花見における行為全般についての解釈、または反証
パチュリー・ノーレッジ著
目次
・概要
・花見、その実態
・桜とは
・死してなお
・妖怪、それは最後のフロンティア
・総論
概要
この文書はいわゆる花見において聞き及ぶ限りにおいて、その脅威を顕現する試みによって書かれるものである。これを読む者に求められるのは、他人の図書を返す程度の誠意であり、注意されたし。
花見、その実態
花見とは一般的に、春に開花する桜を見るために人々(以下、この語には妖怪等も含む)が出かけることを指す。これについては人間と妖怪の差異は見受けられず、花見に出かけない者に対する中傷もそうである。
花見においては主に酒や肴が供され、参加した者は消費し尽くす。これによる土地の一時的占有は通行人に多大な迷惑を与えるが、ほとんどが看過される。
それは花見、引いては桜そのものに好意的な解釈が為されているためであり、極端な例としては、冥界は西行寺邸にて発生した大規模な桜の開花すら、人々の口に優雅であると言わしめたことが挙げられる。我が親愛にして最悪の友人であるレミリア・スカーレットの従者――及びその他――が多大な労力を費やして事態の収拾を図ったというのに、その者達ですら花見に参加する始末だった。おかげで、友人の気を引くためにミニチュアまで作らざるをえなかった私の気苦労も考慮に入れてもらいたい。
桜とは
文献によれば、桜はバラの仲間であるとされる。その花弁の量と華やかな開き方によって見目麗しいことから、なるほどバラと共通する点も覆い。なお、私はバラも嫌いである。
さて、花としての桜はともかくとして、人々が持つ桜に対する思想・憧憬について掘り下げたい。この場合、妖怪をそのベースとすることは彼らの文化的背景の曖昧さ故に難しく、調べたところで説得力に欠くため、人間を俎上に乗せなければならない。――これは調理の意ではない。
人間と桜に関する記述は千年以上も前の文献からも知ることができる。それには吉兆としてのものから凶兆としてのものまで幅広く書かれ、人間の多くは時と場合によって都合良く使い分けている。
それというのも、人間と桜との関係が長きに渡ったことによって一種のパラダイムが形成されてしまい、人間はこれを崩そうとは決してしないからである。それだけならまだしも、桜に関わる自分達の行為を正当化しようとさえする。
特に東洋においては、桜は軍事・政治の両面の象徴とされ、現在も幻想郷の外ではそうした行いを助長する形で桜が利用されている。
こうした信仰にも近い思考が形成されることにより、桜の存在そのものが人間の行為全般を後押ししかねない魔性を持つに至る。桜に力を与えたのは人間であるとすら言えるわけだ。
死してなお
桜の魔性については、先に書いた西行寺邸が良いモデルケースである。この西行寺邸に住む西行寺幽々子(以下、幽々子)については詳細の不明な点が多く、その因縁等々については機会を改めざるをえない。しかし、この幽々子とその従者である魂魄妖夢(以下、みょん)の生活態度全般から桜が如何に危険なものであるか、納得してもらえるだろう。
話によれば、西行寺邸の広大な敷地にある木々の大半が桜とのことだが、これをみょんは一人で手入れしているらしい。その生活たるや惨憺たるものであり、性格も相当ねじれてしまっている。人を見るや斬りかかる一方、主人の前では貞淑を装う二重性は精神的な境界面の分裂を促す要素が桜にあると見るに十分である。
幽々子ともなると破壊的というよりも破滅的ですらあり、自らの肉体を失った現在にあっても、目に付いたものを片っ端から食い漁っている。先日、本館の食料庫も被害を受けたが、門番の食事を半年に渡って抜きにすることで何とか整理がついた模様。光合成でもすれば何とか生き延びられるだろう。――できればの話だが。
このように様々な者に対して脅威となる存在を生み出す桜の魔性が人間によって形成されたと思うと、なかなかに興味深い。誰かを桜の下に埋めてみても良いかもしれない。
妖怪、それは最後のフロンティア
ここからは推論であるが、妖怪についても触れておこうと思う。
大多数の妖怪はただ単に騒ぎたいからという理由だけで花見に参加するが(皮肉なことにそれは人間の大多数の考えと等しい)、そうした無意識の行動から妖怪の人間に対する指向性を考察することも可能である。
必然性については妖怪ごとに事情はあれど、人間を食すという行為自体は共通している。――はずである。それというのも、私はそうした状況を目にしたことが無いからだ。これでは幻想郷に住んでいる甲斐が無いというものだが、そんなことで外出するのも億劫である。
友人は吸血鬼だというのに、全く人間を食している様子が無い。それどころか、血ですらほとんど飲まない。あれでは吸血鬼というよりもダニや蚊の類だに(ペンが滑った。面倒臭いので放置する)。
もっとも、人間が食すようなものから栄養を摂取できるのも確かであり、それにしても命を犠牲にすることによって糧としている点では共通しているのだから、特筆すべきことでもないのかもしれない。しかし、それでも妖怪が人を食さないというのは真に不思議である。
実態として食している様子が無いのだから、それを不思議と思うのは本末転倒であるが、私は個人的に抱いたこの疑問をこの際にやっつけてしまいたい。
ここで花見に話を戻すが、妖怪が花見に参加する理由(そうする衝動というべきか)には、弾幕ごっこにも見られるような、人間との文化的接触を欲する目的があるのではないか。
食べる食べないというのも、知的生物にあっては文化的側面を持つ。これに抵触することは、妖怪が人間臭くなってしまう危険性を孕んでいるが、それを自覚した上で妖怪としての本懐を忘れず、かつ能動的に人間と接触するに、花見や弾幕ごっこ等、一種の現象にまで昇華された催しを利用しているのではないだろうか。
総論
貴方の感じている感情は精神的疾患の一種だ。直し方は私が知っている。私に任せろ。
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「手の込んだ嫌がらせだぜ」
魔理沙はパチュリーから届いた封筒をゴミ箱に突っ込んだ。まさか一ヶ月近くかけてこういったものを仕込むとは思っていなかった。花見にかこつけてパチュリーをいじりたおしたことを後悔してはいないが、この調子だとまた何か送り付けてくるかもしれない。
しばらく考えてから、魔理沙は居間に待たせていた小悪魔の肩を叩いた。
「ライフスタイルに潤いを」
ああ、これでやっと帰れる。小悪魔は役目を果たせたことを喜び、はにかんだ。
後日、小悪魔の体に仕込まれた桜の遺伝子改良種子(暴露型ウィルス)が図書館を恐怖のどん底に陥れることになるが、それを語ることができる人物は誰一人無事では済まなくなったという。
私の気苦労も考慮に入れてもらいたい
この一文だけで私は幸せです(*´Д`)
暴露型ウィルスにおける被害の報告及び対策についてのレポートを提出される際に上記の件についても補足して頂ければ、私感謝の余り法悦絶頂の極みでござりマッスル。
えーと適当にそれらしき言葉を並べてしまい申し訳ありません。ご馳走さまでしたw