命は死ぬと精神体――つまり魂になって次の生を待つ。
その魂が汚れていれば、地獄でその汚れを落とさなければならない。
そうでない魂は極楽浄土でゆっくりと待てばよい。
ただし、魂の中には時にどちらに行けばよいかわからないものがいる。
というか、そんな迷える魂が殆どだ。
そんな魂達が無意識に集まる場所が、ここ幻想郷にある。
死者が渡る三途の川。
その渡し守がいるところ。
生とは無縁の者達が、生まれ変わる審判を受けるために訪れる、要するにあの世の入り口。
その名を“無縁塚”という。
渡し船とその船着き場がある以外は、何もない殺風景な場所だ。
石積用の小石ならいくらでも転がってはいるが。
その無縁塚で、三途の川の渡し守をしている死神がいた。
死神といっても、寿命が来た人間の命を刈り取ったりはしない。
その死神が行うのは、死者に三途の川の渡り方を教えること。
そして三途の川の川幅や深さを決めることだ。
またこの死神、見た目が全然死神っぽくない。
ぼろぼろの外套を羽織っているわけでも、身の毛がよだつような風貌をしているでもない。
死神のイメージとして多いのは骸骨だが、この死神はちゃんと肉体を持っている。
むしろ見た目だけで見れば健康的な女性そのものだ。
加えて、容姿はなかなかに端麗。
背が高く、ほどよく肉付きもよい、一言で言えばスタイルが良いのだ。
唯一死神っぽい箇所と言えば、背中に背負った大きな鎌くらいなものである。
そんな死神らしくない死神である、彼女の名は小野塚小町。
彼女はこの幻想郷と彼岸の境で、日々渡し守の仕事に従事している。
ただ一つ、彼女には困った悪癖があった。
☆
「ふわぁ~っ……」
誰もいないことをいいことに、口を大きく開けて欠伸を一つ。
恥じらいの「は」の字も見えないほど豪快な欠伸だ。
ごしごしと目元をこするその姿は、眠いという意思を明瞭に示している。
加えて彼女が今いる場所は、船着き場の桟橋……ではなく、塚の近くの巨木の根元。
そこで木漏れ日を受けながら寝転がる姿は、仕事をしているようには全く見えない。
いや「ようには」ではなく、実際に仕事をしていないのだ。
これが死神小野塚小町の悪癖――サボり癖である。
今日は日柄もよく、降り注ぐ日差しは温暖そのもの。
暑さを感じることのない、外で過ごすには快適な気温だ。
そしてこの無縁塚では、三途の川から吹く涼しい風がさらに心地よさを増している。
死者が集まる無縁の塚、というイメージなど、今の無縁塚を見て誰がそう思うだろうか。
「あー……日差しが気持ちいいねぇ」
誰に言うでもなく、今の幸せな気持ちを素直な言葉にして呟いた小町。
仰向けに寝ころんで気持ちよさそうに目を細めるその格好は、完全に昼寝の体勢に入っている。
仕事がないわけではない。
外界で死んだ者達は毎日のようにやってくる。
ただしひっきりなしに、というわけでもない。
忙しいときは忙しいし、暇なときは暇なのだ。
そして今は暇なときである。
暇なときまで気張って仕事をする必要はないだろう。
まじめに働いたところで給料なんて出ないのだし、自分のやりやすいペースを守るのが
一番効率よく働けるというものだ。
それが小町の言い分である。
一ヶ月かそれより少し前のことだったか。
普通では考えられないほど外界で死人が出て、幻想郷も幽霊で溢れかえったという出来事があった。
三途の川を渡れず、立ち往生をしなければならなかった魂達は、依り代として花を選んだ。
その数があまりにも膨大で、性質が多種多様にわたっていたため、
季節を問わずあらゆる花が咲き誇るという事態に発展したのである。
この無縁塚にも彼岸花が咲き誇り、今の風景からは考えられないほど紅い色に染まっていた。
このことは、文々。新聞には「咲花異変」という風に記載されており、
大抵の者達は花が大量に咲いた、としか認識していない。
確かにそれ以前に起こっていた紅霧異変や永夜異変に比べれば実害はなく、
事態はいつの間にか収まっていた為、誰も気にとめなかったのだ。
その咲花異変の原因の一端を、謀らずとも担ってしまったのが小町なのである。
咲くはずのない花々が咲いても、ただ綺麗だなぁとしか思わず、いつものペースで
仕事をしていたため三途の川を渡れない魂があふれてしまったのだ。
おかげで上司である閻魔には散々怒られてしまった。
それでもマイペースを崩さないのは、流石とでも言うべきだろうか。
何にしても、小町がどれだけマイペースな死神なのかは理解してもらえただろう。
そんなわけで彼女は今日ものんびりと仕事をこなしていた。
今日は死者の数もそれほどおらず、自分のペースでも充分間に合わせられる仕事量だ。
おかげで昼寝の時間もとれたし、後は午後の仕事を片付ければ今日はもう家に帰れるだろう。
それじゃあさっさと終わらせてしまおうか。
そう思って桟橋まで戻ってきたのだが。
「あれ?」
どこか様子がおかしい。
魂の姿が一つも見えないのだ。
何匹かはいつも待っているはずなのだが、それがまったくいないのである。
死者のいない日などあり得ない。
最悪でも5、6匹は来ているはずなのだが……
「おかしい……」
小町の顔が珍しく真剣なものになる。
咲花異変のように、時折死者の数が跳ね上がることはあっても、0になることなど考えられないのだ。
これは咲花異変のような生易しい事態ではない。
考えられる可能性は一つ。
何らかの原因で、魂達が外界から入ってこられなくなっているということ。
もしそれが本当にそうならば、かなりまずいことになる。
魂は死んだ人間が肉体を失った姿である。
冒頭でも記したが、魂となった人間は次の生を待つために、
俗に言う“あの世――極楽や地獄――”に行かなければならない。
魂は外界から三途の川へと赴き、そこから閻魔様のところへ向かう。
そしてそれぞれの裁きを受けて、ようやくあの世へと行くことができるのだ。
その通り道の一つとなっているのが幻想郷の無縁塚なのである。
だから無縁塚に魂がこないということは、魂があの世に行けず外界に止まり続けるということになる。
魂がそのまま現世に止まり続ければ、いずれ現世のバランスが崩れ、
どんな異変が起こるとも限らない。
魂が残り続けることは、それだけで異変の原因となりうるのだ。
どんなにマイペースな小町でも、この状態がいかにまずいことなのかは理解できる。
仕事がなくなって万歳、と両手を挙げて喜ぶ程馬鹿ではない。
「映姫様に報せるべき……いやまずは原因を突き止めて、それから報せよう」
映姫様というのは、小町が仕えている閻魔の名前だ。
状態が最悪になる前に報せるべきではあるが、小町自身この異変が
本当に外界から魂が来られなくなっているのかは確定できていないのだ。
もしかすると本当に死者が殆ど出なかったから、と杞憂で済むかもしれない。
まずは現状をしっかりと把握してから伝えるべきだ。
そう考えた小町は無縁塚を飛び立ち、外界から魂が入ってくる場所を目指すのだった。
小町が飛び立って、誰もいなくなった無縁塚。
そこに三途の川の向こうからやってくる者がいた。
その顔には怒りの表情が浮かんでいる。
「まったく……小町ったらまたさぼっているのね。魂の流れがぷつりと途切れて――って、あら?」
やってきた者はすぐに異変に気がついた。
まったくいない魂。
いるべきはずの死神の不在。
先ほどまでの怒りの表情が一変、深刻なものに変わる。
「……成る程。これは私もうかうかしていられませんね」
すぐに異変の重大さを察知して、その者は無縁塚を後にした。
小町が向かった方向とは別の方へと。
☆
小町がやってきたのは人気の少ない神社の境内。
ここは外界と幻想郷のちょうど境目に位置する博麗神社。
つまり幻想郷と外界が最も近しい距離にある場所であるといえる。
ただし結界が張られているので外界からは幻想郷には入れないし、逆の場合も然り。
しかし中には例外がいて、それが魂という存在だ。
魂は実態を持たないためかは定かではないが、結界を抜けやすいという性質を持つ。
幻想郷の上空にある冥界へと続く結界門も、魂ならば易々と入ることができるのはこのためだ。
ただしこれは入るとき限定で、出ることは一切かなわない。
博麗大結界も似たようなもので、外界で死んだ者が魂となり無縁塚に向かうためには
この結界を超えなければならない。
しかその性質故に抜けること自体は簡単にできる。
最も結界を突破しやすい博麗神社は、魂達の格好の通り道となっている。
だが今は一匹の魂も見えやしない。
やはり外界から魂が入って来られなくなっていると考えてまず間違いなさそうだ。
となると、後はその原因だが――
「あら、こんな時間にこんなところにいていいの?」
縁側から話しかけてくるのは、この神社で実質管理をしている巫女の博麗霊夢だ。
先日の咲花異変のときに知り合ってから何度か顔を合わせている。
「緊急事態でね。あんたこそ掃除もせずにお茶なんて飲んでいて良いのかい?」
「いいのいいの。私はあんたみたいに怒られる心配がないから」
管理と言っても境内の掃除くらいなもので、それ以外は特にすることがない。
だというのにその掃除すらまともにせず、今のようにお茶を啜る毎日を送っている。
性質的には小町とよく似ているのかもしれない。
「それで? 緊急事態って?」
「外界で何かあったみたいだね。このままだといずれは幻想郷にも異変が訪れるかもしれない」
外界の異変は幻想郷と密接的な関係を持っている。
咲花異変だってそうだ。
外界で信じられないほどの死者が出たから、幻想郷が幽霊で溢れかえり、
異変が起こったのだ。
もし魂が外界に残り続けて、外界でとんでもない異変が起これば、
それは幻想郷とて無関係のままで済むはずがない。
「それは残念ね。私は外界のことには干渉できないの」
それを聞いた霊夢は湯飲みを口に運びながら淡々と話す。
自分にはどうすることもできない問題だという事を悟ったのだ。
「元々頼むつもりはないさ。幻想郷の住人にどうこうできる問題じゃないんでね」
「だったらどうしてうちに来たの? 私の知る限りでは、
一匹だけ外界に干渉できる妖怪はいるけれど。今日は来ていないわよ」
それはきっと境界を操る程度の能力を持っている八雲紫のことだろう。
博麗大結界や冥界門の結界も、彼女の手にかかれば破ることも強化することもたやすいと聞く。
しかし小町の目的は紫でもないのだ。
「いや、ここが一番外界から近いからね」
「まさかあんた……大結界を越えるつもり?」
「そのまさかさ。外界で起きていることを知るには外界に行かないと話にならない」
霊夢の顔が渋るような表情にかわる。
大結界を妖怪が越える、というのははっきり言って好ましくないことなのだ。
霊夢はこれでも幻想郷の巫女である。
幻想郷のバランスを崩すような輩が現れれば調伏しなくてはならない。
それが博麗の巫女としての役割なのだ。
そして霊夢が下した決断は――
「わかったわ……その鳥居を抜けてまっすぐ進みなさい。半日も飛べば外界に出られるはずよ」
「咎めないのかい?」
小町の言葉に霊夢は口の端だけあげた笑いを向けると一言こう言った。
「今日は休業日よ」
その言葉に小町はニカッと笑い、鳥居の向こうへと駆けていった。
それを見送った霊夢は空になった湯飲みを手に、空を仰ぎ見る。
もうすぐ日も傾き始め、黄昏時になれば一番星が輝き出すだろう。
「さてと……もう一杯飲んだら、晩ご飯の準備でもしようかしら」
先ほど飲んでいたお茶の出がらしがまだ使えたはずだ。
霊夢は台所へと足を向けた。
☆
鳥居の向こうは雑木林になっていた。
まっすぐに伸びた一本道が、果てしなく続いている。
博麗の大結界は触れる者を阻む類の結界ではなく、迷わせる型の結界のようだ。
間違って触れた人間や妖怪が傷つかないようにできているのだろう。
しかしひとたび道を外し、迷い込めば生きて出られる保証はない。
霊夢の言うとおり、ただひたすらまっすぐ進まなければならない。
だが言われるままに進むしかないが、それでは最短でも半日と言っていた。
それでは帰る頃には日付が変わってしまっている。
そこまで時間をかければ、映姫もさすがに変だと気づくだろう。
そして自分のいない無縁塚にやってきて……そして……
「こうしている間にも映姫様のお怒りがどんどんたまっていく~」
小町は怒られる自分の姿を想像して、泣き言を漏らした。
それだけ彼女にとって四季映姫の存在は巨大なのである。
「あ、待てよ……」
とある事に気がつき、いったんその場に止まる。
結界の中は異空間と言っても良い。
それは現実のようで現実ではない世界。
三途の川もまた然り。
あそこは現実とあの世の境に位置する異空間だ。
ということは、である。
小町は集中してこの空間の距離を把握する。
正確な数値を測るわけではない。
“どれくらいか”、それがわかればよいのだ。
それさえわかれば小町の持つ【距離を操る程度の能力】が発動できる。
いつでもどこでも発動できるわけではないが、三途の川とよく似た空間なら使えるはずだ。
小町の予想通り、大結界内の空間は三途の川とよく似た構造をしていたため能力の発動が可能であった。
おかげで半日はかかると霊夢に言われていたところを、わずか三分足らずで抜け出せたのである。
「さて、と……」
周囲を見回し、どこかに異変がないか、もしくは異変の元凶はないかを探る小町。
しかし、小町にとっては初めての外界である。
どこで何が起こっているのかを知るのは、実際に自分の目で見てみるしかない。
少しばかり面倒を感じながらも、小町はその場から飛び立った。
空から見ると博麗神社が見える。しかしそこは外界側の博麗神社だ。
霊夢はいるだろうが、そこから幻想郷には入れない。
博麗大結界を超えた先の博麗神社に行かなければ幻想郷には通じていないのだ。
「……神社に異変はなかった。ということはやっぱり外界で何かあったんだろうね」
問題はどこで何かが起こったかの見当がそっぱりついていないことである。
外界で何かあったのだろう、と予測はつけたは良いものの、
そこまで細かい予想はつけていなかったのだ。
こんなことならやはり映姫に相談した方が良かっただろうか。
などと考え始めた小町の耳に、幻想郷ではまず聞いたことのない轟音が響いてきた。
巨大な何かが崩れる音――それもかなりの数だ。
まるで山鳴りと地震が同時に起こったような、腹にずーんと響く重い音。
小町はひとまずそれを頼りに進むことにした。
「なんなんだ、これは……」
小町は眼下の光景に唖然とした。
巨大な鉄の固まりが、土を掘ったり運んだりしている。
他にも大きな石のかたまりを運ぶものや、空高く伸びて鉄を吊し運ぶものもある。
そしてそれぞれの鉄の固まりには、人間が乗っている。
さきほどの地響きのような音は、その鉄の固まり達が出していた。
「外界にはこんなすごいものがあるのか……」
しかし、すごいと思う反面、小町はその鉄の化け物達に恐怖を感じていた。
すべてを壊し尽くしてしまいそうな、そんな錯覚さえ覚える。
何にしても、あまり見続けていたい光景ではないのは確かだった。
ただ大きな音を出しているだけなら、それほど大変なことではないだろう。
そう思って離れようとしたとき、ある物が小町の目に映った。
「あ、あれは――!?」
小町が見つけた物。
それは小さな小さな祠だった。
祀られているのは縦に細長く、厚さの薄い石。
てっぺんあたりが尖塔状になっている。
まるで卒塔婆のような形状だ。
その石には見覚えがあった。
無縁塚の入り口に立てられている物と同じ形なのだ。
その石について、以前映姫からこう聞かされていた。
それは小町がまだ無縁塚にやってきて間もない頃。
大事そうに祀られた只の石を見つけた小町は、その意図がわからず映姫に尋ねた。
この石はいったい何のためにあるんですか、と。
その答えはこうだった。
「死者の魂達は、生を待つあの世に行くために私の元を訪れます。
私の元へ来るにはこの川を渡らなければならず、この川に来るためには幻想郷まで
こなくてはなりません。しかし、魂達はその場所が予めわかっているわけではないのです。
魂達が迷うことなく無縁塚へとやってこられる目印として、この石は立っているのですよ」
この石は霊にとって集まりやすい気を放っているのだという。
魂達はそれを頼りに外界から幻想郷へ、そして無縁塚へとやってくるのだ。
つまりこの石がなくなれば、魂達はさまよい続けることになる。
それだけ大事な物だから絶対に倒したり壊したりしてはいけませんよ、
と映姫に釘を刺されたことが印象深く刻まれている。
今目の前で潰されようとしている祠の石は、間違いなくそれと同じ物だ。
きっと博麗大結界の位置を示す目印として祀られていたのであろう。
「あれが原因かっ」
このまま石が破壊されれば、修復しなければ異変が解決できなくなる。
映姫に相談を持ちかける時間もない。
小町は慌ててその石を破壊しようとしている鉄の化け物の前へと降り立った。
「何をしようとしているんだっ!」
突然現れた女の子の姿に、鉄の化け物に乗っていた人間は慌てて動きを止める。
「あんた等、自分たちが何をしようとしているのかわかっているのかい?
自分たちの手で世界のバランスを崩そうとしていたんだ。
それがどんなことになるか、わからずに壊そうとしていたのか!」
そんな小町の激昂に対して人間の反応は、小町が予想だにしていないものだった。
鉄の固まりから降りてきた人間は小町より少し背の高い男性だった。
男は小町の前に立つと、いきなり大声で怒鳴り始めたではないか。
「あっぶねぇだろうがっ! いったいどこからしのび込みやがった!!」
「なっ……」
なんで相手が怒るのだろうか。
自分たちがしていることの重大さに気づきもせずに、それを咎めた自分の方を逆に怒るとは。
まったくもって理解できない。
「おまえ……あれだな? この工事に反対する村の連中の仲間だろう」
「いや、あたいは……」
「そんな大鎌もって、それで俺たちがビビるとでも思っていたのか?」
「そんなことより、その石だけは壊しちゃ――」
「おまえ達がなんと言おうとな、もうここら一帯の土地は篠本さんが買い取ったんだ。
今更おまえ達が足掻いたところで無駄なんだよ!」
突然腹部に激痛が走る。
それが男の蹴りによるものだと気づいたときには、今度は顔を殴られていた。
「おい、いったいどうしたんだ」
そこに男の仲間達が集まってくる。
「あの村の連中の仲間だろ。工事をやめろって重機の前に飛び出してきやがった」
「そのままひき殺しても事故で済んだんじゃないのか?」
「まったくだ……あの村の連中ときたら、いつまでたっても諦めやしねぇ」
会話の間も小町に加えられる暴力は止むことをしない。
次第に石が朦朧としてきた小町は、遠のく意識の向こうで下卑た笑い声をあげる男達の会話を聞いていた。
☆
気づくと目の前には木目の天井があった。
しかしそれは自分の家のものではない。
少し体を動かしてみるが、すぐ激痛が走りそれはかなわない。
なんとか首だけは動くので、その範囲で周囲を見回してみる。
まず自分が布団に寝かされているのがわかった。
お世辞にも柔らかいとは言えない煎餅布団だ。
そしてここが誰かの家であることもすぐに気づいた。
さきほど見た鉄の化け物に比べれば、まだ見知った物が多い。
「おや、起きたのかい?」
きょろきょろと首を動かすと、その声の主が見えた。
八十歳くらいの老婆だ。
ただし見た目の年にしては背筋も曲がっていないし、足取りもしっかりしている。
「ここは……どこなんだい?」
「私の家さ。あんた気ぃ失って放り出されているところを与吉さんに助けられたんだよ」
老婆が言うには、自分は怪我をして意識を失い、道ばたで寝ころんでいたらしい。
そういえば目が覚める前に殴られたり蹴られたりしていた。
そのことを話すと老婆は声を荒げて激怒した。
「あの工事現場の奴ら……無関係の人にまで暴力を振るうなんて……」
老婆の話を聞いてみると、あの鉄の化け物達が動き回っていたあの場所は、
元々この村の里山があった場所で、村の大事な食料源であり資金源であった。
そこをある日大金持ちの篠本という男が現れ、大金を武器に買い取ってしまったのだという。
しかしそれに反発しない村人ではない。
何度も何度も抗議に行ったが、その都度篠本直属の男達に追い返された。
中には暴行を受け、入院した者もいるほどの暴れっぷりで、ほとほと困らされているという。
「ここは魄霊山の近くで霊が集まりやすいのさ……だから無闇に拓けば祟りが起きるんじゃないかと
村人全員が心配しているんだよ」
「はくれい……博麗神社のある山のこと?」
「そうさ。あそこは死んだ者達があの世に行くための通り道。だから霊を意味する「魄霊」から
名を取って「博麗神社」と言われているんだ。それだけ大事な場所なんだよ」
元々この地に住んでいる者達は、博麗神社の持つ意味を理解しているようだ。
それにあの世への通り道、という概念がきちんと伝わっている。
(成る程……だから今まで祠が汚される事もなかったわけだ)
それを無知な連中が考えもなしに破壊しようとしている。
「まったく……困ったものだねぇ」
やれやれと肩を落とす老婆。
その姿を見ながら、小町はある決意を胸に秘めていた。
翌日、まだあちこちに痛みが走るものの、いつまでも寝てはいられないと小町は立ち上がった。
御飯ももらい、体力は万全である。
朝餉を終えた小町は、身支度を整え出立の準備を始めた。
大鎌をしっかりと背負い、気を引き締める。
「本当に大丈夫かい?」
「あぁ、なんてったって、あたいは天下御免の死神様だからね」
「死神?」
「霊を導くのがあたいの仕事なら、その邪魔をする奴らをのさばらせておくわけにはいかないしね」
「……よくはわからないけど、気をつけてな。無理はするんじゃないよ」
「ありがとね。おばあちゃんの麦飯、すごく美味しかったよ」
小町は老婆に別れを告げると、あの場所へと向かうのだった。
☆
祠はすでに壊された後であった。
しかし一番重要なあの石は無事なままだった。
まずはそのことに安堵の息をつく。
そこへ昨日の男達がやってきた。
男達は小町の姿を見つけると、とたんに表情を険しくする。
「おまえは昨日の……また仕事の邪魔をしに来たのかぁっ!」
対する小町は、男の剣幕にまったく動じない。
「仕事の邪魔をしているのはあんた等の方だよ」
「何ぃ!?」
男達に鎌先を向け、毅然とした態度で名乗りを上げる。
「あたいは三途の水先案内人、小野塚小町。あんた達の渡し賃は高くつくよ!」
サボり癖があるといっても、やはりそこは三途の川の渡し守を任された死神だ。
男達は小町の持つ得体の知れない雰囲気に気圧されて、昨日のような威勢がなくなっている。
「さぁ、昨日のお礼はさせてもらうよ」
手に持った鎌を振るうと、切り裂かれた空気が刃となり男達の足下に突き刺さる。
昨日の立場から一転、完全に小町の方が主導権を握っている。
あのときは不意打ちであったし、なにより状況が把握できていないままだった。
しかし今日は違う。
相手がどんな者なのかもわかったし、自分が何をしなければならないのかもわかった。
三途の川の渡し守として、このままこの土地が汚されるのを見過ごすわけにはいかない。
「そうそう、あの世行きを待たされた魂達の分もお礼しないとねぇ」
手を握り、再び開いた手の平には小銭があった。
まるで手品のように現れた小銭を、小町はなんの躊躇いもなく空に投げた。
するとどうだ。
一つしかなかった小銭は幾つもにわかれ、雨のように降り注ぐ。
これは勿論本物の銭ではない。
小町がこれまでに渡してきた魂達から徴収した、“生前の徳”を具現化したものだ。
「これを喰らって少しは自分たちの所行を悔いることだね」
三途の川の死神、小野塚小町の反撃が始まった。
それからしばらくもしないうちに、事態はすでに終局を迎えようとしていた。
摩訶不思議な小町の攻撃に、男達の戦意はすでに失われている。
元々それほど強い者達ではなかったのだ。
「これに懲りたら、二度とこの土地には近づかないことだね」
死神であっても殺しまではしない。
彼女の仕事はあくまで魂を導くことでしかないからだ。
「いやいや。それはできない注文だ」
ねっとりするような吐き気のする声が答える。
誰だ、そう言って振り返ろうとする。
だが……
ガアンッ!!
思い切り耳を叩かれたときのような轟音が響き渡った。
衝撃で鼓膜がびりびりとしびれている。
着物の腹部が裂け、そこから血が滲んでいるのが見えた。
「篠本さんっ」
言葉も失っていた男達が、声の主の名前を呼ぶ。
眼鏡をかけた中年の男がそこに立っていた。
小町はと言うと、今の刹那に感じた恐怖で体が硬直してしまっている。
「おや、拳銃がよほど怖かったのかね。体が固まってしまっているぞ」
篠本の手中に握られた鈍い光を放つ道具。
今まで感じたことのない弾幕が、あれから発せられたのだ。
それはどんな弾幕よりも早く、どんな弾幕よりも悪意に満ち満ちていた。
あれは危険だ。
体の硬直がそれを教えてくれている。
喰らえばただの怪我では済むまい。
「お嬢さん、ここは儂が買った土地だ。その土地をどう使おうが儂の勝手。
それが世の中の道理というものではないかね? ん?」
拳銃でひたひたと頬を叩いてくる篠本。
声と同じでねっとりとした吐き気のする笑みを浮かべている。
「あの石は……どうするつもりなんだ」
「石ぃ?」
小町の視線の先に転がる石と祠の残骸を見て、篠本はにやりと笑った。
吐き気と共に怒りまで覚える気持ち悪くて嫌な笑みだ。
「あれは儂の別荘には不似合いだ。そうだな……漬け物石にでもして活用してあげよう。
壊すよりよっぽど良い。これで気がすんだかい?」
その一言が決定打となった。
もはや我慢の限界である。
「あんたは最低だよ。あんたの魂を見れば一目瞭然だ。あんたの魂は一銭も持っていない」
小町は渡し賃として金銭を要求する。
しかしそれは実際に稼いだ金銭ではなく、先述にあった生前の徳を具現化したものだ。
人から信用されていれば、それは徳として魂に積み重なっていく。
小町が要求するのはそれなのだ。
それがこの男――篠本には見られない。
「あんたが三途の川にやってきても今のままなら、映姫様の元にすら辿り着けやしない。
あたいが渡っている途中で落としちまいそうだからね」
「さっきから何を言ってるんだ? 気が済んだならさっさと出ていってもらおうか。
ただでさえ、あの村の連中のせいで工事が遅れに遅れているんだ。
今からその遅れを取り戻さないといかん。おまえのような輩の相手など
本当はしている場合じゃないんだ。さっさと出ていかないなら……」
再び銃を構える篠本。
今度は小町の胸元をねらっている。
距離も先ほどより近い。
それに今の精神状況では、避けることができないだろう。
「……こんな、外道にっ」
天下御免の死神ではなかったのか。
霊を導くために、戦うことを決意したのではなかったのか。
それがこんな小さな道具の弾一発で砕かれてしまうのか。
(映姫様……すみません)
篠本の指が引き金にかけられる。
あれが動いただけで、自分はきっと動けなくなるだろう。
妖怪――死神といっても、死に至る怪我をすれば死ぬ。
人間が勝手な想像をしているほど、丈夫にはできていないのだ。
「まったく……手を煩わせてくれますね」
その言葉を発したのは篠本ではなかった。
あのねっとりするような声ではなく、凛としたどこまでも通りそうな声。
そして小町にとって誰よりも聞き覚えのある声だ。
「誰だっ」
篠本の部下達はどこから聞こえているかわからない声に動揺している。
まったくもって小心者の集まりだということがうかがい知れる。
「天知る、地知る、我知る、人知る……この世で誰にも見つからぬ罪など存在しない」
ぽつりと呟かれた言葉。
直後、言葉の静謐さとは裏腹に上空から多数の卒塔婆が降り注いできた。
それらは狙い澄まされたように、篠本の足下に突き刺さる。
さすがに驚いたのか、篠本が小町から離れた。
その隙をねらって小町は安全な距離へと移動する。
先ほどまで感じていた恐怖も、あの声を聞いたとたんに消え去ってしまっていた。
やはりあの人の存在は自分にとってとても大きなものだということを痛感する。
「どこにいるんだっ」
男達のどよめきに、その声は嘆息混じりに答えた。
「言われずとも姿は見せますよ」
言葉と共に、空に黒い影が現れる。
それは次第に地上へと近づいてきた。
日輪を受けて降り立ったのは、小町よりも小柄な少女だった。
顔立ちは端麗と言うよりも可憐。
無駄な肉付きはなく、よく言えばスレンダー。
どこからどう見ても中学生くらいの女の子。
その少女こそ、小町が仕える閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥその人である。
「小町、よく耐えてくれました。それから遅くなってしまってごめんなさい」
「いえ、映姫様が直々に来てくれるなんて……あたい、あたい……」
「外界に干渉するには他の閻魔の許可が必要だったのです。あなたがいなくなってすぐに、
他方を飛び回っていたのですが、思いの外返事を渋られてしまって……。
見たところ軽傷は負っているみたいですが、無事で何よりです」
映姫は小町に微笑を向けると、彼女をかばうように篠本と向き合った。
その顔には小町に向けたような微笑はない。
かといって怒りに満ちた表情を浮かべているわけでもない。
あくまで平静を保った、毅然とした裁判者の顔つきだ。
「篠本権蔵、あなたは私利私欲のために動きすぎた。私欲のために他人を蹴落とし、
あまつさえ無関係の人間の幸せを踏みにじった。あなたが持つのは、
権力と金銭にまみれた薄汚い関係だけ。その悪行を悔いることもせず、
さらに私欲を肥やそうとするその根性。今死ねば、あなたは必ず地獄へと
落とされるでしょう。私が裁いたら確実に地獄行きを下します」
映姫の話を聞いていた篠本は、最初こそぽかんとしていたものの、
話に区切りがついたことに気がつくと、すぐに嫌な笑い声をあげた。
「裁く? 地獄行き? はっはっはっ、そこの女といい、おまえといい、
いったい何様のつもりで物を言っているのやら……。
まるで地獄の閻魔大王のような口ぶりだが? 本当に閻魔とでも言うつもりか?」
「その通りです」
真摯な映姫とは対照的に、ひたすら相手を見下す物言いの篠本。
端から見れば、どう見ても映姫の方が不利な状況だ。
しかしそれでも小町は映姫の勝利を信じて疑わなかった。
映姫の力の強さに気づくこともなく、自分たちの有利を確信している時点で、
篠本達の負けは確定しているも同然なのだ。
どれだけ篠本が部下を引き連れていようと、強力な弾幕を扱えようと、
所詮はその程度の人間でしかないということ。
「どうあっても自分の罪を認めないと?」
「諄いな。儂は諄いやつが大嫌いだ」
篠本が銃口を映姫に向ける。
しかし映姫は微動だにせず、ただ篠本に語り続ける。
「私も嫌いですよ。あなたのように罪を認めない愚か者が」
篠本はその返答の代わりに銃弾をお見舞いした。
しかしそれが映姫に届くことはない。
銃弾は届く前にはじかれたのだ。
映姫に仕える死神、小町の鎌によって。
「ありがとう小町。ですが心配は無用です。あの者の罪は私が裁きます」
「はい、映姫様」
人間離れした――当然だが――動きに、篠本の顔に初めて焦りの色が浮かんだ。
ようやく小町や映姫が人外のものだということに気づき始めたらしい。
しかしそれでは遅すぎた。
「地獄というものがいかなるものか。それを見れば多少は考えも改められるでしょう」
一瞬で間合いを詰められる篠本。
すっと伸ばされた映姫の腕。
その手に握られた尺、その先端が篠本の額に当てられる。
刹那、篠本の脳裏にこの世のものとは思えないほどの激痛が走り、
同時に見えたのは、様々な拷問を受け続ける自分の姿だった。
「篠本権蔵。あなたには烙印を押しておきましょう。
死んだとき、どの閻魔の裁きを受けようとも行く先は地獄になるように」
もはやこの男の罪は善行を積んだ程度では解消できない。
それほどまでに篠本の魂は罪で汚れているのだ。
「な、何を、言ってるんだ。私は……」
「今からでも善行を積めば、多少地獄での終業が早くなるでしょう」
「ま、待ってくれ。金ならいくらでも払うっ、だから思いとどまってくれないかっ」
手の平を返したようにこびへつらう篠本。
その姿を見ている部下達の信用はがたがただ。
矜恃もへったくれもなく、篠本は映姫に許しを請う。
「お金の有る無しは関係ないのです。私は罪の量で人を裁く。
金銭で罪期が減らせるというのは人間の間柄でしか通用しません」
元々人は人を裁けるほど利口ではない。
どこまでいっても完全な公平を期した裁きなど、とうていできるものではないのだ。
閻魔はその者のすべてを知り尽くしている。
どれだけ隠し事をしていようとも、魂にすべてが刻まれている以上偽ってもしかたがない。
その者がどれだけの罪をため込んでいるか、そのすべてを知るものが閻魔だ。
だからこそ、その罪の量、善行の積み重ねで裁きを行うことができるのである。
「あなたにできる最初の善行。それはこの土地にいっさいの手を加えないこと。
そうすれば多少の譲歩はしてあげましょう。それでもあなたが地獄行きなのはかわりませんが」
「は、ははっ……ははははっ」
うつろな瞳で笑い声をあげる篠本。
どうやらまともに考えることもできないようだ。
地獄の光景をかいま見たことが、よほどショッキングだったらしい。
篠本の姿を見た映姫は、これ以上言うことはないとその場を後にした。
☆
外界の博麗神社、その石段のすぐ側。
映姫と小町の手によって新しい祠が建てられ、目印たる石も安置された。
これで魂の流れも元通りになるはずである。
幸い外界にはこれといった異常は見られない。
早くに行動を起こしたことが効を期したらしい。
「それにしても今回はお手柄でしたね、小町」
映姫にしては珍しい褒めの言葉に、小町の目尻には涙が浮かぶ。
「映姫様ぁ~っ」
背丈が自分の胸元くらいまでしかない映姫に、しゃがみ込んで抱きつく小町。
そんな部下に苦笑を浮かべながらも、映姫は彼女が無事であったことを心の底から喜んでいた。
「さてと!」
「きゃんっ」
突然背筋を伸ばして歩き出す映姫。
抱きついていた小町は前のめりに倒れる。
「もぅ~っ、映姫様、いきなりどうしたんですかぁ?」
「どうしたもこうしたもないでしょう!ここ数日の間にたまっている魂達を
早くあの世へと送らなければ」
「え~っ、仕事ですか?」
「当たり前です。そうでなくても、あなたは人一倍仕事の速度が遅いのですから!」
「はぁ~い……」
きびきびと歩く小さな背中を追いかけながら、小町は面倒だなぁと内心呟く。
しかしその顔には清々しい笑顔が浮かんでいるのだった。
~終幕~
ついでに誤字発見ですー。
×映姫に使える
○映姫に仕える
『紫様は昼寝の最中で、何があっても起こすなとの事で…』
……駄目だこりゃ。
>えーき様とこまっちゃんかっこいいよえーき様こまっちゃん!
あの二人は真面目だと思うんだ、うん。
閻魔と死神ですからね。
>『紫様は昼寝の最中で、何があっても起こすなとの事で…』
たしかにゆかりんは、この程度では動きそうにないですね。
自分に厄災が影響し始めてようやく、といったところでしょうか。
感想ありがとうございます。
俺はこの小説を待っていたァッ!!