さよなら雪
幽々子様が提灯の蝋燭を吹き消し、辺りを真っ暗にした。
しかし暗いのは周囲だけで、空には満天の星と満月が、麓には所狭しと集まった人魂が煌々と白い光を放っていた。
平屋建てほどもない小さな丘、その頂上で私は幽々子様の横に立ち、さよなら雪が始まるのを待っていた。
さよなら雪とは近年、春先になると幽々子様が興じる遊びのことで、低所に集めた人魂を空へ飛ばすというものだった。
そういえばこれを始めた前の冬に、幽々子様が「初雪」のことを「はじめまして雪」と呼んで遊んでいたっけ。私がお腹を抱えて笑ったのがそんなに嬉しかったのか、その年は雪が積もって溶けなくなるまで、その日降る雪のことを必ず「はじめまして雪」と呼んで喜んでいた。大方、幽々子様はあの時降った雪にお別れを言いたくて、こんな遊びを思いついたのだろう。
この丘は今年の初めに幽々子様が見つけた場所で、最近は散歩道にも使用している。それまでは縁側や枯れ木の上でさよなら雪を遊んでおり、やれ高さが足りない枝が邪魔ねと嘆いていた。この均一な円錐型の小丘はさよなら雪に打ってつけらしく、幽々子様は笑顔で整地を命じられた。
草木を好む幽々子様が、この丘を覆う白樺を全て伐採するよう命じられた程だ、この遊びは幽々子様にとって、何か特別なものなのだろう。
此処でさよなら雪を遊ぶ時が、幽々子様は一番嬉しそうに笑うんだ。
幽々子様はこの日の為に数日かけて準備する。朝や昼のお散歩で様々な幽霊に話しかけ、近く転生や成仏する霊を白玉楼に招いて今日の夜まで寝泊まりさせる。
今夜この丘から飛んで行く人魂達はもう帰ってこない。
「せっかくお別れを言うのだから、ついでに昇天してもらった方が効率がいいでしょ?」
幽々子様は人魂を連れながら、悪びれもせずそう言った。
幽霊の転生や成仏は気分や気まぐれに近い曖昧な理由によるべきだ。しかし幽々子様は彼等の意思も聞かず、遊びの為だけに彼等を冥界から追い出している。
従者として、幽々子様のそんな身勝手を咎めるべきか、近年私は悩んでいる。
曇り無い澄んだ空を星々が埋め、無数の人魂が私達の麓をぐるりと囲んで踊っている。月明かりの中、幽々子様の姿は判然としない、少し上を向いている。自分で集めた人魂には目もくれず、星空に見とれているようだ。きっとあのあどけない笑顔で笑っているのだろう。
おもむろに俯いて人魂を見回すと、幽々子様は袖の中から扇を取り出し両手で開いて高く掲げた。全ての人魂が示し合わせたようにぴたりと止まる。皆、まるで扇に見入っているようだ。
ゆっくりと腰元へ降ろし、幽々子様は意を決して扇を振り上げた。丘を囲んでいた人魂が次から次へと浮かび上がり、瞬く間に周囲は全面、彼等のほのかな光に包まれた。
それは確かに、冬先に空から降って来た粉雪が、また空へと帰って行くような景色だった。
沢山の人魂が幽々子様を照らしていた。やはり、幽々子様はあどけない笑顔で笑って、見入るように彼等のことを眺めていた。
彼等は、それぞれに全く違う空へと飛んで行った。ある者は何処か遠くの星の元へ、ある者は天高くお星様の一つに加わろうと、皆が皆、全く異なる世界を探して、この冥界を去って行った。
「あの子たちとお話しするのはね、私だけの特権なのよ。どの子もとっても面白いお話を、たくさん聞かせてくれたの。みんな、いい子だったわぁ。」
暗がりつつある丘の頂上、段々と疎らになる人魂達を今もしかと見つめ続け、幽々子様は呟いた。きっと私には言っていないのだろう。
「お悲しいですか、彼等とお別れになられて。」
だけど私は幽々子様に言い返した、今幽々子様に何かを言えるのは私だけだと思ったから。
「ぜーんぜん。私はね、あの子たちとさよならしてもね、これっぽっちも悲しくなんかないのよ。」
意外な答えだが、きっと本心なのだろう。その声は何だか嬉しそうに響いていた。
「だって、またいつか会えるって、分かってるんだもの。」
私は唖然として幽々子様を見上げた。暗かった。幽々子様は、笑っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。
「いつか必ず、みんなみーんなと、再会できるの。どれだけ先の話か分からないけれど、早ければ今年の冬にでもまた、はじめましてって、言いあえるのよ。」
ああ、私は間違えていたんだ。幽々子様は、人魂が雪に見えたから、彼等を雪に見立てて遊んでいたんじゃない。雪が人魂に見えたから、雪が溶けるのが寂しかったんだ。
丘は頂上も麓も真っ暗で、星空だけが眩しかった。幽々子様は今も旅立って行く彼等の後ろ姿を、何も言わずに見つめていた。
きっと幽々子様は笑っているのだろう。またいつか、彼等が此処に帰って来て、はじめましてと挨拶し合える日を、心待ちにして。
おわり
幽々子様が提灯の蝋燭を吹き消し、辺りを真っ暗にした。
しかし暗いのは周囲だけで、空には満天の星と満月が、麓には所狭しと集まった人魂が煌々と白い光を放っていた。
平屋建てほどもない小さな丘、その頂上で私は幽々子様の横に立ち、さよなら雪が始まるのを待っていた。
さよなら雪とは近年、春先になると幽々子様が興じる遊びのことで、低所に集めた人魂を空へ飛ばすというものだった。
そういえばこれを始めた前の冬に、幽々子様が「初雪」のことを「はじめまして雪」と呼んで遊んでいたっけ。私がお腹を抱えて笑ったのがそんなに嬉しかったのか、その年は雪が積もって溶けなくなるまで、その日降る雪のことを必ず「はじめまして雪」と呼んで喜んでいた。大方、幽々子様はあの時降った雪にお別れを言いたくて、こんな遊びを思いついたのだろう。
この丘は今年の初めに幽々子様が見つけた場所で、最近は散歩道にも使用している。それまでは縁側や枯れ木の上でさよなら雪を遊んでおり、やれ高さが足りない枝が邪魔ねと嘆いていた。この均一な円錐型の小丘はさよなら雪に打ってつけらしく、幽々子様は笑顔で整地を命じられた。
草木を好む幽々子様が、この丘を覆う白樺を全て伐採するよう命じられた程だ、この遊びは幽々子様にとって、何か特別なものなのだろう。
此処でさよなら雪を遊ぶ時が、幽々子様は一番嬉しそうに笑うんだ。
幽々子様はこの日の為に数日かけて準備する。朝や昼のお散歩で様々な幽霊に話しかけ、近く転生や成仏する霊を白玉楼に招いて今日の夜まで寝泊まりさせる。
今夜この丘から飛んで行く人魂達はもう帰ってこない。
「せっかくお別れを言うのだから、ついでに昇天してもらった方が効率がいいでしょ?」
幽々子様は人魂を連れながら、悪びれもせずそう言った。
幽霊の転生や成仏は気分や気まぐれに近い曖昧な理由によるべきだ。しかし幽々子様は彼等の意思も聞かず、遊びの為だけに彼等を冥界から追い出している。
従者として、幽々子様のそんな身勝手を咎めるべきか、近年私は悩んでいる。
曇り無い澄んだ空を星々が埋め、無数の人魂が私達の麓をぐるりと囲んで踊っている。月明かりの中、幽々子様の姿は判然としない、少し上を向いている。自分で集めた人魂には目もくれず、星空に見とれているようだ。きっとあのあどけない笑顔で笑っているのだろう。
おもむろに俯いて人魂を見回すと、幽々子様は袖の中から扇を取り出し両手で開いて高く掲げた。全ての人魂が示し合わせたようにぴたりと止まる。皆、まるで扇に見入っているようだ。
ゆっくりと腰元へ降ろし、幽々子様は意を決して扇を振り上げた。丘を囲んでいた人魂が次から次へと浮かび上がり、瞬く間に周囲は全面、彼等のほのかな光に包まれた。
それは確かに、冬先に空から降って来た粉雪が、また空へと帰って行くような景色だった。
沢山の人魂が幽々子様を照らしていた。やはり、幽々子様はあどけない笑顔で笑って、見入るように彼等のことを眺めていた。
彼等は、それぞれに全く違う空へと飛んで行った。ある者は何処か遠くの星の元へ、ある者は天高くお星様の一つに加わろうと、皆が皆、全く異なる世界を探して、この冥界を去って行った。
「あの子たちとお話しするのはね、私だけの特権なのよ。どの子もとっても面白いお話を、たくさん聞かせてくれたの。みんな、いい子だったわぁ。」
暗がりつつある丘の頂上、段々と疎らになる人魂達を今もしかと見つめ続け、幽々子様は呟いた。きっと私には言っていないのだろう。
「お悲しいですか、彼等とお別れになられて。」
だけど私は幽々子様に言い返した、今幽々子様に何かを言えるのは私だけだと思ったから。
「ぜーんぜん。私はね、あの子たちとさよならしてもね、これっぽっちも悲しくなんかないのよ。」
意外な答えだが、きっと本心なのだろう。その声は何だか嬉しそうに響いていた。
「だって、またいつか会えるって、分かってるんだもの。」
私は唖然として幽々子様を見上げた。暗かった。幽々子様は、笑っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。
「いつか必ず、みんなみーんなと、再会できるの。どれだけ先の話か分からないけれど、早ければ今年の冬にでもまた、はじめましてって、言いあえるのよ。」
ああ、私は間違えていたんだ。幽々子様は、人魂が雪に見えたから、彼等を雪に見立てて遊んでいたんじゃない。雪が人魂に見えたから、雪が溶けるのが寂しかったんだ。
丘は頂上も麓も真っ暗で、星空だけが眩しかった。幽々子様は今も旅立って行く彼等の後ろ姿を、何も言わずに見つめていた。
きっと幽々子様は笑っているのだろう。またいつか、彼等が此処に帰って来て、はじめましてと挨拶し合える日を、心待ちにして。
おわり