ある晴れた秋の日。そしてここは冥界。今日も白玉楼は平和だった。
そんな中で、半人半霊の庭師こと魂魄 妖夢は庭に溜まる落ち葉をどこぞの巫女のように箒で掃きつつ、おもむろに空を見上げる。
「うん、今日もいい天気だな」 ――ピコピコ
空は雲ひとつない快晴。日の光に目を細め、透かした掌には流れる血潮。ああ、生きてるって素晴らしい……半分だけだけど。
「幽々子様は、まだ寝てるのかな?」 ――ピコピコ
妖夢の主でもある亡霊の姫君、西行寺 幽々子は日が昇りきってなお眠っていた。
よく食べ、よく眠る。死んでいながらにして健康的な毎日を送るお嬢様は、いつもポケポケとしていてちょっと真剣みが足りない。ついでに言えばカリスマも足りなかったりする。
しかし、それでも妖夢は幽々子のことをダメダメとは思わなかった。自分の主人を蔑むことなど以ての外だからである。そんなことでは庭師失格だ。
ちなみに、警護役としての方はだいぶ前から失格していた。
だから妖夢は考える。西行寺家に仕える身として相応しくあるために、何よりも主の名誉のために。
「うーん、幽々子様の良いところか……」 ――ピコピコ
幽々子の良いところ、やはりそれは今の世に稀少ともいえるあの健康的過ぎるまでのライフスタイルが挙げられるだろう。
上にも記したとおり、ウチの幽々子嬢はとにかく食べる。そしてとにかく眠る。だからもう色んなところが育つ。
色んなところと言っても主に一部分だが、その部分だけはまさに主の貫禄十分といったボリュームが……。
「はっ! い、いかん、私としたことが」 ――ピコピコ
そんなことではなくてー、と言わんばかりに首をブンブン振りまわす。
このままでは幽々子がダメダメになってしまう。いや、幽々子はこのままでもダメダメじゃない。
「あぅぁう。えーっと……、えーと」 ――ピコピコ
半泣きになりながら主の良いところを必死で探す妖夢。その様子は従者としての責任を差し引いても、なんだかとても不憫だった。
「あ、そうだ!」 ――ピコピコ
パッと顔を明るいものに変え、妖夢は閃く。
そう、幽々子があんなにも寝ぼすけなのはちゃんとした理由があるのだ。亡霊というからには、生前の肉体は今もどこかで永い眠りについている。身体は年がら年中寝ているわけなのだから、霊体もそれに伴って寝たがりなのは自然の法則に従った仕様がないことなのだ。
――じゃあ他の幽霊達はどうなのかって?
「むむぅ……」 ――ピコピコ
そうしてまた妖夢は考え込む。考えなくても良いことを真剣に考えようとするあたり、その性格が如何に真面目かということが窺える。
そこへ聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「妖夢ー、よーむー?」
「はっ、幽々子様!?」 ――ピコピコ
声のした方を振り返ると、そこにはまだ寝ているだろうと思っていた幽々子がこちらに向かって歩いてきていた。いや、あの姿を見る限り今の今まで寝ていたに違いない。何故なら、目は綺麗な横筋一本でその瞳を確認することは出来ないし、寝癖はまるでギャストリドリームそのもののようにあちこちに跳ねまくっていたからだ。
「幽々子様すみませんー、私は庭師失格です」 ――ピコピコ
「いきなり何なのよぉ……」
自分の不甲斐なさを詫びる妖夢。当たり前のことだが、たった今出張ってきた幽々子にはサッパリ事情が飲み込めていないようだった。
「それよりもご飯はまだなのー?」
そして、妖夢が一生懸命考えていた事象も、幽々子の頭の中では「どうでもいいこと」に分別されてしまったらしい。
それは妖夢も同じだった。
「は、すぐ支度しますゆえ、暫くお待ちください」 ――ピコピコ
ダッと地を蹴り屋敷へと飛んでいく妖夢。暫くとは言ったが、仕込みの方はもうすでに終わっている。朝食が出来るまでそう時間はかからないだろう。
残されたのは、今にもその場で二度寝してしまいそうな亡霊嬢と、落ち葉の山に刺さった一本の箒だけだった。
「妖夢ー、駄目じゃない掃除したらちゃんと片付けなきゃー」
そう言いながら、幽々子もまた枯れ葉で出来た即席の塚をそのままに屋敷へと歩き出した。
「美味しいですか、幽々子様」 ――ピコピコ
「ええ、とっても美味しいわぁ」
あまり味わって食べているようには見えないスピードで朝食を平らげる幽々子、それでも妖夢はその言葉に顔を綻ばせた。
おかわり、と差し出された茶碗を受け取り、ご飯をよそってまた返す。今朝だけでももう何度目のやり取りか忘れてしまうほど同じことを繰り返す妖夢は、いまだ目の前の朝食にありつけないでいた。
しかし、そんなことは些細なことだった。
「ところで、幽々子様」 ――ピコピコ
「? んぁにー?」
突然に話を切り出す妖夢に、幽々子はもごもごしながら返事を返す。もちろん、箸を持つ手が止まることはない。
「食べながらものを言うのはやめてください」 ――ピコピコ
「えー、そっちが話しかけてきたんでしょー?」
「あ、すみません……」 ――ピコピコ
「ま、いいけどー。それでなぁに?」
「あ、はい。実はですね」 ――ピコピコ
「妖夢」
「はい?」 ――ピコ
今度こそ、とばかりに意気込んで話そうとしたところにまたしても水を差された。反射的に首を傾げる妖夢に自慢の主が投げかけた言葉は、
「さっきからそのピコピコさせてるの、鬱陶しいからやめて頂戴」
「…………」
妖夢の言葉に連動して動くそれは、つい先日に起こった出来事の副作用的なものとして生まれたものだった。
「そんなこと言ったって、勝手に動いちゃうんですから仕様がないじゃないですか……」 ――ピコピコ
サラサラでおかっぱの銀髪をかき分けて頭頂部から生える二本の白い物体。フサフサしていてピコピコしているそれは、この前退治したばかりの敵、狂気の兎がつけていたのと同じもの、つまりはウサミミだ。
「一体どうしてこんなことになっているんですか!? あの薬師、こんなこと一言も言ってなかったじゃないですか」
――ピコピコピコ
妖夢の剣幕に合わせて激しく動く耳、見ている分にはそれほど深刻そうには見えなかった。
「妖夢、命の恩人にそんな言葉を使っちゃいけないわ」
ずず、と豆腐の味噌汁を啜りながら冷静に諭す幽々子。
「でも……、あ、そうだ幽々子様。これについて聞いてくるって話はどうなったのですか?」 ――ピコピコ
さっきから話したかったのはこのことだった。月の異変を解決した妖夢と幽々子であったが、それと引き換えに妖夢の目は真っ赤に染まってしまう。
しかし、永琳の治療の甲斐あってその件については事なきことを得て、またいつもの平和な日常が訪れるはずだったのだが……
「あー、それね。ちゃんと話しつけてきてあげたわよぉ」
「ほ、本当ですか!?」 ――ピコピコピコピコ
忙しなく躍動するウサミミを、まるで猫のように追いかける妖夢の半霊。頭の上はまさに春だが、残念なことに今は秋。
さしもの幽々子が鬱陶しがるのも無理はないことだった。
「嘘言ってどうするのよー。まあ、あっちも色々と忙しいみたいだから、そんなに時間は取れないとは言ってたけどねぇ」
「それでも構いません。さあ、今すぐ行きましょう、幽々子様!」 ――ピコピコ
「待ちなさい、妖夢」
「え?」 ――ピコ
目の前の料理に口をつけることなく、がたんと勢いよく立ち上がる妖夢を制すると、幽々子は箸を置いてゆっくりと言葉を続けた。
「あっちにも都合というものがあるでしょう、そんなに急いだところで相手に迷惑をかけるだけよ?」
「は、はぁ……、すみません私としたことが、つい」 ――ピコピコ
幽々子の言うことももっともだ。縮こまるようにもう一度座り、妖夢は自分を戒めた。つい気持ちが先走って己のことしか考えていなかった自分が恥ずかしい。
「それに、こっちにも都合というものがあるでしょ?」
「は?」 ――ピコ
落ち着いた物腰のまま差し出されたもの、それは空になった幽々子の茶碗。
半霊が頭上でハテナの形状を模し、呆けたようにそれを見つめる妖夢に、幽々子はずずいと更に茶碗を妖夢に向けて突き出した。
やがて、
「……まだ、食べるんですかぁ~」 ――ピコピコ
脱力しきった声が妖夢の口から洩れる。
結局、幽々子たちが永遠亭に向けて出発したのはそれから一時間後のことだった。
――永遠亭――
「…………」
「……あ、あの」
カルテを真剣な面持ちで見つめる永琳に溜まらず声をかける妖夢。丸椅子に腰かけて診断の結果を今か今かと待ち続けオドオドとするその様子は注射を怖がる子供にも似ている。
幽々子はその傍らで何も言うことなく浮いているだけだった。しかし、だからといってその顔は神妙なものかと言えばそういうわけでもなく至って平然。
永琳の隣にも人影はあった。妖夢と同じウサミミを持つ、しかしこちらはちょっとくたびれた感のある鈴仙・優曇華院・イナバ。何故かその服装はいつものブレザーではなく看護服を纏っている。早い話が、うどんげナースである。
「さっきから気になっていたんだけど……」
と、永琳。ようやく発せられた言葉に弾かれるように顔を上げた妖夢は餌に食いつく魚のようだ。
「それは、なにかしら?」
ペンで指し示したものは妖夢の頭から生えているもの、待ってましたとばかりに妖夢が口を開いて一気にまくし立てる。
「良くぞ聞いてくれました。実はこれ、以前患った赤目の病が直った途端それと入れ替わるようにして今度はこんなものが生えてきたというわけなのです。これを私はそちらでもらった薬が変な副作用を起こして今の事態に陥ったのではないかと思っているのですが――」
「それはさっき聞いたわよ。そうじゃなくて、その耳がなんでそんなことになってるのか」
「あ、はぁ……実は」
妖夢のウサミミからはきくらげが生えていた。もとい、それはよく見れば妖夢がいつもつけているリボンだった。ウサミミはそれでぎゅぎゅーっときつく結ばれてしまっている。
あれだけ忙しなく動いていたウサミミも、今はもうしわけ程度にピクピク蠢くだけ。
「それは私のほうから説明するわー」
庭師の言葉を遮り、今まで黙っていた幽々子が前に出た。
扇を取り出すと口元に当てて目を細める仕草をする。どうやら笑いを堪えているようだ。
「それがねー、コレ、妖夢が喋るたびにピコピコ動くものだから、鬱陶しくて一纏めにしちゃったのよー」
「どうやらそうらしいです……、って幽々子様なんで笑っているのですか!?」
妖夢もそれに続く。幽々子の言葉に頷き、またカルテの方に目を戻す永琳。割とどうでも良いことなのだろう。
「まあ、それはそのままにしておくと壊死するかもしれないから、早めに解くことをお勧めするわ」
「えぇ~」
「えぇ~って、なんですか!? いい加減段々と苦しくなってきたのですけど……幽々子様とってくださいよぅ」
「ふむ、神経は通っている、と……」
冷静に項目を書き加えていく永琳の横では、鈴仙がその光景にガタガタと震えだしていた。
嫌なトラウマでも思い出したのか、それとも今の妖夢の仕打ちがどれだけ辛いものか判っているのか、完全に傍観者であるはずの鈴仙はその目に涙を浮かべて今一番の被害者面をしている。
「さてさて、私たちも忙しいことですし、そろそろ診断結果を言いたいのだけどよろしいかしら?」
そう話を切り出され、妖夢は若干緊張した面持ちで前に向き直った。後ろでは渋々幽々子が耳のリボンを緩めようと苦戦している。
どれだけきつく結んだのだろうか……。
「は、はい。よろしくお願いします」
もし、もう治ることはなく、この先ウサミミをつけた生活を強要されることになったらどうしようなんてことが微かに浮かんだが、それは勘弁して欲しかった。自分は白玉楼の住民であり、永遠亭に引っ越す予定などこれから先もありえないからだ。
しかしそれも杞憂で、永琳はまるで偉大なる母のような微笑みを浮かべ、優しく語りかけるように口を開いた。それを見た妖夢は少しだけ安心し、この笑顔の前に治らない病気などないのだろうと悟った。これこそが天才である八意 永琳の本質と見抜き――
「もってあと三日ね」
「…………は?」
思わず聞き返すウサミミ妖夢。おそらく聞き間違いであろう言葉が頭の中を巡った。
――何を言ってるんだこのジャンキーはそうか危ない薬のやりすぎで頭がおかしくなったんだなそうかそうなんだなそうじゃなければそんなことを言うはずがないこの野郎今すぐ叩っ斬ってやるって言うか紛らわしい笑みを浮かべるんじゃないこの変態薬剤師めみょんみょんみょーん。
「ん、聞こえなかったの? もってあと三日って言ったんだけど」
「え…………えええぇぇぇーーーーー!?!?」
その大絶叫は永遠亭中に響き渡った。
ぐうたらと昼寝をしていた引き篭り気味の姫様は跳ね起き、その寝込みを襲おうとしていた妹紅は慌てて逃げ出し、てゐは悪戯用に永琳からくすねた危ない薬品をそこら中にぶちまけ、昼食の支度をしていたイナバたちは思い思いのリアクションを取りながら鍋をひっくり返す。
間近で聞いていた鈴仙はその聴力が災いして失神、そして僅かに失禁。永琳は大したものであらかじめ予期していたのだろう、ちゃっかり耳栓をつけていた。
幽々子はあんまり動じているようには見えない。いつものように右から左へ認識することなくそのまま通してしまったのだろうか。
そして大惨事の主犯、魂魄 妖夢はというと、口をぽかんと開けたまま放心していた。
――十分後――
「……で、そろそろ話し始めてもよろしいかしら?」
右手で片耳を押さえる永琳は、更に半分くらい魂が抜けて四分の一人になった患者に向けて確認を取った。
何の意味も成さない言葉を吐き続ける妖夢に喝を入れるように幽々子が声をかける。リボンはこの時になってようやく緩めることに成功した。
「妖夢、しっかりなさいな。ショックなのは分かるけど、お医者様の話はちゃんと聞かなきゃ駄目よー?」
「ゆ、幽々子さまぁ……、幽々子様はショックじゃないのですか? あと三日って言われたんですよ?」
妖夢の心境に合わせて、ウサミミは頭の上で盛大にしな垂れる。下手にリボンでまとめられているため、間違った増毛をしたように見えなくもない。
「そりゃあ、哀しいわぁ。妖夢がいなくなったら誰がご飯を作ってくれるのよー」
「……やっぱり私はその程度にしか見られていなかったのですねー!! うわーん」
「あのねぇ、いい加減こっちも時間が押してるのだけど? 診なければならない患者はあなたたちだけじゃないのよ」
ペンを指先でくるくる回しながら不満を募らす永琳。その後ろでは、数分前に目を覚ました鈴仙がそうだそうだーと便乗している。隠すべき痴態はすでに着替えて証拠隠滅済みであったが、鈴仙は口封じのことを考える前に己が愚行を記憶の渦から消し去ってしまっていた。もっとも、この中で鈴仙が口封じ出来そうな相手など、一人もいないのだが……。
果たして、このことが目聡い天狗によって幻想郷中に言いふらされることになるのは、もっとあとの話だった。
「あら、ごめんなさい。それで、ウチの妖夢の状態はどうなのかしらぁ?」
「そうねぇ、状況としてはあまり芳しくないわ。もうお手上げって感じかしらね」
あまりにもな言い方に、開きっ放しの口からガピーンという擬音が洩れる妖夢。続いてあうあうと流れてくる不思議な鳴き声、もとい泣き声。
「な、なんでこんな兎の耳が生えただけの病気で命を落とさなくてはならないのですか!? 何かの間違いなんですよね、そうなんですよね!」
ようやく我に返ると妖夢はその理不尽さに対して抗議を始める。しかし、永琳はあくまで冷静だった。
「あらあら、ずいぶんと甘く見ているようだけど、ソレはなかなか馬鹿に出来るような代物じゃないわよ?」
「――ッ!?」
ソレ、とは妖夢に乗っかっているウサミミのことだろう。その愛くるしい見た目からは想像も出来ないが、月の頭脳とまで謳われた永琳がそこまで言うのだから、それほどの危険物質らしい。
「本来、兎の耳なんてものは人間――あなたは半人半霊みたいだけど、そういうのには付いていないでしょう? 兎の耳と言うからにはそれは兎しか持っていない物。そんなものが身体の構造からして全く違う他の生物に発生したりすれば、それは間違いなく何かしらの不具合を引き起こすわ。しかも、ソレにはさっきも確かめたとおり既に神経が通っている。どこぞの出来損ないの妖怪じゃあるまいし、耳が四つも付いているなんて生物学的見地から見てもありえない。ホルモンバランスは崩れ、内臓系に障害が発生、その弊害として運動器官にも支障をきたし身体は麻痺を免れない、結果、魂魄 妖夢はあと三日で崩壊する」
「…………」
一気にまくし立てる永琳。
その長々とした説明を、口を半開きで聞いていた妖夢は実のところその話の三割も理解できていなかった。
恐る恐る幽々子の方を見つめるも、わが主は深刻そうな顔をして俯くだけ。それがちゃんと理解した上でショックを隠しきれていないのか、それとも単に端から聞く気がないのか、妖夢には解らなかったが、しかし、これだけは解る。とにかく自分はやヴぁいらしい! と。
「あ、あの~……」
「唯一の幸運といえば、あなたが半人半霊だったことね。例えばこれが神社でぐうたらしてる巫女とかだった場合は……」
「場合は……?」
「今日この場所に来ることも叶わなかったでしょうね」
「がーん!!」
頭にタライが落ちてきたような衝撃を受け、妖夢は反射的に己のショックを言葉で表現してしまう。今ので、自分の半身が更に大きくなった気がしないでもないが、今のところそれはあまり重要ではなかった。
自分の人間部分が大きくなろうと、逆に幽霊部分が大きくなろうと、自分に残された時間はあと三日。しかも自分が半人でなければ、もうすでにこの世にはいなかったというのだ。まあもともと住んでいる場所は「あの世」ではあるのだが……。
「がーん!!」
もう一度言ってみる。ピーンと突っ張るウサミミ。
どうしよう、どうすればいいのだ。妖夢は必死に考えた。ナイチチ……いや、無い知恵絞って必死に考える。もっと剣術だけじゃなく勉学の方にも勤しめば良かった、そうすれば今から自分がどうすればよいのか思いついたかもしれない。
「私は、これからどうすれば良いのでしょうか……?」
そうして考え抜いた結果、出てきた答えは分からなかったら人に聞く、だった。短絡的な答えだったかもしれないが、今この場では最善の一手だと妖夢は思う。
そも、さっきまでの言動から考えれば、目の前の薬師は大したことを言ってくれないかもしれない。
それでも……、それでも妖夢がそうしたのは、背後で鼻提灯をふくらます幽々子に比べれば、目の前の永琳の方が何か的確なアドバイスをくれるのではないかと考えてのことだった。
「そう、ね。考えようによってはあと三日もある。あなたがしたいと思ったことを、自分になり考えてやるのがいいと思うわ」
「私がしたいこと……」
「ええ、そうよ」
ニコリと微笑む永琳の顔は、今度こそ慈愛に満ちたそれだと分かった。
しかし、またしてもその穏やか空気は、今度は鈴仙の言葉によって打ち砕かれることになる。
「けど、師匠。どうして妖夢さんはこんなことになってしまったんですか? もしかして師匠が間違った薬を渡したとかそういうのじゃ――」
「うどんげ、その発言は私のことを疑っていると採っていいのね?」
「あ、いえ、決してそういうわけじゃ……ああ、すみませんすみません! もう実験はイヤなんです、お願いです勘弁してくださいぃぃ!!」
すかさず一歩半の距離を飛びのいた鈴仙は、その場で恥も外聞も無くペコペコと土下座する。
その動きは妙に洗練されていて、剣術を嗜む妖夢からはかなりの鍛錬を積んでいるものと見て取れた。
「何をそんなに怖がっているの、うどんげ? 今はお客様の前でしょう、私がそんなことするわけないじゃない」
「そ、そうですよね……ほっ」
「だから、あとでね♪」
「ひぃっっっ!!!」
ダッと逃げ出そうする鈴仙の、その襟首を瞬時に捕まえてしまった永琳。離してーとジタバタ暴れる姿は、狂気もへったくれも無いただの兎にしか見えない。
その光景を見ていた妖夢は、なんだか自分が話から取り残されているような気がして堪らず発言していた。
「あの、結局どういうことなのでしょうか……?」
「ん? ああ、そうそう。あなたのソレはどうして生えてきたのか、ね。最初に言っておくけど、私が出した薬はどれも副作用の心配は無い健全なものチョイスして渡したはず。間違っても兎の耳が生えてくるなんてことはないはずなのよ」
「はぁ、そうなのですか……」
リボンで結ばれたウサミミを、慣れない手つきで弄ぶ。
なんだかどうにもくすぐったく、そして、これが自分の命を奪うものだということに未だに実感が湧かない。
「そこで挙げられるのが、うどんげ」
「はい?」
急に呼ばれて間抜けな声を上げる鈴仙。それには構わず永琳は話を続けた。
「たしか、あなたが持っている座薬の中に、兎の耳が生えてくるっていう効果があるものなかったかしら?」
「……ええ、はい。確かにそういうものもありますね、ってまさか師匠!?」
「ええ、十中八九ソレが原因に違いないわね。今まで人間相手には試したことが無かったから、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかったけど……。
鈴仙、あなたがやったことはとてもじゃないけど許されることじゃないわ、ちゃんと謝りなさい」
「はぁ、すみませんでした妖夢さん……」
そう促され、ペコリと素直に頭を下げる鈴仙。
「…………」
「……あれ?」
場の空気がおかしな方向へ変わっていく。そして鈴仙はそれを知っている。こんなときは、振り向けばいつもそこにはてゐがいた。そう、そんな感じ。
妖夢は無言で椅子から立ち上がると、腰に差した白楼剣に手をかけた。
「い、いやいやいや! 私じゃないですよ、犯人は。っていうかそんな機会ないじゃないですか! 動機だってありませんし」
「――人鬼「未来永劫斬」!!!!」
「わーーーーーー!!!!!」
――十分後――
「うぅ、私じゃないって言ったのに……」
「すみません、すみませんー」
ボロボロに成り果てた鈴仙は、めそめそと泣きながら永琳の後ろに隠れて震えていた。
その姿に何度も頭を下げる妖夢。半霊も一緒になって頭を下げる。
「すみません、すみませんー」
「いいのよ、全部ウチのうどんげが悪いんだから」
「師匠~……」
「だって、結局うどんげの座薬は数が減っていたのでしょう?」
「それは、そうですけど……」
鈴仙に確かめに言ってもらったところ、もともと使う当てもないその座薬はいつの間にか数が減っていたという。
「しかしそれだと、いったい誰の仕業のでしょう。そもそも、そんな座薬なんて使ったこと無い……はっ」
顎に手をやり考えていた妖夢はふと思い当たる。すぐ身近に、そんなことをやりそうな人物がいるではないか。
妖夢はばっと後ろを振り向いた。視界に入った主は、妖夢と同じように後ろを向いている。というか、今まで寝ていたんじゃなかったのか?
「……じー」
「…………」
「幽々子様、どうしてこちらを向いてくださらないのですか?」
「別に他意はないわよー」
「幽々子様、もしかして……」
どうもおかしいと思っていたのだ。自分が命の危機にさらされているのに、異常なくらい暢気だったし。
そんなことを考えていると、幽々子は割とあっさり吐いた。
「大丈夫よー。妖夢にもしものことがあっても、ちゃんとまた白玉楼に向かい入れてあげるわよぉ」
「幽々子様ー!!!!」
「きゃー、こわーい」
躊躇いもなく抜刀して襲い掛かる妖夢から逃げるようにして、幽々子は診療所を飛び出していった。
ご乱心よろしく楼観剣をめちゃくちゃに振り回すが、舞い散る落ち葉を相手にしているかのように幽々子はそれを難なくかわす。
「うわーん、お医者さんなんて大嫌いだぁー!!」
「それは違うわ妖夢ー、お医者様がみんな悪い人っていうわけじゃないのよー」
「……なんだったのかしら、あいつらは」
「さあ……」
どうしてここで自分達に白羽の矢が立つのか分からなかったが、嵐のような訪問者はお礼も言わずに去っていった。
後に残るは永琳の「あ、診察料……」という悲しげな響きだけ。
――白玉楼――
屋敷に帰ってきた妖夢は、庭に放置したままだった枯れ葉の山の前にうずくまっていた。
幽々子には結局逃げられてしまったが、追いついたところで何が出来るわけでもなかった。報復が怖いし……。
「あと、三日しかないのか……」
半分死んでいるとは言え、三日後自分はどうなっているのだろうと少なからずの恐怖を覚えずにはいられなかった。
幽々子はああ言っていたが、自分は半人半霊などという輪廻の枠から外れたイレギュラーである。必ずしもこの場所――白玉楼に帰ってこられる保証などどこにもないのだ。
「もし戻ってこれなかったら――」
もう幻想郷のみんなとも会えなくなる。その中でもハッキリと浮かび上がるのは、もちろん我が主である西行寺 幽々子の顔、顔、顔……。
いつも妖夢の作ったご飯を食べながら美味しそうに顔を綻ばす幽々子。よーむよーむと茶碗を箸で叩きながらご飯を催促する困った顔の幽々子。獲物を見つけてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる幽々子。
「……食ってばっかだよ、このひとーーー」
がくーんと地に両手をついて、もう駄目アピールをする妖夢。盛大にかかる縦線が見ていて痛々しい。
今更気付く妖夢も妖夢だが、そこはそれ、主人を持ち上げる気概あってこそだろう。
「はっ、こんなことしてる場合じゃない」
永琳に言われたこと、『あなたがしたいと思ったことを、自分になり考えてやることがいい』。
自分したいこと……、妖夢はその場に正座し直して考える。腕組みしながら空を見上げ、地面を見下ろし、枯れ葉の山を見た。
「取りあえずは、掃除かな……?」
やりたことが掃除て、妖夢よ……。
それはさておき、天辺に箒の刺さったそれは擬似的なお墓に見えなくもない。このままにしておけば、自分はこの中に入れてもらえるのだろうか、といった阿呆な考えが一瞬頭をよぎったが、このままにして置けば確実に風に攫われてしまう。そうなる前に片付けてしまう必要があった。
それが終わったら昼食の準備をしよう。そろそろ幽々子がお腹を空かせて帰ってくる頃だと、妖夢は当たりをつけていた。
「そうと決まればさっさと終わらせ……うっ!?」
立ち上がろうとした途端、不可解な感覚に襲われた。頭を押さえ、妖夢は再び地面にペタンと座り込んでしまう。
「ゆ、ゆこ、さま……」
ぐるぐると回る視界の中で、幻想郷一強固な盾は落ち葉の山に倒れ臥した。
「……ここは――」
「目が覚めた? 妖夢」
「あ、幽々子様。それに、永琳……さん?」
目を覚ました妖夢が見たのは、心配そうな顔で覗き込む幽々子と、それとは反対に至って事務的な顔で薬箱を漁る永琳の姿だった。
「私は、いったいどうしてしまったのですか?」
「覚えてないの? あなたは外で気を失って倒れていたのよ。もうビックリしたわぁ」
「そう、なんですか……あ」
掃除をしなくては。あのままにしていたら幽々子に怒られてしまう。
「待ちなさい、どこへ行く気?」
「えっと、庭の掃除がまだ終わってなかったので……」
「駄目よ、ちゃんと寝てなきゃ」
「でも……」
「デモもテロもないわぁ、ここは平和な幻想郷」
「は?」
「とにかく寝てなきゃ駄目ってことよー」
「は、はぁ……」
仕様がなく布団を被る。そして、未だ薬箱を漁り続ける永琳に一言謝罪した。
「あの、永琳さん。すみません、昼に診てもらったばかりなのに……」
「気にしなくてもいいのよ、これが仕事だし。それにあなたの言葉は微妙に間違っているわ」
「え?」
「私があなたを診るのは、一日と半日ぶりということ」
「……え」
ガバッと身体を起こして妖夢は永琳を見やる。その拍子に若干ふらついたが、それは幽々子が支えてくれた。
ということは――
「妖夢、あなたはあれからそれだけの時間眠り続けていたということになるのよ」
「そ、そんな……じゃあ、私に残された時間って――」
「もうすぐ今日という日付も変わるわ。そうなったら、残された時間は一日足らずということになるわね。もちろん、あと一日きっかり保つなんて保証もないけど」
それには幽々子に変わって永琳が答えた。見れば空は濃灰色、すっかり夜のものと成り代わっている。
妖夢は今ほど自分の愚かさを呪ったことはなかった。あと三日しかない貴重な時間を、睡眠ごときに半分以上も費やしてしまったことを。
まだ何もやれていない、まだ何も考えてすらいない……
妖夢が頭を抱えて己自身を呪っているとき、少し離れたところでは幽々子と永琳がヒソヒソ話をしていた。
(で、ウチの妖夢の状態はどうなのかしらぁ)
(どうもこうも、別に問題ありませんよ、健康そのものです。倒れたのは、症状を見る限り貧血による立ちくらみか何かだと思うわ)
(あらあらー、ちょっと予定が狂っちゃったけど結果オーライね)
(だいたい、あなたが犯人だってことがすでにバレているじゃない)
(大丈夫よー、明日になればきっと忘れてるわー)
(……けれど、貧血程度で一日半も寝てしまうのだから、あなたの従者はよほど疲れていたみたいね)
(もう、そんなに褒めないで欲しいわぁ)
(褒めてないわよ……)
そんな話を近くでしていることは露知らず、妖夢は更に落ち込んでいた。半霊もウサミミも、今は力なくうな垂れている。
「どうしよう、あと一日しかないなんて、やはりこんなことしている場合じゃ……」
「どうーしたのー? よーむー」
抜け出そうとこっそり布団から這い出る妖夢に、すかさず声がかかる。
「わわっ、幽々子様!?」
「寝てなきゃ駄目って言ったでしょー」
「でも……」
「デモクラシーも独裁政治もないわぁ、ここは自由気ままは白玉楼」
「は、はぁ……?」
なんだかよく分からなかったが、取りあえず今は寝ているしかなさそうだった。
明日になればきっと身体の調子も良くなっているだろう。そうあって欲しいと願う妖夢だった。
「じゃあ、私はそろそろ帰るわよ」
おもむろに永琳が立ち上がる。それには主従二人ともが応対した。
「そう? ご苦労様ー」
「あ、わざわざすみませんでした……」
「いいのよ、仕事だし」
最初と同じ、それだけ言うと永琳は部屋をあとにしてしまった。そっけなくも見えるが、さっきのヒソヒソ話にはさすがの妖夢も気づいている。
あれはきっと自分には言えないようなことを話していたのだろう。それだけこの病気は重いということか……。
永琳は自分に情を移さないようにわざとそっけなくしているのか、それとも永琳自身、患者の身になって同じようにショックを受けてくれているのか、どちらにしろやはりあの天才は医者の鑑みたいな人間だと妖夢は自己完結をした。
真実を知ったら、妖夢はいったい何をしでかすのだろう……。
「さあ、妖夢。今日はもう寝なさい」
「は、はい、幽々子様」
いつもは妖夢が幽々子のあとに寝るので、こういった経験は珍しかった。なんだかとてもくすぐったい。
そんな事を考えているうちに何だかうとうととしてくる。先程起きたにも拘わらず、妖夢は数分と経たずに眠ってしまった。
霞んでいく視界の中で、幽々子の微笑みが邪悪なものに変わっていったのは、たぶん気のせいだろう。
――次の日――
「…………」
うっすらと開けた瞳は、屋敷の天井を映し出した。
その瞬間、妖夢はほっと息をつく。良かった、自分はまだここにいる。
壁掛け時計を見た。いつもより少しだけ寝過ごしてしまったらしい。庭の掃除は後にして、今日は先に朝食を作らなければなさそうだ。もうすぐ幽々子も起きてくるだろう。
頭の中で今日の予定を組み立て、妖夢は起きようと身体を起こ……せなかった。
「あれ……?」
動かない。右手も左手も、右足も左足も、指の先までピクリともしない。
『身体は麻痺を免れない』
「――っ!?」
昨日、いや実際の時間軸では二日前の永琳の言葉が蘇る。本当に予告どおりになってしまった。
どこか動くところはないのか…………あった。
「幽々子様ー、幽々子様ーーー!」
幸い首から上は動いた。その中で唯一助けを求めることの出来る口で、己が主の名を叫んだ。
ウサミミも一応は動かすことが出来る。ただ、あまり制御出来ていないことが気になった。要は勝手に動いているのだ。
「はいはーい、どうしたのー妖夢ー?」
さほどの時間もおかずにその声は主の元へと届いた。
なんとも暢気な口調でふわふわと飛んできた亡霊の姫君は、妖夢の必死の叫びに別段驚いた風もなくその傍らにゆっくりと降り立つ。
その軌道上で寝そべっていた半霊は、邪魔だと言わんばかりに時を同じくして幽々子に蹴飛ばされていた。
「あ、幽々子様、起きていましたか」
「失礼ねー、いくらなんでもこんな早くに寝ないわよぉ」
「はぁ、すみません……え?」
寝る? 起きるの間違いじゃなくて? そこまで考えて妖夢は愕然とする。
外の景色は、またしても夜のものだった。
さっき妖夢が見た時刻は朝のものではなく、それから更に一周したあとのものだったのだ。
「私、もしかして……」
「ええ、そうね」
目的語の抜けた会話ではあったが、それは成立していた。
今日が終わるまであと四時間くらい。いくらなんでも早すぎる。永琳に死の宣告を受けてから自分が体感した時間など、ものの三時間もなかったではないか……。
「幽々子様、やっぱり私は幽々子様に仕える者として失格です。こんな不甲斐ないことになるなんて……」
「そんなことないわぁ、あなたはよく頑張っているもの」
「でも……」
「デーモンもサタンもないわぁ、ここは西行寺率いる幽霊屋敷」
「幽々子様、それはちょっと厳しいかと……」
「そうかしらぁ?」
おとがいに人差し指を当ててうーんと唸る。幽々子はあくまでもいつもどおりだった。
妖夢はその姿に安心すると同時に不安になっていた。
「幽々子様、そう言えばここ数日の食事はどうされていたのですか?」
「妖夢ー、もしかして私が料理の一つや二つ出来ないなんて思っているんじゃないでしょうねー?」
「え、いや、そんなことは……」
「いいのよー、本当に出来ないからぁ」
「幽々子様……」
カクンと首を垂らして、妖夢は呆れ返る。
「いざとなったらその辺で捕食でもするから心配ないわよー」
――その辺――
「くちゅん!」
「どうしたのー、みすちー?」
「なんかわかんないけど、風邪かなぁ?」
「私もなんだか寒気が……」
その頃、空の散歩を愉しんでいた闇妖怪と夜雀は、得も言われぬ恐怖を感じていた。
「そうですか……。じゃあ、庭の掃除は?」
二百由旬もある庭を掃除するのは、並大抵の努力じゃ無理だろう。
「掃除好きの巫女が確かあっちの方にいたわねぇ」
「やってくれるでしょうか?」
「それはまあ、お賽銭次第ねー」
――博麗神社――
「魔理沙」
「んー? どうしたー霊夢」
「夢を見たわ!」
「……なんの?」
「近々お賽銭箱に大量のお金が投入される夢」
「……予知夢ってやつか? まさに夢だな」
「そうね」
出しっぱなしのコタツの天板に片頬乗せてだらける巫女と魔法少女は、実のない会話に花を咲かせていた。
「そうですか……」
「だからね、妖夢」
「はい?」
「あなたが無理をしなくても、だーれも困らないのよ」
「は、はぁ……」
それはもしかして、遠まわしにクビだと言っているのだろうか。自分がこんなだから……。
いつもの微笑みを携えながら言う幽々子に、妖夢は目を逸らす。とても直視なんて出来やしない。
「だから、これからは適度に休みを入れて働くようにしなさい」
「…………」
その言葉に、妖夢は思わず笑ってしまうところだった。妖夢に残された「これから」は、もうあと何時間もないというのに。
「幽々子様、私に残された時間はあと少ししかありません。それでもそれが幽々子様の命と仰るならば、この魂魄 妖夢、限られた時間の中を今までとは比べ物にならないほどの密度でお仕えさせていただきます」
「? 何を言ってるのかしら、妖夢?」
「は?」
「あと少しなんて言わずに、明日も明後日も明々後日も、あなたはここでしっかりと働いてもらうわよぉ」
「え? だ、だって……」
困惑しオロオロとする妖夢。明日どころか今日が命日の自分に、いったい何をさせる気だ。
「じゃあ、これはもういらないから取っちゃおうかしらー」
幽々子によって鷲づかみにされたウサミミは、何かしらの危険を感じたのか突然ビチビチと暴れだした。
「え? えぇ?」
「えーい!!!」
「わーーー!!!!」
ポン、という小気味良い音と共に、妖夢の頭にくっついていたウサミミはいとも容易く取れてしまった。
鈴仙の耳よりも風船がしぼんだようにシナシナになっているそれは、リボンで一まとめにされたまま幽々子の手の中に収まっている。
「あれ? な、なんで……?」
未だ手足を動かすことは叶わないが、頭の上が何となく寂しく感じられるので、本当に病原体ともいえるウサミミは幽々子の手によって摘出されてしまったのだろう。
「ちょーっと邪魔だったから、私の能力を使って「殺」しちゃったのよぉ」
「な、なん……もしかして、幽々子様は最初からこれを狙って――?」
「そんなことないわよぉ、一か八かの賭けだったんだからー。もう幽々子どっきどき♪」
くるくると回りながらおどける幽々子に対して妖夢は、
(絶対嘘だぁーーー……!!!)
心の中で泣き叫んだ。
――エピローグ――
「こんにちは」
「あら、こんにちわー、何か用かしらぁ?」
こちら冥界のお昼時。いつものように昼食までの時間をボーっとしていた幽々子の前に三度現れたのは、永遠亭の薬師だった。
「何か用って、あなたに呼ばれたからこうして来ているのだけど……」
「あらー、そうだっけー?」
「ま、いいけど。それで、あれからあの子はどうなりましたか?」
「見ての通り、元気よー」
閉じた扇で指し示すのは、落ち葉に向かって箒をせっせか動かす庭師の姿。
そのいつもと変わらぬ姿に、幽々子と同じように永琳の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
「けど、いくらなんでも強引過ぎたんじゃないかしら?」
「でもー、このくらいしないとウチの妖夢は休んでくれないんだもぉん」
今更言うのもなんだが、全ては仕組まれたことだった。
妖夢が赤目になってから、これも良い機会だと幽々子が永琳にこの案を持ちかけたのがそもそもの始まりだったのだ。
もはや何を狙ってのことだったかは、多くを語る必要もあるまい……。
「まあ、良いですけどね。その心意気を買って手を貸したわけですし」
「どーもー」
「あんまり誠意が感じられないようにも見えますが、まあいいわ。これからも八意印をごひいきに」
「はいはーい、じゃーねー♪」
手を振りながら永琳の後ろ姿を見送っていた幽々子は、ふと背中にかかる妖夢の声に振り返る。
「幽々子様ー、ゆーゆーこーさーまー」
「はーい、なぁにー?」
庭の掃除もあらかた片付いたのか、箒に寄りかかるようにしながら妖夢は主の名を呼んでいた。
「もうすぐ昼時ですけど、お食事の方はどうしますかー?」
「もちろん、食べるわよー」
「はいー、了解しましたー。永琳さんも食べていきませんかー?」
「――っ!?」
ぎくりとしながら振り返る永琳に幽々子は微笑みかける。
「あらあら、見つかっちゃったわねぇ」
「まあ、隠れるつもりもありませんでしたけど。そうね、せっかくだからいただくわ」
「妖夢ー、こちらも食べていくそうよー」
「はーい」
そのやり取りを終え、妖夢は屋敷の方へと駆けていった。その姿を見送りながら、
「あんまり、忙しさ的には変わっていないようですけど……?」
「そんなことないわよぉ、休憩時間を朝昼夜と各一時間ずつ与えたしー、睡眠時間だって三時間も増えたのよー」
「あの子にいったいどんな生活を強いてきたのか、想像に難くないわね……」
「やーん、もう。だからそんなに褒めないでー」
赤く染めた頬に手を添え、照れながら扇でビシバシはたいてくる幽々子の手を取って、永琳はもう一度言ってやった。
「だから、褒めてないわよっ」
台所へ向かいながら妖夢は考えていた。
結局のところ、今回の事件も単に幽々子の暇つぶしに過ぎなかったのかと。
そのせいで命を落としかけたのは事実だが、それもいつものことなので妖夢は別段気にしていなかった。これを気にしないでいられることがどれだけ不憫なことかというのも、妖夢は理解していなかった。
ちょっとだけおつむが弱い妖夢に、今回の件で幽々子が何を言いたかったのかは分かっていない。
ただ、何かを伝えたかったということだけは分かった。頑張れみたいな事を言っていたような気がするので、妖夢はこれからももっと頑張ろうと思った。頑張らなくてはいけないのに、何故か休憩時間が増えたのは謎だった。
「うーむ……」
分からないことだらけで思わず首を傾げる妖夢。その背中を半霊につつかれて、妖夢は我に返った。いつの間にか足が止まっていたらしい。
そうして再び歩を進め、台所に着いたところで妖夢は一つの結論に達したのだった。
「なんだかよく分からないけど……」
エプロンを慣れた手つきで纏いつつ、
「お師匠様、今日も白玉楼は平和です」
ともあれ私自身、東方初心者なので強く言えませんが良作だと思います。
お互いに頑張りましょう。
こんな稚拙な文章を読んでいただき、しかも点数まで付けてくださるなんて、感謝してもしきれません。お疲れ様です。
その労働条件はアリエナサスw