結局のところ、貴方は私なわけで。
そう考えると私は貴方なわけだ。
まあ、それが答えってことでここはひとつ。
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小洒落た喫茶店。テーブルに片肘をあずけ、金髪のメリーはふにゃっとため息ついた。
洒落た店内に掛けられている洒落た掛け時計を眺めてみて分かるのは、相方の洒落にならない遅刻のみ。
もう一度メリーは、ふにゃっとため息をついた。
それを待ち構えていたかのように、ちりんちりんと喧しくドアベルが鳴る。
待ち人のお出ましではある。
「遅い、遅いわ蓮子。多分五分くらい遅刻」
「いやぁ、そんなことないって。四分半くらいのものよ。多分」
遅刻者蓮子はどっかりとメリーの反対側に座り、ついでにコーヒー一杯注文。
夏至の昼間に走りかいた汗を、彼女のトレードマークである黒い帽子でばたばたと冷やす。大分はしたない。
「あのね、蓮子……」
「で、なに? どうせまた、『向こう側』から変なものでも持ってきたんでしょう」
大当たりだ。
相対性精神学における遅刻の定義を説こうとしていたメリーは口をつむぐしかなかった。
「だってそうじゃない。メリーが秘封倶楽部の活動外で私を呼び出すなんてめったにないし、それにこの店――」
ちょうどよく店員から手渡されたコーヒーをぐいっと一口。
「コーヒーが不味いもの。緊急以外じゃこんなとこで集まらないわ」
あぁ、馬鹿。そんな大声で言ったら店員に聞こえるじゃないか。
まずーいもういっぱーい、とか笑っている蓮子を尻目にメリーははらはらである。
『ひも』なんていう小数点以下にゼロが三十二個並ぶ宇宙で一番細かい研究をしているくせに、日常生活の蓮子は大雑把でいけない。
「全くもう……」
これ以上雑談していたら、いつ店を追い出されるかも分かったものでない。
今日三度目、ふにゃっとため息をついたメリーは本題へ入るのだった。
「うん、実はね。また夢を見たの」
秘封倶楽部。
メリーことマエリベリー・ハーンの所属するサークルである。
「だからメリー。それは夢じゃないって。貴女、気付かないうちに『向こう側』へ行ってしまっているのよ」
構成人数はメリーと蓮子の二人ぽっち。
活動内容は、主に身近にある境界の綻びを見つけ、『向こう側』を覗き見ること。
「だから出来事が夢か現かなんて関係ないってば。まあ、それはいいとして」
ひとつ間を置いてから、メリーは膝の上のバッグを探る。
「これが、今日のお題目」
メリーが両手でゆっくりと取り出したのは、中くらいの人形。
それも一つではない。容姿の違う人形がいち、に、みっつ。
フェルト生地で作られたそれらは、かなり使い込まれていて、いってしまえばぼろっちい。
「ふむ」
取り出されたものを見て満足そうに頷く蓮子だが、メリーは不安で一杯である。
秘封倶楽部における活動タイミングの大体は蓮子が決めるが、実際に主導権を握っているのは結界の境目が見える程度の能力を持っているメリーだ。
しかし、その能力の代償か何なんだか知らないが、メリーはたまに、自分でも気付かないうちに『向こう側』にいってしまうことがある。
然るべく、『向こう側』に在るものを『こちら側』に持ってきてしまうことも。
そして、それらは秘封倶楽部にとって格好の研究対象となる。
「じゃあ、聞きましょうか。今回のメリーの冒険譚」
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メリーが気付くと、真っ暗な森の中に居た。
ぽかんと辺りを見回してみても、見えるのは木々、木々、木々。
鬱蒼と茂る背高な木々は闇の中で尚暗く、差し出した手の平さえ怪しい。
これを指して如何にも五里霧中といった雰囲気の中、メリーはとぼとぼと歩き出した。
なんとなく、そうしなくちゃいけない気がしたから。
そうして頼りない足元の中、半刻ほど歩いたろうか。
ふと、メリーの眼前がぱっとひらけ、頭上には夜空が広がったのだ。
蓮子の能力ならば、ここがどこだか分かったのだろう。
ふにゃっとため息をついたメリーは、前方に視線を戻す。
戻して、ちょっと驚いた。
森が少し開けた広場の中心。
黒い背景に浮かび上がるようにして、真っ白な洋館が映えていたからだ。
如何にも、魔女とか出てきそうな。
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「……」
「……」
「……え。それで終わり?」
「うん」
蓮子は大げさに肩をすくめて見せる。
「ちょっと待ってよメリー。これからが良い所じゃない。洋館に入ったの? 館の主は? 結局この三つの人形は何処から持ってきたの?」
「それがよく覚えていなくて」
ぽへっと答えるメリー。本当に覚えていないのだから仕方ない。
それを聞いた蓮子は芝居がかった動作で、あちゃーっと手の平で顔を覆う。
「メリー、アルツハイマーモードぉー。これだからメリーは」
「うるさいわねえ」
「うーん、となると」
シナモンスティックをがりがり齧りながら蓮子は思案する。
はしたない。とメリーは思う。
「この人形たちはどっから持ってきたのかしら。何も理由が無いはずが無いわ。きっと『何かしらの理由』があってメリーはこの人形をあちら側から持って帰ってきたのよ。違いない」
メリーが丁寧にテーブルの上に置いた三つの人形をがしっと掴み取り、にらめっこする蓮子。
相変わらずシナモンは咥えたままだ。
「ふーむ」
つられてメリーも人形を観察。
三つの人形。
先程も言ったとおり、三つとも姿かたちが違っている。
一つは、明るい金髪のよく目立つ人形。
一つは、ツバのついた黒い帽子がトレードマークの人形。
一つは、特に特徴も無く、描写に困る、なんてこともない人形。
メリーは自分の人形に名前をつけるタイプの人間であるから、それについて考えていた。
例えば、この黒帽子の人形。
黒帽子といえば。
黒帽子といえば……。
ん?
「む」
同時に蓮子も何か気付いた様子で声を上げた。
金髪の人形を見て、だ。
「ねえ、メリー。この金髪の人形さ」
一つ息をつき。
「メリーに似てない?」
ああ、やはり。
メリーも大体同じことを思っていた。
「じゃあ蓮子。こっちの黒い帽子を被っている子は、蓮子に似ているわ」
「うわ、そんな気がする」
お互いに、自分に似ているといわれた人形を再度見つめる。
かなりデフォルメが利いており、その上ちょっとぼろっちいため識別困難ではあるが、確かにその人形は自分の特徴を捉えているように思える。
そこで、蓮子がパンと片膝を叩いた。
「分かった!」
意気揚々と語る。
「きっと、メリーがたどり着いた洋館には魔女が住んでいたのよ。それで、訪れたメリーに向かってメリーを模した人形で呪いをかけようとした! しかし聡明で明晰なメリーはそれを察知し、呪いをかけられる前に人形を奪って逃げ出したのだ! 愚かな悪い魔女はその記憶をメリーから奪い取るので精一杯なのでした。めでたしめでたし。終わり」
滅茶苦茶だ。
というかなんで自分が呪いをかけられなくちゃいかんのかとメリーは思う。
「というわけで結論。この人形は私たち二人を模した呪いの人形。でももう効力は切れちゃってるから心配ないよー」
まあ、秘封倶楽部の活動なんて割と適当なもので、『向こう側』をネタにして楽しく話が出来れば、それが真実じゃなくてもOKなわけではある。
「あっはっは。今日は中々楽しめたわメリー。というわけで、このメリー人形は私がもらっていくから」
じゃあこの蓮子人形はメリーが持って帰るということだろうか。
「お互いの人形を持っている乙女同士とか、ちょっとロマンチックよね」
まあ、それはいい。それはいいのだが。
メリー人形蓮子人形と聞き、さっきからずっと気になっていたことをメリーは蓮子に尋ねる。
「でも蓮子。人形は三つあるのよ。この二つの人形が私たちを模した物だとして、この三つ目の人形は何かしら」
高笑いしていた蓮子の動きがぴたっと止まる。
ゆっくりと蓮子人形を見、メリー人形を見、そして、三つ目の特に特徴の無い人形を眺めた。
「ふむ? 貴方誰?」
答えてくれるはずも無く。
思考する二人の間で、完全に時が止まる。
しかし洒落た喫茶店の洒落た店内に掛けられた洒落た時計は洒落じゃなく確実に時を刻むのだ。
チクタクチクタクと繰り返される一拍子にメリーが飽き始めた頃、蓮子は結論を出した。
三つ目の人形をびしっと指差し。
「貴方は『貴方』」
はぁ?
とメリーが嘆息するも、蓮子の弁は止まらない。
「この人形は、私」
黒帽子人形を指差す。
「この人形は、メリー」
金髪人形を指差す。
「そして、この三つ目の人形は誰でもあって、誰でもないの。だから『貴方』」
にやりと笑った。
「そう呼ぶことにするわ」
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メリーがまず朝起きてすることといえば、記憶喪失にでもなったかのような様で辺りを見回すことだ。
そうして、日差しの漏れる薄いカーテンと出窓に置かれたクマのぬいぐるみ、何の面白みも無い定音で時を削り続ける掛け時計が見えると心底安心する。ああ、ここは自分の部屋なのだな、といった感じで。
それが習慣づいたのがいつ頃からかはよく覚えていないが、おそらく結界の綻びを多く見かけるようになってからだと思う。
最近は特に多い。結界の綻び。
半笑いした下唇のような格好で見えるそれを、メリーは『スキマ』と呼んでいた。多少語弊があるにしろ、である。
「ん……」
寝ぼけ眼を擦りながら、やかましい目覚まし時計を止めた。
ベッドで小さくあくびをしたメリーは、いつものように辺りを見回す。
「……」
カーテンにクマに掛け時計。今日も世は事も無き。
少なくともスキマの『向こう側』に飛んでいるということはなさそうだ。
いつもと違う所と言えば、クマの隣に置いてある二つの人形くらいなもので。
「ふあぁ」
例の喫茶店での会合以来、『貴方』と呼ばれた人形はメリーと蓮子を交互に行き来していた。
まあ、好きなときに持ってって、一通り遊んで、飽きたら相方に渡す。そんな適当な所有物と化しているのだ。
蓮子が三つ目の人形を『貴方』と名づけたのは、未確認飛行物体でUFOだの、未確認生物でUMAだの、X線だのHeだのAAAだの、そういった表現をしたかったんだろう。
誰なのかわからない人形。故に誰でもなく誰でもある、『貴方』。英語だとYOUだろうか。そういうことだ。要は言葉遊びがしたいだけなのだ。
そんなことを考えながら、メリーは黒帽子人形と『貴方』を手に取る。
「今日の『貴方』はY教授」
らしい。
「蓮子は貴方が細かいことに五月蝿いからっていつも愚痴っているのよ」
黒帽子人形を『貴方』の前に立たせ、自分の手で動かし。
「えい、蓮子パンチ。蓮子パンチ。貴方はいつも細かいことに気にしすぎなのよー。まったくー。再現性がなんぼのもんだー」
このような感じで遊ぶ。
「飽きた」
そして、人形二つを元の位置へ戻そうと、出窓に振り向きなおしたときである。
「……うぇ」
朝から嫌なものを見てしまったな、とメリーは思った。
今日は一日憂鬱だな、とも。
「全く」
メリーのベッド、枕元に、例の下唇のようなスキマが、ぱかっと口を開いて佇んでいた。
スキマは見慣れているのであまり気にしていないつもりだが、たまに、食卓の上とか洗面所の鏡とかその辺にピンポイントで存在されると非常に気になる。ベッド枕元もまた然り。
このスキマについて、以前、蓮子が弁論していたことを思い出す。
スキマの向こう側には確かに『向こう側』が存在するのだ。
ただ、残念ながらそれは『確かに存在する』と言う点においてでしか明確でなく、『どんな世界か』と言う点において不明確である。
故に、スキマを覗く以前のスキマの向こう側は単に『向こう側』でしかなく。
私たちが考えうる限りの『向こう側』が存在し得るのよねー。
つまり、どうしようもなく曖昧に、『向こう側』。
UFOとかUMAとかと同じ、未確認の世界よ。
そこまで考えてメリーは気付いた。
ああ、考え方が『貴方』人形と同じじゃないか、と。
それでねメリー。
『向こう側』は私たちが覗くことによって、その存在を明確化させることが出来るの。
どんな世界でも足り得るという可能性を失う代わりに、『向こう側』は自分が何者であるかを知るのよ。
つまり、私たち秘封倶楽部はスキマの『向こう側』の存在を存在させるための存在なの。
その時話を聞いていたメリーは、この辺で、蓮子の言っていることがよく分からなくなって生返事モードに切り替えたのだが。
でも最初に言ったとおり、『向こう側』がどんな世界なのか。それは覗いてみるまで分からない。
すごく危険な世界かもしれないし、すごく楽しい世界で帰ってこれなくなるかもしれないし、そもそも存在しないという形で存在している世界かもしれない。
だから、メリーは結界の綻びが見えても、決して一人だけで覗いちゃ駄目よ。
絶対に、私が覗くと決定したスキマしか覗いちゃいけないわ。
そのために、私の能力があるんだもの。
そうやって蓮子に言われてから、メリーはスキマの『向こう側』を気にすることをやめた。
『向こう側』。
なにでもあり、なにでもない世界。
その幻想を一身受けてなお存在し得る『向こう側』。
『貴方』と名づけられたこの人形も詰まるところは同列で。
だれでもあり、だれでもない。
そんな可能性を持つが故に『貴方』。
そういうことだ。
ちょっと蓮子見直した。
ここまで考えた所で、メリーは自分が遅刻寸前であることに気付いた。
何の面白みも無い真っ直ぐな秒針は何のひねりも無く真っ直ぐに時を刻むのだ。
さっさと出ねば。
えーと、『貴方』。
貴方は分類的にこのスキマと友達みたいだから、スキマの隣においておくわね。
スキマが広がったり移動したりしたら『向こう側』に落ちてしまうかもしれないけれど、まあそれでもいいわよね。もともと『向こう側』の存在なのだし。
黒帽子人形を出窓、『貴方』を枕元に置き、メリーはふにゃっとため息ついて家を出た。
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「やっぱりさー」
蓮子が奇跡のようなスピードで食堂のナポリタンを食っている。
何故口元が汚れないのかメリーは不思議で仕方が無い。
「あの人形、怪しいわ」
あの人形って『貴方』のことだろうか。
食べながら喋れるマルチタスク蓮子システムの方がよっぽど気になるメリーだが。
「なんていうんだろ、こう、『貴方』が後ろに置いてあるとね。何か視線を感じることがあるのよ。見られてるー、みたいな」
「えー。気のせいじゃない」
「うーん……でもね、他にも色々」
それから蓮子は、『貴方』が置いておいた位置から微妙に動いていた気がするだとか、髪がちょっと伸びてるような気がするだとか、色々と怪談を語ってくれた。
「でね、一番、確信を持ったのが……」
食堂テーブルの反対側に座っていたメリーへ向かって、ずいと体を突き出してくる蓮子。
「『貴方』の目なのよ」
「目?」
『貴方』人形の目は透明なガラス玉を半分に切ったような物が取り付けられてある。
目が透明であるという点も、『貴方』のアイデンティティを希薄にしているのかもしれない。
「見られている気がしたときに、『貴方』の目をね、じーっと覗き込んだのよ。こんな感じで」
額をしかめ、細目で睨んでくる。
「そうしたら、見えたの」
「見えたって、何が」
ナポリタンを食い終わった蓮子は、空の食器を返却すべく立ち上がりながら。
「星空が見えたの。目の向こう側に。都会ではありえない、澄んだ空気で満天の星空」
そうしてからからと笑い、片手を振って、蓮子は席を後にした。
「……星?」
残されたメリーはただただ困惑するのみである。
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夕方。
大学から帰宅し、疲れた体で自室のドアを開けた瞬間、メリーはすごい勢いで飛びのいた。
自室のドア、その開けた真下に、毒々しい紫のスキマが口を開いていたからである。
なんだこれは。トラップか。罠か。ベトナムか。
出入り口に潜んでいるなんていくらなんでも性質が悪すぎる。
恐らくは、朝、枕元にあったスキマが一日でこちらまで移動してきたのだろう。
スキマは突然に現れて移動しては消えてゆく。
結界の綻びが消えるということは何者かが直している可能性の示唆であるのだが、メリーはその光景を見たことが無い。これからも見ることはないだろう。
全く持って危うい自分の能力だ。
蓮子は『貴方』のことをやたら怪しがっていたが、メリーにとっちゃスキマの方がよっぽど危険である。
ん。
『貴方』といえば……。
メリーは無駄な動作無くスキマを避け自室に入り、ベッドの枕元を見やった。
やはりだ。
朝、枕元に置いたはずの『貴方』人形がなくなっている。
恐らくは、ちょうどスキマの移動する通り道にあったため、スキマを通って『向こう側』へ落ちてしまったのだろう。
「あーあぁ」
残念無念再来年。また今度、たまたま『向こう側』の物を持ってこれる日を待ちましょう。
ふにゃっとため息をついたメリーは背中からベッドに倒れこむ。
「ぐぁ」
なんだか無意味に疲れた。
リフレッシュする。リフレッシュする。
そうだ、黒帽子人形、目下の所蓮子人形をつついて憂さ晴らししよう。
「よっ」
若い掛け声とともに上半身を起こしたメリーは、朝、黒帽子人形を置いた出窓に手を伸ばす。
手を伸ばして、
手を伸ばして、固まった。
「……あれ?」
貴方。
貴方は誰?
貴方は……。
「貴方は、『貴方』」
黒帽子人形の横、当たり前のように『貴方』人形が腰を据えていた。
嘘だ。
確かに今日の朝、枕元に置いたはずだ。
で、スキマに飲まれたと。
自分がボケたのだろうか。
いや、記憶に間違いは無い。
じゃあ、答えは一つということだ。
『見られてる気がするのよねー』
ナポリタンを咥えた蓮子の顔が脳裏をよぎる。
蓮子は確かに言っていた。
動いているような気がする、とも。
……スキマを避けた?
「……」
メリーは携帯電話を取り出し、問答無用で蓮子へかける。
『もしもしメリー? どーしたのー。メリーからかけてくるなんて珍しいじゃない』
「あぁ……蓮子? その、やっぱり、あの人形、ちょっとおかしいわ。明日……いや、今から集まれないかしら」
『うひゃー。メリー、私が昼に言ったこと真に受けちゃったの? かーわいーわねーメリィー。真夏だけどメリぃークリスマース! あっははははは!!』
メリーのこめかみでブチンと音が鳴った。
「緊急だからコーヒーの不味い喫茶店でよろしく」
_/_/_/_/
蓮子はまだ来ない。
洒落た喫茶店で不味いコーヒーを飲みながら、メリーはやはり、ふにゃっとため息をついた。
まあ、今回ばかりは仕方が無い。あまりにも突然の呼び出しだ。こちらに非があるのだ。決して蓮子がルーズなわけではない。そうなのだ。
よく考えたら、今から、って言っただけで時間も指定していなかったような気がするし。
メリーは何度目だろう、ふにゃっとため息をついた。
「あー」
白エプロンの敷かれた丸いテーブルに顔から突っ伏すメリー。
ああそうだ。
全く持って騙されていたのだ。
まだ見ぬスキマの向こう側に、無限の可能性を持った世界があるなんて、そんな話は全くの大ボラだ。
そんなものは、思考の中でだけ成立する机上の空論。観測されないパラレルワールドなんて、リアルな感触を持つことは永遠にありえない。
確かに、まだ見ぬスキマの『向こう側』。あちらに何があるかは分からないだろう。
だがしかし、存在している答えは常に一つなのだ。覗く側がどんな幻想に夢を膨らませようと、『向こう側』の真実はたった一つ。
それだけだ。
『貴方』。
『貴方』人形も、誰でもあって誰でもないだなんて、大嘘だ。
人形は、モデルがあって始めて成立するのだ。
人なら人。動物なら動物を模すだろうし、妖精なら妖精の、幻想の生き物だったらそれなりの想像があるだろう。
メリーは顔を上げ、『貴方』を取り出す。
『貴方』。
貴方は誰?
いったい貴方は誰に似せて作られたの?
やはり『向こう側』の住人なのかしら。
でも、だとしたら、何故こんな、誰でもあって誰でもないような造形にしたの?
知りたいわ。
私は貴方が誰なのか知りたい。
だってそれが。
『向こう側』を知りたいという、その好奇心こそが。
それこそが、秘封倶楽部だもの。
定音が時を刻む。
メリーは自分の思考にあきれたように首を振り、眼前に視線を戻した。
「きゃっ」
まあ、そこで、今まで無かったものが突然目の前に出てくれば驚くだろう。
メリーの目の前、ちょうどテーブルの反対側に置かれた椅子の上中空にあったのは、渾然とした紫に、にやりと笑った下唇の形をほどこすスキマだった。
「ああ、びっくりした……」
メリーの自宅にあったスキマが移動してきたのだろうか。
いや、さすがに距離が開きすぎている。新しく出来た結界の綻びか。
メリーはじっと、目の前のスキマを眺める。
曖昧じゃない。
このスキマの向こうには、確かにリアルな感触を伴った世界が存在する。
『貴方』が確かに誰かであるように。
スキマの向こう、こことは違う、一体どんな。
ああ、こんな感傷を抱いたのは初めてじゃなかろうか。
蓮子は来ない。
蓮子は来ない。
場所は特定できない。
スキマは目の前にある。
向こう側には世界がある。
向こう側には確かに答えがある。
蓮子はまだ来ない。
メリーはこの日初めて、
魅入られる、という言葉の意味を理解した。
_/_/_/_/
目撃者が蓮子でなかったら、腰を抜かしていただろう。
そのときの蓮子は、メリーに呼び出され、デパ地下試食巡りを大急ぎて切り上げてきたばかりだった。
メリーがこれだけ急ぎの連絡をしてくるなんて全く珍しい。
まあ、ここは友達がいを見せる所であって、一つメリーに恩を売ってやろうとばかりに蓮子は息巻いていたのだが。
コーヒーが不味いくせに外装だけは洒落ている喫茶店。
到着した蓮子が見たのは、頭半分が消えているメリーだった。
「は!? なにそれ!? メリー!!」
メリーは洒落た店内の洒落た椅子に座りながら、頭半分消えているにもかかわらず、ぼけっとしていた。
洒落にならない。
「え? なにこれどういう状況!?」
だんだんとメリーの頭、透明な部分が多くなっていっている。
まるで透明な蛇に捕食されている小動物かの如きだ。
そこまで見てようやく蓮子は、恐らく正しいだろう答えに思い至り、舌打ちをする。
「メリー……あれほど、覗くな、って言っておいたのに」
魅入られている。
メリーは恐らく、『向こう側』への好奇心に勝てず、結界の綻びを覗き込んでしまったのだろう。
今のメリーは、結界の綻び、その向こう側へ飲まれているのだ。
飲まれた部分から、『向こう側』へ行っているのだろう。どこでもドア使用を反対側から見るようなもんだ。
「メリー!」
夜時の喫茶店、人がいるにもかかわらず叫んでみるが、メリーには届かない。
くそ。
馬鹿だなメリー。
『向こう側』はどんな世界か分からないから、危ないから、って何べんも言ったのに。
そのために、いつも自分が安全な『向こう側』を選んでいるというのに。
私のこの能力は、メリーのためのものだというのに。
確かにメリーは、何度か知らぬまま『向こう側』へ行って帰ってきているかもしれない。
だけれど、次に向かう『向こう側』が安全だなんて限らないじゃないか。
まだ見ぬ『向こう側』の可能性は無限なのだ。
危険の選択肢も安全の選択肢も無限。
無限のパラレルワールド。平行世界。量子論。シュレディンガー。
ああくそそんなものはどうでもいい。
とりあえず引っ張り出さなくては。
と、蓮子がそこまで思考を巡らせた時だった。
洒落た喫茶店内に、綿で人間をぶん殴った感じの音が冗談じゃないような音量で響く。
次に、ごつんと鈍い音をたてて、メリーが転んだ。
転んで、結界の綻びから、飛び出てきた。
「あ……」
メリーが助かったのだ。
喜ぶべきなのだろう。
喜ぶべきだ。
「うわぁ……」
しかし、蓮子は見てしまったのである。
三日は夢に出そうだ。
呆然としながら、蓮子はその事実を言葉として紡ぐのだった。
「今……」
「今、人形が……動いた」
『貴方』人形がメリーを助けたのだと。
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まあ、言うなれば人形裁判である。
洒落た喫茶店で洒落にならない大騒ぎをしてしまったメリーたちは、店長を洒落じゃないほど怒らせて追い出された。
コーヒー不味いんだよ馬鹿野郎と捨て台詞を吐く蓮子の右手にはしっかりと『貴方』が握られており、その足で向かった先はメリー自宅。
以上がこれまでの経過である。
「さて、メリー。とりあえず私との約束を破ったのは貸し一としておくとして、この人形のことはどう考える?」
メリーの自室中央にあぐらで居座った蓮子が尋ねる。
「動いたんでしょう? 本当に。それじゃあ、なにか仕掛けがあるに決まっているわ」
ベッドに腰をかけたメリーが返す。
蓮子とメリーの間に置かれ、今まさに裁判中、一躍時の人であるのは『貴方』人形。
無表情なはずの人形の顔から汗が一筋流れているような気がするが、おそらくは幻覚だろう。
「問題は」
と、蓮子が片手で人形の頭を持ち上げる。
「この人形自体が意思を持っているのか、それとも操作してるヤツがどっかにいるのか、ってことよね」
その言葉に順ずるタイミングで、傍に置いた裁縫セットを弄るメリー。
「バラしちゃおうか?」
「メリー過激ぃ」
「だって気になるんだもの」
心なしか『貴方』人形が小刻みに震えているような気がするが、まあ、幻想の範囲内である。
「じゃじゃーん」
研ぎ澄まされたマチ針を取り出すメリー。
「いけメリー。やれメリー。ぶっさせ」
「えいっ」
渾身の勢いでマチ針を突くメリーだったが。
さっ、という効果音が出そうなほど見事な身のこなしで、人形は、
「避けた」
「避けた」
たらりと人形の頬を伝う汗はもはや幻覚でなくなりそうな勢いだ。
「ふーん?」
次は蓮子がマチ針を手に取る。
ゆっくりゆっくりと、人形の背中側から針を近づけ。
ぶすりと刺した。素直に刺さった。
人形は動かない。
「OKメリー。分かったわ」
「え? もう?」
「うん」
蓮子はびしりと『貴方』を指差す。
「この人形の目に注目よ。目、つまり、視界に入る角度から針を刺そうとすると避けるけど、背中とかの後ろ側、視界の外から刺される針には反応できていないわ」
「ははぁ、要は、この人形の視界を通してどこからか見ている輩がいるということ」
「うん、加えて、刺しても何の反応も示さないから、この人形に痛覚はないわ」
「あちらが見ているのは映像と音くらいのもの、ってことね」
「そういうこと」
蓮子は満足そうに頷く。
「じゃあ次は、この人形の目的について」
ぽいと『貴方』を投げ捨てる蓮子。
「この人形は、メリーが『向こう側』から持ってきたものね」
「そして、『貴方』には、私たちを見る機能がついていた、と」
「『向こう側』のやつらは何が目的なのかしら」
あぁ。
大丈夫だ、それなら、メリーが身をもって体験したから。
根拠はないが、まあ、まず間違いもない。
メリーは小さく呟いた。
「きっと、『向こう側』の人も、『こちら側』を覗いてみたかったんじゃないかしら」
「……ふむ?」
メリーたちからすれば『向こう側』が未知の世界だが、向こうの住人からすれば『こちら側』こそが未知の世界なのだ。
何かの拍子に、自分たちの住む世界に対して、他にも未知の世界があるなんて知ったら、その人はどうするだろうか。
加えて、その人が知的好奇心旺盛であったりしたら。
「この人形、『貴方』は、私たちの世界を観測するための道具だったのよ」
「で、ちょうどよくメリーがのこのこやってきたから、カモとネギに加えてそいつまで持たせてこっちに帰らせたと」
「かな?」
大体あっているように思う。
腑に落ちない点もいくつかあるが、まあ、こんなもんだろう。
「ん分かった!!」
スパンと蓮子が自分の膝を叩く。
「いい? メリー」
メリーを指差す。
「メリーの能力は、『こちら側』から『向こう側』を見ることが出来る」
自分を指差す。
「私の能力は、ここが何処なのか、世界を確定することが出来る」
改めて確認してみても、良いメンバー構成である。
「そして……」
最後に、蓮子は『貴方』を指差す。
「貴方は、『向こう側』から『こちら側』を見ることが出来る!」
そうして、壮絶な笑顔で言い放った。
「『貴方』は三人目」
覗きたいという好奇心は秘封の心。
「『貴方』が三人目の秘封倶楽部なのさ!」
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任せておけ、と蓮子は言った。
『向こう側』を覗こうという欲求と能力のあるヤツは然るべく秘封倶楽部なのだ、とも。
真夏といえど夜は冷える。
寒空に瞬く星を見飽きたメリーは、ぶるりと体を震わせながら服の襟を閉め、隣に突っ立って腕組みをしている蓮子へ問い掛けた。
「ねえ、本当にここが、結界の入り口なの?」
我ら秘封倶楽部の前に立ちはだかっているのは、街外れに所を構えた森。
昼間でこそ夏を謳歌する小学生恰好の遊び場となるものの、深夜に来てみればこれがまた不気味である。
木々向のこう側は闇が口を開き底が見渡せない。
夜に掛けられる『KEEP OUT』と書いた黄色のテープが良心へのしかかる。
更に問題なことには、結界さえ見出せない。
メリーはもう一度蓮子に向かって問い掛ける。
「というか蓮子、貴方、なんでここが、私が夢で見た白い洋館の結界があるところだ、って分かるの?」
珍しく真面目な顔をしている蓮子は、ぽつぽつと根拠を語ってくれた。
「……『貴方』人形の目」
例のガラス玉の目だろうか。
「私、言ったよね。『貴方』の目を覗いたら、星空が見えた、って」
ああ、そういえば。食堂でそんなことをいっていたような気もする。よく意味が分からなかったが。
「『貴方』が実際に不審な人形だって分かった後にさ、考えたのよ。あの星空はどんな意味だったのかなーって」
そして蓮子は語ってくれた。
曰く、人形の向こう側に見えた星空は、実際に『向こう側の星空』だったんじゃないか、と。
私たちから『向こう側』を覗くことが出来る。
『向こう側』からも私たちを覗くことが出来る。
それなら、人形。
人形の主が『貴方』を通して自分たちを覗いているのなら、自分たちだって『貴方』を通して向こうを覗くことが出来るのかもしれない。
つまり、『貴方』の目から見えた星空は、『向こう側の星空』。
透明な窓を通した内側と外側の関係。
そういうことなんじゃないか。
「そして、私は、星と月さえみえりゃあ場所特定なんて簡単なものよ」
得意げに自分の目の玉を指差す蓮子だが、それはメリーだって十分すぎるほどに分かっている。
星見。
それが蓮子の能力だ。
船乗りの家系なんだか何なんだか知らないが、蓮子は星を見れば時間、月を見ればその場所がたちどころに分かるらしい。なかなか便利なものである。
「で、『貴方』の向こう側に見えた星と月から判断したら、結界の位置はここになる、と」
それが答えだ。
蓮子はやはり腕組みで、苦笑しをしながらメリーに返す。
「いやー、しかし。今回の活動は色々こじれて大変だったねえ」
メリーも微妙な苦笑い。
いつもならば大抵の非は蓮子が請け負ってくれるのだが、今回ばかりはメリーを中心にやっかいごとが繰り広げられた。
「でも、まあ」
むん、と腕組みで胸を張る蓮子。
「『向こう側』は私たちを覗くことが出来た」
メリーはこくんと頷く。
「私たちは見られていることが分かった」
然り。
「そして、お互いの居場所まで分かった」
あと残っていることといえば。
「最後は、私たちが『向こう側』を覗く番よね」
5W1H。
何時何処で誰が何をした。
もうほとんど全部分かっている。
あと足りないのは、『向こう側』から覗いている貴方。
貴方は誰かということだけなのだ。
「そう考えるとさ、私がこの人形の名前を『貴方』ってしたのも、あながち的を外してなかったってことよねぇ」
『こちら側』にいる秘封倶楽部には、上から覗かれている輩が誰なのか知ることが出来ない。
ただ、『覗かれている』という事実のみ、今は分かっているのだ。
誰に覗かれているのか、という問題を考えたとき。
それは、『誰か』という以外に答えは無く。
未確認の誰か。
誰でもあり誰でもない。
誰なのか知る前の可能性は無数。
つまり、『貴方』でしかないのである。
「で、蓮子。どうやって、結界の向こう側を覗くの?」
腕組み蓮子の表情がぴきっと引き攣る。
何も考えていなかったらしい。
「……呼びかけよう」
はぁ? とメリーは怪訝な顔だ。
まあ、今更蓮子の言い出すことにいちいち反応していても仕方が無いのだが。
「向こうの誰なのか分からない、『貴方』に向かって呼びかけるのよ」
ばっと両腕を開く。
「『こちら側』を見たがっている『貴方』に呼びかけるの。知らない世界を見たい。その心意気は秘封倶楽部に値するわ」
秘封倶楽部に値する、ってどんな形容詞だろうか。
「『向こう側』を覗くメリーが第一視点」
メリー指す。
「『此処』を知ることの出来る私が第二視点」
蓮子自身と、立っている場所を指差す。
「そして、『貴方』」
最後に蓮子は、暗い暗い、深い深い、底知れぬ森に向かって指を指す。
「『こちら側』を覗く貴方は第三視点」
そうして蓮子は高らかに宣言するのだ。
彼女のよく通る声は透き通った夜の空気に果てしなく響き星空に吸い込まれる。
開いた両腕を戻そうともせず、一片の迷い無く闇に向かって呼びかけるのだ。
「『貴方』へ!」
超統一物理学専攻の割に理屈を平気で無視できる豪胆さは敬愛に値する。
「私たち秘封倶楽部は『貴方』が誰だか知りません」
明朗快活に震わせる声が月を冠した闇夜に朗々と。
「だけれど『貴方』の気持ちは分かります。知らない世界を覗いてみたい。知らない世界を知ってみたい。分からない世界を明確にしたい!」
まるで台本でも存在するかの如く真っ直ぐと放り投げられた言葉に虚構は無い。
「『貴方』へ! 私たちは秘封倶楽部です」
紡ぎだされた結論は実に明瞭で明白で明光に明媚である。
「『貴方』へ! 三人目の『貴方』へ!」
メリーもいつの間にだか蓮子の言葉につられて同じ台詞をなぞっていた。
「私たちの志は同じです。『向こう側』を知りたいという欲求です。知らないものを知りたいという探求です」
完璧に完全に純粋な知的欲求がそこにはあるのだ。
「『貴方』へ! 三人目の『貴方』へ!」
そうして、呼びかけた。
「私たち秘封倶楽部は、いつでも『貴方』を歓迎します!」
終わった。
言霊は地に沈み、声色は空に還る。
一時の騒然に静まっていた虫たちは再び戦慄きを始め、止まるとさえ思っていた時は無骨に数字を刻む。
「……届かなかったかな」
どちらからともなく、そんな言葉が漏れた。
「どうだろ」
自分たちには確信が無く、向こうには関心が無いのかもしれない。
「仕方ないかな、向こうだって予定があるのかもしれないし。今日はもう遅いし、そろそろ――」
刹那。
森が震え、闇が揺らめいた。
風が光り、雲が堕ちた。
星が光を失い、月が存在を主張し、
秘封倶楽部の見る光景は反転した。
_/_/_/_/
黒い森。
如何にも魔女とか出てきそうな真っ白い洋館を目の前にして、メリーは迷っていた。
入るべきか否なのか。
逃げるべきか否なのか。
そもそもここはどこなのか。
ああ、くそ、またこれで現世に帰ったら、蓮子から説教を受けるに違いない。
夢と現は違うのだ、とばかりに。
どのみち説教を受けるのなら、入ってしまってもかまわないだろうと。メリーはそう思った。
洋館のドアノブに手をかけ、小さく挨拶をしてから中に入り込む。
鼻についたのは埃っぽさ。
右手の部屋が書庫のようなので、それ故かもしれない。
メリーははっきりとしない頭を振りながら廊下を進む。
進んで、突き当たった部屋の扉を開けたら、人が一人、部屋の中心で座っていた。
魔力さえ感じられる程の見事な金髪に目を奪われたメリーはふらふらと歩み寄る。自分だって金髪なのに。
貴方は誰? メリーは聞いた。
え? 知らないわよ。私は貴方に初めて会ったんだもの。
貴方は私を知っているって?
何故? 以前に会ったことがあったかしら。
え? 違う? 会ったことは無いって?
じゃあどうして。
金髪の彼女は人形を三つ、差し出した。
貴方は人形遣いなのね。
これを私にくれるの?
三つも。
この金髪の人形は貴方ね。
この黒帽子は?
え? 貴方の友達?
ははぁ、私の友達にも黒い帽子が好きなやつがいるわよ。奇遇ね。
そこでメリーは、三つ目の人形の不自然さに気付く。
あれ? この三つ目の人形は、何も特徴が無いのね。
これでは誰なのかわからないわ。
これは、誰?
……。
……。
……これは、私ですって?
どうして、と問うのだが。
ああ。
ああ、そうなのね。
ごめんなさい。
そう、私は、結界の境目が見えてしまう能力があるの。
だから、頻繁に、無意識に、『向こう側』を覗いていることがあるわ。
貴方は、そんな私の視線に気付いていたのね。
特徴の無い人形をつつく。
でも、覗かれていることが分かっていても、貴方は、私がどんな人間なのか分からなかった。
だから、私の人形を作ろうとしても、特徴の無い人形しか作ることが出来なかったのね。
いや、特徴の無い、誰でもない人形を作ることで、逆に、誰であるかわからない私を表現していたのか。
すごいわ貴方、とても頭がいいのね。
それで、この人形は何なのかとメリーは再び質問する。
貴方も、『向こう側』が知りたいですって? この黒帽子の友達も?
でも、観測する手段が無いじゃない。
……。
え、この私を模した人形は、見た映像を『こちら側』送る能力がある?
すごい! まさに、私にそっくりね。
いいわよ、どちらの世界にいるのかなんて関係ない。
純粋な知的好奇心というのは、世界でもっとも尊いものだもの。
貴方に協力してあげる。
ついでに、貴方の金髪人形と、友達の黒帽子人形も『向こう側』に持っていってあげるわ。人形だけれど、貴方たちだもの。
違う世界を覗きたいという好奇心は、私たち秘封倶楽部と同じ。
もし機会があったら、貴方を歓迎するわ。
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「あー、思い出した」
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それなりに洒落た真昼の喫茶にてメリーがメニューを眺めていると、珍しく蓮子は遅刻せずにやってきた。
「うわ、どうせ蓮子は遅刻してくるだろうからって、軽食を頼んじゃったわよ」
「酷いねメリー。私だって昨日あんなことがあった後に呼び出されたら、心配になるわよ」
それなりに洒落た喫茶店のおいしいコーヒーを飲みながら、蓮子は言う。そのコーヒーはメリーのなのだが。
「で? あれから何かあったの?」
あれとは、昨日の結界訪問のことだろう。
結局、ほんの一瞬結界の向こう側は見えたのだが、それだけだった。
「んとね。前に言った、私の夢。覚えてる?」
「あぁー、三つの人形を持ってきたときのアレね。それがどうかしたの」
思い出した内容を蓮子に聞かせて説いた。
蓮子は特に驚いた様子も無く、返事を返すのだ。
「ふーむ。じゃあ結局、この黒帽子人形は私じゃ無かったって事」
「うん」
「まあ、私は確かに黒い帽子被ってるけど、こんなエプロンドレスみたいな格好しないしねえ」
「結構使い込まれて磨り減っているから分かりにくかったのかもね」
「何で使い込まれてんのかね、この人形」
「色々遊んでたんじゃない」
「友達を模した人形で?」
いまいち納得がいかないが、まあそういうことにしておこう。
「とどのつまり、『貴方』は私だったの」
とりあえず、今日はこんなところで話を締めておこう。
「しかし、残念だわー。惜しかった」
蓮子は愚痴るように言う。
「『向こう側』の人材。是非欲しかったのにねえ」
「まあ、やっぱり秘封倶楽部は『こちら側』のサークルだし。そのくらいで満足しておけってことじゃないかしら」
蓮子はしかし、それなりに洒落たテーブルをバンと叩く。
「いや、私はあきらめないわよ!」
えぇー。
「私たちは『向こう側』を見ることが出来る。向こう側の人たちも『こちら側』を見ることが出来る」
「だから?」
蓮子はにやりと笑ってメリーへ返す。
ああ、その笑みの形はまるでスキマみたいだ。蓮子、神隠でも画策するつもりじゃないのか。
「この二つ以外にも、『私たち』を見ることの出来る存在が居ても不思議じゃないってことよ」
「うーん、そうかもしれないけど……」
もう一度、今度はグーでダンとテーブルを叩く。
「世界は一つだけじゃない。きっと『向こう側』と『こちら側』以外にも、世界があるわ。確かめる前の可能性は無限よ。そして、その世界に『こちら側』を覗きたがっている人がいる可能性も!」
「量子論のゲーム的解釈は恐ろしいわ……」
まあいい。
信じている限り、可能性はあるのだから。
「ほら、今私たちの会話を覗いてる輩がもしかしたらいるかもよ」
二人して、指した方向を見る。
もちろん見えるものは天井なのだが。
「……もしかしたら、いるかもね」
「でしょ」
貴方へ
「いるとしたら、是非こっちに来て欲しいわー」
「あっちから見たら神隠しよね、それ」
三人目の貴方へ
「まあ、とりあえず、これからも秘封倶楽部をよろしくってことで」
我がサークル秘封倶楽部は、いつでも貴方を歓迎します。
『向こう側』が見たい、そんな欲求。
『こちら側』である、そんな現実。
けれど自分たちにとって『向こう側』が『向こう側』で、だから見たい。
『こちら側』は『向こう側』にとって『向こう側』で、だから見たい。
誰にでもやはり、知らない世界を見たいという欲求はあるのでしょうか。
そして彼女たちはそれが出来る、と。
自分でも何言ってるかよくわかりませんが、そんな感じ。
ありがとうございました。
だからこそ世界は無限にある。ゆめまぼろしの如く。
知らない世界を見られる彼女らが羨ましい限り。
出来ておる喃、うにかた殿は……。
我々は、その「向こう側」を知っている。
でも、それでもそんな私たちにさえ、この物語は浪漫を語りかけてくれます。
素晴らしい物語でした。
見えるから存在する。覗きたいと思うから世界がある。
素敵なお話でした。そして良秘封倶楽部分を補給させて頂きました(礼
鏡写しのようなお話の構造に、シュレーディンガーまで登場して、
読み終わったあとの満腹感が素敵でした。
境界を挟んで向こうとこちら。量子論の力を少々強引に借りれば、
まだまだ未知の「向こう側」に無限の可能性を見られるわけですね。
夢を違えた科学のお話、ごちそうさまでした。
不味いコーヒー、ナポリタンなど、食べ物がさらりといい味出してる。
纏まっていて、面白いお話でした。
今自分達が居る一世界がとても小さい物のように思えます。
「向こう側」と「こちら側」どちらも真実は一つ。
でもそれは事実でありながら考える人の心の中の真実なんだと思います。
知らない世界は知らない限り無限に想像出来そして創造出来るのですから。
そしてその無限とも思える世界を知りたいと言う探究心それはとても誇らしい事なんだと思いました。
なんか言ってる事がよく分からない感じですがとてもいい作品でした。
本当にありがとうございます。
時空が違う、とでも言うのでしょうか。我々の世界とはまた別の世界。でもお互い知りたくてなんとか連絡を取ろうと四苦八苦。
・・・浪漫ですねぇ。
いやぁ、良いなぁ。
気持ちよく騙される感覚というのは、とても素敵なものだと思います。
秘封倶楽部もまた、そういう感覚を求めているんじゃないかと個人的に考える次第。
蓮子の台詞など、芝居口調がすぎてやや読みにくいところもありましたが、話の雰囲気とテンポを考えるとバランスは良かったようにも思います。途中、向こう側に呼びかけるシーンはもっと濃く描かれた方が、読みごたえはあったかと。
最後、こちら側に呼びかけるシーンは、二度読んでようやくこちらの胸に届きました。鈍感ではありますが、向こう側に憧れる資格が一応あると知ってちょっと安堵したり。
秘封倶楽部の二人がどういう人達なのか私は知らなかったのですが
ひふーんといった感じに読むことは出来たと思います。
『向こう側』を私は見ることは出来ませんが、信じることは出来るので
ひふーんっと『向こう側』に想いを馳せましょう。
非常に興味深い作品を読ませていただきました。ありがとうございます。
ふにゃ