手の平の中でちぃちぃ鳴き声がした。
「とりなのかー」
その日、彼女は羽根の傷ついた小鳥を拾い上げる。
真っ青な空の下、鳥は真っ暗な空に弱々しく鳴く。
『とりなのかー』
手の平に小さな命を抱いたまま、ルーミアは困ったようにふらふら森の中を歩いていく。
とりあえず手にしてしまった物の、どうして良い物か解らない。
食べる――には少し小さすぎる。せめて人間くらい大きくないとお腹が膨れない。
捨てる――には気になる。ちぃちぃちぃちぃ、小さな鳴き声が彼女の脳を支配するように手の中のそれを離させない。
「……どうしよう」
じゃあ、治す?――どうやって?
普段、まず悩むことなど無く生きてきた彼女にとって、この状況は思考回路の全力疾走に十分だ。
「うーんうーん」
手の平の小鳥は相変わらずちぃちぃ鳴いて、彼女は渋い顔でうなれるだけ唸り考えてるんだと自分に言い聞かせる。
しかし一向に良い考えなど浮かばない。
そうこうして途中から気の散り始めた彼女が百面相に腐心し始めていると、不意にそんなルーミアの背中に声が掛かった。
「……鏡も前にせずににらめっこの訓練ですか?」
へ?と漏らして振り向けば、薄闇の向こうに立つのは制服みたいな格好に重そうな冠を乗せた少女。
ルーミアの動きに理解に苦しむ様な顔をしていた彼女は、手にした錫を気にしないで、と振ると、暗がりの中のルーミアの手元に首を伸ばした。
「ああ、小鳥ですね……羽根を傷めているようですが」
頭を引っ込めた彼女は片目を閉じて錫を口元に当て、で、それをどうする気です?と口にする。
するとルーミアはどうしたらいいのか、戸惑う様子で視線を落ち着かせず言葉を返す。
「えーっと、治してあげれたらいいなって思うんだけれど……どうしよう?」
彼女の戸惑いを聞き取った少女は静かに腕を組み、少し思案顔で口を開いた。
「そう……それがあなたの意志なのですね。残念ですけど、私は職務上生き物の生死に直接手を貸すことは出来ませんので治療法を教えることは出来ません」
その生き物にとって羽根の治療は生死に直結しすぎている、と続けた彼女は、しゅんとなるルーミアを遮って、でも、とさらに繋ぐ。
「私以外なら治療法を教えることも出来るでしょう。あなたの知り合いにもいるのではないですか?そうした翼を持った者が」
彼女の言葉にそーなのかーと声を上げたルーミアは、ありがとうと声を残して飛び立った。
残った彼女は明るく晴れた空を見上げ、小さく笑う。
「しかし、例えその小鳥の翼が癒えたとしても、その翼はあなたとは飛べない」
空を射抜く瞳は、冷たい。
陽気な歌声を頼りにふらふらと、ルーミアはまず思い出した羽根のある知り合いをに向かって飛んでいた。
「とーりなーのかー♪」
「とーりなーのよー♪」
歌いながらヤツメウナギの下ごしらえをしていたミスティアは、ふらりとやって来た闇の塊からする声に歌を返してそんな風に言う。
歌を聴いていると目が少し暗くなるが、どうせ自分の闇でよく見えないから関係ない。
音に向かって一直線に、転がるように屋台の屋根に降り立つと、ルーミアは手の平を差し出して声を上げた。
「教えてー!!」
「え、なに!?まさか焼き鳥の作り方っ!?」
慌てて思わず後じさったミスティアに、ルーミアはちがうよーと声を返して言葉を続ける。
「この子、羽根を怪我してるのよ。治し方知らない?」
ああなんだと息をついて胸をなで下ろしたミスティアは、僅かに羽根を揺らして屋根の高さに浮かんでルーミアの手元を覗き込んだ。
小鳥は手の平に包まれてちぃちぃ鳴いて、羽ばたく彼女は喉の奥からちんちんと弾くような音を立てる。
「うーん、痛い痛いって言ってるわねぇ」
呟いて腕を組んだ彼女は唸りながら首をかしげ、どんどんかしげて終いに半回転して帽子を地面に落としてしまう。
「うー羽根を怪我した覚えなんて無いからどうしたらいいか解らないわ」
逆さまに浮かんだままのミスティアが困った顔で呟くと、ルーミアはそーなのかーと返して立ち上がり、礼を言って立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと待って」
う?と振り向けば拾い上げた帽子の埃を払うミスティアは、竹皮の包みを掲げて持ってって、と続けた。
「鳥に親切にしてくれるお礼。後、いつも向こうの山の辺りを鴉天狗が飛んでるから、聞けば知ってるかも知れないわよ」
ありがと、と答えたルーミアは、金の髪を揺らしてぺこりと頭を下げ、懐に包みを突っ込んで飛び立っていった。
「とりさーんとりさーん♪」
手の平の小鳥はちぃちぃと震えるように声を上げ、赤いリボンが風にたなびく。
調子っぱずれな歌声も楽しげに、言われた山を目指してルーミアは飛んでいた。
「天狗って物知りっていうものね。きっとなんとかなるわ」
手の平の命にほほえみかけるように言葉を掛けて空に向き直ると、不意に向こうを黒い点が駆け抜けているのが視界に入る。
疑問符を浮かべて眺めていた彼女は、それの背中にはためく翼のような物を見つけて目を輝かせた。
「あ!天狗さんだ!!」
そして嬉々としたルーミアが天狗さーんとばかりにそちらに体を向けると、次の瞬間あることに気付いた。
なんかはやくね?
ならなぜとまらない。
「うふえへあひゃはははは!!スクープですよスクープですよ紅魔館に咲く百合の花!メイド長と門番の真昼の情事!そしてそれにハンカチを噛み締める館主!!これで次の文々。は売れまくりですっ!!!」
暴風を纏いカッ飛ぶ天狗に、止まる気は微塵もなかった。
「そーなのかー……って」
虚空に情けない声が轟いて、涙目のルーミアは木の葉のように吹き飛ばされて地面に向かう。
ああああーと眼下の世界に墜落していく彼女は、それでも渾身の力を振り絞って手の平の小さな命を守ろうとする。
そして錐もみに舞い落ちるルーミアは竹林に頭から突っ込んだ。
犬神家の何とやら、彼女は本当に真っ逆さまに頭から竹の葉の腐葉土へ突き刺さっていた。
「うぅ~……」
がさり、と枯れ葉を散らして彼女は何とか頭を引き抜き、体を起こす。
胸元を見れば突っ込んだ包みは無事だし、体にもそんなにダメージはない。
せいぜい頭に芋虫がひっついた程度で、まったく丈夫で良かった、と安心し掛けた彼女は、開いた手の平を見て思い返す。
「どこ!?どこ行ったの!?」
慌てるように頭を振った彼女が呼びかけるように振り返ると、ちぃ、と小さな鳴き声がした。
驚いたように枯れ葉を掘り返せば、まるで石になったようにうずくまる小鳥が、それでもまだ命の震動を握りしめている。
「大丈夫!?」
手の平に掬い上げたルーミアは頭の芋虫を摘んで嘴に寄せてみるが、小鳥は一向にそれに反応を示しすらしない。
素人目に見ても、もう生きているのがやっとと思わしき状態だった。
「小鳥さん!小鳥さんっ!!」
「うるさいよ、妖怪」
突然の声にルーミアが驚いて振り向くと、瞬間、彼女の纏っていた闇が半ばまで消えた。
燃えさかる、炎の鳥だった。
「うぁっ!?」
光を苦手とする彼女はたじろぐようにその明るさにたたらを踏み、声の主はがさりと葉を踏んでルーミアに口を開く。
「あんた、輝夜の刺客?……って訳じゃなさそうね。そんなボロボロでやってくる刺客は居ないもの」
背中の炎が羽ばたき、どうにも人間に思える彼女は妖怪であるルーミアに臆することなど無く歩みを進める。
「何の用?ここは私の縄張り。うるさい奴は嫌いなの。承知の上なら……」
ぼ、と手を付いた竹が燃えさかる暇もなく炭になって倒れた。
「さぁ、アンタは――」
「とりさん助けてっ!!」
涙を浮かべて両手を差し出すルーミアは、鮮烈な光に身を曝して声を張り上げる。
は?と零した彼女は、思わず鎮火して目を丸くしてしまった。
「妖怪が小鳥を助ける、ねぇ」
竹林に腰を下ろした彼女は妹紅と名乗り、手の平に今にも死にそうな小鳥を乗せてぼやくように呟く。
傍らではとりあえず涙を飲み込んだルーミアが、いかにも落ち着かなさげな様子でその姿を見つめていた。
「まぁ、私も伊達に長く生きてないからそのくらいは出来るよ」
その言葉にルーミアの顔はぱぁっと明るくなり、しかしその顔はでもね、と差し出した妹紅の手に遮られてしまう。
「タダじゃあやる気にはなれないね。私とアンタは人間と妖怪、不利になることはすれど助けるなんてのは普通無い。それに、仕事には賃金を貰うのがこの世の常識よ」
え、と表情を止めたルーミアが慌てて体を探ると、懐から竹皮の包みが出てきた。
ミスティアの所で貰った、餞別の包みだ。
せわしく中を開いてみれば、中身は下ごしらえの終わったヤツメウナギ。
タレまで染まされて後は焼けば良いと言うところまで手を加えられている。
「えっと、これじゃ……だめかなぁ」
ルーミアはおずおずと開いた包みを差し出して妹紅に見せた。
すると妹紅はへぇと声を上げ、片手に包みを取ると鼻先を寄せて検分する。
「うん、悪くない。ちょうど魚でも捕りに行こうかと思ってたし、鳥、治してあげるわ」
「ホント!?」
ルーミアは爆発するように目を輝かせて、妹紅は包みを器用に片手で閉じて懐にしまう。
そして妹紅は本当本当、と片手をひらひらさせると、二言三言何事かを呟き、唐突に小鳥に向けて火をはなった。
「え」
あまりのことに凍り付くルーミアを余所に、慌てない慌てないとまた手を振る妹紅の掌の上で、小鳥はどんどん炎に包まれて窯の中の石炭の様に燃え上がってしまう。
と、その時、炎の中から声がした。
――ちぃちぃ
手の平の炎はばさりと翼を広げ、立ち上がって鳴き声を上げる。
「生命の活性を上げる類の術だから害はないわよ。後は2,3日栄養をとれば元通りになるわ」
小さく羽ばたいた小鳥はそのまま炎を振り切り、まだまともに飛べぬ羽根で跳んでルーミアの手の平に帰った。
次いで妹紅はついでに鳥かごも作っとくよ、と傍らの竹を手刀一閃に焼き切り倒すと、ばきばき裂いて籤にし、焼き切って開けた穴に組み合わせてあっという間に小さな鳥かごを組んでしまう。
鳥かごの中に小鳥を入れたルーミアは心の底から、ありがとう、と言って空に飛び立った。
地上では、ついでに作った竹串にヤツメウナギを刺して自分の火であぶる妹紅が手を振っていた。
その日から3日、ルーミアはミミズの千切ったのやら芋虫の小さいのやらを昼となく夜となく小鳥の口に運んだ。
そして三日目の朝方、ルーミアが生活時間の終わりを感じるころ、籠の中の小鳥は一際大きく鳴いた。
「どうしたの?」
見れば小鳥は鳥かごの蓋に向かって嘴をぶつけ、何とかして籠からを抜け出そうとしている。
「……もう、行っちゃうの?」
小鳥は静かに、ちぃ、と鳴く。
ゆっくりと頷いたルーミアは、躊躇いがちに、ゆっくりと籠を開いた。
ちぃちぃ
小さな羽根が空を打って、小鳥は元気よく籠から飛び出す。
その姿を指先に乗せたルーミアは、ねぇ、一緒に飛ぼう?と、惜しむように呟いた。
しかして翼が羽ばたいて、小鳥は宙を舞い――惑うように落ちた。
「え?」
「無理ですよ。その鳥はあなたとは飛べない」
聞き覚えのある声に振り向けば、そこには数日前の錫を持った女性。
彼女はゆっくりとルーミアに歩み寄って、宣告するように唇を開いた。
「鳥の目はその名の通り鳥目。暗闇を見通すことの敵わぬ、太陽の下だけを飛ぶ瞳」
指し示した錫は裁くように、冷たい言葉はルーミアの背筋に突き刺さる。
「そしてあなたは宵闇の妖怪。ただそこにいるだけで周囲を闇に覆う。あなたは昼間の鳥とは決して相容れない」
つ、と透明な雫が、鈍った朝日に少し荒れた肌を滑った。
「そっか……私とは、だめかぁ」
ルーミアはぽつりぽつりと呟くと、落ちた小鳥を拾い上げて声を掛ける。
それは、惜しむように、労るように。
「ねぇ、小鳥さん。私はあなたと飛べないんだって。でも、あなたはもう飛べるよね?」
それは、確かめるように。
「私も飛べる。大丈夫だよ、一緒に飛べなくても、私達は飛べるから」
そう、自分に確かめるように。
そして、彼女は小鳥を少し離れた小枝に止まらせて後ずさる。
「小鳥さん、行ってらっしゃい」
朝の光に羽根が羽ばたく。
笑顔で、手を振った。
了
「で、映姫様、あのタイミングで出て行くためだけにここ数日サボって張ってたわけですか」
「う゛」
「これでサボり仲間っすね~♪」
「ゆ、有給まだあるから大丈夫ですっ!!」
今日も無縁塚の幽霊は待ち時間が長い。
本当におわり
まぁ、同じ事をしているようでも各々道は違ったりするわけで。
そんな感じ。
別にチョウチンアンコウだろうと正体ルキフェル様だろうと、かわいければいいんです。
無縁塚組の落ちもナイスでした。
こういうのもいいですね。
服とかボロボロで、髪を土まみれにして、涙目で、両手で包むように持った小鳥を差し出して、「とりさん助けてっ!!って。
見えた。マジで。スキルがあったら描いてる。ないから文字で表そうとしてる。
……やべ、鼻血が。
ところで、作中唯一「善行」らしきものをしなかった天狗さんが駆け抜けた先で張っていた閻魔様に卒塔婆をおかわり一杯御馳走してもらったという噂は本当でしょうか(違)
助けた小さな翼は、決して隣を飛べない翼。
ナイトバードならぬ日中の鳥かぁ。
あと、妹紅のシビアな考えが結構気になったり……妖怪と人間、ですか(何見てる
最後の最後でそう言う現実を突きつけるのか……と思ったけれど。
陽の下で生きるものは陽光の向こうに、月明かりの下で生きるものは月明かりの向こうに。
そしてオチでやられましたw 閻魔様出をわきまえてらっしゃるw
暖かいけど切なくて、切ないけどやっぱり暖かい。この長さであまりにも見事です。
短編のお手本みたいな作品でした。こういう話を書きたいな、と思います。
素敵な作品をありがとうございました。
それにしても閻魔暇だな。
純真無垢。例え妖怪の本能で動いていても、ルーミアにはそれが似合います。
映姫様お疲れ様ですw