黄金色に流れる川がある。
高きから低きへ、そして低きからさらに低いところへと、穏やかに流れる川。
勢いはない。
川はゆるやかに流れる。なだらかな森の中を、岩清水のような清らかさで流れている。
水の色は蒼よりも青、青よりも白、白よりも無色、色をこえて透明へ。
澄んだ川の底が、夏の日差しに照らされてはっきりと見えた。
黄金色の水ではない。
森の葉々の隙間からのぞく太陽に照らされて、蜂蜜のように光っているだけだ。
しぶきがあがるたびに、反射をして、黄金色に輝いている。
――それは黄金の昼下がり。
川の下流、流れが一番穏やかなところには少女がいる。
水よりも青い服と髪を持つ少女。氷精の少女が、黄金色の光に照らされている。
普段は薄く青い透明の羽が、いまは黄金色に輝いていた。
氷精は輝く川を覗き込んでいる。
何をしている風もない。ただひたすらに、川辺に座り込んで、水面を睨みつけている。
川の中にいる魚を見てる――のではない。
氷精は、川の中にいる少女を見ている。
湖とは違い、川の中には少女がいた。
青い服を着て、青い髪に青いリボンをつけた、可愛らしい少女である。
氷精は水の中の少女に手を振る。
水の中の少女も、同じように手を振り返して来た。
氷精は頬に手をあて、い――っ、と歯を見せる。
水の中の少女も、氷精と同じようにい――っ、と歯を見せてきた。
氷精が小さく首を傾げる。どうして真似をしてくるのかが分からない。
水の中の少女も、氷精と同じように首をかしげた。
――真似されてる。
そのことに怒って、氷精はその女の子にケンカを売ろうとして手を伸ばし、
――どぼん、と。
バランスを崩した氷精が、大きな水音を立てて川の中に落ちた。
小さな水柱が立ち、大きな波紋がいくつもできる。
水の中は波紋にかき消される。
水の中には、氷精が一人だけ。
――気ままにすごす少女たち。
もうすこし上流。
何もない平野から、森の入り口に入ったあたり。
そこもまだ川の流れは遅い。入り口はまだ明るく、少しだけ高いそこからは、川の流れる先が見えた。
けれども、そこにいる少女たちは、川がどこに行くかなんて、考えてもいない。
そこには闇がある。
森の入り口にはなぜか、真っ黒い闇がある。
真ん丸の闇。光がぽっかり切り取られたような場所。
外からは何も見えない。
内からも、何も見えないだろう。
真夏の日差しが届かないその闇の中には、少女が二人いる。
二人は隣あわせに座って、肩をくっつけて、足を川に入れて、ハミングをするように歌っている。
黒くなった川の水を、時折、ちゃぷちゃぷと蹴る音が歌に混ざる。
歌は二種類ある。
上手で、人の心をひきつける歌。
下手だけれど、人の心を和ませる歌。
二つの歌は、綺麗に混ざり合って、闇を貫いて夏の川に響く。
闇を操る少女と、歌で人を狂わす少女は、声をあわせて楽しそうに唄っている。
細い素足が水面を蹴る。
はねた水が、闇を抜け出して、川辺へと跳び出た。
光が反射して、黄金色に輝く。
――こんな夢見る天気のもとで。
森の中。
黄金色の光が届きにくくなったかわりに、森の中は少しだけ賑やかになった。
動物たちが暑さを避けて、日陰へと逃げ込んでくるからだ。
川の水はあいかわらず穏やかだ。ほんの少しだけ、川幅が狭くなり、流れも早くなった。
それでも、変わらずに穏やかな川。
川辺には、土草の代わりに、岩が並んでいる。
川の水で、丸く削られた大きな岩。
そこに、一匹の猫が座っている。
猫は大きな黒猫で、とんでもないことに赤い服を着ていて、おまけに尻尾が二本あった。
二本の尻尾が、何気なくぱたり、と揺れて、身体を岩を交互に叩いた。
猫は目をつぶっている。
寝てはいない。その証拠に、耳が時折、ぴくりと動いた。
猫は、寝たふりをしている。
岩の上で、すぐ近くある川に気をつけながら、温かい岩の上で寝たふりをしている。
尻尾が二本あっても、猫である以上水は苦手なのだ。
尻尾が、ぱたり、と動く。
猫の先には、カラスがいる。
夜闇のように真っ暗なカラスが、猫の先、すぐそこに立っている。
何かもの珍しいものでも探しているのか、きょろきょろと周りを見ながら、カラスは岩の上に立っている。
猫の尻尾が、ぱたり、と動く。
猫の前脚に、少しだけ力がこもった。
やがてカラスは何かを見つけたのか、岩の上からぴょん、と翼をはためかせて跳び立ち、
猫が、跳んだ。
獲物を狙う狩猟者の勢いで、猫は思いっきり跳んだ。
身体を山なりに丸め、尻尾を巻き込むようにしての跳躍。
伸びた赤い爪が、カラスを狙う。
けれど、その爪は届かない。
カラスは、猫をあざわるかのように、空中でひらりと避けて、おまけとばかりに、
ちょん、と猫の身体を押した。
空中で押されて、猫はバランスを崩す。
それでも尻尾を振り回して、器用にくるりと回り、猫は足から着地した。
水面へと。
きゃー、という猫の悲鳴を聞きながら、カラスは森の上へと飛び去ってく。
向かう先には、黄金色の陽が覗いている。
――どんな小さな風さえもそよがぬ。
森の中ほど。
人の入ってこない、妖怪も少ない、妖精たちの場所。
川の流れは相変わらず穏やかで、きらきらと、黄金色に輝いている。
その場所には、三人の妖精がいる。
陽光と、月光と、星光の妖精が。
川の中にはいくつかの岩があった。その岩が、川に、複雑な流れを作っていた。
飛び石のような岩。
その岩の上を、黄金色の髪を二つに結んだ、陽光の妖精が跳んでいる。
ぴょん、すと。
ぴょん、すと。
岩から岩へと、両手を横に広げて、危なっかしく陽光の妖精は跳んでいる。
その姿を、残り二人の妖精は、なにをするでもなくのんびりと見ている。
縦ロールの髪をした、月光の妖精は、低い岩の上に横になっている。
うつぶせになり、膝から下を立てて、ぷらぷらと揺らしている。
細い手は水の中に入れられ、ゆっくりと川の水をかき混ぜている。
その手を触れるように、川魚が下流へと泳ぎ去った。
黒髪にリボンをつけた、星光の妖精は、高い岩の上に座っている。
膝を曲げ、女の子座りをして、二人の仲間を微笑んで見ている。
手には黒い傘。川を黄金色に照らす日光を、妖精は日傘で遮っている。
薄い闇と薄い黄金の中、星光の妖精は微笑んでいる。
ふと、手を口に添える。
小さく、ふぁあ、と声を立てて、星光の妖精はあくびをした。
あまりにも温かくて、まどろんできたのだ。
傘を持った星光の妖精の、小さな瞼が、ゆっくりと下りていく。
何も起きはしない。
穏やかに、時間だけが、ゆっくりと流れていく。
いつもよりもゆっくりと、休みながら時間は流れる。
黄金の昼下がりは、終わる気配を見せない。
――それは黄金の昼下がり。
森の入り口。あるいは出口。
川はそこにも流れている。穏やかな川は、遠く果てまで流れている。
上へ上へと昇っても、川は穏やかだった。
どこまでも、どこまでも穏やかだった。
穏やかな真昼に流れる川は、どこまで昇っても、穏やかなのかもしれなかった。
森の出口。
そこに闇はない。
代わりに、ウサギが二人いる。
人が立ち寄らない川の中、ウサギが二人、楽しそうに水を掛け合っている。
片方はワンピースを着た黒ウサギ。
片方はYシャツを着た紫ウサギ。いつものブレザーとスカートは、岩の上に脱がれている。
薄い服一枚だけを着て、ウサギたちは腰のあたりまで水に浸かり、のんびりとしている。
水風呂につかっているようなものだった。
真夏の暑い日の、穏やかな水浴び。
四つの耳が、ゆっくりと動く。周りに人はいない。
二人のウサギだけが、穏やかな時間を過ごしている。
水面は、きらきらと、黄金色に輝いている。
ふと。
そこ冷たいよ、と黒ウサギが指をさす。
本当? と言いながら、紫ウサギは、水の中を歩く。
指差された場所までたどり着き、
突然、足元がなくなった。
指差された場所。突然深くなった場所に、紫ウサギは一気に沈んだ。
とぷん、と音がして、その姿が水の中に消える。
少しは疑えばいいのに、黒ウサギは思った。
少しは疑いながらも進んで、見事にひっかかっただけなのだ。
細く長い耳が、水面から生えたようにゆらゆらと揺れている。
それを指差して、黒ウサギは、けたけたと笑っている。
楽しそうに、いつまでも楽しそうに笑っている。
声にこたえるかのように、耳が一度、ひょこりと揺れた。
黒ウサギは、楽しそうに笑う。
笑い声は、森を抜け、遠い空に吸い込まれて消えた。
――少女たちの輝ける昼下がり。
穏やかに川は流れる。
どこまでも、どこまでも。
穏やかな川は、黄金色に輝いて、流れ続けている。
黄金の昼下がりは、終わる気配を見せなかった。
いいですね
……と思って読んでたら、うどんげが……!
川から上がるところを正座して待っています。