Coolier - 新生・東方創想話

家庭教師 -後-

2006/04/29 05:46:16
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「何で私がこんなことしなくちゃならないんでしょう?」
 紅美鈴はさめざめと泣きながらペンを走らせていた。
「主の困っていることに手を貸すのが従者の役目ってモンじゃないかしら?」
「なんかそれ間違ってません? というよりも、これパチュリー様から出された課題なんですから、やっぱりお嬢様が解かないとやばいんじゃないですか?」
「だって解らないんだししょうがないじゃない。だから貴女にやってもらっているの」
「それって結局身につかないから意味ないんじゃ……」
「うるさい。私がいいといっているんだからさっさと解く」
「えぅー」
 主の我侭にしぶしぶ応じる美鈴。
 彼女に友人ができたというのを聞いて、少しは丸くなることを期待したものだが儚い希望にしか過ぎなかったようだ。相変らず理不尽なことを当たり前のようにいってくれる態度は全く変わっていない。
 幸いなことにパチュリーがレミリア宛に出した課題はさほど難しい内容でもなく、美鈴は詰まることなく問題を解いていく。
 その傍らでレミリアは運ばれた紅茶の揺らめきを眺めながら、ペンの音だけの空間を満喫していた。
「パチュリー様は大丈夫なのでしょうか?」
 手を休めることもなくペンを走らせる美鈴は、ふと独り言のように呟いた。
「あら、パチェの実力でも疑っているわけ?」
「い、いえ。そういうわけではないのですが……」
 蚊のように呟いた独白に反応したレミリアに慌てて否定するが、力のない語尾はその否定の説得力が欠けていた。
 パチュリーがレミリア相手に互角に渡り合ったことは美鈴も聞き及んでいるし、一度その規格外の魔力を見せ付けられた時には腰を抜かしたことも覚えている。
 見るからに病弱な魔女であり、接近戦に持ち込めばなんとでもなりそうとも思っていたのだが、根本的に自分の考えが間違っていた。
 あの紫色の魔女は魔力、魔法、魔術のみで他を補うことが出来るのだ。
 だが如何せん相手が問題である。
 フランドール・スカーレット。悪魔の妹。破壊の化身。最狂の吸血姫。
 彼女と相対して無事に戻ってきたのは今のところレミリアと自分だけなのだ。
 レミリアは当たり前のように戻ってきたが、自分の時はそうはいかなかった。
 あの暴君の狂気に飲まれまいと必死に抗い、為す術もなく蹂躙され尽くされながらも何とか生き残った。得意分野が畑違いだったとはいえ、全く何も出来なかったのだ。生きていたことに主からはたいしたものだと感心されたが、自分の非常識じみた生命力に救われただけのような気がした。
 そして彼女と相対している魔女はお世辞にも体力があるとはいえない。むしろ人間並みといっても過言ではないほどだ。
「まぁ、心配するのも無理じゃないわね」
 美鈴の心境を察してか、レミリアは窓から映る夜空に目をやりながら苦笑する。
「けれどね、美鈴。貴女は一つ勘違いしているよ」
 血塗られた瞳で窓から見える夜空を背にレミリアは謳う。少女の背丈しかない彼女では酷く不釣合いのはずなのに、何故か魅入られるようなぐらい様になっている。
「パチュリー・ノーレッジはこの私レミリア・スカーレットが認めた友人よ。何ら問題はないわ」
 王者の佇まいを漂わせる雰囲気の下、レミリアはその威厳に呑まれかけている美鈴に告げた。




 白魚のような無垢な指先が真っ赤に染まる。
 内臓器官を強引に突き破られたパチュリーは、逆流した血をこらえることが出来ず口元から零した。
 その様子を見て、確かな手応えと共にフランドールはあっけない幕切れにひどく落胆した様子だった。
 銀の竜を展開させた彼女を見た時、自分の姉と同等かそれ以上の魔力を感じ取った。
 面白い。存分に楽しめると思った矢先、これほどつまらない終わり方をするとは欠片にも思わなかったのだ。
 だがこうなってはおしまいだ。
 暖かい血と臓腑の感触と、徐々に弱まっていく鼓動を聞く限り、パチュリーの肉体はいつも遊んでいるメイド達よりも遥かに弱々しかった。
 後はちょっと跳ねたかと思うとやがて何をやっても反応しない。
「つまらないなぁ」
「ホントホント」
「もっと楽しめると思ったのにね~」
 三人のフランドールが、貫いたフランドールに同意するように愚痴をこぼす。
「お姉様直々の指名って言っていたのに、これじゃいつもの玩具と変わらないよ」
 血の滴る感覚は不快ではないが、冷め切ってしまった昂揚感を補うには物足りなさすぎる。
 ずるりと腕を引き抜き、冷めた表情で崩れ落ちようとするパチュリーを眺める。
 高ぶった感情は収まりそうに無い。こうなると何かにあたらないと鬱々とした感情が拭えないのだ。
 いくらか前にもこういった時があり、その度に部屋が荒れて大量の玩具が壊れた。
 あの時は見かねた姉が一人の女妖怪を連れてきて、その彼女が相手になってくれた。あの女性は自分と張り合うといった感じにはまったくならなかったが、それでも自分の攻撃を悉く凌いでくれた。
 そうだ。あれぐらい楽しめる相手じゃないとこの鬱憤は晴らせない。
 また彼女にでも頼もうかなあと思案していた所、魔女の方から僅かな呟きが聞こえた。
「そうね。このままじゃひどくつまらないわね」
 血の気の無くなった青白い表情で、パチュリーは凄惨な笑みを浮かべた。
 フランドールが彼女の意図を察するよりも早く、魔女は潰れている臓器を平然と酷使しながら理を起動させた。

『大気に遍く命の素よ。穿て穿て。紅き奔流を用い、我が血と混ざりて、その者を刺し貫け』

 驚くフランドールをよそに、パチュリーが唱えた呪文によって胸部に流れ出る血液が紫電を纏いながら硬質化し、無数の槍や錐となって至近距離にいたフランドールの肩を太腿を手首を顔を幾多にも穿ちつづけた。
 呻き仰け反るフランドールにパチュリーは残酷な宣言を告げる。
『散開せよ』
 真言と共にフランドールに突き刺さった血の突起物は紅い花を散らせた。
 一瞬の惨劇に残った三人のフランドールは目を見張った。
 真っ赤に染まったフランドールの傍らでは、血に染まった魔女がゆっくりと三人の方を見る。
 彼女の服は夥しい血で染まり上がっているが、貫かれたはずの胸部は何事も無かったように塞がっている。
「何で塞がっているの?」
「さっき貫いたはずだよね~?」
「どうしてなのかな~?」
 フランドール達は消えてしまった自分に歯牙もかけず、ただ純粋にパチュリーの様態について尋ねる。
「生憎と私の体は貴女ほど丈夫にはできていなくてね。体への強化は最初から捨てているのよ。その代わり持病とかの治療法とかいろいろ携わっていたから、治す方にはかなり秀でているわよ」
 パチュリーが軽く腕を一振りすると金色の粒子が煌き、こびり付いていた血は霧散していき、穴のあいた服は下ろしたてのような生地へと変わっていく。
 彼女が言った意味と、今起こした行動の真意はフランドール達には伝わらなかった。
 だが吸血姫達の意欲を駆り立てるには十分すぎるパフォーマンスだった。
 やはり目の前の魔女はいつも戯れ程度にしかならない玩具等とは決定的に違うモノであり、自分の姉とも渡り合えるだけの力を持った存在なのだ。
「それじゃあ、いくらやってもダイジョウブなんだね!?」
「お姉さま以外に本気で遊んでも怒られないんだね!?」
「素敵なお誘いだね! 思いっきり行くよ!!」
 先ほどの炎の魔剣にすら劣らない輝く瞳をぎらつかせ、フランドール達は七色の翼を鋭角に尖らされ飛翔し、紅い軌跡を残しながら旋回する。

『籠の中の魔女さんは、いついつこの檻から出られるかな?』

 パチュリーを中心とした赤い旋風の中に、幾重にも魔弾が展開された。



「強がってしまったのはいいけれど、どうしたものかしらね?」
 暴風の中心で襲い掛かる弾幕を尻目に、パチュリーは先ほどの台詞を少しばかり後悔した。
 確かに言ったとおり治癒系に関してはかなりの自信がある。死人すら蘇らそうと思ったらできないことは無いぐらいだ。
 ただ対象が自分になるとだいぶ都合が変わってくる。自分が死んでしまったら、まったく意味が無いからだ。
 一応ここに赴く前に自律系蘇生呪法も組み込んでおいたが、万一のことに備え魔剣を回避した際に外力行使系呪術も展開させておいた。
 だが発動したのは緊急で行った外力行使系治癒術だけであった。
 嫌な予感がして、ざっと自分の中に組み込んでおいたさまざまな魔方陣を確認してみたが、散々たる有様だった。
 自律系死生呪法、多重系蘇生魔法、欠損自動修復、リレイズ、強制致死回避、他にもいくつかの緊急型魔法陣が悉くして『破壊』されていた。
 レミリアとやりあったときから彼女の力量をある程度推量し、物々しいまでの用意を施したのだが、ただの一撃でここまでひどい状態に陥るとは思わなかった。
 あの紅の王がこの少女を出さない理由は、この能力の所為かとも脳裏にちらつくが保留する。そんなことを思案するのは、この一騒動が終わってからだ。
「レミィ以上に接近させるのは厳禁か……出し惜しみなんてしていられないわね」
 掌を合わせ、体内の魔力を一気に活性化させる。魔女の紫髪が舞い、衣服が羽ばたく。
 彼女が発動させた一動作で、台風の中心に紅い暴風とは違う魔力によって生まれた颶風が発生した。
 本来ならこんな体に負担かけるような魔力覚醒をさせないが、状況が状況だ。紅い暴風の中で蜂の巣になりかねない。
 淀みの無い圧縮言語によってパチュリーの魔力が物質化を起こし、五つの輝石と魔道書を生み出す。
「純正の賢者の石。とくと拝ませてあげるわよ。妹様」
 普段三白眼を地でいく彼女の瞳が、静謐だがフランドールとは違った凶暴な光を宿した。



 吸血姫と魔女の魔力がまともに激突した瞬間、頑丈な地下室が意志をもったかのように揺るがした。
 幸いにも地上にまでは伝わらなかったものの、地下を揺るがした本人達はそんなことを露にもかけず、嵐の中で姫の踊躍と魔女の旋律の狂宴が繰り広げられていた。


 フランドールは最高の気分だった。
 姉のレミリアとは幾度となくこの手のお遊びを繰り広げていた。しかし数百年の間相手になってくれたのが彼女一人だけだったのでおのずと手口が互いにわかるようになり、最近では胸が踊るような昂揚感を久しく感じることができなかったのだ。
 だが目の前にいる紫色の魔女が身の猛りを感じさせてくれる。
『あハハハはははハハハハハ!!』
 フランドールはさらに身をもってかみ締めるために、敢えて弾幕の密度の濃い区域に向かって接近する。
 爆ぜる。
 耳朶に響く音が体の深奥まで火照らせてくれる。
 掠める。
 吸血鬼すら滅ぼしかねない火力が紙一重に過ぎ去っていく興奮に身を震わせる。
 タマラナイ。
 こちらが放つ攻撃を避けて相殺してしのいでいく。
『もっともっともっと私を楽しませて!! パチュリィーーーーーッ!!』
 咆哮が物質的な圧力をもって三人のフランドールは接近する。
 だがその狂気に当てられてもパチュリーは揺るがない。静かに呪を唱えていく。
 魔女が唄う猛りに合わせ、紅い宝玉と魔道書が唸りあげてフランドール達を目掛け、砲音を響かせながら火球を噴き出す。
 岩をも蒸発させるそれは紅い魔球にこそ当たり、耳を劈くような爆音を奏で中空を灼くが狙った相手は掠めもしない。それどころかフランドール達はわざとぎりぎりまで近付き、嬉々としてそれを掠めるような避け方をする。
 おどけるように二転三転。アクロバット飛行を続けながらも狂笑は止まらない。
「遅い、遅いよー!」
「これじゃ私達を!」
「捕らえられないよっ!」
 赤い魔弾と共に三方から肉迫するフランドールの声にパチュリーは大きく腕を広げ、青い残光を煌かせながら踊るように刻印を描き、掌を床に滑らせる。
青の刻印は魔女の音の無い理に応え震え滲み出し、その身を茫洋たる大海を呼び寄せる礎となり地下から巨大な水柱を生み出した。
 パチュリーが指揮者のように大きく腕を振りかざすと、水柱は主の命に従い魔弾を飲み込みながら大渦を呼び起こす。
 フランドール達は慌てて空中で踏鞴を踏み天敵から逃れようとするが、大渦から伸び出た水蛇が一人のフランドールを捕らえ、渦の中へと招き入れた。
「あと二人」
 パチュリーは渦に飲まれたフランドールに目もくれず淡々と告げる。
「酷いわ、パチュリー。一人減ったじゃない」
「そんな危ない水なんてなくなってしまった方がいいわ」
「そうね。そうしちゃいましょう」
 水の網から逃れた二人のフランドールがそんな魔女を睥睨し、示しあったような話し合う。
 そして二人は揃って渦を見据えて掌をを握りこむ。途端残った弾幕の檻が圧縮され、紅い魔球は大渦を包まんばかりに襲い掛かる。大渦を形成していた水が弾け、爆ぜて霧状になって消滅していく。そこには飲み込まれたフランドールはおらず、渦のあった中心には魔女が佇んでいた。
 獲物を見つけた魔球の檻は再度圧縮を起こし、パチュリーへと殺到する。
 捕らえたとほくそえむフランドール。
 だがフランドールの思惑と裏腹に紅い魔弾の檻はパチュリーが手を翳すと形を歪に変え、魔弾同士の接触を起こした。
 爆音が地下室に響き渡り、煙が立ち込める。
 互いのフランドールは顔を見合わせる。
 両方が紛れもなく自分なのであるから、今の不可解な現象は自分が行ったのではなく、パチュリーがやったことだというのはすぐに推測できた。
 それでも好機と見た片方のフランドールが凶爪を振り上げ、いまだ視界の定まらない魔女へ向かって突っ込む。急角度からのフランドールの突進は靄を巻き上げ、空気の壁を突き破りながら瞬く間にパチュリーへと席巻する。
 吸血姫の恐るべき身体能力から繰り出される単純にて苛烈なる一撃は、しかし地面を抉り上げるだけであった。
 パチュリーはその場から一歩も動いていなかったが、その姿は笑みを浮かべながら陽炎のように霞み虚空へと溶け込んでいった。
 フェイク!?
 嵌められた、そう思った矢先、体に重い衝撃が何度も走りフランドールの体がふらつく。
 銀の洗礼を施した装飾剣がフランドールの肢体を突き刺さり、血が滴り落ちるよりも先にフランドールの体ごと塵と化した。



 屈折現象をもって姿を消していたパチュリーは揺らぎ現れて、一人になったフランドールを見据えた。
「残りは貴女だけね」
 自分の分身がやられたにも関わらず、フランドールは笑みを崩さない。それどころか彼女の笑みには一層昂揚感が加わっている。
「すごいわね。『四つ身』と『檻』を凌いだのはお姉さま以外じゃ貴女が初めてよ」
 フランドールの瞳は世辞の一つも混じっていない純粋な色だ。
 パチュリーはその屈託ない瞳が、背中に粟立つ薄ら寒いのを引き立たせるのを感じ取った。あれほど厄介な代物を防がれたにも関わらず、先ほどから狂気の笑みというのが変わらず剥がれないのだ。
 少々安請け合いをしたものだと、パチュリーは今更ながら思った。
 そんなパチュリーの思惑を知る由もなく、フランドールはクスクスと笑いを絶やさずに問い掛けてくる。
「ねぇ、ひょっとしてお姉さまから、私の手口を教えてもらってる?」
「答えはノーね。聞いておけばよかったと後悔しているわ」
 パチュリーは本心から呟いた。現状を維持するのに精神を蝕まれ、ほんの数分接しているだけだというのに、何時間も重い空気に曝されているような錯覚に陥る。
 正直予備知識なしにこの少女と向き合うのは骨が折れる。
 ただでさえ人並み以下の体なのだ。持久戦なぞやっていたのでは絶望的ともいってよい。
 短期決戦用の代物が無いわけではないが、その暇を彼女がおとなしく待ってくれるとも思わない。それにまだ準備が完璧ではないなので、無いものねだりをしたところで何ら状況がよくなるわけでもない。
「ふーん。それじゃ、パチュリーがこれの最初の挑戦者ってことだね」
 リバーススペードの杖を軽く回し、フランドールは中心を握りこんでパチュリーを見据えた。
「本当はお姉さまに見てもらいたかったんだけど。ま、いいや」
 弓を番えるような構えを取り、フランドールは口元を歪める。その笑いに呼応するかのように彼女の跳ねがふわりと舞い上がり、色めきだす。
 七色の羽が己の色を強調するかのように燦々と輝きだした。
 まずい!
 パチュリーは彼女が放とうとしている代物の危険さを瞬時に感じ取った。
 察するに飛び道具系。しかも先ほどのような数打ちの魔弾ではなく、圧縮された魔力塊を射出する類だろう。
 まともに受ければただではすまない。
 どうすると自問し本能的に後退ったところで、後ろからドサリという音が聞こえた。パチュリーはその音で後ろに誰かがいることに気づいた。
「あ……ああ……」
 フランドールの狂気か魔力に当てられて、へたり込んでいるメイドが一人そこにいた。
 ここに来る途中に自分の身を気にかけてきた赤髪のメイドだ。
 おそらく何かしらの衝撃音でも聞いて様子を見に来たのであろう。気を失っていないだけマシだが、どうやら腰を抜かしているようだ。動けと言うのは無理な注文なのだろう。
 問答する暇は無い。
 舌打ちをおくびにも出さず、友人に毒づいた。
 誰でも良いから部下を取りまとめる役ぐらいは拝任しておきなさいよ!
 魔女が行動するのと共に吸血姫は地獄の釜を開いた。
『落ちよ彗星』


 紅魔館地下に七色の流星が散華した。


 ちょっとやそっとでは揺るがない紅魔館が、轟音を奏でながら大地震でも発生したかのような揺れ方をした。
「なっなっなっ!?」
 なんとかこけるのを踏みとどまりながら、美鈴は状況を把握しようとした。
「い、今の衝撃って地下からじゃないですか!?」
「そうね」
 美鈴の問いかけにレミリアは焦ることも無く瞑目しながら答えた。
「ひょっとして妹様とパチュリー様に何かが……」
 レミリアが表情を顰めているのを見て、慌てて言葉を噤み美鈴は息をひそめた。
 彼女がこういった表情をするときは決まって『見落としていた』場合である。そしてそれが自身のことに関しての場合、露骨なまでに不快を表す。
 滅多なことでは外に影響が出ない造りをしている地下がここまではっきりと衝撃を出しているのだ。ただごとであるはずが無い。
「美鈴」
「は、はい!」
 閉じられていたナイフのような双眸が開かれる。
「ちゃんとメイドを管理できるのが欲しいわね」
「は、はぁ……?」
 脈絡の繋がらない台詞に美鈴はどう答えたらよいのかといった表情で首をかしげる。
「ちょっと行ってくるわ。宿題よろしくね」
「あ、ちょっと、お嬢様!」
 制止を聞かずに紅魔の主は友人と妹のいる場所へと羽ばたいた。



 痛い。
 パチュリーは煙が蔓延する中、最初にそう思った。
「……う……あ……」
 体の所々が悲鳴をあげているのを体感していると、うめき声が後方から聞こえた。
 へたり込み鬱陶しそうにパチュリーがそちらを見やると、メイドが震えながら先ほどと同じ体勢でいた。
「……あ、あの……」
「貴女」
「は、はい!」
「命が惜しいなら早く去りなさい。邪魔だし」
 端的に要件を告げ、パチュリーは再び向き直る。
 メイドは何か言いたげな様子だったが、立ち上がると足早に去っていった。
 足音でそのことを確認したパチュリーは、再度自分の状況を診断し直し、そしてあまりの悲惨さに苦笑した。
 あのメイドを庇うためにパチュリーは、賢者の石をフル動員させて防御陣を展開した。
 無論それだけではいかに賢者の石を使っていようと防げるものではない。
 そこで自らの魔力を用いて、結界の再生を行った。結果膨大な数の破壊と再生を繰り返すことによりパチュリーとメイドを破壊の顎から喰い止めたのだ。
「やっぱり、少々無理があったかしらね……」
 その代償は尋常ならざるを得なかった。
 魔力はほぼ枯渇し、体力は元よりガス欠状態。立ち上がることすら出来ないでいる。
 最早張り合うなんて出来ようも無い。
 メイドを見捨てて回避に専念すればこうもならなかっただろう。しかし主の友人の身を案じて声をかけ、ましてや様子を見に来た者を無下にあしらう気にもなれなかった。
「気まぐれって嫌なものね」
 晴れかけている煙をぼんやりと眺めながらパチュリーは誰とも無くぼやいた。
 そして煙の中から見覚えのあるシルエットが浮かび上がる。
「うわー! パチュリー、すごいね! あれを防ぐなんて思わなかった!」
 殺風景だった部屋に瓦礫のオブジェを取り揃えた中、フランドールはパチュリーの様子を見て歓喜した。
 座り込んでいるのを見て喜んでいるというのは、自分のとっておきを防がれたのはそれほど悔しいことではないのか。
 本当に彼女は狂っているんじゃないかと懸念するパチュリーだが、純粋に賛辞を送っているみたいだ。そこには狂気なぞ纏っておらず、少女相応の無邪気な笑みがある。
 しかしどっちにしろ満足だろうがどうだろうが、現状ではパチュリーの体は限界がきている。
「満足してくれたかしら? こっちはもうヘトヘトなんだけどね」
 片手をヒラヒラと振って暗にお開きにしようとパチュリーは合図を送ってみたのだが、幼い姫君には通じなかった。
「まーだだよ! もっともっと遊ぼうよ!」
 咆哮に似た声と共にフランドールは掌に魔力を纏いだす。魔力はものの数秒で球体をかたどった。
「ねぇ、パチュリーはボール遊びって得意?」
「体を動かすのは苦手よ」
「いけないよー。運動しないと体がなまっちゃうってお姉さまが言ってたよ。ということでボール遊びをしましょー!」
 冗談ではない。
 フランドールのボール遊びというのが、魔力を纏った物騒な球体であることにパチュリーは察しがついている。加えて、あの球体が尋常ではない塊であることも看破している。
 まともに動かない体で彼女の『遊び』を受ければどうなるかぐらい、頭の回転の鈍い者でも容易に想像がつく。
「いっくよー!」
 こっちの状況をお構いなく、フランドールは振りかぶって投擲する。
 何の変哲もない単純な軌道で自分の所へ向かってくる。
 幸いにも距離があるから何をするにしても十分間に合うだろうが、今の状態で真正面から受けるなんていうのは最初から切り捨てている。
 なけなしの魔力をフル動員し、何とか体に風を纏わせ、その場から離脱する。
 急場凌ぎとはいえ一応危機を脱出したことに一息安堵するが、次の瞬間パチュリーの視界にとんでもない光景が映った。
 フランドールの投げた魔球が着弾するや、あらぬ方向に跳ね返り飛び去ったのだ。
 フランドールの作り出した魔球は威力はともかくとして、普通の形をした球体である。楕円形のような歪み方をしていない限り、あらぬ方向に跳ねたりはしない。
 操っているのかとも思ったが、跳ねた魔球は再び途方もない方向に飛び、それを幾度か繰り返した後にやがて蓄積した魔力が尽きたのか消滅した。
「あー! パチュリー! 避けないでよー!」
 むくれたフランドールが手を振って文句を言ってくる。
 無茶を言う。アレを捕れというのか。
 彼女の姉ならいざ知らず、自分があんなモノ受けたら一撃でお終いだ。
「体を動かすのは苦手だって言ったじゃない……」
 先の衝撃で半壊になった扉に身を預けて嘆息するパチュリーだが、その様子にフランドールはお構い無しに不貞腐れる。
「うー、お姉様ならちゃんと付き合うよ?」
「彼女と一緒にしないでよ……それにしてもまさかあんな跳ねるとは思わなかったわよ」
 呆れながら賛辞を送るパチュリーに、フランドールは釈然としない面持ちで答える。
「好きであんなのを作ってるわけじゃないわよ。私が作った魔球は大概あんな跳ね方ばっかりするのよね」
 フランドールの台詞に、パチュリーはおおよその見当でしかないがアレが何を含んでいるかは理解した。
 屈折の法則まで壊しているなんてね。しかも無意識でやっているのだし、始末が悪いわね。
 屈折現象を持って身を隠したときに、もしもその能力が発揮されていたと思うとぞっとする。
 背中に冷たい汗が流れているのを感じているパチュリーに、フランドールは呼びかける。
「今度は避けちゃだめだよー!」
 嬉々とした笑みを浮かべて魔力球を練り上げるフランドールは、再び振りかぶって投擲しようとしていた。
 無論彼女の言う通りに受けるわけがない。
 離脱を図ろうとしたパチュリーだが、足首に違和感があった。
「……最悪……」
 違和感の正体を見て、パチュリーはげんなりとした表情をした。いつのまにか最初に断ち切ったクランベリーの蔓が、足元に絡み付いていたのだ。
「今度は避けられないよー。ちゃんと受け止めてねー!」
 だから無理だって。
 迫りくる魔球を見て内心で愚痴り、とりあえず生存方法を模索してみたがどれもこれもが絶望的だった。一縷の可能性がないとはいえないが、この魔球が到達するまでにその可能性を掴みきれるか。
 死に際になると思い出が走馬灯のように浮かぶというが、パチュリーは友人の頼み事を聞き遂げられなかったことの後悔があった。
「レミィはちゃんと課題やっているのかしら? 答えあわせができそうにないけれどなー。あと妹様の家庭教師も途中で終わっちゃったわね。ちょっと悔しいわ。あぁ、こんなところで終わっちゃうなら、本をもうちょっと読んでおくべきだったかしら。残念。レミィってば美鈴のこといじめ倒さないかしら。私ももうちょっと彼女で遊びたかったけど。そういえばレミィって私の血を啜ろうとしたことあるわね。一度仕返ししておこうと思ったのに。ああ他も……」
 ぼやきにも似た独り言を漏らしたところ、後方から聞き慣れた声が聞こえた。
「あら、貴女ともあろう者が諦めるなんて珍しいじゃない? にしても末期の台詞にしては随分色々あったけどね……」




 パチュリーの前に立ち、レミリアはすぐ傍まで接近していた魔球を一瞥する。
 フランドール特有の力が篭もっている魔弾らしいが、軌道は直進故に返すのは非常に容易い。
 レミリアにとってこの程度を返すことは造作も無かった。
 足に魔力を込めて軽く飛び、そしてそのまま蹴り返し、魔球はフランドールの元へと猛スピードで戻った。
「わっ!?」
 慌てて身を捻って避けるフランドール。
 レミリアは迫り来る破壊の魔球を文字通り一蹴したのだ。
「優雅さの欠片もないわよ。その返し方」
 そのまま流れる動作でパチュリーの近くに着地する。友人が呆れて指摘してきたが、無論気にしない。
「私自身が優雅だし問題ないわよ」
 紅の主の主張に魔女は疲れとあいまってか重い嘆息をした。
 そんな魔女の様子を一瞥して、手を取って肩を貸した。自ら立っているのもつらかったのかパチュリーはなすがままに身を任せる。彼女の体はいつぞや背負ったときと同じで羽のように軽かった。
「随分派手にやられちゃって。私の時とは大分違うんじゃない?」
「うっかり紛れ込んだ迷子に文句を言って頂戴。彼女が来たから向こうに戦況が傾いてしまったのよ」
「それに関しては迂闊だったわ。あのメイドと貴女にあんな繋がりがあったなんて『視て』いなかったしね」
「迂闊ね、本当に」
「ええ、まったくね」
 互いに顔を見合わせ苦笑する。
 友人の軽口を応酬できる様子を見て、レミリアはとりあえず安堵する。
「お姉様ってば、出会い頭にこれはあんまりじゃない?」
 むくれっ面で睨んでくる妹に視線を移し、皮肉げに口元を歪める。
「あら、不満だったかしら?」
 今度はフランドールが同じように口元を歪めた。
「ううん、とっても素敵。こんな芸当お姉様ぐらいしかやらないもん」
「あら、それは褒めているの?」
「さあ?」
 姉妹揃って微笑むが、額面通りに受け取る者はいないだろう。
 さすが姉妹ね、と呟いているパチュリーを無視し、レミリアは宣告する。
「さて、フラン。存分に暴れたでしょう? 今日はもうお開きよ」
「えー」
「えーじゃないわよ。あなたは加減を知らなさ過ぎる。いくら館内の騒ぎとはいえ、あまりにひどいといろいろ厄介な連中が嗅ぎついて来るわ」
 雑魚が数十と群がろうと問題はないが、鬱陶しいことこの上ないし実力者が来てもらっても困る。それに下手を打って調停者とことを構えるのは面倒だし、禄でもないことで敵対関係を増やすことは好ましくない。
「お姉様だって好き勝手してるじゃない。私は外に出られない分鬱憤が溜まっているんだから、もう少し優遇させてくれたっていいんじゃないの?」
 不機嫌を露骨に出してフランドールは言うが、それを素直に承諾することも出来ない。
「私は弁えてやっているわよ。貴女はどうなの? もし外に出られたらその『破壊』の能力や常時発している魔力を自制することは出来る?」
「なんでそんなことしなければならないの?」
 本当に不思議そうに尋ねる。
 これだ。
 レミリアは沈痛な面持ちで手を覆った。
 暴虐であるがだけで王たる威厳を持てるわけが無い。暗愚な連中はそのあたりを理解せずに、やたら鼓舞しては結果として自滅を招いている。
 自分の妹は愚昧ではないが、少なくても今は世間を知らなさ過ぎる。
「その意味を知らない限り、あなたが出ることは罷り通らないわよ。どっちにしろさっきも言った通り、今日はお開きよ」
 一方的に言い放ち、パチュリーを担いで帰ろうとするレミリアだが、その足を否定の一言が止めた。
「ヤダ」
「フラン?」
 再びフランドールに向き直り、今度は若干苛立ちの篭もった声と目を向ける。
 だがその視線を吸血鬼の妹君は歯牙にもかけなかった。
「嫌だと言ったのよ、お姉様。私はもっとやりたいの。パチュリーともっともっとやりあいたいの!」
 歩んだ年齢には似合わず、しかし少女相応の我侭をもってフランドールは不満をぶつける。
「フラン、あまり我侭を……」
 身勝手な主張に瞑目し、叱咤しようと目と口を同時に開いたところ一条の紅い光がレミリアの頬を薙いだ。
 犯人は考えるまでもない。
 ブロンドの吸血姫は、その髪を魔力によってたなびかせながら無邪気に微笑んでいた。
「なんだったらお姉様が相手になってくれる? 手の内はある程度知った者同士だから退屈しのぎ程度にしかならないかもしれないけどね」
 傲然と言い放つ妹の言葉にレミリアの中の自制という存在が亀裂を立てた。
「随分と吼えるじゃない。貴女が放った『星弓』と同じように私にも新しい手札はあるのよ?」
 漂っていた狂気を塗りつぶしかねない魔力が、レミリアから発せられていく。
 その王を拠点に視覚化されていく紅い魔力を見て、フランドールは待ちわびたように破顔する。
 口ではあしらっている様にも言っているが、彼女は望んでいるのだということをレミリアは理解している。狂気の中に隠された純粋さは姉である自分が一番よく知っている。
 フランドールの笑顔を確認して、レミリアが空いた手に魔力を収縮させようとした所、か細い声がその意識を拡散させた。
「待ちなさいよ……」
「パチェ?」
「私の授業はまだ終わっていないわよ」
 紫紺の瞳にはまだ折れていない感情がはっきりと見えるが、彼女の体はその感情には応えてくれない。それは彼女自身が理解しているはずだ。
「パチェ、貴女自身が一番わかっているはずよ。魔力はほぼ無し、体力はガス欠、こうして肩を借りないと立っていられない状況。これでどうしろって……」
「レミィが彼女を出さなかったわけね。あの『破壊』の能力を見たとき、こっちが彼女を出さない理由かとも思ったんだけれど、やっぱり違っていたわ」
 レミリアの嗜める言葉を遮って、パチュリーの笑みを浮かべて放った言葉はレミリアにとってあまりにも重かった。
 確かにフランドールの能力は凶悪極まりない。彼女の能力をもってすれば世界自体が脆いガラス細工程度のモノだろう。そして加減を弁えていない故に部屋から出さないというのが簡単に推測できる。
 さらに魔女は続ける。
「能力は間違いなく優れているけれど、だからといって対処が無いわけじゃないわ。それにこの幻想郷じゃ、彼女に対抗できる力の持ち主は少なからずいるし、そういう連中はなにかあったらすぐに察知するわ」
 彼女の言う通り吸血鬼という弱点を的確に押さえれば、決して不可能ではない。
 それに力押しでも結界の境目に住まうといわれる妖怪や、調律者と言われている博麗の者ならば彼女と十分に渡り合えるだろう。
「貴女が危険と認識したのは狂気の伝播」
 パチュリーの短く言った指摘に、レミリアの感情が波打った。
「貴女の魔力は純然たる恐怖も混ざっているけれど、彼女の魔力は正気自体を食っていくわ。あれに拮抗できる強い精神力が無いと、まず理性が飛んで発狂するわ。しかも無差別範囲に広がる」
 魔女はレミリアが危惧した部分を正確に射抜いてくれた。
 おそらくフランドールが魔力の発散を自制せずに飛び回れば、数日と経たずして魔力の影響を受けた連中が狂いだす。
 それが広範囲で分布されると最早絶望的になる。
 そうなると幻想郷のバランスは間違いなくおかしくなるだろう。
「だからレミィは私に任せたのでしょ?」
 魔力の制御は魔女の専売特許だ。
「レミィは私に任せると言ったわ。ならば私はあなたの期待に応えてみせるわよ。貴女の友人としてね」
 だめだ、とレミリアは思う。
 彼女が強がっているのはわかる。そんな状況で彼女をあの妹にあてがったらどうなるかなんていうことは、どんなに浅慮な者でもわかるはずだ。
 だが断ることは出来ない。
 友人の重い言葉、そしてあんな決意をした瞳と信頼を寄せる微笑を見せられて、どうして断ることが出来るだろうか。
「そうね。そもそもパチェに任せたのだから、この場はパチェがやるのも道理ね。あなたに全てを任せるわ。けどね」
 真剣な瞳でパチュリーに問い掛ける。
「今の状況でどうやってフランとやりあう気?」
 全てはそこに帰結する。
 気合だの根性だのといったもの程度でフランドールをどうにかできるものではないというのは、相対した者なら察しがつく。ましてやパチュリーはそういったものとは限りなく縁が遠い。
「本来なら後一手足りないものだったのだけれど、レミィが来てくれたおかげでなんとかなりそうなのよ。まぁ、その一手というのがね……」
 そこまで言ってパチュリーの声が途端に細くなる。怪訝に思い、レミリアはパチュリーの口元へ顔を寄せる。
 近寄ったレミリアを見てパチュリーは妖艶に微笑んだ。
「これよ」
 肩を借りた手で身を寄せるように絡ませ、空いた手でパチュリーは顎を上向かせる。そして咄嗟のことに呆然としているレミリアの口元に自らの唇を重ねた。
 レミリアの思考が一瞬にして幻想郷の彼方まで吹っ飛んだ。





 餅のような柔らかい感触と、交配する粘膜の感触を十分に楽しんだ後、パチュリーはいまだ惚けて意識の戻ってこないレミリアを解放した。
 余韻を味合うようにパチュリーが喉を鳴らすと、その音に反応してかレミリアの瞳に焦点が戻り、彼女は次の瞬間顔面沸騰した。
「パパパぱぱぱパパパパパ、パチェ!? 一体全体いきなり何をするのよ!」
「手助けのとっかかりよ」
 ろれつの回ってない友人の叫びに至極平静に応えるパチュリー。
 パチュリーとは対照的に平静を保てないのかレミリアはせわしなく翼がはためき、顔をぶんぶん振る。
 しかし冷静にいるパチュリーを見て落ち着きを取り戻したのか、レミリアは紅魔の主らしく泰然とした態度を取り直す。
「それであんなことをやったのは意味があったわけ?」
 憮然とした面持ちで吸血鬼はパチュリーを睨む。
 あんな醜態を見せて『実はただの遊びだった』などと言ったら、彼女は狂笑しながら自分を投げ飛ばすだろう。口に出さなくても態度がそう言っている。
「当然。おかげで補給も出来たわ」
 パチュリーの言った言葉をそのまま返そうとレミリアが口を開いたところ、彼女はガクリと膝を折った。
 自身の不調にレミリアは目元を押さえながら呟く。
「何……これ?」
「ちょっと採り過ぎたかしら?」
 レミリアの様子にまったく悪びれも無くパチュリーは答える。
 自身の不調とパチュリーの言葉の意味をレミリアは理解した。
「パチェ、ひょっとして……」
「ご明察。何も貴女の種族の専売特許じゃないのよ。エナジードレインっていうのは」
 若干やつれ気味な声にパチュリーは艶やかな微笑を浮かべて、レミリアをゆっくりと解放した。
 音も無く腰を下ろした吸血鬼はぼやいた。
「紅魔の王も丸くなったものだわ。まさか魔女一人に篭絡されちゃうなんてね」
 諌める自嘲ではあったが、口調はひどく軽いのを知ってパチュリーは彼女が存外怒っていないことを察した。
 先ほどまで肩を借りないと動けなかった体には、十分な力が行き渡っている。レミリアの魔力の影響か好調の時よりもはるかに体が軽い。加えて彼女からもらった魔力が自分の魔力と混ざっていつもよりも高い昂揚感が沸きあがってくる。
 紅の妹君へと一歩踏み出したところ、友人から短くだがはっきりとした声で呼び止められる。
「パチェ」
 王は必要以上に語らなかった。
「私の力を預けたのだし、しっかりと見せてもらうわよ」
 言われるまでもない。
 顔をこそ合わせなかったが、そこには互いに信頼の笑みを浮かべていた。
「おまたせ」
 パチュリーは他愛の無いやり取りをずっと眺めていたフランドールに向けて言った。
 瓦礫に腰掛けていたフランドールは、待たされたことに嫌な顔一つしていなかった。
「待たされた割には嬉しそうね」
「そりゃあね。お姉様の痴態なんてそうそう見られるものじゃないわよ。とっても可愛かったし」
 そういえばかのじょのあんな慌てぶりはパチュリーも初めて見た。
 そんなことを考えていると後ろからとんでもない殺気が飛んできた。
 後ろからでも背中越しにひしひしと伝わってきているのに、それを真正面から捉えているフランドールは平然としている。とんでもない胆力である。
 フランドールは笑顔のまま、瓦礫から体重が消えたように舞い降りる。華麗な着地を見せ、パチュリーと視線を交差する。
「それじゃ、遊びの続きは出来そうかな?」
 底冷えするような笑顔で吸血姫はパチュリーを迎えた。
 ただ笑顔を向けられただけなのにとんでもないであり、呑まれまいと警戒を強める。
「パチュリーはまた『本』でも使うのかな? それとも最初に見せてくれた大きな竜かな? もしかしてまた嫌な水で攻撃してくるのかな?」
 楽しそうにリバーススペースの杖を回しながら、唄うように尋ねて来る。
 彼女の瞳にはこちらの攻撃に対する恐れも無ければ、まったく効かないという嘲りも混ざっていない。それどころか自信に満ち足りているわけでもない。
 あるのは悦びのみ。今この状況のみを楽しんでいる。
 そんな彼女の有様を端から見れば狂っていると捉えられても何の不思議も無い。
 だが自分にとってはそんなことは問題ない。あるのは昂ぶりとちょっとしたざらつき。
 感情なぞ捻じ伏せてみせるのが魔女というものだが、なんだかんだで自分はやられっぱなしなのだ。あんな終わり方はゴメンである。
 フランドールを見据えながらパチュリーは指先に仄かな光を灯す。
 呪の発動を待ちわびたようにフランドールは喜悦満面な顔をして構える。
 紅の王という友人の力と我が魔力を見せよう。



『開け、我が力の根源よ』

 地下室が揺れる。

『生を綴り、死を綴り、魔を綴り、理を綴る。悠久を生き、遍くモノに基を記し、新たな原理を生み出すモノよ。基は我が手足なり』

 振った腕が虚空に残滓を描き、実体へと型を成していき各々が印を結ぶ。

『此処に来るは我が集大成。我を基に歩む存在。我が足跡を紡ぐ存在。我が生き方をあるがままに表記するモノなり』

 地中が撓み、亀裂が生じ、その亀裂から呪によって呼びかけられたモノが次々とその姿を現す。

『名はヴワル。我が知識の源なり』

 瓦礫の散らばった地下室は一転して、多彩な魔道書が乱立する図書館へと変貌した。




「さて、ここなら勉強に不自由しないわよ?」
 魔女は怪しく微笑んで指を鳴らす。
 その軽やかな音が合図となり、書棚から多様な魔道書が色めき輝きだす。
 想像もしていなかった物体に、なかば惚けていたフランドールは危うく集中砲火を浴びそうになり慌てて飛び退く。
「っと、これはいくらなんでも非常識すぎない?」
 まさか自分の部屋を一瞬にして図書館へと変えられるとは思わなかった。
 しかも凶暴な顎をもった本達だ。
「あら、なんでも『壊す』といった物騒なお嬢様には少々頑丈な本が必要だと思ったまでだけれど?」
「な……るほどねっ!」
 痛烈な皮肉に負けん気いっぱいの笑みで返す。
 パチュリーの指示なのか、魔道所独自の意思なのかはわからないが、無数の本が十重二十重と殺到してくる。
 しかも各々が違った魔術などを乱射してくるので、対処するのも一苦労だ。
 それでも二転三転し、アクロバットな飛行を持ってフランドールは厄介な火線を悉く回避する。
 先のやり合いで打ち合った攻撃では、まだ幾分余裕があったものだが今度のはまったく油断できない。少しでも気を緩めると槍衾にされかねない勢いで飛来してくるのだ。
 二の腕を灼熱の衝撃が掠める。目測を誤ったのか、炭化した皮膚がボロリと落ちる。
 優美な刃が服ごと脇腹を切り裂く。頑強を誇る吸血鬼の肉体から鮮血が迸る。
「アハッ」
 後が無い。
 先のやり取りとは違う。いつぞや姉とぶつかったときと同じだ。
 出さなければ死ぬという状況だ。
 それなのに自分は今これ以上ない喜びをもっている。
 現状を楽しいと思っている!
 ちらりと遠い位置になってしまったパチュリーを見つめる。
 随分離れているにも関わらず、パチュリーの視線はフランドールの姿を的確に捕らえていた。
 その視線をフランドールが認識したことに気づいたのか、魔女は艶麗な笑みを浮かべて手招きした。
「満たしてあげるわよ、フランドール」
 遠く離れているにも関わらずフランドールの耳にははっきりと聞こえた。
「ア、アハハハハハハッ!」
 いつぞやの姉と同じことを言ってくれた。
 最高だ。最高の家庭教師だ!



 フランドールがこの上ない笑みを浮かべて、途轍もない速度でパチュリーの下へと突撃した。


 赤の吸血姫は道中で再びその身を四つへと分かつ。
 だが手に携える物は全員違っていた。
 甘露にて残酷なる蔓。魔杖より噴き出し炎剣。無差別反射魔球。そして赤き檻と、幾世層を重ねた波紋。

 一方の魔女もその場で聞き取れない速度での詠唱を始めていた。
 唱えた呪が反芻し、新たなる韻律を奏で様々な呪法を織り成していく。
 顕現された図書館が彼女の厳かな命に従い、魔道書が自ら現象を生み出す。



 地下室が幾度目かわからない轟音をもって、またも紅魔館を揺るがした。





 壁際でもたれかかっていたレミリアは二人のやり取りを見て、自らが昂ぶっているのを理解した。
 全てを飲み込むような炎が現界したかと思うと、あらゆるものを飲み込む大波が現れた。
 魔を滅っする銀の雨が降り注いだかと思うと、星の弓が全てを打ち落とした。
 時空の狭間より顕現した魔弾が殺到したかと思ったら、月の洗礼が悉く弾き飛ばす。
 お互い死神の鎌がすぐにでも振り下ろされそうな術を駆使しているにも関わらず、相殺し打ち消しあい再び術を練る。
「ははっ……」
 意識せずとも笑いがこみ上げてくる。
 妹とは違い、感情の制御は出来ているものだと自負している。
 だが無理だ。こんな楽しみをただ眺めていろというのは自身の沽券に関わる。
 なによりパチュリーによって吸われた力というのは、ほぼ全快している。
 ならばすることは唯一つだ。

「私も混ぜなさい!」

 紅魔の王は魔槍を掲げて、荒れ狂う奔流の元へと嬉々として飛び立った。




 まあ、しかしいくら頑丈な紅魔館地下といえど、この三つ巴の激突には耐えられなかったらしく、夜空が霞む頃悲鳴をあげて崩れ去った。





「あ~あ。まさか潰れるとは思わなかったわ」
「あれだけ派手に暴れれば、こういう結果も仕方ないんじゃないの?」
 紅魔館の成れの果。
 瓦礫の山の上で、パチュリーとレミリアは揃って腰を下ろしている。
「あれからパチェも随分テンション高かったわね。ずっと目が爛々としていたわよ」
 吸血鬼にも勝るとも劣らずにねと付け加えながら言ってくれる本物の吸血鬼。
「元よりあなたから借り受けた力だし、その影響が出たんじゃないかしらね?」
 負けじと言い返す。
 しばらくじっと睨みあったが、やがて耐え切れなくなり二人揃って苦笑した。
「それにしても彼女は満たされたかしら?」
「今のこの子の寝顔を見ればその答えは決まっているけれど?」
「違いないわ」
 レミリアが膝元の髪をクシャリと撫でる。
 レミリアの膝枕で寝息を立てて眠っているのはフランドールであり、その寝顔はとても穏やかなものだった。
 先ほどまで膨大な魔力と狂った笑いを撒き散らしていた同一人物には見えないほどの変わりようである。
「これでしばらくはおとなしくなるでしょうね」
「まあ、それでもしばらくの間しかもたないわよ」
 空を見上げたレミリアの達観した答えが返ってくる。
「純粋すぎて加減を知らない。知らないが故に加減がわからない。解らないことに疑問をもたないがために狂気へと至る。そして気がつけば、狂気は彼女の一部へとなり、存在意義の欠片ともなった」
 長い付き合いである妹との関係を知っているからの答えなのだろう。
「だからこの子の教育をお願いね」
 そんな彼女が信頼した笑みを浮かべて言ってくる。
 レミリアの思惑通り彼女が知識を持ち、卸す術を身に付ければ彼女の内包する狂気も徐々に減るだろう。
 しかし不思議なものだとパチュリーは思う。
 紅の悪魔として恐れられている彼女が、こうして妹を気遣っているのを見るととてもそうは思えない。自分も人のことは言えないだろうが。
 どっちにしろ本が全てであった過去からは得られない知識だ。
 それに教える側に回るのも一興だ。
「わかったわ。それにしても姉妹揃って教えないとなると眩暈がしてくるわ」
 パチュリーは一息入れ、皮肉げな笑みを浮かべる。
「あら、私は問題ないわよ?」
「どうだか」
 答えがわからないと『アレ』だの『コレ』と言うお嬢様である。
 注意しても自分は偉いから問題無いとふんぞり返るこの吸血鬼の姉君は、自分が教えて教養が上がったかといえば首を傾げるしかない。
 妹の方も考えると気が重くなってきそうだ。
「どっちにしろ問題ないわ。そのうち妹のことを心配しなくてもいいようになるしね」
 パチュリーの心情を察してか、レミリアが遠くを見つめて言う。
 その視線の先は見たままか、はるか遠くの未来を見ているのかパチュリーはわかっていながらあえて尋ねた。
「それは予言かしら?」
「さあね。それは起こってからの楽しみよ」















オマケ


「あの~……」
 美鈴は二人のやり取りを見て、おずおずと尋ねる。
「なに?」
 紅い主がちらりと痛い視線を送ってくる。
「この瓦礫の処理はやっぱり私がやるんでしょうか……?」
「勿論。他のメイドにもやらせるけど、メインは貴女になるでしょうね」
「頑張りなさいね。早くしないとレミィが灰になっちゃうわよ?」
「あぅ……なんか問題解いたり、瓦礫撤去って私の仕事じゃないような気がしますけど~……」
 さめざめと泣きながら、逆らえるわけも無く美鈴は撤去作業にかかる。
「レミィ……貴女に出した課題なんだから、貴女が解かないと意味無いじゃないの」
「だって解らないんじゃ仕方ないじゃない。それに美鈴が私の代わりにやれば問題ないわよ」
「根本的な解決になってないわよ。だからキスぐらいであれだけ動転するのよ」
「あ、あれはいきなりだったからよ! 普段は全然問題ないんだから!」
「そうなの? けど普段って貴女そんなに頻繁にキスしてたかしら?」
「そ、そーよ」
「私はアレが初めてよ」
「えっ……!?」
「責任……とって貰おうかしら?」
「い、いやちょっと待って……ってあれはパチェからしてきたんじゃないの!?」
「やっぱりウブね」
「ぱ、パチェー!」
「あの~、じゃれ合っているんでしたら、ちょっとぐらい手伝ってもらえませんか?」
 勇気を振り絞って言った従者のお願いに王と魔女は一言で突っぱねた。
『嫌』
「えぅぅぅ……」

 一年近くご無沙汰でした玖薙です。
 いや、本当申し訳ないです。すぐ書き上げるつもりが色々ごたごたして、えらい間が開いちゃいました……
 しかも最初考えていた展開とは違う方向に行った気も……ダメダ自分成長していない。

 もっと精進します。
玖薙
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コメント



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魔王様~、キター!!!Missingネタだー!!!!!