目の前には一面の花畑。
様々な色の花々の中にただ一本の紫の草。
月の光に照らされた丘で、
少女はたった一人のいとおしい人を想う。
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「紫の一本(ひともと)ゆえに武蔵野の花は皆がら哀れとぞ見る」
「なによ、メリー。いきなり俳句読んだりして。俳人にでもなるつもりなの?」
「これは短歌よ。俳句は五七五。さらに言えば私は俳人にも歌人にもなる気は無いわ」
「そりゃそうね。わざわざ大学で相対性精神学なんて難解極まりないものを勉強しておきながら、編み笠を被って全国行脚なんてしだしたら、メリーのご両親もびっくりね。とうぜん私もびっくりだけど」
「だからしないって。それにこの歌は私が考えたんじゃないわ。古今和歌集の歌で、詠み人は…………、うーん、ど忘れしちゃったみたい」
「まあ別にそれはいいんだけど。なんでいきなりその歌を?」
「ええ。それはね…………」
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「ちょっと、蓮子さん! なにぼんやりしてるんですか!」
「えっ、あ、ごめんなさい」
「人が見ていないからといってさぼるようじゃいけませんね。いくら今が忙しくない時期だといっても、普段からちゃんとしてもらわないと困ります」
「はい。すみませんでした」
まったくもう、とつぶやきながらパートのおばさんがレジの方へ歩いていった。
あー、いけない。ちょっと意識が飛んでたみたい。気合を入れなおさなきゃ。
「蓮ちゃん、災難だったね。あのおばさんはちょっとバイトの子が休んでいるのを見つけると、すぐに文句いってくるの。今度からはあの人の前では注意してた方がいいよ」
「あ、はい。わかりました」
「バイトの初日は、わけわかんないから、かなり疲れるとおもうけど、こんなの2、3日もすれば慣れちゃうから。それじゃ、がんばってね」
「はい。ありがとうございます」
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その後は、とくに怒られることもなく、私の大型薬局店でのバイト初日は無事終了した。
先輩の言っていたように、今日はわからないことだらけでかなり疲れたから、すぐにでもシャワーを浴びてベッドに入ってしまいたい。
でも、それをするわけにはいかない。
これから大学に行って、自分の研究の続きをしないといけないのだ。
大学生としての4年間が終わった後、私はそのまま大学院で研究する道を選んだ。
景気がようやく上向きになってきた今こそ就職のチャンスとばかりに、周囲の人たちは次々と就職先を決めていったけど、私は親の反対を押し切って、勉強を続けることにした。
超統一物理学は、大学の4年間で、そのほんの一部に触れることができるに過ぎないほどに奥の深い学問だし、これから内容が面白くなっていくというときに、社会人になって、研究から離れてしまうのが嫌だったのだ。
ただでさえ私が物理の分野に進むことに反対だった父親は、この私の選択に対して、たいそう怒りを爆発させたので(ほんっと頭の固い人!)、経済的に苦しくなった私は、朝早くから日が完全に暮れるまでバイトをして、それから研究をするという生活をおくることになってしまった。
ただ、それは自分が望んで選んだことだし、今の厳しい生活も、夢を目指して自立した結果だと考えると、そんなにはつらくない。
ぐぐ~
……でも、空腹だけはなんとかしたいわね。
途中のコンビニでなにか買おうと決めて、歩くスピードを上げた。
少し進んだら、すこし時期はずれの春一番が私の髪を舞いあげた。
『……それはね。この歌の意味は………』
その強風に運ばれた花の香りが、私の頭に、金色の髪の親友を思い出させた。
そうか、こっちの方には、あの日、二人で話をしていた花畑が……
私は、大学から90度違う方向の道へと進んだ。
あの日、メリーと花を見ていたあの丘へ行くために。
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「ええ、それはね。この歌の意味は、一本の紫草のために、武蔵野にある草がすべて懐かしく思える、というものなの」
「ふーん。たしかにそこに、一本だけ紫色の花があるわね」
「それは赤紫蘇だから、花というよりも草なんだけどね。それでこの歌には、こんな思いが込められているの。
ただ一人のいとおしい人のために、縁(ゆかり)のある人たちは皆いとおしく思える、という思いが」
「へー、そーなんだ」
「これが由来になって、紫色は別名で縁の色と言うようになったの。赤紫蘇の葉を干して粉にしたものをゆかりとよぶのはこのためね」
「なるほどー。勉強になったわ。でも、どうして急にそんな話をしたの?」
そのとき強い風が吹いて、親友の綺麗な金色の髪が舞いあがった。
「紫色はゆかりの色。いとおしい人を思い出す色。
蓮子。もし、私達が離れ離れになったら、
あなたは、紫の草を見て、私を思い出してくれるのかしら」
「うーん。メリーの場合は、紫色というより、金色の花のほうがイメージに合うわね。キラキラと派手に光っているようなやつ」
「あら、それじゃ蓮子を思い出すには黒い花を見ないといけないわね。黒バラとか」
そう言って私たちは笑っていた。
青く晴れた日の丘の上で、私とメリーが笑っていた。
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その2ヵ月後、
メリーが消えた。
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私はいつのまにか走り出していた。
人気の無い郊外の道を、月明かりを頼りに走っていた。
あの日、二人で笑っていたあの丘へ。
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「私ね。ついに結界が操れるようになったの」
メリーがいなくなる前日に、彼女は私にそう言って笑顔をみせた。
「へー。それはすごいじゃないの。これからはわざわざ結界の境目を探しださなくても、向こうから境目がやってきてくれるというわけね。今後の秘封倶楽部の活動が楽になって結構結構」
そのときは、ただの冗談だと思っていた。
「ねえ、蓮子。もし私が人間を超えた力を……、ばけものじみた力を持つようになっても、
あなたは友達でいてくれるかしら?」
そう言ってメリーはすこし悲しそうに微笑んだ。
それを見た私は、自分の帽子をぬいで、メリーの頭にかぶせた。
ぽすっ
ちょっとおどろいた表情のメリーに、笑いながら私は言う。
「だいじょーぶよ。私とメリーはこれからもずーっとずーっと親友だから。秘封倶楽部は永遠に不滅です!
その帽子はメリーにあげるわ。私がそばにいないときはそれをかぶってなさい」
「ふふふ。ありがとう、蓮子。
でもいいの? この帽子は蓮子のトレードマークなのに……」
「全然だいじょーぶ。私その帽子、全部で20個以上持ってるから」
「蓮子。それ買いすぎ」
ひとしきり笑って、メリーは帽子のつばをぎゅっとつかんだ。
「ありがとう。これ、ずっと大事にするね」
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途中からがむしゃらに走り出した私は、ようやくあの丘についた。
息をととのえながら目の前を見渡す。
そこには、あの日と変わらない一面の花畑。
色とりどりの花の中に、ただ一本の紫の草が、
ゆらゆらと風に揺れていた。
「メリーーーーー!!!!」
私は呼んだ。ただ一人のいとおしい人の名前を。
「メリーーーーーーーー!!!! メリーーーーーーー!!!!!」
私は叫んだ。最愛の親友の名前を。
メリー。ずっとずっと我慢してきたけど、もう限界なの。
「私はあなたに会いたいのよ、メリー」
私は大声で泣いた。
月明かりに照らされた丘で、たった一人で泣き続けた。
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「あの……、藍様」
「ああ、橙。紫様にご飯の用意ができたことをお伝えしたか?」
「あっあの、それでね、藍様。私、紫様を呼びに行ったんだけど……」
ん? 橙の様子がおかしいな。どうかしたのか?
「いつもの部屋に紫様いなくて、それであちこち探してたら、普段は結界で入れない部屋の戸が開いていて……」
ああ、外の世界から流れついた物で、特に紫様がお気に入りのものを保管している部屋のことだな。
部屋の内装が、まるでかわいらしい女の子の部屋みたいだったから、紫様にそう言ったら、
『あら、藍は私が女の子と呼べるような年じゃないと言いたいのね』
と言って微笑まれて、私は傘でばしばし叩かれたんだ。あれは痛かった。
「それでね。紫様がいないかなと思って、ちょっとだけ覗いてみたら……」
そうか、橙もあれを見たのか。
「紫様が、黒い帽子をぎゅっと抱きしめてて……、それで、それで……」
「もうそれ以上言わなくてもいい。橙、とりあえず落ち着きなさい」
そう言って橙の肩に手を置くと、橙の目に溜まった涙がぼろぼろとあふれだした。
「私これまで、あっ、あんな表情の紫様を……見たことがないよ……」
「大丈夫だ。なにも心配はいらない。さあ、このハンカチで顔を拭いたら、一緒に紫様をお待ちしよう。きっと、もう少ししたらこられるはずだ」
「うん……わかりました、藍様……」
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時も場所も遠く離れた二人の少女は、
お互いのことを想い続ける。
「ねえ、メリー」
『ねえ、蓮子』
「あなたがどこにいるのかわからないけれど」
『あなたに二度と会うことはできないけれど』
あなたのことを忘れない。
この命が尽きるまで。
おわり
この話、漫画にしたい...
素晴らしい!!!
とにかく、最 高 です!
P.S.
プチの秘封ショートコントも大好きです。
……意味ワカランが(核爆
nonokosuさんのハネムーンデイズ1~7(作品集14-16)とか読むと幸せになれるかも。
グっときました。とても美しいお話でした。
メリー…蓮子…。
2人がいつかどこかで再び巡り会えますように。
なぜ消えてしまったか分からなかった(俺だけか?)
えっ、・・・・・え・・・えぇぇええええーーーーーーーー!!!!!!
100でも足りてない
こんなにも短い文章で、どうしてこれほどまでの表現できるのかなあ。
良い話だ。
ありがとう!
短い文章の中だが、とても感動した。