Coolier - 新生・東方創想話

明るい魔族計画

2006/03/15 22:32:34
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 昼前から降っていた雪も、何時の間にやらうららかな午後の陽射しに取って代わられていた。

 春の気が立ってからもう十日程、山深くに存在する幻想郷でも、“魚、氷を上る”光景こそ見えずとも、春の気配は日
一日と強くなってきている。白一面だった世界からうっすらと覗く大地の色が、その事を何よりも雄弁に物語っていた。
そんな時期に於いて、それでも尚、空から降ってきたものが雨水(うすい)ではなく雪であったのは、冬の忘れ物の意地
だったのか、はたまた、小さな妖精が友人に宛てた贈り物だったのか。

「地元に居た時は、こんな事、考えた事も無かったわよねぇ……」

 小さな机の上で白い湯気を立ち上らせているティーカップを前にアリスは、そんな事をふと考えた。
 彼女が住んでいた世界にも、氷雪に一面を覆われている場所は在った。けれどもそれは、巡る季節の一部と言う訳では
なく、冷気の青白い色のみが其処の全てであった。変化の無い安定した、完成された世界。それが彼女の住んでいた世
界、魔界であった。
 其処を離れ、人間界に、幻想郷に来て初めてアリスは、四季と言うものの存在を知った。寒く暗い冬。長い長いそれが
過ぎ去って後、暖かな空気、空の青色、虫や花達の生命、そうしたものを伴って再生してゆく世界の鼓動を初めて感じた
時の想いを、アリスは今でもはっきりと思い出す事が出来る。尤も、彼女が幻想郷に来たその年の冬の長さは、そもそも
異常なものであったのだし、その次の年は次の年で、また異常に花が咲き乱れたりと、余り“普通ではない”春の訪れと
いうものしか、アリスは未だ経験していなかったりもするのだが。

 ――チリンチリン。

 突如鳴り響いた呼び鈴の音が、アリスの思考を遮った。一体誰が来たのだろう。そう考えながら、席を立って玄関へと
向かう。魔理沙なら一々ベルを鳴らしたりせずに勝手に入って来るだろうし、だとすると霊夢か。それ以外の来訪者に
ついては、取り敢えず思い当たる節が無い。
 だったら霊夢に違い無い。そう当たりを付けてアリスは、ゆっくりと玄関の戸を開いた。
 そこから吹き込んで来る外の空気は、先程まで雪が降っていたせいもあろう、少し冷たい。

「どうしたの、れ――――って…………え?」

 開け放たれたドアより覗く光景は、背景の雪と、そして――――……。






                       “明るい魔族計画”












『魔界、それは聖なる力!

 魔界、それは未知への冒険!!

 魔界、そしてそれは勇気の証!!!』






「――という夢を今朝見たんだけれど……どう思う、夢子ちゃん?」
「何で私に訊くんです?」
「いやほら、夢子ちゃんって“夢”子ちゃんって言う位だし」
「それだったら、あの巫女にでも訊いてみたらどうですか?」
「いや別に、神仏のお告げがあった訳じゃないから……」
「……まぁ、確かに、魔界の者が神仏の出てくる夢を見たりしたら、それはどうにも縁起が悪いですからね。
 尤も、『聖なる』だとか『勇気』だとかいう単語が出ている時点で、既に魔界には相応しくない気もするけど」
「あ。……でも、神は出てたわ。そう言えば。
 と言っても、黒い蛸みたいでとてもお腹を空かせているのとか、そいつに食べられちゃうカリフラワーとか、そんな神
ばっかりだったけど」
「嫌な夢ですね」
「そうでもなかったわよ?
 最後には……――――あ。
 ……あぁ、そうか。そうね、成る程。うん」
「?何だかよく判りませんが、自己解決をしたのならさっさと朝食を食べて下さい。



 ――いえ、もう昼食ですね。さっさと昼食を食べて下さい――……。



 ……――ルイズさん」

 全ての悪魔が集まるとされる宮殿、パンデモニウム。造物主に反旗を翻して地獄へと追い遣られた堕天使の長が造り
上げたとも、隕石を操り今わの際には「ウボァー」と叫ぶ醜悪な皇帝が呼び出したとも伝えられている魔城。
 黄金と貴金属に彩られたその壮麗な万魔殿を支配する者が実は、そびえ立つたくましいアホ毛がチャームポイント、人
気はあれどカリスマ無し、東方歴代ラスボスの中で唯一、一作にしか登場せずプレイヤーキャラになった事も無い、そん
な“神”であるのだと、そんな事を知ったのならば、英吉利の詩人もヒゲの偉い人も、一体、どの様な思いを抱くので
あろうか。
 とも有れ、そんな素敵な神様が支配する宮殿の中、燭台の載った大きな机とそれを取り囲む七つの椅子が在る部屋で、
二人の少女が朝の挨拶を交わしている。尤も、“朝の挨拶”だと思っているのは、白いテーブルクロスの上にだらしなく
顎を乗せ、眠たそうな薄い目をしている「ルイズ」と呼ばれた方の少女のみ。もう一方、明らかにそれと判る衣装に身を
包んでいる「夢子」と呼ばれたメイドは、これから昼の支度を始める所だったのである。 

「ねぇ、ところで夢子ちゃん。おかぁ……」

 言い掛けて、ルイズは慌てて口を塞ぎ、そうして夢子の方をそっと見遣る。その視線の先で彼女は、何も言わずにトー
ストと珈琲の載せられたワゴンを押していた。
 やがて机の上に運ばれたそれら、香ばしい匂いを漂わせる珈琲と悪魔の様に黒いトースト。何かが間違っている、そん
な気がするルイズ。前者は邪魔無いにしても、後者にはどうも悪意を感じる。今の言い掛けた言葉が聞かれたか、それ
とも、単に寝坊をした自分に対しての当て擦りなのか。
 何れにせよ、この“次女”、真面目なのは良いがちょっとそれが過ぎる様にも感じる。そんな事を考えつつ、“長女”
は自らが途切れさせた言葉の続きを口にする。

「――神綺様は居ないの? まだ寝ているのかしら?」
「とっっく、に起きていますよ。何かのセミナーに出席する、と言って出掛けました。戻るのは夕方近くになるそう
です」

 地獄の様に熱く、けれど恋の様に甘くはない、そんなトーストを齧りながら次女の言葉を聞く長女。次女が怒っている
のは、どうやら寝坊の方らしい。取り敢えず、この黒炭みたいな物体を相手にバターもジャムも何も無い、というのは
勘弁して欲しかった。

「サラちゃんはお仕事だとして……ユキちゃんとマイちゃんは?」
「遊びに行っていますよ。多分、いつもの氷原じゃないですか?」
「三人とも、夕食迄には帰ってくるわよね?」
「特に何も言っていませんでしたから、まぁ、いつも通りだと思いますけど」

 夢子の返事を聞きながらルイズは、今朝見ていた夢の事を考える。あの夢がどんな意味を持っているのか、それについ
ては、既に自分なりの解釈を終えている。なれば後は、その夢が示す事に従って、実際の行動を起こすのみ。

「夢子ちゃん。私もちょっと出掛けてくるわね」
「……また旅行ですか?」
「そ。素敵で夢いっぱいな昼の人間界旅行」
「何処かで聞いた事がある様な無い様な科白ですね、それ」
「気のせい、気のせい♪
 晩御飯迄には帰ってくるから、食事の用意は全員分、ちゃんとお願いね」
「……ルイズさんの場合、『いついつ迄に帰ってくる』っていう言葉は、余り信用出来ないんですけどね」

 そう言って、綺麗になった皿をワゴンに戻す夢子。真逆、あれを完食するとは思っていなかった。言ってさえくれ
れば、ちゃんとした物を持って来る心算だったのに。メイドは何だか、妙な罪悪感を感じていた。

「あら、夢子ちゃんってば酷い」

 珈琲片手に、妹の言葉に頬を膨らますルイズ。尤も彼女は、何の前触れも無くふらっと旅に出掛けて、そのまま連絡も
無しに何日も帰って来ない、そんな事がちょくちょくある、所謂放浪癖の持ち主であったので、夢子の懸念は当然の事
だとも言えた。

「遅くなる様でしたら、ちゃんと連絡、入れて下さいね」
「は~~い♪」

 気持ちの良い返事を一つ、空になったカップをソーサーに戻してルイズは席を立つ。
 お気に入りの白い帽子を手にして、部屋から出て行こうとする彼女の背中に、

「――それと、改めて言っておきますが」

 夢子が声を掛けた。

「我々魔界人は神綺様が創造したものであり、そういった意味に於いては、確かに“神の娘”とも言えます。
 けれども、だからと言って、私達の方から神綺様の事を『お母さん』等と呼ぶ様な行為は余りにも畏れ多い事であり、
例え神綺様が何と仰っても、我々はあくまで、畏敬の念を持って、神であり、全ての造物主たる――――――――」



                           ◆



「……もぅ、夢子ちゃんってば、本当にお堅いんだから。お母さんが『お母さんで良いのよ』って言っているんだもの、
お母さんで良いじゃない」

 パンデモニウムを出て直ぐ、辺り一面が冷たい青の色に染められた氷雪世界。人によっては“裏切り者の地獄”“嘆き
の川”“コキュートス”等とも呼ぶ、その世界の上空を飛びながらルイズは一人、妹への愚痴を口にする。
 彼女が部屋を出る直前に始まった夢子のお説教。今迄に何度も――それこそ、その内容をそらんじる事が出来る程に
――繰り返し聞かされた話を、わざわざ最後まで聞いてあげるほど殊勝な性格をしているルイズではない。夢子の小言が
始まったのをまるで気にもせず、彼女は部屋を後にしていた。そんな姉を引き止めなかった点を鑑みるに、若しかしたら
夢子は、未だに部屋で一人、誰も居ない空間に向かって延々とお説教を続けているのかも知れない。
 そんな妹の姿を想像して、夢子ちゃんってば可愛い、と、小さく笑みを溢す長女。

「……ルイズ姉様、一人で笑ってて気味悪い……」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな、そんな蚊の鳴く様な小さな声に動きを止めるルイズ。

「何言ってるのよマイ。ルイズ姉さんは笑顔が表情の基本なんだから、今更気味悪いも何もないじゃない」
「…………」

 声のする先、凍れる大地の上に立つ黒と白の二人の少女。長女をフォローしているのか、それとも軽く馬鹿にしている
のか、やや判別し難い言葉を口にする黒魔法使い、ユキ。そんな双子の姉に対し、無表情な、それでいて何処と無く不機
嫌そうな空気を纏った顔で、何も言わずに見詰め返している白魔法使い、マイ。
 “神綺の娘”達の中でも、双子の姉妹として特に仲が良く、何処へ行くにしても何をするにしてもいつも一緒。
 そんな二人を見る度にルイズは、雪は白いんだから白い方がユキだと判り易いのに、と、そんな事を考える。

「で、何してるの、ルイズ姉さん? また観光旅行?」

 中空からゆっくりと降りて来る姉に対して、答のほぼ判り切った問いを投げ掛けるユキ。

「ええ。ちょっと、人間界までね」
「人間界?……あの巫女や魔法使い達には気を付けてね」
「ありがと、ユキちゃん♪
 ところで、ユキちゃんとマイちゃんは何を?」
「何って訳でもないけど……マイが蛙を欲しいらしくって、それで探してるのよ」

 蛙。その予想外の単語に、片目だけを僅かに開くルイズ。たったそれだけの変化から長女の驚愕の様を読み取ったユキ
は、何故そんなものを探しているのか、その説明を始めた。
 この人の瞳の色って、そう言えば自分やアリス、夢子姉さんと一緒だったんだっけ。そんな事を思いながら。

「何かね、人間界で流行っている遊びがあるらしいのよ。確か、蛙を凍らせてそれで……。
 ……それでどうするんだっけ、マイ?」
「…………」
「ちょっと、マイ?」
「…………。


 ……凍らせた蛙を、思いっ切りユキに投げ付けるの……」
「そうそう! 思いっ切り私に……って、あれ? そんな遊びだったっけ??」
「……全身を凍らされて、それでもまだ死んではいない、そんな蛙をユキの顔面に叩き付けて、ばらばらに砕け散って
いく醜い小動物の肉片と、それと一緒になって飛び散る赤い血潮を、花の散る様に見立てて愉しむ。そういう遊び……」
「え? さっき聞いた時は確か、凍らせたのを溶かすとどうだとかこうだとか、そんなんじゃなかったっけ?」
「…………」
「ちょっと、ねぇ、マイ?」
「…………」

 頭上に“?”が見えてきそうな、そんな様子で頭の横に人差し指を当てているユキを尻目に、再び口を固く閉ざす
マイ。相も変わらず、何を考えているのか読みづらい、そんな顔で。けれど、何となく愉しそうにしている感じがする。
そんな風な事を考えるルイズ。

「何だかよく判らないけど、随分とハードな遊びなのね」
「え? あ、うん、そうな……の??」
「ユキちゃんは偉いわね。マイちゃんの為に、そうして身体を張ってまで頑張ってあげるんだから」
「そ…………そ、そうなの……よ。そう! そうなのよ!」

 長女の言葉に在った「偉い」という単語。それが、ユキの迷いを払拭した。

「ほら、マイってさ、内向的って言うか弱気って言うか、正直、ちょっと頼り無い所が有るじゃない?
 だからさ、お姉さんの私がしっかりしてやらないと、ね!」

 そう言ってユキは、誇らしげな顔でその小さな胸を張る。そんな妹を見てルイズは、嬉しそうに口元を綻ばせた。

「それじゃ、マイちゃんの事、頼んだわよ? ユキちゃん」
「うん! 任せてよ、ルイズ姉さん!」

 明るく元気の良い声に目を細め、そして今度は、双子の妹の方に顔を向ける。
 あさぎ色の柔らかい髪の毛の上に手を乗せて、優しく頭を撫でながらルイズは、マイの耳元に口を寄せ、小さな声で
そっと囁いた。

「……この世界に於いてお母さんは、そもそも、蛙なんて創っていたのかしらね?」
「…………!」
「初めから存在しないものを、そんな事を知らずに必死で探す。その様を横で眺める」
「…………」
「万が一、見付かったら見付かったで、今度はまた適当な嘘を並べて――」
「…………」
「――あんまり、ユキちゃんを苛めちゃ駄目よ。ね? マイちゃん」

 人差し指を一本、互いの顔の真ん中に立てて、長女はにっこりと微笑む。マイの方は、変わらず無表情で押し黙った
まま。

「それじゃ二人共、晩御飯迄にはちゃんと家に帰りなさいよ~~♪」

 そう言ってルイズは、大きく手を振りながら再び宙に舞う。
 その白い背中がやがて、涙すらも凍る薄暗い青の世界の空に消えて後、



「…………。
 ルイズだけには言われたくないっての!」

「!? え、何?」

 突如耳に入った低い声に、驚き慌てて振り向くユキ。

「マイ、今、何か言った?」

 其処に在るのは、

「…………」

 何も変わらず、いつもの無表情で沈黙を守っている妹の姿のみ。

「……気のせいかしら……?」

 多少の違和感を残しつつも、まいっか、の一言で全てを綺麗に片付けてユキは、妹を連れて再び、蛙を求めて凍土の上
を歩き出した。



                           ◆



「おっ早う、サラちゃん。お仕事、お疲れ様~~♪」

 昼も過ぎて結構経つのに、今更お早うもないだろう。
 能天気な声で手を振っている長女を見遣りつつ、そんな事を考える魔界の門番、サラ。
 どうもあの人は能天気過ぎる。明る過ぎる。一応は魔界の民だと言うのに、あの何処ぞの避暑地のお嬢様みたいに爽や
かな服装と笑顔はどうだろう? マイ姉のは、まぁ、一種の皮肉みたいなものとして考えればアリだと思うが、ルイ姉の
はどうも……――。

「――いや、でも、それを言ったらユメ姉のもかなり訳が判んないわよねぇ……」
「? どうしたの。一人でぶつぶつ言って」
「あ!? いや、別に、そのっ! きょ、今日も綺麗ね、ルイ姉っ!」
「有難う、サラちゃん」

 いつのまにやら直ぐ目の前まで迫っていた長女の顔に驚いて、自分でも訳の判らない返事を返すサラ。

「でっ……で、どうしたの、こんな所に? 若しかして、人間界に行くから扉を開けろ、とか?」
「正解。で、どうすれば良いかしら? サラちゃんを倒せば――」
「ちょっと待ってて。今、開けるから」
「――良いのかしら……って、あれれ?」

 随分とあっさり開けちゃうのね。不満そうな顔でそんな言葉を口にするルイズに対して、軽く溜め息を吐いてサラは
応える。

「門番の仕事は外敵の侵入を防ぐ事だからね。内側から出て行く者をどうこうする必要も無いでしょ」
「あら? 本当の門番は、内側から出て行く者もどうこうしなきゃ駄目って、人間界で有名なカリスマさんが言ってた
らしいわよ?」

 それは多分、人間界とはまた別の世界の、有名と言うよりは幽冥なノンカリスマさんの言葉でしょう。そう、心の中で
サラは呟く。
 そんな妹の心中などまるで知らぬ、といった能天気な笑顔でルイズは続ける。

「ま、良いか。今日は急ぎの用だし」
「……ハィ?」

 急ぎの用。そんな単語が長女の口から聞ける等とは思ってもいなかった門番は、驚きをまるで隠しもしない素っ頓狂な
声を上げた。サラのそうした反応に、片目を半分開いて、ほんの少しの不快感を表現するルイズ。

「あら、私が急いでるとそんなに変?」
「変」
「……そんなはっきり言わなくても。お姉ちゃん、ちょっと哀しい……」
「って言うか、ルイ姉、今日は旅行に行くんじゃないの?」
「ええ、そうよ。ただ、今日は晩御飯迄には帰らなくちゃいけないの」
「昼過ぎに魔界を出て、夕食迄には帰る……成る程、確かにそれは急ぎの用ね」
「そ。言うなれば“Dream Express”ってやつね。夢特急ってやつね。
 と言う訳で、サラちゃんも、夕飯迄にはちゃんと家に帰るのよ?」
「夕飯迄には……ねぇ――」

 何が「言うなれば」だとか「と言う訳」なんだかよく判らない、そんなルイズの言葉を聞いたサラの顔に、ほんの僅か
に陰りが見えた。

「どうかした、サラちゃん?」

 常人ならば気付かずに見過ごすかも知れないそれを、常人よりも細い長女の目は見逃さない。

「あ、や、別に……」
「今日は遅くなりそうなの? 何か用事でも有るのかしら?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……。
 今日“も”、私、やっぱり夜御飯には間に合う様に帰らなくちゃいけないんだなぁ、って」
「そうね。いつも通りね」
「そうなのよね。“それ”が“いつも通り”なのよねぇ……」

 私、門番なのにねぇ。そう言ってサラは、姉から視線を逸らし、自嘲気味な笑い顔で軽く溜め息を吐いた。
 門番と言うものは、外部からの侵入者を排除するのがその役目である。その仕事に於いて本来、昼夜の別等は存在し
ない。当然であろう。招かれざる客人と言う者は、いつ何時にやって来るか判らないのだ。昼間働いて夜は帰る、それ
では番人としての用を成さない。いや、むしろ、一般に警備の手が薄くなる夜間に於いてこそ、番人の存在はより重要と
なるのである。
 それなのにサラは、魔界の門番である彼女は、母であり、魔界の支配者である神綺から、そのお役目を朝から夕刻迄と
定められていた。
 神綺は言う。

「夜は化け化けちゃん達に任せれば良いから。サラちゃんは御飯迄には帰って来なさい?」

 十把一絡げの魑魅魍魎共が、番人として一体どれ程の役に立とうか。そう進言するサラに神綺は、どうせ外から魔界に
来る者なんて滅多にいないんだし、と、笑って応える。



「……あーあ、私も人間界に行きたいなぁ」
「ん? 偶にはサラちゃんも一緒に行こっか?」

 誰へともなく呟かれた妹の言葉に、嬉しそうな声で応じるルイズ。そんな彼女にサラは、そうじゃなくて、と、苦笑を
顔に浮かべて話を続けた。

「ルイ姉みたく旅行、じゃなくて、アリスみたいに、魔界を離れて一人暮らししてみたいなって、そう言う事。どうせ門
番なんて居ても居なくても大して差は無いんだし、私が人間界に行っても邪魔無いでしょ?」
「……サラちゃんは、魔界で皆と一緒に居るのは嫌なの?」
「や、別に、嫌って訳でもない、けれど……」

 ――けれど。どうにも言葉で表現し難いその感情を、一番近いもので表すのならば、矢張り「嫌」と言う事、なのかも
知れない。
 無論サラは、母や姉達の事を少しでも嫌ってなどいない。
 けれども、それでも、殆ど名ばかりの門番のお役目――いつぞやの巫女や悪霊達の襲撃が、ほぼ唯一のまともな仕事
だった――それを繰り返すだけの変化というものに乏しい毎日や、末妹アリスが居ない今最年少である自分に対し、何だ
かんだと世話を焼いたり子供扱いする姉達や母の事が、少々鬱陶しいと思えるのもまた事実だった。
 親元を、住み慣れた土地を離れ、見知らぬ世界で一人生活する。それが容易でない事は何となく想像出来る。だが、妹
であるアリスはそれを実行しているのだ。姉である自分だってきっと大丈夫。それよりも、そんな小さな不安よりも、自
分の暮らしを、自分自身で全て組み立てる事が出来る、その自由にサラは心を惹かれていた。

「それにさ、風の噂で聞いたんだけど、人間界の或るお屋敷では、凶悪な侵入者を相手に、門番が毎日切った張ったの大
活劇を繰り広げてるんだって。
 私もそういう所で仕事に就いて、門番としての自分の力を試してみたいかなぁ、なんて……」

 退屈な日常より、物語の登場人物の様なスリル溢れる生活をしてみたい。そんな夢見る少女の瞳をした妹を前にルイズ
は、いささかの懸念を感じる。物語の様な生活というのは、外から見て感情移入をする分であれば、確かにそれは非常に
魅力的なものではあろう。だが、実際にその当事者となってしまうと、中々その状況を愉しむ事など出来はしない。しか
も、物語の“主人公”になれるのならまだしも、“端役”“敵役”になる可能性だってあるのだ。現実はそんなに甘い
ものでもない。
 そうした事を考えながら、それでもルイズは、

「――そうね。それも良いかもね」

 妹の言葉に首肯した。

「え?」

 冗談半分、愚痴半分。そんな自分の話に、よもや肯定の言葉が返ってくるとは思わなかった。
 そんな様子で目をぱちくりさせる妹の頭上に、ルイズは優しく手を乗せる。

「アリスちゃんに続いて、サラちゃんまで居なくなったりしちゃったら、それは確かに寂しいけれど……。
 でも、一人で外に出て、それで初めて理解出来る事、気付く事っていうのもあると思うし……サラちゃんがそうしたい
のなら、私は応援するわ」
「ルイ姉……」
「でも、今日は、ちゃんと家に帰って来てね?」
「あ!うん……。
 わ、私も別に、今すぐに魔界を離れようとか、そこまで考えてる訳じゃないから――」

 そう言って、少し照れくさそうに目を細めるサラ。
 そんな彼女に、また後でね、と一言を残し、ルイズは魔界の門を潜り抜けていった。
 光溢れるアカルイセカイに消えて行く長女のせなに向けて、でもね、と、サラは小さく声を投げた。

「――ルイ姉は甚だしい勘違いをしている。






 『Dream』は夢でも、『Express』は急行よ」



                           ◆






「どうしたの、お――――って…………え?」

 開け放たれたドアより覗く光景は、背景の雪と、そして、その中に立っている人物の色も含め、白く、綺麗だった。
 午後の陽射しに大分暖められてきた外の空気。その陽気に相応しい穏やかな姉の笑顔を前に、目を丸くする末の妹。

「久しぶり、アリスちゃん。ちょっとお邪魔するわね♪」
「な、ちょっと、るーねぇ……じゃなくて、ルイズさん!?」

 真逆この人が来るなんて。全くの予期せぬ来訪者に、アリスの頭はちょっとした混乱状態へと落ち込みかける。だが、
身内とは言え客人を、いつ迄も玄関に立たせておく等という無作法は出来ない。気を取り直してアリスは、居間へと姉を
案内する。

「ちょっと待っててね、ルイズさん。今、お茶を淹れて来るから」

 そう言ってアリスは、机の上に在った空のティーカップ二つを持って部屋を後にした。そんな妹の背中を見送ってから
ルイズは、窓際に在る鉄製のコートハンガーに付いているフックへ帽子を掛け、それから椅子に座る。そうして、一人に
なった部屋の中でぐるりと辺りに目を遣った。
 彼女の細い目に映るのは、数え切れない程の虚ろな瞳。物言わぬ人の形。外から見ればそれなりの、と言うより、結構
大きくも感じるこの家が、中に入ると随分と狭く小さく感じるのは、これら無数に置かれた人形達のせいか。
 ただでさえ薄暗く不気味な――今は、午後の陽射しと雪の白さのお蔭でそれ程でもないが――森の中で、更に異質な
人形の家に一人で住む少女。そんな妹の事を考えて、ルイズはぽつりと呟く。

「親子ってやっぱり、似るものなのかしら――」

「――何? ルイズさん」
「何でもないわ、アリスちゃん♪」

 いつのまにやら部屋に戻って来た妹に、普段と変わらぬ笑顔を見せるルイズ。
 そんな姉の言葉に対し、若干訝しむ様な表情を見せるアリスだったが、まぁ別に良いかと、盆に載せてあるカップを
二つ、机の上に下ろした。
 有難うと一言、カップを手にした姉は、その中に淹れられた透明な薄い緑色の液体を前に動きを止める。

「?これ……何て言うお茶? 見た事の無い色と匂い……」
「玉露。ルイズさん、見るの初めてだっけ?」
「……ティーカップに入っているのはね」
「とも……知り合いに分けてもらったの。けど、うちには湯呑みなんて無いし、それで」
「お友達って、あの巫女さん?」
「……友達じゃなくて、ただの知り合い」
「照れなくても良いのに」
「てっ、照れてなんかないわよ!」

 真っ赤になって机を叩くアリス。彼女のカップの中で玉露が、波を立ててソーサーへと滴った。
 余りにも判り易い妹の反応に、口に手を当てて声を出さずに笑うルイズ。

「あっ、そうそう。アリスちゃんに、お土産が有ったんだ」

 笑いながらルイズは、何処から取り出したのか、一つの小さな箱を机の上に載せた。それは赤い色をした包装紙に覆
われ、そこには黒と金の文字で、

「――八目うなぎパイ……?」
「人間界に着いて直ぐ、屋台を見付けてね。まだ開店前の準備中みたいだったんだけど、面白そうだから店主さんに
頼んで売ってもらったの♪
 “夜のお菓子”って言うキャッチフレーズで、今人間界で大人気だそうじゃない?」
「初めて聞いたわ。って言うか、何だか意味深なキャッチフレーズね……」
「『夜、鳥目になった時に食べて欲しいお菓子』って、そういう意味だそうよ? 尤も、誤解する人も多いらしいけど」
「あ、そう」
「うさぎのうなじ♪ うわぎのうらじ♪ うなぎのうまみ♪」
「……いきなり唄い出して、何それ?」
「店主さんが唄ってた歌。面白いから覚えちゃった」
「あの夜雀も、また変な商売を始めたもんねぇ……」

 そう言って、半年程前に読んだ新聞の記事を思い出すアリス。目の前の姉は気付いていないのだろうが、このパイ、
恐らくは八目鰻だけでなく、鰻や泥鰌も使っている筈。名前や見た目は似ていても、鰻と八目鰻は全く別の生き物で
ある。泥鰌については言うまでも無し。土用の丑の日に泥鰌の蒲焼を食べるなんて話は滅多には聞かない。全く無い訳
でもないのだが。

「……そもそも、幻想郷に住んでいる妹の所に、幻想郷のお土産を持って来ること自体、何かが間違ってない?」
「ちょっと前まで魔界に住んでた妹に、魔界のお土産を持ってくのも変でしょう?」
「そう、かしら……」
「でも大丈夫!
 そんな欲張りなアリスちゃんの為に、お姉ちゃんはねぇ、ちゃんと魔界土産も持って来たんだから!」

 言いながらルイズは再び、何処からともなく取り出した“お土産”を机に上げた。端の部分が僅かに欠けた、小さな
長方形の物体。色は、悪魔の様に黒い色。

「何これ?」
「魔界名物、夢子ちゃん特製“備長炭トースト”よっ!」
「……夢子さんでも、料理、失敗する事あるんだ」
「う~ん。て言うかこれ、多分失敗じゃなくてわざと」

 ティーカップにパイ、そしてトースト。それだけを見れば、特に邪魔無い組み合わせではある。
 ではあるのだが。

「わざとって……ルイズさん、何か夢子さんが怒る様な事でもしたの?」
「『わざと』って言葉だけで、そこまで判るの? 他にも考えられる可能性は沢山あると思うんだけどなぁ」
「でも、それで当たりなんでしょ?」
「私は何も、怒られる様な事はしてないわよ? そうじゃなくて、ただ夢子ちゃんが怒っただけ」
「『ただ』『だけ』って……夢子さんが怒ったのなら、その原因がある筈でしょ」
「世のあらゆる事象には、それが起こった原因が存在する……なんて、そんな考えは余り素敵じゃないわね?
 例えばアリスちゃん。今、私達が居る世界、それが何故存在するのか。何の為に在るるのか。そんな事、いくら考え
たって詮無い事でしょう? 判るのは、“世界が在る”という事実、ただそれのみ。
 夢子ちゃんの事も、それと同じなのよ」

 そう言ってルイズは、窓の外の世界を見遣る。自分達の故郷では決して見る事の出来ない、木々の緑や太陽の光に
彩られた世界を。
 そんな姉には目もくれず、“幻想郷名物”の包み紙を破いていくアリス。

「――言っている意味がさっぱり理解出来ないんだけど……。
 今の科白、夢子さんの目の前でも言える?」
「言えるわけ無いじゃない。そんな、恐ろしい」
「と言う事は、自分の理屈が如何に滅茶苦茶か、理解してるって訳ね?」
「いや、まぁ」
「ルイズさん、言い訳が下手過ぎ」
「いや、まぁ……。
 ――って言うか、アリスちゃん。さっきから、ちょっとその、気になってたんだけど……」
「何、ルイズさん?」

 八目ウナギパイを片手に、アリスの視線がルイズに向けられた。
 幻想郷の名物の方は、どうやら末妹のお気に召したらしい。魔界名物の方は、白いテーブルクロスの上でその黒い体を
ただ静かに横たえているのみ。

「その……『ルイズさん』って、ちょっとよそよそしくない? 夢子ちゃんの真似?」
「や、別に、違うけど……」
「昔みたく、『るー姉』って呼んでくれないの?」
「……私だって、もう子供じゃないんだから……」

 手にしたパイで自身の口を閉ざし、どこか気まずい風でアリスは姉から視線を逸らした。
 それを見てルイズは、自分の座っていた椅子をアリスの真横まで移動させる。

「子供かどうかなんて関係無いじゃない。ね、昔みたく、『るー姉』ってよんでぇ~~」

 言いながら、末妹に向かってくねくねと身を摺り寄せる長女。

「ちょ! 気持ち悪い!」
「!酷いわぁ~~」
「あっ……。御免なさい。今のはちょっと言い過ぎ――」
「小さい頃は、『るー姉、るー姉!』って、いつも私の後をついて来てたのに……」
「そんな、子供の頃の――」
「『アリス、大きくなったらるー姉のお嫁さんになるっ!』って、あの頃のアリスは本当、可愛かったのにぃ」
「いやちょっと!? なに勝手に有り得ない過去を捏造してるのよ!?
 そういう科白は、親戚のお兄さんや、幼馴染の男の子とかに言うべきものでしょ、普通!?
 何で同性の実の姉にそんなこと言わなきゃならないのよっ!!」
「あら、そんなの、魔界ではよくある話じゃない。
 アリスちゃんってば、人間界暮らしが長いせいで忘れちゃった?」
「知らない人が聞いたら嫌な誤解されそうな科白を、爽やかな笑顔で言うな――ッ!」

 先程と同じ様に真っ赤な顔で叫ぶアリスを前に、ルイズは、今度は声を出して笑い出す。

「うっ、ふふふふふ……。
 冗談よ、冗談。向きになっちゃって、アリスちゃんってば可愛いわねぇ」
「な!…………」

 頭が痛い。そんな様子で頭に手を当て、口から大きな溜め息を吐くアリス。

「……妹をからかう為に来たんだったら、悪いけれどさっさとお引取り願えないかしら?」
「別に、そんな用で来た訳じゃないわ」
「じゃ、どんな用?」
「妹を可愛がる為に来たの♪」

 そう言って楽しそうに笑う姉に対して、アリスは人差し指で居間の入り口を指差した。

「其処から出て右の突き当たりだから」
「おトイレの場所?」
「玄関の場所」
「知ってるわ。其処から家に入ったんだし」
「知ってるならどうぞ。お早くに」
「冷たいわねぇ、アリスちゃん」
「冬だからね。
 ……全く、今日は厄日だわ」

 再び大きく息を吐くアリス。そんな彼女の耳に、



「ねぇ、アリスちゃん。魔界に帰ってくる気、無い?」

 ほんの僅かにトーンの下がった姉の声が聞こえてきた。

「何よルイズさん。突然――」
「あ、勘違いしないで? 一人暮らしをやめて家に戻れとか、そういう事じゃなくてね。
 ただ、偶には魔界に帰って来て、私達やお母さんに元気な顔を見せて欲しいな、って。
 だってほら、アリスちゃん、人間界で一人暮らしを始めてからこっち、全然魔界に顔を出してくれないじゃない」
「それは……私だって、色々忙しいんだから仕方無いじゃない」
「忙しいって……。
 ――自立して動く人形の作成で忙しい、っていう事?」
「えっ……」

 姉の言葉を聞いて、アリスの顔に小さく驚きの色が浮かんだ。
 自立人形作成は、幻想郷に住む様になってから後に立てた目標だった。姉達や母に話した事は無い筈。
 そう言えば、いつぞや取材を受けたあの新聞、若しかしたらあれを読んだのか。しかし、天狗の新聞が幻想郷とは別の
世界である魔界にまで届いているとも考え難い。
 そんな事に思いを巡らせている妹の心中を知ってか知らずか、玉露の入ったティーカップを片手にルイズは言葉を続
ける。

「自立して動く人形って、それって要は、魂を持った人形、って事よね?」
「まぁ、それもアプローチの一種だけど」
「一種って言うか、それがほぼ唯一の手段よ」
「……ルイズさん?」
「『自立して動く』と言う事は、魔力による直接操作は勿論、簡単な指示・命令すら受けなくても、自分の意思で物事を
考え行動する、そう言う事でしょ」
「そう、ね」
「意思と言うのは心の在り様であり、心とは即ち魂の事。なれば、『自立して動く人形』とは『魂を持った人形』に違い
無い。そうでしょう?
 でも……『魂を持った人形』、それを果たして、『人形』と言う事が出来るのかしら?」
「何が言いたいの、ルイズさん?」
「人形が人形であるという事は、何を以てそう言えるのかしら?
 材質? 違うわよね。木精や地霊には、木や土で出来た身体を依り代とする者も居るけれど、それを人形とは言わない
し、逆に、人の死肉を集めてヒトガタを造ったとしても、それはただの肉人形であって人間ではない。
 およそ、あらゆる意思存在に於いて、資本となるのは体ではなく精神。大切なのは入れ物ではなく、その中身」

 そう言ってルイズは、手にしたカップを口に付ける。

「“これ”だって、容器はティーカップであっても、中身は玉露。そして、この場合も、重要なのは中身の方。当然よ
ね。私達はお茶を飲みたいからカップを使っているのであって、カップを使う為にお茶を飲む訳じゃないのだから。
 カップをカップとして、それを主として見たいのなら、その中には何も入れるべきではない。何かを入れてしまったの
なら、主はその中身になってしまい、カップは主たる中身を入れる為の従となる。つまり、その組み合わせの総称は、
『中身の入った“カップ”』ではなく、『カップに入った“中身”』になってしまうの」
「ルイズさんの言いたい事、全然判らない……」
「人形と言う物は、その中が虚ろである事を本質とする。中身が無いからこそ、それを『人形』として見る事が出来る。
 話は戻るけど、ただ単に人形に魂を持たせたいのであれば、その辺の雑霊を捉えて、動作用のギミックとそれに繋がる
回路を持った人形に封じ込めれば良い。でも、アリスちゃんはそれを、『自立して動く人形』と言える?」
「――言えないわね。それは、人形が自分で動いているのでなく、中の雑霊が動かしているだけに過ぎないんだから」
「そうね。だったら、どうすれば『自立して動く人形』を造れるのかしら?」
「それが判らないから苦労しているんだけど。
 ま、方向だけを言うなら、『既成の魂を後付』するのではなく、それ専用の『新しい魂を創る』ってところかしら」
「でも、それじゃ結局、さっきの『雑霊が動かしているだけ』の人形と変わりがないじゃない?」
「……何で?」
「だってそれは、『“新しく創られた魂”が動かしている人形』に過ぎないのだから。『雑霊』が『新しく創られた魂』
に変わっただけ。動かしているのは中身の魂であって、人形そのものじゃない」
「いや、でも、その魂は人形の為に創られたもので――」
「その魂が、例えば何かの拍子で他の動物なんかに移ったとしたら? たったそれだけの事で、残された人形の体は『自
立して動く』人形ではなくなるし、移った魂も、やはり人形ではない」
「でも! そんな事を一々言っていたら、『魔族』や『人間』って言う概念だって成り立たなくなるんじゃ――」
「『魔族』や『人間』という言葉は、中身と入れ物、つまり、魂と肉体の両方を指す概念でしょう? でも、『人形』は
違う。『人形』という言葉は中身を含まない。と言うより、中身が無いからこそ『人形』と言えるんだから」
「何だか、また言っている事が判らなくなってきたわ……」
「要はね、『自立して動く人形』と言うのは、『火で出来た氷』と同じ位、絶対に在り得ないものだと言う事。
 『火』なのであればそれは『氷』ではないし、『氷』なのであればそれは『火』ではない。
 同じ様に、『人形』なのであればそれは『自立して動く』事は無いし、『自立して動く』のであればそれは『人形』
ではない」
「でも、私、実際に何度か、自分の意思で動く人形を見た事が――」
「そうね。確かにアリスちゃんが見たものは、『自立して動く人形』『魂を持った人形』だったんでしょう。
 でもね、『人形』という言葉が中身を含まない、外殻だけを指す言葉である以上、正確にはそれの総称は『人形に
入った“魂”』という事になるの。
 それにね、アリスちゃんが見たっていうそれ。それは恐らく――――」

 そこまで言って、ルイズは言葉を切った。これ以上先は、今はまだ言う必要が無い。ルイズがアリスに伝えたかった
のは、自立した意思を持つ存在は、その構成や生い立ちがどうであれ決して「人形」ではない、その事だけなのだから。
それより先の事は、この妹なら、きっといつの日か自分一人でも気付く筈。だから、今は余計な事を言う必要は無い。

 それに何より、話が大きく逸れ過ぎていた。

「人形云々の話は、まぁ置いておくとして……。
 アリスちゃんが忙しい、っていうのは判ったけど、でも、全く魔界に来る暇が無いって、そこまで忙しい訳でもない
でしょう? せめて、年末年始くらい、魔界に帰って来れないものかしら?」
「別に、雇われ仕事や商売をやってる訳でもなし、年末年始は関係無い……って言うかむしろ、普段よりも忙しいわね」
「そうなの?」
「そうなの。知り合いに――」
「お友達、でしょ?」

 割って入った姉の言葉に僅かに顔をしかめたアリスだったが、それも一瞬の事。軽く息を吐いて、そして小さな苦笑い
を一つ、それから言葉を続けた。

「そう、ね。友達に一人……ううん、二人か。宴会好きの馬鹿が居てね。
 年末年始は、そいつらが主催する連日連夜の馬鹿騒ぎに呼ばれて、本当、忙しいの」

 本当、迷惑な奴等よ。
 そんな言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに顔を綻ばせるアリス。そんな妹を見ながらルイズも、

「……そっか。良かった。
 会えないのは寂しいけど、アリスちゃん、お友達と一緒に楽しくやってるみたいだから」

 心の底からの笑顔を返した。
 見知らぬ土地で一人暮らす小さな妹が、孤独に苛まれて辛い思いをしてはいないだろうか。
 そんな考えがただの杞憂であった事が、ルイズにとっては心底嬉しかった。

「私達の顔を見るのが嫌だからとか、そんな理由で帰って来ない訳じゃないのね?」

 冗談九割以上、妹の友人達へのちょっとした羨望が一割弱。そんなルイズの言葉に、

「そっ! そんな事、ある筈ないじゃないっ!!」

 勢い良く椅子から立ち上がって、思いも寄らぬ大きな声で反論するアリス。
 突然の事に、大きく開かれる長女の口と二つの眼。其処に映った自身の姿を見て、

「あっ!……や、その――」

 俄に正気へと戻り、気まずそうな顔で席へと座り直す。

「その――皆の事が嫌いとか、そういうのは全然無いし……。
 一応……一応だけど私、ルイズさんやお母さん達の事、そ、そ……んけ……ぃ、してるか、ら――」

 恥ずかしそうに俯いたまま、小さな声でぼそぼそとアリスは呟く。

「魔界に居た時は、正直、その……皆の事、鬱陶しいと思う時もあった。私、一番年下だから、何をするにしてもいつも
子供扱いだったし……。
 遊びに行って帰りがちょっとでも遅くなると、夢子さんすぐ怒るし、ユキさんとマイさんは、二人してよく私の事
からかってきたし、サラさんは、私に対してやけにお姉さん風を吹かそうとするし。お母さんやルイズさんは、何を
考えてるのかよく判らないと言うか、何も考えてなさそうと言うか、はっきり言って頼り無いと言うか――」

 山里は夜の訪れが早い。外からの明かりが細くなるにつれ、いつの間にか、大分暗くなってきた室内。ティーカップの
中の玉露も、その表面から白い湯気を出す事等とっくにやめていた。
 そんな周りの状況には目もくれず、自身の両の手の指を意味も無く絡ませながら、アリスは言葉を続けた。
 ルイズも、何も言わずに妹の声に耳を傾ける。

「でも、幻想郷に来て一人暮らしを始めて……食事を作るのも、掃除をするのも、調べ物をするのも、全部、一人でやら
なくちゃいけなくて……。それで、気付いたの。自分は今迄、どれだけ周りの皆に助けてもらってたのかって。
 ――夢子さんは、毎日毎日とっても美味しい料理を作ってくれた。ユキさんとマイさんは、沢山の魔法を教えてくれた
し、サラさんは、私達を護る為に門番の仕事を頑張ってる。ルイズさんは、私の知らない、色々な世界の話を聞かせて
くれた。
 そして、お母さんは……いつでも、どんな時でも、私の話をあったかい笑顔で聞いてくれて、私の事、ぎゅっとして
くれて――――……」

 薄暗い室内を、暫しの沈黙が支配する。風が窓ガラスを揺らすがたがたという音が、やけに大きく聞こえた。

 やがて。



「っあ――――――――ッ! もぉうっっ!!
 なに私、またこんな恥ずかしい話をしちゃってるのよーっ!?
 厄日よ! 今日はもう、本っ当に厄日ッ!!」

 耳まで紅色に染まりながら、天井に向かって叫び声を上げるアリス。そんな妹に向けてルイズは、

「私も、アリスちゃんの事、尊敬してるわ」

 決して大きな声ではない、けれどはっきりした口調でそう言った。

「は!?……え?」
「アリスちゃんの事、凄いなって思う」
「な、その……何を――」
「本当よ?
 だって、うちでアリスちゃんだけじゃない。魔界を離れて、たった一人だけで立派に暮らしているのは。
 凄いと思う。一人暮らしって、何でも自分でやらなくちゃいけないし、それに、何と言っても寂しいし……。
 私には、きっと、真似出来ないと思う」
「や、でも、ルイズさんだって……よく、一人で旅行に行ったりしてるし……」
「それは、帰る場所があるからよ。
 どんなに遠くへ行っても、私には帰る場所がある。私の帰りを待っててくれる家族が居る。
 だから、一人で旅をしていても何も寂しい事は無いの」

 帰れる場所も無く、自分の居場所を求めて当てども無く流離う。そんな旅はきっと、とても辛いものに違い無い。そう
ルイズは思う。
 でも、自分は違う。自分には帰る場所がある。彼女が何かにつけて旅に出るのは、そうした自分の幸せを再確認する、
その為でもあったのかも知れない。



「それ……私も、きっと同じ――――」

「――アリスちゃん?」

「私も……お母さんや皆が居るから。いつでも私を暖かく受け入れてくれる、そんな家があるから……。
 ……だから、一人でも頑張れるんだと思う。どんなに辛くても、寂しくても、会おうと思いさえすれば、いつでも皆に
会える。そう思っているから、だから頑張っていられるんだと思う……。

 …………って、ごめん、ルイズさん。私、何言ってるんだろ? 自分でもよく判んないわ」

 そう言って照れくさそうに笑うアリスを、



「――――大丈夫。判るわ。とってもよく、判るから」

 白くて細い姉の手がゆっくりと包み込んだ。
 あったかくて、でもちょっとくすぐったくて、そんな感触が何だか懐かしくて、アリスは静かに眼を閉じた。

「――今日は、来てくれて有難う――……。






 ――――るー姉……」






                           ◆



「たっだいま~~♪」

 半透明な水晶の塊の様な万魔殿に、能天気な長女の声が響いた。

「……何処のどちら様でしょうか」

 出迎えるのは、不機嫌な次女の声。

「貴方のお姉様よ。夢子ちゃんってば、若いのに大変ね?」
「夕食迄には帰る。そう言って出掛けたのが、私の姉です」
「あら、ちょっとの遅刻位、大目に見てよ」
「五分十分の遅れなら、確かに“ちょっと”と言って大目にも見ましょう。
 ですが! 一時間近くも遅れて帰って来ておきながら、それを“ちょっと”で済ませろと言うのは――――」

「まぁまぁ。それ位で良いじゃない、夢子ちゃん」

 放っておけば、このまま一時間どころか二時間でも三時間でも続きそうな、そんな次女のお説教を諌めるのは、長女の
それにも負けず劣らずの能天気な声。

「ですが神綺様! こういう事ははっきり言っておかないと――」
「ルイズちゃんだって反省してるだろうし、それに、折角温め直したお料理が、このままだとまた冷めちゃうわよ?
 皆だって、早く御飯、食べたいわよねー?」

 そう言って、行儀良く座っている娘達に同意を求める。
 嘆息をしながら、この方はやり方が狡い、と、小さく洩らすメイド。
 そんな気苦労の絶えない次女を余所に、

「お早う、お母さん♪」
「お早う、ルイズちゃん♪」

 夕食前に朝の挨拶を済ませる長女と母親。次女は、言いたい事の色々を腹に収め、諦め顔で席に着いた。



「――それにしても」

 自分の椅子に座りながら、ルイズはテーブルの上に置かれた料理の数々に目を遣る。

「凄い量ね……」

 出発前、ルイズは夢子に、“全員分”の食事の準備を頼んではいた。
 だが、今目の前に在るのは、少女七人が食べ切るには、明らかに多過ぎるとしか思えない程、大きなテーブルを埋め
尽くす数の皿と、その上にびっしりと盛られた種々の料理。

「夢子ちゃん、いくら何でもこれは――」
「違いますよ、これは」
「違う?」
「神綺様の命令です。目一杯、大量の料理を作れ、と」
「お母さんの?」
「……何度も言いますが、ルイズさん、お母さんと言うのは――」

 小声で説教を始めた妹の事は取り敢えず無視して、母に向かって視線を移す。

「これはね、カリスマUPの為に必要な事なの」

 長女の視線に神綺は、満面の笑顔と意味不明の言葉を以て応えた。



「そんな訳の判らない理由で……ユメ姉もいい迷惑よね」

 ため息と共に小さく聞こえたサラの言葉も、

「メイドに我が儘を言うのも、カリスマUPには重要らしいからねっ!」

 まるで意に介さない。それ所か、どこか嬉しそうですらある。

「他にも、靴下を何日も洗わなかったり、部屋に籠もって何日も顔を出さなかったり、『えらいんだぞーっ!』って泣き
叫んでみたり……。
 やれやれ、カリスマUPの道は険しいわねぇ」

「ねぇ、お母さん? そんなのが、本当にカリスマに繋がると思う?」
「……絶対騙されてる……」

「大丈夫よ、ユキちゃん、マイちゃん。セミナー講師の兎さんが言ってたんだもの、間違いないわ!」

 双子の懸念も、神綺には届かない。
 信じる者は救われる。神への信仰の様を表しているとも言われるこの言葉は、果たして、神それ自身にも通じるもの
なのだろうか。

「ところで、ねぇ? ルイズちゃんは今日、何処に行ってたの?」
「ちょっと人間界まで観光旅行へ」
「人間界!?」

 その単語を聞いた途端、神綺の髪がピンと伸びた。
 驚きを表している様だけれど、これもカリスマと関係のある事なのだろうか。
 訊いてみたいとも思うルイズだったが、恐らく答は一つだろうし、と、取り敢えずは話を進める。

「そ、人間界」
「若しかして……アリスちゃんの家にも行った?」
「ええ。ちょっと寄った程度だけど」
「アリスちゃん、私の事とか、何か言ってた……?」
「それについて話す前に、アリスちゃんから皆にお土産があるの」

 そう言ってルイズは、また何処からともなく、四体の人形を取り出してテーブルの上に並べた。

「先ずこれ。サラちゃんに」
「うわ! 可愛い鳥さん……」
「鶉なんだって。人間界じゃ、門番には必須のものらしいわよ?」
「そうなの? 何で?」
「さぁ。鳴き声が縁起良いからかしらねぇ? この子も、ちゃんと『ご吉兆』って鳴く様に出来てるわ」

「ユキちゃんとマイちゃんにはこれ」
「あ! 蛙!」
「…………」
「簡単なリジェネレイションの魔法が掛けられているそうだから、ばらばらになる程度だったら何度でも再生するって」
「……何度でもぶつけ放題……」
「!え? ちょと、マイ? 今、何か――」
「…………」

「夢子ちゃんにはこれ、真白い肌に真紅の返り血が美しく映える吸血少女人形!」
「……何故に吸血?」
「メイドといえば吸血鬼~、略してメイド~♪ だ、そうよ?」
「それって、アリスが言ってた事なのかしら?」
「夢子ちゃん、アリスちゃんからのプレゼント、お気に召さない?」
「……いえ、あの子からの贈り物であれば、どんな物であっても嬉しい、けど――」



「そして――最後はこれ。はい、お母さん」

 そうして手渡された人形。神綺も、姉妹も、皆がよく知っているその小さな人の形は、

「――アリスちゃん……の、お人形?」

 一人魔界を離れた娘の形。見知らぬ世界で暮らす妹の形。

「ねぇ、お母さん。それ、ちょっと顔の傍まで持ってきてみて?」
「え?……。
 ……こう、ルイズちゃん?」

 両手で大事に抱える人形を、長女の言うままに自身の顔の高さまで持ち上げる。
 間近に見るその姿は、娘に比べれば余りにも小さく、けれど、まるで生きている様に精巧で、何だか今にも動き出し
そうな、喋りだしそうな――……。






『――もしもし? お母さん? えっと、聞こえてる?』
「ってホントに喋った――――ッ!?」

 怒髪天を衝く、ではないが、驚愕に天を指差す神の髪。そんな母親に、

「……可哀想なアリス。こんな小さくなっちゃって……」

 追い討ちをかけるマイの言葉。

「な? な! な!?
 ど、何処のスタンド使いの仕業!? ギャンブラー弟!? それともイタリアンマフィア!?
 許さないわよ! 私の可愛いアリスちゃんにこんな真似してっ!!
 神罰よ!! 神罰執行よぉ――――ッッ!!??」
『ちょ!? お母さん、落ち着いて! ちょっと!!』
「これが落ち着いていられるものですかっ!
 魔界神の力は絶対だって事、人間界の奴等に教えてやるわ――――ッ!?」
『違うって! そうじゃなくて! これは、魔界に居るお母さんと私とで会話をする為のマジックアイテムの一種で!』
「愚かな人間共! お前達の恐怖の叫び声によって、我が飢えを満たすが良いわああぁぁああ――――!!…………。
 …………って、え?」

 万物の破壊と創造を司る神気の顕現、闇色の六枚羽。冗談や誇張ではなく、本気で世界の一つや二つを消しかねない、
そんな神の怒りは、しかし、愛する娘の声によってその発現を止めた。天を衝くカミも、空気の抜けた風船の様に、力
無く萎れていく。

「じゃ、これは、アリスちゃん本人じゃないのね!?」
『当たり前よ……。
 て言うか、お母さんならそれ位の事、ちょっと考えれば判るでしょ?』
「いや、まぁ」
『むしろ、何で今みたいな変な考えに行っちゃうのか、そっちの方が私には訳が判んない』
「いや、まぁ……」

 言いながら、非難の視線をマイに送る神綺。そんな母の視線を、いつもの無表情で黙って流すマイ。ほんの僅かに、
その口の端を吊り上げながら。

『兎に角……これがあれば、いつでも私とお母さん、話が出来るから……。
 あ、でも! こっちも忙しいんだから、あんまり無闇矢鱈には使わないでよ!? どうしても寂しくて我慢出来ない
って、そういう時だけ、使っても良いから!』
「うん」
『あ、あと……私の方から使ったりは、まぁ、滅多にしない……と思うから、その辺は期待しないでよ』
「うん……」
『そ、それと……。
 今日、ル……ぅ姉、に言われたんだけど、偶には魔界に帰って来いって……。
 ――今はちょっと、その、研究……があって忙しいから、直ぐにって訳にはいかないけど――……。
 ――――その内……研究が一段落したらその内、そっちにちょっと、顔、出すと思うから……。
 ……その時は宜しく』
「うん…………。
 お母さん、美味しい御飯作って、待ってるね……」
『……ゆー姉の手料理の方が良い』
「あら、アリスちゃんったら酷い」
『だって、お母さんが料理してる所なんて、見た事ないし』
「あのねぇ、夢子ちゃんがちっちゃい頃は、私が御飯を作ってたのよ?
 夢子ちゃんにお料理を教えたのも私。だから――」
『でも、それって何年前?』
「――百年は経ってない、と思う。多分……」
『……期待はしないで楽しみにしてるわ』
「アリスちゃん、それちょっと言い方が変……」
『――じゃ、この辺で今日は……。
 またね、お母さん』
「うん、またね、アリスちゃん――」

 束の間の母子の会話が終わる。
 ほんの僅かな時間。けれど、それで充分だった。神綺は、充分に満足していた。
 遠く離れている末娘と、こうして今ここで話を出来た事が嬉しかったし、それに何より、



「――有難う、ルイズちゃん」

 自分を喜ばせようとしてくれた、そんな長女の気持ちが嬉しかった。



                           ◆



「ご馳走様ぁー」

 お腹に手を当てて、神綺が満足そうな声を上げる。それと同時に、

「食後の一杯です、どうぞ」

 ティーワゴンを押して現れる夢子。ワゴンの上で温かな湯気を上らせているお茶は、勿論、予め淹れて置いた物を
温め直した訳ではない。神綺が食事を終える丁度その時に、最も美味しいタイミングで供する事が出来る様、しっかりと
計って淹れられた物なのである。メイドの仕事は奥が深い。

「あー、えーっと……これって、紅茶、よね?」

 目の前に置かれたティーカップに視線を落としながら、娘に向かって神綺は訊ねる。

「珈琲に見えます?」
「見えないわね。
 って言うか、珈琲ならまぁ、別に良いんだけど」
「良くありません」

 熱い紅茶へふぅふぅと息を吹き掛ている母親に対し、そう夢子は断言した。

「中身を大切にする余り、外部を疎かにする様な人が偶に居ますが……それは間違いです。
 『内』が大切だと言うのは、確かにその通りです。が、だからと言って『外』がどうでも良い訳ではありません。
 『外』には『外』の存在理由・役目が有るのであり、『外』に合った『内』、『内』に合った『外』、この二つが
揃って初めて、モノは成立するのです。
 このティーカップだって、これはお茶を『中』入れる為の『外』なのであり、これが、『中』に入っているのが珈琲で
あったりすれば、それは『中』の珈琲と『外』のティーカップ、その両方にとって不幸をもたらすだけなのです」
「そんな、夢子ちゃんってば大袈裟な。
 ティーカップに珈琲を入れたって、それ位だったら別に――」
「大袈裟ではありません。
 ティーカップの口はコーヒーカップのそれに比して大きく、その為、珈琲を入れるとその香が逃げ易く、また冷める
のも――――」

 そう言ってまた長い話を始める次女を前に、困った様な笑顔で応ずる母。
 そんな二人を尻目に、サラは、ワゴンからカップを一つ手に取り、それをそのまま喉へと流し込んで、そしてさっさと
食堂の扉に向かって歩き出す。

「それじゃ、私、もう寝るから」

 そう言って扉を開ける背中に向かって、自分のカップを片手にルイズは声を掛けた。

「食べた後に直ぐ寝ると、豚さんになっちゃうわよ?」
「……誰かさんのお蔭で、夕食が随分と遅れたせいなんだけど。
 私、明日も仕事だから」

 そうしてサラは、皆おやすみ、と、一言を残して部屋を後にした。



「私達はどうしよっか。ねぇ、マイ?」
「…………」
「サラみたく、もう寝る?」
「…………。
 ……ばらばら血飛沫……」
「――それは、また明日にしない?
 って言うか、出来れば別の遊びにしたいかなぁ、なんて……」
「…………」

 言いながら、仲良く並んだ二つの背中も食堂から消えていく。

 急に、その大きさを増した様に感じられる室内。響くのは、次女のお小言のみ。残されたのは三人の少女。

 やがて、その内の一人が、

「それじゃ、私もそろそろ自分の部屋に――」
「待って下さい、ルイズさん」

 妹の注意が母に向かっている内にこっそりと。そんな姉の思惑を、しかし、一家の中で最も完璧と言われる次女が見
逃す筈も無く。大きなテーブルの上、無数に放置された食器を指しながら夢子は言う。

「ルイズさんには、これの後片付け、全部お願いしますね」
「え゛ー……」
「え゛ー、じゃありません。当然の報いです。
 私だけなら兎も角、皆や神綺様にまで迷惑を掛けたんですから」
「あー、えーっと……後でやる、っていうのは――」
「その『後』という言葉には、当然、明日の朝は含まれてなんかいませんよね?」
「うっ……」
「残った料理は、明日の朝食用に、別の容器に入れて保管して置いて下さい。
 空いた食器は、一つ残らず、ちゃんと綺麗に洗ってから仕舞うよう、お願いしますね」
「それ全部、私一人で?」
「そうです」
「……ちょっと位、夢子ちゃんも手伝ってよ」
「駄目です。これは、ルイズさんに対するお仕置きなんですから」
「そんなぁ……」



「だったら、私が手伝うわ」

「お母さん!」
「神綺様?」

 熱い紅茶をようやっと飲み干して、神綺はゆっくりと席を立った。

「神綺様! そんな、ルイズさんを甘やかす様な事――」

 言い掛けた夢子の口を、神綺の人差し指がそっと制する。にっこりと笑う母の顔を目の前に、何も言えずに口を閉じる
夢子。

「ルイズちゃんの……って言うより、私は、夢子ちゃんのお手伝いがしたいの」
「それは……」
「これだけの量を、ルイズちゃん一人で片付けられるなんて、そんな事、初めから夢子ちゃんは思ってないんでしょう?
 何のかんのと言って、最初は一人でやらせておいて、反省した様なら最後には手伝ってあげる。そんな心算なんじゃ
ない?」
「いや、それは、その……」
「だったら、夢子ちゃんの分は、私にやらせて欲しいのよ。
 夢子ちゃんにはいっつも迷惑を掛けてばかりだし、今日くらい、少しは私にもお手伝いさせて。ね?」
「そんな! 畏れ多い――」
「それに。
 今日はお料理が沢山残ったから、明日の朝食の準備は必要無いんだろうけど、夢子ちゃんには他にも、明日の色々なお
仕事の用意があるんでしょう?
 だから、ね? ここは、私とルイズちゃんに任せて」
「…………判りました。
 ではお言葉に甘えて、私は先に失礼させて戴きます」

 観念した。そう表現するのが最もしっくりする、そんな表情で部屋を後にする夢子。
 妹の背中が消えて、それから暫くして、ルイズは、母に向かって有難うと頭を垂れた。

「別に良いのよ。今も言ったけど、これは夢子ちゃんのお手伝いでもあるんだし。
 それに、さっきのアリスちゃん人形。あれへのお礼って事で、ね?」

 それより、さっさと片しちゃいましょう。そう笑う母に対し、自身も微笑みで応じながら、ルイズはけれど、違うの、
と、言葉を返した。

「私がお礼を言いたいのは、その……アリスちゃんの人形について、なの」
「何言ってるの?
 その事だったら、お礼を言うのは私の方じゃない。なのに何で」
「……何か、お母さんに余計な気、使わせちゃったみたいだから」
「? それも、私の科白だと思うんだけどなぁ。ルイズちゃんの言いたい事、ちょっと判らないわ」

 両の眼を大きく開いて、じっと自分を見詰めてくる娘に対し、少しだけ、困った様な笑顔を浮かべる神綺。
 そんな母にルイズは、






「玉露も美味しいけれど、ティーカップにはやっぱり紅茶よね?」






 昼間、久しぶりに会った妹は言っていた。「またこんな恥ずかしい話をしちゃって」と。
 食事前、魔界を離れて何年も経つ娘に対し母は言わなかった。「久しぶり」とも「元気だった?」とも。

 神綺は何も答えない。山吹色の綺麗な二つの瞳に映るのは、ただ、穏やかな笑みを湛えている母の顔。

「私ね、今日の朝、夢を見たの」

 目を細め、視線を母から、七つの椅子に囲まれた大きなテーブルへと移す。

「色々な辛い事、苦しい事があって、時には皆がばらばらになって……。
 それでも最後には、家族全員が揃って、皆で楽しく食卓を囲んで笑い合う。そんな素敵な夢
 それを見て私、どうしても、今日の晩御飯は家族皆で食べたいなって、そう思ってアリスちゃんの所に行ったの」

 結局、失敗しちゃったんだけどね。そう、小さく笑ってルイズは言う。

「忙しいから、って言ってたけど……多分、勢いで色々言っちゃって、それで、皆と顔を合わせるのが恥ずかしくなっ
ちゃったんだと思う。特に、私やお母さんに対しては」
「……そうね。
 アリスちゃん、ちょっと素直じゃない所があるから」
「夢子ちゃんとマイちゃんを足して割った、そんな感じかしら?」
「真面目で、且つ、自分を強く押し出すのが苦手、って事?」

 不機嫌そうな顔で頬を赤らめる。そんなアリスの様子を想像し、母子二人、静かな部屋の中、小さな声で笑い合った。

「そう言う訳で、あのアリスちゃん人形は、お母さんへのせめてものお土産。お母さんにも、せめてアリスちゃんの声
だけでも聞かせてあげたい。
 そう思っての物だったんだけど……何だか、的外れだったと言うか、余計な事だったみたいと言うか……。
 ……でも、それなのに、お母さんは私に『有難う』って――」

 だから私はお母さんにお礼を言うの、と、ルイズは再び頭を下げる。
 その頭上に、



「……ぁっ」

 温かな手の平の感触を感じて、ルイズは小さく声を上げた。

「――的外れなんかじゃない。余計な事なんて、何一つ無い――」

 ちょっぴり恥ずかしいけれど、でもとても優しくて心地の良い。まるで、暖かい布団の中で夢を見ているみたいに。
そんな事を感じながら、母親の穏やかな声に耳を傾ける。

「大切なのはね、“心の距離”なんだ、って、私は思うの。
 どんなに遠く離れていても、何年も会う事が出来なくても、心と心さえしっかりと繋がっているのなら、それは何の
寂しい事も哀しい事も無い。
 お互いが相手の事を大切に思えば、心は繋がり、その距離はどんどん短くなる。

 ――私は、皆の事が大好き。
 そして今日、アリスちゃんが変わらずに私の事を想ってくれているって、それが確認出来た。
 ルイズちゃんが、家族皆の事を大切に想ってるって、それも改めて知る事が出来た。

 ――それが、私には何よりも嬉しいの。

 だから、ルイズちゃんが今日してくれた事には、何の余計な事もありはしない。全部が全部、とても大切で、とても素
敵な事だったのよ。

 ――――本当に、今日は有難う。ルイズちゃん――――」






 ――自分達が“つくられた”存在である事を、姉妹の中でルイズは一番良く理解していた。

 妹達が、神の手によって“つくられて”いく様を、最も多く眺めてきたのだから。
 それでも、母の愛を疑った事など無かった。

 ……いや、無いと思っていた。思い込もうとしていた。

 思い起こせば、アリスとの会話の中で、「人形」という言葉を頑なに否定しようとしていたのも、自身の奥底にあった
ほんの微かな不安を、必死になって打ち消そうとしていた、その顕れだったのかも知れない。
 ――何て事は無い。「人形」という言葉に、「外側」に誰よりも気を取られていたのは、自分自身だったのだ。



 ――そんな自分が、何だか腹立たしくて。

 ……そんな自分に、こうして想いを注いでくれる母が愛しくて。

 ルイズは泣いた。
 母の温かな胸に顔を埋め、その心の鼓動を感じながら、声を出さずに涙を流した。

 そんな娘の背中を、母親は、ただ黙って優しく撫でる。



 物音一つしない静かな部屋の中で、ただ時間だけが、母と娘、二人を優しく包み、そして、ゆっくりと流れていった。
 土用の丑の日に泥鰌を食べる。そんな地域は実在します。泥鰌を食べる理由、それが、泥鰌を鰻に見立てての事なの
か、はたまた、泥鰌が「どぜ“う”」だからなのか、それは判りませんが……。

 閑話休題。

 このお話を書いた切っ掛けは、某板でのルイズ姉さん人気だったりします。で、内容なんですが、読んで下さった方は
判ると思いますが、いつにもまして好き勝手やってしまっています。
 「旧作知らない人には訳判らないお話かな」⇒「なら、ちょっとくらい設定いじっても誰も気付かないよね」
 ちょっとどころじゃありませんね。反省しています。普段より、更に自己満足度が高くなってしまってる気がします。
 その上、直前に神のSS(二重の意味で)が降臨した為、投稿しようかどうか、少し迷ったのですが……。

 ――まぁ、自分は自分、という事で。判り易く言うと姉萌えッ!!

 そんなこんななお話でしたが、付き合って下さった方々には、本当、いくらお礼を言っても言い尽くせません。
 有難う御座いますッ!

 旧作のWin版リメイクを心から祈って。大根大蛇でした。
大根大蛇
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コメント



0.4600簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
いい話なんだけど、Exactly吹いたwwwwwwwwwww
2.90名前が無い程度の能力削除
あ、点数忘れたorz
5.70翔菜削除
知ってるのは大まかな設定ぐらいですが、楽しめましたよー。
とりあえずこのアリス萌え。
6.90アティラリ削除
某板でのルイズ姉さんの株価の上がり具合は目を見張るものがあります
勿論自分の中でも
14.90ぐい井戸・御簾田削除
なにがなんでも作品のどこかにジョジョネタを入れようとするるあなたの作風に黄金の精神を感じる…や、自分も似たようなもんですが。そして確かに色んな意味で某魔法戦隊っぽいですね、魔界一家はw
19.80素薔薇しい!削除
どのキャラも違和感なかったです。 ユキ&マイが特に気に入りました。
22.80むみょー削除
るーねぇ萌え~
28.100削除
アレですか。3月は魔界月間ですか。字にするとなんかすごいや。
37.80名前が無い程度の能力削除
神綺様よかったよぉぉ。でも、その兎は駄目だ。
45.90名前が無い程度の能力削除
ちょwww神綺様wwwwwその兎の言うことは信じたら駄目だwwwwww
46.40名前が無い程度の能力削除
「邪魔無い」っていうのが、読めない。なんて読むのかなーと思うのは俺だけ?
47.100名前が無い程度の能力削除
神綺様カリスマ十分あるよ!!!11
52.無評価no削除
同じく邪魔無いが読めません。
57.無評価大根大蛇削除
>いい話なんだけど、Exactly吹いた
 つまりこういうことか? 『大根大蛇はジョジョネタを入れないかぎり話が書けない………』
            Exactly(そのとおりでございます)

>翔菜さま
 アリスの特殊技能(ツンデレ)は、家族が相手でも発動されるものと信じてます。
 ……えぇ、つまりは。一応、このお話のアリスも、ツンデレの心算で書いたんです、と。一応は……。

>アティラリさま
 初めの方では「影の薄いの」と言われてたのが、あそこ迄の大ブレイク。妹ばかりが人気のこの業界、
 けれど姉需要は決して小さくはない、という自信が持てました。姉萌えッ!

>ぐい井戸・御簾田さま
 このお話の前の作品集に投稿されているSSを読んでいて……ひとつだけ言える事を見つけたよ。
 ぐい井戸・御簾田さんは『黄金の精神』を持っているという事をのォ。
 かつて、わしも作品を書く時に見た………「パロネタ」の輝きの中にあるという『黄金の精神』を………
 わしは御簾田さんの中に見たよ………それがあるかぎり大丈夫じゃ………。

>素薔薇しい!さま
 マイと言えば、魅魔との会話が何だかやたら意味深で格好良いのが印象的です。他のキャラでも、ユキが
 倒れた後の豹変ぶりとか素敵です。このお話ではその様子は書けませんでしたが、いつかやってみたいです。

>むみょー様
 自分的東方三大お姉さんキャラの一角です、るーねぇ(残り二人はルナ姉とゆかりん
 一言でいうならば「アネモエッ!」(声:山崎樹範

>鱸さま
 創想話にプチ、絵板と、神を筆頭に魔界人が増えてますからねぇ。某スレは言わずもがな。
 魔界月間まさにその通りな感じです。怪綺談、Winリメイクして欲しいなぁ――……。

>神綺様よかったよぉぉ。でも、その兎は駄目だ。
 その兎が普段から目にしてるカリスマさん達が、アレでナニですからね。詐欺云々以前に。

>その兎の言うことは信じたら駄目だwwwwww
 大昔、神に騙されて痛い目みた事の仕返し……ではないと思いますが。裸の兎、潮風は傷に沁みます。

>「邪魔無い」っていうのが、読めない。
 「じゃまない」は某地方の方言で、「問題無い」とかそんな意味です。登場人物の科白は口語で書いているので、
 自分が普段使ってる言葉をついつい使ってしまってたみたいです。訳判らなくてすみません……。
 過去の作品を見直したら他でも使ってたし……兎も角、御指摘、有難う御座いましたっ!

>神綺様カリスマ十分あるよ!!!11
 神綺様カエリは十分あるくよ!!!11

>noさま
 見直したら、作品集26のお話では、魔理沙に「かたがってる(傾いている、という意の方言)」とか
 言わせちゃってました……。まぁ、幻想郷は四国か東北辺りに在るっぽいですし、方言喋っても良いのでは?
 ……等と下手な言い訳をしつつ、自分が使っちゃってたのは四国東北とは無関係という事実(汗

 その他の読んで下さった方々にも、感謝しています。
 正直、今回はもっと読んでくれる人は少ないだろうな、と思ってたのに……嬉しいですッ!
63.無評価名前が無い程度の能力削除
>東方歴代ラスボスの中で唯一、一作にしか登場せずプレイヤーキャラになった事も無い

SarielとKonngaraカワイソス……
65.無評価大根大蛇削除
>SarielとKonngaraカワイソス……
 忘れていた訳ではないのですが、靈異伝は封魔録以降と違い過ぎるのでカウントから除外
 しちゃってました。て言うか、魔界と地獄に永夜の6A・Bみたいな差が無いから、どちらが“靈異伝の”
 ラスボスか、と言うのがはっきりしませんし(「どっちも」なのでしょうけれど)、そもそも奴等が
 何者かもよく判りませんし……。サリエルは死の天使でその通りですが、Konngaraの元ネタが
 こんがら童子なのだとしたら“Astral Knight(星の騎士?)”って言うのも??で……。
 言い訳が長くなりましたが、要は「よく判んないからスルーしちゃえ!」という事でした。すみません(汗
 ああ、どなたか靈異伝ボスキャラ(除Mima)のお話や絵なんて作ってくれないものでしょうか?
 YuugennMaganの萌え絵とか凄く見たいです。想像も出来ませんが。
68.90nedまろじ削除
グウゥゥレイトォォオオォオウ!
71.無評価大根大蛇削除
>nedまろじ様
 「このヘアースタイルがサザエさんみてェーだとォ?」←これは違いますねぇ……。
 「そうさタイガーの様に元気いっぱあい! ビタミンパゥワァのエネルギィさーッ♪」←これも違う?
 「馬鹿で役立たずなナチュラルの彼氏でも死んだかぁあ?」←これだ! チャーハンの精霊さんですね!
72.100煌庫削除
なんていうのかな、ともあれ良い家族かなぁと。うん、まぁ神綺様カリスマあるから。多分、大丈夫だ
73.無評価大根大蛇削除
>煌庫さま
 いやぁ~、家族って本当にいいもんですねぇ。身内の前じゃ、絶対にこんなこと言えませんがw
105.90名前が無い程度の能力削除
良い。
とても良い。
107.90名前が無い程度の能力削除
無邪気なユキと対照的なマイの腹黒っぷりが良かったですw
113.100名前が無い程度の能力削除
あやや、書こうと思っていたSSに先駆者がいらっしゃろうとは。
ルイズ姉さんとアリスの会話がすごくよかった。
魔界家族バンザイ。
120.100名前が無い程度の能力削除
好き