(────、これでよし、と)
気絶したルーミアの金髪にリボンを巻き直す。
解放されていたとはいえ、やはりルーミアは私の敵ではなかった。
早く倒し過ぎラストスペルまで発動させたのは予想外だったけれど。
「……うぅ……、ん……」
私の膝枕の上で、まるで寝言のように呟くルーミア。
ハンカチを取り出して、口と手に残る血糊を丁寧に拭ってやる。
こうして目を瞑っていれば、ただの可愛らしい女の子にしか見えないのに。
幸い彼女に大きな怪我は無い。このまま放置しておいても大丈夫だろう。
────さて、先を急ごう。
永遠亭を発って既に半刻ほど過ぎている。
ウドンゲとの時間差は開く一方。なんとかして遅れを取り戻さなければ。
焦りばかり募る。不安ばかりが胸に広がる。
そのせいか妙に神経が逆立っている。
先程の戦闘もそうだ。再びルーミアへ目をやる。
ラストスペルを破った時点で既に勝負は付いていた。
なのに逃走しようと背を向けたルーミアに向けて止めの一撃。
直撃を受けて仰け反った彼女は、そのまま真っ逆さまに墜ちていった。
それで決着。
そして……あの時のレイセンと同じ……
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月師想話~後編:想い華~
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血塗れの私を見て、怯え逃げ惑うレイセン。
彼女を追いかける私は、内心ひどく焦っていた。
何故なら、私達はできる限り早急に此処を離れる必要があったから。
相手は月世界。恐らく作戦は周到に練られている。
部隊が定刻通り帰還しなければ増援が送り込まれるのは必至。
此処で足止めなどくっていられない。
事態は一刻を争う。
そう判断した私は愚かしくも最悪の手段に訴える。
足を止め弓を引き絞ると、上下する彼女の背に狙いを定め────弾丸を放った。
距離にして約3m。一歩踏み出せば手が届く範囲。
放たれた弾丸はその僅かな空間を滑るように飛翔する。
彼女の背に吸い込まれるように突き進むソレは、やがて乾いた音を立て着弾した。
大きく仰け反ってバランスを崩し、つんのめり宙を舞うレイセン。
見る物全てが速度を失った世界の中で、彼女の身体だけが緩やかに落下していった。
どさり。
肉感的な残響が耳に残る。制止していた私の時間が解放される。
うって変わった静寂の中で、レイセンは俯せに倒れ身動き一つしなかった。
私は急いで彼女に駆け寄ると、彼女の首筋に手を当る。
(……大丈夫、生きてる……)
放ったのは鎮静剤を含んだ麻酔弾。
とはいえ、至近距離から背中への直撃。下手をすれば落命してもおかしくない。
現に口から血を吹いている。内臓にダメージがないことを祈るしかない。
ともかく存命していることを幸運に思い、
彼女を抱き上げると、急いでカグヤの元へと引き返した。
──────
カグヤを背負い、眠らせたレイセンをオモイカネ達に運ばせて、
地上の住まいを早々と後にする。
月の追っ手に追いつかれれば、戦闘になどならぬだろう。
こちらの戦力は傷ついたカグヤ、疲弊した私、非戦闘員のレイセン。
三人で彼らを迎え撃つなど自殺行為に等しい。
心許ないが、僅かながら策は講じておいた。
明日の晩、自動的に月と地上を結ぶ光の通路を開く仕掛けを施した。
勿論、その実体は『触れた者の自由を奪う麻痺の罠』
彼らが狼狽してくれれば、多少の時間を稼げるかもしれない。
気休め程度の仕掛けだけれど、何もしないよりはマシというものだ。
その分、手が回らなかったこともある。
兵士達の遺体の処理は、翁と媼に任せるしかなかった。
成り行きとはいえ、私は彼らを殺めてしまった。
兵士である以前に彼らとて一人の人間。月に待つ者の一人も居たであろう。
その命を摘み取ってしまったのは他ならぬ私自身なのだ。
多分、この時の私はその事実を軽視していたのだろう。
だから気付いていなかった。
彼らを殺すことで何かを失っていたのは私だということを。
私は彼らを通じて、『私自身の一部』を殺めたも同然だったということを。
~ § ~ § ~ § ~
見渡す限り一面の鈴蘭。
この丘は真冬だというのに一面に鈴蘭を咲き誇らせている。
地熱だろうか、魔力だろうか、理由は判らない。
私はオモイカネ達を寒空に放つ。
何しろ広大な丘だ。一人で探すよりも手間が省ける。
間もなく一体のオモイカネが何かを見つけ、私の元へと戻る。
何を探し当てたのか、見なくとも判っていた。
けれど、まずは自分の目で確かめなければ、そう思い急行する。
行く先で見たのは想像と違わぬ光景、
花に包まれて横たわる一人の少女の姿。
正確には人ではない。
メディスン=メランコリー。人を模して作られた命ある人形。
彼女は鈴蘭を集めて作った花のベッドでスヤスヤ寝息を立てていた。
私は彼女の脇へと降り立った。
気付く素振りも見せずぐっすりと眠るメディスン。
外見は人間と何ら変わりない。こうして見ると『生きている』というのも頷ける。
けれど姿が生者に近ければ近いほど、私はレイセンを思い出してしまう。
「ムニャムニャ、毒素よ集まれ、コンパロ……コンパロォ……」
彼女の寝言で我に返る。
周囲を見渡せば、無意識下で集められた膨大な量のコンパロサイド。
薬物の類が効かない私は平気だけれど、兎だったら既に致死量。
もちろんウドンゲだって一溜まりも無いだろう。
私は彼女の肩に手を掛けて大きく揺さぶった。
「メディスン、起きて頂戴、ねぇ、起きてってば……」
熟睡の度合いを見ればウドンゲの姿を見ていないことは瞭然。
けれど、とにかく今は何かの情報が欲しい。
何度か揺さぶった後に、メディスンは気怠そうに頭を持ち上げた。
「あふぅ……、あれ、えーりん?
ムニャ、どうしたんですか。こんな夜中に……」
人形のくせにヨダレまで垂らしてる。
寝ぼけるなんて本当に良くできた自動人形だ。
と、───そんなことより、ウドンゲの事、何か聞き出さないと。
「あなた、うちのウドンゲを見なかった?」
「ムニャ、ムニャ、えーと、ぐっすり寝てたから……」
「そうでしょうね───悪かったわね。起こしちゃって」
早急に立ち去ろうとした瞬間、メディスンは言った。
「ううん。来たよ。ウドンゲなら。
ここから更に南東にある、白い花の花畑に居るかもー」
私は彼女の言葉に振り返る。
「──白い花?」
「うん。ウドンゲに聞かれたの。
ドライフラワーを見せられて、これと同じ花を知らないかって?」
「───それで?」
「私答えたの。知ってるよって。
この先の花畑に同じ花が、いーっぱい咲いてる所があるよって」
「!! 判った。ありがとう!!」
私は返事も聞かずに颯爽と飛び立った。
まだ生きているという事実に私は安堵し、一縷の希望が胸に咲いた。
同時に──不安も一気に膨れあがった。『何故、こうも一致するのだろう』と。
レイセンもこんな真冬の月夜に、
白い花が咲き乱れる花畑の中心で
メディスンと同じ様に花に包まれて、
眠る様にして………死んでいたのだから。
~ § ~ § ~ § ~
逃亡生活を始めてから一ヶ月ほど経ったある晩のこと。
人里から大分離れている庵、それが私達のその日の宿。
放置されていたせいか方々に穴が開き、今にも崩れ落ちそうだった。
壁穴から差し込む月明かりは寝息を立てるカグヤの頬を蒼く照らす。
彼女の頬は完璧なカーブを描き、まるで神が描いた様な曲面を形作る。
柔らかそうな頬を、指でなぞりたいなどという誘惑に駆られるも、流石に止めた。
カグヤの状態を考えれば、一秒でも多く熟睡させてあげたかった。
彼女の疲労は目に見えて蓄積されていく。
無理もないことだ。彼女は元々月の王侯貴族。
自ら望んだとはいえ、こんな放浪生活に馴染めるはずがない。
気丈に振る舞うものの、遠くない未来に限界が訪れることは間違いない。
限界が近いのは私も同じだった。
この頃の私は絶望的な寝不足に陥っていた。
もちろん眠ろうと努力はしている。
けれど目を閉じれば必ず瞼に浮かぶ兵士達の苦悶の表情。
まるで闇の中から手を伸ばし、私を引き摺り込もうと狙い澄ましているように。
確かに彼らに私がした事を考えれば、仕方のない事かも知れない。
今考えても、あれは不可避の必要悪だったと私は思う。
けれど、私が彼らを殺めたのは、紛う事なき真実。
その罪を償うことが叶わぬ今、
私の不眠を根本から解決する術は、この世に存在しないのかもしれない。
それはレイセンにも言えること
私に怯え、必死に逃げ惑い、私が傷つけてしまったレイセン。
彼女が心から私を師と呼ぶことは、もう無いだろう。
(…………?)
彼女の寝袋に目を遣ると、レイセンは膝を抱えて座り、
ポッカリと空いた壁穴から夜空の月を眺めていた。
「──どうしたの?」
私の声に振り返り私の姿を眺めるレイセン。
彼女の瞳に敬意の眼差しは見えず、代わりに怯えるような光だけが宿っていた。
「また……眠れないんですか?」
私を気遣う言葉を掛けてくるレイセン。
けれど彼女の言葉は、やはり何処か余所余所しい。
あれ以来、レイセンは私に対し一線を引いた態度をとり続けていた。
無理も無い。
たとえ緊急事態だったとはいえ、
彼女に消えぬ傷を負わせてしまったのだから。
「そうね───どうしても『あの夜』から熟睡することができなくてね」
「……そうですか……」
「貴女も、眠れないの?」
「はい……」
再び月を見上げるレイセン。
彼女は遙か遠方の月を一心不乱に魅入ってしまう。
辺りは静寂に包まれて、彼女との会話は其処で途切れてしまった。
(……そんなことが言いたいんじゃ無いのに……)
私は自分自身を叱責していた。
何故ならこの時まで(そしてこの後も)、
私はレイセンに一言も謝罪していなかった。
私達の問題に彼女を巻き込んでしまったことを、
突然の蛮行で彼女を怖がらせてしまったことを、
そして不用意な暴力で彼女を傷つけてしまったことを。
私が躊躇している間も、周囲には気まずい沈黙が立ちこめていた。
「たまに……」レイセンは唐突に言葉を続ける。
「月に居た頃の夢を見るんです。月に置いてきた友達の夢を」
「───夢?」
「彼女、どうしてるかなぁ……」
思い切って聞けなかった事を口に出す。
「ねぇ、レイセン───」
「はい?」
「貴女、月に帰りたい?」
「……どうしたんですか、急に?」
「だって、追われてるのはカグヤと私だけ。
もし貴女が望むなら───貴女だけ月に帰ることもできる。そうでしょう?」
私は心の何処かで期待していた。
地上に残ります、彼女がそう言ってくれることを。
「………帰りたい、ですね」
彼女の返答に愕然とした。反面、もちろん納得もしていた。
こんな苦境で私と一緒に居るメリットはない。
私に不審を抱いてしまった以上、一緒に行動する必要など無いはずだった。
「………でも、もちろん師匠と姫様と一緒に、ですけどね?」
続けられた言葉に途端に拍子抜ける。
「───もう、びっくりさせないでよ」
「あはは、すいません………」
真っ赤な瞳をキラキラさせながら久々に見せてくれた眩しい笑顔。
「……心配しないでください。
私は師匠に効く薬が作れるまで、ずっと一緒にいますから………」
けれど、それが彼女とした最後の会話。
その直後、私が寝入ってから、レイセンは私達の元を抜け出した。
──────
翌朝、彼女が居ないことに気が付いた私は、
必死に彼女を捜索し、幾つもの華が咲き乱れる群生地で、
花に包まれて眠るように死んでいるレイセンを見つけた。
死因は虚血性心疾患。いわゆる狭心症。
彼女の右手に握られたグシャグシャの花が彼女の最期の苦しみを物語っていた。
何が直接の原因だったのかは判らない。
地上という慣れない環境。カグヤの一件という過度のストレス。
過酷な逃亡生活。加えて、私が打ち込んでしまった弾丸によるダメージ。
もちろん全てが重なり合い、この悲劇をもたらしたのかもしれない。
けれど私は、レイセンの『帰りたい』という台詞を忘れる事ができなかった。
彼女をそこまで追い詰めてしまったこと、それに気が付かなかった自分を呪った。
そして───同時に兵士達の恨めしげな表情が脳裏を離れなかった。
手を伸ばしても私を絡め取ることができないと業を煮やした彼らが、
代わりにレイセンを呼び寄せて、闇の中へ引き摺り込んでしまった。
そんな思いを振り払うことができなかった。
いや、心の何処かで理解していたのかもしれない。
『レイセンの死』それは間違いなく、私への『罰』なのだ、ということを。
~ § ~ § ~ § ~
メディスンの言っていた場所に、その花畑は存在した。
こんな真冬だというのに、
真っ白な花を雪の様に一面に咲かせていた。
その中に歩く一人の姿。飛び出たヘニョリ耳。
遠くからでも間違えようのない姿。
間違いない。ウドンゲだ。
(……よかった。無事だった)
全て私の思い過ごしだと判り胸を撫で下ろす。
レイセンが命を落としたのは、過酷な環境で心臓を患っていながら
こんな寒空に飛び出していったから。
勿論、ウドンゲには健康面での不安は全くない。
だから、ウドンゲに『不幸』は訪れない。
判りきっていたことなのに急に安心してしまった。
安堵感からか、私の中にちょっとした悪戯心が沸き上がる。
後ろから近付いて驚かせてやろう、そして一際大きな悲鳴を上げさせてやろうと。
これだけ心配させたのだからお相子、そんな風に考えていた。
けれど、私の安堵感は一気に凍り付いた。
(なに……あれ!?)
ウドンゲの歩き方が何処か不自然だ。
フラフラと足下が覚束ない様にすら見える。
途端、心臓が早鐘を打つ。
瞬時に私の身体に加速度を乗せる。
可能な限りの速力をもってウドンゲとの距離を詰めていく。
思ったよりも距離が縮まらない。
寝不足の疲労が今になって堪える。
重い身体を引きずる様にして空を駆ける。
(お願い! 間に合って!!)
持ちうる能力を出し切り、可能な限りの速度で疾る。
長髪がバサバサと音を立て翻るも、そんなことに構っていられない。
もう何もかも投げ捨てるように形振り構わずに突っ込んでいった。
けれど、私の目に飛び込んできたのは、
ウドンゲが両手を広げて、ゆっくりと花畑に倒れ込んでいく姿だった。
──────
ウドンゲは白い花を手に掴み、安らかな顔で、
ゆっくりと微笑む様に横たわっていた。
(……そんな……間に合わなかったの?)
肩を落としてがっくりと項垂れる。
(ウドンゲ───どうして?)
こんな時だというのに、
私は『あの夜』の事をずっと考えていた。私自身を責めていた。
一度犯してしまった罪は二度と購えないのだろうかと。
私の行いは決して許されず、繰り返し私を罰するのだろうかと。
そう。やはり、これは私への『罰』なのだ。
カグヤの為とはいえ、蓬莱の薬を造ってしまった私への。
身を守る為とはいえ、兵士達を殺めてしまった私への。
結果的にレイセンを追い詰め、死の要因を作り出してしまった私への。
そして、心の何処かで理解していた。
私が生きている間は決して許されぬ『罪』なのだと。
この悲劇は、繰り返し続く『罰』なのだと。
今、この瞬間も彼らは闇の向こうから私を伺い、
私に近しい者を一人残らず引きずり込もうとしているのだと。
もしかすると、レイセンも彼らと共に私を恨んでいるのかも知れない。
そして、この悲劇はいつか私の周りから誰一人居なくなるまで続くのかも知れない。
『あの悪夢』のように。そして、今夜もウドンゲが居なくなってしまった様に。
(ごめんね……ウドンゲ、貴女まで、巻き込んでしまって……)
私はウドンゲの頬に手を触れた。
「ひゃっ!!」
手の冷たさに飛び起きるウドンゲ。
「え?」
私は事態が飲み込めず、ただ呆然としていた。
「びっくりしたぁ……って、師匠? どうしたんですか、こんなところへ?」
耳を動かして私を不思議そうに見つめるウドンゲ。
何一つ異常はなく、死相など微塵も感じられぬ表情をしていた。
──────
見渡す限り一面に咲いた白い花。
その中にあって互いに向かい合う私とウドンゲ。
私はウドンゲに詰問する。
どうして、こんな寒空に一人飛び出したのかを。
こんな花畑で一人横になっていたのかを。
「……すいません。花の香りが心地よくて、つい……」
ウドンゲの頓珍漢な答えに辟易する。
が、そんなことは今はどうでも良かった。
何故、こんな処へ、こんな真夜中に訪れたのか、それを問いただす。
「……えっとですね、この花を取りに来たんです……」
ウドンゲが手に持っているのは
レイセンが短い人生の最期に握りしめていたのと同じ『白い花』
その花を抱えたまま、ウドンゲは私に返答する。
「……この花、ご存じでしょう? 『カモミール』です……」
ウドンゲが差し出したのは、白と黄が目立つ何の面白みも無い薬草。
咲いている時期さえ別にすれば、何の変哲も無い普通の草花だ。
「……このハーブはですね。『不眠』に効くらしいんですよ……」
この時点で彼女の意図は判ってしまった。
ウドンゲが何を考えてこの寒空に飛び出したのかということを。
「……この花を使えば、師匠の不眠を直せるかも知れないじゃないですか……」
私の身体には一切の薬が効かない。それはウドンゲとて既知の事実のはず。
容赦なく彼女を詰問し、謝罪の言葉を待った。
「……ええ、内服薬は如何なる薬品も効かないってことは私も知っています……」
予想と違った。
いつもなら、ここで平謝りというのが定石なのに
今夜のウドンゲは謝るどころか一歩も引き下がらなかった。
「……でも、師匠はお酒を飲むと随分上機嫌になるでしょう?
それで考えたんです。
味とか匂いとか、つまり向精神的な薬効なら期待できるんじゃないかって……」
けれどウドンゲの反抗も此処まで。
そんな事、私が気付かない訳がない。効き目が無いことだって知っている。
何故、精神的に不安定になるのか、原因だって判っている。
だからこそ、私の不眠を直す薬がこの世に存在しない事を誰よりも知っていた。
兵士達を殺めてしまった事実を消し去り、
レイセンを死なせてしまった過去を取り戻すなど絶対に叶わぬ事だと。
過去の罪を清算する薬など、誰であっても作ることはできないのだから。
それが薬作りの天才であるこの私、『八意永琳』であってすらも。
それでも、ウドンゲは私に力説してくる。
彼女の姿は、何故か私の遠い記憶を呼び覚まし始めた。
「……だから、これでハーブティーを作れば、
効果が有るんじゃないかと思ったんですよ。
どうですか? 良いアイデアだと思うんだけど……」
必死に私に訴えかけるウドンゲの姿は何処かレイセンの姿に重なっていった。
まるで私だけが『あの夜』に引き戻された気がする。
レイセンが私に何を訴えたかったのか、それを今、彼女が代弁するかのように。
「……だって、師匠が眠れずに苦しんでいるのを見て、
居てもたっても居られなくなってしまったんです……」
たったそれだけの為にこの寒空に出てきたって言うの?
私の中に沸き上がった仮説は最早疑いようのない事実と化していた。
レイセン、もしかして貴方もウドンゲと同じ事を考えていたの?
「……ほら、とっても良い香りですよ……」
華の香りを吸い込む姿は、夢か現実か見分けが付かない。
目の前にいるのは、ウドンゲであり──レイセンだった。
凍る月の晩に、廻る闇を超えて二羽の月兎が一つの存在へ重なり合う。
レイセンも私に恐怖ではなく、負い目を感じていたというの?
私を人殺しと呼んだことに、罪悪感を感じていたというの?
私が手を差し出さずにいたから、貴女は行動で示そうとしたって言うの?
巡る思いが脳裏を駆け抜け、混乱の坩堝にいる私に対し、
ウドンゲは手にした白い華を差し出した。
「これで、私を許してくれますか?」
私の時間が巻戻る。
「え、ちょっと、師匠、どうしたんです?」
しっかりとウドンゲを抱きしめる。
戻ってきてくれたウドンゲが二度と居なくなって仕舞わない様に。
ウドンゲを通してレイセンの魂に応えるために。
今となっては確かめる術はない。
けれど、きっと彼女も同じ事を考えて、
夜空へと飛び出した。そうに違いない。
それに……
「し、師匠、師匠ってばどうしたんです? 一体……」
じたばたと暴れるウドンゲをギュッとギュッと抱きしめる。
「い、痛いですって師匠ってば………………、師匠?」
絶対、絶対放してあげるもんか。
泣いてる顔なんて見せたら、師匠としての威厳がなくなっちゃうんだから。
「もう……おかしな師匠ですね。でも、安心してください」
でも今だけは、このままでいさせて欲しい。
ウドンゲ、貴女が起こしてくれた奇跡を。
「……何だか良く判らないですけど、大丈夫ですから。
心配しないでください。私はずっと一緒にいますから………」
そして、ずっと長い間私の中で待っていてくれた、
レイセンに対して言ってあげたかった。
『ごめんね』、そして『ありがとう』って。
──────
やや薄まりつつある夜の闇を抜け、ウドンゲと二人、永遠亭へと帰路を急ぐ。
「ウドンゲ、お願いがあるんだけど」
「何ですか? 師匠」
「帰ったら、一緒に寝ましょう」
「いいですよ……って!? なにを言ってるんですかっ」
「姫様が言ってたのよ」
「?」
「昔からイナバを抱いて寝ると、悪夢を見ないでぐっすり眠れるって」
「え、でもぉ……」
「つべこべ言わない。師匠の言うことは聞くものよ。
それともなにかしら、
ウドンゲは私がこのままずっと眠れなくてもいいっていうのね?」
「ち、違いますよ、師匠ぉ」
「じゃ、帰ったら、五分以内に私の部屋へ来ること。
もちろん布団をもって。判ったわね?」
「……はい。師匠」
殆ど夜明け近くに帰った私達。二人で寝たといっても特別な何かをしたわけじゃない。
疲労感の為すがままに、並べて敷いた布団に二人して横になっただけ。
ただウドンゲと私が、手をしっかり繋ぎ合っていた以外は。
ウドンゲの寝顔は、何だかとっても無垢で可愛らしかった。
彼女のポカポカとした温もりが掌を通して伝わり、
そのせいか私の身体も温かくなり、何だかとっても心地よかった。
まどろむ意識の中で、
私は彼女を初めて『ウドンゲ』と呼んだ時のことを思い出していた。
『優雲華』それは三千年に一度花を付け、
見た人間に幸運をもたらすと言われる奇跡の華。
世間では評判の悪いこの渾名。
でも彼女にその名を与えた私のセンスは満更でもないはずだ。
その証拠に、この夜以降、私が『あの悪夢』を見ることは無いのだから。
《~~終~~》
重なるレイセンの気持ちと永琳の心情と、偶然とも因果ともとれるこの奇跡から二人の強い絆が感じられました。
良いお話をありがとうございます。
挙げるならルーミアとの弾幕ごっことレイセンの死に方。
永琳ならルーミアくらい力で捻じ伏せてしまいそうですし、
「眠るように~」という言葉からは安らかに死んだという印象を受けました。
性分なのか…重箱の隅をつつくような意見ばかりですみません。
レイセンの言う『友達』が鈴仙だったらいいなぁ…とか思ったり。