我輩は兎である。
名前は既に三つある。
まず最初に来るのが、本名の鈴仙。
元々は漢字表記ですら無かったんだけど、地上の風習に合わせろってんだコラァとの事で、
半ば強制的に漢字にさせられたという次第だ。
誰にさせられたのかという点は、想像にお任せしたい。
どうせならその勢いで、紅い連中にも漢字を当ててやって欲しいものだ。
そんな事をしたら、全面戦争確定だろうけど。
次がイナバ。
これは名前というよりは、兎という種族の判別手段のようなものかな。
まあ、約一名程、これ以外に私の呼称を知らない人物がおわすので、一応加えておきたい。
自分の事にしては妙に他人事っぽいけど、そうならざるを得なかったという辺りで察して欲しい。
私も色々と大変なのよ。
で、最後。
本来なら鈴仙とイナバの間に挿入されるもの。
それが……優曇華院。
間違ってもゆうくもばな等と読んではいけない。
う・ど・ん・げ・い・ん。
うん、もう一度。
う・ど・ん・げ・い・ん
はい、宜しい。
で、態々確認させておいて申し訳無いんだけど、実はこれも呼び名としては殆ど使用されていなかったりする。
というか、私が呼ばせてないからだけど。
この名前で呼んでいいのは、名付けてくれたあの人だけなのよ。
……と、これまでは思ってたんだけど。
「鈴仙、鈴仙ってば。聞いてるの?」
「あ、はい……」
その本人が権利を放棄してしまうというのは、如何なものかと思う訳です。はい。
「どうしたの? 突然虚空を見上げたりして。亡霊でもいたの?」
「……私の知る亡霊なら、今頃はきっと、広間でお茶菓子でも貪り食ってると思います」
「でしょうね。ま、とりあえず行って来るわ」
「はい、お気をつけて」
私の苦悩を余所に、師匠は意気揚々と去っていった。
……少し嘘かな。ちょっと肩が落ちてたかも。
何しろお題目が『第二回レトロスペクティブ京都は誰のテーマ曲か会議』だしね。
こんな時つくづく、幻想郷って平和だなと思う。
第二回ということは当然、第一回もあった訳なんだけど、
その時は、ウチの姫と件の亡霊嬢がバックボーンを武器に優勢になった辺りで、呼んでもいない吸血鬼様が乱入。
思う存分槍を振り回して、ぶち壊しにして下さったらしい。
大方、今回も同じオチだろう。
そうなるのが半ば分かっている筈なのに、わざわざ真昼間から集まるんだから……。
高貴な連中とやらの考える事は分からないわ。
ちなみに師匠は早々に権利を姫へと委譲したらしい。流石だ。
っと、そんなことよりも名前だってば。
言っておくけど、別に私はうどんげという呼称を広めたい訳じゃない。
むしろ、そんな事態に陥ったら、寂しくなくても死にたくなる。
あくまでも、私をウドンゲと呼んで良いのは師匠だけ……。
……しかしながらその師匠は、何時の間にやら私の事を『鈴仙』としか呼ばなくなってしまった。
これは由々しき事態である。
師匠にとって、私の存在が希薄になりつつあるという可能性が否定できないからだ。
逆に、私にとって師匠の存在は、優先順位的に終生名誉一位と位置づけられている。
そこから下との間には、決して越えられない高い壁が存在するのだ。
それが意味するものは何か……?
……
………
…………
ううっ、想像したらまた死にたくなってきた。
この状況での一方通行アプローチは、寒いとかそういうレベルの問題じゃない。
仮に目の前で用済み発言でもされようものなら、
即座に弾薬フル装填のロシアンルーレットを慣行する自信があるわ。
……いや、私だってそんな事したくないけどさ。
と、とにかく、そんな悲劇的結末だけは、何としても回避しなければならないの。
その為には、まず師匠の本意を確認する必要がある。
ぶっちゃけて言うと、師匠から自発的に、私の呼称をウドンゲへと戻して貰うのだ。
馬鹿馬鹿しいとは言わせない。
これは、私の未来が賭かった聖戦なんだから。
作戦名『愛(称)を取り戻せ』発動よ!
ご存知の通り、師匠は天才。
実の所、この天才というのが曲者なのだ。
というのも、師匠は時々、私は愚か、姫やてゐにも理解出来ないような突飛な行動に出ることがある。
朝起きて突然、白トリュフを探しに山へと駆け出したり、食事中にいきなり脳天唐竹割りを慣行したり、
気紛れで薬剤の調合量を変更した挙句に研究室を永遠の瓦礫へと変貌させたり……まぁ、色々だ。
天才と何とかは紙一重という言葉が思い出される。
え? とっくに通り越してるんじゃないかですって?
殺 す ぞ?
○という○に○○突っ込んで○○を○○○させて○○してあげましょうか?
……おほん、失礼。
そうじゃなくて、私が言いたいのは、この一件もただの気紛れなんじゃないかという線。
いや、もし本当に気紛れだったら、それはそれでショックなんだけど……。
って、その程度でめげては駄目よウドンゲ!
最悪の事態を想定するのは戦場だけで十分、今は希望的観測こそが大事なんだから。
多分。
と、いう訳で、私が用意したアイテムは、小麦を引いて粉末状にしたもの。
俗に言う所のうどん粉ね。
……こら、そこ。哀れむような目をしないの。
きっと、私のプランを聞けば、そんな考えは吹き飛ぶでしょう。
まず、これで何をするかというと、当然ながらうどんの作成。
流石にうどん粉ではタイムスリップもトリップも出来ないからね。
で、そのうどん……平仮名だとややこしいから饂飩と呼ぼう。
実のところ、私は饂飩が嫌いだったりする。
何故なら、まるで自分を食べているような感覚に陥るから……ではないと思いたい。
蕎麦やパスタは勿論、素麺だって平気なんだけどね。
……やっぱり名前なのかなぁ。
で、当然それは、師匠も良く知っている筈。
その私が自分から饂飩を啜っている光景を目にすればどうなるか?
『ウドンゲ、どうして饂飩なんか……あっ!?』
『師匠……やっと……やっと気付いてくれましたね……』
『まさか貴方がそこまで追い詰められていただなんて……ああ、ウドンゲ。愚かな私を許して!』
『許すも何もありません。またウドンゲと呼んでくれた、それだけで私は幸せなんです』
『なんて健気なのかしら……でも、もう我慢しなくても良いのよ。さぁ、私の胸に飛び込んでいらっしゃい!』
『うっ……し、ししょーーーーーーーーう!!』
『うどんげーーーーーーーーーーーーーっ!!』
……OK、完璧ね。
この瀟洒なるプランの前には、CIAもモサドも裸足で逃げ出す途中で躓いて川に落ち、
流される最中に財布を忘れた事に気付いて愉快だろう。
勿論、私も愉快よ。
「ゆかいつーかいかーいぶつくんはー」
おっと、気分が良すぎて、つい歌声まで出てしまったわ。
……ん?
何故だろう、兎達が皆こっちを見ている気がする。
しかもまるで汚物を見るかのような視線で。
普段ならば制裁を加えるために捕まえに走ったところを、落とし穴に引っ掛かって、結局師匠に救出されるという所だけど、
何しろ今は素晴らしく愉快なので許してあげよう。
さて、それよりも師匠が戻る前に完成させないと。
結婚式の時は宜しくね、皆。
「あら鈴仙、随分と珍しい物を食べてるのね」
「……そうですか」
「スイトンなんて見るの何年振りかしら。少し貰っていい?」
「……ええ、沢山ありますから」
作戦、失敗。
主たる原因は、饂飩作成技能の欠如にあり。
再考を求む。
……というか考えてみたら、嫌いな食べ物を自分で作れるわけ無いじゃない。
かといって、誰かに頼んだら台無しだし……結局、この作戦には無理があったという事ね。
CIAとモサドとKGBと、ついでにレジデント・オブ・サン辺りにも謝罪しておこう。
「んー、中々美味しく出来てるじゃないの。少し人参入れすぎなのが気になるけど」
「……済みません」
ふ……どうせ私は、饂飩を作ろうとしてスイトンになってしまう駄目兎ですから。
「っと、和んでいる場合じゃないか。少し出かけてくるわ」
「え? 何処へですか?」
「メディスンの所よ」
ぐ……。
よりにもよって、今一番聞きたくない名前が……!
……駄目よ。落ち着きなさいウドンゲ。
あんな無機物相手に嫉妬するほど、貴方と師匠の仲は浅くは無いでしょう?
……いや、浅いかもしれないから、こうして私はスイトンを啜ってる訳で……。
「そろそろ備蓄が心もとない……って、聞いてるの?」
「え? あ、はい、勿論聞いてます。師匠のお言葉は一言一句向こう五十年に渡って記憶済みです」
「そ、そう、侮れない記憶力ね」
「って、会議のほうは良いんですか?」
「平気よ、姫に一任しておいたから」
「……」
余計不安だ。
勿論、口には出せないけど。
ここは広間が血に塗れていない事を願うより他無いだろう。
何故って、掃除が大変だからよ。
「じゃ行ってくるわ。スイトンご馳走様」
「はい。お粗末様でした」
ああ……行っちゃった。
手料理を食べて貰ったというサブイベントは発生したけど、
私が料理当番の日なんて珍しくもないし、好感度アップには程遠いわね……。
それにしても、まずい。
いや、スイトンじゃなくて状況が、よ。
統計によれば、師匠が鈴蘭畑へと向かう頻度は増加の一途を辿ってるわ。
しかも、私の見た限りでは、明らかに師匠はあの毒人形を気に入っている。
行くと不愉快になるのが分かりきってるから、あれ以来は一度も着いていってなかったけど、それが逆効果だったのかな。
このまま放置しておけば、新しい弟子として皆に紹介される日も遠く無い気がするわ。
……そんなのは嫌だ。
月の頭脳、八意永琳の唯一にして無二の弟子という肩書きは、私の誇りだ。
絶対に失う訳には行かない。
でも、どうすればいい?
……
………
…………
……ごめんなさい。
これまでの数々の妄言は訂正させて頂きます。
所詮、私は馬鹿な兎です。
だからもう、これ以外に手段は見付からないの。
作戦名『カミカゼ』発動します。
「師匠っ!!」
第八研究室の扉を、勢いのままに自慢の美脚で蹴り破って突入する。
私独自の調査によれば、師匠はお出かけの前には必ずこの部屋に立ち寄っていたからだ。
師匠の元を訪れる弟子のアクションにしては少しはしたない……というか色々と論外だとも思うけど、
今の私ではこれくらいの勢いがないと、とても前に進めそうになかったから。
ついでに言うなら、どうせ修理するのも私だし。
「……随分と豪快な登場ねぇ鈴仙。また襲撃者でもお出まし?」
果たして調査は正確だった。
師匠はくるりと振り向くと、私に視線を投げかけてきた。
それもなぜか眼鏡のレンズ越しに。
何故眼鏡? というかそもそも、蓬莱人に眼鏡の意味があるんだろうか。
……多分無いけど、凄く絵になってたから気にしないでおく。
むしろ、私の中の師匠萌えポイントが28はアップしたくらいだ。
まぁとっくに8桁を越えてるから些細なものだけど。
「違います。実はこの度、どうしても師匠に伺っておきたい事がありまして」
「それは稲妻レッグラリアートを炸裂させるくらい重要なものなのかしら」
「はい、この案件の前には、扉の存在は藤波の腰くらい柔なものです」
「……良いわ。聞きましょう」
眼鏡の奥の瞳が、ぎらりと光った。
私の中に否応無しにも緊張が走る。
でも、それと同時に、ある昔の出来事も思い起こされた。
狂気の瞳を持つ私を相手に、初めて真正面から視線を合わせた人の事を。
……もっとも、その時は眼鏡なんて掛けてなかったけどね。
「しっ、師匠! どうして私の事をウドンゲと呼んでくれないんですかっ!」
言えた。
少し噛んだけど、確かに言えた。
果たして師匠は、この言葉をどう捉えただろう。
何をいきなりと呆れたか、そんな事の為に扉蹴破ったんかいと怒ったか。
でも、現実の光景は、そのどちらでもなかった。
「……んー……」
師匠は珍しくも悩んでいるような素振りを見せていた。
それは即ち、呼称の変更に、何かしらの理由があったという事。
そして、私に伝えづらいものだという事に他ならない。
「そ、その、言って下さい、私は何を言われても気にしませんから」
「え? あ、いえ、違うのよ。そうじゃなくて……」
「?」
「だって、ねぇ。貴方、ウドンゲって呼ばれるの嫌がってたじゃない」
「……へ?」
一瞬、意味が分からなかった。
だって、そんな事が在り得る筈もなかったから。
でも、それが私の主観ではなく、師匠から見た私という存在に対しての言葉と気付くのには、そう時間は要さなかった。
「ち、違います! そんな筈がありません!」
「でも、事ある毎に言ってたじゃないの。私をウドンゲって呼ぶな、って」
「アレは師匠以外の連中に対してです!」
「……? 難儀ねぇ」
「って、そこで納得しちゃ駄目ですってば!」
拙い。
このままではまた、独自の天才的理論で勝手に整理を付けられてしまう。
だから、その前に私が言わないと。
恥ずかしいとか、そんな事を考えてる場合じゃないんだ。
「わ、私にとって優曇華院という名前は特別な位置付けなんです。
他の誰でもない、師匠が名付けてくれたものですから。
でも、だからこそ師匠以外にはそう呼んでは欲しくなかった。
数少ない絆の一つだと思っていたからっ……」
気は張っていたつもりなのに、どうしても語尾が滲んでしまう。
ううう……情けない。
「……」
あ、眼鏡外した。
心無しか、ちょっと表情が険しく見える。
……やっぱり、怒ったのかな。
出立を邪魔するかのように怒鳴り込んだ挙句、支離滅裂な主張されたら、そりゃ怒るよね……。
「……ふぅ。ウドンゲ、ちょっとこっち来なさい」
「え? あ、はいっ」
呼んだ!
今、確かに呼んだ!
そう、この気だるげな発音こそが、まさに私の待ち望んでいたものだったのよ。
もう、怒られてもいい。
殴られても蹴られてもウォールオブジェリコで固められても私は受け入れる。
なんか、目的と手段が入れ替わってる気がしないでも無いけ……!?
「馬鹿。勝手に拡大解釈するんじゃないの」
「……ふが……!?」
次の瞬間、私は師匠に抱き竦められていた。
「本当、困った子ねぇ。
人が折角、気遣って変えてあげたのに、それをわざわざ負の方向に受け取るんだから。
……もっとも、そこまで思いが至らなかった私のほうが、もっと問題なんでしょうけど」
「……もが……」
違います。という反論の言葉は、圧倒的なツインウェポンにあえなく吸収された。
自発呼吸が許されないという苦痛と、この世の春とでも言うべきマーヴェラスな感触のツープラトン。
それは、私の意識を混濁させるには、十分すぎる破壊力だった。
間違いない。
狂気の瞳なんかより、凶器のおっぱいのほうがずっと強いんだ。
「でも、少し嬉しかったわよ。
優曇華院という名前にそこまで思い入れを持っていてくれたんだもの。
それが本気で嫌がられていたのなら、私の立つ瀬が無いものね」
「……ふが……」
師匠の口調がいつになく優しい……気がする。
何故はっきりしないのかって、残念というか至福と言うか、
今の私の頭の中はおっぱい一色に染められていた為に、冷静な思考が出来ないのだ。
人は自分の持たないものを羨望するもの。
しかし、その格言は今の私には到底当てはまりそうにない。
この偉大なる双丘は、師匠が持ち得るからこそ、完全な存在と成っているのだ。
素晴らしき哉、おっぱい。
「……ねぇ、ウドンゲ。貴方、さっき自分で言った言葉覚えてる?」
「……?」
「師匠のお言葉は一言一句向こう五十年に渡って記憶済みです。だったかしら」
「……もが……」
言った。……ような気がする。
残念ながら私は、自分の発言を正確に記憶するほどの容量の脳は持っていない。
何しろ、98%は師匠の事柄で埋められていたから。
しかも今は、残りの2%も含めておっぱいで上書きされている。
「だったら当然、貴方を弟子と認めた日の事も覚えているわよね?」
「……むぎゅ……」
……何だったっけ。
確か、師匠がおっぱいで、柔こくて……。
って、そうじゃない!
あの時、間違いなく師匠は言っていた。
『私が弟子を取るのは、過去を辿っても例の無い事よ。
そして……』
「この先も特例が増える事は無い、と」
「……」
「……メディスンも貴方に会いたがってたわよ。
余り毛嫌いしないで、構ってあげなさい。
あの娘はまだ赤ん坊のようなものなんだから」
「……」
「それでも不安と言うのなら、貴方があの娘から師匠と呼ばれるよう努力なさい」
「……」
……もう駄目。
限界が来ました。
多分、感動的なシーンなんだろうけど、もう師匠が何を言ってるのか分かりません。
天高く聳え立つおっぱいパワーの前には、私の存在は余りにも脆弱。
このまま窒息死した所で、我が生涯に一片の悔いも無いわ。
「だから早速今日から実行……って、ウドンゲ? 聞いてるの?」
「……」
「……ありゃま」
あ、師匠。
そのワード、96点アップです。
我輩は兎である。
名前は今も三つある。
「ししょーう、そろそろお時間ですよー」
何の時間かって、それは勿論『第三回レトロ(ry』に決まっている。
前回の会議は、私の予想と異なり、吸血鬼様の乱入は無かったらしいけど、
その変わりというか、蚊帳の外になりつつあった閻魔様が癇癪を起こして、結局は崩壊したらしい。
職務と私事は別とはいえ、あの人にだけは説教されたくはないと思った。
「安心なさい、代わりに私が説教しておくわ」
「お願いします……ってあっさりと心の声を読まないで下さい」
「あら、当たってたのね」
「……」
そんなに私の考えてる事は分かり易いんだろうか?
……分かり易いんだろうなあ。
思い当たる節がありすぎて選別に苦しむもの。
「じゃ、後は宜しくね、イナバ」
「あ、はい、お気をつけて」
……
………
…………
「……あれ?」
余りにも流れがナチュラルだったせいか、私がその事実に気付くまでにはかなりの時間を要していた。
見れば師匠の姿は既に遠くなりつつある。
今から追いかけても、もう間に合わないだろう。
故に、私は叫ぶ。
力の限り。
「ししょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!!」
天才の考える事は、本当に良く分からない。
ツ イ ン ウ ェ ポ ン 最 高 ! !
笑わせてもらいましたよー
そんな光景を幻視した。
当って砕けるかどうかは師匠のその時の気分次第ですが…。
本当に懐かしい。
ツボった