「恋する女の最高の幸福は、恋する男性によって、彼自身の一部と認められることである」
シモーヌ・ド・ボーヴォワール
私は自然と目が覚めた。
正確な時刻こそわからないが、自分の体内時計はおやつを食べる時間であるとわかっていた。
それは私がいつも起床する時間で、私の1日が始まる時間でもあった。
眠い目をこすり、私は隣を見た。
そこには私の想い人が、すやすやと寝息を立てていた。
ただそれを見るだけで、心の全てが満たされ、何か満足したような気分になる。
私は外見による人間観察などしないが、彼の場合はまじまじと見つめてしまうのだ。
彼―――森近霖之助という名前の男性は、私の好きな人であり、それ以上の存在である。
私が彼に恋して、そして今では互いを愛し合う仲となっている。
多分でも恐らくでもなく、確実に今の私にとっては掛け替えの無い人。
今の私がこうやって嬉々と人生を歩んでいられるのも、彼がいるからかもしれない。
それはかなり変な言い方だけれども。
若干灰色がかった銀髪に、身長は6尺(約180cm)に届くか届かないくらいの長身。
年齢は、ぱっと見では20代の前半だが、実年齢は何歳だかわからない。
彼は霊夢や魔理沙よりもかなり長く生きているって言ってたけど。
でも、人間の20代と比べると、その顔立ちはかなり落ち着いたような雰囲気を自然と醸し出している。
まあ、今は布団の中で眠っているし、白と青のストライプ模様の寝間着を着込んでいるけどね。
「―――紫?」
突然目覚めた彼は、私の存在を確認するかのように言った。
ふふふ。大丈夫よ霖之助。私は突然いなくなったりなんてしないわ。
「おはよう、霖之助。今日も良い天気よ。絶好の散歩日和だから、早く支度して出かけましょう」
私は彼に尋ねるように言った。
現在は卯月。長い冬眠から目覚めた私にとって、春は思いっきり活動できる時期であった。
幻想郷の気候は、元が日本の東北地方であったためか春になっても肌寒い。
しかし、雪はとうの前に解けているので、視覚的には暖かいというのを感じさせてくれる。
それでも、私達に感じるのは物理的寒さであるために、まだまだ寒い時が続くのはわかっている。
例えば、現在も確かに少し寒かったりする。
世間一般は、春といえば間違いなく新しい季節だと思うだろう。
しかし、ここ幻想郷は違う。
基本的に、冬か、冬でないかの季節しか持たないこの世界は、卯月は『冬でない』という事であった。
つまり少々寒いのだが、私はそんなに寒さを感じていなかった。
そうであれば、自然に目覚める事なんてできない。
私は寒いのが極端に苦手で、寒ければ自分で起きる事ができないのだ。
でも私は自分で起きた。これは暖かいからだ。…理由は、多分、横に彼がいるからだと思う。
「ん―――。ああ、おはよう紫。天気が良いのは君が言うのだから本当だろう。
散歩に行く約束も、確かに昨日した。
けどね、これはささやかなお願いなんだが、もう少しだけ寝かせてくれないかい?
できれば、後ほんの少しだけ―――」
「ダメよ。今日は今日しかないんだから」
「紫。…君が眠るまで頑張るから、今僕はこんな目に遭っていると自覚してくれ………」
霖之助は私に言った。正直それは正論なのだが、彼の今の状態から見れば、私は笑う事しかできなかった。
まるで全然疲れが取れていない様子で(本当に取れてないと思うけど)、彼は私にせめてもう少しだけの睡眠を懇願した。
そんな彼の一言が可愛くて、私は破顔一笑してしまった。
彼は非難めいた視線を向けてくるけれども、それはお互い様なのでその視線を逸らすことに専念した。
その代わり、私は満面の微笑みを向けてやった。何故だかわからないけど、霖之助はフッと笑ってくれた。
霖之助は相手に非があるとき、直接的に非難することはない。それは彼が自然と持つ優しさであろう。
そのため、かなりわかりにくく遠まわしになって言ってくる。先程の私への反論がそれだ。
でも、私はそんな言葉をくれる事が、本当に嬉しく感じられた。
霖之助は掛布団から這い出ると、身体を起こして何処かへ歩いていった。
多分顔を洗うためだと思うけど、私から逃れるためが真の理由であると私は思った。
これでいて、彼は意外と恥ずかしがり屋なのだ。それは彼を一番身近で感じ、一番彼の事を良く知っている私が保証する。
私は彼が遠くへ行っている時、ずっと外を見つめていた。
一度起きれば深夜まで眠くならない私は、余程の事が無い限り二度寝はしない。
故に何かを目に焼き付けていくしかなかった。目を瞑っているのは、何か嫌だった。
でも、彼が何かを考えて何処かへ行ってしまう度に、私は何度でも優しく、そして暖かい気持ちになれる。
この満足感は、かつての生活からすれば、恐らく生涯絶対に手に入らないと思っていた。
空っぽだった私の胸中は、とっくに埋め尽くされていた。
妖怪として生まれ、弱肉強食だった時代の幻想郷を生き抜かなければならなかった私にとってならば、なおさらだった。
生きていくためにありとあらゆる敵を殺戮せざるを得なかったという罪は消えないけれど、その罪を背負っても私は生きていけるはずだ。
私は強そうに見えて、弱い妖怪だった。
日常に怯え、孤独に恐怖し、大量殺戮劇を異とも思わなかった私は、自分が何者すらわからなくなる時があった。
だから、私は家族を必要としていた。それが無二の親友である幽々子であり、藍と橙であり、そして霖之助なのだ。
私は彼らに出会い、大切な家族を得た事で、この弱さを克服した。
死ぬ理由よりも生きる理由が見つかって、私は確実に満たされている事と、恵まれている事が実感出来るからだ。
今の私は、かつての私ではない。
私は霖之助と幽々子と藍と橙の側にいて、幸せを彼らと共に求めれば良いのだ。
誰もが羨むほど幸せになれなくても、それでも私は彼らと共に生きる事を選んだ。
しばらく私が布団の中でぼーっとしていると、着替えを終えた霖之助がやってきた。
私は立ち上がる。彼から見れば、「こいつはやっと着替え始めるな」とでも思っているだろう。
だけど、彼の考えている事と私の考えている事は違った。
「霖之助っ!」
「な…」
私は彼に抱きついた。
殆どシワだらけになったパジャマを着込んだ私の艶姿を見て動揺したのか、霖之助は耳まで真っ赤に染まっていた。
彼の首に手を回した両手が、さっきまで全くの無防備だった霖之助の体を包み込む。
彼は確かに動揺していたが、私の顔を見つめ返してくれた。
そんな真剣な表情をした霖之助を見るだけでも、私の胸は満たされていった。
「ね、霖之助。
貴方は私が今まで手に入らないと思っていたものを、こんなにも簡単にくれるわ。
でもね、私は時々不安になるの。
だから約束して。私は貴方の傍から決して離れないわ。その代わり、貴方は私だけを見て。
こんなにも幸せを私に与えてくれるなら、私はもう貴方の傍から離れる事なんて出来ないのだから」
私は霖之助に、私の想いを直截ぶつけた。
そう言うたびに、私の胸は満たされ、温かい気持ちは増すばかりだった。
霖之助はとても素直だった。彼は不器用だけど、想いだけは確実に十二分に与えてくれる。
「―――もちろんだよ、紫」
彼は左手を私の後頭部に回し、優しく撫でた。
私は、その触れた手から伝わる彼の熱い想いで、彼が何をしたいのかがわかった。
それは、いつも交わしてきた、ほんの些細な動作によって終わる誓いの儀式。
まるで夢を見ているみたいな気分に私はなりそうだった。
霖之助の手は、とても優しかった。
ちょっとの衝撃で壊れてしまいそうな物品を扱うように、自身の宝物を扱うように、大切に。
それだけでも、私は思わず泣きそうになるくらい嬉しかった。
確かに、私が失った物は数え切れないほどあったかもしれない。
それでも、私はその代償を全て満たす幸せを得た。
昨夜の出来事の中で、私は自分の幸せを確かめたくて、何度も何度も彼と体を寄せ合った。
寒くなった時でも、抱きしめ合った互いの身体だけが温もりを帯びていた。
そして約束されたかのように、互いの唇と身体を何度も重ね合わせた。
霖之助と私の距離が短くなる。
私はこんな事にでさえ、幸せを感じる。
どうでも良い事を話している時でも、一緒に御飯を食べている時でも。
けれど、私は貴方を嫌いにはなれない。
何故ならば、無毒のようで猛毒な幸せに、私は溺れてしまったからだ。
体の距離は零に近く、心の距離も既に零だった。
数え切れないほど交わした唇を、私はまた彼の唇と重ね―――――
ピンポーン♪
―――――これ以上の無いタイミングで邪魔者が入った。香霖堂のインターホンが鳴ったのである。
私と霖之助は、互いの唇を重ねる直前で硬直した。それと同時、かなり気まずい雰囲気になった。
「紫」
「ええ、わかってるわ」
私は二つ返事で言った。彼は訪問者を招き入れるために、インターホンの受話器の方へと向かった。
彼が何を言いたいのも、訪問者も私にはわかっていた。
香霖堂は古道具屋であるため、別にインターホンを使って内部に用件を告げる必要は無い。
店主である霖之助と話したければ、入口から普通に入れば良い。
ならば、よほどの特別の事情がある。それに、わざわざこんな丁寧な事をするのは、幻想郷の住人では
だが、それでも私は文句は無かった。むしろこれはチャンスだと思ったのだ。
私はとりあえずやらなければならない事があったので、まずはそれに取り掛かった。
洗顔して、着替えて、髪を梳かして、化粧して、―――ああ、結構大変ね、女って。
私の予測通り、訪問者は射命丸文だった。
それは私から見てもなかなか美しい女性であった。
黒髪のセミロングに、ぱっちりとした瞳は落ち着いている。
整った顔立ちは美しく、そのバランスはアリスが作る人形に近かった。
私は霖之助があれこれ取材を受けている間、唐突に文の前に現れてやった。
「あ、あれ………? え? …ゆ、紫さんですよね?」
「そうよ。私は八雲紫よ」
文は私の存在に驚いていた。無理もない話だ。
かつて動物虐待云々の取材に訪れ、弁舌と圧力によって負かされた相手。
その相手が香霖堂にいるのだから、差し詰め、二重の驚愕(ある意味恐怖に近いかもしれない)があったのだろう。
「今日は何の取材かしら?」
「え、ええと………。あのー、そのですね、香霖堂にまた新しい品物が入荷したとお聴きしたので……」
彼女は完全に顔面蒼白になっていた。いつものような冷静な自分を保とうとしたが、それは不可能だった。
メモを取ろうとする右手が震えまくっている。笑顔を装っているが、かなり恐怖していた。
私の横では霖之助が笑っていた。それが苦笑いである事はすぐにわかった。
「喜びなさい、文。今日は良い記事が書けるわ。さあ、私と霖之助のラブラブショットを撮影するのよ」
そう言うと、私は霖之助の腕を取って彼に抱きついた。霖之助は、多分ここから逃げ出したい気持ちになっているだろう。
私は彼が好きである。好きという感情は、好きを通り越して好きなのだ。
だから私は幻想郷中に見せ付けてやるのだ。
「あ……ああ。は、はい……」
文は恐る恐る万年筆のキャップを閉めて、内ポケットにしまった。
代わりにスリング・ベルト付きのケースから、一眼レフのカメラを取り出す。
てきぱきとフィルムを装填してレバーをぐりぐり回し、フラッシュユニットを装着し、三脚を取り付ける。
その手つきは流石は新聞記者と言った所だった。
「良いわよね、霖之助?」
「……君らしいやり方だね」
私は小声で霖之助に言った。彼はすぐに返事を返してくれた。
文は既に撮影態勢に入っていた。フィルムを回して、レンズをこちらに向ける。
私は最高の笑顔をレンズに向け、可愛い表情を作った。
「ええとですね……、森近さん、もう少しアゴ引いて頂けませんか?」
文とて発行部数がかかっている。面白い記事に、良い写真が合わさって完璧な新聞ができるのだ。
私は肘で霖之助の脇腹をつっついた。すぐに彼の顔は動いた。
「はい、OKです。それでは撮りますよ。はい、鳩が出ますよ!」
文が叫ぶと同時、シャッター音の小気味良い響きが聴こえ、フラッシュの眩い光が目に飛び込んだ。
間違い無い。私は史上最高の笑顔を彼女に提供した。
「ありがとうございました。明日の朝刊に使わせて頂きます」
「綺麗に撮れたわよね?」
「当然です」
自信満々の口調で、文は言った。
結局、取材は新たな入荷品ではなく、私と霖之助についてのインタビューそのものとなった。
それは香霖堂の記事より話題性に富んでいると私は思っている。
そう思うと、明日の『文々。新聞』が楽しみで仕方が無かった。
取材は半ば適当に答えていたかもしれない。それでも、文は満足したような顔をして香霖堂を去っていった。
―――――危なかった。気分は細い綱を全力疾走で駆け抜けたという感じだろうか。
文の背中を見送った時、霖之助も同じ様な表情を浮かべていた。
お預けを食らって若干停滞する不満と、危機を潜り抜けた安堵の表情だった。
鏡を見てはいないが、私も似たような顔をしているに違いなかった。
「大丈夫よ霖之助。続きは夜ね♪」
「………紫、君は僕をどのように思っているんだい?」
「―――そうね、
「……………」
赤面しつつ額を左手で抑えた彼は、納得しているような、していないような目付きで私を見た。
私は苦笑しながら彼の方を振り向く。
「まあ、だってねぇ、霖之助も健全な
優しくするなんて言って、…結局は激しくしちゃうし。
だから野獣。否定できる?」
私がそう言うと、彼は先程の状態のまま、ひたすら乾いた笑いを私に見せていた。
普段の凛々しさとは違い、その無防備で滑稽な彼の立ち振る舞いを見るだけでも、私はなんとなく嬉しかった。
「さ、さて、御飯がまだだったね。出来上がるまで待ってくれ」
彼はその場から逃げるための口実を作り、本当に逃げるように姿を消してしまった。
しかし、私は常に満腹でないと行動できない。それに、彼の作る料理は楽しみでもある。
ひとりで暮らしているだけあって、彼はなかなか上手だったりする。
私は実を言うと料理は得意な方だ。
今こそ家事は藍に委任しているが、かつてはひとりで生きてきたので、自炊をしなければならなかったのであった。
思い起こせば、藍の料理の腕は私が鍛えてあげたんだっけ。かなり懐かしい思い出だけど。
「で、今日は何処に行くんだい? できれば君に任せたいけど」
食後の紅茶を飲みながら、霖之助は唐突に切り出した。
私が彼と付き合い始めてから、散歩はすっかり日課となっていた。それはデートとも言えるけど。
この呆れるほど平和な幻想郷に暮らしている私達にとって、昼間の過ごし方は考えるだけでも難しかったりする。
「そうね、神社にでも行かない?」
「神社か………」
霖之助は何かを思うような口調で言った。久しく訪れていないからかもしれない。
普段は店番をしなければならない彼は、自分から何処かへ訪問する方が珍しかったのだ。
「たまには静かな花見もしたいしね」
この季節、白玉楼もそうであるが、博麗神社の桜は見事である。
長らく続く平和のせいか、春は花見、夏は納涼、秋は
私は冬眠のために年末大宴会(忘年会ともいう)は欠席するが、春夏秋の宴会は参加する。
皆でワイワイ酒を飲むのは確かに楽しい。けれども、今は彼と2人っきりで酒を酌み交わしたい気持ちがあった。
だから私は宴会が予定されていない今日を選んだのである。確か、予定では3日後の夜が宴会だったような。
今年も幹事は魔理沙なのかしら?
「いいわよね?」
「ああ、そこでいいよ」
どうやら彼にも私の意図は理解したらしかった。
幻想郷と、外の世界との境界線上には神社がある。
東北の寒村に建てられた小さな神社。それが博麗神社である。
今では幻想郷と外の世界とのボーダーラインという役割でしかないが、この神社は自然と妖怪が集まる場所だった。
彼と手を繋いで、神社の長い階段を登る。
階段の両側は見事な桜が咲き誇っており、その花弁の散り逝く様を見ているだけでも
昔の日本人は、この淡紅色の花を見るだけでしみじみと感じたという。かくいう私もそうだった。
殺伐とした時代に生まれた私は、桜が咲き誇るこの季節に、ひとつ思った事があった。
桜の花が淡紅色であるのは、桜の木の下に死体が埋まっているからだと。
これは大正・昭和初期の小説家、梶井基次郎が自身の著書で述べた事により有名になったが、私は彼より先にそう思った。
互いに争い合い、互いを滅ぼし合った人間と妖怪の戦国時代が、かつて幻想郷にあった。
当然、幻想郷の平野には、無数の亡骸が斃れていた。
戦死者は一方で葬られ、一方で野ざらしになり、鳥達が『掃除屋』として死肉を喰らっていった。
桜は、亡骸の血を吸い上げたために花の色素が淡紅色になる。
それはあくまで希望的観測かもしれないが、私は本気でそう思った事があった。
そして、人間と妖怪の人生を、散り逝く桜の花弁と重ねてしまうのだ。
ああ、何て哀しく、何て儚いものなのだろう………。
「紫、どうかしたのかい?」
「えっ? …別に何でもないけど――――、何で?」
「…いや、君がちょっと悲しそうな顔をしていたから、僕はそう思ってしまったみたいだね」
私は泣いていたのかと思った。多分泣いてはいない。
心の奥でそう思っていたけど、表情には出ていたという事だった。
そんな些細な事でも心配してくれる彼は、私にとっては過保護かもしれないけれど。
しばらく階段を登ると、博麗神社が見えた。
夕方だというのに、せっせと箒で散った桜の花弁を丁寧に掃除しているのは、博麗神社唯一の巫女だった。
「そこな巫女さん。今日も熱心にお仕事頑張ってるわね」
私は彼女に声をかけた。彼女―――博麗霊夢は私達の姿を見た途端、仰天したような表情を見せてくれた。
『何で2人が一緒にいるの?』という顔をしていた。
それに対し、私は屈託の無い笑顔を向けてやった。つまり、そういうことだ。
「え? ええええっ!?!?!?!?!?」
射命丸文も驚くほどの高速後退移動をして、霊夢は私達を見た。どうやら理解したらしい。
でも、そこまで驚く事ないじゃない。お姉さんは悲しいわよ。
「何がどうなってるの? これって夢?」
「夢じゃないわ、現実よ。うふふ、私達は付き合ってるの。ね、霖之助」
「うーん、…まあ、そうなるね」
相変わらず回りくどい言い方をする霖之助であるが、素直に認めたので私は穏やかな表情をした。
霊夢は現実を認めたのか、数回頷いて私達を再度見た。
「まさか、あんたと霖之助さんが………。はぁー、何が起こるかわからないわね、人生って」
霊夢自身、それは驚く他はできなかった。本当に「まさか!」という表情だった。
まだ『文々。新聞』の記事にもなっていない、私と霖之助の交際。明日になれば、全幻想郷に知れ渡ると思うけど。
「で、何の用? 仲睦まじいお姿を私に披露しにきただけなのかしら?」
「それもあるけどね。本当は花見をしにきたのよ。貴女と祟り神以外誰もいない、静かな神社での花見をね」
祟り神その人は何処にも見当たらなかったが、彼女の事だ。
隠れて私達の事を見て、「ほほう、まさかあんた達が…」って、笑っているのかもしれない。
「私と魅魔以外誰もいなくて悪かったわね。でも、今日は先客がいるわよ」
先客? 私達の他に誰か来ているのかしら?
私は博麗神社の桜という桜を注視した。と、そこに先客はいた。
レジャーシートの上に座っているのは少女が4人。
ぱくぱくと、それはそれはとても美味しそうに
何故か知らないが泣きながら謝罪をする、亡霊姫君の護衛兼剣術指南兼庭師の半人半霊の少女がひとり。
「別に構いませんよ」という表情をして半人半霊の少女に何かを言い、一杯勧める私の式神がひとり。
日本酒をちびちびと飲んでいる式神の式神がひとり。
それは、本当に楽しそうな宴会であった。
私は霖之助の腕を引っ張って、彼女達に一言挨拶しに行った。
別にしなくても良いのだが、とりあえず親友に生涯の伴侶を見せ付けてやろうと思ったのだ。
私が声をかける前に、親友―――つまり西行寺幽々子は私達に気付いた。
「あら、紫。一体何処へ行ってたの――――――って、あれ?」
幽々子は霖之助の腕をぎゅっと抱き締めている私を見たため、最後が疑問系となったのだろう。
そういえば、彼女に報告する事はすっかり忘れていたわね。ごめんね幽々子、今まで黙っていて。
「紫様と……森近殿が御一緒に?」
そう言ったのは妖夢だった。当然彼女も疑問に思っていた。
妖夢の半身である幽霊が、クエスチョン・マークの形をしていた。
私の式神である藍と、藍の式神である橙は事情がわかっているので笑っていた。
幽々子と妖夢はようやく事がわかったのか、納得しつつ驚いた表情を浮かべた。
「ゆ、紫様! 紫様は森近殿と、ま……まさか、そのような、みょんな関係にっ!?」
「失礼ね。私達はこれでも両想いよ。ね、霖之助」
私は確認するように彼に言った。彼は笑って頷いた。
「へぇー。でも紫、おめでとう」
「どういたしまして」
幽々子は、彼女が一番似合う笑顔を私に向けてくれた。
「しかし、紫様はどうして森近殿を―――」
「いやいや妖夢」
箸を止め、幽々子は目を瞑って言った。
そこには、私ですら圧倒される幽々子のカリスマがあった。
彼女の途端の一言には、かなり貫禄がある。
「
『愛は説明を必要としないものだ。何度も気持ちを説明しあう恋人同士は、すでに離れているか、離れかかっている』
つまり恋愛にどうのこうのなんていらないのよ。わかったかしら?」
私は思わず口笛を吹いていた。普段はとぼけた発言を連発する幽々子であるが、やはり侮れないのが彼女である。
「は、はい。べ、勉強不足でした、幽々子様」
「よろしい」
妖夢はいつの間にか出来た冷汗を、手ぬぐいで拭きつつ言った。
何だろう。この幽々子を見ていると、2年前の事が思い出された。
あの時の幽々子は―――――実を言うと、私自身、あまり思い出したくないけれど。
ううん。振り返りたくない記憶なんて、思い出さない方が良い。…思い出さない方が良いに決まっている。
幽々子も私も、今を明るい笑顔を絶やさずに生きていれば良いのだ。
「でも、不思議よねぇ」
弾幕少女達による花見が終わった後、私は幽々子と博麗神社の縁側で話をしていた。
幽々子は盆の上に乗せた饅頭を食べながら言った。彼女は結構な量の食事を平らげていたはずだけど、良く入るわね。
―――幽々子の胃袋は、私のスキマみたいなんだろうか。それとも死んでるから消化という概念がゼロなのだろうか。
「紫が霖之助さんと付き合っているなんて。さっきはあんな事言ったけど、実は私も疑問に思うのよ」
「まあ、それは誰でも思うでしょうね」
私は緑茶を飲み、幽々子に答えた。
「出来れば、彼といるのが永遠に続けばいいなと思ってるわ…」
私は本音を幽々子に告げた。永遠。それは始めも無く終わりも無く、果てしなく続く事。
哲学では生成消滅の無い存在―――すなわち無時間的な存在の性格とされている。
「永遠ね…。でも、私はそれの逆だわ」
幽々子は言った。彼女は亡霊で、転生も消滅も無い肉体を持っている。
ある意味であの不老不死の人間達と同じ構造な彼女は、永遠の逆、つまり「終焉」を望んでいるということか。
「私は永遠の終わりを求めているかもしれないわね」
「そんな事言わないでよ」
私はうつむいていた。正直、それだけは嫌だった。私の心の支えは、誰一人欠けるのは嫌だった。
それだけではない。かつて私は彼女と別れた経験があった。それは初めて出来た親友を失った、私の悲しい過去だった。
幽々子はもう一度戻ってきてくれたけど、二度も別れるのは私が許さない。
「幽々子、貴女は私の親友よ。死が無い貴女が、私より先に消えてどうするのよ…」
「紫………」
「もしいなくなったら許さないから。例え幽々子だからって―――」
「ゆ、紫。その……ごめんなさい。紫の気持ちも考えないで、そんな事言って。だから、泣かないで…」
私は泣いていたのか。…そうよね、瞳から自然と零れ落ちた水滴は、私の涙なのだから。
ある意味私は幽々子が羨ましい。彼女は既に死んでおり、故に死という概念が無いからだ。
私自身、かなり長い時を生きているが、それは妖怪として生まれた所以だからだ。
妖怪は、人間と違って身体がかなり頑丈に出来ているだけであって、いずれ私の意志はこの肉体から消滅するのだ。
そういえば、妖怪の半年は人間の24時間って、誰かが言っていたような気がする。
その比喩は、強ち間違いではないかもしれない。
言ってしまえば、幻想郷に住む『人間』が、私より先に天に帰る事になるのだ。
神社の巫女が、白黒の魔法使いが、紅魔館のメイドが、―――私達より先にこの世から別れなくてはならない。
その時私は果たして耐える事ができるだろうか。………実は案外恐怖していたりする。
「幽々子……、幽々子……」
私はずっと泣いていた。幼児退行したかのように、幽々子の胸の中で泣いていた。
幽々子は最初こそは戸惑ったが、突然泣き出した私を優しく受け止めてくれた。
それは、私が記憶していない母親のように。
私が求めていたのは家族であるが、その一番は母親の愛情だったのかもしれない。
幽々子は子供のように泣きじゃくる私に、「ごめんね」とささやいた。
いつの間にか、太陽は黄昏時だった。
夕焼けと闇が共存するわずかな時間を楽しみつつ、私は博麗神社に咲く桜の花を楽しんでいた。
「平和ね、霖之助。今生きているのが夢みたい…」
くすりと自然に笑みがこぼれる。
望むことさえ考えていなかった平和な生活。
私が物心ついた時、そこは血生臭い戦場だった。
血で血を争う時代の幻想郷という牢獄で、私はただひたすら生き長らえてきた。
そんな環境で、ただ人間と同胞を殺す戦闘技術を磨きつつ、今を生きる。それだけが当時の私の関心事だった。
だからというわけではないが、あの時代から何千年も経っているのに、未だに平和というモノに慣れていない自分がいる。
かつての私にとって、平和とは自らの存在否定だと信じていたからだ。
だからというか、今の自分と、かつての自分とのギャップに不安定さを感じているのかもしれなかった。
視線を博麗神社に向けると、それは普段通りの景色だった。
いつもの日常を怠惰に満喫する事ができ、夜になれば宴会が行われる事は、ずっと変わる事は無い。
「本当に夢みたい。生きるために戦って、戦って、戦い抜いて―――その先にあるのは死だと思っていたわ。
だってそうでしょ? 私の存在意義は戦うことだけだったもの。
もし貴方に出会わなかったら、私はどこかで野垂れ死にしていたと思うわね」
湯のみの中に入っている緑茶に反射した自分の顔を見た。
あの頃の自分に比べて見れば、感情豊かに自分はなれたのだろうか。
「今は違うじゃないか。確かに君はそうだったかもしれないけれど、今は僕の大切な人だよ」
私は彼の顔を見て、頷いた。
「誰にだって、幸せになる権利はあるに決まっているはずさ」
霖之助の表情は変わらなかった。
過去よりも、むしろ未来を見つめている眼差しだった。
「……そうよね」
全く、私はどうかしているわね。さっきは突然泣いてしまうし。
「もうこんな話は止めにしましょう。それより今日の夕飯はどうしようかしら…」
「そうだね、夜雀の屋台で一杯やるのはどうだい? 僕はついでに八目鰻とやらを食べてみたいんだけど」
「良いわね。それにしても、鰻かぁ………」
私がいらぬ想像をすると、霖之助は「おいおい」と突っ込んでくれた。
彼は私の冗談がわかってくれるのだ。ふふふ、鰻で「アレ」を思い浮かぶなんて、貴方も貴方ね。
「でもね、そんな貴方も大好きよ。だから、ずっとずっと傍にいてね」
私はこれ以上は出せない程の満面の笑みを霖之助に向け、言った。
その言葉はかなり効いた。彼は耳まで真っ赤にしていた。
緑茶を飲み干して、湯のみを盆の上に乗せる。
私は立ち上がって八雲卍傘を広げた。霖之助もそれに呼応するように立ち上がった。
私と霖之助は、2人並んで博麗神社の石畳を歩き、階段を降りていく。
見送ってくれた霊夢は、「まあ、頑張りなさいな」とでも言うような表情をしてくれた。
それは、実に彼女らしい祝福だった。
過去の私が泣いていた。
冷たくて、痛くて、孤独で満たされた幻想郷の中で、ひとり泣いていた。
けれど、もうその私はいない。決して手放したくない物と、誰にも譲れない
私が欲しかったのは、生きるために他人を殺す為の技術だけではなくて、誰かと共にある事の幸せだった。
私がこの幸せを手放すことは、もうずっと無い。
もし、再び幻想郷に混沌の時代が発生して私が戦うことがあっても、彼へのこの想いだけは誰にも渡さない。
妖怪としての私と、八雲紫としての私を受け入れて、私は目の前の日常を過ごしていこう。
私はこれからも彼への想いを胸に抱いて、この想いが忘れることが無いように祈りながら、彼と共に生きることを選ぼう。
その物語に、終わりなどあるはずが無い。
彼の傍にいられる時間が、眼前で散り逝く桜のように2人を死が別つまで、いつまでも続けばいいと思った。
■『文々。新聞』 第百二十一季 卯月之七付けの一面記事より抜萃
『幻想郷に、新たな恋仲が誕生』
『六日夕方、香霖堂に新しい品物が入荷とした報を聞いた小紙記者は、早速話題の品について尋ねるために香霖堂を訪れた。
店主の森近霖之助氏にインタビューを求めた所、店には八雲紫氏が香霖堂を訪れていた。
そこで私は、森近氏と八雲氏が、結婚を前提に交際中である事を聞かされた。
プロポーズを行ったのは八雲氏側で、八雲氏は経緯についてこう語る。
「何だか良くわからないけれど、私も彼もお互いの事が好きだったみたいね。
始めは普通に談笑する程度の仲だったけど、いつしか彼を愛してしまって。
彼も私を好きって言ってくれた時、私は本当に有頂天な気分になってしまったわ。
私は愛に説明も理由もいらないと思っているわ。ただ『好き』という事だけが必要だと思うわね」
八雲氏はとても満足している表情で語ってくれた。
取材中、一時も森近氏の腕を離さなかった様子を見ると、森近氏への愛情が理解できる。
森近氏はプロポーズをされた時の事を、こう語っている。
「愛というものは何かしらの根拠があると思っていたんだが、実際はとても違う事であるという事がわかった。
僕自身彼女を愛しているし、彼女も僕の事を愛してくれている。でも、それについての理由は全くわからないんだ。
だけど、こうして巡り合えた八雲紫という女性には、僕は二度と会う事はできないだろう。
僕はこの出会いを、神様か誰かがくれた、素晴らしい贈り物のように思っている」
仲睦まじき2人の話を取材するうち、私は新聞記者魂に火が付いてしまったらしく、様々な質問を行った。
ところが、森近氏と八雲氏はそんな私の取材に快く応じ、いろいろな事を語って下さった。
例えば、将来は何人のお子様に恵まれたいですかという極端な質問に対し、八雲氏はこう語る。
「そうねぇ…、私も後継ぎが欲しいからね。彼となら、卵のひとつやふたつ、元気に産んでみせるわ」
八雲氏には、自身の未来の意気込みを熱く語って頂いた。この場を借りて厚く御礼を申し上げる。
流石に一面では文字掲載数に限界が生じるため、その他のコメントの全文は、二面にて掲載させて頂く事とする。
幻想郷では、このような仲睦まじき男女の姿は滅多に見られない。
男性人口が極端に少ないため、相思相愛な男女の姿を拝見できるのは貴重であろう。
私も一新聞記者として、2人の恋を温かく見守りたい。(射命丸 文)」
いや、把握しようとしても如何せん資料が少なすぎる(汗
……と思う、地方民であった。
同人ショップにも行けませんorz
ともあれ、私は貴方の文体が大好きです。
……言葉に出来んのが口惜しいけど(ボキャ不足ですね…orz
次の作品を楽しみにしてます!
まずは感想ありがとうございました。
手厳しい意見だけでなく、あのような暖かい意見も励みになりますし、また私の稚拙な作品に目を通されていただいたことに最大限の感謝を示します。
では、作品の感想を。
妖怪である紫を人間味溢れるキャラにしているのは、とても面白かったです。
むしろ、彼女のような妖怪こそが、我ら人間よりも真に美しい心を持っているのかもしれません。
文章に織り込まれた細かい描写は、まさに私の目指しているものでした。
これから、師匠と呼ばせてくださi(削除)
では、長くなりましたがこれにて。
次の作品も楽しみにしています。
お互い頑張りましょう。
って、卵!?
一見ありえねえ!ってカップリングが、こんなに甘く妖しい関係になるとは。
これも二次創作の一つ大きな楽しさですね。
纏め上げられた手腕お見事でした。
何気に一次でも魔理沙や霊夢とは大きく離れますがその次くらいに絡んでたり。
まあ香霖は紫が苦手なようですがー。
元ネタなんだっけ?ノドまで出掛かってるんだが・・・
てなわけで、ここら辺でレス返しでも。
>ともあれ、私は貴方の文体が大好きです。
本当に恐縮でございます。語彙力は自分も伸ばさないとなぁ。
いつも広辞苑と慣用句語集を片手に執筆してますが、使いこなすのは難しいですね。
>裕さん
楽しんで頂けて大変結構でございます。
>ま~れおさん
人間味溢れるというより、妖怪も吸血鬼も妖精も、人語を話す時点で人間の心もあると思います。
細かい描写はある意味癖かもしれません。そのために常に蛇足な部分も書いてしまうという…。
まあ、小説の書き方も十人十色。俺は俺の道を往く! それがマイポリシーです。
ま~れおさんの次回作も楽しみにしています。お互い、頑張っていきましょう。
>ぐい井戸・御簾田さん
普段は強気。でも霖之助の前では甘え放題です。
>noさん
実は自分、秋田の生まれなんですが、8月にストーブ付けるのは本当です。
別に住んでる親戚なんか一年中寒いと言ってます。
>反魂さん
自分は書き方次第で何でも出来ると思ってます。事実、いろんなカップリングがありますし。
だから二次創作は楽しいし、止められないです。
>まあ香霖は紫が苦手なようですがー。
同人誌でも見かけたりしますね。だからこの2人は意外と気が合うと思うのですよ。
>こういうのも新鮮でいいかも
常に新しいのを求めるのは、月影蓮哉のアイデンティティーでございますw
>卵
勿論ゆあきんジョークでございます。…あ、でも、妖怪って胎生なのか、それとも卵生なのか?
みすちーやリグルはどうなるんだろうかと思いますが。
ええとですね、元ネタは由河朝巳氏の月姫アンソロです。
やってみたら、案外嵌ってしまってさあ大変w
>次回作品
いろいろ予定はしていますが、霊夢合同誌と文合同誌に参加したため、今はそれに取り掛かってます。
まあ、書きながら次回クーリエ投稿用を構想しているという、ある意味器用な事やってますが。
長かったようで短かった高校生活が終わり、4月から大学生。…絶対忙しくなるので今の内に片付けなければなりません(笑
次は……そうですね、「水無月霖紫結章(仮題)」とか考えてます(爆
はい、どんな話か全ての方がお判りになられると思いますが、『とても真面目なお話』です(苦笑
こんな話書いたら次はこうするしか無くなりまして。ガンガン想像が膨らんでくるんですけどw
ま、お楽しみ下さい。皆様が痺れるようなお話が書ければ良いなと考えている所存であります。
ではでは。
と言うか卵ってなんなんですかよ?って言ってみるけど分からないかなぁ。
ともあれ次回作を期待しています。
まるでドラマを見ているかのように目の前で光景が浮かんできました、GJ!
とりあえずこーりんブッ殺してくる。