注:このお話は、作品集28の拙作、「指先に蘇る思い出」に続く、「炎の料理人紅美鈴シリーズ」の続編です。
いつからシリーズの名前をつけたのか、という質問は禁止です。
話の流れは前作から続いていますが、このお話単品でも楽しめると思います。では、流れをご理解頂けたところでどうぞ。
「この頃ね」
「ああ」
「自分で作る料理が美味しくないの」
「そうか?」
ずずー、とおみそ汁すすりつつ、魔理沙が訊ねる。
「なかなかだと思うぜ? ただ、私としては、もう少しだしを利かせた方がいいかなと思うが。せっかくのほうれん草のみそ汁なんだから、後もう少し、味を……って、どうした?」
「あんたのそう言う解説を聞くのが、自分の料理の至らなさを教えられてるってわからないかなぁ!」
ばんっ、とテーブル叩いて、霊夢。
今日も今日とて、質素かつ健康的な朝ご飯。何で魔理沙が博麗神社の一室にいるかと言えば、単に昨日、酒盛りをしにやってきてそのまま泊まっていっただけの話である。それで、「あんたに出してやれるほど、うちの財政は豊かじゃない」と切り捨てようとしたのだが、お腹を空かせた魔理沙が「ご飯~……」と泣きそうな顔をしたので恵んでやっているのだ。
「……む~……そうか?」
「そうだ」
「……そっか」
鮭の切り身を口に運びつつ、
「だが、霊夢は料理は上手だ。それは私が認める。そのまま、どこに出しても恥ずかしくない嫁になれるだろう」
「嫁、ね。こんな閑散とした神社に宮司としてやってきてくれる人がいるとは思えないけど」
ひゅるるる~、とまるで漫画のような木枯らしが吹いていく閑散とした空間。今日も今日とて、博麗神社は閑古鳥。そう言えば、以前に、市販用のお守りを作ったのっていつだったかなぁ、なんて思いながらご飯を一口。
「けど、こんなつやつやの白米を用意できたり、それなりに食べられる生活をしていたり。お前の生活費ってのはどこから捻出されてるんだ?」
「それは博麗の巫女の七不思議よ」
「自分で言うなよ」
「嘘、冗談。
一応、こう見えても、あちこちから生活支援は受けられるだけの徳は積んできたつもりだから」
自分で『生活支援』というのはどうなんだろうと思ったが、あえて魔理沙は言葉には出さなかった。まぁ、この巫女のことだから、案外、自分には知られていないところで何かやっているのだろうと思っておく。
「でもさぁ、つくづく思うのよね」
「何が?」
「だってさ、私、自分で言うのも何だけど食生活は豪華じゃないでしょ? 舌が肥えているってわけでもないのに、何だってレミリアは料理勝負に呼んでくれるのかしら」
「そりゃ、まぁ……」
この際だから、これを機に霊夢を手込めにしようとでも考えているんじゃないのか?
――という本音を口に出そうとして、慌ててお茶でそれを胃の中へ流し込む。
「きっと、あいつにも仏心があるんだろうさ」
「仏心ねぇ。あいつ、吸血鬼よ? どっちかっていうと、神の慈悲、っていう方が正しくない?」
「まぁ、どっちでもいいさ。美味しいものが食べられるならそれでいいじゃないか」
「変に舌が肥えてくると、こういうわびしい食事がむなしくなるものよ」
「人間、贅沢を知ると後戻りが出来ないからな」
そこから考えると、今の霊夢の困窮極まっている生活というのは人間が本来あるべき姿なのかもしれない。今日を生きるにも必死で、ご飯が食卓に並ぼうものなら、『神様、今日の糧に感謝します』とでも言ってそうな生活。
「……やっぱ違うか」
しかし、それは何か間違ってるな、とは薄々気づいているのだが。
「そう言えば、近頃、アリスが姿を見せないけど?」
「ああ、あいつ、神綺から隠れるためとか言って私の家に転がり込んでる」
「へぇ。何があったの?」
「さあな。
三日目にして見つかって、『ママと一緒に帰りましょ~』『助けて魔理沙ぁぁぁぁぁ!』とかやってたけど」
何があったんだろうとは思うのだが、まぁ、気にしないでおくことにする。他人様の家庭の事情に踏みいるのは野暮というものだからだ。
食後のお茶の用意をしつつ、霊夢は視線を魔理沙へ。
「ん?」
「……あ~、まぁ、何でもないんだけど。
あんた、最近、ちょっと太った?」
「……たはは。それを言われると」
恥ずかしそうに頬をかきながら、魔理沙。
出がらしだけど、と断ってから湯飲みを卓の上に置く。
「この頃、魅魔さまの言いつけ通りに料理の練習をしているんだが、どうしても納得のいくものが出来なくて。それでついつい、味見のしすぎで、な」
ぺろりと舌を出す。
意外にも、そういう幼い仕草が似合う彼女を見て、へぇ、と思わず声を上げる。
「だ、だけど、太ったと言っても、ほんの一キロ程度だ。ダイエットすればすぐに減らせるぜ」
「ダイエットねぇ。
まぁ、いつも通りに、凶悪魔法ぶっ放してれば嫌でもやせるわよね」
「あれは私のライフワークだ」
そう言いきるのがすごいと、この時、本気で霊夢は思ったという。
お茶片手に他愛のない話をしつつ、時間を過ごす。手にした湯飲みの中身が空っぽになったら、またお湯をついで、そうして同じ時間を過ごす。何となく、平和な日々の体現のような感じがした。
「ま、そういうわけでだ。私も魔法使いとして、日々、精進しているのさ」
「日々の精進で包丁の扱いがうまくなる魔法使いはいないわよ」
「そうか? わからないぜ?
世の中には、包丁を片手に魔法を繰り出す魔法使いがいるかもしれないじゃないか。包丁バスター! って」
「どんな魔法使いだ、それは」
それはもう、魔法使いという名の皮をかぶった魔物のような気がする。具体的には、巨大化して目からビーム発射するような。
「まぁ、そんなもんさ。
さて、飯もごちそうになったことだし、ぼちぼち帰るかな」
「そう」
「昨日、またアリスが逃げてきてな。『今度かくまってくれなかったら、貴方を殺して私も死ぬ!』って包丁片手にマジな目してたから、ちょうど試してた結界魔法を使ってみようと思ってるんだ」
「……それ、失敗したらやばいんじゃない?」
「……私がここに現れなくなったら、魔法の森の方角を向いて火でもたいてくれ」
「……ええ」
「……んじゃな……」
戦地に旅立つ親友を見送るような目をして、飛び去っていく魔理沙を見つめる霊夢。
そうして、その唇が小さく動く。
「……生きろ、霧雨魔理沙」
びしっ、と親指を立てて、彼女の無事を祈るしか、霊夢には出来なかったという。
さて、場所は変わって、ここは紅魔館。
レミリアが最近になって『紅魔館じゃなくて紅魔料理館にしましょう』と言い出したが、それはメイド全員が泣きながら止めたので、紅の吸血鬼の館、という名目は守られている場所である。
そこではいつもが真剣勝負。
「何ですって!? ステーキ用のお肉がない!?」
「ちょっと! もやしがないわよ、もやしが!」
「何これ! こんな塩辛いスープ、誰が作れって言ったの!?」
「あ、あれ? 確か、ここに置いておいたジュース……あーっ! 床に落ちてるー!」
今日も厨房はてんてこ舞い。
大勢のメイド達が鬼気迫る形相で、次から次へと料理を仕上げ、それを片手に飛び立っていく姿は、この館の日常茶飯事かつ微笑ましい光景だ。
そんな厨房の一角では、さらに微笑ましい光景もある。
「ですから、フランドール様。包丁は逆手に持たないでください……」
「えー? 違うのー?」
「……割腹自殺でもするつもりですか」
頭痛をこらえて、館の主、レミリアの妹であるフランドールに料理を教えているのはメイド長の咲夜である。
何でフランドールが料理をしているのかと言えば、昨今、この紅魔館を舞台に繰り広げられる骨肉の争い(と書いて料理勝負と読む)に触発されたからである。「フランも美味しい料理作る!」と意気込んでしまったわけだ。
しかし、皆様のご想像通り、この少女、料理は愚か包丁も握ったことがない。つい最近まで、自室から滅多に外に出してすらもらえなかったのだから当たり前なのだが。そんな彼女に料理を教え込むというのがどれほど大変なものなのか、その苦労は推して知るべし。
「ぶぅ……」
「それでは、野菜サラダから始めましょうね」
「ええー? もっと難しいのから始めるんじゃないの? たとえば、何とか何とかー、とか!」
「……そう言う簡単なものこそ、重要なのです」
「そうなの?」
「はい」
「それならやるっ」
笑顔のフランドール。この笑顔通りの結果が出てくれればいいのだが、世の中、そううまくはいかないのである。
とりあえず、野菜を洗うところからスタートするわけだが、言うまでもなく、吸血鬼は流れ水に弱い。というわけで、ボウルに水をためてじゃばじゃばとやるのだが、
「うー。何か汚れ取れないよー」
「ああ、そうではなくて、全体を転がすように……」
と言うところから始まり。
「いたっ! 痛いよ~……う~……」
「な、泣かないでください、フランドール様。ほ~ら、痛いの痛いの飛んでけ~」
と言う状況になり。
「あ~ん……」
「フランドール様、つまみ食いばかりしてたら料理が出来ません」
「……ぶぅ~」
誰もが予想できる状況を経て。
「かんせ~い!」
「……はぁ」
生野菜サラダが出来るまで、優に一時間。
フランドールは満足そうだが、咲夜としては疲れがたまりにたまる行為である。ちなみに出来上がったサラダは、どれもこれも形が歪で、当然、サラダとしての体裁も整ってないため、見た目にもぐちゃぐちゃ。しかし、フランドールとしては、出来上がったと言うだけで嬉しいのか、「お姉さまに食べてもらってくる!」とドレッシングも持たずに厨房を走り去ってしまった。
「……これが毎日続くのね」
「メイド長、ファイト!」
「メイド長、お疲れ様です!」
「メイド長、ビタミン剤です!」
「精力剤もどうぞ!」
なぜか、わらわら集まってくるメイド達。皆、咲夜の苦労を察しているのだろうか。
「……ありがとう、あなた達」
「いいえ!」
「メイド長の犠牲のおかげで、私たちは助かっているのです!」
「そうです! 全てはメイド長ありき!」
「倒れられたら、私たちがやばいです!」
「……あんたらね」
人間――と言っても、こいつら人間じゃないが――、いざという時になると本音が出るものである。顔を引きつらせる咲夜は、それでも怒鳴る気力もないのか、渡されたビタミン剤を一気飲みする。
――と、ぱたぱたという足音。
「さくやー!」
「は、はい、フランドール様!」
「お姉さまが、『ドレッシング持ってきて』って。ドレッシング、どこ?」
「あ、はい。それはそちらの戸棚の上に……」
「んーっと……これ?」
「ち、違います。それはオリーブオイル……」
「……あ」
「ああっ!」
がっしゃんがしゃんがしゃんっ!
戸棚の上にぱたぱた飛び上がったフランドールが、たまたま、開いた戸に翼を引っかけてバランスを崩して落下。運悪く、その下を出来上がった料理を持って歩いていたメイドがおり、それに衝突してぐしゃり。さらにそれに連鎖して、あちこちで料理がフライパンから飛んで天井に張り付いたり、メイド同士が衝突してフォーリンラブしたり、お皿が空を飛び交ったり。
一瞬にして、厨房は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
「う~……何かべたべたするぅ~……」
「あ、ああ……注文が……注文が遅れるぅ~……」
「せ、先輩、私、先輩のこと……」
「ああっ、わたしも、わたしもあなたが……」
「ああ~! このお皿、高かったのに~!」
「どうするんですかー!?」
「しゃらーっぷ!」
セリフと同時に空中にナイフが展開し、それが一斉に床のメイド達を向く。銀色に輝く切っ先に、彼女たち、思わず沈黙。
「諸君! 我々がやらなければならないのは事態の収拾である! 故に、責任押しつけなどの見苦しい行為はするべきではない! わかったら、自分に出来る全力を尽くしなさい!」
『イエス・マム!』
「わー、咲夜、かっこいー」
「……では、フランドール様。お風呂に参りましょうか」
「うん。お風呂ー」
お嬢様にドレッシングを持って行く件はどうなった、と思わず問いかけそうになったメイドに、咲夜が熊でも睨み殺せそうな視線を送った。『あんたが持って行きなさい』。その瞳は、そう物語っている。
「おっふろー、おっふろー♪」
もはや、フランドールの意識は完全にお風呂にシフトしているらしい。わくわくうきうきで「咲夜ー、早くー」と厨房の入り口で作也を呼んでいる。ただいまー、と歩いていく咲夜。そして残されるのは、荒れ果てた厨房のみ。
「……どうしたらいいのよ、これ」
「先輩……注文、どうします……?」
「遅れたら、お嬢様のどぎついお仕置きが……」
いやー! だの、死にたくないー! だのといった声が上がる。
この場をどう乗り切るべきか。
年配かつ先輩のメイドは、思索を巡らせる。自分たちの命が助かり、なおかつ、咲夜からも『よくやったわね』とほめてもらえるような完璧な手段を。
……考えて、考えて、考え抜いて。
んなものあるわけねぇじゃん、という結論に達するまで、ジャスト五秒。
「あの~、何か騒がしいですけど、どうかしましたか?」
「きた」
「……へ?」
ひょこっと顔を出した、赤い髪の女を見て。彼女の目が光る。
「美鈴さま。ちょっとこちらへ」
「え? あの、何ですか? 私、咲夜さんに用事が……」
「これとこれを」
「え? あの、これはエプロンと包丁ですよね? これを持って何するんですか?」
「お願いします」
「………………」
厨房をびしっと示され、美鈴は沈黙する。
だが、そうしていたのも、わずかのこと。ぎらりと、彼女の目が、そして、料理人としての本性が光る。
「わかりました」
ひゅん、と包丁と、いつの間にか握られたフライパンが踊る。
「お任せを」
私たちは助かった。
その時、メイド達は、心底、そう思ったという。
「こんにちは、レミリア」
「あら」
フランドール手作りの野菜サラダを頬張っていたレミリアの元に、女が現れる。
目の前の空間に亀裂が走り、そこから姿を現した女は、日傘を回しながら、勝手に椅子の上に腰を下ろした。
「何の用かしら。八雲紫」
その言葉に、彼女――紫の瞳が、すぅっ、と細くなる。
「美味しそうなものを食べているのね」
「そんなに美味しいものでもないわ。素材の味のおかげで助かっているという感じでね。
でも、わたしのかわいい妹が作ったのだもの。お腹一杯、いただかせてもらうわ」
「あら、あの子が。大したものじゃない」
「そうね」
それで? と。
レミリアは訊ねる。
「そんな世間話をしに来たというわけじゃないでしょう?」
その言葉に、紫は、驚いた、とばかりに目を丸くする。
「あら。私が世間話をしに来たらおかしいの? 今日はいい天気ね、とか、昨日の晩ご飯は何だったかしら、とか」
「別段、おかしくはないけれど。でも、あなたという存在がそれをするのはおかしいのよ」
「まあまあ。悲しいわ」
くすくす笑いながら、紫は全く笑っていない瞳をレミリアに向ける。
まさに、狸と狐の化かし合い、といったところか。
どちらも手の内を見せず、腹の内を明かさず、相手を探る。話術の勝負と言うよりは、完全なブラフ勝負となるだろうか。
「……まぁ、いいわ。用事がないなら出て行ってちょうだいな」
「やれやれ。そうやって簡単に話を切ってしまって。お姉さん、悲しいわ」
「お姉さんという年でもあるまいに」
「さてと。
それじゃ、本題に入りましょうか」
「なら、最初からそう言いなさい」
全く、と肩を怒らせて、レミリア。見た目が見た目なので、あんまり迫力がないのが悲しいところだ。ついでに言えばほっぺたにドレッシングとサラダの切れ端がついていたりもする。
「あなたの所の門番。美鈴だったかしら?
彼女、大層な腕前を持っているそうじゃない」
「ええ、そうね。よく知っているわね。さすがはデバガメ」
「ふふふ。
……それでね、その子と戦ってみたいのだけど、よろしいかしら?」
「誰が? あの狐かしら? それは面白そうね」
「いいえ。私が、よ」
「……は?」
思わず、眉をひそめて問い返す。
片手に小さな扇子を持ち、それで口許を隠しながら微笑む紫には、何とも言えない威圧感がある。プレッシャーを振りまいている、とでも言えばいいだろうか。おかげで、普段なら戯れ言として聞き流すであろうことにも耳が向いてしまう。
「どういうこと? あなたがあの子と?
戦ってどうするというの。痛い目を見て、威厳をなくすだけよ? いや、あなたに威厳があるかどうかはさておいて」
「ふふふ。まぁ、一介の挑戦者として、頂点に挑んでみるというのも悪いものではないでしょう?」
「それは……そうだけれど。本気なの?」
「ええ」
「審査員としてじゃなくて?」
「挑戦者。チャレンジャーとして」
「……えーっと」
どうしよう、と悩む。
別段、引き受けてやってもよいのだが、この女がまともに料理を作れるとは、どうしても思えなかった。何せ、日頃から自分の使い魔である狐に全てを任せてぐーたらしているような輩である。とてもではないが、彼女が包丁を持ってキッチンに立っているところは想像できない。
「……時間の無駄にはならないのね?」
「ええ」
「わかったわ。それじゃ、特別にエキシビジョンマッチをもうけましょう。
まぁ、あなたがどんな腕前だかは知らないけれど。好きにしたらいいわ」
「ありがとう」
「日時は、こちらの用意もあるから、今回は二週間後。時刻は午後の六時からでよろしい?」
「ええ。構わないわ」
「そう。それじゃ、またその時に」
その言葉を発して、小さく瞬きをした瞬間に、紫の姿は消えていた。つい先ほどまで彼女がそこに存在していたという形跡すら残さず、きれいさっぱり消え失せているのだ。相変わらず、つかみ所のない不気味な奴ね、とレミリアは肩をすくめる。
「まぁ……いいか。楽しそうならそれで」
楽しくなければ打ち切ればいいだけのことだし、と。
彼女は楽観的に考えていた。
この時までは。
さて、それから二週間後のことである。
「辞退はダメって言われた」
「そりゃそうだろう」
「……うぅ、私も美味しいお料理が作れるようになりたいよぅ」
「料理界の門を叩いてみるか?」
「絶対いや!」
そんなことをしたら『博麗の巫女』や『楽園の素敵な巫女』ではなくて『楽園の素敵な料理人(見習い)』という感じになって、自分のアイデンティティ完全消滅しそうだったので断固として、霊夢はその一言を否定した。
そういうわけで、集められたのは、まぁ、いつも通りの紅魔館の大食堂。一説によると、この部屋は『決闘場』として以外の用法に使われていないらしい。ちなみに情報源はパチュリーである。
「しかし、今回は……」
用意されている椅子の数が多い。
普段、こんなにも多くの椅子を見ないくらいである。それほど、今回の挑戦者は強敵と言うことだろうか。
最初に到着するのは、いつものように霊夢と魔理沙であり、次に到着するのは、
「ごっはんだ~!」
「こら、フラン。はしゃぎすぎないの。はしたない」
「……何で私まで」
「そのお気持ち、お収め下さい。パチュリー様」
レミリアを始めとした紅魔館組である。その彼女たちが座る椅子は三つ。どうやら、咲夜は今回は観戦オンリーに回るらしい。むしろ、彼女の方からそれを願い出たのかもしれないが。
「で、あの椅子は誰のだ?」
魔理沙が、並んでいる無人の椅子――その数五つを指さす。
「ああ、それは……」
「お腹が空いたわね~、妖夢~」
「そうですね。でも、私も今回は審査員なのでしょうか」
「そうよぉ」
「おっ、大食い姫に妖夢じゃない」
「あっ、霊夢さん。どうもこんばんは」
まず現れたのは、過去、現在に続く料理勝負の火蓋を切ったと言っても過言ではない一戦で審査員長を務めた幽々子と、その従者の妖夢が現れる。幽々子の顔はひたすら笑顔。お腹が空いてお腹が空いて、料理が楽しみで楽しみで仕方がない、と言う顔だった。対する妖夢は、少々の困惑顔である。
「ほぉう……幽々子が出てきたか」
「どうしたの? 魔理沙」
「いや。
レミリア。お前、この勝負、相当な大勝負になると思っているな?」
「は? 何で?」
その人物を招集したはずの人物がきょとんとなる。そして、その言葉を受けて、幽々子の視線が鋭さを増した。手にした扇で口許を覆いつつ、従者に椅子を引かせてそれに腰掛ける。
「ん? ……何だ、知らなかったのか」
「どういうことよ? 魔理沙」
「ああ。
西行寺幽々子。あいつは、料理界において、『四天王』の称号を持つもの達の一つ下に位置する『八柱神』の一人だぜ」
「……………………」
沈黙。
霊夢の視線はパチュリーへ。幻想郷のご意見番としての役割も果たせるくらい、知識が豊富な彼女なら、魔理沙のこの奇天烈な発言内容も理解してくれると思ったらしい。しかし、当のパチュリーも『私に聞くなこの野郎』とでも言いたげな視線を向けてきた。
「その獲得した星の数は四つ。実力としては、八柱神のちょうど二番手につけていると言われている猛者だ」
「あー……えっと……。
ねぇ、その設定、いつぐらいからの後付?」
「何を言ってるんだ、霊夢! あいつがこの世界で有名な人間であることは疑いようのない事実だぜ!」
「ちょっと待てぃ! 前回の時、あんた、そんなこと言ってなかったじゃない!」
「ど忘れだ!」
「なるほど」
思わず納得してしまう。納得してしまってから、いいのかそれで、という視線を全員から受けて縮こまる。
「……あの、幽々子さま。それは……?」
「ふっ……。どうやら、その過去を知られてしまう日が来たようね。
その通りよ、妖夢。この西行寺幽々子、かつては、そして今も、八柱神として、己を磨くことに精進する料理の修羅の一人」
「……じゃ、何でご自分で料理とか作らないんですか? むしろ、それなら、幽々子さまの方が私より料理上手なんじゃ……」
そういうわけのわからない世界の人なんだし、とぽつりとつぶやく妖夢。
うん、わかる、わかるぞその気持ち、魂魄妖夢よ! という視線で霊夢が彼女を見る。
「何を言ってるのよ、妖夢」
「はい?」
「あなたも白玉楼の味武者として、八柱神の末席に登録されているのよ?」
「はい!?」
「あなたを立派な修羅として。そして、ゆくゆくは四天王の一角とするために、この西行寺幽々子が直々に鍛えてあげているというのに。全く、主の心従者知らずとはこのことね」
んな言葉、聞いたことがない。
しかし、妖夢としてはそれにツッコミを入れるわけにもいかず『ありがとうございます……』と、ものすごく不本意そうな顔でつぶやくしかできなかった。
「……あのさ、魔理沙」
「うん?」
「その……してんのーだのはっちゅーしんだの。この世界って、そんなに奥が深いの?」
「ああ。その下に、まず、十六傑集と呼ばれる猛者達がいる。さらにその下に三十二人将。そしてその下には六十四人衆。これが、料理界のトップを飾るもの達だ。全員、星三つ以上のランクの持ち主だぜ」
「……」
倍数計算だったのか、とつぶやく。
「ちなみに、私がいるのは三十二人将。咲夜も同じなんだが、位置は私より上だな。悔しいが」
「だってさ。咲夜。よかったわね」
「……全然よくありません。っていうか、お嬢様、思いっきり棒読みです」
「ねー、さくやー。さんじゅーににんしょー、ってなーにー?」
「私に聞かないでください……フランドール様……」
「……幻想郷。誠、奥深き土地よ……」
とりあえず、パチュリーのその一言が、この状況の全てを物語る。
「しかし、幽々子までが出てくるとなると、こいつはなかなか面白そうな事になりそうだな」
「ええ、そうね。
でも、霧雨魔理沙。元来、料理界の修羅の名前を他者に公表することは控えられているはずよ」
「……申し訳ないぜ」
「まぁ、いいわ。しかし、この絶対のルールを違えることは、料理界そのものを侮辱することだと知っておきなさい」
「ああ」
普段、こんな事言われたら『何を偉そうに』という態度で反論する魔理沙だが、なぜか今回は素直に幽々子の言うことに従ったりする。してみると、その『料理界』とやらの格付けは、性格や人格などの垣根を越える絶対のものなのかもしれなかった。
っていうか、何なの、これは。東方次回作は料理作成ゲームになるの? ちょっといい加減にしてよ。
「……はぁ」
ため息つく霊夢。
「ところで、今回の主役の登場はまだなの?」
「もうそろそろよ」
壁掛けの柱時計が、ぼーん、ぼーん、という音を立てる。余談だが、真夜中、この音に怯えたフランドールが泣きながらレミリアの部屋にやってきたこともあるという心温まるエピソードもあるのだが、とりあえずそれはこの場には関係ない。
「お待たせ致しました。ちょっと、手間を取ってしまって」
「いらっしゃい、美鈴」
「めーりん、美味しいご飯♪」
やってくるのは、これまで全ての挑戦者達を蹴散らしてきた料理界の覇者、紅美鈴。その彼女を見た途端、魔理沙やら幽々子やらの視線が厳しくなるのだが、それはさておき。
続いて、大扉を開けて現れたのは、これまた意外な人物だった。
「そういえば、我々が紅魔館を訪れるのは初めてでしたか」
「藍さまー。橙、お腹空いたー」
「お? 八雲一家のご登場か」
紫、藍、橙の三人が現れる。
すでに厨房(と書いて戦場と読む)に立っている美鈴が、彼女たちを見てわずかに首をかしげる。自分の相手が誰なのか、大体を想像しているのだろうか。
「しかし……今回、藍が相手じゃ、正直、荷が重いんじゃないのか?」
「え? そうなの?」
「ああ。藍は十六傑集の中で、確かに上位をキープしている修羅の一人だ。しかし、かつて四天王にすら列席させられそうにもなった美鈴の相手としては、今ひとつ……」
「……そうなのですか? 幽々子さま」
「ええ、そうよ。はっきり言って、藍程度なら、私でも勝てる」
「何かものすごく散々な言われようなんですけど……私……」
「藍さま、泣かない泣かないー」
自分の式に慰めてもらっている藍の姿は、それなりに同情を誘う光景である。
しかし、だ。
「違うわ。今回、美鈴と戦うのは、彼女よ」
レミリアが指さしたのは。
「は?」
「あの、お嬢様。何の冗談でしょう?」
「そうよ、レミィ。笑えないわ」
「あの……失礼ですけど、私もそれには同意を……」
紫。
その行為に、全員からツッコミが入る。「何よ、本当のことよ。文句あるの!?」と、ぷくーっとほっぺたふくらまして、両手をぶんぶんするレミリア。なかなか愛らしいその姿に、咲夜がちょっぴり顔を赤く染めたり、フランドールが姉の真似したりと、やっぱり微笑ましい光景が展開する。
しかし、これで全員の、紫に対する認識がはっきりしようと言うものである。
日頃、ぐーたら三昧、料理? 何それ? 食べるものでしょ? な彼女が、あの戦いの場に立つことなどあり得ない――誰もがそう思っているのだ。
およそ、二名を除いて。
「……何だと?」
「紫、まさか、あなた……」
いぶかしげに眉をひそめる魔理沙と戦慄する幽々子。その彼女たちの反応に満足したのか、紫の顔に薄く笑みが浮かぶ。見るものの意識を寒々とさせ、時に恐怖を、時に畏怖を招くその笑みを浮かべながら、彼女は戦場に立った。
「美鈴さん、どうぞお手柔らかに」
「は、はい……」
困惑する美鈴。相手の素性はしれていてもその腕前は未知数。
故に、さすがに料理界の『龍』とまで呼ばれた女傑でも困惑するのは致し方ないというところか。
そして、椅子が二つ埋まる。残されたのは一つ。『審査員長』と書かれたプレートの置かれた席である。
「最後の一人は誰なのよ?」
「……まぁ、もう何でもいいからさ。早く終わらそうよ」
何となく、全てに投げやりな霊夢の言葉を遮るように扉が開いた。ばぁん、という大きな音と共に現れたのは、白ひげと白髪を蓄えた老人である。しかし、老いてなおその眼光は鋭く、隆々たる体躯もそのまま。
そして、その人物の登場に、思わず声を上げるものがいた。
「お、お師匠様!?」
妖夢である。
そう、現れたのは、彼女の祖父であり剣の師。なおかつ、かつての白玉楼における幽々子の護衛役でもあった魂魄妖忌その人である。
「レミリア殿、此度の招聘、誠に痛み入る」
「ああ……まぁ、うん。幽々子に頼まれたからなんだけど……」
「な、何だと!? 魂魄妖忌! まさか、あんたが!?」
「む? お主は……あの時のひよっこか。魅魔と共に修練を積んでいた頃の面影を残したまま、精悍な顔つきに成長したものよ」
かんらからからと笑う老人。その彼の出現に、魔理沙が目を見張り、息を飲む。
「幽々子さま、お久しぶりでございます」
「ええ、妖忌。久しぶりね」
「あ、あの……」
「妖夢。お前も、壮健であったか」
「は、はい!」
「しかし、妖忌。まさか、あなたまでが出向いてくるとはね」
「ええ」
どっかと、彼は審査員長席に腰を下ろした。巌のような面構えでどっしりと腕組みする様は、まさにラスボス。次の東方シリーズラスボスはこいつね、と霊夢は内心でつぶやいた。
「……で? 魔理沙。そろそろ解説お願い」
未だ、硬直したままの魔理沙に視線を飛ばす。
「あ、ああ……。
魂魄妖忌……。こいつの名前を知らないものは、料理界にはいないぜ……」
「……へ?」
間の抜けた声を上げるのは妖夢である。
「その絶対のジャッジ。圧倒的なまでに繊細な舌。そして、ひとたび包丁を握れば、鬼とまで言われた腕前……」
「……はい?」
今度は霊夢。
「人は言う。魂魄妖忌、すなわち――」
「料理界の味神、と――」
続けるのは幽々子。
場を沈黙が支配した。
当然、その展開に圧倒された、という意味の沈黙ではない。そんな唐突な展開を持ってこられてもついていけるかこんちくしょう、という沈黙である。
「ま、まさか、妖忌さんまでが……。どうして……」
「ふっ、久しぶりですな、美鈴殿。かつて、お主に敗れて以来、白玉楼を後にし、各地を点々としつつ己の腕を鍛えてきた、我がジャッジ。受けてみる気になりましたかな?」
「ええっ!? あ、あの、お師匠様。お師匠様が白玉楼を後にしたのって……」
「あれは……そう、妖夢が私の護衛役になる、少し前の事ね。
当時、流れのファイターだった美鈴さんが白玉楼を、武者修行のために訪れ、この私と、そして、妖忌を破っていったあの日」
「あの日以来、わしは自らの力量を、痛いほどに教えられ、そしてまた同時に、かつての修羅としての心意気を思い出した。故に、幽々子さまをお前に託し、白玉楼を去ったのだ」
「……」
沈黙。
もう、どう反応したらいいものか。気を落とすな、妖夢、頑張れ、妖夢、という視線を霊夢が送るのだが、硬直した彼女にそれが見えているのかどうか。
「全ての食材を完膚無きまでに華麗にさばく楼観剣と、さばいた食材を美しく彩る白楼剣をお前に託したのが、我が新たな誓いの表れよ」
「……私のこの剣って、料理に使うものなの……?」
「妖忌。あの時は驚いたわ。まだまだ、六十四人衆にすら数えられていないこの子に、あなたの持つ業物を託すなんて、と」
「ふっ。幽々子さま。男は常に修羅でなくてはならないのです。修羅の歩みは、常に裸一貫なのですよ」
「なるほど。やはり、お前も、この世界で名を知られた猛者であるという事ね」
「ううっ……霊夢さぁん……」
「うん。わかる。あんたの気持ち、すっごくよくわかる。今は泣いていいのよ」
「……まぁ、そりゃ、ショックだよな」
「藍さま?」
「……橙は気にしなくていいんだよ」
あんまりと言えばあんまりな事実の判明に、ついに霊夢にすがって泣き出した妖夢を見て、痛々しい雰囲気が広がっていく。っていうか、今まで信じていた武器の真実をこんなキワモノ扱いで知らされたら、そりゃ泣きたくもなるというものである。
「なかなか、そうそうたる顔ぶれが集まったようね」
「そのようですね」
「いや、あんた達、この状況を見てものを言いなさいよ」
すでに料理人モードに移行している当事者二人にツッコミ入れる咲夜。しかし、そんなツッコミがこの場に通用するかどうかと言われたら、もちろん――。
「では、話はまとまったようね」
「まとまったの? お姉さま」
「フラン。それ、聞いちゃダメ」
強引に話を打ち切って、レミリアが立ち上がる。もちろん、彼女の頬には汗一つ。
「それでは! 久々の!
キッチンファイトぉっ!」
『レディー・ゴー』
当事者二人の静かな宣言の元、血と汗と涙のほとばしるキッチンファイトがスタートする。っていうか、妖夢を気遣ってやれよお前ら、と霊夢は言いたかったが、言ってもこいつらが人の話を聞くわけはないとわかっているので黙っていた。
「しかし、まさか、味神のあんたが出てくるとは思わなかったぜ……」
「ふっ、魔理沙よ。お前にも、いずれわかる時が来る。かつて、己を叩きのめしたものの料理を味わう、その意味を」
「ああ……肝に銘じておくぜ」
「魔理沙、かっこいー」
「……かっこいいかしら」
色々、魔理沙には色眼鏡を使うパチュリーも顔を引きつらせる。魔理沙の頬には汗が伝っており、目の前の男のプレッシャーを直に感じ、畏怖を覚えているようだった。
そして、素晴らしい音と共に高い炎が厨房で上がり始める。
「嘘……。紫が料理を……」
まず、驚くのは咲夜である。
彼女の扱っているのは鋼鉄の、巨大な中華鍋である。その重さは十キロ近いとまで言われる巨大さを誇るそれを、彼女はいともたやすく操っていた。その手つきにそつはない。
「何だ、お前達。紫さまが、ただのぐーたらだと思っていたのか?」
「え? 違うの? 藍さま」
「橙、しーっ!」
とんでもないことを口走った橙の一言に藍が顔を引きつらせる。当然、直後、藍の目の前に包丁が飛んできて、ざくっ、という音と共に突き刺さった。
「ゆ、紫さまは、料理の腕前は、はっきり言って凄まじいぞ」
「そうね。元々、藍に料理の基礎を教えたのは紫だわ」
「うむ。あの腕前を再び見られるとは、実に僥倖」
『うっそぉ……』
全員、声を唱和させる。もちろん、妖夢もだ。唯一、魔理沙だけはこの展開を予想していたかのように沈黙しているのだが。
やがて程なくして出されるのは、まず前菜からだった。今、手がけている料理を作る傍ら、客の舌を楽しませておくための代物である。
出てきたのは、棒々鶏の冷奴。
「……む?」
妖忌が眉をしかめる。
「紫どの! これはどういうつもりだ!」
ばんっ、とテーブルを叩き、妖忌が激高する。
そう。出された料理は、美鈴のものも紫のものも全く同じものだったのである。『料理勝負』なのだから、お題を決めてそれに対して競うのは当たり前だろう。しかし、紫が出したのは、美鈴のものと見た目も何もかもがまるでそっくり。完全に、パクリと言って差し支えないだろう。
「このような、神聖な料理を冒涜するような振る舞い! このわしが、魂魄妖忌と知っての行いか!」
「ふふっ。妖忌、年を取って、ずいぶんと頭が固くなったものね」
「何だと!?」
「私の作る料理が、ただのなれ合いでないことは知っているでしょう?
魅魔も幽香も、そして神綺も、その戦い方が、まだまだ甘ちゃんの戦い方だったと言うことを教えるまでよ。ふふふふ」
ぞくりと、全身が粟立つのを、霊夢は感じた。
何だ? 何だ、このプレッシャーは。かつての桜花事件の時でも紫からこんなプレッシャーを感じたことなどなかった。思わず、彼女の後ろに『ごごごごごごご』という書き文字もたれ込めようかというものだ。フランドールなど半べそかいている。橙は怯えてテーブルの下でぷるぷるしていた。
「む、むぅ……」
「それが私の戦い方。つべこべ言わずに食しなさい」
「……よいだろう。
しかし、これが料理に対する冒涜だと判断した場合、わしは躊躇なく席を立たせてもらう」
「どうぞ、ご随意に」
腰を下ろし、渋々、目の前のそれに手をつける妖忌。
一同、それを口にして、ふむ、とうなずく。
「実にさっぱりとした味わい……。このタレの味が絶妙ね……」
「ほら、フラン。美味しいわよ」
「うぅ~……えぐっ……」
泣きそうな顔になっていたフランドールが、それをぱくりと一口した瞬間、ぱっと笑顔になった。
「どちらの味も、一進一退……。だが、紫の料理がダイレクトに脳髄に叩き込まれる味なのに対し、美鈴の味は舌を駆け抜ける快感……」
「むぅ……これは……」
「さすがね、紫。
妖夢。あなたも学びなさい。私の夢である、あなたの四天王入りを達成するためにも、これは経験しておかなければならないことよ」
「……はい。っていうかそんなの入りたくないですよぅ……」
紫の視線が美鈴を見る。彼女はこちらを見ることもなく、丁寧に料理を作っている。
紫の口許に笑みが浮かぶ。
その笑みは、サディスティックな冷たい笑み。
――続いて出されるのは、まず、チンジャオロース。
「全体にしっかりと火が通っておるな。加えて、ソースも、甘みを薄めにして辛みを際だたせている。うまい」
続けて、麻婆豆腐。全体にしっかりととろみのかかったソースが満遍なく配され、その中に肉や豆腐、ねぎなどが浮かぶ様は実に食欲をそそる。ただし、その色合いから見るに、
「うー! うー!」
「ああ、橙。ほら、お水だよ」
「お姉さま、これ、辛いー!」
「確かに、ちょっと辛すぎかしら……」
「これは四川料理の味ね」
ちらりと後ろを見るパチュリー。そこに立つ咲夜は、視線を美鈴へと注いでいた。顔はいつも通りのポーカーフェイスだが、瞳の奥で不安が揺れている。
そして、ここで辛みを相殺するためか、それとも、ちびっこ達があまりにも辛そうに見ているのを見かねたのか、青梗菜のクリーム煮というものが追加される。青菜の色合いと、色よくとろけたクリームの色合いが絶妙である。
「ふむ……塩味がかなり抑えられている。どちらかというと、クリーム本体の甘みを使いすぎという感じもするが……」
「構わぬな。これまでの味を相殺するという意味では、確かに、意味をなしていると言えるだろう。もっとも、わしとしては、この味は、少々よけいなものに感じるが……あちらのお嬢さん方には気に入って頂けているようだ」
今度はぱくぱくとそれを頬張っているちびっ子達を見て、妖忌がわずかに瞳を細くする。その様子を見て、幽々子が「修羅にも、まだ人の情が残っているのね」と何だか感慨深くうなずいていた。
さて、続けて投入されたのは、今度は豪勢なフカヒレの姿煮である。
「お……おおお……」
霊夢が感動している。当然だ、フカヒレというものは、噂でしか聞き及んだことのない代物なのだから。と言うか、前々回の料理勝負と言い、そう言えば、幻想郷に海ってなかったわねぇ、などと考えていたりもするのだが、美味しければどうでもいいらしかった。
「と……とろける……口の中で……あああっ……!」
「……霊夢さん、本当に幸せそうですね」
「フカヒレは、お肌にもいいと聞くわ」
「そうなの? パチェ」
「ええ。咲夜、あなたもどう? 最近、小じわが増えてきたのでしょう?」
「……パチュリー様、お気遣い、痛み入ります。ところでそれは私にケンカを売ってますか?」
なぜか無表情に訊ねてくる咲夜に、パチュリーはしれっと「別に」と返した。こういう掛け合いでは、どうやらパチュリーの方が一枚上手らしい。
「しかし、この味は……」
「ええ、そうね。美鈴さんのものと、だいぶ味が似通っている」
「いや、しかし、その中にある味は、紫様の方がより攻撃的だ。こちらに隙を見せずに攻め込んでくるところには、やはり、受け手に回るしかないものの絶望すら感じられる」
「美鈴の料理は、基本的に、こちらを受け手とせずに攻め手とするものだからな。紫の奴……何を企んでいるんだ……」
何やら難しいことを話しつつ、次なるあわびのステーキを頬張る料理界の修羅三名。なお、霊夢は「私は今、猛烈に感動しているー!!」と叫びながら、ちまちまちまちまとあわびを口にしていた。一気に食べるには、あまりにももったいないと考えているのかもしれない。貧乏人根性、ここに極まれり。レミリアが、そっと涙したのは内緒の話である。
「ふふふ……」
「くっ……」
そして一方、厨房では、二人の料理人の熾烈な精神戦が繰り広げられていた。
余裕の笑みを浮かべる紫と対照的に、頬に汗を流す美鈴。追いつめられているのではない、紫の取っている戦術に困惑しているのだ。
「どうしたの? 手が止まっているわよ」
「紫さん……あなたは……!」
「うふふ……。私の戦い方を卑怯と罵るのならそれでもいいわ。でも、勘違いしないでね。魅魔の戦い方と同じく、私はあなたを徹底的に叩きのめすのが目的なのだから」
「しかし……こんなの、あまりにもアンフェアです……!」
「あら。他人と同じ料理を作ってはいけないというルールはないわ」
そして、そろそろ締めが近いのか、出されたのはご飯もの。四川料理の定番、おこげである。
「う~……この赤いソース、辛いから、やー」
「橙もー。藍さま、これ食べてー」
「やれやれ。フラン、あなたも、もう少し、辛いものを食べられるようになりなさい」
「ああ、もう、仕方ないな。どれどれ」
ちびっ子達の反応は同じだったが、それの保護者(?)の反応は全く逆だった。
おこげ、という料理の名前のようにほどよくかりっと仕上がったご飯は、やはり、それ単体でも箸が進む代物である。ましてや、中に、実に甘く、味わい豊かに味付けされたえびやら野菜やらが投入されていれば、これだけでお腹一杯になるほどである。
「ふむ……」
「魂魄妖忌のおっさんよ。あんた、どう見る?」
「まだ、この時点では何とも言えぬな。
だが――」
「……ああ」
審査員長、魂魄妖忌の目が光る。
「……そう言う手で来るのでしたら。紫さん、私も、あなたに決して真似の出来ないものを仕上げてみせます」
「あら、そう? 何を作るのかしら」
「本来、四川料理の流れの中には含まれませんが、私が師匠から受け継いだ、あの餃子で……!」
「ふぅん……」
そこまでの段階で、出されてきた料理は、全てが同じもの。見た目も手法も、何もかも。
ただ、味が違う。
どう違うと言われても、素人目には判断できない違いだが、料理の玄人たる、この場に集ったもの達にはそれが明確にわかっていた。一部のわかってないもの達は、さておくとしても、彼女たちが感じるのは、すなわち、一つ。
『美鈴が押されている』
この事実だけである。
そして、美鈴がかつて出してきた、あの伝説の餃子が目の前に現れる。これのすばらしさは、ここにいる誰もが知っている。どれほどの味が、これを口にした途端、体中を貫くかと言うことも。
だが、紫も同じく、出してきたのは餃子である。ここで初めて、彼女の料理が美鈴のものと形を変えた。皮の形をわずかに歪にし、加えて、皮そのものが薄めに作られているのか、箸で持ち上げて、しばらく放置していると少しずつそれが破れてきてしまうほど。
――美鈴のものを口にし、一同が、ふむ、とうなずく。
続けて――。
「むっ……!」
「これは……!?」
まず、最初に反応したのは妖忌と魔理沙だった。
「……見事ね、紫。皮と皮の隙間にも味をしみこませているわ。この味は、お肉の味ね……」
「紫様……あなたは、これほどのものを……」
「だが、待て。ここに含まれている味は、肉だけじゃない。野菜もそうだ。しかし……」
「舌の上で、己の自己主張を最大限に行い、一口、かみしめるごとに口中に広がっていく風味。しかし、同時に、それを殺さない程度に、我らの味覚をも押さえつける暴虐さ……。これは、並大抵の仕事ではない!」
ばんっ、と妖忌が箸をテーブルに叩きつけるようにして置いた。
「紫どの! これは……!」
「……そう。その餃子は、この子が出してきた餃子の祖に当たるもの」
「何ですって!? バカな! 私の餃子は、私と、私の師匠以外には作れないはず!」
「あら、そう? それなら食べてみるかしら?」
ちょうど、あなたの分もあるの、と差し出される。
皿の上に載せられた、たった一つの餃子。美鈴は箸を握り、だが、躊躇する。これを食べてはいけない、食べた瞬間、何か大切なものを失ってしまう。それがわかるのだ。
しかし、彼女の料理人としての自分は、その考えを拒否した。ここでその味を知らなくては、料理人失格だ、と。
「それでは……」
それを箸の先で上品に切り分け、口に運ぶ。
彼女の口が動くのを、一同が凝視する。小さくて形のいい唇が動き、頬の動きと喉の動き、舌の動きが連動し、口の中のものを胃の中へと移していく。
「そんな……!?」
「……ふふふ」
「う……そ……! これは……私の……!」
「うふふふ」
「バカな!? 紫さん、あなたは……あなたは……!?」
「ほーっほほほほほ!」
勝ち誇った笑みと共に、紫が高笑いを放つ。
「さあ、皆さん。次のデザートで終わりにしましょうか」
そして投入されたのは、何とアイスクリームである。これまで脂っこいものばかりを食べてきたため、これはさすがに、と躊躇するものがいる一方、遠慮なく、それを口に運ぶもの達がいる。
「うむ……!」
妖忌が唐突に立ち上がる。
「全てにおいて整えられた、計算された味! 全体の流れ! そして調和! 一つの品に込められた技術と魂は、我が心に響いた!」
「ま、待ちなさい!」
その評価に異議を唱えるものがいる。咲夜だ。
「こんな……こんな勝負、認められないわ! 彼女は美鈴のまねごとをしていただけじゃない! それなのに……!」
「……いいんです、咲夜さん」
「何がいいというの!?」
「咲夜さん……これは、彼女の作戦なんです」
「左様。
相手と全く同じものを作ることにより、相手に心理的プレッシャーを与える。だが、そこには、その相手を遙かに超える料理の技量が必要となる。相手が何を作っているのか、それを一目見ただけで判断し、料理そのものの配置すら完璧に同じにするには、並大抵の力で出来るものではない!」
「だ、だけど……!」
「……それに、たとえそうであっても、それに心を乱される方が悪いんです」
「美鈴……」
がっくりと肩を落とす美鈴。その隣で、紫が扇で口許を隠して笑っている。
「最後に出されたアイスクリームも、口の中に残る全ての味と調和し、だが、後味をきれいさっぱりまとめきっている! これぞ、まさに!」
彼の背後に炎が燃え上がる。
「うぅぅぅぅ!」
それが天へと手を伸ばし、
「まぁぁぁぁ!」
全てを焼き尽くす業火となって荒れ狂い、
「いぃぃぃぃ!」
焼き尽くされた世界から、真っ赤な炎をまとったフェニックスが舞い上がる。
「ぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
放たれた波動が、紅魔館全体を揺るがした。
まさに、これぞ絶対の評価。誰も覆すことの出来ない、最大の一言だ。
「……お師匠様……」
「妖夢。あなたも、次期、味神として研鑽を忘れないように」
「私にあれをやれと!?」
「いや、妖夢。お前は光栄だと思うぞ」
「藍さん!?」
「頑張れ、妖夢」
「ちょっと、霊夢さん!? いやぁぁぁぁぁっ!?」
一人、絶望にうちひしがれるものもいたりするのだが、まぁ、それはともあれ。
「……まさか、美鈴が敗北するなんてね」
「上には上がいるということよ。レミィ」
その視線が、美鈴へと。
「……紫さん」
「何かしら?」
「一つ、聞かせてください……。あなたは……あなたは、一体、何者なんですか……? これほどまでに私の味そのものに追従してくる味を、私は知らない……! 私にすら姿を見せなかった料理の猛者なんて、そんなものが……!」
「料理界の『龍』。それは、ただ一人しか名乗ることを許されない称号。
でもね。その『存在』が脈々と受け継がれることは、不思議でも何でもないでしょう?」
「ま、まさか……!?」
「その通りよ、美鈴さん」
がたん、と立ち上がる幽々子。彼女の視線は、戦場の紫を見据えている。
「彼女こそ、あなたが『龍』の称号を受け継ぐまでに、その称号を欲しいままにしていた女。そして、全ての『龍』の歴史、最強とまで言われた、料理界の女帝」
「そして、四天王最後の一人、だったかな」
「な、何だって!? じゃあ、残された最後の一人は、あいつだったのか!」
「ん~……。何か、すごいことが暴露されてるみたいだけど、微妙に乗り切れない自分が憎いというか、むしろ乗り切れないのが幸せというか」
一人、妙に冷めた意見を口にする霊夢。その気持ちはわからなくもないのだが、場の空気を読め、とツッコミされても文句は言えないだろう。
「あなたの師匠とは、いい勝負をさせてもらったわ、美鈴。そして、これは復讐でもあるの」
「ふ……くしゅう……?」
「そう。私が『龍』の称号を降ろしたのは、それに負けたのが原因なのだもの。そう、私はそれに負けた――あなたが師と仰ぐ、あの存在に負けてしまったわ。
うふふふ。けれど、これであなたも同じ。その背中に背負った『龍』はついに地に落ちたわ」
「あ……ああ……」
「一度、地に落ち、土にまみれた龍に出来ることは、ただ、無様にもがき苦しむだけ。
おほほほほ! さあ、悲しみなさい、苦しみなさい、紅美鈴!
天を目指す――それが、どれほどの苦行であるか、思う存分、思い知る事ね。あなたが目指したものがどこにあるのか、それを今一度!」
勝ち誇った笑みを響かせる紫を前に、ついに、がっくりと美鈴が膝を折った。今まで、あらゆる相手を前にしても敗北を悟らせず、そして、窮地をいくつも乗り切ってきた『龍』の姿はそこにはなく。
燃え尽きた戦士の姿が、ただ、あるだけだった。
「あのような勝負、納得がいきません!」
「しかしね、咲夜。これは公正な勝負よ。紫は反則なんてしてない」
「ですが……!」
「見苦しいぜ、咲夜。やめておきな」
「何ですって!?」
「これ以上、お前があいつをかばえば、むしろあいつが傷つくだけだぜ」
戦士ってのはそういうものなんだ、と帽子のつばを下げ、魔理沙がその場を立ち去る。
戦いが終わり、メイド達が甲斐甲斐しく戦場の片づけをしている中、美鈴は肩を落としたまま、その場を去り、勝者たちは意気揚々とその場を後にしている。
「めーりん、かわいそう」
「……これが勝負なのよ、咲夜」
「パチュリー様……! ですが……」
「まぁ、気持ちはわかるけどさぁ。
実際、紫の料理、マジで美味しかったし……」
「でも!
……でも、美鈴だって……」
「地に落ちた龍は、二度と飛ぶことは出来ない、か。彼女に限って、そんなことはないと思いたいけれど。けれど、このまま、地べたにはいつくばるようなら、彼女はその程度の器だったという事よ、咲夜」
レミリアの冷たい言葉に咲夜は絶句する。そして「失礼します!」と足早に去っていく。ドアを閉める音の荒々しさから、彼女がどれだけいらだっているか、わかろうというものだ。
「……お姉さま」
「放っておきなさい。勝負は勝負よ。一度の敗北くらいで落ち込むような戦士なんて、我が紅魔館にはいらないわ」
「まぁ、そういうことよね。
でもさ、疑問があるんだけど」
「あら、何かしら。紅白」
「その呼び方やめろ」
べし、とパチュリーのおでこにツッコミ。
「紫ってさ」
「ええ」
「美鈴さんの手元、全く見てなかったわよね」
「……そういえば」
「お題は示し合わされていたから、別段、ねぇ」
と、いうことは?
一同は首をかしげる。
「……まさか?」
霊夢の一言に。
そんなわけないよね、という気配がその場を満たす。一人、状況が理解できないフランドールは「めーりんのところに行ってくるね」とぱたぱたと足音を立てて歩いていってしまった。
残された一同は、考える。
「容赦なく……か」
「全く同じ料理……」
「美鈴の自信を打ち砕くために、わざとやった? まさかね。あいつが、そんな器用な真似、するわけないし」
だから、考えすぎだろう。
一同の結論はそこで落ち着いた。
さて、次からの問題は。
「これからのレストラン稼業、どうしようかしら……」
――ということで、当面は収まりそうだった。
いつからシリーズの名前をつけたのか、という質問は禁止です。
話の流れは前作から続いていますが、このお話単品でも楽しめると思います。では、流れをご理解頂けたところでどうぞ。
「この頃ね」
「ああ」
「自分で作る料理が美味しくないの」
「そうか?」
ずずー、とおみそ汁すすりつつ、魔理沙が訊ねる。
「なかなかだと思うぜ? ただ、私としては、もう少しだしを利かせた方がいいかなと思うが。せっかくのほうれん草のみそ汁なんだから、後もう少し、味を……って、どうした?」
「あんたのそう言う解説を聞くのが、自分の料理の至らなさを教えられてるってわからないかなぁ!」
ばんっ、とテーブル叩いて、霊夢。
今日も今日とて、質素かつ健康的な朝ご飯。何で魔理沙が博麗神社の一室にいるかと言えば、単に昨日、酒盛りをしにやってきてそのまま泊まっていっただけの話である。それで、「あんたに出してやれるほど、うちの財政は豊かじゃない」と切り捨てようとしたのだが、お腹を空かせた魔理沙が「ご飯~……」と泣きそうな顔をしたので恵んでやっているのだ。
「……む~……そうか?」
「そうだ」
「……そっか」
鮭の切り身を口に運びつつ、
「だが、霊夢は料理は上手だ。それは私が認める。そのまま、どこに出しても恥ずかしくない嫁になれるだろう」
「嫁、ね。こんな閑散とした神社に宮司としてやってきてくれる人がいるとは思えないけど」
ひゅるるる~、とまるで漫画のような木枯らしが吹いていく閑散とした空間。今日も今日とて、博麗神社は閑古鳥。そう言えば、以前に、市販用のお守りを作ったのっていつだったかなぁ、なんて思いながらご飯を一口。
「けど、こんなつやつやの白米を用意できたり、それなりに食べられる生活をしていたり。お前の生活費ってのはどこから捻出されてるんだ?」
「それは博麗の巫女の七不思議よ」
「自分で言うなよ」
「嘘、冗談。
一応、こう見えても、あちこちから生活支援は受けられるだけの徳は積んできたつもりだから」
自分で『生活支援』というのはどうなんだろうと思ったが、あえて魔理沙は言葉には出さなかった。まぁ、この巫女のことだから、案外、自分には知られていないところで何かやっているのだろうと思っておく。
「でもさぁ、つくづく思うのよね」
「何が?」
「だってさ、私、自分で言うのも何だけど食生活は豪華じゃないでしょ? 舌が肥えているってわけでもないのに、何だってレミリアは料理勝負に呼んでくれるのかしら」
「そりゃ、まぁ……」
この際だから、これを機に霊夢を手込めにしようとでも考えているんじゃないのか?
――という本音を口に出そうとして、慌ててお茶でそれを胃の中へ流し込む。
「きっと、あいつにも仏心があるんだろうさ」
「仏心ねぇ。あいつ、吸血鬼よ? どっちかっていうと、神の慈悲、っていう方が正しくない?」
「まぁ、どっちでもいいさ。美味しいものが食べられるならそれでいいじゃないか」
「変に舌が肥えてくると、こういうわびしい食事がむなしくなるものよ」
「人間、贅沢を知ると後戻りが出来ないからな」
そこから考えると、今の霊夢の困窮極まっている生活というのは人間が本来あるべき姿なのかもしれない。今日を生きるにも必死で、ご飯が食卓に並ぼうものなら、『神様、今日の糧に感謝します』とでも言ってそうな生活。
「……やっぱ違うか」
しかし、それは何か間違ってるな、とは薄々気づいているのだが。
「そう言えば、近頃、アリスが姿を見せないけど?」
「ああ、あいつ、神綺から隠れるためとか言って私の家に転がり込んでる」
「へぇ。何があったの?」
「さあな。
三日目にして見つかって、『ママと一緒に帰りましょ~』『助けて魔理沙ぁぁぁぁぁ!』とかやってたけど」
何があったんだろうとは思うのだが、まぁ、気にしないでおくことにする。他人様の家庭の事情に踏みいるのは野暮というものだからだ。
食後のお茶の用意をしつつ、霊夢は視線を魔理沙へ。
「ん?」
「……あ~、まぁ、何でもないんだけど。
あんた、最近、ちょっと太った?」
「……たはは。それを言われると」
恥ずかしそうに頬をかきながら、魔理沙。
出がらしだけど、と断ってから湯飲みを卓の上に置く。
「この頃、魅魔さまの言いつけ通りに料理の練習をしているんだが、どうしても納得のいくものが出来なくて。それでついつい、味見のしすぎで、な」
ぺろりと舌を出す。
意外にも、そういう幼い仕草が似合う彼女を見て、へぇ、と思わず声を上げる。
「だ、だけど、太ったと言っても、ほんの一キロ程度だ。ダイエットすればすぐに減らせるぜ」
「ダイエットねぇ。
まぁ、いつも通りに、凶悪魔法ぶっ放してれば嫌でもやせるわよね」
「あれは私のライフワークだ」
そう言いきるのがすごいと、この時、本気で霊夢は思ったという。
お茶片手に他愛のない話をしつつ、時間を過ごす。手にした湯飲みの中身が空っぽになったら、またお湯をついで、そうして同じ時間を過ごす。何となく、平和な日々の体現のような感じがした。
「ま、そういうわけでだ。私も魔法使いとして、日々、精進しているのさ」
「日々の精進で包丁の扱いがうまくなる魔法使いはいないわよ」
「そうか? わからないぜ?
世の中には、包丁を片手に魔法を繰り出す魔法使いがいるかもしれないじゃないか。包丁バスター! って」
「どんな魔法使いだ、それは」
それはもう、魔法使いという名の皮をかぶった魔物のような気がする。具体的には、巨大化して目からビーム発射するような。
「まぁ、そんなもんさ。
さて、飯もごちそうになったことだし、ぼちぼち帰るかな」
「そう」
「昨日、またアリスが逃げてきてな。『今度かくまってくれなかったら、貴方を殺して私も死ぬ!』って包丁片手にマジな目してたから、ちょうど試してた結界魔法を使ってみようと思ってるんだ」
「……それ、失敗したらやばいんじゃない?」
「……私がここに現れなくなったら、魔法の森の方角を向いて火でもたいてくれ」
「……ええ」
「……んじゃな……」
戦地に旅立つ親友を見送るような目をして、飛び去っていく魔理沙を見つめる霊夢。
そうして、その唇が小さく動く。
「……生きろ、霧雨魔理沙」
びしっ、と親指を立てて、彼女の無事を祈るしか、霊夢には出来なかったという。
さて、場所は変わって、ここは紅魔館。
レミリアが最近になって『紅魔館じゃなくて紅魔料理館にしましょう』と言い出したが、それはメイド全員が泣きながら止めたので、紅の吸血鬼の館、という名目は守られている場所である。
そこではいつもが真剣勝負。
「何ですって!? ステーキ用のお肉がない!?」
「ちょっと! もやしがないわよ、もやしが!」
「何これ! こんな塩辛いスープ、誰が作れって言ったの!?」
「あ、あれ? 確か、ここに置いておいたジュース……あーっ! 床に落ちてるー!」
今日も厨房はてんてこ舞い。
大勢のメイド達が鬼気迫る形相で、次から次へと料理を仕上げ、それを片手に飛び立っていく姿は、この館の日常茶飯事かつ微笑ましい光景だ。
そんな厨房の一角では、さらに微笑ましい光景もある。
「ですから、フランドール様。包丁は逆手に持たないでください……」
「えー? 違うのー?」
「……割腹自殺でもするつもりですか」
頭痛をこらえて、館の主、レミリアの妹であるフランドールに料理を教えているのはメイド長の咲夜である。
何でフランドールが料理をしているのかと言えば、昨今、この紅魔館を舞台に繰り広げられる骨肉の争い(と書いて料理勝負と読む)に触発されたからである。「フランも美味しい料理作る!」と意気込んでしまったわけだ。
しかし、皆様のご想像通り、この少女、料理は愚か包丁も握ったことがない。つい最近まで、自室から滅多に外に出してすらもらえなかったのだから当たり前なのだが。そんな彼女に料理を教え込むというのがどれほど大変なものなのか、その苦労は推して知るべし。
「ぶぅ……」
「それでは、野菜サラダから始めましょうね」
「ええー? もっと難しいのから始めるんじゃないの? たとえば、何とか何とかー、とか!」
「……そう言う簡単なものこそ、重要なのです」
「そうなの?」
「はい」
「それならやるっ」
笑顔のフランドール。この笑顔通りの結果が出てくれればいいのだが、世の中、そううまくはいかないのである。
とりあえず、野菜を洗うところからスタートするわけだが、言うまでもなく、吸血鬼は流れ水に弱い。というわけで、ボウルに水をためてじゃばじゃばとやるのだが、
「うー。何か汚れ取れないよー」
「ああ、そうではなくて、全体を転がすように……」
と言うところから始まり。
「いたっ! 痛いよ~……う~……」
「な、泣かないでください、フランドール様。ほ~ら、痛いの痛いの飛んでけ~」
と言う状況になり。
「あ~ん……」
「フランドール様、つまみ食いばかりしてたら料理が出来ません」
「……ぶぅ~」
誰もが予想できる状況を経て。
「かんせ~い!」
「……はぁ」
生野菜サラダが出来るまで、優に一時間。
フランドールは満足そうだが、咲夜としては疲れがたまりにたまる行為である。ちなみに出来上がったサラダは、どれもこれも形が歪で、当然、サラダとしての体裁も整ってないため、見た目にもぐちゃぐちゃ。しかし、フランドールとしては、出来上がったと言うだけで嬉しいのか、「お姉さまに食べてもらってくる!」とドレッシングも持たずに厨房を走り去ってしまった。
「……これが毎日続くのね」
「メイド長、ファイト!」
「メイド長、お疲れ様です!」
「メイド長、ビタミン剤です!」
「精力剤もどうぞ!」
なぜか、わらわら集まってくるメイド達。皆、咲夜の苦労を察しているのだろうか。
「……ありがとう、あなた達」
「いいえ!」
「メイド長の犠牲のおかげで、私たちは助かっているのです!」
「そうです! 全てはメイド長ありき!」
「倒れられたら、私たちがやばいです!」
「……あんたらね」
人間――と言っても、こいつら人間じゃないが――、いざという時になると本音が出るものである。顔を引きつらせる咲夜は、それでも怒鳴る気力もないのか、渡されたビタミン剤を一気飲みする。
――と、ぱたぱたという足音。
「さくやー!」
「は、はい、フランドール様!」
「お姉さまが、『ドレッシング持ってきて』って。ドレッシング、どこ?」
「あ、はい。それはそちらの戸棚の上に……」
「んーっと……これ?」
「ち、違います。それはオリーブオイル……」
「……あ」
「ああっ!」
がっしゃんがしゃんがしゃんっ!
戸棚の上にぱたぱた飛び上がったフランドールが、たまたま、開いた戸に翼を引っかけてバランスを崩して落下。運悪く、その下を出来上がった料理を持って歩いていたメイドがおり、それに衝突してぐしゃり。さらにそれに連鎖して、あちこちで料理がフライパンから飛んで天井に張り付いたり、メイド同士が衝突してフォーリンラブしたり、お皿が空を飛び交ったり。
一瞬にして、厨房は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
「う~……何かべたべたするぅ~……」
「あ、ああ……注文が……注文が遅れるぅ~……」
「せ、先輩、私、先輩のこと……」
「ああっ、わたしも、わたしもあなたが……」
「ああ~! このお皿、高かったのに~!」
「どうするんですかー!?」
「しゃらーっぷ!」
セリフと同時に空中にナイフが展開し、それが一斉に床のメイド達を向く。銀色に輝く切っ先に、彼女たち、思わず沈黙。
「諸君! 我々がやらなければならないのは事態の収拾である! 故に、責任押しつけなどの見苦しい行為はするべきではない! わかったら、自分に出来る全力を尽くしなさい!」
『イエス・マム!』
「わー、咲夜、かっこいー」
「……では、フランドール様。お風呂に参りましょうか」
「うん。お風呂ー」
お嬢様にドレッシングを持って行く件はどうなった、と思わず問いかけそうになったメイドに、咲夜が熊でも睨み殺せそうな視線を送った。『あんたが持って行きなさい』。その瞳は、そう物語っている。
「おっふろー、おっふろー♪」
もはや、フランドールの意識は完全にお風呂にシフトしているらしい。わくわくうきうきで「咲夜ー、早くー」と厨房の入り口で作也を呼んでいる。ただいまー、と歩いていく咲夜。そして残されるのは、荒れ果てた厨房のみ。
「……どうしたらいいのよ、これ」
「先輩……注文、どうします……?」
「遅れたら、お嬢様のどぎついお仕置きが……」
いやー! だの、死にたくないー! だのといった声が上がる。
この場をどう乗り切るべきか。
年配かつ先輩のメイドは、思索を巡らせる。自分たちの命が助かり、なおかつ、咲夜からも『よくやったわね』とほめてもらえるような完璧な手段を。
……考えて、考えて、考え抜いて。
んなものあるわけねぇじゃん、という結論に達するまで、ジャスト五秒。
「あの~、何か騒がしいですけど、どうかしましたか?」
「きた」
「……へ?」
ひょこっと顔を出した、赤い髪の女を見て。彼女の目が光る。
「美鈴さま。ちょっとこちらへ」
「え? あの、何ですか? 私、咲夜さんに用事が……」
「これとこれを」
「え? あの、これはエプロンと包丁ですよね? これを持って何するんですか?」
「お願いします」
「………………」
厨房をびしっと示され、美鈴は沈黙する。
だが、そうしていたのも、わずかのこと。ぎらりと、彼女の目が、そして、料理人としての本性が光る。
「わかりました」
ひゅん、と包丁と、いつの間にか握られたフライパンが踊る。
「お任せを」
私たちは助かった。
その時、メイド達は、心底、そう思ったという。
「こんにちは、レミリア」
「あら」
フランドール手作りの野菜サラダを頬張っていたレミリアの元に、女が現れる。
目の前の空間に亀裂が走り、そこから姿を現した女は、日傘を回しながら、勝手に椅子の上に腰を下ろした。
「何の用かしら。八雲紫」
その言葉に、彼女――紫の瞳が、すぅっ、と細くなる。
「美味しそうなものを食べているのね」
「そんなに美味しいものでもないわ。素材の味のおかげで助かっているという感じでね。
でも、わたしのかわいい妹が作ったのだもの。お腹一杯、いただかせてもらうわ」
「あら、あの子が。大したものじゃない」
「そうね」
それで? と。
レミリアは訊ねる。
「そんな世間話をしに来たというわけじゃないでしょう?」
その言葉に、紫は、驚いた、とばかりに目を丸くする。
「あら。私が世間話をしに来たらおかしいの? 今日はいい天気ね、とか、昨日の晩ご飯は何だったかしら、とか」
「別段、おかしくはないけれど。でも、あなたという存在がそれをするのはおかしいのよ」
「まあまあ。悲しいわ」
くすくす笑いながら、紫は全く笑っていない瞳をレミリアに向ける。
まさに、狸と狐の化かし合い、といったところか。
どちらも手の内を見せず、腹の内を明かさず、相手を探る。話術の勝負と言うよりは、完全なブラフ勝負となるだろうか。
「……まぁ、いいわ。用事がないなら出て行ってちょうだいな」
「やれやれ。そうやって簡単に話を切ってしまって。お姉さん、悲しいわ」
「お姉さんという年でもあるまいに」
「さてと。
それじゃ、本題に入りましょうか」
「なら、最初からそう言いなさい」
全く、と肩を怒らせて、レミリア。見た目が見た目なので、あんまり迫力がないのが悲しいところだ。ついでに言えばほっぺたにドレッシングとサラダの切れ端がついていたりもする。
「あなたの所の門番。美鈴だったかしら?
彼女、大層な腕前を持っているそうじゃない」
「ええ、そうね。よく知っているわね。さすがはデバガメ」
「ふふふ。
……それでね、その子と戦ってみたいのだけど、よろしいかしら?」
「誰が? あの狐かしら? それは面白そうね」
「いいえ。私が、よ」
「……は?」
思わず、眉をひそめて問い返す。
片手に小さな扇子を持ち、それで口許を隠しながら微笑む紫には、何とも言えない威圧感がある。プレッシャーを振りまいている、とでも言えばいいだろうか。おかげで、普段なら戯れ言として聞き流すであろうことにも耳が向いてしまう。
「どういうこと? あなたがあの子と?
戦ってどうするというの。痛い目を見て、威厳をなくすだけよ? いや、あなたに威厳があるかどうかはさておいて」
「ふふふ。まぁ、一介の挑戦者として、頂点に挑んでみるというのも悪いものではないでしょう?」
「それは……そうだけれど。本気なの?」
「ええ」
「審査員としてじゃなくて?」
「挑戦者。チャレンジャーとして」
「……えーっと」
どうしよう、と悩む。
別段、引き受けてやってもよいのだが、この女がまともに料理を作れるとは、どうしても思えなかった。何せ、日頃から自分の使い魔である狐に全てを任せてぐーたらしているような輩である。とてもではないが、彼女が包丁を持ってキッチンに立っているところは想像できない。
「……時間の無駄にはならないのね?」
「ええ」
「わかったわ。それじゃ、特別にエキシビジョンマッチをもうけましょう。
まぁ、あなたがどんな腕前だかは知らないけれど。好きにしたらいいわ」
「ありがとう」
「日時は、こちらの用意もあるから、今回は二週間後。時刻は午後の六時からでよろしい?」
「ええ。構わないわ」
「そう。それじゃ、またその時に」
その言葉を発して、小さく瞬きをした瞬間に、紫の姿は消えていた。つい先ほどまで彼女がそこに存在していたという形跡すら残さず、きれいさっぱり消え失せているのだ。相変わらず、つかみ所のない不気味な奴ね、とレミリアは肩をすくめる。
「まぁ……いいか。楽しそうならそれで」
楽しくなければ打ち切ればいいだけのことだし、と。
彼女は楽観的に考えていた。
この時までは。
さて、それから二週間後のことである。
「辞退はダメって言われた」
「そりゃそうだろう」
「……うぅ、私も美味しいお料理が作れるようになりたいよぅ」
「料理界の門を叩いてみるか?」
「絶対いや!」
そんなことをしたら『博麗の巫女』や『楽園の素敵な巫女』ではなくて『楽園の素敵な料理人(見習い)』という感じになって、自分のアイデンティティ完全消滅しそうだったので断固として、霊夢はその一言を否定した。
そういうわけで、集められたのは、まぁ、いつも通りの紅魔館の大食堂。一説によると、この部屋は『決闘場』として以外の用法に使われていないらしい。ちなみに情報源はパチュリーである。
「しかし、今回は……」
用意されている椅子の数が多い。
普段、こんなにも多くの椅子を見ないくらいである。それほど、今回の挑戦者は強敵と言うことだろうか。
最初に到着するのは、いつものように霊夢と魔理沙であり、次に到着するのは、
「ごっはんだ~!」
「こら、フラン。はしゃぎすぎないの。はしたない」
「……何で私まで」
「そのお気持ち、お収め下さい。パチュリー様」
レミリアを始めとした紅魔館組である。その彼女たちが座る椅子は三つ。どうやら、咲夜は今回は観戦オンリーに回るらしい。むしろ、彼女の方からそれを願い出たのかもしれないが。
「で、あの椅子は誰のだ?」
魔理沙が、並んでいる無人の椅子――その数五つを指さす。
「ああ、それは……」
「お腹が空いたわね~、妖夢~」
「そうですね。でも、私も今回は審査員なのでしょうか」
「そうよぉ」
「おっ、大食い姫に妖夢じゃない」
「あっ、霊夢さん。どうもこんばんは」
まず現れたのは、過去、現在に続く料理勝負の火蓋を切ったと言っても過言ではない一戦で審査員長を務めた幽々子と、その従者の妖夢が現れる。幽々子の顔はひたすら笑顔。お腹が空いてお腹が空いて、料理が楽しみで楽しみで仕方がない、と言う顔だった。対する妖夢は、少々の困惑顔である。
「ほぉう……幽々子が出てきたか」
「どうしたの? 魔理沙」
「いや。
レミリア。お前、この勝負、相当な大勝負になると思っているな?」
「は? 何で?」
その人物を招集したはずの人物がきょとんとなる。そして、その言葉を受けて、幽々子の視線が鋭さを増した。手にした扇で口許を覆いつつ、従者に椅子を引かせてそれに腰掛ける。
「ん? ……何だ、知らなかったのか」
「どういうことよ? 魔理沙」
「ああ。
西行寺幽々子。あいつは、料理界において、『四天王』の称号を持つもの達の一つ下に位置する『八柱神』の一人だぜ」
「……………………」
沈黙。
霊夢の視線はパチュリーへ。幻想郷のご意見番としての役割も果たせるくらい、知識が豊富な彼女なら、魔理沙のこの奇天烈な発言内容も理解してくれると思ったらしい。しかし、当のパチュリーも『私に聞くなこの野郎』とでも言いたげな視線を向けてきた。
「その獲得した星の数は四つ。実力としては、八柱神のちょうど二番手につけていると言われている猛者だ」
「あー……えっと……。
ねぇ、その設定、いつぐらいからの後付?」
「何を言ってるんだ、霊夢! あいつがこの世界で有名な人間であることは疑いようのない事実だぜ!」
「ちょっと待てぃ! 前回の時、あんた、そんなこと言ってなかったじゃない!」
「ど忘れだ!」
「なるほど」
思わず納得してしまう。納得してしまってから、いいのかそれで、という視線を全員から受けて縮こまる。
「……あの、幽々子さま。それは……?」
「ふっ……。どうやら、その過去を知られてしまう日が来たようね。
その通りよ、妖夢。この西行寺幽々子、かつては、そして今も、八柱神として、己を磨くことに精進する料理の修羅の一人」
「……じゃ、何でご自分で料理とか作らないんですか? むしろ、それなら、幽々子さまの方が私より料理上手なんじゃ……」
そういうわけのわからない世界の人なんだし、とぽつりとつぶやく妖夢。
うん、わかる、わかるぞその気持ち、魂魄妖夢よ! という視線で霊夢が彼女を見る。
「何を言ってるのよ、妖夢」
「はい?」
「あなたも白玉楼の味武者として、八柱神の末席に登録されているのよ?」
「はい!?」
「あなたを立派な修羅として。そして、ゆくゆくは四天王の一角とするために、この西行寺幽々子が直々に鍛えてあげているというのに。全く、主の心従者知らずとはこのことね」
んな言葉、聞いたことがない。
しかし、妖夢としてはそれにツッコミを入れるわけにもいかず『ありがとうございます……』と、ものすごく不本意そうな顔でつぶやくしかできなかった。
「……あのさ、魔理沙」
「うん?」
「その……してんのーだのはっちゅーしんだの。この世界って、そんなに奥が深いの?」
「ああ。その下に、まず、十六傑集と呼ばれる猛者達がいる。さらにその下に三十二人将。そしてその下には六十四人衆。これが、料理界のトップを飾るもの達だ。全員、星三つ以上のランクの持ち主だぜ」
「……」
倍数計算だったのか、とつぶやく。
「ちなみに、私がいるのは三十二人将。咲夜も同じなんだが、位置は私より上だな。悔しいが」
「だってさ。咲夜。よかったわね」
「……全然よくありません。っていうか、お嬢様、思いっきり棒読みです」
「ねー、さくやー。さんじゅーににんしょー、ってなーにー?」
「私に聞かないでください……フランドール様……」
「……幻想郷。誠、奥深き土地よ……」
とりあえず、パチュリーのその一言が、この状況の全てを物語る。
「しかし、幽々子までが出てくるとなると、こいつはなかなか面白そうな事になりそうだな」
「ええ、そうね。
でも、霧雨魔理沙。元来、料理界の修羅の名前を他者に公表することは控えられているはずよ」
「……申し訳ないぜ」
「まぁ、いいわ。しかし、この絶対のルールを違えることは、料理界そのものを侮辱することだと知っておきなさい」
「ああ」
普段、こんな事言われたら『何を偉そうに』という態度で反論する魔理沙だが、なぜか今回は素直に幽々子の言うことに従ったりする。してみると、その『料理界』とやらの格付けは、性格や人格などの垣根を越える絶対のものなのかもしれなかった。
っていうか、何なの、これは。東方次回作は料理作成ゲームになるの? ちょっといい加減にしてよ。
「……はぁ」
ため息つく霊夢。
「ところで、今回の主役の登場はまだなの?」
「もうそろそろよ」
壁掛けの柱時計が、ぼーん、ぼーん、という音を立てる。余談だが、真夜中、この音に怯えたフランドールが泣きながらレミリアの部屋にやってきたこともあるという心温まるエピソードもあるのだが、とりあえずそれはこの場には関係ない。
「お待たせ致しました。ちょっと、手間を取ってしまって」
「いらっしゃい、美鈴」
「めーりん、美味しいご飯♪」
やってくるのは、これまで全ての挑戦者達を蹴散らしてきた料理界の覇者、紅美鈴。その彼女を見た途端、魔理沙やら幽々子やらの視線が厳しくなるのだが、それはさておき。
続いて、大扉を開けて現れたのは、これまた意外な人物だった。
「そういえば、我々が紅魔館を訪れるのは初めてでしたか」
「藍さまー。橙、お腹空いたー」
「お? 八雲一家のご登場か」
紫、藍、橙の三人が現れる。
すでに厨房(と書いて戦場と読む)に立っている美鈴が、彼女たちを見てわずかに首をかしげる。自分の相手が誰なのか、大体を想像しているのだろうか。
「しかし……今回、藍が相手じゃ、正直、荷が重いんじゃないのか?」
「え? そうなの?」
「ああ。藍は十六傑集の中で、確かに上位をキープしている修羅の一人だ。しかし、かつて四天王にすら列席させられそうにもなった美鈴の相手としては、今ひとつ……」
「……そうなのですか? 幽々子さま」
「ええ、そうよ。はっきり言って、藍程度なら、私でも勝てる」
「何かものすごく散々な言われようなんですけど……私……」
「藍さま、泣かない泣かないー」
自分の式に慰めてもらっている藍の姿は、それなりに同情を誘う光景である。
しかし、だ。
「違うわ。今回、美鈴と戦うのは、彼女よ」
レミリアが指さしたのは。
「は?」
「あの、お嬢様。何の冗談でしょう?」
「そうよ、レミィ。笑えないわ」
「あの……失礼ですけど、私もそれには同意を……」
紫。
その行為に、全員からツッコミが入る。「何よ、本当のことよ。文句あるの!?」と、ぷくーっとほっぺたふくらまして、両手をぶんぶんするレミリア。なかなか愛らしいその姿に、咲夜がちょっぴり顔を赤く染めたり、フランドールが姉の真似したりと、やっぱり微笑ましい光景が展開する。
しかし、これで全員の、紫に対する認識がはっきりしようと言うものである。
日頃、ぐーたら三昧、料理? 何それ? 食べるものでしょ? な彼女が、あの戦いの場に立つことなどあり得ない――誰もがそう思っているのだ。
およそ、二名を除いて。
「……何だと?」
「紫、まさか、あなた……」
いぶかしげに眉をひそめる魔理沙と戦慄する幽々子。その彼女たちの反応に満足したのか、紫の顔に薄く笑みが浮かぶ。見るものの意識を寒々とさせ、時に恐怖を、時に畏怖を招くその笑みを浮かべながら、彼女は戦場に立った。
「美鈴さん、どうぞお手柔らかに」
「は、はい……」
困惑する美鈴。相手の素性はしれていてもその腕前は未知数。
故に、さすがに料理界の『龍』とまで呼ばれた女傑でも困惑するのは致し方ないというところか。
そして、椅子が二つ埋まる。残されたのは一つ。『審査員長』と書かれたプレートの置かれた席である。
「最後の一人は誰なのよ?」
「……まぁ、もう何でもいいからさ。早く終わらそうよ」
何となく、全てに投げやりな霊夢の言葉を遮るように扉が開いた。ばぁん、という大きな音と共に現れたのは、白ひげと白髪を蓄えた老人である。しかし、老いてなおその眼光は鋭く、隆々たる体躯もそのまま。
そして、その人物の登場に、思わず声を上げるものがいた。
「お、お師匠様!?」
妖夢である。
そう、現れたのは、彼女の祖父であり剣の師。なおかつ、かつての白玉楼における幽々子の護衛役でもあった魂魄妖忌その人である。
「レミリア殿、此度の招聘、誠に痛み入る」
「ああ……まぁ、うん。幽々子に頼まれたからなんだけど……」
「な、何だと!? 魂魄妖忌! まさか、あんたが!?」
「む? お主は……あの時のひよっこか。魅魔と共に修練を積んでいた頃の面影を残したまま、精悍な顔つきに成長したものよ」
かんらからからと笑う老人。その彼の出現に、魔理沙が目を見張り、息を飲む。
「幽々子さま、お久しぶりでございます」
「ええ、妖忌。久しぶりね」
「あ、あの……」
「妖夢。お前も、壮健であったか」
「は、はい!」
「しかし、妖忌。まさか、あなたまでが出向いてくるとはね」
「ええ」
どっかと、彼は審査員長席に腰を下ろした。巌のような面構えでどっしりと腕組みする様は、まさにラスボス。次の東方シリーズラスボスはこいつね、と霊夢は内心でつぶやいた。
「……で? 魔理沙。そろそろ解説お願い」
未だ、硬直したままの魔理沙に視線を飛ばす。
「あ、ああ……。
魂魄妖忌……。こいつの名前を知らないものは、料理界にはいないぜ……」
「……へ?」
間の抜けた声を上げるのは妖夢である。
「その絶対のジャッジ。圧倒的なまでに繊細な舌。そして、ひとたび包丁を握れば、鬼とまで言われた腕前……」
「……はい?」
今度は霊夢。
「人は言う。魂魄妖忌、すなわち――」
「料理界の味神、と――」
続けるのは幽々子。
場を沈黙が支配した。
当然、その展開に圧倒された、という意味の沈黙ではない。そんな唐突な展開を持ってこられてもついていけるかこんちくしょう、という沈黙である。
「ま、まさか、妖忌さんまでが……。どうして……」
「ふっ、久しぶりですな、美鈴殿。かつて、お主に敗れて以来、白玉楼を後にし、各地を点々としつつ己の腕を鍛えてきた、我がジャッジ。受けてみる気になりましたかな?」
「ええっ!? あ、あの、お師匠様。お師匠様が白玉楼を後にしたのって……」
「あれは……そう、妖夢が私の護衛役になる、少し前の事ね。
当時、流れのファイターだった美鈴さんが白玉楼を、武者修行のために訪れ、この私と、そして、妖忌を破っていったあの日」
「あの日以来、わしは自らの力量を、痛いほどに教えられ、そしてまた同時に、かつての修羅としての心意気を思い出した。故に、幽々子さまをお前に託し、白玉楼を去ったのだ」
「……」
沈黙。
もう、どう反応したらいいものか。気を落とすな、妖夢、頑張れ、妖夢、という視線を霊夢が送るのだが、硬直した彼女にそれが見えているのかどうか。
「全ての食材を完膚無きまでに華麗にさばく楼観剣と、さばいた食材を美しく彩る白楼剣をお前に託したのが、我が新たな誓いの表れよ」
「……私のこの剣って、料理に使うものなの……?」
「妖忌。あの時は驚いたわ。まだまだ、六十四人衆にすら数えられていないこの子に、あなたの持つ業物を託すなんて、と」
「ふっ。幽々子さま。男は常に修羅でなくてはならないのです。修羅の歩みは、常に裸一貫なのですよ」
「なるほど。やはり、お前も、この世界で名を知られた猛者であるという事ね」
「ううっ……霊夢さぁん……」
「うん。わかる。あんたの気持ち、すっごくよくわかる。今は泣いていいのよ」
「……まぁ、そりゃ、ショックだよな」
「藍さま?」
「……橙は気にしなくていいんだよ」
あんまりと言えばあんまりな事実の判明に、ついに霊夢にすがって泣き出した妖夢を見て、痛々しい雰囲気が広がっていく。っていうか、今まで信じていた武器の真実をこんなキワモノ扱いで知らされたら、そりゃ泣きたくもなるというものである。
「なかなか、そうそうたる顔ぶれが集まったようね」
「そのようですね」
「いや、あんた達、この状況を見てものを言いなさいよ」
すでに料理人モードに移行している当事者二人にツッコミ入れる咲夜。しかし、そんなツッコミがこの場に通用するかどうかと言われたら、もちろん――。
「では、話はまとまったようね」
「まとまったの? お姉さま」
「フラン。それ、聞いちゃダメ」
強引に話を打ち切って、レミリアが立ち上がる。もちろん、彼女の頬には汗一つ。
「それでは! 久々の!
キッチンファイトぉっ!」
『レディー・ゴー』
当事者二人の静かな宣言の元、血と汗と涙のほとばしるキッチンファイトがスタートする。っていうか、妖夢を気遣ってやれよお前ら、と霊夢は言いたかったが、言ってもこいつらが人の話を聞くわけはないとわかっているので黙っていた。
「しかし、まさか、味神のあんたが出てくるとは思わなかったぜ……」
「ふっ、魔理沙よ。お前にも、いずれわかる時が来る。かつて、己を叩きのめしたものの料理を味わう、その意味を」
「ああ……肝に銘じておくぜ」
「魔理沙、かっこいー」
「……かっこいいかしら」
色々、魔理沙には色眼鏡を使うパチュリーも顔を引きつらせる。魔理沙の頬には汗が伝っており、目の前の男のプレッシャーを直に感じ、畏怖を覚えているようだった。
そして、素晴らしい音と共に高い炎が厨房で上がり始める。
「嘘……。紫が料理を……」
まず、驚くのは咲夜である。
彼女の扱っているのは鋼鉄の、巨大な中華鍋である。その重さは十キロ近いとまで言われる巨大さを誇るそれを、彼女はいともたやすく操っていた。その手つきにそつはない。
「何だ、お前達。紫さまが、ただのぐーたらだと思っていたのか?」
「え? 違うの? 藍さま」
「橙、しーっ!」
とんでもないことを口走った橙の一言に藍が顔を引きつらせる。当然、直後、藍の目の前に包丁が飛んできて、ざくっ、という音と共に突き刺さった。
「ゆ、紫さまは、料理の腕前は、はっきり言って凄まじいぞ」
「そうね。元々、藍に料理の基礎を教えたのは紫だわ」
「うむ。あの腕前を再び見られるとは、実に僥倖」
『うっそぉ……』
全員、声を唱和させる。もちろん、妖夢もだ。唯一、魔理沙だけはこの展開を予想していたかのように沈黙しているのだが。
やがて程なくして出されるのは、まず前菜からだった。今、手がけている料理を作る傍ら、客の舌を楽しませておくための代物である。
出てきたのは、棒々鶏の冷奴。
「……む?」
妖忌が眉をしかめる。
「紫どの! これはどういうつもりだ!」
ばんっ、とテーブルを叩き、妖忌が激高する。
そう。出された料理は、美鈴のものも紫のものも全く同じものだったのである。『料理勝負』なのだから、お題を決めてそれに対して競うのは当たり前だろう。しかし、紫が出したのは、美鈴のものと見た目も何もかもがまるでそっくり。完全に、パクリと言って差し支えないだろう。
「このような、神聖な料理を冒涜するような振る舞い! このわしが、魂魄妖忌と知っての行いか!」
「ふふっ。妖忌、年を取って、ずいぶんと頭が固くなったものね」
「何だと!?」
「私の作る料理が、ただのなれ合いでないことは知っているでしょう?
魅魔も幽香も、そして神綺も、その戦い方が、まだまだ甘ちゃんの戦い方だったと言うことを教えるまでよ。ふふふふ」
ぞくりと、全身が粟立つのを、霊夢は感じた。
何だ? 何だ、このプレッシャーは。かつての桜花事件の時でも紫からこんなプレッシャーを感じたことなどなかった。思わず、彼女の後ろに『ごごごごごごご』という書き文字もたれ込めようかというものだ。フランドールなど半べそかいている。橙は怯えてテーブルの下でぷるぷるしていた。
「む、むぅ……」
「それが私の戦い方。つべこべ言わずに食しなさい」
「……よいだろう。
しかし、これが料理に対する冒涜だと判断した場合、わしは躊躇なく席を立たせてもらう」
「どうぞ、ご随意に」
腰を下ろし、渋々、目の前のそれに手をつける妖忌。
一同、それを口にして、ふむ、とうなずく。
「実にさっぱりとした味わい……。このタレの味が絶妙ね……」
「ほら、フラン。美味しいわよ」
「うぅ~……えぐっ……」
泣きそうな顔になっていたフランドールが、それをぱくりと一口した瞬間、ぱっと笑顔になった。
「どちらの味も、一進一退……。だが、紫の料理がダイレクトに脳髄に叩き込まれる味なのに対し、美鈴の味は舌を駆け抜ける快感……」
「むぅ……これは……」
「さすがね、紫。
妖夢。あなたも学びなさい。私の夢である、あなたの四天王入りを達成するためにも、これは経験しておかなければならないことよ」
「……はい。っていうかそんなの入りたくないですよぅ……」
紫の視線が美鈴を見る。彼女はこちらを見ることもなく、丁寧に料理を作っている。
紫の口許に笑みが浮かぶ。
その笑みは、サディスティックな冷たい笑み。
――続いて出されるのは、まず、チンジャオロース。
「全体にしっかりと火が通っておるな。加えて、ソースも、甘みを薄めにして辛みを際だたせている。うまい」
続けて、麻婆豆腐。全体にしっかりととろみのかかったソースが満遍なく配され、その中に肉や豆腐、ねぎなどが浮かぶ様は実に食欲をそそる。ただし、その色合いから見るに、
「うー! うー!」
「ああ、橙。ほら、お水だよ」
「お姉さま、これ、辛いー!」
「確かに、ちょっと辛すぎかしら……」
「これは四川料理の味ね」
ちらりと後ろを見るパチュリー。そこに立つ咲夜は、視線を美鈴へと注いでいた。顔はいつも通りのポーカーフェイスだが、瞳の奥で不安が揺れている。
そして、ここで辛みを相殺するためか、それとも、ちびっこ達があまりにも辛そうに見ているのを見かねたのか、青梗菜のクリーム煮というものが追加される。青菜の色合いと、色よくとろけたクリームの色合いが絶妙である。
「ふむ……塩味がかなり抑えられている。どちらかというと、クリーム本体の甘みを使いすぎという感じもするが……」
「構わぬな。これまでの味を相殺するという意味では、確かに、意味をなしていると言えるだろう。もっとも、わしとしては、この味は、少々よけいなものに感じるが……あちらのお嬢さん方には気に入って頂けているようだ」
今度はぱくぱくとそれを頬張っているちびっ子達を見て、妖忌がわずかに瞳を細くする。その様子を見て、幽々子が「修羅にも、まだ人の情が残っているのね」と何だか感慨深くうなずいていた。
さて、続けて投入されたのは、今度は豪勢なフカヒレの姿煮である。
「お……おおお……」
霊夢が感動している。当然だ、フカヒレというものは、噂でしか聞き及んだことのない代物なのだから。と言うか、前々回の料理勝負と言い、そう言えば、幻想郷に海ってなかったわねぇ、などと考えていたりもするのだが、美味しければどうでもいいらしかった。
「と……とろける……口の中で……あああっ……!」
「……霊夢さん、本当に幸せそうですね」
「フカヒレは、お肌にもいいと聞くわ」
「そうなの? パチェ」
「ええ。咲夜、あなたもどう? 最近、小じわが増えてきたのでしょう?」
「……パチュリー様、お気遣い、痛み入ります。ところでそれは私にケンカを売ってますか?」
なぜか無表情に訊ねてくる咲夜に、パチュリーはしれっと「別に」と返した。こういう掛け合いでは、どうやらパチュリーの方が一枚上手らしい。
「しかし、この味は……」
「ええ、そうね。美鈴さんのものと、だいぶ味が似通っている」
「いや、しかし、その中にある味は、紫様の方がより攻撃的だ。こちらに隙を見せずに攻め込んでくるところには、やはり、受け手に回るしかないものの絶望すら感じられる」
「美鈴の料理は、基本的に、こちらを受け手とせずに攻め手とするものだからな。紫の奴……何を企んでいるんだ……」
何やら難しいことを話しつつ、次なるあわびのステーキを頬張る料理界の修羅三名。なお、霊夢は「私は今、猛烈に感動しているー!!」と叫びながら、ちまちまちまちまとあわびを口にしていた。一気に食べるには、あまりにももったいないと考えているのかもしれない。貧乏人根性、ここに極まれり。レミリアが、そっと涙したのは内緒の話である。
「ふふふ……」
「くっ……」
そして一方、厨房では、二人の料理人の熾烈な精神戦が繰り広げられていた。
余裕の笑みを浮かべる紫と対照的に、頬に汗を流す美鈴。追いつめられているのではない、紫の取っている戦術に困惑しているのだ。
「どうしたの? 手が止まっているわよ」
「紫さん……あなたは……!」
「うふふ……。私の戦い方を卑怯と罵るのならそれでもいいわ。でも、勘違いしないでね。魅魔の戦い方と同じく、私はあなたを徹底的に叩きのめすのが目的なのだから」
「しかし……こんなの、あまりにもアンフェアです……!」
「あら。他人と同じ料理を作ってはいけないというルールはないわ」
そして、そろそろ締めが近いのか、出されたのはご飯もの。四川料理の定番、おこげである。
「う~……この赤いソース、辛いから、やー」
「橙もー。藍さま、これ食べてー」
「やれやれ。フラン、あなたも、もう少し、辛いものを食べられるようになりなさい」
「ああ、もう、仕方ないな。どれどれ」
ちびっ子達の反応は同じだったが、それの保護者(?)の反応は全く逆だった。
おこげ、という料理の名前のようにほどよくかりっと仕上がったご飯は、やはり、それ単体でも箸が進む代物である。ましてや、中に、実に甘く、味わい豊かに味付けされたえびやら野菜やらが投入されていれば、これだけでお腹一杯になるほどである。
「ふむ……」
「魂魄妖忌のおっさんよ。あんた、どう見る?」
「まだ、この時点では何とも言えぬな。
だが――」
「……ああ」
審査員長、魂魄妖忌の目が光る。
「……そう言う手で来るのでしたら。紫さん、私も、あなたに決して真似の出来ないものを仕上げてみせます」
「あら、そう? 何を作るのかしら」
「本来、四川料理の流れの中には含まれませんが、私が師匠から受け継いだ、あの餃子で……!」
「ふぅん……」
そこまでの段階で、出されてきた料理は、全てが同じもの。見た目も手法も、何もかも。
ただ、味が違う。
どう違うと言われても、素人目には判断できない違いだが、料理の玄人たる、この場に集ったもの達にはそれが明確にわかっていた。一部のわかってないもの達は、さておくとしても、彼女たちが感じるのは、すなわち、一つ。
『美鈴が押されている』
この事実だけである。
そして、美鈴がかつて出してきた、あの伝説の餃子が目の前に現れる。これのすばらしさは、ここにいる誰もが知っている。どれほどの味が、これを口にした途端、体中を貫くかと言うことも。
だが、紫も同じく、出してきたのは餃子である。ここで初めて、彼女の料理が美鈴のものと形を変えた。皮の形をわずかに歪にし、加えて、皮そのものが薄めに作られているのか、箸で持ち上げて、しばらく放置していると少しずつそれが破れてきてしまうほど。
――美鈴のものを口にし、一同が、ふむ、とうなずく。
続けて――。
「むっ……!」
「これは……!?」
まず、最初に反応したのは妖忌と魔理沙だった。
「……見事ね、紫。皮と皮の隙間にも味をしみこませているわ。この味は、お肉の味ね……」
「紫様……あなたは、これほどのものを……」
「だが、待て。ここに含まれている味は、肉だけじゃない。野菜もそうだ。しかし……」
「舌の上で、己の自己主張を最大限に行い、一口、かみしめるごとに口中に広がっていく風味。しかし、同時に、それを殺さない程度に、我らの味覚をも押さえつける暴虐さ……。これは、並大抵の仕事ではない!」
ばんっ、と妖忌が箸をテーブルに叩きつけるようにして置いた。
「紫どの! これは……!」
「……そう。その餃子は、この子が出してきた餃子の祖に当たるもの」
「何ですって!? バカな! 私の餃子は、私と、私の師匠以外には作れないはず!」
「あら、そう? それなら食べてみるかしら?」
ちょうど、あなたの分もあるの、と差し出される。
皿の上に載せられた、たった一つの餃子。美鈴は箸を握り、だが、躊躇する。これを食べてはいけない、食べた瞬間、何か大切なものを失ってしまう。それがわかるのだ。
しかし、彼女の料理人としての自分は、その考えを拒否した。ここでその味を知らなくては、料理人失格だ、と。
「それでは……」
それを箸の先で上品に切り分け、口に運ぶ。
彼女の口が動くのを、一同が凝視する。小さくて形のいい唇が動き、頬の動きと喉の動き、舌の動きが連動し、口の中のものを胃の中へと移していく。
「そんな……!?」
「……ふふふ」
「う……そ……! これは……私の……!」
「うふふふ」
「バカな!? 紫さん、あなたは……あなたは……!?」
「ほーっほほほほほ!」
勝ち誇った笑みと共に、紫が高笑いを放つ。
「さあ、皆さん。次のデザートで終わりにしましょうか」
そして投入されたのは、何とアイスクリームである。これまで脂っこいものばかりを食べてきたため、これはさすがに、と躊躇するものがいる一方、遠慮なく、それを口に運ぶもの達がいる。
「うむ……!」
妖忌が唐突に立ち上がる。
「全てにおいて整えられた、計算された味! 全体の流れ! そして調和! 一つの品に込められた技術と魂は、我が心に響いた!」
「ま、待ちなさい!」
その評価に異議を唱えるものがいる。咲夜だ。
「こんな……こんな勝負、認められないわ! 彼女は美鈴のまねごとをしていただけじゃない! それなのに……!」
「……いいんです、咲夜さん」
「何がいいというの!?」
「咲夜さん……これは、彼女の作戦なんです」
「左様。
相手と全く同じものを作ることにより、相手に心理的プレッシャーを与える。だが、そこには、その相手を遙かに超える料理の技量が必要となる。相手が何を作っているのか、それを一目見ただけで判断し、料理そのものの配置すら完璧に同じにするには、並大抵の力で出来るものではない!」
「だ、だけど……!」
「……それに、たとえそうであっても、それに心を乱される方が悪いんです」
「美鈴……」
がっくりと肩を落とす美鈴。その隣で、紫が扇で口許を隠して笑っている。
「最後に出されたアイスクリームも、口の中に残る全ての味と調和し、だが、後味をきれいさっぱりまとめきっている! これぞ、まさに!」
彼の背後に炎が燃え上がる。
「うぅぅぅぅ!」
それが天へと手を伸ばし、
「まぁぁぁぁ!」
全てを焼き尽くす業火となって荒れ狂い、
「いぃぃぃぃ!」
焼き尽くされた世界から、真っ赤な炎をまとったフェニックスが舞い上がる。
「ぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
放たれた波動が、紅魔館全体を揺るがした。
まさに、これぞ絶対の評価。誰も覆すことの出来ない、最大の一言だ。
「……お師匠様……」
「妖夢。あなたも、次期、味神として研鑽を忘れないように」
「私にあれをやれと!?」
「いや、妖夢。お前は光栄だと思うぞ」
「藍さん!?」
「頑張れ、妖夢」
「ちょっと、霊夢さん!? いやぁぁぁぁぁっ!?」
一人、絶望にうちひしがれるものもいたりするのだが、まぁ、それはともあれ。
「……まさか、美鈴が敗北するなんてね」
「上には上がいるということよ。レミィ」
その視線が、美鈴へと。
「……紫さん」
「何かしら?」
「一つ、聞かせてください……。あなたは……あなたは、一体、何者なんですか……? これほどまでに私の味そのものに追従してくる味を、私は知らない……! 私にすら姿を見せなかった料理の猛者なんて、そんなものが……!」
「料理界の『龍』。それは、ただ一人しか名乗ることを許されない称号。
でもね。その『存在』が脈々と受け継がれることは、不思議でも何でもないでしょう?」
「ま、まさか……!?」
「その通りよ、美鈴さん」
がたん、と立ち上がる幽々子。彼女の視線は、戦場の紫を見据えている。
「彼女こそ、あなたが『龍』の称号を受け継ぐまでに、その称号を欲しいままにしていた女。そして、全ての『龍』の歴史、最強とまで言われた、料理界の女帝」
「そして、四天王最後の一人、だったかな」
「な、何だって!? じゃあ、残された最後の一人は、あいつだったのか!」
「ん~……。何か、すごいことが暴露されてるみたいだけど、微妙に乗り切れない自分が憎いというか、むしろ乗り切れないのが幸せというか」
一人、妙に冷めた意見を口にする霊夢。その気持ちはわからなくもないのだが、場の空気を読め、とツッコミされても文句は言えないだろう。
「あなたの師匠とは、いい勝負をさせてもらったわ、美鈴。そして、これは復讐でもあるの」
「ふ……くしゅう……?」
「そう。私が『龍』の称号を降ろしたのは、それに負けたのが原因なのだもの。そう、私はそれに負けた――あなたが師と仰ぐ、あの存在に負けてしまったわ。
うふふふ。けれど、これであなたも同じ。その背中に背負った『龍』はついに地に落ちたわ」
「あ……ああ……」
「一度、地に落ち、土にまみれた龍に出来ることは、ただ、無様にもがき苦しむだけ。
おほほほほ! さあ、悲しみなさい、苦しみなさい、紅美鈴!
天を目指す――それが、どれほどの苦行であるか、思う存分、思い知る事ね。あなたが目指したものがどこにあるのか、それを今一度!」
勝ち誇った笑みを響かせる紫を前に、ついに、がっくりと美鈴が膝を折った。今まで、あらゆる相手を前にしても敗北を悟らせず、そして、窮地をいくつも乗り切ってきた『龍』の姿はそこにはなく。
燃え尽きた戦士の姿が、ただ、あるだけだった。
「あのような勝負、納得がいきません!」
「しかしね、咲夜。これは公正な勝負よ。紫は反則なんてしてない」
「ですが……!」
「見苦しいぜ、咲夜。やめておきな」
「何ですって!?」
「これ以上、お前があいつをかばえば、むしろあいつが傷つくだけだぜ」
戦士ってのはそういうものなんだ、と帽子のつばを下げ、魔理沙がその場を立ち去る。
戦いが終わり、メイド達が甲斐甲斐しく戦場の片づけをしている中、美鈴は肩を落としたまま、その場を去り、勝者たちは意気揚々とその場を後にしている。
「めーりん、かわいそう」
「……これが勝負なのよ、咲夜」
「パチュリー様……! ですが……」
「まぁ、気持ちはわかるけどさぁ。
実際、紫の料理、マジで美味しかったし……」
「でも!
……でも、美鈴だって……」
「地に落ちた龍は、二度と飛ぶことは出来ない、か。彼女に限って、そんなことはないと思いたいけれど。けれど、このまま、地べたにはいつくばるようなら、彼女はその程度の器だったという事よ、咲夜」
レミリアの冷たい言葉に咲夜は絶句する。そして「失礼します!」と足早に去っていく。ドアを閉める音の荒々しさから、彼女がどれだけいらだっているか、わかろうというものだ。
「……お姉さま」
「放っておきなさい。勝負は勝負よ。一度の敗北くらいで落ち込むような戦士なんて、我が紅魔館にはいらないわ」
「まぁ、そういうことよね。
でもさ、疑問があるんだけど」
「あら、何かしら。紅白」
「その呼び方やめろ」
べし、とパチュリーのおでこにツッコミ。
「紫ってさ」
「ええ」
「美鈴さんの手元、全く見てなかったわよね」
「……そういえば」
「お題は示し合わされていたから、別段、ねぇ」
と、いうことは?
一同は首をかしげる。
「……まさか?」
霊夢の一言に。
そんなわけないよね、という気配がその場を満たす。一人、状況が理解できないフランドールは「めーりんのところに行ってくるね」とぱたぱたと足音を立てて歩いていってしまった。
残された一同は、考える。
「容赦なく……か」
「全く同じ料理……」
「美鈴の自信を打ち砕くために、わざとやった? まさかね。あいつが、そんな器用な真似、するわけないし」
だから、考えすぎだろう。
一同の結論はそこで落ち着いた。
さて、次からの問題は。
「これからのレストラン稼業、どうしようかしら……」
――ということで、当面は収まりそうだった。
主人公挫折というやはり王道展開でとうとう最終回! 見えてくるのは、やはり果てしない男坂っ!? 次号、期待してまってます。
……しかし、絶対いつか、生き別れた美鈴の姉妹とか出てくると思ってたんだけどなぁ。
っていうか最終回一歩手前でシリーズ名付ける?ふつーwwwwww
これまたすがすがしいまでに王道ですね。
自分が何なのかと・・・・・
龍よ、再び天へと昇れ・・・