珍しく懐具合に余裕があったので、夜雀の屋台まで飲みに出た。
すると、そこには先客がいた。
「師匠ぉ~……座薬以外の薬の作り方、もっと教えてくださいよぉ……」
「鈴仙、それは永琳様なりの愛情表現なんだってば。ほら、もう一杯いく?」
「うぅ、てゐちゃんありがとぉ」
「ほら、とーっとっとっと……あ、無くなった。おやっさん冷や一本おかわりね」
「おやっさんじゃなくてマスターだってばー」
先客は永遠亭の兎コンビだった。愚痴の歪みっぷりがあそこらしいわ。
ところでミスティア、この屋台でマスターはないんじゃない?
「邪魔するわよ」と暖簾をくぐると、「いらっしゃーい」と笑ってミスティア。
「あ、こんばんは霊夢。みっともないとこ見られちゃったね」
「師匠ぉ~、朝鮮人参は下はムリですぅ~……」
鈴仙はこっちに気づかないほど酔ってるらしい。
「大変そうね。マスター、ぬる燗と串一本」
「はいよー」
「別に大変じゃないよ。たまに吐き出させないといけくてね。
でもこれ以上はマズいかな。おやっさ、じゃなくてマスター、御勘定」
「そうそう、それでいいのよ。えーっと、三千と六百円です」
「はいはい、ええっと千、二千っと。
……ところでマスター、今日の酒は美味しかったよ。
私も鈴仙もいつもはこんなに飲まないもの」
「そんなそんな。何の変哲もない普通の酒よ?」
「またまた、謙遜しちゃってぇ」
あれ、てゐってこんな風に世辞言う奴だったっけ?
おしぼりで顔をぬぐいながら、私はふとそう思った。
「ヤツメウナギも特別美味しかった気がするな」
「あ、判る? 今日はねえ、上物が入ったの」
「やっぱそうなんだぁ。近いうちまたくるからね。……っと、残り千六百円、百円玉でもいい?」
「そりゃもう、全然構わないわよ」
「落とさないように気ぃつけてね。えっと、ひぃの、ふの、みの、よの――」
私は袖に手を突っ込み、脇をぬぐいながらその遣り取りを見ていた。
「なな、やあ、ところでマスター、今何時?」
「えっ? えっと九時くらい?」
「“ここのつ”ね。はい、とおの十一、十二ぃ十三――――十六枚」
あれ?
「ほら鈴仙、寝てないで行くわよ」
「毎度ありぃ~」
てゐはぐったりした鈴仙に肩を貸すと、身長差をものともせずに飛び去っていった。
「何かおかしいような……」
今のてゐとミスティアの遣り取り、どこか変だった気がする。
「はい、燗に串お待たせ。……どうかしたの? 難しい顔して」
「ううん、何でもない。ありがと」
ヤツメウナギを齧りながら、今の光景を思い返す。
二人の勘定が三千六百円で、てゐが最初に二千円払って、残りを百円玉で払って……。
「実を言うと、ヤツメウナギの味の違いが判ってくれる人って、あまりいないのよね。
ああやって褒めてくれるとやっぱり嬉しいわ」
「美味しい物ともっと美味しい物の違いは判りにくいからじゃない?」
「そうかな? それならそれで嬉しいかも」
……そう、てゐは酒とウナギを褒めていたわね。ミスティアもまんざらじゃなかったみたい。
あと、何かおかしかった点は……。
「――ありゃ?」
「あ、もう飲んじゃったの。おかわりは?」
「そうね、あと一本だけ。ついでに串も」
「一本と言わずいくらでも構わないわよ。勿論、お代はもらうけどね」
「お代ねぇ……」
笑いながら追加を寄越すミスティアに、私は愛想笑いを返した。
出来ることならそうしたいけど、我が家の財政は『ちょっと飲む余裕がある』程度だもの。
ミスティアと雑談しながらゆっくり飲んでいたら、二十分ほどで全部が胃の中に移った。
「御勘定」
「はいはい、えっと千円ちょうどね」
がま口を開いて、五百円玉一枚と百円玉を五枚取り出す。
「細かくて悪いわね。五百円の、六、七、八、きゅ――」
――あっ。
「……霊夢、どうかしたの?」
「えっ? ご、ごめんごめん。九、十っと。千円きっかりね」
「はい、毎度あり~」
ミスティアの笑顔をまともに見ないで、私はそそくさと屋台を後にした。
●
布団の中に入ってからも、私はなんだか落ち着かなかった。
『なな、やあ、ところでマスター、今何時?』
『えっ? えっと九時くらい?』
『“ここのつ”ね。はい、とおの十一、十二ぃ十三――』
まざまざと思い浮かぶあの光景。
何のことは無い、てゐのお世辞はミスティアを油断させるためだったのだ。
一枚一枚硬貨を渡して、突然ひょいと時刻を尋ねる。それで、何食わぬ顔で硬貨を渡したことにする。
さりげなく、せせこましいやり口だ。
それがてゐらしい悪戯なのかは判らない。私はそんなに彼女のことを知らないから。
鈴仙なら気づいたんだろうけど、泥酔していたものね。
それよりミスティアの方が気になる。
彼女、後で売り上げ足りないのに気づいて、落ち込んだりしてないかな。
鳥頭だし、どこかに落としたと思って気づかない、とかもあるかもなあ。
どっちにしても、気分のいい話じゃない。
もやもやを抱え込んだまま、私は眠りに落ちた。
●
懐の余裕もたかが知れてるし、二日連続で飲みにいくつもりはなかった。
でも、もやもやは丸一日経っても消えずに胸に残っている。
多少の出費より精神の安定を選ぶ方が賢いと思って、私はまた屋台へと行くことにした。
日が沈んでからあまり時間が経っていない。
だから私が一番乗りかと思ったけど、またしても先客がいた。
「あ、こんばんは」
「いらっしゃい。二日連続の客が二人なんて、屋台冥利に尽きるわ」
愛想良く迎えてくれたミスティアの向かい、椅子に座っているのは鈴仙だった。
「こんばんは。マスター、燗に串二本、タレと塩ね」
「はいはぁ~い」
私は注文して、鈴仙の隣に座り、言ってみた。
「昨日の今日でよく来れるわね」
「? あ、はいはい昨日ね。てゐが言ってたけど、悪い方にスイッチ入っちゃったみたいで……」
「酒飲んで入るスイッチに良いモンがあるわけないでしょ」
「そりゃごもっとも」
苦笑を浮かべて、鈴仙は猪口を口に運んだ。
「永遠亭ってさ、食事は皆一緒に取ったりするの?」
「うん、基本的にはね。でも日の出で起きて日の入りで寝る生活に近いから、夜は結構暇なのよ」
「ふぅん。今日てゐは?」
「お留守番」
「お客さんは多い方が嬉しいんだけどなぁ。はい、霊夢のお待ち」
ミスティアの顔を見ると、そこには昨日と変わらぬ微笑があった。
三十分ほど、飲みながら三人で雑談。他の客は来なかった。
「お勘定」と言ったのは、先に来ていた鈴仙の方。
「あまり遅いと師匠に叱られちゃうのよね。昨日のこともあるし……」
だったら来なきゃいいじゃない、と言いそうになって、ミスティアの手前慌てて引っ込めた。
「えーと、千六百円になります」
「はいはい。……っと、あーごめん百円玉でもいいかな?」
「全然構わないよ」
私は鈴仙のことを見つめた。もしかすると、睨んでいるかもしれない。
「昨日は悪酔いしちゃったけど、今日は楽しく飲ませてもらったわ」
「そお? ウナギの味を褒められるのも嬉しいけど、楽しく飲んでもらえたなら何よりね」
「こちらこそ。あ、手ぇ出して手。落とさないようにちゃんと取ってね」
そう言って、ミスティアが差し出した手に、ひいふうみいと硬貨を載せる鈴仙。
私は何も言わず、口に猪口を寄せてそれを見ていた。
「――むう、なな、やあ、ここのつ、とお、
ところでマスター、今何時?」
「え? えっと、八時過ぎくらいかな」
「“やっつ”ね。ここのつ、とぉ、十一十二の十三……」
「あー美味しかった。ねぇ、永遠亭で出張販売とかやってみない?」
「それ良いわね! でも屋台運ぶのが大変かも」
「その時はウチからも人手を出すわ。てゐが張り切るだろうしね。それじゃ、また」
「毎度あり~」
私は、立ち去ろうとする鈴仙に声をかけた。
「ねえ鈴仙」
「ん、何?」
「あんた、昨日酔ってなかったでしょ」
鈴仙は、きょとんとした顔で、
「何言ってんの。酔ってなかったら師匠の愚痴なんて言えやしないわ」
そう言って去った。
「ねえミスティア、屋台って楽しい?」
「楽しいわよ。歌うことの次くらい楽しいわ」
「ふぅん。……あ、おかわり。冷やでちょうだい」
「かしこまりぃ~」
酒の用意をするミスティアを見ながら、私はなんとなく呟いた。
「昨日の三倍は飲んでることだし、今日は帰ったらよく眠れそうだわ……」
すると、そこには先客がいた。
「師匠ぉ~……座薬以外の薬の作り方、もっと教えてくださいよぉ……」
「鈴仙、それは永琳様なりの愛情表現なんだってば。ほら、もう一杯いく?」
「うぅ、てゐちゃんありがとぉ」
「ほら、とーっとっとっと……あ、無くなった。おやっさん冷や一本おかわりね」
「おやっさんじゃなくてマスターだってばー」
先客は永遠亭の兎コンビだった。愚痴の歪みっぷりがあそこらしいわ。
ところでミスティア、この屋台でマスターはないんじゃない?
「邪魔するわよ」と暖簾をくぐると、「いらっしゃーい」と笑ってミスティア。
「あ、こんばんは霊夢。みっともないとこ見られちゃったね」
「師匠ぉ~、朝鮮人参は下はムリですぅ~……」
鈴仙はこっちに気づかないほど酔ってるらしい。
「大変そうね。マスター、ぬる燗と串一本」
「はいよー」
「別に大変じゃないよ。たまに吐き出させないといけくてね。
でもこれ以上はマズいかな。おやっさ、じゃなくてマスター、御勘定」
「そうそう、それでいいのよ。えーっと、三千と六百円です」
「はいはい、ええっと千、二千っと。
……ところでマスター、今日の酒は美味しかったよ。
私も鈴仙もいつもはこんなに飲まないもの」
「そんなそんな。何の変哲もない普通の酒よ?」
「またまた、謙遜しちゃってぇ」
あれ、てゐってこんな風に世辞言う奴だったっけ?
おしぼりで顔をぬぐいながら、私はふとそう思った。
「ヤツメウナギも特別美味しかった気がするな」
「あ、判る? 今日はねえ、上物が入ったの」
「やっぱそうなんだぁ。近いうちまたくるからね。……っと、残り千六百円、百円玉でもいい?」
「そりゃもう、全然構わないわよ」
「落とさないように気ぃつけてね。えっと、ひぃの、ふの、みの、よの――」
私は袖に手を突っ込み、脇をぬぐいながらその遣り取りを見ていた。
「なな、やあ、ところでマスター、今何時?」
「えっ? えっと九時くらい?」
「“ここのつ”ね。はい、とおの十一、十二ぃ十三――――十六枚」
あれ?
「ほら鈴仙、寝てないで行くわよ」
「毎度ありぃ~」
てゐはぐったりした鈴仙に肩を貸すと、身長差をものともせずに飛び去っていった。
「何かおかしいような……」
今のてゐとミスティアの遣り取り、どこか変だった気がする。
「はい、燗に串お待たせ。……どうかしたの? 難しい顔して」
「ううん、何でもない。ありがと」
ヤツメウナギを齧りながら、今の光景を思い返す。
二人の勘定が三千六百円で、てゐが最初に二千円払って、残りを百円玉で払って……。
「実を言うと、ヤツメウナギの味の違いが判ってくれる人って、あまりいないのよね。
ああやって褒めてくれるとやっぱり嬉しいわ」
「美味しい物ともっと美味しい物の違いは判りにくいからじゃない?」
「そうかな? それならそれで嬉しいかも」
……そう、てゐは酒とウナギを褒めていたわね。ミスティアもまんざらじゃなかったみたい。
あと、何かおかしかった点は……。
「――ありゃ?」
「あ、もう飲んじゃったの。おかわりは?」
「そうね、あと一本だけ。ついでに串も」
「一本と言わずいくらでも構わないわよ。勿論、お代はもらうけどね」
「お代ねぇ……」
笑いながら追加を寄越すミスティアに、私は愛想笑いを返した。
出来ることならそうしたいけど、我が家の財政は『ちょっと飲む余裕がある』程度だもの。
ミスティアと雑談しながらゆっくり飲んでいたら、二十分ほどで全部が胃の中に移った。
「御勘定」
「はいはい、えっと千円ちょうどね」
がま口を開いて、五百円玉一枚と百円玉を五枚取り出す。
「細かくて悪いわね。五百円の、六、七、八、きゅ――」
――あっ。
「……霊夢、どうかしたの?」
「えっ? ご、ごめんごめん。九、十っと。千円きっかりね」
「はい、毎度あり~」
ミスティアの笑顔をまともに見ないで、私はそそくさと屋台を後にした。
●
布団の中に入ってからも、私はなんだか落ち着かなかった。
『なな、やあ、ところでマスター、今何時?』
『えっ? えっと九時くらい?』
『“ここのつ”ね。はい、とおの十一、十二ぃ十三――』
まざまざと思い浮かぶあの光景。
何のことは無い、てゐのお世辞はミスティアを油断させるためだったのだ。
一枚一枚硬貨を渡して、突然ひょいと時刻を尋ねる。それで、何食わぬ顔で硬貨を渡したことにする。
さりげなく、せせこましいやり口だ。
それがてゐらしい悪戯なのかは判らない。私はそんなに彼女のことを知らないから。
鈴仙なら気づいたんだろうけど、泥酔していたものね。
それよりミスティアの方が気になる。
彼女、後で売り上げ足りないのに気づいて、落ち込んだりしてないかな。
鳥頭だし、どこかに落としたと思って気づかない、とかもあるかもなあ。
どっちにしても、気分のいい話じゃない。
もやもやを抱え込んだまま、私は眠りに落ちた。
●
懐の余裕もたかが知れてるし、二日連続で飲みにいくつもりはなかった。
でも、もやもやは丸一日経っても消えずに胸に残っている。
多少の出費より精神の安定を選ぶ方が賢いと思って、私はまた屋台へと行くことにした。
日が沈んでからあまり時間が経っていない。
だから私が一番乗りかと思ったけど、またしても先客がいた。
「あ、こんばんは」
「いらっしゃい。二日連続の客が二人なんて、屋台冥利に尽きるわ」
愛想良く迎えてくれたミスティアの向かい、椅子に座っているのは鈴仙だった。
「こんばんは。マスター、燗に串二本、タレと塩ね」
「はいはぁ~い」
私は注文して、鈴仙の隣に座り、言ってみた。
「昨日の今日でよく来れるわね」
「? あ、はいはい昨日ね。てゐが言ってたけど、悪い方にスイッチ入っちゃったみたいで……」
「酒飲んで入るスイッチに良いモンがあるわけないでしょ」
「そりゃごもっとも」
苦笑を浮かべて、鈴仙は猪口を口に運んだ。
「永遠亭ってさ、食事は皆一緒に取ったりするの?」
「うん、基本的にはね。でも日の出で起きて日の入りで寝る生活に近いから、夜は結構暇なのよ」
「ふぅん。今日てゐは?」
「お留守番」
「お客さんは多い方が嬉しいんだけどなぁ。はい、霊夢のお待ち」
ミスティアの顔を見ると、そこには昨日と変わらぬ微笑があった。
三十分ほど、飲みながら三人で雑談。他の客は来なかった。
「お勘定」と言ったのは、先に来ていた鈴仙の方。
「あまり遅いと師匠に叱られちゃうのよね。昨日のこともあるし……」
だったら来なきゃいいじゃない、と言いそうになって、ミスティアの手前慌てて引っ込めた。
「えーと、千六百円になります」
「はいはい。……っと、あーごめん百円玉でもいいかな?」
「全然構わないよ」
私は鈴仙のことを見つめた。もしかすると、睨んでいるかもしれない。
「昨日は悪酔いしちゃったけど、今日は楽しく飲ませてもらったわ」
「そお? ウナギの味を褒められるのも嬉しいけど、楽しく飲んでもらえたなら何よりね」
「こちらこそ。あ、手ぇ出して手。落とさないようにちゃんと取ってね」
そう言って、ミスティアが差し出した手に、ひいふうみいと硬貨を載せる鈴仙。
私は何も言わず、口に猪口を寄せてそれを見ていた。
「――むう、なな、やあ、ここのつ、とお、
ところでマスター、今何時?」
「え? えっと、八時過ぎくらいかな」
「“やっつ”ね。ここのつ、とぉ、十一十二の十三……」
「あー美味しかった。ねぇ、永遠亭で出張販売とかやってみない?」
「それ良いわね! でも屋台運ぶのが大変かも」
「その時はウチからも人手を出すわ。てゐが張り切るだろうしね。それじゃ、また」
「毎度あり~」
私は、立ち去ろうとする鈴仙に声をかけた。
「ねえ鈴仙」
「ん、何?」
「あんた、昨日酔ってなかったでしょ」
鈴仙は、きょとんとした顔で、
「何言ってんの。酔ってなかったら師匠の愚痴なんて言えやしないわ」
そう言って去った。
「ねえミスティア、屋台って楽しい?」
「楽しいわよ。歌うことの次くらい楽しいわ」
「ふぅん。……あ、おかわり。冷やでちょうだい」
「かしこまりぃ~」
酒の用意をするミスティアを見ながら、私はなんとなく呟いた。
「昨日の三倍は飲んでることだし、今日は帰ったらよく眠れそうだわ……」
ただ、ちょっとまんまかなぁと。もうひと捻り願うのは贅沢ですかね。