Coolier - 新生・東方創想話

『竹林の怪~in the dark~』

2006/05/06 03:13:42
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 これはある竹林で実際にあったお話よ。
 その竹林には、里の人間が誰も近寄らないくらい奥に、石造りの建物が建っていたの。
 村人達は口を揃えて、あのお堂には近づくなと言っていたそうよ。
 あれは納骨堂。死んで骨になった人々を大事に大事に納めてある。
 もしも遊び半分でそこに近づくと、恐いものに連れて行かれる、と。
 
 だけど、ね。
 子供って、そういう触れちゃいけないものに興味を示すじゃない?
 いつだって……ね。

 ある晩、子供達が集まって夏祭りの打ち合わせをしている時、そのお堂の事が話に上がったの。
 殆どの子供達は怯えてしまったんだけど、子供達の中で一番大きくて腕っ節の強い子がね。
 そんなもの怖くない! そう言って、皆が止めるのも聞かずに

 行ってしまったのよ……そこに、ね。
 
 本当はその子も怖かったんだと思う。
 だけど他の子達の手前……言えないじゃない、そんな事。
 納骨堂に行った証拠を持って帰ってくる。
 そう言って、たった一人で夜の闇へと飛び出したらしいわ。

 草木も眠る丑三つ時。
 夏だというのに肌寒い風が吹き、月の道標もない……そんな闇夜に子供が一人。

 食べられても文句が言えないわね。うふふ。

 村を飛び出したまでは勇ましかったその子も、途中で恐くなって何度か戻ろうとしたんだけど
 それでも藪を掻き分け、竹林へと足を運び、奥へ奥へと向かって行ったの。
 月も星もない暗い竹林。虫の声すら聞こえない無音の夜。脳裏に鳴り響く警鐘の音。

 それでも進んだのは意地かしら?

 いいえ、誘われたのよ……何かに、ね。

 生い茂る竹薮は視界を隠し、雑草が足に絡みつく。
 普段はうっとうしいくらい纏わりつく羽虫も、この夜だけは息を潜めたように姿を見せない。
 月もなく星もない穴が開いたような黒い空。
 冷たい風が吹く度に竹林が震え、ぎしぎしと怪物の歯鳴りのような音が響き渡る。

 その子は震える足を引き摺りながら、吹き出る汗を堪えながら、吸い寄せられるようにそこへ向かったの。
 
 怖かったでしょう、ね。

 だってその子は、何度も何度も帰ろうとしていたのに



 ――足が勝手にそちらへと向かっていたんですもの。



 鳥も虫も声一つ上げない闇夜の中
 そのお堂はぽつんと建っていたわ。

 古びた土壁はぼろぼろと剥がれ落ちて
 周りには逃げ出したかのように草一本生えてなくて
 風すらも避けるのか、鬱蒼と茂る竹林に囲まれながら落ち葉一つ落ちていない。

 ただ赤黒い土が顔を覗かせているだけ。


 子供はそのお堂の前に立っていたの。

 膝を抱えて座り込む事も
 血走った瞳を閉じる事も
 泣き叫んで逃げ出す事も許されず――そこに立っていたの。

 お堂に据えられた観音開きの鉄扉。
 所々に浮いた赤錆は、まるで何かが滲み出しているよう。
 風に鳴る竹の音だけが、ぎちぎちと、ぎちぎちと軋んでいる。

 その子はどれだけそうしていたのかしら。
 身体はすでに自分のものではなく
 ただ心だけがずっと悲鳴を上げ続けている。

 がちがちと歯の音が鳴り、ぼろぼろと涙を零し、がくがくと膝が震えてもなお

 身体は動いてくれないの。



 怖かったでしょう、ね。うふふ。



 その時、視界の端で何かが動いた。

 何かがころころと転がる音。
 くすくすと笑う声が聞こえ
 しくしくとすすり泣く声が聞こえる。

 その子はいつの間にか、周囲を取り囲まれていたの。


 身体が動かないから、振り返る事も出来ない。
 すぐ後ろに数え切れない程の何かがいる。その気配を感じている。なのに

 ただひり付いた眼で、赤い鉄扉を見つめる事しかできない。


 だって鉄扉が、内側から少しづつ開かれていたから。
 扉を開こうとする、青白い手が覗いていたから。

 扉は少しづつ開いていく。
 気配も少しづつ近づいている。
 
 扉が中ほどまで開き、子供の首筋に生暖かい息が吹きかけられ、竹林がざわざわと騒いだ時――
 









 「子供の首筋に青白い手がっ!」
 「うひゃぁぁぁああああああ!」

 いきなり首筋に当てられた冷たい感触に、思わず立ち上がり悲鳴を上げた。
 慌てて振り返ると、扇で口元を隠しにたにたと笑う紫さまの姿。
 幽々子さまはしてやったりという顔で、にまにまと笑っている。

「うふふ、妖夢は怖がりねぇ」
「本当、よくそれで半分幽霊なんてやってるものねぇ」

 前門の幽々子さま、後門の紫さま。嗚呼、何て怖ろしい。

「ち、違いますよ! いきなり首元に手を当てられたから、吃驚しただけです!」
「あら、そう?」
「そうですよ!」
「あら妖夢? 後ろに誰かが……」
「――っ! だ、誰もいる訳ありません!」
「……いや、いるよ」

 耳元で囁くような声と共に、肩に手が置かれる。

「―――――っ!!!!」

 思わず白楼剣を抜き放ち背後に一閃。しかし剣は何も答えてくれず

「ははは、がちがちじゃないか。それでは幽霊どころか人も斬れんよ?」

 ひょいと飛び下がり、にたりと笑う白面九尾の天狐の姿。
 蝋燭一本だけが頼りなく揺れる室内で、きらきらと輝く金の毛並み。
 紫さまの艶やかな金髪と同じく、闇の中に妖しく黄金が揺れている。
 幽霊である幽々子さまよりも、夜が似合うのは何かちょっと悔しい気がした。

 白玉楼に遊びに来た紫さまと藍さんに、宿泊するよう薦めたのは幽々子さま。
 夕餉の片付けを終え、部屋に戻った私が見たものは、蝋燭一本だけ残し暗く沈む室内。

 そしてそれを取り囲むように妖しく哂う三人の姿。

「……失礼。まだ片付けが残っておりました」

 そう言って、さりげなくその場を辞そうとした私をがっちょりと捕獲し「まあまあ妖夢」と言って無理矢理座らせたのは、他ならぬ我が主。仕えるべき主を間違えたと思う事は週に三度程あるが、この時ばかりはゲージを振り切り思わず払い腰を決めてしまったものの、この三人に対し逆らう事など物理的に不可能。あっさりとダブル腕ひしぎ逆十字と足四の字で固められた。タップしたのにしっかり三分間関節を決めてくれたのは流石であった……

「と、いう訳で第三百八十七回、白玉楼怪談大会~始めるわよ~」
「きゃあ、紫こわーい」
「紫様、それはちょっと痛いでry ぶべらっ!」

 そうして始まる怪談大会。この三人に怖いものなどある筈無いだろうに、何を好き好んで怪談などやろうと言うのか。しかも何処から仕入れてくるのか不思議なくらいエグいやつをてんこ盛りで。

 一度、聞いてみた事がある。こんなの楽しいですか? って。

 三人は一度顔を見合わると、にたりと哂って

「「「面白いわね」」」

 と、こっちを見ながら言いやがりました。畜生。





「……そして二人が振り返るとそこには……血塗れの生首が」
「……っ」

 違う違う、そんな事ない。これは紫さまの作り話だ。蝋燭一本の頼りない灯りでは、部屋の四隅に影が出来る。ゆらゆらと揺らめく炎は私達の影を黒い怪物のように見せ掛ける。それだけそれだけそれだけだ。
 あの柱の影に白い手が見えるなんて事もないし、天井にへばりつく生首なんかないし、さっきから部屋の隅っこでじっとしている血塗れの子供もただの幻覚だ。ここは幽霊の溜まり場。泣く子も笑う白玉楼だぞ。幽霊なんてそんな、そんなの怖い訳ないじゃないか。幽霊なんて何にも考えずにふわふわふらふらしてるだけだ。時々意地悪なやつが、私を脅かそうといきなり目の前に血塗れの顔をさかしまに落としたり、階段で掃除している私の足を掴んだり、ふと天井を見上げると濡れそぼった女が恨めしそうに見ていたりするだけだ。
 怖いのではない。吃驚しているだけだ。
 ほら、誰だって暗い廊下を一人歩いている時に、首筋に冷たい手を当てられたら声を上げるでしょ? 別に私が怖がりな訳でも何でもなく、驚いてるだけなんだから!

「……その後……二人の姿を見た者は誰もいないそうだ。それからしばらくして……そのお堂から毎晩すすり泣くような声が……」
「……っ」

 ほ、ほら作り話だ。それが本当なら何で二人が見たものが世間に伝わっているんだ。蝋燭一本の虚ろな灯りと藍さんの真に迫った口調でそれっぽく感じるだけだ。怖い訳じゃない怖い訳じゃない怖くなんかない! 楼観剣を折れんばかりに握り締めているのは、従者として何時如何なる時も主を守るべきだからであり、手が汗でびっしょりなのは己に課せられた責務の重さを噛み締めている所為であり、僅かに震えているのは……えーと、えーと、そう。武者震いだ。ひょっとしたら今この時にも、不逞の輩が屋敷に侵入してくるかもしれないのだ。だから庭の外で虚ろに佇んでいる黒い人影が幻に過ぎないと解っていても気は抜けないのだ。庭でころころ転がる生首なんて敵のまやかしなのだ。襖の隙間からこっちをじっと見ている瞳はきっと紫さまの悪戯に違いないのだ。

 怖くなんかない、怖くなんかない、怖くなんかないっ!










 その夜、中々眠れなかったのは






 ――怖かったからじゃないもん。ふん。












                               『竹林の怪 ~in the dark~』









 空が高い。

 ついこないだまで桜が舞っていた筈だが、今日は暖かいを通り越して暑いくらいだ。草木は青々と繁り、生命を主張している。枝葉がにょきにょきと伸びて剪定にも一苦労だ。
 私は新緑の若葉が好きだ。半人半霊であるのに、生命に満ち溢れているものが好きなのは矛盾だろうか? 良く解らないが、その色を見ていると力が沸き起こってくるのを感じる。生の象徴。それを好む事は裏切りなのかもしれない。幽々子さまや他の幽霊たちは、桜を見ては宴会し、お盆には茄子を食べ、秋には月見で一杯と気楽なものなんだけど。ひょっとしたら幽霊である以上、幽霊らしくあるべきじゃないだろうかと不安になる時がある。幽霊らしい幽霊というのも、今ひとつピンと来ないのだけれど……
 
 幽々子さまを見ていると、生命のあるなしなど瑣末と思ってしまう。
 死んでも笑う事ができるのなら、生きていなくても良いのではないかと。

 子供の頃、半端な存在である自分が悲しくなり、完全な幽霊になろうとした事があった。
 あの時は師匠と幽々子さまにこっぴどく叱られたっけ。あんなに怖い顔をした二人を見たのは初めて。幽々子さまなんか目に涙を溜めて、私の頬を思いっきり引っ叩いた。

 幽々子さまは良く泣き真似をする。それこそ本当に涙も流して、真に迫った演技で。
 だけど私は知っている。
 幽々子さまは、本当に哀しい時には人前で涙を流さない。ただ……静かに微笑むだけ。

 あの、春を集めた時の様に……

 だから、あの時見た涙は、私が初めて見た幽々子さまの本当の涙なのかもしれない。
 あの時の事を思うと申し訳なく思うのと同時に……ちょっとだけ嬉しく思うのだ。

 私は幽々子さまに仕える。
 未熟なる我が身ではあるが、いつか幽々子さまが誇れる従者となるように。

 今までも……これからも……





「えーと、野菜は買ったからこれで……」

 私はメモを見ながら、買い物リストのチェックをする。昨日は紫さま達を招いてのドンチャン騒ぎだったから、白玉楼の備蓄がかなり乏しくなってしまった。酒は紫さまが差し入れしてくれるのだが、日々の食料まで甘える訳にはいかない。
 白玉楼では音速が遅いせいか、買い溜めしてもかなり日持ちする。流石に一人で抱えれる量ではないので、紫さまにお願いして先に白玉楼へと送って貰った。「妖夢も送ってあげましょうか?」と言って下さったが、にまにま笑うその顔が信用できなかったので丁重にお断りする。「あるた前」とかいうところに飛ばされて、銃刀法違反とやらで官憲に追われたのは忘れたくても忘れられない。
 そんな訳で、食品の足が長く氷室いらずの白玉楼。「死体も腐らないわよ~」と幽々子さまが言われていたが、それはそれで問題だ。
 具体的には漬物が中々作れない。作っても漬け上がるのにえらく時間が掛かるのだ。需要に供給が追い付かないので、白玉楼は常に美味しい漬物を求めている。

「あ、そうだ」

 そういえば幽々子さまが、永遠亭で食べたキムチが美味しかったと言っていた。「ご飯が何杯でも食べれるの~」とかなんとか。
 そんなんなくても何杯でも食べている気もするが、主の望みを叶えるのが従者の務め。今からでも分けて貰いに行こうか?

「ふ……ぅん」

 昨日の宴会(というか私を肴に飲んでいただけ)の所為か、今朝寝坊してしまったのでかなり仕事が押している。もう日が傾いているし、今から永遠亭に向かっていては夜になるだろう。 さて、どうするか……

(うふふ、夜の竹林にはこわーいお化けが出るわよ~)

 むかっ。

 良いじゃないか。行ってやろうじゃないか。
 お化けなんてそんな非科学的な。お前がゆーなという心の中の突っ込みは無視だ。大体お化けなんて幽々子さまとか幽々子さまとか幽々子さまとか、そんな感じのもんじゃないか。何を怖がる事があろう。いや怖くなんかないって。ホントホント、ホントにホント。全然ちっとも怖くなんかないって。怖い訳ねぇだろ、斬り潰すぞコノヤロー!

「よし……行く!」

 拳をぐぐっと握り締め、夕日に向かって宣戦布告。
 両足踏みしめ、背筋を伸ばし、きっと口元引き締める。腰と背中に輝く我が愛刀。こいつらと一緒なら例え百万の軍勢だろうと何も怖れる事はない。ふよふよ漂う半霊も心なしか、きりりと凛々しく見える。あぁ、私は今輝いている! 

「いざ逝かん。目指すは魑魅魍魎の跋扈する忌まわしき永遠の館。艱難辛苦を乗り越えて、見事キムチを手に入れてみせようぞ!」

 我ながら変なテンションだとは思うが気にしない。
 気合を入れて永遠亭へ。気合MAX加速度つけて二百由旬も一閃する勢いで天翔る。



 幽々子さまがにたにた笑ってるのが浮かんだ。

 や、暗くなると怖いからとかじゃありませんて、いやホント。
  
 

















「……迷った」

 すでに日は落ち、辺りは真っ暗。空はどんよりと曇り、月も星も見えはしない。
 せめて星でも見えれば方角も解るだろうに、いつの間にか広がった雲が夜を覆い隠している。竹林の上をかれこれ二刻ほど飛び回ったが、永遠亭の姿は影も形も見えはしない。

「あんなに大きな屋敷なのに……」

 幽々子さまと共に永遠亭へ向かった時は、完全に勘頼りだった所為か、どちらに向かえばいいかすら解らない。
 その後、お使いで何度か訪問したが、昼間だったのと途中まで鈴仙が迎えにきてくれたので迷う事はなかった。
 足元に延々と切れ間なく広がる竹林が、黒い雲海のように何処までも続いている。
 風が吹く度にざわざわと騒ぎ、その不快な音が精神を削る。まるで何か巨大なものが足元で蠢いているような……

「何を世迷言を」

 挫けそうになる心を、頬をぴしゃぴしゃと叩いて戒める。
 しかし現実問題として、いつまでも竹林の上でうろうろしてる訳にもいかない。幽々子さまがお腹を空かせて待っている筈だ。永遠亭に行くのは明日でも構わないが、すぐにでも帰らないと幽々子さまが暴れ出す。おまけに迷子になって帰れなくなったなんて知れたら、末代まで馬鹿にされるだろう。

 よし、とりあえず私の勘では白玉楼はあっちだ。とりあえず真っ直ぐあちらに飛んでみよう。

 私は夜を見透かすように瞳を凝らし、自ら定めた方角を睨む。できるだけ下を見ないようにて、一気に翔け抜けるべく気を溜めた。丹田に力を込め、号令と共に砲弾の如く飛び出せるよう全身を撓ませる。
 いざ行かんと中空を踏み締めた瞬間――

「……?」

 声が聞こえた。足元の竹林から何かの声が。
 今のは……悲鳴?
 
 一瞬躊躇った。聞こえなかった事にして飛び去ろうかとも考えた。しかし

 義を見てせざるは勇なき也。

 もし、誰かが妖怪にでも襲われているなら見捨てるのも寝覚めが悪い。私は黒い竹林の中に降りて辺りを油断なく見渡した。
 暗い。
 異様なまでに伸びた竹の群れが、覆い被さるように夜空を侵している。隙間から見える空が何とも心細い。鍛えているため割と夜目は利く方だが、まるで先が見通せない。私はその濃密な闇に飲まれる代わりに、ごくりと唾を飲み込むと

「誰かいるか! いるなら返事をしろ!」

 大声で呼びかけた。
 ざわ、と竹林が揺れる。

「誰かいないのか!」

 もう一度叫ぶ。
 気のせいかもしれないが、確かにあの時悲鳴らしきものを聞いた。もう一度だけ呼び掛け、それで返事がなければ帰ろうと、もう一度大きく息を吸い込んだ時

「……誰?」

 思いがけず近くで、弱々しい声が聞こえた。
 振り返ればそこには長い銀髪の少女。
 俯いていて顔は見えないが、その銀髪と頭に揺れる二つの異物には見覚えがあった。

「……鈴仙か?」
「……え、その声……妖夢?」

 顔を上げた少女は、確かに私の知る少女。
 だが私の知ってる彼女とは決定的に違う事があり、それは

「お前、目……どうしたんだ?」

 彼女の顔には、白い包帯がぐるぐると巻いてある。
 染み一つない真っ白な包帯が夜目にも眩しい。目元を隠すように幾重に巻かれた包帯は、彼女の白磁のような肌に溶け込み境界も虚ろ。私の問い掛けに「ちょっと狂視の使い過ぎで……」とはにかむ彼女は、私から見ても可憐で庇護欲を刺激される。

「てゐと一緒に薬草取りに出掛けたんだけど……はぐれちゃってね。困ってたんだ」
「そんな目で、か?」
「あぁ、ほら私はこれがあるから。目が見えなくてもそんなに困らないんだ」

 そう言って、萎れた耳をぴこぴこと動かしてみせる。
 あんなに萎れた耳なんて役に立つんだろうかと疑問に思ったが、心地よい人間関係を維持する為にも口にするのは控えておく。言わぬが花、というやつだ。

「だけど空を飛ぶと風で音が聞こえないし、歩きながら帰ろうとしてたんだけどね。さっきそこで転んじゃって」

 そう言ってぺろりと舌を出す彼女は、中々可愛らしい。
 言われてみれば、右足を僅かに引き摺っている。

「そうか……ふむ、良ければ手を貸そうか? 永遠亭までの道は解るんだろ?」
「え、いいよ! 歩きだから時間掛かるだろうし」
「大丈夫。困っている者を見捨てたなどと知れたら、それこそ幽々子さまの顔に泥を塗る事となる。気にしなくて良いよ」
「……ごめんね。本当はちょっと心細かったんだ」
「いいさ。さ、行こ」

 私は鈴仙の手を取って、夜の竹林を歩き出す。
 誰かの手を握っているだけで、さっきまであんなに不安だった心が嘘みたいに軽くなる。
 
「ところで貴女は、何でこんなとこに?」
「う……えーと、その……ちょっと買い出しの途中で」
「ひょっとして……迷子?」
「ば、ばばばばば馬鹿! そんな訳ないじゃない! 迷子だなんて失敬な。斬るぞもう!」
「あははっ」

 確かにこれで幽々子さまに対する言い訳が出来たとか、何とか永遠亭までは辿り着けるとか、キムチをせしめる名分が立ったとか色々打算もあるけれど! 一人で心細かったとか、夜の竹林は何か出そうで怖いとか、(その竹林の奥には……誰も近づかない納骨堂が……)とか言う幽々子さまの戯言を思い出したとか、そんな事は一切合財ないから! ないですないですないですよーだ。

「でも良かったよー此処で貴女と会えて」
「ん……まぁ私も助かったかな?」

 私は鈴仙の手を引いて、夜の竹林を歩く。
 時折、鈴仙が示す方角に向けて私が先導して歩いていく。
 竹林は普通の森とは異なり、足を取られる藪などないから歩きやすいとはいえ、時折竹の根が瘤の様になっている。足元に注意しないと転んでしまうだろう。月明かりすらない竹林は密度さえ感じさせる重い闇に沈み、生温い風がねっとりと四肢に絡みつく。背中を伝う汗が気持ち悪い。右手に感じる鈴仙の温もりがなければ、私は蹲って立ち上がる事も出来なかったかもしれない。

「あ、痛」
「え、あ、すまない。つい力が篭ってしまった」
「うん、大丈夫だから」

 情けない。思わず鈴仙の手を握り締めてしまった。
 剣士たるもの、何時如何なる時も心揺らすなかれ。
 師より賜った教えを改めて噛み締める。未だ至らぬ我が身なれば、何時如何なる時もという訳にはいかない。だがせめて……この手に守るべきものを抱えている時だけでも、強くありたかった。
 あの時、私の手を引いてくれた師の、例え足元にも及ばずとも……その影くらいは踏みたい。
 軽く右手に力を篭める。鈴仙も僅かに力を篭めて握り返す。

 この温もりくらいは、守り通してみせよう。

 誰に対してでもなく己に誓う。
 破ったところで誰に責められる訳でもない誓い。

 だからこそ守り抜く。

 己が己であるために……






 あれからどれくらい歩いただろう。
 鈴仙の指示に従い、夜の中を彷徨い続ける。
 時折、鈴仙からの指示が出る以外はお互いに終始無言。
 月も星もないから、時刻も場所も存在すらも不確か。ただ繋いだ右手の温もりだけが、お互いの存在を確かめる術。

 本当は何か話したかった。
 暗闇に押し潰されそうだったから。

 でも話せなかった。
 何を話せばいいか判らなかったから。

 だから黙して沈む。黙々と歩き続ける。
 目す先は沈んで見えず、竹林は黙して語らず、自分を騙して黙って進む。
 暗い暗いとても昏い。
 小さな頃に閉じ込められた蔵の昏さ。
 目を閉じるよりなお暗い質量のある暗さ。

 何処を歩いているか判らない。
 今、何時なのかも分からない。
 生きているのかすら解らない。

 まるで暗い穴の底に沈んでいくよう。昏い穴の其処には誰がいる? 其処に待ち構えるのはきっと……

「ねぇ」
「――っ! な、何?」

 いきなり掛けられた声に驚いた。
 ずっと手を繋いでいたのに、その温もりだけが私を繋ぎ止めていたのに、今初めて気が付いたように怯えた声を出してしまった。手が汗でぬるぬるする。それを悟られるのは恥ずかしかったが、手を放すなど考えられない。

「どうしたの? そんな大声出したりして」
「あ、いや。何でもない。ちょっと吃驚しただけ。それよりそっちこそどうかしたのか?」
「ん……いや、大した事じゃないんだけど……知ってるかなぁって」
「……何を?」
「噂話」
「噂?」

 私は足を止めて振り返る。
 其処には顔に包帯を巻いた鈴仙の姿。暗い暗い竹林で、彼女の銀髪だけが儚く輝いている。

「噂って?」
「大した事じゃないんだけどね。この辺りに……誰も近寄らない古びた納骨堂があるって噂」

 どくん

 心臓が跳ねた。

 違う違う! 幽々子さまのアレはただの作り話だ。
 ここは里から随分と離れている。子供が度胸試しとはいえ立ち寄れるような場所じゃない。

「……そんな話は聞いた事もないな。さぁ、行こう」

 私は動揺を隠し、鈴仙の手を引いて歩き出す。
 黙々と脇目も振らず、ただ真っ直ぐに突き進む。この方角で合っているのか知らない。ただ立ち止まりたくなかっただけ。

「……その竹林には、里の人間が誰も近寄らないくらい奥に、石造りの建物が建っていたの」

 鈴仙の声が、夜闇に溶ける。
 私はそれを振り切るように足に力を込める。

「……村人達は口を揃えて、あのお堂には近づくなと言っていたそうよ」

 その声が竹林に反響し、何故か遠くから聞こえてくるように感じる。
 私のすぐ後ろの声なのに、それは何故か酷く遠く。

「……あれは納骨堂。死んで骨になった人々を大事に大事に収めてある」

 右手には温もり。
 それだけでいい。それだけでいい。
 声なんかいらない。こんな冷たい声なんかいらない。
 前を見ろ、前を見ろ、前だけを見つめて歩き続けろ。
 足を止めるな、足を止めるな、足を止めた時、その時が――

「……もしも遊び半分でそこに近づくと、恐いものに連れて行かれる、と」
「止めろっ!」


 私は足を止めて振り返る。
 頭にきたから、とてもとても頭にきたから。
 足を止めて、振り返って、そしてその顔をぶん殴ってやろうと思って。

 だから振り返ったのに――それなのに――


「……え?」


 其処には誰もいない。


「え?」

  
 瞬きしても誰もいない。


「え?」

 
 温もりは感じているのに、まだ右手は彼女の手を握っているのに。
 ぽかんと口を開けたまま、自分の右手を見る。
 其処には先程と変わらぬ彼女の温もりと、彼女の白い手首がある。

 ただその白い手首の先には

 何も、何もなかった――



「――っっっ!!!」


 私は思わずそれを放り出した。白い手首がころころと転がる。黒い地面を点々と白い残滓を残して転がっていく。
 頭の中が真っ白で何も考えられない。声も出せない。身体も動かない。転がる手首を白痴のように見据えるだけ。
 判らない判らない、何も判らない。
 解らない解らない、何も解らない。
 腰と背の得物に手を伸ばしたのは、多分染み付いた習慣。
 何を斬れば良いのかすら解らないまま、二刀を構えて立ち竦む。

「鈴仙!」

 声を上げた。なのに答えはない。

「鈴仙!」

 もう一度声を上げた。やっぱり答えはない。

「鈴仙――っっ!!」

 呼吸が侭ならない。自分の声で竹林が震える。私の膝もがくがくと震える。
 唾を飲み込もうにも喉は干乾び、目を閉じたくても眼球がひり付いたように動かない。
 見開かれ乾いた眼球から涙が零れ、震える膝から力が零れ地面にへたり込みそうになる。

 がちがち

 耳に障る嫌な音。慌てて頭を振り被り周囲を探るが、何処から聞こえているものか見当も付かない。

 がちがちがちがち

 自分の歯の音だと気が付いた今も、鳴り響くその音を止められない。
 刀を放り出して耳を塞ぎ、目を閉じて座り込み、泣き叫びながら誰かに助けを求めたい。

がちがちがちがちがちがちがち

「うるさいうるさいうるさい!」
 
 静まれ静まれ静まれ。探さなきゃ。鈴仙を探さなきゃ。守らなきゃ鈴仙を守らなきゃ。
 誓ったんだ、この温もりを守ると。孤独な闇の中で縋ってきたこの細く小さな掌を守ると……自分に、自分に誓ったんだ。
 二刀を構えて闇雲に走る。声を、彼女の名を呼ぶ声を、喉も裂けよと叫び続ける。一寸先も見えぬ闇の中、押し潰されそうな恐怖の中、無我夢中で走り続ける。息が上がる。心臓が軋む。肺が乾燥し、四肢は千切れそう。
 でも止まらない。でも止められない。
 立ち止まったら、きっともう動けない。
 藪に足を取られ転びそうになるのを踏み止まり、目の前に覆い被さる竹枝を両断し、今何処にいるのかすら解らぬまま走り続ける。

 喉が破れ口元に赤い一筋。瞬きを忘れた眼球はすでに枯死。破裂した心臓が口から零れ落ちた時

 ――目の前にそれが現れた。



 はぁはぁ

『古びた土壁はぼろぼろと剥がれ落ちて』
『周りには逃げ出したかのように草一本生えてなくて』
『風すらも避けるのか、鬱蒼と茂る竹林に囲まれながら落ち葉一つ落ちていない』
『ただ赤黒い土が顔を覗かせているだけ』

 はぁはぁはぁ

『それは古びた納骨堂』

 はぁはぁはぁはぁ

『お堂に据えられた観音開きの鉄扉』
『所々に浮いた赤錆は、まるで何かが滲み出しているよう』
『風に鳴る竹の音だけが、ぎちぎちと、ぎちぎちと軋んでいる』

 はぁはぁはぁはぁはぁ

 呼吸が侭ならない。そのお堂から目を離せない。
 動けない、動けない、一歩もそこから動けない。

 嫌だ。此処にいたくない。一秒だってこんなとこいたくない。

 でも動けない。意志に反して身体は少しも動こうとしない。 
 目を閉じる事も、悲鳴を上げる事も、座り込む事も、泣き叫ぶ事も――何一つ、何一つ出来はしない。

「な、何で……」

 やっとの思いで搾り出した声は、脳裏に渦巻く疑問の声。
 何で動く事が出来ないんだ。何で逃げ出す事が出来ないんだ。何で泣く事すら出来ないんだ。
 疑問に答える声はなく、ただびょうびょうと風が吹き、ぎちぎちと竹林を揺らす。
 目の前に佇む納骨堂。
 闇の中にも溶け込まず、月明かりもない暗い夜だというのに壁の傷すら明確に浮かび上がっている。
 
 ずっ

「―――――っ」

 右足が動いた。
 引き摺るように。一歩だけ前へ。
 
 ずっ

 左足が動いた。
 右足に置いて行かれないように。追随するように、だけど確かに。

 ずっずっずっ

 両足が交互に動く。
 引き摺りながら少しずつ前に進んでいく。
 前に前に前に前に前に……お堂に向かって。

「―――――ひ」

 私の意志じゃない。私はあそこに行きたくない。なのに足が勝手に進んでいく。両足を切り落さんと刀を振り上げようとしたが、両腕は相変わらず何一つ言う事を聞いてくれない。混濁する意識を手放そうとしたが、何かががっちりと私の脳髄を掴まえていて気を失う事すら許されない。

 嫌だ嫌だ行きたくない嫌だ嫌だ進みたくない嫌だ嫌だ見たくない嫌だ嫌だこれ以上はもう嫌だ!

 もう目の前には赤錆の浮いた鉄扉。
 そこまで辿り着くと、私の両足はぴたりと動きを止めた。 
 開き放しの両眼が視界をぼやけさせる。鉄扉に浮いた赤錆が生き物のようにうねっている。
 私の心はもうぼろぼろで、もう何も考えられない。
 泣きたいのか笑いたいのか、それすらも解らず頬がぴくぴくと痙攣する。

 もう、いっそ……そう思った時  
 
 視界の端で何かが動いた。

 次いで何かがころころ転がる音。
 遠くでくすくすと笑う声が聞こえ
 すぐ隣でしくしくとすすり泣く声が聞こえる。

『その子はいつの間にか、周囲を取り囲まれていたの』

 幽々子さま、助けて下さい。そんな話はもう止めて下さい。

『身体が動かないから、振り返る事も出来ない』
『すぐ後ろに数え切れない程の何かがいる。その気配を感じている。なのに』
『ただひり付いた眼で、赤い鉄扉を見つめる事しかできない』

 お願いします。お願いします。もう許して下さい。怖いのは嫌です。怖いのは嫌なんです。

『だって鉄扉が、内側から少しづつ開かれていたから』
『扉を開こうとする、青白い手が覗いていたから』

 謝ります。何でも謝りますから勘弁して下さい。助けて下さい助けて下さいお願いですから助けて下さい。

『扉は少しづつ開いていく』
『周囲の気配も少しづつ近づいている』

 何で? どうして? 何でこんな目に? 私ですか? 私が悪いんですか? どうしたら許してくれるんですか? 泣けばいいんですか腹を切ればいいんですか首でも括ればいいんですか何でもします何でもしますからお願いですからどうかどうかどうか。 

『扉が中ほどまで開き、その子の首筋に生暖かい息が吹きかけられ、竹林がざわざわと騒いだ時――』
 
 嫌 助け お願 許し もう 駄目 嫌 ひ 死にた 目が お願 息が 声が 逃げ 嫌 怖 止め 許し 守る 無理 嗚呼 駄目 助け 腹を 許し 嫌 何でも どうか 勘弁 首を 嫌だ 助け こんな 無理です 嫌 助け ひ 嫌 もう 嫌 お願い 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌だ 嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌――――――――――――――――――――――――――――――――!!!



『子供の(私の)首筋に(肩に)青白い(真っ白な)手が』





 私が振り返った時

 そこには長い銀髪の少女の姿。ゆらゆら揺れる二本の耳。

 その白い顔は、白い包帯でぐるぐるに包まれその境界は虚ろ。
 
 びょうと強い風が、白い包帯を剥ぎ取った時

 其処には黒い眼窩が覗いてるだけ。底なしの穴が二つ空いているだけ。






 そして彼女は、空っぽな瞳のまま








 ――にたりと哂った。










 彼女は私を地面に押し倒し、両肩に手を掛け馬乗りになる。
 私の心は真っ白で、もう何にも考えられない。

 地面から無数の白い手が伸びてきて、私の身体を掴まえる。
 男の手、女の手、子供の手、老人の手。無数の無数の無数の数え切れないほどの青白い手が
 顔を胸を足を腕をたくさんの青白い手が、絡み掴み引き摺り倒し私の身体を掴まえる。
 


 馬乗りになった彼女が、もう一度三日月のように哂って、ぐっと両手に力を篭めた。

 私の身体が沈んでいく。

 硬い大地が泥のようにぬかるみ、私の身体を徐々に飲み込んでいく。




 ずぶずぶ                     





                  ははは


 ずぶずぶ




                                     ひひひ

 ずぶずぶ





                    ふふふ



 ずぶずぶ




                                            あはははははははははははははははははははははははははははははひひひはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははふふふははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははしししはははははははははははははははははははははははうふふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははけけけははははははははははははははくははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははひははははははははははははははははははははははははははははははははははははひひひははははははははははははははははははははははははははははははははははははははきききははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははほほほはははははははははははははははははははははははははははははははははは――――――――!!!




 沈んでいく沈んでいく、私の身体がずぶずぶと沈んでいく。
 歪んでいく歪んでいく、私の身体がぐねぐねと歪んでいく。


 でもいいや。これでもう考えなくていいんだ。

 目の前の彼女が狂ったように哂っている。
 その声が残っていた私の欠片を、念入りにじっくりと舐めあげて溶かしていく。
 私の首に白い手が掛かる。優しく包み込むように私の首に手を回す。

 その手に徐々に力が篭る。私の命を締め上げていく。
 ぎりぎりと、ぎちぎちと。


 あはは、そうか。


 沈む前に楽にしてくれるのか。
 

 それはありがたい。とてもありがたい。本当にありがたい。心からありがたい。


 お手数掛けて申し訳ない。それではどうぞ宜しくお願いしま――
























『懶惰「生神停止」(マインドストッパー)』






 その声と共に、全てを射抜く赤い光が奔った。
 私の上の彼女も弾かれたように飛び退き、押さえつけていた無数の手も慄いたように消え去る。

「ほら、立って走るの!」

 横合いから伸びた白い手が、私の右手を掴む。
 私は引き摺られたように立ち上がり、何も考えないまま走り出す。

 手を繋いで走りながら、その右手の先を見る。

 長い絹糸のような銀髪。頭部に揺れる二本の耳。白い顔に輝くは――翳りのない赤い双眸。
 


 嗚呼、綺麗だな……


 とても、とても綺麗だな……











                              はははははははははははは











               ひひひひひひひ






                                      けけけけけけけけけ




くふふふふふふふふ




                        ききききききききき












                                           はははははははははははは

 








 竹林に哂い声が響く。

 何処まで走っても、何処までも追ってくる。
 脳髄に刻まれる哄笑。

 でも私はこの右手の温もり以外、もう何も考えられないから

 最後にもう一度だけ、繋いだ手にぎゅっと力を篭めて










 私は意識を、手放した――
































「……え?」

 遠くから聞こえてくる鳥の囀りに目を覚ます。
 真新しい布団。その布団は柔らかな日向の匂い。
 畳敷きの和室。障子を通して差し込む陽光。板張りの天井。
 一瞬、白玉楼かと思ったが部屋の間取りや調度品に覚えがない。ここは……?


「あ、目を覚ましたんだ」

 障子がするりと開き、一人の少女が入ってくる。
 逆光で顔が見えないが、さらりと伸びた長髪にぴこぴこと揺れる二本の耳には覚えがあった。

「……鈴仙?」
「えぇ、そうですよ」

 鈴仙がお盆を抱えて布団の横に座る。
 その目に包帯は巻かれておらず、赤い瞳は優しげに輝いている。

「鈴仙……お前、目は……」
「え?」

 ぽかんと口を開けたまま停止する彼女。しばらく私達は無言で見つめあっていたが

「あーあーあー目ね。大丈夫、大丈夫よ」

 そう言ってにこにこと微笑んだ。
 微妙に引き攣った笑いが気になるが、頭の奥が痺れて上手く物事を考えられない。
 日が昇っているところを見ると、どうやら私は気を失ってそのまま永遠亭へと運ばれたらしい。

 昨夜の出来事……

 朦朧としていて上手く思い出せない。だけど何故だか――ぶるりと震えた。

「すまない……鈴仙。守ると誓ったにも関わらず、結局お前に助けられてしまった……面目ない」
「あーいいのよ。気にしないで……それより……」

 鈴仙はすっと背筋を伸ばして、一度私を真っ直ぐに見据えると
 がばりと頭を下げて

「こっちこそ……ごめんね!」

 そう言って詫びを入れた。

「へ? いや、謝るのは私の方で、こちらこそすまなかった。白玉楼の従者でありながらあの体たらく。腹を切っても詫びきれない」
「いやいやいや、違う、そうじゃなくて……その……昨日の件なんだけど……本当にごめん!」
「え、いや、だから詫びるべきなのは私の方で」
「いや、だからそれは、えーと、うーと……てゐ! 入ってきなさい!」

 障子と反対側の襖。そこが少しだけ開いて、黒髪と白い二本の耳がぴょこんと覗く。

「ほら、入ってきてきちんと謝りなさい!」
「へ?」

 襖が開き、おずおずと顔を覗かせたのは、因幡の白兎。
 艶のある黒髪に浮かぶは、白い十字架。
 何故か頭におっきなバッテンの絆創膏を貼っている。

「ったく。ごめんね。一応ちゃんと叱っておいたんだけど……ほら、きちんと妖夢に謝りなさい!」

 何が何やらさっぱり解らない。
 私は鈴仙とてゐの顔を交互に見て、改めて昨夜の事を思い浮かべるが、どうも記憶がはっきりしない。
 頭を抱えて唸っているとてゐがそろそろと入ってきて

「……ごめんね」

 と謝った。

 健康的な艶のある肌に浮かぶ潤んだ瞳。
 黒く艶のある癖毛がはらりと瞳を隠し、大粒の涙がその頬を伝う。

「え、いや、許すも何も状況が良く……」
「いいのっ 私が悪かったのっ 酷い事してごめんなさい! 待って、何も聞かないで! そう……悪いのは私。でもね? 悪気はなかったの! 本当よ! ただちょっと悪ふざけが過ぎただけなの……そうね……虫のいい話よね……あんな事しといて許して貰おうだなんて……嗚呼、自分が嫌になる、死にたくなるわ……そうよ、お願いその刀で私を斬って! そうでもしないと許してなんて貰えないわ。さぁ、私は何も抵抗しない。さっさとずっばりやってちょうだい!」
「え、あ、えとその……いや、何が何だか解らないけど、その斬るとか何とかそんな物騒な……」
「え、許してくれるの! 斬らないでくれるの! 本当? 絶対? 嘘吐かない?」
「あ、えと、うん。斬らない斬らないから」
「……許してくれる?」
「……う、うん」

「……ふ、ふふふ。聞いたわ……聞いたわよ……ほぅら鈴仙! 妖夢も許してくれるって言ry ぶべらっ!」

 いつの間にやらてゐの後ろに回っていた鈴仙が、てゐの後頭部に豪快な肘打ちを決める。
 私はさっぱり状況が掴めず、目を白黒させるしかない。

「まったくもう、アンタってば! 全然反省してないじゃないのっ!」
「してる! してるってば! 本当よ、この目を見て!」
「信じられるか!」
「ぐっはー! サミングは禁止ーーーーっ!」

 両目を押さえて畳の上をごろごろ転がるてゐ。
 まったくもう! と呟きながら腰に手を当てる鈴仙。

 何だ何だ一体どうなっているんだ?

「……まぁ、てゐにはもう一回ちゃんと叱っておくから……許して貰えないかな?」
「いや、だから、何を許すのかすらさっぱりでして……」
「あーえっとね……昨日の事なんだけど……てゐの奴、私を驚かそうとして罠を仕掛けてたらしいの」
「へ、罠?」
「そう、師匠特製の幻覚性ガスを利用したトラップ。意識が朦朧としたところに様々な刺激……例えば朦朧としている貴女の手を掴んで、古いお堂に連れてったり、後ろから押し倒したり、ね」
「な!」
「最初は私を引っ掛けるつもりだったみたいなんだけど……丁度そこに貴女が来たもんだから……」
「な、なななな……」

「……だから、その……ごめんね」

 頭の中が真っ白になる。
 怒っているのか、呆れているのか、それすらも判断がつかない。
 頭に血が昇り、言葉も失くし、昨夜の出来事がぐるぐると駆け巡る。

 斬るか?

 思わず枕元の愛刀に手を伸ばし、かちりと鯉口を切ったところで


 ふと、我に返った。


「……いいよ。騙された私が未熟だっただけ。幻覚と言えど、私が貴女を最後まで守れなかったのは事実だから」
「妖夢……」
「うん、許すよ……その代わり……」
「その代わり?」








「キムチを分けて貰えないかな?」





   
 
 
 











 そして私は大量のキムチを抱えて、大空へと飛び出した。
 帰り道は教えて貰ったし、幽々子さまもこれだけ大量のキムチを持って帰れば許して頂けるだろう。
 ふと思い立って振り返ると、そこには竹林に覆い隠されるように建立された永遠亭が見える。成る程、これでは近くまで来なければ見つけられまい。流石は千年に渡って身を隠してきた館。招かれざる客は、辿り着く事すら難しいという事か。

「それにしても……」

 あれが幻覚だったとは。

 首筋にあの冷たい手の感触が残っている。

 濃密な闇の気配を覚えている。

 あの恐怖を覚えている――



 ぶるぶると頭を振って、脳裏にこびり付く夜の残滓を振るい落とす。
 恥じるべきは己の未熟。師であれば初めからあのような幻覚には掛かるまい。

「修行のやり直しだな……」

 もう一度鍛えなおそう。
 揺らがぬように、迷わぬように。

 守ると決めたものを、手放さぬように、最後まで。


 私は今一度口元を引き締め、腰と背のニ刀に誓う。
 己に誓うのでは足りない。魂魄家の歴史そのものであるニ刀に誓う。

「もう二度と……繋いだ手は放さない」


 守るべき我が主。


 その顔を浮かべながら、今一度誓った――
 





























 竹林の奥にひっそりと佇む永遠亭。
 その庭には二羽の兎。
 一羽の兎が、その頭に貼ったでっかい絆創膏を、えいやっと引っぺがす。
 そこには何一つ、傷も瘤も痣もなく


「……ごめんね、てゐ」
「んーまぁ仕方ないよね……あそこだけは……洒落にならないんだから」 



















 そして今夜も




 竹林に、笑い声が響く――
















                                             《終》
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コメント



0.7610簡易評価
11.80名前が無い程度の能力削除
普通に背筋が凍った・・・
12.90KOU削除
怖い話が怖い妖夢はやっぱり半人なんだなぁ・・・。

とりあえずPCやってる自分の後ろに何かの気配を感じたのは気のせいだと思いたい。ガチで。
14.70名前が無い程度の能力削除
おおう、ガチのホラーものとは・・・。
ゾクゾクと楽しめました~。
15.90CODEX削除
こっわぁあ~~~~~~~!
20.80名前が無い程度の能力削除
怪談大好きなんで、おいしくいただきました。
ところでうちの職場の近くは竹林で更にお墓があったりする場所なわけですが、
来週からどうしましょうかね・・・・・・
21.90名前が無い程度の能力削除
心臓がヤバイ・・・
23.90名前が無い程度の能力削除
竹林の恐怖は慧音だけじゃない・・・(汗
26.80名前が無い程度の能力削除
ああ、素敵な藍様だなあ。などとほのぼのと読んでいたのも束の間。
………………ぎーあー。
28.80与作削除
王道的ホラーものっスね。
こういうガチなタイプには耐性があるんで平気でしたが、結構なお手前でした。
ちなみに、個人的に苦手なのは、もっと不気味というか、薄気味悪さとうすら寒さの漂うタイプっす。ゾクッとくるようなヤツ。
いつか書いてみてはもらえないでしょうか?
29.90ぎちょふ削除
ちょ・・・・・・

こえええぇぇぇぇぇぇ!!!!
31.80削除
うわあ、これはまたガチガチにホラーですね。
こういうのもいいですねー。なんつーか永遠亭ならではといった感じが。
と言いつつも……最後のそれって…えっ?…うぎゃぁぁ
32.100駄文を書き連ねる程度の能力削除
幻覚じゃ無い……! 素晴らしい二段落ちでした。ガクブルジョバー
33.60真月 勇削除
ただの一言で「シャナ乙」とか思ってしまった自分はもう綺麗なあの世界には戻ってこれません。

二段オチにはそうきたかー、と思いましたが、
如何せん前半(特に妖夢)に所々見せようとしすぎた部分があったように感じて、
それだけがもったいなかったなぁ、と。
ともあれ、まだ時期的には少し早いかもしれませんが、よい涼がとれました。
35.80変身D削除
これは良い意味でオチの付いた怪談ですな(ガクガク
人が忘れた幻想が幻想郷ならば、人が忘れた恐怖もまた其処にあるんだなあと思いました。面白かったです(礼
36.80名前が無い程度の能力削除
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖いからゆかりんファンタジアでも聴いてこよっと……
39.60闇月往人削除
話の構成、内容、二段オチともに秀逸です。
とても面白く読ませて貰いました。
キャラの性格付けにちょっと無理させすぎた感を受けたのでこの点数を。


あと、シャナ乙wwww
42.90CCCC削除
恐い話を読むと神経が敏感になりますよね。
部屋の隅の”ぎしっ……”と言う音に死ぬほどビビってました。

……て言うかほっと安心したら最後の最後にそのオチですかっ!!
43.90名乗らない削除
すまん、内容も良かったがそれよりあとがきの三文字に得点を入れたい。そこでそれを書くか。神。
48.90名前が無い程度の能力削除
恐ろしい…。夢に出てきそうだ…
49.70名梨削除
怖いって。怖いですって、普通に。 朝から背筋凍るかと思いましたって。
50.90名前が無い程度の能力削除
こ、こわぁ…
読んだのが朝だったから良かったようなものの。
これが夜中だったら背後が気になって仕様がなかったでしょう…。
兎にも角にも、
あるた前で待ってるよ。妖夢タソ(´・ω・`)
60.90名前が無い程度の能力削除
ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーす!!
いーやー!こーわーいー!!

あとてゐが意外にいい人なのが良かったです、ハイ。
64.80名前が無い程度の能力削除
怪談を、本当に「怖い!」と読者に感じさせるのは本当に難しいと思うんですよ。ちょっとやそっとじゃ冷静に読んでしまうので。
まぁでも、これはその……なんというか……。
今日は明かりを点けたまま寝ようと思います、ハイ。
75.100名前が無い程度の能力削除
いやぁー、怖かった。お見事!

個人的に笑いの部分もツボで超楽しめました。次回作も期待してます。
77.100名前が無い程度の能力削除
う、丑三つ時に読むんじゃなかったーッ!!!!
81.100無銘削除
ひさびさに恐怖を感じました・・・
95.無評価床間たろひ削除
読んで下さった方々、コメント下さった方々。本当にありがとうございましたw
全てのコメントにレス返したいのですが、本編より長くなりそうなのでご容赦下さい。
「怖い」そう感じて下さった方々、本当にありがとうございます。グロやスプラッタ、サイコと怖い話は多々ありますが、私が子供の頃怖かったのは、やっぱり近所の兄ちゃんが語る「怪談」で、近所にある竹薮と納骨堂が理由も理屈もなく恐ろしく感じたものでした。兄ちゃんの語る怪談は、納骨堂の周りを生首がころころ転がる……ただそれだけの話でしたが、子供の頃とはいえ寝小便を漏らす程怖かったのです。
あのシチュエーション、夜の空気、兄ちゃんの語り口、そして庭の隅で確かに感じた何かの気配……それを少しでも伝えられたら幸いですw

あと「うるさいうるさいうるさい!」に突っ込んでくれて、ありがとうございましたw

与作さん>んーと例えばプチの方で上げてる「アカノイト」のような感じですかね? 怖さのパターンについてはこれからも書いてみたいので、その時はどうか宜しくおねがいしますw

では改めて読んで下さった皆様、本当にありがとうございましたw
100.80aki削除
うわーい面白い話だったのにいつの間にやらホラーになってるー。
うーむ。幽霊(?)たちの笑い方、あれはすごいなぁと思いマス。
スバラシイ。
101.100跳ね狐削除
ギャーっす!!
これから寝ようとしている人間には堪える!
つか自分は暗所恐怖症でお化け怖いのになんだってこんなの読んでるんだ!?
それでも最後まで読ませるその文章力に乾杯!
誰か助けてくれよ~(((( ;゚Д゚)))
109.80翔菜削除
うーん、怖かった、と言えば怖かったんですが失礼ながらどうもびびびと来なかったのです。
っていうか何で僕はニヨニヨしながら読んでたんだろう。
で、怖いとか怖いくないとかそう言うのよりも気になったのは。


うどみょん、うふふ。
116.100煌庫削除
ひひひー!こえー!だから最高ぅー!
117.90名前が無い程度の能力削除
ひ~、なんとも怖くて、かつおもしろい話でした。
こういう話がまた読みたいです!!
ご馳走様でした!!
140.90名前が無い程度の能力削除
最後までひどい悪戯だと思い込んでました。
面子が面子だけに(スキマと亡霊)やりかねない、と。
いや、薄々おかしいとは……読み返し中……怖い!怪談じゃないか!(遅

怪談だと分かったら「繋いだ手の温もり」が余計に暖かいと感じた。
148.90名前が無い程度の能力削除
締めとか特にうまい…
160.100無を有に変える程度の能力削除
さすがは幻想というところなのでしょうか
162.100時空や空間を翔る程度の能力削除
場所が場所だけに恐怖心が広がりますね~

怪談話も良きかな・・・
167.90名前が無い程度の能力削除
こわか~
169.80自転車で流鏑馬削除
怖かった・・・
174.100名前が無い程度の能力削除
ほっとさせた後、たった一言で突き落とす。
これぞホラーの醍醐味。実にお見事でした。
175.70魚枯削除
これは上手い。
怖いかと言われると疑問符ですが、ラストまでしっかり楽しめました。
183.80名前が無い程度の能力削除
寝る前に読むんじゃなかった・・・
185.100名前が無い程度の能力削除
ネタばらしと思いきや最後の〆
鳥肌たちますた((( ;゚Д゚)))
187.100牧場主削除
怖い……
怖いけど…包帯の鈴仙(?)に萌えた
188.80名前が無い程度の能力削除
王道的ですが上手い!
191.90名前が無い程度の能力削除
ガチホラーこえええ・・・
193.80名前が無い程度の能力削除
こういう ガチホラーに対抗できるのは幻想郷でも千年単位の大妖くらいなんだろうなあ。
こええ。
194.100奇声を発する程度の能力削除
これは凄い…
202.100削除
こっえええええええええええええ!!
ホラーの雰囲気づくりがとてもお上手。参考になります。


今日は眠らんとこ……