Coolier - 新生・東方創想話

辻斬りの極意、教えマス。

2006/05/08 07:51:14
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「三魂七魄ッ!!」
今日も白玉楼は幽々と。
本来ならば「悠々」や「遊々」などが適すのだろうが、やはり楼閣の主人の名前を考慮するとやはり「幽々」が正しく思える。幽霊達が水面のうたかたのように揺らいでは何処かへと向かう故に、「幽々」なのかもしれない。だがやはり、ここは前者を推奨したいと思う。
ともかく。
その幽々とした白玉楼の、二百由旬というだだっぴろい庭の手入れに勤しむ庭師は叫んだ。実際叫ぼうが叫ばまいが発動するのだろうが、気合が入るか入らないかという列記とした違いが生まれる。病は気からというではないか。この場合、相応しくは無いけれど。
一閃。
木の葉が撫でられ、刹那の間が空きはらりと散る。魂魄妖夢はコレで本日全ての手入れを終え、見事な拵えの刀をパチンと鞘に収めた。それは今にも「またつまらぬ物を斬ってしまった……」と聞こえてきそうな位様になっている。斬れぬものなど殆ど無いのだ。
そう、殆ど。
その単純な単語からなる言葉が妖夢の脳裏を過ぎり、陰鬱そうに溜息を吐き出した。彼女が斬れないもの、それは確かに存在する。そしてそれは、自分の剣術云々よりももっと内面的な「魂」でなければ斬れないものだったりする。
それ即ち、惑い。
ここ数日、魂魄妖夢は悩んでいた。自分は果たしてお嬢様の懐刀に相応しいのだろうか、と。最近ありとあらゆる妖怪や人間と弾幕を交わし、いつしか妖夢は、自分の力に疑問を持つようになっていた。確かに妖夢はそんじょそこらの妖怪よりも格段に強い。それは誰もが認めることだし、恥ずかしい話ながら自負もしている。では何故その力に疑問を持つのか。簡単である。異常に強い人間や妖怪が存在するからだ。第一、冥界に足を踏み入れる馬鹿など居ない。それこそ単なる阿呆か、弾幕馬鹿かのどちらかだ。それはつまり、「侵略者は強者である」事を意味する。そうなった場合、自分はお嬢様を護る盾になれるのだろうか。その結果は推して知るべし。主に春泥棒騒動かなんかで。
そして彼女は、切に願うのだ。
惑いを断ち切りたい、と。
「ん~~、そう。…………いいわ、いってらっしゃい」
事の成り行きを聞いた幽々子は、以外にもあっさりと休暇の許可をくれた。説明の後で渡そうと妖夢が後ろ手に握り締めていた無期限の休暇届は遂に使用されることは無かった。それをぎゅっと握り締めて妖夢は、
「し、しかし……庭の手入れや、幽々子様の身辺のお世話は……」
「大丈夫よ、なんとかなるわ。それにアナタが言い始めたことじゃない、アナタがそんな消極的でどうするの?」
「はぅ……」
一縷の望みはばっさりと切り捨てられた。
ただ一言、「駄目」と言ってくれれば。
それは紛れも無い「自分に白玉楼を離れるな」という命令で、裏返せば「何処へも行くな」という幽々子の意思表示なのだ。そう言われれば、少しは楽になったかもしれない。心臓をキリキリと締め付けるような、金属質の糸が緩んだかもしれない。
自分がそうなる事を羨望していた事実に、妖夢は気付く。
(初めからそんな事じゃ、……駄目ッ!)
そう自分を叱咤し、意思を固めるように硬く拳を握り、
「ありがとうございますっ、では」
「……頑張ってらっしゃ~い」
すぐさま旅支度を整えに、自分の部屋へと妖夢は向かった。背後から聞こえる幽々子の猫撫で声が、妖夢を一瞬束縛する。だがそれもつかの間、妖夢は自分の部屋に向かって全力疾走。その後姿はどこか切羽詰った焦りを感じさせた。それを敏感に感じ取った幽々子は、別段何かを思う訳でもなく、天へと向かって一言呟いた。
「……頑張ってね、妖夢」
と。
桜の花は、散り尽くしている。

最低限必要な身の回りのものを準備するのには、十分もかからなかった。もともと個人の持ち物が少ない質素な生活を続ける妖夢にとって、全財産を持ち出すことも可能だったに違いない。壮大な桜花結界を目の当たりにし、妖夢はちらりと苦笑いした。白楼剣と楼観剣は勿論のこと、髪を梳かす櫛に着替えの服数枚、刀の手入れ具一式。これだけあれば事足りると思ったからだった。
(幽々子様は……来る訳ない、か)
見送りに、という意味である。
その事を若干寂しく思いつつも、それはそれで仕方のないことだ、と開き直った。大体従者が主人にその様な事を求めるなど、おこがましいにも程がある。ふと自分が居ない間の幽々子の生活が気になったが、「大丈夫よ、なんとかなるわ」と言っていたのを思い出す。
どちらにせよ、もはや後戻りは出来ないのだ。
後は進むのみ。
惑いを断ち切る「剣」を習得するまでは。
(惑い……惑い、か。…………やっぱり、あの方しか居ないかなぁ)
だがあくまで「暫定」である。
さっぱり目的地も定まらないまま、妖夢は太陽の傾いてきた幻想郷の空へと飛び立った。



時間はあっという間に流れた。
夜が訪れ、空には金色の月が懸かっている。雲一つ無い漆黒の夜空。美しく瞬く星々は、まるで宝石箱をぶちまけたようだった。そして今、妖夢がてくてく歩く竹林は。それこそ正しく夢幻と表されるのではないか、と感じた。まず何より、方向感覚を失った。それに加えて不気味なまでに一遍調子の竹、竹、竹、……。これでは迷わずに進む事など夢のまた夢に思えた。それ故の「ゆめまぼろし」なのだろうと、妖夢は半ば自虐的に笑う。

この半身は、心眼のために憑いているものではありませんよ。

いつかの言葉が浮かび、そんな機能がこの半身に備わっていたらなぁと、妖夢はすべすべする半身の頭を撫でる。ぴこぴことそれを受け入れる半身が可愛く思えて、人間側の口元もつい緩んだ。まぁそういう余裕があるうちは、まだ大丈夫かな。妖夢はつい楽観的になるが、実際そうも言っていられない現状が今こうして眼前に横たわっていることに変わりは無い。最悪この寒空の下、夜を明かさなければいけないのかと思い、その恐ろしい想像をふるふると頭から追い払った。早く目的地に着かないと。空を飛べればいいのだが、如何せん目的地は竹林に覆い隠されてひっそりと佇んでいる。おそらくは結界も張られているだろう。鷹のような眼を持ってしても、目的地を上空から見つけるのは至難の技に思えた。だからこうして歩いているのではないか、と妖夢は自答する。
突然視界を何かが横切った。
「ッ!」
即座に楼観剣を抜刀、横切った何かを目で追い、それが既に竹林へ身を隠した事実を確認する。目つきが変わる。辺りを満たす音は、風で笹が擦れる煩わしい音ばかり。それ以外に何か別の音、例えば足音……などが聞こえる筈は無い。だが何かがいる事は確実なのである。妖夢は自分の目を信じた。
(ならッ)
地を蹴る。
(こうしてッ)
地を這うようにして跳躍した妖夢は楼観剣を大きく振り、跳躍先の竹を根元から切断する。更に一本の未だ健在な竹を足場に、更に跳躍。再び楼観剣を振るう。それを幾度も繰り返し辺りを更地へと変えようという、なんとも単純かつ大胆な作戦だった。この空気が流れる感触は、相手の焦り故か、それとも……。そうこうしている内に、作戦は終了した。あくまで完了ではなく終了。というのも、妖夢は辺り一体の竹を刈り尽くしてしまったからである。だが、それでも、
(……いない?)
何かを捕捉する事は不可能だった。むしろ捕捉したのは、何かが先だったと言っても良い。背に掌が押し付けられる感触。
「泥棒?」
背後からの声に反応、妖夢は振り向くよりも早く前へ跳躍していた。空中で器用に体勢を背後へ向けると、自分の判断が間違っていなかった事に安堵を覚える。その押し付けられたと思しき掌からは、前筒形の巨大な座薬もとい弾丸が射出されていた。恐らくコンマ何秒か跳躍が遅れれば直撃だったろう。だが安心していられないとばかりに妖夢は足でがりがりと地を噛み跳躍にブレーキをかけ、その踏ん張りを残したまま力尽くに、
「らぁあああ!」
一刀両断。
特撮の如く妖夢の背後で爆炎(実際には……なんだろう?)をあげる座薬を尻目に、一気に前へ突っ込んだ。こんどこそ、相手の焦った口元が見える。すぐさまストレートの艶やかな髪に目が移り、それに混じってぽよぽよ揺れる白い兎の耳を視認、それが自分の探していた目的地の人物だと理解して―
「わっ、ぅわわわわ~~!!」
「え、ちょ、そのまま突っ込んでこなッ!?」
妖夢は無理やりストップしようとしたが、あまりにも跳躍に力を入れすぎたために今度は前へつんのめる形で、やはりスピードは緩まらず、そのまま対象物に頭から突進。更地を吹っ飛ばされ幾本もの竹のクッションにぶつかり、ようやく止まった。
「ぅ、う~~~ん」
「あたた……て、すすす済みませんッ!」
折り重なる形でも互いの顔を確認できたのは不幸中の幸いだった。もしも確認できなかったら、容赦なく躊躇なく慈悲なく、この楼観剣を体に捩じ込むところだったと、妖夢は肝を冷やす。一方未だ天地がこんがらかって立ち上がることすらもままならないのは、ウドンゲこと鈴仙・優曇華院・イナバである。頭の上をお星様に混じって故郷が廻ってるわ、あはははは……と、只今絶賛思考回路ぶっ飛び状態満喫中。妖夢は鈴仙を正気に戻そうと躍起になる。
「だだだ、大丈夫ですか!?」
乱暴に頭をバシバシ叩いたのがいけなかったのか、鈴仙は虚ろな瞳を虚空に向けて夢見心地に、
「ぅ、う~ん……はれ? ここは幻想郷?」
あながち間違ってはいない。
「ちょっと、しっかりしてくださいってば鈴仙さんッ!!」
「ぅう…………頭の中が……幻視調律……なんだ、けど」
「うぇえ!?」
そんなこんなで掛け合いが続き、数十分後。
ようやく衝撃が収まってきたらしい。鈴仙はよろよろと立ち上がり、頭を軽く叩いた。その様子はまるで、壊れかけのテレビを数回殴ると直る、といった方法を実践しているようでもあった。一回叩くたびに柔らかそうな耳がぽよぽよと揺れる。それを何回か繰り返し、ふとそこで始めて気付いたように鈴仙は振り返って、
「……あれ? 妖夢ちゃん?」
「遅いですってば」
傍らに佇む妖夢は、ウンザリした声を出した。自分は本当に、この人に教えをこうても良いのだろうか。ふと、そんな一抹の不安が脳裏を過ぎる。妖夢の心境露知らず、鈴仙は人の良さそうな笑顔を浮かべ、
「どうしたの? こんな真夜中、こんな竹林の奥まで。本当に満月じゃなくって良かったわねぇ」
「いえ、実は、鈴仙さんに折り入って頼みが……」
妖夢の突然のかしこまった態度に、鈴仙はキョトンとし、ご丁寧に頭の上にまで疑問詞を浮かべて、
「へ? 私に?」
妖夢はそうですと言わんばかりに、こくりと深く頷いた。瞳は決意に満ちている。どうやらただの酔狂とかそんなんじゃないらしい。それはその瞳が強く訴えていた。
「ぅ~ん、別にいいけど……理由は話せば長くなる?」
「は、はい。……夜を明かす程度には」
元来お人よしな性格の鈴仙には、断るという行為自体が不可能だった。こうして切実な瞳で訴えかける、自分を必要としている少女の願いをばっさり切り捨てるのはあまりにも劫が深い、深過ぎると思う。だからこその月に追われる身か、……洒落にならない。
「とりあえず、永遠亭にでも行く?」
「え、じゃあッ!?」
鈴仙は肯定の意を込めて、妖夢を自分(たち)の家へと誘った。つくづくお人よしな性分だな、と自分でも呆れかえりつつ、竹林へと足を踏み出し、後を妖夢が「待ってくださいよぅ」とついて来る。少し、お姉さんになったような気分だった。



永遠亭の廊下は周りの竹林と同質の、夢幻回廊だった。
どの襖も同じ(少なくとも妖夢の目にはそう見えた、がイナバたちが間違えずに出入りしている辺り、やはりどこか違う所があるのだろう)立派な絵が描かれている。月に懸かる霞を紺碧の空に、蓬莱の山と五色の玉の枝。綺麗だな、と妖夢は思った。
「ふわ……凄い数の部屋ですね」
妖夢は安直にそれを誉めようとしたのだが、頭の中で言葉が迷子になってしまい、結局はそんな言葉を口にしてしまった。しまったと思いつつも、鈴仙がおおらかな笑みと共に振り返ってくれたのでホッと胸を撫で下ろす。
「ホントよね、私だって時々迷子になっちゃうもの」
信じられない答えが返ってきた。
「え、鈴仙さんでも迷うんですか!?」
失礼だとは思いつつ、妖夢はつい大きな声で叫んでしまう。
「そうなのよ、どうも師匠が空間操作の術をかけたみたいで……。絶対に今の永遠亭を迷わずに歩き回れるのは、師匠とてゐだけじゃないかしら」
鈴仙は特に気に留める様子もなく、他人事を話すような口調を保ちながらずんずんと廊下を奥へと進んでいく。おっかなびっくり鈴仙の後に続く妖夢は、今の話を聞いて余計心配になった。何がって、今歩いている廊下が既に迷子になって迷い込んだ廊下だったら、という杞憂に対してである。
「大丈夫大丈夫、自分の部屋くらい覚えてるわよ……っていうか、この襖だしね」
鈴仙がピタリと立ち止まって指差した襖は、他の襖と寸分違わぬ(ように見える)ものだった。妖夢は杞憂に終わって良かった、と安堵。襖を開けると、そこは几帳面に整理された八畳間だった。随所まで掃除が行き届いている清潔感溢れる部屋。壁にピタリと据え付けられた本棚には、本(薬学的な辺り、『あの』師匠の弟子だという事を改めて認識する)が整頓されて並んでいる。妖夢は、鈴仙の几帳面な性格が滲み出ているなと感心した。
「え~っと、それじゃお茶でも飲む?」
押入れから座布団を引っ張り出しながら、鈴仙は背中越しに妖夢に声をかける。
「あ、いや、お構いなく」
妖夢が断りを入れた瞬間を狙ったかのようなタイミングで一人のイナバが、お茶を淹れた湯飲みを片手に襖を開けた。妖夢が元来の性質ゆえか礼儀正しく礼を述べると、そのイナバは意外そうな表情をちらつかせつつはにかみ、いそいそと部屋を出て行った。
「……あの、私何かしたでしょうか?」
イナバの反応に不安を覚えたのか、妖夢は心配そうな表情で鈴仙に聞いた。鈴仙はあははと笑い、
「ああ、この前の永夜異変ね」
「?」
「う~ん……妖夢ちゃんには悪いんだけど。確か妖夢ちゃん、お嬢様……幽々子さんだっけ、と一緒に永遠亭に乗り込んで来たじゃない? その時の辻斬りというかなんと言うか、そういうイメージが払拭できてないのよ。……多分」
ああなるほどと妖夢は苦笑した。あの時は幽々子の盾になろうとしていっぱいいっぱいだったから、そのときの様子がかえってそういったイメージを与えてしまったのかもしれない。おじ……師匠の影響かな、自戒せねば。
「じゃあ、詳しく話を聞かせてもらえる?」
「あ、はい」
座布団を部屋の中央に二枚敷き、妖夢が下座、鈴仙が上座に座る。どちらも正座をしているため、二人の間に対局板があったら将棋か囲碁の試合風景のようだった。どちらも緊張した面持ちのため、見る人によってはお見合い風景のように映ったかも知れない。その後妖夢の説明は、三十分近く続いたという。それを愚痴一つ漏らさず、真摯に聞いていてくれた鈴仙には礼を言わねばなるまい。
「……なるほど、つまり妖夢ちゃんは『惑い』を断ち切りたいから私のところに来たってことね?」
ようやく妖夢の話が終わったところで、鈴仙が長い話を簡潔に要約した核心を突いた。妖夢はコクリと頷く。
「だけど、何で私のところに来たの? ほかにもっと適役がいるのに」
適役というのが博麗の巫女だということを、妖夢はうすうす悟った。実は一時それも考えたが、それでも鈴仙のもとに来た理由。それは……
「鈴仙さんのスペルって、『惑い』じゃないですか」
「へ!?」
鈴仙が素っ頓狂な声を上げた。確かに鈴仙のスペルは、(幻想的に書けば)相手の視覚を惑わす眼で弾幕を歪ませ、混乱のうちに弾幕を直撃させようというもの、(現実的に書けば)操者の視覚を惑わせ、弾幕の隙間を捕らえきれずに混乱したところを狙う、というものである。だがそれはあくまで、
「私が操れるのは、こう、なんていうか、現実的、な惑いなんだけど……。残念ながら心の方の惑いは……」
「えッ!?」
こんどは妖夢が素っ頓狂な声を上げる番だった。しばらく二人は硬直した互いの顔を見合わせる。遠くの方から木魚のぽくぽくぽくという独特の音が聞こえるような気がする、と今度はチーンと澄んだ金属音。
「すッ、すいませんでしたぁあああ!!」
「うわっちょ、妖夢ちゃん!?」
赤面した妖夢が神速のスピードで部屋を出ようと(逃げようと)するのを、鈴仙は必死で腕を掴み留まらせた。真っ赤な顔で半分涙目な妖夢は離してくださいと言わんばかりに、腕をブンブン振回す。両手で抱える二本の刀が危なっかしく揺れ、鈴仙の頭を直撃しそうになるのを辛うじて避けた。
「落ち着いてってば! 私は無理でも、ってうわッ!」
再び迫り来る刀の襲撃。再び辛うじて避けた鈴仙は、抜き身じゃなくて本当に良かったと心底神に感謝した。寿命が三年くらい縮まっちゃったかなぁ、私。
「師匠ならっ、もしかしたら!」
襲撃の隙に鈴仙が叫ぶと、ピタリと妖夢の動きが止まった。相当激しい運動だったのか、妖夢と鈴仙は肩を上下にはぁはぁと息使い荒く、その場にぺたりと座りこむ。力が抜けた体を無理やり動かし、鈴仙は妖夢の肩をがっしり掴む。
「きっと、そういう、術を、知って、るわ」
途切れ途切れなため、妖夢が聞き取れたかどうかは定かではなかった。
「す、すいま、せ……、取り乱し、ました…………」
妖夢の方も相当息が上がっていた。今思えば、あの時の腕を振る速さはとんでもないものだった気がしてきた。腕が何本もあるように見えたんだから、それはもうとんでもなかった気がする。いや、とにかく。二人は平静な脈拍を取り戻すため、大きな深呼吸をニ,三回すると、ようやく心臓の鼓動が緩やかになってきた。
「師匠……永琳さん、なら?」
「そうよ。私に不可能の文字は無いわ」
直後、声。
「ぅわ師匠!? どっから湧いて来たんでッ痛ぁああ!」
永琳の容赦ない鉄拳が鈴仙の脳天にクリーンヒット。微笑を絶やさず振り下ろした拳は、鈴仙を再び夢の世界へと誘うには充分な威力だった。
「うわあ~~……」
「まったく、人をゴキブリみたいに言うから」
目を回して無防備に畳へと突っ伏した鈴仙を哀れみの表情で見やりつつ、妖夢は永琳の表情も伺い見た。相変わらず、微笑が張り付いている。これも一種のポーカーフェイスという奴だろうか。と、永琳が視線を感じ取ったのか、妖夢を振り返った。
「え~っと、妖夢ちゃん……だっけ?」
「はい、魂魄妖夢です」
あらあらと永琳は苦笑を浮かべた。
「そんなにかしこまらなくても良いのに。こんなに硬くなっちゃって、もっと柔軟な姿勢じゃないといつまでたってもお嬢様を護りきれないわよ?」
核心、というよりは心臓を突かれた気がした。永琳は相変わらず微笑をたたえている、だがどうしても好きになれる質ではない笑み。どことなく、紫と通ずるところがある気がした。
「……いつから話を?」
「まぁまぁ、そんな事はどうでもいいじゃない。さ、今日はもう遅いからお風呂にでも浸かって寝ましょう。修行はいつだって出来るわよ、ね、妖夢ちゃん?」
永琳は訝しがる妖夢の頭をくしゃくしゃと撫でた。
同時に鈴仙のわき腹を思い切り蹴飛ばす。
「おふぅッ!?」
「ほら鈴仙、いつまで寝てる気? はやく妖夢ちゃんをお風呂場につれてってあげなさいな」
意気揚々(と、これは表現するのだろうか?)と、相変わらずの微笑を絶やさず部屋を出て行った永琳の背中を、呆気にとられた表情で見送る妖夢。声なき悲鳴をあげて悶絶する鈴仙は、暫く立ち上がれなかったという。



その後鈴仙が復活するまでの間、妖夢は物思い、というよりは空想にふけっていた。
「……妖夢ちゃん? 妖夢ちゃんてば!!」
「ぅひゃい!?」
唐突に自分を呼ぶ声、実際には結構長く呼びかけていたらしく、鈴仙は少し不快そうにむくれて言った。
「どうしたの? 考え事?」
それでも普段の優しい物言いを損なわない彼女は、流石といえば流石である。ふと妖夢は、自分が既に脱衣所まで来ていることを悟った。
「い、いや。……なんでもありません」
しかし、なんとまあ中途半端に脱ぎ散らかしたことか。妖夢は辺りに散乱した上着を急いでたたみ、個人単位で使用できる竹編みの籠の中へと放り込んだ。楼観剣と白楼剣は、鈴仙に無理やり頼んで、今現在脱衣所の白い土壁に立てかけられている。剣は剣士の魂なのだ、流石に風呂の中にまで持ち込みはしないけれど。
「ホント? ならいいんだけど……」
「?」
鈴仙の、杞憂を無視するような表情が気にかかった。妖夢は首をかしげつつも、一糸纏わぬ姿となった流麗な体躯に大きめのタオルを巻き、風呂場に足を踏み入れた。湯気が立ち込めるそこは、風呂場というよりは温泉に近い。剥き出しの岩が月に照らされ無機質な彩色を醸し出し、澄んだ湯舟は予想以上に広かった。
「凄いでしょ? 下手な温泉よりはずっとまともね、きっと」
鈴仙が遅れてやって来た。手には小さな木桶、その中には彼女が体に巻きつけているものより一回り小さい手拭いと石鹸が入っている。
「……凄い、です」
「あはは、そんなに強張らなくてもいいのに」
和やかな雰囲気で湯舟に浸かれたことは幸運だった。妖夢は湯を肩に掛けながら、空を見上げた。どうやら露天風呂のようで、空にはくっきりと月が浮かんでいる。辺りに瞬く星は、今日は少ない。恐らく満月に近いからであろう、月の強い光で星たちのか弱い細々とした光は掻き消されてしまうのだった。
「そういえば、他の兎さんたちは?」
妖夢は閑散とした、人っ子一人ならぬ兎っ子一羽見当たらない風呂場を見渡し、鈴仙に訊いた。鈴仙は長い髪が湯に浸らないように結わえている簡素なかんざしをいじくりつつ、う~んと唸る。
「実のところ、私もよく判らないの」
「へ?」
「実質上永遠亭の兎たちを取り仕切ってるのはてゐなのよ。あの子、計算高いって言うかなんていうか……。管理が上手なのよね、きっと。で、ここも使用時間をきっちりと決められてるってワケ。だから私は他の兎たちが何をしてるかなんて知らないの。……ていうか、それ以前に興味無いんだけどね」
「……成る程」
確かに納得である。
「今の時間帯は、永遠亭の首脳陣専用なの。私と師匠と姫にてゐ……最近だとメディスンも時々入ってるわね、何故か。ほら、鈴蘭畑の毒人形」
「ぅげ……。このお湯、大丈夫ですか?」
妖夢がつい湯舟を立ち、水質を確かめる科学者のような仕草をする。それが滑稽だったのか、鈴仙はくすくすと笑みを漏らした。どうやら大丈夫らしい、妖夢は胸を撫で下ろして再び風呂に浸かった。カポーンと、桶の音。何故温泉にはこの音がマッチするのだろう、と不思議に思う。と、
「鈴仙ーーー! ちょっと手伝って!!」
「ぎゃ、加勢なんて卑怯よ!」
脱衣所から聞こえ……いや、轟いてくる大きな声。鈴仙があちゃあとばかりに額に手をかぶせた。
「ちょっとゴメン、妖夢ちゃんはゆっくり温まっててね」
立ち上がった鈴仙は両手を顔の前で合わせ、振り向きざまに、もう一度自分を呼ぶ声に答えてから脱衣所にかけていった。ポツンと取り残された妖夢は、少し戸惑いながらも湯舟に浸かっている事にする。
とりあえずは頭と半身の上に、お湯で湿らせた手拭いを置いて、と。
ゆったりとくつろぐ事数秒の閑寂、
「きゃーーーーー!」
甲高い、耳を劈くような悲鳴、次いで妖夢の目の前で、
バッシャァアアアアン!!
何処からか飛来した何かが、大きな水柱を立てて湯舟に沈んだ。
「ぅひゃあ!!? ななななな、何ですかッ!?」
「ぷは、ゲホッ、ゲホ! ちょっとコラ永琳ーーー!!」
飛来したのは蓬莱の姫こと、元祖和服美人蓬莱山輝夜である。正しく竹取飛翔、あ、なんか上手いこと言ったんじゃないかな、私。
「だってそうでもしないと姫、部屋から出てきてくれないでしょう」
「だからって放り投げることないでしょこの馬鹿!」
次いで風呂場にやって来た永琳を思い切り怒鳴りつけ、ようやく輝夜はそこに妖夢がいる事に気付く。
「…………あれ?」
「…………どうも」
律儀に会釈をする妖夢を輝夜は見、首を回しておよそ直角の位置に立つ永琳、鈴仙、てゐを見、再び妖夢に目を移して、
「誰だっけ?」
「魂魄妖夢です、この間の永夜事件の時はお世話になりました」
またも妖夢は律儀に、先程よりも深く礼をする。都合上、首から上だけの話に留まるが。
「駄目ですよ~、姫。幾ら永く生きているからって、必要無い記憶をぽんぽん追い出しちゃうのは。ホント、記憶力を向上させる薬でも処方しましょうか?」
輝夜はむ~~と頬を膨らませ、湯船に口をつけてブクブクと泡を吐いた。いかにも永琳の言葉が不服なようである。気付いているのだろう、だが笑顔を絶やさずになおも穏やかな表情を崩さない永琳は、流石といえば流石である。流石は永遠亭裏の支配者。
「まぁまぁ、今日はせっかく妖夢ちゃんも居るんだし……」
宥める鈴仙と、
「ネトゲの事しか頭にないからでしょ」
口の減らないてゐ、
「なんですってーーー!」
怒る輝夜を見て、
「あらあら」
静観を決め込む永琳、全員が湯船に浸かり、輝夜の怒声を除いては再びの静寂が訪れた。やがて輝夜も黙り込む。
しばらくの間、月見は続いた。

しばらく後。
岩質の湯舟に浸かっているのは、いつの間にか妖夢と輝夜だけになっていた。各々、長い髪の手入れ(てゐはその手伝い)が面倒らしい。にも拘らず輝夜がこうしてのんべんだらりと幸せそうな表情で湯船に浸かっているのは、「髪は後でイナバ達に梳かせるからいい」と断ったからであった。妖夢はあいにくそんなにまで長く髪を伸ばした事は無かったので、何をどうすればよいかが全く判らず、早めに身体を洗い、湯舟へと引き返してきたのだった。
「ねぇアンタ……妖夢、だっけ?」
突如話しかけられた。
「え? あ、はい!」
「忠告しとくけど……永琳に修行の申し込みは、しない方がいいわよ」
妙に神妙な面持ちで、輝夜は言う。
なんで、と妖夢が返すよりも早く、
「なんていうかさ……永琳が、アンタみたいに貴重な研究材料を放っておくと思う? 怖がらせるつもりじゃないんだけどね……下手したら、地下にある開かずの間行きかも」
地下の開かずの間、という響きは妖夢の不安をかき立てた。想像も容易で、怪しい色彩の液体がフラスコの中でぐつぐつと液胞を弾く様子や、奇妙な蟲がガラスの向こうで奇声を発する様子が浮かぶ。そして、その中で笑いながら実験を繰り返す永琳も。
「……でも、」
「あ~~聞いてる聞いてる。アンタ、惑いを断ち切るまではあの亡霊さんとこに戻れないんでしょ? 従者ってのも、大変よね」
「はい」
決心して来たのだ、白玉楼で。
師匠は立派に勤めを果たした。
だけど自分は、どうなのか。
人間一人の侵入を拒めすらしない程度の実力では、到底『盾』には及ばない。
「でもねぇ……正直、惑いってのは、断ち切れないモノなんじゃないの?」
「え?」
「あなたは事態を暗澹と考えすぎるのよ。大体今現在の幻想郷に、悪意を持って冥界に侵入しようなんていう輩がいるかしら。多分あったとしても、『宴会に無断出席してやろう』程度でしょうね。なら、そんなに焦って『鋭く』なろうとしなくても、いいんじゃないの? 若い内は悩むのが大切よ、ほんとうに。それにね、」
輝夜は、空を見上げる。
月は、丸くは無い。
つられて妖夢も、空を見上げた。
其処に一羽、確実に迫りつつある、紅蓮の鳳凰。
「あら、いけない。そういえば今日は殺しあう約束だったわね」
輝夜が服を着るため、脱衣所へと、急ぐでもなく向かっていった。
それを妖夢は、しばし伏せていた顔を上げて、追い、
「なんで、……なんで輝夜さんは、」
その先の言葉を、服を着かけの輝夜が、人差し指を唇に当ててしーっと言い、封殺する。
妖夢が黙り、輝夜は服をもぞもぞと羽織る作業を続行。普段通りの服装になったところで、
「そうね、あえていうなら―
艶やかに黒髪を棚引かせ、天へと飛ぶ。
紅蓮の双翼が煌き、幾条もの炎の尾が輝夜を撃墜すべく伸びる。
―生き甲斐、かな」
龍を模した弾幕の顎が、全ての尾を噛み砕いた。
あっという間に天へと上り詰めた輝夜を妖夢は半ば呆然と見送り、そして、
(そう、か)
気が付いた。
自分の惑いなど、輝夜の惑いに比べたら、遥かに幼稚で脆弱である事を。
禁断とされた薬を服用し、
永遠を歩む事となった上、
その薬の被害者を、二人も作ってしまった。
狂い切る事も出来ず、かといって命を立つ事も出来ず、いつまでも同じ姿を保持し続ける、永久機関。
何故自分はそんな薬を要求してしまったのだろう、という後悔。
究極的には、何故自分は生まれてしまったのだろう、という苦悩。
故郷を追われたとき、あらゆる思いが混濁して、それらは絶対的に大きな惑いになった筈だ。
ならば何故、輝夜は今も平然と暮らしているのか。
その要因こそが、生き甲斐ではないのか。
マイナスの数字は幾ら絶対値が大きくとも、数直線上でプラスの数字に敵う事は無い。
輝夜の背負う永罪が仮に-1000の値だとしても、たった1の生き甲斐さえあれば良いのではないか。
だから現にああして。
弾幕を交わす輝夜の表情は、とても楽しそうだ。
「ありがとう、ございます」
妖夢はうなじが見えるほど深く、輝夜に向かって礼をした。急いで服を着て、鈴仙に礼を言い、大急ぎで外へと飛び立つ。妖夢に生き甲斐を探す必要は無い。すでにそれは、見つかっているからだ。
即ち、お嬢様といつまでも一緒に居る事。
それだけが、『魂魄』の血筋に染み込んだ、遺伝に近い想いなのだから。



「妖夢、お茶頂戴~~」
「はいはい、只今~~!」
翌日の白玉楼には、いつも通りの風景が戻っていた。
結局一日しか留守にしなかった庭師は、日帰り旅行を行ったようなものだった。
だが、その中で得たものは大きい。
蓬団子を頬張る幽々子の横、妖夢は湯のみにお茶を淹れ、それを差し出した。
「ん、ありがと。ねぇ、妖夢~」
「はい、なんでしょう?」
蓬団子が山のように積まれた皿を、幽々子は自分と妖夢の間に置き、にぱっと笑って、
「一緒に食べましょ」
「は、はいッ!」
白玉楼は、幽々と。
だがその日、少しだけ優優と、読んで字の如く。
                                 終わり
六度目まして、明です。今度はゴールデンウィークという時の助けもあり、割と速いスピードでの投稿が出来ました。ですが内容は、最後まで何が言いたいのかわからず、尻すぼみ的な作品になってしまったような気がします。結局妖夢が惑いを断ち切れたかどうかは、皆さんの判断にお任せ、という事で(笑。
それから、前作にコメント下さった方、評価を下さった方、ありがとうございます。いつもどおりレス返しさせて頂きます。
それでは、次回作も日の目を見ることを祈りつつ、御機嫌よう。
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