風見幽香は歌唄う。
彼女が唄うは花の歌。
風見幽香は空見て唄う。
冬に舞う花白吹雪。
そこにぽつりと黒い染み。
花の歌は止み、訝しみ。
そして彼女は舞い降りた。
「こんにちは。あなたが風見幽香で間違いない?」
こくりと少女は首傾げ、花の彼女に問いかける。
「それに相違はないけれど。そういうあなたはどちらのどなた?」
開いた日傘をくるりと回し、幽香は少女に問いかけた。
少女は大きく右腕を払う。
靡くマントと反対に、少女は腹に右手を置いて、左の手のひら腰にやり、そしてそのまま礼をする。
「これは失礼。私はリグル・ナイトバグ。以後お見知り置きを」
「……それで? そのリグル・ナイトバグが、一体私に何の御用?」
せいぜい気取って言う少女――リグルを、幽香は言葉ほどには興味なさげに流し見た。
対してリグルは、極めて真剣に彼女を見つめる。
その表情に、幽香は僅かにたじろいだ。
それに構わず、彼女は口を開く。
先と変わらず、真剣に。
「吸わせて」
幽香渾身の右ストレートが、リグルの左頬を捉えた。
風見幽香とリグル・ナイトバグ、彼女らの不自然なる邂逅は、やはり珍妙に幕を上げた。
「へばぐぐぐ……ま、待って! 話を聞いて!」
ごろごろと花畑を二転三転して、なんとか立ち直ったリグルが待ったをかける。
腕をまくり上げ、ぐるぐると回して接近してくる少女の図、というのは傍目には滑稽だが、リグルにしてみれば命の危機以外の何者でもなかった。
「話は十分に聞かせてもらったわ」
「違うの! ちょっと言葉が足りなかったの!」
「へぇ?」
彼女の必死の弁解も、それほどに幽香の心を捉えなかったようだ。それでも一応先を促してくるあたりは慈悲だろうか。
ぱっと表情を明るくしてリグルがまた言う。
「あなたの花の蜜を吸わせてほしいの」
「それはそれで卑猥ね」
「どうしろっていうのよぉぉぉぉ?!」
身も蓋もない幽香に、リグルは思わず倒れてごろごろと転がった。
しかし彼女のその反応のおかげか、幽香の表情が幾分軟らかくなる。
「そもそもあなた、蛍でしょう?」
「違うの。蜜がいるのは私じゃなくて」
彼女の言葉に、リグルはふるふると首を振り、マントを翻す。
「この子たち」
花吹雪のように、彼女の背後から現れたのは、燐と輝く無数の蝶々。
季節外れの大群に、さすがに幽香も目を見開いた。
「……これは」
「私の可愛いお友達。この子たちに花が必要なのよ」
そもそも。
本来なら幽香に蜜をせがむような真似は、必要ないのだ。リグルの自宅には一冬超えるだけの花の蜜が蓄えられているのだから。
ならば何故、今彼女が幽香を頼ってきたのか。それはある事情によるのだが。
チルノに食料庫を吹っ飛ばされたのである。
どうも彼女は冬の妖怪レティ・ホワイトロックに体重の話題を振ってしまったらしい。「ごめんなさい重くないごめんなさい重くない」と、譫言のように繰り返していた。
逃げ回っていたようだが、ついにテーブルターニングの直撃を喰らい、リグル宅の食料庫を突き破ったのだ。
しかも悪いことに、チルノは蜂蜜棚に着弾しており、蓄えられていた蜜の一切合切は御釈迦になってしまった。
その有り様を目撃したリグルが半ば錯乱気味に、何してくれたのよこのアホ⑨この子たちの食べる物がなくなっちゃったじゃないのこの大量殺人犯あんたなんか地獄行きだー! と叫んだところ、何故かチルノは頭を抱えてガタガタと震えだした。
そしてリグルと同じく、半ば錯乱しながら許しを請いつつ、花の在処のあてを告げたのだった。
「そのあてっていうのが……」
「私ってわけね」
彼女の言葉をついで、幽香が言う。
その通り、とリグルは頷き、
「そういうわけでお願い! 縁もゆかりもないけれど、もうあなたしかいないの!」
両手を合わせて頭を下げる。
縁もゆかりもない。
そうでもないと、幽香は思う。
彼女は虫で、狙うはお花。縁としては十分だ。
それに。
「こんなまどろっこしいことをしなくても、力ずくで奪えばいいじゃない」
半分本気で幽香は言った。
花と虫。相性上の優劣は明らかだった。
しかしリグルは首を振る。
「無理なことは出来ないわ。だって今、私にいるのはこの子たちだけ」
言って彼女は目を細めた。
「私は虫の妖怪。だから私は知っている。虫は冬には生きられないと。だから私はさせられない。冬に生きろとは言えないの。私やこの子たちは、単なる例外」
それにしたって寒さに強いわけじゃない、とリグルはマントをたぐり寄せて身震いする。
「だから花には敵わない。今の私は、花に慈悲乞う哀れな羽虫よ」
彼女は周りを見渡した。
季節はずれの蝶とは逆に、季節通りの花が咲く。
柊、山茶花、藪椿。アザレア、サルビア、シクラメン。
風見幽香は花ではない。
だから花は仲間ではない。ただ美しい、彼女の僕。
花の道理など、彼女は知らない。
烏天狗の烏のように、幽香の花は道具だった。それは強者故の特権。
数多の道具を、死蔵するなど愚かの極み。
道具の価値とは、使ってこそ。
そして、強者は度量を、見せてこそ。
だから幽香は、頷いてみせた。
「わあ……」
彼女の首肯に、リグルはその手を取った。
「ありがとう!」
文字通り輝くような笑顔を見せ、彼女は掴んだ手を振る。
いささか大げさとも言えるリグルの挙動に少々面食らいながらも、幽香はその手を軽く握り返す。
縁。
度量。
案外それだけではないのかもしれない。
無邪気に喜ぶ彼女を見、幽香はえもいえぬ感慨を抱いた。
「こんにちは、幽香さん。いい日和ね」
「御機嫌よう、リグル・ナイトバグ。……幽香でいいわよ」
ふわりと降り立ちお辞儀する彼女に、幽香は軽くそう言った。
「そう? じゃあ遠慮なく。あ、私のことは、ナイトバグ様でいいわよ」
「わかったわ、ナイトバグ様」
「……ごめんなさい、リグルでいいです」
即座に彼女は平謝る。
そんな彼女の愉快な反応に、彼女は思わず破顔した。
「……それにしても」
言葉をきって、辺りを見回す。
「すっごい花ねー」
昨日よりも咲いているんじゃない? と首を傾げるリグルに、彼女はさも当然のように頷いた。
「いつもこうよ。私が根を張ると、どういうわけか花が咲くの。まるで集まってくるみたいに」
幽香のそんな返答に、彼女は名状しがたい視線を向ける。
しかしそれは刹那のことで、少し強く吹く白い風に、リグルはぶるりと身を震わせた。
「あー、さむぅっ……」
「いい日和って、自分で言ったばかりじゃない」
「……日傘さしながら言う科白じゃないと思うけど」
涼しい顔で言う幽香を、彼女はうろんげに見た。
しかし彼女はリグルの視線を、悠然と受け止める。
はぁ、と小さく息をつき、
「あなた、花の妖怪じゃないの?」
だとしたら、不健康なこと極まりない。しかし、
「違うわよ」
「そうなの?」
あっさりと否定する幽香に、彼女はびっくり、とばかりに目を丸くした。
「私は花の妖怪じゃない」
どこかで聞いたような科白を、彼女は唄うように紡ぐ。
「だけど私は知っている。冬に咲く花知っている。だけど私には言える。夏に咲く花冬に咲け、と」
「それにしては、ここに咲いてるのは冬の花ばっかりみたいだけど」
言って彼女は花を見る。
ビワ、ポインセチア、福寿草。オクナ、セルラタ、ローズマリー。
「咲かせる必要なんてないじゃない」
だってこんなに咲いている。
「冬に咲く花は、冬が一番美しい。夏に咲く花は、夏が」
それでもあなたが望むなら、と幽香は指を鳴らした。
すると萌え咲く向日葵の花。
「サービス」
驚き見開く彼女の前で、しかしそれらは儚く散った。
「これはこれで、綺麗だけれどね」
肩をすくめて彼女は言う。
散ったのではなく散らしたらしい。
「……あなたにとって、花って何よ」
どこか憮然とした様子でリグルは訊く。
「便利で綺麗な可愛い僕」
それでも四季の花を追うのだから、やはり好きではあるのだろうが。
「私のそばには、誰かがいるのが当たり前だったけど」
寝ころびリグルは蝶を見上げる。
「あなたの花は、誰でもないのね」
「それやこれ、ね」
何でもなく、彼女は頷いた。
風の音が、よく響く。
確かに今日は、いい日和だった。
リグルはゆっくりと身を起こす。
「ねえ」
彼女の言葉と同時に、少しだけ強く風が吹いた。
舞う花びらが日を照り返す。
白い光の最中の少女に、幽香は眩しげに目を細めた。
「明日も来ていい? 幽香」
その言葉に。淡く柔らかく小首を傾げるその様に、彼女は少しだけ言葉を詰まらせる。
「……私も食事は、毎日摂るわよ」
それでもそう返した幽香に、何故かリグルは一瞬口を尖らせ。
けれどやっぱり、すぐに笑顔で。
彼女は頷いた。
「八雲紫に喧嘩を売ったの?」
「うん。そういえば一緒に博麗の巫女もいたっけなぁ」
珍しく憶えていた、実は結構な大事を、リグルはあっけらかんと語った。
聞き手の幽香は、呆れを通り越したのか深々と溜息をつく。
並んで座る二人。
曇天にも関わらずいつものように、幽香は日傘を差している。
そしてリグルもいつものように……と言ったところ、怒られた。
聞けば、今日のマントはいつものそれとは違うらしい。
具体的には、いつもの1.2倍の厚さがあるのだという。
そう主張したところで、結局いつものように震えているのだから意味がない。
「まあ、いい思い出ということで」
「……マントと一緒に、頭の中身も新調したら?」
割りと辛辣な一言に、しかしリグルは顎に手を当てて考え込む。
「……?」
「ねえ幽香」
「何?」
「どこで手にはいるかな?」
「脳味噌が?」
「虫に脳味噌なんてないってば。そうじゃなくって、マント」
そういえばどこぞの吸血鬼も、脳が必要なのは人間だけと言っていた気がする。
「いつもなら蚕蛾の職人さんが作ってくれるんだけど」
幽香がどうでもいいことを考えている間にも、リグルは機織りの仕草を交えながら話を進めていた。何げに彼女のマントは絹製らしい。
「さすがにこの時季は店閉まってるし」
「……そういえば」
リグルのその言葉に、幽香は思い出したように口を開いた。
「あなたの家、今どうなってるの?」
確かチルノに食料庫の壁を破られたと言っていたが。他の虫たちが閉店中なら、現状壊れっぱなしということなのだろうか。正直な話、リグルに大工の心得があるとも思えない。
「それなら大丈夫!」
人差し指と親指で輪を作り、オッケーサインを返す彼女。
「チルノに氷で壁作らせたから」
パーフェクトにフリーズしてるから多い日も安心! とは本人の談だ。意味はわからないが。チルノの言うことだから意味はないのかもしれないが。
「穴もふさがったし、冷たくて物持ちがよくなったし、一石二鳥ね」
壁をぶち破ったのがチルノであることを勘案すると実質一石一鳥なのだが、言っている本人は気にしていないようだ。
「あ、おかげで幽香とも会えたし、一石三鳥かな?」
恥ずかしい科白を、照れもなく言うリグル。
そんな彼女の様子に、逆に幽香のほうが恥ずかしくなってくる。
「……会って幾日の相手に、よくそんな感想が抱けるわね」
僅かに視線を逸らして、微かに顔色を変えて彼女は言った。
「……時間って、そんなに大切なことなのかな?」
神妙な顔で呟くリグルに、逸らした視線をそちらに戻す。
「蛍の寿命は一週間。その間に番いを見つけて子を残す」
ちょっと例えが悪いかな? と小首を傾げ、でもと彼女は首を振り。
「私は幽香と一緒にいると、楽しいよ。……あ、別にリップサービスとかじゃなく」
ちらりと空舞う蝶たち見上げて、少し慌てて腕を振る。
確かに、彼らのことがなければ、彼女に会う事はなかっただろう。
打算抜きで出会いたかったとも思うが、それだとそもそも会うこともなかったかもしれない。
正しく……
「縁は否ものアジアもの、だっけ?」
「……異なもの味なもの」
せっかくの雰囲気が、がらがらと崩壊した。
「そこで落とさないでよ、リグル」
苦笑混じりに言う幽香。
しかし言われた方は鳩が豆鉄砲でも喰らったかのように目を見開いて、まんじりと彼女を見る。
「……リグル?」
「っわーい!」
訝しげな彼女に、リグルは弾けるような万歳を返した。
「やっと幽香が私を名前で呼んだ~」
心底嬉しそうに笑って、彼女は両手を胸に当てる。
「正直嫌われてるんじゃないかなぁ、って心配だったのよ」
「……別に名前で呼んだだけで、無駄飯食らいの居候が、としか思ってないかもしれないわよ?」
唖然とした面もちで狂喜乱舞ぶりを見いていた幽香が、ようやくいつもの表情に戻って、胸をなで下ろしている彼女に意地悪く言う。
途端、ずーんと両手を地面に落として、暗く落ち込むリグル。
そんなころころと変わる彼女の様子に堪えきれなくなったのか、幽香はとうとう吹き出した。
「見てて飽きないわ、本当」
「え?」
俯いていた顔をあげ、彼女を見る。
「私も結構楽しいわ、あなたと一緒にいるのがね……リグル」
言って幽香は手を伸ばした。笑顔で。
釣られるようにリグルも笑って手を伸ばして。
振り払われた。
「泥がつくでしょ」
「ひどっ」
「見て見て幽香ー!」
天真爛漫な声が、頭上から降ってくる。
見上げた彼女はぎょっと目を見開き、身を退かせた。もみじの種か何かのように錐もみ回転しながら、落下してくるのだから無理もない。
その割りには静かに、目を回したふうもなく軟着陸するリグル。
「御機嫌よう、リグル。……それで、何を見ろって?」
何とか気を取り直して幽香は言う。
そんな彼女とは反対に、リグルは常と変わらぬ様子で言った。
「これに決まってるでしょ?」
ふふん、と彼女は得意げに胸を張り、マントの両裾を持ち上げる。
「古道具屋で見つけた掘り出し物よ。何でも寒さをしのぐ程度のマントなんだって」
くるくると、見せつけるように回るリグル。
そんな彼女を嘲笑うかのように、びょう、と一陣の風が吹いた。
「ぅひゃー! さむー!」
謎の奇声を上げながらマントの前を閉じ、しゃがんで小さく縮こまる。
「何よこれ! 全然寒さなんて遮らないじゃない!」
かちかちと歯を鳴らしながら、彼女は呻くように言った。
ここに来るまでは、掘り出し物を見つけたとか、そういう喜びで色々寒さをフォローできていたようだが、我に返ってしまえばこの通りだ。
「これ、カイロを入れるポケットがついてるわよ」
彼女の後ろに回ってマントをめくり、幽香は言う。
「カイロ?」
「要は熱を発するマジックアイテムね。……そういえば、例の白黒魔砲使いもスカートに仕込んでたわね」
はてな、と首を傾げるリグルに彼女はそう説明した。ちなみに幽香がそんなことを知っている理由は秘密だ。
「……つまり?」
「カイロがなければ、ただの薄いマントよ」
「騙されたー!」
憤然と立ち上がり、マントを叩きつける彼女。。
しかしまあ、騙したわけではないだろう。『マント』は確かに寒さを遮り、その点は間違ってはいないのだから。
なおもリグルはぶつぶつと、シロアリけしかけてやる云々と憤っていたが、くしゅんと可愛らしいくしゃみを一つすると、先ほど脱ぎ捨てたマントを再び装着する。
「まあいいや」
気を取り直したのだろうか、先ほどまでの憤懣はどこへやら、彼女は晴れやかに向きなおった。
「それはそれとして幽香、あなたに渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
予期せぬ言葉に首を傾げる幽香とは対照的に、リグルはこくりと頷く。
「うん、プレゼント。ほら、この子たちの件で色々お世話になってるでしょ? そのお礼。マントと一緒に買ったんだけど」
どこに仕舞ったかなー、と懐をごそごそやるリグル。
そんな彼女の様子を、幽香は微妙な視線で見守る。
プレゼント、というのは純粋に嬉しいのだが、彼女曰く騙された店で購入した品物というのはいかがなものかと思う。嬉々半分恐々半分な心境だった。
「あったー」
ようやくリグルが引っぱり出したのは、彼女の二の腕ほどもある長大な代物だった。
そんなものをどうやって懐に仕舞いこんでいたのだろうか。
幽香はなおも微妙な視線でリグルを見るが、そこに映るはけろりとした彼女の顔。
何となく毒気を抜かれて苦笑すると、彼女は改めてリグルの手にしたものに目をやった。
土を焼いたのではない、奇妙な質感の鉢。
そこから伸びる、これまた奇妙な光沢を帯びた緑色の葉、茎。
そして黄色の大輪。
花だった。ただしサングラスを掛けていたが。
「……これは?」
はい、と手渡されるままに受け取りつつ、幽香は尋ねる。
「鉢植え向日葵の式だって」
「向日葵?」
まじまじと、手の内にあるそれを眺めた。
確かに、見ようによっては向日葵に見える。植物にあらざる妙な色つやも、式だというのなら納得できないこともない。
「幽香、向日葵好きでしょ」
リグルの言葉に、彼女は軽く目を見開いた。
彼女にあった翌日、確かに向日葵を咲かせて見せたがそれも一瞬のこと。まさか憶えているとは思わなかった。
「……そうね、好きよ。明るくて、生き生きとしていて」
「まるで私みたいで?!」
言葉をついで、なぜかリグルは両の頬に立てた人差し指をあて、可愛いこぶる。
返ってきたのは、冬の風のような幽香の視線。
時間が巻き戻ったかのように、リグルは身を退きそのまましゃがんでのの字を書きだす。
が。
「まあいいや」
先ほどまでのうらさびしさはどこへやら、彼女は朗らかに立ち上がる。立ち直りが早いのはいいことだ。幽香は身をこけさせていたが。
「どうしたの?」
「……何でもないわ」
「そう?」
ならいいけど、とあっけらかんと言って、リグルは彼女の手から、律儀に抱えていた鉢植え向日葵の式を取り上げる。
訝しげに眉をひそめる幽香の前で、彼女は鉢の底についていた黒い突起をかちりと滑らせた。
「それで?」
どうなるの? と言いかけた彼女の言葉が止まる。突然目の前のそれがうねうねと動きだしたのだから宜なるかな。
「びっくりした?」
身を仰け反らせた彼女に、リグルは少し得意そうに笑う。
「……これは?」
ツイストしているグラサン向日葵をしげしげと見つめて、幽香は尋ねた。
「音に反応して踊る花の式なんだって」
「……それで?」
「え? それだけだけど。これ売ってた店の店主も、決まったことしかできないから式って言うんだ、って言ってたし」
「そうでもないけどね」
そうなの? とリグルは首を傾げる。
魅惑の回転狐八雲藍などその筆頭であり、永夜の件で彼女も遭遇してはいるのだが、そもそも式という存在をつい先ほど知ったリグルがそんなことを知るはずもなかった。
「ま、いいや。これはこれでおもしろいでしょ?」
言ってリグルは胡座をかいて花畑に座りこみ、踊る向日葵を置く。幽香を見上げてちょいちょいと地面をさした。
逆らわず、彼女も足を斜めに崩して座る。
それを待って、リグルはぱん、と小気味いい音をたてて手を鳴らした。うねうねと身をくねらせる向日葵の式。
暫くすると、それは動くのをやめた。
沈黙。
訝しく思って、幽香は向日葵から対面の彼女に視線を移す。
きらきらと輝くリグルの瞳。
期待に満ちた彼女の双眸に、幽香は仕方なさそうに、しかし微笑み日傘を置くと、同じく手と手を打ち鳴らした。うねうねと蠢く向日葵。
ややあってそれは動きを止め……
ぱん。
そうはさせじと、リグルは再び手を鳴らす。止まるまもなく踊る向日葵。そして幽香を見る彼女。
その様子に、彼女は意図を悟った。
ぱん。
うねうね。
止まる間際に、幽香も再び手を打ち鳴らす。
ぱん。
うねうね。
ぱん。
うねうね。
ぱん。
うねうね。
びょうっ。
こてん。
少し強く吹いた風に、あまり安定のよくない向日葵の式は自らを支えきれずに転がった。それでも踊りは止まらない。
それをはさんで、二人は顔を見合わせて。
吹き出した。
夕闇の中、彼女はそれと向き合った。
さわさわと、風と葉の音が花園を満たす。
その程度の音で、それは踊りを踊らなかった。
ぱん、と彼女は手を打ち鳴らす。
蠢くそれ。
その様を彼女は、幽香は、妙に冷めた面もちで眺めていた。
何の感慨も抱けなかった。
さっきはあんなにも楽しかったというのに。
なぜだろう?
疑念と同時に、幽香の脳裏に彼女の顔とその名がよぎる。
「リグル」
その呟きに、鉢植え向日葵の式が踊りだした。
心なしか、その動きが軽やかに見えるのは錯覚なのだろうか。
幽香はそれを手に取った。
「リグル」
目の前のそれに、そう声をかける。
踊るそれ。
「リグル・ナイトバグ」
目の前の向日葵に、そう声をかける。
踊る向日葵。
浮かぶ微笑み。
幽香は彼女の置き土産を、そっと抱きしめた。
いつからだろう。
彼女が来るのを心待ちにする自分に気付いたのは。
八雲紫が狐の式を作った。
それを知った時、彼女は彼女に言ったものだ。
自分より弱いものを従えてどうするのだ、と。
自らに劣る、自由意志ある式神など不要ではないか、と。
それなら所詮、最後に依るべきものは自分ではないか、と。
彼女の言葉に、紫は笑った。
蔑みでも、嘲りでもなかった。
何らの他意もないただの笑み。
そう思えるのなら、あなたは幸せだ、と。
彼女は言った。
いつかあなたも、きっと私がわかるときが来る、と。
彼女は言った。
今ならわかる、確かに。
いつからだろう。
一人が寂しいと、思うようになったのは。
「ねえ、リグル」
「ん?」
「眠そうね」
「そん……」
な、と口を開いたところで、くぁ、とあくびが漏れる。
慌ててかみ殺そうとするが、それは既に後の祭りだった。
「……悪かったわね、眠いわよ!」
「何でキレるのよ……」
いきなり機嫌悪そうにそっぽを向く彼女に、幽香は呆れたような声をあげる。
「……仕方ないじゃない。蛍の時間は夜なのよ」
「なら夜来ればいいじゃない」
ばつが悪そうに頬を掻くリグルに、彼女は何でもないように言った。
「別に私は無理に花を咲かせているわけじゃないのよ、前にも見せたけれどね」
少し気遣わしげに、幽香は彼女をのぞき込む。
「そうは言うけどね」
視線を横にやり、リグルは口ごもる。
彼女の先には咲き誇る、冬の昼の花。
何度か口を開きかけるものの、結局言葉は出てこない。
「それならここで眠ればいいじゃない」
何かを躊躇う彼女のためにか、幽香はうっすらと隈の浮いた少女の視線の先を同じく見ながら言った。
「……いやよ。この気温で眠ったら、下手したら永眠しかねないし。それに……」
変わった話題にほっとしたような、落胆したような、複雑な表情を浮かべてリグルは言う。
そして再び口ごもるが、今度は観念したように言った。
「……勿体ないじゃない。折角あなたと一緒にいるのに」
ぱちくりと。
その科白に幽香は目を瞬かせた。
虫の君を見る。
彼女は舞い遊ぶ蝶たちを見ていた。
花の乙女は嬉しげに目を細める。
「……じゃ、暖めてあげる」
「うわっ」
急に抱きついてきた幽香を支えきれずに、二人はそのまま花園に転がった。
「何するのよ」
別に嫌そうな素振りも見せずに、しかし形ばかりは口を尖らせリグルは抗議する。
「……さあ? 何をしているのかしら」
愉しそうにくつくつと笑い、彼女は蛍の胸に顔を埋めた。
「……酔ってるの?」
いささか不思議そうに、リグルは胸元の花を見る。
「そうかもね」
くぐもった声で、幽香はそれに応えた。
「……少しね、嬉しいだけ」
顔をあげぬままに、彼女は続ける。
「何が?」
「私の前に、こんなに明け透けなあなたがいることが」
四季のフラワーマスター、風見幽香。音に聞こえし大妖怪。
畏怖嫌厭。
恐怖戦慄。
それが彼女への全て。
逃げる者あれ戦う者あれ、目の前で眠る者などありはしない。
ぽん、と彼女の頭に手がのせられた。
顔をあげ、上目見る。
「花がなければ虫は死ぬ」
微笑んで、虫は言う。
どうしてあなたが、怖いものか。
すと彼女の背に手を回し、力を込める。
少しだけ、苦しい。でも、苦しくなかった。
「……ねえ」
「何?」
「暖かい?」
「うん」
「そう」
よかった、と彼女は呟く。
「ねえ」
「何?」
「暖かい?」
「……ええ」
「そう」
よかった、と彼女も呟く。
そして二人は目を閉じた。
ある昼下がりのことだった。
彼女がいる。
ここから見えるのは、彼女の背中だった。
彼女は目の前の誰かに礼をする。
春の誰かか、夏の誰かか、秋の誰かか、冬の誰かか。
そして彼女は、四季の誰かと手を取り合って、踊り出す。
回る。回る。回る。
彼女は笑っていた。楽しそうに、笑っていた。
胸が傷む。
彼女は笑っているのに。
胸が、傷む。
彼女が笑っているから。
なんて浅ましいのだろう。
そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女と誰かは遠ざかっていく。段々と、段々と。
段々と。
待って!
叫べど、声は出ず。
待って! 行かないで!
足は動かず、手は伸びず。
花が、花が、花が。
どうして誰かが私じゃないの?
どうして私がそこにいないの?
彼女に誰かがいるのなら、どうしてそれが、私じゃないの?
目を覚ます。
隣に彼女はいなかった。
頭を殴りつけられたような、奇妙な感覚……
いや、もうごまかすのはよそう。
幽香は辺りを見回す。
彼女は、空にいた。
両の手を月に伸ばし、ゆるゆると回っている。
ややあって、何かを諦めたのか彼女は溜息をついた。
「……リグル?」
躊躇いがちに自らを呼ぶ声に、彼女はゆっくりと下を向く。
立ち上がり、月の光を遮るように、傘をさす幽香。
「おはよう」
「……おはよう」
舞い降りてのリグルの第一声に、彼女は合わせて答えた。
「何をしていたの?」
「せっかく夜にここにいるんだし」
後ろ頭で両手を組んで、未練がましく月を見上げ。
「最後に私の眷属を見せられたらなぁ、と思ったんだけど」
無理なものは無理みたい、と両手をほどいて肩をすくめる。
「この子たちしかいないのね」
ひらりひらりと、月の光を鈍く返す蝶たち。
「やっぱり、幽香はすごいね」
「羨ましい?」
眠る花々を見渡して言うリグルに、彼女は問うた。
「ううん」
至極あっさりと、彼女は首を振る。
でしょうよ、と幽香は無理に笑った。
「幽香はさぁ……」
立てた指先に蝶をとまらせ、リグルは何気なく言う。
「寂しくないの?」
「そうね……」
幽香は少しだけ考えて、そして少しだけ俯いて。
「さっきあなたが隣にいなかったのは、寂しかったわ。……少しね」
「……そっか」
眉を下げて、彼女は呟く。
ごめん、とは言わずに。
隣の彼女は再び舞い上がった。蝶たちと共に。
見上げる幽香。
月に重なるリグルの姿。
月が、輝いた。
否。
彼女が輝いた。
輝く彼女を真ん中に、蝶は彼女の周りを回る。
月を霞ませ蝶は舞う。
あたかもそれは、群雲の如く。
否。
それはさながら朧月。
朧月夜に虫が舞う。
ああ、と。幽香は唐突に悟った。
この不自然なる邂逅も、
「もう、終わりなのね」
その呟きに、花が咲く。
「……え?」
雌待宵草、月見草。月下美人に烏瓜。
彼女の命なく、季節外れて夜咲く花は、やはりあっさり散り散り散華し、夜飛ぶ虫と回り舞う。
……サービス。
耳朶うつ言葉に妄と立つ。
呆気にとられて棒立つ幽香に、彼女は蝶を月に残して、静かに音なく舞い降りる。
白く淡く、彼女を照らす花と月。
リグルは体を傾けて、のぞき込むように彼女を見、そしてふわりと微笑んだ。
「ほら」
両手を広げて『それ』らをさす。
「見て。花は。幽香が思っているほどいいものじゃなくて、私が思っているほど悪いものでもなかった」
咲きゆく花には意志があり、散りゆく花には遺志がある。
自由意志なき道具ではなく、彼らは。
気付いてくれた。気付かせてくれた。
だから彼らは、季節外れに自ら咲いて、自ら散って、季節外れの蝶と舞う。
それは最後の祝福だった。
月に花びらたちと舞う蝶は、大分少なくなっていた。
朧月。春の証。
季節外れのバタフライ。春来たりなば、消えて失せるがその定め。
「……楽しかったな」
自然と口から、そんな言葉が漏れた。
「楽しかったね」
嬉しそうに、彼女がその言葉をつぐ。
「楽しかったよ」
「楽しかったの」
そして二人は向きなおる。
「でもでもでもね、リグル・ナイトバグ?」
「なになになぁに、風見の幽香?」
そして二人は笑いあう。
「それを言葉で語るより」
「私と一緒に踊りませんか?」
花のよに。
「……踊れるの、あなた?」
夢のように。
「人の童話を知らないの? 楽器鳴らしてステップ踏んで。……虫が踊れず何とする!」
仰々しく、どこか気障ったらしくリグルは宣言する。
「それよりあなたはどうなのよ」
態度は一転、彼女はこくりと首傾げ訊く。
それに幽香はくすりと笑い、
「あの子が踊れるのに、どうして私が踊れないのよ?」
しゃかしゃかと忙しなく踊る、鉢植え向日葵の式を見た。
「それもそうね。……でも」
言ってリグルは、意味ありげに彼女の視線の先を見る。
「あれと同じなら笑うわよ? 遠慮なく」
「言ってなさい」
もはやいつものように。
片や挑むように、片や不敵に。
笑って。
リグルは右腕を払う。
靡くマントと反対に、彼女は右手を腹の前に置き、左の手のひら腰にやり、そしてそのまま礼をする。
幽香はくるりと日傘を回す。
閉じた日傘を放り投げ、スカートの両裾つまみ上げ、プリマのようにお辞儀する。
気まま着のまま風のまま、舞う花びらに蝶が寄る。
リグルは幽香の左手を取る。
そして二人は緩やかに、薄明かりの中前を踏む。
逆の手取って、二人はそのまま向かい合う。
繋いだ両手をそのまま広げ、背中合わせに一回転。
両手は離れて自分の胸に。
そして右手を取り合い掲げ。
くるりくるりと我がままに、蝶と花びら回り舞う。
繋がる右手は途切れずに、幽香は優雅に舞い回る。
右手と左手交叉させ、二人は並んで大きく旋回。
そして再び向かい合い、互い違いに、右に左に体を揺らす。あたかも瞬く星のよに。
風の悪戯はたまた気まぐれ、蝶より離れて花びら螺旋。
解き放つように、リグルは彼女を送り出す。
そのまま幽香はスカート摘み、リグルの拍子にリズムを合わせ、夜の花の中足を踏む。
これで終わりと蝶と花、一つ纏まり止まり散る。
そして幽香は背からリグルに手を伸ばし、流れるように、前へと回って手を取り合って。
自らの腰に左手やって、そこに彼女の手が重なって。
互いの右手は頭上で合って、そしてその手はアーチ描いて。
ああ、そして。
二人が一つであるかのように、二人の間に距離はなく。
見つめ合い。
ああ、そして。
季節外れの、季節外れの、二人の逢瀬は今終わる。
地に花はなく、空に蝶なく。
おずおずもたげた朝の日は、色なき世界を白々照らす。
蝶は散り散り花は枯れ、灰の世界で二人は語る。
「寂しいな」
「寂しいね」
「寂しいよ」
「寂しいの」
だから。
「生きて」
虫の理知るその声に、その一言に蝶が咲く。
春の朝日に照らされて、季節通りの蝶が咲く。
暗く冷たい冬を越え、季節通りに蝶が咲く。
「……咲いて」
花の理今知る声に、その一言に花萌える。
春の朝日に照らされて、季節通りの花萌える。
青く凍える冬を越え、季節通りに花萌える。
白と黒しかないカンバスに、色とりどりの春描く。
季節通りに、季節通りに、二人の冬が、今終わる。
「月に朧あれ、リグル・ナイトバグ」
「花に虫あれ風見の幽香」
二人笑って手を取り合って。
手を離す。
季節外れの春脱ぎ捨てて、季節通りの春を着て。
蝶を纏いてリグルは舞って、花で着飾り幽香は立って。
そして二人は別れゆく。
だけどだけれどだけれども。
彼女が虫で、ある限り。
彼女が花と、ある限り。
胡蝶が華とあるように、二人は再び逢うだろう。
それは自然なことだから。
それが自然なことだから。
だから彼女は下見て笑い。
そして彼女は上見て唄う。
うれしいな。
うれしいね。
うれしいよ。
うれしいの。
リグルスキーとしてはたまりません
共に踊るリグルもね。
綺麗だな、ほんとうに・・・綺麗だなあ。
・・・しかしフラワー○ックも既に幻想になってんですねえ。
やはり花と虫は惹かれあうものなのですね
リグルも幽香も最高です。
最後のシーンではもう目の前に踊る彼女らが見えるくらいに。
花映塚の幽香ステージが某映画と結びついていた身としては、このような先を感じさせる作品を見さてもらって本当に感謝。
ああもう素晴らしい。
まさに幻想郷なSSで、とても良かったです(多謝
まるで音楽を聴いているような、そんな気持ちになりました。
……個人的には黒さが足りない!とか思ったりもしましたがw
最強妖怪の一角で、孤独な幽香、最弱妖怪のひとりで、社交的なリグル。
よい対比であり、惹かれていく過程も納得のいくものでした。
ごちそうさまでした。
いや、流れに便乗した1人としての意見ですけども。
何か残るような、そんな気がして。
助演男優賞を彼に。
♪あなたに会わなければ きっと知らなかった こんなに一人が寂しいなんて…ってそれは別のお方。さあ、今年は緑髪の時代が来るですか!?
綺麗、としか言えない。
素晴らしいSSでした。いまだに何度も読み直してます。
ラストがすごく心に残る……。