小悪魔は気が気でなかった。
それもこれも時折やってきては、神聖な図書館を荒らしていくあの魔法使いが原因だ。
数十年に及ぶ、我が契約者とのめくるめく同棲生活に土足で踏み込み、
愛する主人の心を奪っていった大泥棒。
本を持って行くだけならまだ酌量の余地はあったのに、
あろうことかあいつは盗ってはならないものを盗ってしまった。
これはもう実刑あるのみ。
小悪魔は愛する者の為に、悪魔としてあの泥棒を倒し、
大切なあの方の心を取り戻すことを、堅く胸に誓うのだった。
☆
幻想郷の中でも、一際目を引く建造物。
と言えば誰しもがこの館の名前を口にすることだろう。
屋根も壁面も真っ赤に塗られた大きな館、紅魔館。
そこに住むのは誰もが畏れる吸血鬼の姉妹と彼女たちに仕える多勢のメイド。
名前を覚えてもらえない門番、主君の友人の魔女、
そして彼女が召還契約した小悪魔が住んでいる。
吸血鬼という畏怖の対象が住んでいる館として、これまでは近づく者はいなかった。
しかしある事件をきっかけに、ちょくちょく来訪者がやってくるようになり、
紅魔館のイメージもずいぶん変わってしまった。
別段来訪者が増えても問題はない。
だが一人だけ、要注意のレッテルを貼られた人間がいる。
人間にしては中々に強い魔力を持ち、妖怪の類と互角に渡り合う程の実力者。
しかし性格は男勝りで自分勝手。
紅魔館にやってきては、そのたびに貴重な書物をかっ攫っていく。
霧雨魔理沙の名を知らない者は、この紅魔館において存在しない。
その行動から、嫌悪の対象として抱いている者が殆どだが、中には好意を抱いている者もいる。
その一人が吸血鬼姉妹の妹、フランドール・スカーレット。
そしてもう一人は、ヴワル図書館で生活をしている生粋の魔女、
動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジである。
ただし彼女はフランドールのように素直に好意を示してはいない。
だが端から見ていれば、そんなことにはすぐ気づかされるほど演技は下手だった。
そんなパチュリーを見て、心を痛める者がいた。
彼女に召還され、契約を結んだ悪魔族の少女である。
下級悪魔に属するため、名前もない彼女はパチュリーから小悪魔と呼ばれ、
いつしかそれが彼女の名前代わりとなっていた。
小悪魔は寡黙で何を考えているか分からないパチュリーが大好きだ。
年中館から出ないので、文字通り病的に白いその肌が大好きだ。
時折見せる不器用でも凄く優しいところが大好きだ。
しかしそのことは胸に秘め、片思いの恋心を抱いていた。
主人と契約者という立場上、それ以上の関係は求められないのである。
それでも側にいられるだけで嬉しかった。
その幸せが砕かれたのは、ほんの一瞬のこと。
★
それなりに強いと評判のあった門番が破られたと報告があった。
その侵入者は館内を縦横無尽に飛び回り、メイドや妖精達をばったばったと
なぎ倒しているらしい。
そしてそいつがこの図書館に向かっていることを聞いたパチュリーと小悪魔は
その侵入者を迎え撃つことにした。
館内に結界を貼り、大切な書物に傷がつかないように準備は万全。
しかし結局二人ともその侵入者、霧雨魔理沙に伸されてしまった。
その代償はいくつかの魔導書、そして――
パチュリー・ノーレッジの恋心。
☆
自分はずっと手に入れることを我慢してきたのに。
あいつは横からやってきて、突然奪っていった。
二人きりの生活に、ちょくちょくやってきては水を差し、
そのたびにパチュリーは、魔理沙への恋心を募らせていく。
そんな彼女を見るたびに、小悪魔は胸を締め付けられる思いを抱いていた。
それもこれもあの霧雨魔理沙という存在のせい。
彼女さえここに来なくなれば。
ここから滅多に出ないパチュリーは、愛想を尽かされたと思い魔理沙への恋心を捨てるだろう。
小悪魔の思いは歪曲した方向へと向かっていた。
☆
それから数日後。
魔理沙はいつものように紅魔館を訪れた。
勿論以前に持って帰った魔導書は持ってきていない。
「待ちなさい! 毎度毎度私を雑魚キャラ扱いして通るのも今日でお終いよ!」
門番である紅美鈴が、魔理沙の前に立ちはだかる。
「今日はレミリアお嬢様も咲夜さんもお出かけ中。留守を守れないで何が門番よ!」
レミリアと咲夜は博麗神社まで出かけている。
二人の不在中に不手際があれば、あとでどんな仕置きが待ち受けているか。
その恐怖が美鈴の闘気を高めていた。
しかし魔理沙は鼻歌を歌いながら、箒のスピードを緩めようとはしない。
「私は眼中にないってわけ……そう余裕こいていたら痛い目見るよっ」
いつになく格好良く決めた美鈴。
本人も納得のいく登場シーンである。
しかし、
ますたーすぱーっく。
☆
館の外で爆発音が一つ。
「どうやら中国はまた駄目だったようね」
パチュリーは落胆する様子も全く見せず、読んでいた本を閉じる。
いつものこと、と全く慌てる様子もない。
しかしどこかそわそわしているように見えるのは間違いないだろう。
魔理沙が来たことで緊張しているのだ。
このときの主は新鮮で凄く可愛いのだが、その対象があの魔理沙であることを考えると
それ以上に憎々しい感情が、小悪魔にはわき上がっていた。
こうしてはいられない。
今日という日のために、最高の作戦を練ってきたのだから。
小悪魔はパチュリーに気づかれないように、図書館の隅へと移動した。
魔理沙が来たことで注意力が散漫になっているパチュリーはそんなことに気がつかない。
これだけは魔理沙のおかげである。
図書館の隅の隅。
殆ど読まれない書物ばかりが置かれてある、一言で言えば需要のないスペースだ。
だからこそ、隠れて何かをするには絶好のスペースといえる。
そこには大きな魔法陣が描かれて布が置かれていた。
数日前に作り上げた、今回の作戦の要である。
途中でばれないように、このような形状にしたのは小悪魔自身が考えた策だ。
小狡いが確実な方法である。
「さてと……」
広げた魔法陣を前に小悪魔は書棚から一冊を取り出した。
そのタイトルは『易しい世界の壊し方』。
どこぞの悪霊が書いた本らしいが、その本人が世界崩壊に失敗し、まったく売れなかったという。
しかし、小悪魔が行おうとしているのは魔理沙撃退であって世界崩壊ではない。
パチュリー様が振り向いてくれない世界なんて……ということではない、念のため。
本当の目的、それは。
「誰もこんな所に召還の呪文が書いてあるなんて思いもしないでしょうね」
ページの右端。
一文字だけ可愛らしい字で「エ」と書かれている。
明らかに本の仕様ではなく、後から書き足された落書きだ。
「ふふふ……我ながら考えたものね」
ページをバラバラとめくる小悪魔。
その隅に書かれた文字がそれに合わせて変わっていく。
いわゆるパラパラ漫画の要領だ。
一文字一文字に分けて書かれた召還儀式の呪文は、小悪魔の直筆によるものだ。
先ほどの魔法陣といい、この呪文の隠し場所といい、手が込んでいるとしか言いようがない。
それだけの情熱と知恵をかけるほど、小悪魔のパチュリーに対する愛と、
魔理沙に対する憎しみは大きいということがうかがい知れる。
さて、小悪魔が自信を持ってお送りする『魔理沙撃退作戦』。
その全貌はこうである。
小悪魔は、魔理沙が始めてここを訪れたときに彼女と戦い負けている。
今戦っても結果は同じだろう。
小悪魔としては悔しいだろうが、魔理沙の実力は彼女よりも上なのである。
しかしそれは小悪魔自身もよく理解している。
そのための備えがこの魔法陣なのだ。
これは魔界とこの世をつなぐゲートの役割を果たす紋様が描かれている。
そして先ほどの呪文と組み合わせることで、魔界の魔物を呼び出すことができるのだ。
下級悪魔である小悪魔の力では、限定して魔物を呼び出す儀式は難しいものの、
魔界から魔物をランダムで召還するこの儀式なら、強力な魔物を召還でき、
しかも自分の言うことを聞かせることができるのだ。
強力な魔物が出てくるか弱い魔物が出てくるかはギャンブルだが、
確実に言うことを聞かせられるから、すぐに帰ってもらうことも可能である。
そんな便利な方法を何処で見つけたのか、というと実は小悪魔本人も覚えていない。
誰かから教えたもらったのは覚えているが、何分昔のことなので忘れてしまったのだ。
そんなことは今はどうでも良い。
ひとまずこれで強力な魔物を呼び出し、そいつに魔理沙を倒してもらうのだ。
しかしそれだけではこの作戦は半分しか完遂しない。
その魔物に今度はパチュリーを襲わせるのである。
もちろん魔理沙のように本気で潰してもらうわけではない。
すんでの所で自分が助けに入り、元の場所へと帰すのだ。
勿論自分が命令してではなく、さも自分が撃退したように見せかけて。
邪魔者を倒し、愛する主人との関係を修復することができる。
まさに一石二鳥の作戦である。
一石二鳥というと、とたんに馬鹿っぽく感じてしまうのは何故だろうか。
氷の⑨が浮かんでくるのは……たぶん気のせいではない。
閑話休題。
これが小悪魔が全身全霊をかけて練り上げた『魔理沙撃退作戦』の全貌だ。
そこかしこに狡賢さが見え隠れしているのは、本来の性格――小悪魔として――の
現れなのだろうか。
後はこの魔法陣によって呼び出す魔物がどの程度の力をもっているか、
それが鍵となる。
相手はあの魔理沙とパチュリーだ。
適当な力では逆に返り討ちに遭い、そこでこの作戦は大失敗に終わってしまう。
それを防ぐための秘策も一応用意してあるが、
それでもその魔物の強さが問題となることに変わりはない。
(私の日頃の行いを神様が見てくれているのなら……この日くらいは私の願いを
かなえてくれてもいいんじゃないでしょうか。お願いします)
悪魔が神頼みなど滑稽な気もするが、運しか頼るものがない今小悪魔も必死なのだ。
必死にしては調子の良い頼み方だとは思うが、あえてスルーしておこう。
そろそろ魔理沙がやってくる。
その前に魔物を召還して事の次第を説明しなくては。
小悪魔はパラパラ呪文を手に、詠唱を行う。
全神経を精神に集中させ、魔力を高める。
「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!
エロイムエッサイム、くちはてし大気の聖霊よ!
万人の父の名のもとに行う、我がもとめに答えよ!エロイムエッサイム」
魔法陣がそれに答えるように淡い光を纏う。
呪文自体は成功したようだ。
あとはこのゲートを通って現れる凶悪な魔物が、どんな奴かで成功かどうかが決まる。
残忍非道なデーモン、力ではピカイチのドラゴン。
その辺りが来てくれれば作戦は成功したも同然だ。
そして待望の魔物が降臨する――――
「きゃあっ!」
まず聞こえたのは可愛らしい悲鳴。
次いでどすん、という音と共にたまっていた埃が舞い上がり視界をふさぐ。
その音からするにあまり大きな魔物ではないらしい。
まあ大きければ良いというものではない。
問題はその力なのだ。
しかし気になるのは先ほどの声。
可愛らしいものが聞こえた気がする。
声だけですべてが決まるわけではないが、嫌な予感がするのは何故だろうか。
そして埃が収まり視界が晴れその姿が目に映る。
そこにいたのは……
「あなた誰よ」
召還の際にぶつけたのだろう、おしりをさすりながら不審がる視線を向ける……少女。
小悪魔より背は高いが、どこからどう見ても女の子だ。
水色の爽やかなフリルドレスに身を包み、それに映える金色のふわふわした髪の毛を有している。
一言で言えば可愛い。
そう、“可愛い女の子”を召還してしまったのである。
その姿を見た瞬間、小悪魔の中ですべてが崩壊する音が聞こえたのは言うまでもない。
「あら? なんだヴワル図書館じゃない」
召還された少女は、周囲を見渡してこの場所の名を口にした。
一度来たことがあるらしい。
そういえばどこか見覚えがある気がする。
「それであなたは?」
「えっと……私は小悪魔」
小悪魔は戸惑いながらも自己紹介をする。
相手が名乗れば自分も名乗る、と礼儀正しく少女は名乗ってくれた。
「私はアリス・マーガトロイド。魔法の森に住んでる魔女よ」
そうだ、アリスだ。
時々ここに魔理沙と共に現れる魔女。
この子も魔理沙が好きらしい。
あんな奴の何処が良いのかは小悪魔には理解できないが。
「それで?」
アリスは詰め寄るようにして再度尋ねてきた。
何に対してのそれで、なのかが分からず小悪魔は答えあぐねる。
「どうして家で人形作りをしていた私が突然ここに呼ばれたのか。
その理由と目的を明瞭簡潔に十秒以内で答えなさい?」
言葉遣いは柔らかいが、存外に怒っていることが丸わかりである。
脅迫にも似た質問に、小悪魔はただただ正直に答えるしかなかった。
☆ 少女説明中……
「成る程。魔理沙を倒して、パチュリーの視線を自分に戻したい、と」
アリスは小悪魔の話をそうまとめた。
実際その通りである。
「その為に魔界から魔物を呼び出そうとして、私が召還された……何よ、その目は」
小悪魔はそれが不思議でならないのだ。
魔界から魔物を呼び出すはずの儀式なのに、どうして魔法の森に住む魔女が召還されたのか。
呪文に間違いはなかったはずだ。
その疑問をアリスにぶつけると、アリスは少し罰が悪そうに答えた。
「実は私は魔界の生まれなのよ。もしかすると私の中に流れる魔界人の血が
その呪文に反応したのかもしれないわね」
彼女が魔界人だったことには驚いたが、これで小悪魔にも合点がいった。
しかし彼女では些か頼りない。
いったん帰ってもらって、もう一度召還儀式を執り行おう。
「あぁ~っ!!」
小悪魔の泣きそうな声が書架に響き渡る。
「ど、どうしたのよ」
小悪魔が呆然と見つめる先、そこには塵と化した魔法陣の成れの果てが。
まさかこんなことになるとは予想だにしてなかった。
これではアリスに帰ってもらうことも、次の魔物を呼ぶこともできない。
アリスは幻想郷の住人なので、契約を解いて帰ってもらうことは可能だが、
次の召還ができないことには、この作戦はおじゃんである。
涙目でがっくりと肩を落とす小悪魔に、アリスも同情の念を抱く。
「まぁ、その……私で良ければ手伝うわよ?」
「え?」
「魔理沙を倒してパチュリーも襲えばいいのよね」
アリスは何でもないように言い切る。
だが相手はアリス自身が好意を寄せる魔理沙だ。
それにパチュリーの知り合いであるアリスに、戦う理由はない。
「理由ならあるわよ。私がこっちにやってきたのは、何を隠そう魔理沙に勝つため。
パチュリーには個人的に叩きのめしたい理由はあるしね」
「いやパチュリー様は叩きのめさなくて良いんですが」
「あ、あら。そうなの……ちっ」
最後に小さく舌打ちをするアリス。
聞こえてしまった小悪魔は、この人に任せて良いものかと不安を覚えた。
「でも、好きな人のためにどんなことでもしてやろうというその心意気。
私だって同じよ。……魔理沙、今日という今日は決着をつけてあげるわ」
どうやら魔界人としてこちらにやってきたときのことを思い出し、
忘れかけていた魔界の血が騒いでいるようだ。
「でも流石に私でも魔理沙とパチュリーを同時に相手にはできないわ」
「それならこれを使ってください」
小悪魔はそう言って一冊の本を差し出した。
見ただけでかなりの年代物であることがうかがい知れる。
「こ、これは……」
アリスの目の色が変わる。
それが小悪魔が用意していた、第二の秘策の正体である。
「成る程……これならやれるわ」
図書館の隅で邪な笑みを浮かべる魔女と小悪魔。
その光景を誰かが見たなら、きっとこう言うだろう。
「だめよ、あんな人たち見ちゃ」
☆
図書館の扉が勢いよく開かれ、箒に跨ったまま魔理沙がつっこんできた。
「おいーす、パチュリー!」
いきなりかっ攫うのではなく、まずはパチュリーに挨拶をする点、多少礼儀は弁えているようだ。
しかしやっていることはれっきとした泥棒である。
「また来たわね」
「また来たぜ」
もはや当たり前となってしまった魔理沙の図書館訪問。
パチュリーは魔理沙のことが気になっているので、咎めることもしなくなった。
それを良いことに魔理沙は我が物顔で図書館を物色する。
その後を追いかけながら、パチュリーはそんな魔理沙の姿を愛でている。
良く言えば奥ゆかしい。
悪く言えば怪しい。
本人がそれで満足ならそれで良いかもしれないが、下から魔理沙を見上げると
確実に彼女のアレが目に映っているはずである。
それで顔を赤らめているのだから始末に負えない。
従者が従者で倒錯した恋心を抱くのなら、その主も主というわけだ。
そんな視線も気にすることなく、魔理沙は手慣れた様子でひょいひょいと
魔導書を持ってきた鞄に詰めていく。
そしてまた一冊、手を伸ばし――
「うおっと!?」
魔理沙の手をレーザーがかすめる。
まず見たのはパチュリーの方。
しかし、パチュリーは顔の前で手を横に振り否定の意を示す。
それにレーザーが放たれた方向から考えるとパチュリーが犯人でないのは確かだ。
「こっちよ、白黒泥棒猫っ」
とんだ名前で呼ばれ、魔理沙は声の主を睨み見た。
「いつの間に来ていたんだ」
視線の先にはアリスが攻撃の態勢で浮かんでいた。
「そんなことどうでも良いわ。今日はあなたと勝負しに来たのよ」
「勝負ぅ?」
「私がこっちに来たのはそもそもあなたを倒すため。最近いろいろあって
当初の目的を忘れていたけど、今日はその決着をつけるわ」
戦う気満々のアリスとは対照的に、魔理沙はまったく戦う気を見せない。
「そっちにその気がなくても……やってもらうわよ!」
アリスは小悪魔から受け取ったあの古書を取り出した。
それを見たパチュリーが目を見開いて驚きの声を上げる。
「その本は……どこから持ってきたの!」
彼女が持っている古書。
それは禁書として閲覧禁止のコーナーに安置されていたはずのもの。
強力な魔導書であるが、魔界で作り出されたものらしく並大抵の代物ではない。
使えば何が起こるか分からない、ということで禁書認定がされていたのだ。
それを何故アリスが持っているのかパチュリーは知らない。
まさか従順な――彼女にとって――小悪魔が、渡したとは考えも及ばないだろう。
「それは内緒」
小悪魔との関わりは内緒にする。
それが小悪魔とアリスが交わした唯一の契約だ。
アリスが戦っているのは完全に彼女の意思ということになる。
「さぁ、どんどん行くわよっ」
アリスは再び攻撃を開始する。
禁書の力によって増幅したアリスの弾幕は、一発一発のレーザーがマスタースパーク並の
威力をもっている。
さすがに魔理沙もこれには驚き、慌てて避けた。
「なんて威力だ。これは本気で私もやらないとな」
少しずつ弾幕衝動が駆られ始めたのか、魔理沙の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
しかし禁書の危険性を知るパチュリーは気が気でない。
「魔理沙、アリスが持っている本は危険よ。一人で戦うのは」
「いや助けは要らない。アリスは私との一騎打ちを望んでいるんだ。
それに応えてやるのが“友達”ってもんだろ」
なかなか格好良いことを言ってはいるが、本当はこの弾幕とやり合いたいだけなのだろう。
パチュリーは、魔理沙がそんなことを考えているとも知らず頬を赤らめる。
またときめいているらしい。
(うぐぐ……魔理沙がサシで勝負を望んでいるのはありがたいけど)
その様子をこっそりと見ていた小悪魔は歯がみする。
これでは余計に魔理沙の株を上げる結果になってしまったではないか。
「さっさと墜ちなさいっ」
アリスのとんでもない弾幕を前に、魔理沙は反撃の弾幕を張ることすらままならないようだ。
だがその目はまったく諦めていない。
虎視眈々と獲物の隙をねらう虎のごとき目でアリスを見つめている。
(あぁ、魔理沙が熱い視線で私を見てる。私の弾幕で踊ってる……)
そんな視線を受けるアリスは、迫力満点に弾幕を放ちながらも内心では鼻血を吹き出すほど
この状況に萌え――燃え?――ていた。
パチュリーはそんな二人の弾幕ごっこをはらはらした様子で見つめ、
そんなパチュリーの様子を小悪魔は凝視している。
「なかなか楽しい弾幕ごっこだな」
まだ反撃の糸口もつかめていないが、余裕の表れなのか魔理沙が再び口を開く。
対するアリスも余裕の色が見え、それは魔理沙よりもはっきりしていた。
見るに魔理沙の劣勢らしい。
「えぇそうね。でもそろそろ終わりにさせてもらうわ」
アリスは禁書に書かれた術の詠唱を始めた。
言ったとおり決着をつけるようだ。
「行くわよ。どんな魔法かは知らないけれど、目に物見せてあげるわ」
使ったことのない魔法でも、とりあえず使ってみる。
それが悩みなきアリスクオリティ。
しかし攻撃は苛烈であった。
アリスの手から放たれるレーザーが、まるで蛇のようにうねりながら魔理沙を襲う。
しかも一度避けて終わりならまだしも、何度も何度もしつこく追い回してくるのだ。
レーザーは次々に発射され、計八本の弾幕蛇が魔理沙に襲いかかる。
「くっ、これほどやばいとはな」
魔理沙の顔にも余裕がなくなる。
ここまでの攻撃をアリスが仕掛けてくるとは思っていなかったのだ。
その油断が勝機を分かつことになる。
レーザーの一本が魔理沙の箒に食らいつく。
バランスを崩し、スピードが落ちたところに残りのレーザーが襲いかかった。
箒に跨っていた魔理沙がそれを避けきれるはずもなく――
「魔理沙ぁっ!」
パチュリーの叫びが響き渡る中、魔理沙は図書館の床にその身を打ち付けた。
慌てて駆け寄るパチュリー。
大きな外傷もなく、衝撃で気絶しているだけの様子にほっと胸をなで下ろす。
「ちょっとやり過ぎね……」
ふわりと浮かび上がるとアリスと対峙するパチュリー。
その顔にありありと浮かぶのは怒り。
「あら、これが私なりの愛情表現よ。あなたはただ逃げているだけじゃないの」
「逃げている?」
「話しかけられずにいつも遠くから眺めるだけ。
自分から行くこともせず、来てくれるのを待つ籠の中の鳥。」
「それが私なりの愛情表現よ」
「……だから気に入らないのよ」
ぎゅっと拳を握りしめるアリス。
「私が本当に叩きのめしたいのはあなたよ!」
その展開に狼狽しているのは、隠れて事の次第を見守る小悪魔だ。
魔理沙がやられてパチュリーが次の戦う相手になるまではシナリオ通り。
しかしアリスが本気でやるのは流石にやばい。
(あわわわわ……なんか雲行きが怪しくなってきちゃったよぅ)
あの魔理沙を完膚無きまでに叩きのめす力を持った今のアリスが、
さらに本気を出せばパチュリーといえどもやられるのは必至。
しかもあの鬼気迫る勢いから考えると、ただやられるだけでは済まない気がする。
「はあああっ」
アリスは最初から魔理沙を落としたあの魔法を仕掛けてきた。
再び八本のレーザーが放たれ、それらすべてが個々に意思をもつように動き、
今度はパチュリーにその牙を向ける。
(あぁもう……あんな攻撃私じゃ止められないわよぅ)
小悪魔は助けに出たい気持ちと、出たところで止められないという気持ちの間で揺れていた。
その間にもレーザーはパチュリーへと向かっていく。
パチュリーは魔理沙と違って避ける気配を見せない。
避けるのではなく真っ向から迎え撃つつもりらしい。
こういう作戦は魔理沙の方が取りそうだが、今回はパチュリーがそれを引き継ぐかのように
どんと構えている。
「何よ、魔理沙の意思でもついだつもり?」
「そんな訳じゃない。あなたとはきちんとした形で決着をつけたいのよ」
パチュリーは二枚のスペカを取り出す。
複数のスペカを組み合わせるパチュリー独自の錬金魔法だ。
『日&月符 ロイヤルダイヤモンドリング』
日符と月符という強力な二枚を組み合わせた、パチュリーの魔法の中でも
とびきり威力の強いものが、何の躊躇いもなく発動される。
だがそれだけしなければ今のアリスに勝てないのも事実なのだ。
レーザーの八岐大蛇と強力な錬金魔法がぶつかり合う。
力が拮抗しているのか、どちらも譲らない。
「なかなか、やるじゃない」
「くっ……」
アリスの攻撃にも力が入る。
魔理沙は反撃をしてこなかったから、こちらの攻撃にだけ力を加えれば良かったのだ。
しかし今は違う。
パチュリーの魔法を押し戻すために、随時力を送り続けなければならないのだ。
これは先に力尽きた方の勝ちとなる。
弾幕はブレインという二人にしては珍しい、ガチンコの力比べだ。
拮抗する力と力。
見た目かなり熱血系少年漫画のノリだが、彼女たちの内面はあくまで恋する乙女である。
アリスもパチュリーも、互いに相手が魔理沙を好きだと気づいている。
そして互いに自分には無いもので魔理沙への株を上昇していると思っている。
二人の思いは嫉妬になり、時にこうしてぶつかれば、このように爆発してしまうのだ。
アリスの方がより感情的に嫉妬をぶちまけているが、それはパチュリーが表面に
感情を出すのが苦手なだけで、内心はアリスと同じくらい燃えているだろう。
それを見ている小悪魔は複雑な心境でその戦いを見守っていた。
とりあえずパチュリーがいきなりやられるという心配は、ひとまずなくなった。
自分の思い描くシナリオ上、この後の展開はアリスに勝ってもらわなければならない。
だが今の状況でパチュリーが負けるのはいろいろまずい。
アリスとパチュリー、どちらが勝っても、どちらが負けても、
小悪魔にとっては好ましくない結果となってしまう。
かと言って引き分けるのもそれはそれで問題だ。
当初の目的が果たせないのであれば、この勝負に意味などない。
どう転んでも自分にとっては不利になるこの状況。
小悪魔はただあたふた考えながら、じっと見続ける事しかできないでいた。
そんな中戦況に変化が生じる。
それまで互いに譲らない形となっていたが、次第にパチュリーが押され始めた。
その身に秘める魔力でいえばパチュリーの方が断然多い。
しかし禁書の力で魔力が増幅しているアリスは、さらにその上をいっていたのだ。
ずっと魔力を送り続ける、いわば我慢比べの戦いになればパチュリーの不利は確実。
そのうえ小悪魔も予期していなかった出来事がパチュリーを襲う。
長丁場の全力勝負がたたったのだろう。
パチュリーは胸に突然の痛みを感じ、すぐに呼吸がうまくできなくなり始めた。
持病の喘息がこんなときに起こり始めたのだ。
これでは魔力を込めることもままならない。
「どうやら私の勝ちのようね」
勝利を確信したアリスが、とどめと最後の魔力をレーザーに送る。
それで決着がつくはず――だった。
「な、なに」
アリスの表情が焦りに変わる。
見るとレーザーがその太さを増し、膨張している。
あの太さを維持するにはかなりの魔力を要するはずだ。
たとえ禁書の力で魔力が増えたアリスでも相当きついはず。
「制御できない……力が吸い取られ、っきゃああっ」
ついには自分のレーザーに弾かれるアリス。
アリスの弾幕は放ち手を失ったが、その照準はパチュリーに向けられている。
目前に迫る弾幕を前にしてもパチュリーは動かない。
だがそれはアリスを迎え撃つときと同じ理由で動かないのではない。
“動かない”のではなく、“動けない”のだ。
八匹の大蛇と化したレーザーが、無防備なパチュリーに襲いかかる。
轟音と共に、あれだけ白熱していた勝負はあっさりと終局を迎えた。
静かになったヴワル図書館。
地に伏した魔理沙、そしてレーザーをまともに浴びたパチュリー……そうではない。
パチュリーはかすり傷も負っていなかった。
彼女の目の前には、彼女をかばって倒れた小悪魔が倒れている。
几帳面な性格を表すように、いつも皺一つない黒のワンピースはぼろぼろに焦げ、
生地が破れ露出した白肌には火傷痕がまざまざと残っている。
「小悪魔っ。今までいないと思っていたのに……」
「パチュリー様……ご無事ですか?」
痛みを我慢してにっこりとほほえむ小悪魔。
すんでの所で弾幕とパチュリーの間に飛び込み、身を挺して彼女を守ったのだ。
シナリオに即した展開だが、今の小悪魔にとってもはやそんなことなどどうでも良くなっていた。
大切な主人が危機に見舞われているのに、影から見守るだけの従者がどこにいるだろうか。
計画は失敗だが、パチュリーが無事なだけで小悪魔は満足だった。
アリスもパチュリーに勝ったことで、これ以上の攻撃はしてこないだろう。
そう思ってパチュリーは彼女の方を見た。
予想通りアリスは確かに攻撃をやめている。
だがどこか様子がおかしい。
まるで意識がないようにふらふらしている。
まさか、と思ったときにはすでにアリスは真っ逆さまに落ちていた。
「何が起こったの」
突然の出来事にパチュリーは唖然と呟いた。
アリスが自身の弾幕を制御しきれなかったまでは覚えている。
しかしそれだけであんな風になったりするものだろうか。
その答えはすぐに目に飛び込んできた。
すでにアリスは気を失っているのに、彼女が放った弾幕はまだ残っているではないか。
アリスの魔力を吸い取り、肥大化した八本のレーザー弾幕。
それらはまるで個々が意思を持つようにうねり動いている。
もはや弾幕ではなく、一種の魔物と呼んでもおかしくはない。
「これが禁書の力……っ!?」
冷静に事態を処理している場合ではなかった。
八匹の大蛇はまだこちらを狙っている。
「パチュリー様……私にお任せください」
よろよろと立ち上がり、パチュリーの前を庇うように立ちはだかる小悪魔。
しかしその姿は立っているだけで精一杯という様子がありありと見えている。
もしさっきのような攻撃を受ければ、本当に只では済まない。
しかも今回はアリスというセーフティを失った、まったく躊躇いのない攻撃だ。
勢いは半端なく上がっていると考えて良いだろう。
それを傷ついた――いや傷ついていなくとも――小悪魔では防ぎきることは、
まずできない。
それは本人とて理解しているはず。
しかし、それでも立たずにはいられないのだ。
「どんな状況であれ、ご主人様を守るのが私の役目ですよ」
「小悪魔……」
「パチュリー様は動かないでくださいね。私が全部受けきりますから」
そんなことできるはずがない。
しかし今の小悪魔にはそんなこと言えなかった。
あまり見せない強い瞳、そこには消え去ることになっても守りきると、
強く決意された光が宿っているのを見たからだ。
まともに動かせない体を必死に動かし、パチュリーのために立ち塞がる小悪魔。
そんな小悪魔を嘲笑うかのように、大蛇はたった一匹だけが襲いかかってきた。
この程度の相手こいつだけで充分だとでも言わんばかりに。
(こんなことになったのも……元はと言えば私のせい。自業自得ね。
パチュリー様、危険な目に遭わせてごめんなさい。きちんと責任は果たしますから)
小悪魔は消滅を覚悟して、最後の弾幕を張るために腕をかざした。
そこから放たれる弾幕はすべて小型弾。
もはや大玉を連発する力など残っていないのだ。
こちらの弾幕を蹴散らしながら襲い来る大蛇。
もはや免れないと消滅を覚悟する小悪魔。
しかし、突然その耳に自分のことを呼ぶ声が届いた。
「小悪魔ーっ」
彼女の名を呼んだのは、パチュリーではなかった。
小悪魔に襲いかかろうとしていた大蛇。
その横っ面に巨大なレーザーがぶち当たり、大蛇はそれに飲み込まれるようにして消えた。
「え?」
もはや直撃は必至と、覚悟を決めていた小悪魔はあっけにとられた。
そんな彼女の前に黒い服を着た魔法使いが降り立った。
「間一髪だったぜ」
ニカッと歯を見せて笑うのは、気絶していたはずの魔理沙。
いつの間にか意識を取り戻していたらしい。
「よくやった。あとは私に任せとけ」
ぽんと頭に手を乗せて、魔理沙は小悪魔に笑いかける。
そして焦げ跡のついた箒に跨ると、7匹となった大蛇の元へと飛んでいった。
「どうして……」
ぽつりと漏らした一言に、込められていたのは悔しさ。
魔理沙は知らなくても、魔理沙をはめたのは他ならぬ自分。
小狡い手を駆使して自分の欲望を叶えようとしていた自分。
対する魔理沙はアリスにもパチュリーにも、そして自分にも優しい。
「そっか……」
勝てっこない。
あの人の心の底は見た目や言動からはまったく知れないほど優しい気持ちが広がっている。
時折見せるその一角がとても素敵で。
私がバカだった。
勝てないのは弾幕だけじゃない。
あの人に勝つには、いや近づくにはその優しさを知らなければ。
その為にもあの人には、魔理沙にはこんな所で負けてほしくない。
あんな私のどす黒い感情がこもった魔物になんて。
☆
目の前に現れた新たな目標に、7匹の大蛇は獲物を切り替える。
しかし、魔物が向かっていくよりも魔理沙が動いた方が早かった。
「先手必勝、マスタースパークっ!」
ミニ八卦炉から凝縮された魔力の砲撃が放たれる。
見た目威力共に豪快な魔理沙の性格を表した、彼女の代名詞とも言えるべき攻撃だ。
さきほどの戦いで一度も弾幕を張らなかったことが逆に功を奏し、
魔力の減りによる威力の低下は見られない。
だが――
「喰われたっ!?」
マスタースパークは間違いなく魔物に命中した。
しかし、そのエネルギーは魔物を消滅させるどころか、逆に消滅させられている。
それだけならまだしも、魔物の大きさがさらに増したように見える。
魔理沙が叫んだとおり、まさしく喰われたのである。
☆
「あれが禁書の力ね」
その光景を見ていたパチュリーが呟く。
ようやく喉が落ち着いてきたらしい。
だがまだ立ち上がれるほど回復はしていないようだ。
「力、ですか?」
パチュリーを支えながら小悪魔は尋ねた。
禁書を持ち出したは良いものの、滲み出る魔力の強さを感じて選んだだけなので、
その力がどのようなものなのかなどの知識は皆無なのだ。
まぁその辺りの詰めの甘さが、まだ未熟な彼女らしいとも思えるのだが。
「えぇ“魔力を吸い取る程度の力”。私達魔女や魔法使いには、最も厄介な能力ね。
きっとあれは私達のような種族への対策として作られたもの。
でも、あの力は危険すぎる。持ち手すら滅ぼしかねない程に力を強くしすぎたのよ」
「それじゃあ、魔理沙さんは……」
魔力を吸い取る能力が、あの禁書にある限り勝てないということになる。
そんな小悪魔の懸念はパチュリーも抱いていた。
「えぇ。……でも一つ方法がある」
「本当ですかっ」
「吸収した力を自分のものに変えてしまう能力の場合、弱点の一つに容積があるわ。
相手から吸収した力を、別のどこかに転移させてしまう、つまり受け流すタイプの
場合はもっと厄介なんだけど、あの禁書はそうじゃない。完全に吸収するタイプ。
だとすれば、いつかその能力にも限界が来るはずよ」
「それだけの魔力を打ち込み続ければ良いんですね」
「でもアリスの全魔力、そして魔理沙のマスタースパークを吸収しても、
まだ平気みたい。私には魔法を使えるほどの体力が残ってないし」
あなたも同じでしょ、と小悪魔を見る。
「じゃあ魔理沙さんの魔力が尽きたら……」
「この場にいる全員がまずいことになる」
あっさりきっぱり言い切った。
流されないのは良いことだが、少しは危機感を滲みだしても良いと思う。
「じゃなくて、他に方法はないんですかっ」
「ない」
がくり、と肩を落とす小悪魔。
「……こともない」
さらにがくり。
「魔力と一言で言っても個々によってその性質は異なるの」
魔法使いの魔力。
魔女の魔力。
そして人間の魔力。
「魔力を自分ものに変換するには、その魔力の性質を瞬時にコピーして、
その上で自分の体に合うものに変換しないと拒否反応が起こってしまうの。
ようするにその魔力に対する免疫を作り出す、といった所ね」
つまり、とパチュリーは自分の懐から一枚のカードを取り出す。
「二種類以上の魔力を同時にぶつければ、免疫効果は薄れるわ。
どちらかに適用している状態から、瞬時に切り替えるのはよほどのことよ。
あの禁書がそんな力を持っていたらお終いだけど、これしか方法はないわ」
そしてパチュリーは自身の魔力をそのカードに込める。
魔力のこもったカード、それを小悪魔へと差し出す。
「これを魔理沙に届けてあげて」
「私が……ですか」
「今動けるのはあなたしかいない。魔理沙の限界が来る前に」
続きを言いかけて咳き込むパチュリー。
まだ先ほどの喘息がよくないらしい。
「……わかりました。パチュリー様のお願いですから」
すくっと立ち上がる小悪魔。
傷はまだ癒えていないが、少しだけ飛べる程度には回復した。
階級は低くとも、やはり悪魔の生命力は侮れない。
それでも動かすと痛みが走る羽を何度かパタパタさせ、飛べるかどうかを確認する。
よし、と決意も固まり、小悪魔は弾幕飛び交う図書館の空へと飛び立った。
☆
魔理沙はマスタースパークを適度に放ち、相手の様子をうかがっていた。
豪快に吹っ飛ばすことができない以上、なんらかの手を打たなければならない。
その為にもまずは相手の特性を見極めることが重要だ。
……などと難しいことは、実はあまり考えていない。
無駄に打っても無意味ということは理解しているが、打ち続ければ勝てるだろうと
それだけで戦っていた。
実際その方法で勝てなくもないのだが、それまで魔力が保つかどうかは微妙なところだろう。
(このままじゃあ埒があかないぜ……ん、あれは)
魔理沙の視線の先。
そこにはふらふらと大蛇の間を避けながら飛ぶ小悪魔がいた。
何をやっているんだ、と慌てて彼女の元へ向かう。
☆
小悪魔は魔理沙の元へ向かうより、大蛇に触れないように飛ぶのが精一杯だった。
魔物の体はアリスのレーザーが母体である。
それすなわちその身体そのものが強力な武器なりうる存在ということ。
ここで一度でも傷を負えば、しばらくは飛ぶことは適わないだろう。
魔理沙にパチュリーのカードを届ける前にそうなってしまっては意味がない。
しかし、肝心の魔理沙の元にも辿り着けないのではどうしようもないではないか。
(うわ~ん、パチュリー様ぁ)
小悪魔は泣きながら飛び続けた。
と、突然首根っこをぐいと掴まれる。
「みゃあっ!?」
「変な声出すなよ。というかなんでこんな危ないところを飛んいるんだ?」
魔理沙は小悪魔の首根っこを掴んだまま飛び続ける。
「あ、あなたに渡す物が、けほっけほっ」
「おっとすまないな」
首を絞める状態になっていたことに気がつくと、魔理沙は小悪魔を上手い具合に自分の後ろへと乗せた。
しっかりつかまってろよ、と魔理沙は目配せした。
その意図を察した小悪魔はぎゅっと魔理沙の腰に抱きついた。
「行くぜーっ」
箒のスピードがぐんと上がる。
迫っていた大蛇の突進を間一髪の所で避けた。
「ふぃー、危ない危ないっと……んで? 渡す物があるんだっけか」
「と、」
「と?」
「飛ばすならもっと気を遣いなさいよーっ」
小悪魔は素でビビっていた。
自分では出せないほどのスピードで、しかもかなりアクロバティックな動きで、
ほとんど予告もなしにかっ飛ばす。
「仕方ないだろ。あぁでもしなきゃ避けられなかったんだから」
「それでも限度ってものがあるわよーっ」
大声で騒ぐ小悪魔。
パチュリーの前で見せるおとなしい態度からは想像もつかない変貌ぶりだ。
話し方も容姿に似合った幼いものに変わっている。
「わかったわかった。私が悪かったから。だから渡す物ってなんなんだ」
小悪魔はパチュリーから受け取ったカードを差し出す。
背中越しにそれを受け取った魔理沙はきょとんとした。
「これをどうしろって?」
「私も聞いてないわ。パチュリー様からは魔理沙に渡して、としか」
「これを発動しろってことか?」
「そういえば……二種類以上の魔力をぶつければってパチュリー様が言ってたわ」
説明を聞いた魔理沙は何かを思いついたように、目を見開いた。
「二種類……成る程な」
にやりと魔理沙は不敵な笑みを浮かべる。
魔理沙は大蛇の方へと向きを変えた。
「ちょっとばかし反動がきついかもしれないぜ。ちゃんとしがみついていてくれよ」
「な、何をする気よ」
先ほど以上の恐怖がくるかもしれない、と小悪魔は身構える。
そんな小悪魔をさておき、魔理沙はもう一枚カードを取り出した。
それは魔理沙自身のスペルカード、恋符マスタースパークだ。
そこにパチュリーから受け取ったカードを重ねる。
「パチュリーほど上手くはできないかもしれないけどな」
魔理沙は向かってくる大蛇へ、ミニ八卦炉の掃射口を向けた。
「即席符、恋&日……そうだな、さしずめ『ロイヤルスパーク』とでも名付けとくかぁっ」
ずどん、という衝撃と共に放たれる極太の魔砲。
魔理沙の魔力にパチュリーの魔力が混じった二重螺旋の弾道が魔物とぶつかった。
その魔力を吸収し、魔物はさらにその体を肥大化させる。
しかし、今までとは様子が異なっていた。
膨張するもその変化はそれまでよりも著しくない。
「どうやら効果アリ、みたいだぜ」
小悪魔に向けて親指を立てる魔理沙。
そしてそれからすぐのこと。
二種類の魔力を同時に吸収することのできなかった魔物は、弾幕の中に姿を消した。
☆
小悪魔は気が気でなかった。
それもこれもあの普通の魔法使いが原因だ。
あの大事件に発展した『魔理沙撃退作戦』の後、
いつの間にか気を失ってしまっていた小悪魔が気がつくと魔理沙は何処にもいなかった。
主人に事の経緯を聞くと、彼女は気を失ったアリスを担いで帰ったという。
小悪魔にも礼を言っておいてくれ、という伝言を残してだ。
まったく、礼を残すならきちんと言葉で言ってから帰るのが礼儀だろうに。
主人は相変わらず恋している。
まったくそれだけ恋しいならアリスが言っていたように、
少しは自分から動いても良いと思うのに。
だがそう言えば帰ってくる返事は決まっている。
「私が魔理沙を好きだなんて。どこをどう見たらそう思うのよ」
もうバレバレなのに。
まぁそんな主人を見るのもまた一興なので、問い詰めたりはしない。
それに今回の件で魔理沙を諦めさせるのは無理だと分かった。
ならば自分が取るべき方法はただ一つ。
魔理沙を超える魅力を身につけて、いつか主人の心を自力で射止めるのみ。
小悪魔は愛する者の為に、一人の女として恋の好敵手を超えて、
大切なあの方の心を振り向かせることを、堅く胸に誓うのだった。
☆
「う、ん……」
「おっ気がついたか」
「なっなななな」
「どうやら魔力も回復したみたいだな」
「なななんであんたが」
「今度はあんなもんに頼るなよ。再戦はいつでも受け付けるぜ」
「え、あれ。ここ私の家……」
「じゃーなー」
バタン……
その後しばらくアリスの館からは、恥ずかしいのか悔しいのか暴れる彼女の声と、
それを必至に宥める人形達が奮闘する音が絶えなかったという。
~終幕~
「小悪魔は気が気でなかった」の部分がとてもかわいらしくて、惹かれました。
後日談、楽しみに待ってます。
時に小悪魔、マスタースパークを連発できるような強力な本をシールドしてない図書館の状態で使っちゃダメだろ(汗
そこだけちょっと引っかかりましたねー。
指摘された部分につきましては、次作で補完いたしますよ。
次作はあまり間が開かないように、現在鋭意執筆中です。