Coolier - 新生・東方創想話

鷽(うそ)

2026/08/20 20:08:49
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 妹紅は人里の通りを歩いていた。慧音と里の居酒屋に飲みに行く約束をしていたのである。
 冬だから日が落ちるのは早い。起きて洗濯や薪割りといった最低限の家事をこなし少し経つともう暗くなり始め、寺の晩鐘が鳴る。
 慧音曰く、子供は冬の方が好きらしい。寺子屋は日が昇っているうちに子供を家に返す。冬は日が昇っている時間が短いからその分寺子屋に拘束されて勉強しないといけない時間が減る、という理屈のようだ。
 なんとも微笑ましい話である。羨ましくもある。大人は冬の間の一日の短さに急かされていけない。
 加えて、この日は風の音が常に鳴り響いていていてそれで一層急く気持ちが増幅された。妹紅は足を速め、薄い雪の上についていく彼女の足跡の彫りは少し薄くなった。
「本当に風か?」
 ヒューイヒューイという音は確かにするのだが、顔に当たるのは自分が足早に動いていることで相対速度として当たる分だけに思える。単に順風ということなのかもしれないが、彼女は本能的に少し不気味さを感じていた。
 妹紅は居酒屋に急いだ。


***


 その巫女はある日、境内に生えていた御神木を斧で切り倒した。
「どうしてやったのかしら」
 幻想郷の賢者、八雲紫は彼女のお目付け役という役割も持っていたから理由を問うた。この質問には二つの意味がある。一つは当然このような奇行に及んだのは何故かということであり、もう一つは、この巫女は即座に自分がしたことを正直に報告したのだが、そんなに堂々としているのは何故か、ということである。
「私は嘘が大嫌いなの」
 巫女はそう即答した。そして自分の言葉に「嘘はなくさなければならない」とだけ付け加えた。それが、二通りの意味を持つ紫の問いに対するただ一つの回答だった。
 博麗の巫女は人間臭いか超然としているかのどちらかに二分され、当代の巫女は後者であった。ただ、超然としていることは必ずしも有能という意味ではないし、まして信用に値するとは到底限らなかった。紫は数代前の巫女、「人間」の巫女代表ともいえる存在、博麗霊夢のことを恋しく思っていた。あの子であれば、こういうことはしなかった。
 一方の巫女はそんな紫の心などは関せずと足早に建物内に引っ込んで、斧を彫刻刀と筆に持ち替えて数日後に実行を控えた計画のための作業を始めた。
 年が明けて早々、三が日が終わった頃のことだった。


***


 正月七日、酉の刻。神社の本殿縁側には木彫りの鳥が整列していた。丸みの強い、嘴の短い鳥である。頭と尾は黒く、頬から首元が橙、残りが灰色に彩色されていた。「(うそ)
」を模した彫刻だ。
 その背後で巫女は祝詞をあげた。すると、大量の木彫りの鷽は生命を得たかのように翼を広げ、ヒュイーという風の流れるような鳴き声を上げながら一斉に飛び立っていった。
 この日は、伝統的には鷽替え神事が行われる日であり、巫女はそれを実施したのである。が、その内容は本来のものからは大きく逸脱していた。
 本来は参拝客に木彫りの鷽を配布するという縁起物型の習わしなのだが、巫女は神社から木彫りを放つことを選んだ。嘘をなくすためには神社に来ない人も対象にしなければならない。この代にあっても博麗神社は立地その他の理由により正月にすらやや閑散としているような場所だったが、仮に神社がもっと人気のある場所だったとしても、やはり巫女はこのやり方を選んだことだろう。彼女にとって大事なのは百かそうでないかであり、率が百未満の任意の実数のどれかなど重要なことではない。
 そして、この嘘を不倶戴天の敵かのように嫌う狂気じみた信念もまた神事を歪めていた。所詮木彫りにすぎない鷽が生命を得たかのように動いたことも常識的に考えれば奇妙なことだが、巫女にとっては当然のことだった。むしろそうでなければならない。彼女が目指していたのは木彫りの鷽の手動交換による嘘と幸運の変換などという生易しいものではかく嘘の絶滅だったのだから。
 故に、この神事の顛末は神事の域から離れた攻撃性を帯びていくことになる。


***


「寺子屋は卒業が近いのか」
 居酒屋には先に慧音が入っていて妹紅の分の席も確保していたから彼女はそこにおさまった。先に入っていたということは慧音には既に酒が入っているということでもあるが、そこは里一番の堅物、全く乱れている様子はない。
「みんながみんな、というわけではないですけれどね。ただ、春先に入る子が一番多くて私達の方も丁度そこから六年後に卒業させるように授業をするため結果として三月卒業になるのです」
「じゃあ先生の側も気合いの入れ時だな」
「そんなこともないですよ。卒業直前にやる範囲だろうが就学の中頃くらいにやる範囲だろうが等しく大事ですから。最後時間が足りなくなって駆け足にだけならないようには気を遣いますが、私くらい長くやってるとそういうこともまず起こらないですしね。変わりませんよ。変わらず、生徒のうち四分の一くらいは寝てます」
 慧音は煮しめにため息を吹きかけた。
「あー、先生の側はそうでなくても子供の側は色々気が張ることも多いんだろう、多分」
 妹紅は苦し紛れなフォローを入れた。
「だとしても私の授業の時間は休憩時間ではないのですがね……。まあ、気が張る子供も多い、というのは実際そうです。例えば家の長男長女だと単に家業を継げばいいのですが、兄弟姉妹の下に生まれるとそういう義務がないためにかえって進路に悩む、そういうことも起こります」
「家を継がなければならないって窮屈なものばかりだと思っていたが、継ぐ必要がないとそれはそれで面倒なんだな」
「自由に生きるってのも大変なのです。それは貴方が一番分かっていることでしょう?」
「少し違うね。自由に生きれるようになるまで千年かかるんだ」
 妹紅は熱燗を一気に喉に流し込んだ。
「それにしても今日は随分と風が強いな」
 徳利を置いてぼそりと呟いた。妹紅のその言葉には単にふと気がついたというよりももっと気がかりさがあった。
「風? 見えなかったので?」
「見えなかったって何が」
「鳥ですよ鳥。私がここに来る途中で既に上で渦を巻いて飛んでました。ヒューイって音はその鳥達の鳴き声なのです」
「私は一応人間なんだ。夜目がそこまで効くわけじゃあない。確かに第六感が働くから嫌な予感はしてたが……」
「ふむ……。いやおかしい」
「おかしいって、何が」
「確かに音は鳥なのですが、よく考えると『風じゃなくて鳥』で解決する問題でもないのですよ。今は夜で、しかも冬。それでこんなに鳥が騒ぐわけが……」
 居酒屋入り口の木戸が勢いよく開かれ、何かが長距離走のゴールインみたいに倒れ込みながら屋外と屋内の境界を踏み越えてきた。
 それは、人であると同時に鳥だった。人の周りに鳥が群がっているから球体の鳥の群れに人間の手が生えているように見える。その手が生傷まみれなことから、例えば不用意に餌をやった結果みたいな微笑ましいものでは絶対にないと分かる。
「助け……」
 球体が呻いた。助けを求めるために開けた口にも鳥が侵入したと見えて言葉の後半はえずく音に混じって消えた。
 店内の人々が状況を理解するまでの数秒は球体の核は蝕まれるがままだったが、そこは人情の里、店内総出で鳥を追い払いにかかった。
 妹紅と慧音も。
「燃やさないで!! 火事になります!!」
「分かってるよ。というかこいつらはなんなんだ?」
 鳥共は人を啄むために群がっているらしい。その証拠に球の外側の、球体内の村人に到達できていなかったと思われる鳥は追い払いに来た側の人達の方に自ら飛んでいった。これに外から侵入し続ける鳥も合わさって大混乱となりつつあった。
 そしてこの鳥達はシルエットこそどいつもこいつも工芸品として量産されたかのように似通っているが、材質は木だったり服を千切った布切れみたいなものだったりした。
「木の奴は頬の部分が赤い……。そしてこの口笛みたいな鳴き声……。鷽か……。そういえば今日は一月七日……」
 慧音は唇を噛んだ。巫女め、血迷ったか。
「なんにせよ、追い払うのではなくて一旦戸を閉めて中の鳥を倒してしまった方がいいのかもしれません。ずっと外から入り続けるのではきりがない」
「いや、慧音、あれを見てみろ」
 妹紅が指差す先には端切れのようなものが舞っていた。彼女が指摘した瞬間にはそれは半分程度鳥の形をとっていたが、慧音が指の方向を見てそれを認識する頃には三分の二程は鳥だった。
「入ってきているだけじゃない。あいつら自分が食いちぎったもので増えてやがる」
 それが、鳥の中に木製ではなく布製の個体が相当数いる理由だった。付け加えるならば布の個体の身体のあちこちが赤黒く染まっているのも。
「じゃあ余計に追い払うのでは解決になりませんよ」
「倒すにしてもこのままじゃきりがないってことだ」
 妹紅はかき分けるようにして鳥の球の中に自ら入っていった。
「私につけ!!」
 数十秒程球の表面が揺らぐように鳥の中心への接近と離脱が繰り返された末、一人の人間が球の中から放り出された。全身血まみれの村人である。元々球の中にいた人物だろう。出血に加えて酸欠にも苛まれているが、朧げながらも意識はあるらしい。
 ただそれは今度は妹紅が鳥に囚われたということも意味する。慧音にとってはそれが気がかりだった。
「外に出るぞ!!」
 慧音は鳥の球から生えた腕に引かれて退店した。妹紅は自ら進んで鳥を纏わせた。店内の混乱を終息させるという意味ではこれは相当成功していて、まだ店内には鳥は残っているようだが残った人達でどうにか処理できそうな数にまでは減じている、というのを慧音は視界の後ろに確認した。
 ただそのことがより一層気がかりだった。鷽は明らかに妹紅に強く惹かれている。単に一番近い人を標的にするなら、妹紅と腕一本分の距離しかない自分にも纏わりつくはずなのに、自分はせいぜい七、八羽くらいにしか突かれていない。神事に用いられる鷽の行動原理は……。
「と……鳥ど……鳥共はわた……私についてる……な?」
 妹紅は口にまで鳥に侵入されながらもどうにか慧音に聞いてきた。慧音は悲痛な面持ちで肯定の返事を返した。
「よし、飛ぶ!!」
 妹紅は慧音から手を離し、一人、否、一人と三桁羽で人里上空に飛び上がった。
 打ち上げ花火のようだった。飛び上がりの頂点で妹紅は火球になり、一瞬で燃え尽きた鳥の灰が放物線の下に下る側みたいな軌跡を描きながら落下していく。あまりの火力に燃えるものがもうほぼ残っていない灰は家屋の屋根に到達する前に寒風に消火されていった。
 慧音は呆然と火を見上げていた。この呆然から解放されたときに気がついたが、自分と同じように火球を見上げている人は殆どいなかった。人気(ひとけ)
のない里には、一部の異変のときにしか鳴らない櫓の鐘の警報音が響いていた。流石に里全域で鳥の異常は認知されていて、皆可能なら家、そうでなければ最寄りの建物内に厳重に避難しているということなのだろう。
 そして無人の里の往来にヒューイヒューイというあの風か口笛のような鳴き声は響き渡っていて、更に悪いことには木を硬いもので打ちつけるような音まで響いていた。鷽はキツツキとは全く別の鳥だが、キツツキにできることは自分にも可能と信じているものと思われる。
 慧音の横に復活した妹紅が降りてきた。
「どうだ?」
「泰山からスコップ一杯分の土を抜き取った、といったところですかね」
「お世辞でももうちょっと褒めてくれや」
「確かに献身は評価しますが、結果としては、です。なんにせよどうにかしなければなりませんね。しなければなりませんが……」
「『巫女様』は動かないのか」
 妹紅の言の「巫女様」の部分には大いに皮肉が込められていた。まず現状に対する文句でもあり、今の博麗の巫女が、それこそ霊夢に比べれば真面目であり、しかし逆説的に真面目であるが故に信用しかねるという疑念でもある。
「鷽の木材に神聖を感じました。私が部分的に妖怪だからなのでしょう。あれは御神木です。神社の敷地の木が鳥に変じているということは既に神社でよくないことが起きたか」
「あるいはそもそも黒幕が巫女か、だな」
 妹紅は仮定ではなくそうに違いない、という言い振りだった。
「解決しないならば、野分のようにただ流れが収まるのを待つしかないですね」
「それしかないだろうが、大丈夫か?」
「家に戻ったら一旦里の歴史は食べます。それで隠匿されて鷽が見失うとも思えませんが……」
「里全体が、というより慧音がだよ」
「私は大丈夫ですよ。幸い人間より頑丈なのでね。むしろ私が心配してるのは貴方なのですが……」
「私は不死者だぞ?」
 妹紅は鼻を鳴らして笑ったが、慧音にはそのともすれば油断しているかの態度が一層不安だった。
「そうですか……。戸締まりはちゃんとするのですよ?」
「ああ」
 互いに互いを家まで護衛したい気持ちだったが、それぞれの戻るべき場所が離れすぎていてどうにもならないのだった。故に二人はここで別れ、互いに鷽に気が付かれないよう注意深く、静かに帰宅した。その気配りにどれほどの意味があるのかも分からないが……。


***


 妹紅は鳥に覆われていた。時折呼吸をするためにとか外の景色が恋しくなったから片目だけでも出したいとかそういう理由で追い払いにかかることはあるが、大体は食われるがままにしている。端的に言えばあまりにもきりがなく面倒になったのだ。
 昨晩は慧音の言いつけどおりにちゃんと家に入って入り口や窓もなけなしの家具を総動員してバリケードを築くことで封鎖した。が、妹紅の家は一部が藁葺きであり、藁の家などというのは童話では真っ先に破壊されるものと相場が決まっている。日が昇る前には家の中で群がられるか家の外で群がられるか選ばなければならない状況に陥った。妹紅が選んだのは後者だった。
 朝日を鳥と共に浴びながら、妹紅は自分に群がっている鳥が何羽いるのか数えようとした。シラミが服で増えた人が、それを取りながら何匹いたのかを数えるのに感情としては近い。が、この試みは四十羽まで数える前にやめた。やたらと忙しなく動き回るから数えてられないし、そうでなくとも数が多すぎるのだ。
 膨大なのは鳥共に自己増殖機能があるからでもあるが、増える前、家を食い破ってきた時点でもう相当なものだったと妹紅は記憶していた。
 この分では残念ながら里も助かるまいと最初に思った。その次には、いや、自分にここまで群がっているのならばその分里にはあまりいないのではなかろうか、とも思った。それならば自分はデコイとしては役に立っている。
「なーにがデコイだ」
 今度は怒りが沸き上がってきた。なぜ自分だけ鳥の餌にならねばならぬのか。一度鳥を追い払って自らの身に起きた惨状を確認した。腹が立っていたが、その立った腹は既に食い破られていた。肝臓を啄まれ続ける聖人かよ。正しくは聖書ではなくギリシャ神話の逸話だが、そんなことも妹紅には最早どうでもよかった。鳥が人類を憎んでいるらしい以上に妹紅はクソったれな鳥と世界を恨んだ。
 妹紅は慧音といたときのことを思い出した。慧音は妹紅程には鳥に狙われてはいなかった。ただ多少はつつかれていた。
 妹紅は世界を恨んではいたが、自分が鳥に散々に食われて慧音はそうではないという、捻くれた思考の持ち主ならば当然に理不尽を覚えるべきことについては、むしろ当然のことと思った。慧音との比較ならば自分は鳥に食われて然るべき存在で彼女はそうではないように思えた。むしろにも関わらず鳥に少し襲われていたが、今はどうしているのかを案じた。
 自分は悪人である。もしかしたら鳥は悪人を襲うのかもしれない。であればなおさら明らかに善人である慧音を襲うこの人工鳥は畜生だが、普通の村人よりは悪い自分を食うということ自体はどうにか納得できそうだった。
 そして冒頭の状態に戻る。不安定な情緒の変化を経て、妹紅は罰を受け入れることにした。妹紅は無期刑に備えて楽な姿勢、仰向けを選んだ。倒れたときに逃げ損ねた鳥がヒューイではなくギャッと鳴きながら潰れたが、既に潰れた以上に増えている。


***


 妹紅は自分ではない銀色の長髪を視界の鳥の隙間から認めた。それは、自分の方に向かって走っているらしかった。
「大丈夫ですか!!」
 声は聞き慣れたものだったが、どこか焦燥をも帯びていた。妹紅にはそれが少しおかしかった。確かに救命ならば急ぐ必要もあろうが、ここには何秒何分何時間何日経とうが死ぬ命はない。自分もそうだし、一つの群(ぐん)として見た場合は鳥共も恐らくは実質的に不死だった。
「何一つ問題ないね……」
 妹紅は、自分に向かってくるその人の腕や顔に裂傷や咬傷に分類される傷があることに気がついた。その銀色の髪の持ち主が自身の傷を意に介さずに妹紅の心配をしているように、妹紅は自分の惨状を完全に忘れて不安と憤りの感情を覚えた。
「慧音、お前、どうしたんだ……」
「鳥ですよ。それ以外にあるわけがないでしょう?」
「お前には鳥に食われる筋合いがないだろう」
「ありますよ。この鳥が何者なのかは知っていますか?」
「知らないが、こうも自分ばかり啄まれれば仮説の立てようはある。悪人に憑くんだろ? だからお前みたいな善人を食おうとするのはおかしい」
「惜しいですね。この鳥の基準は善悪ではないのです。まあ、だからといって私が善人かどうかは別ですが」
「慧音は善人だよ」
 言い振りからあまり本気ではないのは分かってはいたが、冗談交じりなのだとしても慧音が自己肯定感の低い発言をするのは妹紅には我慢がならなかった。
「ありがとう。しかし、もう一度言いますが、善悪は問題ではないのです。この鳥は鷽替え神事に用いられる鷽で」
「あー、里でも鷽がどうこうとは言っていたような気がするな」
「鷽替え神事は鳥の鷽を言葉や行為の嘘とみなし、嘘を転じて幸福をもたらす縁起物として木彫りの鷽を交換するというものなのですが」
「それこそ嘘こけだ。幸福じゃなくて不幸の権化みたいな有害さと増え方じゃねえか」
「黒幕、おそらくは今代の巫女の、恨みのような感情が示唆されますね……。ともあれ嘘に反応してそれを喰らおうという性質は踏襲していまして」
「でも結局お前が喰われるのは道理が通らん。里の中でも相当に正直な側だろう?」
「大嘘つきですよ。なんせ偽の歴史で里全体を秘匿しようとしたのですから。結局鷽は私を見つけ出してこのザマなのですがね。永夜の時もですが、私だけは消した歴史の中に隠れることができなくてね」
「なんというか、理不尽だな」
「当然の報いではありますよ。子供には『嘘をついてはいけません。正直な人間になりましょう』と教えておきながら正義のためとはいえ自分は嘘をついたのですから」
「間違ったことをしたわけじゃない。里の他の人は助かったのだろう?」
「助かってはいません。術は結局解きました」
 慧音は訴えかけるような声色になった。妹紅ではなくて鳥にも言っているのだ。
「なあ、この人はもう十分に食われたじゃないか。ここにどうしようもない大嘘つきがいるぞ。お前達の仲間をまとめて欺こうとした奴だぞ。私を食えばいいじゃないか。なあ……。なあ!!」
 妹紅はなぜ慧音がここに来たのかを理解した。単に様子を見に来たというだけではなかった。それ以上のことをしようとしていたが、肝心の鳥は慧音が存在しないかのように妹紅を食い続けた。
 慧音にはもう嘘が残っていなく(だから嘘をつけなければできない歴史の隠匿を続けることが不可能になった)、鷽の餌にはならないのだ。妹紅は慧音が無意味に懇願し続けるのを呆然と見ながら鳥に血肉を食いちぎられ続けることしかできなかった。


***


「悲惨なことになっているわね」
 慧音来訪から数日後、また妹紅のところに訪問者が来た。今度は黒髪の長髪だ。
「全くだ」
 この間も変わらず妹紅は鳥に食われ続けている。精神的には無抵抗とはいえ肉体の方は限界が来るたび自動的に復活を続けている。この過程で鳥も燃えて三桁は死んだはずだが、絶滅の兆しはない。
 妹紅は苛立っていた。自分が鳥の餌になっていることにではない。自分のところに来た黒髪が鳥に食われていなく、その優位性でもって傲慢にこちらを見下しているような態度をとっていることにである。
「なんでお前は食われてないんだよ」
「当然でしょ。この鳥は鷽よ」
「だから聞いてるんだよ。お前みたいなのが」
「あいにく、自分に正直に生き続けてきたので」
 妹紅は舌打ちした。言われてみると、確かに妹紅も輝夜に「嘘をつかれたことは」ない。それはそれとして、正直であることは必ずしも善人であることを保証しないらしい。
「いいニュースならあるわ。永遠亭の私以外は鷽に襲われて散々な目に遭ってます」
「よくねえよ。いくら月とお前に恨みがあるからって、永遠亭のアンチってわけじゃないんだぞ私は」
「でもそのおかげで私は堂々と抜け出せてここにいるわよ?」
「いっそ清々しいね。ただいるだけで価値が発生すると思ってるとは。どんだけ自己肯定感高いんだよ」
「役に立たなかったら無価値なんていう貴方の心な荒んでるのよ。花鳥風月を愛でないと」
「散々愛でたよ。もう愛で飽きたわ、特に鳥」
 比喩抜きに、今の妹紅の片目は鳥になっていた。眼窩から顔を出した一羽の鷽は左目の代わりに周りを見渡し、空気が抜けるような鳴き声を一言頭蓋に響かせた。
「じゃあそんな荒んだ貴方のためにただいるだけ以上の意味を提示しないとね」
 輝夜は手を伸ばした。
「里の様子、見に行きたくはない?」


***


「私が里に近づいて大丈夫なのか? 今や歩く害鳥の巣みたいなものだが」
 竹に遮られることなく里が見える程度に近づいた頃、妹紅はもっともな疑問を述べた。
「大丈夫じゃないわよ。だからこその私の価値ってわけで」
 輝夜は里への道は選ばず、竹林の外れに位置する少し丘になっている地形に登っていった。
「ほら双眼鏡。これを使えば近づかなくても見えるでしょ?」
 輝夜が持ってきた双眼鏡は月の都製の、月都万象展で展示されるようなものだから地上に出回っているものとは比べものにならない品質だ。しかし、あまりに倍率がよすぎるために妹紅には、それ越しに見える景色がどこか現実離れした作り物のように思えてしまった。
 その光景は意外と平和だった。異常な個体数の鳥がいるという事態は変わっていないが、その鳥共は往来を襲うことはなくただ屋根とか木とかの上から物欲しげに人々を見下ろしているばかりだった。
「何してるんだあの鳥達は」
「何もしてないわよ。元々嘘を食べて増えるしかしてなかったのが嘘すら食われきったのだから。あそこは最早正直者の村」
「嘘すら食われきったって……嘘ってなくなるものなのか?」
「里の人間は全体的に大して生きてないから。貴方とでは積み上げてきた嘘の量が違うのよ。それに」
「それに?」
「普通の人間はそんなに極端な大嘘つきじゃない」
 妹紅はまた軽口を、と思ったが、輝夜はこれについては割と本気の発言として述べていた。妖怪は精神が主である故か正直か嘘つきかという軸においてかなり両極端なのだ。輝夜みたいに嘘一つない潔白もいれば妹紅みたいなのもいる。それこそ因幡てゐについてはもう死んだものとして扱われている。永遠亭の近くに形成された鳥球と呼ぶべき構造物は永劫に残り続けるのではないだろうかという安定性と圧倒的な、妹紅すら上回る対鳥限定の吸引力を発揮していた。
「里の人達の正直さについてはさておき、食うものなくなったならあいつらは餓死しないのか?」
 妹紅は死ななかったら実に不服だと思っていた。
「どうでしょうね。死骸を見たことはないけど、そもそも鳥の死骸って実際に死んでる数程には見かけないでしょ?」
「数が減っているかとかさあ」
「数えろって? 私は野鳥愛好家じゃないの」
 輝夜は一息置いたのちこうも付け加えた。「そもそも『野鳥』でもないだろうし」
「じゃああいつらは置物みたいにずっとこのままか」
「いや、減ってはいると思うわ」
「おいさっきと言ってることが違うじゃねえか」
 妹紅は自分に群がっている鳥に向けて「この嘘つきに憑け」と囃し立てた。ただ、鷽はぴくりとも動かない。
「貴方が言ったのは『数を数えて減っていたら死んでるのだろう』ってことでしょ? それについてはノーだし里の鷽を数えたわけではないのも本当。私が言いたいのはあれ。私が指さしてる方に双眼鏡を向き直してご覧なさい」
 輝夜は里よりも東、神社の方角を指していた。神社上空では鷽の群れが輪をなして飛んでいた。
「なんだいあれ。当代の巫女様は大嘘つきだったっていう顛末か?」
「輪を描いて飛んでいるからといって獲物を狙う鳶というわけではないでしょ。巫女は正直よ。どっかの誰かさんと違って。私が言いたいのはね、あの鳥、時々消えるのよ」
「数えてんじゃ……。あー、なるほどね」
 一瞬集中力を欠いた隙に鳥の数がごっそり減ったのを妹紅は目撃した。確かにこれは数えなくても分かる。
「急降下でもしたのか?」
「いいえ、そんなことじゃないわ。回っている動きを崩さずに瞬時に群れが歯抜けになる」
「はあ?」
「変でしょ? ただ、一応既に仮説はあって」
「ほう」
「外の世界に行ってるんじゃないかしら、あの鳥達。餌を求めて生息地を拡大する、よくありそうな話じゃない」
「場所も神社だし、か。しかしそんな安々と抜け出せるものじゃないだろ。なんせ賢者達による厳重な管理下だ」
「『賢者様』達がこの騒動で無事とはとても思えないわね。うちだって永琳が酷い目に遭ったし」
「そう、さっき聞き損ねたが大丈夫なのか放っておいて」
 輝夜は首を傾けて少しの間無言になった。
「……。『ここは私に任せて先に行って下さい』って言ってたわね」
「大丈夫じゃねえな」
「手の施しようがないのよ。鷽はしつこく纏わりつき続けるし永琳は死なないし」
「死なないし」
 酷い言い方だが、死なない体質な方がむしろ厄介なことが多々あることは二人とも身に沁みて感じていた。
「まあ、なんにせよ、今なら比較的簡単に外の世界に行けるかもしれない」
「行きたいのか?」
「どちらでも。だから決めて貰おうっていうのもあるわ」
「私は前にも行ったことがあるが……。今回はいいかな」
「あら、そう。にしても、どうなるのかしらね」
「どうなるって、何が」
「里の行く末よ。恐らくあそこは人類史上で始めて嘘が全く存在しない社会集団よ。これからはどういう社会になっていくのか、そもそも嘘なしで社会は存続できるのか」
「知らねえよ。そんなことは学者にでも食わせておけばいいんだ」
「意外と薄情ね。少なくとも私よりは貴方の方が里に思い入れはあるのだと思っていたけれど」
 確かに、前までなら里もといそこに居住する特定一名の心配をする余裕が妹紅にはあっただろう。が、今は紆余曲折の末荒みきっていた。慧音? あいつは里が崩壊したとしても元気にやっていけるさ。
「当面は自分のことで手一杯なものでね」
 妹紅は煩わしげに頭の中の鳥を追い払った。
ホラーを題材とした東方二次創作の合同に当初はこれで参加する予定だったのが書いてみるとホラーではないな、ということで寄稿用としては没にした話(主催の方には別の話を送る予定)
元々「東方三月精で出てきた鷽替え神事の鷽が里の人間を襲っている光景」を書きたいと思って書き始め、この初期イメージの時点ではヒッチコック『鳥』みたいな方向性になる予定だった
東ノ目
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