香霖堂に客がきた。
それはひょっとすると客ではなかったのかもしれない。
客だったのかもしれない。客以外の何者でもないように見えたし、客以外の何者かのようにも見えた。
つまり、客かどうかは判らなかった。
判るのは、今隣に座って茶を飲んでいる霧雨魔理沙が客ではないこと、それから自らの名前が森近 霖之助であり、古道具屋香霖堂の店主であることくらいだ。
あとはあやふやだ。
何もかもがあいまいで、はっきりとしない。
まあ、そういうものだ――そう思って、森近 霖之助は嘆息した。
世の中、はっきりと判ることの方が少ないのだ。
判らないものをどうにかして生きていくしか、できることはない。
「香霖、腹が減ったぜ」
手にもった湯のみを机において、魔理沙がつぶやく。
いつから店にいるのかも覚えていないが、魔理沙はそこにいた。
当然のように。
当然のようにそこに座って、当然のように茶を飲んで、当然のようにくつろいでいた。
それが当然なのだ、と霖之助は思う。
「魔理沙。茶菓子はこの前ので切れてしまっているよ」
「ああ知ってるぜ。饅頭を食べたのも煎餅を食べたのも私だからな」
「アレは君が食べたのか……こっそり隠しておいたのに」
「隠してあるものを暴くのは普通。だろ?」
「そうだね。秘匿しているものを暴くのは人の性だ。隠してあるからこそ、それを暴いてしまいたくなる。衆人の目に見えることで、真実を知らない子供に教えることで、人は愉悦を得る。知らない人よりも知る人の方が賢い、という概念が常に基礎にあるからね、」
ズズ、と。
長々と伸びかけた霖之助の話を、魔理沙は茶を呑む音で遮った。
横目で問いかけてくる。――つまり、それで?
霖之助は小さくため息を吐く。
ため息を吐くたびに年をとる気がしてあまり好きではないのだが、それでも吐かずにはいられない。
どこかの苦労人に、苦労しない秘訣を教えて欲しいものだと思う。
いや――苦労を苦労と思わない秘訣か、と、霖之助は自分の思考に突っ込みを入れる。
「つまり――あんまりお茶ばっかり飲んでるとお漏らしをするよ」
「するかっ!」
顔を真っ赤にして、魔理沙は叫びながら霖之助に人差し指を向けた。
何――? という暇もなかった。
霖之助が制止するよりも早く、魔理沙の指先から魔法が放たれる。
――ヒュン、と。
一閃の光が霖之助の頬スレスレを横切り、香霖堂の壁に丸い穴をあけた。
切り取られたような穴に焼け跡が出来ないあたり、流石は光の魔法使いだと霖之助は思う。
そして、その空いた穴の向こうから、ぎゃっ、という少女の声。
「……?」
「今の……誰?」
魔理沙の呟きに答えるように、外で音がした。
とててててててててててゐっという足音。
足音は店の横から正面へと周り、ノックもなしに荒々しく扉を開けて店の中に入りこみ、
「危ないじゃないの! 危ないじゃないの!! 怪我したらどうするのよ?」
開口一番、闖入者――因幡 てゐは、手にもった兎玉を魔理沙に向かって投げつけた。
ゆるい弧を描いて跳ぶ一つきりの兎玉。挨拶代わりに放たれたそれを、魔理沙は上半身をひょい、と反らすだけでかわす。
目標を失った兎玉はそのまま壁にぶつかり、壁で跳ねて霖之助へと跳んでいった。まさか自分の方に来るとは思わなかった霖之助は避けようとしても避けきれず、結果、見事に頭に命中した。
ゴツン、といういやな音。
兎玉は満足げに消え、残されたのは、机に突っ伏す霖之助だけだった。
「…………」
「…………」
魔理沙とてゐは予想外の結果に沈黙する。
二人とも声には出さないが、同じようなことを思っている――死んでたらどうしよう。
沈黙。
沈黙。
沈黙――
奇妙な雰囲気が、香霖堂の中に流れる。
一秒が流れ、二秒が過ぎ、三秒を越え、四秒が終わり、五秒を迎えるその直前に、
「――死ぬかと思った」
機械仕掛けのような動きで、霖之助が上体を起こした。
怪我一つない。血も流れていない。頭から机にぶつかったはずなのに、メガネが割れているということもなかった。
何事もなかったかのように、霖之助は平然と座りなおし、茶を一口すすった。
その霖之助を、てゐと魔理沙はうろんな目で見ている。
常々抱いている『ひょっとしてこいつ死なないんじゃないだろうか』疑惑が、魔理沙の中でまた深まっていく。霖之助に直接聞いたことはないが、自分の何倍も長生きしていることは確かだった。この先いったい幾つまで生きるんだろうか、歳取らないんだろうか、死なないんだろうか。霖之助に会うたびに、頭の片隅で魔理沙がそう考えるのも無理はないことだった。
「死んでないの?」
悪意のない、てゐの素朴な疑問に、霖之助は答える。
「死んでないんだ、不思議なことに」
「不思議ねー」
「不思議だね、はっはっは」
「あっはっはっ!」
軽快に笑う霖之助と、つられて面白そうに笑うてゐを、魔理沙はじと目でにらんでいる。
ひょっとして頭打っておかしくなったんじゃないんだろうか――その疑問は、口に出さずに消えた。
よく考えて見れば、頭を打つ前からおかしい奴ではあったから。
「それで君は何をしにきたのかな?」
唐突に笑うのをやめて霖之助が切り出す。
霖之助の唐突さに慣れている魔理沙は、接客体制になった霖之助を放って茶を飲む。
うまい。
うまいが、飲みすぎたせいもあり、手洗い場に行きたくなる。
行きたくなるが、話が気になるのでいかないことにする。
因幡 てゐは、竹林の迷路の向こう、永遠亭に住むウサギたちのリーダーだ。そんなウサギが一体何を持ってきたのか、興味深くもあった。何より、魔理沙は、『面白そうなことに関われない』というのが嫌いだった。
――自分を抜きに話がすすむのは悔しい。
というわけで、お茶をちびちびと飲みながら、霖之助とてゐの言葉に耳を傾ける。
四つの目玉にさらされても、てゐはひるむことはなかった。
「えっとね、」
てゐはスカートの中をごそごそと漁り、中から引っぱり出した道具をずい、と霖之助に突きつけた。
間近に突きつけられた道具を、霖之助は注視する。
奇妙な道具だった。
「これ、売りに来たの」
「どこで手に入れたんだい?」
「竹林の中で拾ったのよー」
ああ、多分嘘なんだろうなあ、と思いつつも霖之助は道具に目をやる。
出自がどんなものであれ、商取引が成立してしまえばこっちのものだ。あとの責任は全て向こう側のものとなる。あるいは、責任の所在を有耶無耶にして、問題そのものを闇に葬ることもできる。本当の持ち主が出てきたら「これは今は私のものだ、これが欲しければ貴方の何かと交換しましょう」と言えばいい。
まるでわらしべ長者のような思考だが、香霖堂という店はそうやって成り立っている。
閑話休題。
てゐのもってきた道具。
それは、不思議な道具だった。
まず色からして不思議だ。自然の色ではない。自然界に存在するどんな色とも違う、存在してはならないはずの色をしていた。
艶のある赤色をしていたのだ。
赤は血の色を表し、生命を現す。その真理を覆すかのように、目の前の道具は生命を感じさせない赤を放っていた。まるで人の世界の理など無関係に存在しているようにしか思えない。おまけにその本体は鉄で出来ており、『何かに作られた』と激しく主張していた。しかし霖之助は赤い鉄など見たこともなく、あるとすればそれは別の世界のものであると思っている。
こんなものが、幻想郷にあっていいはずがない。
いや、むしろ、人の世に、こんな恐ろしいものがあっていいはずがない。
人に許される道具ではないと、霖之助は思う。
なぜならば。
何よりも恐ろしいことに――それは人の手を模して作られていたのだ!
「これは、すごい道具だね」
「そう、すごい道具なのよ」
「とてもすごい道具だ」
「とてもすごい道具よ」
「むしろこれはもう道具とすら言えないかもしれない」
「道具でないなら何なの?」
「神具さ。神の使うべき物、神に捧げられるべき物、神から与えられるべき物だ」
その言葉に、誇張はなかった。
人の手を模して作られた道具。
それはまさに、人を作り出そうという罪を体現化したものである。
魔界の神は人を作り、人の神は人を作る。人は神に近づこうとして人形を作り、しかし人形は人になることはならず形を成すだけだ。決してそれは人ではない。人の形を以って人の心を持ったとしても、それは人間ではない。人間に似た何かであるのだ。
しかしそれでも人間は人型を作るのを止めない。
それは、完全な存在である神に近づこうという意思があるからだ。
人型を作り出すことによって、自分たちを神の位まで押し上げ、作り出した人型を見下ろそうという、ピラミッドのような思考が、確かにそこに存在するからだ。
人を作る。
それは、神の業だ。
そして、神へと挑む業だ。
「触ってみてもいいかな?」
「どうぞ。でも盗ったら駄目だからね、ちゃんと返してよね」
てゐは手にもった道具を霖之助に渡す。
霖之助は、まるで神から物を授かるかごとく、両手をそろえて恭しくそれを受け取った。
重くは無い。
むしろ、不思議なほどに軽かった。鉄に見えたソレは、鉄以外の金属であるのかもしれなかった。
しかし、そんな金属を、霖之助は一つしかしらない。
――ヒヒイロカネだ。
ヒヒイロカネで出来、人の形を模した、謎の道具。
興味は尽きなかった。
「ふむ。これは――」
霖之助は、自らの持つ未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力を使って、手に持ったその道具を探る。
恐ろしい結果が出た。
「――名前は『マジックハンド』。つまり魔法の手だ。何かを掴むためのモノらしい」
「魔法の手!?」
魔法、と聞いて真っ先に魔理沙が反応した。
マジックアイテムの収集癖があり、同時に魔法使いでもある魔理沙にとって、霖之助の言葉は興味を引くに充分な言葉だった。
が。
「……これが?」
霖之助の手に持った道具を、魔理沙はしげしげと見る。
マジックハンド。
霖之助の言葉を疑ってはいない。彼のもつ能力を、魔理沙は他の誰よりもよく知っている。霖之助がそう言う以上、その道具は「マジックハンド」という名前であり、「物を掴む程度の能力」を持ったアイテムなのだ。
だが、そこから先の考察は、霖之助の想像にすぎない。
霖之助の言う『髪の道具』は、魔理沙の見るかぎり、ただのチープな玩具に見えた。
「そう、これが、だ。やはり僕の考えは正しかった。これはきっと、天を掴むための――天を取るための――道具に違いない」
が、魔理沙の訝しげな視線を受けてなお、霖之助は平然としていた。
それどころか、いつも以上に朗々と、楽しそうにしゃべり始める。
「素晴らしい道具だ。天を取る、というのは『天下を取る』、つまり幻想郷の全てを手中に収めるための魔法の手、という意味かもしれない。なんて素晴らしく、同時に恐ろしい道具なんだ。こんな道具を野に放つわけにはいかない。ましてや気まぐれな少女たちに任せるわけにもいかない。こんな危険な道具は僕が大切に……もとい、厳重に保管しておかなくては。二度と人の目に触れることのないように。二度と人の手に触れることのないように。天取る事無きと願い、これは大切に保存しておこう」
霖之助は脇にある棚を開き、そこをあさって丁度いい大きさの箱を取り出す。
その箱は、樫の木で出来ていた。
箱のふたには白い紙が張ってあった。もともとは何かを封印してあった箱なのかもしれない。
その上から、霖之助は文字を書く。
朱の筆を使い、達筆と言える字で、すらすらとこう記した。
――天取ム無ト願フ――
「これでよし」
満足げに霖之助はつぶやく。
書かれた文字の意味するところは、『この道具を封印する』ということだ。
それを見たてゐが、今までの沈黙を破って、にこやかとも言える笑みを浮かべて言う。
「盗っちゃダメ、って言わなかったっけ?」
じりじり、とてゐがにじり寄ってくる。
顔は笑っているが、その目はまったく笑っていない。
返事しだいではここで弾幕を放つ構えだ。
「まさか。古道具屋であるところの僕が君の道具を盗むだって? あまつさえも言葉巧みにだまして掠め取ろうだなんて、そんなことを思うはずがないじゃないか。これはもちろん物々交換、つまりは売買、取引だよ」
「へぇ。でもまだ私、これを売るとは言ってないんだけどなー」
「売りにきた、と最初に言わなかったかい?」
「あれはウソよ。とりあえず鑑定しにきただけなの」
「なら鑑定料としてこの道具はもらっておこう」
「あ、ズルい!」
「ズルくない。ウソもついていないしね」
漫才のような掛け合いを、魔理沙は半目で呆れたように眺めている。
こいつらどこか似てるなぁ、と思いつつも言わないのは、話の矛先が自分に来るのを避けるためだ。
「健康のためのアイテムとして、これをあげよう」
霖之助は上体をひねり、右側にある棚をあける。
あれでもないこれでもない、と呟きながら二、三の棚をあけ、目的のものを見つけ出す。
霖之助が棚から引っぱり出してきた物。
それは、小瓶だった。
中に白くにごった水の入った、少し大きめの小洒落た瓶だった。
瓶を机の上に置き、興味深けに覗き込んでくる二人の少女を見回して、霖之助は言う。
「美肌水という。グリセリンとアンモニアと岩清水を配合して作った、僕お手製の物だよ」
一拍間があった。
その一拍の間は、てゐが内心で欲しがっているのだと、霖之助に気づかせるには充分の間だった。
それでもてゐはすぐには首を縦には振らない。
取引の基本が分かっているな――と霖之助は思う。
最大の基本。
欲しがっていることを相手に知られないということ。
足元を見られない、ということだ。
「うーん、でも、こういうのは永琳様に頼めば作ってくれるしなー」
「代わりに変な実験の材料になるかもしれないだろう?」
「それでもコレだけだとねぇ。使い道がないとはいえ、天下を取る道具だっけ? それと交換ってうのは、ちょっと考えるよね~」
「仕方ない、今ならお得にお得、もう一つ瓶をつけよう!」
「もう一声!」
「僕も商売人だからこれ以上は譲れないが……まあ、貴重な道具と交換だ。さらにこの秘蔵の道具、義経が12歳のときのしゃれこうべもつけよう」
棚の中から小さな骸骨を取り出し、霖之助は机の上におく。
魔理沙はげ、と呻いたが、てゐは別に驚きもしなかった。
それどころか興味深げにそれを見て、
「ふぅん。……うん、ならこれでいいよ~」
骸骨を素手でむんずと掴み、ポケットの中に突っ込んだ。ついでに二本の瓶も反対側のポケットに突っ込む。
この辺の豪胆さは幻想郷に住む少女ならではのものだ。幻想郷の中の隔離屋敷、永遠亭に住むウサギともなればなおさらだった。実際、てゐの知っている人間には死んでも死なない人間がいる。骸骨くらい見慣れたものだった。
これは主人のお土産になるぞ――そんなことを考えてる。
「なら、これで決まりだね。ご利用有難う御座います、以後も香霖堂をご贔屓に、」
括りの挨拶を霖之助が言い終わるよりも早く、てゐは踵を返していた。
バイバーイ、と手を振って出ていくてゐ。その足は早い、文字通り脱兎のごとく消えて行った。
これ以上何か余計なことを言われるまえに逃げたほうがいい、とでも思っているのだろう。
その考えは、真っ向正しかったけれど。
残された霖之助と魔理沙は、しばらく、呆けたように開けっ放しの扉を見ていた。
嵐のような時間だった――声には出さずとも、二人の思いは一緒だった。
ひゅう、と風が吹き込んでくる。
それをきっかけに、魔理沙が口を開いた。
「なぁ香霖。岩清水は分かるけど、グリセリンとアンモニア、って何だ?」
「ああ、薬品の名前だよ。グリセリンはC3H5(OH)3、油の加水分解物。アンモニアはNH3……ただしアレに入っているのはアンモニアではなく尿素だけどね」
「にょ、尿!? 香霖お前、自分で作ったって言ったよな……まさか!」
「そのまさかだよ。ああでも別に汚いものじゃないよ、美肌作用があるのは確かだ。イメージが悪いからアンモニアって誤魔化したけれど」
「……この嘘吐きめ。あのウサギも相当な嘘吐きだが、お前も充分に嘘吐きだぜ」
「君には言われたくないな。いや、誰にも言われたくはないな。少なくとも今は」
そう言って、霖之助は手にもった物を掲げて見る。
因幡 てゐの持ってきた『マジックハンド』を。
霖之助が握るたびに、ガシャ、ガシャという音とともに、先の丸い部分が開閉した。
どう見ても、何度見ても、子供の玩具にしか見えなかった。
が、その玩具にしか見えないものを、霖之助は大切そうに樫の箱に入れた。彼は彼なりに思うところがあるのかもしれない。
どうしても納得できず、魔理沙は訊ねる。
「……なあ、香霖」
「なんだい魔理沙」
「あれ、本気か? 天取る事無きと願い、ってどう考えてもおかしくないか?」
「おかしくないさ」
霖之助はひとつ息を吐き、
魔理沙の顔を正面から見、その瞳を覗き込んで言う。
「いやいや、おかしくないさ。統合性がなくても、どこか変でも、誰かが嘘をついていても、ウソをついていることに気づいていなくても。そもそも嘘吐きが誰だという以前に全てが嘘なんだから、少しもおかしくないさ。UNオーエンを殺したのは誰だという以前にUNオーエンという人間は誰なのかそもそも本当にいるのか。そして誰もいなくなったかという質問に対して初めから誰もいないんだよと答えるような。そんなおかしくもなんともないおかしさしかこの場所にはないし、そんな事しかない以上、すべてはおかしくないのさ」
「香霖、お前の欠点は回りくどいことだぜ」
「つまりね、」
霖之助は茶をすする。
そして、息を吐くとともに、
それが当然のことであるように、平然とつぶやいた。
「だってこれ、夢なんだから」
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――え?」
BGM : Ten Dream Nights.
天 取ム 無ト。
END
最後のオチにあっと言わされたぜ。ありがとう(ぇ
いいね!