そう広くない和室に、老婆が座っている。
私と彼女は机を挟んで、同じように座布団に腰を下ろして向かい合っている。
老婆は銀色に近い白髪で、肌に皺が刻まれている。身なりは整っていて、年齢は重ねているものの、どこか小綺麗な印象を受ける。
「その子とは、本当に仲が良かったの」
彼女は薄く微笑む。
どこか遠くに思いを馳せるような、思い出に浸る老人にありがちな笑顔だ。
「若い頃は二人でやんちゃばかりしてたわ」
彼女には老いた人間にありがちな、くたびれた感じがなく、清潔感がある。身に纏っている服も、着られればなんでも良いだろうという雑なものではなく、かといって歳不相応な無理をしたものでもない。自分の見た目を客観視した上で、適切な服を選べている。
服は場と己に合わせることが肝要だ。老婆の服は彼女自身にも、この広くはない和室にも合っている。
その点私は浮いてしまっている。このこじんまりとした部屋に似つかわしくない、華美な紫のドレスに身を包んでいる。「アンタ歳の割に意外と少女趣味よね」という霊夢の何の気なしに発せられたセリフが、今になって針のようにちくちくとする。せめて道士服であれば、幾分かマシだったかもしれない。
「いや、大人になってからもそうだったかも。落ち着いたのは子供を授かって、ようやくかしら。わざわざ自分が危ないことをしなくても、子供ってずっと危なっかしいから」
「……そう」
私が気のない返事をすると、老婆はハッとして慌てて取りなす。
「ああ。ごめんなさいね、老人の思い出話につき合わせて。退屈よね?」
「いえ、少なくとも退屈ではないわ。続けてちょうだい」
どうせ続けるしかないのだ。
彼女の気配りも、今は神経を逆撫でする要素の一つでしかない。
まあ確かに退屈ではない。老婆が口を開くたびに苛立ち、皺の一つ一つが不快に感じる。彼女の全てが癪に触る。この口を無理やり閉ざすことができれば、どれほど良いか。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、話は続けられる。
「ずっと親交は続いたわ。お互い家族ぐるみで遊ぶようになったし、子供が独り立ちしてからも二人でよくお茶したものね。ああ、お互いの子供を許嫁にしようか、なんてつまらない冗談も交わしたりしたわね」
彼女が幸せそうに目を細めるたび、私の眉間には皺が寄った。湯呑みを持つ手に力が籠る。老婆の満たされた様子に苛立ちを覚える。
いや、何より一番不快だったのは、そんなものを幸せだと定義している自分自身にだろう。
「ごめんなさいね紫さん、ここではそういう決まりだから。もう少し話し続けても良いかしら」
「……構わないわ」
どうせ話し続けるのだから、気を使うな。余計に腹が立つ。
きっと目の前の老婆は、いわゆる誰からも好かれるような、優しい人で、そうなれるような幸せな人生を歩んできたのだろう。態度は柔らかいし、人のこともよく見てる。だが私にとってはそれ自体が不快であった。
堪えきれなくなって、私は天井を仰いだ。和室にありがちな格子状の天井が見えるだけだ。
何故こんな目に遭わないといけないのか。私は数刻前の藍との会話を思い返した。
「本当、役に立ってくれるわね」
「申し訳ございません、紫様」
「そんな落ち込むんじゃないわよ。私が悪者みたいじゃない」
「……すいません」
洞窟から出てきた藍は目に見えて疲弊していた。いつも背筋を伸ばしているのに、今は背中が丸まっていて、尻尾は力無く垂れ下がっている。目元も少し窪んでいるように見える。三徹目だと言われても信じるだろう。
本人には絶対に言わないが、私は彼女の能力を信頼している。その藍が失敗したのだ。この時点で、一筋縄ではいかないことは分かりきっていた。
洞窟の前に丁度良い大きさの岩があったので、そこに藍を腰掛けさせた。どうせ洗濯するのは藍なので、尻が汚れても知ったことではない。
「しかし結界を張ったときに、こうなることは考えてなかったんですかね……」
「あら、ひょっとして私に文句言ってる?」
「いえっ、そういうわけでは……実際紫様の仕事ではないでしょう、これは」
藍は一瞬狼狽えるような声を出したが、私が揶揄っているだけとわかると、短くため息をついた。
「まあそうよ」
幻想郷の結界は幾つかの要所がある。いわば結界の柱となっている場所がある。今いる洞窟の中に、その内の一つがある。
結界の破壊を目論むものがいるとすれば、その要所に侵入することを考えるだろう。したがって悪さをするものが入らないよう、セキュリティを設けてある。
その侵入を拒むセキュリティが上手く作動しなくなっているのを感知し、私たちはそのメンテナンスに訪れているのだった。
侵入を拒むセキュリティは二重に施されている。一つがあたりに近づかせない人避けの仕掛け。もう一つは侵入者の意思に働きかけ、侵入自体を諦めさせる仕掛けだ。
今回は前者の人避けが作動しなくなっている。このままだと、関係のない里の人間だとかが、誤って入ってしまい、事故に繋がる恐れがある。
「まったく、間抜けな話よねぇ」
普段結界のメンテナンスをするときは、保守用の経路を通じてアクセスすることになる。そのため今まで管理に何の支障もなかった。
しかし何故かセキュリティ自体には保守用の経路がなかった。したがってセキュリティのメンテナンスのために、一度強行突破でアクセスしなければならない。
わからなくなったパスワードとIDを更新するために、パスワードとIDを入力しないといけない。そんな状態だった。いや、結界もセキュリティも、スタンドアロンなのでサーバールームの鍵などで喩えるの方が正確か。
「恐らく摩多羅様の仕事ですよね」
「でしょうね」
何人かの賢者が力を合わせ、幻想郷を立ち上げた。摩多羅隠岐奈もその賢者の一人だ。奴は結界のセキュリティの大部分も担当していた。
管理用のアクセス手段がない一方、今まで目立った故障もなく動いてきたのは妙にクオリティが高く、バランスが悪い。
この状況は管理を担う私への嫌がらせのようにも思える。
幻想郷が生まれる際、様々な事件や難題があった。単に忙しすぎたせいでチェックが抜けていたのかもしれないが、いずれにせよ色々ありすぎてよく覚えていない。
私は深々とため息を吐いた。
「仕方ない……私が行くわ」
「いや、やめておいた方が……隠岐奈様に相談するとか」
私はギロリと藍を睨みつけた。
「アレに頭を下げろなんて、冗談じゃない」
確かに隠岐奈がバックドアを仕込んでいる可能性もある。しかしあの女に借りを作るなぞありえない。
私が幻想郷の管理にずっと奔走する中、あれは好き勝手に生きてきた。大人しくしてるかと思えば、自分が目立つために異変を起こすような身勝手な女だ。幻想郷が正常に機能するか確かめる目的もあったようだが、だとしても気に食わない。幻想郷の管理をしている自分の仕事を疑われたようなものなのだから。
あんな女に頭を下げるくらいなら、月の民に土下座する方が百億倍マシだ。
「ですが、紫様でもアレは手こずるかと」
藍は私の顔色を伺いながら、おずおずと進言する。
「わかってるわ」
セキュリティの突破が難しいのはわかっていることと、藍が私を心配して言っているのは伝わっていること。二つの意味を込めて私は頷いた。
洞窟の中で、余程酷い目にあったのだろう。彼女は目に見えて憔悴していた。藍でこのザマなのだから、相当厳しい仕事になることは想像に難くない。
とはいえネタは割れているし、細かい仕様も朧げながら覚えている。自分の方が上手くやれるだろう。
「まあ、任せておきなさいな」
私は藍に微笑みかけた。
もっとも、その直後には中に入ったことを後悔するのだが。
視線を天井から目の前の老婆に戻す。
彼女こそが、結界の要所への侵入を阻むセキュリティだ。
立ちはだかるのは屈強なゴーレムでも、凶悪なガーゴイルでもない。なんてことはないこぢんまりとした老婆。
しかし彼女は、それらよりも悪辣で、趣味の悪い守護者なのである。
「夫も息子も大切な存在よ。でも、彼女がいなかったら、私の人生は色彩を欠いたものになっていたと思う」
「そう」
無理やり排除するのは造作もない。
しかし彼女への攻撃は、この場からの退出を受け入れることを意味する。
ここに入ったとき、対話を続ければ道は開かれると仰々しいアナウンスがあった。逆を言えば、対話を拒絶すればここから追い出されるということだ。意思に反して人を追い出すような術は難しい。だから、自ら出ていきたいと思わせるように仕向けているのだ。暴力等で拒絶を行動で示すと、ここから出ていく意思表示をしたと見なされ、簡単に追い出すことが可能になる。
彼女の存在そのものが不快で、目線を逸らして、周りの和室に目をやる。全く知らない場所ではなく、どこか既視感のある部屋だった。書架に置かれた本や、棚の上に置かれた土産物に、どこか見覚えがある。
当然だ。何故ならこの部屋自体も、私の記憶から生み出されているものなのだから。
「……でもやっぱり永遠はない。彼女は病で床に伏せることが多くなったわ」
この目の前のセキュリティは、侵入者の記憶から生成されるエージェントだ。したがって侵入した相手に合わせて姿形は変わってくる。
「それに、緑内障で視力を急激に失っていった」
外の世界でチャットツールとしてのAIが使用者に過度に迎合することが問題となっている。自分を無条件に肯定してくれる存在に依存する人間がいるのは、無理もない話だ。しかし行きすぎた共感は誤った認識をも助長してしまい、使用者が本来起こさなかったであろう事件を引き起こすこともあるという。
これもある種のAIだ。しかし肯定という点については、これは真逆をいく。無闇矢鱈に共感するAIが作れるのなら、その逆も可能ということだ。
「視力を失ったせいで、星を見て時刻を知ることのできる、あの能力も失ってしまった」
彼女は記憶を読み取り、演算し作られた、ありえたかもしれないもう一人の自分だ。つまりこの老婆は、八雲紫と同じ人生を、異なる選択をして歩んできた八雲紫ということになる。
そしてその内容はランダムというわけではない。指向性を持たされている。
彼女は悲しみに耐えるかのように目を瞑る。しかしそこから大切なものを掬い上げたかのように、目を細めて微笑む。
「……別れは辛いものだった。半身をもがれたような気持ちになったわ。でもね、幸運だったのはさよならを言えたことだと思うの。だから別れを受け入れられた」
頭に、血が昇っていく。
「アナタと出会えて幸せだったと、お別れを言えたから後悔はないの」
——知ったような口を聞くな。
そう怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
私がどんな思いで彼女の元から去ったと思っている。彼女に害を及ぼさないよう、別れを告げることすらできなかった。私だってずっと一緒にいたかった。あのとき後ろを振り返っていれば、それが叶ったというのか。
「……大丈夫?」
目の前の老婆は、不安そうに私の顔を覗き込む。私にあるまじき優しい声だった。そのことがかえって、余裕を見せつけられているような気分になり、癪に触る。
「いえ、何も」
息を長く吐き出し、呼吸を落ち着ける。思う壺だ。
ここはいわば精神世界のようなものだった。セキュリティにアクセスするに際し、精神で電脳世界にダイブしているとでも喩えるべきか。何にせよ、肉体という鎧を持たず、精神が剥き出しになっている状態だ。どうにも自分の感情が御しきれない。
深呼吸も副交感神経に影響することはない、ただの自己暗示にすぎない。しかしやらないよりはマシだった。
「辛かったら、いつでも引き返して良いのよ?」
「問題ありませんわ」
セキュリティは上手くいっている自分や、後悔のない人生を歩んだ自分を見せる。
仕事を優先してしまい愛するものの死に目に会えなかった者には、最期を看取とることができた自分が現れる。
少し目を離した隙に子供が事故にあって死んでしまった者には、事故を回避し大きくなった我が子と過ごす自分が現れる。
好きだった人に想いを伝えられなかった者には、勇気を出して告白し結ばれた自分が現れる。
我が身可愛さに友達への虐めに加担してしまった者には、その友達と今も仲良くやっている自分が現れる。
スポーツ選手や小説家に何処かで憧れていたはずなのに夢と向き合えなかった者には、全力を尽くし夢を叶えた自分が現れる。
キモは単に幸せになった自分が現れるということではなく、自分が選べなかった選択肢を取った自分が現れる、ということである。演算能力に限界はあるとはいえ、ありえなかった自分を生成することはない。記憶から状況を判断し、上手くいっていた分岐を突きつける。
お前がお前でさえなければ、周りや自分は幸せだった。それを実例をもって提示してくるのだ。
これは究極の人格否定に他ならない。
先ほどからこの調子で、お前の人生は誤っていたのだと、延々と突きつけ続けられている。流石の私も大分精神が疲弊してきた。
大妖怪であれば有利ということはない。長い年月で重ねてきた後悔を抉り、つけてきた折り合いをぶち壊してくるのだ。そうして日常の中で蓋していた傷をこじ開ける。
むしろ生まれたての赤子の方が、難なくここを通過できるだろう。もっとも、幼い人間を通したところで支障はないから、問題ないのだろう。
本当に悪趣味だ。隠岐奈が嫌がらせで作ったとしか思えない。あれへの怒りに気持ちを向けることで、古傷をほじくり返された痛みを紛らわせる。
ふと気がつくと、老婆の姿は無くなっていた。これでようやく先に進めるのだろうか。
私は短く安堵の息をついた。
あたりに目を向けると、先ほどまでいた部屋ではなくなっていた。畳の部屋なのは相違ないが、今の部屋は明らかに現代日本ではない、昔のお屋敷だ。
まだ終わりではない。
嫌な予感がする。吐き気とはまた違う、心臓が痛くなるような気持ち悪さが溢れてくる。しかし逃げるわけにもいかない。
私は意を決して、外へ続く襖に手をかけた。
「———」
襖を開くと、そこは縁側になっていた。
縁側の先は、白い砂利が敷き詰められた庭園になっている。良く手入れされた庭だ。
桜吹雪が舞っていた。
沢山並んだ桜の中でも、一際大きな桜の木がある。その下に、二人の少女が立っていた。それを見た瞬間に、私の心は張り裂けそうになった。
「 ぁ あ」
私の体はもう私のものではなかった。唇から勝手に嗚咽が漏れ出す。頭の中で、何かが瓦解したような気がした。
二人いるうち、片方は昔の私なのだろう。それがもう一人の少女と睦まじげに話している。
現実と違ったのは、その少女の周りに付き纏っていた、死蝶がどこにもいないことだ。あたりを舞うのは桜の花びらだけだった。
私が微笑みながら、もう一人の少女の顔に触れる。彼女はくすぐったそうに身を捩る。
どうしてそんなことができる。私は彼女に指一本触れることすら叶わなかったというのに、何で私の前でそんなことができる。
「どうして……」
私は光に誘われる蛾のように彼女たちに引き寄せられ、崩れるようにして縁側から転げ落ちた。砂利が音を立てる。紫色のドレスが汚れる。四つん這いになって、もう手に入るはずもない光景を、ただ眺めることしかできなかった。酷い様だった。
どうしてこうならなかったのだろう。
演算がありえない光景を映し出すことはない。であれば、この光景に辿り着く道があったということだ。
時間が足りなかったのだろうか。彼女の死へ誘う力を、どうにかする術に辿り着くことができたというのだろうか。
「私ね、紫には本当に感謝しているの」
「やめてよもう。友達なんだから、貸し借りなんてなしよ」
死蝶の力の脅威は、数々の術を修めた私とて例外ではなかった。死への誘いを跳ね除け、彼女の側にいることは、並大抵のことではない。無愛想で何を考えているかわからない庭師も苦手だったし、何より彼女の辛そうな顔を見るのが苦しかった。だから自然と足が遠のくこともあった。
もっと幽々子に寄り添うことができていれば、自死という結末を遅らせて、死蝶を追い払う術に辿り着けたというのか。
彼女を助けられなかったのは、私のせいというのか。
「でも私、貴女に何も返せてないわ」
「いいの。一緒にいてくれれば、他に何もいらないわ」
そう言って私が幽々子の手を握る。
やめろ。こんなものを見せるな。
二人の少女が幸せそうに会話を交わす様は、私の目にはグロテスクな光景にしか映らない。
吐き気と嗚咽がないまぜになった感情が、胃から込み上げてくる。涙を流すことができればどれほど楽だったろうか。自罰の念はそれすら許さず、感情の濁流はただ私の身体の中でぐるぐる回って、行き場を失っていた。
仕方ないじゃないか。私だって全能ではない。できないこともある。私に何ができたというのだろうか。
しかしそういった言い訳を、目の前の光景が悉く否定する。
何様のつもりだ。本来はこうできたはずだと、私に説教をするのか。
いや、違う。これは私から読み取ったものをベースに生成されている。
こういう未来がありえたはずと思っているのは、他ならぬ私自身なのだ。
もういい。こんな思いをしてまでやることではない。
帰るのは簡単だ。あくまで侵入を拒まれているだけで、逃げる分には何の妨害もない。
目の前の光景から目を背け、スキマを開こうとした。
すると桜の花びらが、一枚だけ手の甲に乗っているのに気づいた。
「……ああ」
生前の幽々子は、笑っていてもどこか悲しみを湛えていた。死蝶が取り除かれた今そこにいる幽々子も、どこか線の細い、お嬢様という感じだ。
それに対し今の幽々子はどうだ。腹に一物抱えているときはあるものの、基本的には能天気な笑顔だ。ふてぶてしい、という言葉すら似つかわしい。
生前と死後で、彼女は別の人格だ。そう扱うと、自分で決めた。過去の幽々子は自分が手ずから弔ったはずではないか。
またゼロから友人になれば良いと誓ったあの夜をもう忘れたというのか。
何でもない日常に思いを馳せる。
妖夢が私に用意した茶菓子を、幽々子が勝手に全て食べてしまったことを思い返した。大して悪びれもせずにごめんごめんと謝る彼女の笑顔を思い返した。
感情の濁流が、細い川になっていく。代わりにしょうもない笑いが込み上げてくる。
私は長く長く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「……」
立ち上がると生前の幽々子はどこかへ消え失せ、私だけが残っていた。私は私と向き合った。彼女は何も言わない。私の言葉を待っているようだった。
私はもう一度深呼吸した。吐き気を催すような自己嫌悪は、何処かに消えてしまった。
自分の目線を正面から受け止めて、私は口を開いた。
「悪いけど私、今そんな不幸じゃないのよね」
誰だって後悔はある。あのときもしも、と誰しもが思う。長く生きたのもあって、私は人より少しだけそれが多いだけだ。
隠岐奈は言う。お前は少し真面目すぎると。でもそれで構わないと思う。
この八雲紫という私と、千年以上も付き合ってきたのだ。傲慢で、誰かに助けを求めるのが下手くそで、真面目すぎる馬鹿な私とも長い付き合いになる。多少の愛着らしきものは持っている。
何より、沢山の出会いがあった。亡霊の友人とあわてんぼうなその従者。遠慮が欠片もない巫女。甘えるのを許してくれる式と、目に入れても痛くないその式の式。立場の割に、随分と出会いに恵まれていると思う。
目の前にいる友人を救えた私にしろ、あの老婆の私にしろ、彼女たちが今の私と全く同じ出会いを得ることはないだろう。今の自分に与えられた縁が、理想の人生を歩んだ私のものより尊くないものだと、誰が言い切れるだろうか。
私は今更、別の私になりたいとは思わない。
「そう……それは良かったわ」
私が屈託なく微笑む。
せめて悔しがったりして欲しかったが、幸せな者は他者を羨んだりしない。折角打ち勝ったというのに、何と甲斐のないことだろう。
突破したら爆散するようなシステムにしておいて欲しかった。
風が吹いた。思わず目を瞑る。
ゆっくりと眼を開くと、後に残ったのは桜吹雪だけで、もう一人の私は何処かに消え失せてしまった。
「紫様ッ!」
洞窟を出ると、藍が駆け寄ってくる。
「ご無事ですか?」
「見ての通りのザマよ」
くたびれて、今にも座り込んでしまいたかった。肌もハリを失っていることだろう。布団が目の前に現れたら、躊躇なく飛び込むに違いない。
「本当に……疲れた」
藍に向かって倒れ込む。
彼女の肩に顎を乗っけて、体重を預けた。
藍は急なことで驚いたのか、少しよろめいたが、しっかり私を支えてくれた。
「セキュリティは無事に修復してきたわ。ついでに私と貴女が入れるようバックドアも仕込んできたわ」
「お疲れ様です」
二度とこんな目には遭いたくない。当然の処置だ。
正規の管理者用の通路を作りたかったが、上手くいかず結局バックドアを仕込むに留まった。所詮は人の作ったものだ。そう上手くは弄れなかったが、入れさえすれば良いので十分だろう。
ふと藍が中で何を見たのか気になった。彼女も長く生きてきた。後悔も沢山あるだろう。
しかしそれを聞くのは無粋というものだ。藍だって私に何も聞いてこない。
「家に戻りますか」
藍は気を遣ってそう言った。
今日はもう特に予定もないし、このまま眠ってしまうのが一番だろう。しかし私はその提案を受け入れる気にならなかった。
「いや……そういう気分じゃないわね」
肩越しに、彼女が少し不思議そうな顔をするのが伝わる。
帰る気力すらない、というのはあるだろう。しかしちょっとやる気を出せば頑張れないこともない。
それでも私は、この状態から動きたくなかった。
「このままが良いわ……」
寝言のように、私はそう呟いた。
「もうしばらく、このまま」
藍の返事は、柔らかい声だった。
「……はい。わかりました」
それ以上彼女は何も言わず、黙って私を受け止め続けてくれていた。