おかしいと思っていたんだ。緒戦の相手を決める時からずっと、あいつは神社の奥に引っ込んでいたし。その時はお茶でも淹れに行ったのだろうとしか認識していなかったが。
そうか、単に待っていただけだったのか。
「はっははぁーーー!!鬼は外ぉーーーーっっ!!!」
「うっひゃあああああああ!!!!」
とか考えてる暇はなかった。
その時幻想郷で、有限の超高速飛行物体が二つ程確認された。
「ほらほらほらほら!!大人しくしなくてもいいから当たっちゃいなさい鬼は外ーーーー!!」
毎秒数十回転で転がり飛んでいる巫女など、他に何処で見ることが出来るだろうか。
「ずるいってあんたそれ!!紫の式だってそんな速く回れないわよ!!?」
それだけでも怖いと思うのだが今や紅白の陰陽球と化した霊夢は、萃香が飛んでいくその後を寸分違わずトレースしている。
辛うじて救いがあるとすれば。
「あっはっははは!まあ偶にはそんな日もあるわよ福は内ーーーー!!」
「あんたは偶に高速回転して生きてんのかーーー!!?」
霊夢ボールから発射される豆弾だけは、萃香の動きを捉えられずにいた。
それどころか、霊夢ボールが発射後の弾を追い抜く事すらあった。
「ていうか加速してるんじゃん!うわあああああああ!!」
既に誰もいなくなった神社の周りを何周も回っているのだが、そんな事を気にする暇もない。
今まで相当我慢して押さえ込んでいたのか、高速で低空飛行しているにも拘らず、霊夢ボールから発せられる霊圧が砂塵の一粒も上げさせない。
「怖えーーーーー!霊夢怖えーーーーー!」
「………そうだ。おーい、ちょっと止まりなさーい、私から提案があるんだけどー」
ちょっとショックを受けながら、このままじゃ終わりそうもないと思い、霊夢ボールはヒューマンタイプにトランスフォームした。
その隙を見るや、萃香は全力で振り切ろうと試みる。
「いいやあだあーー!」
「あ、ちょ、待ちなさいっての!」
一瞬で萃香の背後まで詰め寄り、首根っこを掴む。幻想空想穴というやつだ。
最初からそれ使えばええねや、等とは言う無かれ。霊夢も遊びたい年頃だったという事だろう。
「ぅひいいいいいいっ!!?」
首筋の冷たさに仰け反り手足をばたつかせる。しかし霊夢との距離が変わる事はもう無い。
「いやっ!いやっ!いーーーーーやーーーーーーーーー!!!!!!ま!」
「お?」
「ま…ま…」
恐怖の余りか、萃香の目に涙が浮かぶ。今にもまいった、と言いそうな程に。しかしまだ鬼としてのプライドがそれを押し留めているようだ。
霊夢は、そこまで怯えることもなかろうに、と大分傷ついていたが、初めて見る萃香の泣き顔にちょっとばかり嗜虐心も芽生えた。
「ま……」
にぃぃっ、と口の両端を吊り上げ目を見開く霊夢に、気絶しそうな感覚を覚えて白目を剥きかける。
しかしそれが逆に、萃香の中の何かを目覚めさせたのか。ぶんぶんと頭を振って涙を振り払い、キッと霊夢を睨んでみせた。
「へぇ。よく我慢したわねー。えらい、えらい」
まだふるふると震えていた萃香の頭が撫でられると少しだけ大人しくなって、気の緩みからまた涙が浮かんだ。
「よし、それじゃあそろそろ私からの提案を聞いてくれる?」
ぐしぐしと涙を拭いながら、コクリと頷いた。
霊夢の提案はこうだ。
西部劇のクイックドローよろしく互いに正面を向き合い、そこで霊夢は全身全霊を掛けた一撃を撃つ、萃香はそれの回避をする。
もしそれを凌ぎ切ったら、霊夢はもう萃香を追うのは諦めるという。
「ほんとに?」
「うん。今年はね」
まだ怯えて縮こまっていた萃香は、霊夢がそう言って笑ったのを見た事で漸く、いつもの霊夢の顔に戻っていたのだと気付いた。
だから笑って「わかった!」と答える事が出来た。
すっかり落ち着きを取り戻した萃香。今は霊夢を正面から強く強く見つめていた。
「…じゃあ、始めるわ」
目を細め、霊夢が霊気を漲らせる。
霊夢は祓い棒を掴んだ両手だけに力を込め、だらりと体を前のめりにした。
「分かってると思うけど、合図とかないからね。気をつけなさい…」
急激に霊気が膨張を始める。萃香にはそれが霊夢の本気かどうかは解らなかったが、それでも凄まじい一撃を放とうとしている事だけは解った。
まだか。まだ止まらないのか?
霊気の膨張が続く。周辺の空気の色が違うのがはっきりと見える。
ふと、空気の流れが変わった。
背中から風が吹き抜ける感じがしたかと思うと、辺りに満ちていた霊気が全て霊夢の両手と祓い棒に収束していった。
準備は終わったという事だろう。後は何時その力が解き放たれるのかを待つだけとなった。
今萃香に出来ることは、極限まで精神を集中させて、その瞬間を見逃さないようにする事だけだった。
その中では時間がとても遅く流れているように感じた。
ある種の極限状態に陥ると、時間の流れが異常に遅く感じる事があるとか。限界近くまで集中している今の萃香は丁度そんな場面にいたのだ。
これならば霊夢が動き出す瞬間を見逃す事はないだろう。
そう思った次の一瞬、つまり萃香が瞬きをした間に。
霊夢の両腕は萃香に向けられていた。
振り上げる動作も何もなく、それは正に刹那に。
来る。
瞬きって意外と遅いんだなあ、と思いながら、その霊撃を視る。
少なくとも今見えるだけの霊撃は三つ。
一つは霊夢の左手から楕円軌道を描きながらこちらに向かおうとするもの。
一つは霊夢の右手から不規則な動きをしながらこちらに向かおうとするもの。
そして。
両手から発射された、正面を突き進むだけのもの。
直感した。他の何を喰らうよりも、正面のやつに当たったらヤバイ。
先程の追いかけっこが、本当に只の遊びに見える程、異常な速度で突進してくる。
まずい、速過ぎる。
だけどこれだけは絶対に回避しなければ。
そのまま何もしなければ確実に萃香の顔面に炸裂するだろう。極小時間の世界で、ゆっくりと首を動かす。
遅い。これでは間に合わない。
思うより先に、萃香の左腕が動く。直進してくる霊撃は、もう目前に迫っている。
霊撃より若干遅い速度で動いている左腕が左頬に触れた瞬間、萃香は極小時間から開放された。
左肩が擦れる音と、後方から聞こえる炸裂音がほぼ同時に響いた。
まだだ。まだ意識を乱すわけには行かない、残りの対処をしなくては。
右手右膝をついた所で、痛みと破裂音に意識を取り戻し、再び極小時間の世界に戻る。
それが数瞬の出来事であったにせよ、残った霊撃の速度は通常の弾幕の比ではない。
通常時間の世界にいる間に、残りがすぐ側まで近づいていた。
冷静に判断してみよう。極限世界の状態は精神をひどく消耗する為、そこで思考を続けるのは消耗を更に加速させる。だが、構うものか。
先ずは、一番近いやつ。楕円軌道の誘導弾から。
これは単純だ。軌道はやや変則的であり、今は体勢も崩れているが。一度回避すれば地面に突き刺さって終わりだ。
後は左に迫る不規則弾と、もう一つ。
予想通り、霊夢は隠し弾を用意していた。丁度正面二発撃っていた。
あの時、実際には四つの強力な霊撃を一瞬で放っていたのだ。
誘導性はあるが、それ程強いものでもない、一度かわしたら戻っては来ないだろう。
スピードも両側の二つよりやや遅い程度。これは屈む程度で回避可能。然程問題なさそうだ。
ではあとは左の、よしこれは殴って消し飛ばそう。違う。どうする。
ダメだ、これ以上冷静な判断をする余裕はもうなさそうだ。集中と思考のリズムが乱れつつある。余計な考えもちらちら見え始めている。
何を必死になっているんだ伊吹萃香?もっと気楽にいったらいいじゃないか。それに相手は人間だぞ。
煩い黙れ今はそんな状況でもないだろうがわからないのか馬鹿め。相手は人間でも霊夢だ。
馬鹿はお前だよ。霊夢でも人間だ。多少怪我するくらいはするかもしれないが死ぬことはない。
煩い黙れそんなのわかってる。これはゲームだわかっている。わかっている。
だったらお前は何を必死になってるの?
煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ煩い黙れ
集中と思考が完全に途絶える。
「あれ?」
気が付けば、うつ伏せになって倒れていた。
一体何がどうした。首だけきょろきょろさせ、霊夢がいる方に向けると、霊撃が一つだけ飛んできていた。
他の二つの霊撃の気配はもうなかった。あとはこれをやりすごすだけ。もう焦ることは無い。
少しばかり軌道修正されて下向きに傾いてはいるが、地面まで落ちる頃にはとっくに通り過ぎているだろう。
にゅるり。
いきなりバツ字に豆弾が広がった。
驚愕に身を固められ動けない萃香の指先と足先を掠め、ガリガリと地面に跡を残しながら通り過ぎて行く。
遠ざかっていく音に振り向くと、バツ字豆幕が縦横斜めにぐるんぐるん回りながら地面を抉っていっていた。
「………ふ、ふぃ~~…」
どうにか凌いだ…
ぐるりと仰向けになって空を見渡してみる。
まだ日は昇りきっていない。どれだけ時間が経ったのだろうか。ふと思い出して、懐から時計を取り出してみる。
「ちぇっ、なんなのよこれ」
そういえば、この時計には目盛もないのだった。
よっこらせと起き上がると、霊夢が驚いて呼びかけた。
「あら、随分余裕あるのね」
「んえ?いや、結構疲れたよー」
苦笑いして右手をぷらぷらさせる。無意識にやったそれに気付いて見てみると、右手は真っ赤に腫れ上がっていた。
あの一瞬の記憶が無いのだが、やっぱり殴り飛ばしたんだろうか。体の痛みを確認する。
他にダメージがあるのは左頬と左肩だけ、それに後は全身の疲労感か。どうやら無意識の内に上手い具合に全部防いでいたのだろう。
無意識に?それとも、あれは彼女自身のもう一つの意志だったのだろうか。
「しかしほんとにあんたら…豆で殺す気かってーのよ」
「そーね」
「そーか」
「あ~あ、残念。でもまあアレって元々、一対一には向いてないスペルだったのよねー。なんて負け惜しみ言っても仕方ないか」
お手上げー、と霊夢は苦笑した。
「流石にちょっと疲れた。神社に帰るわ」
そして彼女を縛っていた重力が解ける。またねと手を振って、巫女は神社の方へと飛んでいった。
「ああ、しかし…ぬかったわ…」
色んな意味で不覚を取った。まさかこんなに早くこれ程消耗する事になろうとは思ってもみなかった。
「それに咄嗟の事とはいえ、グーで殴るのはどうなの、私」
左頬をさすりながら呟く。
身体のダメージは直ぐ回復するのだが、全身の疲労はなかなかとれずにいた。
止むを得ず萃香はその場に座り込んで休憩していた。
「おや、早くもお疲れのようですねー」
「…っ!」
「あ、ご心配なく。私は不参加ですのでー」
慌てて身構えるのを見て、ぱたぱた手を振って白旗、白旗ですよー、と戦う気が無いことをアピールする天狗。
「じゃあ何の御用かしら」
「いえ、私は皆さんの動向を把握する係なのですが、暇があったらあなたを案内する役目も承っていますので」
「ふうん」
「まあ今来たのは、いい画が撮れたので見せて差し上げようかと」
懐から一枚の写真を取り出し萃香に突きつける。
萃香が怯え逃げ惑う様がしっかと写し出されていた。写真ながらも背景の霊夢が凄まじい威圧感を放っている。写真ながらも思わず身震いしてしまう。
「あわ、あわわわ」
「どうですこれ、すごく綺麗に撮れたんですよ。この人物比もいい感じですし、細かいところでこの豆の飛び散り具合なんかも躍動感を醸し出してたりして」
写真の一点一点を指しながら、恍惚とした表情で解説していく文。萃香としては余りいい気分ではなかった、ていうか写真の霊夢が怖くて目を逸らしていた。
「…それをどうすると」
その写真が明日にも幻想郷中に知れ渡るのではないかと、気が気でない萃香は文に尋ねる。分かっていながらも訊かずに居られなかった。
「え?ああ、別にこれが一面になるとは限りませんよ?これからもっといいシーンに遭遇するかもわかりませんからね」
「ってことは結局載せる気なんじゃねーか!」
「いやいやそんな、あなたの恥ずかしい写真が載るかどうかは別の話ですよ?かっこいい勝負とかも撮れるかもしれないですから」
「そう思うなら写真見てニヤニヤしてんじゃないわよ」
「いやいやそんな、さっきのは無理ですね。写真を撮るには私にもあれは速過ぎて」
「何。あなただったらアレ、避けられたって?」
「いやいやそんな、それは…どうでしょうねぇ?」
「…まいっか。さて、それじゃ…」
そう言って立ち上がろうとしたその時。
「あら、こんなところで堂々と休憩とは、随分な余裕ね。それともいっぱいいっぱいなのかしら?」
「…んで、アレは?」
「がんばってください」
後ろを指差す萃香に答え、文は翼を広げ、上空からカメラを構える。
萃香がゆっくりと立ち上がり振り返る。
敵は三人。中心に立つ少女が叫んだ。
「ふふふ…参加した皆さんには悪いけれどこのゲームはこれでおしまいよ!なぜならば!」
「ブラッディナース!」
カッ!
「ヘルシーラビット!」
カッ!
「そして、アンデッドプリンス!」
カカッ!
「我ら三人、健康戦隊『エイヤッティー』!」
ずどーーーん!!
三色の爆煙が上が、不可解なポーズを取っている連中の背景を染めた。
「え、エイヤッティー!?それは一体っ!?」
説明しよう!
健康戦隊エイヤッティーとは、不老不死の輝夜を中心に、永琳、てゐの三人で織り成す愛と友情の云々…まあ要するに輝夜の暇つぶしにつき合わされているだけみたいな。
「あらだめよ天狗さんそんなホントのこと言っちゃ」
誰もいないはずの方を向いて、何やら解説ともつかない事実関係を暴露した天狗をめっ、と叱るブラッディナース。
「えーりん酷いっ!私との事は遊びだったのね!」
そーだよ。という目を向けるヘルシーラビット。しかし誰にも気付かれない。正に兎詐欺。
「ていうか本名バラしてどうする。別に普段と同じ格好だから意味ないけど。それよりさぁ、健康戦隊っつってるけど兎以外は露骨に不健康そうだよ」
ブラッディナースとアンデッドプリンスを指して萃香が言う。
「それはいいのよ。だって私ナースだもん☆」
「だもん言うな。名前の頭にもっと気を遣おうよ」
「わかってないわね。そんなの飾りよ飾り」
「そんなら兎は只の兎だし、お前は姫どころか王子じゃねーか!」
「え?そうだっけ?」
アンデッドプリンス、以下略、輝夜がそう聞くと、お供の二人は頷く。
てるよは蹲ってのの字を書き始める。だが誰も構ってはくれなかった。
さてそんなてるよをスルーして対峙する永琳と萃香。
「それにしても随分お疲れの様子だけど、うちのうどんげは随分頑張ったのかしら?」
「ああー。まあよく頑張ったと思うよ。相手は亀と違って油断してなくても勝てないんだから」
「あら、油断した程度で亀に負けるような兎がうちにいたのかしら?」
月の頭脳と幻想郷最後の鬼。二人の間に火花が散る。
そしてそれを無視して間に割り込む月の姫。
「ふ、どうやらイナバを一匹仕留めた程度でいい気になっているようね。だがあいつは永遠亭の中でも一番の小物!我等とは格が違う事を教えてやるわ!」
「姫、それは二番目辺りにやられる者の台詞です」
「あれっ、じゃあヤバイじゃん。どうしたらいいの永琳、えーりんえーりん!」
「そんな面白い程無様に慌てふためくことはありません。姫にはアレをお渡ししたでしょう?」
面白い程無様に慌てふためく輝夜を本音で宥める永琳。しかも言われた方は全然気付かない。
「おお!そうだったわ!さすがえーりん!」
びしっと永琳を指差して、懐に手を入れる。
すっと取り出した時、輝夜の手は握られていた。握り拳を萃香のほうに向け、口を開く。
暫くその格好のままで目を泳がせる輝夜は、突然自分の裾に顔を突っ込んだ。中で紙をパラパラ捲る音が漏れた。
「えっとー…ああここだ、なんだっけ…?」
そしてぶつぶつと何かを呟く。どうも何かを読んでいるらしい。
「さあー。解けるものならば解いてみなさい」
悠久の時を生きる中、幾度となく言ったであろう台詞をここにきて棒読みする輝夜姫。
「難題『蓬莱の豆』!」
しかしそのスペルだけは力強く。そしてかざした手を開き、そこから発射される豆弾。
ぽろぽろ
「…?」
萃香が地面に落ちた豆を数える。丁度片手が埋まるだけ数えて、終わった。
「…あら?」
余りの出来事に硬直する。永琳とてゐはニコニコしながらソレを眺めていた。
「ちょ、どゆことこれ?終わり?」
「あ、じゃあもう行っていい?」
「だっ、待ちなさい!まだ終わってないわ!ほら永琳!なんかやって!ほら!ほら!」
もう必死すぎてかける言葉も無い有様である。永琳はというと、ニコニコ(ニヤニヤ)と輝夜を見ているばかり。
てるよが涙目になってえぐえぐ言い出した頃、てゐが落ちている豆を一粒拾い上げた。
「実はこの豆、蓬莱の薬を肥料に使用して育てたものなんです。やはり薬が強烈だったのか、殆どがダメになっちゃいまして、これだけしかとれなかったんですけど」
「だけどこれらの豆はちゃんと薬の影響で、不死身なのよ」
「というと?」
二人の解説に、横から問う萃香。永琳が続ける。
「いくら食べてもなくならないっていうことです。姫、どうぞ」
ぽいと放られた豆が輝夜の口に吸い込まれ、有無を言わさずてゐが無理やり噛み砕かせる。
「むぐむぐ…ふがが?」
すると程なく、輝夜の口から、鼻から目から耳から、不思議な光が漏れ出し、それは地面に向かって差し込んでいく。光が収まると一粒の豆が残った。
「とまあこのように。食べても食べても無くならない。こんなすごい品がいまならなんとたったのあいたっ!?」
月の禁忌を商売道具にしようとするてゐを永琳が拳骨で黙らせ、その間に萃香が一粒拾い上げた。
「ほー。こりゃすごいね。これ、酒のつまみにもいいかも…って、蓬莱の薬で造ったっていったっけ。それってアレだよね?」
それを口に放り込んでから気付く。
「ええ、不老不死になる」
ぷっ。
顎に力を込める寸前で吐き出された豆は、輝夜の口にゴールした。輝夜の顔が輝く。
てるてるよ。
「んぐっ!なにやってんのよ、汚いわねっ」
「そう思うなら何故噛んだ」
そして何故頬を赤らめる。
「心配ないわ。それを食べても不老不死には絶対ならないから」
「何、確信あるわけ?」
「ええ」
事実関係に基づくものなのだろうか、自信満々のその顔はどうにも嘘を言っているようには見えなかった。
ということは何かで実験したということだろう。つまりヤったのか。何かを。
「こえーなぁ…まあ安全ならいっかー」
しかしその辺、単純な性格の萃香は気にしないのである。
別の一粒をつまみ顔から光を放ちながら、瓢箪とどこに仕舞っていたのか人数分のお猪口まで取り出して、それを皆に手渡す。
「特別だ、いいもんみせてもらったしね、ここで一杯やらない?」
「あら、よろしいのかしら?」
お猪口を受取って永琳が言う。萃香は笑って瓢箪を振って見せた。
「いいのいいの、これも似たようなもんだしね」
「へえ、これが無限に湧くっていう?」
「わあ、頂戴、ちょーだい」
「はいはい、ほらよ」
「うーん、何だか珍しい画ですよ」
てゐが催促し、萃香が注ぐ。永琳と輝夜は瓢箪に興味津々で、そんな四人の様子をフィルムに収めていく文。
かくして割とまだ朝も早い時間、みょんな場所でみょんに光る宴会が行われたのだった。
「しかし、なんだね」
かりこりと豆を頬張りながら。
「やっぱ豆だけってのもちょっと物足りないかな?」
「そうよね。っていうか全然食べた気がしないわねえ」
萃香と輝夜が不満をこぼす。二人の顔からは次々光が飛び出していき、また豆を拾って口に放り込む、繰り返し。
「そりゃまあ」
「ねえ?」
永琳とてゐが顔を見合わせる。
「飲み込む前に復活してるわけですから」
「結局の所、食料としては失敗作なのよね」
「「…」」
二人が拾い上げた、のべ784、5粒目の豆をぽろりと落っことす。周囲の空気は急激に重苦しくなった。
げんなりした顔の輝夜がのそっと立ち上がる。
「何か…すごく気分が盛り下がったんで帰るわ…」
ルナサも顔負け。
ああうんうんと同じ様な顔して座り込んだまま萃香が手を振る。永琳とてゐもそろって礼をして、輝夜を抱えてその場を去った。
「あのー…」
文が顔を覗き込んでくるが、テンション右下がりな萃香は、「ああ…?」とだけ言って物凄く静かになる。風吹き、木々のざわめきさえも重苦しく感じた。
今さっき撮ったばかりのテンション低い写真をひらひらと見せ付けるが、やっぱり物凄くテンション低いリアクションしかしてこなかった為、がっかりした様子で飛び去って行った。
風の発生源が居なくなったためか、木々のざわめきすらも殆ど聞こえなくなった。
「うん…まああれだ、よく考えてみれば、無駄に時間を過ごしたことで、タイムリミットまで近づけることができたんだし…うん。無駄に時間を過ごしたことは無駄じゃ無かったよね」
著しく矛盾してることは解っていたが、そうでも思わないとやってられないような切なさを感じていた。
それでも歩いているうちに、生来の陽気さでどうにか気持ちを上向きに修正することが出来た。
というのに。
どうにもまた重い空気を感じざるを得ない。目の前の何か暗いののせいで。
「何これ…」
真昼間から真っ暗なものを見せ付けられて、あからさまにテンション低下の様相を見せる萃香。
「あれー?誰か来たのかな?」
「そうみたいですね、ってあれですよ、ターゲットの」
中から声がする。どうやらこれも敵らしい。
「あー、次はこいつらかな?」
「おー。噂の鬼の人ね。じゃあこっそり攻撃しちゃおう」
「いや、どう考えてもこれはもうバレてますよ」
「そーかなー」
「そーですよ」
「そーなのかー」
なんなのだー。
どうやらこの暗いものの中に少なくとも二人敵がいるようなのだが。
萃香の記憶が正しければ、このような『闇』を操る妖怪は今のところ一匹しかいない。
この中にはもう一人ようだが、何者だろう?よもや二重人格というわけでもあるまいな。
やる気があるのか知らないが、ないならないで無視してさっさと行こうと思い、声をかけてやる。
「おーい、なんかよくわからんけど邪魔だよー」
「ほら、気付いてないみたいだよ」
「気付いてないのはこっちの正体だけですよ!存在がバレてると言ってるんです!」
正体も殆どバレているが。
「どういう意味かわからないけど」
「よし!もうわかりました!じゃあさっさと攻撃しちゃいましょう!」
「そーするー」
その闇が手を広げるように広がり、瞬く間に萃香を飲み込んでゆく。完全な闇という訳でもないが、相手の姿が非常に見づらい程度には目に悪い。
辛うじてうっすらと見える、大きな球状の物体。大豆弾、だいずだま、ではなく、おおまめだま。それなりの数が飛んで来ているようだが、所詮それなり。苦もなくかわす。
だが。
「ったっ!?」
小粒が腕に当たる感触に、何故、と思う間もなく大豆弾が次々迫る。同じくそれらを避ける。でも当たる。
何だ?とにかく先ずは距離を取る、それから考えよう。
「あっ。逃げるつもりね?そうはいかないわよ、えいっ、それっ」
飛んでくる豆幕に背を向け、闇の中を走る。
しかし真っ暗な中を、文字通り闇雲に走り回るという事は。
べき
「あいたーっ!!?」
そんな痛い目は見せてくれるという事で。でこの痛みに萃香は蹲った。
「ったー…何これ、木の枝?ったく暗くて見えないっつーの…あ」
何を思ったのか、萃香は振り返り目を細める。
今度は見逃さないために。
「そっちねー?」
「もう一度行きますよっ!」
木の折れる音を頼りに追ってきたか。だが彼女達の手はもう読めた。
また同じ手を使ってる。他に出来ることはないのだろうか?
「ないのか…ちぇっ。この私としたことが、こんなしょーもない小細工に引っかかるとは」
舌打ちして、見える弾全て、大小問わず避けていく。
先程から薄っすらと見えていたのは比較的大型の豆弾ばかりで、それらを目で追ってしまったが為に、それに紛れていた小さい豆弾に気付かなかったのだ。
解ってしまえば、後は萃香にとって容易い事だった。大型弾なんてどうせ嫌でも目に付くのだから、それ以外の場所を目を凝らして見つめるのだ。
そうしてみると、実際に飛んできていたのは小粒はほんの少しだったことに気付く。
暗闇に慣れない内だった所為もあるのだが、それでもそんなものを喰らっていたという現実にちょっと情けなさを感じた。
「やっぱまだ疲れてるのかなぁー」
その間にも、えい、やあ、と闇の奥から声がするのだが、最早萃香の敵ではなかった。
とはいえ。
「でもこっちから攻撃できる訳でもないんだよねえー。どうしたもんかな…ってもしかしてこいつら」
又もや何かに気付いた萃香は再び闇の中を駆け出した。
「あっ、また逃げる気だ!」
向こうも当然追いかけてくる。しかし今度は全速力だ。今度は木に激突しないように、目と足に意識を集中して進む。
更にぐねぐねと曲がりながら適当に動いていく。するとどうなるか。
こうなる。
「そっちかー。待てえーーげぐっ!」
「あ、ちょっとぶゅ」
後方で倒れる音。大分目も慣れてきて、敵の影が見えるまでになっていた。今その影が二つ起き上がった。
これで二重人格説は消えた。今更どうでもいい事だったが。
「やっぱりあいつらも見えてなかったな…」
「わーん!どこいったのー!」
「ルーミアちゃん、この暗いのなんとかしてください!」
「いやよ明るくなっちゃう」
「これじゃ動けないじゃないですか~」
「そんなことないよ?あいたっ」
また、ごちんと音がして、影が蹲るのが見えた。
「だから動いたら危ないって意味です!」
「ああもうどこいったのよー?こっちかなー」
「えっ、やだちょっとルーミアちゃん!待ってー置いてかないでー、今日中に帰れなかったら絶対叱られちゃうー」
萃香のいる場所とは全然関係ない方向に移動を開始する影。
何かこちらの与り知らない事で喚いていた様なので、もう放っておくことにした。最後に、
「その辺危ないから気をつけなよー」
とだけ忠告して、萃香は走り去った。
…結局もう一人は誰だったのだろう?
どうにか闇を振り切り抜け出た先は、森の中。
「やっぱり、さっきぶつかったのはこれか…」
闇の中を逃げ回っている内に、森に入ってしまっていたらしい。
「んー、次はどこに行けばいいかなぁ…とりあえず森には誰もいないよね?出たほうがいいかな?」
その言葉に反応するかの様に、ガサリと茂みが揺れる。
「草葉の陰からこんにちは!文々。新聞をあなたのお手元に笑顔でお届け致します!」
「わ!…また出た」
「そりゃ出ますよ、面白そうな画が撮れそうな所なら、何度でも出ますさ」
「わかったわかった。ってこんなもんいらないわよ!」
ぱこん
登場と共に手渡された新聞を丸めて引っ叩いて返す。
「あう、もっと丁寧に扱って下さい」
「はいはい、それで今度は何?」
「えっとですねぇ、確か先程からこの先に一人待機していたと思いますので、ご案内した方がいいかなって思いまして」
文は落ちた新聞を拾い上げ、汚れを落としながらそう言って森の奥を指差した。
「あぁそう。ありがと。この先ね?」
茂みを掻き分けて行くと、やがて少し開けた場所にたどり着いた。
暗い暗い森の中で、そこだけは別世界の様に光輝いている。
円形に草が刈られた場所、まるで誰かが森の中にちょっとした劇場を造った様だった。
いくつもの蝶が舞う。木漏れ日が射し込み、それがキラキラと輝いて見えた。そんな場所の中心に。
「むしゃむしゃ」
その姿は、蝶が舞うほどに優雅で。
「むぐむぐ」
霊魂が踊るほどにどこか儚げで。
「んぐ、小骨が…」
けれど口元の紅さは、大自然の掟を見るもの全てのモノに垣間見せた。
「ふぅ、おいしかったわ」
そんな彼女の足元には、羽の付いた帽子が一つ。
BGM:幽雅に喰わせ、墨染の雀
「「喰っとるーーーーーーーーーーー!!!!!!」」
辺りに鬼と烏天狗の絶叫が木霊した。
「はっ!?」
大声に驚き、振り向きもせずに茂みの中へと潜り込む亡霊。
その様子に唖然として立ち尽くしていると、丁度反対側の茂みからは少女が飛び出してきた。
「あれ、誰かと思ったら…あなたか」
半霊剣士は、萃香を見るなりがっかりした顔を見せる。
「何故そんな言われようなの私」
「ああ、失礼…幽々子様を探しているのだけど、見かけませんでした?」
「うん。今そこの茂みに入ってったよ」
「そうですか!どうもご親切にありがとうございます…ってうわ!なんなのこれ!?」
萃香が指した先に向かおうとした妖夢は、そこで初めてその惨状を目の当たりにする。
羽と帽子と小骨と。
「まーたこんなに喰い散らかして!ちゃんと調理してからっていってるのにあの方は生でバリボリと…片付けるの大変だってのにもう」
「いや、喰いっぷりは中々優雅と言えなくもなかった」
「そりゃあの喰いっぷりは見ていて清々しいとすら思わせるけど…お行儀が悪いんですよこんなところで、ああなんか羽もすごく飛び散ってるし」
よほどの激しく抵抗したのだろうか。あちらこちらに羽が抜け飛び散っていた。
「でも服はないわね。丸ごといっちゃったのかな」
「それもいつもの事ですよ。私に黙って外食するときは脱がすのも面倒なんだそうです…そんなの美味しいのかなホントに」
ぶつぶつと日頃のストレスを吐き出しながら、地面に落ちた羽を拾い集めていく。
「ところであなた、ここを片付ける必要あるの?」
「そりゃあ勿論。主のお食事の後片付けをするのは従者として当然のことでしょう?」
「いやそうかもしれないけど、なんか…犬の散歩の後始末って感じだよ、これ」
「……うぅ」
そんな風に言われると段々そんな気がしてきて、しかし妖夢は諦め顔で雀の羽を拾い続ける。
手伝ってやろうかとも思ったが、また時間潰しになるかと考え、その様子を黙って見ていることにした。
粗方の羽は拾い尽くし最後に羽付き帽子を拾い上げると、妖夢の手元に半霊が寄っていく。何をしてるのかと萃香が覗き見ようとすると、妖夢は肩と肘でそれを遮った。
「ねえねえ何してるのよ」
「何でもいいじゃないの……よし」
半霊が浮かび上がり、妖夢の肩に回り込む。妖夢の手元にあった筈の羽は全て無く、帽子だけが残された。帽子を半霊に被せてやり、改めて萃香に礼をして茂みに向かう。
その途中で立ち止まり、また萃香の方に戻ってくると、「えいやあ」と豆を投げつけた。
「だぁ!いきなりか!」
完全に不意をつかれて驚きつつ怒る萃香に、
「いえ、一応これだけはやっとかないとと思って」
それだけ言って、今度こそ振り返ることなく妖夢は茂みの中へ消えた。
「…ほんと、ご苦労なこと」
そう呟いて萃香は森の奥を突き進んだ。
因みに文は惨劇を目の当たりにした時点で脊椎反応で逃げだしていたのだが、とっくに忘れられていた。
さて結局その後、誰と会うことも無かった萃香。気付けばもう森から出てきていた。
「…わたしゃ何をしにきてたんだっけ?」
得たものが余りにも少ないような、いっそプライスレスな何かを失った気がした。
空を見上げる。相変わらず今日はいい天気だった。さっきまで冬にも拘らず鬱蒼とした暗い森の中にいた所為か、余計にそれが明るく感じた。
日はもう随分と高かった。
また時計のことを思い出す。メイドの言によれば、確か一周がリミットだった筈。確認してみよう。
一度見たときは、正確な時間がわからないというだけで見る気もしなかったが、今は少し心に余裕があった。
かちり、かちり
どこからか時を刻む音が聞こえた。それは手にした時計からではなく。
きっとメイドがしっかり時間を計っていて、それをこちらに伝えるときの音なのだろうと萃香は思った。
「もう半分過ぎてたんだ」
何時の間にそんなに時間が経ったのか。いや、矢張り道端で小宴会したのが大いに影響している。
「無駄な時間…やっぱり無駄じゃなかったかな?」
時計を懐に仕舞い、のんびりと萃香は歩き出した。
「あらこんにちは」
「おっ、紫。そっちは忙しそうね」
十歩も歩かない内に、目の前からスキマ妖怪が飛び出してきた。
「そうよぉ。もうあっち行ったりこっち行ったりでねぇ。こんなに動き回るのも久しぶりよ」
汗を拭う仕草をする紫に、そりゃ珍しいと感嘆する。この万年寝太郎がそんなことを漏らすとは、明日槍でも降らすつもりか。
普段が物臭なだけに、ちょっと動くのも億劫なだけで、実際は大したことはしてないんじゃないのかと疑いたくなる程だ。
「ふふふ。さて、それじゃまた後で…と言いたい所だけど」
紫の周りをスキマが揺れながら回り始めた。
「む、来るか?」
「せっかくあの子に参加資格は貰っている訳だし、勿体無いでしょう?」
そう言うと同時に、スキマから豆幕が放たれる。
ゆっくりと向かってくるそれらが突如消えた。
はっとなった萃香は、直後に頭上に無数の小さな気配を察知する。しかし遅い。
…しまったっ!
ばらばらばらばら
「うひゃーーっ!!」
一瞬にして、子鬼が豆の山と化す。飛び出た三本の角が墓標を思わせる。
えんぎでもない!
あらあら、と言いながらも紫はその上から更に豆を積み上げていった。
「ふりかけ~」
「ぶはっ!ええいやめれ!!」
全身を振り、豆山を崩していく。
「ふりかけ~」
ぱらぱら
今度は直接萃香の頭に豆を撒く。萃香がその豆を手で払う。
ぱらぱら
ばさばさ
ぱらぱら
「ええいうっとうしい!!」
青筋浮かべて掴みかかろうとするが、紫の体はスキマに沈む。
「駄目よ、萃香?直接攻撃は禁止」
「紫に限ってそれは無しって事にしてほしいわ」
背後、少し離れた位置に現れる紫に向けて言ってやる。
「まあ、物騒なこと」
萃香は紫からは目を離さずに、左右に現れたスキマから飛び出す豆を回避する。
「まだまだ」
傘を振り回し、なおも豆をばら撒いていく紫、その度消えては別の角度から飛び出す豆弾。
紫からは目を離さず、変わらずにそれらをかわしていく萃香。徐々に豆の数は増え、確実に追い詰めてくる。
そんな中、豆が唯一撒かれていない場所があった。豆がスキマに吸い込まれて消えている正面だ。
だが迂闊にそこに飛び込めばどうなるものか。
紫が挑発の笑みを浮かべている。そうだ、彼女は明らかに誘っている。こっちへ来てみろと。
弾を避けながら萃香は思考を続けるが、このままここにじっとしていても追い詰められるだけだろう。
「こういうのは、じっとしてたら面白くない、ね!!」
正面に薄っすらと見えるスキマめがけ、萃香は駆け出した。勿論その間も、紫の様子を伺い続ける。
何時向こうがスキマに逃げ込むか油断ならないし、今正面にあるスキマが突如消えて豆弾が飛んでくるかもしれない。
その通り、正面のスキマは消え、同時に紫も自分の足元に作ったスキマの中に消える。予想通りだとばかりに、後に残った豆を伏せてやり過ごし、そこで足を止めた。
周囲をキョロキョロ見回すような真似はしない。どうせどこを向いていても同じだ、紫は必ず……
ふわ
「ふっ!」
再び正面目掛け駆け、服のはためく音に振り向く。空中で腕が踊っていた。
「わかってるよ紫、あんたは後ろを取りたがる」
「わかってるわ萃香、これは遊びですもの」
紫は地面に降りると傘を開き、萃香は両手を腰に当てる。お互い視線をはずさない。
「…遊ぶつもりの目かしら、それ?」
「…本気の目に見えるの、これ?」
「見えるわ」
「見ないで」
開いた傘を前に振り下ろす。ふわりと傘が落ち、そこに紫の姿はなく。
ぱかり
代わりに現れたのは、萃香を取り囲む大量の小さな穴。
紫奥義『豆幕結界』
「うぎぎ」
空に開いた小さく蠢く無数の穴は、見ていて気持ち悪く、眩暈を起こしそうだ。
当然の様にそこから豆が飛び出す。だがその殆どが萃香には当たらないように飛んでいった。僅かに、しかもゆっくりとしか飛んでこない豆を避けもせず、その場に立ち尽くす。
小石に触る程度にしか感じないそれらは、萃香の肌に触れると直ぐにぱらぱらとに地面に落ちていく。
それはひどく馬鹿にした様にも見えるが、誰も何も言わない。馬鹿にはできないことをこの胡散臭いスキマめはやってのけるのだ、こうやって油断させておいて。
突然適当に飛び出していた豆が勢いよく線を描き始める。先のへなちょこ豆幕に油断するような雑魚なら気付かなかったかもしれないが。
穴の数が増えていた。
例えば二つの小さなスキマが眼前で重なる。そしてそれが離れていくころには、スキマはもう三つになっているのだ。
豆が線を描き始めて暫くして。『宙にスキマがあるのではなく』、『スキマに宙が見える』程度になっていた。
気付かない程度に少しずつスキマが増えていき、弱いものならそこで漸く気付いてビックリ。
「ていうのが紫の狙いなのか知らないけど、私はそんな事にはならない」
今や豆に埋め尽くされてそのスキマすら見えない。豆の線は発射元のスキマが動いているために曲線を描きながら進む。
その先にある別のスキマに豆が飛び込み、更に別のスキマからその豆が飛び出して新たな曲線を造る。
スキマとスキマを結ぶ無数の線が、今は萃香を覆っているのだ。その上徐々にスキマとの間隔は狭まり、少女を押し潰そうとしていた。
「けど、私はそんな事にはならない。それどころか」
この結界には致命的な『隙間』があるのだ。呟く萃香は右腕を引き、深呼吸して体を地面に向ける。
これが『空中戦』だったら、違ったかもしれないけど。
「鬼火『超高密度燐禍術』!」
右拳を突き立てた地面を中心に、火球を噴き上げながら大地が弾け飛ぶ。
豆幕が衝撃と火球によってあらぬ方へと吹き飛ばされていき、その隙間を縫って萃香は歪んだ結界の外へと飛び出した。
「こんなもんかしら?」
虚空に向けてそう言い放つ。すると目前の空間に亀裂が走り、そこからずるりと紫が這い出ながら、
「だから、本気にしたの?」
と、ふわふわくるりと着地した。別段汚れた風でもない服をぽんぽん叩き、萃香に向き直る。
「でも…次はそうしようかしら」
途端、周囲に妖気が満ちていく。表情は柔らかく、しかし余程鈍いものでない限り、その瞳に込められた殺気に気付かないことは無い程で。
それでもなお余裕の表情を崩さず、
「へぇ。でも残念」
そう言う萃香の背後から遠く、三つの影。
「紫様ー!」
その二匹と一羽が二人の間に降り立つ。辺りからは既に妖気も殺気も消えていた。
「こんな所で何をなさってるんですか!この忙しいのに!」
「紫様遊んでたんですか?」
式と式の式が困り顔で主人に愚痴る。この式をして忙しいと言わしめる程の状況だったのか。紫の言っていたのが事実だった事を知って、萃香は驚愕した。
「八雲さん、主催さんが呼んでましたよ。早く行ってあげて下さい」
「あっ、あなた何時の間にいなくなってたのよ。危うく森で迷子になる所だったじゃない!」
「あれは防衛本能というやつです」
今更森での事を思い出して目一杯文句をぶつけるが、文の方もそれどころではなかったのだ。
「ふぅ。仕方ないわね」
「惜しかったね、けど元々このゲームは私に有利に働くようにできてるのさ」
ふふん、と得意げに言う萃香だが、紫もその仕草を真似て、
「そうね、あなたに有利すぎて。参っちゃうわね、ほんと」
「むぅ…?」
意味深な言葉に訝る萃香。しかし、直ぐに考えるのを止める。こいつの言うことはどうせ片っ端から怪しいのだから考えていても仕方ない、そう思って。
「それじゃ行くわ、せいぜい頑張ってね」
その言葉をきっかけに、一羽は空を、二匹と一スキマは隙間空間を泳いだ。その際、一匹がこちらを振り向き、
「…テンコー」
ぼそりとそう呟いていたような気がしたが全員で無視した。
「ああ、そうだ萃香」
閉じきる直前のスキマから声がする。何?と返事をする暇も無く。そこから手だけを出してパチンと指を鳴らす。
「サービスよ。次のステージへご招待、ってね」
地面の境界が曖昧になっていた事に気付いたのは、下半身までスキマに飲み込まれてからであった。
あっという間に萃香はその場から消え去った。
「やりやがったな!」
という叫びを最後に、辺りは静寂に包まれた。
あと、みすちーカイワソス