私は、ただその道をひたすら歩いていた。
こうやって住んでいた場所を逃げ出すのは、もはや何度目だろう。
―――数えるのが面倒なぐらいだ。
それぐらい、私は生きている場所から逃げてきた。
けれど、それは仕方の無い事だ。
私は死なない。
いや、死ねない。
だからこそ、周りに自分が死なない事を悟られない為に。
―――すぐに、逃げる必要があるのだ。
「そこのお前。」
「…ッ」
声をかけられた。
俯いて歩いていたが、顔を上げる。
立っていたのは、少女だった。自分と同い年ぐらいの。
―――いや、あくまで自分の外見年齢とだが。
もはや自分は何歳だっただろうか。
それも面倒だ。数えたくない。数えられるほどの数でもない。
しかしその少女。
随分とへんちくりんな帽子だった。
頭に乗せるには余りにも不適切な。そんな帽子。
けれど、それを喋りたくも無い。
人間に関われば、再び逃げる生活を送るだろうから。
だから、何も言わなかった。
「おい。」
「…」
「おいってば。」
私が普通に何事も無かったようにに歩くと、彼女は付きまとってきた。
―――ああうざったらしい。
邪魔だ邪魔だ邪魔だ。付いて来るな。
口には出さないけれど、そうずっと考えながら歩く。
「おいッ!」
「五月蝿いなッ、付いて来るなよっ!」
―――出さないつもりだったけど、叫んだ。
どうしてだろうか。
叫びたいわけでもなかったのに。
そうなると、何故か次から次へと言葉が溢れた。
「五月蝿い…邪魔なんだよっ、付いて来るなよっ!
お前にとっては私なんか馬の骨に過ぎないじゃないかっ!私の何を知っているっていうんだよっ!」
「…お前。」
「話しかけてくるなッ!付いて来るなッ!こっちを見るなッ!消えろっ!消えろっ!消えろっ!
今後一切、私のところに近寄るなぁーッ!!」
―――ああ、今考えると馬鹿みたいだ。
結局私はこうやって誰かに思いぶちまけたかっただけだ。
誰とも知らぬ馬の骨に語っているのは、寧ろ私の方だった。
―――普通、関わってもらいたくない人間は、ここで無視するものだから。
そう言ってからだった。
私は―――柔らかい温もりに包まれた。
そう。彼女が私を―――抱きしめたのだ。
「な、何を…」
「辛い事が…あったのか?」
「…私の、何を知ってるって言うんだよっ!放せよっ!」
「ああ、確かに私はお前の事を何も知らない。」
「じゃあっ、とっとと私から―――」
「けど、こうやってお前の気持ちを安らげる事はできると…思う。」
最後に、自信なさげに少女は呟いた。
ああ。
確かにそうなのだ。
私は安心しきっている。こうやって悪態をつきながらも、彼女に対して抱かれて、何の反撃もしていない。
―――つまりは、単なる虚勢なのだ。私の言葉は。
それでも―――私は、意地を張ろうとした。
「ふざっ…けるなぁっ…」
張ろうとして、それで終わった。
結局は、その温かさに。優しさに包み込まれた。
今まで人間の居る場所で暮らしては来たが―――私は、触れ合いを避けてきた。
当然ながら、こっちが興味を示さなければ向こうだって興味なんか示さない。
だから、今までは人間の居る場所に居ても、ずっと一人だった。
なのに。
こうやって抱かれて―――私は今、安心しきっている。
温もりを感じる事に、全てを委ねている。
―――安らいでいる。
「ふざける…なよぉ…っくぅ…!」
「…ごめんな、突然、こんな事をして…でも…」
涙が、溢れ出る。
温かくて、優しい。
今は亡き、母さんを思い出す。
「お前が余りにも―――苦しそうだったから―――」
その少女の優しい言葉と共に。
私は、彼女の胸に泣き崩れた。
こうやって抱かれて、ずっと、ずっと。
―――久しぶりに、幸せを感じた。
それが私と―――半人半獣、上白沢慧音との出会いだった。
=Marvelous Life= 前編
「慧音…」
「どうした、妹紅?」
竹林の、ずっと、ずっと奥地。
もはやその場で見えるのは、横に規則正しく並ぶ竹林と、その間からのぞく夜空。
そして―――月。
藤原妹紅は、そこにいた。
『住む』などと同意義で構わない。
常にそこで暮らし、たった一人でずっといた。
そんな彼女を見てやっていた少女がいた。
上白沢慧音。
半人半獣という、完全なる人間でもなければ、完全なる妖怪でもない。
そんな一人の少女。
それでも―――誰よりも、人間を愛している少女。
その二人は、今竹林にいた。
誰も。誰も来ないような、その、竹林に。
「私…人間の里に下りてみたい…」
「…また、それか。」
妹紅は、慧音が世話をするようになってから幾度となくその言葉を言ってきた。
だが―――
「何度も言っているが、駄目だ。」
「…どうして?」
「あそこは居心地がよすぎる。」
慧音は呟く。
真実だった。
彼女自身、あそこにずっといたいという気持ちが大きい。
それでも、妹紅を居させる事はできなかった。
「ねぇ…どうして…?」
「…簡単な、理由だ。そして、お前に何度も言ってきた。」
慧音は心苦しそうに。
それでも真実を、述べる。
「お前が…不老不死だからだ。」
妹紅は、不老不死である。
それは、自分でも知っている。
死んでも死ねず、死のうとしても死ねず、
―――死にたくても、死ねない。
蓬莱の薬を飲んだ者の、末路である。
姿形が変わらない人間は、俗世にいることができない。
何故ならば、人間だからだ。
慧音のように妖怪であるならば、不老不死とまでは行かなくとも、常に若く、常に生きている理由に説明が付く。
だが、人間なら―――?
不老不死の人間であると、判ってしまう。
もしそれが俗世の人間に知れてしまえば、その者を狙う人間が出るだろう。
―――不老不死の生き肝を食した者は、不老不死になる―――
伝説に過ぎないことは、慧音も理解している。
事実、幻想郷の歴史の中で不老不死の生き肝を食した者はいない。
だが、その伝説を信じている者に妹紅を会わせる訳には行かない。
だから、彼女が人間の里に下りるのを反対する。
―――あそこは、居心地が良すぎる。
彼女が言うように、どうしても長い間居てしまう。
長い間居れば、自ずと妹紅が不老不死であることがわかってしまう。
そうなれば―――
妹紅は確実に―――狙われる。
それを、慧音は知っている。
だからだ。
絶対に、彼女を人間の里に行かせるわけには行かない。
そう思っている。
妹紅は不満げに。
それでいて―――とても悲しそうな顔をでそっぽを向いた。
慧音は、その顔を見るのが辛かった。
大切にしている、それこそ妹のような存在だから。
たった一人の彼女に、できる限り何でもしてやりたかったから。
慧音は空を見る。
―――まだ、月が出ている。
だが、その月もなりを潜めようとしているところだった。
なぜなら、東の空がもう、少しだけ漆黒の夜空と違う、明るい青色の染まってきていたからだ。
十六夜月の夜は明け、新たなる朝が来る。
「妹紅。私は人間の里に戻る。
…勝手にどこかに出歩くんじゃないぞ。わかったな?」
慧音は後ろを向いている妹紅に言ったが、返事は無い。
―――そこまで怒っているのか。
だが、怒っているのがわかっても、その元凶である自分にはどうすることもできなかった。
それでも妹紅ならわかっているだろうと思い、慧音は竹林を歩き出した。
=====
慧音は空を飛んでいた。
人間の里に行くには、一番早い方法だからだ。
近道云々よりも、空を行けば早いのは明確である。
そして、いつも見る人間の里を発見する。
―――もう、太陽は東の空から完全に出ていた。
つまりは、完全に朝を迎えた。
慧音はスピードを落とし、ゆっくりと人間の里の近くに降り立った。
そして歩いて、長屋が立ち並ぶ村へと顔を出す。
慧音の存在に気付いた子供たちが、遊んでいた毬などを掴んだまま、慧音に向かって走ってきた。
「慧音お姉ちゃん!おはよー!」
「ああ、お早う。今日も元気だな。」
笑顔で話しかけてくる少年に、慧音は目線を合わせるようにしゃがみこんで笑顔で返事をする。
慧音はいつも感じる。
こうやって子供たちの笑顔を見ているときが一番癒される時だと。
―――だから、居心地が良すぎる。
心の澄んだ者しかいないから。
故に彼女を連れてくるわけには行かない。
少し心苦しいが、それは仕方ないことなのだ。
―――慧音は、下唇を噛んだ。
「お姉ちゃん…」
「ん?ああ、何だ?」
「大丈夫?顔色悪いよ?」
「あ、ああ、気にするな。大した事じゃない。」
―――子供に心配されるようになったら終わりだな。
慧音は自虐的ながら、思う。
笑顔を作る。
それで、彼らに喜んでもらえるならば―――
彼女は喜んで笑顔を作った。
すると、集まってきた子供の一人が慧音に言う。
「慧音お姉ちゃん。」
「ん?どうした?」
「そこのお姉ちゃん、だれ?」
「え…?」
慧音は子供の指差した方向を見る。
自分の真後ろだった。
そこには、淡い紫色の髪を持った少女が。
自分のよく見知った少女が居た。
「やぁ、慧音。」
「も、妹紅…!?」
笑顔で慧音に挨拶する妹紅を見て、慧音は愕然とする。
―――なんで、こんな所に。
呆然と何が起こっているかわかっていない慧音を無視して、妹紅は言う。
「ここが人間の里かー。結構普通の所なんだねー。」
「ねぇねぇ、お姉ちゃんだれー?」
「どこから来たのー?」
「おお、私は妹紅って言うんだ。妹紅お姉ちゃんと呼びなさい。」
「も…もこ?もこ姉ちゃん?」
「も・こ・う。ちゃんと言えるようになりなさい。」
もこと自分を呼んだ少女を妹紅は軽く小突く。
すると少女がちょっと涙目になった。
「あう、いたいよー。」
「私の名前をちゃんと言えるように…って、ああ泣くなって!泣かないで!お願いだから!」
「あー、もこがいじめたー!」
「もこはいじめっこだー!」
「お母さんに言いつけるぞ、もこー!」
「ああ、お前らもこもこ五月蝿いッ!」
「わーっ!もこがおこったー!」
「にげろにげろーっ!」
「待てこのチビどもーッ!」
妹紅は泣きそうになっている少女をなだめた後、もこもこ五月蝿い少年たちを割と必死に追いかけた。
少年たちもそれを面白がって逃げ回っている。
その間も、慧音は思考が完全にまとまらず、今何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
ただちょっと涙目の少女を抱きとめるぐらいで―――
「白沢様、今日もよくいらっしゃいました。」
「え…あ、ああ、村長。」
正気を取り戻した慧音が上を見上げると、そこには初老の男が立っていた。
慧音はそれに気付いて、少女を抱き上げたまま立ち上がって、男に頭を下げた。
「今日も世話になる…すまないな。」
「いえ、我々の生活は白沢様のおかげで成り立っております。礼を述べるのはこちらの方でございます。」
「気にするな、私は大した事はしていない。」
慧音は初老の男に笑顔で答える。
それは、本心からの笑顔。
慧音はこの人間の里では尊敬される存在となっている。
人間の里を守るために結界を作り出し、妖怪の手から人間を守っている。
自分自身がその妖怪に分類されていることを知った上で。だ。
人間たちも、慧音が妖怪であることは知っている。
ごく一部の人間は、そのことを恐れてもいる。
それでも、慧音が命がけで自分たちを守っていることも知っている。
だから―――人間にとって慧音はありがたい存在なのだ。
故に尊敬の念をこめて大人たちからは『白沢様』と呼ばれている。
けれど本人はそれで呼ばれるのが慣れないらしく、言うことを聞く子供たちには『慧音お姉ちゃん』と呼ばせるようにしていた。
慧音は、涙目の少女の頭をゆっくりと撫でながら言った。
「私は人間を愛している。だから、お前たちは気にしなくていい。これは私がやりたくてやっていることだからな。」
「…本当にそのお言葉、感謝の一言につきます。」
慧音は、心から人間を愛していた。
今の言葉に、嘘偽りなど存在しない。
彼女の本心。
それを言っただけ。
だから、彼女は何の言葉も要らなかった。
言葉じゃない。
本人たちが、喜んでくれるか。
どれだけ罵倒されても。
どれだけ好奇の眼で見られても。
どれだけ愛されていなくても。
慧音は人間のために尽くし続けたいと。
そう思っている。
だからこそ、彼女を認めてくれる人間たちもいた。
彼女を受け入れてくれる人間たちもいた。
「私の方こそ―――感謝したいぐらいだ。」
「え…?」
「いや気にするな。独り言だ。」
慧音は言う。
そして思うのだ。
私は今、幸せだと。
「…ところで、白沢様。」
「ん?」
いい加減少女に笑顔が戻ってきた頃。
村長が言いづらそうに慧音に話しかける。
そして村長は顔を慧音に向けたまま、眼を横に流すようにして言った。
「あの方は…白沢様の知り合いでしょうか?」
「え?」
村長が眼を向けた方向に、自分も眼をやる。
そこには―――
「はい、またもこがおにー!」
「あぁぁぁぁっ!?お前らグルになってるんじゃないだろうなっ!?」
「そんな事ないよー、もこのひがいもうそうだよー。」
「そうそう、もこがよわいんだって。」
「弱く無いッ!大体地の利がある分、お前達が有利だろー!?」
「ちのり…?」
「…ああ、難しい言葉は駄目か。えっと、お前達のほうが村をよく理解してる分強いのは当たり前だろ?」
「そんな事ないよ、もこがよわいんだよ。」
「ああ、弱くないっての!」
慧音から結構離れたところで、妹紅は子供たちと遊んでいた。
しかも妹紅は子供たちに良いようにあしらわれているようで、子供相手に激怒していた。
―――お前、幾つだ。
慧音はそう思う。
そしてため息を一つ吐く。
「…一応。」
そして、言いづらそうに一言呟いた。
慧音は妹紅のいるところに歩いていった。
妹紅は鬼ごっこで再び鬼になったらしく、しゃがみこみながら数を数えていた。
「じゅーごー、じゅーろーく、じゅーしーち、じゅーはーち、じゅーくー、にじゅーっ!」
最期の20だけ異様に気合を入れて勢いよく妹紅が立ち上がる。
顔こそ笑顔だが、どこかその眼は怒りに満ちていて、ちょっと血走っていた。
「さぁチビども!全員見つけてやるから覚悟しろ!」
「何やってるんだお前は…」
「おおもうそんな所にいたか!このやろーッ!」
「ひゃん!?」
ガッと。
妹紅は思いっきり慧音を引っつかむ。
よりにもよってまん前を。
「おお!?何だ、お前頭柔らかいんだな!
思いっきり頭引っつかんでそのままぶん回してやろうと思ったけど、こんな柔らかい頭は初めてだ!」
「…妹紅。」
「いやしかし、不思議だな!両手出して両方から球状の柔らかい頭があるなんてな!
お前頭二つあったのか!それにしても柔らかい頭だな!」
「も・こ・う?」
「ははは、まるでなんか乳みたいだな!頭じゃないみたいだ!うん!
しかし柔らかいなー!」
「…お前、いい加減気付いてないか?」
「…途中から。」
妹紅の両手は。
見事なまでに豊満に膨らんだ柔らかい慧音の胸を―――わしづかみにしていた。
慧音の顔が真っ赤になる。
羞恥心も当然ながら、怒りもあるだろう。
そして妹紅はもはや何の言い逃れもできない状況に、ただ胸を揉むしかできなかった。
「えーっと…」
「妹紅…とりあえず、放せ。」
「慧音、立派に育ったんだね。」
「口に出して言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
とりあえずぶっ飛ばした。
=====
「いやー、初めてだったけど人間の里は面白いねー。」
「……」
帰り道。
竹林を歩きながら楽しそうに妹紅は言う。
それとは対照的に慧音は神妙な顔つきで横に並んで歩いていた。
「ああやって皆して遊ぶのなんて何百年ぶりかなぁ。」
「…妹紅。」
楽しく妹紅は話を続けるが、慧音はそれを止めようとする。
だが妹紅は話をやめようとしない。
「それにしてもあのチビども、年功序列って奴を知らないのかねぇ。
今度会った時はしっかりとそれを叩き込んでおかないと。」
「妹紅。」
「そういや、慧音いつの間にあんなに立派に育ってたのさ?
びっくりしたよ。揉んでて本当に柔らかかったし、正直あんな柔らかさの枕あれば即熟睡みたいな…」
「妹紅ッ!」
話をやめようとしない妹紅に、最終的に慧音は声を大にして怒鳴りつける。
さすがに妹紅もその言葉には驚いたのか、話をやめて足を止める。
慧音はその美しく長い髪をなびかせながら振り返り、妹紅のほうを向く。
本当に―――本当に、怒ったときにしかしない顔だった。
妹紅はこんな顔をした慧音を―――始めて見た。
「妹紅、何故私の言いつけを破った?」
「…」
「答えろっ!」
慧音は妹紅の肩を力強く掴む。
これほどまでに力強く他人の肩を握り締めたのも、初めてかもしれない。
それでも―――そうせずにはいられなかった。
妹紅は痛そうに顔をしかめるが、慧音はそれに気付く余裕もなかった。
「私は、お前の為を思って里に来ないように言った!
なのに、どうして私の言いつけを破るんだ!?」
「…けーね。」
「お前に危険な目に遭って欲しくないんだ!お前が嫌な目に遭うのを防ぎたいんだ!
それなのに…それなのに、どうしてお前は言うことを聞いてくれないんだ!?」
「…慧音ッ!」
「…ッ!?」
ハッと。我に返る。
―――妹紅は、泣いていた。
眼から涙を流し、そのまま慧音を見つめていた。
そして慧音は気付いた。
自分の指の先が、妹紅の血で赤く染まっていることに。
慧音は、掴んでいた両手を放す。
―――何をしているんだ私は。
妹紅を守りたい?危険な目に遭って欲しくない?
じゃあ、今私は何をしている。
妹紅を―――泣かせているじゃないか。
悲しい目に遭わせているのは―――自分じゃないか―――!
「…済まない。」
「…ううん、いいの。約束を破ったのは、私だから。」
情けない。
我ながらそう思う。
妹紅を守る?
防ぐ?
ならば、今何をしている?
―――本当に、私は只の馬鹿だ。
空を仰ぐ。
今日は一面の星空だった。
昨日が十六夜月だったということは、今日の月は立待月ということだろう。
「…楽しかった。」
「…え?」
妹紅がふと呟く。
慧音ははっきりとそれを聞き取った。
「楽しかったんだ。本当に。人間の里で、子供たちと遊んで―――
ああやって笑いあっているのが、すごい楽しかった。」
「…」
「楽しかったんだよ。千年の間、私のそばに居てくれたのは慧音だけだった。
他の人と触れ合うこともできなくて―――ああやって大勢の人が居る場所に居るのが、とても楽しかった。」
「妹紅…」
「だから!行きたかったの!
ああやって、皆で一緒に仲良く騒いだり楽しんだりして―――居たかった!
でも、それが無理だってわかっても、少しでも良い!
少しの間だけでも、他の人たちと、楽しめるようなことがしたかったの!
皆と―――同じように―――」
想いが、溢れる。
ずっとずっと。胸にしまってきた思い。
でも。
今日は―――それを抑えられなかった。
どんなに千年間を暮らしてきても。
どんなに長く生きていても。
―――やはり彼女は、見たままの少女なのだ。
慧音は空を見上げたままため息をつく。
そして言った。
「…一月だ。」
「え?」
「一月の間。次の満月が出るまで、人間の里に行くのを許してやる。
…ただし、その期間が過ぎたら絶対に人間の里に下りるな。絶対にだ。」
慧音はそう言うと歩き出す。
―――甘いな、私も。
心の中で呟く。
危険な目にあわせたくないとか言いながら、これだ。
本当に、自分でも甘い奴だと思う。
けれど。
これで、彼女が喜んでくれるなら。
―――心から、彼女が嬉しくなるなら。それでいい。
確かに、危険に晒されるかもしれない。
だが、
それなら、簡単だ。
―――私が、全身全霊を懸けて妹紅を守る。
そうすれば、いいだけだから。
そして妹紅は最初、何を言われたのか判らず呆然としていた。
「え…慧音…」
「早くしろ。これ以上暗くなると帰れなくなるぞ。」
慧音は二人の寝床に歩いていきながら
妹紅のほうを見ずに言った。
「明日も、行くんだろう?」
いつもの強気な。
慧音の声だった。
それを聞いて、妹紅は涙を袖で拭き―――
「…うんッ!」
―――慧音の横に並ぶように、思いっきり走り出した。
―――ありがと、慧音。
そんな言葉を胸に秘めながら。
=====
―――幻想郷に朝日が昇る。
今日もまた、新しい一日の始まりだった。
慧音と妹紅は、とある洞穴の中に住んでいる。
人の目に触れないように、たった二人だけの生活をしていた。
暮らすものに困ったことはない。
もともと幻想郷には電気など通ってないし、火を熾すのは二人とも得意だった。
大体夜はすぐに寝る。替えの服は川の水で洗濯すれば良い。
夜寝る時は自分たちで綿花や藁を編みこんで作った毛布がある。
何一つ、困ったことない生活だった。
「んっ…」
慧音が、目を覚ます。
洞穴の外から、太陽の光が差し込んでくる。
―――今日もまた、一日の始まりか。
気持ちの良い太陽の光を全身に受けて、慧音は上半身を起き上がらせる。
そして、ぐーっと伸びをする。
そして一枚の毛布を共有して、横に寝ているはずの妹紅に話しかける。
「おい妹紅、もう朝だぞ。」
手を動かして、妹紅の居る辺りを手で探る。
だが、何の感触もない。
おかしいな。私が起きる頃には妹紅は絶対に熟睡しているはずだが。
「パゼストバイフェニックスは朝っぱらからやるものじゃないぞ。」
そんなことを言ってみるのだが。
へんじはない。ただのしかばねのようだ。
いやいやそんなのも無い。
いや死なないしあいつ。
「…まさか。」
そこまで考えて、ようやく慧音の思考は完全に働いた。
気付くとすぐバッと毛布を自分から剥ぎ取って起き上がる。
「あいつ、まさか…」
急いで洞穴を出る。
太陽の光がより彼女を照らし出す。
目が光に慣れる。
だが、まだ妹紅の姿は見えない。
―――間違い無い。
慧音はスカートを翻すように宙に浮かび上がり、そのまま人間の里へと飛んでいった。
=====
「うしろの正面だぁーあれ。」
「えーっと…若菜だ!間違いない!」
「ぶぶー、早蕨でしたー!」
「何ぃ!?絶対今のは若菜だったろ!?」
「早蕨だよー。もこ姉ちゃん、言いがかりはよくないよ。」
「いや絶対に若菜だったってばー!途中で変わっただろー!?」
「負け惜しみはよくないぞ、もこー。」
「呼び捨てにするなっ!」
慧音が人間の里に着いた頃。
妹紅はもうすでに子供たちに完全に打ち解けて遊んでいた。
それを見て慧音は頭を抱える。
そうこうしているうちに、子供たちはまた妹紅の周りを取り囲むように回りだした。
どうやら結局妹紅の負けで決定したようだ。
「かーごーめかーごめー」
―――かごめかごめ
幻想郷の伝統的な遊びの一つである。
一人が真ん中でしゃがみこんで目をつぶる。
そして他の人は周りをぐるぐる回りながら唄を歌う。
唄が終わった時に後ろにいる奴を真ん中でしゃがんでいる者が当てるのだ。
当たれば、その当たった人と真ん中を交代。
外れればもう一回やるという、過酷なルールである。
慧音も昔はよく遊んだものだ。
そして一人卑怯な子供がいて、そいつのせいで泣きながら20回ぐらい真ん中にいたこともある。
ようやく事に気付いた慧音はそいつにファーストピラミッドをぶっ放したという過去も残っている。
今となってはいい思い出だった。
「かーごのなーかのとーりーはー」
「いーつーいーつーでーやーるー」
「よーあーけーのーばーんにー」
そうやって遊んでいる間に慧音が近づく。
しゃがんで目をつぶっている妹紅以外の子供たちは慧音に気付く。
だか、慧音は唇の前に人差し指を一本立てて、子供たちに黙るように言う。
そして慧音は妹紅の真後ろに立った。
「つーるとかーめがすーべったー。」
そして子供たちは何事も無かったかのようにごく自然に唄を続ける。
「うしろの正面だぁーあれ。」
子供たちが歌い終わり、妹紅の周りを回るのをやめる。
そして妹紅はしゃがみこんで目をつぶったまま言う。
「今度は間違いない…匂宮だっ!」
妹紅が絶対の自信に満ちた声で言う。
だが、それは慧音の強い口調の一言が潰した。
「残念だったな妹紅。ハズレだ。」
「えっ!?だって間違いなく後ろは匂宮…って、あ、あらまぁ、慧音。」
妹紅が嘘だと思い立ちあがって後ろを見ると、青い服の少女が居た。
全身から殺気を放った慧音を見て、妹紅は冷や汗を流す。
「お前、行くの、早過ぎ。」
「え、いやぁーーー、うん。その、えっとねぇ、アレだよね、うん。ごめん。」
最後の最後まで言い訳で抵抗しようとするが、最終的に妹紅は謝る。
―――楽しみにしてたのはわかるが、何もそこまで。
慧音はふと思い、言った。
「せめて私に何か一言言ってから…」
「だって慧音…凄い気持ち良さそうに寝てるからさ…起こすの悪いかなって思って。」
「私に気を使う必要は無いんだ。それより勝手に出て行かれるほうが迷惑だ。」
「うん、でもさぁ…本当に凄い気持ち良さそうだったんだもん。」
「どれぐらい?」
「寝言言ってた。」
嫌な予感がする。
慧音は妹紅の口を塞ごうとしたが、それより先に妹紅の口から言葉が出た。
「『安心しろ妹紅、私が守ってやるからなぁー。』とか。」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!!!???」
「『ん…妹紅、妹紅…そこ…痛ッ…』って言ってたし。」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??!!?!!?!??!!」
思い切り絶叫を超える奇声を上げて、慧音は頭を抱えてのた打ち回る。
―――どんな夢を見ていたんだ私はーっ!?
顔が真っ赤になる。
朝見た夢なんかもう忘れた。
「ねーもこ姉ちゃん、それほんと?」
「おう、慧音お姉ちゃんは私のナイトなんだ。」
「ナイト?」
「つまりは私を守ってくれる人だな。私だけのお侍さんだ。」
「じゃー、もこお姉ちゃんが危険になったら慧音おねえちゃんが助けに来るの?」
「ああ、私が危険になったら『幻想の美少女白沢、レジェンドヒストリー慧音参上!お前の歴史を食べちゃうぞ☆』って言って
格好よく出てきてくれるんだぞ。そして『あーたたたたたた』とか言いながら敵を指先一つでダウンさせるんだ。」
「嘘をつくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
慧音が思いっきり叫ぶ。
その声は、人間の里中に響き渡った。
そしてその日も陽は落ちる。
=====
その後も相変わらず妹紅は慧音より先に人間の里を訪れ、子供たちと仲良くなる。
慧音も知らないうちに、村長や他の住民とも仲がよくなっているようだった。
彼女は順応力は高い。
そしてしばらく時は流れ。
約二週間ぐらい過ぎた時。
ある日の人間の里。
一人の少女と、一人の少年が並んで座っていた。
少女は藤原妹紅。
「なぁもこ。」
「もこって呼ぶなっつの柊。妹紅お姉ちゃんと呼びなさい。」
そして少年は柊。人間の里の子供たちの中でも一番の年上の少年だ。
いわば子供たちのリーダー格といっても過言ではない。
だが一番の年上といっても、まだ若干10歳ぐらいに過ぎない。加えて妹紅より身長が小さい。
子供たちが皆妹紅に懐いたので、妹紅をもこ呼ばわりするのは、今では彼ぐらいだった。
「うるさいな、もこはもこでいいんだよ。俺が決めた。」
「…全く仕方の無い奴だ。で、何だ?」
妹紅が頭をかく。
―――どうせこいつの言うことだ。碌な事はあるまい。
妹紅は普段から柊に遊びでは勝てなかった。
なんと言うか、こう、強いのだ。
そのたびに何度弾幕ぶっ放してやろうかと思ったが、流石に生身の人間。
しかも年端も行かない少年にそれをやるのは流石に気が引けた。
そして柊はというと―――
なぜか、顔を赤くしていた。
「そ…相談に、乗ってくれないか?」
「恋か。相手は誰だ。慧音だな?」
「なっ、何で知ってるんだよっ!?」
言ってから、柊は口を押さえる。
対して妹紅は面白がるようににやけた顔をしていた。
まるで、面白い玩具を発見したかのような。
「いやぁ~…お前の慧音を見る目つきは明らかに他のとは異なるからねぇ。」
「わ、悪かったな!?」
「で?どうしたい、すぐに告白したいか?」
ずい、と身を乗り出して妹紅は柊に迫る。
柊はその迫力に押されたのか、一言呟いた。
「で…できれば、明日にでも。」
「いい決断だ。男らしい奴だなお前は。」
「でも…」
「でも?」
そこで、柊は言いよどむ。
僅かな恐れと、悲しみを抱いた表情。
「もしさ…それで、振られたら…」
柊が言った瞬間だった。
パァン。と。
乾いた音が響いた。
柊の頬にはくっきりと―――紅い紅葉のようなビンタの痕があった。
「ああ情けない情けない情けないっ!
せっかく男らしいと思ったらすぐこれだよ!」
「なっ、何すんだよいきなりっ!」
「いいか?男がそんなことを気にするな。
大体振られたらどうしようだぁ?そんなの生まれて10年ぽっちのガキが考えることじゃないんだよ!」
「でっ、でも…」
柊が答えに戸惑い、目をそらそうとする。
が。
妹紅は柊の両肩をがっしりと掴んだ。
力強く。
でも、以前自分が慧音につかまれたときよりは遥かに弱く。
―――血が出たからな、あの時。
そんなことを少し考えて、妹紅は強気の表情に笑みを浮かべて言う。
「目を逸らすな。私の目を見るんだ。」
「…」
「…よし、いい子だ。」
妹紅は、自分の眼をしっかりと見据えた柊に言う。
「振られても、振られなくても。告白しないで後悔するより、ずっとマシだ。
もし振られたらお前は傷つくかもしれないけど、何も言えずにこのまま時が流れたほうがよっぽど辛いだろう。
確かに振られたら…まぁ、しばらくは辛いかもしれないが、すぐに立ち直れるさ。新しい恋だってできる。
けど、もし言わなかったら一生お前は立ち直れないと私は思うけどな。」
「…」
「慧音は、しっかりと答えてくれるさ。お前の想いに。その結果が何であっても、お前は立派だと私は思う。
でもその結果を恐れて進まないようじゃ、私は一生お前の事を見下してやる。それは嫌だろ?」
「…うん。」
柊がゆっくりと、首を縦に振る。
「じゃあ進め。今やらないといつの間にかどこかに消える感情だ。…私も応援してやる。」
「…ホント?」
「ああ、本当だ。思いっきり、慧音に自分の言いたいことを言ってこい。」
「…うん。」
「声が小さいッ!」
「う、うんっ!」
「返事は『はい』!」
「は、はいっ!」
柊は両肩をがっしりつかまれたまま、大きく返事をした。
そして妹紅はそれを見ると、バンと大きな音を立てて柊の方を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「よーし、いい返事だ。」
「なぁ、もこ!俺頑張るよっ!」
「おお、その意気だ!明日頑張れよっ!」
「はい!」
妹紅はそう言って、西の空を見る。
―――夕焼けが、眩しかった。
それでいて、美しかったといえる。
それでも、妹紅は思わずにはいられない。
―――頼むから、もこって呼ぶのはやめてくれ。柊。
そんなときに、声が聞こえてきた。
「妹紅~。どこにいるんだ~?もう帰るぞ~?」
「おっと。」
―――慧音だった。
掌を拡張機にするように、声を大にして妹紅を呼んでいた。
柊は、妹紅に耳打ちする。
「い、今のこと、ぜぜ絶対に誰にも言うなよ。」
「わかってるわかってる。私と柊の約束だ。」
―――お前、もう気が動転してるじゃないか。
そう思いながら、妹紅は立ち上がる。
柊の手を取って。
そして慧音に聞こえるように返事をした。
「けーねー!」
「あっ…妹紅!そんな所にいたのか…」
慧音が妹紅のいるほうに歩いてくる。
柊は頬を赤らめ、慧音が一歩一歩近寄ってくるたびに瞳孔をただっぴろく開いていた。
―――お前、動揺しすぎだよ。
妹紅はそう思った。
そして慧音は近づいて来て言った。
「おやなんだ、柊も一緒だったのか。」
「は、はいっ…」
「もう夕暮れだぞ。母さんも心配している。早く戻りなさい。」
「…は、はい…」
慧音が柊の視線に合わせるように中腰になって、微笑みながら優しい声で言う。
柊はよりいっそう顔を赤らめた。
一方妹紅は「このスマイルは誰でも落ちるよなー」とか思っていた。
「あ、あのっ。」
「ん?」
柊は勇気を出して慧音に問いかける。
―――まさか、今言うのか!?
妹紅も流石にそれは早すぎると思った。
だが、出た言葉はちょっと予想とは外れていた。
「慧音さん…明日も、来てくれますよね…」
「ん…ああ、勿論だ。」
「わ、わかりましたっ、ありがとうございますっ…」
先ほどの妹紅へ見せたガキ大将的な一面はどこにいったのやら。
柊は走って自分の家へと戻っていった。
妹紅はその走る後姿をにやにやと見つめて、言った。
「青春だねぇ。」
「何を言ってるんだお前は。」
慧音が妹紅にチョップをかます。
「あう、蓬莱人でも痛いものは痛いー。」
「って、あまりここで蓬莱人とか言うな!」
「何を言っているのかね慧音。私は『ほんめいりん』といったのだよ。」
「嘘だろ。」
「バレた?」
「とお。」
二度目のチョップ。
「えーんえーん、慧音がいじめるよー。」
「人聞きの悪い事を言うな。しつけのなっていない同居人に礼儀を教え込ませてやろうとしているんだ。」
「そんな縦平手をまともに食らったら頭がおかしくなるよー。礼儀を忘れちゃうよー。」
「やかましい。これを喰らうような事をしなければいいんだ。」
「わかったよ。じゃあ慧音のおっぱいの性能を具体的にみんなに知らせるよ。」
「わかって無いだろぉぉぉぉぉぉ!?」
握りこぶしで妹紅を殴る。
もはやチョップじゃ済まなくなっている。
妹紅はそれを喰らって約20メートルほど吹っ飛ぶ。血は出たけど不老不死なので問題ない。
―――そして今日も太陽が西の空に沈み―――
一日の、終わりを告げる。
=====
―――夜。
二人の住んでいる、洞穴の中。
慧音と妹紅の二人は、同じ一枚の毛布を共有して一緒に寝ていた。
別段怪しいことはないのだが。不思議と百合加減が沸いてくる。何だこの日本語。
けれど怪しいことは全く無く、事実慧音は妹紅の方を見ずに壁のほうに身体を向けて寝ているし、妹紅も真上を見て寝ていた。
ただ単に、二つ毛布を作るほど材料の余裕がなかったのと、一緒に寝ると身体が近くにあって暖かいからという理由から
二人は普段から同じ毛布を共有して寝ていた。
「慧音。」
「ん?」
妹紅が天井を見上げたまま慧音に話しかける。
慧音もそれに気付き軽く返事をした。
「起きてる?」
「…ああ。どうした?」
「あのさ、お願いがあるんだけど。」
慧音は「お願い」と聞いてちょっと不安を募らせた。
妹紅からのお願いというのは、大抵ろくでも無い物が多いからだ。
例えば「胸を大きくしたいから揉んで」だの「西瓜の漬物って食べてみたい」だの。
一番酷かったのは「醤油って一気飲みするとどうなるのかなぁ。慧音やってみてよ。」と言った物だ。
やってみた結果、本気で死ぬかと思った。
幻想郷の歴史に残るのが、【死因:醤油一気飲み】だけは勘弁して欲しい。
しかもそれを実施した後の妹紅の反応は「へー、そうなるんだー。」の一言のみ。
おもわず本気で幻想天皇を撃ってしまった。
まぁ、一番最近では人間の里に下りてみたいというものだ。
これもこれで不味い物なのだが、これは今のところ問題は無い。
とりあえず不安は溢れているのだが、聞くだけ聞いてみようと思った。
「何だ?」
「うん、あのさ…」
そこで、妹紅は言いよどむ。
いつもお願いする事はずばずば言うくせに、今回はなぜか「うーん、うーん。」と唸っている。
そんなに言いづらい事なのだろうか。珍しい。
慧音はいい加減寝たいと思っているので、催促しようとした。
「早く言え、私も明日があるから寝たいんだ。」
「あ、ちょっと待って!ね!」
妹紅はどうしても今言いたいらしい。
―――だったら早く言えばいいのに。
それともそんなに言いづらい事なのだろうか。実に珍しい。
そうこう考えているうちに、ようやく妹紅が言った。
「あのさ、柊いるじゃない。」
「いるな。柊がどうかしたのか?」
「あいつが、明日慧音に告白したいんだって。」
「何を?」
「愛の告白。あいつ慧音の事が好きなんだって。」
「ほぉ…」
慧音は横を向いて寝ながらその言葉を聞いた。
―――柊が私に愛の告白か。
なるほど言いづらいわけだ。
愛の告白…愛の…
柊が…私に…愛の告白を……………………
ちょっと待て。
慧音はガバっと威勢のいい音を立てて毛布を自分から引き剥がす。
そして上半身だけを起き上がらせた。
「おい妹紅。」
「何?」
「い、今、お前、なんて言った?」
「ああもう理解力が無いな慧音は。」
それはお前だ。
そう言いたいのを我慢していると、妹紅が寝て天井を見上げながら先ほど言った言葉をもう一度言った。
「柊はお前のことが好きだから、明日愛の告白をしたいんだってさ。」
―――思考が止まった。
愛の告白?
私に?
柊が?
何で?
好きだから?
私の事を?
ぐるぐると、慧音の頭の中を「柊」「私」「告白」という三つの言葉が頭の中を回っていく。
結論に行き着くまでには結構時間がかかった。
10秒、20秒、30秒…
慧音の頭の中で全ての言葉の整理が完了したのは、妹紅が再度言葉を説明した三分後の事だった。
「何ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!???!!?!!??!!??」
思わず、叫び声が出た。
以前妹紅に胸を揉まれた時や、『レジェンドヒストリー慧音』の話をされたときでも出なかったような大声だった。
あまりの声の大きさに、妹紅はずっと天井を見ていたのをやめて、慧音のいるほうを見た。
「ああもう五月蝿いな。近くの妖怪達が目を覚ましたらどうするんだよ。
大体ここ洞穴だから響くんだよ。」
「ちょ、だって、柊が、私にって、おい。」
「ああもう何回言えば判るんだよ?柊はお前が好きで…」
「い、いや…それは、大丈夫だけど、だって、あいつが私に、告白って…」
「そうだよ?」
「えっと、えっと、柊は男で私は女で…」
「って、そこから確認かい。」
「よ、妖怪がワーハクタクで人間だから私で柊なんだ!」
「あのごめん慧音、ちょっと落ち着こう。」
もう自分でも何を言っているのか判らない。
なんとなく妹紅も悪い気がしてきたのか、慧音をなだめ始めた。
そして慧音は顔を耳まで真っ赤にして、妹紅に問いかけた。
「だ、大体なんでお前そんなことを?」
「今日、本人から聞いたんだよ。」
「どーして。」
「知らん。あいつが私に相談したいことがあるからって言って、聞いてみたらそんな話だった。」
「そーだん…」
妹紅はあくまでも冷静に答える。
というか慧音と正反対。びっくりするほど。
慧音は慧音で舌がほとんど回っていない。
「あいつからは誰にも言わないでくれって頼まれたんだけどな。」
「じゃあ私に言うなぁっ!?」
至極尤もな事を慧音が叫ぶ。
だが妹紅はそれにもあくまで冷静に言う。
「何言ってるんだよ。今言っておいて正解だったじゃないか。」
「どこがっ!」
「今言ってこんなに動揺したでしょ?もし私が今日何も言わなかったとするよ。
明日いきなり告白されたら絶対に今みたいに動揺しまくってたでしょ。」
「…………」
…言われてみるともっともだ。
間違いなく明日いきなり柊に告白されていたら、それこそエクステンド。
満月出ていない、しかも夜でもないのにハクタク化しかねない。
「だから今のうちに答えをはっきり出せるように、告白されても動揺しないように
先に言っておいたんじゃないか。」
「…う、うん。」
「あ、柊にはあくまで始めて告白されたように反応してね。私が慧音に話したのばれちゃうから。」
―――なんと言うか、意外に考えているな。
そんな話をされたせいで理解力がいつもの1%程度しかでなかったが、改めて説明されてようやく落ち着いてきた。
確かに、いきなり告白されたら返答に時間がかかるだろう。
加えて間違いなく先ほど言ったとおりエクステンド。チェンジハクタクスイッチオン。
けれど。
―――私は。
思う。
だから―――
「…慧音は、断るつもりなんでしょ?」
「…っ。」
そこまで、読まれていた。
妹紅はもうすでに寝ながら壁の方に身体を向けて毛布をかぶっていた。
上白沢慧音はあくまでも半人半獣の妖怪だ。
完全な人間ならばまだしも、半分が妖怪である以上まともな返事はできない。
例え。
―――私が、あいつのことを好きでも。
「そういうところくそ真面目だからね、慧音は。」
「…」
「それとも、純粋に柊のことが好きじゃないの?」
「…そんなことじゃ、無い。」
「でも、恋愛対象としては見てないでしょうよ。」
「…ああ。」
あいつは、あくまでも守りたい人間の一人だ。
一人の男として、愛している訳ではない。
だから―――答えは、決まっていた。
けれど。
「…はっきり言える?相手の気持ちばっかり考えてないよね?」
「…本当に、お前には隠し事ができないな。」
「何十年、慧音と一緒にいると思ってるのさ。」
全く持ってその通りだ。
妹紅は慧音の優しさまで見抜いた上で、その事を言った。
人間を大切にする慧音だ。
自分のせいで、人間に被害が及ぶなら。
自分の一言が、一人の少年を傷つけることになるなら。
―――彼女は、自らをも殺すだろう。
それほどまでに、彼女は人間を。誰よりも愛している。
そんな彼女が、自分から自分を好きでいてくれている少年を傷つけるなどと、そんな行動に出るだろうか。
妹紅はごく自然にその事に触れた。
慧音はそんな所まで見抜かれた事に驚いたが、それ以上に感謝すらした。
「心配するな、妹紅。私は…私の言いたい事を言う。
結果的にあいつを傷つけることになるかもしれないが…それでも。」
「そっか。でも、あいつの想いはしっかりと受け止めてよ?あいつは真剣なんだから。」
「当然だ。」
笑顔で言う。
暗闇の中見せても意味は無いけれど、その笑顔は確かに妹紅に伝わった。
その証拠に、妹紅は寝ながらもその言葉を聞いて微笑を浮かべる。
「ん、それが私のお願い。あいつの想いを真剣に受け止めてあげて頂戴。」
「ああ…わかった。
それぐらいなら言われなくてもするつもりではあったがな。」
「それ聞いて安心したよ。お願いね、慧音。」
「ああ。」
慧音がそう返事をすると、妹紅が安らかな寝息を立て始める。
―――寝るの早いよ。
慧音はちょっと呆れて。
それでも、妹紅に相当の感謝を込めて。
「ありがとう、妹紅。」
一言述べて、慧音も眠りにいた。
to be continued...
こうやって住んでいた場所を逃げ出すのは、もはや何度目だろう。
―――数えるのが面倒なぐらいだ。
それぐらい、私は生きている場所から逃げてきた。
けれど、それは仕方の無い事だ。
私は死なない。
いや、死ねない。
だからこそ、周りに自分が死なない事を悟られない為に。
―――すぐに、逃げる必要があるのだ。
「そこのお前。」
「…ッ」
声をかけられた。
俯いて歩いていたが、顔を上げる。
立っていたのは、少女だった。自分と同い年ぐらいの。
―――いや、あくまで自分の外見年齢とだが。
もはや自分は何歳だっただろうか。
それも面倒だ。数えたくない。数えられるほどの数でもない。
しかしその少女。
随分とへんちくりんな帽子だった。
頭に乗せるには余りにも不適切な。そんな帽子。
けれど、それを喋りたくも無い。
人間に関われば、再び逃げる生活を送るだろうから。
だから、何も言わなかった。
「おい。」
「…」
「おいってば。」
私が普通に何事も無かったようにに歩くと、彼女は付きまとってきた。
―――ああうざったらしい。
邪魔だ邪魔だ邪魔だ。付いて来るな。
口には出さないけれど、そうずっと考えながら歩く。
「おいッ!」
「五月蝿いなッ、付いて来るなよっ!」
―――出さないつもりだったけど、叫んだ。
どうしてだろうか。
叫びたいわけでもなかったのに。
そうなると、何故か次から次へと言葉が溢れた。
「五月蝿い…邪魔なんだよっ、付いて来るなよっ!
お前にとっては私なんか馬の骨に過ぎないじゃないかっ!私の何を知っているっていうんだよっ!」
「…お前。」
「話しかけてくるなッ!付いて来るなッ!こっちを見るなッ!消えろっ!消えろっ!消えろっ!
今後一切、私のところに近寄るなぁーッ!!」
―――ああ、今考えると馬鹿みたいだ。
結局私はこうやって誰かに思いぶちまけたかっただけだ。
誰とも知らぬ馬の骨に語っているのは、寧ろ私の方だった。
―――普通、関わってもらいたくない人間は、ここで無視するものだから。
そう言ってからだった。
私は―――柔らかい温もりに包まれた。
そう。彼女が私を―――抱きしめたのだ。
「な、何を…」
「辛い事が…あったのか?」
「…私の、何を知ってるって言うんだよっ!放せよっ!」
「ああ、確かに私はお前の事を何も知らない。」
「じゃあっ、とっとと私から―――」
「けど、こうやってお前の気持ちを安らげる事はできると…思う。」
最後に、自信なさげに少女は呟いた。
ああ。
確かにそうなのだ。
私は安心しきっている。こうやって悪態をつきながらも、彼女に対して抱かれて、何の反撃もしていない。
―――つまりは、単なる虚勢なのだ。私の言葉は。
それでも―――私は、意地を張ろうとした。
「ふざっ…けるなぁっ…」
張ろうとして、それで終わった。
結局は、その温かさに。優しさに包み込まれた。
今まで人間の居る場所で暮らしては来たが―――私は、触れ合いを避けてきた。
当然ながら、こっちが興味を示さなければ向こうだって興味なんか示さない。
だから、今までは人間の居る場所に居ても、ずっと一人だった。
なのに。
こうやって抱かれて―――私は今、安心しきっている。
温もりを感じる事に、全てを委ねている。
―――安らいでいる。
「ふざける…なよぉ…っくぅ…!」
「…ごめんな、突然、こんな事をして…でも…」
涙が、溢れ出る。
温かくて、優しい。
今は亡き、母さんを思い出す。
「お前が余りにも―――苦しそうだったから―――」
その少女の優しい言葉と共に。
私は、彼女の胸に泣き崩れた。
こうやって抱かれて、ずっと、ずっと。
―――久しぶりに、幸せを感じた。
それが私と―――半人半獣、上白沢慧音との出会いだった。
=Marvelous Life= 前編
「慧音…」
「どうした、妹紅?」
竹林の、ずっと、ずっと奥地。
もはやその場で見えるのは、横に規則正しく並ぶ竹林と、その間からのぞく夜空。
そして―――月。
藤原妹紅は、そこにいた。
『住む』などと同意義で構わない。
常にそこで暮らし、たった一人でずっといた。
そんな彼女を見てやっていた少女がいた。
上白沢慧音。
半人半獣という、完全なる人間でもなければ、完全なる妖怪でもない。
そんな一人の少女。
それでも―――誰よりも、人間を愛している少女。
その二人は、今竹林にいた。
誰も。誰も来ないような、その、竹林に。
「私…人間の里に下りてみたい…」
「…また、それか。」
妹紅は、慧音が世話をするようになってから幾度となくその言葉を言ってきた。
だが―――
「何度も言っているが、駄目だ。」
「…どうして?」
「あそこは居心地がよすぎる。」
慧音は呟く。
真実だった。
彼女自身、あそこにずっといたいという気持ちが大きい。
それでも、妹紅を居させる事はできなかった。
「ねぇ…どうして…?」
「…簡単な、理由だ。そして、お前に何度も言ってきた。」
慧音は心苦しそうに。
それでも真実を、述べる。
「お前が…不老不死だからだ。」
妹紅は、不老不死である。
それは、自分でも知っている。
死んでも死ねず、死のうとしても死ねず、
―――死にたくても、死ねない。
蓬莱の薬を飲んだ者の、末路である。
姿形が変わらない人間は、俗世にいることができない。
何故ならば、人間だからだ。
慧音のように妖怪であるならば、不老不死とまでは行かなくとも、常に若く、常に生きている理由に説明が付く。
だが、人間なら―――?
不老不死の人間であると、判ってしまう。
もしそれが俗世の人間に知れてしまえば、その者を狙う人間が出るだろう。
―――不老不死の生き肝を食した者は、不老不死になる―――
伝説に過ぎないことは、慧音も理解している。
事実、幻想郷の歴史の中で不老不死の生き肝を食した者はいない。
だが、その伝説を信じている者に妹紅を会わせる訳には行かない。
だから、彼女が人間の里に下りるのを反対する。
―――あそこは、居心地が良すぎる。
彼女が言うように、どうしても長い間居てしまう。
長い間居れば、自ずと妹紅が不老不死であることがわかってしまう。
そうなれば―――
妹紅は確実に―――狙われる。
それを、慧音は知っている。
だからだ。
絶対に、彼女を人間の里に行かせるわけには行かない。
そう思っている。
妹紅は不満げに。
それでいて―――とても悲しそうな顔をでそっぽを向いた。
慧音は、その顔を見るのが辛かった。
大切にしている、それこそ妹のような存在だから。
たった一人の彼女に、できる限り何でもしてやりたかったから。
慧音は空を見る。
―――まだ、月が出ている。
だが、その月もなりを潜めようとしているところだった。
なぜなら、東の空がもう、少しだけ漆黒の夜空と違う、明るい青色の染まってきていたからだ。
十六夜月の夜は明け、新たなる朝が来る。
「妹紅。私は人間の里に戻る。
…勝手にどこかに出歩くんじゃないぞ。わかったな?」
慧音は後ろを向いている妹紅に言ったが、返事は無い。
―――そこまで怒っているのか。
だが、怒っているのがわかっても、その元凶である自分にはどうすることもできなかった。
それでも妹紅ならわかっているだろうと思い、慧音は竹林を歩き出した。
=====
慧音は空を飛んでいた。
人間の里に行くには、一番早い方法だからだ。
近道云々よりも、空を行けば早いのは明確である。
そして、いつも見る人間の里を発見する。
―――もう、太陽は東の空から完全に出ていた。
つまりは、完全に朝を迎えた。
慧音はスピードを落とし、ゆっくりと人間の里の近くに降り立った。
そして歩いて、長屋が立ち並ぶ村へと顔を出す。
慧音の存在に気付いた子供たちが、遊んでいた毬などを掴んだまま、慧音に向かって走ってきた。
「慧音お姉ちゃん!おはよー!」
「ああ、お早う。今日も元気だな。」
笑顔で話しかけてくる少年に、慧音は目線を合わせるようにしゃがみこんで笑顔で返事をする。
慧音はいつも感じる。
こうやって子供たちの笑顔を見ているときが一番癒される時だと。
―――だから、居心地が良すぎる。
心の澄んだ者しかいないから。
故に彼女を連れてくるわけには行かない。
少し心苦しいが、それは仕方ないことなのだ。
―――慧音は、下唇を噛んだ。
「お姉ちゃん…」
「ん?ああ、何だ?」
「大丈夫?顔色悪いよ?」
「あ、ああ、気にするな。大した事じゃない。」
―――子供に心配されるようになったら終わりだな。
慧音は自虐的ながら、思う。
笑顔を作る。
それで、彼らに喜んでもらえるならば―――
彼女は喜んで笑顔を作った。
すると、集まってきた子供の一人が慧音に言う。
「慧音お姉ちゃん。」
「ん?どうした?」
「そこのお姉ちゃん、だれ?」
「え…?」
慧音は子供の指差した方向を見る。
自分の真後ろだった。
そこには、淡い紫色の髪を持った少女が。
自分のよく見知った少女が居た。
「やぁ、慧音。」
「も、妹紅…!?」
笑顔で慧音に挨拶する妹紅を見て、慧音は愕然とする。
―――なんで、こんな所に。
呆然と何が起こっているかわかっていない慧音を無視して、妹紅は言う。
「ここが人間の里かー。結構普通の所なんだねー。」
「ねぇねぇ、お姉ちゃんだれー?」
「どこから来たのー?」
「おお、私は妹紅って言うんだ。妹紅お姉ちゃんと呼びなさい。」
「も…もこ?もこ姉ちゃん?」
「も・こ・う。ちゃんと言えるようになりなさい。」
もこと自分を呼んだ少女を妹紅は軽く小突く。
すると少女がちょっと涙目になった。
「あう、いたいよー。」
「私の名前をちゃんと言えるように…って、ああ泣くなって!泣かないで!お願いだから!」
「あー、もこがいじめたー!」
「もこはいじめっこだー!」
「お母さんに言いつけるぞ、もこー!」
「ああ、お前らもこもこ五月蝿いッ!」
「わーっ!もこがおこったー!」
「にげろにげろーっ!」
「待てこのチビどもーッ!」
妹紅は泣きそうになっている少女をなだめた後、もこもこ五月蝿い少年たちを割と必死に追いかけた。
少年たちもそれを面白がって逃げ回っている。
その間も、慧音は思考が完全にまとまらず、今何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
ただちょっと涙目の少女を抱きとめるぐらいで―――
「白沢様、今日もよくいらっしゃいました。」
「え…あ、ああ、村長。」
正気を取り戻した慧音が上を見上げると、そこには初老の男が立っていた。
慧音はそれに気付いて、少女を抱き上げたまま立ち上がって、男に頭を下げた。
「今日も世話になる…すまないな。」
「いえ、我々の生活は白沢様のおかげで成り立っております。礼を述べるのはこちらの方でございます。」
「気にするな、私は大した事はしていない。」
慧音は初老の男に笑顔で答える。
それは、本心からの笑顔。
慧音はこの人間の里では尊敬される存在となっている。
人間の里を守るために結界を作り出し、妖怪の手から人間を守っている。
自分自身がその妖怪に分類されていることを知った上で。だ。
人間たちも、慧音が妖怪であることは知っている。
ごく一部の人間は、そのことを恐れてもいる。
それでも、慧音が命がけで自分たちを守っていることも知っている。
だから―――人間にとって慧音はありがたい存在なのだ。
故に尊敬の念をこめて大人たちからは『白沢様』と呼ばれている。
けれど本人はそれで呼ばれるのが慣れないらしく、言うことを聞く子供たちには『慧音お姉ちゃん』と呼ばせるようにしていた。
慧音は、涙目の少女の頭をゆっくりと撫でながら言った。
「私は人間を愛している。だから、お前たちは気にしなくていい。これは私がやりたくてやっていることだからな。」
「…本当にそのお言葉、感謝の一言につきます。」
慧音は、心から人間を愛していた。
今の言葉に、嘘偽りなど存在しない。
彼女の本心。
それを言っただけ。
だから、彼女は何の言葉も要らなかった。
言葉じゃない。
本人たちが、喜んでくれるか。
どれだけ罵倒されても。
どれだけ好奇の眼で見られても。
どれだけ愛されていなくても。
慧音は人間のために尽くし続けたいと。
そう思っている。
だからこそ、彼女を認めてくれる人間たちもいた。
彼女を受け入れてくれる人間たちもいた。
「私の方こそ―――感謝したいぐらいだ。」
「え…?」
「いや気にするな。独り言だ。」
慧音は言う。
そして思うのだ。
私は今、幸せだと。
「…ところで、白沢様。」
「ん?」
いい加減少女に笑顔が戻ってきた頃。
村長が言いづらそうに慧音に話しかける。
そして村長は顔を慧音に向けたまま、眼を横に流すようにして言った。
「あの方は…白沢様の知り合いでしょうか?」
「え?」
村長が眼を向けた方向に、自分も眼をやる。
そこには―――
「はい、またもこがおにー!」
「あぁぁぁぁっ!?お前らグルになってるんじゃないだろうなっ!?」
「そんな事ないよー、もこのひがいもうそうだよー。」
「そうそう、もこがよわいんだって。」
「弱く無いッ!大体地の利がある分、お前達が有利だろー!?」
「ちのり…?」
「…ああ、難しい言葉は駄目か。えっと、お前達のほうが村をよく理解してる分強いのは当たり前だろ?」
「そんな事ないよ、もこがよわいんだよ。」
「ああ、弱くないっての!」
慧音から結構離れたところで、妹紅は子供たちと遊んでいた。
しかも妹紅は子供たちに良いようにあしらわれているようで、子供相手に激怒していた。
―――お前、幾つだ。
慧音はそう思う。
そしてため息を一つ吐く。
「…一応。」
そして、言いづらそうに一言呟いた。
慧音は妹紅のいるところに歩いていった。
妹紅は鬼ごっこで再び鬼になったらしく、しゃがみこみながら数を数えていた。
「じゅーごー、じゅーろーく、じゅーしーち、じゅーはーち、じゅーくー、にじゅーっ!」
最期の20だけ異様に気合を入れて勢いよく妹紅が立ち上がる。
顔こそ笑顔だが、どこかその眼は怒りに満ちていて、ちょっと血走っていた。
「さぁチビども!全員見つけてやるから覚悟しろ!」
「何やってるんだお前は…」
「おおもうそんな所にいたか!このやろーッ!」
「ひゃん!?」
ガッと。
妹紅は思いっきり慧音を引っつかむ。
よりにもよってまん前を。
「おお!?何だ、お前頭柔らかいんだな!
思いっきり頭引っつかんでそのままぶん回してやろうと思ったけど、こんな柔らかい頭は初めてだ!」
「…妹紅。」
「いやしかし、不思議だな!両手出して両方から球状の柔らかい頭があるなんてな!
お前頭二つあったのか!それにしても柔らかい頭だな!」
「も・こ・う?」
「ははは、まるでなんか乳みたいだな!頭じゃないみたいだ!うん!
しかし柔らかいなー!」
「…お前、いい加減気付いてないか?」
「…途中から。」
妹紅の両手は。
見事なまでに豊満に膨らんだ柔らかい慧音の胸を―――わしづかみにしていた。
慧音の顔が真っ赤になる。
羞恥心も当然ながら、怒りもあるだろう。
そして妹紅はもはや何の言い逃れもできない状況に、ただ胸を揉むしかできなかった。
「えーっと…」
「妹紅…とりあえず、放せ。」
「慧音、立派に育ったんだね。」
「口に出して言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
とりあえずぶっ飛ばした。
=====
「いやー、初めてだったけど人間の里は面白いねー。」
「……」
帰り道。
竹林を歩きながら楽しそうに妹紅は言う。
それとは対照的に慧音は神妙な顔つきで横に並んで歩いていた。
「ああやって皆して遊ぶのなんて何百年ぶりかなぁ。」
「…妹紅。」
楽しく妹紅は話を続けるが、慧音はそれを止めようとする。
だが妹紅は話をやめようとしない。
「それにしてもあのチビども、年功序列って奴を知らないのかねぇ。
今度会った時はしっかりとそれを叩き込んでおかないと。」
「妹紅。」
「そういや、慧音いつの間にあんなに立派に育ってたのさ?
びっくりしたよ。揉んでて本当に柔らかかったし、正直あんな柔らかさの枕あれば即熟睡みたいな…」
「妹紅ッ!」
話をやめようとしない妹紅に、最終的に慧音は声を大にして怒鳴りつける。
さすがに妹紅もその言葉には驚いたのか、話をやめて足を止める。
慧音はその美しく長い髪をなびかせながら振り返り、妹紅のほうを向く。
本当に―――本当に、怒ったときにしかしない顔だった。
妹紅はこんな顔をした慧音を―――始めて見た。
「妹紅、何故私の言いつけを破った?」
「…」
「答えろっ!」
慧音は妹紅の肩を力強く掴む。
これほどまでに力強く他人の肩を握り締めたのも、初めてかもしれない。
それでも―――そうせずにはいられなかった。
妹紅は痛そうに顔をしかめるが、慧音はそれに気付く余裕もなかった。
「私は、お前の為を思って里に来ないように言った!
なのに、どうして私の言いつけを破るんだ!?」
「…けーね。」
「お前に危険な目に遭って欲しくないんだ!お前が嫌な目に遭うのを防ぎたいんだ!
それなのに…それなのに、どうしてお前は言うことを聞いてくれないんだ!?」
「…慧音ッ!」
「…ッ!?」
ハッと。我に返る。
―――妹紅は、泣いていた。
眼から涙を流し、そのまま慧音を見つめていた。
そして慧音は気付いた。
自分の指の先が、妹紅の血で赤く染まっていることに。
慧音は、掴んでいた両手を放す。
―――何をしているんだ私は。
妹紅を守りたい?危険な目に遭って欲しくない?
じゃあ、今私は何をしている。
妹紅を―――泣かせているじゃないか。
悲しい目に遭わせているのは―――自分じゃないか―――!
「…済まない。」
「…ううん、いいの。約束を破ったのは、私だから。」
情けない。
我ながらそう思う。
妹紅を守る?
防ぐ?
ならば、今何をしている?
―――本当に、私は只の馬鹿だ。
空を仰ぐ。
今日は一面の星空だった。
昨日が十六夜月だったということは、今日の月は立待月ということだろう。
「…楽しかった。」
「…え?」
妹紅がふと呟く。
慧音ははっきりとそれを聞き取った。
「楽しかったんだ。本当に。人間の里で、子供たちと遊んで―――
ああやって笑いあっているのが、すごい楽しかった。」
「…」
「楽しかったんだよ。千年の間、私のそばに居てくれたのは慧音だけだった。
他の人と触れ合うこともできなくて―――ああやって大勢の人が居る場所に居るのが、とても楽しかった。」
「妹紅…」
「だから!行きたかったの!
ああやって、皆で一緒に仲良く騒いだり楽しんだりして―――居たかった!
でも、それが無理だってわかっても、少しでも良い!
少しの間だけでも、他の人たちと、楽しめるようなことがしたかったの!
皆と―――同じように―――」
想いが、溢れる。
ずっとずっと。胸にしまってきた思い。
でも。
今日は―――それを抑えられなかった。
どんなに千年間を暮らしてきても。
どんなに長く生きていても。
―――やはり彼女は、見たままの少女なのだ。
慧音は空を見上げたままため息をつく。
そして言った。
「…一月だ。」
「え?」
「一月の間。次の満月が出るまで、人間の里に行くのを許してやる。
…ただし、その期間が過ぎたら絶対に人間の里に下りるな。絶対にだ。」
慧音はそう言うと歩き出す。
―――甘いな、私も。
心の中で呟く。
危険な目にあわせたくないとか言いながら、これだ。
本当に、自分でも甘い奴だと思う。
けれど。
これで、彼女が喜んでくれるなら。
―――心から、彼女が嬉しくなるなら。それでいい。
確かに、危険に晒されるかもしれない。
だが、
それなら、簡単だ。
―――私が、全身全霊を懸けて妹紅を守る。
そうすれば、いいだけだから。
そして妹紅は最初、何を言われたのか判らず呆然としていた。
「え…慧音…」
「早くしろ。これ以上暗くなると帰れなくなるぞ。」
慧音は二人の寝床に歩いていきながら
妹紅のほうを見ずに言った。
「明日も、行くんだろう?」
いつもの強気な。
慧音の声だった。
それを聞いて、妹紅は涙を袖で拭き―――
「…うんッ!」
―――慧音の横に並ぶように、思いっきり走り出した。
―――ありがと、慧音。
そんな言葉を胸に秘めながら。
=====
―――幻想郷に朝日が昇る。
今日もまた、新しい一日の始まりだった。
慧音と妹紅は、とある洞穴の中に住んでいる。
人の目に触れないように、たった二人だけの生活をしていた。
暮らすものに困ったことはない。
もともと幻想郷には電気など通ってないし、火を熾すのは二人とも得意だった。
大体夜はすぐに寝る。替えの服は川の水で洗濯すれば良い。
夜寝る時は自分たちで綿花や藁を編みこんで作った毛布がある。
何一つ、困ったことない生活だった。
「んっ…」
慧音が、目を覚ます。
洞穴の外から、太陽の光が差し込んでくる。
―――今日もまた、一日の始まりか。
気持ちの良い太陽の光を全身に受けて、慧音は上半身を起き上がらせる。
そして、ぐーっと伸びをする。
そして一枚の毛布を共有して、横に寝ているはずの妹紅に話しかける。
「おい妹紅、もう朝だぞ。」
手を動かして、妹紅の居る辺りを手で探る。
だが、何の感触もない。
おかしいな。私が起きる頃には妹紅は絶対に熟睡しているはずだが。
「パゼストバイフェニックスは朝っぱらからやるものじゃないぞ。」
そんなことを言ってみるのだが。
へんじはない。ただのしかばねのようだ。
いやいやそんなのも無い。
いや死なないしあいつ。
「…まさか。」
そこまで考えて、ようやく慧音の思考は完全に働いた。
気付くとすぐバッと毛布を自分から剥ぎ取って起き上がる。
「あいつ、まさか…」
急いで洞穴を出る。
太陽の光がより彼女を照らし出す。
目が光に慣れる。
だが、まだ妹紅の姿は見えない。
―――間違い無い。
慧音はスカートを翻すように宙に浮かび上がり、そのまま人間の里へと飛んでいった。
=====
「うしろの正面だぁーあれ。」
「えーっと…若菜だ!間違いない!」
「ぶぶー、早蕨でしたー!」
「何ぃ!?絶対今のは若菜だったろ!?」
「早蕨だよー。もこ姉ちゃん、言いがかりはよくないよ。」
「いや絶対に若菜だったってばー!途中で変わっただろー!?」
「負け惜しみはよくないぞ、もこー。」
「呼び捨てにするなっ!」
慧音が人間の里に着いた頃。
妹紅はもうすでに子供たちに完全に打ち解けて遊んでいた。
それを見て慧音は頭を抱える。
そうこうしているうちに、子供たちはまた妹紅の周りを取り囲むように回りだした。
どうやら結局妹紅の負けで決定したようだ。
「かーごーめかーごめー」
―――かごめかごめ
幻想郷の伝統的な遊びの一つである。
一人が真ん中でしゃがみこんで目をつぶる。
そして他の人は周りをぐるぐる回りながら唄を歌う。
唄が終わった時に後ろにいる奴を真ん中でしゃがんでいる者が当てるのだ。
当たれば、その当たった人と真ん中を交代。
外れればもう一回やるという、過酷なルールである。
慧音も昔はよく遊んだものだ。
そして一人卑怯な子供がいて、そいつのせいで泣きながら20回ぐらい真ん中にいたこともある。
ようやく事に気付いた慧音はそいつにファーストピラミッドをぶっ放したという過去も残っている。
今となってはいい思い出だった。
「かーごのなーかのとーりーはー」
「いーつーいーつーでーやーるー」
「よーあーけーのーばーんにー」
そうやって遊んでいる間に慧音が近づく。
しゃがんで目をつぶっている妹紅以外の子供たちは慧音に気付く。
だか、慧音は唇の前に人差し指を一本立てて、子供たちに黙るように言う。
そして慧音は妹紅の真後ろに立った。
「つーるとかーめがすーべったー。」
そして子供たちは何事も無かったかのようにごく自然に唄を続ける。
「うしろの正面だぁーあれ。」
子供たちが歌い終わり、妹紅の周りを回るのをやめる。
そして妹紅はしゃがみこんで目をつぶったまま言う。
「今度は間違いない…匂宮だっ!」
妹紅が絶対の自信に満ちた声で言う。
だが、それは慧音の強い口調の一言が潰した。
「残念だったな妹紅。ハズレだ。」
「えっ!?だって間違いなく後ろは匂宮…って、あ、あらまぁ、慧音。」
妹紅が嘘だと思い立ちあがって後ろを見ると、青い服の少女が居た。
全身から殺気を放った慧音を見て、妹紅は冷や汗を流す。
「お前、行くの、早過ぎ。」
「え、いやぁーーー、うん。その、えっとねぇ、アレだよね、うん。ごめん。」
最後の最後まで言い訳で抵抗しようとするが、最終的に妹紅は謝る。
―――楽しみにしてたのはわかるが、何もそこまで。
慧音はふと思い、言った。
「せめて私に何か一言言ってから…」
「だって慧音…凄い気持ち良さそうに寝てるからさ…起こすの悪いかなって思って。」
「私に気を使う必要は無いんだ。それより勝手に出て行かれるほうが迷惑だ。」
「うん、でもさぁ…本当に凄い気持ち良さそうだったんだもん。」
「どれぐらい?」
「寝言言ってた。」
嫌な予感がする。
慧音は妹紅の口を塞ごうとしたが、それより先に妹紅の口から言葉が出た。
「『安心しろ妹紅、私が守ってやるからなぁー。』とか。」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!!!???」
「『ん…妹紅、妹紅…そこ…痛ッ…』って言ってたし。」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??!!?!!?!??!!」
思い切り絶叫を超える奇声を上げて、慧音は頭を抱えてのた打ち回る。
―――どんな夢を見ていたんだ私はーっ!?
顔が真っ赤になる。
朝見た夢なんかもう忘れた。
「ねーもこ姉ちゃん、それほんと?」
「おう、慧音お姉ちゃんは私のナイトなんだ。」
「ナイト?」
「つまりは私を守ってくれる人だな。私だけのお侍さんだ。」
「じゃー、もこお姉ちゃんが危険になったら慧音おねえちゃんが助けに来るの?」
「ああ、私が危険になったら『幻想の美少女白沢、レジェンドヒストリー慧音参上!お前の歴史を食べちゃうぞ☆』って言って
格好よく出てきてくれるんだぞ。そして『あーたたたたたた』とか言いながら敵を指先一つでダウンさせるんだ。」
「嘘をつくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
慧音が思いっきり叫ぶ。
その声は、人間の里中に響き渡った。
そしてその日も陽は落ちる。
=====
その後も相変わらず妹紅は慧音より先に人間の里を訪れ、子供たちと仲良くなる。
慧音も知らないうちに、村長や他の住民とも仲がよくなっているようだった。
彼女は順応力は高い。
そしてしばらく時は流れ。
約二週間ぐらい過ぎた時。
ある日の人間の里。
一人の少女と、一人の少年が並んで座っていた。
少女は藤原妹紅。
「なぁもこ。」
「もこって呼ぶなっつの柊。妹紅お姉ちゃんと呼びなさい。」
そして少年は柊。人間の里の子供たちの中でも一番の年上の少年だ。
いわば子供たちのリーダー格といっても過言ではない。
だが一番の年上といっても、まだ若干10歳ぐらいに過ぎない。加えて妹紅より身長が小さい。
子供たちが皆妹紅に懐いたので、妹紅をもこ呼ばわりするのは、今では彼ぐらいだった。
「うるさいな、もこはもこでいいんだよ。俺が決めた。」
「…全く仕方の無い奴だ。で、何だ?」
妹紅が頭をかく。
―――どうせこいつの言うことだ。碌な事はあるまい。
妹紅は普段から柊に遊びでは勝てなかった。
なんと言うか、こう、強いのだ。
そのたびに何度弾幕ぶっ放してやろうかと思ったが、流石に生身の人間。
しかも年端も行かない少年にそれをやるのは流石に気が引けた。
そして柊はというと―――
なぜか、顔を赤くしていた。
「そ…相談に、乗ってくれないか?」
「恋か。相手は誰だ。慧音だな?」
「なっ、何で知ってるんだよっ!?」
言ってから、柊は口を押さえる。
対して妹紅は面白がるようににやけた顔をしていた。
まるで、面白い玩具を発見したかのような。
「いやぁ~…お前の慧音を見る目つきは明らかに他のとは異なるからねぇ。」
「わ、悪かったな!?」
「で?どうしたい、すぐに告白したいか?」
ずい、と身を乗り出して妹紅は柊に迫る。
柊はその迫力に押されたのか、一言呟いた。
「で…できれば、明日にでも。」
「いい決断だ。男らしい奴だなお前は。」
「でも…」
「でも?」
そこで、柊は言いよどむ。
僅かな恐れと、悲しみを抱いた表情。
「もしさ…それで、振られたら…」
柊が言った瞬間だった。
パァン。と。
乾いた音が響いた。
柊の頬にはくっきりと―――紅い紅葉のようなビンタの痕があった。
「ああ情けない情けない情けないっ!
せっかく男らしいと思ったらすぐこれだよ!」
「なっ、何すんだよいきなりっ!」
「いいか?男がそんなことを気にするな。
大体振られたらどうしようだぁ?そんなの生まれて10年ぽっちのガキが考えることじゃないんだよ!」
「でっ、でも…」
柊が答えに戸惑い、目をそらそうとする。
が。
妹紅は柊の両肩をがっしりと掴んだ。
力強く。
でも、以前自分が慧音につかまれたときよりは遥かに弱く。
―――血が出たからな、あの時。
そんなことを少し考えて、妹紅は強気の表情に笑みを浮かべて言う。
「目を逸らすな。私の目を見るんだ。」
「…」
「…よし、いい子だ。」
妹紅は、自分の眼をしっかりと見据えた柊に言う。
「振られても、振られなくても。告白しないで後悔するより、ずっとマシだ。
もし振られたらお前は傷つくかもしれないけど、何も言えずにこのまま時が流れたほうがよっぽど辛いだろう。
確かに振られたら…まぁ、しばらくは辛いかもしれないが、すぐに立ち直れるさ。新しい恋だってできる。
けど、もし言わなかったら一生お前は立ち直れないと私は思うけどな。」
「…」
「慧音は、しっかりと答えてくれるさ。お前の想いに。その結果が何であっても、お前は立派だと私は思う。
でもその結果を恐れて進まないようじゃ、私は一生お前の事を見下してやる。それは嫌だろ?」
「…うん。」
柊がゆっくりと、首を縦に振る。
「じゃあ進め。今やらないといつの間にかどこかに消える感情だ。…私も応援してやる。」
「…ホント?」
「ああ、本当だ。思いっきり、慧音に自分の言いたいことを言ってこい。」
「…うん。」
「声が小さいッ!」
「う、うんっ!」
「返事は『はい』!」
「は、はいっ!」
柊は両肩をがっしりつかまれたまま、大きく返事をした。
そして妹紅はそれを見ると、バンと大きな音を立てて柊の方を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「よーし、いい返事だ。」
「なぁ、もこ!俺頑張るよっ!」
「おお、その意気だ!明日頑張れよっ!」
「はい!」
妹紅はそう言って、西の空を見る。
―――夕焼けが、眩しかった。
それでいて、美しかったといえる。
それでも、妹紅は思わずにはいられない。
―――頼むから、もこって呼ぶのはやめてくれ。柊。
そんなときに、声が聞こえてきた。
「妹紅~。どこにいるんだ~?もう帰るぞ~?」
「おっと。」
―――慧音だった。
掌を拡張機にするように、声を大にして妹紅を呼んでいた。
柊は、妹紅に耳打ちする。
「い、今のこと、ぜぜ絶対に誰にも言うなよ。」
「わかってるわかってる。私と柊の約束だ。」
―――お前、もう気が動転してるじゃないか。
そう思いながら、妹紅は立ち上がる。
柊の手を取って。
そして慧音に聞こえるように返事をした。
「けーねー!」
「あっ…妹紅!そんな所にいたのか…」
慧音が妹紅のいるほうに歩いてくる。
柊は頬を赤らめ、慧音が一歩一歩近寄ってくるたびに瞳孔をただっぴろく開いていた。
―――お前、動揺しすぎだよ。
妹紅はそう思った。
そして慧音は近づいて来て言った。
「おやなんだ、柊も一緒だったのか。」
「は、はいっ…」
「もう夕暮れだぞ。母さんも心配している。早く戻りなさい。」
「…は、はい…」
慧音が柊の視線に合わせるように中腰になって、微笑みながら優しい声で言う。
柊はよりいっそう顔を赤らめた。
一方妹紅は「このスマイルは誰でも落ちるよなー」とか思っていた。
「あ、あのっ。」
「ん?」
柊は勇気を出して慧音に問いかける。
―――まさか、今言うのか!?
妹紅も流石にそれは早すぎると思った。
だが、出た言葉はちょっと予想とは外れていた。
「慧音さん…明日も、来てくれますよね…」
「ん…ああ、勿論だ。」
「わ、わかりましたっ、ありがとうございますっ…」
先ほどの妹紅へ見せたガキ大将的な一面はどこにいったのやら。
柊は走って自分の家へと戻っていった。
妹紅はその走る後姿をにやにやと見つめて、言った。
「青春だねぇ。」
「何を言ってるんだお前は。」
慧音が妹紅にチョップをかます。
「あう、蓬莱人でも痛いものは痛いー。」
「って、あまりここで蓬莱人とか言うな!」
「何を言っているのかね慧音。私は『ほんめいりん』といったのだよ。」
「嘘だろ。」
「バレた?」
「とお。」
二度目のチョップ。
「えーんえーん、慧音がいじめるよー。」
「人聞きの悪い事を言うな。しつけのなっていない同居人に礼儀を教え込ませてやろうとしているんだ。」
「そんな縦平手をまともに食らったら頭がおかしくなるよー。礼儀を忘れちゃうよー。」
「やかましい。これを喰らうような事をしなければいいんだ。」
「わかったよ。じゃあ慧音のおっぱいの性能を具体的にみんなに知らせるよ。」
「わかって無いだろぉぉぉぉぉぉ!?」
握りこぶしで妹紅を殴る。
もはやチョップじゃ済まなくなっている。
妹紅はそれを喰らって約20メートルほど吹っ飛ぶ。血は出たけど不老不死なので問題ない。
―――そして今日も太陽が西の空に沈み―――
一日の、終わりを告げる。
=====
―――夜。
二人の住んでいる、洞穴の中。
慧音と妹紅の二人は、同じ一枚の毛布を共有して一緒に寝ていた。
別段怪しいことはないのだが。不思議と百合加減が沸いてくる。何だこの日本語。
けれど怪しいことは全く無く、事実慧音は妹紅の方を見ずに壁のほうに身体を向けて寝ているし、妹紅も真上を見て寝ていた。
ただ単に、二つ毛布を作るほど材料の余裕がなかったのと、一緒に寝ると身体が近くにあって暖かいからという理由から
二人は普段から同じ毛布を共有して寝ていた。
「慧音。」
「ん?」
妹紅が天井を見上げたまま慧音に話しかける。
慧音もそれに気付き軽く返事をした。
「起きてる?」
「…ああ。どうした?」
「あのさ、お願いがあるんだけど。」
慧音は「お願い」と聞いてちょっと不安を募らせた。
妹紅からのお願いというのは、大抵ろくでも無い物が多いからだ。
例えば「胸を大きくしたいから揉んで」だの「西瓜の漬物って食べてみたい」だの。
一番酷かったのは「醤油って一気飲みするとどうなるのかなぁ。慧音やってみてよ。」と言った物だ。
やってみた結果、本気で死ぬかと思った。
幻想郷の歴史に残るのが、【死因:醤油一気飲み】だけは勘弁して欲しい。
しかもそれを実施した後の妹紅の反応は「へー、そうなるんだー。」の一言のみ。
おもわず本気で幻想天皇を撃ってしまった。
まぁ、一番最近では人間の里に下りてみたいというものだ。
これもこれで不味い物なのだが、これは今のところ問題は無い。
とりあえず不安は溢れているのだが、聞くだけ聞いてみようと思った。
「何だ?」
「うん、あのさ…」
そこで、妹紅は言いよどむ。
いつもお願いする事はずばずば言うくせに、今回はなぜか「うーん、うーん。」と唸っている。
そんなに言いづらい事なのだろうか。珍しい。
慧音はいい加減寝たいと思っているので、催促しようとした。
「早く言え、私も明日があるから寝たいんだ。」
「あ、ちょっと待って!ね!」
妹紅はどうしても今言いたいらしい。
―――だったら早く言えばいいのに。
それともそんなに言いづらい事なのだろうか。実に珍しい。
そうこう考えているうちに、ようやく妹紅が言った。
「あのさ、柊いるじゃない。」
「いるな。柊がどうかしたのか?」
「あいつが、明日慧音に告白したいんだって。」
「何を?」
「愛の告白。あいつ慧音の事が好きなんだって。」
「ほぉ…」
慧音は横を向いて寝ながらその言葉を聞いた。
―――柊が私に愛の告白か。
なるほど言いづらいわけだ。
愛の告白…愛の…
柊が…私に…愛の告白を……………………
ちょっと待て。
慧音はガバっと威勢のいい音を立てて毛布を自分から引き剥がす。
そして上半身だけを起き上がらせた。
「おい妹紅。」
「何?」
「い、今、お前、なんて言った?」
「ああもう理解力が無いな慧音は。」
それはお前だ。
そう言いたいのを我慢していると、妹紅が寝て天井を見上げながら先ほど言った言葉をもう一度言った。
「柊はお前のことが好きだから、明日愛の告白をしたいんだってさ。」
―――思考が止まった。
愛の告白?
私に?
柊が?
何で?
好きだから?
私の事を?
ぐるぐると、慧音の頭の中を「柊」「私」「告白」という三つの言葉が頭の中を回っていく。
結論に行き着くまでには結構時間がかかった。
10秒、20秒、30秒…
慧音の頭の中で全ての言葉の整理が完了したのは、妹紅が再度言葉を説明した三分後の事だった。
「何ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!???!!?!!??!!??」
思わず、叫び声が出た。
以前妹紅に胸を揉まれた時や、『レジェンドヒストリー慧音』の話をされたときでも出なかったような大声だった。
あまりの声の大きさに、妹紅はずっと天井を見ていたのをやめて、慧音のいるほうを見た。
「ああもう五月蝿いな。近くの妖怪達が目を覚ましたらどうするんだよ。
大体ここ洞穴だから響くんだよ。」
「ちょ、だって、柊が、私にって、おい。」
「ああもう何回言えば判るんだよ?柊はお前が好きで…」
「い、いや…それは、大丈夫だけど、だって、あいつが私に、告白って…」
「そうだよ?」
「えっと、えっと、柊は男で私は女で…」
「って、そこから確認かい。」
「よ、妖怪がワーハクタクで人間だから私で柊なんだ!」
「あのごめん慧音、ちょっと落ち着こう。」
もう自分でも何を言っているのか判らない。
なんとなく妹紅も悪い気がしてきたのか、慧音をなだめ始めた。
そして慧音は顔を耳まで真っ赤にして、妹紅に問いかけた。
「だ、大体なんでお前そんなことを?」
「今日、本人から聞いたんだよ。」
「どーして。」
「知らん。あいつが私に相談したいことがあるからって言って、聞いてみたらそんな話だった。」
「そーだん…」
妹紅はあくまでも冷静に答える。
というか慧音と正反対。びっくりするほど。
慧音は慧音で舌がほとんど回っていない。
「あいつからは誰にも言わないでくれって頼まれたんだけどな。」
「じゃあ私に言うなぁっ!?」
至極尤もな事を慧音が叫ぶ。
だが妹紅はそれにもあくまで冷静に言う。
「何言ってるんだよ。今言っておいて正解だったじゃないか。」
「どこがっ!」
「今言ってこんなに動揺したでしょ?もし私が今日何も言わなかったとするよ。
明日いきなり告白されたら絶対に今みたいに動揺しまくってたでしょ。」
「…………」
…言われてみるともっともだ。
間違いなく明日いきなり柊に告白されていたら、それこそエクステンド。
満月出ていない、しかも夜でもないのにハクタク化しかねない。
「だから今のうちに答えをはっきり出せるように、告白されても動揺しないように
先に言っておいたんじゃないか。」
「…う、うん。」
「あ、柊にはあくまで始めて告白されたように反応してね。私が慧音に話したのばれちゃうから。」
―――なんと言うか、意外に考えているな。
そんな話をされたせいで理解力がいつもの1%程度しかでなかったが、改めて説明されてようやく落ち着いてきた。
確かに、いきなり告白されたら返答に時間がかかるだろう。
加えて間違いなく先ほど言ったとおりエクステンド。チェンジハクタクスイッチオン。
けれど。
―――私は。
思う。
だから―――
「…慧音は、断るつもりなんでしょ?」
「…っ。」
そこまで、読まれていた。
妹紅はもうすでに寝ながら壁の方に身体を向けて毛布をかぶっていた。
上白沢慧音はあくまでも半人半獣の妖怪だ。
完全な人間ならばまだしも、半分が妖怪である以上まともな返事はできない。
例え。
―――私が、あいつのことを好きでも。
「そういうところくそ真面目だからね、慧音は。」
「…」
「それとも、純粋に柊のことが好きじゃないの?」
「…そんなことじゃ、無い。」
「でも、恋愛対象としては見てないでしょうよ。」
「…ああ。」
あいつは、あくまでも守りたい人間の一人だ。
一人の男として、愛している訳ではない。
だから―――答えは、決まっていた。
けれど。
「…はっきり言える?相手の気持ちばっかり考えてないよね?」
「…本当に、お前には隠し事ができないな。」
「何十年、慧音と一緒にいると思ってるのさ。」
全く持ってその通りだ。
妹紅は慧音の優しさまで見抜いた上で、その事を言った。
人間を大切にする慧音だ。
自分のせいで、人間に被害が及ぶなら。
自分の一言が、一人の少年を傷つけることになるなら。
―――彼女は、自らをも殺すだろう。
それほどまでに、彼女は人間を。誰よりも愛している。
そんな彼女が、自分から自分を好きでいてくれている少年を傷つけるなどと、そんな行動に出るだろうか。
妹紅はごく自然にその事に触れた。
慧音はそんな所まで見抜かれた事に驚いたが、それ以上に感謝すらした。
「心配するな、妹紅。私は…私の言いたい事を言う。
結果的にあいつを傷つけることになるかもしれないが…それでも。」
「そっか。でも、あいつの想いはしっかりと受け止めてよ?あいつは真剣なんだから。」
「当然だ。」
笑顔で言う。
暗闇の中見せても意味は無いけれど、その笑顔は確かに妹紅に伝わった。
その証拠に、妹紅は寝ながらもその言葉を聞いて微笑を浮かべる。
「ん、それが私のお願い。あいつの想いを真剣に受け止めてあげて頂戴。」
「ああ…わかった。
それぐらいなら言われなくてもするつもりではあったがな。」
「それ聞いて安心したよ。お願いね、慧音。」
「ああ。」
慧音がそう返事をすると、妹紅が安らかな寝息を立て始める。
―――寝るの早いよ。
慧音はちょっと呆れて。
それでも、妹紅に相当の感謝を込めて。
「ありがとう、妹紅。」
一言述べて、慧音も眠りにいた。
to be continued...