Coolier - 新生・東方創想話

追憶

2006/03/03 14:16:15
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 ガラガラ、と音を立てさせながら扉を開く。

 「いらっしゃいませ、紫様は居間でお待ちです」

 扉の奥から現れた二人を確認すると、私はそう言って深々と私は一礼をした。
 付き添っていた妖夢は律儀に礼を返してくれたが、幽々子嬢は片手を上げながら「お邪魔するわね~」と言って勝手に屋敷の中へと歩を進めてゆく。
 妖夢はそんな幽々子嬢の態度に少し眉を顰めるけれど、私としてみれば別に変な事をしているわけではないと思う。
 そもそも私は紫様の式だ。式とは道具だと私の主は言っている。式は自分で物事を考え、自分で物事を為す事が出来る存在ではあるのだけれど、結局の所は主に依存している。
 要するに何が言いたいのかというと、幽々子嬢が私にわざわざ丁寧な態度をとる必要なんて無いということだ。だから妖夢が私に対しそんな申し訳なさそうな顔をする必要など無いと私は思うのだけれど、妖夢はそうは思わないらしい。なんていうか律儀というか損な性格だというか。

 「妖夢、上がらないのか?」
 「ではお邪魔させて頂きますね」

 そう言って妖夢が再び軽く一礼をする。幽々子が脱いだ靴を揃え、自分の履物をそろえてからゆっくりと私の方へと向き直った。
 
 「今日は幽々子様が……今日も幽々子様がご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしく御願いします」
 「わざわざそんなこと言わなくても良いさ」
 「そうですか? でも今日だって幽々子様のきまぐれで昨日の夜になってここに来ることが決まったっていうのに」
 「それは妖夢のせいじゃないだろう?」
 「でも、私の主のせいですから」
 「気にするな。私は嫌になるほど主とは理不尽な存在だという事を身にしみて―――」

 ゴン、と言う音と共にどこからともなくタライが落ちてきて私の頭を直撃する。それが地面に落ちてガランガランと音を立てるのを見ながら、ずきずきと痛む頭を片手で抑えた。
 全く。あの変人、もとい変わり者は一体どこに耳を置いているんだか。

 「大丈夫ですか?」
 「ま、まあともかくだ。私は命じられた事をやるだけだからな。別にそんなことで妖夢が一々気を揉む必要なんて無い。突然来られたのならともかく、今日は前もって来ると決まっていた訳だしな」
 「はあ。そう言っていただけると有難いんですけども。」
 「まあ、余りにも無茶だったら止めてくれるんだろう?」

 私が苦笑いの表情を作ると妖夢は複雑な表情を浮かべる。

 「まあ、出来る限りの事はしますよ勿論」
 「その後にはでもと続くのか? やっぱり」
 「そうですねえ。幽々子様が何を考えているのか未だに分からない事が多くて多くて」
 「それは私の方も同じだがな」
 
 お互い苦労しているな、と二人して頷き会っていると遠くから幽々子の声が聞こえてくる。

 「二人とも何してるの~? 藍、お料理作ってくれないの~?」

 妖夢がその言葉を聞いてふたたびしょげ返るのを見て私は軽く声を出して笑った。それを聞いた妖夢が少し不満そうな表情を浮かべるが、私は何も言わずに踵を返し、居間の方へと歩を向ける。

 「ま、幽々子嬢もあれでいいんじゃないのかな」
 「どういう意味ですか?」
 「なんていうのかさ、上手く説明は出来ないんだけれども。私は主とはああいった存在であるべきなんではないかと思うことがあるんだよ。まあ、ごく稀にだがね」
 「ああいった存在?」
 「こっちの事だ。妖夢にはあんまり関係の無い事さ」
 「はあ、そうですか」

 軽く首を傾げながら付いてくる妖夢に顔だけを向ける。

 「別に生きていることが辛いとかもう終わりたいとかなんて考えた事は無いんだろう?」
 「それはそうなんですけど。もう少し真面目になってくれたり普通になってくれたりしてくれないかといつも思っているんですけどね」
 「要するにさ。それが魂魄妖夢って存在なんじゃないのか?」
 「はい?」
 「はは、まあ別に私が何を言っているのかなんて分からなくてもいい。只の戯言だよ」
 「なんか私の事を馬鹿にしてません?」
  
 じと目で睨んでくる妖夢に私は軽く肩を竦める事で答える。

 「生きていることが辛く無いならば、それは良い人生を送っているっていえるんじゃないのかな。勿論いつも仕事が山積みで大変だってのはあるだろうけど」
 「仕事が山積みだって事には否定できませんけどねー」

 今日もまだ一杯仕事があったのに、とぶつぶつ文句を呟いている妖夢を横目で見ながら私はは再び口元に笑みを浮かべていた。

 「妖夢はさ、仕事をやるのが嫌だって思ったことあるのか?」
 「うーん。どうなんでしょうね。私は昔からずっと仕事をしてきましたし……暇さえあれば剣術の稽古をしていましたからね。仕事をする事が当たり前になっていてもうそんな事考えた事が無いですよ」
 「なるほどなぁ。まあ私も同じようなものか。手のかかる主にまだ半人前の式。なんだかんだ言って私も自分の時間なんて持てないだろうし」
 「やっぱりお互いに苦労してますねえ」
 「まあ」
 「まあ?」
 「暇ができたから、暇になったからと言ってやりたい事も今は無いしな」
 「あー、それは私も同じですねえ。結局暇な時間が出来たら剣術の稽古とかしてそうですよ」
 「私も家の大掃除とか布団の日干しとかをやっていそうだな。まあそういう事なんだろうよ」
 「そういう事ってどういう事です?」
 「私達は手のかかる主を持つために生まれてきたんじゃないのか、ってことさ」
 「なんていうか、理不尽な話ですねえ……」

 襖を開けると、そこには紫と幽々子が仲良く並んでちゃぶ台に座って映画を見ていた。なんでも外の世界から取ってきたビデオデッキとかいう物とテレビという箱を繋ぎ合わせて(勿論これも私が試行錯誤させられて繋いだものなのだけれど)その上でわざわざ外から電気を盗んでまでその映画という物を見る価値があるとは私は思えなかったのだけれど、幽々子嬢はそれがたいそうお気に召した様で、それを食い入るように見つめていた。

 「紫様、幽々子様。まずは何をお持ちすれば?」
 「取りあえずお茶でも頼むわね~」

 幽々子が画面から目を離さずに私にそう注文をする。自分の主のほうを見ると、こちらも私の方へと顔を向けずにブイサイン、もとい指を二本立てているので、自分にもという事なのだろう。それぐらい口で言えば良いのに、と思うのだけれどそれもいつもの事なので何も言わない。

 「では、少々お待ち下さい」
 「あ、私も手伝いますよ」
 「いや、必要ないよ。今日は妖夢だってお客様なんだ。お客様に働かせたら私が叱られてしまう」

 首をふってそう言う私に妖夢は困ったような表情を見せた。いつも自分でやっているような事を他人にやらせてしまうのは罪悪感でもあるのだろうか。

 「じゃあつぎに私がそっちに行った時に私に用意してくれればいい。それでいいだろう?」
 「……じゃあお言葉に甘えて」
 「はは。別に大した物なんて出せないが、待っていてくれると嬉しい」
 「そうですか。では私もあの映画という物を見させて貰いますね」
 「そうするといい。今日の紫様の気まぐれが明日まで続いているという保障なんてないからな。明日見ようと思ってももう見れないという事なんて当たり前の様にあるんだし」
 「そうですね。では失礼します」

 軽く一礼をして妖夢が幽々子の後ろに座るのを名残惜しげに見ながら、ゆっくりと障子を閉める。廊下を歩いていると、不意に窓の外から粉雪がちらちらと降って来るのが見え、私は立ち止まった。

 「もう雪が降る季節なのか……」

 紫様はそろそろ冬眠する頃だろう。今年は例年と比べてずいぶんと長く起きていたのだけれど、やはり習慣はそう簡単に崩れるものではなく、日に日に睡眠時間が長くなってきていた。
 
 「暇に、なるな」

 ぽつりとそう呟く。
 主から命じられる様々な事の殆どは私にとって理不尽ではあるが、嫌ではない。だからこそ私は自ら望んで紫様の式でいるのだし、無理難題にも答えようとする。
 初めは礼のつもりだった。
 受けた恩を私が返したと私が判断したらすぐにでもここを出て行くつもりだった。
 時が経ったらここから離れ、再び一人で生きていこうと思っていた。
 けれど、いつのまにか私はここにいる事が当たり前になってしまっていた。
 
 今の私は紫様のために生きている。
 今の私は自分のために生きている。

 その二つが重なっているからこそ、私は今ここに居る。














     ☆     ★     ☆     ★     ☆     ★      ☆














 誰かが傷に触っているのを私は感じた。
 それが取るに足らない存在である事もすぐに分かった。
 何かが傷口に塗りこまれてゆく。
 痛かった。
 だから、その人間を殺そうかと思った。
 
 でも、そんな思いは一瞬で消えた。
 私を傷つけたいなら傷つければ良いと思ったから。
 殺したいなら殺せば良いと思ったから。
 だから痛みにも耐えていたし、声のひとつも出してやるものかと我慢していた。
 

 いつのまにか、私の身体に何かが巻きつけられていた。
 身体のあちこちにあった傷を全て覆う、つまりは胴体全体が布で覆われていた。

 何か、変な感じがした。
 誰かが私の身体に触っている。
 でも、なんで触っているのかが良く分からなかった。
 殴ろうとしているわけでも無い様で。
 噛み付こうとしているわけでも無い様で。
 傷を抉ろうとしているわけでも無い様で。
 私の毛が露出している所を丁寧に触っているだけだった。

 何かをしたいならすればいいと私は思っていた。だから何の反応も返そうとしなかった。
 それでも、その人間は私に触るのを止めなかった。

 私が怖くないのだろうか。私が気持ち悪くないのだろうか。

 同族からですら疎まれ、殺されそうになった私をなぜこの人間は怖がらないのだろう。
 その時の私はそう思っただけだった。
 全てがどうでもよかった。私も、私でない存在も全てがどうでもよかった。
 自分の命が早く終われば良いとすら私は思っていた。








 カコーンというししおどしの音だけが辺りに響き渡るのを私は半分眠ったまま聞いていた。
 眠って、起きたというのに未だに人間は私の身体を触り続けていた。本当に何がしたいというのだろう。
 気が付いたら、私はその人間の方を向いていた。反応するつもりなんて無かったというのに。
 
 「あら、起きたんだ?」

 その人間は身体を撫でるのを止めたかと思うと、今度は私の頭を撫で始める。

 「大丈夫? 痛くない?」

 その人間が何を言っているのかは分かる。何故だか知らないけれど私は生まれた時から人間の言葉を知っていた。でも、それは理解できるというだけ。私の身体は言葉を発する事は出来ない。

 「ちょっとまっててね。今何か持ってきてあげるから」

 そう言って人間が私の傍を離れてゆく。私はその後姿をじっと見つめていた。
 人間の発していた言葉は分かる。人間の発していた言葉の意味も分かる。
 でも、何でそんな言葉が今使われるのかが分からなかった。

 少し考えて、私はこう思った。
 要するに、あの人間は私に媚を売っているのだろう、と。
 自分よりも強い存在にたいしては人間は平伏するものだという事を何故か私は知っていた。
 だから何らかの方法であの人間は私の事を自分よりも強い存在だと判断したから私を助けて恩を売っているのだろう、と。

 一気に興味が失せた。
 
 立ち上がり、縁側へと降りる。
 後ろから「まだ動いちゃだめっ」という声が聞こえてきたが、気にせずに走り出す。
 さて、どこへ行こう。
 どこへ行ったって同じなのだけれど。





     

   /


 





 途切れ途切れの思い出。
 今やもうあのころの事は殆ど覚えていない。
 いや、私は忘れてしまったわけではないのだろう。
 覚えようとなんてしなかっただけ。
 全てがどうでもよかったから。
 
 





   /

 
 



 深い森の中、ヒュンと風を切る音と共に火球が私の方へと向かって飛んでくる。
 それを寸前でかわし、私はその方向へと向き直った。
 一、二、三、四、五。
 全部で五匹。
 金色の毛色をした五匹の狐が私の方を睨んでいた。
 真ん中にいるのは自分が私の父だと言っていた奴じゃないか。

 「観念しろ。お前は死ぬべき存在なんだ」

 どの狐も口を開かなくとも、声は聞こえる。
 
 「まさか転生をするとはな」
 「そこまでして生きたいのか?」
 「幼子の身ではろくな力も使えないだろうよ」
 「自ら死ぬがいい。それがお前の取れる唯一の道だ」
 
 次々と言葉が発せられる。
 それがどの狐の言葉なのかは良く分からなかった。
 そもそも、なんで私はさっきの火球を避けたのだろう。
 避けなければ終わっていたというのに。

 「何も答えぬか。それとも何も答えられないのか?」

 森の中に声が響く。

 「その程度の力すら無いのならば容易い事。我一人で殺してくれるわ」

 一気に周囲が熱を帯びる。
 数個の火の玉が前へと出てきた一匹の狐の周りを飛び回り始める。
 それを、私は空虚な瞳で眺めていた。

 あれが当たれば私は死ぬのだろう。
 そう思っていただけだった。
 避けようとも思わなかった。
 それでも身体は勝手に動く。

 矢継ぎ早に打ち出される火球を紙一重で避ける。
 一瞬たりとも地面に留まる事は無い。
 四肢を駆使し、間隙目指して辺りを飛び回る。
 火球が浮いている位置。大きさ。密度。向き。挙動。
 その全てを頭が勝手に判断して次に逃げる位置を決める。
 
 まるで、などという言葉を使うまでも無く私の身体が私の物では無かった。
 私は動こうとなど思っていない。
 死ぬのは別に嫌ではなかったから。
 それでも私の身体は勝手に動く。

 パチパチという音と共に木々が次々と焼け、枯れ草が燃え上がる。
 直接火に炙られている訳でもないのに、全身が煮え立っている様な違和感を感じる。
 一向に当たらないのに業を煮やしたのか、残りの四匹もじりじりと私の方へと近づいて来ていた。
 前には五匹の狐。後ろには燃え盛る木々。
 どちらに進んでも私は死ぬ。

 覚悟なんて無い。
 そもそも、私には何も無いのだから。

 生まれて直ぐに母親に噛み殺されそうになった。
 逃げ出したら他の妖狐達に追われた。
 戦って。戦って。戦って。
 どれだけ殺しても、どれだけ逃げてもあいつらは私を追ってくる。
 私が何をしたというのだろう。 
 他の妖狐との差なんて尾の数の違いだけじゃないか。
 私は戦ったりなんてしたくないのに。









   /






 オモイデのカケラが辺りに散らばっている感じと言えば分かりやすいだろうか。
 ピースを無くしたジグゾーパズルを一生懸命に組み立てる。
 いつまで経っても完成することなんてありえないのに。
 ああ、なんて無様なのだろう。
 全てが終わってからそれに気が付くなんて。






   /









 気が付いたら、私は再びあの家に居た。
 私の二つ目の記憶と同じ場所。
 そして、またあの時と同じ様に体中に布の様な物が巻かれていた。
 一番初めの記憶は母に噛み殺されそうになった時の物。
  そもそも、自分が本当に狐なのかすら分からない。
 私の初めての記憶。それは周りに狐がいる情景だった。そして、その瞬間に殺されかけていた。
 次の瞬間、その狐の首が飛んでいた。そして、周りに居た狐達も同様だった。
 その時の私は多分、意識が朦朧としていたのだろう、と思う。良く覚えていないのだから断言なんて出来っこないのだけれど、あの時の私と今の私に大差なんて無いと思う。
 わざわざ自分を変えようとなんてしないのだろうし。

 「~~~~♪」

 どこからか歌が聞こえてきていた。
 なんというか、寂しい歌だと私は思った。
 
 緩やかなテンポで、柔らかい歌声でゆったりとそれが歌われているにもかかわらず。
 その歌の内容が恋の歌であったのにもかかわらず。
 それを哀しい歌と思ったわけではなく。
 私はそれを寂しい歌だと思った。

 不意に歌声が止まったかと思うと、その少女が私の方へと目を向けた。私はいつの間にか顔を上げてしまっていたらしい。それに気が付いた少女が早歩きでその少女が私の方へと向かって来て、唐突に転んだ。石に躓いた訳ではなく、どうやら鼻緒が切れてしまった様だった。その少女に向かって一人の女性が慌てて駆け寄ろうとするが、少女は直ぐに起き上がると大丈夫だというように数回手を振ってみせていた。
 
 「起きたの?」

 唐突に少女がそう言った。
 それが私に対して発せられた言葉なのだと最初気が付かずに、一体何なのだろうと私は思った。

 「うふふ、今日は逃げないのね。おいで……って言ってもやっぱり来てはくれないかな」

 少女が私の方に手を伸ばすが、私は当然の如く動かない。

 「逃げたいなら逃げてもいいよ。私が好きでやっている事なんだし」

 そう言いながら少女が一歩ずつ私の方へと近寄ってくる。

 「それにしても、貴方変わってるね。あの時はまたいつもと同じなんだろうと思ったんだけど」

 少女がゆっくりと私の方へと手を伸ばす。
 
 「みんな、私が近寄るだけで逃げて――







   /









 そこで唐突にそのオモイデは終わる。
 何故だろう。今になって考えてみても良く分からない。
 疑問に思っても、思い出せないものはどうやっても思い出せない。
 いくら考えても何も浮かんでこない。
 無から有を作り出すことなんて神ならぬこの身には不可能な事なのだから。









  / 









 その次のオモイデも、その次のオモイデも同じ場所。
 この頃の記憶はここか、もしくは彼女と共に居た物だけ。
 でも、ずっと私は彼女の元に居た様では無いらしい。
 「また来たの?」
 とか。
 「ひさしぶりだね?」
 とか。
 そんな言葉が私のオモイデの中に見え隠れしている。
 それは確かな情景ではなく本当の断片。
 いくつかの単語、いや、会話を私は覚えている。
 でも、それは単なるカケラだ。切れ端に過ぎない。





 
 
  
   /
 



 
 私は、赤く色づいた木の葉を拾い集めている彼女を遠くから眺めていた。私は何をするでもなくその風景をじっと見つめる。いつか見た覚えの有る女性が彼女から少し離れた所に立っていた。その手には籠が抱えられていた。その中に入っているものは先ほどまで彼女がひろっていた木の葉やどんぐり等なのだろう。
 
 「お嬢様?」
 
 その声に少女が女性の方へと振り向く。

 「もうそろそろ家へと御帰りになりませんと…… もうまもなく日が暮れてしまいます。この頃の日が落ちるのは早いのですよ。お嬢様もそれはご存知でしょう?」
 「うん、それは知ってるよ。でももうちょっと……」

 名残惜しそうに少女が辺りを見回す。

 「また明日来れば宜しいではありませんか。日が暮れますとすぐに寒くなってしまいますよ」
 「そっかぁ。そうだねぇ」
 「では、帰り支度をしても構いませんでしょうか?」
 「うん。よろしくね」

 彼女が手渡した木の葉を女性は丁寧に受け取ると、籠にそれを仕舞った。
 相変わらず名残惜しげに辺りを見回している彼女に不思議そうな顔で女性は尋ねる。

 「何故、そんなにも景色を眺めているのですか?」
 「なんでだと思う?」

 彼女が風に乗ってゆっくりと舞い降りてきた木の葉を手で受け止める。

 「今日見ておかなければ、また明日も見れるとは限らないでしょう。だから、私はなんにでも一生懸命にすることにしているの」
 「お嬢様……」
 「ううん、気にしないで。これは私が好きでやっている事なんだから」
 「お嬢様、それは」
 「別に、今日いますぐにどうこうって言うわけでも無いんだし。それに、私は大丈夫。危険なのは……」
 「お嬢様」
 「ん、ごめんね。これは言わない約束だったね」
 「はい。では、帰りましょうか。せっかくですからわたくしもこの景色を心に刻み込んでおく事にしましょう」
 「そうだね。じゃあ帰ろうか。君も一緒に来る?」

 私に向かって少女が呼びかける。
 思い出の中の私はその問いになにも答えずにじっと伏せているだけだった。
 女性に促されてしぶしぶ諦めた少女の後ろ姿が見えなくなるまで、私はずっとその姿を眺めていた。










   /








 昔の私は自分が嫌いだった。
 そして、世界が嫌いだった。

 だから、全てがどうでも良かった。
 だから、殆ど記憶に残っている出来事が無い。

 勿論情景として覚えている物もある。
 けれど、それが完全な形で残っているものは数少ない。
 どうしてだろう。
 私は彼女と居るのが楽しくは無かったのだろうか。
 彼女との日々もどうでもいいと考えていたのだろうか。









    /











 雪が、降っていた。
 どんよりと鉛色に染まった曇天から粉雪がちらほらと降り落ちる。
 一人の少女が雪の中に佇んでいた。
 卍傘を片手に、ふわふわと少しだけ宙に浮かんでいる。
 
 気が付いたら、私は一歩、後ろに下がっていた。

 黄金色の髪がゆったりと宙に浮かぶ。 
 漆黒の瞳はどこを見ているのか良く分からない。
 勿論、ここを見ているわけではないのが私には分かった。
 当然の如く、私を見ているわけではないのは確かだった。

 また一歩、私は後ろへと下がる。

 それでも、背筋が総毛立つ。
 私を見ていないのに、怖い。
 どこか他の場所を見ているだけなのに、凄まじい威圧感が物理的な圧迫感となり、私を押しつぶそうとしていた。
 
 また一歩後ろへと下がる。

 体が強張る。
 震えが止まらない。
 一目見ただけで。いや、そこにいるだけで私は食われる存在であると分かるほどの圧倒的な存在感。
 
 その少女は何もしようとしない。
 只浮かんでいるだけ。
 瞳は虚空をみつめ、卍傘から零れ落ちた雪が微かに音を立てていた。

 どれだけたったのだろうか。その少女の口調がゆっくりと開いた。

 「貴方、そこの屋敷の主と知り合いなのかしら?」

 無造作に声が放たれる。

 「あら、違った?」

 私は、答えられない。緊張した身体はいう事を聞いてくれない。

 「せっかくここまで来たのですから、ご挨拶でもとおもったのですが。ここにいないのであれば待っていても仕方が無いかしら」

 ス、っと細められた漆黒の瞳が私の方へと向けられる。
 その金色の髪を持った少女は楽しそうに笑っていた。
 私を見ているのに、私を見ていないような違和感。
 全てを見通すような瞳で見つめられ、私は生きた心地がしなかった。

 「貴方、面白いわね」

 ゆっくりと、少女の体が消えてゆく。
 初めに傘が消え、上半身、下半身がゆっくりと消えていった。

 降りしきる雪の中、私は地面に蹲ったまま、小動物の様に震え続けていた。












   /





 





 私はこのときに始めて、自分が最高の存在では無いのだという事を理解した。
 井の中の蛙、大海を知らず。
 私は自惚れていたのだろうか。
 私は、愚かだったのだろうか。
 
 今の私ならばそうだ、と断言できるのだけれど。
 その時のわたしにはどう考えればいいのか良く分からなかった。

 力とは、単純な戦闘力だけで判断出来る物では無いという事も知らなかったのだから。












   /







 これは、彼女と私が共に居た最後の思い出。


 彼女が、笑っていた。

 いつも彼女の傍にいた女性の傍らで、いつものように笑っていた。

 嬉しそうに、幸せそうに。
 目尻を下げ、軽く目を細めながら、女性の頬にそっと手を伸ばす。

 「いままで、ずっと。ありがとう」

 女性の前髪を軽く書き上げ、額に軽く口付けをする。

 私は、眺めているだけ。
 じっと、なにをするでもなく、眺めていただけ。

 私は、その時に何を考えていたのだろう。
 彼女の絶える事の無い微笑を見て、どう思っていたのだろう。
 自らの力で殺してしまった女性に声をかける彼女を見て。

 
 すっと、私は立ち上がり、彼女に背を向けた。









   /
    








 

 

 唐突にそれは終わっる。
 私と彼女の、友情とも言えない繋がりは。
 
 結局の所、あの時、紫様に会ったという事は私にとってはどういう意味があったのだろう。
 それは、今でも分からない。
 もしも、あの時紫様が現れなければ彼女はもっと長生きをした事だろう。
 もしも、あの時紫様が現れなければあの妖怪桜はもっと力を付けた事だろう。
 
 いくら考えたとしても、現実は変わらない。
 もしも。
 もしも。
 もしも。
 
 何度考えても、あの時ああしていればと考えていても時は戻らない。

 現実というのは残酷だ。
 小さな一人の意思なんていうものは置き去りにして過ぎ去ってゆく。
 そして、二度と元に戻る事は無い。
 元に戻ったように見えても、それは表面上そう感じられるだけの事。
 本当の意味で元に戻せる者がいるとすれば、それは。










   /











 私は、遠くから彼女の事を見つめていた。
 彼女の傍らには、少女が浮かんでいる。
 巨大な、冬だというのに満開に咲き誇った桜の下で、彼女はいつものように、微笑んでいた。


 少女は言っていた。
 今、ここで彼女が死ねば、永遠に苦しみから逃れられるのだ、と。
 少女は言っていた。
 自分が何もしなければ、何度輪廻転生を繰り返した所でその力は永遠に付いて回るのだ、と。

 魂に刻み込まれた刻印。
 何度生まれ変わり死に変わりしたとしても魂そのものは変わらない。
 
 だから、彼女は少女の問いに頷いた。

 誰だって。
 永劫の苦しみを味わいたく等ないのだから。
 私だって。
 

 彼女の胸に白刃が突き刺さり、そのまま背へと貫通するのが見えた。
 力なく、彼女が大地へと崩れ落ちる。
 血が、ゆっくりと傷口から溢れ出し、小さな池を作り上げる。







 誰かが、泣いていた。




 



 






 
     ☆     ★     ☆     ★     ☆     ★      ☆







 「おっそいわよ~。藍~?」
 
 私と妖夢が居間へと到着すると、チンチンチンチンと幽々子が箸を使って食器を叩いていた。妖夢はそれを見て右手で顔を覆いながら大きく溜息をついていた。恐らくは私が料理をしている間に何度か嗜めたのだろうが、一向に止めようとしないのだろう。
 紫はというと、その二人の様子を楽しそうに眺めているだけで、いつの間に帰ってきたのか橙が紫の後ろにちょこんと座っていた。何故か正座をさせられている。

 「遅かったじゃない、藍。寄り道でもしていたの?」
 「いえいえ。そんなことはありませんよ。第一、寄り道って一体どこへ行けば良いんですか」

 まずは丁寧に一つずつ椀を並べてゆく。中にはまだ何も入っておらず、それを覗き込んだ幽々子があからさまに落ち込むのを見ていて一瞬笑いそうになってしまった。

 「そう、ならいいわ。ああ、あの金タライはちゃんとしまっておくのよ」
 「はいはい、分かってますよ」
 「返事は一回でいいわよ」
 「はい」

 今度は茶碗を並べてゆく。幽々子嬢の所にはもうすでに置いてあったのでとばそうかと思ったのだけれど、妖夢の前に置いた茶碗をずりずりと自分の方へと引きずってゆくのを見て、あわてて茶碗を目の前に置く。
 全員の前に出揃った所で廊下に置いてあった料理を大皿に乗せたままゆっくりとちゃぶ台の上に置く。

 「これだけなの?」
 
 幽々子が不満そうな顔をしたまま私の方へと目を向ける。勿論その反応は予想していたものなので、私は軽く首を振る。

 「いえ。それは幽々子様お一人の物ですよ。皆の分は他にまだ用意してあります。ですから、ご存分にお食べください。さすがにそれ以上の量はお出し出来ませんが」
 
 そう聞いて他の三人がその山盛りになっている大皿に目を向ける。直径は幽々子の肘から先を伸ばした程度なのだが、高さもそれと同等である。具体的に言うと、体積的に幽々子の胴体の7~8割と言った所だろうか。

 「さすが、っていうべきなのかしら」
 「あら、この程度なら普通よね。ねえ、妖夢?」
 「……半分人間の私には同意しかねますが」

 肩を竦める紫と、困った表情で小首を傾げる妖夢。幽々子は相変わらずの様子で、ゆっくりと大皿を自分の方へと引きずっていた。

 「幽々子様、せめて小皿にとってお召し上がり下さい」
 「そうですよ、幽々子様。お行儀が悪いです」
 「え~、だって面倒じゃない。どうせお腹に入るのは同じなんだし」
 「礼儀作法というものがあるじゃないですか。それを全てわかった上で……って、つまみ食いなんてしないでください恥ずかしい」
 「別にいいじゃないの、妖夢は一々うるさいわねえ」

 頬を膨らます幽々子を妖夢が嗜める。その様子を私は横目で見ながら、もうひとつの大皿を廊下から引っ張り出してきた。自分を含め4人分としては多いかもしれないが、というよりも間違いなく多いのだけれど、どうせこれも幽々子嬢は食べようとするのだろうしこれぐらいで丁度良いだろう。

 「では、食べましょうか。藍、ご飯と味噌汁をよそって頂戴」
 「はい畏まりました紫様」

 廊下から鍋とおひつを部屋の中へと持ち込み、順番によそう。妖夢が幽々子様は最後です、と言っていたのがなんとなくおかしかった。

 「では貴方も座りなさい、藍」

 紫の言葉に従い、私もゆっくりと席に着く。

 「それでは、頂きましょう。たいした物も出せずに申し訳ないのですが」

 私の言葉に従い、皆が思い思いに手を合わせる。
 
 「では」


 皆が声を揃えて言う。



 「「「「いただきます」」」」」



 楽しそうに笑いながら。


















     ☆     ★     ☆     ★     ☆     ★      ☆





















 私は『神』ではなく。
 
 紫様も『神』では無かった。
 

 






 これは。

 

 ただ、それだけの事。


















………………4ヶ月ぶりですな。

一体今まで何をしていたんでしょう。まあ、具体的に言うと何もしていなかったというのが正しいんですが。

というわけで(どういうわけで?)藍の過去話です。
はっきりいって、支離滅裂なお話だと言われれば否定できません。
張りっぱなしで放り投げた伏線がいくつもあるような気がしますし、これで完全なのかと言われると私自身が首を傾げてしまうかもしれません。
それでも、この作品はこれで『完成』したと思ったから出させて貰います。

意見等があれば書いていただけると幸いです。(出来るだけ返信はします)

読んでいただき、ありがとう御座いました。
まんぼう
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コメント



0.1110簡易評価
14.60床間たろひ削除
藍が妖狐だった頃の消え掛けた思い出。
途切れ途切れで断片な、でも忘れられない一欠片。
それが昔の藍の虚無的な感じを出していて、色々と妄想補完してしまいま
したw
そんな藍が、今マヨヒガにいるという事。
ドラマチックな事件は起きずとも、積み重ねた時間が今の藍を形作ってい
るという事。そういう語られていないスキマを自分で考え埋めていく、そ
れもまた楽し。ご馳走さまでしたw

PS.何箇所か誤字がありますよー お気をつけてw
23.80自転車で流鏑馬削除
もっと評価されていいと思う。
藍が式になった時の話とか具合的に書いてあったら、それはそれでよかったのかもしれないけれども、
このくらいが丁度良い頃合いなんだとも思える。
緩やかでいて暖かい、いいお話でした。