人間以外の方が圧倒的に多い幻想郷。
一口に人間以外と言っても、その分類は様々であるが、大きく分けて三種類。
人間より遥かに長い寿命を誇り、力も知能も最も優秀な妖怪。
妖怪ほどではないが特殊な力を持ち、自然にやや近い存在である妖精。
自然に限りなく近く、ほとんど明確な姿というものが無い精霊。
単純な力関係では上から下に行くほど弱くなるが、精霊の力を頼りとする妖怪もいるし、時に妖怪を打ち負かす妖精だっている。
強さに関しても一口で言い表せない、混沌とした中での平和が幻想郷にはある。
しかし、最近の傾向として――いや、すべからくと言うべきかもしれないが――実体を持つ妖怪や妖精の中に、人間以上に人間臭いものが現れ始めている。
そもそも妖怪の容姿自体が人間とさほど大差なく、特に魔界人や魔女などといった種族が『人間』でないだけで妖怪と分類される者に至っては、名乗らない限り区別の付けようが無い。
それら『異界の人間』は、妖気など発しないからである。
そう考えると異界人が人間臭いのは頷けるとしても、ただヒトを模しただけの妖怪達まで人間のような行動原理を持つのはおかしい。
――だが、それも仕方ないのかもしれない。
理性を持って行動するのが人間だというならば、
――ヒトを好んで襲わぬヒトのような妖怪と、何が違おうか。
◆
「改めて、――よろしくな、郁未。」
顔を上げ、歯を見せて笑う魔理沙に、郁未も自然と笑みがこぼれる。
「ええ、――短い付き合いかもしれないけど。」
ほら、と右手を伸ばす。それに掴まり、立ち上がって、
「あーあ、ドロドロだぜ。ま、自業自得なんだが。」
「白い部分まで黒くなっちゃって、本当に真っ黒ね。」
「誰が腹黒いって?」
「そこまで言ってない。」
取れそうな汚れだけ手で払い、後はそのままで放っておくつもりのようだ。
さて、と仕切り直した郁未は、
「ところで、どこに向かってるの?」
「あー、言ってなかったっけな。」
再び歩き出しながら、魔理沙は苦笑い。
「魔法使いの所だ。ちょっとした頼み事があってな。」
「魔法使い、って……魔理沙も魔法使いじゃない。」
いや、まあ、と歯切れの悪い返答。この短時間見てきた中で、初めて彼女らしくない動きに、郁未は首を傾げる。
やや言い訳がましく……現に言い訳だと思われるが、魔理沙は苦笑のまま喋り続ける。
「同じ魔法使いでも、専門とする分野はそれぞれ違うんだよ。私は思い付くままに研究してるだけだし、今から会いに行く奴は一つの事に没頭し始めたら止まらん。そしてもう一人は魔法のシステムからして違う。他に居たとしても、そいつが私と同じ魔法を使えるとは限らんだろうな。」
「ふうん……。」
難しい言葉を省いた説明だけに解り易いのだが、それが余計に疑問を大きくした。だって、
「魔法って、ある程度確立した形式みたいなのがあるんじゃないの?」
ファンタジーの世界は一見何でも有りのようだが、根本に据えられたシステムから大きく外れる事は無い。制約の無い『何でも有り』では、それこそ野放図になってしまう。
しかし、魔理沙は首を横に振り、
「魔法そのものは各人によって違う。ただ、大元になるエネルギーは同じものだ。」
「エネルギーが同じだから『魔法』で統一って事?」
(……うーん、ちょっと強引過ぎる気が。)
納得してないのがありありと見受けられたのだろう、魔理沙は苦笑を濃くし、
「確かに、魔法使いでなくても弾幕張る奴は皆『スペルカード』を持ってるからな。その辺りは私だって疑問が無い訳じゃない。」
「つまり、魔法に限らず根本のエネルギーは同じ、と。」
「そこに落ち着けるしかないな。で、その力を『魔法』と認識する奴は『魔法使い』で、それ以外の解釈をする奴は違う呼び名になる。」
言ってて混乱してきそうだぜ、と話はそこで切り上げられた。
まあこだわっても仕方ないか、と郁未も見切りを付ける。それよりも、あと一つ確認しておかないといけない。
「で、その魔法使いさんは人間?」
幻想郷の住民でない郁未にとっては一番大事な事を訊いてみると、
「うんにゃ。……『魔法使い』って妖怪だ。」
さらりと言ってのけた魔理沙の表情は、どこか楽しげで。
――視界の端、森が開けたのが見えていた。
◆
「……クシュン!」
その当人、もとい当妖怪である彼女は、古典的なアクションを起こしていた。
魔法の森に住まうもう片翼の魔法使い、アリス・マーガトロイド。
最近は人形に自律した命を吹き込む事を目下の目標としている彼女は、花粉症でもないのにくしゃみが出た事にしかめ面をし、
「誰か噂でもしてるのかしら……。」
今時の人間でも言わないような事を口走った。
アリスが居る部屋は、8割方彼女手製の人形で埋め尽くされていた。
残りの2割も人形の手入れや製作用のスペースであるため、実質10割が人形の部屋といっても差し支えないほどだ。
大きさはほとんどが20~30cm程度で、中には手の平に収まるサイズの物や、人間とほぼ同じくらいの物もある。
彼女が好んで遣うのは多数派の30cmクラス。家事や戦闘に最適な事もあるが、最も傍に置いておき易いのが最大の理由だ。
お気に入りの一つである上海人形もそのサイズで、赤いリボンがチャームポイント。
座ったままその子を呼び寄せ、ちり紙を持って来させる。
それを受け取り、ちーん、と鼻をかむ。花粉症じゃないので大した量は出ない。
「……まあ、噂しそうな奴なんて、一人しか居ないけどねぇ。」
カラスのような恰好をした、黒白の疾風を思い浮かべ、苦笑。
「大方悪口だろうけど。――さて、お茶でも淹れようかな。」
呟き、立ち上がろうとしたその時、
「おーい、アリス。居ないなら返事しろー。」
たった今脳裏に浮かんだ馬鹿の声が、玄関の方から聞こえてきた。
◆
「アリスー。居るのかー?」
捻くれた事を言いながら、ドアをノックする黒白魔女。
それが彼女の自然体なのだろうと、後ろに控えた朱色の高校生はあえてツッコミを入れない。
黒白の扱い方をよく知る紅白が見れば、手放しで褒めてくれる事だろう。何も出ないが。
「アリスー? 既に『マスタースパーク』発射一秒前なんだが、止めなくても――」
「何物騒な事言ってんのよ、馬鹿魔理沙!」
バァン、と勢い良く扉が開き、中から人影が現れた。
それは――魔理沙から聞いていたからというわけではないが――人形のように整った姿形の少女。
肩の辺りで切り落とされたブロンドの髪に、青が基調の可愛らしい洋服。首元の赤いリボンが良いアクセントになって、全体的な造形美を醸し出していた。
成る程姿は人間だが、ここまで整い過ぎていると妖怪と言われても納得出来る。
彼女――アリスは眉を立てたまま、寸前でドアから飛び退いていた魔理沙に詰め寄り、
「人の家に忍び込むのに飽き足らず、今度は破壊活動? いい加減罰が当たるわよ、そんな生き方してると。」
「無意識でなら家屋損壊も常習犯だがな。それより、居るのなら一回で返事しろ。」
「ああ言えばこう言う! その性格、どうやったら直るのかしら……。」
全くもう、と額を抑える天然の魔法使い。その様子だと、何度も魔理沙に悩まされているのは間違い無さそうだった。
そして、ふと気が付いたように魔理沙の恰好を見て、表情を変える。
「どうしたの? ドロドロじゃない。」
「あー、これか。実は説明すると長いんだが……。」
頭を掻きつつ、魔理沙は後ろに目を遣る。
そこで、アリスはようやく郁未の存在に気付き、
(――え?)
――瞬間。明らかな殺気が向けられた。気が、した。
「……アンタ、誰よ。」
「――おい、アリス。」
いや、気のせいじゃない。コレは、間違い無く。
「……そう。アンタがやったのね。」
――私を、消す気だ。
「魔理沙を傷付けていいのは――」
アリスの殺気に応じたように、彼女の背後から可愛らしい――しかし現状では危険でしかない人形が現れ、
「――私だけよ!!」
直後、人形が突き出した両手から赤の光条が放たれた。
◆
「……っ!」
直線上に居た魔理沙は、身を伏せる事で回避する他なかった。
とっさに頭を押さえて帽子を守っている辺り、若干の余裕を感じられなくも無かったが。
しばらくそのままで居た後、
「――おい! アリス、落ち着け!」
慌てて立ち上がった正面には、
「――。」
憤怒の形相で自分の背後を見つめる好敵手の姿。
無数の人形達を従え、臨戦態勢で構える七色の魔法使いがそこに在った。
「……。」
その視線の先に振り向いて見れば、
「やれやれ……また面倒になるなぁ。」
未だ身を沈めたままの来訪者の姿。
宵闇を打ち破った時と同じ、底知れぬ空気を背負った朱色のヒトがそこに在った。
「……おいおい、冗談じゃないぜ。」
もはや茶化して済む雰囲気とは思えない。しかし、二枚舌の英雄として、やる事はやらなければ。
「会ったばっかりで険悪過ぎるぞ、二人とも。とりあえず私の話を――」
「魔理沙は黙ってて!」
関係無いんだから引っ込んでいろと、暗に篭めた語調でアリスは叫ぶ。
しかし魔理沙はめげずに、
「だから落ち着け、って。第三者の意見を聞かん事には――」
「……ごめん。魔理沙、邪魔だわ。」
アリス以上に直接的で、しかしこちらは気遣いを含んだ声色の郁未。
彼女は落ち着いた様子で、
「当事者がぶつかり合った上でないと、話し合いなんて不可能よ。」
「だから、まずぶつかる必要が――」
無いだろ、と言おうとして、押し留まる。何故なら、
「……郁未。お前……。」
既に身を起こしていた郁未の瞳に、今まで無かった色が宿っていた。
澄んだ青ではなく、――昏い、闇を秘めた朱の色が。
その事に気付いたのだろう、ニヤリと笑みを浮かべた少女は、
「大丈夫。――今回は顔見せだから。」
呟き、
「だから、――もう終わり。」
開いた右手を胸の辺りで水平に薙ぎ払った、瞬間。
◆
ボグゥッ!!
「か……!?」
何かが肉を打つ音と、潰れた悲鳴が魔理沙の背後、郁未の視線が向いた先で響いた。
「――?」
振り向いてみると、そこには、
「な……に?」
たった今まで殺気の塊であったアリスが、横向きで倒れていた。
働きバチのごとく彼女の命令を待っていた人形達も、全て地面に落ちている。
それらに共通して言える事は一つ。
――動きが、無い。
「おい……アリス?」
傍らに寄り、その肩を揺するが、反応は無い。
「アリス!?」
更に激しく揺さぶろうとして、
「その辺で止めといたら? 魔理沙。」
落ち着き払った声が、後ろから飛んで来た。
「……!」
すぐさま振り返ろうとして、止める。
(……ダメだ。今、あいつの顔を見たら、抑えが効かん。)
俯いたまま、努めて冷静に聞こえるように、口を開く。
「郁未……お前、何を。」
「んー……大した事じゃないわ。ただ、――眠ってもらっただけ。」
「……!」
彼女の言葉が胸に突き刺さる。眠ってもらったという事は、つまり。
「そこまで……する必要が、あったのか?」
「というか、大人しくしてもらうにはそれしかないじゃない。話し合いっていうのは、理性を保った者同士でないと意味が無いのよ?」
そんなの常識じゃない、とため息混じりで漏らす郁未。
あまりに冷たい物言いに、魔理沙は身を震わせ、
「だったら、落ち着かせたらいいだろ! 何で――」
己の瞳から何かが零れるのを感じながら、叫んだ。
「何で、殺す必要があるっ!!」
勢いのまま振り返った魔理沙が見たのは、
「……え?」
間の抜けた表情でこちらを見る、何の変哲も無い一人の少女だった。
◆
「……えーっと。何か勘違いしてるみたいだけど……。」
気まずそうに頭を掻く郁未の瞳に、既に朱の色は無い。
郁未はそのまま苦笑で、
「気絶してるだけよ? 彼女。」
「――は?」
今度は魔理沙が間の抜けた表情で、こちらを見た。
郁未はんー、と唸った後、
「息、してるでしょ?」
ピッと倒れたままのアリスを指差す。
魔理沙がその口元に耳を当て、
「……確かに。」
頷きを返したのを見て、郁未は安心したように息を吐き、
「でしょ? ……まあ、人間相手だとどうなってたか解らないけどね。」
あーびっくりした、と身を竦めて見せた。
しかし魔理沙は納得の行かない様子で、
「だが、眠ってもらったって……。」
「言葉通りじゃない。何も間違ってないわ。」
「大人しくさせたって言ったら……。」
「オトすのも大人しくさせる方法の一つ。一回リセットした方が話し合いもスムーズに行くものよ?」
頷きを一つ。
「全部魔理沙の早合点よ。日頃嘘ばっかり吐いてるから、疑わなくてもいいのに疑っちゃうのね、きっと。」
ふふ、と笑みをこぼせば、魔理沙もようやく詰めた眉根を緩め、
「……余計なお世話だ。」
視線を外し、ぶっきらぼうに呟いた。
照れ臭さと気まずさの入り混じったその仕草を見て、今度は悪戯心に素直になってみる。
「ま、それも魔理沙の優しさの表れかな?」
「――!」
完全に顔を背け、固まってしまった魔理沙の耳朶は赤く染まっていた。
(あは、可愛い。男も女も、照れてる時が一番そそるのよねー。)
幻想郷一のプレイガールすら手玉に取るその手腕は、相変わらずのもので。
「さ、とりあえず家に運びましょ? 介抱する前に目覚められたら意味無いわ。」
それでいてなすべき事は忘れず、郁未はアリスに近付いていった。
◆
「……ん。」
竹林に差しかかろうとしていた霊夢は、不意の力の揺らぎに眉をひそめた。
彼女が飛んで来た方向からややずれた、普通の人間なら悪寒を感じるほどの強い魔力。
感覚だけでも必死さが伝わってくるそれは、
「アリス。……今度は、あいつか。」
自分と同じく本気である事を望まない魔法使い。その彼女の、数少ない本気で相対出来るもう一人の魔法使いを思い浮かべ、
「また痴話喧嘩かしら。魔理沙も懲りないわね……。」
霊夢にとっても他人ではない黒白の魔女。その不敵な笑顔を思い出したのも束の間、
「……あれ?」
首を傾げる。いつもなら派手な轟音と共に魔砲が放たれる……とまでは行かなくても、魔力の発動ぐらいは感知できる筈なのだが、それが全く無い。それどころか、
「……アリスの魔力まで消えてる。どういう事?」
本気にかなり近い彼女の力までもが、綺麗に消え失せていた。
「そういえば……ルーミアもそれほど長く戦ってなかったわね。」
今更ながらに気付く。霊夢は勘で突っ走るだけに、一つの事象が何を意味するかまでを深く考える性格ではない。一つの事に囚われない、と言えば聞こえは良いかもしれないが。
何にも左右されず、自己の判断だけを縁(よすが)とする。感情的と言われる所以はそこだろう。いや、『頭が春』と言うべきか。
そんな彼女が珍しく思考を働かせ、二つの力の蠢きに因果関係を見出そうとする。――いや、二つではないか。
「さっき、途中で感じた波動は魔理沙よね。」
森を抜ける前に弾けた力の波。言葉とは裏腹に真っ直ぐな精神力の具現は、間違い無く彼女のものだ。とすれば、
「……もしかして、リアルタイムで元凶がうろついてる?」
誰でも気付く結論に今更思い当たる霊夢。進路を変えようとして、
「いや、でも魔理沙に会ってるとしたら、既に解決してそうなものよね。」
思い止まる。彼女の強さは誰よりも良く知っているのだ。
他者と深く関わらぬ彼女が、唯一信用を置いている存在。霧雨 魔理沙の力を以ってして解決出来ぬ異変とあれば、彼女の方から協力を仰いでくるだろう。それが無いのだから、
「うん、気のせいね。」
割り切って、自分のやるべき事をしようと改めて決意。
利口な人間であれば決して立ち入らない迷いの竹林へと、その身を進めていった。
もはや迷い無く進むその背中を、
「……だから、巫女は頭が春だって言われるのよ。」
呆れた顔で見つめる、スキマ妖怪の姿があった。
わずかな隙間から目だけを覗かせる彼女は、しかし表情を笑みに変え、
「まあ、間違いじゃないからいいかな。さて、もう一眠りしますか。」
音も立てず隙間は消えた。
――そう、今は見当外れであっても。
――博麗の巫女は、必ず大正解を導き出すのだから。
◆
「……ぅ、ん。」
アリスは、意識を戻した。
まだ胡乱な気分のまま、閉じていた目をゆっくり開いていく。
ぼやけた視界に映るのは、見慣れてしまった木の天井。年輪の形まで覚えてしまったそれを見て、
「……?」
ふと、自分がなぜこうしているのか疑問を抱いた。
確か、さっきまで人形の手入れをしていた筈だ。その途中でくしゃみが出て、あいつの顔を思い浮かべ、一息入れるためにお茶を淹れようとして、それから――。
(……あれ?)
そこからの記憶がはっきりしない。多分、来客があって渋々出迎えたような気がするが、それが誰でその後どうなったのか、思い出せない。
(……ええと。)
取り敢えず身体を起こす。布団は被っていないのでスムーズに起き上がり、
「お、気が付いたか。」
ベッドの横、これも見慣れた黒白の姿を見て、アリスは覚醒した。
「――魔理沙。」
口に、心に馴染んだ名前を呼んで、自分が先程何をしたか完全に思い出した彼女は、
「――っ。」
視線を逸らす。見られたくない所を見られてしまった恥ずかしさと、今こうしている事から推察出来る悔しさとがない交ぜになって、まともに目を合わす事が出来ない。
その背けた背中に、そっと撫で付けるような声音で、
「……解ってる。私は何も見てないし、聞いてない。それじゃダメか?」
彼女らしい慰めの言葉に、余計に自分の情け無さを感じてしまう。
「……ダメよ。そんなの、信用出来ない。」
本当は有り難くて堪らないのに、減らず口を叩いてしまう自分が腹立たしい。
「……なら、どうすりゃいい?」
困らせてしまっている、その事が解っているのに、振り向けない。
もはや何も言う気になれず、この場が過ぎてしまう事だけを願うアリスに、
「――それじゃあ、そのまま死んでみる?」
冷徹過ぎる言葉のナイフが突きつけられた。
◆
「……!」
思わず振り向いたアリスが見たのは、真剣な表情で自分を見つめる魔理沙と、
「……。」
腕を組み、こちらを睥睨している、見た事の無い服を着た少女。
その、人間である筈の少女の瞳は、
(……朱い……!?)
凶々しい色を認め、思わず身を震わせるアリス。
「さっきは随分な挨拶で。思わず潰しちゃいそうになったわ。」
歪んだ笑みを浮かべる少女は、
(人間……じゃ、ないの……?)
自身も『魔法使い』という人ならぬ存在でありながら、ソレは怖れを抱かずには居られないモノに映った。
「魔理沙の友達だっていうから、ちゃんと手加減したんだけど……逆にプライドを傷付けちゃったみたいね。」
はあ、とため息を吐き、目を伏せた。
あまりに自然な態度に、アリスは指一つ動かせなくなっていた。そう、今の状況はまさに、
(蛇に睨まれた、蛙……。)
弱者と強者の関係がはっきりしてしまっている。そう悟ったアリスは、覚悟を決めていた。
「……好きに、しなさいよ。」
精一杯の強がり。魔理沙が傍に居なければそれさえ出来ないだろうか、と我ながら馬鹿げた思考で終わるんだなと思った、次の瞬間。
「……ぷっ。」
息の漏れた音。それが笑いを堪えたものだと気付いたアリスは、
「……え?」
聞こえた方向、顔を伏せたままの少女を改めて見る。すると、
「くくっ……おかしい。こんな世界で生きてるのに、何でこんないい性格ばかりなのかなぁ、皆。」
口元を押さえ、辛うじて笑い声を立てないように我慢している姿があった。
◆
郁未はこみ上げて来るものを何とか抑えながら、思考を走らせる。
(道理で……平和な訳ね。ここは。)
魔理沙の話を端的に捉えれば、そしてルーミアの言を真に受ければ、確かに幻想郷は人の身で生きる事は難しい、地獄かもしれない。
しかし、進歩に追い立てられる人間界で置いてけぼりを食らうのと、幻想郷で断末魔を上げる暇も無く妖怪に喰われるのとなら、彼女は迷わず後者を選ぶだろう。
何故なら、そこに住まう皆が必死で、しかも心が豊かに満ち足りているのだから、たとえ妖怪に命を奪われる運命であっても、後悔する理由が無い。第一、
(殺されないだけの力の有る無しに拘らず、迫害されない訳だしね。)
幻想郷における真理に、彼女は辿り着いていた。
郁未は、人間でありながら人から遠ざけられ、妖怪か妖怪みたいな人間にしか好かれない博麗の巫女を知らない。
郁未は、妖怪でありながら人に慕われ、しかし決して妖怪を敬遠しない歴史喰いのハクタクを知らない。
だが彼女らの事を知らなくとも、郁未は一人の大事な人の事を覚えている。
力を持つが故に人から遠ざけられ、人に愛される事に飢えながらも、自ら人から離れる事を選ぼうとした、心優しい女性の事を。
(今頃どうしてるのかな、葉子さん。)
世間知らずな大人の女性の、冷たくも温かい笑顔を思い出し、自然と顔が綻ぶ。
自分と違って生活能力に欠けた彼女がそもそも社会復帰出来るかどうか、何度となく心配した事がある。だが、そんなのは憂慮しなくても良かったのだ。だって、
(……自分から後ろに退ける人は、自分から前に進む事も選べる人だから。)
その点では私なんかより、よっぽど人間らしく生きられるだろう。自分を弁えられる人間であれば、いつか自分を誇れるようになる筈だから。
(さて。……目の前の彼女は、どっちかしらね。)
真面目な表情を作って、『魔法使い』を見つめる。
――その瞳はやはり、しかし昏さの無い朱であった。
◆
「……落ち着いた? 話が聞ける状態なら、『戻って』もいいわよ。」
朱の少女の言葉に、アリスは体の緊張を解いていた。
少女がヒトに在らざるモノである事に変わりは無いが、怖れはとうに消えている。なので、
「……。」
小さく頷く。すると、少女は言葉通り、元に『戻った』。
朱の両眼はわずかに青が混じる黒眼になり、渦巻いていた異質の空気も消え失せていた。
目の前のモノが人間に変わる様を見て、アリスはようやく一息。
「はあ……疲れた。」
間の抜けた事を言ってしまうのも、気にならない。それだけ息が詰まっていたという事だから。
と、さっきからずっと黙っていた魔理沙が、いつもの不敵な笑みを浮かべ、
「やれやれだぜ。話を始める前に疲れ切って倒れそうだ。」
「……倒れても介抱しないわよ。」
「ようやく調子が出て来たな。張り合いが無いなんてお前らしくもない。」
そう言いつつも、目は笑っていない。そこに心配の色が見えた気がして、
(……都合の良いように考えるのは止めよう。)
すっと立ち上がり、仕切り直すように腕を組み、
「取り敢えず、……説明してもらえる?」
いつも通りの居丈高な物言いで、状況の進展を促した。
◆
魔理沙の説明は、適確だった、と思う。
郁未から与えられた情報の内、要点を余さず伝えた上で、彼女なりの気遣いも含まれていたからだ。
妖怪であるアリスに、人間である自分の不遇を事細かに説明した所で、何の意味も無いだろう。むしろ同情を誘った事で、魔理沙自身が怒りを買う可能性だってある。
取り敢えず魔理沙が話したのは、
郁未が外から来た人間である事。
ちょうど妖怪(ルーミア)に出くわしたのを目撃し、撃退するだけの力を持った者である事。
郁未が状況を把握出来るまでの案内役を自ら買って出た事。
魔理沙の服の汚れは、郁未の悪意によるものではない事(これが一番大事だ)。
そして、命を奪おうとしたアリスを手厚く介抱した事。
これらの事を伝えた上で、魔理沙は苦笑を浮かべて、こう言った。
「謝れ、とまでは言わないが。取り敢えず握手くらいはするべきだな。」
木製の椅子に腰掛けた魔理沙の台詞に、正面のベッドに座るアリスが身を固くしたのが解った。
いくら後腐れの無い喧嘩が慣例とは言え、見ず知らずの、しかも殺そうとした相手と快く握手しようと思う方がおかしい。
(……葉子さんとは、普通にした気がするなぁ。)
再び思い返すが、あの時とは状況が違う。明確な殺意が無く、しかも痛み分けに終わったのならその方が良いだろう。だが、行き違いとは言え、アリスが郁未を亡き者にしようとした事実は簡単に消せるものではない。
――そう、たとえそれが友を想う気持ちから生まれたものであっても。
――身勝手に命を奪おうとした罪の意識は、簡単に消えるものではない。
「…………。」
その葛藤が伝わってくるだけに、こちらとしても気軽に手を差し出す訳には行かない。
アリスが乗り越えなければ、無理やりした所で意味が無いのだ。
「うーむ……。」
恐らく魔理沙にも解っているのだろう、強引にけしかけるような素振りは無い。
しかしこのままでは埒があかないのも事実。
「ねえ、アリス。」
「……何よ。」
視線を合わそうとしないアリスに、郁未は一つの質問をぶつけた。
「どうして、妖怪のあなたが人間なんかの命にこだわるの?」
「…………。」
そう。多分それさえ気にしなければ、簡単に解決する問題。
魔理沙が郁未に怒ったのとは違う。アリスは人間とは命の構造から違うのだから、どこの誰かも知らない自分を殺した所で、罪を感じる必要は無い。
「あなたにとって見れば、人間なんて矮小で卑しくて穢れた生物じゃ――」
「――そんな事ない!」
顔を背けたまま、アリスは叫ぶ。そこに浮かぶのは、怒りでも悲しみでもなく、
(……焦がれ?)
今の状況には似つかわしくないその感情に、郁未は疑問を感じつつも、
「じゃあ……どういう存在?」
真意を聞こうと、促す。
アリスは若干躊躇った後、こちらを正面から見据え、
「人間は……怖いのよ。」
「怖い?」
ますます疑問が深まる。怖い? 妖怪なのに、人間が?
きっかけを掴んだのか、アリスは苦笑混じりに話し始める。
「大した寿命も無いくせに、怖いものなんて何も無い、みたいな顔して。自分よりずっと強い魑魅魍魎に立ち向かって、死にそうな目に遭っても全然懲りない。挙句の果てには、自分から冥界に行ったり、地獄の閻魔に喧嘩売ったり……そんな事、私には真似出来っこないもの。」
本当馬鹿よね、と呟くアリスの視線は、いつの間にか魔理沙に向けられていた。
視線の先の人間は照れるぜ、なんて的外れな感想を返す。
(……ああ、そういう事。)
それで、何となく解った。
彼女は、人間を――いや、『霧雨 魔理沙』という人間を純粋に尊敬しているのだと。
郁未を殺そうとした事を悔いているのも、魔理沙が認めた(と思われる)人間を問答無用で否定してしまった自分を恥じる気持ちがあるからなのだと、郁未は結論付けた。
ならば、解決策は簡単だ。
「アリス。」
名前を呼ぶと、はっとしたようにこちらを見る。
無意識に視線が移ってしまったんだろうな、と改めて思いつつ、
「握手はしてもらわなくてもいいわ。ただ、これだけは解って欲しい。」
きっぱりと告げる。
「私は……あなたを倒した訳じゃない。」
「……?」
どういう事、と表情が物語っている。魔理沙まで『何言い出すんだ』みたいな顔でこちらを見ていた。そんな二人の注目を受けながら、郁未はたおやかに笑みを浮かべ、
「だって、私の力はこの幻想郷ですら規格外なんだから――。」
満を持して、己の能力を語り始めた――。
◆
同じ頃。
魔法の森の一角で、同じ場所に違う目的を携えた二人の従者が鉢合わせになっていた。
「あら、こんな所で奇遇ね。」
奇術師が平然とそう言い放ったのに対し、
「奇遇? よく言うわね、偶然なんて無いって知ってるくせに。」
狂気の兎はやれやれ顔でぼやく。
「必然が好きなだけですわ。それで、どちらに?」
「解りきった事を訊くのね。それも必然?」
「さあ、どうかしら。」
瀟洒なメイドはごまかす時も完璧だ。ただ、完璧すぎて逆に真実をバラしているようなものだが。
「……まあいいか。先に言っとくけど、今日は余計な仕事をする気は無いの。」
「それは同感ですわ。というか、実は目的は解ってるんだけど理由が不明で。」
「私は両方はっきりしてるけど……詳しい事はやっぱり解らない。」
顔を突き合わせ、同時に頷く。
「こういう場合は。」
「当事者に決めてもらうべきね。」
もう一度頷き、並んで低空で森の奥へと向かう。
一応、互いに最後の確認。
「余計な弾幕(しごと)は?」
「極力張らない(やらない)。」
後は無言。お喋りも余計な仕事だからだ。
◆
――運命に踊るか。
――永遠に弄ばれるか。
――選択の時は、刻一刻と迫っていた。
To be continued…
一口に人間以外と言っても、その分類は様々であるが、大きく分けて三種類。
人間より遥かに長い寿命を誇り、力も知能も最も優秀な妖怪。
妖怪ほどではないが特殊な力を持ち、自然にやや近い存在である妖精。
自然に限りなく近く、ほとんど明確な姿というものが無い精霊。
単純な力関係では上から下に行くほど弱くなるが、精霊の力を頼りとする妖怪もいるし、時に妖怪を打ち負かす妖精だっている。
強さに関しても一口で言い表せない、混沌とした中での平和が幻想郷にはある。
しかし、最近の傾向として――いや、すべからくと言うべきかもしれないが――実体を持つ妖怪や妖精の中に、人間以上に人間臭いものが現れ始めている。
そもそも妖怪の容姿自体が人間とさほど大差なく、特に魔界人や魔女などといった種族が『人間』でないだけで妖怪と分類される者に至っては、名乗らない限り区別の付けようが無い。
それら『異界の人間』は、妖気など発しないからである。
そう考えると異界人が人間臭いのは頷けるとしても、ただヒトを模しただけの妖怪達まで人間のような行動原理を持つのはおかしい。
――だが、それも仕方ないのかもしれない。
理性を持って行動するのが人間だというならば、
――ヒトを好んで襲わぬヒトのような妖怪と、何が違おうか。
◆
「改めて、――よろしくな、郁未。」
顔を上げ、歯を見せて笑う魔理沙に、郁未も自然と笑みがこぼれる。
「ええ、――短い付き合いかもしれないけど。」
ほら、と右手を伸ばす。それに掴まり、立ち上がって、
「あーあ、ドロドロだぜ。ま、自業自得なんだが。」
「白い部分まで黒くなっちゃって、本当に真っ黒ね。」
「誰が腹黒いって?」
「そこまで言ってない。」
取れそうな汚れだけ手で払い、後はそのままで放っておくつもりのようだ。
さて、と仕切り直した郁未は、
「ところで、どこに向かってるの?」
「あー、言ってなかったっけな。」
再び歩き出しながら、魔理沙は苦笑い。
「魔法使いの所だ。ちょっとした頼み事があってな。」
「魔法使い、って……魔理沙も魔法使いじゃない。」
いや、まあ、と歯切れの悪い返答。この短時間見てきた中で、初めて彼女らしくない動きに、郁未は首を傾げる。
やや言い訳がましく……現に言い訳だと思われるが、魔理沙は苦笑のまま喋り続ける。
「同じ魔法使いでも、専門とする分野はそれぞれ違うんだよ。私は思い付くままに研究してるだけだし、今から会いに行く奴は一つの事に没頭し始めたら止まらん。そしてもう一人は魔法のシステムからして違う。他に居たとしても、そいつが私と同じ魔法を使えるとは限らんだろうな。」
「ふうん……。」
難しい言葉を省いた説明だけに解り易いのだが、それが余計に疑問を大きくした。だって、
「魔法って、ある程度確立した形式みたいなのがあるんじゃないの?」
ファンタジーの世界は一見何でも有りのようだが、根本に据えられたシステムから大きく外れる事は無い。制約の無い『何でも有り』では、それこそ野放図になってしまう。
しかし、魔理沙は首を横に振り、
「魔法そのものは各人によって違う。ただ、大元になるエネルギーは同じものだ。」
「エネルギーが同じだから『魔法』で統一って事?」
(……うーん、ちょっと強引過ぎる気が。)
納得してないのがありありと見受けられたのだろう、魔理沙は苦笑を濃くし、
「確かに、魔法使いでなくても弾幕張る奴は皆『スペルカード』を持ってるからな。その辺りは私だって疑問が無い訳じゃない。」
「つまり、魔法に限らず根本のエネルギーは同じ、と。」
「そこに落ち着けるしかないな。で、その力を『魔法』と認識する奴は『魔法使い』で、それ以外の解釈をする奴は違う呼び名になる。」
言ってて混乱してきそうだぜ、と話はそこで切り上げられた。
まあこだわっても仕方ないか、と郁未も見切りを付ける。それよりも、あと一つ確認しておかないといけない。
「で、その魔法使いさんは人間?」
幻想郷の住民でない郁未にとっては一番大事な事を訊いてみると、
「うんにゃ。……『魔法使い』って妖怪だ。」
さらりと言ってのけた魔理沙の表情は、どこか楽しげで。
――視界の端、森が開けたのが見えていた。
◆
「……クシュン!」
その当人、もとい当妖怪である彼女は、古典的なアクションを起こしていた。
魔法の森に住まうもう片翼の魔法使い、アリス・マーガトロイド。
最近は人形に自律した命を吹き込む事を目下の目標としている彼女は、花粉症でもないのにくしゃみが出た事にしかめ面をし、
「誰か噂でもしてるのかしら……。」
今時の人間でも言わないような事を口走った。
アリスが居る部屋は、8割方彼女手製の人形で埋め尽くされていた。
残りの2割も人形の手入れや製作用のスペースであるため、実質10割が人形の部屋といっても差し支えないほどだ。
大きさはほとんどが20~30cm程度で、中には手の平に収まるサイズの物や、人間とほぼ同じくらいの物もある。
彼女が好んで遣うのは多数派の30cmクラス。家事や戦闘に最適な事もあるが、最も傍に置いておき易いのが最大の理由だ。
お気に入りの一つである上海人形もそのサイズで、赤いリボンがチャームポイント。
座ったままその子を呼び寄せ、ちり紙を持って来させる。
それを受け取り、ちーん、と鼻をかむ。花粉症じゃないので大した量は出ない。
「……まあ、噂しそうな奴なんて、一人しか居ないけどねぇ。」
カラスのような恰好をした、黒白の疾風を思い浮かべ、苦笑。
「大方悪口だろうけど。――さて、お茶でも淹れようかな。」
呟き、立ち上がろうとしたその時、
「おーい、アリス。居ないなら返事しろー。」
たった今脳裏に浮かんだ馬鹿の声が、玄関の方から聞こえてきた。
◆
「アリスー。居るのかー?」
捻くれた事を言いながら、ドアをノックする黒白魔女。
それが彼女の自然体なのだろうと、後ろに控えた朱色の高校生はあえてツッコミを入れない。
黒白の扱い方をよく知る紅白が見れば、手放しで褒めてくれる事だろう。何も出ないが。
「アリスー? 既に『マスタースパーク』発射一秒前なんだが、止めなくても――」
「何物騒な事言ってんのよ、馬鹿魔理沙!」
バァン、と勢い良く扉が開き、中から人影が現れた。
それは――魔理沙から聞いていたからというわけではないが――人形のように整った姿形の少女。
肩の辺りで切り落とされたブロンドの髪に、青が基調の可愛らしい洋服。首元の赤いリボンが良いアクセントになって、全体的な造形美を醸し出していた。
成る程姿は人間だが、ここまで整い過ぎていると妖怪と言われても納得出来る。
彼女――アリスは眉を立てたまま、寸前でドアから飛び退いていた魔理沙に詰め寄り、
「人の家に忍び込むのに飽き足らず、今度は破壊活動? いい加減罰が当たるわよ、そんな生き方してると。」
「無意識でなら家屋損壊も常習犯だがな。それより、居るのなら一回で返事しろ。」
「ああ言えばこう言う! その性格、どうやったら直るのかしら……。」
全くもう、と額を抑える天然の魔法使い。その様子だと、何度も魔理沙に悩まされているのは間違い無さそうだった。
そして、ふと気が付いたように魔理沙の恰好を見て、表情を変える。
「どうしたの? ドロドロじゃない。」
「あー、これか。実は説明すると長いんだが……。」
頭を掻きつつ、魔理沙は後ろに目を遣る。
そこで、アリスはようやく郁未の存在に気付き、
(――え?)
――瞬間。明らかな殺気が向けられた。気が、した。
「……アンタ、誰よ。」
「――おい、アリス。」
いや、気のせいじゃない。コレは、間違い無く。
「……そう。アンタがやったのね。」
――私を、消す気だ。
「魔理沙を傷付けていいのは――」
アリスの殺気に応じたように、彼女の背後から可愛らしい――しかし現状では危険でしかない人形が現れ、
「――私だけよ!!」
直後、人形が突き出した両手から赤の光条が放たれた。
◆
「……っ!」
直線上に居た魔理沙は、身を伏せる事で回避する他なかった。
とっさに頭を押さえて帽子を守っている辺り、若干の余裕を感じられなくも無かったが。
しばらくそのままで居た後、
「――おい! アリス、落ち着け!」
慌てて立ち上がった正面には、
「――。」
憤怒の形相で自分の背後を見つめる好敵手の姿。
無数の人形達を従え、臨戦態勢で構える七色の魔法使いがそこに在った。
「……。」
その視線の先に振り向いて見れば、
「やれやれ……また面倒になるなぁ。」
未だ身を沈めたままの来訪者の姿。
宵闇を打ち破った時と同じ、底知れぬ空気を背負った朱色のヒトがそこに在った。
「……おいおい、冗談じゃないぜ。」
もはや茶化して済む雰囲気とは思えない。しかし、二枚舌の英雄として、やる事はやらなければ。
「会ったばっかりで険悪過ぎるぞ、二人とも。とりあえず私の話を――」
「魔理沙は黙ってて!」
関係無いんだから引っ込んでいろと、暗に篭めた語調でアリスは叫ぶ。
しかし魔理沙はめげずに、
「だから落ち着け、って。第三者の意見を聞かん事には――」
「……ごめん。魔理沙、邪魔だわ。」
アリス以上に直接的で、しかしこちらは気遣いを含んだ声色の郁未。
彼女は落ち着いた様子で、
「当事者がぶつかり合った上でないと、話し合いなんて不可能よ。」
「だから、まずぶつかる必要が――」
無いだろ、と言おうとして、押し留まる。何故なら、
「……郁未。お前……。」
既に身を起こしていた郁未の瞳に、今まで無かった色が宿っていた。
澄んだ青ではなく、――昏い、闇を秘めた朱の色が。
その事に気付いたのだろう、ニヤリと笑みを浮かべた少女は、
「大丈夫。――今回は顔見せだから。」
呟き、
「だから、――もう終わり。」
開いた右手を胸の辺りで水平に薙ぎ払った、瞬間。
◆
ボグゥッ!!
「か……!?」
何かが肉を打つ音と、潰れた悲鳴が魔理沙の背後、郁未の視線が向いた先で響いた。
「――?」
振り向いてみると、そこには、
「な……に?」
たった今まで殺気の塊であったアリスが、横向きで倒れていた。
働きバチのごとく彼女の命令を待っていた人形達も、全て地面に落ちている。
それらに共通して言える事は一つ。
――動きが、無い。
「おい……アリス?」
傍らに寄り、その肩を揺するが、反応は無い。
「アリス!?」
更に激しく揺さぶろうとして、
「その辺で止めといたら? 魔理沙。」
落ち着き払った声が、後ろから飛んで来た。
「……!」
すぐさま振り返ろうとして、止める。
(……ダメだ。今、あいつの顔を見たら、抑えが効かん。)
俯いたまま、努めて冷静に聞こえるように、口を開く。
「郁未……お前、何を。」
「んー……大した事じゃないわ。ただ、――眠ってもらっただけ。」
「……!」
彼女の言葉が胸に突き刺さる。眠ってもらったという事は、つまり。
「そこまで……する必要が、あったのか?」
「というか、大人しくしてもらうにはそれしかないじゃない。話し合いっていうのは、理性を保った者同士でないと意味が無いのよ?」
そんなの常識じゃない、とため息混じりで漏らす郁未。
あまりに冷たい物言いに、魔理沙は身を震わせ、
「だったら、落ち着かせたらいいだろ! 何で――」
己の瞳から何かが零れるのを感じながら、叫んだ。
「何で、殺す必要があるっ!!」
勢いのまま振り返った魔理沙が見たのは、
「……え?」
間の抜けた表情でこちらを見る、何の変哲も無い一人の少女だった。
◆
「……えーっと。何か勘違いしてるみたいだけど……。」
気まずそうに頭を掻く郁未の瞳に、既に朱の色は無い。
郁未はそのまま苦笑で、
「気絶してるだけよ? 彼女。」
「――は?」
今度は魔理沙が間の抜けた表情で、こちらを見た。
郁未はんー、と唸った後、
「息、してるでしょ?」
ピッと倒れたままのアリスを指差す。
魔理沙がその口元に耳を当て、
「……確かに。」
頷きを返したのを見て、郁未は安心したように息を吐き、
「でしょ? ……まあ、人間相手だとどうなってたか解らないけどね。」
あーびっくりした、と身を竦めて見せた。
しかし魔理沙は納得の行かない様子で、
「だが、眠ってもらったって……。」
「言葉通りじゃない。何も間違ってないわ。」
「大人しくさせたって言ったら……。」
「オトすのも大人しくさせる方法の一つ。一回リセットした方が話し合いもスムーズに行くものよ?」
頷きを一つ。
「全部魔理沙の早合点よ。日頃嘘ばっかり吐いてるから、疑わなくてもいいのに疑っちゃうのね、きっと。」
ふふ、と笑みをこぼせば、魔理沙もようやく詰めた眉根を緩め、
「……余計なお世話だ。」
視線を外し、ぶっきらぼうに呟いた。
照れ臭さと気まずさの入り混じったその仕草を見て、今度は悪戯心に素直になってみる。
「ま、それも魔理沙の優しさの表れかな?」
「――!」
完全に顔を背け、固まってしまった魔理沙の耳朶は赤く染まっていた。
(あは、可愛い。男も女も、照れてる時が一番そそるのよねー。)
幻想郷一のプレイガールすら手玉に取るその手腕は、相変わらずのもので。
「さ、とりあえず家に運びましょ? 介抱する前に目覚められたら意味無いわ。」
それでいてなすべき事は忘れず、郁未はアリスに近付いていった。
◆
「……ん。」
竹林に差しかかろうとしていた霊夢は、不意の力の揺らぎに眉をひそめた。
彼女が飛んで来た方向からややずれた、普通の人間なら悪寒を感じるほどの強い魔力。
感覚だけでも必死さが伝わってくるそれは、
「アリス。……今度は、あいつか。」
自分と同じく本気である事を望まない魔法使い。その彼女の、数少ない本気で相対出来るもう一人の魔法使いを思い浮かべ、
「また痴話喧嘩かしら。魔理沙も懲りないわね……。」
霊夢にとっても他人ではない黒白の魔女。その不敵な笑顔を思い出したのも束の間、
「……あれ?」
首を傾げる。いつもなら派手な轟音と共に魔砲が放たれる……とまでは行かなくても、魔力の発動ぐらいは感知できる筈なのだが、それが全く無い。それどころか、
「……アリスの魔力まで消えてる。どういう事?」
本気にかなり近い彼女の力までもが、綺麗に消え失せていた。
「そういえば……ルーミアもそれほど長く戦ってなかったわね。」
今更ながらに気付く。霊夢は勘で突っ走るだけに、一つの事象が何を意味するかまでを深く考える性格ではない。一つの事に囚われない、と言えば聞こえは良いかもしれないが。
何にも左右されず、自己の判断だけを縁(よすが)とする。感情的と言われる所以はそこだろう。いや、『頭が春』と言うべきか。
そんな彼女が珍しく思考を働かせ、二つの力の蠢きに因果関係を見出そうとする。――いや、二つではないか。
「さっき、途中で感じた波動は魔理沙よね。」
森を抜ける前に弾けた力の波。言葉とは裏腹に真っ直ぐな精神力の具現は、間違い無く彼女のものだ。とすれば、
「……もしかして、リアルタイムで元凶がうろついてる?」
誰でも気付く結論に今更思い当たる霊夢。進路を変えようとして、
「いや、でも魔理沙に会ってるとしたら、既に解決してそうなものよね。」
思い止まる。彼女の強さは誰よりも良く知っているのだ。
他者と深く関わらぬ彼女が、唯一信用を置いている存在。霧雨 魔理沙の力を以ってして解決出来ぬ異変とあれば、彼女の方から協力を仰いでくるだろう。それが無いのだから、
「うん、気のせいね。」
割り切って、自分のやるべき事をしようと改めて決意。
利口な人間であれば決して立ち入らない迷いの竹林へと、その身を進めていった。
もはや迷い無く進むその背中を、
「……だから、巫女は頭が春だって言われるのよ。」
呆れた顔で見つめる、スキマ妖怪の姿があった。
わずかな隙間から目だけを覗かせる彼女は、しかし表情を笑みに変え、
「まあ、間違いじゃないからいいかな。さて、もう一眠りしますか。」
音も立てず隙間は消えた。
――そう、今は見当外れであっても。
――博麗の巫女は、必ず大正解を導き出すのだから。
◆
「……ぅ、ん。」
アリスは、意識を戻した。
まだ胡乱な気分のまま、閉じていた目をゆっくり開いていく。
ぼやけた視界に映るのは、見慣れてしまった木の天井。年輪の形まで覚えてしまったそれを見て、
「……?」
ふと、自分がなぜこうしているのか疑問を抱いた。
確か、さっきまで人形の手入れをしていた筈だ。その途中でくしゃみが出て、あいつの顔を思い浮かべ、一息入れるためにお茶を淹れようとして、それから――。
(……あれ?)
そこからの記憶がはっきりしない。多分、来客があって渋々出迎えたような気がするが、それが誰でその後どうなったのか、思い出せない。
(……ええと。)
取り敢えず身体を起こす。布団は被っていないのでスムーズに起き上がり、
「お、気が付いたか。」
ベッドの横、これも見慣れた黒白の姿を見て、アリスは覚醒した。
「――魔理沙。」
口に、心に馴染んだ名前を呼んで、自分が先程何をしたか完全に思い出した彼女は、
「――っ。」
視線を逸らす。見られたくない所を見られてしまった恥ずかしさと、今こうしている事から推察出来る悔しさとがない交ぜになって、まともに目を合わす事が出来ない。
その背けた背中に、そっと撫で付けるような声音で、
「……解ってる。私は何も見てないし、聞いてない。それじゃダメか?」
彼女らしい慰めの言葉に、余計に自分の情け無さを感じてしまう。
「……ダメよ。そんなの、信用出来ない。」
本当は有り難くて堪らないのに、減らず口を叩いてしまう自分が腹立たしい。
「……なら、どうすりゃいい?」
困らせてしまっている、その事が解っているのに、振り向けない。
もはや何も言う気になれず、この場が過ぎてしまう事だけを願うアリスに、
「――それじゃあ、そのまま死んでみる?」
冷徹過ぎる言葉のナイフが突きつけられた。
◆
「……!」
思わず振り向いたアリスが見たのは、真剣な表情で自分を見つめる魔理沙と、
「……。」
腕を組み、こちらを睥睨している、見た事の無い服を着た少女。
その、人間である筈の少女の瞳は、
(……朱い……!?)
凶々しい色を認め、思わず身を震わせるアリス。
「さっきは随分な挨拶で。思わず潰しちゃいそうになったわ。」
歪んだ笑みを浮かべる少女は、
(人間……じゃ、ないの……?)
自身も『魔法使い』という人ならぬ存在でありながら、ソレは怖れを抱かずには居られないモノに映った。
「魔理沙の友達だっていうから、ちゃんと手加減したんだけど……逆にプライドを傷付けちゃったみたいね。」
はあ、とため息を吐き、目を伏せた。
あまりに自然な態度に、アリスは指一つ動かせなくなっていた。そう、今の状況はまさに、
(蛇に睨まれた、蛙……。)
弱者と強者の関係がはっきりしてしまっている。そう悟ったアリスは、覚悟を決めていた。
「……好きに、しなさいよ。」
精一杯の強がり。魔理沙が傍に居なければそれさえ出来ないだろうか、と我ながら馬鹿げた思考で終わるんだなと思った、次の瞬間。
「……ぷっ。」
息の漏れた音。それが笑いを堪えたものだと気付いたアリスは、
「……え?」
聞こえた方向、顔を伏せたままの少女を改めて見る。すると、
「くくっ……おかしい。こんな世界で生きてるのに、何でこんないい性格ばかりなのかなぁ、皆。」
口元を押さえ、辛うじて笑い声を立てないように我慢している姿があった。
◆
郁未はこみ上げて来るものを何とか抑えながら、思考を走らせる。
(道理で……平和な訳ね。ここは。)
魔理沙の話を端的に捉えれば、そしてルーミアの言を真に受ければ、確かに幻想郷は人の身で生きる事は難しい、地獄かもしれない。
しかし、進歩に追い立てられる人間界で置いてけぼりを食らうのと、幻想郷で断末魔を上げる暇も無く妖怪に喰われるのとなら、彼女は迷わず後者を選ぶだろう。
何故なら、そこに住まう皆が必死で、しかも心が豊かに満ち足りているのだから、たとえ妖怪に命を奪われる運命であっても、後悔する理由が無い。第一、
(殺されないだけの力の有る無しに拘らず、迫害されない訳だしね。)
幻想郷における真理に、彼女は辿り着いていた。
郁未は、人間でありながら人から遠ざけられ、妖怪か妖怪みたいな人間にしか好かれない博麗の巫女を知らない。
郁未は、妖怪でありながら人に慕われ、しかし決して妖怪を敬遠しない歴史喰いのハクタクを知らない。
だが彼女らの事を知らなくとも、郁未は一人の大事な人の事を覚えている。
力を持つが故に人から遠ざけられ、人に愛される事に飢えながらも、自ら人から離れる事を選ぼうとした、心優しい女性の事を。
(今頃どうしてるのかな、葉子さん。)
世間知らずな大人の女性の、冷たくも温かい笑顔を思い出し、自然と顔が綻ぶ。
自分と違って生活能力に欠けた彼女がそもそも社会復帰出来るかどうか、何度となく心配した事がある。だが、そんなのは憂慮しなくても良かったのだ。だって、
(……自分から後ろに退ける人は、自分から前に進む事も選べる人だから。)
その点では私なんかより、よっぽど人間らしく生きられるだろう。自分を弁えられる人間であれば、いつか自分を誇れるようになる筈だから。
(さて。……目の前の彼女は、どっちかしらね。)
真面目な表情を作って、『魔法使い』を見つめる。
――その瞳はやはり、しかし昏さの無い朱であった。
◆
「……落ち着いた? 話が聞ける状態なら、『戻って』もいいわよ。」
朱の少女の言葉に、アリスは体の緊張を解いていた。
少女がヒトに在らざるモノである事に変わりは無いが、怖れはとうに消えている。なので、
「……。」
小さく頷く。すると、少女は言葉通り、元に『戻った』。
朱の両眼はわずかに青が混じる黒眼になり、渦巻いていた異質の空気も消え失せていた。
目の前のモノが人間に変わる様を見て、アリスはようやく一息。
「はあ……疲れた。」
間の抜けた事を言ってしまうのも、気にならない。それだけ息が詰まっていたという事だから。
と、さっきからずっと黙っていた魔理沙が、いつもの不敵な笑みを浮かべ、
「やれやれだぜ。話を始める前に疲れ切って倒れそうだ。」
「……倒れても介抱しないわよ。」
「ようやく調子が出て来たな。張り合いが無いなんてお前らしくもない。」
そう言いつつも、目は笑っていない。そこに心配の色が見えた気がして、
(……都合の良いように考えるのは止めよう。)
すっと立ち上がり、仕切り直すように腕を組み、
「取り敢えず、……説明してもらえる?」
いつも通りの居丈高な物言いで、状況の進展を促した。
◆
魔理沙の説明は、適確だった、と思う。
郁未から与えられた情報の内、要点を余さず伝えた上で、彼女なりの気遣いも含まれていたからだ。
妖怪であるアリスに、人間である自分の不遇を事細かに説明した所で、何の意味も無いだろう。むしろ同情を誘った事で、魔理沙自身が怒りを買う可能性だってある。
取り敢えず魔理沙が話したのは、
郁未が外から来た人間である事。
ちょうど妖怪(ルーミア)に出くわしたのを目撃し、撃退するだけの力を持った者である事。
郁未が状況を把握出来るまでの案内役を自ら買って出た事。
魔理沙の服の汚れは、郁未の悪意によるものではない事(これが一番大事だ)。
そして、命を奪おうとしたアリスを手厚く介抱した事。
これらの事を伝えた上で、魔理沙は苦笑を浮かべて、こう言った。
「謝れ、とまでは言わないが。取り敢えず握手くらいはするべきだな。」
木製の椅子に腰掛けた魔理沙の台詞に、正面のベッドに座るアリスが身を固くしたのが解った。
いくら後腐れの無い喧嘩が慣例とは言え、見ず知らずの、しかも殺そうとした相手と快く握手しようと思う方がおかしい。
(……葉子さんとは、普通にした気がするなぁ。)
再び思い返すが、あの時とは状況が違う。明確な殺意が無く、しかも痛み分けに終わったのならその方が良いだろう。だが、行き違いとは言え、アリスが郁未を亡き者にしようとした事実は簡単に消せるものではない。
――そう、たとえそれが友を想う気持ちから生まれたものであっても。
――身勝手に命を奪おうとした罪の意識は、簡単に消えるものではない。
「…………。」
その葛藤が伝わってくるだけに、こちらとしても気軽に手を差し出す訳には行かない。
アリスが乗り越えなければ、無理やりした所で意味が無いのだ。
「うーむ……。」
恐らく魔理沙にも解っているのだろう、強引にけしかけるような素振りは無い。
しかしこのままでは埒があかないのも事実。
「ねえ、アリス。」
「……何よ。」
視線を合わそうとしないアリスに、郁未は一つの質問をぶつけた。
「どうして、妖怪のあなたが人間なんかの命にこだわるの?」
「…………。」
そう。多分それさえ気にしなければ、簡単に解決する問題。
魔理沙が郁未に怒ったのとは違う。アリスは人間とは命の構造から違うのだから、どこの誰かも知らない自分を殺した所で、罪を感じる必要は無い。
「あなたにとって見れば、人間なんて矮小で卑しくて穢れた生物じゃ――」
「――そんな事ない!」
顔を背けたまま、アリスは叫ぶ。そこに浮かぶのは、怒りでも悲しみでもなく、
(……焦がれ?)
今の状況には似つかわしくないその感情に、郁未は疑問を感じつつも、
「じゃあ……どういう存在?」
真意を聞こうと、促す。
アリスは若干躊躇った後、こちらを正面から見据え、
「人間は……怖いのよ。」
「怖い?」
ますます疑問が深まる。怖い? 妖怪なのに、人間が?
きっかけを掴んだのか、アリスは苦笑混じりに話し始める。
「大した寿命も無いくせに、怖いものなんて何も無い、みたいな顔して。自分よりずっと強い魑魅魍魎に立ち向かって、死にそうな目に遭っても全然懲りない。挙句の果てには、自分から冥界に行ったり、地獄の閻魔に喧嘩売ったり……そんな事、私には真似出来っこないもの。」
本当馬鹿よね、と呟くアリスの視線は、いつの間にか魔理沙に向けられていた。
視線の先の人間は照れるぜ、なんて的外れな感想を返す。
(……ああ、そういう事。)
それで、何となく解った。
彼女は、人間を――いや、『霧雨 魔理沙』という人間を純粋に尊敬しているのだと。
郁未を殺そうとした事を悔いているのも、魔理沙が認めた(と思われる)人間を問答無用で否定してしまった自分を恥じる気持ちがあるからなのだと、郁未は結論付けた。
ならば、解決策は簡単だ。
「アリス。」
名前を呼ぶと、はっとしたようにこちらを見る。
無意識に視線が移ってしまったんだろうな、と改めて思いつつ、
「握手はしてもらわなくてもいいわ。ただ、これだけは解って欲しい。」
きっぱりと告げる。
「私は……あなたを倒した訳じゃない。」
「……?」
どういう事、と表情が物語っている。魔理沙まで『何言い出すんだ』みたいな顔でこちらを見ていた。そんな二人の注目を受けながら、郁未はたおやかに笑みを浮かべ、
「だって、私の力はこの幻想郷ですら規格外なんだから――。」
満を持して、己の能力を語り始めた――。
◆
同じ頃。
魔法の森の一角で、同じ場所に違う目的を携えた二人の従者が鉢合わせになっていた。
「あら、こんな所で奇遇ね。」
奇術師が平然とそう言い放ったのに対し、
「奇遇? よく言うわね、偶然なんて無いって知ってるくせに。」
狂気の兎はやれやれ顔でぼやく。
「必然が好きなだけですわ。それで、どちらに?」
「解りきった事を訊くのね。それも必然?」
「さあ、どうかしら。」
瀟洒なメイドはごまかす時も完璧だ。ただ、完璧すぎて逆に真実をバラしているようなものだが。
「……まあいいか。先に言っとくけど、今日は余計な仕事をする気は無いの。」
「それは同感ですわ。というか、実は目的は解ってるんだけど理由が不明で。」
「私は両方はっきりしてるけど……詳しい事はやっぱり解らない。」
顔を突き合わせ、同時に頷く。
「こういう場合は。」
「当事者に決めてもらうべきね。」
もう一度頷き、並んで低空で森の奥へと向かう。
一応、互いに最後の確認。
「余計な弾幕(しごと)は?」
「極力張らない(やらない)。」
後は無言。お喋りも余計な仕事だからだ。
◆
――運命に踊るか。
――永遠に弄ばれるか。
――選択の時は、刻一刻と迫っていた。
To be continued…