「………ここは」
右を見る。魂の群れがひしめいていた。
左を見る。魂の群れがひしめいていた。
「…………」
今居る場所が良く分からない。
見覚えがあるきがする。
いつだったか、良く覚えていないのだけれど。
「…………」
魂の群れがゆっくりと前へと進んでゆく。
私は後ろからどんどんと前へと押され、立ち止まることすら許されない。
「…………」
誰も、何も喋らない。
皆我先に、一歩でも先にと歩を進めてゆく。
「…………」
一体皆はどこへ進んでいるのだろう。
そして、私はどこへ進んでいるのだろう。
「…………」
なんだか、とても大事なことがあった気がする。
良く、覚えていないのだけれど。
「………なんだったかな」
私は、小さく呟いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「妖夢?」
「………ああ、すみません。少し眠ってしまったみたいです」
「身体がだるいなら無理しなくていいのよ。ちゃんと言いなさいね」
「はい、ありがとうございます幽々子様。ですが、私は働きたいのです。働いていなければ私は何をして居れば良いのかも分かりませんし」
そう言って私は軽く目を細めながら、自らの主に微笑みかけた。
「そう、ならいいんだけど………」
幽々子様が名残惜しげに下がるのを見ながら、もうあまり動かなくなってしまった身体をゆっくりと起き上がらせ、箒を手に持ち掃除を始める。
丁寧に、丁寧に。
子供の時から、延々と続けてきたこの行為を私は今も繰り返す。
さすがに、今の私はこの広い庭全てを管理するなんてことは出来ない。だから、他の人に仕事を任せてはどうか、と幽々子様に具申したこともある。けれど、この仕事は魂魄家の者にしか任せる気はないときっぱりと断られてしまった。それ以来私はその事を幽々子様に言ったことは無いし、幽々子様も私に対してその事を言ったことは一度も無かった。
けれど、もうそろそろ限界だろう、と私は思う。
冥界全体はおろか、白玉楼の管理すらも私一人ではまともにできなくなってしまい、幽々子様に手伝ってもらわなければ炊事洗濯すらも完璧にこなせなくなって来てしまっているのだから。
私の身体は老いる。
そして、幽々子様は老いることは無い。
永遠をその身に内包しある私の主と違い、有限であるこの身は刻一刻と終わりへと近づいている。
知識は、子供の頃とは比べ物にならないほど有る。
知恵も、子供の頃とは比べ物にならないほど有る。
それでも、今の私は子供の頃の私に比べて劣っていると間違いなく言えるだろう。
結局、私に跡継ぎと言える存在は生まれなかった。
幽々子様は作った方が良いと何度も言ったのだけれど、私がそれを断固として拒否していたのが原因だ。
理由は単純。私が身ごもっている間に幽々子様の世話を誰がするのかという事。
もしも私が男であれば、あっさりと跡継ぎを作り、お爺様と同じ様に幽々子様の世話を完璧に―――ある程度はこなせるように躾けていた事だろう。
けれど、現実には私は女だった。
結局は、私の我がまま。
私は老いる。そんなことは私は分かっていた。
私が死んだ後、幽々子様が一人になってしまうという事も分かっていた。
それでも。
幽々子様の世話を誰かに任せることなんて出来なかった。
あの紅白の巫女は死んだ。
あの黒白の魔砲使いも死んだ。
あの悪魔の犬も死んだ。
そして、私もこれから死ぬ。
一つぐらいの我がまま、許してくださいますよね………幽々子様
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ゆっくりと、ゆっくりと。
私は見えない目的地に向かって歩を進める。
「…………」
私の右に居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
私の左に居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
私の後ろに居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
「………なんだろう」
いつのまにか、私は一人。
あて無き道を延々と歩き続ける。
「………何か思い出せそうな気がするんだけど」
とても、大事なこと。
忘れては、いけないこと。
「………なんだった、かな」
けれど、どうしても思い出すことが出来なかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
数年前だったか、数十年前だったか。
もういつの事だか覚えていないのだけれど、紫様が幻想郷と冥界との境を復活させた。
何度かなんとなくのふりをして尋ねてみたことがあったのだけれど、結局教えてくれることは無かった。
どうしてだろう。知識を付け、知恵を蓄えた今となってもその理由は分からない。
やっぱり、私は永遠に紫様にも、幽々子様にも追いつくことは出来ないのだろう。
言われるまでも無く、そんな事は分かっていたのだけれど。
「すみません」
ついに身体が動かなくなり、この頃の私はずっと床に伏せったまま。
もうこの命も長くは持つまいと自分でも分かっている。
そして、この頃の家事は全て幽々子様に任せてしまっている。
「すみません………」
幽々子様の前では言えない言葉。
私が謝ると、幽々子様が悲しむような気がするから。
それはわたしの只の思い込みかもしれない。
けれど、それでも。
私は幽々子様に悲しんで欲しくは無かった。
私が居なくなっても、泣いて欲しくは無かった。
私の我がままで、幽々子様を傷つけたくは無かった。
「っ………う」
身体がずきりと痛む。
身体の痛みと心の痛み。
二重の苦しみが私を苛んでいる。
けれど、これは私が決めたこと。
だからこんな事で音をあげるわけにはいかない。
「妖夢~?」
ああ、幽々子様が帰ってきた。
頑張って笑わないと。
こんな表情は見せるわけにはいかないし、私も見せたくはないのだから。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「…………」
自分の中から、大切な何かが消え去ってしまった気がする。
勿論、それが何だったのかなんてさっぱり分からない。
「…………」
それでも、絶対に忘れてはいけない事だった気がする。
とても、とても大切だったこと。
それを忘れたら私が私じゃなくなってしまう様な気すらするのに。
「…………」
何故思い出せないのだろう。
そもそも、私は誰なのだろう。
「…………」
彼岸花が咲き乱れる中、私はゆっくりと歩を進める。
不意に背後で地面に何かが落ちる音が聞こえた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
小町さんが、いつか私に教えてくれた。
私が死ぬと、『魂魄妖夢』という存在は消えてなくなるのだと。
魂魄妖夢という存在は、人間である半身と魂魄である半身の二つが共存している状態でのみ、存在を許される。そして、人間である半身が死ぬと同時に、その存在は二つへと分かれる事になるらしい。
そして、その分かれた二つの半身は転生を経てそれぞれ新しい一つの生へと生まれ変わるのだと言う。
死神である小町さんはこう言っていた。
普通の人間であれば閻魔様の裁きを受け、新しい生を受けるまで記憶は残るだろう。けれど、私にはそれは無理だろう、と。
半身と半身が引き裂かれた瞬間に、魂魄妖夢という存在は消えてなくなるのだから、と。
だから魂魄妖夢という存在が死んだ瞬間、魂魄妖夢という存在が持っていた全てが離散するだろう、と。
だから―――どんな方法を使ったとしても、もう二度と魂魄妖夢が幽々子様に仕えることは出来ないのだと。
その話を聞いたときに、やっと私はそれを実感した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「………落としました、よ?」
どこかで見た覚えがある。いや、あるような気がする赤髪の少女が岩の上に座っていた。
足元には、数枚の銅銭が散らばっていた。
聞こえていないのかと思い、もう一度だけ尋ねてみる。
「落としましたよ?」
赤髪の少女はこっちの声がきこえているのか聞こえていないのか。空を見上げているだけで動こうという素振りを見せなかった。
「…………?」
空に何かがあるのかと思い、見上げてみても何か変な物があるようには見えない。いつものように青い空に白い雲がまばらに浮かんでいるだけ。
「あの、落としました、けど………」
もしかすると、耳が聞こえていないのだろうか。だとすれば、こっちが何を言っても気が付かないのも道理だし、銅銭が落ちた音にも気が付くことが出来ないだろう。それならば。
「拾います……よ?」
聞こえているのか聞こえていないのか。空を見上げたまま動こうとしない少女にゆっくりと歩み寄っていった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「幽々子様………」
「なにかしら、妖夢?」
穏やかな笑み。
幽々子様は一体今何を考えているのだろう。
床に伏したままの私を優しく見下ろしながら、幽々子様は優雅に佇んでいた。
疲れているだろうに、そんな様子は全く見せず。
周りには、私達二人の他に誰も居ない。
この屋敷の中、住み慣れたこの部屋で私と幽々子様は二人きり。
私が何も出来なくなり、この部屋から殆どうごけなくなってから、幽々子様はたった一人でこの屋敷を切り盛りしていた。
勿論、私の世話もそれには含まれている。
これでは立場が逆だ、と何度も言ったのだけれど、一向に幽々子様は聞き入れてくれなかった。
強引に命令をして私に従わせたわけではない。
ゆっくりと。
子供に言い聞かせるように、何度も何度も丁寧に私を説得したのだった。
「ごめんなさい、ね。妖夢」
「………え?」
「私がいけないのよ。私が妖忌にあんなことを頼んだから」
「どういう、事でしょうか」
「本当はね。私に仕えるのは妖忌だけの筈だったの。それを、私の我がままで貴方にも仕えて貰う事になったのよ」
「そう、だったんですか」
「ええ。だから、ごめんなさいね。苦しかったんじゃない?」
「そんな………事」
大変だったのは確かだ。
苦労だってしっぱなしだった。
でも。
私は幽々子様に仕えられて嬉しかった。
「妖夢が私に仕えるのが好きだったというのは知っているわ。それでも、ごめんなさいね」
「それは……」
「貴方は、生まれた時から私に仕える様に妖忌に仕込まれたのよ。私がそれを望んだから。だから、その気持ちは私が作った物であるのかもしれないの」
「そんな、私は……」
「だから、ごめんなさい。もしかしたら貴方にはもっと違う道があったんじゃないか、ってずっと思っていたの。もしかしたら貴方は母として子を産み、育て、沢山の子や孫に囲まれて幸せに息を引き取ったかもしれない。あなたが子供を作るのを拒んだ時に、私はそう思ってしまったのよ」
「そんな、事……」
「妖夢。私は貴方の事大好きよ。貴方が居てくれて私は嬉しかった。貴方がいなかった生活なんて想像出来ないもの。想像なんてしたくないわ。今とても大変なんだから」
くすくすと笑う幽々子様から目を背け、目を伏せる。
勿論冗談を仰っているのは良く分かっている。それでも、私はそんな言葉を聞きたくなかった。
「幽々子様―――」
「ねえ」
言いかけたところに言葉を被せられ、途中で言葉が途切れる。
「妖夢は今の自分が嫌い?」
「それは、どういう……」
「ねえ妖夢。子供を作らなかったこと、後悔しているのかしら」
「それは……」
「私はね、妖夢が子供を作らなくてくれて良かったと思ってる。だって、こんな思いはもう味わいたくないから」
「ですが、それでは……」
「ねえ妖夢、答えて。妖夢は、今の自分が嫌い?」
じっと、真紅の瞳が私の瞳を上から覗き込んでくる。
美しい髪が私の頬へと当たり、微かにくすぐったい。
幽々子様は微笑んでいる。
それは、私のためだろうか。
それとも、自分のためだろうか。
私は、ゆっくりと目を閉じる。
「はい。嫌いです」
「……そう」
それを聞いた幽々子様の顔がゆっくりと離れていくのを私は目を閉じながら感じていた。
「私は、幽々子様のお役に立ちたいのです。それでも、この身体は言う事をきいてくれません。ですが、そんなことは分かっていました。そして、私が居なくなれば幽々子様のお世話をすることが出来る人が一人も居なくなるという事も分かっていました。それでも、私は幽々子様にずっと御仕えしたかったのです。私一人が、幽々子様に御仕えしたかったのです。他の誰かが、幽々子様に御仕えしている所なんて見たく無かったのです。私の我がままなのです」
一気にそこまで言った所で、ゴホッ、ゴホッと私は咳き込んだ。
もうこの身は喋る事ですら困難となりつつあるらしい。
幽々子様がどんな表情をしているのかなんて見たくなかった。
相変わらず微笑んでいるのだろうか。
それとも、悲しそうな表情を浮かべているのだろうか。
それとも、幻滅されてしまったのだろうか。
私は従者だ。
主に仕えることが仕事だ。
そして、その従者が主の不利になるようなことをすべきではないと分かっていた。
それでも、それでも。
どうしてもそれだけは譲れなかった。譲りたくなかった。
何度も、何度も自問自答はした。
何度も、何度も、何度も、自分を説得しようと試みた。
それでも、私は駄目だった。
幽々子様に他の誰かが使え、あの笑みを、私以外に向けて欲しくなんか無かった。
つ、と涙が頬を伝って流れ落ちた。
「ならば、もう終わりにしましょう」
ふわり、と閉じたままの視界の内に輝く蝶が浮かび上がる。
(幽々子、様……?)
目を開けようとしても、目が開かない。
声を出そうとしても、声が出ない。
漆黒の世界を、ゆっくりと蝶が満たしてゆく。
それと同時に、私の身体がゆっくりと消えてゆくのを私は感じた。
「おやすみなさい、妖夢。もういいのよ」
(幽々子、様……)
死を操る程度の力。
幽々子様は今それを私に向かって使っているのだろう。
だとすれば、この身は抗うこと等出来はしない。
私の半身である魂魄が、私からゆっくりと離れてゆくのを感じる。
この繋がりが完全に途切れた時、私は死を迎えるのだろう。
「さようなら、妖夢。楽しかったわ……ありがとう」
消えゆく意識の中。
幽々子様が静かに舞っている光景が見えた気がした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
足元に散らばっている銅銭を丁寧に拾う。
一枚一枚拾い集め、汚れを拭き取ろうとまで考えた所で自分が何も持っていないことに気が付いた。
少し考え、後で洗えば済むことなんだしと思い服の袖でその銅銭を丁寧に拭き取っていると、上から威勢の良い声が聞こえてきた。
「なあ、あんたは銭を何枚持っているんだい?」
「……銭、ですか?」
懐を漁ってみるが、銭は一枚も入っている様子は無かった。だから、正直に言う。
「銭なんて一枚も持っていませんけど」
「じゃあその手に持っているのは何なんだい?」
その赤髪の少女が口元に軽く笑みを浮かべさせながら、岩からさっと飛び降りる。
「あたいの目が確かならちゃんと六枚もっているじゃないか。嘘をつく必要なんてあるのかい?」
「え、でも、これは……」
拾った物だ、とまで言おうとした所で片目を瞑った少女が私の口の前に手を突き出してきた。
「ああ、元の持ち主が誰かなんて関係ないんだ。『今』のあんたが何枚銭をもっているのか、という事が重要なんでね。さっきはさっき。今は今。あたいは『今』何枚もっているんだい? ってきいているんだよ」
「はあ、それでしたら六枚ですけれど……」
その答えを待っていたのか、少女がパン、と両手を打ち鳴らす。
「そうかい、じゃああたいが向こう岸までおくってあげるよ。六文なら話す時間はたっぷりとあるね。こいつあ今から楽しみだ」
「話って………私殆ど何も覚えていないんですけど」
その答えは分かっていたとばかりに、少女が頷く。
「ああ、そいつもしっている。あたいは生きていた頃のあんたをよーく、しっているんだ。だから、あんたの人生がどうこう、という話なんてきくつもりはないんだよ」
「じゃあ………?」
要するに、だ。と少女は続ける。
「あたいは、あんたと話したいって言っているだけなんだよ。ああ、嫌ならそう言ってくれると嬉しいね。そしたらあたいは他の―――」
「いえ」
少女の言葉を途中で私は止める。
他人の話に途中で押し入るなんて失礼なことだとは分かっていたのだけれど。
それでも、私は。
「よろしく―――御願いしますね?」
首を軽く傾げながら満面の笑みを浮かべ、私は少女の方へとゆっくりと歩み寄ってゆく。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
この話をしたのがいつだったか、私は良く覚えていない。
そもそも、こんなことが本当にあったのかどうなのかすら私は分からないのだ。
何度思い出してみても、季節すら思い出せない。
私が仕事をしているのはいつもの事だとしても、さすがにおかしいと思えてくる。
春なら春。夏なら夏。秋なら秋。冬なら冬。
どの季節であろうとなにかしらの特徴が現れる。
けれど、この思い出にはそれが無いのだ。
「なあ、妖夢。妖夢は自分が死んだらどこへ行くと思う?」
「どこへ、ですか?」
「ああ。どこへ、だ」
その言葉に私は少し首を傾げる。
「そうですねえ……ちょっと想像もつきません」
「どうしてだい?」
「私は半分が人間で、半分が魂で出来ている存在ですから」
「はは、まあそうかもしれないけどね」
「笑う事無いじゃないですか。私は真面目に話しをしているんですよ?」
快活に笑う赤髪の死神に、ちょっとむくれた顔で上目遣いに睨む。
「小町さんは、私が死んだらどこへ行くか知っているんですか?」
「ん、あたいかい?」
「はい」
「いいや、知らないよ。あたいも死神やって長いけど、未だに生きていた頃に半人半魂だった存在を船で運んだ事はないからね」
「じゃあ、何でそんな質問を?」
「まあ、気にしないで欲しいね。ちょっとした気まぐれだよ」
「はあ、そうですか……」
私は首を軽く傾げた。
それを小町さんは楽しそうに笑いながら見ていた。
「あ、じゃあそろそろあたいは仕事に戻らないと」
「そうですか。では私も仕事に戻りますね」
「相変わらず妖夢は働き者だね」
「ええ、まあ。働くの好きですし」
じゃあな、と去り際に言葉を残し、小町が雲の中へと消えてゆくのを私はじっと見つめていた。
これが私が小町さんと会った最後の日。
冥界との境が紫様によって修復され、小町さんは白玉楼へと来る事は出来なくなった。
そして、私も身体を壊し、遠出が出来なくなった。
いつのことだか分からない。
もしかしたら、私が勝手に作り上げてしまった思いでなのかもしれない。
だとすれば、これは何なのだろうと何度も考えた事はあるのだけれど、結局その答えは出ず終いだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
私は彼岸に立っていた。
彼女の話によると、この先には閻魔様がいて、私の生について事細かく断罪をするらしい。
私が何も覚えていなくとも、それは関係ないとの事。
なんていうかそれはそれで理不尽な気がしたけれど、そういう決まりならばどうしようもないのだろう。
それに赤髪の彼女の話では私は真面目に生きていたようで、少なくとも悪人ではなかったみたいだ。
けれど、彼女の話では本人が無意識に行った罪等も全て断罪されるそうで、どんな善人だったとしても裁判がすぐに終わる事は無いとか。
「ありがとうございました」
結局、名前は教えてもらえなかったけど。
私の名前も、彼女の名前も。
深々と頭を下げる。
彼女の話によると、六文以下だとこの川を渡れないらしい。
そして、私は何も持っていなかった。
「ああ、あのさ」
去ってゆこうとする私に彼女が後ろから声をかける。
「なんですか?」
私が後ろへと振り向くと、彼女がぽりぽりと頬を掻きながら不自然に目線を逸らしながら口を開いた。
「あたいが何のことを言っているのか良く分からないだろうし、これは言って良い事なのかもわからない。それに、あんたはもうすぐ忘れてしまうという事も分かってる」
「……はい」
「それでもさ、一応言わせて貰うよ」
そこで、ゆっくりと彼女は目を閉じる。
数回大きく深呼吸をしてから目を開き、私の瞳をじっと見つめてきた。
「待ってる、から」
それだけいうと彼女はさっときびすを返し、再び私が乗ってきた船に乗ると、後ろも振り返らずにゆっくりと船を漕いで去っていった。
その後姿は三途の川の霧によってすぐにかき消されてしまったが、私はじっとその場に立ち尽くしていた。
「―――――」
どこからか、声が聞こえた。
誰だろう。まるで自分が喋っているように聞こえたのだけれど。
「―――――」
ゆっくりと辺りを見渡す。
すると、遠くに二つの人影が立っているのが見えた。
「―――――」
声はそちらから聞こえてくる気がする。
私はゆっくりと身体をその方向へと向けると、一歩ずつ、ゆっくりと歩き始めた。
「―――――」
近づくにすれ、声が大きくなる。
顔が判別できるぐらいに近づいてきたとき、二つの人影のうちの一つがゆっくりと私の方へと歩み寄って来るのが見えた。
「―――――」
とても懐かしい感じ。
見た覚えがあるはずなのに、どうしてもその姿が思い出せない。
「―――――」
その目の前に立った銀髪の少女が、笑みを浮かべながら私の手をゆっくりと引く。
まるで、早くもう一人の人影の所へ行こうと行っている様に。
「―――――」
もう一人は緑色の髪をした少女だった。
優しそうな微笑を浮かべながら、私の方をじっと見つめている。
「―――――では」
私と銀髪の少女が彼女の近くまで歩み寄った時、少女がゆっくりと口を開く。
懐から小冊子の様なものを取り出し、それに視線を落とした。
「断罪を、始めましょう」
―――――遠くから、懐かしい声が聞こえて来た様な気がした。
Fin
右を見る。魂の群れがひしめいていた。
左を見る。魂の群れがひしめいていた。
「…………」
今居る場所が良く分からない。
見覚えがあるきがする。
いつだったか、良く覚えていないのだけれど。
「…………」
魂の群れがゆっくりと前へと進んでゆく。
私は後ろからどんどんと前へと押され、立ち止まることすら許されない。
「…………」
誰も、何も喋らない。
皆我先に、一歩でも先にと歩を進めてゆく。
「…………」
一体皆はどこへ進んでいるのだろう。
そして、私はどこへ進んでいるのだろう。
「…………」
なんだか、とても大事なことがあった気がする。
良く、覚えていないのだけれど。
「………なんだったかな」
私は、小さく呟いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「妖夢?」
「………ああ、すみません。少し眠ってしまったみたいです」
「身体がだるいなら無理しなくていいのよ。ちゃんと言いなさいね」
「はい、ありがとうございます幽々子様。ですが、私は働きたいのです。働いていなければ私は何をして居れば良いのかも分かりませんし」
そう言って私は軽く目を細めながら、自らの主に微笑みかけた。
「そう、ならいいんだけど………」
幽々子様が名残惜しげに下がるのを見ながら、もうあまり動かなくなってしまった身体をゆっくりと起き上がらせ、箒を手に持ち掃除を始める。
丁寧に、丁寧に。
子供の時から、延々と続けてきたこの行為を私は今も繰り返す。
さすがに、今の私はこの広い庭全てを管理するなんてことは出来ない。だから、他の人に仕事を任せてはどうか、と幽々子様に具申したこともある。けれど、この仕事は魂魄家の者にしか任せる気はないときっぱりと断られてしまった。それ以来私はその事を幽々子様に言ったことは無いし、幽々子様も私に対してその事を言ったことは一度も無かった。
けれど、もうそろそろ限界だろう、と私は思う。
冥界全体はおろか、白玉楼の管理すらも私一人ではまともにできなくなってしまい、幽々子様に手伝ってもらわなければ炊事洗濯すらも完璧にこなせなくなって来てしまっているのだから。
私の身体は老いる。
そして、幽々子様は老いることは無い。
永遠をその身に内包しある私の主と違い、有限であるこの身は刻一刻と終わりへと近づいている。
知識は、子供の頃とは比べ物にならないほど有る。
知恵も、子供の頃とは比べ物にならないほど有る。
それでも、今の私は子供の頃の私に比べて劣っていると間違いなく言えるだろう。
結局、私に跡継ぎと言える存在は生まれなかった。
幽々子様は作った方が良いと何度も言ったのだけれど、私がそれを断固として拒否していたのが原因だ。
理由は単純。私が身ごもっている間に幽々子様の世話を誰がするのかという事。
もしも私が男であれば、あっさりと跡継ぎを作り、お爺様と同じ様に幽々子様の世話を完璧に―――ある程度はこなせるように躾けていた事だろう。
けれど、現実には私は女だった。
結局は、私の我がまま。
私は老いる。そんなことは私は分かっていた。
私が死んだ後、幽々子様が一人になってしまうという事も分かっていた。
それでも。
幽々子様の世話を誰かに任せることなんて出来なかった。
あの紅白の巫女は死んだ。
あの黒白の魔砲使いも死んだ。
あの悪魔の犬も死んだ。
そして、私もこれから死ぬ。
一つぐらいの我がまま、許してくださいますよね………幽々子様
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ゆっくりと、ゆっくりと。
私は見えない目的地に向かって歩を進める。
「…………」
私の右に居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
私の左に居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
私の後ろに居た人はついさっき誰かに連れて行かれてしまった。
「………なんだろう」
いつのまにか、私は一人。
あて無き道を延々と歩き続ける。
「………何か思い出せそうな気がするんだけど」
とても、大事なこと。
忘れては、いけないこと。
「………なんだった、かな」
けれど、どうしても思い出すことが出来なかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
数年前だったか、数十年前だったか。
もういつの事だか覚えていないのだけれど、紫様が幻想郷と冥界との境を復活させた。
何度かなんとなくのふりをして尋ねてみたことがあったのだけれど、結局教えてくれることは無かった。
どうしてだろう。知識を付け、知恵を蓄えた今となってもその理由は分からない。
やっぱり、私は永遠に紫様にも、幽々子様にも追いつくことは出来ないのだろう。
言われるまでも無く、そんな事は分かっていたのだけれど。
「すみません」
ついに身体が動かなくなり、この頃の私はずっと床に伏せったまま。
もうこの命も長くは持つまいと自分でも分かっている。
そして、この頃の家事は全て幽々子様に任せてしまっている。
「すみません………」
幽々子様の前では言えない言葉。
私が謝ると、幽々子様が悲しむような気がするから。
それはわたしの只の思い込みかもしれない。
けれど、それでも。
私は幽々子様に悲しんで欲しくは無かった。
私が居なくなっても、泣いて欲しくは無かった。
私の我がままで、幽々子様を傷つけたくは無かった。
「っ………う」
身体がずきりと痛む。
身体の痛みと心の痛み。
二重の苦しみが私を苛んでいる。
けれど、これは私が決めたこと。
だからこんな事で音をあげるわけにはいかない。
「妖夢~?」
ああ、幽々子様が帰ってきた。
頑張って笑わないと。
こんな表情は見せるわけにはいかないし、私も見せたくはないのだから。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「…………」
自分の中から、大切な何かが消え去ってしまった気がする。
勿論、それが何だったのかなんてさっぱり分からない。
「…………」
それでも、絶対に忘れてはいけない事だった気がする。
とても、とても大切だったこと。
それを忘れたら私が私じゃなくなってしまう様な気すらするのに。
「…………」
何故思い出せないのだろう。
そもそも、私は誰なのだろう。
「…………」
彼岸花が咲き乱れる中、私はゆっくりと歩を進める。
不意に背後で地面に何かが落ちる音が聞こえた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
小町さんが、いつか私に教えてくれた。
私が死ぬと、『魂魄妖夢』という存在は消えてなくなるのだと。
魂魄妖夢という存在は、人間である半身と魂魄である半身の二つが共存している状態でのみ、存在を許される。そして、人間である半身が死ぬと同時に、その存在は二つへと分かれる事になるらしい。
そして、その分かれた二つの半身は転生を経てそれぞれ新しい一つの生へと生まれ変わるのだと言う。
死神である小町さんはこう言っていた。
普通の人間であれば閻魔様の裁きを受け、新しい生を受けるまで記憶は残るだろう。けれど、私にはそれは無理だろう、と。
半身と半身が引き裂かれた瞬間に、魂魄妖夢という存在は消えてなくなるのだから、と。
だから魂魄妖夢という存在が死んだ瞬間、魂魄妖夢という存在が持っていた全てが離散するだろう、と。
だから―――どんな方法を使ったとしても、もう二度と魂魄妖夢が幽々子様に仕えることは出来ないのだと。
その話を聞いたときに、やっと私はそれを実感した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「………落としました、よ?」
どこかで見た覚えがある。いや、あるような気がする赤髪の少女が岩の上に座っていた。
足元には、数枚の銅銭が散らばっていた。
聞こえていないのかと思い、もう一度だけ尋ねてみる。
「落としましたよ?」
赤髪の少女はこっちの声がきこえているのか聞こえていないのか。空を見上げているだけで動こうという素振りを見せなかった。
「…………?」
空に何かがあるのかと思い、見上げてみても何か変な物があるようには見えない。いつものように青い空に白い雲がまばらに浮かんでいるだけ。
「あの、落としました、けど………」
もしかすると、耳が聞こえていないのだろうか。だとすれば、こっちが何を言っても気が付かないのも道理だし、銅銭が落ちた音にも気が付くことが出来ないだろう。それならば。
「拾います……よ?」
聞こえているのか聞こえていないのか。空を見上げたまま動こうとしない少女にゆっくりと歩み寄っていった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「幽々子様………」
「なにかしら、妖夢?」
穏やかな笑み。
幽々子様は一体今何を考えているのだろう。
床に伏したままの私を優しく見下ろしながら、幽々子様は優雅に佇んでいた。
疲れているだろうに、そんな様子は全く見せず。
周りには、私達二人の他に誰も居ない。
この屋敷の中、住み慣れたこの部屋で私と幽々子様は二人きり。
私が何も出来なくなり、この部屋から殆どうごけなくなってから、幽々子様はたった一人でこの屋敷を切り盛りしていた。
勿論、私の世話もそれには含まれている。
これでは立場が逆だ、と何度も言ったのだけれど、一向に幽々子様は聞き入れてくれなかった。
強引に命令をして私に従わせたわけではない。
ゆっくりと。
子供に言い聞かせるように、何度も何度も丁寧に私を説得したのだった。
「ごめんなさい、ね。妖夢」
「………え?」
「私がいけないのよ。私が妖忌にあんなことを頼んだから」
「どういう、事でしょうか」
「本当はね。私に仕えるのは妖忌だけの筈だったの。それを、私の我がままで貴方にも仕えて貰う事になったのよ」
「そう、だったんですか」
「ええ。だから、ごめんなさいね。苦しかったんじゃない?」
「そんな………事」
大変だったのは確かだ。
苦労だってしっぱなしだった。
でも。
私は幽々子様に仕えられて嬉しかった。
「妖夢が私に仕えるのが好きだったというのは知っているわ。それでも、ごめんなさいね」
「それは……」
「貴方は、生まれた時から私に仕える様に妖忌に仕込まれたのよ。私がそれを望んだから。だから、その気持ちは私が作った物であるのかもしれないの」
「そんな、私は……」
「だから、ごめんなさい。もしかしたら貴方にはもっと違う道があったんじゃないか、ってずっと思っていたの。もしかしたら貴方は母として子を産み、育て、沢山の子や孫に囲まれて幸せに息を引き取ったかもしれない。あなたが子供を作るのを拒んだ時に、私はそう思ってしまったのよ」
「そんな、事……」
「妖夢。私は貴方の事大好きよ。貴方が居てくれて私は嬉しかった。貴方がいなかった生活なんて想像出来ないもの。想像なんてしたくないわ。今とても大変なんだから」
くすくすと笑う幽々子様から目を背け、目を伏せる。
勿論冗談を仰っているのは良く分かっている。それでも、私はそんな言葉を聞きたくなかった。
「幽々子様―――」
「ねえ」
言いかけたところに言葉を被せられ、途中で言葉が途切れる。
「妖夢は今の自分が嫌い?」
「それは、どういう……」
「ねえ妖夢。子供を作らなかったこと、後悔しているのかしら」
「それは……」
「私はね、妖夢が子供を作らなくてくれて良かったと思ってる。だって、こんな思いはもう味わいたくないから」
「ですが、それでは……」
「ねえ妖夢、答えて。妖夢は、今の自分が嫌い?」
じっと、真紅の瞳が私の瞳を上から覗き込んでくる。
美しい髪が私の頬へと当たり、微かにくすぐったい。
幽々子様は微笑んでいる。
それは、私のためだろうか。
それとも、自分のためだろうか。
私は、ゆっくりと目を閉じる。
「はい。嫌いです」
「……そう」
それを聞いた幽々子様の顔がゆっくりと離れていくのを私は目を閉じながら感じていた。
「私は、幽々子様のお役に立ちたいのです。それでも、この身体は言う事をきいてくれません。ですが、そんなことは分かっていました。そして、私が居なくなれば幽々子様のお世話をすることが出来る人が一人も居なくなるという事も分かっていました。それでも、私は幽々子様にずっと御仕えしたかったのです。私一人が、幽々子様に御仕えしたかったのです。他の誰かが、幽々子様に御仕えしている所なんて見たく無かったのです。私の我がままなのです」
一気にそこまで言った所で、ゴホッ、ゴホッと私は咳き込んだ。
もうこの身は喋る事ですら困難となりつつあるらしい。
幽々子様がどんな表情をしているのかなんて見たくなかった。
相変わらず微笑んでいるのだろうか。
それとも、悲しそうな表情を浮かべているのだろうか。
それとも、幻滅されてしまったのだろうか。
私は従者だ。
主に仕えることが仕事だ。
そして、その従者が主の不利になるようなことをすべきではないと分かっていた。
それでも、それでも。
どうしてもそれだけは譲れなかった。譲りたくなかった。
何度も、何度も自問自答はした。
何度も、何度も、何度も、自分を説得しようと試みた。
それでも、私は駄目だった。
幽々子様に他の誰かが使え、あの笑みを、私以外に向けて欲しくなんか無かった。
つ、と涙が頬を伝って流れ落ちた。
「ならば、もう終わりにしましょう」
ふわり、と閉じたままの視界の内に輝く蝶が浮かび上がる。
(幽々子、様……?)
目を開けようとしても、目が開かない。
声を出そうとしても、声が出ない。
漆黒の世界を、ゆっくりと蝶が満たしてゆく。
それと同時に、私の身体がゆっくりと消えてゆくのを私は感じた。
「おやすみなさい、妖夢。もういいのよ」
(幽々子、様……)
死を操る程度の力。
幽々子様は今それを私に向かって使っているのだろう。
だとすれば、この身は抗うこと等出来はしない。
私の半身である魂魄が、私からゆっくりと離れてゆくのを感じる。
この繋がりが完全に途切れた時、私は死を迎えるのだろう。
「さようなら、妖夢。楽しかったわ……ありがとう」
消えゆく意識の中。
幽々子様が静かに舞っている光景が見えた気がした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
足元に散らばっている銅銭を丁寧に拾う。
一枚一枚拾い集め、汚れを拭き取ろうとまで考えた所で自分が何も持っていないことに気が付いた。
少し考え、後で洗えば済むことなんだしと思い服の袖でその銅銭を丁寧に拭き取っていると、上から威勢の良い声が聞こえてきた。
「なあ、あんたは銭を何枚持っているんだい?」
「……銭、ですか?」
懐を漁ってみるが、銭は一枚も入っている様子は無かった。だから、正直に言う。
「銭なんて一枚も持っていませんけど」
「じゃあその手に持っているのは何なんだい?」
その赤髪の少女が口元に軽く笑みを浮かべさせながら、岩からさっと飛び降りる。
「あたいの目が確かならちゃんと六枚もっているじゃないか。嘘をつく必要なんてあるのかい?」
「え、でも、これは……」
拾った物だ、とまで言おうとした所で片目を瞑った少女が私の口の前に手を突き出してきた。
「ああ、元の持ち主が誰かなんて関係ないんだ。『今』のあんたが何枚銭をもっているのか、という事が重要なんでね。さっきはさっき。今は今。あたいは『今』何枚もっているんだい? ってきいているんだよ」
「はあ、それでしたら六枚ですけれど……」
その答えを待っていたのか、少女がパン、と両手を打ち鳴らす。
「そうかい、じゃああたいが向こう岸までおくってあげるよ。六文なら話す時間はたっぷりとあるね。こいつあ今から楽しみだ」
「話って………私殆ど何も覚えていないんですけど」
その答えは分かっていたとばかりに、少女が頷く。
「ああ、そいつもしっている。あたいは生きていた頃のあんたをよーく、しっているんだ。だから、あんたの人生がどうこう、という話なんてきくつもりはないんだよ」
「じゃあ………?」
要するに、だ。と少女は続ける。
「あたいは、あんたと話したいって言っているだけなんだよ。ああ、嫌ならそう言ってくれると嬉しいね。そしたらあたいは他の―――」
「いえ」
少女の言葉を途中で私は止める。
他人の話に途中で押し入るなんて失礼なことだとは分かっていたのだけれど。
それでも、私は。
「よろしく―――御願いしますね?」
首を軽く傾げながら満面の笑みを浮かべ、私は少女の方へとゆっくりと歩み寄ってゆく。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
この話をしたのがいつだったか、私は良く覚えていない。
そもそも、こんなことが本当にあったのかどうなのかすら私は分からないのだ。
何度思い出してみても、季節すら思い出せない。
私が仕事をしているのはいつもの事だとしても、さすがにおかしいと思えてくる。
春なら春。夏なら夏。秋なら秋。冬なら冬。
どの季節であろうとなにかしらの特徴が現れる。
けれど、この思い出にはそれが無いのだ。
「なあ、妖夢。妖夢は自分が死んだらどこへ行くと思う?」
「どこへ、ですか?」
「ああ。どこへ、だ」
その言葉に私は少し首を傾げる。
「そうですねえ……ちょっと想像もつきません」
「どうしてだい?」
「私は半分が人間で、半分が魂で出来ている存在ですから」
「はは、まあそうかもしれないけどね」
「笑う事無いじゃないですか。私は真面目に話しをしているんですよ?」
快活に笑う赤髪の死神に、ちょっとむくれた顔で上目遣いに睨む。
「小町さんは、私が死んだらどこへ行くか知っているんですか?」
「ん、あたいかい?」
「はい」
「いいや、知らないよ。あたいも死神やって長いけど、未だに生きていた頃に半人半魂だった存在を船で運んだ事はないからね」
「じゃあ、何でそんな質問を?」
「まあ、気にしないで欲しいね。ちょっとした気まぐれだよ」
「はあ、そうですか……」
私は首を軽く傾げた。
それを小町さんは楽しそうに笑いながら見ていた。
「あ、じゃあそろそろあたいは仕事に戻らないと」
「そうですか。では私も仕事に戻りますね」
「相変わらず妖夢は働き者だね」
「ええ、まあ。働くの好きですし」
じゃあな、と去り際に言葉を残し、小町が雲の中へと消えてゆくのを私はじっと見つめていた。
これが私が小町さんと会った最後の日。
冥界との境が紫様によって修復され、小町さんは白玉楼へと来る事は出来なくなった。
そして、私も身体を壊し、遠出が出来なくなった。
いつのことだか分からない。
もしかしたら、私が勝手に作り上げてしまった思いでなのかもしれない。
だとすれば、これは何なのだろうと何度も考えた事はあるのだけれど、結局その答えは出ず終いだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
私は彼岸に立っていた。
彼女の話によると、この先には閻魔様がいて、私の生について事細かく断罪をするらしい。
私が何も覚えていなくとも、それは関係ないとの事。
なんていうかそれはそれで理不尽な気がしたけれど、そういう決まりならばどうしようもないのだろう。
それに赤髪の彼女の話では私は真面目に生きていたようで、少なくとも悪人ではなかったみたいだ。
けれど、彼女の話では本人が無意識に行った罪等も全て断罪されるそうで、どんな善人だったとしても裁判がすぐに終わる事は無いとか。
「ありがとうございました」
結局、名前は教えてもらえなかったけど。
私の名前も、彼女の名前も。
深々と頭を下げる。
彼女の話によると、六文以下だとこの川を渡れないらしい。
そして、私は何も持っていなかった。
「ああ、あのさ」
去ってゆこうとする私に彼女が後ろから声をかける。
「なんですか?」
私が後ろへと振り向くと、彼女がぽりぽりと頬を掻きながら不自然に目線を逸らしながら口を開いた。
「あたいが何のことを言っているのか良く分からないだろうし、これは言って良い事なのかもわからない。それに、あんたはもうすぐ忘れてしまうという事も分かってる」
「……はい」
「それでもさ、一応言わせて貰うよ」
そこで、ゆっくりと彼女は目を閉じる。
数回大きく深呼吸をしてから目を開き、私の瞳をじっと見つめてきた。
「待ってる、から」
それだけいうと彼女はさっときびすを返し、再び私が乗ってきた船に乗ると、後ろも振り返らずにゆっくりと船を漕いで去っていった。
その後姿は三途の川の霧によってすぐにかき消されてしまったが、私はじっとその場に立ち尽くしていた。
「―――――」
どこからか、声が聞こえた。
誰だろう。まるで自分が喋っているように聞こえたのだけれど。
「―――――」
ゆっくりと辺りを見渡す。
すると、遠くに二つの人影が立っているのが見えた。
「―――――」
声はそちらから聞こえてくる気がする。
私はゆっくりと身体をその方向へと向けると、一歩ずつ、ゆっくりと歩き始めた。
「―――――」
近づくにすれ、声が大きくなる。
顔が判別できるぐらいに近づいてきたとき、二つの人影のうちの一つがゆっくりと私の方へと歩み寄って来るのが見えた。
「―――――」
とても懐かしい感じ。
見た覚えがあるはずなのに、どうしてもその姿が思い出せない。
「―――――」
その目の前に立った銀髪の少女が、笑みを浮かべながら私の手をゆっくりと引く。
まるで、早くもう一人の人影の所へ行こうと行っている様に。
「―――――」
もう一人は緑色の髪をした少女だった。
優しそうな微笑を浮かべながら、私の方をじっと見つめている。
「―――――では」
私と銀髪の少女が彼女の近くまで歩み寄った時、少女がゆっくりと口を開く。
懐から小冊子の様なものを取り出し、それに視線を落とした。
「断罪を、始めましょう」
―――――遠くから、懐かしい声が聞こえて来た様な気がした。
Fin
ラストの部分で読みながら感じた投げ出されてしまった感覚、ひょっと
したらそれが死の感触なのかもしれません。
エロい事ばっかりじゃなく、偶には真面目に生と死について考えてみる
のも良いかもしれませんね。
この作品を読ませていただけたことを感謝します。