意外と知られていない話だが、昼間にも星はある。
何を馬鹿なことを、と思うかもしれないが、あるものはあるのだ。見えないだけで、星はつねに頭上にある。ただ、昼間は太陽の存在感が強すぎて、星たちは遠慮して隠れているのだ。
夜はもう少しだけ違う。月は太陽よりも少しだけ優しいから、星はおずおずと顔を出す。月よりも小さな姿で、それでも強く自己主張をして瞬く。赤い星、小さい星、丸い星。それは星たちの性格であり、自己主張だ。
数が多いこと。一つではないこと。それこそが星の最大の特徴だ。
星は巡る。決して同じ位置にはいない。昼間見える星と夜見える星は、まったくの別物だ。一種一個の太陽や月と比べて小さすぎる星たちは、留まることもできず、ふらふらと夜空をさ迷っている。
多すぎる星は、本来は迷子の象徴なのだ。
自分も迷子なのだろうか、とスターサファイアは一人森の中を歩きながら思う。
一人で、である。
二人でも三人でもなく、一人で、である。
三月精の名の通り、スターは本来三人で固まって行動をしている。日の光サニーミルク、月の光ルナチャイルド、星の光スターサファイア。悪戯好きな妖精の彼女らは、三人一組の悪戯を得意とする。能力の効果が些細すぎて、一人きりでは大したことはできないからだ。
スターの能力は、生物を補足するだけの能力。
あくまでも悪戯の『とっかかり』を創るだけに過ぎず、彼女一人では何もできない。それは他の二人も同じだけれど、スターはそれがとくに顕著だった。補足するだけの受動的な能力。
ならばなぜ、スターは森を一人で歩いているのか。
――そう。
彼女は今夜、悪戯をするために、森を歩いているのではないのだ。
ルナチャイルドが十六夜の刻に、月の欠片を捜しに森を歩くように。
スターサファイアもまた、新月の日に、あるモノに会いに森を歩くのだ。
新月。
完全に月のでない夜。空を見上げれば星しかいない。
スターが独りなのは、新月の夜だからでもあった。月も日も完全に姿を消すこの日この時間には、ルナチャイルドもサニーミルクも元気がない。ただ一人、外からの影響を受けないスターサファイアだけがいつもと変わらない夜。
この夜が、スターは好きだった。
第一に、星の光がよく見える。月も日もないこの夜には、星たちは何の遠慮もなく光り輝いている。この夜ばかりは星が主役なのだ。
第二に、この時間は妖精のための世界だった。
人の大半は日の影響を受け、妖怪の大半は月の影響を受ける。どちらもないこの夜には、人も妖怪も姿を見せない。誰もがねぐらに帰って静かに寝ている。
蟲の声すらしない。
そこにあるのは、星の光が降り注ぐ音だけだ。
こんなに静かだと、星の喋り声すら聞こえるような気がして、スターは心躍らせた。
――お出かけ?
声がした。人のものでも妖怪のものでもない、ひどく曖昧な古い声。どこか楽しそうな声。
声の主の姿は見えなかった。
けれどスターは、その存在をすでに補足していた。
語りかけてきた相手は、隣の木だ。
古い古い木。そして、新しい魔法の木。永い間生きて妖精になった、まだ新米の幼い魔法の木。古びたおじいさんのような魔法の木たちは、たいてい寡黙でぶっきらぼうだ。話しかけてくるのは、彼のような若い木たちだけだ。
「そう、お出かけ。ふふっ」
スターは跳ね、笑いながら答える。彼女が動くたびに、星の光が彼女に当たって跳ね零れる。
星の宝石のように綺麗なスターを見て、木も楽しい気分になる。
若い木は、世界を愉しむ心を持っている。
それはまるで妖精たちのように。
――楽しい?
木の問いに、スターは満面の笑みを浮かべて答える。
「こんなに星が明るいから、楽しい夜になりそうでしょう?」
跳ねながら歩く。こんなに楽しい夜に、のんびり歩くことはできなかった。急いで飛ぶことなんてしたくなかった。
踊るように跳ね、全身で星の光を浴びながら、スターは進む。
――どこに。どこに? どこへ行くの?
また別の声が聞こえる。幼い少女のような声。
スターには、それが誰なのか、どこから聞こえてくるのか、分かっていた。
木の側に生える、オレンジ色の花からだ。
魔法の森ではよくこういうことが起こる。魔力の密度が高すぎて、植物や動物がそれ以上のモノに変わってしまうことがよくある。もっとも、彼らの声は小さすぎて、人には届かない。
太陽の下で、星の光が見えないように。
その声を聞くのは、自然に耳を傾ける妖精たちだけだ。
この森に住む黒白の魔法使い。彼女は、自宅の庭の花たちが、彼女のずぼらさを笑っているなど知らないだろう。
そのことを思い出し、スターは口元を抑えてくすくす笑う。
ひとしきり笑ってから、スターは答える。
「どこかへ行くの。星の綺麗な場所を探して、星の欠片を捜して」
オレンジの花がかすかに揺れる。いいないいな、とその花びらが語っている。
あの位置からだと星は見えないだろうな、とスターは思う。
月と星と日の光を浴びるためにすくすく伸びた木に邪魔されて、花たちは夜空を見られない。かすかに降り注ぐ光を浴びるのが精一杯だ。根をはることで土伝いに栄養を貰えるが、根を張ったせいで歩くこともできない。何事も一長一短なのだ。
――迷う、迷う? 迷わないの?
花の問いに、スターは無い胸を張って即答する。
「迷わないわ。だって、【彼】がいるもの」
言って、スターは空を見上げる。
スターの見上げるそこには、一際輝くひとつの星があった。
北の空。昼も夜も月も日も関係なく、常にそこにいる星。
子の星、ポーラー・スター。
迷子の救い手たる、空で一番優しい、北極星。
【彼】がいる限り、スターは迷わない。
自分は迷子ではないだろう、とスターは思う。
迷いようがない。星は位置を定めずさ迷い歩く。日は一日をかけゆっくりと昇り降りる。月は動く上に満ち欠けをする。
北極星だけが違う。
【彼】だけは、いつも変わらず、常にそこにいる。北の空を見上げればそこにいる。変わらぬ輝きで、遠くから見守っていてくれる。
だからスターは、星の綺麗な新月の夜に、北極星を目指して歩く。
スターが持つ能力は、生物を補足する能力。
永く永く生き、北の空にどっしりと居座る、優しい老人のような北極星を、スターが見失うことはない。
――連れてって、連れてって。わたしもつれてって。
空の彼方を、憧れと敬愛の目で見上げるスターに、オレンジの花が言う。
「いいの?」
スターは問う。そこには驚きはない、ただの純粋な疑問だった。
花は根付くことで生きている。
たとえ星が強い夜でも、星の光は微かなものだ。満月の夜には適わない。こんな日に引っこ抜いてしまえば、花は死んでしまうかもしれない。
そのことは妖精であるスターにはよくわかっていた。花が死んでしまうことに特別の感慨はなかったけれど、それでも問い返した。もし知らずに言っているのであれば少しだけかわいそうだったからだ。
けれど、花は、かすかに茎を振って否定した。
――いいの、いいの。連れてって。
死んでもいい、綺麗な星が見たい。オレンジの花はそう言う。
なら連れてってあげようと、スターは思う。
運がよければ生きるかもしれないし、そうでなければ死ぬだけだ。死んだら押し花にでもしてあげよう。花本人がいいというのだから、それは別に構わないことだ。
「いいわよ~。ちょっと痛いけれどガマンしてね」
ひょいと草の根元に座る。どこから喋ってるのだろうと観察するが、さすがに口は無かった。体全体から声を出しているのかもしれない。
右手で根元をそっとつまんで、左手で土を掻き分けた。
根が深いようなら茎を折ろうかと思ったが、花は幼い花らしく、そこまで深く根をはっていなかった。
そっと持ち上げ、根についた土の塊を払う。すべてがむき出しになった花は、思いのほか軽かった。
立ち上がり、花を胸元のリボンにひっかけてスターは再び歩き出す。
ふと思い立ったように、胸元の花へと視線を向けて、
「大丈夫だった?」
――平気、平気。行こう、行こう。
スターの問いに、花は楽しそうに答える。きっと、楽しくて仕方がないのだろう。いつもより高い視点が。いつもよりも星が近いということが。
スターも楽しくて仕方がなかった。この美しい星空の夜が。
きっと、空に浮かぶ星たちも楽しいのだろう。
森は静かに浮かれていた。妖怪も人もいない、自然と星だけの夜に。
木々の喋り声の中を。
花々の歌い声の中を。
葉々の噂話の中を。
星々の欠片の中を。
スターサファイアとオレンジの花は、北極星に導かれるままに、浮かれ跳ね踊り歌いながら駆けていく。
その姿を見るものは誰もいない。
そこにいるのは、星と森と、スターサファイアだけだ。
この美しい夜を、誰も知らない。
スターサファイアたちは、こっそりと、星の夜を愉しむ。
歩きながら。歌いながら。ときに立ち止まって空を見上げ、時に転がるように駆け出して。他愛のないことを話して。何も話さずただ静かに。巡る星のように、ころころと変化しながら。
動かない北極星を目指した。
そして――
――そして、そこにたどり着いた。
そこは何もない場所だった。とくに何があるわけでもない、魔法の森の一場所に過ぎなかった。
けれど、スターにはわかった。ここだ、と。ここを目指していたのだと。
あるいは、分かったのではなく、決めた。ここがゴールだと、この場所を見た瞬間に決めた。
そこには、何もなかった。
空を覆う天蓋のような木々が、そこには途切れていた。
十メートル程度の、ぽっかりと開いた空間。どこかの魔法使いが何かをやらかしたのか、それとも元々なのか、そこだけ切り取られたように何もなかった。
遮るもののないそこに、まるでステージライトのように星の光が降り注いでいた。
何もない、星の光だけの世界が、そこにあった。
「ここね」
――ここだね、ここだね。
スターはオレンジの花とうなずきあい、ぴょこんと、まるで役者がステージに出るかのように、その場所へと飛び入った。
空を見上げる。
月は見えない。月はどこにもない。
代わりに、満天の星空と。
決して代わりにはならない、強く輝く北極星が、はっきりと見えた。
「綺麗ね、やっぱり」
――きれい、きれい。
空を見上げて二人して言う。
深い森の中。ぽっかりと、そこからだけ、満天の星空が見える。木々の中にある窓のような、特別な空間。
綺麗だ、と。
それ以外に、何の感慨があるというのだろう。
「あなたをここに埋めてあげるわ。ここならよく見えるでしょうし」
スターは花をリボンから取り、何もない地面の端のほう、森との境目ぎりぎりに埋める。そこならば踏まれることもないだろうし、運が良ければ長生きできるかもしれない。
そこから先は、スターの知ることではない。
スターも、花も。この一夜が終わったら、そこで死んでもいいとすら思っていた。それほどまでに、星だけの世界は、美しかったのだから。
もう、言葉も、踊りもいらなかった。
美しさを表現するものは、何もいらなかった。
星たちは、ただそこにあるだけで、美しかったのだから。
花の隣にスターは座り、二人で夜空を見上げる。
延々と。
ただ静かに。
永遠とすら思える時間を、只々静かに、夜空を見上げる。
彼女たちは、星しか見えない。
星だけが、彼女たちを見ている。
……。
…………。
………………。
どれほどの時間が経ったのか。
スターには分からない。ずっとそうしていたような気もするし、まだ数分と経っていないような気もした。けれども、そんな彼女の思いとは関係なく、当然のように――
永い永い夜が、終わろうとしていた。
夜が明けていく。
太陽がゆっくりと顔を出す。
星々が隠れ始める。
一夜限りの星の世界を、スターサファイアは、最後まで静かに見届けた。
◆ ◆ ◆
翌日の朝。
「ね~スター。これなぁに?」
ルナチャイルドよりも少しだけ早く起きてきたサニーミルクが、机の上においてあるモノを見て、寝ぼけた声で訪ねた。
そこにあるのは、青白い、透き通った宝石だった。
小さな、丸い、涙のような宝石。
それは、お土産だった。
誰も知らない、美しい夜の、たった一つのお土産。
月も日もないから、地上まで届いた、星のかけら。
それを見るたびに、スターは思い出す。あの場所から見た空の景色を。ともに見たオレンジの花を。
彼女はどうしているのだろうか、と少しだけ考えた。
生きているのだろうか。あの場所から、星々を見続けるのだろうか。
ただ独り星を見上げる花を思い浮かべ、スターはくすくすと笑った。
それ見たルナが、怪訝そうな顔をする。
それに構わず、スターは楽しそうに言った。
「うふふ。これはね、お星さまよ」
昼間。日に隠れているだけで、星はそこにある。
それと同じように。
いつからあるのか分からないような、古い魔法の木。その中に住む妖精たちの家。
机の上には、星のかけら。
ポーラー・スターは、常にそこにあるのだ。
(あとがき【120/01/06】 に 続く のかもしれない)
読み終わって深いため息一つ。
こういう話ヤバイくらいに好きです、いい時間と幻想をありがとうございます。
それしか言えないほど素晴らしい作品でした。
良い曲を聴いた時のように背筋が震えるSSに出合ったのは久しぶりです。
前作もそうでしたが、人比良さんの視点は、斬新でそれでいて暖かいなぁ
後書き分も含めて、良い妖精たちでしたw
良い作品を読んでいる時間には別の世界へ小旅行に行く感じを覚えます。
久しぶりに「世界」を垣間見ることができました。
ありがとうございました。
世界に対する解釈も正に幻想そのもの。彼女と星への結び付けにこんな表現があるのだと思い知らされました。ただ美しいわけではなく、幻想的な美しさを演出していると思いました。
ここから、ピアノの音色が頭の中を足取り軽く踊り始めました。
心地良い幻視が出来て、起きながらに夢気分。
今宵はこのまま床に就くといたしましょう。
枕返しに気をつけつつ、おやすみなさい。
三月精は読めていないのが本当に残念でなりません。
そうか、星はいつもそこにあるのか……そうなんだよなぁ。
見上げる空に、これからは少しだけ安心しそうです。いつでも、きっと。
参りました。これは幻想郷すぎてすばらしい。
とても幻想的な作品でした。
素晴らしい物語を有難う御座います。
幻想郷の静かな夜の物語、堪能しましたです(礼
いい幻想でした。
本当に良い幻想でした。
いいもん読ませてもらいました。
こういう視点もあるのだ、と気付かせてくれる作品でした。
風景の息遣いすら感じさせてくれるようでした。
それはしかし、その上空では、星空がきらきらと黒瑪瑙のように輝いている……そう、彼女たちがみたような、終着点が、そこには一面に広がっている。
だが、そこへ行って見てみれば、スターチャイルドに会えるだろうか?
いいや、彼女の頭上に輝いたのは、まさにそこにしか降り注がない、そういう星ぼしの、悪戯好きな性質のものであったがゆえに……などと。
そう夢想するほどの夜空でございました。
三月精がもっと好きになりました。