※本作は作品集26の拙作「依存症」の後の時間の話となっています。
用語やキャラの関係などが引き継がれていますが「じゃあちょっと見てみるか」というには少しばかり長いのでご注意下さい。
本日の対戦結果
三十分一本勝負
蓬莱山 輝夜○(14)― ●(12)藤原 妹紅
本日のハイライト
いつも通りの一進一退の攻防であったが、残り2分を切った辺りでいつもと違う展開になった。
1ポイントリードを奪っていた輝夜が、勝利を決定付ける為に新スペルを放ったのである。
■
太古の夜空に浮かぶは偽りの月ではなく、蒼く輝く珠。
広がる荒野は、草木なく灰白色の岩肌の露出した無機と死の平原。
過ぎ去ったいつかの時のどこかの場所を切り出して、一夜の逢瀬の場とする、「とっておきでもなんでもない術」
戦いの最中に飛び火した炎が、燃える物などないはずのこの場所でも篝火のように点在していた。
周囲の炎の照り返しを受け、闇のような黒髪が朱に輝く。
肩で息をしつつも笑みを絶やさない輝夜は、僅かに間合いを取ると妹紅を見据えて叫ぶ。
「受けてみなさい! 私の新たな力!」
見せ付けるように差し出されたカードは、確かに見覚えのない絵柄が描かれていた。
呪符から感じ取れる力は、滾る熱、激情の紅、貫く意志。
隣で観戦していた永琳が腕を組み直すのが見えた。
飽きるほどに飽きる事無く、繰り返し殺し合っているこの二人である。
お互いの手の内など知り尽くしているだけに、この意外な展開は妹紅を大いに燃え上がらせた。
「ぃよし来い! お前の黴臭いスペルなんざ怖くないわよ!」
活の入った心に呼応するように、凰は、輝ける龍の顎で引き裂かれ千切れかけていた翼を復元すると、輝きと熱量を増した。
紅蓮から白い煌きが噴き出し、立ち昇る熱気は焼気となって周囲を嬲る。
大気が身を捩り、豪風となる。
輝夜は、嬉々として迎え撃とうとする妹紅を睨み、しかしそれでも微笑むとカードをかざし、魔力を吹き込む。
「それでこそ妹紅! でも、甘く見たのが命取りよ!」
妹紅を中心とする灼熱の風に髪を気高くなびかせ、口元にはどこまでも禍々しい笑み。
そのまま絵にすれば、誰もが溜息をつくような、歪んだ――美。
息を吸い、
腹から叫ぶ。
【灼熱! かぐやぁ!! ビ―――――――――― んムっ!!!】
緊迫した場面で飛び出した投げやりな名前のスペルは、本来の力を発揮するより前に、居合わせた全ての者の精神に打撃を加えた。
「あはははははははははっ! ちょ ちょっと、なによその名前―!!」
妹紅は腹を抱えて笑い出した。
直視出来ない程に輝いていた鳳凰は見る影もなく、芋を焼くのに丁度よさそうな温度になっている。
記録係として平静を保たなければならず、また親友の仇敵とは言え指をさして笑うわけにもいかず、腹筋を痙攣させつつ耐えていると、どさり、と土嚢でも降ろしたかのような物音がした。
何事かと思い隣を見ると、目を見開いた永琳が横倒しになって転がっている。
「永琳殿?」
「・・・」
へんじがない ただのしかばねのようだ
放っておいても生き返る、が、理由もなく死ぬとも思えないし簡単に死ぬようなタマでも無い事も知っている。
興味を覚えた慧音は、寸前の歴史を視てみる事にした。
・・・じわり、と脳に沁みこんだその音。
聞き間違いかと思ったが、それにしてはカード名らしき響きだった。
久々の新作という事で、主の為丹精込めて構築した術式に、よもやそんな名前を付けられるなど思っていなかった。
空耳だと信じたかった「それ」の正体に気が付いた時、
八意永琳の心臓は停止した。
要は紙一重。 ショックによっても人は死ぬのだ。
永琳は声もなく死に、そして蘇生した。
「死ぬほど驚くことか」
「ビームって・・・貴方はどう思う?」
「く。 いや、これはこれでなかなか味わい深いと思う・・・ぞ?」
腹筋が軋む。 記録するのも一苦労だ。
「う、うるさいわね! 試作なのよ! 試作なのよ!!」
周囲の反応に顔を真っ赤にして弁明している輝夜。
それはそうだろう、笑われるどころかショック死されたのだから。
両拳を上下に振りながら喚く様は、里の子供が駄々をこねているのと大差ない姿だった。
しかし、スペルは生まれを選べない。
与えられた名前はどうあれ、ソレは己の存在意義と構成術式に従い解放され、秘めた力を発揮する。
とっくに展開していたスペルは、「待て」を命じられた猟犬の如くに、静かに獰猛に待機していた。
半分ほどに収縮した魔方陣に気付き、輝夜は気を取り直して構える。
「・・・びーむ」
新作の初手は、極めておざなりにトリガーされた。
大出力系のスペル特有の、若干の「溜め」の後、突き出された輝夜の細く白い腕(これまでの応酬でお互いの衣服はほぼ焼失している)から、眼の眩む閃光が放たれた。
知覚してから回避したのでは遅すぎる速度で、超高熱、超高圧の熱線が迸る。
灼熱の槍は瞬き一つの時間で奔り、致命的な隙を見せた妹紅をすっかり温度の下がった鳳凰ごと貫くとその上半身を焼滅させた。
照射の勢いそのままに飛んだそれは、妹紅の背後の地面を諸共に吹き飛ばすと、彼方の「壁」で止まり大爆発を巻き起こす。
弾けた紅い光は、戦場を覆っている結界の第一層を破り、第二層をたわませた所で第三層に抱き止められた。
衝撃と熱量に空間が軋み、熱風と衝撃波が無機の地面を駆け抜ける。
■
結局、輝夜がこのリードを維持したまま時間切れとなった。
もっとも、この時の妹紅に逆転の意志が燃え盛っていたか、といえば甚だ疑問ではあるが。
件のスペルの基礎理論は、永琳の手によるものだそうで、聞く所によると大変珍しい紅い石の伝承が基礎となっているとかどうとか。
私見だが、弾幕戦において回避不能の攻撃はどうかと思われる。
ただ、どこぞの魔砲のように照射までに時間がかかるようなので、その辺りに隙があるようだ。
まだ試作段階という事なので、完成を楽しみに待とうと思う。
そこまで書いて、慧音は筆を置いた。
首と視線だけで隣を見る。
灯の明かりの届く端、そこに永遠の時の虜囚、藤原 妹紅が眠っていた。
妹紅は今、気力、体力を使い果たし、死んだように眠っている。
死んだように、という自分の表現に慧音は苦笑した。
このくらい徹底的に戦うと暫くは大人しくしていてくれるのだがな、と、枕元に移動する。
寝ている妹紅の顔はあどけなく、そして安らかだった。
薬を飲んだ時から成長が止まったと言っていた。その顔。
今はなんの不安もなく眠っている。
先刻までの破壊と激闘の当事者とは思えなかった。
地を焼き、空を焦がす紅蓮の炎の担い手。
破壊と再生を司る不死鳥の理力。
あの嬉々とした貌。
あの狂々とした貌。
思い出し目を伏せる。
それも束の間。
慧音は視線を戻すと、つ、と右手を伸ばす。
起こさないよう注意しつつ、眠る妹紅の頬に触れる。
蓬莱の薬は変わらず万全で、あれだけ見事に消失した妹紅の上半身を完璧に再構築してみせた。
(妹紅・・・)
間違いなく、見慣れた顔である。
人差し指で頬から薄く開いた唇をなぞる。
と、差し出していた指が咥えられた。
指先に湿り気とぬめる感触。 続けて甘噛みされる。
「起きたか」
「ん」
平然と返す慧音に、これまた平然と眼を開ける妹紅。
「寝ている乙女にちょっかい出すのは感心しないなあ、慧音」
「私がこんな事をするのはお前だけだよ、妹紅」
二人の少女は見詰め合う。くすくすという笑い声が朧闇の部屋に響いた。
着替えの済んだ妹紅は、慧音に髪を整えられていた。
行灯の弱々しい灯りは、絹糸のような妹紅の白髪を仄かに橙色に染めている。
細く、コシの弱い髪を痛まないように丁寧に梳いてゆく。
妹紅の髪は滑らかで手触りがよく、この時間は慧音の密かな楽しみであった。
「惜しかったなあ、あれさえ来なければ私が勝っていたはずなのに」
「そうかも知れんな」
二人は思い出し、ひとしきり笑う。
「私も新技が欲しい」
「そうだな」
「という訳で慧音、」
肩越しに振り返った妹紅の眼は、遊びを思いついた子供のようにいきいきとしていた。
「戻ったら戦力の見直しでもするか。どれくらいぶりだろうな」
最後の符を結わえ付けたところで、妹紅の腹が鳴いた。
「おー。 健康第一。我ながらよく鳴る」
「なんにせよ食事にしよう」
「そうだね」
ここは永遠亭。
月からの逃亡者達の隠れ家。
永遠を内包する竹の籠。
咎人達の安らぎの揺籃。
秋の収穫祭が終わり、冬篭りの支度が進む頃。
慧音は妹紅の付き添い兼、決闘の見届け人として同伴していた。
ここは永遠亭の客間の一つであり、今日は招待選手、つまりは客人待遇である。
永遠亭の存在が明るみに出た昨今、そこの当主が勝手気ままに竹林を焼いている、などという風評が流れるのはよくないという判断から、偶発的な遭遇戦以外は派手にならない方法でやりあおう、という事になった。
目立てば天狗が嗅ぎ付けるので、永琳の創る限定世界での戦いが最近の主流となっている。
何か軽く食べるものを、と、小間使いの妖兎を呼んだところ、食事の用意が出来ているという返事があった。
用意の良さに二人は顔を見合わせるが、身体は素直に空腹を訴えた。
今度は二人揃って鳴った腹の虫に、小間使いの兎がくすくすと笑う。
「ささ、妹紅様も慧音様も」
若干の居心地の悪さを感じつつ、促された両名は部屋を出た。
長い長い廊下を歩く。
建物の敷地面積を無視する広さは永琳の術に依る物であり、侵入者対策や重要物の保護管理の為に入組んだ構造になっている。
古いままの時間を内包するこの屋敷は、様々な文献、希少品、貴重品、薬品類、危険物が目白押しである。
そしてそれを狙う輩も存在する。
どこにでも出るのだ、あの黒くて素早い奴は。
前を歩く妖兎は、ぴょこりぴょこりと先を行き、時折、確認するように振り向く。
こちらと目が合うと、嬉しそうに、恥ずかしそうに表情を崩し、すぐ前を向くとまたぴょこりぴょこり。
「もてもてだな、妹紅」
「なに言ってるの、あれは慧音だよ」
表情を変えず告げる慧音に、妹紅が肘で突付きながら返す。
並んで歩いている為、腕が邪魔で脇腹には入らず、少し上にある不届きな膨らみに肘を入れる。
妹紅の耳を抓りあげる慧音。
実際。 理由はどうあれ古くから縁のある二人である。
妹紅の目当てはあくまで輝夜なので、向かってこない限りは妖兎たちにはほとんど手を出さない。
最近増えたとはいえ、極度に来客の少ない永遠亭において、昔から頻繁に訪れる上に主達と互角の戦いを繰り広げ、屋敷を破壊に巻き込む妹紅という存在は迷惑であり、変化の乏しい日常においては貴重であった。
そういうわけで、一部の妖兎達に熱烈なファンクラブが出来る程度には永遠亭に馴染んでいた。
前に話を訊いた時は、
「戦う姿が凛々しい」とか「ジト目がたまんない」とか「あんたにゃ渡さん」など色々な意見が聞けた。
案内を任されたこの兎も、どうやら妹紅FCの一員らしい。
案内係の熱い視線を受けつつ通された部屋は先客がいた。
「おや」
「む」
「いらっしゃい」
「遅いわよ」
食卓には、くつくつと心地よい音を立てる鍋。 脇には飯びつと順番待ちの野菜やら肉。小鉢に卵。
そして幾つかの酒瓶と四つのぐい呑みが見える。
飲む気か、こいつら。と、慧音は思わず眉を寄せる。
危惧するのは酒の勢いで先ほどのリターンマッチが始まらないか、という点。
敵地である不利があり、どちらが勝っても屋敷に被害が出る。
見て見ぬ振りを決め込めるほど慧音は薄情ではなかったし、義理で修繕を手伝うくらいには縁は腐っていた。
「なにをしてるの。 さっさと座りなさい、毒なんか入ってないわよ」
「冷めたら貴方の責任よ」
妖しげな鍋敷きが保温をしているのは説明されなくても分かるが、そうまで言われては座らない訳にいかない。
慧音とて腹は空いている。
さらりと不穏当な台詞も出たが、この場に居る四人の中で毒がまともに効くのは慧音だけだ。
自分がどうこう言っても状況は変わりそうにない、と、仕方無しに腰を下ろす。
隣を見ると妹紅はもう座っており、邪魔にならないようにその長い髪を束ねだした。
「ほら、慧音も」
「な、なんのつもりだ妹紅」
「何言ってんの、そんな格好じゃ鍋は戦い抜けないよ?」
確かに。 最近に1対3という不利があったが、記録的大敗を喫した記憶があった。
回想の僅かな隙をつかれ、慧音は帽子を奪われた。
それだけに留まらず、前に垂れてこないようにと、一房ずつ左右の高い位置で髪をまとめられる。 妙に手際がよかった。
「そうだな。 悪い魔女共と戦うのに、何の準備も無しでは勝利は掴めないからな」
「魔女?」
「いや、こっちの事だ」
「ふぅん・・・ほい、これでおっけーね」
髪留めに使っている符の予備を取り出しまとめると、妹紅は満足の表情で頷いた。
頭を振ると遅れてついてくる左右の長い尾のような髪。
首後ろの涼しさに違和感を覚えつつ卓に向き直ると、目の前の連中が驚愕の表情を浮かべ凍り付いていた。
「その表情の原因はなんだ、お前達。 先生怒らないから言ってみろ」
憮然と問いを放つが、答えはなく、代わりに力ある言葉が響いた。
【【リザレクション】】
あろう事か二人揃って死んでいたらしい。
・・・ちょっと傷ついた。
■
なんだか分からないままに、晩餐になった。
食前の合掌、そして礼。
「「「「いただきます」」」」
鍋はすき焼きであった。
永遠亭を取仕切る永琳の辣腕は、ここでも遺憾なく発揮されることになる。
具材投入のタイミング、火加減、引き上げ時。
極めて高いレベルで運営される鍋。 そこには秩序しかなかった。
しかし、あまりに食材の分配等にうるさいため、途中から輝夜に止められた。
「もう少し楽しく食べないとダメよ」
「お言葉ですが姫、肉は有限であり貴重です。 各々が好き放題に投入すればたちまちのうちに秩序を失い、」
「永琳は少し黙ってなさい」
「こればかりは譲れません。ああ、ほら奴等が肉ばかり狙い始めました!」
もう気取られたか。 流石と言っておこう。 だが、主の命がある以上強くは出られぬはず。
戦況はこちらに傾いていると見て間違いなかろう。
己の判断に薄く微笑んだまま、慧音は悠然と牛肉を引き上げる。 大物だ。
「妹紅、これがいい具合だぞ」
「そんなに一度に取っても食べられないってば」
「何を言う、鍋鬼の目が届かぬ内に勝利を確実なものとするのだ」
「睨んでる、睨んでるよ」
「ふふふ、よもや月の天才ともあろう者が、鍋の席で刃傷沙汰を起こす無粋はすまいて。ましてや主の手前で」
ぐ。 と、黙り込む永琳。
「それ以前に私が許さないわよ」
「姫、そう言いつつも私の小鉢にエリンギばかりを入れるのは何故でしょう」
「自分の小鉢の物は自分で食べなさいね?」
「ひぃめぇ」
さらに戦力比が変わり、ついに永琳は孤立無援となった。 あとは蹂躙戦が待つのみである。
「けーねにも取ってあげるね」
「はははすまないな妹紅」
「貴方たち、このまま乗り切れると思ったら大間違いよ」
歯噛みしつつ永琳が唸る。いや噛んでいるのはもはや小鉢に山と盛られたエリンギであった。
厳選されたあらゆる具は、品質、鮮度共に優秀であり美味であった。
酒が入っているというのもあるが、妹紅の楽しそうな様子を見ていると、たまには大人数で食べるのもよいのだろう、と思う。
今回は面子に問題があるが、あの一件以来、自分の周囲には妖怪や普通ではない人間が増えた。
中にはもう少しまともな奴もいる事だろう。
脳裏に魔女三人分の笑い声がこだまする。
・・・居ることだろう。
近いうちに、大きめの鍋でも探しに行くとしよう。
最後の肉を賭けて輝夜とじゃんけんしている永琳を眺め、軽く物思いに耽っていると、酒で頬を赤らめた妹紅が覗き込んできた。
酒瓶が突き出される。
「まーた難しい顔してる」
「そんなことはないぞ」
「その顔はー 面倒なことを考えている時の慧音の顔~ どうせ「たまには大人数で食べるのも悪くない」とか思ってる顔だー」
「むう」
「いいんだって、あいつらがこんな事するのも、私がこうなのも、みぃんな」
「「あの時の為なのだから」」
横合いから差し込まれた声と、妹紅の声が重なった。
視線を送ると、自分の杯に酒をつぐ輝夜と、煮過ぎて硬くなったであろう肉を噛みしめている永琳が見えた。
「妹紅と殺し合いをしているとね、頭の中が真っ白になって、とてもとても気持ちいいの」
「夢中になれるの。 でもね、同時に怖くなるのよ」
妹紅が続け、輝夜が言葉をその後を継ぐ。
「そう。 いつか臨死の恍惚に、蘇生の責苦にすら慣れてしまう時が来るのではないか」
「永劫。 相手を憎み続ける事ができるのかどうか。今日は大丈夫だった。 でも明日は?」
「来年は? 百年の先は? これまでを思い出し、これからを想う。 ・・・少し憂鬱ね」
「だから。 少しケチになる事にしてみたの」
「一回一回を味わって・・・・・・殺しあうの」
「相手の事を一生懸命に想って」
「相手の想いを精一杯受け取るの」
「ここで仲良く鍋を突付くのも、その為の」
「その為の味付け。 肉を盗られた恨みとか、新手の名前を笑われた悔しさとか、取るに足らない物も大事に集めてね」
「少しの変化。 薬味みたいなものかしら」
「もう、些細なことでは驚けない。 次第に心が硬くなる。 だから」
「だから」
「上白沢」
「慧音」
「「貴方も楽しみなさいよ。 私たちと、この宴を」」
歌うように告げる二人の永遠の姫に声を奪われたか、慧音はただ見つめる事しか出来なかった。
頭の中が揺れているのは酒精によるものなのだろうか。
それとも目の前の永遠達にあてられたのだろうか。
「ほらほら、あまり苛めるから困っているじゃないですか」
永琳の苦笑混じりの台詞が慧音を縛っていた何かをほどいた。
「・・・妹紅」
「そんな顔しないでよ、今更だしさ」
「そうねぇ、飽きない為の努力に飽きてしまうかもしれないわ」
慧音から視線を外したまま、にやにやと微笑み、杯に注がれた酒を一息に飲み干す。
「っはぁ!」
もう言うことはない、とばかりに酒に溺れだす輝夜。
天井を仰ぐように反ると、流水の様な黒髪が柔らかく開き、その狭間から桜色に染まった耳やら首筋が見える。
酔いが回ったのか とろん とした目の輝夜をいつもの半眼で睨んでいた妹紅は、慧音に向き直ると、
「それに。 こんな可愛い髪形してるんだから眉間に皺よせるのやめなって」
「むう」
忘れていた。
■
あらかた食べ尽くし鍋が下げられると、だらだらと酒を呑み始めた。
「取材?」
「そうよ」
輝夜に酌をしながら永琳が答える。
「責任者は大変だな」
「本当は主だったところには皆インタビューして回る気だったみたいだけど、面倒だから私が引き受けたのよ」
「そりゃ面白い、横からあること無い事吹き込んでやるのもいいかもねぇ」
「彼女は裏づけの取れていない事は記事にはせんぞ」
酔いが回ってだらしなく座っている妹紅の杯に慧音が注ぐ。
「竹林の火事の件だって姫が有耶無耶にしたけど、諦めたわけじゃなさそうだし。 ここらで牽制しておきたいのよ」
「遭遇戦は減らしたから、そうそう嗅ぎ付けられるとも思わないけど?」
空の杯を差し出す輝夜。
「姫も丸くなりましたしね」
「たまに思いっきりやるのが最近のマイブームなのよ」
「また変な言葉覚えて来たな」
妹紅の差し出した酒が輝夜の杯を満たす。
「まあ、こっちに来る言葉だ、外では死んでいるのだろう」
慧音は空になった壜を下げて、手近な壜を手に取る。 ついでに自分の器に注ぐ。
「変な事を書いたらお仕置きしてやれば良いじゃない。 永琳、そういうの得意でしょうに」
「そうなんですが・・・」
否定はせずに言葉を濁す永琳。ちびりと杯の中身を舐める。
「どうした、珍しいな」
「【密葬法】を仕掛けらたら閉じ込めそこなったのよ、あの天狗、なかなか厄介なカメラを持っている」
「何かあったの?」
輝夜から返杯を受けつつ、妹紅が訊ねる。
「別に大した事じゃないわよ」
歯切れの悪い永琳に3人の視線が集まる。 本人の発言を待つが沈黙をもって永琳は答とした。
「永琳ね、」
「姫」
「いいじゃないの、大した事でもないのでしょう?」
「価値観の相違です」
残りを一気にあおると、自分で注ぎ足した。
「ききたいなー」
「ききたいなー」
「上白沢、貴方似合わないからやめておきなさい」
適当な節をつけて歌い出す妹紅と慧音に顔をしかめつつ、隣から突き出された杯に注ぐ。
「つれないなー、わたしと永琳殿の仲ではないかー」
肩を組みながら、空になったばかりの永琳の杯を満たす慧音。
「・・・貴方、酔ってる?」
「えー? でも慧音ってお酒強いよ?・・・うわ! 痛っ!? なにこのお酒!!」
慧音の席近くの瓶の中身を確かめていた妹紅が悲鳴をあげた。
「やられた・・・てゐね」
「それ、この間のお酒?」「なんなの・・・それ」
呆れた顔をする永琳に、輝夜と妹紅から質問が飛ぶ。
「鬼の娘と遊んであげた時にお酒を分けてもらったのよ。 貰ったのはイナバ達が誰も飲みたがらないくらい強い奴だけど」
「なんだってそんなものを引き受けるのよ・・・うー、まだヒリヒリする」
「だって、くれるって言うし」
「神社の宴会の時にでも押し付けてこようと思ってたのにねえ」
頬に手をあて、はんなりと困った顔をする永琳。
「うははは、えいりんどのー」
「な、貴方、 からむ系だったのね」
しなだれかかる慧音に、中身の入ったぐい呑みを持ったままの永琳が捕まった。
「ちょっと、なんでそっちなのよ!」
「私が訊きたいくらいよ・・・って、どこ掴んでるか!」
怒り出す妹紅に当惑の永琳。
「あはは、えいりんどのも肩こりがきびしそうだなー」
「や、やめなさっ・・・!」
「締め付けるのはよくないぞー」
絡む慧音になす術のない永琳は、今日一日の変事を振り返りたくなった。
今日の運勢は、うどんげ占いではブルーのストライプ。 文句なしの大吉だったはず。
不覚、八意永琳ともあろう者が卦を読み違えたか・・・!
慧音はぺたぺたと永琳の頬を撫で、抱きついたり、肩こりの原因をこねくりまわしたりと、好き放題に纏わり付いている。
「慧音、やっぱりストレス溜まってるのかなぁ」
親友の変貌に、妹紅はどことなく申し訳ないものを感じていたが、次第にいろいろと目の毒な光景になってきた。
「普段が物足りないのかしら? まぁ、妹紅ではああはいかないものねぇ」
座椅子の肘掛にもたれて場を傍観していた輝夜が的確な攻撃を仕掛けてきた。
「う、うるさい! お前だって掴んだり挟んだり出来ないだろう!」
「わたしは標準だからいいの。 でも、もし育ちきるまえに蓬莱の薬を飲んだりしたら・・・ああ、恐怖で死んでしまいそう」
節をつけ、謡うように妹紅をいびる。
「お、大きければいいってもんじゃないって、けーねが言ってた!」
「あら、それは持てる者の傲慢よ。 でも残念ね?上白沢。 永琳の好みはね」
「姫」
続く言葉を断ち切るように、永琳が少し硬い声を出した。
つまらん情報を与えてなるかと、主を半眼で牽制する永琳。 しかし、事態は天才の手から零れ落ちていた。
「・・・ひぅ」
胸元に抱きついていた慧音が、妙な声を出した。
思わずぎょっとして見下ろすと、涙目で見上げている慧音と目が合った。
こちらの胸元から何かを引きずり出そうとしている。
何時の間にか胸のかけ紐が三つばかり外されており、服を着ているというのに背中のホックが仕事を放棄している事に永琳は気がついた。
ちなみに天才の着用品は、自身が開発した自身の為の物であり肩紐無しであり色は黒である。
計算し尽された構造は形状を損なう事無く完璧に保持し、理想的な形態を維持する事が出来ると言う、まさに英知の結晶である。
肩紐があると重さで肩が凝る、とは主の前では口が裂けても言えない永琳はどこまでも忠義者であった。
「貴様何をしてるかーっ!?」
我に返り思わず叫ぶ。
「・・・・・・えいりんどのは・・・わたしがきらいなのか・・・」
か細い、泣き出しそうな声。
「え・・・あ、ちょっと」
困った。正直に困った。
あれこれして鳴かせるのは得意だったが、こういう形で泣かれるのは想定の範囲外である。
ましてや相手が相手だ。
普段との壮絶なまでの差異に天才の脳は大いに混乱し、また弱々しい言動に捕食者としての本性が鎌首をもたげているのも感じる。
まずい、このままだとお持ち帰りしかねない。
今や月の頭脳は左右で真っ二つに意見が割れ、己の服の色のような様相を呈してきた。
ちなみに、いずれもロクな色ではないという事にこの天才は気が付けていない。
「わー、なーかしたー なーかしたー えーいりんがーなーかしたー」
「なーかしたー なーかしたー いーなばーにー言ってやろー」
幸いにも悪夢のような葛藤は外野によって遮られた。
酒が入っている為か童女の様に囃し立てる二人に、永琳は堪らず叫ぶ。
「姫まで! それに今、ウドンゲは関係ありません!」
「あらぁ? 私はイナバと言っただけで、別に萎れ耳のイナバだなんて一言も言ってないわよぉ?」
「っ!!」
事態はあいかわらず、天才の手の届かない所を飛行中だった。
「えいりんどの・・・」
惑乱の隙に、慧音は妹紅に奪取されていた。
「おーよしよし、けーね可哀想だねー」
「普段を知っているだけに、その姿はなにか、こう、来るモノがあるわね・・・!」
妹紅は永琳に見せ付けるように、慧音を抱きしめ頭を撫でており、主がそれを見て何かに目覚めようとしていた。
ああ。姫、飽きずに生きる事に努力を惜しまぬそのお姿、まっことお見事。 この永琳、感服仕りました。
もうどうにでもなれ。そんな気分だった。
■
夜、その中でも朝の近い時間。
妹紅と別れた慧音は自宅へ向かい飛んでいた。
冷たく澄んだ空気は、酒気で火照った体に心地よかった。
永遠亭での夕食は後半が記憶になく、自分にしては珍しく酷く飲み過ぎたのだろう、途中で寝てしまったようだ。
歴史を確認しようとしたところ、妹紅に止められた。
いろいろ知らないでいた方がいいと告げた妹紅の表情は、真剣にこちらを案ずる物であった。
迷惑をかけてしまったのだろうか、しかし、妹紅に気遣われる事を嬉しく感じている自分もいる。
それが嬉しかった慧音は、釈然としなかったが視ないでおいた。
帰り際、見送りに出てきたのは主ではなく腹心であり、その視線にどことなく悪い気配を感じたのは気のせいではなかろう。
猫が鼠を見る視線に近い気がするのだが、何故そのような印象を持ったのかが理解出来ない。
・・・何が起きたと言うのだろうか?
記憶もなく、歴史も読めないとなれば、慧音とてそこらの少女と大差ないのである。
何かと適当な理由をつけては訪れる人形遣いと、一切の釈明なく書架を襲撃しに来る魔法使い。
最近の来客に順位を設けるなら、間違いなく三位までに入る二人に、今夜の留守番を申し付けてある。
留守を任せてはあるのだが、やはり落ち着かないもので、時間が経つにつれ心配になってきた。
そもそも、信用に足る相手なのか。
悪い方へと考えるのは自分の悪い癖だ。と、自嘲すると慧音は高度を下げ始めた。
そろそろ到着という辺りで、下方の森から小さな影が三つほど上ってくるのが見える。
「アリスの人形か」
紅いドレスの人形が、紺の服の人形二体を連れて飛行している。
遠く間合いを取ると、併走し始めた。 どうやら領域侵犯者を照合しているようだった。
速度を落として様子を見ていると、高度を合わせた上海人形は、ぺこりとお辞儀をする。
「見回りご苦労様。おかげで助かったよ」
手を差し伸べると擦り寄ってきたので、頭を撫でてやる。 すると、上海人形は愛想のよい猫のように纏わりついてきた。
ツンケンした主と異なり、この上海人形は物怖じせずに人妖に接する。
単純な思考回路のせいだとか、風情の無い意見もあるが、この子らは既に「アリスの人形」という種族を形成しつつある。
人懐っこい性格の為か邪険にされることのないこの人形は、宴会などでも人気者である。
歳経た妖怪が、人形の奪い合いをしているうちに弾幕戦になだれ込む、というのは見ていて恥ずかしいものがある。
あげく、当の人形に仲裁されていれば世話はないのだが。
淡く羽根を光らせて飛翔する人形を眺め、慧音は嘆息する。
上海人形は不思議そうに首をかしげ、ぱちくりと瞬きをするだけだった。
「お帰りなさい」
庵の前で人形の主が出迎えてくれた。
妹紅以外の者に出迎えられるのは、果たして何年ぶりだろう。 と、慧音は小さく驚いた。
「留守番、ご苦労様。 なにかあったか?」
「特に無いわ。 平和なものよ」
慧音の長い髪に纏わり付いていた上海人形が、アリスの隣に居た蓬莱人形と手を取りくるくると回り始めた。
時折目にするこの行動、製作者の説明では保有情報統合の儀式らしく、「おかえりなさいダンス」と呼称されている。
アリスの側近とも呼べるこの二体は、実際、他のどの人形達より重く用いられており、作りも複雑緻密である。
「まばたきが出来る」のは相応に手間をかけて作り込んだ証左であるし、かけた手間以上に愛情を注いでいるのも事実だ。
ちなみに姉妹のように似た外見だが、内部はまるで違うとかどうとか。
以前、茶飲み話で慧音がこの二体の事を尋ねたら、3時間超過の講釈を受けることになったのは記憶に新しい。
「寝ずの番を申し付けたつもりではなかったのだが」
「いいのよ、夜は魔女の時間。 徹夜なんてザラだし、読む物の山ほどあるここは退屈しなくていいわ」
「なんにせよ助かったよ、ここまで遅くなる予定はなかったのだがな」
軽く言い訳をしつつ、戸を開ける。
すると、あがり口には靴が二足あった。
「あ! 慧音ー! たすけてー!」
「ち、戻ってきたか」
悲鳴と舌打ちに部屋の奥を見ると、半泣きのリグルと赤ら顔の魔理沙が見える。
「お前達・・・」
居間に入るとリグルが飛びついてきた。
そのまま腰に抱きつくと慧音を軸にぐるりと半周。魔理沙から身を隠す。
部屋に漂う酒の匂いと串の乗った皿に眉をひそめ、
「おおよその見当はついたが、敢えて問おう。 お前達、飲んでいたな?」
「おー。平和だったんでなー。ちょっと出前を取ったりはしたぜー」
「なにがちょっとよ! 慧音にツけといてくれ、ってお酒随分頼んだじゃない!」
リグルがここにいるのは出前に来たところを捕まったのだろうか。相手が悪かったとしか言えない。
「それにね、さっきまで魔理沙がリグルを襲ってたのよ」
後から入ってきたアリスが補足する。
「私は女だっていってるでしょう!」
「私はこの目で見ないと信じないタチでなぁ、それに雌なら雌で卵管が妙なとこにあったりし」
「う――わ――――!! 言うな――――!!」
顔を真っ赤にして絶叫するリグルを、だらしなく寝そべったまま、けけけ、と笑う魔理沙。
なるほど、リグルの衣服が乱れているのはそういう訳だったか。 ほら、とりあえずサスペンダーは掛け直しておけ。
「大丈夫だリグル」
腰にしがみついたまま、魔理沙を威嚇しているリグルの頭を撫でてやる。
「お前が女だという事は私が知っている」
「慧音・・・」
柔らかく髪を梳かれ、いきり立っていた触覚が萎れる。
「あら、なんだか意味深なセリフね?」
「ああ、随分前にこやつが悪さを働いた時に、懲らしめついでにちょっと確かめた」
「ぎゃ――!?過去のトラウマが――――!!」
縋っていた存在に裏切られ、リグルは部屋の隅へと跳び退る。
「ははは、冗談だ。 それよりリグルよ、店の手伝いはいいのか? 片付けなどもあるだろうに」
「冗談って・・・そこの蛍がああ言った時点で今のって事実じゃないの?」
「おっと、そうなるか」
はははと笑う慧音。
部屋の隅では、洗われた猫のような目をしたリグルが、人形達に慰められていた。
「慧音ー、お土産はないのか~?」
この事態の主犯は、反省の色なく慧音の持つ手提げに興味を移していた。
「あんたまだ呑む気なの?」
「お前達、本当に留守番していたんだろうな」
慧音は何度目かの溜息をついた。
朝靄に霞む慧音の庵。その台所に明かりが灯る。
片付けをさせているうちに日が昇ってきたので、慧音は四人前の朝食を作る事になった。
初秋から力を持った客が来ることが多くなったここは、里に近い位置にある為か「峠の茶屋」的な扱いを受けるようになっていた。
「ちょっと買い忘れがあるんだけど、その間荷物を置かせて貰えるかしら」
「ついでに寄ったんだが、緑茶でいいぞ」
「はい。先週の貸し出し分ですね、確かに受け取りましたわ」
このままでは、伝え聞く博麗神社と似たような感じで、妖怪寄合所と化してしまうかもしれない。
お土産にと渡された筍(何かの術で採れたて鮮度を維持していた、毎度の事である)を刻みつつ、台所を見回す。
ここ最近だけで、見慣れない湯呑みや、針箱、喘息の薬が置かれるようになっている。
そのうち食器や箸が増えるような気がしてきた。
食事を摂り幾分元気を取り戻したリグルを見送った慧音は、手近なところから当たってみる事にした。
「鍋?」
「そうだ、土鍋の予備など無いか? あれば譲ってもらいたいのだが」
「うちは洋食メインよ? 鍋の時はお呼ばれだし」
上海人形と蓬莱人形が等しく首を傾げる。
「うちか? 探して出てくるなら考えなくないぜー?」
「お前に訊いた私が愚かだった」
「なにおう」
けたけたと笑う魔理沙。まだ酒が抜けていないようだった。
「でも鍋くらい持ってないの?」
「ここで大人数で食事をするような事は、今まで皆無だったのでな。 小さい物ならあるのだが」
「先に言っとくが、香霖のとこには実用品はないぜー」
「そうよねぇ・・・」
腕組みをしていたアリスが、
「そう。霊夢のところになら予備があると思うわ」
「そうだな、いろんなサイズがあったはずだぜ」
魔理沙の同意もあった。
集まる人数の幅の大きい博麗神社においては、鍋や食器の拡充は家人の意思に関係なく行われているらしい。
「博麗神社、か・・・」
最近いろいろ来るようになり、迷惑とまではいかないが今後を考えると不安な要素もある。
そこで対策の教授をと、本来の溜まり場である博麗神社に相談に行こうと考えていたところだ。
別に苦情を申し立てるわけではなく、茶を飲みに行くついでにという程度なのだが、考えてみれば満月の異変の際に顔をあわせた時は、里を狙う不埒者程度の認識しかしておらず、まともな会話などしようとも思わなかった。
戦いの場でなければ話せる事もあるだろう。
例の肝試しの直後に催された宴会に顔を出したこともあったが、輪に溶け込むこともなく漫然と過ごしてしまった事を今更ながら惜しんだ。
宴会。 そう、神社は宴会が盛んと聞く。 よい鍋を扱っているところなども聞けるかもしれない。
善は急げ、だ。
留守を当直明けでだらけている連中に申しつけると、手荷物一つを掴み、慧音は庵を出た。
■
遠い遠いと言われているが、どの程度遠いか気になっていたので徒歩で行ってみる事にした。
慧音は今、道を「憶える」為に紅葉の過ぎた森の中を歩いている。
確かに、整備などされていない道は獣道と大差なく、木の根が歩行の邪魔をする。
上を飛んでいけば心地よく感じられるだけの日差しがある時間帯であった。
にも係わらず、今居る細き道は、葉が少ない季節であるにも拘わらず薄暗く見通しが悪かった。
妖怪の縄張りのど真ん中を通るこの道は、よほどの事がない限り人間は通るべきではないと判断せざるを得なかった。
振り向いてみたが、自分が歩いてきた道を判別することすら難しい。
予想を上回る難路に慧音は溜息をついた。
「これでは迷う以前に挫けそうだな」
落ち葉を踏むと踝くらいまで埋まる。足場の悪さは進むに従って増していき、入り来る者を拒むようであった。
徒歩での確認が肝要なのだが、あまりの道の悪さに慧音は閉口する。
割と「歩く生活」をしているので足腰に自信があったが、慣れぬ行軍に筋肉痛の予感がしてきた。
帽子がずれないよう気を配りながら歩いていた慧音は、不意に足を停め顔を上げる。
いつの間に現れたのか、すぐ前に人影があった。
いや、それは人などではない。
ここは里から離れた山道。
狩人くらいなら居てもおかしくはないが、眼前の人影の風体は狩人のそれではなかった。
袖のゆったりとした道服のような蒼と白の衣装、二つの頂点を持つ特徴的な帽子。そして金色に燃える炎を背負っているかのような見事な尻尾が九本あるとなれば、この界隈での該当は一名だ。
一瞬を境にして、異界に放り込まれたかのように空気が変わり、気付けば周囲の生き物の気配が失せていた。
当然か、このような怪異が居れば。
慧音は穏便に済まなさそうな予感を胸に、身を起こした。
八雲藍と相対する。
「引き返せ。今ならば間に合う」
静かな、そして反抗を許さぬ宣告が成された。
八雲の式は両手を袖に入れ、ただ立っている。
怜悧な顔立ちは作り物のような白々しい美を湛え、そして隠しようの無い禍々しさを感じる。
抑えてある妖気はしかし、その静かさでも存在を感じることが出来るほど強大だ。
波のない大海のようだ。 と慧音は思う。古い知識がイメージを喚起する。
「博麗神社に用事があるのだが」
「引き返せ。今ならば間に合う」
繰り返してきた。 おそらく次はあるまい。
目を細める。
正面の脅威に警戒しつつ、気配を探ってみた。
大結界の要である神社は、その存在を認めることこそ出来るが、中身がどうなっているかまでは不明だった。
目の前には八雲の式。
主の憩いのひと時に邪魔が入らぬよう、番犬でも命ぜられたのだろうか。
歴が読めない。
「・・・・・・」
「やめておけ。 つまらぬ怪我は負えぬ身だろうに」
職務に忠実である割には、こちらを気遣う余裕があるようだ。
存外悪い奴ではないのかも知れない。
「ああ、分かっている。 与えられた式に沿っている式神とやりあうのは無謀だ、ましてや主があの八雲紫では」
「ならば帰る事だ。 今の私は守る事においてはほぼ無敵だ」
「ふむ」
肯く。
そして懐から長方形の小片を取り出す。
「カードか。 わからん奴だ・・・な・・・?」
藍の台詞が終わる前に、慧音はそれを投じた。 前に、藍に。
回転しながら飛ぶそれは、スペルカードではなかった。
「うちの里、自慢の大豆から作られた油揚げだ」
「!!」
金色の九尾が逆立ち、太さが倍にもなった。 その様は燃料を注がれた炎のようにも見えた。 藍の心も燃え上がった。
投じられた油揚げから、たちまち芳しい香りが漂う。
藍の嗅覚はそれを捉え、意識に染み込んでくるのを防げない。 防ぎようが無い。
式は、「油揚げが飛んでくる」という、到底脅威にはなりえないこの事態では力を発揮しないが、
眼は緩やかに回転しながらこちらに飛ぶそれに釘付けになった。
木漏れ日ですらわかる見事な黄金色に心を奪われる。 胸が高鳴る。
回転しながら飛行する速度と、周辺の大気の流れなどから対象の重量、密度、構成などを予測算出する。
瞬時に理解した。
こいつは、一級品だ・・・!
そしてそれは、このままだと藍には届かず、手前1メートル程の地点に着陸する。
何度も計算した。間違いない。
食べ物を粗末にするのか言う声と、 敵(仮)から投げられた物を食す事に抵抗する声が、藍の意識下で渦巻く。
推力が重力に屈し、油揚げが落下軌道に入った。
藍の目の高さを落ちてゆくそれは、いくばくもない内に、地に落ち砂にまみれるだろう。
別れの刻がすぐそこまで迫っていた。
忍耐は、そこまでだった。
藍は全力で己に与えられた式を再確認する。
刹那の時間で数千数万を数える式、項目内に「仕事中、間食をとるべからず」の項目がない事を確認すると、迷わず踏み出した。
高速で踏み込まれた脚は大気の壁を容易く蹴り破ると、水蒸気の霧をまとい落下地点へと滑り込んだ。
自身の発した衝撃波で油揚げを損なうこと無いよう、油揚げに風抗結界を張ることも忘れていない。
命令遂行の為の式の力を借りずとも、九尾の妖狐である藍には容易い芸当であった。
時間を切り取ったかのような高速で油揚げの墜落予測地点に到達すると、絶妙の位置で口を開けて待つ。
手を袖から抜く時間すら惜しかった。
楽園まであと30センチを切ったところで油揚げが軌道を変えた。
突然こちらにむけて加速したのだ。
計算され尽された落下軌道が変更され、予測地点が変わった。
驚きとともに再計算を開始する藍に、油揚げが飛び込んでくる。
・・・そうか! お前も私に喰われたいのか・・・・・・!
身勝手な幻想を抱き、油揚げと心が通じたと思った瞬間。
油揚げの中心を貫いて剣の切っ先が飛び出してきた。
【国符「三種の神器 剣」】
森に硬音が一つ響いた。
「やはり隙をついても、攻撃してしまえば式本来の力が発揮されるか」
清廉な霊気を纏う剣を突き立てたまま、慧音は納得の表情をする。
視線の先では、藍が突き込まれた刃を器用に首だけ傾けて歯で食い止めていた。
健康的な白い歯に噛み付かれた刀身は、引いてもびくともしない。
慧音はその光景にどこか不憫なものを感じ、肩の力を抜いた。
剣を引くと拘束は外れたが、油揚げは戻ってこなかった。
いかめしい顔をした九尾の狐は、もぐもぐと油揚げを咀嚼し始める。
無言で見ていると、その表情がまるで花が開く様を早送りにして見ているかのように綻んでいく。
遭遇時の氷の様な印象はどこへやら。だ。
どこか高圧的な彼女の、この蕩けるような笑みはきっと、どんな絵師でも書き残せまい。
眼前の光景に慧音はそんな感想を抱き、この歴史を仕舞いこんだ。
どれほど美味かったのか。
瞳を閉じて幸せ絶頂という顔をしていたが、ひとしきり堪能したのか、やおら表情を締めるとこちらに指を突き付け、
「お、お前! 神器で油揚げ刺す奴があるか! 美味かったぞ!ごちそうさまでした!」
抗議と謝礼がひとまとめに来た。
「あまり気にするな。考え込むと毛が薄くなるぞ?」
「余計なお世話だ」
心当たりがあったのか不機嫌そうに尻尾を振り、渋い顔をする狐。
「ともあれ、ここは通すわけにはゆかん、引き返せ」
「まだ油揚げはあるぞ」
「・・・私を買収するつもりか」
「平和主義なのでね、取引で済むならそれに越したことは無いと思うのだが」
「式は貴様を敵と認識した。 今の私は壁であり矛でもある、ここは通さん」
ふむ、さしずめ「狐の壁 9/9 飛行」に厄介な付与が憑いた、といったところか。
敵対宣告に頷き、大きく息を吸うと、
「なるほど!それは残念だ! 先客がいるなら日を改めて来るとしようか!」
突然大声で、芝居がかった棒読みになる慧音。
「ああ、だが残念だ! わたしはこう見えても忙しい! 次は何時来られる事やら!」
「お、おい」
不審に思った藍は声をかけるが、慧音は構わず続ける。
「せっかく美味い茶が手に入ったから、博麗の巫女殿にも、と思ったのだがなあ!」
冬の森に凛とした声が響く。
慧音の意図が読めた藍は、自分の手が詰みに追い込まれたことを悟る。
もう駄目だ。 結末がどうあれ、自分の待っているのはお仕置きだ。傘でビシバシ、だ。
「お参りもしていこうと思ったのだが! いやあ、残念ざんねん!」
慧音が止めを刺しに来た。
霊夢と二人きりでいちゃつく為に、急ぎこしらえた式とは言え、主、八雲紫の編んだ式。
そうそう抜け道があるとも思えなかったが、こういう切り口で攻めて来るとは。
天を仰ぐ。
木々の合間から見える遥か高空、並ではない視力でも簡単には見えない距離に黒い点が視える。
影はこちらが視ている事に気がつき、手を振ってきた。
「藍殿。明日の新聞が楽しみだな?」
慧音が静かに声をかけてくる。
言われなくても分かっている。
今のやり取りがデバガメ鴉の目に留まった以上、慢性的に記事不足のあの新聞の事だ、この件が明日の新聞の記事になるのは想像に難くない。
「里の守護者が博麗神社に参拝に行くのを八雲の式が阻止した」などと言う記事が紙面を飾った場合、賽銭を得る機会を逸した霊夢が朝イチで我が家に乗り込んでくるに違いない。
・・・昼には焦土になっているかも知れん。
そしてまた、迷い家にも新聞は来る。
もし霊夢が殴りこみに来なくても、この件は主に知れる事となるだろう。
無関心を装っている主が、その実どれだけ霊夢を気に掛けているか、藍は知っている。
何をするでもなく漫然とお茶を飲むその時間を、とても楽しみにしているのだ。
夜の住人であり万年寝太郎の主が、日の出ている時間に起きて出かける程度には。
それを邪魔したとなれば。
追い返してもダメ。
通してもダメ。
詰み、だ。
式たる自分にも答えの出せない問題に、藍は頭を抱えそうになる。 ついでに胃が痛くなってきた。
黙り込んで悶え出した式に、慧音は蜘蛛の糸を垂らす。
「さて。 唐突だが私は少々歩き疲れたので、この辺りで小休止を摂ろうと思う」
勝手にしてくれ、と投げやりな視線を送ると、慧音はこう続けた。
「実は、茶葉はあるが茶請けがないのだ。 藍殿、用意してはくれまいか」
試すような視線を受け、藍はこう返した。
「・・・多少、日持ちのする物の方がよいのだな?」
そう応えると、慧音は満足気に微笑んだ。
「そうだ。 出来れば少し多めにお願いしたい。私と博麗だけでは余る程度には」
「承知した。 しばし待たれよ」
次の瞬間には九尾の姿は跡形もなくなった。
■
ようやくにして辿り着いた神社は、ここまで来てもなお人を拒むような長さの石段が続く先にあるらしい。
不揃いな石段に辟易しつつ登り、連なる鳥居をくぐる。
緩やかに長く続く石段は苔むしていて、時間の堆積を感じさせた。
風雨に削られ丸みを帯びた灯篭達の並ぶ先に、一際大きく今にも倒れそうな、古びた鳥居がある。
年季が入りすぎ今にも切れそうな注連縄は、それでも立派で荘厳だった。
掠れて読めなくなる寸前だが、たしかに「博麗」の文字が読み取れる。
ようやく、着いた。
境内に入る瞬間、何層かの結界を越えたのは知覚できた。
「なあに? 今度は珍しい顔ね」
慧音が声の方を向くと、箒を提げた博麗の巫女がいた。
「いらっしゃい。 素敵なお賽銭箱は向こうよ」
それだけ告げると、境内の掃除を始めた。
噂に違わぬ放任ぶりだが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
慧音はじゃすじゃすと玉砂利を踏み、さして広く無い境内を歩いていく。
少しも歩かないうちに、そこかしこに視える歴史の残滓からここが大層な魔境だと分かった。
先刻まで居たはずの八雲は言うに及ばず、向こうの縁側には昨日の夕刻まで西行寺の亡霊姫が従者を抱き枕に昼寝をしていた履歴が視えるし、
黒の魔法使いの着陸痕は物理的に残っており、紅い悪魔の従者が人知れず流した寂愁の涙の歴などは絶妙な味がする。
・・・と言うか、同じ時間軸に晩飯の履歴が視えるのだが、何があったのだろう? 精査しない方が今後の為だろうか?
夏の終わりに戦った連中以外にも、妖精やら近所の妖怪が勝手気ままに出入りしているようだった。
種族的な問題があるが、大変賑やかな場所だという印象を受けた。
慧音は歩きながら、野良猫に餌をやる「猫おばさん」を連想した。
猫おばさん或いはおじさん、は餌付けせずとも猫が集まってくると聞く。 彼らには猫を惹きつける何かがあるのだという。
ただ居るだけで妖怪を惹きつけるというのなら、博麗霊夢はそれに相当するのかも知れない。
雑多な思考で見回す中、見知った人間の来た履歴を発見した。
ほう、妹紅まで来ていたとは。 どれ。
肝試しのお礼参りというわけではなさそうだが・・・妹紅、そんな口ぶりでは何をしに来たか伝わらんぞ。
お。 ほうほう。 私の事をそう言うのか。 なるほど。 しかし妹紅よ、お前緊張するような歳か。
ん? あ。 ああっ あああ! ああああ!?
なんだこの流れは!? 何故こうもすんなりと!? これが博麗の力なのか!? というか妹紅少しは抵抗を・・・ああっ!
午後の日差しを浴びて、気持ちよさそうに膨らんだ布団には恐ろしい歴史が潜んでいた。
正直な心情としては、無かった事にしてしまいたかった。
したかったが、人付き合いの希薄な妹紅が自分から足を運んだ事実は喜ばしいことで、それごと喰らってしまうわけにはいかない。
というか、その布団の歴史、大丈夫か。
垣間見た幾多の戦歴に「桃色の幻想郷」という単語がよぎる。
なるほど、紅と白は混ぜれば桃色という事なのだな。
・・・今夜は、呑みにいくか・・・
屋台の安酒の味が恋しくなった。
ともあれ、様々な妖が昼夜問わず訪れるという噂は事実であった。
これでは普通の人間は訪れまい。 常連妖怪の誰か一人でも居れば、たちまち周辺には不吉な空気が渦巻くことだろう。
霊感の弱い人間でも身の危険を感じる程度には、辺りは緊張するはずだ。
居る面子によっては近付くだけで命を落としてしまいかねない。
人を護る博麗の巫女の住まいこそが、幻想郷屈指の危険地帯になっているとは、なんとも皮肉な話だった。
考えようによっては、危険な連中がここで暇を潰していくので余所が平穏だとも言えるが、そんな抑止力では賽銭は入るまい。
考え事をしていたら手水舎に着いていた。
参拝客など居ないという噂から、もう少し荒れているかと思ったが、予想と裏腹に手入れが行き届いている。
毎朝二時間をかけて掃除し尽している巫女の姿が視えた。
神前、賽銭箱までの短い道も、どこかの庭園のように美しく整っている。
心身を清め神前へと歩む。
衆人からこの神社には神など居ないと聞いているが、何がしかの強い力を感じる。
何も居ないとはとても信じられなかった。
正体不明の力を前に、神妙な気持ちになる。
ここも二拝ニ拍手一拝、でよいのだろうか? 慧音は賽銭箱の前で数瞬悩んだ。
生きていて長い慧音だが、知識として持っている参拝の作法を自身で使うことが来るとはあまり思っていなかった。
財布を取り出し賽銭を投じる。
先ほど視た歴史に、もはや硬貨で済ませる事など出来なくなっていた。
畳んだ紙幣が緩やかに落下し、賽銭箱に入
「何してるの?」
突然声をかけられた。
「ひゃ!?」
思わず振り返ると、背後、1メートルと離れていない所に、あちらを掃除していたはずの博麗の巫女の姿があった。
「入れたの?」
主語抜きの質問がきたが、ここで入れるものといえば、答はひとつだろう。
質問の形こそしているが、そこには有無を言わせない迫力があった。
自然体で佇む巫女は空気のように捉えどころがなく、しかし間近に迫る嵐の雲のような威圧感を錯覚させる。
あの満月の異変の時ですら、これほどの緊張感は無かった。
・・・下手な返答は命に係わる・・・!
根拠無く浮かんだ予感が背中に冷たい汗を呼ぶ。慧音は思わず後ずさる。
「入れたの?」
下がった分を詰められた。 腰が賽銭箱に当たる。
急に背後に出現した上に、只ならぬ様子の博麗にさすがに慧音は動揺した、が、もつれる舌でどうにか言葉を紡ぐ。
「い、いや、御参りに、 賽銭を、 だな」
「入れたの?」
「あ、ああ」
やましいことは無い。賽銭は入れたのだ、確かに。
慧音は辛うじて肯定すると、頷いた。
次の瞬間、博麗は神速で残りの距離を詰めた。
「!」
身構えるよりも早く抱きつかれる。
全身でぶつかるように、こちらの胸元にうずめた顔は表情を窺えないが、何かを堪えているように見えた。
なぜこうなったのか。
おおよそ察しのついた慧音は、しかし気の利いた言葉をかけてやることが出来ずに居た。
妖怪退治は力ある人間の役目。
中でもこの巫女の力は群を抜いている。
満月が隠されたあの夜。
慧音を退け、永遠亭に押し入り、永琳の施した術を破り満月を取り戻した。
一夜限りとはいえ、博麗と八雲が手を組んでいたのだ。
今になって考えてみると、里の為とはいえどれだけ無茶な戦いを挑んだことか。
しかしすべては逸史だ。
それ故、人々は博麗の巫女が健在で、異変に立ち向かっている事を知らないのだ。
それ故、人々は遠く存在も不確かな博麗ではなく、里に近いお節介な半獣を頼る。
巫女の代わりをしている自覚はあるし、人間に頼られると確かに嬉しい。
ここの賽銭事情悪化の原因の一端を担っている事は、慧音にも自覚があるのだ。
驚きに強張っていたが、その事に思い至ると自然と力が抜けた。
何も言わない。
変わりにその細い肩に手を置いて、そのままでいた。
暫くそうしていたが、博麗は不意にこちらを突き飛ばすように体を離すと、突然視線を外した。
赤い耳をして、上を見ていたかと思うと、
「あ、あはは、あんなところにに蜘蛛の巣。 あとで掃除しなくっちゃね!」
白々しく笑う横顔を見つめる。
そこには蜘蛛の巣などない。
もし夜の蜘蛛だとしても、盗る物の無い此処では盗人ですらも不憫で賽銭を入れていくかもしれない。
慧音はそう思った。
■
そこは客間兼居間であり博麗霊夢の生活空間であった。
箪笥がある他は調度品が少なく、代わりに積まれた座布団と、適度にくたびれた畳は上がりこむ客の多さを暗に語っていた。
土産があるのでついでに話でも、と上がらせて貰う。
茶筒を渡すと、
「お茶の備蓄は多いに越したことはないわ」
実に嬉しそうに、ニコニコとお茶を淹れに行く様子は先ほどまでの態度とは別人のような喜び様であった。
何かと来客があり、なんだかんだとお茶をしていくので茶葉の消費は深刻な問題らしい。
正座の見本のような見事な形態で待っていると、奥の間との仕切りのふすまが勢い良く開いた。
お盆を持ったまま足でふすまを開けたらしい。 入ってきた後に後ろ足で閉めるところまでやってのけた。
慧音の物問いたげな視線を受け、僅かに怯む巫女。
「なによ」
「いや、器用だなと思ってな」
「いきなり背後に出て、可愛い悲鳴をあげてもらってもいいんだけどね」
「むう」
包みを開けると、中には整然と並んだ饅頭の姿があった。褐色の皮はつややかだ。
「多くない?」
「少し奮発してみた」
見れば確かに三、四人で消費してもどうかという量であった。
数に余裕があるのを見て取り、贅沢にひとくちに頬張る巫女。
その様子を慧音ははしたない、と思ったが栗鼠のように頬張る様子はなんだか愛嬌があった。
むぐむぐと咀嚼している表情に疑問符が混ざり、飲み込んでの第一声が、
「・・・これ、どこの?」
問いであった。
さすがに鋭い。と内心で驚くが、用意しておいた答を口にする。
「里の藍(あい)屋、という和菓子司のものだ」
「ふうん」
「口に合わなかったか」
「そうじゃない。 むしろ好みよ」
「それはよかった」
「・・・」
物問いたげにこちらを見ていたが、無言で饅頭に手を伸ばした。
博麗が饅頭をぱくついている間に、慧音は興味本位で居間の履歴をめくってみる事にした。
先程まで居た、八雲紫。
慧音の隠した里の歴史を容易く看破した妖怪。
あらゆる境界を操る絶大な力を持ち、考えを表に表さず得体の知れないその存在は、幻想郷の支柱とも言える存在だと聞く。
謎多き大妖。 その実態に少しでも触れることが出来るだろうか。
軽い気持ちで覗くと先程のような衝撃が待ち構えているかもしれないので、ある程度の覚悟を持って望んだ。
ふむ。八雲が来たのは昼前か。 ああ、この時間に訪れれば昼飯目当てと邪険にされてもしかたあるまい。
しかし、前に見たときとはエライ差だな。
贈り物で気を引く、か、えらく基本的だな。 まあ、基本を疎かにする者にそこから先など無いのだが。
食後に先ほどの柿か。 八雲よ、お前の土産とはいえ家主に剥かせるのか。
あ、切ったぞ。ほら見たことか、柿は滑るからな。
な!? た、確かにその程度の傷「舐めておけば治る」とは言うが・・・!
まさかここまでを見越した上での、柿の土産なのか!?
ぐむむむ・・・ためになる・・・!
それに何だ、この博麗のしおらしさは! 先程視た捕食者の顔とは大違いではないか!
慧音はそれからも履歴を追っていたが、一見なんということのないやり取りの裏に潜む、八雲紫の手管に舌を巻いた。
指を怪我した博麗に、柿を食べさせたり。
疲れたという博麗に膝枕→耳掻きという華麗な連携が炸裂したり。
かいがいしくお茶を注ぐ振りをして、こぼしてみせ、当然怒る博麗に茶葉の補充を確約し次回訪問の口実を取り付けてみたり。
・・・そんな事をせずとも・・・いや、それとも「理由がないと追い返される」とでも思っているのか?
あの八雲が、そのような事を気にして行動しているとは思えんし、そもそも博麗がそのような事を言うはずも無いのは周知の事実だ。
これも八雲なりの遊びの一つなのかも知れないが、正直、理解は出来なかった。
その後も、慧音が訪れる頃まで、幸せ甘々タイム(あくまで八雲の主観だが)は続いた。
満足顔の巫女は饅頭を三つほど平らげた所で、蓋をした。
慧音は最初の一つで辞している。
どのみち、 山符【甘地獄洋風油蕎麦 紅と翠】 のような甘い歴史を視た今の状態では、饅頭など見たくもない。
掛け値抜きで「饅頭怖い」の状態であった。
「一応訊いてあげるわ、何しに来たの?」
「なに、ただのお参りだ。 まあ、博麗殿と話をしてみたかった、というのもあるが」
「博麗殿ってのはやめなさい。 霊夢でいいわよ」
そう言うと、霊夢は居心地悪そうに身を震わせる。
「そうか、私は上白沢でも慧音でも構わないぞ」
「うるさいハクタク。 あんたは慧音。そう呼ぶわ」
堅苦しい呼び方をして訂正されるのはいつもの事で、儀式めいたやりとりに慧音は慣れていた。
むしろ、名乗っても態度を変えない人間に慧音は若干の感動すら覚えていた。
素性を明かしても怯まない人間の記憶は、長い慧音の歴史の中でも希少である。
「でも、あんただって暇じゃないんでしょうに」
「里の事か、なら今日くらいは大丈夫だ」
「平和なのね」
「最近、私の所に黒くて素早い奴やら人形使いやらが来るようになってな」
「・・・そう。 最近来るペースが落ちたから、篭ってるのかと思ってたけど、他に巣を作りだしたのね」
今年も軒先に燕の巣が出来た、程度の気楽さで言ってのける霊夢。
「不吉なことを言うな。 ともあれ居るなら役に立てと、留守番を申し付けてきた」
「魔理沙はともかく、アリスは変に律儀なところがあるから、いいんじゃないかしら」
「確かに留守番には良いが、気が付くと生活雑貨が増えているのはなかなかに不気味だぞ」
慧音はそこまで言うと、冷めた茶を啜る。
「――」
霊夢はおもむろに立ち上がると、部屋の隅の箪笥を開けた。
「?」
怪訝な表情の慧音に説明のないまま、霊夢が中から引きずり出したのは豪奢なドレス。
黒を基調とし緋色をあしらった本体は、薄暗い室内でもシルクの光沢が分かる。
これでもかとフリルとリボンを満載した少女趣味全開のそれは、およそ純和風家屋の箪笥の中から出て来てよい代物ではない。
あまりの違和感に慧音は含んだ茶を吹きそうになった。
畳んでしまってよいものではなかろう、とか防虫剤が挟み込まれているのはどうか、とかツッコミどころは他にもあったが、
思わず駆け寄り他の段を開けて見る。
すぐ上の段には、上質なシルクの肌着やらなにやらが詰め込まれていた。
一目見ただけで超がつく高級品だとわかるソレらは、こぢんまりと畳まれて箪笥の中に整列している。
自身の固定観念にヒビを入れる庶民臭さと超高級のコラボレィションに、慧音は軽く寒気すら覚えた。
「その上の段は魔理沙の着替え。 下の方にはメイド服もあるわよ」
上の段は黒一色だった。冗談のように同じ服が詰め込まれている。
箪笥の下の方には鍵のついた段があり、鍵には強烈な拒否の意思がこびりついている。
何も言えぬままに振り向くと、澄ました顔の霊夢の背後に立派な桐の箪笥がある事に気が付いた。 気が付いてしまった。
「西行寺家の・・・家紋」
中に何が入っているかなど、確認するまでも無い。
・・・これが、巣を作るということか・・・!
己の城ともいえるささやかな庵。 そこが今まさに侵食されつつある事実に気が付き、慧音は戦慄した。
茶を淹れなおした霊夢は「あいつらは」と語り始める。
大妖怪どもはわざわざ遠いここに来るらしい。幻想郷のはずれに位置するこの神社に、大結界に縁のある八雲はともかくとして、
日中に日傘持参で来る吸血鬼に、はるばる冥界から降りて来るくいしん亡。
「あんなのが来るから、お賽銭どころか人間が来ないのよ」
遠慮の無い霊夢の物言いは、しかし厭味はなくむしろ、ある程度の気安さを感じた。
初夏の大宴会からこっち、何がしかの手土産を持参するのが暗黙の了解になっており、裏を返せば手土産があれば人妖お構いなし、
という事になってしまっている。
「おおよそ神社としての体裁を失っているな・・・」
「いうな」
なにか色々と苦労している霊夢に、慧音は自分の悩みが小さな事ではないかという錯覚がしてきた。
■
「鍋?」
「そうだ、土鍋の予備などないか? あれば譲って貰いたいのだが」
「でも鍋くらい持ってないの?」
「家で大人数で食事するようなことは、今まで皆無だったのでな。 小さい物ならあるのだが」
「先に言っとくわ、霖之助さんのとこには実用品は無いわよ」
なんだか朝にも同様のやり取りをした気がする。
そして、尽くこの扱いを受ける香霖堂の品揃えに、いらぬ心配をしてみたくなった。
「でもまあ、物置に大きいのでも似たようなサイズのが幾つかあるから、一つくらいならいいわよ」
お茶のお礼もあるしね、向こう三回くらいで。と笑いながら霊夢は縁側から庭へ出て行く。
「すまない、助かる」
薄い座布団で長時間正座していたにも拘らず、揺らぎなくするりと立ち上がる慧音。
縁側備え付けのくたびれたサンダルを引っ掛けようとしたところで、先に出ていた霊夢の何か言いたげな視線に気がついた。
「?」
段差により見上げる形になったのだろう、霊夢の視線は慧音の胸郭部に突き刺さっていた。
「――なぜかしらね、鍋をあげる気が失せていくわ」
どうして目の敵にされなければならないのか! 好きで大きくなったわけでもないのに! 慧音は内心で叫ぶ。
「何を言うか、明るい未来はきっとすぐそこまで来ている」
「歴史の半獣の言葉・・・・・・信じてもいいのかしら?」
「私は嘘が嫌いだ」
底冷えのする視線にあと三秒でも耐える自信が無かった慧音は、思わず、来ないであろう未来に縋ってしまった。
さして大きくない土蔵。
物置と蔵の中間程度の存在は、あまり開かれる事の無い扉で外界と区切られており、それは適当に抵抗しながら開いた。
中は雑然としており、普段使わない物や、先代以前より引き継がれている用途不明のガラクタなどが一緒くたに納められていた。
雪かき用の角スコップの隣に、いかにも力を秘めていそうな小太刀が置いてあったり、折れた布団叩きと玉串が並んで立てかけてあったり、壁のひび割れに新聞が詰め込まれていて、その上に「活きた」符が補修材代わりに貼り付けてあったりした。
霊験と生活感の雑煮のような様相は、慧音の持つ「博麗の巫女」のイメージを砕くには十分だった。
慧音が入り口で躊躇している間に、霊夢は換気窓の幾つかを開けていた。
天井付近の隙間から、午後の日差しが差し込んでいる。
発生した穏やかな空気の対流に埃が舞い、光の花道で踊っていた。
蜘蛛の巣を盛大に絡めた破魔矢の束と、何も書かれぬままに埃を被った絵馬が目に入る。 見ていて辛くなってきた。
「そんなに奥に入れたわけじゃないから、その辺にあると思うわ」
奥から霊夢が戻ってきた。
こんな中を往復してきた割には、どういうわけか服にも髪にも汚れ一つなかった。
埃と蜘蛛の巣の跋扈を許していない、比較的浅い層に目当ての区画があった。
「こんなものね」
「これ・・・か」
ごとり、と、蔵の前の地面に置かれたのは、確かに鍋。 土鍋もあれば鉄鍋もある。
しかし数が多い。 しかも大きい。
昨夜に永遠亭でつついた鍋は、およそ四人用。
熱の通り方や見栄えなどを考慮して永琳が選んだのだろうが、ここに置かれている鍋達は、それを軽く陵駕する大きさの物ばかりだ。
実際、台所にレギュラーとして待機している物はもう少し常識的な大きさの物もあるそうで、ここにいる奴らは所謂代打の切り札。
ここぞという時の頼れる兄貴。 そんな扱いらしい。
頭数の増減に対応する為なのか、僅かな径の差で鍋が並んでいる様子は、ここが神社である事を忘れさせるには十分な光景だった。
・・・里の祭りなどで炊き出しに使う物とほぼ同格の鍋や、子供が入れるたらいのようなサイズの土鍋など、使う宛てがあるのかとか、これを火に掛けるには櫓のような設備が必要なのではないかとか、いやそもそもこの鍋たちを満たす食材の量と、それを要求し消費する数の妖怪どもが集まるという事実が、慧音を打ちのめす。
「一度に三つくらい使う事があるから、考えて選んでね」
止めを刺された。
用語やキャラの関係などが引き継がれていますが「じゃあちょっと見てみるか」というには少しばかり長いのでご注意下さい。
本日の対戦結果
三十分一本勝負
蓬莱山 輝夜○(14)― ●(12)藤原 妹紅
本日のハイライト
いつも通りの一進一退の攻防であったが、残り2分を切った辺りでいつもと違う展開になった。
1ポイントリードを奪っていた輝夜が、勝利を決定付ける為に新スペルを放ったのである。
■
太古の夜空に浮かぶは偽りの月ではなく、蒼く輝く珠。
広がる荒野は、草木なく灰白色の岩肌の露出した無機と死の平原。
過ぎ去ったいつかの時のどこかの場所を切り出して、一夜の逢瀬の場とする、「とっておきでもなんでもない術」
戦いの最中に飛び火した炎が、燃える物などないはずのこの場所でも篝火のように点在していた。
周囲の炎の照り返しを受け、闇のような黒髪が朱に輝く。
肩で息をしつつも笑みを絶やさない輝夜は、僅かに間合いを取ると妹紅を見据えて叫ぶ。
「受けてみなさい! 私の新たな力!」
見せ付けるように差し出されたカードは、確かに見覚えのない絵柄が描かれていた。
呪符から感じ取れる力は、滾る熱、激情の紅、貫く意志。
隣で観戦していた永琳が腕を組み直すのが見えた。
飽きるほどに飽きる事無く、繰り返し殺し合っているこの二人である。
お互いの手の内など知り尽くしているだけに、この意外な展開は妹紅を大いに燃え上がらせた。
「ぃよし来い! お前の黴臭いスペルなんざ怖くないわよ!」
活の入った心に呼応するように、凰は、輝ける龍の顎で引き裂かれ千切れかけていた翼を復元すると、輝きと熱量を増した。
紅蓮から白い煌きが噴き出し、立ち昇る熱気は焼気となって周囲を嬲る。
大気が身を捩り、豪風となる。
輝夜は、嬉々として迎え撃とうとする妹紅を睨み、しかしそれでも微笑むとカードをかざし、魔力を吹き込む。
「それでこそ妹紅! でも、甘く見たのが命取りよ!」
妹紅を中心とする灼熱の風に髪を気高くなびかせ、口元にはどこまでも禍々しい笑み。
そのまま絵にすれば、誰もが溜息をつくような、歪んだ――美。
息を吸い、
腹から叫ぶ。
【灼熱! かぐやぁ!! ビ―――――――――― んムっ!!!】
緊迫した場面で飛び出した投げやりな名前のスペルは、本来の力を発揮するより前に、居合わせた全ての者の精神に打撃を加えた。
「あはははははははははっ! ちょ ちょっと、なによその名前―!!」
妹紅は腹を抱えて笑い出した。
直視出来ない程に輝いていた鳳凰は見る影もなく、芋を焼くのに丁度よさそうな温度になっている。
記録係として平静を保たなければならず、また親友の仇敵とは言え指をさして笑うわけにもいかず、腹筋を痙攣させつつ耐えていると、どさり、と土嚢でも降ろしたかのような物音がした。
何事かと思い隣を見ると、目を見開いた永琳が横倒しになって転がっている。
「永琳殿?」
「・・・」
へんじがない ただのしかばねのようだ
放っておいても生き返る、が、理由もなく死ぬとも思えないし簡単に死ぬようなタマでも無い事も知っている。
興味を覚えた慧音は、寸前の歴史を視てみる事にした。
・・・じわり、と脳に沁みこんだその音。
聞き間違いかと思ったが、それにしてはカード名らしき響きだった。
久々の新作という事で、主の為丹精込めて構築した術式に、よもやそんな名前を付けられるなど思っていなかった。
空耳だと信じたかった「それ」の正体に気が付いた時、
八意永琳の心臓は停止した。
要は紙一重。 ショックによっても人は死ぬのだ。
永琳は声もなく死に、そして蘇生した。
「死ぬほど驚くことか」
「ビームって・・・貴方はどう思う?」
「く。 いや、これはこれでなかなか味わい深いと思う・・・ぞ?」
腹筋が軋む。 記録するのも一苦労だ。
「う、うるさいわね! 試作なのよ! 試作なのよ!!」
周囲の反応に顔を真っ赤にして弁明している輝夜。
それはそうだろう、笑われるどころかショック死されたのだから。
両拳を上下に振りながら喚く様は、里の子供が駄々をこねているのと大差ない姿だった。
しかし、スペルは生まれを選べない。
与えられた名前はどうあれ、ソレは己の存在意義と構成術式に従い解放され、秘めた力を発揮する。
とっくに展開していたスペルは、「待て」を命じられた猟犬の如くに、静かに獰猛に待機していた。
半分ほどに収縮した魔方陣に気付き、輝夜は気を取り直して構える。
「・・・びーむ」
新作の初手は、極めておざなりにトリガーされた。
大出力系のスペル特有の、若干の「溜め」の後、突き出された輝夜の細く白い腕(これまでの応酬でお互いの衣服はほぼ焼失している)から、眼の眩む閃光が放たれた。
知覚してから回避したのでは遅すぎる速度で、超高熱、超高圧の熱線が迸る。
灼熱の槍は瞬き一つの時間で奔り、致命的な隙を見せた妹紅をすっかり温度の下がった鳳凰ごと貫くとその上半身を焼滅させた。
照射の勢いそのままに飛んだそれは、妹紅の背後の地面を諸共に吹き飛ばすと、彼方の「壁」で止まり大爆発を巻き起こす。
弾けた紅い光は、戦場を覆っている結界の第一層を破り、第二層をたわませた所で第三層に抱き止められた。
衝撃と熱量に空間が軋み、熱風と衝撃波が無機の地面を駆け抜ける。
■
結局、輝夜がこのリードを維持したまま時間切れとなった。
もっとも、この時の妹紅に逆転の意志が燃え盛っていたか、といえば甚だ疑問ではあるが。
件のスペルの基礎理論は、永琳の手によるものだそうで、聞く所によると大変珍しい紅い石の伝承が基礎となっているとかどうとか。
私見だが、弾幕戦において回避不能の攻撃はどうかと思われる。
ただ、どこぞの魔砲のように照射までに時間がかかるようなので、その辺りに隙があるようだ。
まだ試作段階という事なので、完成を楽しみに待とうと思う。
そこまで書いて、慧音は筆を置いた。
首と視線だけで隣を見る。
灯の明かりの届く端、そこに永遠の時の虜囚、藤原 妹紅が眠っていた。
妹紅は今、気力、体力を使い果たし、死んだように眠っている。
死んだように、という自分の表現に慧音は苦笑した。
このくらい徹底的に戦うと暫くは大人しくしていてくれるのだがな、と、枕元に移動する。
寝ている妹紅の顔はあどけなく、そして安らかだった。
薬を飲んだ時から成長が止まったと言っていた。その顔。
今はなんの不安もなく眠っている。
先刻までの破壊と激闘の当事者とは思えなかった。
地を焼き、空を焦がす紅蓮の炎の担い手。
破壊と再生を司る不死鳥の理力。
あの嬉々とした貌。
あの狂々とした貌。
思い出し目を伏せる。
それも束の間。
慧音は視線を戻すと、つ、と右手を伸ばす。
起こさないよう注意しつつ、眠る妹紅の頬に触れる。
蓬莱の薬は変わらず万全で、あれだけ見事に消失した妹紅の上半身を完璧に再構築してみせた。
(妹紅・・・)
間違いなく、見慣れた顔である。
人差し指で頬から薄く開いた唇をなぞる。
と、差し出していた指が咥えられた。
指先に湿り気とぬめる感触。 続けて甘噛みされる。
「起きたか」
「ん」
平然と返す慧音に、これまた平然と眼を開ける妹紅。
「寝ている乙女にちょっかい出すのは感心しないなあ、慧音」
「私がこんな事をするのはお前だけだよ、妹紅」
二人の少女は見詰め合う。くすくすという笑い声が朧闇の部屋に響いた。
着替えの済んだ妹紅は、慧音に髪を整えられていた。
行灯の弱々しい灯りは、絹糸のような妹紅の白髪を仄かに橙色に染めている。
細く、コシの弱い髪を痛まないように丁寧に梳いてゆく。
妹紅の髪は滑らかで手触りがよく、この時間は慧音の密かな楽しみであった。
「惜しかったなあ、あれさえ来なければ私が勝っていたはずなのに」
「そうかも知れんな」
二人は思い出し、ひとしきり笑う。
「私も新技が欲しい」
「そうだな」
「という訳で慧音、」
肩越しに振り返った妹紅の眼は、遊びを思いついた子供のようにいきいきとしていた。
「戻ったら戦力の見直しでもするか。どれくらいぶりだろうな」
最後の符を結わえ付けたところで、妹紅の腹が鳴いた。
「おー。 健康第一。我ながらよく鳴る」
「なんにせよ食事にしよう」
「そうだね」
ここは永遠亭。
月からの逃亡者達の隠れ家。
永遠を内包する竹の籠。
咎人達の安らぎの揺籃。
秋の収穫祭が終わり、冬篭りの支度が進む頃。
慧音は妹紅の付き添い兼、決闘の見届け人として同伴していた。
ここは永遠亭の客間の一つであり、今日は招待選手、つまりは客人待遇である。
永遠亭の存在が明るみに出た昨今、そこの当主が勝手気ままに竹林を焼いている、などという風評が流れるのはよくないという判断から、偶発的な遭遇戦以外は派手にならない方法でやりあおう、という事になった。
目立てば天狗が嗅ぎ付けるので、永琳の創る限定世界での戦いが最近の主流となっている。
何か軽く食べるものを、と、小間使いの妖兎を呼んだところ、食事の用意が出来ているという返事があった。
用意の良さに二人は顔を見合わせるが、身体は素直に空腹を訴えた。
今度は二人揃って鳴った腹の虫に、小間使いの兎がくすくすと笑う。
「ささ、妹紅様も慧音様も」
若干の居心地の悪さを感じつつ、促された両名は部屋を出た。
長い長い廊下を歩く。
建物の敷地面積を無視する広さは永琳の術に依る物であり、侵入者対策や重要物の保護管理の為に入組んだ構造になっている。
古いままの時間を内包するこの屋敷は、様々な文献、希少品、貴重品、薬品類、危険物が目白押しである。
そしてそれを狙う輩も存在する。
どこにでも出るのだ、あの黒くて素早い奴は。
前を歩く妖兎は、ぴょこりぴょこりと先を行き、時折、確認するように振り向く。
こちらと目が合うと、嬉しそうに、恥ずかしそうに表情を崩し、すぐ前を向くとまたぴょこりぴょこり。
「もてもてだな、妹紅」
「なに言ってるの、あれは慧音だよ」
表情を変えず告げる慧音に、妹紅が肘で突付きながら返す。
並んで歩いている為、腕が邪魔で脇腹には入らず、少し上にある不届きな膨らみに肘を入れる。
妹紅の耳を抓りあげる慧音。
実際。 理由はどうあれ古くから縁のある二人である。
妹紅の目当てはあくまで輝夜なので、向かってこない限りは妖兎たちにはほとんど手を出さない。
最近増えたとはいえ、極度に来客の少ない永遠亭において、昔から頻繁に訪れる上に主達と互角の戦いを繰り広げ、屋敷を破壊に巻き込む妹紅という存在は迷惑であり、変化の乏しい日常においては貴重であった。
そういうわけで、一部の妖兎達に熱烈なファンクラブが出来る程度には永遠亭に馴染んでいた。
前に話を訊いた時は、
「戦う姿が凛々しい」とか「ジト目がたまんない」とか「あんたにゃ渡さん」など色々な意見が聞けた。
案内を任されたこの兎も、どうやら妹紅FCの一員らしい。
案内係の熱い視線を受けつつ通された部屋は先客がいた。
「おや」
「む」
「いらっしゃい」
「遅いわよ」
食卓には、くつくつと心地よい音を立てる鍋。 脇には飯びつと順番待ちの野菜やら肉。小鉢に卵。
そして幾つかの酒瓶と四つのぐい呑みが見える。
飲む気か、こいつら。と、慧音は思わず眉を寄せる。
危惧するのは酒の勢いで先ほどのリターンマッチが始まらないか、という点。
敵地である不利があり、どちらが勝っても屋敷に被害が出る。
見て見ぬ振りを決め込めるほど慧音は薄情ではなかったし、義理で修繕を手伝うくらいには縁は腐っていた。
「なにをしてるの。 さっさと座りなさい、毒なんか入ってないわよ」
「冷めたら貴方の責任よ」
妖しげな鍋敷きが保温をしているのは説明されなくても分かるが、そうまで言われては座らない訳にいかない。
慧音とて腹は空いている。
さらりと不穏当な台詞も出たが、この場に居る四人の中で毒がまともに効くのは慧音だけだ。
自分がどうこう言っても状況は変わりそうにない、と、仕方無しに腰を下ろす。
隣を見ると妹紅はもう座っており、邪魔にならないようにその長い髪を束ねだした。
「ほら、慧音も」
「な、なんのつもりだ妹紅」
「何言ってんの、そんな格好じゃ鍋は戦い抜けないよ?」
確かに。 最近に1対3という不利があったが、記録的大敗を喫した記憶があった。
回想の僅かな隙をつかれ、慧音は帽子を奪われた。
それだけに留まらず、前に垂れてこないようにと、一房ずつ左右の高い位置で髪をまとめられる。 妙に手際がよかった。
「そうだな。 悪い魔女共と戦うのに、何の準備も無しでは勝利は掴めないからな」
「魔女?」
「いや、こっちの事だ」
「ふぅん・・・ほい、これでおっけーね」
髪留めに使っている符の予備を取り出しまとめると、妹紅は満足の表情で頷いた。
頭を振ると遅れてついてくる左右の長い尾のような髪。
首後ろの涼しさに違和感を覚えつつ卓に向き直ると、目の前の連中が驚愕の表情を浮かべ凍り付いていた。
「その表情の原因はなんだ、お前達。 先生怒らないから言ってみろ」
憮然と問いを放つが、答えはなく、代わりに力ある言葉が響いた。
【【リザレクション】】
あろう事か二人揃って死んでいたらしい。
・・・ちょっと傷ついた。
■
なんだか分からないままに、晩餐になった。
食前の合掌、そして礼。
「「「「いただきます」」」」
鍋はすき焼きであった。
永遠亭を取仕切る永琳の辣腕は、ここでも遺憾なく発揮されることになる。
具材投入のタイミング、火加減、引き上げ時。
極めて高いレベルで運営される鍋。 そこには秩序しかなかった。
しかし、あまりに食材の分配等にうるさいため、途中から輝夜に止められた。
「もう少し楽しく食べないとダメよ」
「お言葉ですが姫、肉は有限であり貴重です。 各々が好き放題に投入すればたちまちのうちに秩序を失い、」
「永琳は少し黙ってなさい」
「こればかりは譲れません。ああ、ほら奴等が肉ばかり狙い始めました!」
もう気取られたか。 流石と言っておこう。 だが、主の命がある以上強くは出られぬはず。
戦況はこちらに傾いていると見て間違いなかろう。
己の判断に薄く微笑んだまま、慧音は悠然と牛肉を引き上げる。 大物だ。
「妹紅、これがいい具合だぞ」
「そんなに一度に取っても食べられないってば」
「何を言う、鍋鬼の目が届かぬ内に勝利を確実なものとするのだ」
「睨んでる、睨んでるよ」
「ふふふ、よもや月の天才ともあろう者が、鍋の席で刃傷沙汰を起こす無粋はすまいて。ましてや主の手前で」
ぐ。 と、黙り込む永琳。
「それ以前に私が許さないわよ」
「姫、そう言いつつも私の小鉢にエリンギばかりを入れるのは何故でしょう」
「自分の小鉢の物は自分で食べなさいね?」
「ひぃめぇ」
さらに戦力比が変わり、ついに永琳は孤立無援となった。 あとは蹂躙戦が待つのみである。
「けーねにも取ってあげるね」
「はははすまないな妹紅」
「貴方たち、このまま乗り切れると思ったら大間違いよ」
歯噛みしつつ永琳が唸る。いや噛んでいるのはもはや小鉢に山と盛られたエリンギであった。
厳選されたあらゆる具は、品質、鮮度共に優秀であり美味であった。
酒が入っているというのもあるが、妹紅の楽しそうな様子を見ていると、たまには大人数で食べるのもよいのだろう、と思う。
今回は面子に問題があるが、あの一件以来、自分の周囲には妖怪や普通ではない人間が増えた。
中にはもう少しまともな奴もいる事だろう。
脳裏に魔女三人分の笑い声がこだまする。
・・・居ることだろう。
近いうちに、大きめの鍋でも探しに行くとしよう。
最後の肉を賭けて輝夜とじゃんけんしている永琳を眺め、軽く物思いに耽っていると、酒で頬を赤らめた妹紅が覗き込んできた。
酒瓶が突き出される。
「まーた難しい顔してる」
「そんなことはないぞ」
「その顔はー 面倒なことを考えている時の慧音の顔~ どうせ「たまには大人数で食べるのも悪くない」とか思ってる顔だー」
「むう」
「いいんだって、あいつらがこんな事するのも、私がこうなのも、みぃんな」
「「あの時の為なのだから」」
横合いから差し込まれた声と、妹紅の声が重なった。
視線を送ると、自分の杯に酒をつぐ輝夜と、煮過ぎて硬くなったであろう肉を噛みしめている永琳が見えた。
「妹紅と殺し合いをしているとね、頭の中が真っ白になって、とてもとても気持ちいいの」
「夢中になれるの。 でもね、同時に怖くなるのよ」
妹紅が続け、輝夜が言葉をその後を継ぐ。
「そう。 いつか臨死の恍惚に、蘇生の責苦にすら慣れてしまう時が来るのではないか」
「永劫。 相手を憎み続ける事ができるのかどうか。今日は大丈夫だった。 でも明日は?」
「来年は? 百年の先は? これまでを思い出し、これからを想う。 ・・・少し憂鬱ね」
「だから。 少しケチになる事にしてみたの」
「一回一回を味わって・・・・・・殺しあうの」
「相手の事を一生懸命に想って」
「相手の想いを精一杯受け取るの」
「ここで仲良く鍋を突付くのも、その為の」
「その為の味付け。 肉を盗られた恨みとか、新手の名前を笑われた悔しさとか、取るに足らない物も大事に集めてね」
「少しの変化。 薬味みたいなものかしら」
「もう、些細なことでは驚けない。 次第に心が硬くなる。 だから」
「だから」
「上白沢」
「慧音」
「「貴方も楽しみなさいよ。 私たちと、この宴を」」
歌うように告げる二人の永遠の姫に声を奪われたか、慧音はただ見つめる事しか出来なかった。
頭の中が揺れているのは酒精によるものなのだろうか。
それとも目の前の永遠達にあてられたのだろうか。
「ほらほら、あまり苛めるから困っているじゃないですか」
永琳の苦笑混じりの台詞が慧音を縛っていた何かをほどいた。
「・・・妹紅」
「そんな顔しないでよ、今更だしさ」
「そうねぇ、飽きない為の努力に飽きてしまうかもしれないわ」
慧音から視線を外したまま、にやにやと微笑み、杯に注がれた酒を一息に飲み干す。
「っはぁ!」
もう言うことはない、とばかりに酒に溺れだす輝夜。
天井を仰ぐように反ると、流水の様な黒髪が柔らかく開き、その狭間から桜色に染まった耳やら首筋が見える。
酔いが回ったのか とろん とした目の輝夜をいつもの半眼で睨んでいた妹紅は、慧音に向き直ると、
「それに。 こんな可愛い髪形してるんだから眉間に皺よせるのやめなって」
「むう」
忘れていた。
■
あらかた食べ尽くし鍋が下げられると、だらだらと酒を呑み始めた。
「取材?」
「そうよ」
輝夜に酌をしながら永琳が答える。
「責任者は大変だな」
「本当は主だったところには皆インタビューして回る気だったみたいだけど、面倒だから私が引き受けたのよ」
「そりゃ面白い、横からあること無い事吹き込んでやるのもいいかもねぇ」
「彼女は裏づけの取れていない事は記事にはせんぞ」
酔いが回ってだらしなく座っている妹紅の杯に慧音が注ぐ。
「竹林の火事の件だって姫が有耶無耶にしたけど、諦めたわけじゃなさそうだし。 ここらで牽制しておきたいのよ」
「遭遇戦は減らしたから、そうそう嗅ぎ付けられるとも思わないけど?」
空の杯を差し出す輝夜。
「姫も丸くなりましたしね」
「たまに思いっきりやるのが最近のマイブームなのよ」
「また変な言葉覚えて来たな」
妹紅の差し出した酒が輝夜の杯を満たす。
「まあ、こっちに来る言葉だ、外では死んでいるのだろう」
慧音は空になった壜を下げて、手近な壜を手に取る。 ついでに自分の器に注ぐ。
「変な事を書いたらお仕置きしてやれば良いじゃない。 永琳、そういうの得意でしょうに」
「そうなんですが・・・」
否定はせずに言葉を濁す永琳。ちびりと杯の中身を舐める。
「どうした、珍しいな」
「【密葬法】を仕掛けらたら閉じ込めそこなったのよ、あの天狗、なかなか厄介なカメラを持っている」
「何かあったの?」
輝夜から返杯を受けつつ、妹紅が訊ねる。
「別に大した事じゃないわよ」
歯切れの悪い永琳に3人の視線が集まる。 本人の発言を待つが沈黙をもって永琳は答とした。
「永琳ね、」
「姫」
「いいじゃないの、大した事でもないのでしょう?」
「価値観の相違です」
残りを一気にあおると、自分で注ぎ足した。
「ききたいなー」
「ききたいなー」
「上白沢、貴方似合わないからやめておきなさい」
適当な節をつけて歌い出す妹紅と慧音に顔をしかめつつ、隣から突き出された杯に注ぐ。
「つれないなー、わたしと永琳殿の仲ではないかー」
肩を組みながら、空になったばかりの永琳の杯を満たす慧音。
「・・・貴方、酔ってる?」
「えー? でも慧音ってお酒強いよ?・・・うわ! 痛っ!? なにこのお酒!!」
慧音の席近くの瓶の中身を確かめていた妹紅が悲鳴をあげた。
「やられた・・・てゐね」
「それ、この間のお酒?」「なんなの・・・それ」
呆れた顔をする永琳に、輝夜と妹紅から質問が飛ぶ。
「鬼の娘と遊んであげた時にお酒を分けてもらったのよ。 貰ったのはイナバ達が誰も飲みたがらないくらい強い奴だけど」
「なんだってそんなものを引き受けるのよ・・・うー、まだヒリヒリする」
「だって、くれるって言うし」
「神社の宴会の時にでも押し付けてこようと思ってたのにねえ」
頬に手をあて、はんなりと困った顔をする永琳。
「うははは、えいりんどのー」
「な、貴方、 からむ系だったのね」
しなだれかかる慧音に、中身の入ったぐい呑みを持ったままの永琳が捕まった。
「ちょっと、なんでそっちなのよ!」
「私が訊きたいくらいよ・・・って、どこ掴んでるか!」
怒り出す妹紅に当惑の永琳。
「あはは、えいりんどのも肩こりがきびしそうだなー」
「や、やめなさっ・・・!」
「締め付けるのはよくないぞー」
絡む慧音になす術のない永琳は、今日一日の変事を振り返りたくなった。
今日の運勢は、うどんげ占いではブルーのストライプ。 文句なしの大吉だったはず。
不覚、八意永琳ともあろう者が卦を読み違えたか・・・!
慧音はぺたぺたと永琳の頬を撫で、抱きついたり、肩こりの原因をこねくりまわしたりと、好き放題に纏わり付いている。
「慧音、やっぱりストレス溜まってるのかなぁ」
親友の変貌に、妹紅はどことなく申し訳ないものを感じていたが、次第にいろいろと目の毒な光景になってきた。
「普段が物足りないのかしら? まぁ、妹紅ではああはいかないものねぇ」
座椅子の肘掛にもたれて場を傍観していた輝夜が的確な攻撃を仕掛けてきた。
「う、うるさい! お前だって掴んだり挟んだり出来ないだろう!」
「わたしは標準だからいいの。 でも、もし育ちきるまえに蓬莱の薬を飲んだりしたら・・・ああ、恐怖で死んでしまいそう」
節をつけ、謡うように妹紅をいびる。
「お、大きければいいってもんじゃないって、けーねが言ってた!」
「あら、それは持てる者の傲慢よ。 でも残念ね?上白沢。 永琳の好みはね」
「姫」
続く言葉を断ち切るように、永琳が少し硬い声を出した。
つまらん情報を与えてなるかと、主を半眼で牽制する永琳。 しかし、事態は天才の手から零れ落ちていた。
「・・・ひぅ」
胸元に抱きついていた慧音が、妙な声を出した。
思わずぎょっとして見下ろすと、涙目で見上げている慧音と目が合った。
こちらの胸元から何かを引きずり出そうとしている。
何時の間にか胸のかけ紐が三つばかり外されており、服を着ているというのに背中のホックが仕事を放棄している事に永琳は気がついた。
ちなみに天才の着用品は、自身が開発した自身の為の物であり肩紐無しであり色は黒である。
計算し尽された構造は形状を損なう事無く完璧に保持し、理想的な形態を維持する事が出来ると言う、まさに英知の結晶である。
肩紐があると重さで肩が凝る、とは主の前では口が裂けても言えない永琳はどこまでも忠義者であった。
「貴様何をしてるかーっ!?」
我に返り思わず叫ぶ。
「・・・・・・えいりんどのは・・・わたしがきらいなのか・・・」
か細い、泣き出しそうな声。
「え・・・あ、ちょっと」
困った。正直に困った。
あれこれして鳴かせるのは得意だったが、こういう形で泣かれるのは想定の範囲外である。
ましてや相手が相手だ。
普段との壮絶なまでの差異に天才の脳は大いに混乱し、また弱々しい言動に捕食者としての本性が鎌首をもたげているのも感じる。
まずい、このままだとお持ち帰りしかねない。
今や月の頭脳は左右で真っ二つに意見が割れ、己の服の色のような様相を呈してきた。
ちなみに、いずれもロクな色ではないという事にこの天才は気が付けていない。
「わー、なーかしたー なーかしたー えーいりんがーなーかしたー」
「なーかしたー なーかしたー いーなばーにー言ってやろー」
幸いにも悪夢のような葛藤は外野によって遮られた。
酒が入っている為か童女の様に囃し立てる二人に、永琳は堪らず叫ぶ。
「姫まで! それに今、ウドンゲは関係ありません!」
「あらぁ? 私はイナバと言っただけで、別に萎れ耳のイナバだなんて一言も言ってないわよぉ?」
「っ!!」
事態はあいかわらず、天才の手の届かない所を飛行中だった。
「えいりんどの・・・」
惑乱の隙に、慧音は妹紅に奪取されていた。
「おーよしよし、けーね可哀想だねー」
「普段を知っているだけに、その姿はなにか、こう、来るモノがあるわね・・・!」
妹紅は永琳に見せ付けるように、慧音を抱きしめ頭を撫でており、主がそれを見て何かに目覚めようとしていた。
ああ。姫、飽きずに生きる事に努力を惜しまぬそのお姿、まっことお見事。 この永琳、感服仕りました。
もうどうにでもなれ。そんな気分だった。
■
夜、その中でも朝の近い時間。
妹紅と別れた慧音は自宅へ向かい飛んでいた。
冷たく澄んだ空気は、酒気で火照った体に心地よかった。
永遠亭での夕食は後半が記憶になく、自分にしては珍しく酷く飲み過ぎたのだろう、途中で寝てしまったようだ。
歴史を確認しようとしたところ、妹紅に止められた。
いろいろ知らないでいた方がいいと告げた妹紅の表情は、真剣にこちらを案ずる物であった。
迷惑をかけてしまったのだろうか、しかし、妹紅に気遣われる事を嬉しく感じている自分もいる。
それが嬉しかった慧音は、釈然としなかったが視ないでおいた。
帰り際、見送りに出てきたのは主ではなく腹心であり、その視線にどことなく悪い気配を感じたのは気のせいではなかろう。
猫が鼠を見る視線に近い気がするのだが、何故そのような印象を持ったのかが理解出来ない。
・・・何が起きたと言うのだろうか?
記憶もなく、歴史も読めないとなれば、慧音とてそこらの少女と大差ないのである。
何かと適当な理由をつけては訪れる人形遣いと、一切の釈明なく書架を襲撃しに来る魔法使い。
最近の来客に順位を設けるなら、間違いなく三位までに入る二人に、今夜の留守番を申し付けてある。
留守を任せてはあるのだが、やはり落ち着かないもので、時間が経つにつれ心配になってきた。
そもそも、信用に足る相手なのか。
悪い方へと考えるのは自分の悪い癖だ。と、自嘲すると慧音は高度を下げ始めた。
そろそろ到着という辺りで、下方の森から小さな影が三つほど上ってくるのが見える。
「アリスの人形か」
紅いドレスの人形が、紺の服の人形二体を連れて飛行している。
遠く間合いを取ると、併走し始めた。 どうやら領域侵犯者を照合しているようだった。
速度を落として様子を見ていると、高度を合わせた上海人形は、ぺこりとお辞儀をする。
「見回りご苦労様。おかげで助かったよ」
手を差し伸べると擦り寄ってきたので、頭を撫でてやる。 すると、上海人形は愛想のよい猫のように纏わりついてきた。
ツンケンした主と異なり、この上海人形は物怖じせずに人妖に接する。
単純な思考回路のせいだとか、風情の無い意見もあるが、この子らは既に「アリスの人形」という種族を形成しつつある。
人懐っこい性格の為か邪険にされることのないこの人形は、宴会などでも人気者である。
歳経た妖怪が、人形の奪い合いをしているうちに弾幕戦になだれ込む、というのは見ていて恥ずかしいものがある。
あげく、当の人形に仲裁されていれば世話はないのだが。
淡く羽根を光らせて飛翔する人形を眺め、慧音は嘆息する。
上海人形は不思議そうに首をかしげ、ぱちくりと瞬きをするだけだった。
「お帰りなさい」
庵の前で人形の主が出迎えてくれた。
妹紅以外の者に出迎えられるのは、果たして何年ぶりだろう。 と、慧音は小さく驚いた。
「留守番、ご苦労様。 なにかあったか?」
「特に無いわ。 平和なものよ」
慧音の長い髪に纏わり付いていた上海人形が、アリスの隣に居た蓬莱人形と手を取りくるくると回り始めた。
時折目にするこの行動、製作者の説明では保有情報統合の儀式らしく、「おかえりなさいダンス」と呼称されている。
アリスの側近とも呼べるこの二体は、実際、他のどの人形達より重く用いられており、作りも複雑緻密である。
「まばたきが出来る」のは相応に手間をかけて作り込んだ証左であるし、かけた手間以上に愛情を注いでいるのも事実だ。
ちなみに姉妹のように似た外見だが、内部はまるで違うとかどうとか。
以前、茶飲み話で慧音がこの二体の事を尋ねたら、3時間超過の講釈を受けることになったのは記憶に新しい。
「寝ずの番を申し付けたつもりではなかったのだが」
「いいのよ、夜は魔女の時間。 徹夜なんてザラだし、読む物の山ほどあるここは退屈しなくていいわ」
「なんにせよ助かったよ、ここまで遅くなる予定はなかったのだがな」
軽く言い訳をしつつ、戸を開ける。
すると、あがり口には靴が二足あった。
「あ! 慧音ー! たすけてー!」
「ち、戻ってきたか」
悲鳴と舌打ちに部屋の奥を見ると、半泣きのリグルと赤ら顔の魔理沙が見える。
「お前達・・・」
居間に入るとリグルが飛びついてきた。
そのまま腰に抱きつくと慧音を軸にぐるりと半周。魔理沙から身を隠す。
部屋に漂う酒の匂いと串の乗った皿に眉をひそめ、
「おおよその見当はついたが、敢えて問おう。 お前達、飲んでいたな?」
「おー。平和だったんでなー。ちょっと出前を取ったりはしたぜー」
「なにがちょっとよ! 慧音にツけといてくれ、ってお酒随分頼んだじゃない!」
リグルがここにいるのは出前に来たところを捕まったのだろうか。相手が悪かったとしか言えない。
「それにね、さっきまで魔理沙がリグルを襲ってたのよ」
後から入ってきたアリスが補足する。
「私は女だっていってるでしょう!」
「私はこの目で見ないと信じないタチでなぁ、それに雌なら雌で卵管が妙なとこにあったりし」
「う――わ――――!! 言うな――――!!」
顔を真っ赤にして絶叫するリグルを、だらしなく寝そべったまま、けけけ、と笑う魔理沙。
なるほど、リグルの衣服が乱れているのはそういう訳だったか。 ほら、とりあえずサスペンダーは掛け直しておけ。
「大丈夫だリグル」
腰にしがみついたまま、魔理沙を威嚇しているリグルの頭を撫でてやる。
「お前が女だという事は私が知っている」
「慧音・・・」
柔らかく髪を梳かれ、いきり立っていた触覚が萎れる。
「あら、なんだか意味深なセリフね?」
「ああ、随分前にこやつが悪さを働いた時に、懲らしめついでにちょっと確かめた」
「ぎゃ――!?過去のトラウマが――――!!」
縋っていた存在に裏切られ、リグルは部屋の隅へと跳び退る。
「ははは、冗談だ。 それよりリグルよ、店の手伝いはいいのか? 片付けなどもあるだろうに」
「冗談って・・・そこの蛍がああ言った時点で今のって事実じゃないの?」
「おっと、そうなるか」
はははと笑う慧音。
部屋の隅では、洗われた猫のような目をしたリグルが、人形達に慰められていた。
「慧音ー、お土産はないのか~?」
この事態の主犯は、反省の色なく慧音の持つ手提げに興味を移していた。
「あんたまだ呑む気なの?」
「お前達、本当に留守番していたんだろうな」
慧音は何度目かの溜息をついた。
朝靄に霞む慧音の庵。その台所に明かりが灯る。
片付けをさせているうちに日が昇ってきたので、慧音は四人前の朝食を作る事になった。
初秋から力を持った客が来ることが多くなったここは、里に近い位置にある為か「峠の茶屋」的な扱いを受けるようになっていた。
「ちょっと買い忘れがあるんだけど、その間荷物を置かせて貰えるかしら」
「ついでに寄ったんだが、緑茶でいいぞ」
「はい。先週の貸し出し分ですね、確かに受け取りましたわ」
このままでは、伝え聞く博麗神社と似たような感じで、妖怪寄合所と化してしまうかもしれない。
お土産にと渡された筍(何かの術で採れたて鮮度を維持していた、毎度の事である)を刻みつつ、台所を見回す。
ここ最近だけで、見慣れない湯呑みや、針箱、喘息の薬が置かれるようになっている。
そのうち食器や箸が増えるような気がしてきた。
食事を摂り幾分元気を取り戻したリグルを見送った慧音は、手近なところから当たってみる事にした。
「鍋?」
「そうだ、土鍋の予備など無いか? あれば譲ってもらいたいのだが」
「うちは洋食メインよ? 鍋の時はお呼ばれだし」
上海人形と蓬莱人形が等しく首を傾げる。
「うちか? 探して出てくるなら考えなくないぜー?」
「お前に訊いた私が愚かだった」
「なにおう」
けたけたと笑う魔理沙。まだ酒が抜けていないようだった。
「でも鍋くらい持ってないの?」
「ここで大人数で食事をするような事は、今まで皆無だったのでな。 小さい物ならあるのだが」
「先に言っとくが、香霖のとこには実用品はないぜー」
「そうよねぇ・・・」
腕組みをしていたアリスが、
「そう。霊夢のところになら予備があると思うわ」
「そうだな、いろんなサイズがあったはずだぜ」
魔理沙の同意もあった。
集まる人数の幅の大きい博麗神社においては、鍋や食器の拡充は家人の意思に関係なく行われているらしい。
「博麗神社、か・・・」
最近いろいろ来るようになり、迷惑とまではいかないが今後を考えると不安な要素もある。
そこで対策の教授をと、本来の溜まり場である博麗神社に相談に行こうと考えていたところだ。
別に苦情を申し立てるわけではなく、茶を飲みに行くついでにという程度なのだが、考えてみれば満月の異変の際に顔をあわせた時は、里を狙う不埒者程度の認識しかしておらず、まともな会話などしようとも思わなかった。
戦いの場でなければ話せる事もあるだろう。
例の肝試しの直後に催された宴会に顔を出したこともあったが、輪に溶け込むこともなく漫然と過ごしてしまった事を今更ながら惜しんだ。
宴会。 そう、神社は宴会が盛んと聞く。 よい鍋を扱っているところなども聞けるかもしれない。
善は急げ、だ。
留守を当直明けでだらけている連中に申しつけると、手荷物一つを掴み、慧音は庵を出た。
■
遠い遠いと言われているが、どの程度遠いか気になっていたので徒歩で行ってみる事にした。
慧音は今、道を「憶える」為に紅葉の過ぎた森の中を歩いている。
確かに、整備などされていない道は獣道と大差なく、木の根が歩行の邪魔をする。
上を飛んでいけば心地よく感じられるだけの日差しがある時間帯であった。
にも係わらず、今居る細き道は、葉が少ない季節であるにも拘わらず薄暗く見通しが悪かった。
妖怪の縄張りのど真ん中を通るこの道は、よほどの事がない限り人間は通るべきではないと判断せざるを得なかった。
振り向いてみたが、自分が歩いてきた道を判別することすら難しい。
予想を上回る難路に慧音は溜息をついた。
「これでは迷う以前に挫けそうだな」
落ち葉を踏むと踝くらいまで埋まる。足場の悪さは進むに従って増していき、入り来る者を拒むようであった。
徒歩での確認が肝要なのだが、あまりの道の悪さに慧音は閉口する。
割と「歩く生活」をしているので足腰に自信があったが、慣れぬ行軍に筋肉痛の予感がしてきた。
帽子がずれないよう気を配りながら歩いていた慧音は、不意に足を停め顔を上げる。
いつの間に現れたのか、すぐ前に人影があった。
いや、それは人などではない。
ここは里から離れた山道。
狩人くらいなら居てもおかしくはないが、眼前の人影の風体は狩人のそれではなかった。
袖のゆったりとした道服のような蒼と白の衣装、二つの頂点を持つ特徴的な帽子。そして金色に燃える炎を背負っているかのような見事な尻尾が九本あるとなれば、この界隈での該当は一名だ。
一瞬を境にして、異界に放り込まれたかのように空気が変わり、気付けば周囲の生き物の気配が失せていた。
当然か、このような怪異が居れば。
慧音は穏便に済まなさそうな予感を胸に、身を起こした。
八雲藍と相対する。
「引き返せ。今ならば間に合う」
静かな、そして反抗を許さぬ宣告が成された。
八雲の式は両手を袖に入れ、ただ立っている。
怜悧な顔立ちは作り物のような白々しい美を湛え、そして隠しようの無い禍々しさを感じる。
抑えてある妖気はしかし、その静かさでも存在を感じることが出来るほど強大だ。
波のない大海のようだ。 と慧音は思う。古い知識がイメージを喚起する。
「博麗神社に用事があるのだが」
「引き返せ。今ならば間に合う」
繰り返してきた。 おそらく次はあるまい。
目を細める。
正面の脅威に警戒しつつ、気配を探ってみた。
大結界の要である神社は、その存在を認めることこそ出来るが、中身がどうなっているかまでは不明だった。
目の前には八雲の式。
主の憩いのひと時に邪魔が入らぬよう、番犬でも命ぜられたのだろうか。
歴が読めない。
「・・・・・・」
「やめておけ。 つまらぬ怪我は負えぬ身だろうに」
職務に忠実である割には、こちらを気遣う余裕があるようだ。
存外悪い奴ではないのかも知れない。
「ああ、分かっている。 与えられた式に沿っている式神とやりあうのは無謀だ、ましてや主があの八雲紫では」
「ならば帰る事だ。 今の私は守る事においてはほぼ無敵だ」
「ふむ」
肯く。
そして懐から長方形の小片を取り出す。
「カードか。 わからん奴だ・・・な・・・?」
藍の台詞が終わる前に、慧音はそれを投じた。 前に、藍に。
回転しながら飛ぶそれは、スペルカードではなかった。
「うちの里、自慢の大豆から作られた油揚げだ」
「!!」
金色の九尾が逆立ち、太さが倍にもなった。 その様は燃料を注がれた炎のようにも見えた。 藍の心も燃え上がった。
投じられた油揚げから、たちまち芳しい香りが漂う。
藍の嗅覚はそれを捉え、意識に染み込んでくるのを防げない。 防ぎようが無い。
式は、「油揚げが飛んでくる」という、到底脅威にはなりえないこの事態では力を発揮しないが、
眼は緩やかに回転しながらこちらに飛ぶそれに釘付けになった。
木漏れ日ですらわかる見事な黄金色に心を奪われる。 胸が高鳴る。
回転しながら飛行する速度と、周辺の大気の流れなどから対象の重量、密度、構成などを予測算出する。
瞬時に理解した。
こいつは、一級品だ・・・!
そしてそれは、このままだと藍には届かず、手前1メートル程の地点に着陸する。
何度も計算した。間違いない。
食べ物を粗末にするのか言う声と、 敵(仮)から投げられた物を食す事に抵抗する声が、藍の意識下で渦巻く。
推力が重力に屈し、油揚げが落下軌道に入った。
藍の目の高さを落ちてゆくそれは、いくばくもない内に、地に落ち砂にまみれるだろう。
別れの刻がすぐそこまで迫っていた。
忍耐は、そこまでだった。
藍は全力で己に与えられた式を再確認する。
刹那の時間で数千数万を数える式、項目内に「仕事中、間食をとるべからず」の項目がない事を確認すると、迷わず踏み出した。
高速で踏み込まれた脚は大気の壁を容易く蹴り破ると、水蒸気の霧をまとい落下地点へと滑り込んだ。
自身の発した衝撃波で油揚げを損なうこと無いよう、油揚げに風抗結界を張ることも忘れていない。
命令遂行の為の式の力を借りずとも、九尾の妖狐である藍には容易い芸当であった。
時間を切り取ったかのような高速で油揚げの墜落予測地点に到達すると、絶妙の位置で口を開けて待つ。
手を袖から抜く時間すら惜しかった。
楽園まであと30センチを切ったところで油揚げが軌道を変えた。
突然こちらにむけて加速したのだ。
計算され尽された落下軌道が変更され、予測地点が変わった。
驚きとともに再計算を開始する藍に、油揚げが飛び込んでくる。
・・・そうか! お前も私に喰われたいのか・・・・・・!
身勝手な幻想を抱き、油揚げと心が通じたと思った瞬間。
油揚げの中心を貫いて剣の切っ先が飛び出してきた。
【国符「三種の神器 剣」】
森に硬音が一つ響いた。
「やはり隙をついても、攻撃してしまえば式本来の力が発揮されるか」
清廉な霊気を纏う剣を突き立てたまま、慧音は納得の表情をする。
視線の先では、藍が突き込まれた刃を器用に首だけ傾けて歯で食い止めていた。
健康的な白い歯に噛み付かれた刀身は、引いてもびくともしない。
慧音はその光景にどこか不憫なものを感じ、肩の力を抜いた。
剣を引くと拘束は外れたが、油揚げは戻ってこなかった。
いかめしい顔をした九尾の狐は、もぐもぐと油揚げを咀嚼し始める。
無言で見ていると、その表情がまるで花が開く様を早送りにして見ているかのように綻んでいく。
遭遇時の氷の様な印象はどこへやら。だ。
どこか高圧的な彼女の、この蕩けるような笑みはきっと、どんな絵師でも書き残せまい。
眼前の光景に慧音はそんな感想を抱き、この歴史を仕舞いこんだ。
どれほど美味かったのか。
瞳を閉じて幸せ絶頂という顔をしていたが、ひとしきり堪能したのか、やおら表情を締めるとこちらに指を突き付け、
「お、お前! 神器で油揚げ刺す奴があるか! 美味かったぞ!ごちそうさまでした!」
抗議と謝礼がひとまとめに来た。
「あまり気にするな。考え込むと毛が薄くなるぞ?」
「余計なお世話だ」
心当たりがあったのか不機嫌そうに尻尾を振り、渋い顔をする狐。
「ともあれ、ここは通すわけにはゆかん、引き返せ」
「まだ油揚げはあるぞ」
「・・・私を買収するつもりか」
「平和主義なのでね、取引で済むならそれに越したことは無いと思うのだが」
「式は貴様を敵と認識した。 今の私は壁であり矛でもある、ここは通さん」
ふむ、さしずめ「狐の壁 9/9 飛行」に厄介な付与が憑いた、といったところか。
敵対宣告に頷き、大きく息を吸うと、
「なるほど!それは残念だ! 先客がいるなら日を改めて来るとしようか!」
突然大声で、芝居がかった棒読みになる慧音。
「ああ、だが残念だ! わたしはこう見えても忙しい! 次は何時来られる事やら!」
「お、おい」
不審に思った藍は声をかけるが、慧音は構わず続ける。
「せっかく美味い茶が手に入ったから、博麗の巫女殿にも、と思ったのだがなあ!」
冬の森に凛とした声が響く。
慧音の意図が読めた藍は、自分の手が詰みに追い込まれたことを悟る。
もう駄目だ。 結末がどうあれ、自分の待っているのはお仕置きだ。傘でビシバシ、だ。
「お参りもしていこうと思ったのだが! いやあ、残念ざんねん!」
慧音が止めを刺しに来た。
霊夢と二人きりでいちゃつく為に、急ぎこしらえた式とは言え、主、八雲紫の編んだ式。
そうそう抜け道があるとも思えなかったが、こういう切り口で攻めて来るとは。
天を仰ぐ。
木々の合間から見える遥か高空、並ではない視力でも簡単には見えない距離に黒い点が視える。
影はこちらが視ている事に気がつき、手を振ってきた。
「藍殿。明日の新聞が楽しみだな?」
慧音が静かに声をかけてくる。
言われなくても分かっている。
今のやり取りがデバガメ鴉の目に留まった以上、慢性的に記事不足のあの新聞の事だ、この件が明日の新聞の記事になるのは想像に難くない。
「里の守護者が博麗神社に参拝に行くのを八雲の式が阻止した」などと言う記事が紙面を飾った場合、賽銭を得る機会を逸した霊夢が朝イチで我が家に乗り込んでくるに違いない。
・・・昼には焦土になっているかも知れん。
そしてまた、迷い家にも新聞は来る。
もし霊夢が殴りこみに来なくても、この件は主に知れる事となるだろう。
無関心を装っている主が、その実どれだけ霊夢を気に掛けているか、藍は知っている。
何をするでもなく漫然とお茶を飲むその時間を、とても楽しみにしているのだ。
夜の住人であり万年寝太郎の主が、日の出ている時間に起きて出かける程度には。
それを邪魔したとなれば。
追い返してもダメ。
通してもダメ。
詰み、だ。
式たる自分にも答えの出せない問題に、藍は頭を抱えそうになる。 ついでに胃が痛くなってきた。
黙り込んで悶え出した式に、慧音は蜘蛛の糸を垂らす。
「さて。 唐突だが私は少々歩き疲れたので、この辺りで小休止を摂ろうと思う」
勝手にしてくれ、と投げやりな視線を送ると、慧音はこう続けた。
「実は、茶葉はあるが茶請けがないのだ。 藍殿、用意してはくれまいか」
試すような視線を受け、藍はこう返した。
「・・・多少、日持ちのする物の方がよいのだな?」
そう応えると、慧音は満足気に微笑んだ。
「そうだ。 出来れば少し多めにお願いしたい。私と博麗だけでは余る程度には」
「承知した。 しばし待たれよ」
次の瞬間には九尾の姿は跡形もなくなった。
■
ようやくにして辿り着いた神社は、ここまで来てもなお人を拒むような長さの石段が続く先にあるらしい。
不揃いな石段に辟易しつつ登り、連なる鳥居をくぐる。
緩やかに長く続く石段は苔むしていて、時間の堆積を感じさせた。
風雨に削られ丸みを帯びた灯篭達の並ぶ先に、一際大きく今にも倒れそうな、古びた鳥居がある。
年季が入りすぎ今にも切れそうな注連縄は、それでも立派で荘厳だった。
掠れて読めなくなる寸前だが、たしかに「博麗」の文字が読み取れる。
ようやく、着いた。
境内に入る瞬間、何層かの結界を越えたのは知覚できた。
「なあに? 今度は珍しい顔ね」
慧音が声の方を向くと、箒を提げた博麗の巫女がいた。
「いらっしゃい。 素敵なお賽銭箱は向こうよ」
それだけ告げると、境内の掃除を始めた。
噂に違わぬ放任ぶりだが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
慧音はじゃすじゃすと玉砂利を踏み、さして広く無い境内を歩いていく。
少しも歩かないうちに、そこかしこに視える歴史の残滓からここが大層な魔境だと分かった。
先刻まで居たはずの八雲は言うに及ばず、向こうの縁側には昨日の夕刻まで西行寺の亡霊姫が従者を抱き枕に昼寝をしていた履歴が視えるし、
黒の魔法使いの着陸痕は物理的に残っており、紅い悪魔の従者が人知れず流した寂愁の涙の歴などは絶妙な味がする。
・・・と言うか、同じ時間軸に晩飯の履歴が視えるのだが、何があったのだろう? 精査しない方が今後の為だろうか?
夏の終わりに戦った連中以外にも、妖精やら近所の妖怪が勝手気ままに出入りしているようだった。
種族的な問題があるが、大変賑やかな場所だという印象を受けた。
慧音は歩きながら、野良猫に餌をやる「猫おばさん」を連想した。
猫おばさん或いはおじさん、は餌付けせずとも猫が集まってくると聞く。 彼らには猫を惹きつける何かがあるのだという。
ただ居るだけで妖怪を惹きつけるというのなら、博麗霊夢はそれに相当するのかも知れない。
雑多な思考で見回す中、見知った人間の来た履歴を発見した。
ほう、妹紅まで来ていたとは。 どれ。
肝試しのお礼参りというわけではなさそうだが・・・妹紅、そんな口ぶりでは何をしに来たか伝わらんぞ。
お。 ほうほう。 私の事をそう言うのか。 なるほど。 しかし妹紅よ、お前緊張するような歳か。
ん? あ。 ああっ あああ! ああああ!?
なんだこの流れは!? 何故こうもすんなりと!? これが博麗の力なのか!? というか妹紅少しは抵抗を・・・ああっ!
午後の日差しを浴びて、気持ちよさそうに膨らんだ布団には恐ろしい歴史が潜んでいた。
正直な心情としては、無かった事にしてしまいたかった。
したかったが、人付き合いの希薄な妹紅が自分から足を運んだ事実は喜ばしいことで、それごと喰らってしまうわけにはいかない。
というか、その布団の歴史、大丈夫か。
垣間見た幾多の戦歴に「桃色の幻想郷」という単語がよぎる。
なるほど、紅と白は混ぜれば桃色という事なのだな。
・・・今夜は、呑みにいくか・・・
屋台の安酒の味が恋しくなった。
ともあれ、様々な妖が昼夜問わず訪れるという噂は事実であった。
これでは普通の人間は訪れまい。 常連妖怪の誰か一人でも居れば、たちまち周辺には不吉な空気が渦巻くことだろう。
霊感の弱い人間でも身の危険を感じる程度には、辺りは緊張するはずだ。
居る面子によっては近付くだけで命を落としてしまいかねない。
人を護る博麗の巫女の住まいこそが、幻想郷屈指の危険地帯になっているとは、なんとも皮肉な話だった。
考えようによっては、危険な連中がここで暇を潰していくので余所が平穏だとも言えるが、そんな抑止力では賽銭は入るまい。
考え事をしていたら手水舎に着いていた。
参拝客など居ないという噂から、もう少し荒れているかと思ったが、予想と裏腹に手入れが行き届いている。
毎朝二時間をかけて掃除し尽している巫女の姿が視えた。
神前、賽銭箱までの短い道も、どこかの庭園のように美しく整っている。
心身を清め神前へと歩む。
衆人からこの神社には神など居ないと聞いているが、何がしかの強い力を感じる。
何も居ないとはとても信じられなかった。
正体不明の力を前に、神妙な気持ちになる。
ここも二拝ニ拍手一拝、でよいのだろうか? 慧音は賽銭箱の前で数瞬悩んだ。
生きていて長い慧音だが、知識として持っている参拝の作法を自身で使うことが来るとはあまり思っていなかった。
財布を取り出し賽銭を投じる。
先ほど視た歴史に、もはや硬貨で済ませる事など出来なくなっていた。
畳んだ紙幣が緩やかに落下し、賽銭箱に入
「何してるの?」
突然声をかけられた。
「ひゃ!?」
思わず振り返ると、背後、1メートルと離れていない所に、あちらを掃除していたはずの博麗の巫女の姿があった。
「入れたの?」
主語抜きの質問がきたが、ここで入れるものといえば、答はひとつだろう。
質問の形こそしているが、そこには有無を言わせない迫力があった。
自然体で佇む巫女は空気のように捉えどころがなく、しかし間近に迫る嵐の雲のような威圧感を錯覚させる。
あの満月の異変の時ですら、これほどの緊張感は無かった。
・・・下手な返答は命に係わる・・・!
根拠無く浮かんだ予感が背中に冷たい汗を呼ぶ。慧音は思わず後ずさる。
「入れたの?」
下がった分を詰められた。 腰が賽銭箱に当たる。
急に背後に出現した上に、只ならぬ様子の博麗にさすがに慧音は動揺した、が、もつれる舌でどうにか言葉を紡ぐ。
「い、いや、御参りに、 賽銭を、 だな」
「入れたの?」
「あ、ああ」
やましいことは無い。賽銭は入れたのだ、確かに。
慧音は辛うじて肯定すると、頷いた。
次の瞬間、博麗は神速で残りの距離を詰めた。
「!」
身構えるよりも早く抱きつかれる。
全身でぶつかるように、こちらの胸元にうずめた顔は表情を窺えないが、何かを堪えているように見えた。
なぜこうなったのか。
おおよそ察しのついた慧音は、しかし気の利いた言葉をかけてやることが出来ずに居た。
妖怪退治は力ある人間の役目。
中でもこの巫女の力は群を抜いている。
満月が隠されたあの夜。
慧音を退け、永遠亭に押し入り、永琳の施した術を破り満月を取り戻した。
一夜限りとはいえ、博麗と八雲が手を組んでいたのだ。
今になって考えてみると、里の為とはいえどれだけ無茶な戦いを挑んだことか。
しかしすべては逸史だ。
それ故、人々は博麗の巫女が健在で、異変に立ち向かっている事を知らないのだ。
それ故、人々は遠く存在も不確かな博麗ではなく、里に近いお節介な半獣を頼る。
巫女の代わりをしている自覚はあるし、人間に頼られると確かに嬉しい。
ここの賽銭事情悪化の原因の一端を担っている事は、慧音にも自覚があるのだ。
驚きに強張っていたが、その事に思い至ると自然と力が抜けた。
何も言わない。
変わりにその細い肩に手を置いて、そのままでいた。
暫くそうしていたが、博麗は不意にこちらを突き飛ばすように体を離すと、突然視線を外した。
赤い耳をして、上を見ていたかと思うと、
「あ、あはは、あんなところにに蜘蛛の巣。 あとで掃除しなくっちゃね!」
白々しく笑う横顔を見つめる。
そこには蜘蛛の巣などない。
もし夜の蜘蛛だとしても、盗る物の無い此処では盗人ですらも不憫で賽銭を入れていくかもしれない。
慧音はそう思った。
■
そこは客間兼居間であり博麗霊夢の生活空間であった。
箪笥がある他は調度品が少なく、代わりに積まれた座布団と、適度にくたびれた畳は上がりこむ客の多さを暗に語っていた。
土産があるのでついでに話でも、と上がらせて貰う。
茶筒を渡すと、
「お茶の備蓄は多いに越したことはないわ」
実に嬉しそうに、ニコニコとお茶を淹れに行く様子は先ほどまでの態度とは別人のような喜び様であった。
何かと来客があり、なんだかんだとお茶をしていくので茶葉の消費は深刻な問題らしい。
正座の見本のような見事な形態で待っていると、奥の間との仕切りのふすまが勢い良く開いた。
お盆を持ったまま足でふすまを開けたらしい。 入ってきた後に後ろ足で閉めるところまでやってのけた。
慧音の物問いたげな視線を受け、僅かに怯む巫女。
「なによ」
「いや、器用だなと思ってな」
「いきなり背後に出て、可愛い悲鳴をあげてもらってもいいんだけどね」
「むう」
包みを開けると、中には整然と並んだ饅頭の姿があった。褐色の皮はつややかだ。
「多くない?」
「少し奮発してみた」
見れば確かに三、四人で消費してもどうかという量であった。
数に余裕があるのを見て取り、贅沢にひとくちに頬張る巫女。
その様子を慧音ははしたない、と思ったが栗鼠のように頬張る様子はなんだか愛嬌があった。
むぐむぐと咀嚼している表情に疑問符が混ざり、飲み込んでの第一声が、
「・・・これ、どこの?」
問いであった。
さすがに鋭い。と内心で驚くが、用意しておいた答を口にする。
「里の藍(あい)屋、という和菓子司のものだ」
「ふうん」
「口に合わなかったか」
「そうじゃない。 むしろ好みよ」
「それはよかった」
「・・・」
物問いたげにこちらを見ていたが、無言で饅頭に手を伸ばした。
博麗が饅頭をぱくついている間に、慧音は興味本位で居間の履歴をめくってみる事にした。
先程まで居た、八雲紫。
慧音の隠した里の歴史を容易く看破した妖怪。
あらゆる境界を操る絶大な力を持ち、考えを表に表さず得体の知れないその存在は、幻想郷の支柱とも言える存在だと聞く。
謎多き大妖。 その実態に少しでも触れることが出来るだろうか。
軽い気持ちで覗くと先程のような衝撃が待ち構えているかもしれないので、ある程度の覚悟を持って望んだ。
ふむ。八雲が来たのは昼前か。 ああ、この時間に訪れれば昼飯目当てと邪険にされてもしかたあるまい。
しかし、前に見たときとはエライ差だな。
贈り物で気を引く、か、えらく基本的だな。 まあ、基本を疎かにする者にそこから先など無いのだが。
食後に先ほどの柿か。 八雲よ、お前の土産とはいえ家主に剥かせるのか。
あ、切ったぞ。ほら見たことか、柿は滑るからな。
な!? た、確かにその程度の傷「舐めておけば治る」とは言うが・・・!
まさかここまでを見越した上での、柿の土産なのか!?
ぐむむむ・・・ためになる・・・!
それに何だ、この博麗のしおらしさは! 先程視た捕食者の顔とは大違いではないか!
慧音はそれからも履歴を追っていたが、一見なんということのないやり取りの裏に潜む、八雲紫の手管に舌を巻いた。
指を怪我した博麗に、柿を食べさせたり。
疲れたという博麗に膝枕→耳掻きという華麗な連携が炸裂したり。
かいがいしくお茶を注ぐ振りをして、こぼしてみせ、当然怒る博麗に茶葉の補充を確約し次回訪問の口実を取り付けてみたり。
・・・そんな事をせずとも・・・いや、それとも「理由がないと追い返される」とでも思っているのか?
あの八雲が、そのような事を気にして行動しているとは思えんし、そもそも博麗がそのような事を言うはずも無いのは周知の事実だ。
これも八雲なりの遊びの一つなのかも知れないが、正直、理解は出来なかった。
その後も、慧音が訪れる頃まで、幸せ甘々タイム(あくまで八雲の主観だが)は続いた。
満足顔の巫女は饅頭を三つほど平らげた所で、蓋をした。
慧音は最初の一つで辞している。
どのみち、 山符【甘地獄洋風油蕎麦 紅と翠】 のような甘い歴史を視た今の状態では、饅頭など見たくもない。
掛け値抜きで「饅頭怖い」の状態であった。
「一応訊いてあげるわ、何しに来たの?」
「なに、ただのお参りだ。 まあ、博麗殿と話をしてみたかった、というのもあるが」
「博麗殿ってのはやめなさい。 霊夢でいいわよ」
そう言うと、霊夢は居心地悪そうに身を震わせる。
「そうか、私は上白沢でも慧音でも構わないぞ」
「うるさいハクタク。 あんたは慧音。そう呼ぶわ」
堅苦しい呼び方をして訂正されるのはいつもの事で、儀式めいたやりとりに慧音は慣れていた。
むしろ、名乗っても態度を変えない人間に慧音は若干の感動すら覚えていた。
素性を明かしても怯まない人間の記憶は、長い慧音の歴史の中でも希少である。
「でも、あんただって暇じゃないんでしょうに」
「里の事か、なら今日くらいは大丈夫だ」
「平和なのね」
「最近、私の所に黒くて素早い奴やら人形使いやらが来るようになってな」
「・・・そう。 最近来るペースが落ちたから、篭ってるのかと思ってたけど、他に巣を作りだしたのね」
今年も軒先に燕の巣が出来た、程度の気楽さで言ってのける霊夢。
「不吉なことを言うな。 ともあれ居るなら役に立てと、留守番を申し付けてきた」
「魔理沙はともかく、アリスは変に律儀なところがあるから、いいんじゃないかしら」
「確かに留守番には良いが、気が付くと生活雑貨が増えているのはなかなかに不気味だぞ」
慧音はそこまで言うと、冷めた茶を啜る。
「――」
霊夢はおもむろに立ち上がると、部屋の隅の箪笥を開けた。
「?」
怪訝な表情の慧音に説明のないまま、霊夢が中から引きずり出したのは豪奢なドレス。
黒を基調とし緋色をあしらった本体は、薄暗い室内でもシルクの光沢が分かる。
これでもかとフリルとリボンを満載した少女趣味全開のそれは、およそ純和風家屋の箪笥の中から出て来てよい代物ではない。
あまりの違和感に慧音は含んだ茶を吹きそうになった。
畳んでしまってよいものではなかろう、とか防虫剤が挟み込まれているのはどうか、とかツッコミどころは他にもあったが、
思わず駆け寄り他の段を開けて見る。
すぐ上の段には、上質なシルクの肌着やらなにやらが詰め込まれていた。
一目見ただけで超がつく高級品だとわかるソレらは、こぢんまりと畳まれて箪笥の中に整列している。
自身の固定観念にヒビを入れる庶民臭さと超高級のコラボレィションに、慧音は軽く寒気すら覚えた。
「その上の段は魔理沙の着替え。 下の方にはメイド服もあるわよ」
上の段は黒一色だった。冗談のように同じ服が詰め込まれている。
箪笥の下の方には鍵のついた段があり、鍵には強烈な拒否の意思がこびりついている。
何も言えぬままに振り向くと、澄ました顔の霊夢の背後に立派な桐の箪笥がある事に気が付いた。 気が付いてしまった。
「西行寺家の・・・家紋」
中に何が入っているかなど、確認するまでも無い。
・・・これが、巣を作るということか・・・!
己の城ともいえるささやかな庵。 そこが今まさに侵食されつつある事実に気が付き、慧音は戦慄した。
茶を淹れなおした霊夢は「あいつらは」と語り始める。
大妖怪どもはわざわざ遠いここに来るらしい。幻想郷のはずれに位置するこの神社に、大結界に縁のある八雲はともかくとして、
日中に日傘持参で来る吸血鬼に、はるばる冥界から降りて来るくいしん亡。
「あんなのが来るから、お賽銭どころか人間が来ないのよ」
遠慮の無い霊夢の物言いは、しかし厭味はなくむしろ、ある程度の気安さを感じた。
初夏の大宴会からこっち、何がしかの手土産を持参するのが暗黙の了解になっており、裏を返せば手土産があれば人妖お構いなし、
という事になってしまっている。
「おおよそ神社としての体裁を失っているな・・・」
「いうな」
なにか色々と苦労している霊夢に、慧音は自分の悩みが小さな事ではないかという錯覚がしてきた。
■
「鍋?」
「そうだ、土鍋の予備などないか? あれば譲って貰いたいのだが」
「でも鍋くらい持ってないの?」
「家で大人数で食事するようなことは、今まで皆無だったのでな。 小さい物ならあるのだが」
「先に言っとくわ、霖之助さんのとこには実用品は無いわよ」
なんだか朝にも同様のやり取りをした気がする。
そして、尽くこの扱いを受ける香霖堂の品揃えに、いらぬ心配をしてみたくなった。
「でもまあ、物置に大きいのでも似たようなサイズのが幾つかあるから、一つくらいならいいわよ」
お茶のお礼もあるしね、向こう三回くらいで。と笑いながら霊夢は縁側から庭へ出て行く。
「すまない、助かる」
薄い座布団で長時間正座していたにも拘らず、揺らぎなくするりと立ち上がる慧音。
縁側備え付けのくたびれたサンダルを引っ掛けようとしたところで、先に出ていた霊夢の何か言いたげな視線に気がついた。
「?」
段差により見上げる形になったのだろう、霊夢の視線は慧音の胸郭部に突き刺さっていた。
「――なぜかしらね、鍋をあげる気が失せていくわ」
どうして目の敵にされなければならないのか! 好きで大きくなったわけでもないのに! 慧音は内心で叫ぶ。
「何を言うか、明るい未来はきっとすぐそこまで来ている」
「歴史の半獣の言葉・・・・・・信じてもいいのかしら?」
「私は嘘が嫌いだ」
底冷えのする視線にあと三秒でも耐える自信が無かった慧音は、思わず、来ないであろう未来に縋ってしまった。
さして大きくない土蔵。
物置と蔵の中間程度の存在は、あまり開かれる事の無い扉で外界と区切られており、それは適当に抵抗しながら開いた。
中は雑然としており、普段使わない物や、先代以前より引き継がれている用途不明のガラクタなどが一緒くたに納められていた。
雪かき用の角スコップの隣に、いかにも力を秘めていそうな小太刀が置いてあったり、折れた布団叩きと玉串が並んで立てかけてあったり、壁のひび割れに新聞が詰め込まれていて、その上に「活きた」符が補修材代わりに貼り付けてあったりした。
霊験と生活感の雑煮のような様相は、慧音の持つ「博麗の巫女」のイメージを砕くには十分だった。
慧音が入り口で躊躇している間に、霊夢は換気窓の幾つかを開けていた。
天井付近の隙間から、午後の日差しが差し込んでいる。
発生した穏やかな空気の対流に埃が舞い、光の花道で踊っていた。
蜘蛛の巣を盛大に絡めた破魔矢の束と、何も書かれぬままに埃を被った絵馬が目に入る。 見ていて辛くなってきた。
「そんなに奥に入れたわけじゃないから、その辺にあると思うわ」
奥から霊夢が戻ってきた。
こんな中を往復してきた割には、どういうわけか服にも髪にも汚れ一つなかった。
埃と蜘蛛の巣の跋扈を許していない、比較的浅い層に目当ての区画があった。
「こんなものね」
「これ・・・か」
ごとり、と、蔵の前の地面に置かれたのは、確かに鍋。 土鍋もあれば鉄鍋もある。
しかし数が多い。 しかも大きい。
昨夜に永遠亭でつついた鍋は、およそ四人用。
熱の通り方や見栄えなどを考慮して永琳が選んだのだろうが、ここに置かれている鍋達は、それを軽く陵駕する大きさの物ばかりだ。
実際、台所にレギュラーとして待機している物はもう少し常識的な大きさの物もあるそうで、ここにいる奴らは所謂代打の切り札。
ここぞという時の頼れる兄貴。 そんな扱いらしい。
頭数の増減に対応する為なのか、僅かな径の差で鍋が並んでいる様子は、ここが神社である事を忘れさせるには十分な光景だった。
・・・里の祭りなどで炊き出しに使う物とほぼ同格の鍋や、子供が入れるたらいのようなサイズの土鍋など、使う宛てがあるのかとか、これを火に掛けるには櫓のような設備が必要なのではないかとか、いやそもそもこの鍋たちを満たす食材の量と、それを要求し消費する数の妖怪どもが集まるという事実が、慧音を打ちのめす。
「一度に三つくらい使う事があるから、考えて選んでね」
止めを刺された。
簡単に生き返ると簡単に死ねるようになるのか喃。
頑固なわりに、意外なところでちゃっかりしているというか、苦労している慧音様が可愛いです。
続きにも期待。
ちょwマウンテンwww
その壁を使いたかったです(涙
・・・もはや「寄生」かあの方たちは
つ[ネチョ板への招待状]
ナニとナニを混ぜたんですか!?モノによってはマーブルになるというか、なんと言うか。
原因は文字サイズを最小にしたままの己。「オーノレー」
皆さんはどの位のサイズで見てますでしょうかこんにちはこんばんは。
ではちょっとコメントなどを。
>>ショック死 文字通り「死ぬほど」驚いたわけですよ。
>>八雲恐るべし 伊達に長生きしてないと言うことですy(スキマ
>>マウンテン WFの準備をサボってまんが祭りに行ったあの日。
登った山は苺スパ。 甘く見ていた鼠は9合目で遭難しました。
>>桃色の幻想郷詳細 …それをやるとネチョ板からの召喚状が…まぁ、博麗神社は素敵な楽園という事で。
>>てきさすまっく参拾弐型氏 某「恋の二重結界」を眺めていたら、こう。
>>壁。 鼠は黒スーサイドとかやってました。ライフなんかコストの一種じゃよー。
>>無銘氏 食いしん亡。この表記、元はともあれゆゆ様を表すには最適かと。
しかし、健啖な亡霊ってのもなぁ。
>>招待状 言ってる端から招待状キター!? ∑(゜Д゜;)
「挟み」とは、古来から伝わる「PAHUPAHU」と呼ばれる技法で、一定以上のサイズを持つものにのみ許され(角
>>何を混ぜたか。 ははは何か勘違いしているようだね?霊夢の愛称は紅白。
ただそれだけの事だよ。ましてやマーブルなど、はは、ご冗談を。
……皆さん想像力が逞しすぎるようですね?
微妙な時期に、微妙な問題を抱えたままのSSですね?
脳を鍛える大人のSS。駄目ですね?そうですね。
なんか、みんな食に対して懸命だなぁ。
あと、慧音vs藍が……真っ向からだと勝負にならんとはいえ、あんた油揚げどっから出したんだw
見当たりません
作品集25にありますよ
というか、なぜ誰も指摘して無い?