注1:このお話は、多分、これ一本でも楽しめますが、作品集26『花よ、炎と共に舞え 』をお読みになった上で、その注意書きに従うとさらに楽しむことが出来るかと思われます。
注2:お腹が空いている時に読んだ際、発生する諸々の事情に当方は一切関与致しません。
『幻想郷に新風が!』
その記事は、そんな見出しで始まっていた。
『昨今、名称『紅魔館』にて新しい考えが採択され、実行に移された。それは、紅魔館に勤める料理人達によるレストランサービスである。
これは、最近になって行われた、紅魔館での料理勝負に発端を持つと思われる。この戦い、筆者も遠くから観戦させてもらっていたのだが、まさに歴戦の勇士と銘打つことの出来る料理人達による食の饗宴。そのすばらしさは筆舌に尽くしがたく、文字に表すことなど、とても出来はしない。それでも、この記事を読んでくださっている諸兄のために、あえて二次元的なものに表現するとしたら、まさに絢爛豪華たる料理の祭典、これに尽きるだろう。
さて、このレストランサービス。レストランと言っても、平日は朝十一時から夜の二十時までの出前サービスのみである。なかなか好評のようで、取材を行ったところ、多い時で一日四百件もの注文が相次ぎ、厨房は常にてんてこ舞いの様子。取材を行った当日も、記者の目の前で、名だたる腕を持つメイド達が忙しく働いている様子が見て取れた。
メニューは和洋中、ないものはないという豪華ぶり。値段も比較的リーズナブルなのに、それに反して充実したサービスが売りである。たとえば、例を上げるのなら、ランチサービスがちょうどいいだろう。一食六百円前後と非常にお値打ち価格ながら、その味には一切の妥協を許さず、米粒一つに至るまで厳しい監修の元、製作が行われている。さらに、ご飯やパン、スープなどはお代わり自由というのが至れり尽くせりだ。
出前サービスのメニュー数は、合計、ランチが六十品、ディナーが二百品を超えるなど、充実したものになっている。お値段も、先に述べたように、ランチが平均六百円、ディナーは千五百円から始まり、最も高いもので十万円を超えるコースまでが用意されている。
今回、このサービスを発案した、紅魔館館主レミリア・スカーレットさんにインタビューを行ったところ、
「最近になって楽しい催しが増えてきたから戯れで始めてみたのよ。そうしたら、思いの外、好評で。なかなか面白い結果になっているようね。咲夜は、何だかんだと未だに文句を言うけれど、そんなものは関係ないわ。要は、わたしが楽しければいいんだもの。
紅魔館の財政も潤うし、いいことずくめでなくて?」
と、答えてくれた。
さて、この紅魔館のレストランサービス。諸兄もご存知の通り、紅魔館とは吸血鬼の館である。吸血鬼の食事と言うことで、一種、異様なものを想像されるだろうが、その見た目通りの食材が使われているので人間でも気軽に味わうことが出来るのが特徴でもある。
加えて、週に一度、完全予約制で、本格的なレストランとしての食事も味わえる。毎週日曜日、客はわずか十人という徹底ぶりだが、その味は、一度口にすれば忘れられないと評判である。
この点に関して、幻想郷でも有数のグルメ評論家でもある、香霖堂の森近霖之助氏にインタビューをもらうことが出来た。
「いや、僕も、過去、様々な料理を食べてきたけれどこれほどまでに美味しい食事をしたことがなかった。まさに、天上の至福を味わったと言っても過言ではないだろう。今では、毎週、欠かさず通っているよ。正直、お財布には痛いのだけれど、一度始めてしまえばやめられないね」
と、ご満悦のご様子だ。このサービスは、お値段が平均二万円前後。最高で数十万円のコースも用意されている。決して安くはない食事であるが、値段相応――いや、値段以上の味を楽しみたいという方には、本紙からも是非お勧めさせていただこう。
最後に、出前サービスのお勧め料理は、紅魔館特製チンジャオロース。お値段わずか六百八十円で、山盛りの牛肉、ピーマン、タケノコの味に魅了されることだろう。お金のない方のために、肉の入ってないスペシャルチンジャオロース(二百八十円)も用意されている辺り、憎めない心配りである。
今回、この新聞記事を書くに当たって、紅魔館側に全面的な協力を得ており、本紙を見て注文をした、あるいは食べに来た、と告げることで料理全品三割引のサービスも実施中である。
美味しい食事を食べたいという方、生きている間に味わっておかなければならないと言っても過言ではない、この紅魔館料理、一度口にしてみてはどうだろうか?
紅魔館レストランサービスへは、電話番号0120-110-4492(フリーダイヤル いいお食事)まで
(文 射命丸文)』
――という、文々。新聞が出回ってしまったため、昨今、紅魔館は大にぎわい。元々、吸血鬼の館と言うことで、この館周辺には人は当然、あらゆるものが滅多に近寄らなかった。そうした、外部からのものの侵入を拒むように、その館は広大な湖の中央に建てられ、さらには鉄壁のメイド部隊による防空警護が行われており、ここに近づくと言うことは死を意味することだったのである。
それが。
そのはずが。
『あの~、予約をした○○ですが』
と、何の変哲もない妖怪やら人間やらが平然と紅魔館を訪れるようになってしまったのである。これはもう、何か間違ってるんじゃないか、と彼女、十六夜咲夜は思うのだが、事、これを考え出したのが、他ならぬ館主のレミリアである以上、何も言えるわけがない。しかも彼女自身が、これをとことん満喫していて、しかも普段なら、ちょっと満足すれば飽きてしまうような性格であるにも拘わらず、全くそうしたそぶりを見せない。
そういうわけで、紅魔館は、今や『紅魔料理館』とでも改名したくなるような状況になっていた。
「ご利用、ありがとうございました」
今日も、咲夜は空を飛び、出前を届けて回る。
日々の注文の多さにメイド達の仕事の量は倍増。この、出前を届けるためだけにメイドが大量に増員されたほどである。それでも注文の量に配達が追いつかず、紅魔館のメイド長である彼女までもが配達に携わっているのだ。しかも、彼女の時間停止能力のおかげで、どんな料理も出来たて熱々ほっかほか、とくれば誰もが『配達は十六夜咲夜さんで!』と指定を入れてくるのもわかろうかというものだ。
無論、当人としては「冗談じゃない!」と声を大にして叫んだほどなのだが。
「はぁ……。本当にこれでいいのかしら」
いいわけない、と誰もが思うであろう。しかし、それを否定することも出来ないのだ。レミリアは、怒らせたらそれこそ心底厄介であるし、ここまで周りに周知されてしまった事業(?)をやめてしまえば、それまたそちら方面で角が立つ。結局、一度、走り出してしまったら止まらないのである。止めてしまえば、後は爆発あるのみだ。
「えっと、次の配達先は……」
片手に、配達先が書かれたリストを持って、咲夜はつぶやく。
だが、その刹那、背後に走った凄まじい殺気に振り返り、一瞬の間にナイフを構える。
「十六夜咲夜……だね?」
そこに立つのは、あからさまに怪しい奴。とりあえず、夜道で出会ったら問答無用で石をぶつけなくてはならない相手である。
黒――というよりは、ダークパープルのコートのようなものに身を包み、顔も同じようなもので覆っているため、目元を除いて表情すらわからない。おかげで、相手が何者であるか、男なのか女なのか、それすらもわからなかった。
「どちら様でしょうか?」
やんわりと、慇懃無礼の態度は崩さずに彼女は問いかける。
相手が、ふっ、と覆面の下で笑うのがわかった。
「十六夜咲夜。お前に、キッチンファイトを申し込む!」
――事は、そこから始まった。
「全くもう! 咲夜は何をやっているの!?」
紅魔館にレミリアの怒声が響き渡る。つい先ほど、注文をしてきた客から『注文したものが届かない』という苦情があったのだ。それで急遽、同じものをこしらえて別のメイドが飛び立ったばかりである。
「と、言われましても……」
「全く……。こういう仕事は信用が第一だって教えなかったかしら」
何で私が怒られてるんだろう、と思いながら、メイドの一人がため息をつく。と言うか、どうしてレミリアが対外的な信用までを気にしているのかが謎で謎で仕方がない。
「もういいわ。ここで怒鳴っても仕方がないことのようだしね」
「は、はあ……」
「レミィ。怒りすぎはしわが増えるわよ」
「わかっているわ。帰ってきたら、その分、あの子を叱るつもりだから」
横手からさりげなく指摘を入れてくるパチュリーにレミリアは、ふん、と言わんばかりの口調で返した。レミリアに怒られていたメイドは「あの、それでは……」と頭を下げて立ち去ろうとする。ちなみにここはレミリアの私室である。
だが、その時。
「たっ、大変です、レミリア様!」
「何事? 節度を守れないなんて、よほどのことが起きたのかしら?」
館の主の部屋にノックもせず、加えて、こちらが許可を出す前に踏み込んでくるなど、よっぽどのことが起きなければ許可はされない。彼女の射すくめるような視線を受けて、飛び込んできたメイドが大慌てで背筋を伸ばした。
「そ、それが……と、とにかく、大変なんです!」
「大変という言葉の定義にもよるわね。何が大変なの?」
「それが……」
パチュリーの冷静な指摘を受けて、彼女はぽつりと、言う。
「メイド長が……」
「……咲夜が?」
それで反応するのはレミリアである。
とりあえず、このままでは事態がわからない。どうなっているの? という問いに、メイドは「ついてきてください」と背を向ける。こちらが何も言ってないのにそう言う行動に出る辺り、彼女は非常に混乱しているようだった。普段の紅魔館でこんな真似をしようものなら、即刻、度を過ぎたきついお仕置きの対象だからである。
ふぅ、と肩をすくめると、レミリアが「それじゃ、行ってくるわ」とパチュリーに言ってその場を後にする。そうして、早く早く、と急かすメイドと共に広い屋敷を進み、やってくるのは応接室。広大な紅魔館の入り口脇に設置されたその部屋の中に、彼女は一歩足を踏み込み、息を飲んだ。
「なっ……!?」
「おや。ようやくご到着かい」
「咲夜!?」
その部屋には先客がいた。
全身を黒っぽい紫で統一したマントで覆った、謎の人物。そして、彼女の前のソファの上で寝かせられている咲夜。なぜか、全身、傷だらけである。
「何があったの!?」
「さ、さあ……? そ、そちらの方が……」
「あなた、この子に何をしたの!?」
事と次第によってはただではすまさない、といった声音で言う。ぎらりと、赤い爪が光る。
「なぁに、ちょっとした余興だよ」
「余興……? 余興ですって!?」
「おっと。怒らない怒らない。
私はね、ここに挑戦しにきたのさ」
「……挑戦?」
その言葉で、一瞬、気勢がそがれる。
その隙をつくように、目の前の相手は言う。『私』という一人称から察するに、恐らく女だろう。彼女は、たっぷりとためを作った後で、傲然と言い放つ。
「あんた達の料理の腕、それがどれほどのものか、見極めるためにねぇ?」
「……それで、どうして咲夜が……」
「その子がここでメイド長をやっていることは、こちとら先刻承知の上さ。メイド長と言うことは、料理に関しても、さぞかし素晴らしい腕前なのだろう? だから、楽しみにしていたんだけどねぇ……。
拍子抜けしたよ」
くっくっく、と笑う女。
レミリアの瞳が鋭くなる。
「ふざけるな! 一体、何を……!」
「お嬢様、咲夜さんが何だか大変なことに……って……」
部屋に飛び込んでくる美鈴とフランドール。どうやら、彼女たちもメイドに事の次第を聞いてきたらしい。
そして、飛び込んできた二人の内、一人――美鈴が声を失った。
「こ、これは……」
「咲夜? 咲夜ー? ねぇ、大丈夫?」
つんつん、とフランドールが咲夜のほっぺたをつつく。反応がないことに不安でも覚えたのか、最初は無邪気な様子だったのに、段々と目元に涙が浮かんできている。
あわや、彼女が泣き出してしまう――その直前に、美鈴は戦慄した。
「……これは、キッチンファイトの傷痕……!」
「……キッチンファイト?」
きょとんとなるレミリア。
言葉から察するに、とてもじゃないが、目の前の咲夜の状態には言葉の意味が続かないからである。
「ええ……」
「それは何? 美鈴」
「……美鈴?」
相手の女が眉をひそめるのが、気配でわかった。
「はい、お嬢様。
キッチンファイトというのは、クッキングファイターとして名を馳せたもの達にのみ許される、絶対的な勝敗を決めるための勝負方法のことです。互いの宣言により開始されるその戦いは、まさに無慈悲。勝つか負けるかの、命をかけた勝負です。
私にはわかる……これは、キッチンファイトにおける敗者の証拠……」
美鈴の瞳が剣呑な光をたたえ、女を見据えた。
「あなた、何者ですか!? 咲夜さんほどのファイターを、これほどまで……!」
「……えーっと……。ねぇ、あなた。咲夜って、そんな妙ちきりんなものに登録されていたの……?」
「さ、さあ……私は存じ上げませんが……」
話の流れについて行けず、頭痛すら覚えながら訊ねるレミリアに、やっぱり顔をしかめているメイドが返す。フランドールはきょとんとして、展開の行く末を見守っていた。
「美鈴……美鈴、ねぇ……。
覚えがあるよ。あの、料理界において、たった一人しか持つことの許されない『龍』の称号を持つ女……」
「……それを知っていると言うことは、やはりあなたもクッキングファイター……!
名を名乗りなさい! それが流儀のはずです!」
「はっ! 確かにねぇ! そう言われれば、名乗らずにいるわけにもいかないよ」
女が立ち上がり、ばさぁっ、とコート――どうやら、全身を覆うタイプのマントのようなものだったらしい――を払った。
その下から現れたのは、
「あ、あなたは……!」
「おや。覚えていてくれたのかい」
緑色の長い髪を携えた、端正な女の顔。だが、きつめの印象を与える目尻やシャープな顔のラインのおかげで美人ではあるのだが近寄りがたい空気を漂わせる。彼女は、目を細くし、赤い唇を笑みの形に刻んだ。
「……忘れるわけもありません。あの、『破壊者』の名前を……!」
「くっくっく……」
「……あのね、美鈴。ちょっといいかしら?」
「何でしょう、お嬢様」
「……誰?」
もはや、展開について行けてない。
レミリアの言葉に、美鈴は戦慄しながら応える。
「彼女の名前は、魅魔。あの『破壊者』魅魔です!」
「……何よ、『破壊者』ってのは……」
「ルールに則り、正々堂々と戦うその高潔な姿勢とは裏腹の、容赦のない徹底した戦い……! あまりにも目に余る、その羅刹のごとき姿故に、封じを受けたと言われている……あの女……!」
「……」
「くっくっく。ルールはルールだ。それに則って戦いを行う限り、私には何の落ち度もない。その名前は、私にとっては不名誉なもんだけど……何かしらね。心が高ぶるのは」
「……ちなみに、美鈴。ルールって何?」
「はい。
一つ。己が料理を打ち砕かれたものは潔く負けを認めること。
一つ。相手選手の妨害は、どんな理由があろうとも認めない。
一つ。妨害の程度に当たらない駆け引きは許可。
一つ。クッキングファイターは、いかなる理由があろうとも己の料理を守らなくてはならない。
一つ。サポートを行う助手を除き、常に一対一の戦いを基本とする。
一つ。クッキングファイターは、己の腕と己のプライドにかけて、卑怯な真似をするようなことは、断じて許されない。
そして、最後に」
「キッチンがリング」
「……ええ」
「……ごめん、ついてけない」
ぽつりとつぶやいたのが、間違いなく、レミリアの本音だった。
と言うか、この展開に誰がついて行けようか。そもそも、何で料理勝負で咲夜が傷だらけにならないといけないのか、もう全くわからない。
「なぜ、咲夜さんを!」
「そちらのお嬢さんには言ったけれどね。私はここに挑戦しにきたんだよ。
この私の腕を持って、今流行のレストランである、あんた達を徹底的に叩きのめすためにね」
「……さすがは破壊者ですね」
「お褒めの言葉だよ、それはね」
にんまりと、魅魔が笑う。
「だが、これでわかったよ。
あんただね、紅美鈴。あんたが、このレストランの立役者――違うかい?」
「……」
返答は、ない。
「そうかい。やっぱりね。
ならば、紅美鈴。あんたにキッチンファイトを申し込むよ!」
びしっ、と相手に指さされ、美鈴は、一歩、後ろに後ずさった。
だが、その視線は咲夜に向く。今も目を閉じ、身じろぎ一つしない彼女へと。
――何か思うことがあるのだろう。そして、言いたいこともあるのだろう。だが、彼女は何も言わなかった。
「わかりました。
あなたの挑戦、この私がしかとお受け致します!」
「よく言った!
なら、勝負のルールはわかっているね?」
「ええ。勝負を挑んだ側からの挑戦が全て」
「その通り。そして、私が得意とする料理も、あんたは知っているはずだ」
「……はい」
「楽しみにしているよ、紅美鈴。
場所はどうする?」
「お嬢様、厨房をお借りします」
「え? え、ええ……いいけれど……」
「日時は一週間後。午後の六時から。そして、場所は、ここ、紅魔館です!」
「助手を一人連れて行くよ。文句はないね?」
無言で、美鈴はうなずいた。
魅魔は再び、マントをまとうと、「勝負を楽しみにしているよ」と彼女に笑いかけ、ゆったりとした足取りで紅魔館を去っていく。その背中を憎々しげににらみつける美鈴は、彼女が立ち去った後、「しばし、お暇をもらいます」と言ってその場を去ってしまった。
「ねーねー、おねーさまー」
「……何?」
「つまりどういうこと?」
「それはこっちが聞きたいわ……」
くいくいと服を引っ張ってくるフランドールの言葉にため息混じりにレミリアに答える。なるほど、これが置いていかれた気分なのか、と。
その時になって、しばらく前の咲夜の気持ちを理解するレミリアだった。
その日から、紅魔館のレストランサービスは一時休止となった。魅魔が看破した通り、レストランのメニューのおよそ半分に美鈴が携わっている。それ以外においては、咲夜たちの顔を立てて、彼女たちに譲る形にしているのだが、その中核たる料理人が二人も抜けてしまったことで、実質、紅魔館レストランサービスは休業に追い込まれてしまったのだ。あっちこっちからかかってくる問い合わせにメイド達がてんてこ舞いになる中、一人、美鈴は厨房にこもり続ける。
「くっ……!」
だんっ、と手にした包丁をまな板の上に叩きつけ、彼女は握り拳を作る。
「ダメ……足りない……こんな程度では……!」
「充分、美味しいと思うわよ……?」
「確かに。これは素晴らしい味付けだわ」
「美鈴、おかわりー」
その、彼女の料理の審査員とも言えるのが、レミリア、フランドール、パチュリーの紅魔館主要メンバー。なお、咲夜は傷が癒えてないため――未だに、どうして傷だらけなのか全く不明――、自室で安静にしているよう、彼女は言いつけられている。
「ダメなんです! これでは! これでは、あの魅魔に勝利することなど、到底、出来はしない!」
「ねえ、美鈴。破壊者、というのは何なのかしら?」
珍しく狼狽し、叫ぶ美鈴に、冷静にパチュリーが訊ねる。
「はい……。彼女の腕前は素晴らしいです。恐らく、彼女ほどのクッキングファイターは、この世に五人といないでしょう。私も、彼女と肩を並べて競った時代もありました。
ですが、彼女の挑んでくる勝負は、常に非情なんです。彼女は手抜きをしない。それは素晴らしいことです。ですが、明らかに格下と思えるような相手にでもそうして己の実力の全てを叩きつける。虎は兎を狩るのにも全力を尽くすと言いますが、あれはやりすぎです。そうして、何人の、若きクッキングファイター達を叩きつぶし、その芽をつみ取っていったか……」
「……なんかすごいわね」
そうね、とつぶやくレミリア。
一人、我関せずのフランドールが『おかわりおかわり』と連呼している。
「その、あまりにも残虐非道な戦いぶりに、ついに制裁が下されました。彼女は、一切の戦いを封じられ、長い時を眠りにつかされることになったのです」
『……何で?』
「その封印が解かれたと言うことは風の噂に聞きました。ですが……私も彼女も、共に同じ求道の道を歩み続けるもの。胸に抱いた志は同じです。彼女は、その長い時の間に変わると信じていた……それなのに……!」
握った拳が震え、美鈴の奥歯がきしむ。
「許せない……! 彼女の、あの戦いが……絶対に……! 何より、咲夜さんを傷つけたことが、絶対に!」
「……気持ちはわかるけど。
美鈴、少し、冷静になりなさい」
「お嬢様にはわからないんです! この私の怒りが! 悲しみが! そして、憎しみが!
同じ道を志すものでありながら、彼女の取った行動は、決して許されることではない! だから……だから、私が咲夜さんの敵を……!」
『ふはははははは!』
いきなりその場に響き渡る、謎の笑い声。
「なっ!?」
「だ、誰!?」
美鈴が声を上げ、レミリアもきょろきょろと辺りを見回す。っていうか、こちらに一切の気配を悟られないで、一体どうやってここに入ってきたというのか。
しかも、相手の姿は、未だに見えず。
『下らない……下らないわね、美鈴! だから、あなたは中国なのよっ!』
「何ですって!? 姿を……姿を見せなさい!」
ばぁんっ、と弾け飛ぶドア。そして、その向こうに、なぜかもうもうたる砂塵をまとって姿を現したのは。
「ああっ! あなたは!?」
「ふふふ……お久しぶりね」
先日の料理勝負で美鈴に敗北を喫した、あの風見幽香だった。
やたら雰囲気たっぷり、効果抜群の演出と共に現れた幽香は、あっけにとられるレミリア達を全く無視し、美鈴に歩み寄る。
「話は聞いたわ」
「……そうですか」
「美鈴、あなたはとても器の小さい女だったようね」
「何ですって!?」
「そうやって、すぐに激高するところがその証拠。まぁ、料理界の『龍』。しかも、『炎の龍』とまで言われた女傑であるあなたにはふさわしい姿だけれど、この場においては失格よ」
彼女の一言に、美鈴は沈黙する。
「愛しい人を傷つけられて怒り狂うのはわかるけれど、落ち着きなさい」
「……くっ」
「……どうしてわたし達の言葉は聞かないのに彼女の言葉は聞くのかしら」
「同じ道を歩むファイターとして、表面上の繋がりを超えた心の交感というか、まぁ、そんなものがあるんじゃない?」
「……おかわりー」
あきれてつぶやくレミリアとパチュリー。そして、ほっぺた膨らませるフランドール。
まぁ、それはさておいて。
「料理の道において、怒りや憎しみは御法度のはずよ。そんな心で食材に手を出してご覧なさい。たちまち、食べる事なんて出来ない、最悪の代物に変貌するわ。彼らは勝負の道具にされることを望まないと言ったのはあなた自身よ」
「……はい」
「常に心は清らかに、穏やかに。明鏡止水の心構えこそが料理には必要でなくて?」
「……ええ……そうです。
……でも……私は……」
気がつけば、爪が食い込むほどに強く握りこんでいた己の掌。
「お客様に、血の味の料理を食べさせるつもり?」
「……」
「わたしはそれで構わないけれど」
「レミィ、しっ」
「おかわりー!」
場の雰囲気ぶちこわしな発言を行ったレミリアをパチュリーが諫め、フランドールがかちゃかちゃとお皿を叩いて抗議する。
「あなたの気持ちは痛いほどよくわかるわ。正直、私も、あの女のやり方には、いい加減、はらわたが煮えくりかえっているもの。
でも」
「私では……届かないかもしれない……」
「そうね。彼女の実力は本物よ。たとえ封印されていたとしても、決して、その腕は衰えてはいない。……いや、むしろ、進化していると言ってもいいでしょうね。長き時を修行に費やしてきたあの女の実力は、かつて、あなたがあの女に勝利した時よりも上と見るべきでしょう」
「そして、私は……」
「戦いを放棄し、あなたの実力は確実に衰えている」
全盛期に比べればまだまだね、と幽香は首を左右に振る。と言うことは、その『全盛期』の美鈴というのは一体どれほどの料理人だったというのだろうか。その辺り、もっと詳しく聞きたかったが、とりあえずレミリア達は黙っておくことにしたらしい。
「あなたの選択肢が間違いだったとは言わないわ。私もそれを思い知らされたもの。
でも、その分、確実にそれ一つを追求してきた羅刹にはかなわない」
「……はい」
「あなたは修羅である。しかし、羅刹ではないもの。
だから、私が協力するわ」
「え?」
ふふっ、と幽香が笑う。どうして、話がそこに行き着くのか、美鈴には読めていないらしい。
「この勝負、相手は助手を連れてくるのでしょ? だから、私が助手になるわ。一緒に頑張りましょう」
「え? あの……」
「昨日の敵は何とやら。それに、あなたの技術を間近で盗み取る、いいチャンスでもあるわ。
いいでしょ?」
「……」
「私と組めば百人力よ。何せ、幻想郷最強は私のものなんだからね」
えへんと胸を張る。
しばし、美鈴は考え込んだ。目の前の相手の言葉を、全て全面的に信用すべきかどうか、と。
悩んだ末に出した結論は、無論、言うまでもない。
「わかりました。幽香さん、あなたの力、お借りします」
「任せなさいな」
少なくとも、幽香に下心があるのだとしても、彼女の協力が得られるのならばこれほど力強いことはなかった。加えて、彼女自身、美鈴とある程度志を同じくしている様子がある。それならば、決して、彼女が敵に回ることはないだろうと考えたのだ。それに元来、美鈴はお人好しだ。彼女のような人柄を前に、素直に裏切りを計画することなど出来ないだろう。
ついでに言うなら、幽香も同じクッキングファイター。共に同じ道を究めようとするもの同士、言葉を超えた意識の交流があるのである。
――と、そこで。
「美鈴、おかわりー!」
放置されていたフランドールがキレたのだった。
そして、来たる戦いの日。
「あれ? 魔理沙いないの?」
またしても司会として招集を受けた霊夢の視界には、いつもわけのわからない解説を述べる魔理沙の姿はなかった。
「そのようですね。私が代わりに招集を受けました」
そして、『解説者』と書かれたプレートの置かれた椅子に座るのは、なぜか天狗の記者、射命丸文だった。
「何であんたが?」
「こう見えて、過去、数々の料理バトルの取材をさせて頂いています。ありとあらゆるものを食べてきましたので舌には自信がありますよ」
へぇ、と素直に感心してうなずく。
さて、集められたのは紅魔館の大食堂である。そこには、以前、美鈴と幽香との戦いで建設されたキッチンがそのままにされており、今日もそこが使われるらしかった。
「けれど、霊夢さん」
「何?」
「スペシャルチンジャオロースばっかり食べてるって話を聞くんですけど」
「失礼ね。三日に一度、ちゃんとしたチンジャオロースも食べてるわ」
「……ごめんなさい」
なぜか負けたような気がして素直に頭を下げてしまった。
と、その時、ドアが開く。
「勝負の場はここのようね」
「う~ん、何かいい匂い」
「楽しそうね~」
「あれ。何よ、あんたら」
入ってきたのは、特徴的な姿の三人姉妹。
言わずとしれた、プリズムリバーのお三方である。うち、長女で一同のリーダー役を務めるルナサが『審査員長』席に。次女のメルランと三女のリリカは、それぞれ、審査員席に座った。してみると、彼女たちが、今回招集された審査員役らしい。
「何よ、あんたら、って。ずいぶんなご挨拶だよね」
「そうそう。そこな巫女、うちのルナサ姉さんを甘く見ない事ね!」
びしっ、とリリカが霊夢を指さす。
何でよ、と眉をひそめ、霊夢は問い返した。
「ふっふっふ。遠からんものは以下略! ルナサ姉さんは、確かに見た目地味だけど!」
「……メルラン。それは、あなたの本音かしら?」
「……ごめんなさいおねえさまわたしがわるうございました」
顔を引きつらせ、棒読みで全力平謝り。
彼女に代わって、リリカが、何やら身振り手振りつきで姉を讃えつつ、
「このルナサ姉さんは、過去、料理界において『食のオーケストラ』と呼ばれた女傑であり、クッキングファイターの一人っ!」
「……え? マジ?」
「ええ、そうですね。私の取材記録によりますと、ルナサさんの戦績は、過去、四十九勝一敗。圧倒的な実力を持ちながら、記念すべき五十勝目に挑むその試合で敗北し、そのままキッチンファイトの世界を引退しています」
片手に取材用のメモ帳を広げ、文がしたり顔で解説してくれる。
そんな歴史がこいつらにあったのか、と霊夢は驚愕の眼差しを送る。たかが四面ボスのくせに、と思ったのは内緒だ。
「……えーっと。まさかとは思うんだけど、その一度の敗北、ってのは……」
「そう。私は、あの美鈴さんに敗北を喫したのよ」
「……マジかよ」
「あの時の勝負、今でも鮮明に思い出せるわ。当時の私は、まだまだ先を求めて戦い続ける一人の修羅だった。そして、あの時……そう、あの、私の中で決して忘れられない記憶になったあの日、当時のキッチンファイトの世界で『マスターオブクッキング』の称号を持った漢すら倒した彼女に挑み……そして、敗北した」
「何よそれは」
「あの勝負、見ていて思ったわ。そんなバカな、って」
「そうよ。うちらの姉さんが負けるはずがない、って信じてたもの」
「わたしなんて、姉さんを追い越すために料理の道を志した矢先だったのよ」
何やら、色々思うところがあるのだろう。熱く語るプリズムリバー姉妹の瞳には涙すら浮かんでいた。うんうん、とうなずきながら、わかったような顔で文がメモを取っていたりもする。
「……でも、私は所詮、井の中の蛙だったのね。上には上がいると言うことを思い知らされたわ。
その時、私は彼女に弟子入りを志願した。けれど、彼女は『私もまた、道を歩み続けている途中。あなたを弟子に取ることは出来ない』と立ち去ったの。
……そして、悟ったわ。次に私がやるべき事は後進の育成である、と」
「おかげで、姉さんの料理の技を全て仕込まれたのが」
「私たちというわけなのよ!」
「……」
そーなのかー、と内心で霊夢がつぶやく。
っていうか、幻想郷って、もしかして料理が出来る奴ばかりで構成されているのだろうか、と思ってしまう。こんな世界があったなんてこと、博麗神社の巫女として長いこと過ごしてきた彼女も全く知らなかったのだから。
「この勝負の後、私たちが勝利者に挑戦してみようか、リリカ」
「あ、それ面白そう」
「やめておきなさい。今宵、この場に集うのは、かつてのキッチンファイトの世界で五本の指に入った猛者達よ。あなた達では、まだまだ勝負にもならないわ」
「そうなの!?」
「ええ。もっともっと腕を磨く事よ。私もまだ、あなた達には教えていない奥義がある」
料理の奥義って何だよそれ、とぼそりとつぶやく霊夢。
まぁ、それはともあれ。
「どうやら、メンバーがそろったようね」
レミリアが、隣にフランドールをともなって現れた。パチュリーは例によって例の如く、その場にはいない。やっぱり『あなた達で勝手にやってちょうだい』なのだろうか。
それを聞くより早く、二人は椅子に腰掛ける。やっぱりお昼ご飯は食べてきていないのか、フランドールが『おなかすいたーおなかすいたー』と自作の歌を歌ってご飯を催促している。
「じゃあ、勝負を始めましょうか?」
そのレミリアの言葉に。
彼女の背後の扉が、再び開く。そして、その場に立っている人物達を見て、霊夢は目を見開いた。
「魅魔!? それに、魔理沙まで!?」
「おや、霊夢じゃないかい」
「……やっぱか」
「ちょっと、何であんたらが!?」
「わたしはよく知らないけれど。と言うか、魅魔が封印されていた所って、あなたの神社って聞いたけれど本当なの?」
と、先日のことを語って聞かせてくれるレミリアに、霊夢は軽いめまいを覚えてテーブルに突っ伏した。
「……うちの神社は料理人を封じるための神社じゃないやい……」
その気持ち、よくわかる。
しかし、悲しいかな、そんなことにツッコミ入れてくれる人間はこの場にはいないのである。
「なぜ魔理沙さんが?」
「あー……いや……」
「この子は私の弟子だからね。私の手にしている全ての料理技術、とことんまで叩き込んだのさ」
「そうなんですか」
「そうさね」
「まぁ、そうなんだ。というわけで、霊夢。今夜は、私は魅魔さまの助手と言うことでこの場に呼ばれたというわけだ」
「……そいつはあんたの『魔法』の師匠じゃなかったの……?」
「……」
「こら無視するな!」
帽子を目深にかぶり直す魔理沙に霊夢が声を上げる。
魅魔は魔理沙を引き連れ、自分たちの『戦場』となるキッチンに立った。そうして、また扉が開く。
「……今度は幽香なのね」
「何よ、その反応は」
「おおっ! これは!」
「料理界の華と呼ばれた風見幽香……まさか、彼女の料理も見られるとはね」
「姉さん、この勝負、ただですむことはないわね」
「うん。この勝負、まさに血で血を洗う戦いになるわよ」
料理勝負だろ、これは。
内心で三度目のツッコミ入れて、いい加減、全てを投げ出したくなってきた霊夢は視線だけをプリズムリバー姉妹に向ける。
「あら? 美鈴は?」
「彼女なら、準備があると」
「準備?」
「おっなかすいたーっ、おっなかすいたー♪ ごっはん~、ごっはん~、おっいしっいごっはん~♪」
フランドールの脳天気で可愛らしい歌が響く中。
部屋の空気が入れ替わった。
「何!?」
真っ先に反応したのはルナサである。
彼女の視線は閉じられたドアへと向いていた。一体、その向こうに何があるのか。そこにいる人物全てが沈黙する。
「……この気配。来たね、龍が」
「魅魔さま……!」
「呑まれるんじゃないよ、魔理沙。この気配に呑まれれば、その時点で敗北だ」
ごくりと、魔理沙が喉を鳴らす。
静かに開いていくドア。その向こうに佇むのは、
「……美鈴……なの?」
あのレミリアですら、己の目を疑うほどの変貌を遂げた女傑の姿だった。
普段まとっている衣装ではなく、身にまとうのは、真っ赤な炎を思わせる赤い衣装。胸元が大きく開き、その場のほぼ全員が羨む峡谷を彩っている。ドレスの下も、いつもよりずっとスマートできれいな足がすらりと外に。
だが、そこに注目するものは誰もいなかった。
美鈴のまとう空気。
それは、何と表現すればいいだろう。あえて言うのなら『料理の波動』とも表現するべきものが立ち上っているのだ。
「我が名は紅美鈴。我は……!」
かっ、と見開かれる瞳。同時に、オーラが一気に立ち上り、暴風にも似た突風が室内に荒れ狂う。
「我は、料理を極めしものなり!」
「……くくく……! これが……これが、あの娘の本気かい……」
「あ、足が震えて……」
「……恐ろしいわね。今回、敵でなくてよかったわ」
その衣装の、無地の背中に金色の『龍』が浮かび上がる。
一歩歩くごとに、その空間の空気がうなる。まさに、圧倒的だった。
「あ、あれは……!」
「文さん、何か知ってるわけ?」
「……まさか、この目で拝むことが出来ようとは」
「姉さん?」
歩みゆく美鈴の背中に。
戦慄する二人の視線が投げかけられる。
「あれは……」
「……ええ、間違いない。あれこそ、我らが所属していた料理界で、ただ一人しかまとうことの許されない『龍』の衣装……! 誰もが途中で敗北し、挫折した――『マスターオブクッキング』と呼ばれた、あの漢すら成し遂げる事の出来なかった、伝説の修行場『食神山』を制覇したものの証!」
「……何よそれは。剣掲げて叫んだら『おおーっ!』って出てきたりするわけ……?」
もはや投げやりな霊夢の疑問に応えるものは誰もいない。
「あの衣装を彼女がまとって現れたのは、歴史上、ただの一度きり! しかし、あの戦いを見たものは誰もが悟った! 彼女の勝利を!」
「そして、彼女と戦ったものは悟ったと言われています……己の、絶対の敗北を……!
魅魔さん……どうやら、彼女は、美鈴さんを本気で怒らせてしまったようですね……」
「ふふふ……ですが、私たちは幸運よ。あの『破壊者』魅魔と、『龍』紅美鈴の全力の戦いを見られるのだからね」
「ええ。そして、その技術を盗む最高のチャンス。まさにこれぞ僥倖です……!」
「フラン、そろそろ静かになさい」
「はーい」
「……レミリア、あんた、よくこの状況について行けるわね」
「慣れよ」
と言うか、半分以上、理解を放棄している状態に近いとも言えるのだが。
まぁ、それはともあれ。
「それじゃ、用意は調ったようね」
二人の『戦士』が戦場に立つ。
彼女たちの視線は決して絡むことはなく、ただ、己の見据えるものだけを見つめている。そんな彼女たちを一瞥してレミリアが宣言する。
「それでは、勝負を始めるわ!」
「負けません」
「こっちこそ」
「キッチンファイトぉぉぉぉぉぉぉっ!」
『レディィィィィィ・ゴォォォォォォォォッ!!』
宣言はレミリア、皮切りは文とルナサである。
「……今回の勝負は、っと……お寿司勝負?」
「魅魔さんの得意料理は和食ですから」
「うっそ、マジ……?」
あの魅魔の雰囲気からはとても考えられない。と言うか、彼女が寿司などと言うものを握れるという事実自体、意外すぎる。
「魔理沙さんが和食好きなのも魅魔さんの影響と思われます」
「……マジ?」
「裏の取れた情報です」
普段はゴシップ満載の新聞を発行する文である。それを全面的に信用するのはどうかと思うのだが、事、こういう事に関しては信じてもいいんじゃないかなー、と思えてしまう。
その理由は。
なぜか。
彼女の瞳に、真っ赤な炎が燃えているからである。
「メルラン、リリカ。この勝負、決して目をそらしてはならないわ」
「はい!」
「わかったわ、姉さん!」
「……求道の道を選んでしまうことは因果なものね。その勝負から離れたとしても、決して、道を忘れられない……ふふふ……。まさか、この私にも、まだこんな心が残っていたとはね」
ルナサが不敵な笑みを浮かべ、最初に目の前に出されてくるものに視線をやった。
今回の寿司勝負は、基本的には何でもあり。自分の得意な握りを提供し、どちらが美味しかったか、それを判定するものである。
しかし、どこか、彼女たちの間にはルールのようなものがあるのが見て取れた。
「最初は海苔巻きですね」
「魅魔たちのはキュウリと梅干し。オーソドックスね」
「対する美鈴さん達は……かんぴょう巻きかしら」
「それじゃ、一口」
「……あ、置いてかれてる」
差し出されたそれに、とりあえず醤油をつけて一口。
「……甘い?」
「その通り。霊夢、その梅干しは、……まぁ、名前を出すことは出来ないが、とある職人から仕入れてきたものだぜ。一個、実に数千円の代物だぜ」
「嘘……」
普通、梅干しと言えば、一個、せいぜい数十円程度ではないか。この紅魔館のレストランサービスでもその程度だ。その百倍以上の値段がする代物とは……。
「天然の梅干しは、塩味の中に絶妙な甘さがある。それを全面的に引き出して、キュウリの新鮮な味わいと絡めてみたんだ」
「さすがだね、魔理沙。あんたのその審美眼には恐れ入るよ」
「いえ、これも魅魔さまのおかげです」
ぺこりと一礼する魔理沙。やっぱり相手が師匠だと大人しく、そして礼儀正しくなるらしい。
反対に、
「……美味しいわね、これは」
「かんぴょう巻き……なのに、この味は……砂糖?」
「酢飯に多少の砂糖を混ぜてみました。醤油の味に反応して、さらに甘みを感じるはずです」
「なるほど。それがかんぴょうの味とマッチングして、これほどのもの、ね」
さすがはプリズムリバー料理姉妹。美鈴の説明に素直に納得し、うなずいている。
続けて、新たな代物が握られて差し出される。
「これは何かしら?」
「いかさんだね」
「……ただの軍艦巻きのようだけれど」
「おっと。醤油はつけない方がいいぜ」
寿司の定番、醤油に手を伸ばすレミリアに魔理沙が忠告する。それを受けて、不思議に思いながらも、レミリアはそのままでいかの軍艦巻きを口に放り込んだ。途端、口中に絶妙な塩味が広がる。
「……これは……!?」
「うわ、これおいしー」
「そいつはね、シャリにイカスミを使っているのさ」
「……なるほど。イカスミパスタには強い塩味があると聞きます」
「それの味を引き出すために、味をちょちょいと調整したんだ」
「……魔理沙さん、あなた、やるわね。この方法は、私も考えつかなかったわ」
ルナサの素直なほめ言葉に、魔理沙は苦笑。そして霊夢は、『もしかして、あいつもクッキングファイターとか言う連中の一員じゃないでしょうね?』と疑いの眼差しを向けたりもする。
続いて、美鈴達のもの。
「彩り鮮やかね」
「たとえるなら、しゃけの親子巻き、というところかしら?」
それは、シャリの上に見事ないくらが載せられ、シャリをサーモンの切り身が包んでいる、という優美な代物だった。恐らく、発案者は幽香だろう。その見た目は、真上から見た場合、どこか花を連想させる。
「……甘い」
「上にかけられているソース……これは、幽香さんお得意の花の蜜のソースですね?」
「その通り。よくおわかりね、新聞記者さん」
「それにドレッシングが少しだけ混ぜられているわね。市販のイタリアンドレッシング……いや、違うわね。何かしら……これは……。まさか、ただの醤油……?」
「よくお気づきね」
「ええ……この脂は、サーモン自体の脂ね……。それに騙されるところだったわ」
この鮮やかな色のソースのどこに醤油が混ざっているというのだろう。ルナサの言葉に、霊夢は首をかしげてしまう。
つか、こいつら何者だ。
「さあ、次の品に行こうかい」
「ええ」
ごごごごご、と圧倒的な気配が渦巻く中。
両者の手が動く。
魔理沙と幽香はあくまで両者のバックアップ。真の戦いは彼女たちに譲るという意識が垣間見える。
その戦いの当事者達の指先は、あくまで優雅だった。寿司を握るその指先には、全くそつがない。あれほど繊細に食材を扱い、一つの形をなす手つきは慣れたものでなくては決して不可能に違いない。
「光り物、ですね」
次に出てきたのは、青魚。
「……これは……」
「魅魔さんのって、さば?」
「そうさね」
「あの……これ、しめてないんですけど」
普通、さばは酢で締める。そうしなければ、大抵、腹痛を起こしてしまうからだ。にも拘わらず、魅魔の出してきたそれは、まるで生のさばの刺身だった。
さすがに、それを口にするのは抵抗があるのか、今ひとつ、手を伸ばさないメルランとリリカ。だが、ルナサは迷わず、目の前の寿司を手に取ると口に放り込む。
「……ふむ」
「これは……かの有名な、黄金色に輝くという……」
「ええ。一匹、普通のさばの数倍……いや、時として数十倍の値段がつくと言われる、あれね」
「おや、よくご存知じゃないかい。確かに、その通りさ。私は、どうにもしめさばという類の奴らが苦手でね。何とかして、生で食べられるのを探していたところを」
「私が見つけてきたというわけだぜ」
魔理沙は、十二分に、魅魔の助手としての立場を果たしているようだった。
彼女のもたらすものは、充分に魅魔の役に立っている。元々、助手というのはそういうものだ。メインを張る役者の足りないところをこっそりとフォローする。しかし、そこには、それに匹敵する実力が必要となるのは言うまでもない。彼女に相応の実力があるからこそ、魅魔も魔理沙を信用しているのだろう。
「対して、美鈴さん達のものはあじですね」
「季節的に、少し時季外れという気がしないでもないわ」
ルナサの言葉通り、それは、魅魔たちが出してきたものより幾分、味が劣るものだった。確かに素晴らしいものなのだが、先に出てきたものの威力が高すぎた。しかし、こちらを先に食べても、後に食べる魅魔たちのものの味が引き立てられただけだろう。これは美鈴達の明確な敗北だ。
「……うぇ~……辛い~……」
「いい加減、わさびくらい食べられるようになりなさい」
「う~……」
「ご、ごめんなさい、フランドール様。さび抜きにするのを忘れました」
「ぶぅ……」
舌を水の中に入れて冷やしているフランドールがじろりと美鈴をにらむ。その視線を受けて、ちょっぴり、美鈴の頬に伝う汗一筋。
しかし、それがいい具合に力が抜けるきっかけになったのだろうか。
次に出されてきたのは、魅魔たちがあなご、美鈴たちがうなぎの握りである。それでは、美鈴たちのものに軍配が上がる。脂ののりが半端ではなかった。口の中に入れた途端、じゅわっと魚の味が溶け出していって、しかもしつこくない。後味はすっきり爽やか、こんなうなぎなんて食べたことがない、と誰しもに言わしめるほどのものだ。
「……ちっ。やっぱりやってくれるね」
「魅魔さま、どうしましょう?」
「仕方ないね。次ので軽く勝負をかけるよ」
「はい」
相手は、やはり予想以上に出来る。背中に背負った『龍』は伊達ではない。
決して、『龍』を背負った女を敵に回すな。
それは、この世界では半ば慣例のように言われていたことでもあった。それを背負った女は、まさに最強。まさに無敵。絶対の力を持った料理人であると。勝負を挑めば必ず敗北し、己の腕に自信が持てなくなるだろう。それほどまでに、『龍』の称号は偉大なのである。
故にこそ、魅魔はあえてそれに挑む。
かつて同じように多くのもの達の挑戦をねじ伏せてきたものとして。そして、彼女と同じく、また求道の道を究めようとするものとして。
戦わずにはいられない。
自分よりも強い相手と戦い、それを倒さずにはいられない。
「こいつならどうだい?」
出されるのは、わずかに赤みのかかった切り身の乗せられた寿司である。対して、美鈴達が出してきたのは、
「これは……金目鯛でしょうか」
「そうね。この独特の色は……」
「うわ、おいしそう……」
存分に脂ののった金目鯛。まさに今が食べ頃、とばかりに美しい輝きを発するそれを一同が口にし、それぞれの感想を漏らす。
続けて、その手は魅魔のものへ。
彼女たちがそれを口にした瞬間、世界が変わった。
「なっ……!?」
「これは……!」
「何かしら? これ」
「お姉さま、これ、美味しいね」
「ええ、そうね」
その視線が魅魔達を向く。
「そいつはね、あんこうの刺身だよ」
「あんこう?」
「深海に住むグロテスクな魚さ」
「……しかし、魅魔さん。それは本来、鍋などにするものでは……?」
「いいものはどんなところに使おうとも、素晴らしい味を引き出す」
そうだろう? と魅魔の視線が美鈴達を射すくめる。彼女たちの表情が渋いものに変わった。
たとえどんな食材であれ、適材適所、向いているところがある。それを見いだし、その食材にとって一番己の力を発揮してやれる場所を提供するのが料理人の仕事なのだ。故に、普段、その食材がどう使われていようともそれがベストであるとは限らない。ベターな選択肢であるに過ぎない場合も数多いのだ。
魅魔の出してきたあんこうの寿司は、まさに、その正しい使い方。
「若干、堅さが残りますが……素晴らしい」
「こんな食べ方をするのは初めてね。なかなか興味深いわ。全体に、さっと振りかけられた塩のおかげで味もきちんとメリハリが利いている。へぇ……」
「……姉さんが本気よ、リリカ」
「ええ、あの顔は、まさしく修羅だった頃の姉さん……!」
なぜか、戦慄する二人もいたりするのだが。
ここで小休止を意味するのか、みそ汁が出された。美鈴達のは定番のあら汁、魅魔達のものは豪華に伊勢エビのみそ汁である。
「美鈴、どうするの?」
「何がですか?」
「明らかに食材で負けているわね」
「ええ。確かに。
寿司の場合、手の加えどころが少ないですから、どうしても食材の良さに判断がよってしまいます。でも、それなら、手を加えられるもので挑むだけですよ」
「……それは?」
「用意していたものがあります」
続けて、お茶で口の中をさっぱりとさせてから、次の勝負に移る。
魅魔達が出してきたのは先ほどの伊勢エビの身を使った豪快なエビの寿司。対する美鈴達は、
「……何これ?」
霊夢が眉をひそめる。
そこに出てきたのは、変わったものだった。
まず一つは、何かの魚の煮付けが軍艦巻きにされたもの。そしてもう一つは、何だかゼリー状のものである。
「では」
すでに伊勢エビの寿司を堪能し終わっている文が煮付けを口にする。
「……キンキできましたか」
「高級魚と言われるキンキの煮付け……。しかも、全体的に甘い仕上がりになっているわね。本来は、もう少し塩味を強くするのだけど、これは甘みを存分に使っているわ。おかげで、酢飯の味と見事に絡み合って絶妙の味を醸し出している」
「ええ。そうなると、これは……」
文の視線は、もう一つのゼリー状のものへ。
それを手に取り、口の中へと運ぶ。
「……やはり」
「煮こごりの寿司」
ルナサの言葉に静かにうなずく。
「こんな使い方もあるのね」
「メルラン姉さん、メモよ、メモ」
「……ちっ、やってくれるね」
キンキの煮付けを作った際、本来ならば捨ててしまう煮汁のあまりを冷やした煮こごりを寿司にするという斬新な発想。しかも、煮こごりの中にはほぐしたキンキの身と共に幽香が得意とする花びらが含まれている。花びら自体が持つ甘みが煮こごりの甘さをさらに際だたせ、先のキンキの煮付け寿司を上回る味へとそれを仕上げていた。
「……あんなのがあるのか」
「ああ。やっぱり、あいつらは伊達じゃないねぇ……。
魔理沙。そろそろ勝負は締めだ。たたみかけるよ」
「はいっ!」
「いい返事だ」
次なる寿司が用意される。
先の寿司で勢いを取り戻した美鈴達は、見事な味を持った脂がのりきった寒ブリ。これほどうまい寿司があるだろうかというその味は、博麗の巫女に涙を流させ、料理人達を戦慄させ、レミリア達を黙らせる。
だが、次に投入されたのは、一同の予想を上回る寿司だった。
「お肉のお寿司……?」
「何も、寿司は魚のみを握るってルールがあるわけじゃないよ」
「しかも、これは……ランクAの最高級和牛ですよ。これ一枚で、一体どれほどの値段になるのか……」
「さしの入りが見事ね。食べてしまうのがもったいないわ」
薄く切られたその肉は、新鮮さを示すがために生であえて口に出来る代物である。触っただけで肉の脂が溶け、指先に絡む。そして口の中に入れれば噛まずとも溶けていく芳醇な甘み。美鈴達のものに舌が感激していてなお、凄まじい存在感で己の『うまさ』を訴えてくるそれには、一同、もはや脱帽だった。
「さて」
最後の一品。
魅魔の視線が美鈴の視線と絡み合う。
「次で終わりにしてやるよ」
「こちらも、この『龍』に誓って」
魅魔が握るのは、これまた見事なマグロの大トロ。
それこそ、もはや肉と勘違いできそうな代物である。霊夢など、呆然として身動きできないでいる。日頃の貧乏生活が身にしみているのだろうか。
「言葉などいりませんね」
「ええ。でも、あえて口にするのなら、ここまで口の中でとろけるものを仕入れ、そして調理する彼女の腕前は、まさにクッキングファイターの名前にふさわしいということかしら。
ふふっ……私も燃えてきたわ」
ルナサの瞳にぽっと点るのは、長らく忘れていた料理人として『戦い』の場に身を置く己の姿だった。今、彼女の中に燃え上がるその衝動は、抑えるのが難しいくらいに膨らんでいる。今すぐにでも包丁を手に取り、キッチンに立ちたい。それが彼女の指先を震わせる。
「……リリカ」
「ええ……」
「私たちは……とんでもない勝負に参加してしまったのかもしれないわね……」
「明日にでも、食のオーケストラ、復活は間違いないわ……」
ここに、かつての修羅が復活する。
しかし、今はその修羅も大人しく身を潜めていた。まだ、勝負は終わっていないのだから。
「……美鈴」
「ふぅ……」
彼女は、まだ、寿司を手にしていなかった。
目を閉じ、深呼吸をし、意識を統一している。
刹那、その瞳がかっと開いた。ゆったりと、その両手が動く。片手に寿司ネタ、片手にシャリ。それを握りしめ、指先が舞う。
「あなたの力、見せてもらうわ」
幽香が後ろに下がった。
もはや、これは己の出る幕ではない。ここから先は、美鈴の舞台であり、戦場だ。
彼女の背中に輝く龍。それの瞳が炎を放つ。
「私のこの手が真っ赤に燃えるぅ! 勝利を掴めと轟き叫ぶっ!」
美鈴の手が赤く光り、炎を放つ。
それは幻覚などではない。真に燃えているのだ。輝かんばかりに激しい炎を放つ手が、神速の動きを見せる。
「何ぃっ!?」
「あ、あれは……あれが、まさか、料理界の伝説に残る……!?」
魅魔と魔理沙が戦慄する。
「ばぁぁぁぁぁぁくねつっ!」
「スクープです! 私は今、あの伝説のシーンに立ち会っているのですね! 我がカメラよ、全てを捉えろぉっ!」
「見なさい、メルラン、リリカ! これぞ、あの『龍』が誇る奥義よ!」
「はいっ!」
「とくとこの目に!」
何でこんなにみんな盛り上がるのかなぁ、と一人思う霊夢は、興味津々の眼差しを注いでいるレミリアとフランドールを見て、「ふっ」と妙に寂しそうな笑みを浮かべた。場の雰囲気について行けないって辛いわねぇ、とつぶやきながら。
「ドラゴンフィンガァァァァァァァァッ!!」
かっ、と。
全てが一瞬、白に覆われたその刹那に。
「――ヒート・エンド」
とんっ、と一同の前に最後の逸品が差し出される。
「……マグロ……?」
「ええ……そうね」
差し出されたのは、あまりにも普通の品。ただのマグロにしか見えないそれを、静かに、全員が口に運び。
『……!?』
声を、失う。
「マグロの大トロにも負けない部位。それは数あれど、希少性、そして、味の具合を見る限り、絶対の勝利を飾ることが出来る部位はあまりにも少ない――」
「……ふ……そうきたかい……」
「魅魔さん。あなたは、確かに素晴らしい料理人だった。
でも」
「……」
「あなたは、戦い方を間違えた」
静かな宣言の元、美鈴は言う。
「この『龍』に、その程度の小細工、通用はしない!」
その宣言に、魅魔はひょいと静かに肩をすくめるだけ。
そして、その場に響くのは。
「……見事」
審査員長であるルナサの一言と、惜しみない賞賛の拍手だった。
「最後に出してきたのは、ありゃ何だい?」
「マグロの頬肉です。本当にごく一部の人しか味わうことの出来ない、大トロすら上回ると言われる部位です。これをあなたに使われたら、私の勝利は危なかったかもしれない」
「よしな。あんたの勝利なんて、最初っから決まってたんだよ」
「え? 魅魔さま、それは……?」
「魔理沙。あんたには教えてなかったかねぇ」
戦いは、美鈴の勝利に終わった。
全てを合計した結果、一品ごとの勝敗で見ると両者は一進一退なのだが、やはり最後の一手が効いたらしい。文は、「これをスクープとして新聞にしろと、私の魂が叫んでいる!」と一足先に撤収していった。
そして、その判断を下したのは、やはりルナサ。「美鈴さんの勝利を宣言します!」。その一言が、勝敗を決した。
「料理人ってのはね、全ての勝負はキッチンの上でつけるものなのさ。たとえ、それに対するお膳立てを作るためであっても、そこ以外の場所で戦っちゃいけない。
私は、どうしても自分より強いものと戦ってみたかった。それ故に、やり方を間違っちまったってことかね」
「そうね。勝負に、結果的には関係のなかった咲夜を巻き込んだのはあなたの落ち度だわ」
幽香が片手に日傘を持ち、辛辣な一言を投げかける。
「まぁ、わかってはいたんだけどね。この勝負が始まった、その時から」
「そんな……!? じゃあ、魅魔さまは、最初から敗北を……!?」
「バカな事を言うんじゃないよ。私は戦って戦って戦い抜いた結果、敗北した。最初から負けるつもりでキッチンに立つ奴なんざいやしないよ」
「……でも……」
「魔理沙。あんた、腕を上げたね。大したもんだったよ」
「ええ。魔理沙さん、あなたの実力、私には及ばないとしても相当なものです。精進を期待します」
美鈴と魅魔の言葉に。
うつむいた魔理沙は、一人、涙する。
「けれど、本当に見事な戦いだったわね。
魅魔、だったかしら? あなた、うちで働かない?」
「お寿司、美味しかったよ。魅魔おばちゃん」
「お、おば……!」
フランドールの無邪気な一言に絶句する魅魔。
……まぁ、確かに外見的なものを考慮すれば、彼女はフランドールにとっては『おばさん』なのかもしれないが。
しかし、それにしたってあんまりだな、と霊夢は思う。
「……ま、まぁ、いいさ。
私はね、どこにも所属するつもりはないんだよ。敗北したのなら、次に勝利するべく、また腕を磨いてくるだけさね」
「私と同じじゃない。
美鈴、あなたは大変ね。今度は私と彼女が組んで、あなたと戦うかもしれないわよ?」
「構いません。私は、どんな人の挑戦でも受けて立ちます」
「いい目をしているね」
「本当に」
そこには、かつての姿を取り戻した美鈴の姿がある。あの、『料理界の龍』として誰にも畏れられ、目標とされた女が。
「次は、私が彼女に挑もうかしら」
そんな彼女を見て、ルナサが口許に笑みを浮かべる。無論、メルランやリリカも『その時には!』と姉に対して宣言するのを忘れない。
「さて。
そんじゃ、勝負は終わりだ。私はこれで帰るかね」
「あんた、どこ行くのよ」
「さあね。どこでもいいんじゃないかい?」
「……魅魔さま」
「魔理沙。次に逢う時までに、もっと腕を磨いておきな。これは命令だよ」
「はいっ! 必ず!」
流れる涙を服でぬぐい、宣言する魔理沙に。
満足したように優しく微笑み、魅魔はドアをくぐって姿を消した。その彼女を見送っていた一同の間に、ふぅ、という小さな息が落ちる。
――と。
「……何だか、館の中が騒がしかったのですが……。これは一体?」
「あら、咲夜」
その場を包み込む雰囲気に、やってきた咲夜は状況が理解できず、首をかしげる。
その彼女にどう説明したらいいものか、とレミリアは思案を巡らせ――結局、考えがまとまらず、「まぁ、見ての通りよ」という曖昧な説明をした。
「さて、それじゃ、今夜からまたレストランサービスの再開よ。美鈴、咲夜。わかったわね?」
「あ、はい」
「了解致しましたわ」
「ふふっ」
何だかよくわからない流れから結末に至ってしまったが、これはこれで楽しめたからいいか。
レミリアの笑みはそのように語っていた。それを見ていた霊夢は、「まーた悪巧みして……」とつぶやいたのは、もちろん、言うまでもない。
『伝説の龍復活』
新聞の一面を飾る見出し。そして、そこに書かれている記事。
それを見て、一人、ほくそ笑むものがいる。
「ついに復活したのね、あの『龍』が。
ふふっ……ならば、次は私が……!」
その瞳が見つめるものは――。
「ちょっと、美鈴。これは何?」
「え? 何、って……復帰祝いですよ。美味しいですよ」
「それはいいけれど……お寿司を三十個も出されても、ねぇ」
「じゃ、フランが食べるー!」
「ああ、こら、フラン。わたしも混ぜなさい」
「じゃ、私も」
「あ、ちょっと、お嬢様もフランドール様もパチュリー様もやめてください! これは咲夜さんのために作ったんですよー!」
にぎやかな、紅魔館の一室のみ。
続く?
注2:お腹が空いている時に読んだ際、発生する諸々の事情に当方は一切関与致しません。
『幻想郷に新風が!』
その記事は、そんな見出しで始まっていた。
『昨今、名称『紅魔館』にて新しい考えが採択され、実行に移された。それは、紅魔館に勤める料理人達によるレストランサービスである。
これは、最近になって行われた、紅魔館での料理勝負に発端を持つと思われる。この戦い、筆者も遠くから観戦させてもらっていたのだが、まさに歴戦の勇士と銘打つことの出来る料理人達による食の饗宴。そのすばらしさは筆舌に尽くしがたく、文字に表すことなど、とても出来はしない。それでも、この記事を読んでくださっている諸兄のために、あえて二次元的なものに表現するとしたら、まさに絢爛豪華たる料理の祭典、これに尽きるだろう。
さて、このレストランサービス。レストランと言っても、平日は朝十一時から夜の二十時までの出前サービスのみである。なかなか好評のようで、取材を行ったところ、多い時で一日四百件もの注文が相次ぎ、厨房は常にてんてこ舞いの様子。取材を行った当日も、記者の目の前で、名だたる腕を持つメイド達が忙しく働いている様子が見て取れた。
メニューは和洋中、ないものはないという豪華ぶり。値段も比較的リーズナブルなのに、それに反して充実したサービスが売りである。たとえば、例を上げるのなら、ランチサービスがちょうどいいだろう。一食六百円前後と非常にお値打ち価格ながら、その味には一切の妥協を許さず、米粒一つに至るまで厳しい監修の元、製作が行われている。さらに、ご飯やパン、スープなどはお代わり自由というのが至れり尽くせりだ。
出前サービスのメニュー数は、合計、ランチが六十品、ディナーが二百品を超えるなど、充実したものになっている。お値段も、先に述べたように、ランチが平均六百円、ディナーは千五百円から始まり、最も高いもので十万円を超えるコースまでが用意されている。
今回、このサービスを発案した、紅魔館館主レミリア・スカーレットさんにインタビューを行ったところ、
「最近になって楽しい催しが増えてきたから戯れで始めてみたのよ。そうしたら、思いの外、好評で。なかなか面白い結果になっているようね。咲夜は、何だかんだと未だに文句を言うけれど、そんなものは関係ないわ。要は、わたしが楽しければいいんだもの。
紅魔館の財政も潤うし、いいことずくめでなくて?」
と、答えてくれた。
さて、この紅魔館のレストランサービス。諸兄もご存知の通り、紅魔館とは吸血鬼の館である。吸血鬼の食事と言うことで、一種、異様なものを想像されるだろうが、その見た目通りの食材が使われているので人間でも気軽に味わうことが出来るのが特徴でもある。
加えて、週に一度、完全予約制で、本格的なレストランとしての食事も味わえる。毎週日曜日、客はわずか十人という徹底ぶりだが、その味は、一度口にすれば忘れられないと評判である。
この点に関して、幻想郷でも有数のグルメ評論家でもある、香霖堂の森近霖之助氏にインタビューをもらうことが出来た。
「いや、僕も、過去、様々な料理を食べてきたけれどこれほどまでに美味しい食事をしたことがなかった。まさに、天上の至福を味わったと言っても過言ではないだろう。今では、毎週、欠かさず通っているよ。正直、お財布には痛いのだけれど、一度始めてしまえばやめられないね」
と、ご満悦のご様子だ。このサービスは、お値段が平均二万円前後。最高で数十万円のコースも用意されている。決して安くはない食事であるが、値段相応――いや、値段以上の味を楽しみたいという方には、本紙からも是非お勧めさせていただこう。
最後に、出前サービスのお勧め料理は、紅魔館特製チンジャオロース。お値段わずか六百八十円で、山盛りの牛肉、ピーマン、タケノコの味に魅了されることだろう。お金のない方のために、肉の入ってないスペシャルチンジャオロース(二百八十円)も用意されている辺り、憎めない心配りである。
今回、この新聞記事を書くに当たって、紅魔館側に全面的な協力を得ており、本紙を見て注文をした、あるいは食べに来た、と告げることで料理全品三割引のサービスも実施中である。
美味しい食事を食べたいという方、生きている間に味わっておかなければならないと言っても過言ではない、この紅魔館料理、一度口にしてみてはどうだろうか?
紅魔館レストランサービスへは、電話番号0120-110-4492(フリーダイヤル いいお食事)まで
(文 射命丸文)』
――という、文々。新聞が出回ってしまったため、昨今、紅魔館は大にぎわい。元々、吸血鬼の館と言うことで、この館周辺には人は当然、あらゆるものが滅多に近寄らなかった。そうした、外部からのものの侵入を拒むように、その館は広大な湖の中央に建てられ、さらには鉄壁のメイド部隊による防空警護が行われており、ここに近づくと言うことは死を意味することだったのである。
それが。
そのはずが。
『あの~、予約をした○○ですが』
と、何の変哲もない妖怪やら人間やらが平然と紅魔館を訪れるようになってしまったのである。これはもう、何か間違ってるんじゃないか、と彼女、十六夜咲夜は思うのだが、事、これを考え出したのが、他ならぬ館主のレミリアである以上、何も言えるわけがない。しかも彼女自身が、これをとことん満喫していて、しかも普段なら、ちょっと満足すれば飽きてしまうような性格であるにも拘わらず、全くそうしたそぶりを見せない。
そういうわけで、紅魔館は、今や『紅魔料理館』とでも改名したくなるような状況になっていた。
「ご利用、ありがとうございました」
今日も、咲夜は空を飛び、出前を届けて回る。
日々の注文の多さにメイド達の仕事の量は倍増。この、出前を届けるためだけにメイドが大量に増員されたほどである。それでも注文の量に配達が追いつかず、紅魔館のメイド長である彼女までもが配達に携わっているのだ。しかも、彼女の時間停止能力のおかげで、どんな料理も出来たて熱々ほっかほか、とくれば誰もが『配達は十六夜咲夜さんで!』と指定を入れてくるのもわかろうかというものだ。
無論、当人としては「冗談じゃない!」と声を大にして叫んだほどなのだが。
「はぁ……。本当にこれでいいのかしら」
いいわけない、と誰もが思うであろう。しかし、それを否定することも出来ないのだ。レミリアは、怒らせたらそれこそ心底厄介であるし、ここまで周りに周知されてしまった事業(?)をやめてしまえば、それまたそちら方面で角が立つ。結局、一度、走り出してしまったら止まらないのである。止めてしまえば、後は爆発あるのみだ。
「えっと、次の配達先は……」
片手に、配達先が書かれたリストを持って、咲夜はつぶやく。
だが、その刹那、背後に走った凄まじい殺気に振り返り、一瞬の間にナイフを構える。
「十六夜咲夜……だね?」
そこに立つのは、あからさまに怪しい奴。とりあえず、夜道で出会ったら問答無用で石をぶつけなくてはならない相手である。
黒――というよりは、ダークパープルのコートのようなものに身を包み、顔も同じようなもので覆っているため、目元を除いて表情すらわからない。おかげで、相手が何者であるか、男なのか女なのか、それすらもわからなかった。
「どちら様でしょうか?」
やんわりと、慇懃無礼の態度は崩さずに彼女は問いかける。
相手が、ふっ、と覆面の下で笑うのがわかった。
「十六夜咲夜。お前に、キッチンファイトを申し込む!」
――事は、そこから始まった。
「全くもう! 咲夜は何をやっているの!?」
紅魔館にレミリアの怒声が響き渡る。つい先ほど、注文をしてきた客から『注文したものが届かない』という苦情があったのだ。それで急遽、同じものをこしらえて別のメイドが飛び立ったばかりである。
「と、言われましても……」
「全く……。こういう仕事は信用が第一だって教えなかったかしら」
何で私が怒られてるんだろう、と思いながら、メイドの一人がため息をつく。と言うか、どうしてレミリアが対外的な信用までを気にしているのかが謎で謎で仕方がない。
「もういいわ。ここで怒鳴っても仕方がないことのようだしね」
「は、はあ……」
「レミィ。怒りすぎはしわが増えるわよ」
「わかっているわ。帰ってきたら、その分、あの子を叱るつもりだから」
横手からさりげなく指摘を入れてくるパチュリーにレミリアは、ふん、と言わんばかりの口調で返した。レミリアに怒られていたメイドは「あの、それでは……」と頭を下げて立ち去ろうとする。ちなみにここはレミリアの私室である。
だが、その時。
「たっ、大変です、レミリア様!」
「何事? 節度を守れないなんて、よほどのことが起きたのかしら?」
館の主の部屋にノックもせず、加えて、こちらが許可を出す前に踏み込んでくるなど、よっぽどのことが起きなければ許可はされない。彼女の射すくめるような視線を受けて、飛び込んできたメイドが大慌てで背筋を伸ばした。
「そ、それが……と、とにかく、大変なんです!」
「大変という言葉の定義にもよるわね。何が大変なの?」
「それが……」
パチュリーの冷静な指摘を受けて、彼女はぽつりと、言う。
「メイド長が……」
「……咲夜が?」
それで反応するのはレミリアである。
とりあえず、このままでは事態がわからない。どうなっているの? という問いに、メイドは「ついてきてください」と背を向ける。こちらが何も言ってないのにそう言う行動に出る辺り、彼女は非常に混乱しているようだった。普段の紅魔館でこんな真似をしようものなら、即刻、度を過ぎたきついお仕置きの対象だからである。
ふぅ、と肩をすくめると、レミリアが「それじゃ、行ってくるわ」とパチュリーに言ってその場を後にする。そうして、早く早く、と急かすメイドと共に広い屋敷を進み、やってくるのは応接室。広大な紅魔館の入り口脇に設置されたその部屋の中に、彼女は一歩足を踏み込み、息を飲んだ。
「なっ……!?」
「おや。ようやくご到着かい」
「咲夜!?」
その部屋には先客がいた。
全身を黒っぽい紫で統一したマントで覆った、謎の人物。そして、彼女の前のソファの上で寝かせられている咲夜。なぜか、全身、傷だらけである。
「何があったの!?」
「さ、さあ……? そ、そちらの方が……」
「あなた、この子に何をしたの!?」
事と次第によってはただではすまさない、といった声音で言う。ぎらりと、赤い爪が光る。
「なぁに、ちょっとした余興だよ」
「余興……? 余興ですって!?」
「おっと。怒らない怒らない。
私はね、ここに挑戦しにきたのさ」
「……挑戦?」
その言葉で、一瞬、気勢がそがれる。
その隙をつくように、目の前の相手は言う。『私』という一人称から察するに、恐らく女だろう。彼女は、たっぷりとためを作った後で、傲然と言い放つ。
「あんた達の料理の腕、それがどれほどのものか、見極めるためにねぇ?」
「……それで、どうして咲夜が……」
「その子がここでメイド長をやっていることは、こちとら先刻承知の上さ。メイド長と言うことは、料理に関しても、さぞかし素晴らしい腕前なのだろう? だから、楽しみにしていたんだけどねぇ……。
拍子抜けしたよ」
くっくっく、と笑う女。
レミリアの瞳が鋭くなる。
「ふざけるな! 一体、何を……!」
「お嬢様、咲夜さんが何だか大変なことに……って……」
部屋に飛び込んでくる美鈴とフランドール。どうやら、彼女たちもメイドに事の次第を聞いてきたらしい。
そして、飛び込んできた二人の内、一人――美鈴が声を失った。
「こ、これは……」
「咲夜? 咲夜ー? ねぇ、大丈夫?」
つんつん、とフランドールが咲夜のほっぺたをつつく。反応がないことに不安でも覚えたのか、最初は無邪気な様子だったのに、段々と目元に涙が浮かんできている。
あわや、彼女が泣き出してしまう――その直前に、美鈴は戦慄した。
「……これは、キッチンファイトの傷痕……!」
「……キッチンファイト?」
きょとんとなるレミリア。
言葉から察するに、とてもじゃないが、目の前の咲夜の状態には言葉の意味が続かないからである。
「ええ……」
「それは何? 美鈴」
「……美鈴?」
相手の女が眉をひそめるのが、気配でわかった。
「はい、お嬢様。
キッチンファイトというのは、クッキングファイターとして名を馳せたもの達にのみ許される、絶対的な勝敗を決めるための勝負方法のことです。互いの宣言により開始されるその戦いは、まさに無慈悲。勝つか負けるかの、命をかけた勝負です。
私にはわかる……これは、キッチンファイトにおける敗者の証拠……」
美鈴の瞳が剣呑な光をたたえ、女を見据えた。
「あなた、何者ですか!? 咲夜さんほどのファイターを、これほどまで……!」
「……えーっと……。ねぇ、あなた。咲夜って、そんな妙ちきりんなものに登録されていたの……?」
「さ、さあ……私は存じ上げませんが……」
話の流れについて行けず、頭痛すら覚えながら訊ねるレミリアに、やっぱり顔をしかめているメイドが返す。フランドールはきょとんとして、展開の行く末を見守っていた。
「美鈴……美鈴、ねぇ……。
覚えがあるよ。あの、料理界において、たった一人しか持つことの許されない『龍』の称号を持つ女……」
「……それを知っていると言うことは、やはりあなたもクッキングファイター……!
名を名乗りなさい! それが流儀のはずです!」
「はっ! 確かにねぇ! そう言われれば、名乗らずにいるわけにもいかないよ」
女が立ち上がり、ばさぁっ、とコート――どうやら、全身を覆うタイプのマントのようなものだったらしい――を払った。
その下から現れたのは、
「あ、あなたは……!」
「おや。覚えていてくれたのかい」
緑色の長い髪を携えた、端正な女の顔。だが、きつめの印象を与える目尻やシャープな顔のラインのおかげで美人ではあるのだが近寄りがたい空気を漂わせる。彼女は、目を細くし、赤い唇を笑みの形に刻んだ。
「……忘れるわけもありません。あの、『破壊者』の名前を……!」
「くっくっく……」
「……あのね、美鈴。ちょっといいかしら?」
「何でしょう、お嬢様」
「……誰?」
もはや、展開について行けてない。
レミリアの言葉に、美鈴は戦慄しながら応える。
「彼女の名前は、魅魔。あの『破壊者』魅魔です!」
「……何よ、『破壊者』ってのは……」
「ルールに則り、正々堂々と戦うその高潔な姿勢とは裏腹の、容赦のない徹底した戦い……! あまりにも目に余る、その羅刹のごとき姿故に、封じを受けたと言われている……あの女……!」
「……」
「くっくっく。ルールはルールだ。それに則って戦いを行う限り、私には何の落ち度もない。その名前は、私にとっては不名誉なもんだけど……何かしらね。心が高ぶるのは」
「……ちなみに、美鈴。ルールって何?」
「はい。
一つ。己が料理を打ち砕かれたものは潔く負けを認めること。
一つ。相手選手の妨害は、どんな理由があろうとも認めない。
一つ。妨害の程度に当たらない駆け引きは許可。
一つ。クッキングファイターは、いかなる理由があろうとも己の料理を守らなくてはならない。
一つ。サポートを行う助手を除き、常に一対一の戦いを基本とする。
一つ。クッキングファイターは、己の腕と己のプライドにかけて、卑怯な真似をするようなことは、断じて許されない。
そして、最後に」
「キッチンがリング」
「……ええ」
「……ごめん、ついてけない」
ぽつりとつぶやいたのが、間違いなく、レミリアの本音だった。
と言うか、この展開に誰がついて行けようか。そもそも、何で料理勝負で咲夜が傷だらけにならないといけないのか、もう全くわからない。
「なぜ、咲夜さんを!」
「そちらのお嬢さんには言ったけれどね。私はここに挑戦しにきたんだよ。
この私の腕を持って、今流行のレストランである、あんた達を徹底的に叩きのめすためにね」
「……さすがは破壊者ですね」
「お褒めの言葉だよ、それはね」
にんまりと、魅魔が笑う。
「だが、これでわかったよ。
あんただね、紅美鈴。あんたが、このレストランの立役者――違うかい?」
「……」
返答は、ない。
「そうかい。やっぱりね。
ならば、紅美鈴。あんたにキッチンファイトを申し込むよ!」
びしっ、と相手に指さされ、美鈴は、一歩、後ろに後ずさった。
だが、その視線は咲夜に向く。今も目を閉じ、身じろぎ一つしない彼女へと。
――何か思うことがあるのだろう。そして、言いたいこともあるのだろう。だが、彼女は何も言わなかった。
「わかりました。
あなたの挑戦、この私がしかとお受け致します!」
「よく言った!
なら、勝負のルールはわかっているね?」
「ええ。勝負を挑んだ側からの挑戦が全て」
「その通り。そして、私が得意とする料理も、あんたは知っているはずだ」
「……はい」
「楽しみにしているよ、紅美鈴。
場所はどうする?」
「お嬢様、厨房をお借りします」
「え? え、ええ……いいけれど……」
「日時は一週間後。午後の六時から。そして、場所は、ここ、紅魔館です!」
「助手を一人連れて行くよ。文句はないね?」
無言で、美鈴はうなずいた。
魅魔は再び、マントをまとうと、「勝負を楽しみにしているよ」と彼女に笑いかけ、ゆったりとした足取りで紅魔館を去っていく。その背中を憎々しげににらみつける美鈴は、彼女が立ち去った後、「しばし、お暇をもらいます」と言ってその場を去ってしまった。
「ねーねー、おねーさまー」
「……何?」
「つまりどういうこと?」
「それはこっちが聞きたいわ……」
くいくいと服を引っ張ってくるフランドールの言葉にため息混じりにレミリアに答える。なるほど、これが置いていかれた気分なのか、と。
その時になって、しばらく前の咲夜の気持ちを理解するレミリアだった。
その日から、紅魔館のレストランサービスは一時休止となった。魅魔が看破した通り、レストランのメニューのおよそ半分に美鈴が携わっている。それ以外においては、咲夜たちの顔を立てて、彼女たちに譲る形にしているのだが、その中核たる料理人が二人も抜けてしまったことで、実質、紅魔館レストランサービスは休業に追い込まれてしまったのだ。あっちこっちからかかってくる問い合わせにメイド達がてんてこ舞いになる中、一人、美鈴は厨房にこもり続ける。
「くっ……!」
だんっ、と手にした包丁をまな板の上に叩きつけ、彼女は握り拳を作る。
「ダメ……足りない……こんな程度では……!」
「充分、美味しいと思うわよ……?」
「確かに。これは素晴らしい味付けだわ」
「美鈴、おかわりー」
その、彼女の料理の審査員とも言えるのが、レミリア、フランドール、パチュリーの紅魔館主要メンバー。なお、咲夜は傷が癒えてないため――未だに、どうして傷だらけなのか全く不明――、自室で安静にしているよう、彼女は言いつけられている。
「ダメなんです! これでは! これでは、あの魅魔に勝利することなど、到底、出来はしない!」
「ねえ、美鈴。破壊者、というのは何なのかしら?」
珍しく狼狽し、叫ぶ美鈴に、冷静にパチュリーが訊ねる。
「はい……。彼女の腕前は素晴らしいです。恐らく、彼女ほどのクッキングファイターは、この世に五人といないでしょう。私も、彼女と肩を並べて競った時代もありました。
ですが、彼女の挑んでくる勝負は、常に非情なんです。彼女は手抜きをしない。それは素晴らしいことです。ですが、明らかに格下と思えるような相手にでもそうして己の実力の全てを叩きつける。虎は兎を狩るのにも全力を尽くすと言いますが、あれはやりすぎです。そうして、何人の、若きクッキングファイター達を叩きつぶし、その芽をつみ取っていったか……」
「……なんかすごいわね」
そうね、とつぶやくレミリア。
一人、我関せずのフランドールが『おかわりおかわり』と連呼している。
「その、あまりにも残虐非道な戦いぶりに、ついに制裁が下されました。彼女は、一切の戦いを封じられ、長い時を眠りにつかされることになったのです」
『……何で?』
「その封印が解かれたと言うことは風の噂に聞きました。ですが……私も彼女も、共に同じ求道の道を歩み続けるもの。胸に抱いた志は同じです。彼女は、その長い時の間に変わると信じていた……それなのに……!」
握った拳が震え、美鈴の奥歯がきしむ。
「許せない……! 彼女の、あの戦いが……絶対に……! 何より、咲夜さんを傷つけたことが、絶対に!」
「……気持ちはわかるけど。
美鈴、少し、冷静になりなさい」
「お嬢様にはわからないんです! この私の怒りが! 悲しみが! そして、憎しみが!
同じ道を志すものでありながら、彼女の取った行動は、決して許されることではない! だから……だから、私が咲夜さんの敵を……!」
『ふはははははは!』
いきなりその場に響き渡る、謎の笑い声。
「なっ!?」
「だ、誰!?」
美鈴が声を上げ、レミリアもきょろきょろと辺りを見回す。っていうか、こちらに一切の気配を悟られないで、一体どうやってここに入ってきたというのか。
しかも、相手の姿は、未だに見えず。
『下らない……下らないわね、美鈴! だから、あなたは中国なのよっ!』
「何ですって!? 姿を……姿を見せなさい!」
ばぁんっ、と弾け飛ぶドア。そして、その向こうに、なぜかもうもうたる砂塵をまとって姿を現したのは。
「ああっ! あなたは!?」
「ふふふ……お久しぶりね」
先日の料理勝負で美鈴に敗北を喫した、あの風見幽香だった。
やたら雰囲気たっぷり、効果抜群の演出と共に現れた幽香は、あっけにとられるレミリア達を全く無視し、美鈴に歩み寄る。
「話は聞いたわ」
「……そうですか」
「美鈴、あなたはとても器の小さい女だったようね」
「何ですって!?」
「そうやって、すぐに激高するところがその証拠。まぁ、料理界の『龍』。しかも、『炎の龍』とまで言われた女傑であるあなたにはふさわしい姿だけれど、この場においては失格よ」
彼女の一言に、美鈴は沈黙する。
「愛しい人を傷つけられて怒り狂うのはわかるけれど、落ち着きなさい」
「……くっ」
「……どうしてわたし達の言葉は聞かないのに彼女の言葉は聞くのかしら」
「同じ道を歩むファイターとして、表面上の繋がりを超えた心の交感というか、まぁ、そんなものがあるんじゃない?」
「……おかわりー」
あきれてつぶやくレミリアとパチュリー。そして、ほっぺた膨らませるフランドール。
まぁ、それはさておいて。
「料理の道において、怒りや憎しみは御法度のはずよ。そんな心で食材に手を出してご覧なさい。たちまち、食べる事なんて出来ない、最悪の代物に変貌するわ。彼らは勝負の道具にされることを望まないと言ったのはあなた自身よ」
「……はい」
「常に心は清らかに、穏やかに。明鏡止水の心構えこそが料理には必要でなくて?」
「……ええ……そうです。
……でも……私は……」
気がつけば、爪が食い込むほどに強く握りこんでいた己の掌。
「お客様に、血の味の料理を食べさせるつもり?」
「……」
「わたしはそれで構わないけれど」
「レミィ、しっ」
「おかわりー!」
場の雰囲気ぶちこわしな発言を行ったレミリアをパチュリーが諫め、フランドールがかちゃかちゃとお皿を叩いて抗議する。
「あなたの気持ちは痛いほどよくわかるわ。正直、私も、あの女のやり方には、いい加減、はらわたが煮えくりかえっているもの。
でも」
「私では……届かないかもしれない……」
「そうね。彼女の実力は本物よ。たとえ封印されていたとしても、決して、その腕は衰えてはいない。……いや、むしろ、進化していると言ってもいいでしょうね。長き時を修行に費やしてきたあの女の実力は、かつて、あなたがあの女に勝利した時よりも上と見るべきでしょう」
「そして、私は……」
「戦いを放棄し、あなたの実力は確実に衰えている」
全盛期に比べればまだまだね、と幽香は首を左右に振る。と言うことは、その『全盛期』の美鈴というのは一体どれほどの料理人だったというのだろうか。その辺り、もっと詳しく聞きたかったが、とりあえずレミリア達は黙っておくことにしたらしい。
「あなたの選択肢が間違いだったとは言わないわ。私もそれを思い知らされたもの。
でも、その分、確実にそれ一つを追求してきた羅刹にはかなわない」
「……はい」
「あなたは修羅である。しかし、羅刹ではないもの。
だから、私が協力するわ」
「え?」
ふふっ、と幽香が笑う。どうして、話がそこに行き着くのか、美鈴には読めていないらしい。
「この勝負、相手は助手を連れてくるのでしょ? だから、私が助手になるわ。一緒に頑張りましょう」
「え? あの……」
「昨日の敵は何とやら。それに、あなたの技術を間近で盗み取る、いいチャンスでもあるわ。
いいでしょ?」
「……」
「私と組めば百人力よ。何せ、幻想郷最強は私のものなんだからね」
えへんと胸を張る。
しばし、美鈴は考え込んだ。目の前の相手の言葉を、全て全面的に信用すべきかどうか、と。
悩んだ末に出した結論は、無論、言うまでもない。
「わかりました。幽香さん、あなたの力、お借りします」
「任せなさいな」
少なくとも、幽香に下心があるのだとしても、彼女の協力が得られるのならばこれほど力強いことはなかった。加えて、彼女自身、美鈴とある程度志を同じくしている様子がある。それならば、決して、彼女が敵に回ることはないだろうと考えたのだ。それに元来、美鈴はお人好しだ。彼女のような人柄を前に、素直に裏切りを計画することなど出来ないだろう。
ついでに言うなら、幽香も同じクッキングファイター。共に同じ道を究めようとするもの同士、言葉を超えた意識の交流があるのである。
――と、そこで。
「美鈴、おかわりー!」
放置されていたフランドールがキレたのだった。
そして、来たる戦いの日。
「あれ? 魔理沙いないの?」
またしても司会として招集を受けた霊夢の視界には、いつもわけのわからない解説を述べる魔理沙の姿はなかった。
「そのようですね。私が代わりに招集を受けました」
そして、『解説者』と書かれたプレートの置かれた椅子に座るのは、なぜか天狗の記者、射命丸文だった。
「何であんたが?」
「こう見えて、過去、数々の料理バトルの取材をさせて頂いています。ありとあらゆるものを食べてきましたので舌には自信がありますよ」
へぇ、と素直に感心してうなずく。
さて、集められたのは紅魔館の大食堂である。そこには、以前、美鈴と幽香との戦いで建設されたキッチンがそのままにされており、今日もそこが使われるらしかった。
「けれど、霊夢さん」
「何?」
「スペシャルチンジャオロースばっかり食べてるって話を聞くんですけど」
「失礼ね。三日に一度、ちゃんとしたチンジャオロースも食べてるわ」
「……ごめんなさい」
なぜか負けたような気がして素直に頭を下げてしまった。
と、その時、ドアが開く。
「勝負の場はここのようね」
「う~ん、何かいい匂い」
「楽しそうね~」
「あれ。何よ、あんたら」
入ってきたのは、特徴的な姿の三人姉妹。
言わずとしれた、プリズムリバーのお三方である。うち、長女で一同のリーダー役を務めるルナサが『審査員長』席に。次女のメルランと三女のリリカは、それぞれ、審査員席に座った。してみると、彼女たちが、今回招集された審査員役らしい。
「何よ、あんたら、って。ずいぶんなご挨拶だよね」
「そうそう。そこな巫女、うちのルナサ姉さんを甘く見ない事ね!」
びしっ、とリリカが霊夢を指さす。
何でよ、と眉をひそめ、霊夢は問い返した。
「ふっふっふ。遠からんものは以下略! ルナサ姉さんは、確かに見た目地味だけど!」
「……メルラン。それは、あなたの本音かしら?」
「……ごめんなさいおねえさまわたしがわるうございました」
顔を引きつらせ、棒読みで全力平謝り。
彼女に代わって、リリカが、何やら身振り手振りつきで姉を讃えつつ、
「このルナサ姉さんは、過去、料理界において『食のオーケストラ』と呼ばれた女傑であり、クッキングファイターの一人っ!」
「……え? マジ?」
「ええ、そうですね。私の取材記録によりますと、ルナサさんの戦績は、過去、四十九勝一敗。圧倒的な実力を持ちながら、記念すべき五十勝目に挑むその試合で敗北し、そのままキッチンファイトの世界を引退しています」
片手に取材用のメモ帳を広げ、文がしたり顔で解説してくれる。
そんな歴史がこいつらにあったのか、と霊夢は驚愕の眼差しを送る。たかが四面ボスのくせに、と思ったのは内緒だ。
「……えーっと。まさかとは思うんだけど、その一度の敗北、ってのは……」
「そう。私は、あの美鈴さんに敗北を喫したのよ」
「……マジかよ」
「あの時の勝負、今でも鮮明に思い出せるわ。当時の私は、まだまだ先を求めて戦い続ける一人の修羅だった。そして、あの時……そう、あの、私の中で決して忘れられない記憶になったあの日、当時のキッチンファイトの世界で『マスターオブクッキング』の称号を持った漢すら倒した彼女に挑み……そして、敗北した」
「何よそれは」
「あの勝負、見ていて思ったわ。そんなバカな、って」
「そうよ。うちらの姉さんが負けるはずがない、って信じてたもの」
「わたしなんて、姉さんを追い越すために料理の道を志した矢先だったのよ」
何やら、色々思うところがあるのだろう。熱く語るプリズムリバー姉妹の瞳には涙すら浮かんでいた。うんうん、とうなずきながら、わかったような顔で文がメモを取っていたりもする。
「……でも、私は所詮、井の中の蛙だったのね。上には上がいると言うことを思い知らされたわ。
その時、私は彼女に弟子入りを志願した。けれど、彼女は『私もまた、道を歩み続けている途中。あなたを弟子に取ることは出来ない』と立ち去ったの。
……そして、悟ったわ。次に私がやるべき事は後進の育成である、と」
「おかげで、姉さんの料理の技を全て仕込まれたのが」
「私たちというわけなのよ!」
「……」
そーなのかー、と内心で霊夢がつぶやく。
っていうか、幻想郷って、もしかして料理が出来る奴ばかりで構成されているのだろうか、と思ってしまう。こんな世界があったなんてこと、博麗神社の巫女として長いこと過ごしてきた彼女も全く知らなかったのだから。
「この勝負の後、私たちが勝利者に挑戦してみようか、リリカ」
「あ、それ面白そう」
「やめておきなさい。今宵、この場に集うのは、かつてのキッチンファイトの世界で五本の指に入った猛者達よ。あなた達では、まだまだ勝負にもならないわ」
「そうなの!?」
「ええ。もっともっと腕を磨く事よ。私もまだ、あなた達には教えていない奥義がある」
料理の奥義って何だよそれ、とぼそりとつぶやく霊夢。
まぁ、それはともあれ。
「どうやら、メンバーがそろったようね」
レミリアが、隣にフランドールをともなって現れた。パチュリーは例によって例の如く、その場にはいない。やっぱり『あなた達で勝手にやってちょうだい』なのだろうか。
それを聞くより早く、二人は椅子に腰掛ける。やっぱりお昼ご飯は食べてきていないのか、フランドールが『おなかすいたーおなかすいたー』と自作の歌を歌ってご飯を催促している。
「じゃあ、勝負を始めましょうか?」
そのレミリアの言葉に。
彼女の背後の扉が、再び開く。そして、その場に立っている人物達を見て、霊夢は目を見開いた。
「魅魔!? それに、魔理沙まで!?」
「おや、霊夢じゃないかい」
「……やっぱか」
「ちょっと、何であんたらが!?」
「わたしはよく知らないけれど。と言うか、魅魔が封印されていた所って、あなたの神社って聞いたけれど本当なの?」
と、先日のことを語って聞かせてくれるレミリアに、霊夢は軽いめまいを覚えてテーブルに突っ伏した。
「……うちの神社は料理人を封じるための神社じゃないやい……」
その気持ち、よくわかる。
しかし、悲しいかな、そんなことにツッコミ入れてくれる人間はこの場にはいないのである。
「なぜ魔理沙さんが?」
「あー……いや……」
「この子は私の弟子だからね。私の手にしている全ての料理技術、とことんまで叩き込んだのさ」
「そうなんですか」
「そうさね」
「まぁ、そうなんだ。というわけで、霊夢。今夜は、私は魅魔さまの助手と言うことでこの場に呼ばれたというわけだ」
「……そいつはあんたの『魔法』の師匠じゃなかったの……?」
「……」
「こら無視するな!」
帽子を目深にかぶり直す魔理沙に霊夢が声を上げる。
魅魔は魔理沙を引き連れ、自分たちの『戦場』となるキッチンに立った。そうして、また扉が開く。
「……今度は幽香なのね」
「何よ、その反応は」
「おおっ! これは!」
「料理界の華と呼ばれた風見幽香……まさか、彼女の料理も見られるとはね」
「姉さん、この勝負、ただですむことはないわね」
「うん。この勝負、まさに血で血を洗う戦いになるわよ」
料理勝負だろ、これは。
内心で三度目のツッコミ入れて、いい加減、全てを投げ出したくなってきた霊夢は視線だけをプリズムリバー姉妹に向ける。
「あら? 美鈴は?」
「彼女なら、準備があると」
「準備?」
「おっなかすいたーっ、おっなかすいたー♪ ごっはん~、ごっはん~、おっいしっいごっはん~♪」
フランドールの脳天気で可愛らしい歌が響く中。
部屋の空気が入れ替わった。
「何!?」
真っ先に反応したのはルナサである。
彼女の視線は閉じられたドアへと向いていた。一体、その向こうに何があるのか。そこにいる人物全てが沈黙する。
「……この気配。来たね、龍が」
「魅魔さま……!」
「呑まれるんじゃないよ、魔理沙。この気配に呑まれれば、その時点で敗北だ」
ごくりと、魔理沙が喉を鳴らす。
静かに開いていくドア。その向こうに佇むのは、
「……美鈴……なの?」
あのレミリアですら、己の目を疑うほどの変貌を遂げた女傑の姿だった。
普段まとっている衣装ではなく、身にまとうのは、真っ赤な炎を思わせる赤い衣装。胸元が大きく開き、その場のほぼ全員が羨む峡谷を彩っている。ドレスの下も、いつもよりずっとスマートできれいな足がすらりと外に。
だが、そこに注目するものは誰もいなかった。
美鈴のまとう空気。
それは、何と表現すればいいだろう。あえて言うのなら『料理の波動』とも表現するべきものが立ち上っているのだ。
「我が名は紅美鈴。我は……!」
かっ、と見開かれる瞳。同時に、オーラが一気に立ち上り、暴風にも似た突風が室内に荒れ狂う。
「我は、料理を極めしものなり!」
「……くくく……! これが……これが、あの娘の本気かい……」
「あ、足が震えて……」
「……恐ろしいわね。今回、敵でなくてよかったわ」
その衣装の、無地の背中に金色の『龍』が浮かび上がる。
一歩歩くごとに、その空間の空気がうなる。まさに、圧倒的だった。
「あ、あれは……!」
「文さん、何か知ってるわけ?」
「……まさか、この目で拝むことが出来ようとは」
「姉さん?」
歩みゆく美鈴の背中に。
戦慄する二人の視線が投げかけられる。
「あれは……」
「……ええ、間違いない。あれこそ、我らが所属していた料理界で、ただ一人しかまとうことの許されない『龍』の衣装……! 誰もが途中で敗北し、挫折した――『マスターオブクッキング』と呼ばれた、あの漢すら成し遂げる事の出来なかった、伝説の修行場『食神山』を制覇したものの証!」
「……何よそれは。剣掲げて叫んだら『おおーっ!』って出てきたりするわけ……?」
もはや投げやりな霊夢の疑問に応えるものは誰もいない。
「あの衣装を彼女がまとって現れたのは、歴史上、ただの一度きり! しかし、あの戦いを見たものは誰もが悟った! 彼女の勝利を!」
「そして、彼女と戦ったものは悟ったと言われています……己の、絶対の敗北を……!
魅魔さん……どうやら、彼女は、美鈴さんを本気で怒らせてしまったようですね……」
「ふふふ……ですが、私たちは幸運よ。あの『破壊者』魅魔と、『龍』紅美鈴の全力の戦いを見られるのだからね」
「ええ。そして、その技術を盗む最高のチャンス。まさにこれぞ僥倖です……!」
「フラン、そろそろ静かになさい」
「はーい」
「……レミリア、あんた、よくこの状況について行けるわね」
「慣れよ」
と言うか、半分以上、理解を放棄している状態に近いとも言えるのだが。
まぁ、それはともあれ。
「それじゃ、用意は調ったようね」
二人の『戦士』が戦場に立つ。
彼女たちの視線は決して絡むことはなく、ただ、己の見据えるものだけを見つめている。そんな彼女たちを一瞥してレミリアが宣言する。
「それでは、勝負を始めるわ!」
「負けません」
「こっちこそ」
「キッチンファイトぉぉぉぉぉぉぉっ!」
『レディィィィィィ・ゴォォォォォォォォッ!!』
宣言はレミリア、皮切りは文とルナサである。
「……今回の勝負は、っと……お寿司勝負?」
「魅魔さんの得意料理は和食ですから」
「うっそ、マジ……?」
あの魅魔の雰囲気からはとても考えられない。と言うか、彼女が寿司などと言うものを握れるという事実自体、意外すぎる。
「魔理沙さんが和食好きなのも魅魔さんの影響と思われます」
「……マジ?」
「裏の取れた情報です」
普段はゴシップ満載の新聞を発行する文である。それを全面的に信用するのはどうかと思うのだが、事、こういう事に関しては信じてもいいんじゃないかなー、と思えてしまう。
その理由は。
なぜか。
彼女の瞳に、真っ赤な炎が燃えているからである。
「メルラン、リリカ。この勝負、決して目をそらしてはならないわ」
「はい!」
「わかったわ、姉さん!」
「……求道の道を選んでしまうことは因果なものね。その勝負から離れたとしても、決して、道を忘れられない……ふふふ……。まさか、この私にも、まだこんな心が残っていたとはね」
ルナサが不敵な笑みを浮かべ、最初に目の前に出されてくるものに視線をやった。
今回の寿司勝負は、基本的には何でもあり。自分の得意な握りを提供し、どちらが美味しかったか、それを判定するものである。
しかし、どこか、彼女たちの間にはルールのようなものがあるのが見て取れた。
「最初は海苔巻きですね」
「魅魔たちのはキュウリと梅干し。オーソドックスね」
「対する美鈴さん達は……かんぴょう巻きかしら」
「それじゃ、一口」
「……あ、置いてかれてる」
差し出されたそれに、とりあえず醤油をつけて一口。
「……甘い?」
「その通り。霊夢、その梅干しは、……まぁ、名前を出すことは出来ないが、とある職人から仕入れてきたものだぜ。一個、実に数千円の代物だぜ」
「嘘……」
普通、梅干しと言えば、一個、せいぜい数十円程度ではないか。この紅魔館のレストランサービスでもその程度だ。その百倍以上の値段がする代物とは……。
「天然の梅干しは、塩味の中に絶妙な甘さがある。それを全面的に引き出して、キュウリの新鮮な味わいと絡めてみたんだ」
「さすがだね、魔理沙。あんたのその審美眼には恐れ入るよ」
「いえ、これも魅魔さまのおかげです」
ぺこりと一礼する魔理沙。やっぱり相手が師匠だと大人しく、そして礼儀正しくなるらしい。
反対に、
「……美味しいわね、これは」
「かんぴょう巻き……なのに、この味は……砂糖?」
「酢飯に多少の砂糖を混ぜてみました。醤油の味に反応して、さらに甘みを感じるはずです」
「なるほど。それがかんぴょうの味とマッチングして、これほどのもの、ね」
さすがはプリズムリバー料理姉妹。美鈴の説明に素直に納得し、うなずいている。
続けて、新たな代物が握られて差し出される。
「これは何かしら?」
「いかさんだね」
「……ただの軍艦巻きのようだけれど」
「おっと。醤油はつけない方がいいぜ」
寿司の定番、醤油に手を伸ばすレミリアに魔理沙が忠告する。それを受けて、不思議に思いながらも、レミリアはそのままでいかの軍艦巻きを口に放り込んだ。途端、口中に絶妙な塩味が広がる。
「……これは……!?」
「うわ、これおいしー」
「そいつはね、シャリにイカスミを使っているのさ」
「……なるほど。イカスミパスタには強い塩味があると聞きます」
「それの味を引き出すために、味をちょちょいと調整したんだ」
「……魔理沙さん、あなた、やるわね。この方法は、私も考えつかなかったわ」
ルナサの素直なほめ言葉に、魔理沙は苦笑。そして霊夢は、『もしかして、あいつもクッキングファイターとか言う連中の一員じゃないでしょうね?』と疑いの眼差しを向けたりもする。
続いて、美鈴達のもの。
「彩り鮮やかね」
「たとえるなら、しゃけの親子巻き、というところかしら?」
それは、シャリの上に見事ないくらが載せられ、シャリをサーモンの切り身が包んでいる、という優美な代物だった。恐らく、発案者は幽香だろう。その見た目は、真上から見た場合、どこか花を連想させる。
「……甘い」
「上にかけられているソース……これは、幽香さんお得意の花の蜜のソースですね?」
「その通り。よくおわかりね、新聞記者さん」
「それにドレッシングが少しだけ混ぜられているわね。市販のイタリアンドレッシング……いや、違うわね。何かしら……これは……。まさか、ただの醤油……?」
「よくお気づきね」
「ええ……この脂は、サーモン自体の脂ね……。それに騙されるところだったわ」
この鮮やかな色のソースのどこに醤油が混ざっているというのだろう。ルナサの言葉に、霊夢は首をかしげてしまう。
つか、こいつら何者だ。
「さあ、次の品に行こうかい」
「ええ」
ごごごごご、と圧倒的な気配が渦巻く中。
両者の手が動く。
魔理沙と幽香はあくまで両者のバックアップ。真の戦いは彼女たちに譲るという意識が垣間見える。
その戦いの当事者達の指先は、あくまで優雅だった。寿司を握るその指先には、全くそつがない。あれほど繊細に食材を扱い、一つの形をなす手つきは慣れたものでなくては決して不可能に違いない。
「光り物、ですね」
次に出てきたのは、青魚。
「……これは……」
「魅魔さんのって、さば?」
「そうさね」
「あの……これ、しめてないんですけど」
普通、さばは酢で締める。そうしなければ、大抵、腹痛を起こしてしまうからだ。にも拘わらず、魅魔の出してきたそれは、まるで生のさばの刺身だった。
さすがに、それを口にするのは抵抗があるのか、今ひとつ、手を伸ばさないメルランとリリカ。だが、ルナサは迷わず、目の前の寿司を手に取ると口に放り込む。
「……ふむ」
「これは……かの有名な、黄金色に輝くという……」
「ええ。一匹、普通のさばの数倍……いや、時として数十倍の値段がつくと言われる、あれね」
「おや、よくご存知じゃないかい。確かに、その通りさ。私は、どうにもしめさばという類の奴らが苦手でね。何とかして、生で食べられるのを探していたところを」
「私が見つけてきたというわけだぜ」
魔理沙は、十二分に、魅魔の助手としての立場を果たしているようだった。
彼女のもたらすものは、充分に魅魔の役に立っている。元々、助手というのはそういうものだ。メインを張る役者の足りないところをこっそりとフォローする。しかし、そこには、それに匹敵する実力が必要となるのは言うまでもない。彼女に相応の実力があるからこそ、魅魔も魔理沙を信用しているのだろう。
「対して、美鈴さん達のものはあじですね」
「季節的に、少し時季外れという気がしないでもないわ」
ルナサの言葉通り、それは、魅魔たちが出してきたものより幾分、味が劣るものだった。確かに素晴らしいものなのだが、先に出てきたものの威力が高すぎた。しかし、こちらを先に食べても、後に食べる魅魔たちのものの味が引き立てられただけだろう。これは美鈴達の明確な敗北だ。
「……うぇ~……辛い~……」
「いい加減、わさびくらい食べられるようになりなさい」
「う~……」
「ご、ごめんなさい、フランドール様。さび抜きにするのを忘れました」
「ぶぅ……」
舌を水の中に入れて冷やしているフランドールがじろりと美鈴をにらむ。その視線を受けて、ちょっぴり、美鈴の頬に伝う汗一筋。
しかし、それがいい具合に力が抜けるきっかけになったのだろうか。
次に出されてきたのは、魅魔たちがあなご、美鈴たちがうなぎの握りである。それでは、美鈴たちのものに軍配が上がる。脂ののりが半端ではなかった。口の中に入れた途端、じゅわっと魚の味が溶け出していって、しかもしつこくない。後味はすっきり爽やか、こんなうなぎなんて食べたことがない、と誰しもに言わしめるほどのものだ。
「……ちっ。やっぱりやってくれるね」
「魅魔さま、どうしましょう?」
「仕方ないね。次ので軽く勝負をかけるよ」
「はい」
相手は、やはり予想以上に出来る。背中に背負った『龍』は伊達ではない。
決して、『龍』を背負った女を敵に回すな。
それは、この世界では半ば慣例のように言われていたことでもあった。それを背負った女は、まさに最強。まさに無敵。絶対の力を持った料理人であると。勝負を挑めば必ず敗北し、己の腕に自信が持てなくなるだろう。それほどまでに、『龍』の称号は偉大なのである。
故にこそ、魅魔はあえてそれに挑む。
かつて同じように多くのもの達の挑戦をねじ伏せてきたものとして。そして、彼女と同じく、また求道の道を究めようとするものとして。
戦わずにはいられない。
自分よりも強い相手と戦い、それを倒さずにはいられない。
「こいつならどうだい?」
出されるのは、わずかに赤みのかかった切り身の乗せられた寿司である。対して、美鈴達が出してきたのは、
「これは……金目鯛でしょうか」
「そうね。この独特の色は……」
「うわ、おいしそう……」
存分に脂ののった金目鯛。まさに今が食べ頃、とばかりに美しい輝きを発するそれを一同が口にし、それぞれの感想を漏らす。
続けて、その手は魅魔のものへ。
彼女たちがそれを口にした瞬間、世界が変わった。
「なっ……!?」
「これは……!」
「何かしら? これ」
「お姉さま、これ、美味しいね」
「ええ、そうね」
その視線が魅魔達を向く。
「そいつはね、あんこうの刺身だよ」
「あんこう?」
「深海に住むグロテスクな魚さ」
「……しかし、魅魔さん。それは本来、鍋などにするものでは……?」
「いいものはどんなところに使おうとも、素晴らしい味を引き出す」
そうだろう? と魅魔の視線が美鈴達を射すくめる。彼女たちの表情が渋いものに変わった。
たとえどんな食材であれ、適材適所、向いているところがある。それを見いだし、その食材にとって一番己の力を発揮してやれる場所を提供するのが料理人の仕事なのだ。故に、普段、その食材がどう使われていようともそれがベストであるとは限らない。ベターな選択肢であるに過ぎない場合も数多いのだ。
魅魔の出してきたあんこうの寿司は、まさに、その正しい使い方。
「若干、堅さが残りますが……素晴らしい」
「こんな食べ方をするのは初めてね。なかなか興味深いわ。全体に、さっと振りかけられた塩のおかげで味もきちんとメリハリが利いている。へぇ……」
「……姉さんが本気よ、リリカ」
「ええ、あの顔は、まさしく修羅だった頃の姉さん……!」
なぜか、戦慄する二人もいたりするのだが。
ここで小休止を意味するのか、みそ汁が出された。美鈴達のは定番のあら汁、魅魔達のものは豪華に伊勢エビのみそ汁である。
「美鈴、どうするの?」
「何がですか?」
「明らかに食材で負けているわね」
「ええ。確かに。
寿司の場合、手の加えどころが少ないですから、どうしても食材の良さに判断がよってしまいます。でも、それなら、手を加えられるもので挑むだけですよ」
「……それは?」
「用意していたものがあります」
続けて、お茶で口の中をさっぱりとさせてから、次の勝負に移る。
魅魔達が出してきたのは先ほどの伊勢エビの身を使った豪快なエビの寿司。対する美鈴達は、
「……何これ?」
霊夢が眉をひそめる。
そこに出てきたのは、変わったものだった。
まず一つは、何かの魚の煮付けが軍艦巻きにされたもの。そしてもう一つは、何だかゼリー状のものである。
「では」
すでに伊勢エビの寿司を堪能し終わっている文が煮付けを口にする。
「……キンキできましたか」
「高級魚と言われるキンキの煮付け……。しかも、全体的に甘い仕上がりになっているわね。本来は、もう少し塩味を強くするのだけど、これは甘みを存分に使っているわ。おかげで、酢飯の味と見事に絡み合って絶妙の味を醸し出している」
「ええ。そうなると、これは……」
文の視線は、もう一つのゼリー状のものへ。
それを手に取り、口の中へと運ぶ。
「……やはり」
「煮こごりの寿司」
ルナサの言葉に静かにうなずく。
「こんな使い方もあるのね」
「メルラン姉さん、メモよ、メモ」
「……ちっ、やってくれるね」
キンキの煮付けを作った際、本来ならば捨ててしまう煮汁のあまりを冷やした煮こごりを寿司にするという斬新な発想。しかも、煮こごりの中にはほぐしたキンキの身と共に幽香が得意とする花びらが含まれている。花びら自体が持つ甘みが煮こごりの甘さをさらに際だたせ、先のキンキの煮付け寿司を上回る味へとそれを仕上げていた。
「……あんなのがあるのか」
「ああ。やっぱり、あいつらは伊達じゃないねぇ……。
魔理沙。そろそろ勝負は締めだ。たたみかけるよ」
「はいっ!」
「いい返事だ」
次なる寿司が用意される。
先の寿司で勢いを取り戻した美鈴達は、見事な味を持った脂がのりきった寒ブリ。これほどうまい寿司があるだろうかというその味は、博麗の巫女に涙を流させ、料理人達を戦慄させ、レミリア達を黙らせる。
だが、次に投入されたのは、一同の予想を上回る寿司だった。
「お肉のお寿司……?」
「何も、寿司は魚のみを握るってルールがあるわけじゃないよ」
「しかも、これは……ランクAの最高級和牛ですよ。これ一枚で、一体どれほどの値段になるのか……」
「さしの入りが見事ね。食べてしまうのがもったいないわ」
薄く切られたその肉は、新鮮さを示すがために生であえて口に出来る代物である。触っただけで肉の脂が溶け、指先に絡む。そして口の中に入れれば噛まずとも溶けていく芳醇な甘み。美鈴達のものに舌が感激していてなお、凄まじい存在感で己の『うまさ』を訴えてくるそれには、一同、もはや脱帽だった。
「さて」
最後の一品。
魅魔の視線が美鈴の視線と絡み合う。
「次で終わりにしてやるよ」
「こちらも、この『龍』に誓って」
魅魔が握るのは、これまた見事なマグロの大トロ。
それこそ、もはや肉と勘違いできそうな代物である。霊夢など、呆然として身動きできないでいる。日頃の貧乏生活が身にしみているのだろうか。
「言葉などいりませんね」
「ええ。でも、あえて口にするのなら、ここまで口の中でとろけるものを仕入れ、そして調理する彼女の腕前は、まさにクッキングファイターの名前にふさわしいということかしら。
ふふっ……私も燃えてきたわ」
ルナサの瞳にぽっと点るのは、長らく忘れていた料理人として『戦い』の場に身を置く己の姿だった。今、彼女の中に燃え上がるその衝動は、抑えるのが難しいくらいに膨らんでいる。今すぐにでも包丁を手に取り、キッチンに立ちたい。それが彼女の指先を震わせる。
「……リリカ」
「ええ……」
「私たちは……とんでもない勝負に参加してしまったのかもしれないわね……」
「明日にでも、食のオーケストラ、復活は間違いないわ……」
ここに、かつての修羅が復活する。
しかし、今はその修羅も大人しく身を潜めていた。まだ、勝負は終わっていないのだから。
「……美鈴」
「ふぅ……」
彼女は、まだ、寿司を手にしていなかった。
目を閉じ、深呼吸をし、意識を統一している。
刹那、その瞳がかっと開いた。ゆったりと、その両手が動く。片手に寿司ネタ、片手にシャリ。それを握りしめ、指先が舞う。
「あなたの力、見せてもらうわ」
幽香が後ろに下がった。
もはや、これは己の出る幕ではない。ここから先は、美鈴の舞台であり、戦場だ。
彼女の背中に輝く龍。それの瞳が炎を放つ。
「私のこの手が真っ赤に燃えるぅ! 勝利を掴めと轟き叫ぶっ!」
美鈴の手が赤く光り、炎を放つ。
それは幻覚などではない。真に燃えているのだ。輝かんばかりに激しい炎を放つ手が、神速の動きを見せる。
「何ぃっ!?」
「あ、あれは……あれが、まさか、料理界の伝説に残る……!?」
魅魔と魔理沙が戦慄する。
「ばぁぁぁぁぁぁくねつっ!」
「スクープです! 私は今、あの伝説のシーンに立ち会っているのですね! 我がカメラよ、全てを捉えろぉっ!」
「見なさい、メルラン、リリカ! これぞ、あの『龍』が誇る奥義よ!」
「はいっ!」
「とくとこの目に!」
何でこんなにみんな盛り上がるのかなぁ、と一人思う霊夢は、興味津々の眼差しを注いでいるレミリアとフランドールを見て、「ふっ」と妙に寂しそうな笑みを浮かべた。場の雰囲気について行けないって辛いわねぇ、とつぶやきながら。
「ドラゴンフィンガァァァァァァァァッ!!」
かっ、と。
全てが一瞬、白に覆われたその刹那に。
「――ヒート・エンド」
とんっ、と一同の前に最後の逸品が差し出される。
「……マグロ……?」
「ええ……そうね」
差し出されたのは、あまりにも普通の品。ただのマグロにしか見えないそれを、静かに、全員が口に運び。
『……!?』
声を、失う。
「マグロの大トロにも負けない部位。それは数あれど、希少性、そして、味の具合を見る限り、絶対の勝利を飾ることが出来る部位はあまりにも少ない――」
「……ふ……そうきたかい……」
「魅魔さん。あなたは、確かに素晴らしい料理人だった。
でも」
「……」
「あなたは、戦い方を間違えた」
静かな宣言の元、美鈴は言う。
「この『龍』に、その程度の小細工、通用はしない!」
その宣言に、魅魔はひょいと静かに肩をすくめるだけ。
そして、その場に響くのは。
「……見事」
審査員長であるルナサの一言と、惜しみない賞賛の拍手だった。
「最後に出してきたのは、ありゃ何だい?」
「マグロの頬肉です。本当にごく一部の人しか味わうことの出来ない、大トロすら上回ると言われる部位です。これをあなたに使われたら、私の勝利は危なかったかもしれない」
「よしな。あんたの勝利なんて、最初っから決まってたんだよ」
「え? 魅魔さま、それは……?」
「魔理沙。あんたには教えてなかったかねぇ」
戦いは、美鈴の勝利に終わった。
全てを合計した結果、一品ごとの勝敗で見ると両者は一進一退なのだが、やはり最後の一手が効いたらしい。文は、「これをスクープとして新聞にしろと、私の魂が叫んでいる!」と一足先に撤収していった。
そして、その判断を下したのは、やはりルナサ。「美鈴さんの勝利を宣言します!」。その一言が、勝敗を決した。
「料理人ってのはね、全ての勝負はキッチンの上でつけるものなのさ。たとえ、それに対するお膳立てを作るためであっても、そこ以外の場所で戦っちゃいけない。
私は、どうしても自分より強いものと戦ってみたかった。それ故に、やり方を間違っちまったってことかね」
「そうね。勝負に、結果的には関係のなかった咲夜を巻き込んだのはあなたの落ち度だわ」
幽香が片手に日傘を持ち、辛辣な一言を投げかける。
「まぁ、わかってはいたんだけどね。この勝負が始まった、その時から」
「そんな……!? じゃあ、魅魔さまは、最初から敗北を……!?」
「バカな事を言うんじゃないよ。私は戦って戦って戦い抜いた結果、敗北した。最初から負けるつもりでキッチンに立つ奴なんざいやしないよ」
「……でも……」
「魔理沙。あんた、腕を上げたね。大したもんだったよ」
「ええ。魔理沙さん、あなたの実力、私には及ばないとしても相当なものです。精進を期待します」
美鈴と魅魔の言葉に。
うつむいた魔理沙は、一人、涙する。
「けれど、本当に見事な戦いだったわね。
魅魔、だったかしら? あなた、うちで働かない?」
「お寿司、美味しかったよ。魅魔おばちゃん」
「お、おば……!」
フランドールの無邪気な一言に絶句する魅魔。
……まぁ、確かに外見的なものを考慮すれば、彼女はフランドールにとっては『おばさん』なのかもしれないが。
しかし、それにしたってあんまりだな、と霊夢は思う。
「……ま、まぁ、いいさ。
私はね、どこにも所属するつもりはないんだよ。敗北したのなら、次に勝利するべく、また腕を磨いてくるだけさね」
「私と同じじゃない。
美鈴、あなたは大変ね。今度は私と彼女が組んで、あなたと戦うかもしれないわよ?」
「構いません。私は、どんな人の挑戦でも受けて立ちます」
「いい目をしているね」
「本当に」
そこには、かつての姿を取り戻した美鈴の姿がある。あの、『料理界の龍』として誰にも畏れられ、目標とされた女が。
「次は、私が彼女に挑もうかしら」
そんな彼女を見て、ルナサが口許に笑みを浮かべる。無論、メルランやリリカも『その時には!』と姉に対して宣言するのを忘れない。
「さて。
そんじゃ、勝負は終わりだ。私はこれで帰るかね」
「あんた、どこ行くのよ」
「さあね。どこでもいいんじゃないかい?」
「……魅魔さま」
「魔理沙。次に逢う時までに、もっと腕を磨いておきな。これは命令だよ」
「はいっ! 必ず!」
流れる涙を服でぬぐい、宣言する魔理沙に。
満足したように優しく微笑み、魅魔はドアをくぐって姿を消した。その彼女を見送っていた一同の間に、ふぅ、という小さな息が落ちる。
――と。
「……何だか、館の中が騒がしかったのですが……。これは一体?」
「あら、咲夜」
その場を包み込む雰囲気に、やってきた咲夜は状況が理解できず、首をかしげる。
その彼女にどう説明したらいいものか、とレミリアは思案を巡らせ――結局、考えがまとまらず、「まぁ、見ての通りよ」という曖昧な説明をした。
「さて、それじゃ、今夜からまたレストランサービスの再開よ。美鈴、咲夜。わかったわね?」
「あ、はい」
「了解致しましたわ」
「ふふっ」
何だかよくわからない流れから結末に至ってしまったが、これはこれで楽しめたからいいか。
レミリアの笑みはそのように語っていた。それを見ていた霊夢は、「まーた悪巧みして……」とつぶやいたのは、もちろん、言うまでもない。
『伝説の龍復活』
新聞の一面を飾る見出し。そして、そこに書かれている記事。
それを見て、一人、ほくそ笑むものがいる。
「ついに復活したのね、あの『龍』が。
ふふっ……ならば、次は私が……!」
その瞳が見つめるものは――。
「ちょっと、美鈴。これは何?」
「え? 何、って……復帰祝いですよ。美味しいですよ」
「それはいいけれど……お寿司を三十個も出されても、ねぇ」
「じゃ、フランが食べるー!」
「ああ、こら、フラン。わたしも混ぜなさい」
「じゃ、私も」
「あ、ちょっと、お嬢様もフランドール様もパチュリー様もやめてください! これは咲夜さんのために作ったんですよー!」
にぎやかな、紅魔館の一室のみ。
続く?
笑いながら心で泣いた・゜・(ノД`)・゜・。
っていうかおかわり連呼するフランが可愛すぎw
魅魔様、飯作るの上手だったのか…まあ、魅魔様は何でもできそうですが。
それと美鈴は流派東方不敗なのか…! あ、だから「東方」なのか(ぇ
龍といえば、ドラゴンガンダムもいましたけどね。
ああ、何だかお腹がすいてきたけど、誰か忘れているような……。
あの、東方一美食家といわれるS氏が!
魅魔様かっこいいよ。
ただ――以下私的勝負雑感。
どんな相手でも全力で叩き潰す姿勢は間違っていないと思う。おおよそ勝負事に関して、優しさほど傲慢で、痛みを与えるものはないと思う。だからこそ、魅魔は、勝負師として正しい。それでも、這いずり回ってでも、その高いところにいる奴を引き摺り下ろそうとしなければ…上にはいけないものだと思う。
次は美鈴の師匠とか登場してほしいですね
さて次回の挑戦者は…そういえば、公式設定でも飲食店経営のあのコは…
まあ最後に言わせてもらおう!
「でも魅魔さまの寿司なら食べてみたいかも」(AA略)!
破壊力は進化してるし…
ただ、今回はコース料理として見た場合の組み立てが今までと比べてムムム…
塩モノはタレモノより先に頂きたいものです、とどうでもいい個人の趣向をw
しかし魔理沙の正体がこうも見事にクッキングファイト会と繋がるとは!
『腹減った』
そういえば、幻想郷には海が無いらしいですが……
まさか、このためだけに結界を越えたとか?w
酢飯に砂糖が入っているのは当たり前です。合わせ酢のレシピをご存知ないのですか?
違和感が無いんだ。
素敵、すっごい素敵。
↓↓の名前が無い程度の能力さんが指摘された点も確かにありましたが、それでも素晴らしいと思います。
って、そういえば…幻想郷は海が無いんでしたな…。どれだったか…神主様が描いた絵の隅っこ辺りに、
「おにぎりを巻いているのは海苔ではなく別の何からしい」(うろ覚え文)
という文章も書いてありましたし…。そうなると、魚も川魚あるいは淡水魚ぐらいしかいない?
紫が裏で全面協力でもしてたんだろうか。
何はともあれ美鈴が、美鈴の姿が変わっていく・・・・
むしろ「好旨館」とでも書きたくなるような感じですがw
今回も美鈴マジ熱血!まさか魅魔様が料理勝負挑むとは…
しかも外野陣が毎回週末のバラエティー番組並みに豪華!
このノリだと、ヤマザナドゥが審査で白黒付けてくれたりするんだろうな多分。
それはともかく、咲夜さん完璧にかませ犬役&雑魚役ですね。珍しい^^「美鈴の家出」シリーズの面影がまったく無くて笑えます。
握り寿司の酢飯の場合、米酢と米しか使わない場合もあるので、まったくの間違いというわけで訳ありません。
実に笑えました・・・・・・
電話しそうになりましたよ。
握り好きとしては、ただのネタ合戦よりも、
通し方とかにも目を向けて欲しかった・・・
魅魔様最後大トロって・・・
内容、文章は好きなんですが、食事のことももう少し調べて見てはどうでしょうか。-40点でこの点です。