とある郷の、端の端。そこに彼女は住んでいた。
見渡す限りの御屋敷に、見上げんばかりの大きな桜。
そこが彼女のいる世界。そこが彼女の知る世界。
見果てぬ庭の、隅の隅。そこが彼女の場所だった。
小さな手の突く綺麗な鞠に、黙って応える無骨な庭砂利。
それが彼女のやる遊戯。それが彼女の知る遊戯。
彼女はとっても奇妙な子。
笑顔も涙も、忘れてるから。
彼女はいっつも独りの子。
親しき従者も、愛しき母もいないから。
独り静かに、独り寂しく、今宵も空を見上げてる。
大事な鞠と、好きな着物と、朔の夜空を眺めてる。
こんばんは。
一人の少女が訪れた。独りの彼女を訪れた。
小さな手には古びた鞠を。優美な顔には不敵の色を。
あなたはだぁれ?
独りの彼女が問い掛けた。一人の少女に問い掛けた。
小さな手には綺麗な鞠を。可愛い顔には疑問の色を。
私は紫。そういう貴方のお名前は?
少女はなんだか楽しそう。
笑みを浮かべて鞠を蹴る。
わたしは幽々子。こんなところに、なにしに来たの?
彼女はなんとも不思議そう。
首を傾げて鞠を取る。
ダメよ、幽々子。蹴り返してくれなくちゃ。そういう遊びだもの。
少女の声は諭すよう。
ついと指を動かせば、ふわりと鞠が逆戻り。
蹴鞠なの? 遊び方を知らないわ。
彼女の声は惑うよう。
くいと顔を動かせば、ぱさりと髪が揺れ動く。
蹴ればいいのよ、蹴れば。そして落とさない。細かいことなんて気にしないの。ほら、あなたの鞠は置いときなさいな。
少女はまた蹴った。鞠はまた浮いた。
彼女は今度は蹴り返す。鞠は今度は地に落ちる。
ごめんなさい。失敗しちゃったわ。
なにやら済まなそう。なにやら悲しそう。
なぜだか面白そう。なぜだか楽しそう。
あら? 鞠はまだ落ちてないわよ?
少女が言えば、鞠は浮く。
少女が蹴れば、鞠は浮く。
凄いのね。
彼女は言った、少女の術へ。
彼女は蹴った、少女の鞠を。
児戯よ。
蹴って、浮いて。
蹴り返して、浮いて。
わたしにはできないわ。
落ちて、浮いて。
蹴られて、浮いて。
私だから児戯なのよ。
ぽん、ぽん。ぽん、ぽん。
二人の間で鞠が浮く。二つの動作で鞠が浮く。
おもしろいのね、あなた。
彼女が言った。
一人の少女にそう言った。
変わってるわね、貴方は。
少女が言った。
独りの彼女にそう言った。
そうかしら?
首を傾げて、髪を揺らして。
足を動かし、鞠を蹴り上げ。
そうなのよ。
指を回して、鞠を浮かばせ。
足を動かし、鞠を蹴り上げ。
わからないわ。
浮かぶ鞠を、蹴り返し。
落ちた鞠を、浮かばせて。
私にはわかるわ。
少女は蹴った、独りの彼女へ。
彼女は蹴った、一人の少女へ。
やっぱりおもしろいわ、あなた。
独りの彼女も、一人の少女も。
互いに互いを笑い合う。
貴方は変わってないわね、やっぱり。
二人で蹴った、古びた鞠を。
二人で笑った、遊びの相手を。
意見を変えるのが早いのね。
また落ちた、鞠が。
今度は浮かばない、鞠は。
私だからいいのよ。
気付けば消えた、一人の少女。
気付けば一人の、独りの彼女。
――――紫?
見渡せど、見付からない。
呼び掛けど、返されない。
こんな日ぐらいは、笑ってなさいな。今夜ばかりは、月も微笑まないもの。
耳に届いた、少女の声。
足に当たった、少女の鞠。
紫?
小さな声は届いただろうか。
囁き声は、ちゃんと届いた。
おやすみなさい、幽々子。次に会う時まで、それは預けておくわ。
空の舞台は脇役ばかり、今夜は主役はお休み中。
庭の舞台は主役が一人、相手は今夜はお休みなさい。
縁の名を持つ一人の少女、大きな桜を眺めてた。
歌人の名を持つ妖怪桜、花を成さずに立っていた。
空に浮かんだ月は黒、朔の夜空に月は無い。
冷たく感じる吹いた風、秋の夜長もじき終わる。
げしり。少女が一つ、桜を蹴った。
ぽろり。足が痛くて泣いちゃった。
こんばんは。
聞こえた声に、涙を拭う。
扇を片手に振り向いた。
こんばんは、幽々子。挨拶って大事よね。
出会った彼女に、少女は言った。
笑う彼女は、少女に言った。
なにをしてるの?
古びた鞠を、彼女は掲げた。
綺麗な鞠を、彼女は置いた。
遊びに来たのよ。ほら、鞠を蹴りなさいな。そういう遊びだもの。
少女は笑った、扇を翳して。
彼女も笑った、鞠を蹴りつつ。
蹴鞠ね?
蹴られた鞠が、ふわりと舞った。
蹴り返されて、ぽーんと飛んだ。
蹴鞠よ。
彼女の下に、戻った鞠を、再び少女へ蹴り返す。
宙浮く鞠は、落ちずに少女へ飛んでいく。
練習したのよ。一月ぐらい。
言った少女は自慢げに。
言われた少女は愉快げに。
あら。その割には上達してないわね。
扇が振るわれた。
鞠がぽとりと地に落ちた。
ずるいわね。
頬を膨らませ、怒りながら。彼女。
口元を覆い、笑いながら。少女。
ちょっとした悪戯よ。
鞠を浮かせて、少女が蹴った。
彼女は強く、蹴り返す。
わたしもやってみたいわ。
足を動かし、鞠に当て。
落ちずに鞠は、相手の下へ。
貴方には無理よ。普通だもの。
言った少女は当然そう。
言われた彼女は不思議そう。
そうなの? 初めて言われたわ、そんなこと。
気付けば鞠が、落ちていた。
慌てて持ち上げ、また蹴った。
そうなのよ。
少女はにっこり笑ってた。
彼女はちっとも笑ってない。
わたしは変わってるわよ? きっと。
蹴られた鞠は、地に落ちた。
少女が浮かばせ、蹴り上げる。
それは凡人の意見よ。私が言うんだもの、間違いないわ。
彼女は鞠を蹴り返す。
それはやっぱり、届かない。
あなたはほんとにおかしな人ね。おかしすぎて、涙が出そうよ。
古びた鞠が、足に当たる。
今度は彼女は蹴り返さない。
やっぱり貴方は普通の人ね。だって笑うんだもの。泣くんだもの。それだけ出来れば十分よ。
俯いて、地を見て、少女の声を聞く。
顔を上げ、虚空を見て、彼女は呟く。
――――紫?
小さな声は、闇へと消えた。
囁く声は、耳に届いた。
こんな日ぐらいは、泣いてなさいな。今夜ばかりは、月も見ていないもの。
彼女は声に、押し黙る。
気付けば手には、少女の扇。
――――――――。
彼女は何も返さない。
彼女は何も応えない。
おやすみなさい、幽々子。次に会う時まで、それらは預けておくわ。
夜空の客席、空席ばかり。劇はただいま準備中。
劇の役者、欠席ばかり。主役が一人で泣いている。
彼女は一人で部屋にいた。
寂しき夜を、彼女は一人で過ごしてる。
向こうに覗く大きな桜、背中に夜を背負ってる。
今宵も朔の夜、お空の月はお休み中。
布団の脇には二つの鞠を、枕元には古雅な扇を置いている。
これで今夜も寂しくない。一人の夜でも大丈夫。
おやすみなさい、紫。
今夜はぐっすり眠れそう。
少女は聞いていないけど、言いたい事は言えたから。
布団に抱かれて目を閉じた。
記憶を抱いて、眠りについた。
今夜の空は、誰も居ない。開始に備えて休憩中。
庭の舞台も、誰も居ない。次回の公演、予定は未定。
少女は部屋で目を覚ます。
何故だか今夜は起きちゃった。
窓の向こうは朔の夜、やっぱり月はお休み中。
それに気付くも、やっぱり少女は休みを選ぶ。
部屋の中には何も無い。古びた鞠も、古雅な扇も。
それを理解し、少女は笑う。
おやすみなさい、幽々子。
次に会うのは何時だろう。
冬の終わりを、少女は願う。きっと会いに行けるから。
疲れた体を布団に任す。
友を思って、眠りにつこう。
今夜の空は、騒がしい。舞台の開幕待っている。
少女は一人、眠りについた。次回の公演、待ちながら。
誰も明かさぬ舞台裏、そこにも生まれる物語。
少女は知らぬ、知らされぬ。夢の中では調べも出来ぬ。
彼女が過ごす舞台裏、そこにも生まれた物語。
笑顔も涙もあっただろうか。覚えがあるのは無表情。
誰も語らぬ物語、それは悲劇であっただろうか。
主役は彼女と妖怪桜、少女の姿は在りはしない。
秘められ終わった物語、残ったものは二つだけ。
主役の彼女、おやすみなさいと最後に言った。
とある郷の、端の端。そこを少女は訪れる。
見渡す限りの御屋敷に、見上げんばかりの妖怪桜。
そこが少女のいく世界。そこが彼女のいる世界。
見果てぬ庭の、隅の隅。そこを少女は訪れる。
蹴り上げ続ける古びた鞠に、笑って応える可愛い友人。
それが少女のやる遊戯。それが彼女とやる遊戯。
友はとっても普通な子。
笑うし泣くし、怒りもする。
友はいっつも一人の子。
親しき従者も、愛しき母もいないから。
一人静かに、一人寂しく、きっと空を見上げてる。
大事な鞠と、好きな着物と、きっと夜空を眺めてる。
会いに行こう、朔の夜は。妖怪桜も静かにしてる。
会いに行こう、月の無い夜は。彼女が独りで過ごさぬよう。
こんばんは?
飛び出た声は、虚空に消えた。
返る声も、在りはしない。
空の舞台は脇役ばかり、今夜も主役はお休み中。
庭の舞台は主役が一人、相手は永久にお休みなさい。
荒地の上に、綺麗な鞠が落ちていた。
――――――――――……
――――――――……
――――――……
――――……
――――――……
――――――――……
――――――――――……
「お願いします! 紫様!」
そう言って畳に額を擦り付けるのは、愛しき親友の従者さん。
彼女の隣には私の可愛い藍がいる。二人してなにやら真剣な顔。
あらあら。なんだか面白い状況ね?
「ダメよ。貴方に藍はあげないわ」
せめてあと五十年は待って。式神離れしてみるから。
あら? そうしたら私、死んじゃったり?
……まさかね。けど、やっぱりダメだわ。
「は?」
「紫様、そういう話じゃありません」
そうだったかしら?
たしか三日ぐらい前に妖夢が訪ねて来て……昨日だったかしら?
ああ、三十分ぐらい前だったかも。三分前とかは? ……私は呆けてないわよ?
「う~ん。不思議よね、妖夢」
「はぁ」
「すっかり忘れてしまったわ」
こけたわね。なんだか鼻が痛そう。
あたっ。叩かないでよ、藍。……溜息もやめて、虚しくなるわ。
「仕方ないので、もう一度最初から説明します。
先程、私のところにこの妖夢が訪ねて来ました。珍しいと思いつつ用件を尋ねれば、料理を教えて欲しいとのこと。
紫様も知っての通り、白玉楼での食事は和食。場所柄というのもありますが、これは妖夢が基本的に和食しか作れないからです。
別に生きていくだけならこれだけでも――――というか、幽々子殿はそもそも食べなくても大丈夫です。
が、娯楽の一つとして食事を楽しまれる幽々子殿の為には、やはり新しい料理を覚える必要があるとのこと」
また今度、眼鏡でも贈ってみようかしら。
きっと似合うわ。
「――――紫様?」
「ちゃんと聞いてるわよ」
だからそんな顔をしないの。
折角の美人が台無しよ。
「つまり、藍に料理を教わりに来たのでしょう? それで、どうして私のところに来るのかしら?」
「私は白玉楼へ赴こうと思いますので、紫様には今日の夕餉の用意をしてもらいます」
……あ~、きこえない。ねむいもん。
「ぐぅぐぅ」
ぽかり。
「……いたいわ」
「なら寝ないでください。料理ぐらい、わけないでしょう?」
だって、ねぇ? 百年ぶりぐらいじゃない。多分。
それに面倒臭いわ。言わないけど。
「藍が作ればいいでしょう? もしくは妖夢。五人分くらい、わけないじゃない」
そんなに見詰めないで、照れるわ。
あら、無視?
こほん、と藍は咳を一つ。
「橙にも一度、紫様の料理を食べさせようかと思いまして。
この間、少し話をしたらどうにも気になってしまったようで――――」
それで最近は私に付き纏ってたのね。
何度か起こされた気がするし……やっぱりダメ。
「それじゃあ、皆で白玉楼に行きましょうか。妖夢、藍。夕餉を楽しみにしてるわよ」
妖夢は訳がわからないといった感じで、藍は溜息。年季の差よね、以心伝心。
私が立ち上がれば、藍も続いた。次いで妖夢。やっぱり彼女は戸惑ってるみたいだけど。
スキマって便利よね。
あ、橙も拾っていかないと。
「今日の晩御飯は何かしら?」
白玉楼の長い廊下を歩きながら、幽々子。
「食べられるものよ」
幽々子の隣で浮きながら、私。
なんだかおかしな状況ね。
橙は庭で蝶を追い掛けて走り回ってる。……蝶?
ちらり、と幽々子を。扇で口元を隠して、彼女はにこり。
「猫って案外いけるの。面白い味」
「食べたの?」
「雀は食べてません」
「そう」
また前を向いて、さっさと進む。こんなものよね、儚い人生。
橙、後で一緒に遊んであげるから、今は蝶と戯れてなさい。
ギシギシ、とか。キュッキュッ、とか。
そういった音を立てずに幽々子は歩く。私は浮かぶ。
「さて、なにをして時間を潰しましょうか?」
「そうねぇ……」
お茶でも飲んで、は巫女の専売特許だし。
特にする事もないのよねぇ。寝るのは躊躇われるし。
やっぱりお話かしら。いつも通りだけど。
ん? どうしたのかしら?
「幽々子?」
「う~ん。なんとなく、ね」
なにやら困った表情で彼女が見詰めるのは……あら、懐かしいわね。
気付けば白玉楼の端の方、昔々に見た事があるような場所。
やっぱりここも逝ってたのねぇ。集団心中にも程があるわよ?
「そういえば、この部屋には入ったこと無かったのよ」
今度は好奇心。忙しい子ね。
まぁそんな事を考えている間に、幽々子は中に入ってるんだけど。
彼女の後ろに続いて私も部屋へ。そういえば、ここの敷居を越えるのは初めてなのよね。
――――……
――……
部屋の内装は、特に変わったところはなかった。
思った程に広くもなく、調度品も少なくて、なんだか拍子抜け。
「あら?」
同じように部屋を眺めていた幽々子がぽつり。
彼女の視線を追っていけば、部屋の隅に辿り着く。
そこには、見覚えのある鞠がひそやかに置かれていた。
くす。
「どうかしたの? 幽々子」
「ん~。あんな物、うちにあったんだ。
なんにせよ、この屋敷にあるんだから私の物よね」
そう言って幽々子は鞠を手に取った。
それから振り返って、なんとも曖昧な表情を見せてくれる。
多分、気付いていないんでしょうけど。
「紫。たまには外で遊びましょうか」
「あら、何をするのかしら?」
「蹴鞠よ」
……ほんとに可愛い子。
年甲斐もなく、心が躍るじゃない。
「遊び方は知ってるの?」
「蹴鞠でしょ? だったら蹴ればいいんじゃないの?」
首を傾げて幽々子が言った。
はい、正解。よく出来ました。
薄く笑みを浮かべれば、そこは親友、了承の意を汲み取ってくれる。
「それじゃ、行きましょうか。ここは何だか寂しいし」
「ええ、行きましょうか」
そうして私達は部屋を後にする。
次に来る事は、もう無いかもしれないわね。
だって寂しいし。
先程の廊下を逆方向に歩いていると、前方に一つの影が見えた。
……橙ね。
遊び疲れたのか、それとも陽気に誘われたのか、大の字になって眠ってる。
「今日のご飯に猫は出るのかしら?」
可愛らしく首を傾げながら、割とえげつない幽々子の発言。
でも、残念ね。
「出ないわよ」
だって藍だし。
じゃあいいわ、と幽々子は庭へと下りて行く。
そうしなさい、と私は後に続きましょう。
砂利の上で、今度は私も足をつけて互いに向かい合う。
取った距離は適当で、そもそもルールなんてものはうっちゃってる。
私達が楽しみながら暇を潰せれば、それでいいじゃない。
「それじゃあ、いきますよ」
掛け声を発しながら幽々子は蹴った。
ワンテンポ遅くしている辺り、流石といったところかしら。
それをきっちり蹴り返す。
ぽん、という鞠の感触が何とも懐かしい。
「ねえ、幽々子?」
「なあに? 紫」
返ってきた鞠は、少し右に曲がりつつ。
器用な真似をするものね。
「妖夢の料理って、美味しいのかしら?」
「あの子は料理上手よ。やっぱり和食が一番だけど、中華も結構いけるわ」
あら、意外。
ぽん。
「彼女、中華なんて出来たの?」
「食べたいって言ったら、幾つか覚えてくれたの」
ぽん。
今度の鞠は、少し左に曲がりつつ。
別にダイエットは望んでいないんだけど。
「いい子じゃない。羨ましいわ」
「ご冗談。まだまだ頼りないあの子だもの。早く目を離せるようになってほしいのよね」
くすくす。
いい主さんじゃない。
あら、今度は落ちるの?
拾うわよ、私は。
「まだ若いんだから、それでいいじゃない」
「そうなんだけどねぇ」
幽々子は笑って、高く鞠を蹴り上げる。
それを目で追っていけば、頂点の辺りで、いきなり赤い影が過ぎ去った。
まぁ、驚かないけど。
視線を下げれば、幽々子と目が合った。
お互い笑う。曰く、若いって良いわよねぇ、と。
「橙。貴方も一緒に遊びましょうか」
はい、と元気の良い返事が返ってきた。
さあさあ楽しく遊びましょうか。
今度は皆で三角形に。
橙は幽々子に、幽々子は私に。そして私は元気な橙に。
たまには逆に回るけど。
「ねえ、幽々子様!」
強く飛ぶのは、猫の鞠。
真っ正直にあの子は蹴る。
「なにかしら? 猫さん」
癖があるのは、幽霊の鞠。
のらりくらりと彼女は蹴る。
「今日のご飯はなんだろね?」
あら、凄い度胸。
見て見て猫さん、幽霊さんがにっこりよ。
「美味しいものよ。面白い味かもしれないわね」
「なにそれ?」
疑問を浮かべる幼い橙や。
知らぬが花よ、妖怪桜? なんか違うわね。
「幽々子。貴方、どうせ残すでしょう?」
一人分には多いもの。四人分にしてもどうかしら?
あ、三人分かも。ま、冗談なんでしょうけど。
「腹八分目が一番でしょう? ちゃんと味わわないと」
妖怪並みに雑食なのに、こんなとこだけ人間臭い。幽霊だけど。
「紫様?」
わからないのね、可愛い橙。
それでいいのよ、可愛い橙。
真実はちょっと惨いもの。
「ほら、橙」
頑張って、受け取って、式の式。
もちろん普通に蹴りますよ?
「わっと……」
「ずるいわね、紫」
「ただの消える魔球」
落とした鞠を慌てて拾い、橙は私に蹴り返す。
あら危ない。足が痛くなりそうだわ。
「まぁ何であれ、美味しいものに変わりはないわね」
「藍様の料理だもんね!」
あら、可愛い。
お姉さん達、思わず笑みが零れそう。
「料理はうちの半人前のもの。けど、美味しいわ」
「妖夢かぁ。ま、楽しみにしてるよ。藍様が一番だけど」
あらあら、あらあら。
なんだかとっても素敵な事ね。
ぷにり。
「膨れなさんな、幽霊さん」
ぷしゅる。頬を突いたら息が抜ける。
面白いわね。
「ん?」
「気付いてなかったの? 面白いわね」
「気付いてますよ。表さないだけで。それより、鞠を落としちゃったじゃない」
おかしな子。
だって、指を動かせば、ほら。
「落ちてないわよ」
「ずるはいけないわ」
「酷い言い草ね。楽しく遊ぼうと思ってるのに」
ほら、鞠が落ち込んじゃったでしょう?
これは中々浮かばないわ。
――――……
――……
まぁそろそろ料理も出来るでしょうし、終わりにしましょうか。
鞠を拾って、屋敷の方へ。幽々子は当然のように付いて来る。
「ほら、橙。貴方も一緒に休みましょう」
そう言えば、橙は物足りなそうな顔をしながらもこちらにやって来る。
萎れた尻尾に、へたった耳がアクセント。渋々とぼとぼ歩いてる。
なるほど。藍が大切にするのもわかるかもしれない。
ちょっと遊んでみたくなる。
鞠を放れば、即座に橙は反応してくれた。
手を伸ばして鞠を掴もうとするけれど……ダメよ、触らせない。
ピタリと宙で静止した鞠は、綺麗な弧を描いて橙の後ろに着地。
「あっ!」
跳ねろ、て感じで今度は右へ。
ん~、流石は猫。条件反射よね。そして素早い。
宙を地を、ついでに庭木の合間を駆けて行く。ごめんなさいね、妖夢。
そうして橙が鞠に遊ばれてる間に、私達は腰を下ろす。
よっこらしょ、とは意地でも言わない。永遠の美少女だもの。
「意地悪ね、紫」
「優しいわよ。遊んであげてるんだから」
あの子の楽しそうな顔を見なさいな。
それを見て愉快そうに笑う私を見なさいな。
「それにしても、美味しいご飯は何時頃かしらね? 主さん」
「とっても美味しいご飯はそろそろよ。お客さん」
ぽんぽん跳ねて、びゅんびゅん飛んで。
猫と鞠の鬼ごっこ。そのまま鬼と鞠でも可。
「そろそろ陽も沈むわねぇ。こんな風に遊んだのは久し振りよ」
「たまにはいいでしょう? 寝てばかりだと太るじゃない」
「私だから大丈夫」
「…………ふふ」
「…………くす」
何故だか笑っちゃう。
こんな日もいいかしらね。
隣を見れば、幽々子も同じ気持ちみたい。
「今日はまったりといい日だわ。あとは妖夢のご飯が食べれたら満足」
「もう。そんなに気に入ってるのなら、たまには褒めてあげなさい。
頑張ってるのだから、報いは必要よ」
なんて事を言っても、幽々子は笑うだけ。
笑って顔を、庭へと向けた。
視線の先では、未だに橙が鞠と遊んでる。
飛んで、跳ねて、ぶつかって。彼女はとっても楽しそう。
まだまだ半人前の、式の式。
――――……
――……
「妖夢には、感謝してるわよ。
頼りない子だけど、ご飯は美味しいし、仕事は一生懸命してるもの。
それに、いつも私の側で我が侭に付き合ってくれるし。
とても大切で大好きな、愛しい従者よ」
「それを本人に言えばいいでしょう?」
幽々子は口元を扇で隠して、楽しそうに笑ってる。
それを見てると、この子の曲者具合がよくわかる。
「言いません。あの子ったら、きっと泣いて喜ぶもの」
ほんとに嫌な子よね、幽々子って。
笑顔でそんな事を言うんだもの。
「意地悪なご主人様ね」
「紫ほどじゃないわよ」
あらショック。こんなに優しいのに。
ほら、橙だって暗闇の中をあんなにはしゃぎ回ってるじゃない。
あらまあ鞠が、クリーンヒット。
――――――……
――――……
――……
「そういえば、晩御飯はまだかしら?」
「……本気で言ってるの? 幽々子」
「そうですけど?」
首を傾げて、疑問顔の幽霊さん。
もう。貴方の方がずっと意地悪じゃない。
見なさいな。
廊下の角から、白い髪が覗いてるわよ。
~おわり~
躊躇われる?
『変化』がテーマだったんで試しに変えてみたんですが……難しいです。
まあ何はともあれ、評価・コメントをくださった皆様、ありがとうございます。
>一人目の名前が無い程度の能力さん
あ~、たしかにそちらの方が意味的に合ってますね。修正しました。
ご指摘、ありがとうございました。