(注) この話は拙作『紅魔館の冥土さん』と関係あるように見せかけて、
実は殆ど無関係という可能性も示唆されています。
その辺りはフィーリングでお願いします。
緊迫感。
その言葉が相応しい雰囲気であった。
これまで繰り広げられた、一進一退の攻防。
お互いの力と力、知恵と知恵、あらゆる要素のぶつけ合い。
だが、ついに決着の時はやってきた。
「そこっ!」
繰り出される一撃必殺の打撃。
だが、逆を返せばそれは、絶好のカウンターチャンスでもある。
某ギャラリーは言った。
んな簡単に決まりゃー苦労せんわさ、と。
二三四四五六56(4)(5)(6)(8)(8) 4
「はい、高めありがとうね。
タンピン三色ドラドラで跳満……あら、貴方また飛んでしまったの?」
「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
倒牌したのは幽々子。
振り込み、叫んだのはレミリア。
引き寄せたはずの勝利が、いともあっさりと殺される。
それは、この面子では毎度お馴染みとなっている光景だった。
「ううう……今度こそ、今度こそ勝ったと思ったのに……」
「うーん、そのままじゃ永遠に無理じゃないかしら」
「五月蝿いっ! 余計なお世話よッ!」
困ったものだ、とばかりに首を傾げる幽々子。
いや、幽々子だけではなく、この場の全員が同感だったろう。
何しろこれまで、レミリアは幽々子相手に麻雀で一度も勝った事が無いのだ。
というのも、実力差云々の前に、ひたすら国士無双だけを狙い続けるという、
無茶苦茶な戦法を取っていたのだから、それも当然である。
仮に普通に打っていたならば、こうも悲惨な統計にはならなかった筈なのだが、
国士十三面待ちを九連の直撃で潰されたという豪快な敗北の記憶が、レミリアの戦法の幅を大きく狭めていた。
高いプライドが足枷となっている典型であろう。
「ま、ご自由に。それじゃ、さっさと払って頂けますこと?」
「分かってるわよ。……咲夜」
レミリアは苦虫を噛み潰した如き表情のまま、背後の従者を呼ぶ。
が、その咲夜の反応はというと、レミリアの予想外のものであった。
「お嬢様。良い知らせと悪い知らせがありますが、どちらを聞かれますか?」
「はぁ? 何よ突然」
「無礼は承知の上です。どうか、お答え下さい」
「……じゃ、良い知らせ」
「はい。実はこの度、妹様がピーマンの偏食を克服致しました」
「……」
当然ではあるが、レミリアは大いに理解に苦しんだ。
「ええと、確かに良い知らせではあるかも知れないけど、それは今言うべき事なのかしら」
「いえ、これから起こり得るだろう衝撃を、僅かでも和らげるための緩衝材とでも言いましょうか。
あまり効果は無かったようですが」
「……よく分からないわ。で、悪いほうの知らせというのは何よ?」
「はい、それでは失礼します」
「……え?」
突如、咲夜が勢い良く立ち上がった。
その手には、些か場に似つかわしくない黒のアタッシュケース。
ここ最近、博麗神社を訪れる際には、必ず携帯していたものである。
「実は……」
そして咲夜は、アタッシュケースの留め金を流れるような動きで外す。
「只今の直撃を持ちまして、紅魔館の保有する現金はマイナスへと転じました!!」
はらりと『差し押さえ済み』と書かれた紙が落ちた。
「……咲夜。今のネタは余り面白く無かったわ。もう少しパチェの元で修行することね」
「いえ、お嬢様。残念ながらネタではありません。正真正銘のどこに出しても恥ずかしい事実です」
「駄目よ。繰り返しはギャグの基本なんて格言は、遥か二十年前に淘汰されているわ」
「お嬢様……どうか現実を見て下さいませ。
ここ数ヶ月、釣り上がりに上がるレート、繰り返される差しウマ。そして度重なる黒星。
もはや紅魔館の財政事情は、火の車を通り越して鳳翼天翔となっているのです。萌えずとも燃えております」
「……ガチ?」
「ガチです。ファイトクラブです。ですがヤラセはありません」
「……ど、どうしてそれを前もって私に知らせなかったの?」
「お言葉ながら、私はこれまでに数にしておよそ三十八ほど進言させて頂きました。
ですが、その度に頂いたお言葉は、『漫才ブームはもう戻ってはこないのよ』やら
『あの一手さえ遅れなければ……』やらで、事態の進展には程遠いもので御座いました。残念ですわ」
「……」
記憶にございません。とばかりに呆けた表情のレミリア。
今日ばかりは、脳という原始的な記憶器官の存在が恋しく思えていることだろう。
そんなレミリアとは対照的に、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる者もいた。
もちろん幽々子である。
「さてさて、どうしたものかしらねぇ……」
「あのぅ幽々子様。別に今すぐ払って貰わなくとも、ツケにしておけば宜しいのでは?
むしろ、そうして頂いたほうが私としては助かるんですが」
「どういう意味よ」
「ご自分の胃腸に聞いて下さい」
「……時々、妖夢は訳の分からない事を言うわね」
「分かって下さいよ」
すると幽々子は、腕組みをしては、何やら考え込むように瞳を閉じた。
が、妖夢は理解していた。
それが、自分の言に対しての思案では無いのは確かだ、と。
「あ、閃いたわ」
「何をですか?」
幽々子は、ぽんと手を打つと、対面のレミリアへと顔を向けた。
「な、何よ……」
その視線に、レミリアは言い様のない戸惑いを覚える。
毎度の如く扇で口元を隠している為、表情は伺い知れないのだが、
それでも心の奥底で、極めつけにおぞましい何かが感じ取れたのだ。
「喜びなさい妖夢。ついに貴方にも後輩が出来るわよ」
「……はぇ?」
果たして、その懸念は現実と成った。
翌日。
太陽がさんさんと照りつける、雲一つ無い素晴らしき日和。
だが、それは彼女にとっては嫌がらせ以外の何者でもなかった。
「……」
日傘片手に、ぺたぺたと力なく歩くレミリア。
沈み切って地殻まで到達してしまったかのような暗い表情。
極めつけに重く鈍い足取り。
気分につられ、役目を放棄してしまった背中の羽。
それらは、単に天気のせいだと決め付けるには、余りにも普段の彼女の姿から逸脱していた。
「帰ろうか……いえ、帰るべきよ……メイドの数人でも売り飛ばせば金くらい……」
突っ込みは無い。
自らで日傘を手にしているように、彼女は今一人である。
理由は勿論、従者の同行を許されなかった為だ。
今の独り言が妄言に過ぎない事は分かっていた。
確かに、レミリアがそれを命じたならば、喜んで売られていくメイドは多数いるだろう。
が、それは決して己のプライドが決して許さない。
麻雀で負けて金が払えないから。等とは口が裂けても言えないのだ。
「もう少し……でも、着いたらもう戻れない……あなたの腕に包まれていた優しい日々……はぁ……」
独り言と歌を混ぜこぜにしつつ、レミリアは歩く。
目指す場所は、冥界が白玉楼。
本日より、彼女が過ごす事となった場所である。
「遙々遠方よりご苦労様。待ちかねたわよ」
程なくして、目的地へ到着したことを示す声が、耳へと届いた。
視線を上げると、何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべた幽々子の姿が見えた。
無論、その笑顔は、レミリアにとっては気分を害する要因でしかない。
「……暇人が」
そんな気分を示すかのように、極めて率直な感想を漏らすレミリア。
が、聞こえないよう小声で言った辺りに、今の彼女の弱気振りが顕著に現れていた。
「暇じゃないわよ。だから下働きを増やそうと思ったんじゃないの」
「し、下働き……」
レミリアは、聞こえていたという事実ではなく、幽々子の言葉の内容そのものに動揺を覚えていた。
ここに来たという時点で、納得はしてなくとも、受け入れはしたはずだった。
しかし、実際に言われてみると、凄まじいまでの違和感がある。
彼女に付けられた数多くの大仰しい二つ名は、レミリア・スカーレットという存在を高めるに大いに役立っていた。
だが、この一言が加わるだけで状況は一変する。
永遠に紅い幼き下働き。吸血鬼の下働き王。下働きスカーレットデビル……。
嗚呼、台無し。
「何でもいいからさっさと上がりなさい。ここで気化されても困るわ」
「……分かったわよ。気化なんてしないけど」
「あ、その前に、一つ言っておきますけど」
「……何よ」
「貴方は借金のカタにされているのよ? どの程度の心構えだったかは知らないけれど、
ここにいる間は生意気な口を聞くことは禁止します。
もし破ったら、能動的折檻に加えて、ある事無い事言いふらすからね」
それはある意味、死刑宣告に等しかった。
だが、ドナドナ状態のレミリアに抗う術は無い。
何もかも貧乏が悪いのだ。
「分かった……い、いえ。分かりました。幽々子……さ……さ……さ……」
「sir? 敬称っぽくはあるけど、私は爵位は持っていないわよ?」
「……幽々子、様」
「ん、よろしい」
その瞬間、レミリアの中で大事な何かが、ガラガラと崩れ落ちたそうな。
「それにしても、今日は暑いわねぇ。本当に秋なのかしら」
「……そう、ですね」
「もしかして、あの時にまた春を奪っちゃったせいで気候が狂っているのかしら」
「……そうかもしれない……しれませんね」
「でも、それなら貴方も同罪だから気にしないでいいわね」
「って、どうしてそうな……い、いえ、まったくその通りです」
ひっきりなしに話しかける幽々子に、このアマわざとやってるだろう。と内心で悪態を吐く。
敬語なるものが知識の中にまったく存在しないレミリアにとって、この会話は苦痛以外の何物でも無いのだ。
「あ、レミリアさん。いらっしゃいませ」
玄関をくぐり、屋内へと入ったところで、妖夢がぱたぱたと歩み寄って来る。
「別に来たくなんてなかったわよ」
「はは……とりあえず、宜しくお願いします」
「はいはい」
「ストップ」
「何よ? ……じゃない。何でしょうか?」
「まだ理解が足りないようね。今の貴方にとって、妖夢は先輩であり上司なのよ?
そんな相手に、今の言葉遣いは許しがたいわね」
「…………」
レミリアは苦悶する。
幽々子はともかくとして、この半人前の庭師相手にもへりくだれと言う。
それだけは、断じて認められない。
覚悟はして来たつもりだが、それでも決して捨ててはいけないプライドというものが……。
「ああ、紅魔館の住人も大変ねぇ。まさか、ご主人様がギャンブル狂いで破産だなんて。
いつぞやの烏天狗も嗅ぎ回っていたそうだし、これは幻想郷全土に広がるのも時間の問題かしら。
私ならとてもじゃないけど恥ずかしくて生きていられないわ。死んでるけど」
「……大変失礼しました、妖夢さん。
慣れぬ身ゆえ、色々とご迷惑をおかけするでしょうが、どうかよしなに」
威厳を守るのと引き換えに、個人的なプライドはあっさりと捨てられた。
何とも矛盾した思考ではあるが、誰も彼女は責められまい。
世間に負ける前に貧しさに負けたのだ。
「い、いえ、こちらこそ」
それに対する妖夢の表情は、硬くならざるを得なかった。
レミリア本人は満面の笑みを見せたと思っているようだが、怒筋が浮きすぎで怖いのだ。
三人は程なくして、一つの部屋に落ち着いた。
その間、靴を脱ぐのを忘れて叱責されるだの、拳を握りこみ過ぎて廊下に血の跡を残すだのといった、
細かいイベントこそあったものの、概ね平穏だった。
……と、幽々子だけは思っていたそうな。
「……さて。必要ないとは思うけれど、形式というものがありますからね。
一応自己紹介と行きましょうか。
私はこの白玉楼の当主、西行寺幽々子。
で、そっちの娘が、庭師兼料理人兼掃除婦兼私の玩具の魂魄妖夢よ」
「って幽々子様。私が本来は剣術指南役だということをお忘れでは?
というか、最後の方に何か聞き捨てならない単語が混ざっていたような……」
「いーじゃないの、そんなのどうだって。
それでレミリア。貴方が今日、ここに来た理由は分かっているわね?」
「……借金返済の目処が付くまでの間、白玉楼の下働きとして仕えること……です」
これがレミリアの置かれた現実であった。
金が無いなら体で払え。という使い古された文句。
それをまさか自らの手で証明する事になるとは、夢にも思わなかっただろう。
無論、抵抗という名の逆切れは存分にした。
しかし、金が無いという現実の前に、それはあまりにも無力。
唯一の味方とも言えた咲夜までも、何一つとして好転へと導く算段を持ち合わせていなかったのだ。
省みればまったくの自業自得であるため、叱責することも出来ない。
結果、レミリアは事実として受け入れざるを得なかったという訳である。
「よろしい」
回答に満足が行ったのか、幽々子は満面の笑みを浮かべる。
すると何を思ったのか、次の言葉を待っていたレミリアを余所に、一人立ち上がった。
「え? ……あの?」
「じゃ、後は妖夢に任せるわ。好きにこき使ってやって頂戴」
「え、ええ!? ちょ、ちょっと待って下さいよ幽々子様!」
「じゃあねー」
聞く耳持たず。幽々子はふよふよと姿を消した。
そして、部屋に取り残された妖夢とレミリア。
「……」
「……」
会話は無い。
夢想だにしなかった取り合わせに、互いに困惑していると言ったところか。
このまま二人して白玉楼の彫像と化するのか、と思われた矢先。
意を決したか、妖夢のほうから口を開いた。
「えーと、それでは……」
「は、はい、何を……いえ、何でしょうか」
「あ、それ止めましょう」
「はい?」
「もう幽々子様もいませんし、普段どおりで構いません。
正直、私のほうもやりにくいですから……」
「……ふぅ。そう言って貰えると助かるわ」
レミリアは安堵感を示すように、大きくため息を着く。
実際の所、妖夢が言い出すのを待っていたというのは内緒である。
「ですが、仕事のほうはしっかりとやってもらいますよ。
白玉楼が慢性的な人員不足なのは事実ですので」
「それは大丈夫よ。もう覚悟は決めたから。あ、でも」
「でも?」
「自慢じゃないけれど、私は生まれてこのかた501年と11月。
一度として労働というものを経験したことが無いわ。
だから過度な期待を抱いたりしないことね。でないと痛い目を見るわよ」
「……」
本当に自慢にならなかった。
その上、妙に態度が大きかった。
妖夢が『元々期待なんてしてません』と言える程に神経が太くなかったのが、せめてもの救いだろう。
「それで、何をすれば良いのかしら?」
「は、はい、とりあえず行きましょうか。順に案内しますので」
「お任せするわ」
現金なもので、レミリアはあっという間に普段の調子を取り戻していた。
その要因が、妖夢の言葉のみにあった訳ではないのは明白である。
「(幽々子様がいなくなったからだろうなぁ……天敵っているものね)」
そんな感想を抱きつつ、妖夢は席を立った。
レミリアがその後に続く。
流石に、この状況で前を歩く程には常識外では無かったらしい。
が、それが仇と出た。
「いたっ!」
急に立ち止まった妖夢にぶつかったのだ。
「す、済みません」
「もう、何なのよ」
「何か……いえ、何でもないです。行きましょう」
「はぁ?」
怪訝な表情のレミリアを余所に、妖夢は再び歩き出した。
「(……今、誰かの気配を感じたような……気のせいかな)」
深くは考えなかった。
異質な気配を感じることなど、妖夢にとっては日常茶飯事なのである。
自慢にはならないし、羨むものもいないが。
一通り案内を終えると、二人は庭へとやってきた。
いよいよお仕事開始である。
「まず庭木の剪定からなんですが……あの、レミリアさん?」
「何よ」
「何じゃなくて、その格好どうにかならないんですか?」
レミリアの服装は、普段とまったく変わらぬお嬢様スタイル。
しかも、片手には日傘も携帯済みである。
少なくとも、肉体労働に向いている服装では無いだろう。
「どうしろって言うのよ。私は日傘が無いと動けないのよ?」
「それは知ってますけど、流石にそれでは仕事に……」
「私に言われても困るわよ。貴方が考えなさい」
「……」
だからって私に言われても困る。というのが妖夢の本音だろう。
が、ご都合主義とは便利なもの。
こういう時には、必ず救いの手は現れるのだ。
「そんな事もあろうかと!!」
この人物の場合、疫病神と言うほうが正しいかもしれないが。
「って幽々子様。どこか出かけられたのでは?」
「誰もそんな事言っないでしょ。そこの下働きに最適のコスチュームを探してたのよ」
「……」
途端、そこの下働きの表情が歪む。
妖夢が苦労して培った機嫌は、ほんの数秒で急転直下の模様であった。
「何よその顔。人がせっかく貴方の為を思って来てあげたのに。ご不満?」
「い、いえ、そのような事はありません」
「……ま、顔がまだアレだけど、私は寛大なので許してあげましょう。敬服なさい」
「お、お心、遣い、か、かっ、感謝致しますっ」
言葉と同様に、顔も存分に引きつっていた。
まるでギリピキという音が聞こえるかのようである。
間近にいる妖夢としては、到底生きた心地はしない。
「ではお着替えタイムと行きましょう。妖夢は少し待っててね」
「は、はぁ……」
そんな心境などまるで知らぬとばかりに、幽々子は楽しげな様子でレミリアを引き摺っていった。
「お待たせー」
「早かったですね……って、それは……」
「……」
三者三様。といった表現が相応しかった。
相変わらずのニコニコ顔の幽々子に、眼前の光景に困惑を極める妖夢。
そして、新コスチュームへと身を包んだレミリアは、怖いほどに無表情であった。
「似合ってるでしょ? やっぱり私の見立て通りね」
「そ、その、こういう場合、私はコメントを出しかねるんですが……」
レミリアの服装。
それは、どこをどう見ても妖夢と同じデザインの品だった。
「改めてお尋ねしますが、どうして私がそこの庭師……じゃない、妖夢さんのお古を?」
そこでレミリアが口を開く。
先程までとは異なり、妙に落ち着いた口調であった。
むしろ、そのせいでかえって怖かったが。
「えー? だって、これは白玉楼で働く者の正装だもの。
紅魔館でいうメイド服みたいなものかしら。
それに、貴方の体じゃ今の妖夢のものではサイズが合わないでしょう」
「それは……そうですが」
「でしょう? 何も問題は無いわ」
納得したのか、それとも心情を押し殺しているだけなのか、レミリアが激することはない。
が、だからといって安心できるほど妖夢は楽観的でもなかった。
確かに、自分のお古を着たレミリアは、予想外にもしっくりと来て見えた。
しかしながら、それでも他人のお古はお古である事に変わりは無く、
プライドの塊のようなレミリアが納得しているとは到底思えない。
その上、似合う似合わない以前に、決して言ってはならないであろう感想が浮かんでしまうのだ。
そして幽々子という人物は、それを躊躇無しに言ってしまえる胆力の持ち主だった。
「今の貴方は、どこに出しても恥ずかしくない、立派な園児よ!」
「(やっぱり言ったーーーーーーーーーーーーーーっ!)」
妖夢の予測は、図らずして当たった。
白のブラウスにベストとプリーツスカートというスタイル。
それは、頭身を縮めることによって、どうしても例の二文字を呼び起こしてしまうのだ。
しかも性質の悪いことに、その頃に妖夢が着ていたものは、今とは異なり紺色を基調としたものである。
レミリアの小ささも相成って、園児っぽく見えてしまうのは致し方ない事ではあった。
が、それを本人に言ったらどうなるかは、火を見るより明らかだろう。
「……」
レミリアは動かない。
なにやら胸元のタイを手で弄んでいる。
表情が無からまったく変化を見せないため、かえって恐ろしかった。
そろそろ逃げたほうがいいか、と考え始めたその時。
ついにレミリアが口を開いた。
「……いい……」
「「へ?」」
何故か幽々子まで答えていた。
「……うん、凄く良いわ……この感覚……形の差あれど制服はやはり素晴らしい……」
「あ、あの、レミリア、さん?」
「……幽々子様。お心遣い、本当に感謝致します。
このレミリア・スカーレット、その恩に報えるよう、誠心誠意で御奉仕させて頂きます」
先程までの無表情とはうって変わり、陶酔しきったかの様子で、流れるように口にするレミリア。
どうも別の意味で切れてしまったようである。
「そ、そう。そこはかとなく期待しているわ。が、頑張ってね」
さしもの幽々子もこれは予想外だったのか、曖昧な笑みを浮かべつつ、逃げるように立ち去ってしまう。
そして、再び場に残されたのは、妖夢とレミリアの二人。
「さ、妖夢さん。お仕事のご指導、お願いしますわ」
「は、はい……」
苛立っていてくれたほうが、まだ分かりやすくて良かった。
それが妖夢の本音であろう。
結局のところ、もう一つの懸念事項……日光対策に関しては、有効な手立ては無かった。
陣笠を装着するという手も無いことは無いのだが、それはビジュアル面で問題がある。
したがって、屋外ではあまり負担のかからない役割に徹してもらう。というのが妖夢の結論だった。
今回の剪定作業にあたっては、妖夢が切り落とした枝を、レミリアが拾い集めるという役割分担である。
これならば、片手が塞がっていても十分可能な作業ではあるし、妖夢としても大いに手間が省けるのだ。
が、残念なことに、一つ問題があった。
「……退屈ー……」
当のレミリアが速攻で飽きていたのだ。
初めの内は不可解な独り言を呟きつつ、くるくると踊るように仕事に励んでいたのだが、
自己催眠が解けたのか、今や、ずるぺたという擬音が相応しい、引き摺るような動作に変化しつつある。
なお、つるぺたでは無い。
ある意味においては正しいが。
「ねぇ」
「よいしょっ、と。何ですかー」
「あんた、いっつもこんな事してるの?」
「そうなりますねー。数が数ですし、さぼると大変な事になっちゃいますからー」
「ふぅん……」
レミリアは、頭上をひゅんひゅんと飛び回る妖夢を、気の無い視線で見やる。
こちらの問いに答えながらも、動きを止めるような様子は見受けられない。
それだけ集中しているという事だろう。
「(仕事熱心というより、それが自然と受け止められるまでに習熟している。
……いや、習熟せざるを得なかったという所かしらね)」
元より、レミリアの妖夢に対する評価は低くない。
未熟な所はあれど、自分の持つ従者感といった物に、かなり近いところまで辿り着いているという感想だ。
「(もし、昨日の勝者が私だったら……いえ、詮無きことね)」
思い浮かんだ未来予測図を、ぶんぶんと振り払う。
自分は、その運命を掴み取ることが出来なかったのだから。
例えIFの世界が存在していたとしても、それが『今』と交わる事は無いのだ。
「でも不思議ね。何故か、あの娘がうちで働く光景よりも、
大ボケ亡霊がかき乱す図のほうがしっくり来るわ……」
「何か言いましたー?」
「気にしないで、独り言よ」
考えても仕方ないこと。
そう結論付けるとレミリアは再び枝葉拾いへと意識を戻した。
退屈ではあっても、体を動かしているほうがまだ建設的と思ったからだ。
「ご苦労様でした。次は屋内の作業です」
「分かったわ」
レミリアは内心で、多少の安堵を覚える。
屋内ならば、もう少しマシな作業も出来るだろう。
使われるのは気に入らないが、役立たずと認識されるのもまた不快であったりする。
お嬢様のプライドというものは、かくも扱い辛いものなのだ。
「まずは掃除からですね」
「え、掃除?」
「はい、そうですが……何か問題でも?」
「い、いえ、気にしないで。
でも、この広さの場所を二人でやるの? 日が暮れるわよ」
「まさか。流石に全部はやりませんよ。日割りで少しずつ進める形にしてますから。
幸い、日常的に使っている部屋は多くないので、長い期間さえ置かなければ、そう苦労もしませんし」
「……ふむ」
道理である。
一日に使える労力を、すべて清掃に割り当ててしまってはどうにもならないだろう。
専業の掃除婦ならば話は別だろうが、妖夢は白玉楼の雑事すべてを請け負っているのだから。
「という訳で、今日はこちらの棟です。私は室内を担当しますので、レミリアさんは廊下をお願いします」
「ええ……って、ちょっと待った」
「はい? あ、説明したほうが良いですか?」
「そうよ。さっきも言ったけど、私は掃除なんてやったこと無いのよ。
で、除埃からするの? 床材は水拭きで大丈夫? ゴミはどこまで分別しているの?」
「ちょ、ちょっと、一度に聞かないで下さいよ。というか、やったことが無い割りには妙に専門的では?」
「き、気のせいよ」
「……まぁ、それならば思う通りにやって頂いて大丈夫だと思います」
「な、何を言ってるのかしらこの娘ったら。素人の私に任せるだなんて」
何故かレミリアは嬉しそうに答える。
もっとも、妖夢としても、教える手間が省けるのだから渡りに船といったところだろう。
……妨害さえなければ。
「甘い! 甘いわレミリア!」
またか、というのが共通の感想であった。
もはや悪態を吐く気力も無いのか、レミリアはうんざりした様子で振り返る。
「……はいはい、なんですか幽々子サマー」
「まぁ! 何てやる気の無い返事なの!? 白玉楼のモットーは『いつも明るく元気に生きましょう』よ!」
「……」
冥界が明るくてどうする。というかお前、死人ちゃうんかい。
といった突っ込みが本能的に浮かぶのだが、それを口にする気力もやはり無い。
そんなレミリアを余所に、無駄に元気な幽々子が口を開く。
「さて、どうも今の発言から見るに、掃除には一家言あるようね?」
「いえ、別にそんな事は……」
「しかし、本当に出来るのかしら? 私としては疑いの目を持たざるを得ないわ」
「……何だって?」
「言葉」
「ぐぐ……た、例え幽々子様といえども、今の発言はどうかと思います……わ」
「私は根拠の無い事なんて言いません。……そうね、ならば現実に示して差し上げましょう」
「……どうやって?」
「簡単よ。今から私もお掃除を始めます。どちらが素早く完了できるか競争よ」
「……は?」
流石にこの発言にはレミリアも耳を疑った。
精力的に勝負を挑んでくることがではなく、あの幽々子が掃除をするという点に、だ。
「あんた……じゃなくて、幽々子様。本気ですか?」
「本気と書いてマジよ。貴方が井の中の蛙でしか無いという事を教えてあげるわ」
「……」
ここまで挑発されては、レミリアも黙ってはいられない。
実の所、レミリアは掃除に関してはそれなりに知識を持っていた。
というより、掃除というものを決して甘く見てはいなかった。というのが正しい。
一番の腹心である咲夜に、専用の掃除係という任を与えているのもそのせいだ。
だから、という訳ではないが、幽々子にだけは馬鹿にされたくは無かったのである。
「良いわ。その勝負、受けて……」
「ま、待って下さいレミリアさん。あまり安請け合いしないほうが……」
「どういう事よ。まさか、アレが実は掃除の達人だとでも言うつもり?」
「い、いえ、そんな事はありません。私の知る限りでは、幽々子様はまったくのド素人です」
「……なら問題無いじゃないの」
「ですが……」
妖夢は一瞬考えると、レミリアの耳元へと顔を寄せた。
(あの幽々子様が、何の算段も無しに、こんな事言い出すと思いますか?)
(……)
言われて見れば、確かにそうだ。
挑発だけしておいて、情けなく負けたのではまったく無意味である。
ならば、確勝の秘策があっての提案に違いないのだ。
「ご主人様の前で内緒話だなんて、そんな子に育てた覚えは無いわよ」
「……少なくとも私は育てられた覚えなんて無い……ありません。
ともかく、その勝負、受けさせて貰いましょう」
「え!?」
驚いたのは妖夢である。
今の自分の提言は、耳から耳へと流れていったのか。
吸血鬼に脳は無いと聞いていたが、まさかここまで酷いとは。
等と失礼極まりない感想を抱く妖夢。
実際のところ、レミリアが結論を出すに至った理由とは、
「(んなもん知るか!)」
というシンプルかつ抑えようの無いものだった。
感情は時として理性を超えるのだ。
ルール……と言って良いのかどうか微妙だが、一応の取り決めは行われた。
今日、清掃予定であった廊下は、部屋を挟んでの二本の長い直線。
それを、レミリアと幽々子が一つずつ担当。
作業完了の確認は妖夢が取る。
以上である。
「ふんがーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
どこまでも美しくない掛け声が、白玉楼に響く。
誰の声かと尋ねれば、もちろんレミリアの声である。
レミリアは頑張った。
知識と現実の剥離を、意地と反骨心で乗り越えて。
除塵と掃きは早々に追え、今は全速力での拭き上げの真っ最中。
ここが一番の難関であった。
何しろ白玉楼の廊下は、極めつけに長い。
常人ならば、一往復しただけで息が切れ、二往復で意識が途切れ、三往復ならば生命も途絶え兼ねない。
無論、吸血鬼はそんな柔な存在でもないが、疲れるのは事実である。
が、そんな疲労などまるで感じさせない見事なまでの疾走劇が、廊下で繰り広げられていた。
「(あと半分……!)」
「はい、終了ー」
「なっ!?」
耳へと届いた暢気な声に、レミリアは驚きを貼り付けて面を上げる。
そこには、何ら疲弊した様子もない幽々子の姿があった。
「ほ、本当に終わったって言うの!?」
「嘘だと思うなら、妖夢に聞いてご覧なさい」
レミリアは間髪入れず、ぐいん、と首を向ける。
「……ええと残念ですが、幽々子様の勝ち……になります」
いかにも申し訳無さ気ではあったが、それでもはっきりと答えた。
妖夢がこういう状況で嘘を吐けるほど器用な輩では無いことは、レミリアも理解している。
即ち、これが現実。
「へぇ、ここまで進んだのね。結構頑張ったじゃない。偉いわね」
「ぐ、が、ぐ、ぎ」
「でも、まぁ、結果が伴わなくてはどうしようもないわね。
ま、せいぜい精進なさい」
「が、ご、ぐ、が」
困惑及び憤りが頂点に達したのか、不明瞭な呻きのようなものが漏れていた。
「あ、妖夢。あれ、片付けておいてね」
「……はい」
そう言い残すと、変わらずのニコニコ顔のままに立ち去っていく。
レミリアがその事実に気付いた頃には、既に幽々子の姿は無かった。
「……『あれ』?」
「ああ、聞こえちゃったんですね……」
「ええ、はっきりとね。で、『あれ』って何よ」
「……」
妖夢は言葉ではなく、行動で答えを示した。
幽々子が掃除していた筈の廊下から、何やら見たこともないような物体を引き摺って来たのだ。
「……何よこれ」
「ええと、こっちの小さいのが掃除機。大きいほうがポリッシャーといいます」
「……」
「用途は……言うまでもなく、清掃です」
「……」
それが実際にどのような働きを見せるアイテムなのかは分からない。
が、妖夢の態度からして、鼻から勝負にもならないレベルの反則技を使われた事だけは理解できた。
要するに、また良いように遊ばれたのだ。
「あ、あの、レミリアさん。お気持ちは痛いほど分かりますが、ここはどうか夜の王の寛大さで……」
青白かった筈の顔色は、完熟トマトの如く紅に染められており、
額に浮かんだ怒筋が今にも破けそうな、凄まじい形相である。
その心情、理解するには易すぎた。
「……」
「れ、レミリア、さん?」
聞こえていないのか、レミリアはすっくと立ち上がると、身近な柱へと歩み寄った。
そして……。
「舐めるのもいい加減にしろっての、この腐れ亡霊がぁああああああああああああ!!!」
頭を全力で叩きつけ始めたのだ。
「あああ、や、やめて下さいってばー! せっかく掃除したのが無駄にー!!」
「アイムパニッシャー! 森羅万象! ミスターセキグチッ!」
訳の分からない叫びと共に、がすん、がすん、と鈍い音が廊下に響き渡る。
その度に、まるで地軸が歪んだかの衝撃が奔る。
流石は幻想郷一の石頭だ。
等と、感心している場合でもない。
このまま放置しておけば、白玉楼が倒壊するのも時間の問題だろう。
「怒ったりする必要は無いんですよっ!
確かに判定上は幽々子様の勝ちですけど、真の勝者は貴方ですっ!」
「……」
必死の制止が通じたのか、レミリアはぴたりと動きを止める。
そして、ぐるりと首を九十度回転させた。
「……どういう意味?」
顔だけがこちらを向いているというホラーな状況。
しかも、その表情は怒りを通り越して爽やかな笑みにすら見える。
半分霊体であるにも関わらず、恐怖現象に極めて弱い妖夢にとって、この状況は耐え難いものだろう。
だが、ここで気絶するわけには行かない。
せめて、自分なりの結論くらい伝えておかねば、との思いが妖夢の中にあったのだ。
「……掃除に対する姿勢です。
幽々子様が何を考えていたのかは分かりませんが、
私の見た限りでは、レミリアさんを貶める為だけに行ったのでしょう。
事実、終わらせこそしましたが、内容は適当そのものでした」
「……」
「でも、貴方は違う。……いえ、違うと思います。
もちろん動機は幽々子様への対抗心でしょうけど、
少なくとも作業中は『ここを綺麗にしよう』以外の思考は無かったでしょう。
でなければ……」
妖夢はその場にしゃがみ込むと、床板の継ぎ目へと手を這わせる。
「……こうも完全に仕上げたりは出来ませんから」
上げられた指には、塵一つ付いてはいなかった。
「もし、勝つ事だけを考えていたなら、幽々子様のように適当に流していた筈ですし。
だから何も悔やむ必要なんて……」
「……うっさい」
妖夢の言葉を、小さい手が制した。
「半人前の分際で、生意気に人を評してるんじゃないわよ。
仕方なく来てやっただけの私が、なんだって仕事に精力を傾けなきゃいけないのよ。
勘違いも程ほどにしておきなさい」
「そ、そうですか。失礼しました」
「……ったく」
レミリアはぷいと背中を向けると、放置されたままの雑巾を手に取る。
「ほら、何をぼーっとしてるのよ。早く持ち場に戻りなさい。
どうせまだ仕事は山積みなんでしょ」
「……そうですね。では、こちらの残りはお願いします」
妖夢は軽く頭を下げると、襖の向こうへと消えて行った。
「……ったく」
レミリアは二度目となるぼやきを漏らしては、廊下との格闘を再開した。
そこに先程までのような憤怒の形相は無い。
「ぷはぁーーーーーっ!」
同刻。
襖を背に、盛大に息を吐く妖夢がいた。
「あー……怖かったぁ……」
手足は震え、背中を冷や汗が伝い、胸元のタイがほぼ垂直にまで曲がっている。
今のやりとりは、それほどまでに緊張を強いていたのだ。
対面中に表に出なかっただけでもマシとも言えるが。
「……こんなのが一日中続くのかなぁ……勘弁して下さいよ幽々子様……」
妖夢は誰ともなしにごちると、スカートのポケットに手を突っ込む。
中にはいくつかの包み紙の感触があった。
「……胃薬、足りるかな」
実は殆ど無関係という可能性も示唆されています。
その辺りはフィーリングでお願いします。
緊迫感。
その言葉が相応しい雰囲気であった。
これまで繰り広げられた、一進一退の攻防。
お互いの力と力、知恵と知恵、あらゆる要素のぶつけ合い。
だが、ついに決着の時はやってきた。
「そこっ!」
繰り出される一撃必殺の打撃。
だが、逆を返せばそれは、絶好のカウンターチャンスでもある。
某ギャラリーは言った。
んな簡単に決まりゃー苦労せんわさ、と。
二三四四五六56(4)(5)(6)(8)(8) 4
「はい、高めありがとうね。
タンピン三色ドラドラで跳満……あら、貴方また飛んでしまったの?」
「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
倒牌したのは幽々子。
振り込み、叫んだのはレミリア。
引き寄せたはずの勝利が、いともあっさりと殺される。
それは、この面子では毎度お馴染みとなっている光景だった。
「ううう……今度こそ、今度こそ勝ったと思ったのに……」
「うーん、そのままじゃ永遠に無理じゃないかしら」
「五月蝿いっ! 余計なお世話よッ!」
困ったものだ、とばかりに首を傾げる幽々子。
いや、幽々子だけではなく、この場の全員が同感だったろう。
何しろこれまで、レミリアは幽々子相手に麻雀で一度も勝った事が無いのだ。
というのも、実力差云々の前に、ひたすら国士無双だけを狙い続けるという、
無茶苦茶な戦法を取っていたのだから、それも当然である。
仮に普通に打っていたならば、こうも悲惨な統計にはならなかった筈なのだが、
国士十三面待ちを九連の直撃で潰されたという豪快な敗北の記憶が、レミリアの戦法の幅を大きく狭めていた。
高いプライドが足枷となっている典型であろう。
「ま、ご自由に。それじゃ、さっさと払って頂けますこと?」
「分かってるわよ。……咲夜」
レミリアは苦虫を噛み潰した如き表情のまま、背後の従者を呼ぶ。
が、その咲夜の反応はというと、レミリアの予想外のものであった。
「お嬢様。良い知らせと悪い知らせがありますが、どちらを聞かれますか?」
「はぁ? 何よ突然」
「無礼は承知の上です。どうか、お答え下さい」
「……じゃ、良い知らせ」
「はい。実はこの度、妹様がピーマンの偏食を克服致しました」
「……」
当然ではあるが、レミリアは大いに理解に苦しんだ。
「ええと、確かに良い知らせではあるかも知れないけど、それは今言うべき事なのかしら」
「いえ、これから起こり得るだろう衝撃を、僅かでも和らげるための緩衝材とでも言いましょうか。
あまり効果は無かったようですが」
「……よく分からないわ。で、悪いほうの知らせというのは何よ?」
「はい、それでは失礼します」
「……え?」
突如、咲夜が勢い良く立ち上がった。
その手には、些か場に似つかわしくない黒のアタッシュケース。
ここ最近、博麗神社を訪れる際には、必ず携帯していたものである。
「実は……」
そして咲夜は、アタッシュケースの留め金を流れるような動きで外す。
「只今の直撃を持ちまして、紅魔館の保有する現金はマイナスへと転じました!!」
はらりと『差し押さえ済み』と書かれた紙が落ちた。
「……咲夜。今のネタは余り面白く無かったわ。もう少しパチェの元で修行することね」
「いえ、お嬢様。残念ながらネタではありません。正真正銘のどこに出しても恥ずかしい事実です」
「駄目よ。繰り返しはギャグの基本なんて格言は、遥か二十年前に淘汰されているわ」
「お嬢様……どうか現実を見て下さいませ。
ここ数ヶ月、釣り上がりに上がるレート、繰り返される差しウマ。そして度重なる黒星。
もはや紅魔館の財政事情は、火の車を通り越して鳳翼天翔となっているのです。萌えずとも燃えております」
「……ガチ?」
「ガチです。ファイトクラブです。ですがヤラセはありません」
「……ど、どうしてそれを前もって私に知らせなかったの?」
「お言葉ながら、私はこれまでに数にしておよそ三十八ほど進言させて頂きました。
ですが、その度に頂いたお言葉は、『漫才ブームはもう戻ってはこないのよ』やら
『あの一手さえ遅れなければ……』やらで、事態の進展には程遠いもので御座いました。残念ですわ」
「……」
記憶にございません。とばかりに呆けた表情のレミリア。
今日ばかりは、脳という原始的な記憶器官の存在が恋しく思えていることだろう。
そんなレミリアとは対照的に、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる者もいた。
もちろん幽々子である。
「さてさて、どうしたものかしらねぇ……」
「あのぅ幽々子様。別に今すぐ払って貰わなくとも、ツケにしておけば宜しいのでは?
むしろ、そうして頂いたほうが私としては助かるんですが」
「どういう意味よ」
「ご自分の胃腸に聞いて下さい」
「……時々、妖夢は訳の分からない事を言うわね」
「分かって下さいよ」
すると幽々子は、腕組みをしては、何やら考え込むように瞳を閉じた。
が、妖夢は理解していた。
それが、自分の言に対しての思案では無いのは確かだ、と。
「あ、閃いたわ」
「何をですか?」
幽々子は、ぽんと手を打つと、対面のレミリアへと顔を向けた。
「な、何よ……」
その視線に、レミリアは言い様のない戸惑いを覚える。
毎度の如く扇で口元を隠している為、表情は伺い知れないのだが、
それでも心の奥底で、極めつけにおぞましい何かが感じ取れたのだ。
「喜びなさい妖夢。ついに貴方にも後輩が出来るわよ」
「……はぇ?」
果たして、その懸念は現実と成った。
翌日。
太陽がさんさんと照りつける、雲一つ無い素晴らしき日和。
だが、それは彼女にとっては嫌がらせ以外の何者でもなかった。
「……」
日傘片手に、ぺたぺたと力なく歩くレミリア。
沈み切って地殻まで到達してしまったかのような暗い表情。
極めつけに重く鈍い足取り。
気分につられ、役目を放棄してしまった背中の羽。
それらは、単に天気のせいだと決め付けるには、余りにも普段の彼女の姿から逸脱していた。
「帰ろうか……いえ、帰るべきよ……メイドの数人でも売り飛ばせば金くらい……」
突っ込みは無い。
自らで日傘を手にしているように、彼女は今一人である。
理由は勿論、従者の同行を許されなかった為だ。
今の独り言が妄言に過ぎない事は分かっていた。
確かに、レミリアがそれを命じたならば、喜んで売られていくメイドは多数いるだろう。
が、それは決して己のプライドが決して許さない。
麻雀で負けて金が払えないから。等とは口が裂けても言えないのだ。
「もう少し……でも、着いたらもう戻れない……あなたの腕に包まれていた優しい日々……はぁ……」
独り言と歌を混ぜこぜにしつつ、レミリアは歩く。
目指す場所は、冥界が白玉楼。
本日より、彼女が過ごす事となった場所である。
「遙々遠方よりご苦労様。待ちかねたわよ」
程なくして、目的地へ到着したことを示す声が、耳へと届いた。
視線を上げると、何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべた幽々子の姿が見えた。
無論、その笑顔は、レミリアにとっては気分を害する要因でしかない。
「……暇人が」
そんな気分を示すかのように、極めて率直な感想を漏らすレミリア。
が、聞こえないよう小声で言った辺りに、今の彼女の弱気振りが顕著に現れていた。
「暇じゃないわよ。だから下働きを増やそうと思ったんじゃないの」
「し、下働き……」
レミリアは、聞こえていたという事実ではなく、幽々子の言葉の内容そのものに動揺を覚えていた。
ここに来たという時点で、納得はしてなくとも、受け入れはしたはずだった。
しかし、実際に言われてみると、凄まじいまでの違和感がある。
彼女に付けられた数多くの大仰しい二つ名は、レミリア・スカーレットという存在を高めるに大いに役立っていた。
だが、この一言が加わるだけで状況は一変する。
永遠に紅い幼き下働き。吸血鬼の下働き王。下働きスカーレットデビル……。
嗚呼、台無し。
「何でもいいからさっさと上がりなさい。ここで気化されても困るわ」
「……分かったわよ。気化なんてしないけど」
「あ、その前に、一つ言っておきますけど」
「……何よ」
「貴方は借金のカタにされているのよ? どの程度の心構えだったかは知らないけれど、
ここにいる間は生意気な口を聞くことは禁止します。
もし破ったら、能動的折檻に加えて、ある事無い事言いふらすからね」
それはある意味、死刑宣告に等しかった。
だが、ドナドナ状態のレミリアに抗う術は無い。
何もかも貧乏が悪いのだ。
「分かった……い、いえ。分かりました。幽々子……さ……さ……さ……」
「sir? 敬称っぽくはあるけど、私は爵位は持っていないわよ?」
「……幽々子、様」
「ん、よろしい」
その瞬間、レミリアの中で大事な何かが、ガラガラと崩れ落ちたそうな。
「それにしても、今日は暑いわねぇ。本当に秋なのかしら」
「……そう、ですね」
「もしかして、あの時にまた春を奪っちゃったせいで気候が狂っているのかしら」
「……そうかもしれない……しれませんね」
「でも、それなら貴方も同罪だから気にしないでいいわね」
「って、どうしてそうな……い、いえ、まったくその通りです」
ひっきりなしに話しかける幽々子に、このアマわざとやってるだろう。と内心で悪態を吐く。
敬語なるものが知識の中にまったく存在しないレミリアにとって、この会話は苦痛以外の何物でも無いのだ。
「あ、レミリアさん。いらっしゃいませ」
玄関をくぐり、屋内へと入ったところで、妖夢がぱたぱたと歩み寄って来る。
「別に来たくなんてなかったわよ」
「はは……とりあえず、宜しくお願いします」
「はいはい」
「ストップ」
「何よ? ……じゃない。何でしょうか?」
「まだ理解が足りないようね。今の貴方にとって、妖夢は先輩であり上司なのよ?
そんな相手に、今の言葉遣いは許しがたいわね」
「…………」
レミリアは苦悶する。
幽々子はともかくとして、この半人前の庭師相手にもへりくだれと言う。
それだけは、断じて認められない。
覚悟はして来たつもりだが、それでも決して捨ててはいけないプライドというものが……。
「ああ、紅魔館の住人も大変ねぇ。まさか、ご主人様がギャンブル狂いで破産だなんて。
いつぞやの烏天狗も嗅ぎ回っていたそうだし、これは幻想郷全土に広がるのも時間の問題かしら。
私ならとてもじゃないけど恥ずかしくて生きていられないわ。死んでるけど」
「……大変失礼しました、妖夢さん。
慣れぬ身ゆえ、色々とご迷惑をおかけするでしょうが、どうかよしなに」
威厳を守るのと引き換えに、個人的なプライドはあっさりと捨てられた。
何とも矛盾した思考ではあるが、誰も彼女は責められまい。
世間に負ける前に貧しさに負けたのだ。
「い、いえ、こちらこそ」
それに対する妖夢の表情は、硬くならざるを得なかった。
レミリア本人は満面の笑みを見せたと思っているようだが、怒筋が浮きすぎで怖いのだ。
三人は程なくして、一つの部屋に落ち着いた。
その間、靴を脱ぐのを忘れて叱責されるだの、拳を握りこみ過ぎて廊下に血の跡を残すだのといった、
細かいイベントこそあったものの、概ね平穏だった。
……と、幽々子だけは思っていたそうな。
「……さて。必要ないとは思うけれど、形式というものがありますからね。
一応自己紹介と行きましょうか。
私はこの白玉楼の当主、西行寺幽々子。
で、そっちの娘が、庭師兼料理人兼掃除婦兼私の玩具の魂魄妖夢よ」
「って幽々子様。私が本来は剣術指南役だということをお忘れでは?
というか、最後の方に何か聞き捨てならない単語が混ざっていたような……」
「いーじゃないの、そんなのどうだって。
それでレミリア。貴方が今日、ここに来た理由は分かっているわね?」
「……借金返済の目処が付くまでの間、白玉楼の下働きとして仕えること……です」
これがレミリアの置かれた現実であった。
金が無いなら体で払え。という使い古された文句。
それをまさか自らの手で証明する事になるとは、夢にも思わなかっただろう。
無論、抵抗という名の逆切れは存分にした。
しかし、金が無いという現実の前に、それはあまりにも無力。
唯一の味方とも言えた咲夜までも、何一つとして好転へと導く算段を持ち合わせていなかったのだ。
省みればまったくの自業自得であるため、叱責することも出来ない。
結果、レミリアは事実として受け入れざるを得なかったという訳である。
「よろしい」
回答に満足が行ったのか、幽々子は満面の笑みを浮かべる。
すると何を思ったのか、次の言葉を待っていたレミリアを余所に、一人立ち上がった。
「え? ……あの?」
「じゃ、後は妖夢に任せるわ。好きにこき使ってやって頂戴」
「え、ええ!? ちょ、ちょっと待って下さいよ幽々子様!」
「じゃあねー」
聞く耳持たず。幽々子はふよふよと姿を消した。
そして、部屋に取り残された妖夢とレミリア。
「……」
「……」
会話は無い。
夢想だにしなかった取り合わせに、互いに困惑していると言ったところか。
このまま二人して白玉楼の彫像と化するのか、と思われた矢先。
意を決したか、妖夢のほうから口を開いた。
「えーと、それでは……」
「は、はい、何を……いえ、何でしょうか」
「あ、それ止めましょう」
「はい?」
「もう幽々子様もいませんし、普段どおりで構いません。
正直、私のほうもやりにくいですから……」
「……ふぅ。そう言って貰えると助かるわ」
レミリアは安堵感を示すように、大きくため息を着く。
実際の所、妖夢が言い出すのを待っていたというのは内緒である。
「ですが、仕事のほうはしっかりとやってもらいますよ。
白玉楼が慢性的な人員不足なのは事実ですので」
「それは大丈夫よ。もう覚悟は決めたから。あ、でも」
「でも?」
「自慢じゃないけれど、私は生まれてこのかた501年と11月。
一度として労働というものを経験したことが無いわ。
だから過度な期待を抱いたりしないことね。でないと痛い目を見るわよ」
「……」
本当に自慢にならなかった。
その上、妙に態度が大きかった。
妖夢が『元々期待なんてしてません』と言える程に神経が太くなかったのが、せめてもの救いだろう。
「それで、何をすれば良いのかしら?」
「は、はい、とりあえず行きましょうか。順に案内しますので」
「お任せするわ」
現金なもので、レミリアはあっという間に普段の調子を取り戻していた。
その要因が、妖夢の言葉のみにあった訳ではないのは明白である。
「(幽々子様がいなくなったからだろうなぁ……天敵っているものね)」
そんな感想を抱きつつ、妖夢は席を立った。
レミリアがその後に続く。
流石に、この状況で前を歩く程には常識外では無かったらしい。
が、それが仇と出た。
「いたっ!」
急に立ち止まった妖夢にぶつかったのだ。
「す、済みません」
「もう、何なのよ」
「何か……いえ、何でもないです。行きましょう」
「はぁ?」
怪訝な表情のレミリアを余所に、妖夢は再び歩き出した。
「(……今、誰かの気配を感じたような……気のせいかな)」
深くは考えなかった。
異質な気配を感じることなど、妖夢にとっては日常茶飯事なのである。
自慢にはならないし、羨むものもいないが。
一通り案内を終えると、二人は庭へとやってきた。
いよいよお仕事開始である。
「まず庭木の剪定からなんですが……あの、レミリアさん?」
「何よ」
「何じゃなくて、その格好どうにかならないんですか?」
レミリアの服装は、普段とまったく変わらぬお嬢様スタイル。
しかも、片手には日傘も携帯済みである。
少なくとも、肉体労働に向いている服装では無いだろう。
「どうしろって言うのよ。私は日傘が無いと動けないのよ?」
「それは知ってますけど、流石にそれでは仕事に……」
「私に言われても困るわよ。貴方が考えなさい」
「……」
だからって私に言われても困る。というのが妖夢の本音だろう。
が、ご都合主義とは便利なもの。
こういう時には、必ず救いの手は現れるのだ。
「そんな事もあろうかと!!」
この人物の場合、疫病神と言うほうが正しいかもしれないが。
「って幽々子様。どこか出かけられたのでは?」
「誰もそんな事言っないでしょ。そこの下働きに最適のコスチュームを探してたのよ」
「……」
途端、そこの下働きの表情が歪む。
妖夢が苦労して培った機嫌は、ほんの数秒で急転直下の模様であった。
「何よその顔。人がせっかく貴方の為を思って来てあげたのに。ご不満?」
「い、いえ、そのような事はありません」
「……ま、顔がまだアレだけど、私は寛大なので許してあげましょう。敬服なさい」
「お、お心、遣い、か、かっ、感謝致しますっ」
言葉と同様に、顔も存分に引きつっていた。
まるでギリピキという音が聞こえるかのようである。
間近にいる妖夢としては、到底生きた心地はしない。
「ではお着替えタイムと行きましょう。妖夢は少し待っててね」
「は、はぁ……」
そんな心境などまるで知らぬとばかりに、幽々子は楽しげな様子でレミリアを引き摺っていった。
「お待たせー」
「早かったですね……って、それは……」
「……」
三者三様。といった表現が相応しかった。
相変わらずのニコニコ顔の幽々子に、眼前の光景に困惑を極める妖夢。
そして、新コスチュームへと身を包んだレミリアは、怖いほどに無表情であった。
「似合ってるでしょ? やっぱり私の見立て通りね」
「そ、その、こういう場合、私はコメントを出しかねるんですが……」
レミリアの服装。
それは、どこをどう見ても妖夢と同じデザインの品だった。
「改めてお尋ねしますが、どうして私がそこの庭師……じゃない、妖夢さんのお古を?」
そこでレミリアが口を開く。
先程までとは異なり、妙に落ち着いた口調であった。
むしろ、そのせいでかえって怖かったが。
「えー? だって、これは白玉楼で働く者の正装だもの。
紅魔館でいうメイド服みたいなものかしら。
それに、貴方の体じゃ今の妖夢のものではサイズが合わないでしょう」
「それは……そうですが」
「でしょう? 何も問題は無いわ」
納得したのか、それとも心情を押し殺しているだけなのか、レミリアが激することはない。
が、だからといって安心できるほど妖夢は楽観的でもなかった。
確かに、自分のお古を着たレミリアは、予想外にもしっくりと来て見えた。
しかしながら、それでも他人のお古はお古である事に変わりは無く、
プライドの塊のようなレミリアが納得しているとは到底思えない。
その上、似合う似合わない以前に、決して言ってはならないであろう感想が浮かんでしまうのだ。
そして幽々子という人物は、それを躊躇無しに言ってしまえる胆力の持ち主だった。
「今の貴方は、どこに出しても恥ずかしくない、立派な園児よ!」
「(やっぱり言ったーーーーーーーーーーーーーーっ!)」
妖夢の予測は、図らずして当たった。
白のブラウスにベストとプリーツスカートというスタイル。
それは、頭身を縮めることによって、どうしても例の二文字を呼び起こしてしまうのだ。
しかも性質の悪いことに、その頃に妖夢が着ていたものは、今とは異なり紺色を基調としたものである。
レミリアの小ささも相成って、園児っぽく見えてしまうのは致し方ない事ではあった。
が、それを本人に言ったらどうなるかは、火を見るより明らかだろう。
「……」
レミリアは動かない。
なにやら胸元のタイを手で弄んでいる。
表情が無からまったく変化を見せないため、かえって恐ろしかった。
そろそろ逃げたほうがいいか、と考え始めたその時。
ついにレミリアが口を開いた。
「……いい……」
「「へ?」」
何故か幽々子まで答えていた。
「……うん、凄く良いわ……この感覚……形の差あれど制服はやはり素晴らしい……」
「あ、あの、レミリア、さん?」
「……幽々子様。お心遣い、本当に感謝致します。
このレミリア・スカーレット、その恩に報えるよう、誠心誠意で御奉仕させて頂きます」
先程までの無表情とはうって変わり、陶酔しきったかの様子で、流れるように口にするレミリア。
どうも別の意味で切れてしまったようである。
「そ、そう。そこはかとなく期待しているわ。が、頑張ってね」
さしもの幽々子もこれは予想外だったのか、曖昧な笑みを浮かべつつ、逃げるように立ち去ってしまう。
そして、再び場に残されたのは、妖夢とレミリアの二人。
「さ、妖夢さん。お仕事のご指導、お願いしますわ」
「は、はい……」
苛立っていてくれたほうが、まだ分かりやすくて良かった。
それが妖夢の本音であろう。
結局のところ、もう一つの懸念事項……日光対策に関しては、有効な手立ては無かった。
陣笠を装着するという手も無いことは無いのだが、それはビジュアル面で問題がある。
したがって、屋外ではあまり負担のかからない役割に徹してもらう。というのが妖夢の結論だった。
今回の剪定作業にあたっては、妖夢が切り落とした枝を、レミリアが拾い集めるという役割分担である。
これならば、片手が塞がっていても十分可能な作業ではあるし、妖夢としても大いに手間が省けるのだ。
が、残念なことに、一つ問題があった。
「……退屈ー……」
当のレミリアが速攻で飽きていたのだ。
初めの内は不可解な独り言を呟きつつ、くるくると踊るように仕事に励んでいたのだが、
自己催眠が解けたのか、今や、ずるぺたという擬音が相応しい、引き摺るような動作に変化しつつある。
なお、つるぺたでは無い。
ある意味においては正しいが。
「ねぇ」
「よいしょっ、と。何ですかー」
「あんた、いっつもこんな事してるの?」
「そうなりますねー。数が数ですし、さぼると大変な事になっちゃいますからー」
「ふぅん……」
レミリアは、頭上をひゅんひゅんと飛び回る妖夢を、気の無い視線で見やる。
こちらの問いに答えながらも、動きを止めるような様子は見受けられない。
それだけ集中しているという事だろう。
「(仕事熱心というより、それが自然と受け止められるまでに習熟している。
……いや、習熟せざるを得なかったという所かしらね)」
元より、レミリアの妖夢に対する評価は低くない。
未熟な所はあれど、自分の持つ従者感といった物に、かなり近いところまで辿り着いているという感想だ。
「(もし、昨日の勝者が私だったら……いえ、詮無きことね)」
思い浮かんだ未来予測図を、ぶんぶんと振り払う。
自分は、その運命を掴み取ることが出来なかったのだから。
例えIFの世界が存在していたとしても、それが『今』と交わる事は無いのだ。
「でも不思議ね。何故か、あの娘がうちで働く光景よりも、
大ボケ亡霊がかき乱す図のほうがしっくり来るわ……」
「何か言いましたー?」
「気にしないで、独り言よ」
考えても仕方ないこと。
そう結論付けるとレミリアは再び枝葉拾いへと意識を戻した。
退屈ではあっても、体を動かしているほうがまだ建設的と思ったからだ。
「ご苦労様でした。次は屋内の作業です」
「分かったわ」
レミリアは内心で、多少の安堵を覚える。
屋内ならば、もう少しマシな作業も出来るだろう。
使われるのは気に入らないが、役立たずと認識されるのもまた不快であったりする。
お嬢様のプライドというものは、かくも扱い辛いものなのだ。
「まずは掃除からですね」
「え、掃除?」
「はい、そうですが……何か問題でも?」
「い、いえ、気にしないで。
でも、この広さの場所を二人でやるの? 日が暮れるわよ」
「まさか。流石に全部はやりませんよ。日割りで少しずつ進める形にしてますから。
幸い、日常的に使っている部屋は多くないので、長い期間さえ置かなければ、そう苦労もしませんし」
「……ふむ」
道理である。
一日に使える労力を、すべて清掃に割り当ててしまってはどうにもならないだろう。
専業の掃除婦ならば話は別だろうが、妖夢は白玉楼の雑事すべてを請け負っているのだから。
「という訳で、今日はこちらの棟です。私は室内を担当しますので、レミリアさんは廊下をお願いします」
「ええ……って、ちょっと待った」
「はい? あ、説明したほうが良いですか?」
「そうよ。さっきも言ったけど、私は掃除なんてやったこと無いのよ。
で、除埃からするの? 床材は水拭きで大丈夫? ゴミはどこまで分別しているの?」
「ちょ、ちょっと、一度に聞かないで下さいよ。というか、やったことが無い割りには妙に専門的では?」
「き、気のせいよ」
「……まぁ、それならば思う通りにやって頂いて大丈夫だと思います」
「な、何を言ってるのかしらこの娘ったら。素人の私に任せるだなんて」
何故かレミリアは嬉しそうに答える。
もっとも、妖夢としても、教える手間が省けるのだから渡りに船といったところだろう。
……妨害さえなければ。
「甘い! 甘いわレミリア!」
またか、というのが共通の感想であった。
もはや悪態を吐く気力も無いのか、レミリアはうんざりした様子で振り返る。
「……はいはい、なんですか幽々子サマー」
「まぁ! 何てやる気の無い返事なの!? 白玉楼のモットーは『いつも明るく元気に生きましょう』よ!」
「……」
冥界が明るくてどうする。というかお前、死人ちゃうんかい。
といった突っ込みが本能的に浮かぶのだが、それを口にする気力もやはり無い。
そんなレミリアを余所に、無駄に元気な幽々子が口を開く。
「さて、どうも今の発言から見るに、掃除には一家言あるようね?」
「いえ、別にそんな事は……」
「しかし、本当に出来るのかしら? 私としては疑いの目を持たざるを得ないわ」
「……何だって?」
「言葉」
「ぐぐ……た、例え幽々子様といえども、今の発言はどうかと思います……わ」
「私は根拠の無い事なんて言いません。……そうね、ならば現実に示して差し上げましょう」
「……どうやって?」
「簡単よ。今から私もお掃除を始めます。どちらが素早く完了できるか競争よ」
「……は?」
流石にこの発言にはレミリアも耳を疑った。
精力的に勝負を挑んでくることがではなく、あの幽々子が掃除をするという点に、だ。
「あんた……じゃなくて、幽々子様。本気ですか?」
「本気と書いてマジよ。貴方が井の中の蛙でしか無いという事を教えてあげるわ」
「……」
ここまで挑発されては、レミリアも黙ってはいられない。
実の所、レミリアは掃除に関してはそれなりに知識を持っていた。
というより、掃除というものを決して甘く見てはいなかった。というのが正しい。
一番の腹心である咲夜に、専用の掃除係という任を与えているのもそのせいだ。
だから、という訳ではないが、幽々子にだけは馬鹿にされたくは無かったのである。
「良いわ。その勝負、受けて……」
「ま、待って下さいレミリアさん。あまり安請け合いしないほうが……」
「どういう事よ。まさか、アレが実は掃除の達人だとでも言うつもり?」
「い、いえ、そんな事はありません。私の知る限りでは、幽々子様はまったくのド素人です」
「……なら問題無いじゃないの」
「ですが……」
妖夢は一瞬考えると、レミリアの耳元へと顔を寄せた。
(あの幽々子様が、何の算段も無しに、こんな事言い出すと思いますか?)
(……)
言われて見れば、確かにそうだ。
挑発だけしておいて、情けなく負けたのではまったく無意味である。
ならば、確勝の秘策があっての提案に違いないのだ。
「ご主人様の前で内緒話だなんて、そんな子に育てた覚えは無いわよ」
「……少なくとも私は育てられた覚えなんて無い……ありません。
ともかく、その勝負、受けさせて貰いましょう」
「え!?」
驚いたのは妖夢である。
今の自分の提言は、耳から耳へと流れていったのか。
吸血鬼に脳は無いと聞いていたが、まさかここまで酷いとは。
等と失礼極まりない感想を抱く妖夢。
実際のところ、レミリアが結論を出すに至った理由とは、
「(んなもん知るか!)」
というシンプルかつ抑えようの無いものだった。
感情は時として理性を超えるのだ。
ルール……と言って良いのかどうか微妙だが、一応の取り決めは行われた。
今日、清掃予定であった廊下は、部屋を挟んでの二本の長い直線。
それを、レミリアと幽々子が一つずつ担当。
作業完了の確認は妖夢が取る。
以上である。
「ふんがーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
どこまでも美しくない掛け声が、白玉楼に響く。
誰の声かと尋ねれば、もちろんレミリアの声である。
レミリアは頑張った。
知識と現実の剥離を、意地と反骨心で乗り越えて。
除塵と掃きは早々に追え、今は全速力での拭き上げの真っ最中。
ここが一番の難関であった。
何しろ白玉楼の廊下は、極めつけに長い。
常人ならば、一往復しただけで息が切れ、二往復で意識が途切れ、三往復ならば生命も途絶え兼ねない。
無論、吸血鬼はそんな柔な存在でもないが、疲れるのは事実である。
が、そんな疲労などまるで感じさせない見事なまでの疾走劇が、廊下で繰り広げられていた。
「(あと半分……!)」
「はい、終了ー」
「なっ!?」
耳へと届いた暢気な声に、レミリアは驚きを貼り付けて面を上げる。
そこには、何ら疲弊した様子もない幽々子の姿があった。
「ほ、本当に終わったって言うの!?」
「嘘だと思うなら、妖夢に聞いてご覧なさい」
レミリアは間髪入れず、ぐいん、と首を向ける。
「……ええと残念ですが、幽々子様の勝ち……になります」
いかにも申し訳無さ気ではあったが、それでもはっきりと答えた。
妖夢がこういう状況で嘘を吐けるほど器用な輩では無いことは、レミリアも理解している。
即ち、これが現実。
「へぇ、ここまで進んだのね。結構頑張ったじゃない。偉いわね」
「ぐ、が、ぐ、ぎ」
「でも、まぁ、結果が伴わなくてはどうしようもないわね。
ま、せいぜい精進なさい」
「が、ご、ぐ、が」
困惑及び憤りが頂点に達したのか、不明瞭な呻きのようなものが漏れていた。
「あ、妖夢。あれ、片付けておいてね」
「……はい」
そう言い残すと、変わらずのニコニコ顔のままに立ち去っていく。
レミリアがその事実に気付いた頃には、既に幽々子の姿は無かった。
「……『あれ』?」
「ああ、聞こえちゃったんですね……」
「ええ、はっきりとね。で、『あれ』って何よ」
「……」
妖夢は言葉ではなく、行動で答えを示した。
幽々子が掃除していた筈の廊下から、何やら見たこともないような物体を引き摺って来たのだ。
「……何よこれ」
「ええと、こっちの小さいのが掃除機。大きいほうがポリッシャーといいます」
「……」
「用途は……言うまでもなく、清掃です」
「……」
それが実際にどのような働きを見せるアイテムなのかは分からない。
が、妖夢の態度からして、鼻から勝負にもならないレベルの反則技を使われた事だけは理解できた。
要するに、また良いように遊ばれたのだ。
「あ、あの、レミリアさん。お気持ちは痛いほど分かりますが、ここはどうか夜の王の寛大さで……」
青白かった筈の顔色は、完熟トマトの如く紅に染められており、
額に浮かんだ怒筋が今にも破けそうな、凄まじい形相である。
その心情、理解するには易すぎた。
「……」
「れ、レミリア、さん?」
聞こえていないのか、レミリアはすっくと立ち上がると、身近な柱へと歩み寄った。
そして……。
「舐めるのもいい加減にしろっての、この腐れ亡霊がぁああああああああああああ!!!」
頭を全力で叩きつけ始めたのだ。
「あああ、や、やめて下さいってばー! せっかく掃除したのが無駄にー!!」
「アイムパニッシャー! 森羅万象! ミスターセキグチッ!」
訳の分からない叫びと共に、がすん、がすん、と鈍い音が廊下に響き渡る。
その度に、まるで地軸が歪んだかの衝撃が奔る。
流石は幻想郷一の石頭だ。
等と、感心している場合でもない。
このまま放置しておけば、白玉楼が倒壊するのも時間の問題だろう。
「怒ったりする必要は無いんですよっ!
確かに判定上は幽々子様の勝ちですけど、真の勝者は貴方ですっ!」
「……」
必死の制止が通じたのか、レミリアはぴたりと動きを止める。
そして、ぐるりと首を九十度回転させた。
「……どういう意味?」
顔だけがこちらを向いているというホラーな状況。
しかも、その表情は怒りを通り越して爽やかな笑みにすら見える。
半分霊体であるにも関わらず、恐怖現象に極めて弱い妖夢にとって、この状況は耐え難いものだろう。
だが、ここで気絶するわけには行かない。
せめて、自分なりの結論くらい伝えておかねば、との思いが妖夢の中にあったのだ。
「……掃除に対する姿勢です。
幽々子様が何を考えていたのかは分かりませんが、
私の見た限りでは、レミリアさんを貶める為だけに行ったのでしょう。
事実、終わらせこそしましたが、内容は適当そのものでした」
「……」
「でも、貴方は違う。……いえ、違うと思います。
もちろん動機は幽々子様への対抗心でしょうけど、
少なくとも作業中は『ここを綺麗にしよう』以外の思考は無かったでしょう。
でなければ……」
妖夢はその場にしゃがみ込むと、床板の継ぎ目へと手を這わせる。
「……こうも完全に仕上げたりは出来ませんから」
上げられた指には、塵一つ付いてはいなかった。
「もし、勝つ事だけを考えていたなら、幽々子様のように適当に流していた筈ですし。
だから何も悔やむ必要なんて……」
「……うっさい」
妖夢の言葉を、小さい手が制した。
「半人前の分際で、生意気に人を評してるんじゃないわよ。
仕方なく来てやっただけの私が、なんだって仕事に精力を傾けなきゃいけないのよ。
勘違いも程ほどにしておきなさい」
「そ、そうですか。失礼しました」
「……ったく」
レミリアはぷいと背中を向けると、放置されたままの雑巾を手に取る。
「ほら、何をぼーっとしてるのよ。早く持ち場に戻りなさい。
どうせまだ仕事は山積みなんでしょ」
「……そうですね。では、こちらの残りはお願いします」
妖夢は軽く頭を下げると、襖の向こうへと消えて行った。
「……ったく」
レミリアは二度目となるぼやきを漏らしては、廊下との格闘を再開した。
そこに先程までのような憤怒の形相は無い。
「ぷはぁーーーーーっ!」
同刻。
襖を背に、盛大に息を吐く妖夢がいた。
「あー……怖かったぁ……」
手足は震え、背中を冷や汗が伝い、胸元のタイがほぼ垂直にまで曲がっている。
今のやりとりは、それほどまでに緊張を強いていたのだ。
対面中に表に出なかっただけでもマシとも言えるが。
「……こんなのが一日中続くのかなぁ……勘弁して下さいよ幽々子様……」
妖夢は誰ともなしにごちると、スカートのポケットに手を突っ込む。
中にはいくつかの包み紙の感触があった。
「……胃薬、足りるかな」
>一応前後編で終わる予定ですが、何故か私が言うと説得力に欠ける気がします。
それがYDS氏クオリティ。良い意味で想像を凌駕する方だ。
レミリア可愛いよレミリア。
楽しめます。笑えます。
最初の流れが一緒すぎワロタwwwwwwww
麻雀は程ほどにな!