※この作品は作品集30にある私の作品『錯綜の恋』の流れを継いでいます。
これ単作でも読めるように書きましたが、前作を読んでいるともっとすっきり読めるでしょう。
↓これより本編スタートでござい。
人気のない暗鬱とした森林。
そこにひっそりと立つ一軒家。
その寝室で、朝方の心地よい眠りを満喫する少女が一人。
「うー……」
けっ飛ばされた布団はかろうじて体にかかる程度。
年頃少女の生足は、だらしなくベッドの外に放り出され、誰も見ていないからと、
ドロワーズとシャツだけという寝間着姿は霰もなくはだけている。
その露出したすべすべなお腹をぽりぽりと掻くその姿は本当に誰にも見せられない。
「うぁ~っ」
なんとか起き上がり、そのまま背筋を伸ばして目を覚ます。
まだ目蓋は重そうだが体は起きた。
ベッドから降り、再度背伸びと共に大きな欠伸。
その辺に放り投げておいた白いブラウスに袖を通し、その上から黒のワンピースを着用。
しわを整えると、今度は鏡の前まで行きお気に入りのリボンを結ぶ。
そうして身だしなみを整える姿は、がさつな魔理沙といえども歴とした女の子だ。
軽く身支度をすませた魔理沙はキッチンへとやってきた。
椅子にかけてあったエプロンを着け、いつもの格好が完成する。
その後、冷気魔法を応用した冷蔵庫から、いくつかの食材を取り出し机に並べる。
手慣れた様子で調理を始めた。
男勝りで大雑把、というイメージからは想像もつかないほど、見事な手捌きを見せる魔理沙。
しばらくすると良いにおいが漂うようになってきた。
「うん……こんなもんかな」
特製の合わせ味噌で作った味噌汁の塩梅を確認する。
どうやら満足のいく味に仕上がったらしい。
火にかけている御飯もすぐに炊きあがるだろう。
おかずは昨日の煮付けが残っていたはずだから、それを食べることにする。
盛りつけも終わりテーブルへと運び、席に着く。
「今日も完璧だぜ」
箸を置いて、両手を合わせて、いただきま――
「おはよーございまーすっ」
突然大声が玄関先から聞こえてくる。
せっかくの朝食タイムを邪魔され、魔理沙はむっと表情を曇らせる。
「こんな時間に迷惑だぜ」
いつもアポイントも取らずに紅魔館を訪れるのに、自分のことは棚上げだ。
魔理沙は居留守を決め込むことにした。
こんな朝早くに居留守も何もあったものではないと思われるが。
しかし外からの声は諦める様子を見せない。
今度はどんどんという激しいノックもおまけでついてきた。
「いるのはわかってるんですよーっ。大人しく開けなさーいっ」
声は朗らかなのに、言ってることはどこか物騒だ。
それでも魔理沙は無視を決め込み、味噌汁を啜る。
「……しょうがないですね」
突然声が収まる。
諦めて帰ったのか、魔理沙がそう考えたのとほぼ同時に事は起こった。
まず大きな音。
そして次に振動。
おもわず含んでいた味噌汁を吹き出しそうになるが、乙女の尊厳にかけてそれだけは回避した。
「ったく、無茶しやがって」
魔理沙は箸を置き、慌てて玄関へと向かった。
玄関ではドアの残骸が無惨な姿で散らばっていた。
「んなっ」
ぶち破る、にも程があると思わせるほど木っ端微塵にされたドア。
木製のドアの破片だから、まさしく木っ端……などと考えている場合ではない。
「なんてことしてくれたんだっ」
「来客に対して居留守は失礼よ」
激怒する魔理沙に対して、ドアを吹っ飛ばした張本人はさらりと答えた。
「って……おまえがなんでここにいるんだよ」
魔理沙がおまえと称した相手。
紅い髪に黒いワンピース。
背中と耳に蝙蝠のような羽を生やした小柄な少女。
ヴワル魔法図書館で住み込みの司書をしている小悪魔だった。
彼女の姿を確認した瞬間、魔理沙はじりっと後ずさる。
相手を警戒する猫のごとし。
「もうあの一件は片付いただろ!」
あの一件。
それは先日の図書館騒動のこと。
館主の留守中に魔物の襲撃があった、と館内の者達はそう認識している事件。
魔物は消滅してめでたしめでたし、だったはずなのだが、実は重要な落とし穴が残っていた。
普段、あの場所で弾幕ごっこが行われる場合、貴重な蔵書を守るための結界が張られる。
その役目を果たすのは主にパチュリーと小悪魔だ。
しかし、あの時は小悪魔が『魔理沙撃退作戦』に気を取られ職務を放棄していたし、
パチュリーもいきなりのことで結界を張る暇もなかったのだ。
そのおかげで図書館はぼろぼろ。
いくつかの魔導書は消し炭になり、それを見たパチュリーは卒倒するほど酷い有様だった。
それを帰宅したメイド長咲夜に見つかったからさあ大変。
誰がやったのやってないだの大騒ぎになった。
ただし館の主であるレミリアは大して気にもとめていない様子だったが。
小悪魔は自分がそもそもの原因だと言おうとしたが、
無表情で美鈴に罰を与えるメイド長の姿を目の当たりにしては、とても言えやしなかった。
とうとう事態は発展せず、容疑者である魔理沙とアリス、
そしてパチュリー、小悪魔に図書館の片付けを任せるということでひとまず決着した。
その片付けだが、なんとまるまる一週間かかっている。
魔理沙とアリスは図書館に泊まり込み、その片付けを手伝わされたのだ。
まあ二人も弾幕を放ったのは事実なので、手伝うのは当然かも知れない。
そんなこんなで魔理沙が自宅に帰った来られたのがつい一昨日のこと。
元々整理整頓が苦手な魔理沙だが、この一件で嫌と言うほど整理をさせられ、
普段なら溜まらないはずのストレスも最高潮にまで高まっている。
おかげで図書館にはしばらく近づくまいと心に決めていた。
その矢先にやってきたのがこの小悪魔である。
魔理沙が警戒しないはずがない。
まさかまた図書館に連行されるのではないか、と。
前回の時は咲夜が紅魔館の精鋭部隊を一個小隊引き連れてやってきたものだから、
流石の魔理沙も大人しく手を挙げて降参するしかなかったという苦い思い出がまだ鮮明に残っている。
「違うわ。先日図書館を整理したときに、なくなった本のリストを作ったから、
パチュリー様の命令であなたに貸していた魔導書を返してもらいに来たのよ」
「げっ」
言葉だけでなく、顔でもその感情をあらわにする魔理沙。
整理整頓を手伝わされるより、もっと聞きたくなかった内容だ。
「何よその露骨に嫌そうな顔は」
魔理沙の家には蒐集したマジックアイテムがごろごろしている。
その中にはヴワル魔法図書館から持ち出された魔導書も含まれている。
来ては持って行き返さない、を繰り返している内に随分な数の魔導書が、
魔理沙の元に渡ってしまっているのだ。
いくら言っても返しに来ない。
ならばこちらから出向くしかない、とパチュリーは決めたのだ。
しかし体の弱い上に出無精の彼女が自分からやってくるはずがない。
それで白羽の矢が立ったのが小悪魔なのである。
「――ということで、私が直々に回収に来た、そういう訳よ」
えへん、と胸を張ってパチュリーからの達しを受けたことを自慢げに語る小悪魔。
しかし魔理沙は小悪魔がやってきた理由よりも、少し別のことを気にしていた。
「なぁ、おまえってそんな口調だったか?」
「何よ。どこがおかしいの」
別にどこも変なところはないと主張する小悪魔。
しかし魔理沙の顔にはやはり不思議がる表情が浮かんでいる。
「いや、パチュリーとか咲夜とかの前だともっと丁寧だろ」
なんだそういうことか、と小悪魔は答えた。
「あなただからよ」
先日の一件で、小悪魔は正式に魔理沙を恋敵と認めた。
ならばそれ相応の対応をするのが筋というもの、というのが小悪魔の考えだ。
だが小悪魔がそんな風に自分を見ているなど、露も思いもしない魔理沙は首を傾げるだけ。
「そんなことより!」
ばん、とテーブルを叩き、魔導書を返せと言及する小悪魔。
それに対して耳をふさいで聞こえないふりをする魔理沙。
この期に及んで往生際が悪い。
「だからぁ、借りてるだけだって~」
「いつまでたっても返さないのは借りてると言わないの」
小悪魔はどこか抜けていても、基本几帳面で真面目な性格だ。
そうでなければあの図書館の整理などやろうとすら思うまい。
だからこそ、この攻防で引き下がるとは思えなかった。
軽くあしらおうにも、ここが自分の家である以上逃げ場はない。
「あー……わかったぜ」
観念したように魔理沙はうなだれる。
「そっちの部屋にあるから持って帰ってくれ」
指さすときには一枚のドア。
ドアプレートには「研究室」とある。
小悪魔は椅子から降りると、最初からそう言えばいいのよ、とぶつぶつ言いながら、
部屋へと向かう。
ただ魔理沙はなにか言い忘れている気がしていた。
小悪魔がドアノブに手をかけたとき、魔理沙の記憶の底からその答えが浮上してきた。
先述しておくと、それはあまり良いことではない。
「ま、待て。そのドアは開けるな」
慌てて制止する魔理沙。
しかし小悪魔はそれを、魔導書を返したくない魔理沙の演技だと決め込み無視した。
そんな古典的な方法にひっかかるほど、自分はバカじゃない。
ぐっしゃあ
ドアを開いた瞬間、小悪魔は道具の雪崩に飲み込まれた。
これぞ古典的、ベタすぎるほどにお約束な結末である。
☆
絆創膏をすりむいた傷口に貼り、治療が終わる。
小悪魔の顔に浮かぶのは、不服以外のなにものでもない。
まさかこんな目に遭わされるとは思いもしなかったのだ。
「だから開けるなって言ったんだぜ」
それを言える立場でない魔理沙の言動に、小悪魔は噛みついた。
「誰がドアを開けたら道具に押しつぶされるなんて想像するのよっ」
「いや、まぁ……」
お恥ずかしい、と言わんばかりに頭を掻く仕草をする魔理沙。
いや恥ずかしがる前に片付けろ、と小悪魔は引っぱたきたいのを堪えながらも、
どうにか話を進めようとひくつく笑みで返す。
「それで? あの部屋はいつ片付けるのよ」
片付けかなければ魔導書などろくに探せやしない。
しかし帰ってきた魔理沙の返答は、小悪魔が予想する斜め上を突っ切っていた。
「あれで片付いているんだぜ」
間髪入れずに小悪魔の手刀が魔理沙の脳天を直撃する。
可愛い容姿からは考えられないほど、なかなかにアグレッシブな反応だ。
「開けた瞬間にものが崩れ落ちてくるあれのどこに片付けた痕跡があるのよっ」
「もっと酷かったのをあそこまで入れ込んだんだ。立派に片付いている」
頭をさすりながら魔理沙は答えた。
どうにも彼女には片付けというものの根本がわかっていない節が見られる。
「押し込んだだけじゃない……」
パチュリーから聞いていたが、魔理沙には蒐集癖の他に片付けられない症候群が
仕様として備わっているらしい。
片方だけでも充分面倒なのに、この二つが揃えばあっという間に地獄の完成だ。
「わかったわ。じゃあ適当に見つけて持って帰るから」
もはや閉めることのできなくなった研究室へと小悪魔は向かう。
下手に刺激してこの場で弾幕ごっになるのは、家主として遠慮願いたいので、
魔理沙ももう止めようとはしなかった。
持って行かれてもまた借りに行けばいいだけの話なのだし。
「それにしてもどうなっているのかしら」
小悪魔は完全に足の踏み場がない研究室――もはやその役割は果たせないだろう――を
浮かんで移動し、持って行かれた魔導書の捜索を行っていた。
しかし、眼下に広がるのは物の山。
本だけじゃなく、どんな用途で使うのかわからない道具が積まれている。
これでよく片付いていると言えたものだ、と小悪魔は嘆息した。
どこから手をつけて良いやらまったく見当がつかない。
しかしこのまま飛んでいるだけでは任を果たすことはできないだろう。
仕方がないと、ひとまず物の山を掻き分け始めた。
「これじゃあ片付けたくなくなるのも無理はないわね」
いくら掻き分けても床板すら見えない状況に悪態をつく。
このまま探し続けても、見つけられる魔導書はほんの数冊でしかないだろう。
かける時間と成果を天秤にかけるとどう考えても割に合わない。
それでも探し続けるしかないのだが。
「おーい、見つかったかー」
キッチンの方から呑気な声が聞こえてくる。
「この状況で見つけられるわけないでしょうーっ」
この地獄絵図を作り上げた本人に、ありったけの思いを込めて悪態を返す。
「そうかそうかー。あーそういえば」
「なによーっ」
二つの対照的な声が、部屋を挟んでやり取りを繰り替えす。
「そこは仮にも研究室だぜ」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよーっ」
作業を続けながら、魔理沙の意味不明な言葉に大声で返す小悪魔。
まだ肝心の魔導書は一冊も見つからない。
「いや、そういうことじゃなくてだな」
そこにきて初めて研究室に顔を出す魔理沙。
差の手には茶菓子と見られる醤油煎餅が食べかけの状態で握られている。
こいつ今までお茶していたな、という視線を受けつつも彼女は気にしない。
「それで何の用よ。まさか手伝いに来てくれたの?」
見た感じ、そういうつもりで来たのではないのは丸わかりなものだが。
一応試しに聞いてみる。
「いやそんな気はさらさらないぜ。元々片付いているからな」
再び振り下ろされる小悪魔チョップ。
「だから、この有様をどう見たら片付いているって言えるのよっ」
手伝わないのはこの際良しとしても、これを片付いていると言える精神には
さすがに突っ込まざるをえない。
「それよりもだ」
先ほどの話に戻るようだ。
「だから何」
「ここは研究室だぜ?」
魔理沙の一言に、小悪魔の顔には笑顔と青筋が同時に浮かぶ。
「そんなに私がバカに見えますか?」
丁寧な物言いが逆に寒々しい恐ろしさを醸し出す。
「い、いやそういう意味じゃないぜ。ほら、仮にもここは研究室だから」
さっきから何度も言っている要領を得ないこの言葉。
もういい、と言わんばかりに小悪魔は作業を再開した。
「色々危ない物もあったりするん、だ、が……」
魔理沙の言葉尻が微妙に途切れる。
彼女の視線が注がれる先、小悪魔が手に持つ球体に魔理沙は反応していた。
その反応から察するに、あまりよろしくない物であることがうかがい知れる。
しかし手に持つ当の小悪魔本人はそれに気づいていない。
「ちょっ、まっ、それは……」
ボン、と球体が破裂し小悪魔は煙に包まれた。
あちゃーと顔に手を当てる魔理沙には、さらに不味いという字がありありと浮かんでいる。
「おーい、大丈夫かー」
命に別状があるような代物はない――はずなので、生きているとは思う。
ただし命に別状がなくても、他のことに別状がある可能性はものすごく高い。
ここは研究室だぜ、と魔理沙が念を押していたのはそういう代物があるからだ。
それを先に言えばいいのに、という言葉しか浮かんでこない。
「こほっ、こほっ」
煙の中から小悪魔の可愛らしい咳が聞こえてくる。
どうやら意識を失うようなことにはなっていないらしい。
魔理沙はホッと息をつく。
というか裏を返せば意識を失うようなものがあるということだ。
そんなことはお構いせず、魔理沙は都合良く近くにあった団扇で煙を払った。
「こぁ?」
目が点になった。
☆
「うー……どうしたもんかねぇ」
魔理沙は困り果てた表情で、机の上のそれを見ていた。
愛らしい人形のようなそれは、可愛らしく首をきょとんと傾げている。
「こんなもんがあるなんて、まったく知らなかったぜ」
あれだけ物で溢れた部屋である。
まずあそこにあるものをすべて把握することは不可能だ。
だからこそ今回のような事故が起こってしまうわけである。
「でもまさか、こんなことになるなんてな……」
魔理沙は再び机の上のそれに目線を落とす。
「こぁ?」
可愛らしい声で魔理沙の呟きに答えるそれは、どこからどう見ても小悪魔である。
ただし体長は20センチ程度。
そのうえ、
「こぁー、こぁー」
ろくに言葉も使えないようである。
またその行動を見ていると、知能も退行しているらしい。
縮小退行化。
以前にちび萃香を調査したときのデータを元に作った、
本来は一時的に自分の体を縮小させる為の道具のはずが……
「こぁ?」
まさか知能まで縮小、つまり退行してしまうとは。
要するに失敗作だったと、そういうわけだ。
なんにしても、小悪魔をこのままにしておくわけにはいかない。
しかしここで重要な問題が浮上する。
「どうやって戻せば良いんだ」
うがーっと頭を掻きむしる魔理沙。
そんなことで良い知恵が思いつけば苦労はしない。
そんな魔理沙を見ても、小さくなった小悪魔――これ以降はこぁくまとでも呼ぼう――は、
自分の顔ほどもあるクッキーを美味しそうにほおばり、全く気にしていない。
自分が一番大変な立場であることをわかっていないのだ。
もし知能の退行がなければ、そんな体でも魔理沙に殴りかかっていることだろう。
「こぁ~」
ほっぺたに菓子くずをつけたまま、満面の笑みを浮かべるこぁくま。
そしてまたクッキーにかぶりつく。
その様子を見ていた魔理沙は思わず動きを止めてしまった。
ゆっくりと手がこぁくまへと伸ばされる。
何をしようとしているのか、小悪魔はクッキーに夢中で気づかない。
ひょい、ぱくっ
「こあっ!?」
なんの躊躇いもなく、魔理沙はこぁくまのクッキーを奪い取り自分の口へ。
思わずこぁくまは吃驚した声を出す。
魔理沙ははっとすると、自分がやったことに自分で驚いていた。
「あ、あれ。なんでこんなことやってるんだ?」
意識したわけではない。
自然と手がクッキーに伸び、いつの間にか口に運んでいたのだ。
「こぁぁ……」
こぁくまの目に大粒の涙が浮かぶ。
あぁそうか、魔理沙は自分の行動の動機を理解した。
「か、か、か」
「こぁ?」
「可愛すぎるぜーっ」
「こぁーっ!」
ぎゅむーっとこぁくまを抱きしめる魔理沙。
男勝りに振る舞ってはいるが、本質はやはり可愛い物好きの女の子というわけだ。
抱きしめられているこぁくまはたまったものではないが。
「なな、なにをやってるのよーっ!!」
そこに乱入する珍声。
魔理沙と、彼女に抱きしめられるこぁくまを見た来客の第一声だ。
お気に入りの水色ドレスに身を包み、傍らに上海人形と蓬莱人形を引き連れた、
魔理沙と同じく魔法の森に居を構えるアリス・マーガトロイドが、
部屋の入り口で、驚きの表情を浮かべ突っ立っていた。
「あ、アリス……」
「魔理沙……」
「こ、こぁぁ……」
間違っても見られたくない一面を見られてしまった魔理沙。
魔理沙の思いもかけぬ一面を見てしまったアリス。
そんなことは関係なく、ただ魔理沙の腕から逃れようと奮闘するこぁくま。
三者三様の視線が交錯する中、一番に口を開いたのは魔理沙だった。
慌ててこぁくまを腕から解放し、苦笑を浮かべる。
解放されたこぁくまは時すでに遅く、脱出できず気絶していた。
「よ、よぅ、アリス。いきなり人ン家に入ってくるなんて失礼だぜ」
あからさまに動揺が見て取れる魔理沙。
「いくら呼んでも出てこない方が悪いのよ。まさかそんなことをしてるとは、
思いもしてなかったけど……」
対するアリスはもの凄くお冠に見える。
「魔理沙にそんな趣味があったなんて……」
「い、いや……誤解だぜアリス」
「魔理沙もお人形好きだったのねっ!」
「は?」
言い訳を紡いでいた魔理沙の口が「あ」の形で固定される。
どうやら怒っているように見えたのは、喜びを我慢していたものだったらしい。
とどのつまりアリスの十八番、勘違い。
「それにしても良くできた人形ね」
ひょいとこぁくまを持ち上げるアリス。
魔理沙が止めようとするも時すでに遅し。
「ん? なんだか見覚えがある姿をしているわね……って、これ小悪魔の」
アリスの顔色がどんどん青ざめていく。
その様子の変化に、魔理沙は覚えがあった。
魔理沙の顔にまずいぜ、やばいぜの文字が浮かぶ。
アリスの勘違いはどんどんよからぬ方向へ暴走し始めている。
このときのアリスを元の方向に戻すのは至難の業だ。
「魔理沙……そう、あなた小悪魔のことをそんなに……」
「ア、アリス、ちょっとは落ち着いて私の話を聞くんだ。凄い勘違いしてるから、な?」
「魔理沙のこと……信じていたのにいっ!」
その後アリスの暴走で始まった弾幕ごっこがしばらく続き、
ようやく彼女が話のできる精神状態に戻ったときには、すでに日は高くなっていた。
☆
「――というわけだぜ」
なんとか事の次第を説明し終えた魔理沙はどっと疲れを感じていた。
朝から来客、騒動の連続で心も体も安まる暇がない。
「そ、そうだったの。私はてっきり魔理沙が小悪魔のことを……その」
誤魔化すようにティーカップを口元に運ぶアリス。
ちょうど昼時ということもあり、今は全員で食卓を囲っていた。
ちなみにメニューは魔理沙手製の茸パスタ。
こぁくまは先程のクッキーでお腹が膨れているのか、
今は食べずに上海人形や蓬莱人形と遊んでいる。
「それで元に戻す方法がわからないまま、今に至ると」
「そういうことだぜ」
パスタを食べながら、事の張本人である魔理沙は相づちを打つ。
その様子には先程までの焦燥が見られない。
「本当に見当がつかないの?」
「んー……持効性はないから時間が経てば元に戻るはずなんだが」
「どれくらいの時間?」
「確か2時間だぜ」
ここでこれまでの時間経過を確認してみよう。
魔理沙が目を覚ましたのが午前7時。
朝食の準備をして食べようとしたところに、小悪魔がやってきたのが午前8時。
小悪魔が例の道具を見つけ、こぁくまになってしまったのが9時。
アリスがやってきて、弾幕ごっこが始まったのが9時半。
そして昼食を食べ始めたのが12時。
2時間というリミットは、すでに通り過ぎていた。
「つまり時間設定も失敗に終わっていた訳ね」
もはや何も言い返すことはできない。
これで効果切れによる事態の収拾は期待できなくなったというわけだ。
「失敗作なんかをいつまでも捨てずに置いておくのが悪いのよ」
「いや、失敗作でも役に立つときがあるかもしれないだろ?」
「役に、ねぇ」
アリスがちらりとこぁくまに視線を流す。
言わんとしていることに魔理沙も気づき、顔をうつむかせる。
「でも本当にどうするの。あの子がこのままだとパチュリーが黙ってないと思うけど」
「それなんだよなぁ……明日には返さないと、流石のあいつでもこっちに来るだろうし」
二人してため息をつく。
普段大人しいやつほど、怒ったときに何をしでかすかわからない。
パチュリーと本気でやるのは勘弁願うところである。
「はぁ……せめてもう一つあれば成分分析して解呪薬を作れないこともないのに」
「それだっ」
「え?」
魔理沙は突然立ち上がったかと思うと、また突然アリスに抱きついた。
抱きつかれたアリスは一瞬で理性が吹っ飛んだ。
だが暴走する前に意識も共に吹っ飛んだので、語るに語れない官能の世界が
繰り広げられることだけはかろうじて繰り広げられなかった。
「サンキューな、アリス。お前のおかげでなんとかなりそうだぜ」
幸せの絶頂で意識が飛んだため、にやけた顔で――そのうえ鼻血まで出しながら――
気絶しているアリスにひとしきり礼を言うと、魔理沙はさっさと部屋を後にした。
端から見れば報われない恋ではあるが、たぶんアリス本人は喜んでいるだろう、たぶん。
魔理沙はゴミ山、もとい研究室へとやってきた。
自分で作り上げた地獄絵図に、今更ながらやるせなさを感じる魔理沙。
それは今からこの溢れかえる物の山から探し出さないとならないものがあるからだ。
「捨ててないならまだあるはずだぜ」
魔理沙が探すのは、小悪魔が見つけたあの道具と同じ物。
アリスが言ったように、同じ物があればそれを元に反対の作用を持つ道具を
作り出すことも可能だろう。
物を捨てない魔理沙だからこそ、まだ残っている可能性があるといえる。
「やっぱり捨てずにおいておくと役に立つんだぜ」
自分の性癖をここぞとばかりに棚上げする。
しかし最初からきちんと整理しておけば、今回のようなことにはならないはずだ。
それに――
「そういう台詞は見つけてから言いなさいよね」
早い時間で復活したアリスも研究室にやってきた。
なんとか鼻血も止まったようだ。
いつもながらの有様を見て、アリスの口からも何度目とも知れぬため息が漏れる。
「お、手伝ってくれるのか?」
「あなただけだと何日かかるかわからないもの」
言いながら足下のフラスコを拾い上げる。
なんだかんだで手伝うあたりに、アリスの不器用な優しさが見える。
そんなアリスに笑みを向けながら、魔理沙も片付けを再開した。
☆
時はすでに夕刻。
あれだけ散らかっていた――その一言では表せない気もするが――魔理沙の研究室は
なんとか床の木板が見える程度には片付いた。
魔導書はきちんと本棚に戻り、研究器具も光を放つほど綺麗に磨かれている。
これだけ早く片付いたのも、アリスの手伝いがあったからこそだ。
途中で人形を大量に召還し、その人形達がフル稼働したおかげで、
たったの数時間でここまで片付いた。
そして肝心のアイテムだが、やはり捨てずに放っておいた物があった。
だからといって魔理沙の捨てられない癖が褒められるというわけでないが。
「はぁ……やっぱりこれだけの人形を一気に扱うと疲れるわね」
魔力を消費して人形を動かすため、アリスの体力はだいぶ参っていた。
思わず机に突っ伏してしまう。
「後は私の仕事だからな。体力戻るまで休んでな」
「言われなくてもそのつもりよ……」
研究室から聞こえる魔理沙の声に、怠い声で答えるアリス。
これで後は解呪薬が精製できればすべて終わる。
ちょっと顔を見せにやってきただけなのに、こんな一騒動に巻き込まれるとは。
「まったく……魔理沙といると退屈しないわね」
「こぁ?」
アリスの苦笑混じりの呟きにこぁくまが首を傾げる。
こぁくまの視線に気づいたアリスは、彼女をひょいと持ち上げた。
「もうすぐ戻れるわよ」
「こぁー」
分かっているのか分かっていないのか、とりあえず言葉は返してくれる。
「早くパチュリーの所に帰りたいわよね」
「こぁ!」
パチュリーの名前が出て来たとたん、こぁくまの声色が変わる。
とても嬉しそうなそんな感じだ。
「そんな姿になっても、あの子のことは覚えているのね」
それだけ小悪魔のパチュリーに対する想いが強いということだろう。
小悪魔の気持ちを知るのは、協力したアリスだけだ。
パチュリーの心を取り戻したいという小悪魔の言葉は、痛いほど理解できた。
誰かを好きになるということは、強く相手を思い続けるということ。
それがたとえどんな相手でも、好きになってしまえばその想いは募るばかり。
小悪魔のパチュリーに対する想いを、自分の魔理沙に対する想いと重ね合わせるアリス。
「私もあなたも、自分の思いを素直に言えない……それはとっても苦しいこと」
「こぁ?」
「パチュリーも同じよね……なんで私達は素直になれないのかしら」
素直になれないのは、自分ばかりが素直になるのは悔しいから。
そして何より素直になったとき拒絶されるのが怖いから。
話す内、考える内にアリスの目が潤いを帯びていく。
「こぁ~」
パタパタと羽を動かしてアリスの目線まで浮かび上がると、
こぁくまはアリスの目元をハンカチで拭おうとする。
しかし中々上手く拭えない。
それでもその優しさが嬉しくて、アリスはこぁくまを抱きしめた。
「もっと素直になってもいいのかな……」
「こぁー」
孤独に生きる魔法使い故の性格から素直になれないアリス。
契約者と主という関係の為に素直に恋情を出すことを許されない小悪魔。
小悪魔が以前にアリスを召還したのも、単なる偶然ではないのかも知れない。
「素直になれば魔理沙も気づいてくれるよね」
「こぁ」
アリスの言葉にうなずくこぁくま。
わかってないかもしれないが、今はその反応が嬉しく感じられる。
そう、素直な一面を見せられると嬉しいのだ。
「そうか……なりたいのならなればいいんだわ」
ただそれだけのことではないか。
それは難しいことではない。
ほんの少しだけ本当の自分をさらけ出すだけ。
相手に拒絶されるのが怖いのは、相手を信頼していない故に起こる言い訳。
本当に相手のことが好きならば好きと同じだけ信頼する。
そうすれば自ずと答えは出てくるのではないだろうか。
☆
「よし、完成したぞ」
「本当?」
魔理沙の手には透明な青色の液体が入ったビーカーがある。
どうやらそれが解呪薬らしい。
ここにきて本当に大丈夫か、という野暮な質問はする必要はない。
「さぁ飲め!」
ずずい、と差し出されるどう見ても人工的な色の液体。
身体によろしくない成分で作られた感が滲み出ている。
よほどのことがない限り、喜んで飲みたいという奇特な輩はいないだろう。
こぁくまはいやいやと首を横に振り、飲みたくないという意思表示をする。
そんなこぁくまにアリスは優しく諭すように語りかけた。
「大丈夫よ。魔理沙の魔法薬精製の腕前は確かなんだから」
「こぁ……?」
うん、とうなずくアリス。
こぁくまはアリスとビーカーを交互に見つめると、ついに思い切ってビーカーに口をつけた。
ごくごくと飲み干していくこぁくま。
「……けふっ」
可愛らしく息をつくのと同時に、その体が光に包まれ始めた。
その光は次第にふくれあがり、部屋を包み込んだ。
「やったぜ、成功だ」
魔理沙の言うとおり、光が収まったときそこには元の姿に戻った小悪魔が立っていた。
いったい何が起きているのかわかっておらず、目をぱちぱちとさせている。
話を聞くとここ数時間の記憶がやたら曖昧になっているという。
それを聞いた魔理沙は胸をなで下ろすが、間髪入れずにアリスの鉄拳が炸裂した。
「ふぅ……やたらと遅くなってしまいました」
魔導書を持ってきた鞄に詰め込み、それをよいしょと背負う。
空は紅から蒼へ、そして黒へとその色を変えつつある。
一番星もその姿を見せており、夜の訪れを告げていた。
本当はこんな時間までいるつもりはなかったのに、と小悪魔は言う。
それでも当初の目的は果たせた。
「それじゃあ私は急いで帰ります。私がどうかしている間に、
魔導書を探すのを手伝ってもらったみたいで……ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をする小悪魔に、アリスは別に良いのよと答える。
そんな二人のやり取りが面白くないのは魔理沙だ。
「なんだよその変わり様は」
「なんのことですか?」
にっこりと可憐な微笑を向ける小悪魔。
しかしその顔が笑っていないように見えるのは気のせい……ではないだろう。
「さて、本当に急がないと真っ暗になってしまいますね。では失礼します」
空高く舞い上がると、小悪魔は紅魔館へと帰って行った。
その背中の魔導書を名残惜しそうに見つめる魔理沙。
そんな魔理沙の視線を察知し、アリスはまたため息をついた。
「あなたの性格はいつまでも変わらないんでしょうね」
「なんだ? 褒めても何も出ないぜ?」
「はぁ……悩みがない私に悩みをくれるあなたのその精神が羨ましいわ」
「ははっ、私だって悩みの一つや二つ持ってるぜ」
意外な一言にアリスは目を見張る。
その様子に魔理沙はむっとした表情を浮かべた。
「なんでそんなに驚いてるんだよ。お前は私のことをどんな目で見ていたんだ」
「悩む前に行動する直情型の人間魔法使い」
「ほー、弾幕ごっこの第2ラウンドを開始したいようだな」
「やめてよ。私にそんな元気はないわ」
たしかにアリスの顔色はあまり優れないように見える。
大掃除の時に魔力を消費しすぎたのが、まだ尾を引いているらしい。
「……なぁ」
「何よ」
「今日、泊まっていくか?」
「なっ!」
魔理沙の突然の申し出にアリスは顔面を真っ赤にする。
よもや魔理沙の方からそんなことを言ってくれるなんて、思いもしていなかったのだ。
「だいぶ疲れてるだろ。いくら家が近いからって、もう夜だしな」
それに、と魔理沙は付け足して言う。
「私だって礼儀くらい弁えているさ。片付けの礼くらいさせてくれてもいいんじゃないか?」
魔理沙の申し出に、しばらく沈黙するアリス。
数秒の逡巡の後、アリスは心を落ち着かせて穏やかに告げた。
「……そうね、お言葉に、甘えさせてもらうわ」
アリスの返答に魔理沙はきょとんとした。
別に何もおかしいことを言ったわけではないのは確かだ。
「何よ」
「いや……いつものように「そんな事言ってまたなんか企んでるんでしょう」って
憎まれ口の一つや二つ返すと思っていたんだけどな」
「あんたは私のことをどんな目で見ているのよ」
「友達の少ないヒステリック勘違いな人形遣い」
「……殴るわよ」
「いや殴ってから言う台詞じゃないし」
今日何度も殴られた頭を抑える魔理沙を見て、アリスはおもわず笑みを溢した。
「なんだよ笑うことはないだろう」
「ふ、ふふふっ。だって魔理沙はやっぱり魔理沙なんだなぁって」
「なに今更そんなこと……」
「それじゃあ入りましょ」
「は?」
「今日は泊めてくれるんでしょ。晩御飯も作らないといけないし、ほぉらっ」
家の中へと魔理沙の背を押すアリス。
とても楽しそうに彼女は笑っていた。
☆
ヴワル魔法図書館。
なんとか任務も果たし、ようやく戻ってこられた小悪魔はその扉を開いた。
「ただいま戻りました~」
「小悪魔っ」
彼女の帰りをずっと待っていたように、彼女の主――パチュリーは慌てて駆け寄ってきた。
その剣幕に小悪魔はびくりと体を硬直させる。
時間がかかりすぎたことを咎められるのだろうか。
それとも自分が留守の間に何かあったのだろうか。
あれやこれやとお説教の理由を考えている小悪魔を、パチュリーはぎゅっと抱きしめた。
「まったく……あなたって子は」
その声がどこか震えていることに気づき、小悪魔は自分が勘違いをしていたことを理解する。
主は帰りの遅い自分をずっと心配してくれていたのだ。
あんなに必至に駆け寄ってくれたのは、それだけ心配していたことの証。
「パチュリー様……」
「僕のくせに主を泣かせるなんて……とんだ悪魔もいたものね」
小悪魔の首筋にパチュリーが流した温かい雫が流れ落ちる。
「申し訳ありません。ご心配をおかけしました。ですが私は絶対に何があろうとも
パチュリー様の元に帰ってきますから」
小悪魔はパチュリーを安心させるように抱きしめ返した。
そしてその耳元で呟く。
「ただいまです」
~終幕~
これ単作でも読めるように書きましたが、前作を読んでいるともっとすっきり読めるでしょう。
↓これより本編スタートでござい。
人気のない暗鬱とした森林。
そこにひっそりと立つ一軒家。
その寝室で、朝方の心地よい眠りを満喫する少女が一人。
「うー……」
けっ飛ばされた布団はかろうじて体にかかる程度。
年頃少女の生足は、だらしなくベッドの外に放り出され、誰も見ていないからと、
ドロワーズとシャツだけという寝間着姿は霰もなくはだけている。
その露出したすべすべなお腹をぽりぽりと掻くその姿は本当に誰にも見せられない。
「うぁ~っ」
なんとか起き上がり、そのまま背筋を伸ばして目を覚ます。
まだ目蓋は重そうだが体は起きた。
ベッドから降り、再度背伸びと共に大きな欠伸。
その辺に放り投げておいた白いブラウスに袖を通し、その上から黒のワンピースを着用。
しわを整えると、今度は鏡の前まで行きお気に入りのリボンを結ぶ。
そうして身だしなみを整える姿は、がさつな魔理沙といえども歴とした女の子だ。
軽く身支度をすませた魔理沙はキッチンへとやってきた。
椅子にかけてあったエプロンを着け、いつもの格好が完成する。
その後、冷気魔法を応用した冷蔵庫から、いくつかの食材を取り出し机に並べる。
手慣れた様子で調理を始めた。
男勝りで大雑把、というイメージからは想像もつかないほど、見事な手捌きを見せる魔理沙。
しばらくすると良いにおいが漂うようになってきた。
「うん……こんなもんかな」
特製の合わせ味噌で作った味噌汁の塩梅を確認する。
どうやら満足のいく味に仕上がったらしい。
火にかけている御飯もすぐに炊きあがるだろう。
おかずは昨日の煮付けが残っていたはずだから、それを食べることにする。
盛りつけも終わりテーブルへと運び、席に着く。
「今日も完璧だぜ」
箸を置いて、両手を合わせて、いただきま――
「おはよーございまーすっ」
突然大声が玄関先から聞こえてくる。
せっかくの朝食タイムを邪魔され、魔理沙はむっと表情を曇らせる。
「こんな時間に迷惑だぜ」
いつもアポイントも取らずに紅魔館を訪れるのに、自分のことは棚上げだ。
魔理沙は居留守を決め込むことにした。
こんな朝早くに居留守も何もあったものではないと思われるが。
しかし外からの声は諦める様子を見せない。
今度はどんどんという激しいノックもおまけでついてきた。
「いるのはわかってるんですよーっ。大人しく開けなさーいっ」
声は朗らかなのに、言ってることはどこか物騒だ。
それでも魔理沙は無視を決め込み、味噌汁を啜る。
「……しょうがないですね」
突然声が収まる。
諦めて帰ったのか、魔理沙がそう考えたのとほぼ同時に事は起こった。
まず大きな音。
そして次に振動。
おもわず含んでいた味噌汁を吹き出しそうになるが、乙女の尊厳にかけてそれだけは回避した。
「ったく、無茶しやがって」
魔理沙は箸を置き、慌てて玄関へと向かった。
玄関ではドアの残骸が無惨な姿で散らばっていた。
「んなっ」
ぶち破る、にも程があると思わせるほど木っ端微塵にされたドア。
木製のドアの破片だから、まさしく木っ端……などと考えている場合ではない。
「なんてことしてくれたんだっ」
「来客に対して居留守は失礼よ」
激怒する魔理沙に対して、ドアを吹っ飛ばした張本人はさらりと答えた。
「って……おまえがなんでここにいるんだよ」
魔理沙がおまえと称した相手。
紅い髪に黒いワンピース。
背中と耳に蝙蝠のような羽を生やした小柄な少女。
ヴワル魔法図書館で住み込みの司書をしている小悪魔だった。
彼女の姿を確認した瞬間、魔理沙はじりっと後ずさる。
相手を警戒する猫のごとし。
「もうあの一件は片付いただろ!」
あの一件。
それは先日の図書館騒動のこと。
館主の留守中に魔物の襲撃があった、と館内の者達はそう認識している事件。
魔物は消滅してめでたしめでたし、だったはずなのだが、実は重要な落とし穴が残っていた。
普段、あの場所で弾幕ごっこが行われる場合、貴重な蔵書を守るための結界が張られる。
その役目を果たすのは主にパチュリーと小悪魔だ。
しかし、あの時は小悪魔が『魔理沙撃退作戦』に気を取られ職務を放棄していたし、
パチュリーもいきなりのことで結界を張る暇もなかったのだ。
そのおかげで図書館はぼろぼろ。
いくつかの魔導書は消し炭になり、それを見たパチュリーは卒倒するほど酷い有様だった。
それを帰宅したメイド長咲夜に見つかったからさあ大変。
誰がやったのやってないだの大騒ぎになった。
ただし館の主であるレミリアは大して気にもとめていない様子だったが。
小悪魔は自分がそもそもの原因だと言おうとしたが、
無表情で美鈴に罰を与えるメイド長の姿を目の当たりにしては、とても言えやしなかった。
とうとう事態は発展せず、容疑者である魔理沙とアリス、
そしてパチュリー、小悪魔に図書館の片付けを任せるということでひとまず決着した。
その片付けだが、なんとまるまる一週間かかっている。
魔理沙とアリスは図書館に泊まり込み、その片付けを手伝わされたのだ。
まあ二人も弾幕を放ったのは事実なので、手伝うのは当然かも知れない。
そんなこんなで魔理沙が自宅に帰った来られたのがつい一昨日のこと。
元々整理整頓が苦手な魔理沙だが、この一件で嫌と言うほど整理をさせられ、
普段なら溜まらないはずのストレスも最高潮にまで高まっている。
おかげで図書館にはしばらく近づくまいと心に決めていた。
その矢先にやってきたのがこの小悪魔である。
魔理沙が警戒しないはずがない。
まさかまた図書館に連行されるのではないか、と。
前回の時は咲夜が紅魔館の精鋭部隊を一個小隊引き連れてやってきたものだから、
流石の魔理沙も大人しく手を挙げて降参するしかなかったという苦い思い出がまだ鮮明に残っている。
「違うわ。先日図書館を整理したときに、なくなった本のリストを作ったから、
パチュリー様の命令であなたに貸していた魔導書を返してもらいに来たのよ」
「げっ」
言葉だけでなく、顔でもその感情をあらわにする魔理沙。
整理整頓を手伝わされるより、もっと聞きたくなかった内容だ。
「何よその露骨に嫌そうな顔は」
魔理沙の家には蒐集したマジックアイテムがごろごろしている。
その中にはヴワル魔法図書館から持ち出された魔導書も含まれている。
来ては持って行き返さない、を繰り返している内に随分な数の魔導書が、
魔理沙の元に渡ってしまっているのだ。
いくら言っても返しに来ない。
ならばこちらから出向くしかない、とパチュリーは決めたのだ。
しかし体の弱い上に出無精の彼女が自分からやってくるはずがない。
それで白羽の矢が立ったのが小悪魔なのである。
「――ということで、私が直々に回収に来た、そういう訳よ」
えへん、と胸を張ってパチュリーからの達しを受けたことを自慢げに語る小悪魔。
しかし魔理沙は小悪魔がやってきた理由よりも、少し別のことを気にしていた。
「なぁ、おまえってそんな口調だったか?」
「何よ。どこがおかしいの」
別にどこも変なところはないと主張する小悪魔。
しかし魔理沙の顔にはやはり不思議がる表情が浮かんでいる。
「いや、パチュリーとか咲夜とかの前だともっと丁寧だろ」
なんだそういうことか、と小悪魔は答えた。
「あなただからよ」
先日の一件で、小悪魔は正式に魔理沙を恋敵と認めた。
ならばそれ相応の対応をするのが筋というもの、というのが小悪魔の考えだ。
だが小悪魔がそんな風に自分を見ているなど、露も思いもしない魔理沙は首を傾げるだけ。
「そんなことより!」
ばん、とテーブルを叩き、魔導書を返せと言及する小悪魔。
それに対して耳をふさいで聞こえないふりをする魔理沙。
この期に及んで往生際が悪い。
「だからぁ、借りてるだけだって~」
「いつまでたっても返さないのは借りてると言わないの」
小悪魔はどこか抜けていても、基本几帳面で真面目な性格だ。
そうでなければあの図書館の整理などやろうとすら思うまい。
だからこそ、この攻防で引き下がるとは思えなかった。
軽くあしらおうにも、ここが自分の家である以上逃げ場はない。
「あー……わかったぜ」
観念したように魔理沙はうなだれる。
「そっちの部屋にあるから持って帰ってくれ」
指さすときには一枚のドア。
ドアプレートには「研究室」とある。
小悪魔は椅子から降りると、最初からそう言えばいいのよ、とぶつぶつ言いながら、
部屋へと向かう。
ただ魔理沙はなにか言い忘れている気がしていた。
小悪魔がドアノブに手をかけたとき、魔理沙の記憶の底からその答えが浮上してきた。
先述しておくと、それはあまり良いことではない。
「ま、待て。そのドアは開けるな」
慌てて制止する魔理沙。
しかし小悪魔はそれを、魔導書を返したくない魔理沙の演技だと決め込み無視した。
そんな古典的な方法にひっかかるほど、自分はバカじゃない。
ぐっしゃあ
ドアを開いた瞬間、小悪魔は道具の雪崩に飲み込まれた。
これぞ古典的、ベタすぎるほどにお約束な結末である。
☆
絆創膏をすりむいた傷口に貼り、治療が終わる。
小悪魔の顔に浮かぶのは、不服以外のなにものでもない。
まさかこんな目に遭わされるとは思いもしなかったのだ。
「だから開けるなって言ったんだぜ」
それを言える立場でない魔理沙の言動に、小悪魔は噛みついた。
「誰がドアを開けたら道具に押しつぶされるなんて想像するのよっ」
「いや、まぁ……」
お恥ずかしい、と言わんばかりに頭を掻く仕草をする魔理沙。
いや恥ずかしがる前に片付けろ、と小悪魔は引っぱたきたいのを堪えながらも、
どうにか話を進めようとひくつく笑みで返す。
「それで? あの部屋はいつ片付けるのよ」
片付けかなければ魔導書などろくに探せやしない。
しかし帰ってきた魔理沙の返答は、小悪魔が予想する斜め上を突っ切っていた。
「あれで片付いているんだぜ」
間髪入れずに小悪魔の手刀が魔理沙の脳天を直撃する。
可愛い容姿からは考えられないほど、なかなかにアグレッシブな反応だ。
「開けた瞬間にものが崩れ落ちてくるあれのどこに片付けた痕跡があるのよっ」
「もっと酷かったのをあそこまで入れ込んだんだ。立派に片付いている」
頭をさすりながら魔理沙は答えた。
どうにも彼女には片付けというものの根本がわかっていない節が見られる。
「押し込んだだけじゃない……」
パチュリーから聞いていたが、魔理沙には蒐集癖の他に片付けられない症候群が
仕様として備わっているらしい。
片方だけでも充分面倒なのに、この二つが揃えばあっという間に地獄の完成だ。
「わかったわ。じゃあ適当に見つけて持って帰るから」
もはや閉めることのできなくなった研究室へと小悪魔は向かう。
下手に刺激してこの場で弾幕ごっになるのは、家主として遠慮願いたいので、
魔理沙ももう止めようとはしなかった。
持って行かれてもまた借りに行けばいいだけの話なのだし。
「それにしてもどうなっているのかしら」
小悪魔は完全に足の踏み場がない研究室――もはやその役割は果たせないだろう――を
浮かんで移動し、持って行かれた魔導書の捜索を行っていた。
しかし、眼下に広がるのは物の山。
本だけじゃなく、どんな用途で使うのかわからない道具が積まれている。
これでよく片付いていると言えたものだ、と小悪魔は嘆息した。
どこから手をつけて良いやらまったく見当がつかない。
しかしこのまま飛んでいるだけでは任を果たすことはできないだろう。
仕方がないと、ひとまず物の山を掻き分け始めた。
「これじゃあ片付けたくなくなるのも無理はないわね」
いくら掻き分けても床板すら見えない状況に悪態をつく。
このまま探し続けても、見つけられる魔導書はほんの数冊でしかないだろう。
かける時間と成果を天秤にかけるとどう考えても割に合わない。
それでも探し続けるしかないのだが。
「おーい、見つかったかー」
キッチンの方から呑気な声が聞こえてくる。
「この状況で見つけられるわけないでしょうーっ」
この地獄絵図を作り上げた本人に、ありったけの思いを込めて悪態を返す。
「そうかそうかー。あーそういえば」
「なによーっ」
二つの対照的な声が、部屋を挟んでやり取りを繰り替えす。
「そこは仮にも研究室だぜ」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよーっ」
作業を続けながら、魔理沙の意味不明な言葉に大声で返す小悪魔。
まだ肝心の魔導書は一冊も見つからない。
「いや、そういうことじゃなくてだな」
そこにきて初めて研究室に顔を出す魔理沙。
差の手には茶菓子と見られる醤油煎餅が食べかけの状態で握られている。
こいつ今までお茶していたな、という視線を受けつつも彼女は気にしない。
「それで何の用よ。まさか手伝いに来てくれたの?」
見た感じ、そういうつもりで来たのではないのは丸わかりなものだが。
一応試しに聞いてみる。
「いやそんな気はさらさらないぜ。元々片付いているからな」
再び振り下ろされる小悪魔チョップ。
「だから、この有様をどう見たら片付いているって言えるのよっ」
手伝わないのはこの際良しとしても、これを片付いていると言える精神には
さすがに突っ込まざるをえない。
「それよりもだ」
先ほどの話に戻るようだ。
「だから何」
「ここは研究室だぜ?」
魔理沙の一言に、小悪魔の顔には笑顔と青筋が同時に浮かぶ。
「そんなに私がバカに見えますか?」
丁寧な物言いが逆に寒々しい恐ろしさを醸し出す。
「い、いやそういう意味じゃないぜ。ほら、仮にもここは研究室だから」
さっきから何度も言っている要領を得ないこの言葉。
もういい、と言わんばかりに小悪魔は作業を再開した。
「色々危ない物もあったりするん、だ、が……」
魔理沙の言葉尻が微妙に途切れる。
彼女の視線が注がれる先、小悪魔が手に持つ球体に魔理沙は反応していた。
その反応から察するに、あまりよろしくない物であることがうかがい知れる。
しかし手に持つ当の小悪魔本人はそれに気づいていない。
「ちょっ、まっ、それは……」
ボン、と球体が破裂し小悪魔は煙に包まれた。
あちゃーと顔に手を当てる魔理沙には、さらに不味いという字がありありと浮かんでいる。
「おーい、大丈夫かー」
命に別状があるような代物はない――はずなので、生きているとは思う。
ただし命に別状がなくても、他のことに別状がある可能性はものすごく高い。
ここは研究室だぜ、と魔理沙が念を押していたのはそういう代物があるからだ。
それを先に言えばいいのに、という言葉しか浮かんでこない。
「こほっ、こほっ」
煙の中から小悪魔の可愛らしい咳が聞こえてくる。
どうやら意識を失うようなことにはなっていないらしい。
魔理沙はホッと息をつく。
というか裏を返せば意識を失うようなものがあるということだ。
そんなことはお構いせず、魔理沙は都合良く近くにあった団扇で煙を払った。
「こぁ?」
目が点になった。
☆
「うー……どうしたもんかねぇ」
魔理沙は困り果てた表情で、机の上のそれを見ていた。
愛らしい人形のようなそれは、可愛らしく首をきょとんと傾げている。
「こんなもんがあるなんて、まったく知らなかったぜ」
あれだけ物で溢れた部屋である。
まずあそこにあるものをすべて把握することは不可能だ。
だからこそ今回のような事故が起こってしまうわけである。
「でもまさか、こんなことになるなんてな……」
魔理沙は再び机の上のそれに目線を落とす。
「こぁ?」
可愛らしい声で魔理沙の呟きに答えるそれは、どこからどう見ても小悪魔である。
ただし体長は20センチ程度。
そのうえ、
「こぁー、こぁー」
ろくに言葉も使えないようである。
またその行動を見ていると、知能も退行しているらしい。
縮小退行化。
以前にちび萃香を調査したときのデータを元に作った、
本来は一時的に自分の体を縮小させる為の道具のはずが……
「こぁ?」
まさか知能まで縮小、つまり退行してしまうとは。
要するに失敗作だったと、そういうわけだ。
なんにしても、小悪魔をこのままにしておくわけにはいかない。
しかしここで重要な問題が浮上する。
「どうやって戻せば良いんだ」
うがーっと頭を掻きむしる魔理沙。
そんなことで良い知恵が思いつけば苦労はしない。
そんな魔理沙を見ても、小さくなった小悪魔――これ以降はこぁくまとでも呼ぼう――は、
自分の顔ほどもあるクッキーを美味しそうにほおばり、全く気にしていない。
自分が一番大変な立場であることをわかっていないのだ。
もし知能の退行がなければ、そんな体でも魔理沙に殴りかかっていることだろう。
「こぁ~」
ほっぺたに菓子くずをつけたまま、満面の笑みを浮かべるこぁくま。
そしてまたクッキーにかぶりつく。
その様子を見ていた魔理沙は思わず動きを止めてしまった。
ゆっくりと手がこぁくまへと伸ばされる。
何をしようとしているのか、小悪魔はクッキーに夢中で気づかない。
ひょい、ぱくっ
「こあっ!?」
なんの躊躇いもなく、魔理沙はこぁくまのクッキーを奪い取り自分の口へ。
思わずこぁくまは吃驚した声を出す。
魔理沙ははっとすると、自分がやったことに自分で驚いていた。
「あ、あれ。なんでこんなことやってるんだ?」
意識したわけではない。
自然と手がクッキーに伸び、いつの間にか口に運んでいたのだ。
「こぁぁ……」
こぁくまの目に大粒の涙が浮かぶ。
あぁそうか、魔理沙は自分の行動の動機を理解した。
「か、か、か」
「こぁ?」
「可愛すぎるぜーっ」
「こぁーっ!」
ぎゅむーっとこぁくまを抱きしめる魔理沙。
男勝りに振る舞ってはいるが、本質はやはり可愛い物好きの女の子というわけだ。
抱きしめられているこぁくまはたまったものではないが。
「なな、なにをやってるのよーっ!!」
そこに乱入する珍声。
魔理沙と、彼女に抱きしめられるこぁくまを見た来客の第一声だ。
お気に入りの水色ドレスに身を包み、傍らに上海人形と蓬莱人形を引き連れた、
魔理沙と同じく魔法の森に居を構えるアリス・マーガトロイドが、
部屋の入り口で、驚きの表情を浮かべ突っ立っていた。
「あ、アリス……」
「魔理沙……」
「こ、こぁぁ……」
間違っても見られたくない一面を見られてしまった魔理沙。
魔理沙の思いもかけぬ一面を見てしまったアリス。
そんなことは関係なく、ただ魔理沙の腕から逃れようと奮闘するこぁくま。
三者三様の視線が交錯する中、一番に口を開いたのは魔理沙だった。
慌ててこぁくまを腕から解放し、苦笑を浮かべる。
解放されたこぁくまは時すでに遅く、脱出できず気絶していた。
「よ、よぅ、アリス。いきなり人ン家に入ってくるなんて失礼だぜ」
あからさまに動揺が見て取れる魔理沙。
「いくら呼んでも出てこない方が悪いのよ。まさかそんなことをしてるとは、
思いもしてなかったけど……」
対するアリスはもの凄くお冠に見える。
「魔理沙にそんな趣味があったなんて……」
「い、いや……誤解だぜアリス」
「魔理沙もお人形好きだったのねっ!」
「は?」
言い訳を紡いでいた魔理沙の口が「あ」の形で固定される。
どうやら怒っているように見えたのは、喜びを我慢していたものだったらしい。
とどのつまりアリスの十八番、勘違い。
「それにしても良くできた人形ね」
ひょいとこぁくまを持ち上げるアリス。
魔理沙が止めようとするも時すでに遅し。
「ん? なんだか見覚えがある姿をしているわね……って、これ小悪魔の」
アリスの顔色がどんどん青ざめていく。
その様子の変化に、魔理沙は覚えがあった。
魔理沙の顔にまずいぜ、やばいぜの文字が浮かぶ。
アリスの勘違いはどんどんよからぬ方向へ暴走し始めている。
このときのアリスを元の方向に戻すのは至難の業だ。
「魔理沙……そう、あなた小悪魔のことをそんなに……」
「ア、アリス、ちょっとは落ち着いて私の話を聞くんだ。凄い勘違いしてるから、な?」
「魔理沙のこと……信じていたのにいっ!」
その後アリスの暴走で始まった弾幕ごっこがしばらく続き、
ようやく彼女が話のできる精神状態に戻ったときには、すでに日は高くなっていた。
☆
「――というわけだぜ」
なんとか事の次第を説明し終えた魔理沙はどっと疲れを感じていた。
朝から来客、騒動の連続で心も体も安まる暇がない。
「そ、そうだったの。私はてっきり魔理沙が小悪魔のことを……その」
誤魔化すようにティーカップを口元に運ぶアリス。
ちょうど昼時ということもあり、今は全員で食卓を囲っていた。
ちなみにメニューは魔理沙手製の茸パスタ。
こぁくまは先程のクッキーでお腹が膨れているのか、
今は食べずに上海人形や蓬莱人形と遊んでいる。
「それで元に戻す方法がわからないまま、今に至ると」
「そういうことだぜ」
パスタを食べながら、事の張本人である魔理沙は相づちを打つ。
その様子には先程までの焦燥が見られない。
「本当に見当がつかないの?」
「んー……持効性はないから時間が経てば元に戻るはずなんだが」
「どれくらいの時間?」
「確か2時間だぜ」
ここでこれまでの時間経過を確認してみよう。
魔理沙が目を覚ましたのが午前7時。
朝食の準備をして食べようとしたところに、小悪魔がやってきたのが午前8時。
小悪魔が例の道具を見つけ、こぁくまになってしまったのが9時。
アリスがやってきて、弾幕ごっこが始まったのが9時半。
そして昼食を食べ始めたのが12時。
2時間というリミットは、すでに通り過ぎていた。
「つまり時間設定も失敗に終わっていた訳ね」
もはや何も言い返すことはできない。
これで効果切れによる事態の収拾は期待できなくなったというわけだ。
「失敗作なんかをいつまでも捨てずに置いておくのが悪いのよ」
「いや、失敗作でも役に立つときがあるかもしれないだろ?」
「役に、ねぇ」
アリスがちらりとこぁくまに視線を流す。
言わんとしていることに魔理沙も気づき、顔をうつむかせる。
「でも本当にどうするの。あの子がこのままだとパチュリーが黙ってないと思うけど」
「それなんだよなぁ……明日には返さないと、流石のあいつでもこっちに来るだろうし」
二人してため息をつく。
普段大人しいやつほど、怒ったときに何をしでかすかわからない。
パチュリーと本気でやるのは勘弁願うところである。
「はぁ……せめてもう一つあれば成分分析して解呪薬を作れないこともないのに」
「それだっ」
「え?」
魔理沙は突然立ち上がったかと思うと、また突然アリスに抱きついた。
抱きつかれたアリスは一瞬で理性が吹っ飛んだ。
だが暴走する前に意識も共に吹っ飛んだので、語るに語れない官能の世界が
繰り広げられることだけはかろうじて繰り広げられなかった。
「サンキューな、アリス。お前のおかげでなんとかなりそうだぜ」
幸せの絶頂で意識が飛んだため、にやけた顔で――そのうえ鼻血まで出しながら――
気絶しているアリスにひとしきり礼を言うと、魔理沙はさっさと部屋を後にした。
端から見れば報われない恋ではあるが、たぶんアリス本人は喜んでいるだろう、たぶん。
魔理沙はゴミ山、もとい研究室へとやってきた。
自分で作り上げた地獄絵図に、今更ながらやるせなさを感じる魔理沙。
それは今からこの溢れかえる物の山から探し出さないとならないものがあるからだ。
「捨ててないならまだあるはずだぜ」
魔理沙が探すのは、小悪魔が見つけたあの道具と同じ物。
アリスが言ったように、同じ物があればそれを元に反対の作用を持つ道具を
作り出すことも可能だろう。
物を捨てない魔理沙だからこそ、まだ残っている可能性があるといえる。
「やっぱり捨てずにおいておくと役に立つんだぜ」
自分の性癖をここぞとばかりに棚上げする。
しかし最初からきちんと整理しておけば、今回のようなことにはならないはずだ。
それに――
「そういう台詞は見つけてから言いなさいよね」
早い時間で復活したアリスも研究室にやってきた。
なんとか鼻血も止まったようだ。
いつもながらの有様を見て、アリスの口からも何度目とも知れぬため息が漏れる。
「お、手伝ってくれるのか?」
「あなただけだと何日かかるかわからないもの」
言いながら足下のフラスコを拾い上げる。
なんだかんだで手伝うあたりに、アリスの不器用な優しさが見える。
そんなアリスに笑みを向けながら、魔理沙も片付けを再開した。
☆
時はすでに夕刻。
あれだけ散らかっていた――その一言では表せない気もするが――魔理沙の研究室は
なんとか床の木板が見える程度には片付いた。
魔導書はきちんと本棚に戻り、研究器具も光を放つほど綺麗に磨かれている。
これだけ早く片付いたのも、アリスの手伝いがあったからこそだ。
途中で人形を大量に召還し、その人形達がフル稼働したおかげで、
たったの数時間でここまで片付いた。
そして肝心のアイテムだが、やはり捨てずに放っておいた物があった。
だからといって魔理沙の捨てられない癖が褒められるというわけでないが。
「はぁ……やっぱりこれだけの人形を一気に扱うと疲れるわね」
魔力を消費して人形を動かすため、アリスの体力はだいぶ参っていた。
思わず机に突っ伏してしまう。
「後は私の仕事だからな。体力戻るまで休んでな」
「言われなくてもそのつもりよ……」
研究室から聞こえる魔理沙の声に、怠い声で答えるアリス。
これで後は解呪薬が精製できればすべて終わる。
ちょっと顔を見せにやってきただけなのに、こんな一騒動に巻き込まれるとは。
「まったく……魔理沙といると退屈しないわね」
「こぁ?」
アリスの苦笑混じりの呟きにこぁくまが首を傾げる。
こぁくまの視線に気づいたアリスは、彼女をひょいと持ち上げた。
「もうすぐ戻れるわよ」
「こぁー」
分かっているのか分かっていないのか、とりあえず言葉は返してくれる。
「早くパチュリーの所に帰りたいわよね」
「こぁ!」
パチュリーの名前が出て来たとたん、こぁくまの声色が変わる。
とても嬉しそうなそんな感じだ。
「そんな姿になっても、あの子のことは覚えているのね」
それだけ小悪魔のパチュリーに対する想いが強いということだろう。
小悪魔の気持ちを知るのは、協力したアリスだけだ。
パチュリーの心を取り戻したいという小悪魔の言葉は、痛いほど理解できた。
誰かを好きになるということは、強く相手を思い続けるということ。
それがたとえどんな相手でも、好きになってしまえばその想いは募るばかり。
小悪魔のパチュリーに対する想いを、自分の魔理沙に対する想いと重ね合わせるアリス。
「私もあなたも、自分の思いを素直に言えない……それはとっても苦しいこと」
「こぁ?」
「パチュリーも同じよね……なんで私達は素直になれないのかしら」
素直になれないのは、自分ばかりが素直になるのは悔しいから。
そして何より素直になったとき拒絶されるのが怖いから。
話す内、考える内にアリスの目が潤いを帯びていく。
「こぁ~」
パタパタと羽を動かしてアリスの目線まで浮かび上がると、
こぁくまはアリスの目元をハンカチで拭おうとする。
しかし中々上手く拭えない。
それでもその優しさが嬉しくて、アリスはこぁくまを抱きしめた。
「もっと素直になってもいいのかな……」
「こぁー」
孤独に生きる魔法使い故の性格から素直になれないアリス。
契約者と主という関係の為に素直に恋情を出すことを許されない小悪魔。
小悪魔が以前にアリスを召還したのも、単なる偶然ではないのかも知れない。
「素直になれば魔理沙も気づいてくれるよね」
「こぁ」
アリスの言葉にうなずくこぁくま。
わかってないかもしれないが、今はその反応が嬉しく感じられる。
そう、素直な一面を見せられると嬉しいのだ。
「そうか……なりたいのならなればいいんだわ」
ただそれだけのことではないか。
それは難しいことではない。
ほんの少しだけ本当の自分をさらけ出すだけ。
相手に拒絶されるのが怖いのは、相手を信頼していない故に起こる言い訳。
本当に相手のことが好きならば好きと同じだけ信頼する。
そうすれば自ずと答えは出てくるのではないだろうか。
☆
「よし、完成したぞ」
「本当?」
魔理沙の手には透明な青色の液体が入ったビーカーがある。
どうやらそれが解呪薬らしい。
ここにきて本当に大丈夫か、という野暮な質問はする必要はない。
「さぁ飲め!」
ずずい、と差し出されるどう見ても人工的な色の液体。
身体によろしくない成分で作られた感が滲み出ている。
よほどのことがない限り、喜んで飲みたいという奇特な輩はいないだろう。
こぁくまはいやいやと首を横に振り、飲みたくないという意思表示をする。
そんなこぁくまにアリスは優しく諭すように語りかけた。
「大丈夫よ。魔理沙の魔法薬精製の腕前は確かなんだから」
「こぁ……?」
うん、とうなずくアリス。
こぁくまはアリスとビーカーを交互に見つめると、ついに思い切ってビーカーに口をつけた。
ごくごくと飲み干していくこぁくま。
「……けふっ」
可愛らしく息をつくのと同時に、その体が光に包まれ始めた。
その光は次第にふくれあがり、部屋を包み込んだ。
「やったぜ、成功だ」
魔理沙の言うとおり、光が収まったときそこには元の姿に戻った小悪魔が立っていた。
いったい何が起きているのかわかっておらず、目をぱちぱちとさせている。
話を聞くとここ数時間の記憶がやたら曖昧になっているという。
それを聞いた魔理沙は胸をなで下ろすが、間髪入れずにアリスの鉄拳が炸裂した。
「ふぅ……やたらと遅くなってしまいました」
魔導書を持ってきた鞄に詰め込み、それをよいしょと背負う。
空は紅から蒼へ、そして黒へとその色を変えつつある。
一番星もその姿を見せており、夜の訪れを告げていた。
本当はこんな時間までいるつもりはなかったのに、と小悪魔は言う。
それでも当初の目的は果たせた。
「それじゃあ私は急いで帰ります。私がどうかしている間に、
魔導書を探すのを手伝ってもらったみたいで……ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をする小悪魔に、アリスは別に良いのよと答える。
そんな二人のやり取りが面白くないのは魔理沙だ。
「なんだよその変わり様は」
「なんのことですか?」
にっこりと可憐な微笑を向ける小悪魔。
しかしその顔が笑っていないように見えるのは気のせい……ではないだろう。
「さて、本当に急がないと真っ暗になってしまいますね。では失礼します」
空高く舞い上がると、小悪魔は紅魔館へと帰って行った。
その背中の魔導書を名残惜しそうに見つめる魔理沙。
そんな魔理沙の視線を察知し、アリスはまたため息をついた。
「あなたの性格はいつまでも変わらないんでしょうね」
「なんだ? 褒めても何も出ないぜ?」
「はぁ……悩みがない私に悩みをくれるあなたのその精神が羨ましいわ」
「ははっ、私だって悩みの一つや二つ持ってるぜ」
意外な一言にアリスは目を見張る。
その様子に魔理沙はむっとした表情を浮かべた。
「なんでそんなに驚いてるんだよ。お前は私のことをどんな目で見ていたんだ」
「悩む前に行動する直情型の人間魔法使い」
「ほー、弾幕ごっこの第2ラウンドを開始したいようだな」
「やめてよ。私にそんな元気はないわ」
たしかにアリスの顔色はあまり優れないように見える。
大掃除の時に魔力を消費しすぎたのが、まだ尾を引いているらしい。
「……なぁ」
「何よ」
「今日、泊まっていくか?」
「なっ!」
魔理沙の突然の申し出にアリスは顔面を真っ赤にする。
よもや魔理沙の方からそんなことを言ってくれるなんて、思いもしていなかったのだ。
「だいぶ疲れてるだろ。いくら家が近いからって、もう夜だしな」
それに、と魔理沙は付け足して言う。
「私だって礼儀くらい弁えているさ。片付けの礼くらいさせてくれてもいいんじゃないか?」
魔理沙の申し出に、しばらく沈黙するアリス。
数秒の逡巡の後、アリスは心を落ち着かせて穏やかに告げた。
「……そうね、お言葉に、甘えさせてもらうわ」
アリスの返答に魔理沙はきょとんとした。
別に何もおかしいことを言ったわけではないのは確かだ。
「何よ」
「いや……いつものように「そんな事言ってまたなんか企んでるんでしょう」って
憎まれ口の一つや二つ返すと思っていたんだけどな」
「あんたは私のことをどんな目で見ているのよ」
「友達の少ないヒステリック勘違いな人形遣い」
「……殴るわよ」
「いや殴ってから言う台詞じゃないし」
今日何度も殴られた頭を抑える魔理沙を見て、アリスはおもわず笑みを溢した。
「なんだよ笑うことはないだろう」
「ふ、ふふふっ。だって魔理沙はやっぱり魔理沙なんだなぁって」
「なに今更そんなこと……」
「それじゃあ入りましょ」
「は?」
「今日は泊めてくれるんでしょ。晩御飯も作らないといけないし、ほぉらっ」
家の中へと魔理沙の背を押すアリス。
とても楽しそうに彼女は笑っていた。
☆
ヴワル魔法図書館。
なんとか任務も果たし、ようやく戻ってこられた小悪魔はその扉を開いた。
「ただいま戻りました~」
「小悪魔っ」
彼女の帰りをずっと待っていたように、彼女の主――パチュリーは慌てて駆け寄ってきた。
その剣幕に小悪魔はびくりと体を硬直させる。
時間がかかりすぎたことを咎められるのだろうか。
それとも自分が留守の間に何かあったのだろうか。
あれやこれやとお説教の理由を考えている小悪魔を、パチュリーはぎゅっと抱きしめた。
「まったく……あなたって子は」
その声がどこか震えていることに気づき、小悪魔は自分が勘違いをしていたことを理解する。
主は帰りの遅い自分をずっと心配してくれていたのだ。
あんなに必至に駆け寄ってくれたのは、それだけ心配していたことの証。
「パチュリー様……」
「僕のくせに主を泣かせるなんて……とんだ悪魔もいたものね」
小悪魔の首筋にパチュリーが流した温かい雫が流れ落ちる。
「申し訳ありません。ご心配をおかけしました。ですが私は絶対に何があろうとも
パチュリー様の元に帰ってきますから」
小悪魔はパチュリーを安心させるように抱きしめ返した。
そしてその耳元で呟く。
「ただいまです」
~終幕~
世界が平和になる気がする