「さ、私は桜の剪定を進めますから、あなたはどんどん掃いて捨ててくださいね」
「んな事言ったって、指示が大雑把すぎてよく解らないよねーどうすればいいのよねーったら妖夢、妖夢っ妖夢っららら妖夢ー」
「口を動かす暇があるなら手で覚えたらどうですか。その方が結果として早く終わりますよ」
「へーい」
妖夢は全く理詰め一辺倒で困る。もっとソウルフルな対応をしてくれたって良いと思う。
でも逆らうと後が怖いので形だけでも掃除しておこう。
ザッ…… ザッ…… ザッ……
竹箒と石畳が奏でる粗雑で規則的な音を聞いていると、どうにも気が滅入ってしまう。
音を奏でる事は私の人生において何よりの喜びである事は事実。だけど生憎と私の本分は歌。それも雑音の混じらないアカペラ。
こんなノイズだらけの粗末なパーカッションじゃ興が乗るどころか、返って気が萎えちゃう。
ああ、せめて気の知れた話相手の一人でもいれば。とは言っても近くには妖夢しかいない。
当の妖夢はと言うと、一本の桜と難しい顔で対峙しつつ、瞬き一つせずに落とす枝を見定めているご様子。
……今の妖夢に下手に話掛けるのはやめておこう。私はこう見えて思慮深い女だったりする。
ザッ…… ザッ…… ザッ……
この仕事に就かされた時、何から手をつけて良いか分からず、右往左往していた。
そこに妖夢が颯爽と現れ、指示を出すからそれをこなしてくれればいい、と言ってくれた。
有り難い申し出と感謝しつつも、それでもこの無駄に広い庭の事。
不安を拭い切れず具体的な分担を尋ねたら、素人の私の作業量に期待はしてないから分担の明確化は無意味と言われて少しヘコんだ。
普段なら相手が誰だろうと黙っていない私だけど、その時ばかりは何も言い返せなかった。
私に最初の指示を出しながらも既に剪定に取り掛かっていた妖夢の手際。
返事を躊躇った私に一瞬だけ向けられた射抜くような双眸。
それらが、私が手伝い以前の足手纏でしかない事を如実に物語っていたから。
ザッ…… ザッ…… ザッ……
嗚呼、滅入る。掃除なんて嫌い。したくない。期待されて無いんなら尚更。
私が好きなのは歌を謡う事と、きらきら光る綺麗な物を集めてきて巣を飾る事。
こんな激務からは早く開放されて思い切り歌いたいのに、絶望的に見通しが立たない。
ちなみになんで私が、よりによってこんな所でこんな事してるかの成り行きなんだけど。
永夜の晩に幽々子にごっつぁんされた後、目が覚めた時私はここ、冥界に居た。
凄い変な話なんだけど、私はこの死の国に違和感無く普通に馴染んでいた。
流石の私も諦めたわ。ああ、死んだんだって直感した。
でも幽々子の言うには、私は生き返れるらしい。
私が人間か力の無い妖怪だったら、肉体を失った時点でアウトだった。
人間は魂に対して肉体の比重が大きいから。魂だけになるともう、そのほとんどが何もできない。
だけど妖怪は肉体に対する魂の比重が人間よりも遥かに大きい。力のある妖怪になるほどその傾向が顕著になる。
必要条件は、魂の比重が肉体を上回る事。幸い私はぎりぎり、そのボーダーより上に居たみたい。
私の今の姿が不定形の魂魄では無く、生きていた頃と同じ姿である事がそれを証明している。
条件を満たした魂が無事なら、再び地上で活動するために必要な肉体を得る方法がある。
それがエクステンド。
エクステンドとやらをするためには、肉体に対する魂の比重を限りなく100%に近づけないといけない。
そのためには霊力・魔力の素、いや……それよりももっと根源的な物、魂の欠片。それが大量に要る。
今の私は肉体が無いから、魂だけの状態。でも100%じゃない、“虚”が含まれる薄い状態。
そこに魂の欠片を集めて、魂の純度を高める。
魂の純度が100%に達すれば、そこに質量が生まれる、すなわち物質的な肉体を得る。
惜しむらくは、魂の活力が内から発生した物では無く、外から付与する物であるという事。
それ故に肉体が成ったら、肉体と魂の比率は元に戻ってしまう。それでも生き返れるなら、掛け値なしに十分。
でも、問題はその魂の欠片を集める手段。
魂の欠片は文字通り、魂の切れ端。この冥界、魂魄なら溢れ返る程に漂っている。
でもそれじゃだめ。生命の通わない死んだ魂魄を幾ら砕こうが削ろうが、私の魂を活性化させるには至らない。
必要なのは、躍動する生きた魂の欠片。
生きた魂を持つ者ならば例外無く誰しもが持つ──個人差はあれ──魂から発せられる防御壁、力場。
力ある者は意図的にその大きさや形をある程度操れるらしい。生き返ったらやってみよう。
とにかくその、力場が戦闘などの対外衝突により削れ、飛び散った破片こそが、私に必要な生きた魂の欠片。
ちなみに、幻視力を持つ人間や妖怪は、それを点と呼んでいる。
ある程度纏まった量になれば生きた魂にも一時的な霊力・魔力・体力回復・増強剤の様に作用する側面も持つらしい。
話が逸れたけど、とにかくここ冥界で自力でそれを得ることは不可能。
持ち上げといて落とすのかとしょんぼりしてたら、幽々子が一つの提案を持ちかけてきた。
どうでもいいけど、あいつの言葉遊びを楽しんでいるかの様な、主旨の掴み辛い言い回し、なんとかならないかしら。
まあ要約すれば、私が妖夢の庭弄りのお手伝いをすれば、対価として地上で手に入れた点を分けてくれるって話。
幽々子の言うには、妖夢の発案だけど自分はどうでもいいから私が選べ、という事らしい。
選ぶも何も。そんなの、選ぶも何も無い。そうしなきゃ助からないんだし、二つ返事で引き受けた。
こんないい話で迷うはずは無いけど、迷わなくて本当に良かった。
後で妖夢が言ってたけど。ここで、私がいつまでも私のままで居られるわけじゃない。
魂が冥界の風に吹き晒されて少しずつ磨耗し、それに伴って少しずつ記憶が薄れ、友を忘れ、夢を忘れ……。
魂の純度が元々の肉体の比重を下回った時、自分をも忘れ、私はミスティア“だった”名も無い魂魄となってしまうって。
そうなればもう、手の打ち様が無い。生命の通う見込みを失った魂はもう、生き返る事は無い。
むしろ、死んだ魂にとって点は劇物。当人に生き返る意思が無い、生き死にの概念すら覚えていない魂に投与したなら。
後に待つのは、行き場の無い循環しない“虚”の生命力による、相反、膨張、破裂、霧散……消滅。
自分を失いたく無い。鳥頭ってよく言われるけど、大切な事、大切なもの、それはちゃんと覚えてる。
それを忘れるのだけは、絶対にいやだ。
どれだけの時間が残っているかはわからないけど。とにかく、急がないといけない。
ザッ…… ザッ…… ザッ……
「最初はやる気十分だったの。本当なの」
「誰に言ってるんですか」
いい突っ込みね妖夢。敢えて言うなら自分によ。
「それはそうとねえ妖夢」
「何でしょう」
「終わらない」
「頑張ってください」
全く融通が利かないったらありゃしない。いい奴だけど、いやな奴。
だけど考えてみれば妖夢は凄い。ここの仕事量は半端じゃない。
こんなに大変な庭師の仕事に幽々子の剣の稽古に子守りに小間使い。あと漬物。それを延々と繰り返す。
……私だったら絶対気が狂う。可哀想に。
「嗚呼、哀れな妖夢……」
「なんですか突然」
その憮然な態度の裏に隠されたあなたの涙に、許されるなら歌を捧げたい。
でも許されない運命。主に妖夢が許さない。多分殴られる。
「あ、気にしないで。私、応援してるから。哀れな妖夢」
「……斬りますよ?」
「ごめんなさい」
そうやって自分の弱さを絶対に他人に見せようとしない。妖夢は強いな。
さて、斬られたくは無いから頑張るか。もう少しリズムに技巧を凝らしつつ作業をすればきっと楽しくなるはずだ。
ザッザザ ザザッザ…
無駄に疲れるだけで楽しくない。むしろ耳障り。
「真面目にやったらどうですか」
しかも怒られた。こんな世の中絶対おかしい。
「だってぇ……楽しくないんだもん」
「仕事は楽しく無いのが当たり前です」
なんでだろう。正論で返されると、凄く悔しい。
「あなたは少し意志が弱い様に見えます。良い機会です。ここで忍耐を学んでいくと良いでしょう」
それはとんでもない機会です。大丈夫私の意志はいざとなれば砂肝の様に硬い、と思う。
しかしだね、どこからどこまで掃除すれば終りかってのがわからないから、こうも気が滅入るのよ。
やはり分担は明確にしてもらおう。作業能率を上げるために訊くんだから、これは正当な権利だ。
さりげなく、出来るだけソフトに、それでいてやや強気に、尚且つ刺激しないように。
「おっ掃除 おっ掃除 らんらんるー あらこんな所に半霊が」
「……なんです?」
やだ、なんか凄く怒ってる。失敗?
「あっ! 怒っちゃだめよ! 辛いだろうけど、ぐっとこらえて!」
「用件を」
「えっと、私はどこからどこまでを掃除すればいいのか、教えて欲しいの」
「同じ事は二度言いません」
一蹴されてしまった。しかしここで引き下っては振り出しに戻るだけだ。正攻法が駄目なら少し角度を変えて攻めてみるか。
「終りの見えない茨道を突き進む事程、辛いものは無いと思わない?」
「私には、あなたと人生について語り合っている暇等ありません」
取り付く島も無い。この断崖絶壁め。
悔しいけど仕方ない、死ぬ程つまらない掃除に戻ろう……。
「……全く。わかりました、あなたに任せる予定の区画を確認しましょう」
「へーい。 ……ええ!?」
諦めて掃除を再開しようとしていた所へ不意に訪れた朗報に、小躍りしながら妖夢にハグの一つも贈ろうと駆け寄る。
が、最初からそこにあったかの如く目にも止まらぬ刹那鼻先に出現した剣の切っ先に阻まれ、私のスキンシップは失敗に終わった。
「あ、危ないじゃない。鼻の穴が増えちゃうところだったわよ」
「あなたが止まらなければ、そうなっていたでしょうね」
……怖いよお母さん、ここに鬼がいます。
「説明します」
「はい」
「あなたに任せるのは、屋敷から白玉楼階段へと続く石畳敷きの一本道です」
「ふんふん」
「しかしその全部では辛いと思いますので、その中でも距離を絞ります」
「うんうん。他は?」
「他は慣れていないと行き届いた仕事は無理でしょうから、私がします」
「仕事熱心いいね妖夢。惚れ惚れしちゃう」
「……それではあなたの担当する区画は、ここから」
足元を指差す妖夢の横に駆け寄り、同じ方角を向いて立つ。さて、一体どこまでなのか。
足元を指し示していた指が、少しずつ持ち上がっていく。
……って。ちょっと、それ上がりすぎじゃない?
妖夢さん、それ上げすぎ、上げすぎ。止めて、暴走してるって。重労働の弊害ですって。
タガが外れてますよ。どこまで上がるんですか。死兆星は出ていませんよ。と言うか止めてくれないと出ますよ。私の上に。
ほんとにやめて。もうやめて! 誰かあの子を止めて! 嫌あぁー!
……ややあって、妖夢の指先が私の予想ラインを遥か通り過ぎた一点を指し停止した。
「あそこまで」
……私の目に狂いがなければ、妖夢の指は地面ではなく肩とほぼ同じ高さの宙空を向いている。
「……えぐ……ひっく……うぇ……」
「どうしました」
「ぐす……あの、妖夢さん?」
「なんですか改まって」
「いや、その、妖夢さんの腕、地面とめっちゃ水平なんですけど……」
「そうですが何か」
「あの……それだと終点が地平線の向こうに隠れちゃうんですけど……」
「そうですが何か」
伸ばされた妖夢の腕に齧り付く様に迫り、肩から指先まで舐めるように凝視する。
……若干下向きになっているような気がしないでも無いけど、やはり限りなく地面と水平に見える。
もしかしたら可愛い私の困った顔を見たくてこんな意地悪をしてるのかもしれない。
だとすれば私のこの反応を見て、今凄くいい顔をしてる筈。
困惑を隠しきれないまま、縋る様に妖夢の顔を覗き込む。
「…………」
無表情。
絶望の中、一考を案じた。妖夢の腕の上に両手を添えて体重を乗せ、下方修正をかけてみる。
よし、良い具合に傾斜がついた。これなら終点までの距離は長く見積もっても10メートル。これ位なら……。
承諾を得るために、今度は上目遣いに妖夢の顔色を窺ってみる。
「……えへ」
「…………」
見事なまでに無表情。
妖夢が腕を伸ばしたまま眉一つ動かさず元の高さまで持ち上げる。
私の体重も乗ったままだと言うのに、鍛えているだけあって小さな体に見合わぬ大した膂力だ。
「……本気……なんですね」
「当然です」
妖夢は大真面目に地平線の遥か彼方──と言っても本人はここの延長を想定しているのだろう──を指している。
ここへ来たばかりで、未だこの庭の全貌等とても把握できていない私にはその距離は測れない。
呆然と立ち尽くしている私を他所に、妖夢は自分の仕事に戻ろうと私に背を向け歩き出す。
分からない。あいつが何考えてるか全然分からない。
……ただ一つ分かる事。私は今、不当に陰険ないじめを受けている。
「あんまりよ! 私が何したってのよ!」
とりあえずいきなり切れてみた。
「たかが掃除、時間と労力さえ掛ければ誰にでも出来る事だと思いますが」
案の定馬鹿にされた。くそう半人前め……。
相変わらずの無表情でしれっと言ってのけてくれるが、そんな広大な範囲、どうやって掃除しろと言うのか。
私は一刻も早くエクステンドしなきゃいけないってのに。
「その時間が問題なの! 急がなきゃいけないって教えてくれたの、妖夢でしょ!」
「急がないといけないなら、急げばいいじゃないですか。無論、手は抜かずに」
「そんな、御無体な……」
「はぁ……。私は普段、一人で庭を端から端まで手入れしてるんですよ。掃除では無く、手入れですよ」
駄目な子に言い聞かす様に述べられたその言葉に、もう怒った!
地面に落ちている枝を一本拾い上げ、大きく振り翳し半ば自棄になって妖夢に躍り掛かる。
「んにゃろー!」
「……ひゅっ」
落ち着き払った様子の妖夢から、鋭い吐息が一つ。
距離は目算で5メートルはあった。あった筈なのに。
眼前には、ただの一踏みの内に肉薄した妖夢の顔。研ぎ澄まされた眼光。
衝撃、激痛、悶絶。
冷たい石畳にキスをしながら、妖夢の当身が鳩尾に突き刺さった事を理解した。
§
「……う……む……痛た、たたた……あれ、私……」
ここはどこ? 私は誰?
冷たい石畳から身を起こし、周囲を見渡す。
延々と続く桜並木道。空は雲一つ無い晴天。
「……ここは辛気臭い白玉楼で、私はエレガント極まりない夜雀ミスティア。うん」
「目が覚めたみたいですね」
「ぎゃあ! 妖夢!」
突然後ろから声をかけられた。
妖夢、いつの間に! その目で見ないで、怖い! ……なんでこんなにビビってんの私。
ああ、思い出した。
妖夢に返り討ちにされたんだっけ。二度目か、これで。
「目が覚めた……って、今何時? 私、どのぐらい寝てたの?」
「今は正午過ぎ。丸一日程寝ていましたね」
正午過ぎ……丸一日……。嘘、何それ。
「寝すぎよ! なんて事してくれんの! それになんで野晒しなのよ……こういう時は暖かいお布団で目覚めるもんでしょ?」
「答える必要はありません。風化したとしても、それは自業自得でしょう」
「ぐ……」
確かに食って掛かったのは私だけどさ。ひどいよ。
「少し薄くなりましたか」
「あんたのせいでしょ!」
「幸いまだ、意識ははっきりしている様ですね。しかし次は危ういかもしれません」
「わかってるわよぅ」
「では昨日の続きを。あなたの担当は既に伝えましたから、今後逐一指示は出しません。ペース配分は自己責任でどうぞ」
「言われなくたって超特急でやるわよ!」
ほんっと面白くない。なんで私、こいつより弱いんだろう。強ければぎったぎたにしてやるのに。
ザッザッ…… ザッザッ……
「毎日ー毎日ー私は冥界のー 掃除ばっかりー やんなっちゃうわー」
「まだ二日目ですよ。弱音を吐くのはせめて三日を過ぎてからにしませんか」
「へーい」
ザッザッ…… ザッザッ……
嗚呼……私の様ないたいけな少女が強制労働させられてるなんて、倫理的に大問題よね。
まあ自分でそれを選んだんだけど。今一度選べって言われたら迷うかもしれない。
迷うと言えば……。
「ねえ妖夢、あんたは迷う事は無いの?」
「今度はなんですか」
「いやね、こんなただっ広い庭の手入れから幽々子の子守まで、そんな激務押し付けられて不満の一つも無いわけじゃないでしょ?」
「……子守り?」
作業する手を止めて、ゆっくりと私の方へ向き直った妖夢の眼光疾る。
「ご、ご主人様のお世話!」
「迷い……無いわけではありません。しかし、不満はありません」
「なんでよ」
「この仕事からは、多くの事を得られますから」
もしかしてお給料いいのかな。そりゃそうだよね、こんな重労働なんだし。
「幾ら貰ってるの?」
「何がですか」
「だから、お給料」
「そんな物はありません」
ありませんて。有り得ないでしょ。だって、それってつまり……。
「……ただ働き?」
「給料の問題ではありません。言ったでしょう、多くを得られると」
「具体的には?」
「聞いた所で、今のあなたではその価値を理解する事はできませんよ」
「うん。絶対できない」
妖夢、見た感じ若いのに凄く頑固で、よくわからない奴だとは思っていたけれど。
今ここに至って全くわからなくなった。私とは何もかも違いすぎる。不気味な程に……。
「なんで、こんなに違うんだろうね私達」
「当然でしょう。私は私。あなたはあなたです」
「私が言いたいのは、そういう事じゃ無いんだけどね」
「どちらが良いわけでも悪いわけでも無いでしょう。気にしない事です」
「気になる。どこか一つでも共通点があれば……お友達になれるかもしれないじゃないの」
「……ミスティア、あなたには私と話し込んでる時間は無いでしょう」
「そりゃまあ確かに。あ……ちょっと妖夢。妖夢ってば」
私との会話を遮る様に、踵を返し歩み去る妖夢。返事は無かった。
伸ばした手を引っ込め、妖夢の背を見送る。
その小さくて脆そうな背中に、私は冷めた鉄の質感を覚えた。
§
「らららー 良き日冥界 麗しのー」
「ミスティア、ここの居心地は良さそうですね?」
「げ、妖夢」
昨日といい今日といい、こいつはいつも唐突に現れる。しかも嫌なタイミングで。一体どこから沸いてくるんだろう。
「冗談! こんな所、早く掃除終わらせて点貰っておさらばしてやるわよ」
「それにしては、あまり捗っていない様に見えますが」
「決め付けないでよ。私は歌を謡いながらの方が捗るの!」
「そうですか。まあ、とりあえず箒を手に持ったらどうですか」
「う……」
妖夢に指摘され、そそくさと足元で遊んでいた箒を拾う。
ザッザッ…… ザッザッ……
無言で箒を動かす事に集中してみても、顔が熱いのがわかる。
なんだかみっともないな、私。
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア」
「何?」
「手は止めずに。少し訊きたい事があるのですが」
「だから何?」
「あなたがここへ来た時に、自慢気に語っていたお友達の事です。なんという名前でしたか。ほら、蛍の変化の」
「リグルね」
「そうそう。リグルです。どんな子でしたっけ」
いきなり何? リグルの事を聞いてどうしようってのよ。
まさかリグルまでここの手伝いに回そうって胆?
「あんた、リグルをどうしようってのよ」
「どうもしません。興味本位ですよ。そんな事よりミスティア、手が止まってますよ」
「あんたが変な質問するからでしょ」
「少しだけ教えてください。どんな子でしたか」
「……いい子よ。優しいし、気遣いがあるし。私が話す方だから、聞き上手だし」
「そうですか。最近はどんな事を話したんですか?」
「……覚えてないわよ。そんな細かい事」
「大雑把でいいですから」
「覚えてないっての!」
「……そうですか。まあいいです」
「仕方ないでしょ。あ、ちょっと……」
興味を失ったのか、一方的に話し掛けてきた癖して、会話を断ち切り私に背を向ける妖夢。
何、こいつ。これって凄く失礼。少し、頭にきた。
「ほんと……何がしたいのよ」
「ミスティア」
「何よ」
「さぼらず、頑張ってください」
「言われなくても、わかってるわよ」
§
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア」
「あ、妖夢。来てくれたんだ」
妖夢が来てくれた。なんでだろう、なんだか、嬉しい。
あれ。妖夢の目が今、少し険しくなった気がする。
「どうしたの、妖夢」
「いえ、なんでもありません。それにしても、大分進みましたね」
「頑張ったもん」
「ええ。その調子で、引き続き頑張ってください」
来てくれたばかりなのに、立ち去ろうとする妖夢。待って妖夢、行かないで。
「妖夢!」
「なんですか?」
「……昨日、酷い事言ったかも。ごめんね」
「気にしないでください。それでは私はこれで」
「待って! ……なんで、私を、助けてくれる気に、なったの?」
「そんな事を知って何になりますか」
「知りたいの」
本当はどうでもいいのかもしれない。
でも、何か理由が無いと、妖夢は立ち去ってしまう。
今は何故か、それが凄く、嫌だった。
「……斬る必要の無い者を斬ってしまった負い目でしょうか」
「負い目?」
「私の修行が足りていれば、斬らずに制する事も出来た筈」
あの時の事。でも、それは少し違う気がする。確か……。
「とどめを刺したのは、あんたじゃなくて、幽々子じゃない」
「同じ事です。あなたが死して尚私はこの剣を抜き放ったまま、その切っ先の定まらぬ剣の柄を握り締めていた」
「でも」
「例えあの時、幽々子様の食指が動かなかったとしても。あなたは私に斬られ死んでいた」
怖い事、言わないで欲しい。
妖夢は、難しい。結果は出てるのに。
「でも、悪いと思っての事なら、なんで条件付けたの?」
「私はそこまで優しくありません。あなたが幽々子様に牙を剥いた事実は、決して……消えない」
「そう、だったね」
悪いのは私。でもあの時はなんだか、普通じゃなかった。言い訳だけど。
……歪な月が、それでも凄く、綺麗だったな。
「ねえ妖夢」
「なんですか」
「なんでそんな、畏まった話し方なの? もっと砕けて話したら? 疲れるでしょ」
「幽々子様から、客人として丁寧に扱えとのお達しがありましたので」
「そうなの。でも、なんで?」
「幽々子様の真意は計り兼ねますが……そう言いつけられた以上は、私はそれに従うのみです」
「私は別にいいのに」
無理に繋げていた会話が途切れる。妖夢が見ている。
止まっていた手を、動かす。
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア、その調子でがんばりなさい」
「うん」
ザッザッ…… ザッザッ……
§
五日目。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
今日、妖夢は、来ない。
楽しいことも、楽しくない。
追い立てられる様に、箒を動かす。
§
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア」
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア」
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ミスティア……私。誰、私を、見てる。
ザッザッ…… ザッザッ……
綺麗な白髪。幼い顔。なんだか怖い、だけど、優しい目。
「あ……妖夢!」
「ミスティア。もう半分を過ぎましたよ」
「半分? 何が?」
何を、言ってるの? そんな事より、妖夢。来てくれた。
今日も、なんだか、浮かない顔。
「ミスティア、少し訊きたい事が」
「何? 何でも、訊いて」
「その前に。どうやらあなたは、口と手を一緒に動かすのが苦手な様ですね。箒を貸してください」
「はい。返してね」
ザッザッザッ…… ザッザッザッ……
「ミスティア、あなたは夢はありますか?」
「夢? あるよ。歌を、謡う事」
「それは好きな事ですね。もっと大きな意味で、成し遂げたい事はありませんか?」
「……やっぱり、歌」
「そうですか。余程好きなんですね、歌が」
「大好き」
ザッザッザッ…… ザッザッザッ……
「妖夢は、夢は、ある?」
「私ですか? そうですね……。強いて言えば……強くなる事、でしょうか」
「妖夢は強いよ」
「私が強い? そうでしょうか?」
「うん」
確か私、妖夢に、負けた。だから、間違い無い。
「強いよ、凄く」
「あなたがそう言うなら、少なくともあなたよりは強い事になるのでしょうね」
「うん」
ザッザッザッ…… ザッザッザッ……
「しかし、それでは足りない」
「そうなんだ」
「先日、あなたが私に訊きましたね。私は迷わないのか、と」
「そうなの?」
「そうですよ」
ザッザッザッ…… ザッザッザッ……
「……迷いますよ。私は」
「何を、迷うの?」
ザッザッザッ……
「妖夢、手が、止まってる」
妖夢が、箒を足元に置き、腰の剣の柄に、手を添える。
一体、何するの?
「この剣に、それが映るのです。まだまだ捨て切れぬ迷いがある」
「剣が、迷うの?」
「私の迷いが、剣を鈍らせるのです」
「どうすれば、迷わなくなるの?」
「……見ていてください」
チャキ……
妖夢が、目の前の桜の木の前に立ち、手を添えてただけの剣の柄を握って、腰を深く落とす。
ゆっくりと、深い、呼吸の音。吸って、吐いて、吸って、少し吐いて、止まる。
シュルルル……
ゆっくり、鞘から、刀身が出てくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
ヒィィィン……
鞘を残して、剣が消えた。
コンッ カラカラカラ……
桜の木の下、枝が一本、落ちてきた。
「……手品?」
「今、落とした枝。昨日までの私の迷いが目を曇らせ、見出せなかった要らぬ枝。今日は見えた」
「そうなの? 全然、わからない」
「そういう物なのです。愚鈍であれ、牛歩であれ、不器用であれ……。積み重ねて来た物を信じてひたすら、桜と向き合い続ける」
シュルル……チャキン
「そうやって、少しずつ、少しずつ……枝と共に、己の剣の迷いを落としていくのです」
「ずっと?」
「そうですね」
「終りは、無いの?」
「わかりません。ただ……私が、私自身の強さを認める事ができるのは……」
妖夢が、庭を見渡す。見事に整えられた桜が、どこまでも、並んでいる。
「幼き日に見た、壮絶な、それは見事な桜並木。無駄の一つも無い素晴らしいあの風景。あれを、私の手で再現できた時」
「よく、わかんない。妖夢は、欲張りね。今でも凄く、綺麗なのに」
「まだまだです。今はただ、続けるしかありません。いつか極意へと至る、そのために」
「よく、わからないけど、かっこいいよ。頑張ってね」
妖夢が屈んで、足元の箒を拾う。照れた顔を、隠す様に。
妖夢も、あんな顔、するんだ。
「頑張るのはあなたもですよ、ミスティア。少し話しすぎました」
差し出された箒を、受け取る。
私も、頑張らないと、いけないんだ。
なんでかは、わからない。とにかく、頑張らないと、いけないんだ。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
妖夢が、見てくれてる。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
§
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
はく。はく。
いそいで。いそいで。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
なんで?
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
わからない。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
……妖夢。妖夢が、やれって。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
がんばる。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
でも。もっと、たのしい、こと、あった。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
なんだろ。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
……おと。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
もっと、きれい。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
……うた。
そうだ、うた。たのしい。
でも、だめ。おこられる。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
……すこし、だけ。
「…………」
うた、どんな、うた?
「……う……あ、あ……」
わたしの、すきな、うた。
「あー……は、ぇうー……」
ちがう。こんな、ちがう。
「あーっ、かふっはっ、いあ、あ!」
ちがう! もっと、たのしい。もっと、きれい。
こんな、かなしく、ない。
「ああ……うあ……あ……」
なんで、なんで。
「ミスティア」
妖夢!
「何をしているのですか」
あ……。
ザッザッ…… ザッザッ……
「ちがう、ちがうの。ずっと、してた」
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
「ちゃんと、してた」
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
「妖夢……?」
おこってる? ……こわい、め。
「ミスティア……もう」
「ごめんなさい!」
うそついた、してなかった。
おこられた。きらわれた。みすて、られる。
めが、あつい。かおが、あつい。たすけて、妖夢。
「う、うえ……わたし、わたし……」
「ミスティア、手を止めてはいけません」
「妖夢、すごいのに、わたし、だめで。きらわ、ないで」
「ミスティア、泣き言は後です。あと少しなんですよ。手を止めてはいけません」
「妖夢、わたし……」
「ミスティア、気の迷いです。あなたの魂は今、際にあり不安定になっている。手を動かして。もう時間が無い」
「おねがい。きいて、妖夢」
「虚が多くなり弱った魂は、己の空白を埋めようと他者への依存が強くなる。辛いでしょうけど、甘えてはだめ。まだできる事がある筈」
「妖夢」
ことば、とどかないの?
妖夢、どこへ、いくの?
「妖夢!」
へんじ、くれない。
せなか、とおい。
いかないで。いかないで。
「妖夢……」
とまらない。まっすぐ。
妖夢、わたしの、できること?
おそうじ、すれば、いいの?
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
「ミスティア!」
あきらめた、こえ。かけられた、こえ。
妖夢。とおくから、わたし、みてる。
「ここが終りです! ミスティア、頑張って!」
妖夢が、よんでる。
いそげ。いそげ。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
妖夢。とおい。まだ、とおい。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
妖夢。妖夢。妖夢。妖夢。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
……うた……。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
きかせたい、妖夢に。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ……
うた、なくなる、まえに。
「妖夢!」
「ミスティア! 手を止めてはだめ!」
「もう、うたえない! うたうから! きいて!」
「ミスティア!」
おこら、ないで、わらって、妖夢。
わたし、うた、うたう、から。
「よきーひぃう! すは、めーか……う、い! ……るーわし、の!」
あつい。あつい。みて、妖夢。きいて、妖夢。
「ミスティア! 何をしているの! 早く!」
「ぜひっ、ま、こと、ふはっ! めで……た」
さみしい。かなしい。いやだ。
ない。きれい、ない。ない。
「聴こえます! あなたの歌が! 素敵な歌が!」
「……妖夢! 妖夢!」
「ミスティア! もっと近くでよく聴かせて!」
「いま、いく!」
妖夢! よろこんで、くれた!
いく! すぐに! ほうき、じゃま!
「駄目! ミスティア! しっかりと箒を持ちなさい! それを離せば、私はあなたを助けられない!」
「妖夢! なんで! どうして! うた、うたう! 妖夢の、ために! そこ、いく!」
「あなたは幽々子様に……! でも今は、今はあなたを救いたい! ミスティア! けじめをつけて! 私があなたを、許せるように!」
「妖夢……」
「箒を、拾いなさい!」
「わかった」
いま、いく、から。きれい、して、いく、から。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
妖夢、みてて、妖夢。
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
ザッザッ…… ザッザッ……
あ……妖夢。なんだか、へん。
ザッ…… ザッ…… ザッ……
て、あし、へん。
ザッ…… ザッ……
ほうき、ちかい。め、ひくい。
ザッ……
ほうき、うまく、うごか、ない。ようむ。ようむ?
「ミスティア! 諦めないで! 這ってでも、這ってでもここまで来なさい!」
よんでる。まってる。ようむ。
シャララ…… シャララ……
あつい。つめたい。せかいが、しろい。
シャララ…… シャララ……
「ミスティア! 心を強くもって!」
シャララ…… シャララ……
みすてぃあ……みすてぃあ……だれ? ようむ、わたし、だけ、みて。
シャララ……
「もう少しです! もう少しですよ! ミスティア! 足を前に!」
シャラ…… カラン……
ほうき、ない。て、ない。ひろえ、ない。ようむ。
「……ミスティア! 立ち止まらないで!」
ようむ、こえ、かすれ、てる。しんぱい、しないで。
でも、こえ、でない。こわい、こわい、ようむ。
カラ…… カラカラ……
ほうき、ほうき。ひろえ、ない。
「いいから! 早く、とにかくここまで! 早く!」
うん、いく。ようむ、すこし、あと、すこし。
「こっち! ミスティア!」
ようむの、ゆび。て。おおきい。
「ミスティア……!」
うで、むね、あたた、かい。ようむ。きもち、いい。
「ミスティア、終りよ! すぐに点を……堪えて!」
ようむ。よう……む。よ……む……
「あ、ああ……ミスティア? ミスティア! ミスティアぁ!」
§
つめ、たい。どこ、だろう。
くらい。みえ、ない。
……まま……よう、む……。
こわい、どこ。
§
ひとり、しな、いで。
……う……?
あ……あたた、かい。
しろい、あかるい……。
まま? ようむ?
ミスティア……
……妖夢? 妖夢、なの?
どこ? どこに、いるの? 妖夢……。
妖夢の、すがた、どこにも、みえない。
あかるいのに、きこえるのに、妖夢がみえない。
妖夢、わたしを、嫌いに、なったの?
私は、こんなに妖夢が、大好きなのに!
ミスティア……ミスティア……
妖夢? 妖夢!
そこに居るの!? すぐに行くから、私を、置いていかないで!
§
「妖夢ぅううう!」
がぢん!
「痛だっ!」
「あがっ!?」
……何? どうしたの?
う……おでこ痛い……。隣には、妖夢が四つん這いでぷるぷるしているのが見える。
「何? なんなの一体?」
「み、みふひあ……」
妖夢が口を手で押さえながら顔を上げる。目尻に涙が溜まってる。何がなんだかよくわからないけど、いい気味だ。
「って、何で私寝てるの? しかもまた野晒し? どういう事妖夢!」
「んぐ……ミスティア……どこまで、覚えてます?」
む、変な事を聞く妖夢だ。
どこまでって、何よ。
「何言ってるか、意味がわからないんだけど」
「……あなたの名前及びあなたの夢及びあなたのお友達の名前及びその友達と最近話した事を述べてください!」
うわ、なんか剣幕が怖い。怒ってる? 私のせい?
とりあえず、従っておこう。
「私の名前はミスティア・ローレライ」
「はい」
「夢は、歌を謡う事」
「はい」
「友達は、リグルに、チルノに、ルーミアに……」
「……それでいいです」
「最近話した事は、リグルの弾幕はパターンが一律すぎて簡単だとか、チルノはそれ以前の問題だとか……」
「十分です」
「あと、唇切れてる」
「うるさい。……ミスティア」
「な、何よ」
真っ直ぐな目で見つめられると、やっぱりなんか、怖い。
こいつの目、無駄に鋭いのよね。本人に自覚があるのか無いのか。
「おめでとうございます」
「……へ?」
「エクステンドです。あなたは無事に、生き返りに成功しましたよ」
「……私が?」
「はい」
「え、でも掃除、全然……」
あれ? 結構さぼりっぱなしだった気もする。
いや、嬉しいけど。どういう事だろう。最初のアレは、やっぱり脅し? ……なんだか頭にきた。
「こんの……いんちき妖夢!」
「な、なんですかいきなり」
「本当に、もうどうしようも無いと思ったんだから。あんなの、無理よどう考えたって。ほんっと常識疑っちゃう!」
くふふ、言ってやった言ってやった。すっきり。
妖夢のやつ、呆然としてる。この歌姫ミスティアをぞんざいに扱うとそうなるのよ!
「立派にやり遂げましたよ、あなたは」
「立派に……て。どこまでよ」
「与えられた範囲を、全部」
「……嘘?」
「嘘は言いません。ミスティア、ここへ来てからの事、どこまで覚えていますか?」
「え、ええと……」
えーと確か、妖夢に張り倒されて。……こんの半悪霊。
それから、妖夢に色々詮索されて……リグルの事とか……確か。
えーと、それから……。
「とりあえず、リグルの事とか色々聞かれた事までは覚えてるわ」
「……やはり、魂の弱化が顕著に表れて来た後の事は、ほとんど覚えて無いようですね」
「んん?」
「いえ、良いのです。今更、詮無き事ですから」
……何か、引っかかる。何か、忘れてる気がする。
確かに、何かがあった気がする。何か、凄く……大切な……。
「……夢」
「どうしました?」
「夢を見てた気がするの」
「夢ですか」
「うん、夢」
「どんな、夢でしたか」
暖かかった。そんな気がする。……そうだ、お母さん。
「私、寒くて、暗い場所に居たの。お母さんを探してた。すごく怖くて」
「……そうなんですか」
「そう。それで、お母さんが私を呼んでるの。でも姿は見えなくて。私、怖くて。叫んで。そこで、妖夢が、妖夢が……妖夢……?」
「……私も、出てきましたか」
「……妖夢が……私の手を……妖夢が……」
妖夢……待っていて、くれた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「……妖夢!」
「な、ミスティア!?」
わからない。気がついたら、抱きついていた。
追いつきたかった。待っていてくれた。追いつけた。こうしたかった。
暖かい。やっぱり、暖かいよ、妖夢。思い出した、全部。
ずっと、気に掛けてくれていた。恩知らずの私なんかを、ずっと……!
「妖夢、妖夢ぅ……う、うう、うぐ……」
「……ミスティア」
「ごめんね……ありがとう……ごめんね……」
「どっちかにしてください」
「両方……全然……足りないよぅ」
「そう思うなら、最初から……」
「う……ひぅ……んぐ、じゅるる」
「あ! こら! ミスティア! ちょっとやめて! この!」
§
白玉楼階段。来る時もきっと私はここを通って来たんだ。でもその事はよく思い出せない。
冥界と現世の境目に位置するここを、今、妖夢と一緒に歩いている。……帰るために。
「全く。困りますよミスティア。これは一張羅なんですから」
「……謝ったじゃない……ううぅ」
「謝って済めばあなたはここに来ていません」
「むぐぅ」
「備えあれば憂い無しと言う先人の言葉に肖り、何着かの予備はあります。しかし予備は予備」
「うぅ」
「剣士たる者、常に周囲の不穏な空気を敏感に捉え、決して土を付けられる様な事があってはいけないのです。ましてや鼻水など」
「うぐぐ」
「その心構えを胆に命じて尚、私はあなたを信用してですね……聞いてますか?」
「……あんたがこしらえてくれたタンコブが痛いのよっ! ……うぅ。もう嫌い」
「結構です」
……やっぱり妖夢は妖夢だ。普通あのくらいじゃ殴ったりしない。
心構えがどうとかって言うけど、あの場面であの行動は有り得ない。
妖夢という生き物が、少しわかった気がする。滅茶苦茶遠い。
嫌い。いい奴だけど。大嫌い。いい奴だけど。……どっちよ私。痛みが引いてから考えよう。
「そういえば、さ。妖夢」
「なんですか」
「あんたがエクステンドしたらどうなんの?」
ちょっと唐突に気になった。いや、前から少し気になっていた。
半分おばけ、半分人間のこいつだ。エクステンドしたら人間に? あれ、弱くなる?
「どうもなりませんよ。エクステンドで生き返りを果たすのは拠り所を亡くして尚形を留めるだけの力を持つ、死んでいない魂だけです」
「あんたの魂、死んでるの?」
「半霊は、死んだ魂です。半霊は私。私は半霊ですが、それぞれが生10割と、死10割で一応独立しているんです」
「ふーん……でもさあ、あんたの半霊ってたまにあんたそっくりの姿になってない?」
一度見た。器用に増えて庭を弄る妖夢。あれは壮絶だった。
「あれは半人半霊の魂魄の血統にのみ引き継がれる奥義の一つです。例外ですよ」
「ふーん……。例外とか、割といい加減なのね」
「それを言うならあなただって、例外も例外ですよ」
「そうなの? ねぇ、そうなの? 結構私って特別?」
妖夢が神妙な面持ちを浮かべる。
その顔を急かす様に覗き込むと、言葉を選んでいるのか、視線が泳いで逃げた。
こんな妖夢を見るのも、少し面白い気がした。
「普通はあそこまで進行した状況からの生き返りは、まず……望めません」
「妖夢が、呼んでくれた」
「……そうでしたね。それでも稀有な事ですよ。それに」
「うん」
「もはや形を留めない無縁魂魄になって、恐らくは自分の名すら亡失していたでしょうに、それでも尚……私の事は覚えていてくれた」
「わかるの?」
「全てが失われ行く虚無の中で私の声に希望を繋いだという事は、そういう事では無いのですか?」
「……多分ね。完全に思い出したわけじゃないの。本当に、夢みたい」
「今定まらぬ記憶は、恐らくは数日の内に薄れ消えるでしょう。魂の記憶とは、泡沫の夢の様な物ですから。あなたの例えは言い得て妙ですよ」
それって、私が妖夢の事、忘れちゃうって事?
妖夢は淡々と語る。どうして?
「それは、いやだ……」
「生き返った後に再確認した事は、忘れませんよ」
「それなら……いいか」
「ええ」
先の方に不自然な色合いのモヤが見えてきた。近付くに連れその全容が明らかになって行く。難解な術式紋様が線と線で複雑に繋がった、冥界の閂。
「着きましたね。これが桜花結界。あ、無闇に近付かない!」
「あ、出る分には大丈夫かと思った」
「往路復路どちらであろうとも、あなたが素通り出来る様には組まれていません。特に結界の心得の無いあなたが触れれば、庭掃除へ逆戻りですよ」
「それじゃ出れないじゃないの」
「大丈夫です。上へ上へと行けば、切れ目があります」
少し空気が固まった。妖夢もなんとなく渋い顔をしている。
明らかに手抜き工事の様な結界。結界そのものは凄いと思うけど。
「……いいの? それって」
「私に聞かれても困ります。当然ですが他言は無用ですよ」
「まあ、うん」
「それでは……ここでお別れですね」
「……そうだね」
桜花結界の前に立ち、荘厳と聳え立つ冥界の門を見つめる。ここを抜ければ、もうお別れ。
多分滅多な事では会う事は無いだろうと思う。
足が次の一歩を躊躇う。まだ何か、言いたい事があるのかもしれない。でも。
強くなる。
その言葉が私の心に強く残っている。妖夢の、夢。
妖夢の目は、とても真っ直ぐだった。
あいつがあれで、禁を破ってしまったんだ。
あいつの目、あの真っ直ぐな目を、私に向けたために。
「……妖夢」
「なんですか」
「あんたの素の言葉、凄く熱かった」
「突然何を」
「ちょっと、ね」
「……そうですね。最後くらいは、飾りの無い言葉で」
「だめ。幽々子の言いつけでしょ」
「それは……そうでしたね」
「私はお客様なのよ、おきゃくさま」
「……言われなくとも」
少し寂しそうな妖夢を見て、いらいらした。
全部、諦めて来たんじゃない。
そうやって、あんたを貫いて来たんじゃない。
あんたの積み上げて来た物が、私なんかと並べられて良いわけ無いじゃない。
「ねえ妖夢」
「何でしょうか?」
「私達、違ってよかったね」
「と、言いますと?」
「私とあんたは、何もかも違う。それが、良かったねって」
「それは、どういう意味ですか?」
「幽々子もさ、色々考えてるよね。気付いてたんでしょ?」
「……そうですね」
合っていた目。今は交わらない。勤めてそうする妖夢に、一抹の寂しさを覚えた。
本当に自分勝手で、駄目なやつだ、私って……。
友達だと、思うなら……もう、ここには居れない。
「だったら尚更。私は、早くここを出て行くわ」
「……それが良いでしょうね」
「お礼なんて、言わないわよ」
「ええ。さっき何度も聞きましたから」
「うるさいなあ」
思わず悪態が漏れた。確かに、ちょっと軽率に放銃しすぎたかもしれない。
だけど、いちいち突っ込む妖夢も妖夢だ。折角の雰囲気が台無し。
まあ……そんな事気にする柄でも無いわよね。
例え今この時でも私が幽々子を卑下する様な事を口走れば、迷わず剣を抜く。それが妖夢だ。それで妖夢だ。
「また会ったら、戦う事になるのかな」
「それは……場合によるでしょうね」
「あんた強いんだから。少しぐらい、手加減してよね」
「さて、それは。私は剣、舞うは幽々子様ですから」
やっぱりね。でも、その返事が少し悔しくて、悔しくて。
「あ……そうだ、妖夢。私、あんたに歌を贈りたかったんだ」
「……どうぞ」
「言っとくけど、深い意味は無いから。私が謡いたいだけだから」
「いいですよ。聴かせてください」
妖夢の一番が幽々子なら、私の一番は歌だ。
つまらない意地も、変なプライドも。歌の前には無力。
後悔はしたくない。歌に乗れ、妖夢に届け。そして返って来るな。
最低な私は、どうしても妖夢に伝えたいんだ。
「良き日冥界 麗しのー
まっことめでたき 門出の日ー
心ー 虚しく どこぞ行く
繋がらない事を願い 手を伸ばした
なぜー 来てしまったのだろう
会わなければ良かったと
私だけが 一人思う」
「ミスティア……!」
野暮な合の手は要らない。妖夢の声には構わず、謡い続けた。
この歌は私だけの歌。勝手な歌。一方的な歌。
許してよ。私は、あんたと違って弱いんだから。
「剣よ いと鋭き剣よー
剣よ 信念をこそ 貫け
剣よ 報われるべき剣よー
剣よ その刃で断ち切って欲しい
剣よ 君が君たるためにー
永遠に 友よ……」
謡い終え、妖夢の顔を見遣る。
伏せられた顔を隠す前髪が、今の私と妖夢を否定する。
……あんたの返事は、それでいいんだよね。
「どう? 私の剣の、切れ味は」
「……残念ですが」
震える声の妖夢。その口から、ぎり、と歪な音が漏れる。
やっぱり、そうするしか、知らないんだ。強い妖夢は、それでいいんだ。
「とても……手加減なんて……できませんね」
不自然に抑揚の無い声でそれだけ絞り出すと、顔を上げて無理やり笑って見せてくれた。
私も、それに応えたかった。だけど。
「……さよならっ!」
踵を返して、地を蹴り、飛び発つ。
妖夢が何か言っている。羽音に紛れてよく聞こえないけど、多分私と同じ事。さよなら、と。
泣き顔なんて見せたくない。泣き顔なんて見たくない。
一目散に、高く、高く。
もう聞こえない、もう届かない。でも、食い縛った。妖夢の気持ちに、応えたいから。
煌びやかな結界を貫き照りつける陽光。極彩のプリズムがくしゃくしゃのピエロを現世へと誘う。
あいつが見たら、笑うかな。そんな事を考えながら、私は結界を越えた。
まさかミスチー、マジに食われていたなんてねぇ……
それはそうと、良い妖夢、いいミスティアでした。
忠と義で自らを固めた妖夢と、あくまでも自由と感性のミスティア。
何もかも違う二人の生き方が凄くよく共感できました。
そしてエクステンドの設定も最高w
読んでて色々とあぁなるほどと思わされました。
ただ、中盤~後半にかけてのみすちーが薄れゆくくだりは、
もう少し溜めが欲しかったかも。
でも最後の最後で泣きかけたのでウチの負け。
そして出番も台詞も無くてもその存在感と影響力を誇るゆゆ様が素敵すぎw
根底に流れるは生きる事への渇望。そして冥界の住人でありながら生を薦
めるという、冥界の主従コンビがみせる厳しさの中に隠れた優しさ。
色々と考えさせる良い物語でした。
とか何とか綺麗に纏めつつも、発端はゆゆ様だったりするんだけどw
強くあらんとする妖夢、弱さを包むミスティア。
対照的な二人の、しかし双方真剣な生き様がよく見えます。
アイデアも上手く、楽しく読ませていただきました。
しかし、ネタでなしにゆゆさまに食われたみすちーを見ようとは……しかもそれが感動の物語になるとは……
そして、最後に幽々子様を認める発言をしてるけど、貴方を食ったのはその嬢だよみすちー。
迷わないでほしい。素敵な少女たちには。
あるがままに、その道を迷うことなく突き進んで。その一区切りを走りぬいた彼女らに拍手を。あったかかった。氏に満点を捧げたい、ありがとう!
凄く残酷で、凄く優しい話だと思いました。
ミスティア可愛いよ、ミスティア。
焼き鳥、そしてリザレクション×∞
そんな幻想を見たある春の日
好対照な二人が巧く描かれていて良かったデス(多謝
・・・もう歌しか聞こえない。
でもその歌が耳に残っている限り二人ともきっと、ね?
消えかかっていくところはもう少し長くじっくりでも良かった気がします。
まぁ、それは置いといても
いいものを読ませてもらいました。
湿っぽい訳ではなく、しかし空っ風と言う訳でもない。
そんな、久しぶりの東風に吹かれたような後読感。
一生懸命だった二人に、素直におめでとうといえる作品。
読ませていただいて、有難う御座いました。
気分はヴォヤージュ1970でした。
とてもすがすがしい読後感。
嗚呼、自分はこんなにも心が優しくなれたんだ。
ひたすら、GJでした!!
もう、非常にベネ!
しかしミスヨウムとは、姑問題でミスティアが禿げそうですね。
妖夢かっこいいよ妖夢!
ベストカップル賞あげちゃうよ!
ありがとう。本当にありがとう。