東方盛夏譚~香霖堂~・中編
霖之助はまだ戻ってきていない。
魔理沙が先ほど声をかけたら、「もう少しかかるから、ちょっと待っていてくれ。」という声が聞こえてきた。
チルノも再び何を探しているのか訊ねたが、返ってきた言葉は「まだ秘密だよ。」というものだった。
手伝おうとも思ったが、折角彼が自分達にギリギリまで秘密にすると言う趣向を凝らしてくれているのである。
彼の意を汲んで、そのまま待つことにした。
しかし、霖之助がその場から去ると急に話題が無くなり、魔理沙とチルノの二人の会話は途切れがちになった。
まぁ、あんな騒ぎが起こったばかりでは仕方あるまい。
「・・・」
「・・・」
時折風になびく風鈴の音も、やかましい蝉の声すらも押し消すような、妙に重い沈黙が縁側を包む。
そんな沈黙がしばらく続いた後、
「・・・なぁ、チルノ。」
不意に、魔理沙が口を開いた。
「何?」
縁の下に潜り込んでいたチルノが、それに答えるために顔を出す。
「さっきは・・・悪かったな。」
「何のこと?」
チルノは首をかしげ、顔全体で?マークを表現する。
「・・・ほうほう、流石はおバカなチルノ様なだけはある。嫌でも思い出させてやるよ。」
魔理沙は顔を赤くして青筋を浮かべながら、懐からゆっくりと八卦炉を取り出した。
「ちょ・・・ちょっとちょっと!!冗談!!冗談だってば!!さっきの弾幕ごっこのことでしょ!!」
「何だ覚えてたのか。お前のことだから本気で忘れたのかと思ったぜ。」
八卦炉を懐に戻す。
「いくらあたいだって、あんな体験百年経ったって覚えてるわよ!!ちょっとあんたが見たことも無いような顔してたから、からかおうとしただけだってば!!」
一応自分がバカであるということに自覚はあるらしい。
良い傾向だ。
いや、だからって誰かに多大なメリットがあるというわけでもないが。
「全く・・・この私がせっかく謝る気になったっていうのに、冗談は時と場所を選べ。」
チルノの冗談にひっかかった恥ずかしさを誤魔化すように、湯呑みの麦茶をぐいっと飲み干す。
「謝ろうとしたのは、問答無用でお前に弾幕打ち込んじまったことだよ。」
「あんたとか紅白とか殺人メイドとかなんてしょっちゅうのことじゃん、そんなの。」
「まぁそう言われちゃお終いなんだがな・・・。」
「だから気にしてないよ、全然。」
「へ?」
チルノのその言葉に魔理沙は思わずぽかんとし、間の抜けた表情をしてしまう。
「そりゃあたいだって、弾幕ごっこに負けるのは凄く悔しいし、不意打ちなんかされたら腹も立つよ。」
チルノは縁の下から這い出し、服の埃を払いながら魔理沙の隣に腰掛ける。
「でもさ・・・絶対に退屈なんてしないじゃない?」
そして、未だぽかんとしている魔理沙に満面の笑みを浮かべた。
「あの時、何であたいが魔理沙と紅白にいきなり弾幕ごっこで勝負を仕掛けたか分かる?」
「いきなりな答えを返した上に、これまたいきなりな質問だな・・・。」
『どうせ何も考えてなかったんだろ?』・・・とからかって答えようとも思ったが、チルノの顔は笑っていても、その眼差しは真剣なものだった。
しばらく考えた後、魔理沙は両手を上げて降参の意思を示した。
「あー・・・分からん降参だぜ。一体どんな理由だったんだ?」
「うん、実はね・・・」
そこまで言ってから、チルノは押し黙った。
そのまま再び沈黙がこの場におりる。
「あー、もう・・・さっさと言えよ。気になるじゃないか。」
だんだんと焦れてきたのか、魔理沙が少しいらいらとしながら促す。
それに応じるように、再び口を開いた。
「実はね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気晴らし。」
魔理沙が再び懐に手を伸ばした。
「あ゛ー!!ちょっと待ってちょっと待って!!話は最後まで聞いてよお願いだから!!」
「・・・ちっ、運のいい奴だ・・・まぁいいだろう、聞いてやるぜ。」
再び手を元に戻す。
「全くもう・・・。あのね・・・」
気を取り直してチルノは話し始める。
「魔理沙は、今あたいとレティがあの幽霊お嬢のところにいるのは知ってるよね?」
ああ、と魔理沙は頷く。
チルノの言う幽霊お嬢、西行寺幽々子が居を構える冥界は、四季こそあるものの、暑くも無く寒くも無く、時折霊が発する冷気を気にしなければ、正に楽園といっても過言ではない。
暑さに非常に弱いチルノたち氷精にとっては夏の暑さを逃れる絶好の場所と言えた。
無論、魔理沙もその事実は既に知っている。
「あそこのおかげで、あたいとレティはいつでもいっしょにいられる。けどね・・・それって結構最近のことなんだ。」
以前ある事件によって現世との結界が壊れてから、生きた者も足を運べるようになって以来、冥界はちょっとした観光地として知られていた。
・・・とはいっても主に妖怪専門だが。
「そりゃあ、冥界に行けるようになったのは去年の春だし、最近に決まってるだろ?」
「・・・気付かない?魔理沙。レティは、本当だったら冬にしか幻想郷にいられないんだよ?」
思わず、あ・・・と声を上げる魔理沙。
忘れていた。魔理沙も頻繁に冥界を訪れてレティに何度も会っているため、それが普通だと思ってしまっていた。
レティは冬をすぎると冬眠・・・つまり姿を消してしまう。
春の暖かさ、そして夏の暑さによってその身に蓄えた冷気を失うことによって。
だが冥界にはたとえどんな季節であっても、霊が発する冷気が存在する。
霊が発するそれは、人間にとっては身をも凍らせるほどの冷たさとなり、冬に生きる妖怪たちにとっては、母の腕の中にも似た安らぎの源となる。
つまり・・・冥界に留まることは、レティが冬以外に現世に身体を残す最後の手段なのだ。
「あたいはそれまで春とか夏にはずーっとひとりぼっち。大妖精はずっといたけど、あたいって他の妖精には嫌われてるじゃない?だからあいつ、あたいの前ではいつも変に気を遣ってて・・・だから何だかあたいも本気で遊べなくってさ・・・。」
チルノの普段の態度はまるで子供だが、何十年も生きている妖精でもあるのだ。
自分が他の陽気を好む妖精たちにとって異質な存在であること。
そして彼らにどう思われているか。
それぐらいは理解できる。
そして、他人にそれなりに気を遣うことも出来る程度の分別もあるにはあるのだ。
「冬になれば、レティに会える・・・一緒に遊んでもらえる・・・かまってもらえる・・・甘えられる。そう思って頑張ってきたんだ・・・きたんだけど・・・」
チルノは膝を抱え、そこに顔をうずめた。
寂しげに、そして何かに耐えるように。
「・・・ある時、唐突に思っちゃったんだ・・・レティはいつまであたいが知ってるレティでいてくれるんだろう?・・・ってさ。」
声も小さく途切れ途切れになっていく。
心なしか表情は暗くなり、青ざめてしまっている。
「春と夏の間にレティは姿を消してる・・・だけど実はそれは本当に消えちゃってるだけで、次の冬にはもう会えないかもしれない・・・会えたとしても、もう私のことなんか覚えてないかもしれない・・・」
だんだんと声に嗚咽が混じっていく。
「そう思うと何だか・・・怖く・・・なってさ・・・。」
ぐずっと鼻をすすり、溢れ出そうになった涙を拭いて、チルノは魔理沙を見た。
「でも去年の夏、もう我慢できなくなりそうになった時に・・・魔理沙と紅白が湖の上に来たんだ。」
昨年の夏、湖に浮かぶ島に築かれた吸血鬼の館・紅魔館の主、レミリア・スカーレットが起こした紅霧異変。
それを解決するため湖を彷徨っていた博麗神社の巫女・博麗霊夢と、面白がって付いてきていた霧雨魔理沙は、そこで一人の妖精に出会った。
それが、チルノだった。
「勿論、人間なんかがあたいの縄張りに入ってきたから追い返してやろうとも思ってたけどさ・・・本当は、一人でウジウジ考えてるとどんどん膨らんでく不安から逃げたかっただけだったんだ・・・要するに気晴らし。」
魔理沙は黙ってチルノの話を聞いている。
その表情は特に変わることなく、彼女に続きを促すように見つめていた。
「それでけちょんけちょんに二人に負けて、次は勝ってやる、次はこうしてやるとか魔理沙たちとやる弾幕ごっこのことに夢中になってたら、あっという間に冬になって、レティにも会えて、そのままずっと一緒にいられるようになってた。」
チルノは縁側を降りて魔理沙の正面に立ち、じっと魔理沙を見つめた。
「紅白はあまり付き合ってくれなかったけど、魔理沙はいつもあたいと勝負してくれた。あたいが負けても、馬鹿にしたりはしたけど、見下したりはしなかった。」
相手がそんな魔理沙だったからこそ、自分は頑張れた。
そのおかげで彼女は時を、自分の中の不安を、一時忘れることが出来た。
そして今でも、自分をかまってくれる、一緒にいてくれる。
それが、とても嬉しかった。
「負けて悔しくても、すごく痛くっても・・・それ以上に、魔理沙に感謝してる。」
それはいつもは恥ずかしくて言えない言葉。素直になれないチルノが、ずっと心にとどめていた言葉。
今日は何故だか、その言葉が素直に言えた。
「・・・ありがとう。」
最後にもう一回、チルノは魔理沙に礼を言った。
しばらく、二人の間には沈黙があった。
縁側に座った魔理沙と、その前に立つチルノ。
お互いに見つめあったまま、動かない。
ただあたりには蝉の声と、風鈴の音色だけが響く。
「あー・・・」
不意に、魔理沙が口を開いた。
どこか恥ずかしそうに、そっぽを向きながら。
「私はただ、生意気に噛み付いてきたガキンチョをお追っ払ってただけだぜ?」
特に何をしたってわけでもない、と言ってお茶請けの煎餅を齧った。
そして、
「まぁでも・・・」
チルノのほうを向いて満面の笑みを浮かべて、言った。
「お役に立てたのなら・・・・・・・光栄だぜ。」
チルノもつられて、笑みを浮かべた。
そのまま二人は笑いあい、
その場を包んでいた沈黙は、影も残らず消え去った。
丁度その時、霖之助が戻ってきた。
「いやすまない、思いのほか手間取ってしまったよ。」
彼は二人揃って笑う彼女達を見て、不思議そうに訊ねた。
「何か楽しいことでもあったのかい?」
そんな霖之助の顔を見て、魔理沙とチルノは顔を見合わせ、
「「それは乙女の秘密」」
「だぜ。」
「だよ。」
可笑しそうに、また笑った。
自分を見て笑い出す二人の様子に少し困惑した霖之助だったが、気を取り直して持っていた物を置く。
それは少し小ぶりの行李だった。
「・・・?ねぇこーりん・・・何コレ?」
「それは開けてからのお楽しみさ。きっとチルノも気に入ると思うよ。」
「何だ何だ?珍しいマジックアイテムか?それとも秘蔵の魔術書か何かか?」
「ははは・・・残念ながら、そういうものではないよ。」
魔理沙とチルノはその後も何個か質問をしたが、霖之助は少し意地悪そうにはぐらかした。
「うーん・・・うーん・・・駄目だわかんない!!こうさーん!!」
「私も駄目だ。もうこれ以上に思い当たる節が無いぜ。」
色々と考えてうんうん唸っていた二人は、終に音を上げた。
「それじゃあ、答えを教えてあげるよ。」
霖之助はそう言って、行李をゆっくりと開ける。
そこには・・・
「わぁ・・・綺麗・・・」
「へぇ・・・こりゃあ・・・」
色とりどりの生地で出来た、浴衣があった。
それも大小合わせて十着以上ある。
「凄い凄い!!ねぇこーりん!!これってどれでも着ていいの?」
「ああ、勿論だよ。そのために持ってきたんだから。」
「ありがとう!!ど・れ・に・し・よ・う・か・な~♪・・・」
チルノは数着を一気に取り出し、両手に持ってうきうきした様子で選び始める。
その姿は、大好きなおもちゃのうち、どれを買おうか迷っている子供のように見える。
「全くガキってヤツは・・・」
そう言って呆れる魔理沙だが、その表情は負けず劣らず楽しそうだ。
魔理沙は一枚一枚丁寧に取り出して、それぞれに懐かしそうな視線を送る。
霖之助が着ていた数枚を除いて、他全てはかつて魔理沙が着ていたものだ。
「おい香霖、見てみろよコレ。」
その中で最も小さい浴衣を手に取った魔理沙は、霖之助の鼻先に突き出した。
「確かこれって、昔私がワガママ言ったら香霖が作ってくれたんだよな。」
「ああ・・・その時のことは僕も良く覚えてるよ。」
確か季節は今と同じ夏。
幼い頃から修行三昧だった彼女にとって、夏祭りは数少ない羽を伸ばせる行事であった。
そんな時にも、魔女の証である黒の服を着て行かなければならないことに、内心不満を抱いていたのだろう。
霖之助と行った夏祭りの帰りに親、子連れが着ていた浴衣を見て、家に帰った魔理沙は彼に向かってこう言い放った。
(おいこーりん!!アレきてみたいからつくれ!!)
「そう言って、師匠・・・お祖父さんから拳骨を食らったんだよな、君は。」
「まだ五歳だったんだぜ?我儘の一つぐらい普通の年頃だってのに叩きやがって・・・」
「我儘云々の前に、物の頼み方がまずかったと思うんだけどね、僕は。」
むーっとしかめ面をする魔理沙。
その様子に苦笑する霖之助。
その構図は、魔理沙が幼い頃から今に至るまで続いている。
霖之助は様々な浴衣を手にとっては懐かしむ魔理沙を見ながら、自分が着ていた物を手に取った。
それは普段着ている衣服と変わらないような柄の、地味な浴衣。
ただしその大きさは、今と寸分と違わない。
子供だった魔理沙は大きくなって、一人前の魔法使いになったというのに。
店を開いた時に植えた苗木は、見上げるほどの大木になったというのに。
自分は、まるで変わらない。
霖之助には、それが寂しくてたまらなかった。
思わず浴衣をきつく握り締め、表情は強張る。
「あ・・・」
その目の前に、にゅっと鮮やかな色の浴衣が突き出された。
それは魔理沙が十歳になったころ、自分が作った浅葱色の浴衣。
「ねぇねぇ!!こーりん!!コレ!!コレ着てみたいんだけど、いいでしょ!?」
浴衣を選ぶのに熱中しすぎて会話に入ってこなかったチルノが、ようやくお気に入りのものを見つけたようだ。
興奮のあまり、顔が上気してしまっている。
そんな少女の笑顔を見ていたら、自分の胸にあった寂寥感も忘れて微笑んでいた。
「ああ、チルノにはぴったりの色だから、きっと似合うと思うよ。」
「ホント?やった!!」
霖之助の言葉に気を良くしたチルノは浴衣に袖を通し、服の上に羽織るようにしてから、くるりと回転して見せた。
「ねぇねぇねぇ!!似合う似合う!?」
爽やかな浅葱色が、彼女の青の髪と共に霖之助の視界に踊る。
その涼しげな鮮やかさに、霖之助は目を奪われた。
だから彼は正直に感想を口にした。
「とても綺麗だ。見惚れてしまうよ。」
「・・・え?ほ・・・ホント・・・?」
チルノは顔をさらに上気させ、もじもじと恥ずかしそうにうつむく。
・・・・霖之助はそんな彼女の様子に気付いていなかったが。
「ああ、昔の魔理沙よりも似合っているよ。」
「ほーう・・・?そいつは聞き捨てならないな。」
霖之助の後ろにはいつの間にか魔理沙がいた。
ぞくり
全身が粟立つような殺気に思わず振り向く霖之助。
思わず顔には冷や汗が浮かぶ。
間一髪。
早いうちに気がついたので、魔理沙の機嫌はすぐに直った。
・・・危ない危ない。
・・・もう少しで昼間の二の舞を踏むところだった。
霖之助は心の中で安堵のため息をついた。
「あ・・・ああ、魔理沙。君も選び終わったのかい?」
「ああ決まったぜ、とは言っても今の私が着られるような丁度いいやつはあまり無かったけどな。」
そういう魔理沙の手には、青と白の鮮やかな模様の浴衣が一つ。
「これは・・・去年作った物か。」
「ああ、あの時はレミリアの奴のせいで行けなかったからな。リベンジの意味も兼ねてこれにしたぜ。」
ここ数年魔理沙は研究や新しいスペルカードの開発に忙しく、夏祭りにはなかなか行けなかった。
昨年やっとそれらにメドが付き、ようやく夏祭りに行くことができるようになったのだが・・・
昨年の夏祭りは開催される前に、例の紅霧異変が起こってしまったため中止となった。
その時の魔理沙ときたら、博麗神社に行って巫女にたかり、飯を食べるわ酒は飲むわ、人形使いの魔法使いの家に行き、彼女のコレクションを手当たり次第借りに行くわ(奪ったとも言う)と、周囲に当り散らした。
・・・普段どおりじゃないか、とは決して言ってはいけない。
・・・ちなみにそのときの悔しさが、彼女を事件解決のために奔走させる原動力の一つとなったことは、魔理沙一人だけの秘密だ。
はしゃいでいたチルノも興味を引かれたのか、覗き込んできた。
「へぇー、きれーい・・・これもこーりんが作ったの?」
「ああ、夏になると毎年作っているんだ。夏祭りのためにね。」
「しかもかなり凝ったやつをいつもこしらえて来てな・・・適当でいいって言ってるのに、お前って無駄に几帳面だよな、香霖。」
「ははは・・・魔理沙の喜ぶ顔が見たいからね。何だかんだ言って結構期待しているだろう?君は。」
「う・・・あ・・・だ・・・だから何でお前はそういうことを平然と・・・」
魔理沙は霖之助の言葉に顔を赤くして目をそらした。
耳まで赤くなっているところが初々しい。
それを見たチルノが、ここぞとばかりにはやし立てた。
「あー!魔理沙顔が真っ赤だぞー!?」
「や・・・やかましい!!」
「ん?顔が真っ赤だよ魔理沙・・・もしかして熱でもあるのかい?」
「わー!!わー!!何でもないって言ってるだろうが!!」
霖之助が魔理沙の熱を測る、測らないでまたひと悶着起こりそうになったが、何とか収まり、浴衣に着替えるところまでこじつけた。
しかしここで問題が一つ。
「ねー、こーりん・・・コレってどうやって着るの?」
「むう・・・私もここしばらく着てなかったからな・・・。」
「うーん・・・困ったな。」
浴衣の着付けを出来るのが、霖之助しかいないのである。
元々浴衣の着付けは複雑なもので、素人が説明を受けてぽっとできるような代物ではない。
魔理沙は着付けの仕方を忘れてしまい、チルノは普段着ている服以外のものを身に着けること自体が初めてだ。
それにバカだから、聞いたそばから忘れるに違いない・・・これは魔理沙の談である。
そして、それ以上に深刻な問題があった。
「僕が直接教えるわけにも行かないし・・・。」
着付けを知っている唯一の人物が男で、残りの二人が女性だということだ。
分かり易く説明するには、実際目の前でやって見せたり、帯を締めるのを手伝ったりした方が効率がいいのだが、異性同士ではそういうわけにも行かない。
「あたいはそれでも別にかまわないんだけどなー。」
「お・・・お前は大丈夫でも、私が駄目なんだ。」
赤くなってうつむく魔理沙。
対してチルノは全く平然とした顔をしている。
基本的に妖精は女性が多いため、こういったことに免疫が無いのだろう。
霖之助はしばらく考え込んだ後、眉をしかめながら、
「うーん・・・仕方が無い。まだ子供だし、いいと言っていることだから、チルノの着付けは僕が見るよ。魔理沙は僕がメモを用意するから、悪いけどそれを見て何とかしてくれ。何度も着たことがあるわけだし、そのうち思い出すだろう?」
そう提案した。
それを聞いた魔理沙は、がばっと立ち上がって叫んだ。
興奮するあまり、顔が上気するのを通り越して蒸気が出てしまっている。
「・・・・ッ!!あー!!駄目だ駄目だ!!却下却下!!そんな提案無しだ!!」
「しかし他に代案が無い以上、仕方が無いだろう?」
「でも駄目だっ!!絶対に駄目だぞ!!」
「・・・何でそこまで反対するんだい魔理沙?何か不味いことでも?」
「そーだよそーだよ、何でなの魔理沙?」
チルノも一緒に抗議してくるが、その顔はどこか勝ち誇っているようにも見える。
・・・まあ彼女の場合は特に深い意味は無く、しばらくの間霖之助を独り占めできることが嬉しいだけなのだろう。
一緒に着替える、ということには何の感慨も抱いてはいない。
「あー・・・・うー・・・・そ・・・それはー・・・・そのー・・・・」
思春期まっさかりの魔理沙にとってはそうはいかない。
彼女が普段押し隠している感情を考えれば、複雑なことを想像してしまうのもむべなるかな。
「ああ、そうか。」
ぽんと手を打ち、一人で納得する霖之助。
「何か別の考えがあるってことか。どういう案なんだい?」
(・・・こ、こいつは・・・っ!!・・・人の気も知らないで・・・!!)
魔理沙は霖之助のあまりの鈍感さに、ノンディレクショナルレーザーをぶちかましたくなるが、何とか踏みとどまる。
その前に、何とかこの場を誤魔化さなくては。
「も・・・勿論だぜ、あっと驚いても知らんぞ。」
そう言って魔理沙は髪を掻き揚げて、格好をつける。
そして思わせぶりに押し黙る。
無論、時間稼ぎだ。
「で、どんな考えなんだい?」
「何?どんな考えなの魔理沙!!」
チルノもそんな魔理沙の心を知ってか知らずか、急かしてくる。
「ふっふっふっふ・・・そんなに聞きたいかチルノ・・・?(あー、えーっと・・・くそマジでやばいぜ)」
「聞きたい聞きたい!!何?何?何なの!?」
「そうかぁ・・・そんなに知りたいか・・・。(あー、もうこのバカチルノ!!焦らせるんじゃない!!)」
「ねー、早く教えてよ魔理沙―。」
「いーや・・・そう簡単には教えられんなぁ。(やばいぜやばいぜやばくて死ぬぜ)」
常人ならばここで焦れば焦るほど考えが浮かばない、浮かばないから焦る、といった悪循環にはまるのが普通だが、そこは流石幻想郷最強の魔法使いの一人、霧雨魔理沙である。
いよいよ追い詰められてから、彼女の中であるアイデアが閃いた。
(こ・・・これだ!!)
追い詰められていた魔理沙はすぐさまこれに飛びついた。
「ねーねーねー!!一体何なのよー!?」
「あまり焦らさないで早く教えてくれないか?こっちまで気になってしまうじゃないか。」
「ふっふっふ・・・いいだろう香霖、チルノ・・・」
芝居がかった動作で帽子のつばをぴんと弾き、不敵に笑った。
「簡単さ。・・・私たちと同姓で、着付けを知っている奴をここまで連れてくりゃいいんだ。・・・私たちの知り合いで、いつも暇そうにしてる奴をな。」
その時の魔理沙の顔は、悪戯を思いついた童のようだった。
霖之助はまだ戻ってきていない。
魔理沙が先ほど声をかけたら、「もう少しかかるから、ちょっと待っていてくれ。」という声が聞こえてきた。
チルノも再び何を探しているのか訊ねたが、返ってきた言葉は「まだ秘密だよ。」というものだった。
手伝おうとも思ったが、折角彼が自分達にギリギリまで秘密にすると言う趣向を凝らしてくれているのである。
彼の意を汲んで、そのまま待つことにした。
しかし、霖之助がその場から去ると急に話題が無くなり、魔理沙とチルノの二人の会話は途切れがちになった。
まぁ、あんな騒ぎが起こったばかりでは仕方あるまい。
「・・・」
「・・・」
時折風になびく風鈴の音も、やかましい蝉の声すらも押し消すような、妙に重い沈黙が縁側を包む。
そんな沈黙がしばらく続いた後、
「・・・なぁ、チルノ。」
不意に、魔理沙が口を開いた。
「何?」
縁の下に潜り込んでいたチルノが、それに答えるために顔を出す。
「さっきは・・・悪かったな。」
「何のこと?」
チルノは首をかしげ、顔全体で?マークを表現する。
「・・・ほうほう、流石はおバカなチルノ様なだけはある。嫌でも思い出させてやるよ。」
魔理沙は顔を赤くして青筋を浮かべながら、懐からゆっくりと八卦炉を取り出した。
「ちょ・・・ちょっとちょっと!!冗談!!冗談だってば!!さっきの弾幕ごっこのことでしょ!!」
「何だ覚えてたのか。お前のことだから本気で忘れたのかと思ったぜ。」
八卦炉を懐に戻す。
「いくらあたいだって、あんな体験百年経ったって覚えてるわよ!!ちょっとあんたが見たことも無いような顔してたから、からかおうとしただけだってば!!」
一応自分がバカであるということに自覚はあるらしい。
良い傾向だ。
いや、だからって誰かに多大なメリットがあるというわけでもないが。
「全く・・・この私がせっかく謝る気になったっていうのに、冗談は時と場所を選べ。」
チルノの冗談にひっかかった恥ずかしさを誤魔化すように、湯呑みの麦茶をぐいっと飲み干す。
「謝ろうとしたのは、問答無用でお前に弾幕打ち込んじまったことだよ。」
「あんたとか紅白とか殺人メイドとかなんてしょっちゅうのことじゃん、そんなの。」
「まぁそう言われちゃお終いなんだがな・・・。」
「だから気にしてないよ、全然。」
「へ?」
チルノのその言葉に魔理沙は思わずぽかんとし、間の抜けた表情をしてしまう。
「そりゃあたいだって、弾幕ごっこに負けるのは凄く悔しいし、不意打ちなんかされたら腹も立つよ。」
チルノは縁の下から這い出し、服の埃を払いながら魔理沙の隣に腰掛ける。
「でもさ・・・絶対に退屈なんてしないじゃない?」
そして、未だぽかんとしている魔理沙に満面の笑みを浮かべた。
「あの時、何であたいが魔理沙と紅白にいきなり弾幕ごっこで勝負を仕掛けたか分かる?」
「いきなりな答えを返した上に、これまたいきなりな質問だな・・・。」
『どうせ何も考えてなかったんだろ?』・・・とからかって答えようとも思ったが、チルノの顔は笑っていても、その眼差しは真剣なものだった。
しばらく考えた後、魔理沙は両手を上げて降参の意思を示した。
「あー・・・分からん降参だぜ。一体どんな理由だったんだ?」
「うん、実はね・・・」
そこまで言ってから、チルノは押し黙った。
そのまま再び沈黙がこの場におりる。
「あー、もう・・・さっさと言えよ。気になるじゃないか。」
だんだんと焦れてきたのか、魔理沙が少しいらいらとしながら促す。
それに応じるように、再び口を開いた。
「実はね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気晴らし。」
魔理沙が再び懐に手を伸ばした。
「あ゛ー!!ちょっと待ってちょっと待って!!話は最後まで聞いてよお願いだから!!」
「・・・ちっ、運のいい奴だ・・・まぁいいだろう、聞いてやるぜ。」
再び手を元に戻す。
「全くもう・・・。あのね・・・」
気を取り直してチルノは話し始める。
「魔理沙は、今あたいとレティがあの幽霊お嬢のところにいるのは知ってるよね?」
ああ、と魔理沙は頷く。
チルノの言う幽霊お嬢、西行寺幽々子が居を構える冥界は、四季こそあるものの、暑くも無く寒くも無く、時折霊が発する冷気を気にしなければ、正に楽園といっても過言ではない。
暑さに非常に弱いチルノたち氷精にとっては夏の暑さを逃れる絶好の場所と言えた。
無論、魔理沙もその事実は既に知っている。
「あそこのおかげで、あたいとレティはいつでもいっしょにいられる。けどね・・・それって結構最近のことなんだ。」
以前ある事件によって現世との結界が壊れてから、生きた者も足を運べるようになって以来、冥界はちょっとした観光地として知られていた。
・・・とはいっても主に妖怪専門だが。
「そりゃあ、冥界に行けるようになったのは去年の春だし、最近に決まってるだろ?」
「・・・気付かない?魔理沙。レティは、本当だったら冬にしか幻想郷にいられないんだよ?」
思わず、あ・・・と声を上げる魔理沙。
忘れていた。魔理沙も頻繁に冥界を訪れてレティに何度も会っているため、それが普通だと思ってしまっていた。
レティは冬をすぎると冬眠・・・つまり姿を消してしまう。
春の暖かさ、そして夏の暑さによってその身に蓄えた冷気を失うことによって。
だが冥界にはたとえどんな季節であっても、霊が発する冷気が存在する。
霊が発するそれは、人間にとっては身をも凍らせるほどの冷たさとなり、冬に生きる妖怪たちにとっては、母の腕の中にも似た安らぎの源となる。
つまり・・・冥界に留まることは、レティが冬以外に現世に身体を残す最後の手段なのだ。
「あたいはそれまで春とか夏にはずーっとひとりぼっち。大妖精はずっといたけど、あたいって他の妖精には嫌われてるじゃない?だからあいつ、あたいの前ではいつも変に気を遣ってて・・・だから何だかあたいも本気で遊べなくってさ・・・。」
チルノの普段の態度はまるで子供だが、何十年も生きている妖精でもあるのだ。
自分が他の陽気を好む妖精たちにとって異質な存在であること。
そして彼らにどう思われているか。
それぐらいは理解できる。
そして、他人にそれなりに気を遣うことも出来る程度の分別もあるにはあるのだ。
「冬になれば、レティに会える・・・一緒に遊んでもらえる・・・かまってもらえる・・・甘えられる。そう思って頑張ってきたんだ・・・きたんだけど・・・」
チルノは膝を抱え、そこに顔をうずめた。
寂しげに、そして何かに耐えるように。
「・・・ある時、唐突に思っちゃったんだ・・・レティはいつまであたいが知ってるレティでいてくれるんだろう?・・・ってさ。」
声も小さく途切れ途切れになっていく。
心なしか表情は暗くなり、青ざめてしまっている。
「春と夏の間にレティは姿を消してる・・・だけど実はそれは本当に消えちゃってるだけで、次の冬にはもう会えないかもしれない・・・会えたとしても、もう私のことなんか覚えてないかもしれない・・・」
だんだんと声に嗚咽が混じっていく。
「そう思うと何だか・・・怖く・・・なってさ・・・。」
ぐずっと鼻をすすり、溢れ出そうになった涙を拭いて、チルノは魔理沙を見た。
「でも去年の夏、もう我慢できなくなりそうになった時に・・・魔理沙と紅白が湖の上に来たんだ。」
昨年の夏、湖に浮かぶ島に築かれた吸血鬼の館・紅魔館の主、レミリア・スカーレットが起こした紅霧異変。
それを解決するため湖を彷徨っていた博麗神社の巫女・博麗霊夢と、面白がって付いてきていた霧雨魔理沙は、そこで一人の妖精に出会った。
それが、チルノだった。
「勿論、人間なんかがあたいの縄張りに入ってきたから追い返してやろうとも思ってたけどさ・・・本当は、一人でウジウジ考えてるとどんどん膨らんでく不安から逃げたかっただけだったんだ・・・要するに気晴らし。」
魔理沙は黙ってチルノの話を聞いている。
その表情は特に変わることなく、彼女に続きを促すように見つめていた。
「それでけちょんけちょんに二人に負けて、次は勝ってやる、次はこうしてやるとか魔理沙たちとやる弾幕ごっこのことに夢中になってたら、あっという間に冬になって、レティにも会えて、そのままずっと一緒にいられるようになってた。」
チルノは縁側を降りて魔理沙の正面に立ち、じっと魔理沙を見つめた。
「紅白はあまり付き合ってくれなかったけど、魔理沙はいつもあたいと勝負してくれた。あたいが負けても、馬鹿にしたりはしたけど、見下したりはしなかった。」
相手がそんな魔理沙だったからこそ、自分は頑張れた。
そのおかげで彼女は時を、自分の中の不安を、一時忘れることが出来た。
そして今でも、自分をかまってくれる、一緒にいてくれる。
それが、とても嬉しかった。
「負けて悔しくても、すごく痛くっても・・・それ以上に、魔理沙に感謝してる。」
それはいつもは恥ずかしくて言えない言葉。素直になれないチルノが、ずっと心にとどめていた言葉。
今日は何故だか、その言葉が素直に言えた。
「・・・ありがとう。」
最後にもう一回、チルノは魔理沙に礼を言った。
しばらく、二人の間には沈黙があった。
縁側に座った魔理沙と、その前に立つチルノ。
お互いに見つめあったまま、動かない。
ただあたりには蝉の声と、風鈴の音色だけが響く。
「あー・・・」
不意に、魔理沙が口を開いた。
どこか恥ずかしそうに、そっぽを向きながら。
「私はただ、生意気に噛み付いてきたガキンチョをお追っ払ってただけだぜ?」
特に何をしたってわけでもない、と言ってお茶請けの煎餅を齧った。
そして、
「まぁでも・・・」
チルノのほうを向いて満面の笑みを浮かべて、言った。
「お役に立てたのなら・・・・・・・光栄だぜ。」
チルノもつられて、笑みを浮かべた。
そのまま二人は笑いあい、
その場を包んでいた沈黙は、影も残らず消え去った。
丁度その時、霖之助が戻ってきた。
「いやすまない、思いのほか手間取ってしまったよ。」
彼は二人揃って笑う彼女達を見て、不思議そうに訊ねた。
「何か楽しいことでもあったのかい?」
そんな霖之助の顔を見て、魔理沙とチルノは顔を見合わせ、
「「それは乙女の秘密」」
「だぜ。」
「だよ。」
可笑しそうに、また笑った。
自分を見て笑い出す二人の様子に少し困惑した霖之助だったが、気を取り直して持っていた物を置く。
それは少し小ぶりの行李だった。
「・・・?ねぇこーりん・・・何コレ?」
「それは開けてからのお楽しみさ。きっとチルノも気に入ると思うよ。」
「何だ何だ?珍しいマジックアイテムか?それとも秘蔵の魔術書か何かか?」
「ははは・・・残念ながら、そういうものではないよ。」
魔理沙とチルノはその後も何個か質問をしたが、霖之助は少し意地悪そうにはぐらかした。
「うーん・・・うーん・・・駄目だわかんない!!こうさーん!!」
「私も駄目だ。もうこれ以上に思い当たる節が無いぜ。」
色々と考えてうんうん唸っていた二人は、終に音を上げた。
「それじゃあ、答えを教えてあげるよ。」
霖之助はそう言って、行李をゆっくりと開ける。
そこには・・・
「わぁ・・・綺麗・・・」
「へぇ・・・こりゃあ・・・」
色とりどりの生地で出来た、浴衣があった。
それも大小合わせて十着以上ある。
「凄い凄い!!ねぇこーりん!!これってどれでも着ていいの?」
「ああ、勿論だよ。そのために持ってきたんだから。」
「ありがとう!!ど・れ・に・し・よ・う・か・な~♪・・・」
チルノは数着を一気に取り出し、両手に持ってうきうきした様子で選び始める。
その姿は、大好きなおもちゃのうち、どれを買おうか迷っている子供のように見える。
「全くガキってヤツは・・・」
そう言って呆れる魔理沙だが、その表情は負けず劣らず楽しそうだ。
魔理沙は一枚一枚丁寧に取り出して、それぞれに懐かしそうな視線を送る。
霖之助が着ていた数枚を除いて、他全てはかつて魔理沙が着ていたものだ。
「おい香霖、見てみろよコレ。」
その中で最も小さい浴衣を手に取った魔理沙は、霖之助の鼻先に突き出した。
「確かこれって、昔私がワガママ言ったら香霖が作ってくれたんだよな。」
「ああ・・・その時のことは僕も良く覚えてるよ。」
確か季節は今と同じ夏。
幼い頃から修行三昧だった彼女にとって、夏祭りは数少ない羽を伸ばせる行事であった。
そんな時にも、魔女の証である黒の服を着て行かなければならないことに、内心不満を抱いていたのだろう。
霖之助と行った夏祭りの帰りに親、子連れが着ていた浴衣を見て、家に帰った魔理沙は彼に向かってこう言い放った。
(おいこーりん!!アレきてみたいからつくれ!!)
「そう言って、師匠・・・お祖父さんから拳骨を食らったんだよな、君は。」
「まだ五歳だったんだぜ?我儘の一つぐらい普通の年頃だってのに叩きやがって・・・」
「我儘云々の前に、物の頼み方がまずかったと思うんだけどね、僕は。」
むーっとしかめ面をする魔理沙。
その様子に苦笑する霖之助。
その構図は、魔理沙が幼い頃から今に至るまで続いている。
霖之助は様々な浴衣を手にとっては懐かしむ魔理沙を見ながら、自分が着ていた物を手に取った。
それは普段着ている衣服と変わらないような柄の、地味な浴衣。
ただしその大きさは、今と寸分と違わない。
子供だった魔理沙は大きくなって、一人前の魔法使いになったというのに。
店を開いた時に植えた苗木は、見上げるほどの大木になったというのに。
自分は、まるで変わらない。
霖之助には、それが寂しくてたまらなかった。
思わず浴衣をきつく握り締め、表情は強張る。
「あ・・・」
その目の前に、にゅっと鮮やかな色の浴衣が突き出された。
それは魔理沙が十歳になったころ、自分が作った浅葱色の浴衣。
「ねぇねぇ!!こーりん!!コレ!!コレ着てみたいんだけど、いいでしょ!?」
浴衣を選ぶのに熱中しすぎて会話に入ってこなかったチルノが、ようやくお気に入りのものを見つけたようだ。
興奮のあまり、顔が上気してしまっている。
そんな少女の笑顔を見ていたら、自分の胸にあった寂寥感も忘れて微笑んでいた。
「ああ、チルノにはぴったりの色だから、きっと似合うと思うよ。」
「ホント?やった!!」
霖之助の言葉に気を良くしたチルノは浴衣に袖を通し、服の上に羽織るようにしてから、くるりと回転して見せた。
「ねぇねぇねぇ!!似合う似合う!?」
爽やかな浅葱色が、彼女の青の髪と共に霖之助の視界に踊る。
その涼しげな鮮やかさに、霖之助は目を奪われた。
だから彼は正直に感想を口にした。
「とても綺麗だ。見惚れてしまうよ。」
「・・・え?ほ・・・ホント・・・?」
チルノは顔をさらに上気させ、もじもじと恥ずかしそうにうつむく。
・・・・霖之助はそんな彼女の様子に気付いていなかったが。
「ああ、昔の魔理沙よりも似合っているよ。」
「ほーう・・・?そいつは聞き捨てならないな。」
霖之助の後ろにはいつの間にか魔理沙がいた。
ぞくり
全身が粟立つような殺気に思わず振り向く霖之助。
思わず顔には冷や汗が浮かぶ。
間一髪。
早いうちに気がついたので、魔理沙の機嫌はすぐに直った。
・・・危ない危ない。
・・・もう少しで昼間の二の舞を踏むところだった。
霖之助は心の中で安堵のため息をついた。
「あ・・・ああ、魔理沙。君も選び終わったのかい?」
「ああ決まったぜ、とは言っても今の私が着られるような丁度いいやつはあまり無かったけどな。」
そういう魔理沙の手には、青と白の鮮やかな模様の浴衣が一つ。
「これは・・・去年作った物か。」
「ああ、あの時はレミリアの奴のせいで行けなかったからな。リベンジの意味も兼ねてこれにしたぜ。」
ここ数年魔理沙は研究や新しいスペルカードの開発に忙しく、夏祭りにはなかなか行けなかった。
昨年やっとそれらにメドが付き、ようやく夏祭りに行くことができるようになったのだが・・・
昨年の夏祭りは開催される前に、例の紅霧異変が起こってしまったため中止となった。
その時の魔理沙ときたら、博麗神社に行って巫女にたかり、飯を食べるわ酒は飲むわ、人形使いの魔法使いの家に行き、彼女のコレクションを手当たり次第借りに行くわ(奪ったとも言う)と、周囲に当り散らした。
・・・普段どおりじゃないか、とは決して言ってはいけない。
・・・ちなみにそのときの悔しさが、彼女を事件解決のために奔走させる原動力の一つとなったことは、魔理沙一人だけの秘密だ。
はしゃいでいたチルノも興味を引かれたのか、覗き込んできた。
「へぇー、きれーい・・・これもこーりんが作ったの?」
「ああ、夏になると毎年作っているんだ。夏祭りのためにね。」
「しかもかなり凝ったやつをいつもこしらえて来てな・・・適当でいいって言ってるのに、お前って無駄に几帳面だよな、香霖。」
「ははは・・・魔理沙の喜ぶ顔が見たいからね。何だかんだ言って結構期待しているだろう?君は。」
「う・・・あ・・・だ・・・だから何でお前はそういうことを平然と・・・」
魔理沙は霖之助の言葉に顔を赤くして目をそらした。
耳まで赤くなっているところが初々しい。
それを見たチルノが、ここぞとばかりにはやし立てた。
「あー!魔理沙顔が真っ赤だぞー!?」
「や・・・やかましい!!」
「ん?顔が真っ赤だよ魔理沙・・・もしかして熱でもあるのかい?」
「わー!!わー!!何でもないって言ってるだろうが!!」
霖之助が魔理沙の熱を測る、測らないでまたひと悶着起こりそうになったが、何とか収まり、浴衣に着替えるところまでこじつけた。
しかしここで問題が一つ。
「ねー、こーりん・・・コレってどうやって着るの?」
「むう・・・私もここしばらく着てなかったからな・・・。」
「うーん・・・困ったな。」
浴衣の着付けを出来るのが、霖之助しかいないのである。
元々浴衣の着付けは複雑なもので、素人が説明を受けてぽっとできるような代物ではない。
魔理沙は着付けの仕方を忘れてしまい、チルノは普段着ている服以外のものを身に着けること自体が初めてだ。
それにバカだから、聞いたそばから忘れるに違いない・・・これは魔理沙の談である。
そして、それ以上に深刻な問題があった。
「僕が直接教えるわけにも行かないし・・・。」
着付けを知っている唯一の人物が男で、残りの二人が女性だということだ。
分かり易く説明するには、実際目の前でやって見せたり、帯を締めるのを手伝ったりした方が効率がいいのだが、異性同士ではそういうわけにも行かない。
「あたいはそれでも別にかまわないんだけどなー。」
「お・・・お前は大丈夫でも、私が駄目なんだ。」
赤くなってうつむく魔理沙。
対してチルノは全く平然とした顔をしている。
基本的に妖精は女性が多いため、こういったことに免疫が無いのだろう。
霖之助はしばらく考え込んだ後、眉をしかめながら、
「うーん・・・仕方が無い。まだ子供だし、いいと言っていることだから、チルノの着付けは僕が見るよ。魔理沙は僕がメモを用意するから、悪いけどそれを見て何とかしてくれ。何度も着たことがあるわけだし、そのうち思い出すだろう?」
そう提案した。
それを聞いた魔理沙は、がばっと立ち上がって叫んだ。
興奮するあまり、顔が上気するのを通り越して蒸気が出てしまっている。
「・・・・ッ!!あー!!駄目だ駄目だ!!却下却下!!そんな提案無しだ!!」
「しかし他に代案が無い以上、仕方が無いだろう?」
「でも駄目だっ!!絶対に駄目だぞ!!」
「・・・何でそこまで反対するんだい魔理沙?何か不味いことでも?」
「そーだよそーだよ、何でなの魔理沙?」
チルノも一緒に抗議してくるが、その顔はどこか勝ち誇っているようにも見える。
・・・まあ彼女の場合は特に深い意味は無く、しばらくの間霖之助を独り占めできることが嬉しいだけなのだろう。
一緒に着替える、ということには何の感慨も抱いてはいない。
「あー・・・・うー・・・・そ・・・それはー・・・・そのー・・・・」
思春期まっさかりの魔理沙にとってはそうはいかない。
彼女が普段押し隠している感情を考えれば、複雑なことを想像してしまうのもむべなるかな。
「ああ、そうか。」
ぽんと手を打ち、一人で納得する霖之助。
「何か別の考えがあるってことか。どういう案なんだい?」
(・・・こ、こいつは・・・っ!!・・・人の気も知らないで・・・!!)
魔理沙は霖之助のあまりの鈍感さに、ノンディレクショナルレーザーをぶちかましたくなるが、何とか踏みとどまる。
その前に、何とかこの場を誤魔化さなくては。
「も・・・勿論だぜ、あっと驚いても知らんぞ。」
そう言って魔理沙は髪を掻き揚げて、格好をつける。
そして思わせぶりに押し黙る。
無論、時間稼ぎだ。
「で、どんな考えなんだい?」
「何?どんな考えなの魔理沙!!」
チルノもそんな魔理沙の心を知ってか知らずか、急かしてくる。
「ふっふっふっふ・・・そんなに聞きたいかチルノ・・・?(あー、えーっと・・・くそマジでやばいぜ)」
「聞きたい聞きたい!!何?何?何なの!?」
「そうかぁ・・・そんなに知りたいか・・・。(あー、もうこのバカチルノ!!焦らせるんじゃない!!)」
「ねー、早く教えてよ魔理沙―。」
「いーや・・・そう簡単には教えられんなぁ。(やばいぜやばいぜやばくて死ぬぜ)」
常人ならばここで焦れば焦るほど考えが浮かばない、浮かばないから焦る、といった悪循環にはまるのが普通だが、そこは流石幻想郷最強の魔法使いの一人、霧雨魔理沙である。
いよいよ追い詰められてから、彼女の中であるアイデアが閃いた。
(こ・・・これだ!!)
追い詰められていた魔理沙はすぐさまこれに飛びついた。
「ねーねーねー!!一体何なのよー!?」
「あまり焦らさないで早く教えてくれないか?こっちまで気になってしまうじゃないか。」
「ふっふっふ・・・いいだろう香霖、チルノ・・・」
芝居がかった動作で帽子のつばをぴんと弾き、不敵に笑った。
「簡単さ。・・・私たちと同姓で、着付けを知っている奴をここまで連れてくりゃいいんだ。・・・私たちの知り合いで、いつも暇そうにしてる奴をな。」
その時の魔理沙の顔は、悪戯を思いついた童のようだった。
レティはあの時冥界で冷気を充分に蓄えてから来たので大丈夫です。
・・・すいません、どう見ても説明不足でした。
・・・PCが逝ったせいでここ数ヶ月執筆できてません・・・。
ああ・・・早く続き書きたい・・・(涙
学校のPCだと限界が・・・w