「あー、寒い…」
節分を過ぎ、春の彩りがほのかに感じられるようになった晩冬のある日、僕は無縁塚に出掛けることにした。確かに真冬のころと比べれば暖かくはなったが、相変わらずまだ寒い。無縁塚くんだりまで出歩きたくは無かったのだが、少し足りなくなったものがあったので、仕方なく出掛けることにした。できるだけストックは多い方がいいだろう。何があるか分からない。これがこの幻想郷というところである。
風が吹き、雨が舞う。雨は常緑樹に積もり、やがて羽音ともに地に堕つる。地に堕ちた雨は地熱によって水粒となり、地に帰る。ある水は川を駆け、海に至る。またある水は地の中に帰り、地殻を構成する水となる。どちらにしろ、やがて春となれば空へ馳せることとなる。
そう舞う雨を見て思った。まさしく輪廻だ。終わることの無いサイクル。無限ループ。
何時だって世界は廻る。止まる、その時まで。
行きがけに魔理沙と会った。
「珍しいな、香霖が外に出るなんて。今日は霰が降るな」
失礼な。引きこもりが外に出るくらいで流石に霰は降るまい。せいぜい雨だ。というか魔理沙は僕が外出するたびに同じようなセリフを言っている気がする。からかわれているようだ。やむをえないので苦し紛れの言い訳をしておいた。
「なぁに、僕と君とでは行動の場所の比率が正反対なだけさ。魔理沙だってたまには家にこもるだろう?」
「私は香霖が外に出るより家にこもっていると思うがなぁ」
「1割か2割かの違いだ。大差ない」
我ながら苦し紛れすぎる。もっといい言い訳を常日頃から考えておかなければならないか。
魔理沙は「ふーん」と分かったんだか興味が無いんだかわからない様子で箒に跨って空へ飛んでいった。行った方向からしておそらく博麗神社だろう。この時間は何時もあそこにいるらしい。霊夢がいるからな。あの2人は仲が良いんだか悪いんだかよく分からないが、多分あれが腐れ縁というやつなんだろう。どちらかが切ろうともしても切れることはあるまい。まぁ、そんなことをするはずもないが。
風は山を突っ切り、谷に渓流のような風景をもたらす。
光は雲間から梯子のように差す。水を導くかのように。
時とともに変わりゆく風景。今だけはそのままであって欲しいものだ。
雲の切れ間の向こうに、逆さの虹が見えたような気がした。
さてと。そうこう考えているうちに無縁塚に着いていた。
ここは彼岸花が咲いていないと非常に殺風景だ。死が内包されていないと不自然に思える場所などここしかあるまい。つまりは、墓場である。ゆりかごから続く道の最終地点。道は無限にあるが最初と最後は誰でも基本的には同じである。産声とともに祝福されようが、肥溜めに産み落とされようが、万人に見守られて眠りにつこうが、道の片隅で見向きもされずこの世を去ろうが、生と死の本質は変わらない。始まりと終わりの螺旋は終わらない。
同様に創と破も。だから僕はこの瓦礫に手をつける。本質が同じなのだから、意味を見出せると思うのだ。
瓦礫を漁っていると、「よっ」と通りがかりの死神が声をかけてきた。赤髪に青の着物。鎌は持っているがよれよれだ。それでいいのかと以前聞いたら「直接斬るわけじゃないからかまわない」と言っていた。
いわゆる、概念武装というやつだと思う。鎌を持っているから、魂を刈り取れる…。もともと鎌は農耕道具だ。言うなら、死神というやつは人生の収穫人なのだろう。死は人生の終焉ではなく、完成だとどこかの本で見たことがある。まさにそうだと思う。そして、それを見とどけるのが、この死神というやつなのだろう。
「お前さん、久しぶりだね。前にみたのは前の彼岸のころだったから、5、6ヶ月ぶりくらいか?」
「まぁ、それくらいかな。でも前より霊はいないな。去年の春頃は腐るほどいたのに。精を出すようになったのかい?」
「いや、いつもから精は出してるつもりだけど」
「当人は出してるつもりでもね、他人には思えないのさ。で、実際は?」
「夏休みと冬休み返上さ。連休もなし」
「あのねぇ、モラトリアムはとっくに終わっているだろう?」
「それでも盆と正月くらいは休み欲しい。そっちこそどうなのさ、境界人」
「まぁ、否定はしないけどね。こっちは気ままにやってるさ、毎日毎日五月蝿いのが来るけど」
「あいつらと毎日かい…。よく生活おくれてるね、お前さん」
「物は考えよう、というやつさ」
そうやって他愛ない会話を死神とする。まぁ瓦礫を漁りながらだけど。
「しかし飽きないね。何を探しているんだい?」
日が6度ほど傾いて思い出したように死神が聞いてきた。この人?は呆けている所が多い。これくらいのん気でないと長い航路になることが多いであろう三途の渡しなど勤まらないのだろう。上司にしてみれば困って仕方ない所だろうが。着物に傷跡が多いのはその叱責の表れかもしれない。
「のり」
「のり?そんなもの町で買えるだろう」
「いや、そっちの紙を張るのりじゃなくて」
「ん?それじゃ食べる方か?それっぽいものなら町で買えると思うが」
「いやいや。洗濯のりさ」
ちょうど見つけたので、手を止めて瓦礫の山を離れる。これは袋のタイプだな。水に溶かして使うタイプ。瓶のタイプがよかったのだが余り見かけることは無い。こちらに来るまでに割れてしまうからだろう。
「洗濯のり?なんだそりゃ」
「これを衣類の仕上げに使用すると繊維がゴワゴワせず、形よくしなやかに仕上がるんだよ。店では衣服も扱うからね。商品の見た目がいいのは大事だからね」
主婦の豆知識みたいなものだ。洗濯以外にも案外用途が多くて重宝する。上級者御用達の一品だ。
「ほー。商売人みたいな言い方するんだな」
「いや、だから商売人だって…」
「お前さんの場合、どっちかっていうと趣味人だろう?それの延長で商売やってるって感じがする。本人はやっているつもりでもね、他人にはそう思えないのさ」
「よく言われるけどね、商売をする気は満々さ。ただ、客が余り来ないというだけで」
客でないのは頻繁に来るが、客が来るのは1クールに1回あるかどうかくらいなものである。
「お前さんも巫女と同じだな。いくらする気が満々でもそれが他に伝わらなけりゃ意味があるまい?他に伝わる努力をすることが大事だろう。引きこもりの家に人がわんさか来るとでも思ってるのか?」
「人は来ているんだけどね…、誰も買っていこうとしないんだよ。どちらかというと強奪するって感じで」
霊夢なんかはまさにそうだ。魔理沙も基本的にはそうだ。だがたまに僕がゴミ出しと称して不当な値段で廃品回収しているので強くは言えないのが残念だが。咲夜でも何をやっているかは分からない。ああいう輩は気が置けないからな。
「お前さんも苦労してるんだねぇ…。ん?今日はそれだけで帰るのかい?いつもは荷台に溢れんばかりに積んで行くのに。というか今日は荷台も無いな」
死神は周りを見て言った。確かに見える範囲に荷台は無い。というか持って来ていない。
「ああ、今日は足りないものがあったから来た、くらいなものだからね。まぁめぼしいものをちょっと探してからかえるつもりだけど」
この時期にわざわざ来る者はそうはいない。商売人としてはどうかと思うけど、実際そうなのだから仕方ない。やる気うんぬんとは別問題だ。
「ふんふん。それじゃ、あたいも仕事に戻ろうかね。いいかげんにしないと上司が」
次の瞬間。僕から見て右斜め45度8分から勺が死神に飛来した。そして彼女の左後頭部に
ストライク。
「きゃん!」
至極似合わないと思うのだが、いかがだろうか?
「まったくいつもいつも。人の振り見てわが身を治しなさい。いくら霊の数が少なくなったといってもそんな様子ではまた溢りかえってしまうわよ?」
倒れた死神の後ろにはいつのまにか勺を持った少女が立っていた。死神より2回りは小さいが、威圧感は数倍だ。緑髪の頭にやたら重そうな帽子をかぶり、モコモコとしたコートを着ている。寒冷地で職務にあたっている鉄道員みたいな格好だが、そこまでここは寒くない。おそらく冷え性なのだろう。その割に足にはたいした防寒具はつけていない。これがたまに聞く「アイデンティティ」とか言うものなのだろうか。
「そして、そこの貴方。ちょくちょくここの瓦礫を漁っているようですが、貴方は」
「すまない、説教は後にして、そこの死神の頭から勺を抜いてやってくれないか?さっきから血がどくどくと出ているんだが」
僕が指をさした先には先程勺を刺された死神がうつ伏せで倒れていた。周りが流れた血で染められているためいるのと、赤髪のため、頭と地面の境目がついていない。
それにようやく気付いた少女は慌ててそばに駆け寄る。この子ものん気なのだろうか。
「こここここここここここここここここ小町!?一体誰が!?」
君だ君。
その後、死神は僕がたまたま持ち合わせていた包帯でぐるぐる巻きにされて寝かされた。顔が見えないくらいにされているため、かなり苦しそうだが、巻いた当人が気付いていないので放置である。まぁ死にはしないだろう。死神だし。
「コホン。それではあらためて。いつもいつも塚に現れては私に無断で物を持っていっているようですが、今日という今日は年貢の納め時ですよ」
「うん?別に持っていってはならないなんてことは聞いたことは無いんだが」
「5ヶ月前も言いました。8ヶ月前も言いました。さらに言うとこれで7回目です」
「閻魔も意外と神経質なようだね。これくらい大目に見ないと審判なんてやってられまい?もっと余裕を持つことが大事だと思うけどね」
「あなたも小町と同じようなことを言うのですね。いいでしょう、今日ここで、決着をつけましょう。6度も逃げられたのです、もう逃がしはしません」
「ふぅ、君、山が目の前にあったら突撃していくタイプだろう?まぁ、閻魔という種族上、仕方の無いことかもしれないが」
「なんですか、私に言いがかりをつけるのですか?あなたは少し…」
(ああ、あの2人が言い争ってると堂々とサボれるねぇ…)
彼女が後に説教を3時間食らわせられるのは別の話。
「というかなんでここの瓦礫を漁ってはいけないんだい?」
「私が使うからです」
しれっとすごいこと言うね、この閻魔は。
「というか問題はそこではありません。在庫整理とかこつけて毎回毎回逃げられていましたがあなたには言いたいことがあったのです」
「ほう。言いたいこととは?ああ、ツケなら勘弁だよ。君も知っているだろう2人の分で精一杯だからね」
あの二人のツケだけで店の全ての商品価値を足しても足りないくらいだ。
「そんなことではありません。あなたは少し、繋がりを持たな過ぎる。三途の渡し賃はその者が生前出会い、別れた者にどれほどの影響を与えたか、にもよるのです。そのままではあなたは私の審判を受けることも無く、三途の藻屑となるでしょう。三途の藻屑となったものは輪廻を外れ、六道、いずれからも切り離される。そもそも、あなたは仮にも商人の端くれのなのに出会いを求めないのです。自ら競って人と関わろうとしない。それどころか人との出会いを望んでいないようにも見える。繋がりを求めぬものはやがて世界から取り残される。そして己の世界に閉じこもるのです、この幻想郷のように。それでもよいのですか?」
雲間から差していた太陽が再び隠された。
「世界から取り残されるね。それも悪くない。それならば世界を大衆とは違った目で見ることができる。それならば通常とは違う境地に辿り着けるかもしれない。それならば現在過去未来を越えられるかもしれない。それの何がいけないというんだい?」
「なぜ、そこで別離を返すのですか。本来ならば回帰を求めるものです。人に限らず、生きとし生けるものは集うものです。出会いを求めるものです。巫女のような例外はいれど、本来はそう思うものです。あなたは巫女のような例外ではないはずです。それなのに何故あなたは求めない?それなのに何故あなたは離れようと思う?」
一筋の雨が目前を過ぎていった。
「……、幻想というものは人の目に届かぬところにあるものだ。この幻想郷がそうであるように。なら、僕も幻想なのだろう」
「…どういう意味ですか?」
弱い風が過ぎていった。雲が僅かに動いた。
「風はただ吹き、雨はただ降る。雪が降る日もあれば、日が全てを焼くように照らす日もある。鳥が重力の籠から解き放たれてからどれくらいになるだろう。魚が水との鎖を手に入れてからどれくらいになるだろう。いつあの蒼い空の向こうへのつるを見つけられるのだろう。いつ心の行き先の道標を探し当てられるのだろう。旅路は限りない。過去への想像は尽きないし、現在への疑問もある。未来への思案も魅力があるさ。でも、すべてそれらはあくまで思考に過ぎない。せいぜい道が東南東から東北東に変わるくらいなものさ」
「それならあなたは思考の不可思議歩先を行き、無限の未来を創造し、無に等しい過去を展開し、時間と空間を超越し、混沌の渦にでも辿り着くつもりですか?そうならばそれこそ私はあなたを世界に鎖で繋がなくてはならない」
風が強く吹いた。雲が去っていった。
「そんな大それたものじゃあないさ。それに混沌の渦などに用は無いよ、あんなものは妄想の固まりさ。知ってるかい?光に焦がれるものはその光に焦がされることになるんだよ。太陽に近づき過ぎた英雄が蝋で出来た翼を溶かされたように。天を目指した愚者たちの塔が天によって崩されたように。己から求めれば遠ざけられてしまうなら、待つしかあるまい」
風が抜けて行った。気持ちのいい風だった。
「何を、ですか」
斜陽が照りつける。明日は快晴だろう。
「雨が振り返ることを。
そしてその先にある虹を」
太陽が一日の散歩を終え、地に帰ろうとしようとするようなころ、僕は家に戻った。
「おや、魔理沙に霊夢か。来ていたのか」
「来てたぜ」
「今日はめずらしくお出かけだったのね、どこに行ってたの?」
「ちょっと説教を聞きに無縁塚まで、というのは嘘だが」
「無縁塚ねぇ…。よくいつもいつもあんな所まで行こうと思うわね」
「他にも探すような所はあるんだろ?」
「別にこだわっているわけじゃないが…、まぁ色々あるのさ、道の果てにはね」
脇からどさっと洗濯のりの袋を下ろす。けっこう重い。
「それを探しにあんなところまで行ってたのか?よく行こうと思うな。私じゃ無理そうだぜ」
「暇を持て余すよりはマシさ。しかし、本を読むよりも世界を見たほうがいいかもしれないな。たまには散歩もいいかもしれない」
2人が恐ろしいものを見たような目でこっちを見てきた。
「香霖が散歩ねぇ…。想像もつかないな」
「今晩はグングニルが降るかしら」
「いや、きっと楼観剣と白楼剣だぜ」
「もしかしたら蓬莱の玉の枝かもしれないわね」
「勺の時雨という可能性もあるな」
「芭蕉扇の突風という手も」
「手とはなんだ、手とは。せっかく人がノックされた扉に手をかけようかとしているところに」
「いや香霖、人には先入観というものがあってな、それに対して全く異なることがおきると混乱してしまうんだよ」
「…何気に魔理沙、フォローしてるようで追撃してない?」
「いや、だってなぁ?」
「それならば仕方ない、いつか君が持ってきたこの刀、ちょっと試し切りを」
「おっと用事を思い出した、じゃあな香霖、たぶんまた来るかもしれないぜー」
そう言うと魔理沙は屋根を突き破って空に駆け出していった。
…、冗談くらい見抜いて欲しいものだ。ふと横を見れば霊夢もいなくなっていた。逃げ足の速い2人である。
「まったく、手間のかかる繋がりだ」
雨が振り返るかは、僕には分からない。
それは、雲と風だけが知っている。
だから、我は動かず、論せず、ただここに在る。
幻想郷には海がないので海苔はなくて海苔みたいな何かがあるってZUN氏が言ってた。
短い言葉で鮮やかな情景が浮かびました。ため息が出た。凄いと思います。
映姫と香霖の掛け合いの少し大げさめいたところは本人たちの言葉遊びなのでしょうが、少し物語の流れから浮いて感じたため最後のきれいな締めにすぐにつながりませんでした。
偉そうなこと語ってごめんなさい、僕の読解力が無いだけかもしれない。
でも、こういう文体というか物語に対する姿勢すごく好きです。
とても素敵な時間をありがとうございます。