その人の名は稗田阿七。
彼女が稗田阿礼を“再発見”したのは、上方の商人から入手した本によってだった。
(ふることふみ)
文机の上に広げた三分冊の綴本を前にして、その人はぼんやり考えた。
(千年も宮中から出てこなかった秘本中の秘本と聞くけれど、出てくるもんなのねえ)
そう思いながら、ふたたびその序に目を通している。本来、彼女――御阿礼の子は、ふたたび読む必要はない。一目だけですべてを記憶する天才が備わっている。それというのに彼女は再読した。
しみじみとした気分ではない。なんせ千年残った書物であり(千年は長い時間だ)、それを残したのが他ならぬ自分(ならびに、太安萬侶とかいうひどく愚痴っぽい序文を残している官僚)だったのだから。
(なんのためにそれを残した?)とその人は思い、それは自分の転生の使命となにか関係があったのだろうか、というところが疑問の核心だった。
(もしかすると、私はこんな郷に詰め込まれているべきではないのかもしれない)
そう思いながらも、大切な一日一日を、ただなんとなく迎え入れて送りだしている。
のちの話、結局の話をしてしまうが、稗田阿礼の再発見の後、その人は幻想郷縁起などという胡乱な書物の編纂が、おのれの第一の使命だとは思えなくなった。むしろふることふみ――古事記の研究に打ち込み、ちょうど当時に興って体系的に整理されつつあった古学古道の徒とも文通などで交流しようと、つてを作ろうとしたが、うまくいかなかった。年々影響力をいやましていく結界と妖怪たちが、それを積極的に妨害したからだ。
そうでなくても彼女が――号を用いて性別などは偽るつもりだったが――当時の学徒らに馴染む事ができたかどうか。古事記の受容はこれより数十年前、寛永年間に京都の出版者が刊行したのをきっかけとして、地下に存在していた膨大な水脈を掘り当てて噴出させてしまったかのように、急速にこの国の思想に影響を与え始めていた。阿七が、何代も以前の自分自身に、どこか羨みにも近い感情を抱いてしまうのも無理なからぬ事だっただろう。
だが、国学はいまだ体系化の中途にあって、その活動も万葉・古今・新古今を再考する歌学を出発点としている。伊勢・源氏などの歌物語が論じられ、神道を始めとした古道の見直しと合流する動きも発生していたが、古事記は神学的な文献としての地位を確立していない。議論が神話に到達するには早すぎて、この源泉から噴出する膨大な水量を人々が受け容れられるわけではなかった。こんな時期に、自称稗田阿礼の転生者が古文書の一つにすぎない古事記を突如重要視し始めて、これはこうでなどと卓見を述べたところで、受け取る側にその準備ができていなければ、ただ世界を戸惑わせてしまうだけだったのではないか。
やがてそうした事に思い当たったその人は、古事記と稗田阿礼についての研究をやめた。彼女の人生には挫折と断念が多い。
だから、以下に記すのは、稗田阿七のある一日についての事ばかりだ。朝に起きて、夜に床に就くまでの。
朝は弱い。夢をおぼえているからだ。家人が持ってきた盥の水で、顔を洗って口をゆすぎ、ぷっと水を吐いたところで、夢が消えるわけではない。それでも多少は気がまぎれたので、身なりを整えて神棚の供物を替える日課に従事する。だが、そういえばこの家の神棚になにが祀られているのか、それすら彼女にはわかっていない。稗田の氏神は別として、里全体で祀っている龍神もこの神棚におわすらしいという事を知ってはいるが、それはただ名を知っているのみなのだ。名を知っている事は重要だが、だからといってそれのみを過大に見すぎる必要もない。彼女はなにも知らなかった。龍神はいつの間にこの人里の信仰に紛れ込んだのか、それとも最初からそこにあったのか。転生しても記憶のほとんどを受け継がない彼女にとって、どちらも等しくありえそうに思えた。少なくとも今まで残されてきた歴代の縁起の中に、龍神の事はそこまで特筆されておらず、といって記述がないから存在しなかったと考えるのも早計だ。記録というもの、残さない権利を行使する事も可能だという事を彼女は察している。歴代の幻想郷縁起があまり積極的に説明しようとしていないあたり、龍神信仰は妖怪側が持ち込んだものなのではないか、と推理していた。
朝の行事を終えてから、朝餉を取った。片田舎の豪農らしい、品目数と量だけは多い食事には、食が細いために当人がまったく手をつけない――そうしたものは下賤の下働きの食事にそのまま下ろされる――品もあった。そのあたりはいらないから、と家人に膳を引っ込ませると、目の前には飯椀と焼いた塩魚と煎茶、香の物だけが残されたので、箸でこそいだ魚の身や脂をよくほぐして、飯の上にのせ、そこに茶をぶっかけてかき込んだ。人の目があると、こういう行儀の悪い真似も普段からはやりにくい。なにせ彼女は稗田のおひいさまなのだ。
あまり上品でないげっぷをして、胃のなんともいえないもたれ感が落ち着くのを、卓に突っ伏しながらじっと待つ。その間に、朝一にやっておかなければならない仕事――早急に自分の手で決済しなければならない先物取引の手形が、いくつかある事を考えた。
(結局、私が稗田家の惣領をも兼役しなければならないものな)
と、こうした実務を心底面倒臭く思っているが、これもまた当世の転生の子の役目の一つだ。百年前には人里の指導者層とは適度な距離を置いていたこの立場だったが、今は元に戻ってしまっていた。
それというのも、百数十年前に起きた、妖怪の山に対する博麗神社による進攻がきっかけだ。当時の巫女や妖怪退治を生業としている勢力が引き起こした、この軍事行動の勃発は計画的なものであり、しかも建前上は、人間を妖怪から保護するという大義名分が取られていたために、巫女とその指揮下の勢力は、治安維持の名目で人里をも支配下に置いて、その住人たちにも戒厳を強いた上で、当時の転生の子――六代目の子、稗田阿夢――を人里の指導者に任じた。当時、転生の子を発見するのもまた巫女の役目であり、その任命権を巧みに利用した人事だったのだろう。
(ここ数百年、稗田家中に混乱を招く事を避けるため、ただ幻想郷縁起の編纂を任されるだけだった立場の子に、実務の権限が戻った)
だが、巫女による政治的支配も長くは続かず、戦況が膠着したままの数年が過ぎて、巫女の寿命が尽きた後は、人里内部の意見は戦役の終結へと急速に傾いた。人里の指導者として表向きこれに協力していた稗田阿夢だが、その裏では巫女の支持勢力であった妖怪退治屋たちを、姻戚関係などを構築して着実に博麗神社のもとから引き剥がし、人里に編入していたふしがある。
(これにしたって、これまでも何百年も、もののけたちに対して行っていた事と、本質は変わらんのよね。同じ箱の中に放り込んで、交わって、薄めて、呑みこむ。これは人間に対しても妖怪に対しても有効)
博麗の巫女の与党は、表面上は人里との関係性を緊密にしつつも、実は人里に吸収されていた。その上で次世代の博麗の巫女に不信任を突きつけ、追放まで行ったのは、直前に病没してしまった稗田阿夢その人ではなく、それを引き継いだ人々だったが。
(だからこれは博麗の巫女を贄に差し出して得た和平だ)
博麗の巫女は断絶している。
稗田阿七は博麗神社を百年ぶりに再興したが、彼女自身はこれをおのれの業績と誇る事もなく、ひっそりとしている。周囲を刺激する事は避けて、ただ荒れ果ててしまった社の保守管理という名目から人を置き始めて、その後はお決まりの現状の追認。なし崩し的に神社の体裁を復活させた。
妖怪側からの反発はなかった。少なくとも妖怪の指導者層は、博麗の巫女を再興させる必要について人里の指導者層と意見が一致しており、彼らが黙認するによってとりあえず第一段階はクリアされたとみられる。
懸念される反発は、指導者層の制御の外にある勢力から起こると予想されたが、これは結果的にたいしたものが起こらなかった。それどころではなかったのだ。特に最大勢力の一角である天狗たちは種族内の分裂と内乱の収拾にあけくれ、またその最中でも、天魔や大天狗を中心とした上層部は百年のうちに人里との交流や交易をなんとか回復させていたため、状況をよく把握していた。
(なにより、博麗神社は力を失っている。人里におわす土地神の祭祀ができるわけでもない。からっぽで、所在のない存在だ)
朝の決済の仕事をさっさと終えても、やるべき事はなにかしら舞い込む。月々ある祭事や催事、日市などあればその運営管理、田畑の作付けの把握、水運が下ったり上ったりして運んでくるものの仕分け、それらを文書や帳簿に書きつけた確かな記録として残しておかなければならない。いくら彼女自身のもの覚えが良かろうが、結局は誰かのために何かを残さなくてはならない。
(……で、これは今度里内で行われる神事に関係する寄進の依頼)
と、一枚の文書を目の前にしながら思った。別に珍しい依頼でもないが、神事を行うのが博麗の巫女ではない事は気にかかっている。
宮出口家。
博麗の巫女に空位が生じた百年、この、元々は博麗神社の門前に住みついていた犬神人の一族が人里の祭祀を担っていて、移譲された権力を博麗神社は未だに取り戻せていない。
(あの、博麗の犬にすぎなかった連中がな)
と、別に蔑むつもりもないままに思いながら筆をとって、金幾らを寄進しますの旨、さらさらさらと適当に署名した。
(だが、そういう前身がある以上、人間にはごまかしがきくが、妖怪たちにはそうもいかず、軽んじられるだろう。それでは人妖の調停者にはなれない。あわれな立場だが、いずれは――)
と、そこまで考えたところで、いずれはどうするべきなのか、どこかで決めかねている自分もいる。
(……少なくとも、博麗神社をこの郷の一宮に再興させる事自体は、よろしいと思う。でもあの家に関しては、私がやらなくてもいい。必要があれば誰かがやらかす。時間の問題だ)
宮出口家が人妖双方の指導者層の思惑によって失脚し、やがてこの郷の歴史の曖昧な側面に呑みこまれていくのはもっと後の話だ。
(さて)
相変わらず人里の指導者としての執務は続いている。
(調停者を必要としているのはこっちも一緒だ)
妖怪たちが一枚岩ではないように、人間だって一筋縄ではいかない。目下のところ対応が急がれるのは、人里の領域にこぶのようにくっついた、いわゆる外来人の居住区が、川沿いに根を張るように拡大しつつある事についてだった。
(連中も正体がわからん)
彼らのような流れ者の中には、だいぶ素性のあやしい者、人間社会から外れた者、昨今の情勢ならば妖怪扱いされるべき手合いも、大量に含まれている事を阿七は察していたが、どうやらこれらの曖昧で無秩序な拡大を、大掴みに人里の住人へと編入していく必要はあった。
(妖怪たちも、そうした新しく曖昧な分子を自分たちの中に抱えるのは恐ろしいらしい。妖怪どもは妖怪である事以上に、自分たちの種族とやらを重んじつつあるから)
結局、人里がそうした微妙な連中を背負いこまなくてはいけないらしかった。人間たちだけが、曖昧なものを呑み込みながら、なお自分たちはこうであろうと信じ、生存を続けられる素質を持っていたらしいから。
(いいかげんなものだよ、人間なんて)
この後も人里の領域の拡大と大規模な再編は定期的に行われているが、それは御阿礼の子の寿命にこだわらない形で、漸次的な、数十か年の計画で、人間主導で行われるようになる。
(妖怪どもにやらせてはならない。彼らは長命のくせにせっかちでいけない。こういうのは、のちの人々はのちの人々なりにやるだろうと信頼してやらなきゃ。どうせ必要には迫られている。多少形式が曲がったとしても、結局はやるでしょうよ)
それでも、旧来の住人と新たな外来人との軋轢は目下発生していて、稗田の家はその調整を行う必要がある。
(基本的には百年ちょっと前に起きた事と一緒なのよ)と彼女は思う。(かつて博麗神社が抱えていたり雇っていたりした妖怪退治屋たちを、人里に編入した際の先例。これを使う)
この先例、稗田家に残っている色々の記録を調査してみると、新参者の方にやや有利な裁定が多かった。それが人里としての先例と言われると、昔ながらの住人は黙るほかなくなってしまうらしい。裁定自体はそのような調子だが、沙汰の実態はどうだったか。新参に対しては金品ではなく土地や田畑を与える、また妖怪退治のかたわらに農業を始める者には優先的な割り当てを用意する、農業でなく商業をやるにしても、人里内に店舗を設置するよう、やはり特典などで誘導する、といったものが多い。本質は新参者たちを土地に縛りつけ、土着させようとする政策だった。
こうした事を行ったのは、稗田阿七その人ではなく、それを引き継いだ人々だった。ただそれだけの事だが、彼女はちょっとくらい、のちの人々というものを信頼する気になっている。
人里に流入する者がいた一方で、妖怪側にも同じような流入は発生しているとおぼしいが、彼らは自分たちの懐に抱き込んでそれを編入する事を、ほとんど放棄していた。
(というより、できなくなったのでしょうね。妖怪たちは自分たちのありようを種族単位で切り分けて、自分たちで頑固にまとまる道を選んでしまったから)
と、人里はずれの耕作地が荒らされているという嘆願の書面を見ながら、その人は皮肉を思う。
(……いや、彼らがなんであるか、私たちが押しつけてしまった面も大きいか)
また、妖怪にも人にも分類されなかった連中もいる。そうした連中は気ままな奴らであった。彼らはまるでにわかに発生した存在のように扱われているが、古来より、誰よりも先に当たり前のようにいながらにして、無視され続けてもいた存在でもある。妖怪も、人間も、自分たちの一員であると分類したがらなかった彼らは、当時は精霊などの呼びがあてがわれていたが、別の呼び名の方が馴染みある呼び名だろう。
妖精たちである。
ちょうど正午の時鐘が鳴った。
(ああいうのこそ、妖怪側に編入してもらわなきゃ困るっていうのに)
阿七は少しふくれながら、家人に軽食を作らせた。ちいさい作りのおにぎりをいくつか、その中に紫蘇の葉の塩漬けを刻んだものを含ませて、竹皮で包んだ弁当。
「ちょっとそのへんに」と、お供も少なく里の外を出歩けるくらいには、治安は悪くない。
向かった先は妖精に荒らされた郊外の田地で、これを視察して、耕作者を慰問して回るのが目的だった。
といって、荒らされたのは、稗田家や人里の住人が所有している田地ではない。新参の外来人が、勝手に小屋を張り、土を耕し作って、水を引き始めたような場所だった。もちろん何かのきっかけで諍いの種にはなりえたが、人里の外縁は明確な法によって誰の土地と規定されているわけでもない場所も多く、それが開発される事自体は別に問題なく、外来人による郊外の小さな集落や開発地が発生したところで、人里の指導者としては黙認するのが丸い。どうせいずれは自分たちだけの閉じた共同体に無理が起こって、人里に庇護を求めるようになるのだ。
(だからしばらくは放置だ。あとは“私たちではない連中”が、いい具合に余所者の彼らを締めつけてくれる)
正直なところ、郊外に無秩序に拓かれた田畑が妖精どもに荒らされるぶんには、その事件をきっかけに外来人を人里に編入する、良い口実になった。そうしたある種の既定路線がある以上、相手に編入を強要する必要もない。こちらは常に受け入れ準備をしておけばよく、必要なのは相手の求めに応じられる間の良さだけであった。間が悪ければ、やっている行為が正しかろうと、なにもかも失敗してしまう。
(昔なら、もっと焦ってやらかしていただろうな、自分より後の代なんて、なるようにしかならないのに)
昔というのは、以前の代の稗田の子らの事だ。
(でも、昔の私たちが別段愚かだったわけでもないのだろう。今ではどいつもこいつも、私の、稗田の系統を絶やしてはならぬと必死こいてやがる。だから私にも気持ちに余裕があるにすぎない)
それはそれでなんだか腹立たしさがあったが、まあよかった。
田畑を荒らされてしまった外来人を慰問して回る中で、これまでお互いの交流も疎遠だったが、なんらかの補償や援助を行ってやりたい、という申し出もした。
(なんで?)
と自問自答する。
(なんで縁もゆかりもない連中を助け、互助を申し出ているの?)
答えは簡単。
(私たちは同じ人間だから。それだけで説明はつくよね。「私とあんたは他人にすぎないのだから、何の縁もないし、まんじりともせず飢えて死にな」……とは、相手を人間と思っているうちは、私は言えない。たとえ相手が本当は人間でないとしてもね)
帰り道、遠くの荒れ野の空に妖精たちがいて、遊びの合戦をしていた。礫のように雹や霰が飛び交っていて、なるほどあれが農地を荒らしているらしい。
(里が荒らされるのも時間の問題だな)
と、その人は思った。
(妖怪たちは比較的相手を選んで悪さをするが、あいつらはそうではないし、しかも連中を取り締まる役目が現状存在しない……博麗の巫女にでもやらせてみるか。妖怪たちも連中には手を焼いているようだし、それで巫女の立場もはっきりするだろう)
ふと考えついたそんな事こそ、のちの弾幕決闘の(そして一度は女子供のおはじき遊びに堕してしまう方式の)萌芽だったが、さて妖精たちの礫遊びだけが弾幕の源流だったのかというと、そうではないだろう。天狗たちにも投石や礫の技術はあったし、また人里の市民すら神事としての印地合戦に明け暮れていた時期がある。いずれにせよ一系統のみの発祥がそのまま発展したとは考えにくいが、妖術や神事とは別の源流があって、それをこの幻想郷の野に持ち込んだのは、よりによって妖精たちだったのではないか、という程度の話だ(また、妖精たちも別に単一の由来を持つわけではない。外来の妖精による大量流入は過去に幾度か発生していて、のちに細かい系統の違いを無視してひとつの妖精という種族に分類された、とする見方が一般的だ)。
人里に戻るともう暮れ前になっていたが、その人は少ないお供も先に帰してしまって、別の場所に向かった。なにも説明しなかったが、お供の者たちもどこに行ったのかは心得ている。向かった先は人里の外れの囲いの中で、愛人の住居だった。
稗田阿七は女好きだったが、その好みにかたよりがある。男を知っている女が好きだった。色気づいてきた当初は本人もその傾向に無自覚だったが、やがてなんとなく気がついて(なんでだろうな)と首をかしげていたが、いまだ答えは出ていない。
今の愛人は未亡人だった。その女と連れだって湯屋に行って、背中を流し合いながらちょっと談笑して、薄暗がりの中で相手の皮膚にちらちらと刺青が見えるのが気になりつつ、その晩はそれだけで別れた。
囲いに女を送ってから帰る頃には、人里はもう暗くなっていた。
(……痒っ)
悪いくせで、股間をぼりぼりと掻いた。以前の愛人にたむしでも貰ってしまったのが悪化してしまったらしく、よくないとわかりつつも、たまに膿混じりの出血をしたりするくらい掻きむしってしまう。
(……御阿礼の子がたむし持ちだったとか、そういう話は残さなくていい)
のだが、どうもそうだったのではないか、という話がよりにもよって残ってしまっている。残さなくてもいいのに。
愛人の囲いから稗田屋敷までは、そこまで遠くない。往来にもまったく人がないわけではないので、事々しく警戒する必要もない。人里内部の治安は、当時の日本の人口密集地と比しても、最高水準に良かっただろうと考えられている。
(しかし、妖怪の締め出しなどに成功したから、人里内部の治安が保たれているわけではないんだよな……なんとなくだが、のちにはそんなふうに勘違いされそうな気もするが)
往来をすれ違いざま、稗田のおひいさまだと挨拶をしてくれる里の人間や行商の中にも、なんとなく、人らしくない、理外の存在は行き来している。その程度の里だ。
その人は稗田屋敷のくぐり戸を叩いて帰宅を知らせ、家人が開けてくれるのを待ちながら、ぼんやり考えている。
(まあ、いっそ勘違いさせておけばいいか)
稗田阿七の業績は地味である。その生涯は、幻想郷にとっていわゆる平和と言える時期に重なっており、その人自身は人里の維持に徹していた。
が、その間に住人たちには自覚を持たせぬまま、さらりと人里のありようを決定させてしまった(あるいは、決定してしまったとのちの人々を錯覚させてしまった)。領域としては拡大と編入を繰り返しながらも、そのありようで言えば、この人の代で人里というものはほぼ完全に固まったとみていい。
床に入る前、彼女は暗い屋敷の中で、文字にしなくてもいい程度の事――覚え書きや、ふることふみについての考察など。なにせ抜群の記憶力だったし、夜間に灯油もつけたがらないほどの吝嗇でもあった――を行いながら、やがて、これだけは自分がやっておかなければならない事を考えた。
(私たち転生の子の権威の根源は、家祖の阿一よりも以前、御阿礼にあるとずらした方がいいだろう)
稗田阿七は、大切な一日一日を、ただなんとなく迎え入れて送りだしている。
彼女が稗田阿礼を“再発見”したのは、上方の商人から入手した本によってだった。
(ふることふみ)
文机の上に広げた三分冊の綴本を前にして、その人はぼんやり考えた。
(千年も宮中から出てこなかった秘本中の秘本と聞くけれど、出てくるもんなのねえ)
そう思いながら、ふたたびその序に目を通している。本来、彼女――御阿礼の子は、ふたたび読む必要はない。一目だけですべてを記憶する天才が備わっている。それというのに彼女は再読した。
しみじみとした気分ではない。なんせ千年残った書物であり(千年は長い時間だ)、それを残したのが他ならぬ自分(ならびに、太安萬侶とかいうひどく愚痴っぽい序文を残している官僚)だったのだから。
(なんのためにそれを残した?)とその人は思い、それは自分の転生の使命となにか関係があったのだろうか、というところが疑問の核心だった。
(もしかすると、私はこんな郷に詰め込まれているべきではないのかもしれない)
そう思いながらも、大切な一日一日を、ただなんとなく迎え入れて送りだしている。
のちの話、結局の話をしてしまうが、稗田阿礼の再発見の後、その人は幻想郷縁起などという胡乱な書物の編纂が、おのれの第一の使命だとは思えなくなった。むしろふることふみ――古事記の研究に打ち込み、ちょうど当時に興って体系的に整理されつつあった古学古道の徒とも文通などで交流しようと、つてを作ろうとしたが、うまくいかなかった。年々影響力をいやましていく結界と妖怪たちが、それを積極的に妨害したからだ。
そうでなくても彼女が――号を用いて性別などは偽るつもりだったが――当時の学徒らに馴染む事ができたかどうか。古事記の受容はこれより数十年前、寛永年間に京都の出版者が刊行したのをきっかけとして、地下に存在していた膨大な水脈を掘り当てて噴出させてしまったかのように、急速にこの国の思想に影響を与え始めていた。阿七が、何代も以前の自分自身に、どこか羨みにも近い感情を抱いてしまうのも無理なからぬ事だっただろう。
だが、国学はいまだ体系化の中途にあって、その活動も万葉・古今・新古今を再考する歌学を出発点としている。伊勢・源氏などの歌物語が論じられ、神道を始めとした古道の見直しと合流する動きも発生していたが、古事記は神学的な文献としての地位を確立していない。議論が神話に到達するには早すぎて、この源泉から噴出する膨大な水量を人々が受け容れられるわけではなかった。こんな時期に、自称稗田阿礼の転生者が古文書の一つにすぎない古事記を突如重要視し始めて、これはこうでなどと卓見を述べたところで、受け取る側にその準備ができていなければ、ただ世界を戸惑わせてしまうだけだったのではないか。
やがてそうした事に思い当たったその人は、古事記と稗田阿礼についての研究をやめた。彼女の人生には挫折と断念が多い。
だから、以下に記すのは、稗田阿七のある一日についての事ばかりだ。朝に起きて、夜に床に就くまでの。
朝は弱い。夢をおぼえているからだ。家人が持ってきた盥の水で、顔を洗って口をゆすぎ、ぷっと水を吐いたところで、夢が消えるわけではない。それでも多少は気がまぎれたので、身なりを整えて神棚の供物を替える日課に従事する。だが、そういえばこの家の神棚になにが祀られているのか、それすら彼女にはわかっていない。稗田の氏神は別として、里全体で祀っている龍神もこの神棚におわすらしいという事を知ってはいるが、それはただ名を知っているのみなのだ。名を知っている事は重要だが、だからといってそれのみを過大に見すぎる必要もない。彼女はなにも知らなかった。龍神はいつの間にこの人里の信仰に紛れ込んだのか、それとも最初からそこにあったのか。転生しても記憶のほとんどを受け継がない彼女にとって、どちらも等しくありえそうに思えた。少なくとも今まで残されてきた歴代の縁起の中に、龍神の事はそこまで特筆されておらず、といって記述がないから存在しなかったと考えるのも早計だ。記録というもの、残さない権利を行使する事も可能だという事を彼女は察している。歴代の幻想郷縁起があまり積極的に説明しようとしていないあたり、龍神信仰は妖怪側が持ち込んだものなのではないか、と推理していた。
朝の行事を終えてから、朝餉を取った。片田舎の豪農らしい、品目数と量だけは多い食事には、食が細いために当人がまったく手をつけない――そうしたものは下賤の下働きの食事にそのまま下ろされる――品もあった。そのあたりはいらないから、と家人に膳を引っ込ませると、目の前には飯椀と焼いた塩魚と煎茶、香の物だけが残されたので、箸でこそいだ魚の身や脂をよくほぐして、飯の上にのせ、そこに茶をぶっかけてかき込んだ。人の目があると、こういう行儀の悪い真似も普段からはやりにくい。なにせ彼女は稗田のおひいさまなのだ。
あまり上品でないげっぷをして、胃のなんともいえないもたれ感が落ち着くのを、卓に突っ伏しながらじっと待つ。その間に、朝一にやっておかなければならない仕事――早急に自分の手で決済しなければならない先物取引の手形が、いくつかある事を考えた。
(結局、私が稗田家の惣領をも兼役しなければならないものな)
と、こうした実務を心底面倒臭く思っているが、これもまた当世の転生の子の役目の一つだ。百年前には人里の指導者層とは適度な距離を置いていたこの立場だったが、今は元に戻ってしまっていた。
それというのも、百数十年前に起きた、妖怪の山に対する博麗神社による進攻がきっかけだ。当時の巫女や妖怪退治を生業としている勢力が引き起こした、この軍事行動の勃発は計画的なものであり、しかも建前上は、人間を妖怪から保護するという大義名分が取られていたために、巫女とその指揮下の勢力は、治安維持の名目で人里をも支配下に置いて、その住人たちにも戒厳を強いた上で、当時の転生の子――六代目の子、稗田阿夢――を人里の指導者に任じた。当時、転生の子を発見するのもまた巫女の役目であり、その任命権を巧みに利用した人事だったのだろう。
(ここ数百年、稗田家中に混乱を招く事を避けるため、ただ幻想郷縁起の編纂を任されるだけだった立場の子に、実務の権限が戻った)
だが、巫女による政治的支配も長くは続かず、戦況が膠着したままの数年が過ぎて、巫女の寿命が尽きた後は、人里内部の意見は戦役の終結へと急速に傾いた。人里の指導者として表向きこれに協力していた稗田阿夢だが、その裏では巫女の支持勢力であった妖怪退治屋たちを、姻戚関係などを構築して着実に博麗神社のもとから引き剥がし、人里に編入していたふしがある。
(これにしたって、これまでも何百年も、もののけたちに対して行っていた事と、本質は変わらんのよね。同じ箱の中に放り込んで、交わって、薄めて、呑みこむ。これは人間に対しても妖怪に対しても有効)
博麗の巫女の与党は、表面上は人里との関係性を緊密にしつつも、実は人里に吸収されていた。その上で次世代の博麗の巫女に不信任を突きつけ、追放まで行ったのは、直前に病没してしまった稗田阿夢その人ではなく、それを引き継いだ人々だったが。
(だからこれは博麗の巫女を贄に差し出して得た和平だ)
博麗の巫女は断絶している。
稗田阿七は博麗神社を百年ぶりに再興したが、彼女自身はこれをおのれの業績と誇る事もなく、ひっそりとしている。周囲を刺激する事は避けて、ただ荒れ果ててしまった社の保守管理という名目から人を置き始めて、その後はお決まりの現状の追認。なし崩し的に神社の体裁を復活させた。
妖怪側からの反発はなかった。少なくとも妖怪の指導者層は、博麗の巫女を再興させる必要について人里の指導者層と意見が一致しており、彼らが黙認するによってとりあえず第一段階はクリアされたとみられる。
懸念される反発は、指導者層の制御の外にある勢力から起こると予想されたが、これは結果的にたいしたものが起こらなかった。それどころではなかったのだ。特に最大勢力の一角である天狗たちは種族内の分裂と内乱の収拾にあけくれ、またその最中でも、天魔や大天狗を中心とした上層部は百年のうちに人里との交流や交易をなんとか回復させていたため、状況をよく把握していた。
(なにより、博麗神社は力を失っている。人里におわす土地神の祭祀ができるわけでもない。からっぽで、所在のない存在だ)
朝の決済の仕事をさっさと終えても、やるべき事はなにかしら舞い込む。月々ある祭事や催事、日市などあればその運営管理、田畑の作付けの把握、水運が下ったり上ったりして運んでくるものの仕分け、それらを文書や帳簿に書きつけた確かな記録として残しておかなければならない。いくら彼女自身のもの覚えが良かろうが、結局は誰かのために何かを残さなくてはならない。
(……で、これは今度里内で行われる神事に関係する寄進の依頼)
と、一枚の文書を目の前にしながら思った。別に珍しい依頼でもないが、神事を行うのが博麗の巫女ではない事は気にかかっている。
宮出口家。
博麗の巫女に空位が生じた百年、この、元々は博麗神社の門前に住みついていた犬神人の一族が人里の祭祀を担っていて、移譲された権力を博麗神社は未だに取り戻せていない。
(あの、博麗の犬にすぎなかった連中がな)
と、別に蔑むつもりもないままに思いながら筆をとって、金幾らを寄進しますの旨、さらさらさらと適当に署名した。
(だが、そういう前身がある以上、人間にはごまかしがきくが、妖怪たちにはそうもいかず、軽んじられるだろう。それでは人妖の調停者にはなれない。あわれな立場だが、いずれは――)
と、そこまで考えたところで、いずれはどうするべきなのか、どこかで決めかねている自分もいる。
(……少なくとも、博麗神社をこの郷の一宮に再興させる事自体は、よろしいと思う。でもあの家に関しては、私がやらなくてもいい。必要があれば誰かがやらかす。時間の問題だ)
宮出口家が人妖双方の指導者層の思惑によって失脚し、やがてこの郷の歴史の曖昧な側面に呑みこまれていくのはもっと後の話だ。
(さて)
相変わらず人里の指導者としての執務は続いている。
(調停者を必要としているのはこっちも一緒だ)
妖怪たちが一枚岩ではないように、人間だって一筋縄ではいかない。目下のところ対応が急がれるのは、人里の領域にこぶのようにくっついた、いわゆる外来人の居住区が、川沿いに根を張るように拡大しつつある事についてだった。
(連中も正体がわからん)
彼らのような流れ者の中には、だいぶ素性のあやしい者、人間社会から外れた者、昨今の情勢ならば妖怪扱いされるべき手合いも、大量に含まれている事を阿七は察していたが、どうやらこれらの曖昧で無秩序な拡大を、大掴みに人里の住人へと編入していく必要はあった。
(妖怪たちも、そうした新しく曖昧な分子を自分たちの中に抱えるのは恐ろしいらしい。妖怪どもは妖怪である事以上に、自分たちの種族とやらを重んじつつあるから)
結局、人里がそうした微妙な連中を背負いこまなくてはいけないらしかった。人間たちだけが、曖昧なものを呑み込みながら、なお自分たちはこうであろうと信じ、生存を続けられる素質を持っていたらしいから。
(いいかげんなものだよ、人間なんて)
この後も人里の領域の拡大と大規模な再編は定期的に行われているが、それは御阿礼の子の寿命にこだわらない形で、漸次的な、数十か年の計画で、人間主導で行われるようになる。
(妖怪どもにやらせてはならない。彼らは長命のくせにせっかちでいけない。こういうのは、のちの人々はのちの人々なりにやるだろうと信頼してやらなきゃ。どうせ必要には迫られている。多少形式が曲がったとしても、結局はやるでしょうよ)
それでも、旧来の住人と新たな外来人との軋轢は目下発生していて、稗田の家はその調整を行う必要がある。
(基本的には百年ちょっと前に起きた事と一緒なのよ)と彼女は思う。(かつて博麗神社が抱えていたり雇っていたりした妖怪退治屋たちを、人里に編入した際の先例。これを使う)
この先例、稗田家に残っている色々の記録を調査してみると、新参者の方にやや有利な裁定が多かった。それが人里としての先例と言われると、昔ながらの住人は黙るほかなくなってしまうらしい。裁定自体はそのような調子だが、沙汰の実態はどうだったか。新参に対しては金品ではなく土地や田畑を与える、また妖怪退治のかたわらに農業を始める者には優先的な割り当てを用意する、農業でなく商業をやるにしても、人里内に店舗を設置するよう、やはり特典などで誘導する、といったものが多い。本質は新参者たちを土地に縛りつけ、土着させようとする政策だった。
こうした事を行ったのは、稗田阿七その人ではなく、それを引き継いだ人々だった。ただそれだけの事だが、彼女はちょっとくらい、のちの人々というものを信頼する気になっている。
人里に流入する者がいた一方で、妖怪側にも同じような流入は発生しているとおぼしいが、彼らは自分たちの懐に抱き込んでそれを編入する事を、ほとんど放棄していた。
(というより、できなくなったのでしょうね。妖怪たちは自分たちのありようを種族単位で切り分けて、自分たちで頑固にまとまる道を選んでしまったから)
と、人里はずれの耕作地が荒らされているという嘆願の書面を見ながら、その人は皮肉を思う。
(……いや、彼らがなんであるか、私たちが押しつけてしまった面も大きいか)
また、妖怪にも人にも分類されなかった連中もいる。そうした連中は気ままな奴らであった。彼らはまるでにわかに発生した存在のように扱われているが、古来より、誰よりも先に当たり前のようにいながらにして、無視され続けてもいた存在でもある。妖怪も、人間も、自分たちの一員であると分類したがらなかった彼らは、当時は精霊などの呼びがあてがわれていたが、別の呼び名の方が馴染みある呼び名だろう。
妖精たちである。
ちょうど正午の時鐘が鳴った。
(ああいうのこそ、妖怪側に編入してもらわなきゃ困るっていうのに)
阿七は少しふくれながら、家人に軽食を作らせた。ちいさい作りのおにぎりをいくつか、その中に紫蘇の葉の塩漬けを刻んだものを含ませて、竹皮で包んだ弁当。
「ちょっとそのへんに」と、お供も少なく里の外を出歩けるくらいには、治安は悪くない。
向かった先は妖精に荒らされた郊外の田地で、これを視察して、耕作者を慰問して回るのが目的だった。
といって、荒らされたのは、稗田家や人里の住人が所有している田地ではない。新参の外来人が、勝手に小屋を張り、土を耕し作って、水を引き始めたような場所だった。もちろん何かのきっかけで諍いの種にはなりえたが、人里の外縁は明確な法によって誰の土地と規定されているわけでもない場所も多く、それが開発される事自体は別に問題なく、外来人による郊外の小さな集落や開発地が発生したところで、人里の指導者としては黙認するのが丸い。どうせいずれは自分たちだけの閉じた共同体に無理が起こって、人里に庇護を求めるようになるのだ。
(だからしばらくは放置だ。あとは“私たちではない連中”が、いい具合に余所者の彼らを締めつけてくれる)
正直なところ、郊外に無秩序に拓かれた田畑が妖精どもに荒らされるぶんには、その事件をきっかけに外来人を人里に編入する、良い口実になった。そうしたある種の既定路線がある以上、相手に編入を強要する必要もない。こちらは常に受け入れ準備をしておけばよく、必要なのは相手の求めに応じられる間の良さだけであった。間が悪ければ、やっている行為が正しかろうと、なにもかも失敗してしまう。
(昔なら、もっと焦ってやらかしていただろうな、自分より後の代なんて、なるようにしかならないのに)
昔というのは、以前の代の稗田の子らの事だ。
(でも、昔の私たちが別段愚かだったわけでもないのだろう。今ではどいつもこいつも、私の、稗田の系統を絶やしてはならぬと必死こいてやがる。だから私にも気持ちに余裕があるにすぎない)
それはそれでなんだか腹立たしさがあったが、まあよかった。
田畑を荒らされてしまった外来人を慰問して回る中で、これまでお互いの交流も疎遠だったが、なんらかの補償や援助を行ってやりたい、という申し出もした。
(なんで?)
と自問自答する。
(なんで縁もゆかりもない連中を助け、互助を申し出ているの?)
答えは簡単。
(私たちは同じ人間だから。それだけで説明はつくよね。「私とあんたは他人にすぎないのだから、何の縁もないし、まんじりともせず飢えて死にな」……とは、相手を人間と思っているうちは、私は言えない。たとえ相手が本当は人間でないとしてもね)
帰り道、遠くの荒れ野の空に妖精たちがいて、遊びの合戦をしていた。礫のように雹や霰が飛び交っていて、なるほどあれが農地を荒らしているらしい。
(里が荒らされるのも時間の問題だな)
と、その人は思った。
(妖怪たちは比較的相手を選んで悪さをするが、あいつらはそうではないし、しかも連中を取り締まる役目が現状存在しない……博麗の巫女にでもやらせてみるか。妖怪たちも連中には手を焼いているようだし、それで巫女の立場もはっきりするだろう)
ふと考えついたそんな事こそ、のちの弾幕決闘の(そして一度は女子供のおはじき遊びに堕してしまう方式の)萌芽だったが、さて妖精たちの礫遊びだけが弾幕の源流だったのかというと、そうではないだろう。天狗たちにも投石や礫の技術はあったし、また人里の市民すら神事としての印地合戦に明け暮れていた時期がある。いずれにせよ一系統のみの発祥がそのまま発展したとは考えにくいが、妖術や神事とは別の源流があって、それをこの幻想郷の野に持ち込んだのは、よりによって妖精たちだったのではないか、という程度の話だ(また、妖精たちも別に単一の由来を持つわけではない。外来の妖精による大量流入は過去に幾度か発生していて、のちに細かい系統の違いを無視してひとつの妖精という種族に分類された、とする見方が一般的だ)。
人里に戻るともう暮れ前になっていたが、その人は少ないお供も先に帰してしまって、別の場所に向かった。なにも説明しなかったが、お供の者たちもどこに行ったのかは心得ている。向かった先は人里の外れの囲いの中で、愛人の住居だった。
稗田阿七は女好きだったが、その好みにかたよりがある。男を知っている女が好きだった。色気づいてきた当初は本人もその傾向に無自覚だったが、やがてなんとなく気がついて(なんでだろうな)と首をかしげていたが、いまだ答えは出ていない。
今の愛人は未亡人だった。その女と連れだって湯屋に行って、背中を流し合いながらちょっと談笑して、薄暗がりの中で相手の皮膚にちらちらと刺青が見えるのが気になりつつ、その晩はそれだけで別れた。
囲いに女を送ってから帰る頃には、人里はもう暗くなっていた。
(……痒っ)
悪いくせで、股間をぼりぼりと掻いた。以前の愛人にたむしでも貰ってしまったのが悪化してしまったらしく、よくないとわかりつつも、たまに膿混じりの出血をしたりするくらい掻きむしってしまう。
(……御阿礼の子がたむし持ちだったとか、そういう話は残さなくていい)
のだが、どうもそうだったのではないか、という話がよりにもよって残ってしまっている。残さなくてもいいのに。
愛人の囲いから稗田屋敷までは、そこまで遠くない。往来にもまったく人がないわけではないので、事々しく警戒する必要もない。人里内部の治安は、当時の日本の人口密集地と比しても、最高水準に良かっただろうと考えられている。
(しかし、妖怪の締め出しなどに成功したから、人里内部の治安が保たれているわけではないんだよな……なんとなくだが、のちにはそんなふうに勘違いされそうな気もするが)
往来をすれ違いざま、稗田のおひいさまだと挨拶をしてくれる里の人間や行商の中にも、なんとなく、人らしくない、理外の存在は行き来している。その程度の里だ。
その人は稗田屋敷のくぐり戸を叩いて帰宅を知らせ、家人が開けてくれるのを待ちながら、ぼんやり考えている。
(まあ、いっそ勘違いさせておけばいいか)
稗田阿七の業績は地味である。その生涯は、幻想郷にとっていわゆる平和と言える時期に重なっており、その人自身は人里の維持に徹していた。
が、その間に住人たちには自覚を持たせぬまま、さらりと人里のありようを決定させてしまった(あるいは、決定してしまったとのちの人々を錯覚させてしまった)。領域としては拡大と編入を繰り返しながらも、そのありようで言えば、この人の代で人里というものはほぼ完全に固まったとみていい。
床に入る前、彼女は暗い屋敷の中で、文字にしなくてもいい程度の事――覚え書きや、ふることふみについての考察など。なにせ抜群の記憶力だったし、夜間に灯油もつけたがらないほどの吝嗇でもあった――を行いながら、やがて、これだけは自分がやっておかなければならない事を考えた。
(私たち転生の子の権威の根源は、家祖の阿一よりも以前、御阿礼にあるとずらした方がいいだろう)
稗田阿七は、大切な一日一日を、ただなんとなく迎え入れて送りだしている。