Coolier - 新生・東方創想話

加密列幻想

2006/03/15 01:21:56
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閻魔庁舎の執務室にて、映姫は机と睨めっこをしていた。
彼女の仕事は、ただ死者を裁くだけではない。自らが下した裁きを事細かに記さなければならないのだ。そうする事で極楽に渡った者、地獄に落ちた者を容易に区別する事ができ、その数の変遷を見る事で幻想郷のみならず外の世界の動向をある程度掴む事ができるのである。
もっとも、それらの情報を得たところで彼女が外に向かって干渉する事は決してないのだが。

「………」

淀みない動きで、筆が真白な巻物の上を走る。彼女が記すのは自ら裁いた者の名、生前の大まかな所業、そして裁きの結果。自ら裁いたからとはいえ、映姫は一日に何十人から何百人もの死者の名から所業からを逐一覚えているのである。
その驚嘆に値する記憶力をもって巻物を字で埋めていくのだが、テキパキとはかどる仕事に反して彼女の顔は一向に浮かないままだった。


「…今日の極楽行きはゼロ、ですか………ふぅ」

巻物の端から端までが流れるような墨字で埋まり、映姫はそれを巻き直してすぐ傍の棚に並べる。
そして、両腕が落ちてしまうのではないかというほど思い切り肩を落としながら深い深いため息を一つ吐いた。
どうも最近、地獄行きの者が多いような気がする。裁きの基準が厳しくなったわけではないのだが、どうやら外の世界の人間はじわじわと堕ち始めているらしい……そんな気がして、映姫は心配でならないのだ。
外の世界のあり方について映姫が口を出す余地はない。しかしここ最近は地獄落ちの者が増え、当然それにつられて極楽行きは減っていく。本来裁きに情を持ち込まない彼女でも、この異常といえば異常な状態についてはどうしても考えてしまうのだった。

「昔はもう少し人間も真面目に生きていたはずなのに………」

このままではいつの日か、地獄は死者で溢れかえり地上にも流れ込んでくるのかも知れない。
地獄の責苦に染まった霊は至る所に己の呪詛を撒き散らし・・・・・・もしそんな事が起これば、地獄と地上の破滅だ。
だが、映姫にできる事は人間たちが地獄への道を歩まぬよう祈りながら裁きを続ける事のみ。何とももどかしい話だが、全ての人間に干渉するのは彼女の力と権限の範疇を大幅に超える事なので出来るはずもない。
結局、映姫は一人でも多くの人間が極楽に渡れるような生き方をしますようにとささやかな祈りを込めながら仕事を続けるのだった。

彼女にとってせめてもの救いといえば、最近小町が真面目に仕事をしているという事だろうか…



映姫の思考が重い方へ傾くの防ぐかのように、コンコンとノックの音がした。映姫の部屋を知り、そこに立ち入ろうとするのは映姫本人以外では一人だけ。
別段警戒もなくどうぞと返事をやると、いつものように着物をラフに着こなした小町がドアを開けて入ってきた。

「映姫様、法廷のお掃除終わりましたよー」

小町が今持っているのは、得物の大鎌ではなく箒。しかし肩から担ぐようにして持つその姿は閻魔大王を前にして無礼ではあるのだが妙にカッコよく決まっており、しかもこれが彼女のスタイルだと映姫は認識しているので咎めたりはしない。

「ご苦労様。私の方もちょうどカタがついた所ですし……」


ふっ、と映姫の表情にこもっていた力が抜ける。
閻魔大王から一人の少女へ、小町の上司から友達へ。あっという間の早変わり。
これを小町が初めて見た時は、これが本当に同じ人物なのかと口をあんぐりさせたほどだったが、永い永い時が経った今では『優しい映姫様に変わる瞬間』と日々心待ちにしていたりもするのだ。

「…少し早いけど、今日のお仕事はこれでお終いにしましょうか」
「はーい!」

仕事から解放された時の映姫の笑顔といったら、小町には眩し過ぎるくらい明るく可愛く映る。
だが仕事中の厳しく凛々しい顔があるからこそ、今のこの笑顔が活きてくるのだろうなと小町は考え、箒を片付けいそいそと茶菓子の用意を始めていた。





「小町、最近お仕事を真面目にこなしているようじゃない?」
「え?そ、そうですかねぇ」
「分かるわよ。私の所へ来る霊の数が全然違うもの」
「アハハ……そりゃもう、映姫様とあんな大切な約束をしたんですもん。破れませんよ」
「約束?」
「ほら、映姫様からお菓子をもらって……」
「……ああ、ああ!アレを覚えてたのね…小町ったら、なかなか律儀な所あるじゃない?」
「…あ、あたいはですねぇ、元々案内人としては一級なんですよ?」
「ウフフ……そうよね、私が見出した唯一人の死神ですもんね」

公私が切り替われば言葉遣いまでガラリと変わる。このギャップも慣れればなかなか楽しいもので、堅物として通っている映姫も実に気さくに話しかけてくる。そうなると小町も返答しやすいわけで、自ずと話が弾んでいくものだ。

「ああそうだ映姫様、お菓子で思い出したんだけど、もうすぐ『アレ』の時期ですよ」
「?……何かあったかしら」
「あー、映姫様ったら忘れっぽいんだぁ。先月、あれほど必死になってたのに……」
「…?………あっ」


お茶菓子のあられを摘まむ映姫の手がピタリと止まった。彼女が類稀な記憶力を発揮するのは仕事の時だけらしい。
仕事から離れた所ではすっかり人並みになってしまうようだが、とにかくその時の様子を思い出しては一人うんうんと頷き、ひとしきり納得し通した所で今度は硬直したまま動かない。
果たして彼女は何を思い出し何を思うのか、または何も思い出せていないのか。流石に心配になり、お茶をすする小町の手も止まってしまった。

「えーっ……と、覚えてますよね、映姫様?」
「まあ…先日頂いたお菓子のお返しは時期が決まっている、という辺りまでは」
「じゃあ話が早いや。それ、来週なんですよ」



「 な っ 」

今度は指からあられが零れ落ちた。まるで漫画でも読んでいるような、とてもとても分かりやすい反応に思わず笑いたくなるが、これで映姫はかなり真剣なので小町は我慢した。

「時期が来たらって事でしたんで。ま、一週間あれば準備できますよ」
「そ、そう…ありがとう」

落ち着き払ってあられを摘まみ直すが、震える指を見るに映姫は早くも緊張しているらしい。
きっと彼女の脳内では一週間後の映像が流れているのだろう。幻想郷のどこかで『あの』花の支配者に逢い、お返しの品を手渡す…
喜ぶ相手、はにかむ映姫。そして二人はめくるめく……………

とそこまではまだ想像(=妄想)が行かないかも知れないが、少なくとも来たるべき時の映像を幻視しているようには見えた。


「……と。それで、私は何を送ったらいいのかしら」
「ええ、ちゃーんとそこら辺も調査済みですから…『ちょこれーと』のお返しには、飴や焼き菓子を贈る慣わしらしいです」
「飴か焼き菓子……うーん」

チラリと戸棚に目をやれば、休憩時間用のお茶菓子がいくつか揃っている……揃っているのだが、果たしてそれらは頂いた『ちょこれーと』の風格に見合う物なのだろうか。人間の里で気軽に手に入れられそうな物を返したとして、果たしてあの妖怪に受け入れられるのだろうか。映姫の中で疑問がムクムクと頭をもたげる。

「あ、一応言っときますけど、どっちにしても洋モノでないとウケが悪いらしいですよ?」
「………わ、私もそう思ってたところよ」
「『ちょこれーと』のお返しに黒飴とかお煎餅じゃ、なんだかカッコがつきませんもんねぇ」
「そ、そうよね……アハハ………」

小町に心の中を見透かされたような感じがして、映姫の胸中は穏やかではない。
そして残念な事に、映姫は和風の菓子に親しみすぎて洋風の菓子類をあまりよく知らなかった。人間の里に下りれば手に入るのだろうが、それとて確実な方法とは言い切れない。


「で、どこに行けばそういうのは手に入るのかしら?」

だが、映姫には小町という実に頼りになる補佐がいた。
死者の霊と触れ合う機会の多い彼女は、必然的に多くの情報を得る事ができる。
『ちょこれーと』を想い人に渡す習慣というのを映姫に伝えたのも小町だったのだ。
ならば、自分が知らない事は小町に聞けば思わぬ答えが得られるかも知れない。

「……ダメですよぉ、映姫様」
「え…?」

小町はニヤついた顔で素っ気ない返答をしてくれた。
意地悪な事を考えているのか、またはもっと意地悪な事を考えているのかも知れない。

「あのお菓子、どこの誰から頂いた物かは知りませんが、少なくとも映姫様は誠意を持ってお返ししないと」
「そっ…それは当然。半端な気持ちでお返しする気なんてないわ」
「それなら尚更です。ここは是非とも手作りのお菓子を作ってみたら如何です?」

「……てづ………!?」



瞬間、色々な考えが映姫の中で渦巻き出す。

  洋風の飴や焼き菓子といっても、何を作ったらいいのだろう?

  そしてそれは、あと一週間で作れるのだろうか?

  そもそも自分はそれらのお菓子の事も知らなかったけど、小町は作り方など知っているのだろうか?

  そして、完成した物を『彼女』は気に入ってくれるのだろうか……?



「………お困りのようですね」

またしても映姫の心を見透かしたように、小町がニコニコと笑顔を向ける。
……もっとも、映姫は何かあれば逐一表情に出てしまうほどポーカーフェイスという言葉から縁遠いのだが。

「洋菓子の事なら詳しそうな奴を一人知ってますから、そこに行ってみてはどうですか?明日はお仕事お休みですし、一日かければきっといいモノ作れますよ」
「ふむ………じゃあ、そうしてみようかしら」


真剣な面持ちで決断を下す映姫を、小町はにこやかに見つめていた。
半分は本気で映姫の為、もう半分はどちらかと言うと自分の為。

どうしてこの方をからかうのはこんなにも楽しいんだろう、と。悪意などは全くなく………










「……はぁ。そういうわけで閻魔様が直々に………」

紅魔館のメイド長・咲夜は映姫の突然の訪問に少なからず驚いていた。
映姫は、自分が説いた事を幻想郷の住人たちはちゃんと守っているかという名目で幻想郷の視察を行った事がある。
だから今回の訪問も、十中十全までその事だろうと咲夜は踏んでいたのだ。プライベートでの訪問など彼女にとっては全く想定外の事だ。

「洋館に住まうあなたなら洋菓子にも詳しいだろうと部下…小町が言っていたもので」
「ええ、まあ……確かにケーキやクッキーは普段から作りますわ」
「今日はあなたに、その『くっきー』の作り方を教えていただきたいのですが…もちろん差し支えのない範囲で結構ですので」


映姫は、菓子作りを教わる理由を咲夜には偽っていた。即ち『裁判以外の視点から多面的に幻想郷を捉える計画の一環として』と、それらしい言葉を並べ立てて……
真意を伝えれば、それがどこから漏れるか分からない。一見口の堅そうなこのメイド長とて、どこかでそのタガが緩むやも知れないのだ。

「ちょうど、私もこれからクッキーを作る所だったんです。メイドたちからたくさんチョコレートをもらっちゃって、もうすぐホワイトデーですからね」
「ホワイト…?」
「あら、閻魔様はご存じないんですね…自分を想ってくれる人からチョコレートをもらったら、そのお返しにお菓子を送る日の事なんですよ。今日は私以外にも館の者が私と同じ事情で厨房を使っていて、少々騒がしいかも知れませんが」
(……小町が言ってた事と同じね)
「しかしこんな時期にいらっしゃるものですから、てっきり閻魔様もそのクチかと思ってしまいましたよ」
「…そ、そ、そんな、滅相もない!私のはあくまでも見聞を広める為であって……!」

咲夜もまた、危うく映姫の心を読み取る間際の所まで迫っていた。
茹蛸のように顔を赤くして全力で腕をパタパタさせて否定しても、帰ってそれが遠まわしな肯定になっている事に映姫は全く気付かない。勿論それに気付かない咲夜ではなく、逆に気付かないフリをしてさり気なく映姫の棘を突っつく。
表情に出さないだけで、小町と同じく咲夜も映姫の心の内に早くも気付きかけていたのだ。



「ところで、作ったクッキーは閻魔様がお一人で?それとも誰かにお配りするとか?」
「えっ!?……ぇ、ぇーとぉ…ほら、『知らぬが花』という言葉もあるのですよ?」
「……こういう場合、『知らぬが仏』では…?」

「………ぇ?」


沈黙が走る。
慣用句を間違えてしまった(?)気まずさではなく、思わず口走ってしまった言葉そのものに対する軽い後悔で。
咲夜は気付いていないようである。というか、あの一言で己の秘めたる想いの子細に至るまでをも気付かれていたらたまったものではない。
バレてない。バレてない。バレるはずがない。
何度も自分に言い聞かせて、とりあえず映姫は平静を装う。

「あれ…どっちでもよかったかなぁ」
「どっどど、どっちでもいいのですよ、大して意味は変わりません……つまり『言わぬが花』と言いたかったわけで…………ハッ」
「?」
「ッッッッッ…………………!!」
「??どうかなさいました…?」
「いぃッ!?いいいいいいえ、なななな何でもありませんよ?」


諺で示されている通り、同じ過ちは二度までなら容易に起こり得る。
平静を保っているつもりで頭の中が完全に茹っていた映姫は、自分の中で勝手に禁句指定をしていた単語をまたしても使っていた。

『花』、この一字を映姫は言葉に出す上での禁忌としていたのだ。
ひとたびこの言葉が出てくれば、映姫の中で甘い香りと共に『あの』不思議な笑顔が甦る。
だが『何事においても平等』を信条とする彼女が誰か一人に傾くなどあってはならない事なのに……
傾いてはいけないのに、どうしても気持ちが傾いてしまう。
これが世間で言うところの『恋』という物なのかと考える間に体の芯がどんどん熱くなり、息が苦しくなり、呂律が回らなくなる。このままでは取り繕おうとすればするほど深みに嵌ってしまう泥沼だ。

「あっあっ、あのですね、これはぁ………!」
「ウフフ…閻魔様ったら、花がとてもお好きなんですね」
「えっ……えぇ!?」
「『知らぬが花』に『言わぬが花』だなんて……次は『花より団子』でしょうか?」
「ぁぅ………… い や 、 ま ぁ そ の 、アハハ………ハァ」


全くいい所での咲夜の助け舟だった。
やはり、『花』の一字だけで全てを察する事などできはしない。緊張の糸がやや緩み、引きつった笑顔を浮かべつつも映姫は大きな大きなため息を一つ吐いて体の内の熱をどこか名残惜しそうに感じていた。



――認めたくはないが、やはりこれはそういう物なのかも知れない、と………























そして一週間が経ち。


「久しぶりですね、風見 幽香」
「あらー?」

風見 幽香という妖怪は、幻想郷にちゃんとした住まいを構えている。
だが花を愛しすぎるあまり殆ど毎日幻想郷をのんびり飛び回っていて、自宅にいるという事は寝る時以外殆どない。
だから本来ならその行方を掴む事は容易ではないのだが、彼女に限っていえばその志向ゆえに例外的存在と言えた。

「お久しぶり、閻魔大王さん……一ヶ月ぶりってところね」
「…確かにそれくらいは経ちますか」
「よく私の居場所が分かったじゃない?それとも私を訪ねて三千里?」
「一月前、あなたが去り際に残した一言がヒントに……いや、答えそのものになってくれましたよ。こんな物、上空から見落とすはずがないじゃないですか」

バッと腕を振り、すぐ横を指した先には向日葵の花が咲いていた。
それも一輪ではない。二人を取り囲むように、さながら黄金の海がうねり広がっているのだ。しかもまばらに草花が咲いている程度の広い野原に、突然無作為に咲き乱れる無数の向日葵である。これで怪しまない者はいない。
『常に向日葵と共に居る』という自身が残した言葉の通り、幽香は健気に咲く草花の一輪を追いかけては自らの能力で『仲間』を創っていた。
ならば映姫は、その向日葵の中を探せば必ずどこかで幽香に会えるというわけだ。

「ああ、そういえば……ところで今日は何のご用事?閻魔さま直々のお出ましとなると、何かとんでもない事でも起こるのかしらねぇ」


にやり。
まるで小町か咲夜のような、相手の心を見透かしたような微笑を浮かべて幽香は映姫の言葉を待つ。
この顔だ。ひょっとしたら何気ない質問をしているように見せかけて、実は自分が幻想郷に下りてきた目的も見抜いているのかも知れない。
映姫の中で芽生えたささやかな疑問はたちまち疑心暗鬼に変わり、それすらあっという間に飛び越えて妄想にまで至る。

――今日がいわゆる『ホワイトデー』である事は彼女だって知っているに違いない。

――向日葵を咲かせていたのは、ひょっとしたら自分に見つけて欲しかったからかも知れない。

――そしてその理由は……その理由は………?





「……あ、あ、あなたは人の心をみ、乱しすぎる!」
「…は?」

妄想が妄想を呼び、映姫の石頭はあっという間に沸点寸前。
血迷った挙句に口調だけが仕事モードになってしまい、中間の思考を省いた言葉が迸る。
勿論、言った本人すら何を言ったのかよく分かっていないのである。

「…あなたに言われるまでもなく、妖怪ってのは人様を惑わすものだけど……私があなたに何かしたっけ?」
「し、したじゃないですか……よもや忘れたとは言わせませんよ」

言いながら懐をまさぐり、白い箱を一つ取り出した。
赤いリボンも添えられたそれを見て、幽香の顔にちょっとした感嘆の色が浮かぶ。
そう、その箱はつい一月ほど前に幽香が映姫に贈った物だったのだ。

「へぇ……」
「先日の贈り物はお返しをする日が決まっていると、私の部下が………」
「それで律儀にお返しを?…うぷっ、アハハハッ……!」
「………!?」

流石に中身は全てなくなってしまったようだが箱は皺の一本もなく保管されていたようで、リボンを見ても折り目の一つもない。
幽香自身は箱に思い入れなど全くなかったのだが、こうした映姫の行動がどこか可愛らしくて嬉しくて、感嘆の色は映姫がそれに気付く前に嬉し笑いに取って代わられた。
ここでいつもの映姫なら、自分の行為に対して笑った相手を窘める所だろう。だが既に正常な判断を下せなくなっている彼女の事、言葉で切り返す事は不可能なわけで、代わりに行動で自分の思いを示そうとする。

「と、と、とにかくこれをッ!」
「ん?」



再び懐から差し出されたのは、幽香から贈られた物よりもやや平たい箱だった。
茶系の落ち着いた色合いの包装に赤いリボン、こちらもまたプレゼントを思わせる装丁で、それを差し出す映姫の顔もまた赤い。

「し、正直な話…こういうのをした事がないので全く勝手が分からないのですが……」
「そうね、あなたはそんな感じだもんね……ん?これは………?」

鼻を犬のようにクンクンと鳴らし、映姫の前で無礼である事を知ってか知らずか、遠慮なく箱に鼻を近づける幽香。だがその様に下品な風はなく、まるでワインを味わうソムリエのよう。行為そのものに多少の違和感を覚えつつも、結局映姫は幽香を咎めずその様子を見守っていた。

「あ、あの…何か……?」
「いい香りね、これ」
「…分かるんですか……そ、それは中身はクッキーなんですが、香り付けに……」

「カモミールティーね。カモミールには鎮静・リラックス効果があって、紅茶の香り付けやハーブティーにもよく使われるわ。そして花言葉は『親交』………それにしても、花言葉に疎かったあなたがこんな味な事を…誰かの入れ知恵?」
「!」
「それとも自分で色々調べたのかしら?まあ、あなたならそういう事もやりそう か も 」

箱越しでは微かにも漂ってこないような香りに幽香は敏感に気付き、あまつさえその隠し味を(咲夜の入れ知恵であり受け売りだが)自分が説明する前に言い当ててしまった。
その事に映姫は驚き、そして幽香の離れ業に素直に感心していた。

「うふふ……ただの石頭かと思ってたけど、結構かわいい所あるじゃない?」
「な、なッ……!…こ、これはあなたから頂いた物に対するお返しなのです!決して変な意味では…」
「でもあなたは律儀に、日付まできっかり合わせてお返しをしてくれた……もっと素直になってもいいのに」
「う………ッ」





向日葵の花が風に揺れて、ざわざわと騒ぎだした。それはまるで二人の会話を外に漏らさぬ為とも、二人のやり取りを見て花たちがざわめいているようにも見て取れる。
だが外から見れば一面の向日葵畑、その中に立つ二人の姿は背の高い花にすっかり覆われていてその妖気の出所すらもあやふやになってくる。そんなざわめきの中で幽香は、必要以上の言葉を使わない。最小限の言葉と得意の笑顔で映姫の反応を引き出し、それを見て楽しんでいるのだ。
悪意などはなく、純粋に映姫の言葉を知りたいが為に……



「………少なく、とも…あなたの事は、嫌いではない……です」
「!」

ぽつりぽつりと映姫が呟く。
花のざわめきにも負けてしまいそうな頼りない声を、幽香は聞き漏らすまいと聞き耳を立てる。

「しかし、曲がりなりにも分け隔てなく他者を裁く力を与えられた私が、どうして誰か一人だけに気持ちを傾ける事ができましょうか……」
「………」
「それが私の結論です……どうかそれは、いつかのお返しとして貰っておいて下さい」


ざわり、ざわり。
花たちのざわめきは一層大きくなり、映姫の言葉の最後はもはや聞き取れなくなっていた。これでは普通に喋っても言葉は相手の耳まで届かないだろう……だからなのか幽香の方からそっと歩み寄り、映姫の手を優しく握る。
映姫も、離れようと思えばゆっくり近づいてくる幽香から確実に間合いを取れたはずなのに、優しい笑みを浮かべ続ける幽香から目を逸らせずに、背を向けられずにいた。



「…あなたの結論って、『公私の公』のお話でしょう?でも仕事以外の理由でこんな所まで来ているという事は、今のあなたは勿論『公私の私』……ハッキリ白黒つける能力があるなら、そんなこだわりなんて関係ないんじゃない?」
「……あ……………!」


耳元で囁きかけてくる幽香の言葉で、映姫は丸く目を見開いた。
どうやら今まで一人で勝手に場の空気に酔って、自らの能力と性分を忘れていたらしい。
しかもそれを他人から指摘されようとは……今度は純粋な恥ずかしさのあまり、再び映姫の顔に赤が灯る。

「いっぱいいっぱいになり過ぎてて気付かなかった?…まあ、この幻想郷でやっていくにはあまり難しく考えてたらダメって事よ。どっかの妖精みたいになっちゃうわ」
「は、はぁ……」
「それはそうと……………」





ふわり。





「ッッッ…………………ちょっっ………なっ……!!?」
「これ、ありがとね!美味しく頂くから♪」

映姫の耳元で囁くついでに、返す刀で右頬にそっと唇でタッチ。手を取られていたのと完全な不意討ちで、映姫は真顔でそれを受けてしまった。
若草色のウェーブが顔を撫で、何をされたのか気付いた時には既に幽香の温もりが離れ始めた後。遅れて花の甘い香りと唇の柔らかい感触がやって来る。
慌てて顔を三度赤らめるも時既に遅し、映姫にはプレゼントの箱にもキスをして微笑む幽香の姿が眩しく映っていた。



「あ、あ、あ……あなたはやっぱり人を惑わしすぎるっ!」
「あははははっ!だってあなた、スキだらけだったんだもん」
「それはつっ、罪深い事なんですからぁっ…………!」
「唇じゃなかっただけマシだと思って頂戴、じゃあね~♪」
「ゆ…有罪っ…!有罪っ…!」



「…………………」


瞳をぐるぐる回しながら笏をブンブン振り回す映姫を嘲笑うかのように退く幽香。ついでにパラソルを開いて高く飛び立ち、いつぞやの蒲公英の綿毛のようにふわふわと漂いながら逃げていく。無邪気な笑い声と共に後に残された映姫は、空を飛ぶ事も忘れて自らの足だけで幽香を追いかける。だが向日葵の茎を掻き分けながらも畑を抜け出た時には、幽香の姿は本物の蒲公英の綿毛ほどにまで小さくなってしまっていた。
幽香が幻想郷内でも屈指の実力者であるという話は映姫の耳にも届いている。自分が全力で追いかけた所で、彼女は追いすがる映姫を微笑さえ浮かべながら余裕で引き離してしまう事だろう。
追って来ても無駄無駄と、幽香の妖気と二人の距離が雄弁に物語っている。だから今の映姫にできる事といえば、頬を押さえながら自分の気持ちを整理するくらいだった。























「え、映姫様~!」

三途の河を渡って閻魔庁舎に戻るや否や、小町が映姫の下に飛んで来た。
映姫がプライベートで下界に降りていた通り、この日は閻魔庁舎の休日。だから小町もずっとここにいなければならないという事はない。
だが血相を変えてやって来た小町を見て、映姫の赤らんだ顔があっという間に凛々しい仕事モードへと切り替わる。

「どうしたの、小町?」
「あ、あのッ!あたい、あたい………ごっ、ごめんなさぁいっ……!」
「……!?」

いきなり頭を下げられても映姫には何が何だか分からない。
ただ、小町がこれだけ真剣に謝るというのは実に珍しい。仕事の怠慢を咎めた時でもここまで真剣に頭を下げた事は、少なくとも映姫の記憶にはなかった。

「え……ちょっと待って小町。あなた、何かしたの?」
「しちゃったんですよぅ………実は、そのぅ………」
「…今日はお仕事じゃないんだから、少しくらいの事では怒りはしないわ。さあ、言ってごらんなさい」

普段は威勢がいい割に、自分に落ち度があった時の小町は途端に小さくなってしまう。
ましてや絶対に頭の上がらない映姫が相手では、まるで子どものように縮こまってしまうのだ。
だが部下の話を聞いてやるのも上司の仕事。親が子どもを諭すような言葉で小町に問いかける。

「…あたい、映姫様に『ホワイトデー』の事を伝えたのに、あたいは映姫様には何も………」
「……あぁ、あの事?」
「ああもう本当にごめんなさい!色々考えてたんですけど、煮詰まりすぎちゃって結局何も決められなくって…」
「そんなに気にしなくていいわ…ほんの小さな事じゃない」



つい一月ほど前の事が、再び鮮明に脳裏に甦る。
あの時、映姫は幽香からもらったチョコレートを『日頃の労いの気持ち』として小町に一つあげたのだ。
あの時の小町は別段動揺していた感じではなかったはず、むしろ小言を聞き流すような飄々とした口ぶりだったのを覚えている。それなのに、意外と言えば失礼だが律儀にお返しをする事を考えていてくれたらしい。

「私はあの程度の事にいちいち見返りなど求めないわ…あなたがあの時交わした約束を守ってくれているのだから、それで十分よ」
「えっ、映姫様はよくっても……それじゃあたいがスッキリしないんですっ!」
「…でも、何も用意できていないんでしょう?無理に何かしてくれなくてもいいのよ?」
「……いえいえ、それが、そのぉ………」

ガラにもなく身をくねらせて顔を赤くする小町。
こうなった時の小町は、本当に見た目に反するような子どもらしい顔を見せてくれるのだ。
見た目からして映姫より背が高く身体のラインも大人のそれ。そして江戸っ子のような男口調にちょっぴりがさつな性格に慣れているとなると、日常の中で垣間見せる幼い少女のような顔はそれはそれは深い衝撃となって心に刻み込まれるのだ。

――だからといって、その顔の時の小町はする事成す事全てがかわいらしいとは限らないのだが。



「そりゃまあ、流石に今から気のきいた物なんて用意できやしないんですけど……でも、こんなあたいにでも今すぐできる事があったんです」
「へえ。何かお手伝いでもしてくれるのかしら?」
「そ、それはですねぇ……」


ふらりと小町が映姫に歩み寄る。
このさり気なさを装うような近づき方を映姫は知っている………いや、ついさっき体験したばかりだった。
今なら、小町の動きを読んで後ろに退く事もできる。だが頭でそう思っていても、心と体がそれを拒んで動けない。
どうせなら小町の行動を見届けてやろうと、小町の想いを受け止めてやろうと彼女を受け入れ……





ちゅっ





「……………!」
「こ…こんなもんですけどごめんなさいっ!」


映姫の読みどおり、小町は幽香がしたのと殆ど同じように頬に唇を合わせてきた。
違いといえば小町の方がやや勢い任せのキスだった事、そして左頬にキスをしてきた事。
そして小町にはキスの後に恥じらいがあった。彼女が映姫に対してどんな想いを抱いているのかはともかくとして、やはり上司が相手となると抵抗もそれなりにあるのだろう。実際、幽香には全く恥じらいがなかったのだから…



「あ……ありがたく受け取っておきますね」
「…は、はぁい」
「……それと、言うまでもないと思いますが」
「ええ、明日からまたお仕事に励みますよ」
「頼むわね。一級水先案内人さん?」

「…はいっ!」























やはり、一度不意討ちを受けて慣れがあったとはいえ、やはりキスをされる事には少なからず抵抗がある……
執務室に戻り一人になった映姫は、激しく脈打つ胸を漸く押さえる事ができた。
幽香の時は緊張を通り越した一種の放心状態だったので、胸の鼓動も何もあったものではなかったのだ。
だが小町の時は違う。見慣れた相手で自覚できる程度の緊張だった故に、小町の想いを最もストレートに伝える行為によって胸は思う存分高鳴り、いつ声が裏返ったり顔が真っ赤になったりしてもおかしくないような状態だったのだ。


「こういうのが………下界で流行ってるのかしら」

左右の頬を交互に撫でながら、交互に受けた感触を思い出す。
違和感はあったが決して悪くはない、仕事がない時にならこういう感触を味わうのもたまにはいいのかも知れない。
幸い、下界や外の世界の事に詳しい者が近くにいるのだから…

安堵のため息を一つ吐き、映姫は湯飲みではなく珍しくティーカップを戸棚から出した。
紅魔館を訪れた際、お土産にとメイド長から持たされた物があったのだ。


「花言葉は『親交』、か………」



物が整然と並ぶ執務室に、甘い香りが立ち込める。
滅多に飲まない紅茶を一口すすり、どこかに消えてしまった『彼女』に想いを寄せて。
『彼女』もまた、幻想郷のどこかで同じ想いを抱いているのかも知れない――

(end)
映姫様はツンデレだよ!(挨拶
今更ですがこの話、作品集26「語らずの花」から繋がっています(ぉ

3月14日の誕生花はカモミールで、カモミールは東方シリーズとそれなりに縁深い紅茶に使われ、
更にカモミールの花と花映塚の幻想春花は形がよく似ている(色は全然w)・・・・・・
これって偶然とは思えないような気が(ry

映姫様の「公私が切り替わると口調も変わる」というのは、EXAMさん考案の設定を一部拝借させていただきました。
この場を借りて多謝m(_ _)m

和菓子好きとかいっぱいいっぱいというのは割と自分設定で(ぇ
『映姫様はツンデレ委員長』がもはやマイジャスティスになりつつあるようですw
0005
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コメント



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1.70翔菜削除
あはははは! 何この微笑ましいえーきさまと思ってたら、

三 角 関 係 か な ?  か な ?
3.80削除
はァッ かかクッ おはァッ んふぅ

読んでる間に聞こえてきた自分の声を文字にしてみました。
4.80名前が無い程度の能力削除
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
5.100名前が無い程度の能力削除
何このツンデレ映姫さまwww
7.80名前が無い程度の能力削除
にやけが止まらないっ!!!!!!
13.90名前が無い程度の能力削除
も・・・モエ・・・ェェェエエ
18.90名前が無い程度の能力削除
>ゆ…有罪っ…!有罪っ…!
   撃  沈
19.100名前が無い程度の能力削除
‘うひゃあ!!!!!!!いいぞー!これはいいぞー!
24.100名前が無い程度の能力削除
>ゆ…有罪っ…!有罪っ…!

やばいwwwwwwwwwwwwwwww
29.80CCCC削除
グッドツンデレ!良い仕事だったぜっ!!
31.80回転式ケルビム削除
これはもはやツンデレと言うよりツンデレデレw
幽香と小町がお互いを知ったときが怖い・・・
32.100名前が無い程度の能力削除
ちょっ……なにこの映姫さま。可愛すぎ。
35.100名前が無い程度の能力削除
ぐはぁっっっっ!!!!
ち、致命傷・・・_□○_て
47.80はむすた削除
有罪っ……! 有罪でも仕方がない……!
55.90削除
ゆ、有罪っ・・・!有罪ですっ・・・!!
58.100煌庫削除
さ、裁判長!彼女の存在そのものが有罪かと思われますが!?色々な意味で!
68.100Admiral削除
ゆ…有罪っ…!有罪っ…!
79.80自転車で流鏑馬削除
体がグネグネ動くのを止められない・・・!!
81.100名前が無い程度の能力削除
この俺を萌えさせるとは……なんという有罪SS。
82.100名前が無い程度の能力削除
おっと なぜか鼻からトマトジュースが
86.90名前が無い程度の能力削除
鼻からケチャップががが