ファッキン妹紅!」
「回復はやっ! てか何処でそんな言葉覚えてきたのよ」
あっさりと復活を果たした無職の姫君が、荒い息を吐きながら現れた。
先ほど罠にかかって吹き飛んでから、まだ一分くらいしか経っていない。
恐るべきは蓬莱人の生命力と言ったところか。
かなり無理をして戻ってきたのか、よく見ると首や手足が実に個性的な方向に曲がっている。子供が見たら泣き出すこと間違いなしだ。
ギクシャクした動きで敷居をまたぐと、輝夜は妹紅に掴みかかった。
「あんな姑息な真似をして、あなたにはプライドってものが無いの?」
「その姑息な真似とやらにあっさりかかったあんたに言われても、なんだかなあ」
「キィィィィッ!」
「はいはい、手を離す。私はちょっとやることがあるからね」
奇声を発する輝夜を軽くいなすと、妹紅は手馴れた様子で竹籠を編み始めた。
「……相も変わらず、地味な暮らしを送ってるわね」
「ちゃんと自給自足してるのよ。のんべんだらりと生きてるあんたと一緒にされるのは嫌だからね」
「貧相な庵で一人寂しく竹を弄ってるよりは、まだ無職のほうがいいわ」
「へいへい、そうでござんすか」
軽口の応酬をこなしつつ、黙々と指先を動かす妹紅。
「構ってくれないのね。寂しいわ」
「気色悪いこと言うんじゃないよ」
「……あら、あんなところにワーハクタクが」
「えっ? 今は里の学校の時間だから、ここには来ないはずだけど」
思わず視線を手元から外した妹紅の隙をついて輝夜は竹籠を掠め取り、ちろちろと燃えていた竈の中に放り込んだ。
「あっ」
「ふふふ、いい気味ね。さっきのお返しよ」
「あと少しで完成だったのに……!」
「残念だったわねえ」
「…………」
「ふふふ」
「…………(わなわな)」
「ふふふふ。馬鹿な妹紅」
「輝夜、おもてへ出ろ!」
「そう来なくっちゃ。殺りましょう!」
ぱらぱらと雨が降り出して来たのもお構いなしに、二人は竹林へと飛び出す。
間もなく響き渡った轟音に、雨宿りしようと集まった雀たちが面食らって逃げていった。
濡れた地面に、二つの人影が転がっている。
本日の殺し愛もまた、双方ともに大奮闘であった。
一足先に復活を遂げた妹紅に、まだ半分ほど焦げたままの輝夜が楽しげに語りかける。
「やっぱりイイわネ、こうして定期的に運動シなきゃ身体がなまっちゃウわ」
声帯も焦げているのか、声がところどころ歪んでいる。
荒い息を吐きながら、大の字になって横たわる妹紅は憎々しげに言葉を返した。
「勝手に押しかけられて運動とやらに付き合わされるほうの身にもなって欲しいわね」
「そういエば、ここ暫クは私が通い妻状態よネ。恥ずかしガらずに、永遠亭に来テ頂戴な」
「めんどい」
「うふフ、恥ずかシがらナくても良いのよ。永琳たちも、あなたのこと気に入ってルわ」
「変な実験につき合わされそうだし、御免だわ」
「残念。ほんト、何年経ってもあなたは私に心ヲ開いてくれないのね」
「開くだの開かないだの、人様の心を魚の干物みたいに言わないでよ」
幾何学状に竹で区切られた空から、ぱらぱらと雫が落ちてくる。
頭上の竹に当たった雫が跳ね返り、空を見上げる二人の瞳に飛び込んだ。
ぐにゃぐにゃと、瞳の中で緑の檻がいびつに歪む。
「あー、視界が滲むー」
「あら、泣いてるの?」
「いまさら数回死んだくらいで泣きやしないわよ。雨露が目に入っただけ」
「……私は泣きそうだけれど」
「へえ。そんなに熱かった?」
「冗談。……今が楽しすぎて、訳も分からず泣きそうになるのよ」
「そりゃ良かったね」
雨脚は次第に激しくなっているようだったが、火照った身体には丁度良いくらいだ。
二人は身体が濡れるのにも構わず、ただ横たわって空を眺めていた。
「――あなたも私も、ちょっと変わったわね」
「なに、突然」
「……別に。ただ、そう思っただけ」
「まあ、確かにねえ……。この世の中、本当に変わらないものなんて“変わらないものは何も無い”という法則くらいよねえ」
「………………」
あれっ、いま私なかなか深いこと言ったかも。輝夜、ぐうの音も出ないみたいね!
妹紅は少し自分に酔ってみた。
「………………」
「……今、私が言ったこと聞いてた?」
「やだ、着物の中に虫でも入ったのかしら。なんだかムズムズするわ」
「……私、けっこう深い発言したんだけどなー」
「えっ、何? 何か言ったかしら」
「こやつめ、ハハハ!」
「ハハハ!」
「聞け、人の話を!」
完全復活を遂げたばかりの輝夜の頭部に、燃える鉄拳が叩き込まれた。
「――妹紅へ。元気ですか? いまリザレクションしてます」
「うるさいボケ、復活すんな燃やすぞ」
「ごめんね、私不死身だから、ごめんね」
「うるさいだまれ、くたばれ」
「“金閣寺の一枚天井”撃っておきました。避けてね。撮影はしますか?」
「しないよ。帰れボケ輝夜」
せっかく良いこと言ったのに、これじゃ台無しだ。
妹紅は内心で溜息を吐くのだった。
いつの間にか雨は止んでいた。
疲れ果てた二人は庵の壁に寄りかかって、のろのろと逃げていく雨雲を眺めている。
「……結局、濡れ鼠になっちゃったわね」
「気持ちよく復活したのに、あなたがまた私をしばいたりするからでしょ」
「あんたが人の話を聞かないからでしょうが」
「このままじゃ風邪をひいてしまうわ」
「……それ、遠まわしに風呂に入れろって催促してると判断して良いの?」
「あら、妹紅にしては鋭いじゃない」
「あんたに言われると非常に釈然としないし癪だけど、風邪を引くのも嫌だしひとっ風呂浴びようかしらね」
妹紅はふっと息を吐くと立ち上がった。
「ありがとう、妹紅は親切ね。じゃあ私が一番風呂でいいかしら?」
にこにこしながら輝夜も立ち上がる。
「私が手を加えない限り水風呂のままだけど、それでも良いなら好きにしたら?」
「やだ、妹紅のいけず」
湯船に浸かるまでにまた紆余曲折があったが、結局二人は肩を並べて入浴と相成った。
終始にこにこしている輝夜とは対照的に、妹紅は仏頂面を浮かべたままである。
「あっ、見て妹紅。虹が出てるわよ」
「あ、ホントだ」
「やけに淡白な反応ね。寂しいじゃない」
「虹なんて腐るほど見てきたでしょ、あんたも私も」
「でも、何度見ても良いものよ。私は好きだけど、虹」
「まあ、あんたと一緒じゃなければもっと綺麗に見えるでしょうね」
「どうしたの、さっきからそんなにカリカリして。もっと心穏やかにいきましょうよ」
「……あんたがいる限り、永遠に無理」
ころころと笑う輝夜。
むすっとしたままの妹紅。
庵の屋根に挿された風車が、そんな二人を見下ろしながら回る。
からから、からから、
――から、からり。
“Raindrops in My Eyes”is End.
喰ってたビスケット噴いたじゃないか、どうしてくれる。
ネタと話とのテンポが中々よかったです。
>名前が無い程度の名前氏
モニターorキーボードは無事だったでしょうか。
ウケて頂けたようで光栄です。
>名前が無い程度の能力氏
カーチャンネタが使いたくてこの話を書いたようなものですから……
>SETH氏
マヨヒガを舞台に藍様がラッパー化する「YO! YO! 跋扈」についても、
信じたりしないで下さい。
>変身D氏
嫌でも延々と付き合っていくことになった相手ですから、敵意だけでなく
多少のお笑い精神を持って望んだほうが幸せ、かもしれません。