『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。』
『その中へ天磐船に乗って、とび降った者がある』
「思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるに良いであろう」
「きっとこの国の中心地だろう」
「そのとび降ってきた者は饒速日というものであろう」
「そこに行って都を造るにかぎる」
そして彼らは日向の国から海を渡ってきた。
一年と、七年と、八年の歳月を掛けて。
§ § §
大和の国の忍坂にある、とある集落。
住居である土室の中で火を囲んで昼食を取っていると、父と母の間でとある話題が出た。
「随分前に、侵略軍が波速の国から上陸したが、那賀須泥毘古殿が散々に打ち破ったって聞いただろ?」
私もその話は聞いた事がある。
でも、随分前だったはずだけど……
「えぇ、それがどうしたんです?」
お母さんが相槌を打ちながら、私に木の実を砕いて捏ねて作ったパンを手渡してくれる。
パンを受け取った私はキノコのスープをよそって二人の前に出す。
「その侵略軍が、今度は南から上陸し、宇陀に迫っているらしい」
お父さんが難しい顔をしながら、受け取ったスープを一口すする。
私は特に興味が無いので、パンを頬張る。
もぐもぐ、うん、今日のパンもおいしい。
「それは大変……ッ、でも宇陀には宇迦斯の一族が居るから……」
宇迦斯の一族はここらの豪族の一つである。
彼らが居るから安全と楽観する母の言葉に、父が静に答える。
「その宇迦斯一族なんだが……、敗れたらしい……。今日その報せが入った」
「……ッ」
「それで、今日、な……」
お父さんはそこで私の顔を見る。
「ん?」
「……この話は後にしようか、さぁ、食べるぞ」
「えぇ」
それっきり、お父さんもお母さんもその事については話をせず、昼食に集中した。
草花が我が物顔で生い茂り、成長した木々が高々と立ち並ぶ。
野生の獣達は奥深くに縄張りを構え、鳥達は優雅に空を舞う。
大いなる自然そのもの。
それが、山。
そんな山で生きるには、自然と共存しなければならない。
獣を恐れ、草木に頼り、天を敬い、地に感謝する。
そして、自らの食料は自らの力で確保しなければならない。
――自給自足。
それは、自然の中では自分の身は自分で守るのと同様、集団生活において当然の規則。
それらに加え、お互いに助け合う事も重要だった。
昼食を終えると、夜のご飯のために、父は他の大人と共に狩りに出かけた。
「うんしょっと」
父が出かけてから暫くして、少女は土室の脇に置かれた籠を背負う。
少女は既に、17回も冬を経験している。
もう子供ではないのだ、食い扶持を得るために彼女も働かなくてはならない。
「お母さん、木の実採りに行って来るよ」
奥で倭錦を織っている母にそう告げる。
「あんまり遅くなるんじゃないよ、最近は物騒だからね」
「はーい」
少女は元気良く返事をすると、自分の『仕事』である木の実採りに向かった。
山に住む彼らは、総じて身体能力が高く、頑強な肉体を持っていた。
それは女子供も同様で、木の実取り程度なら苦も無くこなせれた。
この日は狩りが大成功だったようで、集落の皆でイノシシの肉を分けて食べた。
世界は少しだけ物騒な事になってるけど、私の周囲は概ね平和。
いつもと変わらない、忙しくて、心休まる毎日。
でも、そんな平和も永遠じゃない事を、私は知った。
§ § §
まだお日様も昇っていない、暗い朝。
ボソボソと聞こえる喋り声で私は目を覚ましてしまう。
この声は……お父さんと……、お母さん?
むくりと起き上がると目を擦りながら声のするほうに近寄る。
「んぅ……、ねぇ、何はなしてるのぉ?」
「む……、それじゃあ私は行ってくる。後は頼んだぞ……」
「はい、気をつけてくださいね……」
私が部屋に向かうと、お父さんは出かけてしまった。
「あれ……、お父さんもう出かけるの?」
「えぇ、今日は早めに出かけて……、えっと……、ここらの主を倒すんだってッ」
ここらの主……、あの、額に傷のある熊の事?
「ふぅん……」
「だから、木の実取りも行かなくていいからね」
「うん……、もう少し寝てていい?」
「えぇ、ご飯ができたら起してあげるわ」
私は眠たくて眠たくて、首だけで返事をすると、自分の部屋に戻って寝直した。
ユサユサと体を揺らされ、夢の中から現実に引き戻される。
「んッ……ぅ」
「ほら、起きなさい。ご飯が冷めるでしょ?」
そうやって私は起されて、食事を済ませた。
朝早く出かけてしまった父。
いつもより遅い朝食。
それに、なんだろう……、いつもと違う……
そうか、静過ぎるんだ。
いつもなら、集落で大人たちの話し声がするから……
やっぱり、何かあったんだ……
気になる……
好奇心が、私の中で鎌首をもたげる。
「お母さん、私木の実取りに行ってくるね」
「あ、こらッ、待ちなさい」
私は籠を引っつかむと、母の制止も聞かずに土室を飛び出した。
飛び出したは良いが、少女に宛があるわけではなかった。
「……とりあえず、木の実を拾いながら歩こうかな」
拾っておけば、帰ったときのいい訳にもなるからね。
暫くの間、木々の間を木の実を回収しつつ歩き回り、彼女は朝の事を思い出そうとしていた。
「んー……、なんだったかな?」
おぼろげな記憶を必死に辿る。
えっと……、ここ周辺の主を狩りに出かけたんだっけ?
確かそう言ってた筈。
でも、熊の事は話で聞いただけで、居る場所までは知らないなぁ……
少女はどうしたものかと呟きながら、籠の中に木の実を入れて山を歩いた。
籠が半分程木の実や山菜で埋まった頃、少女は開けた場所に出た。
「あ……、道に出ちゃった……」
山の中とはいえ、集落があるのだから、人が行き来する為の「道」はある。
そして、道があるという事は人が行き来する事がある。
「誰か……、来た……」
遠くで見えた人影は、一定の速度でこちらに向かってくる。
近づくにつれて、その向かってくる人影が集団である事が判る。
その人の多さに、その人の格好に、少女は恐れ慄いた。
「ぁ……」
鎧と槍で武装した屈強な男達が、まっすぐこちらに向かってきているのである。
この人達って……まさか……
脳裏に浮かぶ、両親の会話。
思い出し、少女は身を震わせる。
侵略軍……ッ!
先頭の男――兵士達は少女を見かけると駆け寄って彼女を包囲した。
「貴様ッ、ここで何をやっている!」
四方向全てから槍を突き出される。
「ぇ……、えッ、え?」
「なんだぁ、痛い目に会わなきゃ言えないのか?」
槍の穂先が少女に迫る。
少女は目に涙を浮かべ、木の実採りをしていた事を伝えようとする。
「ヒ……ッ、わ、わた、し……は……」
しかし、恐怖で口が震えてまともに喋れない。
ど、どうしよう……、わたし、殺されちゃうッ
泣き出しそうになった時、兵士達の背後から一人の男が現れる。
「どうしたお前達……、隊列が止まっているではないか」
威風堂々とした態度の男は、数人の供を連れていた。
「伊波礼毘古様、土蜘蛛の娘を見つけました」
つちぐも?
土蜘蛛って……何?
私が聞きなれない言葉に疑問を持っていると、伊波礼毘古と呼ばれた男の傍らに立つ偉丈夫が口を開く。
「偵察かもしれません……、切り捨てますか?」
背に背負わなければいけないほどの大きな剣の柄に手をやり、ギラリと抜く。
伊波礼毘古は私を一瞥すると、フンと鼻を鳴らす。
「経津主よ、その必要は無い。小娘ごとき放っておけ……、我々には退路が無いのだ。必ず勝ち進まねばならん、その為には何が必要だと思う?」
「……正確な情報と、速やかな行軍と、補給の確保です」
「判っているのなら小娘なんぞ無視して行軍を再開しろ」
「ははッ」
命令に従い、経津と呼ばれた男は抜いた長剣を鞘に収める。
同時に、兵隊達は少女の包囲を解いた。
「ぁ……、あ……」
た、助かった……
安心したとたん、力が抜けてペタリとその場にしゃがみ込んでしまった。
そんな私の事は気にも留めず、伊波礼毘古は部下と思われる人々に矢継ぎ早に指示を出す。
「高倉下よ、隊列を正し進軍を続けるように大伴と道臣、弟宇迦斯、金山彦に伝えろ」
「はい」
「賀茂建角身、磯城への案内を続けてくれ」
「ははッ、磯城の途中に集落があるので、まずはそこを目指します」
部下がそれぞれ散らばると、伊波礼毘古率いる軍勢はしゃがみ込んだままの私を避けて進み始めた。
通り過ぎてゆく兵隊達が、私を下卑た目で見てゆく。
まるで、獲物を見るような目で、少女の体を視線で汚し、歩を進める。
その、ねっとりと絡みつく視線が怖くて彼ら兵隊が見えなくなるまで座り込んだままだった。
最後の一人が通り過ぎ、姿が見えなくなったのを確認して肺腑にたまった息を吐き出す。
「――ッはァ、ハァ」
やっと、居なくなった……
恐怖と緊張が解けても、少女に安息している時間と余裕は無い。
大人達の朝早くの狩り。
侵略軍との遭遇。
いくら興味がなくても、簡単な推測はできる。
大人達は侵略軍と戦いに、朝早く出たのだ。
少女は籠を放って、侵略軍が来た道を走り出す。
「お父さん……、みんな……無事でいてッ」
星神様――天津甕星様、どうか、どうか皆を無事で居させて……
§ § §
息を切らせながら、少女は懸命に思い出す。
長期の狩りの場合、雨露をしのぐ場所が必要になる。
「この周辺にも洞窟が一箇所あった筈……」
狩りと戦争は相手が逃げるか襲ってくるかの違いだ。
だからきっと、お父さん達は洞窟を使ったに違いない。
道沿いから、記憶を頼りに森の中に少しずつ入って行き、暫くしてその洞窟を見つけた。
「あ、あった……ッ」
草木を掻き分けて進み、洞窟の前まで近寄る。
「ん? なんの匂いだろ……」
鼻腔の奥を刺激する、嗅ぎなれた不快で不吉な匂い。
少女はその先の光景をぼんやりとだが、確信していた。
しかし、それでも自分の目で確認しなくては……
少女は最後の茂みを乗り越え、その惨状を目の当たりにしてしまう。
「ぁ……ッ、あッ、ああぁ……ッ」
散らばった料理と、砕かれた食器。
そして、血まみれで横たわる男達の姿。
どれも少女の見知った顔だった。
「うわぁあぁあああッ」
鼻腔を突く匂いの正体は、血の匂いだった。
八十梟師の称号を得る程、精強な集団が全て例外なく、血の海に倒れていた。
どの大人達も武器らしいものは持たず、深すぎる傷からおびただしい量の出血をし、息絶えていた。
しかし、その中で未だに蠢いている男が居た。
どうにかして生きようと必死に手を動かし、もがいていた。
少女はそれに気がつくと、急いで傍らに駆け寄る。
「だ、大丈――ッ」
少女は男を抱き起こして息を呑む。
もがいていたのは、彼女の父親だった。
「お、お父さんッ!? お父さん、お父さんッ」
「ハァッ、――ハッ、お前か……、気を……つけろ、奴等……、和平のッ、宴と……偽り、騙まし討ちにしてきた……ッ」
父親は、爪の剥がれた血まみれ手で、少女の手を握る。
「集落――ッ、集落が、ハァッ、皆殺しに……ぐゥッ」
「しゅ、集落が危ないの? ねぇ、お父さん、お父さんッ!」
何度揺さぶっても、少女の父親は二度と目を開けることは無かった。
§ § §
父親の埋葬すらせず、少女は泣きながら来た道を引き返した。
「ハァッ、ハァッ」
みんな殺された……
騙まし討ちにあって殺された……
このままじゃ、集落のみんなもッ
少女の体は疲弊していたが、それでも懸命に走り続けた。
集落にこの事実を伝える為に。
間に合わないと判っていながら、少女は集落へ急いだ。
「――はッ、ハッ、ハァ」
痙攣した足を引きずりなりながら、息も絶え絶えになりつつも、少女は集落の付近に辿り着いた。
集落からは剣戟の音や、悲鳴は聞こえてこない。
「ハァ、無事……、かな? ハァ、ハァ」
もしかして、侵略軍はこんな小さな集落には見向きもせずに先へ進んだのだろうか?
そんな淡い期待を抱いて集落の入り口近くに歩を進め、少女は愕然とする。
「ッ!」
集落の外まで溢れる血の匂い。
そんな……ッ、そんな……ッ
集落に駆け寄ると、すぐに惨状が目に飛び込んでくる。
地面に血溜りができ、そこに数人横たわっていた。
さらにその奥には人の破片と思しき物が転がり、土室の入り口に見えるのは血だらけの手。
やはり、少女は間に合わなかったのだ。
「そんな……、どうして……ッ」
脱力した少女は、ガックリと膝を突く
どうして私達がこんな目に遭わなきゃいけないの?
山や川からその日の食料を得て、ただ必死に一日を生きているだけなのにッ
それ以上は求めていないのにッ
なんでッ?
どうして私達がッ
『同じ人間』なのに、騙まし討ちにまであって殺され、滅ぼされなきゃいけないの?
少女は振り上げた拳で、地面を殴りつける。
本当なら、兵士の一人でも殴りつけてやりたい。
でも、怒りを向ける矛先があまりにも大きすぎたのだ。
「ちくしょう、ちくしょうッ」
拳が擦り切れても少女は地面を殴り続けた。
何度も、何度も。
「ん? へんな音が聞こえないか?」
「お、おいッ、あそこに居るのは土蜘蛛じゃないのか?」
集落の奥から、見回りの兵士が数人現れる。
「ッ!」
少女も兵士達に気がつき、飛び起きる。
ギリリッと血まみれの拳を握り締め、今すぐにでも飛び掛ってその首を噛み千切りたい衝動に駆られた。
「……クゥウウッ」
足に力をこめて、今にも飛び掛ろうとした時、後方からわらわらと兵士がやって来る。
全員が手には武器を持ち、鎧に身を固めていた。
「―――ッ!」
少女はそれをみて、己の考えが甘いことを悟った。
数が……、多すぎる……
このまま飛び掛っても無駄死にするだけだと理解すると、脱兎の如くその場から逃げ出した。
「貴様ッ、待て!」
十人ほど集まって追いかけて来たが、疲労していても身軽で山に慣れている少女と、山に不慣れで鎧を着込んだ兵士では差が広がるばかりだった。
兵士の言葉で確信した。
あいつらは、私達を人間とみていない。
土蜘蛛という、人間以外の存在として見ているから、虐殺も騙まし討ちも平気なんだッ!
「ちくしょう、復讐してやるッ、絶対にだッ、絶対にッ」
少女は駆けながら決意した。
§ § §
それから少女は、軍の後をつけて復讐の機会を待った。
草陰に潜み、息を殺す少女の姿は泥で汚れ、やつれていたが、目は爛々と輝いていた。
群れという物は、そのリーダーを叩けば壊滅する。
これは、リーダーの権限が強ければ強いほど効果がある。
狩りに付いていった時に、父親に教えられた事だった。
そうだ、命令を出してる奴が元凶なんだ……
「そうすると……、アイツか……」
伊波礼毘古と呼ばれた男。
「あいつの命令で全員動いてたから……」
あいつを殺せば……
しかし、そう簡単にはいかない。
草陰に隠れ潜みながら隙を窺ってはいるが、行軍中も、駐屯中も、昼も夜も、厳重な警備体制だった。
「絶対に……、機会はあるはずッ……、それまでは……」
少女にできる復讐は、伊波礼毘古が一人になった時を襲うこと。
そのチャンスが巡ってくるまでは、見つかる事はもちろん、不審に思われるのもダメだ。
さらに、いつ訪れるか判らないチャンスを見逃してはならない。
そんな二重のプレッシャーの中、精神と肉体をすり減らしながら、少女はひたすらに待った。
そんな小さな敵意が潜んでいる事など知らない侵略軍は、次の戦場へと兵を進める。
「次は……、磯城一族か?」
あの一族はかなり大規模な軍を持っている。
「きっと、戦いの最中にチャンスが訪れる筈……」
両軍入り乱れての乱戦になれば、少女にも復讐のチャンスが巡ってくる。
しかし、全てにおいて侵略軍の方が上手だった。
まず、戦う前の説得で磯城一族の副首領である弟磯城が侵略軍の軍門に下った。
さらに侵略軍は部隊を、男軍と女軍とに二分すると、女軍を囮とし、主力である男軍を迂回させたのだ。
磯城一族の首領・兄磯城はまんまと策略に引っ掛かり、前後から挟撃を受けて攻め滅ぼされている。
少女は歯噛みした。
「まだだッ、まだ、那賀須泥毘古様が居る!」
侵略軍はきっと登美を目指すと予想できた。
そして、登美には首領であり、英雄でもある那賀須泥毘古が居る。
あの英雄は前にも一度、侵略軍に完勝している。
それに、賢人であり、共に首領を務める饒速日様もいらっしゃる。
「那賀須泥毘古様なら、きっと勝利してくださる……ッ」
それだけを頼りに、少女は息を殺し、身を潜め、じっと耐えた。
§ § §
侵略軍と、迎撃軍の戦いは熾烈を極めた。
なにせ周辺で大規模な軍事行動ができる豪族が登美の豪族だけと両者が知っているからだった。
那賀須泥毘古は登美には饒速日を守備隊として置き、兄の安日彦と共に精兵を率いて迎え撃った。
特に、那賀須泥毘古の剛弓は敵兵を確実に射抜き、恐れられた。
終始、迎撃軍が戦いを有利に進めていたのは、那賀須泥毘古の活躍だけではなかった。
これまでの戦の報告を受けていた為、どの部隊が精強であるかが判っていた。
大伴と道臣、そして経津主である。
かれらの部隊は安日彦の部隊に足止めされ、その力を発揮できなかったのだ。
遠からず、近からずといった場所に潜んでいた少女はほくそ笑んだ。
「このままいけば……、那賀須泥毘古様の勝利ッ!」
しかし、少女には気がかりがあった。
侵略軍の後方に、戦いに参加しない部隊があった。
「なんだろう?」
総力戦だというのに、とても不自然だった。
侵略軍、迎撃軍がお互いに距離をとった。
最後の突撃である。
丁度、両軍が隊列を整えている時、視界の縁で動かなかった部隊が動き出した。
「ん?」
一瞬気になるが、少女にはどうすることもできない。
少女は、戦場で拾った剣を握る。
突撃が始まったら、彼女も戦いに参加するつもりだった。
乱戦の中、伊波礼毘古を殺す為に。
そしてその瞬間を待つ。
軍の只中で、伊波礼毘古は弓の先端に付いた金鵄の飾りを掲げた。
それが突撃の合図だったらしい。
同時に侵略軍の突撃が始まり、迎撃軍も突撃を開始する。
「自分から目印を掲げたな!」
少女も戦場に駆け出した。
両軍の先陣同士が怒号と共にぶつかり合う。
お互いの武器に体を貫かれ、味方に踏み潰され、死体がどんどんと産み出される。
突撃の衝突力が無くなり、両軍が入り乱れ始める。
少女は戦場へと駆けに駆けた。
このまま乱れが拡がれば、必ずチャンスが巡ってくる。
泥にまみれ、やつれた顔が歪む。
「コロシテヤルッ」
少女は独りになってから、初めての笑顔だった。
少女は戦場に飛び入ると、伊波礼毘古を探した。
「どこだッ、あいつは……ッ、どこだァ!」
優れた身体能力で攻撃を掻い潜りながら、血走った目で周囲を見わたす。
「見つけたッ!」
金鵄の飾りが目印となり、すぐに発見できた。
が、その金鵄の飾りが大きく振り回されていた。
「な……、何をッ?」
呆気に取られた瞬間、部隊の側面方向から怒号が響く。
同時に、迎撃軍は隊列を崩されてしまう。
先程まで動かなかった部隊――温存されていた金山彦の鉄器部隊が迂回し、側面を強襲したのだった。
「そ、そんな……ッ」
押されていた侵略軍が、勢いを盛り返す。
各部隊が奮戦し、応戦する中少女はまたも逃げた。
迎撃軍はどうにか態勢を立て直すと、侵略軍は追撃を辞めた。
後方に登美の守備隊が出張ってきたのだ。
これは、迎撃軍が優勢な時、ダメ押しの為に呼び寄せたのが丁度到着したのだった。
少女がどうにか木陰に身を潜める荒い息を整えていると、両軍から使者が行き来し始める。
「ハァ、ハァ……、どうしたんだろう?」
なにやらこちらを指差して頷きあうとお互いの軍に戻っていった。
「なんだろう……、とりあえず、登ろう」
本当ならすぐにでもこの場所を去りたかったが、この周囲に隠れるのに適した場所が無い為である。
どうにか木によじ登ると、石の様に静にし、息を潜める。
両軍から少数の部隊がこの木に近づいてくる。
「……」
お互いに矢の届かない距離で止まると、2人ずつ木に歩み寄ってきた。
どうやらお互いに所持している武器らしきものは、腰に佩いた剣だけである。
「あっちは……、那賀須泥毘古様と饒速日様……。それに向こうは伊波礼毘古と経津主……ッ」
4人は木を中心にして、一定の距離まで近寄ると立ち止まり、なにやら話し始めた。
§ § §
両軍が会談に臨んだのは、お互いに疲弊しているからであろう。
「このまま戦に敗れ、死を選ぶか? それとも降服し、我らに尽くすか?」
威風堂々とした男――伊波礼毘古は降服勧告を行った。
「降るのは海を渡ってきた貴様らだろう。何故自らの領地だけで満足しない? 何故我らの土地を奪おうとする?」
手足が長く、屈強な男――那賀須泥毘古が大音声で正論を吐く。
「言葉を返そう、そこにいる饒速日も海を渡ってきたと聞くが、そやつも貴様の領地を狙っているとは考えないのか?」
伊波礼毘古は、二人は今や同じ地位なのだから、蹴落とされればそのまま全て奪われる事を指摘した。
さらに、うまくいけば仲違いも見込めるような内容でもある。
しかし、那賀須泥毘古は饒速日に絶対的な信頼を置いていた。
「馬鹿を言うな! 饒速日は、その知識で我々に益をもたらした。だから妹を与え一族とし、同じ首領の地位としたのだ!貴様らと一緒にするな!」
軍事権限の殆どを那賀須泥毘古が掌握してはいるが、政治権限については饒速日に大部分を任せるほどだった。
那賀須泥毘古の一歩後ろにいた初老の男――饒速日が、ボソリと呟いた。
「……同じですよ」
その呟きに、伊波礼毘古はニヤリと口元を歪ませる。
「な、なにッ!?」
那賀須泥毘古が振り向いた瞬間、饒速日は腰に佩いた剣を抜き放ち、一刀の元に首を刎ねた。
英雄のあっけない最後だった。
血糊を拭き取り剣を鞘に収めると、饒速日は恭しく礼をする。
「お待ちしておりました、伊波礼毘古様」
伊波礼毘古は肩の力を抜くと、ゆっくりと歩み寄り、労いの言葉を掛けた。
「ご苦労、饒速日」
§ § §
目の前で信じられない事が起こった。
賢人と呼ばれ、見知らぬ技術を私達に伝えた饒速日様が、英雄・那賀須泥毘古を殺害したのだ。
「な……、なんで……?」
幹に捕まっている手に、力が込められる。
ミシッっと音がして、幹に爪が食い込んだ。
「なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんで――ッ」
腰に挿しておいた剣を抜き放ち、逆手に持つと木の枝を蹴り、少女は伊波礼毘古に飛び掛った。
「全部ッ、お前がァアアアッ」
凶刃が煌き、殺到する。
完全に気を緩めていた伊波礼毘古は動く事すらできず、礼をしていた饒速日は、剣を抜く事もできなかった。
しかし、血を流したのは少女だった。
「ゥ……、ガフッ」
少女は口から鮮血を吐き出す。
271㎝の直刀が、少女の腹を突き破り、赤く染まって背中から突き出ていた。
木の軋む音を聞いた経津主が、咄嗟に反応した結果だった。
「フンッ」
経津主はそのまま直刀を地面に突き刺し、少女を動けなくした。
伊波礼毘古が少女の顔を覗きこむ。
くそッ、こんなに近いのに、体から血と体温が逃げてゆく……
体が、動かせない……ッ
「泥と血にまみれ、やつれてはいるが……、あの時の小娘か?」
「な……、んでッ」
どうして侵略なんて、と言いたかったが無理だった。
「……そうだな、黄泉路への土産に教えてやろう」
どうやら通じたらしい。
「饒速日はこの日の為に送り込んだ私の部下だ。彼には色々な仕事をしてもらったよ。各豪族に離反者を作ったり、この地の地理や戦力を伝えるなどな」
くそう、最初から……、全部仕組まれていたというのかッ
少女は言葉にする変わりに、目でそれを訴える。
「そして、これからこの地は土蜘蛛に変わって我ら人間が治める事になる。判るか? この世は我々『人間』が統一し、支配する」
その為に、元々住んでた奴等で従わないものは全て殺すのか?
「ガハッ、ゲホッ……、ハヒュー、ゲフッ、……ハァ」
肺に溜まった血が吐き出される。
少女は最後の力を振り絞って、肺腑に空気を溜めると、一気呵成に恨みの言葉を吐き出した。
「ちくしょうッ、恨んでやる! 呪ってやる! お前を、お前達を、ニンゲン全てをッ、私はッ、絶対にッ、オマエ達に復讐してやル……ッ」
死の間際に、呪いの言葉を残すと、少女の体は冷たくなり、それっきり動かなくなった。
少女は18回目の冬に、死んだ。
§ § §
その日の夜、伊波礼毘古は饒速日と共に戦勝祝いの酒を静に飲み交わしていた。
「どうやら安日彦は一族を伴って東へ逃げたようだな」
那賀須泥毘古が死んで、饒速日が帰順すると、安日彦は逃げ出して戦いは終了した。
「はい、今は足元を固める必要があるので追撃は……」
「よい、判っておる。残るは新城戸畔、居勢祝、猪祝、高尾張、か……」
部隊を再編成し終えれば、また戦が始まる。
「なぁ、饒速日……」
酒まだ残っている盃を床に置き、伊波礼毘古は呟く。
「私は……、後世に悪王として名を残すんだろうな」
初老の男――饒速日も、同じように盃を置く。
「しかし、この国の未来の為に……」
彼らが日向の国を発ったころ、戦乱の真っ只中だった大陸が統一された。
それがどれ程この国にとって重要で重大な事か。
圧倒的に進んだ文明。
それに比例した軍事力を持つ超大国。
伝説視されている日の巫女ですら、大陸の北半分を制圧した勢力に朝貢し、国の保身に全力を掛けた。
それ程、大陸の侵攻を恐れたのである。
そして、いつか来る大陸侵攻の為に、統一国家を作らなければならなかった。
「あぁ、それは判っている。女子供にまで恨まれても、そしてそれらに手を掛ける必要があろうとも、私はやり遂げる」
伊波礼毘古は盃を呷り、酒を一気に飲み干す。
「そうですな……、その為に同じ人間を土蜘蛛と呼んでも……」
饒速日も主人と同じ様に盃を呷った。
§ § §
少女は恨みを持ち、呪いを吐いて死んだ。
その恨みの力、呪いの邪気は相当なものだった。
少女の肉体は滅んでしまったが、その魂は彼岸には行かず、幽体を新たな肉体とし、悪霊となり現世に留まった。
その後の少女は、逃げた安日彦に加担し、奥州に勢力を作らせた。
また、阿弖流為に力を与え、勇者とした。
永い時を経て、彼女はいつしか心を操る術を会得した。
安部氏の心を惑わし、反乱を起させた。
この反乱は戦乱を呼び、多くの人間の命が失われた。
その事から、いつしか彼女は『魅魔』と呼ばれるようになる。
そして、土蜘蛛の血が薄れ、まつろわぬ民が忘れ去られた頃。
同じく忘れ去られた魅魔は幻想郷に迷い込み、唯一の巫女である、博麗の者に調伏され、封じられる事になる。
§ § §
そして時は流れ、魅魔は封印を破って脱出するのに成功する。
脱出する際に、巫女と一悶着あったが消耗していたために逃げ出した。
幻想郷を彷徨った魅魔は、ここが色々な世界と隣接している事に気が付いた。
そして、魔界と現世の狭間――幻夢界
ここを拠点とするために靈魔殿を建設した。
「――ったく、あの巫女め、なんて事してくれるんだい……」
自分が封じられたのは、今まで自分と戦える存在が居なかったせいだ。
そう、全ては油断したから。
魅魔はそう自分に言い聞かせる。
「じゃなきゃ人間なんぞに……」
しかし、あの巫女の封印を破るのに相当な力と時間を消耗してのも事実だった。
「まぁ、時間なんて有って無い様な物だからいいけど、力の消耗はねぇ……」
消耗した力も時間と共に回復する。
それは安静にしていればの話だ。
あの巫女と再戦するのなら、今度こそ万全を期して望みたい。
「となると、手足となる存在が欲しいねぇ」
戦いは情報戦である。
だが、手足となる存在にあの巫女の事を調べさせる訳ではない。
自分で調べた方が絶対に早いし、ある程度の情報は既に集まっている。
魅魔を封印した巫女は既にこの世には無く、今は博麗神社13代目の巫女を博麗霊夢が勤めている。
手足となる存在には、力が回復するまでの間、盾になってもらわなければ困る。
つまり、それなりに力がなければいけない。
彼女は靈魔殿を出ると、力ある存在を探しに出かけた。
そしてある日魅魔は、一人の魔法使いを見つける。
些細な事で親と喧嘩をし、家出した未熟な魔法使いの少女。
未熟ながら、潜在能力は目を見張るものがあった。
「へぇ……、中々の逸材だねぇ」
魔法使いは元来人に嫌われる存在だ。
さらにあの娘は今、多少なりとも人を恨んでいる……
ならば、あの娘も操れるだろう。
「ふふふ……、もう暫く見ていようかね」
家出をした少女は魔法を使う事ができても、生活する術を知らなかった。
死に掛けた所――心が不安になり、最も揺れやすくなった頃に、魅魔に命を救われる事になる。
§ § §
死の淵に追い込まれた魔法使いの少女に救いの手を差し伸べ存在が居た。
「どうだい、助けられたついでに私があんたを鍛えてあげようか?」
そして、助けられた魔法使いは別の姿を与えられ、星の魔法を学ぶ事になる。
魅魔様とかの旧作勢も突き詰めると様々に解釈出来て楽しそうですね。
私は旧作はやった事は無いのですが、それでも十分に楽しむことができ、尚且つ作者からのメッセージも丁寧で勉強にもなりました。
次の作品を楽しみに待っています!
どうやったらこんな壮大なスケェルな小説書けるんですか…。
伝説視されている日の巫女は、天照大神なのかなと思ったり。
奥州の勢力は恐らく蝦夷。
アテルイの反乱は坂上田村麻呂が制圧したあれ。
安倍氏の反乱は前九年の役…だったかな。
ああ、歴史とか入ってて楽しめますね。そういう所含めて良いですね。
とにもかくにも、私はこういう系の話が大好きです。
東方で軍事とかマジでやりたいですが、チキンなので出来ません(汗
素直にヘェ……と思わせられましたとさ。