その人の名は稗田阿悟。
一筆も仕上げていないそのまま、この机の前から消えてしまってもよいだろうか、と考え始めている。別に誰も止めやしないだろう。そのまま外をぶらついて郷の往来を越えて、どこかへと行ってしまっても、それはそれで構わないだろう。
取材と称して消えるのもいい。旅に出るのも許されるだろうが、しかし物騒な世の中だ。出奔などしてしまえば、世慣れていない自分はきっと野垂れ死んでしまうかもしれない。
(それでもいいよ、もう)
と思いつつ、机の前から動けないでいる。なにかを残す事が自分の仕事らしく、自分はまだ何も残せていないから。
具体的には、縁起。いわゆる幻想郷縁起。
(百何十年前の私はえらい仕事を遺してくれたな)
とも思う。
たしかに初代稗田阿一は文章を起こした。しかし二代目阿爾は、そうしたものを残すよりも現実の社会的変化への対応をもっぱらにしていて、多少の改訂や更新こそ行ったものの、この書物をさして重要視しなかった。三代目阿未は重病人で筆を執る力すらなく、多くの事をきょうだいたちに任せてしまっている。ここまでの縁起の編纂は、初代阿一の業績を残していく、その程度の作業と捉えられていたものと考えられている。
縁起の重要性が増した――というより、稗田の子の転生の重要性がいっそう増したのは四代目阿余の代。あの代は稗田惣領の正統性が混乱し、その混乱を収拾して家を保つには、転生の子の権威を高める必要があった。阿余は博麗神社を頼り権威を補強しつつ、自らには転生の子として新しい義務を課した。この仕事は阿余の急死によって中途半端なままに終わっていたが、次代が引き継げば良いだろう、と残された人々は判断した。
その義務が新たな幻想郷縁起の編纂。
五代目阿悟は、初めて、この文書を残す事を義務付けられた子だった。
(で、なにを書けばいいわけ?)
そう思いながら毎日を過ごしている。順繰りに、しずしずと、やるべき事を明日に先送りしているだけ。
(百年先送りにするのも、明日に先送りにするのも、大差無いよな)
と、その点だけは少し面白がっていた。
他にやるべき事があるわけではない。当代、稗田の惣領職はその人から完全に分離されていた。この爪弾きは惣領職を巡る百年のごたつきのせいもあったが、同時に転生の子の権威化が完了したと解釈する事ができないでもない。転生の人は、一族経営の実務に通じる権限を引き剥がされると同時に、現世の諍いから保護されていた。
五代目阿悟が顕現する時代、南北朝の大乱は、稗田の家をも容赦なく巻き込んで、実際にこの百年の間で家の子の中には合戦に遭って戦死した者もいる。
そうした状況を鑑みて、当時の博麗の巫女――この人はえらく長命で、百年以上は生きていたのではないか――は、ただ一つの布告を稗田家に対して行った。
・稗田の子――転生の人は間違いなく天才であり、実務家としても稗田の家を傾ける事はないだろう。しかしその人を実務につけてはならない。その人はただ縁起を書き残すのみの人である。
稗田の御筆先は、つまらぬ現世の小競り合いなどで戦死してはならぬ、というわけだ。この判断が純粋な神託だったのか、それとも政治的な発言だったのかは、誰にもわからない。ただひとつ言える事は、この時の巫女の一言によって、その人は世界から一歩引いた立場を得た。
(しかも私は目明きだし、自由に歩き回れる。これはすごい事だ)
産まれた当時、徹底的に実務から遠ざけてやるために、目を煮えた酢で潰すとか、足の腱を切る、去勢といった処置すら検討されていたその人だったのだ――さすがにそこまでの仕打ちは必要ないだろう、とも判断されたが。
(目が明いているのはよかった)
先代阿余と同世代の博麗の巫女は、稗田の子が転生を続けている根拠にこの郷の縁起を引っ張ってきている。ならば、初代阿一が残し、二代目阿爾が多少の改定を加え、三代目阿未のきょうだいたちが写した、最初の縁起にまずあたってみたがよいだろう、という考えは当たり前の発想だった。
(しかし、その縁起は読めたもんじゃなかった)
その人はごろりと床に寝転がって、書室の天井を眺めた。
(もっともその読みにくさはかなり意図的なものだ。ところどころをぼかした表現、迂遠な言い回しにしているものの、難渋なりに意味は通っている。そこを要約すれば、この土地には人ならざるモノがいっぱいいて、それが人に悪さをする事もあるが、あまり気にするな、といったところ。気を長くして付き合っていれば、奴らなんて川面に漂うあぶくでしかない)
それはいいのだが、そんな方針を一貫させるため、たびたび転生を繰り返すような気遣いはないし、稗田の家を必死こいて繋ぎ続ける必要もない。ほっとけという話だ。
(縁起自体はあくまで家中の内部文書でしかなく、それはそれで重要なものだが、そのために家を存続せねばならぬものではなかったのではないか)
それが、縁起に対してその人が抱いた感想であり距離感だった。
(じゃあなんのために私は転生しているのだよ。私の役目はなんだ?)
苛立つその人はまだ若い。そのうえ、稗田の子という宿命は、その人にとって自分が何者で何のために生き何かしら残す事ができるのかという、青臭い、どこか思春期的な命題のふちをなぞっていた。少なくとも縁起を遺す事は、表面上の使命にすぎないだろうとだけ結論付けている。
(一度、そうした使命から離れてみるのもいいかもしれない)
その人は書を捨てて町に出た。
一応、いろいろの調べ物や勉強が必要になったので、と家の者には説明していたが、とんでもない。そのまま二、三年ほど稗田屋敷にろくに寄り付こうともせず、近頃集村化が進んで規模が大きくなりつつある運河沿いの市にごろつき、こうした盛り場に流入してくる同年代の少年少女らと徒党を組み、市場に横行する法外な取引を私的に取り締まり、かと思えば峠道などに違法な関所を設置して盗賊行為を行ったり、とにかく数年ほどは好き勝手に生きてみたのだが、その頃にはこの辺りの荒っぽい界隈でもちょっとした顔役になっていて、ある時少々大きな人身売買の取引で一稼ぎを成すと、人里の川べりの辺りで十数人の仲間たちや遊女らと集団乱交に及んで郷の風紀をいちじるしく紊乱させたあたりで、さすがに好き勝手が目に余ったのか稗田家に呼び返されて、その人はおとなしく屋敷に戻った。
そこから即刻、頭を丸めさせられて、寺に入れられてしまった。この寺というのが郷の近隣にあるような場所ではなく、遠く畿内まですっ飛ばされている。
(ひとまず、この数年のうちに郷の周りでこさえた良からぬ縁と、すっぱり手を切らせるというのが目的だろうな)
その人は山寺の僧房で、静かな生活を始めながらそう思った。稗田本家の方でも、その人に本気で坊主になって欲しいわけではないが、数年ほどおとなしくしておけというつもりだろう。
(仏道の修養のほかにやる事もないし、もの覚えは良い方だから)
と、あっという間にある程度のところまで修めてしまった。
そうはいっても、それ以上を修めるつもりがさらさら無いのも事実で、その人はさっさと僧房を出て民間に下ってみた。身を置かせてもらっていた寺からは、派遣という形で仕事の紹介状をもらっていたが、これがひどく俗っぽい事に、京の河原で行われる勧進能の運営手伝いの仕事だった。
勧進能とは、寺社や公共設備の建設や修理にあたり、有志からの寄付を募るために行われた能田楽などの興行を指す――横文字を用いてひらたく言ってしまえば、チャリティーコンサート。こうした興業の運営には、法務的なやりとりや、寄付金――庶民らが支払う入場料も寄付の一部になるが、実は貴族・政治家・商人らによる莫大な献金がその大部分を占める――の公正な帳簿(不正をするにしても正確な帳簿は必要だが)の管理などが絡む。こうした専門的な法務・財務の運用は、この時代では寺社の僧侶がもっぱら得意としていた。
(やってる事自体は郷でごろつきになってた頃とあまり変わらんのよな)
とおかしく思いながら、まだ若いその人は使い走りや雑務ばかりやらされている。
(しかし、これだけの金が流れている以上、汚職や着服はどこかしらにあるもんだな)
実をいうと、そういう不正を発見する事もなくはなかったのだが、その人はおおっぴらな告発はしなかった。ただの正義感で動いてもどうせろくな事にはならない。下手すれば、河原の薄暗がりでぼろくずのように手足を叩き折られるだけの結果になるだろう。叩き折っていた側なのでよくわかる。
監査の目が不正を発見しやすいよう、帳簿をそれとなく整理しておくだけで、放っておくことにした。
また、下っ端坊主として舞台設営の現場に出て、施工を管理する事もあった。こうした建設技術も寺院の僧侶たちが保有している特殊な知識技能の一つだったが、施工管理の中で特にやかましく言われた事に安全面の徹底があり、その指導の中で、よく十数年前の興行で起きた客席の崩落が、しばしば引き合いに出された。
四条河原の勧進田楽――桟敷崩れの田楽と呼ばれる大事故は、時の関白二条良基、天台座主承胤法親王、室町幕府将軍足利尊氏らが出席した、この時代の勧進興業の活気と熱狂を今に伝える一例として著名だが、現場としては大事故の教訓でもあった。
事故についてその人が少し興味を抱いたのは、この現場にも事故当時を知る人間――建設業者の上役だけでなく、舞台役者なども含まれる――がぽつぽつといて、彼らにとって事故は天狗の仕業によって起きた出来事、いわゆる天狗倒しだったと認識されている点だった。
(天狗か)
その人はちょっと懐かしさすら感じてしまった。
郷でごろつきになっていた頃、その手の連中もたびたび山から下ってきていて、異類異形として巷間に出入りし、どうやら戦乱にも積極的に加わっていて、その人たちともなかなかに近い存在だったのだ――やがて人間と交わって、存在を薄められて、あぶくのように消えそうに思えてしまうくらいに。
(もう、誰も人間とそうではないものの区別がつけられんのではないかな)
上古以来、人間は相変わらずあやかしやもののけの類をおそれている。しかしそのおそれ方は、生身の人間に対するそれと大差なくなってきているのではないか。
桟敷崩れの田楽にまつわる年配方の体験談を色々集めていくうち、どうしても彼らの口ぶりが、あの事故も天狗たちによるもので、足利将軍の暗殺を狙っていたものなのだろう、といった陰謀の話を多く聞いた。
(それはそれで結構な話だけれど、人を食い物にして、時として殺めるだけがもののけのおそろしさなら、私たちと連中の違いはもはや無いと思うんだがな)
と、呆れながらこうした話を集めてみると、当時の事故を目撃した田楽役者たちがこの現場にも何人かいて、彼らの口ぶりが(当然誇張混じりなのだろうが)いやにいきいきとしていた。
彼らはだいたい以下のような事を教えてくれた。
・当時、あの興行にはかなり素性のいかがわしい連中が関わっていた事。
・田楽役者たちは本座・新座といった派閥に分かれているが、明らかにそのどちらでもない、得体の知れない連中が楽屋裏にも出入りしていた事。
・事故当時、舞台上で見事な小拍子を披露して観客を狂騒に導いた新座の稚児は、事故の後に行方が知れない事。
・また、桟敷が倒壊する直前、将軍御座所の近くに練貫の着物があでやかな女天狗が目撃されている事。
・崩壊の直後、事故現場ではなぜか太刀や刀の奪い合いや斬り合いが発生したが、これは単なる火事場泥棒による争いだったのだろうと処理されている事。
(話としては結構なんだが)
やがて勧進能の興行は予定通り始まり、数日ほどして突如中止が決まった。南北朝の内乱は散発的な戦闘がずるずると続いていて、寺社の消息筋に伝わってきた情報によれば、大規模な攻勢によって京がまたしても戦場になる可能性が高いらしい。作りかけの舞台を解体する作業に数日を費やして、立ち消えるように勧進能の興行は終了した。
(私はなにごとも半端なまま、ろくに残す事ができない星の下らしいな)
例の不正を行っていた輩の変死体だけが、むなしくなった河原に残っている。
その人はその後も似たような勧進興行の手伝いなどを時々しているが、ほとんどは元いた寺に戻って庶務を行っている。が、もちろんこのまま坊主になるつもりなどはない。
(もの覚えは抜群に良いし、真面目にやっておれば宗門でもいっぱしの立場にはなれる、など周りには言われるが……)
そんな野心があれば、おとなしく寺に送られるような事がそもそもないまま、故郷の山河を取り巻く一帯で大悪党の頭目にでもなっていただろう。
(私はなにもかもできる人間のようだが、なにもかもが半端なようだ)
とも思うが、その原因もわかっていた。
(郷に帰ろう)
ある時、急に思い立ったように寺を辞したが、最初からそのつもりだったのだ。
もちろん急に出奔するわけではないし、世の中の情勢もまだまだ荒れている。出立するまでには少し時間がかかった。その間に法務や金融業務の引継ぎなども済ませてしまい、さて、そろそろ、といったところで、寺の知り合いから、旅の楽師とその弟子を、途中までの連れ合いとして紹介された。
(男のなりをしているが女だな)
と、その人は抜群の記憶力と観察眼によって、初対面の時点で直感したが、そんな秘密を掴んだところで、相手に迫るといった事はしなかった。性別の詐称などは旅芸人にはよくある事だったからだ(いまどき女旅は心もとない。男だって無事かどうかあやしいもの)。
長い連れ合いではなかった。畿内を出るところの関を越えると、彼女たちはおのれらの稼ぎを求めるために、宿場町に長逗留するつもりのようだった。せいぜい一日二日ほどの縁でしかない。
が、その程度の短い付き合いの中でさらに気がついてもいた。
(彼女たちは人間ではない)
身ごなしや、山越えの軽やかさ、それになにより女旅の心細さをちっとも感じていないらしいところから、その人はそのように見抜いた。
(天狗かなにかだろう)
別れる前の夜、彼女たちが宿場近くの寺のお堂を借りて演し物をしているのを見た。
演目は三本立てで、最初に奇術をまじえた放下(大道芸)、次に少し筋立てを持った謡いと舞いの劇、最後に祝言の無言劇めいた舞いを踊って、それでちょんちょん。
そうした番組編成の、中ほどに置かれた劇の筋立てが異様で、やっぱり彼らは天狗かなにかだったのだな、とその人は思った。
構成は、後代に成立する夢幻能の形式に近い。弟子がワキとなって諸国一見の僧を演じ、由緒や因縁のある故地を巡っていく。その中でワキは忽然とシテと行き合う。この忽然というものがどうやら重要らしく、ワキは、当初どうという身構えもなくシテと会話をしていくうち、徐々に異界に引き込まれ、相手が異類であり超常の存在なのだという事を察していく。やがてシテは豹変し、ワキにつらつらつらと語るその口上は、過去の残念のようでも、将来への提言のようでもある。
(豊富な記憶は豊富な暗合を産む)
とも思った。たとえ、以前ちょろっと興味を持った程度の四条河原の勧進田楽の事故が、劇の主題になっていた程度でも。
(劇中、ワキ僧の前に現われたシテ役の天狗は、あの桟敷崩れを天狗のいたずらなどではない、と弁明した。といってただの自然な事故とも言っていない。あれは正八幡大菩薩・春日大明神・山王権現の憤懣であり、そうしたものが堅牢地神を驚かせてしまったのは、世の為政者に徳がないからだ、云々……)
そうした胡乱な謡いをまじえて舞台上に舞うシテは面をつけていたが、ある瞬間、客席にいるその人を、見透かすように見つめてきた、気がする。ひょっとすると、面越しに、客のすべてに向けてそうした視線を送っていた可能性もあるが。
(妙なものを見たな)
翌日、朝早くにひとりで出立して、薄明るい峠の道行きをとぼとぼしながら考えた。
(奴らは別にめずらしい連中ではないが、ああいうのを見つけるにはこつがいる。……というよりは、そういうものを見つける目が必要だ。その目がなければ、誰も彼らを発見できない)
ワキとシテの関係と一緒だ。
(舞台を支配して動き続けているのはシテで、ワキはそれを見出して見届ける事しかできない、無力の存在だ。だが、そもそも見出して見届けるという事はそれじたいが稀有の能力でもある。発見してあげられる能力――ワキのそれがなければ、シテは最初からいないも同然、謡う事も舞う事もままならない)
彼ら妖怪は人々から無視されつつあった。おそれられてはいるし、なにか事が起これば、そうした超常のしわざなのではないかと取り沙汰もされる。しかしそのおそれからは、なにか大事なものが抜け落ちかけている気がした。
(その点では、私の縁起の仕事も一緒だな。なにかしら抜け落ちかけている。だから自分の使命なども見つからない――あるいは、稗田の子が当初の目的としていた使命は、実はもう完了してしまっているのかもしれない)
ここ数年の思索の中でうっすらと感じていた事だった。
(探しているなにかがいつまでも見つからない時、それがきっと今もあると幻を見続けるのはひとつの信念なので悪い事ではないが、自分に誠実とは言えない。おそらく私はもう用なしだ。天狗の彼らと同じように)
いつしかすとんと腑に落ちてしまっている。
(それならそれで、だ。使命などないのなら、私は私でなにか別の事をでっちあげればいい。それを一族の使命にして、自分で自分を信じ込ませてみよう。まやかしめいているかもしれないが、難しい事ではない。なぜならすべてを残す事は――)
山の風が吹き上がり、山肌が寒気を感じたようにぞわぞわと木々を逆立たせた。その人は考え事から引き戻された後もまだぼんやりしていて山道から薄く細くすじのように見える青い空から舞い降りてきた天狗たちは今朝別れた楽師たちでその彼女たちが稗田阿悟をひょいと持ち上げてしまい連れ去っていったその場面を目撃した者は誰もいない。
その人は机に向かっていたが、別に夢から覚めたわけではない事がわかるその理由は、自分が老け込んでしまっているからだった。書院の中で十年過ごすのも外で十年過ごすのも結局は何も変わらない、と突きつけるようになにも書かれていない草稿が机の上に置きっぱなしになっている。紙は、楮のくずの部分を使った荒い繊維で、日焼けしたように干からびていた。
屋敷内を巡ってみると、家人らは、その人に対して多少よそよそしいものの、年数相応に老けたり成長したり物故しながら、以前とほぼ変わりなく生活しているようだった。
(それでもなにかがおかしい)
と、その人は思った。
× × × × ×
五百年以上前の逸話である。人口の増加により、人間に押され気味だった幻想郷の妖怪の勢力を回復する為に、紫が立案、実行した。
これ以前の幻想郷は単なる人里離れた山奥に過ぎなかったが、幻想郷の周りに幻と実体の境界を創り、論理的に世界を創ってしまおうという計画である。
幻想郷の中を幻の世界、外の世界を実体の世界とする事で、外の世界で勢力が弱まってきた妖怪達を自動的に幻想郷に呼び込んでしまうという画期的なものである。
これにより、日本の外の国からも妖怪が移民してくる様になった。境界の効果は現在も続いている。
また、この計画の賢い所は、外の世界で妖怪が消えれば消えるほど、幻想郷では妖怪が強くなる事だ。外の世界が人間の天下である以上、幻想郷では妖怪の天下が続いている。
× × × × ×
この当時、幻想郷ではある政策が実行されていた。
しかし、それが最初から一貫した政策として存在していたかといえば、かなりあやしい。一連の流れを説明する言葉は当時存在せず(たとえあったとしても現代には残っておらず)、後に九代目御阿礼の子、稗田阿求がそれらをひとまとめにして、現代風の言葉として説明したのが実情なのだろう。
阿求がそれに名前をつけて以来、一連の政策は妖怪拡張計画と呼ばれている。
評価に困る政策である。
評価に困るその理由は、先にも述べたようにかなりなし崩し的な施策の連打だったらしい事、数百年にわたって続く混乱の直接的な原因となった事、なにより人間――具体的にいえば、後に人里と呼ばれる地域、集村化されつつある平地集落の人々――を決定的に敵に回してしまった事。
ゆえに妖怪拡張計画は失政とされている。だが妖怪社会には本質的に失政というものが存在せず、歴史的評価は常に浮遊している。人間との敵対関係にしたところで、なにもこの時代に始まったものではない。当時、妖怪たちは薄められあぶくのように消え去りかけていて、自分を発見する者を求めていた。その欲求のため、それまでなんとなく寄り添っていた者たちと敵対して滅ぼしあっても構わないほどに。
結論、妖怪拡張計画は誰もやりたがらないが、誰かがやらなければ先細りと破綻が見えている、そうした時代のあがきだった。
泥をかぶったのはひとりの妖怪の賢者だ。
別乾坤に送られた稗田阿悟は、やがて不本意ながらも自分の使命を発見する。そこで彼の思春期は終わった。
妖怪たちの思春期が始まってしまった。
一筆も仕上げていないそのまま、この机の前から消えてしまってもよいだろうか、と考え始めている。別に誰も止めやしないだろう。そのまま外をぶらついて郷の往来を越えて、どこかへと行ってしまっても、それはそれで構わないだろう。
取材と称して消えるのもいい。旅に出るのも許されるだろうが、しかし物騒な世の中だ。出奔などしてしまえば、世慣れていない自分はきっと野垂れ死んでしまうかもしれない。
(それでもいいよ、もう)
と思いつつ、机の前から動けないでいる。なにかを残す事が自分の仕事らしく、自分はまだ何も残せていないから。
具体的には、縁起。いわゆる幻想郷縁起。
(百何十年前の私はえらい仕事を遺してくれたな)
とも思う。
たしかに初代稗田阿一は文章を起こした。しかし二代目阿爾は、そうしたものを残すよりも現実の社会的変化への対応をもっぱらにしていて、多少の改訂や更新こそ行ったものの、この書物をさして重要視しなかった。三代目阿未は重病人で筆を執る力すらなく、多くの事をきょうだいたちに任せてしまっている。ここまでの縁起の編纂は、初代阿一の業績を残していく、その程度の作業と捉えられていたものと考えられている。
縁起の重要性が増した――というより、稗田の子の転生の重要性がいっそう増したのは四代目阿余の代。あの代は稗田惣領の正統性が混乱し、その混乱を収拾して家を保つには、転生の子の権威を高める必要があった。阿余は博麗神社を頼り権威を補強しつつ、自らには転生の子として新しい義務を課した。この仕事は阿余の急死によって中途半端なままに終わっていたが、次代が引き継げば良いだろう、と残された人々は判断した。
その義務が新たな幻想郷縁起の編纂。
五代目阿悟は、初めて、この文書を残す事を義務付けられた子だった。
(で、なにを書けばいいわけ?)
そう思いながら毎日を過ごしている。順繰りに、しずしずと、やるべき事を明日に先送りしているだけ。
(百年先送りにするのも、明日に先送りにするのも、大差無いよな)
と、その点だけは少し面白がっていた。
他にやるべき事があるわけではない。当代、稗田の惣領職はその人から完全に分離されていた。この爪弾きは惣領職を巡る百年のごたつきのせいもあったが、同時に転生の子の権威化が完了したと解釈する事ができないでもない。転生の人は、一族経営の実務に通じる権限を引き剥がされると同時に、現世の諍いから保護されていた。
五代目阿悟が顕現する時代、南北朝の大乱は、稗田の家をも容赦なく巻き込んで、実際にこの百年の間で家の子の中には合戦に遭って戦死した者もいる。
そうした状況を鑑みて、当時の博麗の巫女――この人はえらく長命で、百年以上は生きていたのではないか――は、ただ一つの布告を稗田家に対して行った。
・稗田の子――転生の人は間違いなく天才であり、実務家としても稗田の家を傾ける事はないだろう。しかしその人を実務につけてはならない。その人はただ縁起を書き残すのみの人である。
稗田の御筆先は、つまらぬ現世の小競り合いなどで戦死してはならぬ、というわけだ。この判断が純粋な神託だったのか、それとも政治的な発言だったのかは、誰にもわからない。ただひとつ言える事は、この時の巫女の一言によって、その人は世界から一歩引いた立場を得た。
(しかも私は目明きだし、自由に歩き回れる。これはすごい事だ)
産まれた当時、徹底的に実務から遠ざけてやるために、目を煮えた酢で潰すとか、足の腱を切る、去勢といった処置すら検討されていたその人だったのだ――さすがにそこまでの仕打ちは必要ないだろう、とも判断されたが。
(目が明いているのはよかった)
先代阿余と同世代の博麗の巫女は、稗田の子が転生を続けている根拠にこの郷の縁起を引っ張ってきている。ならば、初代阿一が残し、二代目阿爾が多少の改定を加え、三代目阿未のきょうだいたちが写した、最初の縁起にまずあたってみたがよいだろう、という考えは当たり前の発想だった。
(しかし、その縁起は読めたもんじゃなかった)
その人はごろりと床に寝転がって、書室の天井を眺めた。
(もっともその読みにくさはかなり意図的なものだ。ところどころをぼかした表現、迂遠な言い回しにしているものの、難渋なりに意味は通っている。そこを要約すれば、この土地には人ならざるモノがいっぱいいて、それが人に悪さをする事もあるが、あまり気にするな、といったところ。気を長くして付き合っていれば、奴らなんて川面に漂うあぶくでしかない)
それはいいのだが、そんな方針を一貫させるため、たびたび転生を繰り返すような気遣いはないし、稗田の家を必死こいて繋ぎ続ける必要もない。ほっとけという話だ。
(縁起自体はあくまで家中の内部文書でしかなく、それはそれで重要なものだが、そのために家を存続せねばならぬものではなかったのではないか)
それが、縁起に対してその人が抱いた感想であり距離感だった。
(じゃあなんのために私は転生しているのだよ。私の役目はなんだ?)
苛立つその人はまだ若い。そのうえ、稗田の子という宿命は、その人にとって自分が何者で何のために生き何かしら残す事ができるのかという、青臭い、どこか思春期的な命題のふちをなぞっていた。少なくとも縁起を遺す事は、表面上の使命にすぎないだろうとだけ結論付けている。
(一度、そうした使命から離れてみるのもいいかもしれない)
その人は書を捨てて町に出た。
一応、いろいろの調べ物や勉強が必要になったので、と家の者には説明していたが、とんでもない。そのまま二、三年ほど稗田屋敷にろくに寄り付こうともせず、近頃集村化が進んで規模が大きくなりつつある運河沿いの市にごろつき、こうした盛り場に流入してくる同年代の少年少女らと徒党を組み、市場に横行する法外な取引を私的に取り締まり、かと思えば峠道などに違法な関所を設置して盗賊行為を行ったり、とにかく数年ほどは好き勝手に生きてみたのだが、その頃にはこの辺りの荒っぽい界隈でもちょっとした顔役になっていて、ある時少々大きな人身売買の取引で一稼ぎを成すと、人里の川べりの辺りで十数人の仲間たちや遊女らと集団乱交に及んで郷の風紀をいちじるしく紊乱させたあたりで、さすがに好き勝手が目に余ったのか稗田家に呼び返されて、その人はおとなしく屋敷に戻った。
そこから即刻、頭を丸めさせられて、寺に入れられてしまった。この寺というのが郷の近隣にあるような場所ではなく、遠く畿内まですっ飛ばされている。
(ひとまず、この数年のうちに郷の周りでこさえた良からぬ縁と、すっぱり手を切らせるというのが目的だろうな)
その人は山寺の僧房で、静かな生活を始めながらそう思った。稗田本家の方でも、その人に本気で坊主になって欲しいわけではないが、数年ほどおとなしくしておけというつもりだろう。
(仏道の修養のほかにやる事もないし、もの覚えは良い方だから)
と、あっという間にある程度のところまで修めてしまった。
そうはいっても、それ以上を修めるつもりがさらさら無いのも事実で、その人はさっさと僧房を出て民間に下ってみた。身を置かせてもらっていた寺からは、派遣という形で仕事の紹介状をもらっていたが、これがひどく俗っぽい事に、京の河原で行われる勧進能の運営手伝いの仕事だった。
勧進能とは、寺社や公共設備の建設や修理にあたり、有志からの寄付を募るために行われた能田楽などの興行を指す――横文字を用いてひらたく言ってしまえば、チャリティーコンサート。こうした興業の運営には、法務的なやりとりや、寄付金――庶民らが支払う入場料も寄付の一部になるが、実は貴族・政治家・商人らによる莫大な献金がその大部分を占める――の公正な帳簿(不正をするにしても正確な帳簿は必要だが)の管理などが絡む。こうした専門的な法務・財務の運用は、この時代では寺社の僧侶がもっぱら得意としていた。
(やってる事自体は郷でごろつきになってた頃とあまり変わらんのよな)
とおかしく思いながら、まだ若いその人は使い走りや雑務ばかりやらされている。
(しかし、これだけの金が流れている以上、汚職や着服はどこかしらにあるもんだな)
実をいうと、そういう不正を発見する事もなくはなかったのだが、その人はおおっぴらな告発はしなかった。ただの正義感で動いてもどうせろくな事にはならない。下手すれば、河原の薄暗がりでぼろくずのように手足を叩き折られるだけの結果になるだろう。叩き折っていた側なのでよくわかる。
監査の目が不正を発見しやすいよう、帳簿をそれとなく整理しておくだけで、放っておくことにした。
また、下っ端坊主として舞台設営の現場に出て、施工を管理する事もあった。こうした建設技術も寺院の僧侶たちが保有している特殊な知識技能の一つだったが、施工管理の中で特にやかましく言われた事に安全面の徹底があり、その指導の中で、よく十数年前の興行で起きた客席の崩落が、しばしば引き合いに出された。
四条河原の勧進田楽――桟敷崩れの田楽と呼ばれる大事故は、時の関白二条良基、天台座主承胤法親王、室町幕府将軍足利尊氏らが出席した、この時代の勧進興業の活気と熱狂を今に伝える一例として著名だが、現場としては大事故の教訓でもあった。
事故についてその人が少し興味を抱いたのは、この現場にも事故当時を知る人間――建設業者の上役だけでなく、舞台役者なども含まれる――がぽつぽつといて、彼らにとって事故は天狗の仕業によって起きた出来事、いわゆる天狗倒しだったと認識されている点だった。
(天狗か)
その人はちょっと懐かしさすら感じてしまった。
郷でごろつきになっていた頃、その手の連中もたびたび山から下ってきていて、異類異形として巷間に出入りし、どうやら戦乱にも積極的に加わっていて、その人たちともなかなかに近い存在だったのだ――やがて人間と交わって、存在を薄められて、あぶくのように消えそうに思えてしまうくらいに。
(もう、誰も人間とそうではないものの区別がつけられんのではないかな)
上古以来、人間は相変わらずあやかしやもののけの類をおそれている。しかしそのおそれ方は、生身の人間に対するそれと大差なくなってきているのではないか。
桟敷崩れの田楽にまつわる年配方の体験談を色々集めていくうち、どうしても彼らの口ぶりが、あの事故も天狗たちによるもので、足利将軍の暗殺を狙っていたものなのだろう、といった陰謀の話を多く聞いた。
(それはそれで結構な話だけれど、人を食い物にして、時として殺めるだけがもののけのおそろしさなら、私たちと連中の違いはもはや無いと思うんだがな)
と、呆れながらこうした話を集めてみると、当時の事故を目撃した田楽役者たちがこの現場にも何人かいて、彼らの口ぶりが(当然誇張混じりなのだろうが)いやにいきいきとしていた。
彼らはだいたい以下のような事を教えてくれた。
・当時、あの興行にはかなり素性のいかがわしい連中が関わっていた事。
・田楽役者たちは本座・新座といった派閥に分かれているが、明らかにそのどちらでもない、得体の知れない連中が楽屋裏にも出入りしていた事。
・事故当時、舞台上で見事な小拍子を披露して観客を狂騒に導いた新座の稚児は、事故の後に行方が知れない事。
・また、桟敷が倒壊する直前、将軍御座所の近くに練貫の着物があでやかな女天狗が目撃されている事。
・崩壊の直後、事故現場ではなぜか太刀や刀の奪い合いや斬り合いが発生したが、これは単なる火事場泥棒による争いだったのだろうと処理されている事。
(話としては結構なんだが)
やがて勧進能の興行は予定通り始まり、数日ほどして突如中止が決まった。南北朝の内乱は散発的な戦闘がずるずると続いていて、寺社の消息筋に伝わってきた情報によれば、大規模な攻勢によって京がまたしても戦場になる可能性が高いらしい。作りかけの舞台を解体する作業に数日を費やして、立ち消えるように勧進能の興行は終了した。
(私はなにごとも半端なまま、ろくに残す事ができない星の下らしいな)
例の不正を行っていた輩の変死体だけが、むなしくなった河原に残っている。
その人はその後も似たような勧進興行の手伝いなどを時々しているが、ほとんどは元いた寺に戻って庶務を行っている。が、もちろんこのまま坊主になるつもりなどはない。
(もの覚えは抜群に良いし、真面目にやっておれば宗門でもいっぱしの立場にはなれる、など周りには言われるが……)
そんな野心があれば、おとなしく寺に送られるような事がそもそもないまま、故郷の山河を取り巻く一帯で大悪党の頭目にでもなっていただろう。
(私はなにもかもできる人間のようだが、なにもかもが半端なようだ)
とも思うが、その原因もわかっていた。
(郷に帰ろう)
ある時、急に思い立ったように寺を辞したが、最初からそのつもりだったのだ。
もちろん急に出奔するわけではないし、世の中の情勢もまだまだ荒れている。出立するまでには少し時間がかかった。その間に法務や金融業務の引継ぎなども済ませてしまい、さて、そろそろ、といったところで、寺の知り合いから、旅の楽師とその弟子を、途中までの連れ合いとして紹介された。
(男のなりをしているが女だな)
と、その人は抜群の記憶力と観察眼によって、初対面の時点で直感したが、そんな秘密を掴んだところで、相手に迫るといった事はしなかった。性別の詐称などは旅芸人にはよくある事だったからだ(いまどき女旅は心もとない。男だって無事かどうかあやしいもの)。
長い連れ合いではなかった。畿内を出るところの関を越えると、彼女たちはおのれらの稼ぎを求めるために、宿場町に長逗留するつもりのようだった。せいぜい一日二日ほどの縁でしかない。
が、その程度の短い付き合いの中でさらに気がついてもいた。
(彼女たちは人間ではない)
身ごなしや、山越えの軽やかさ、それになにより女旅の心細さをちっとも感じていないらしいところから、その人はそのように見抜いた。
(天狗かなにかだろう)
別れる前の夜、彼女たちが宿場近くの寺のお堂を借りて演し物をしているのを見た。
演目は三本立てで、最初に奇術をまじえた放下(大道芸)、次に少し筋立てを持った謡いと舞いの劇、最後に祝言の無言劇めいた舞いを踊って、それでちょんちょん。
そうした番組編成の、中ほどに置かれた劇の筋立てが異様で、やっぱり彼らは天狗かなにかだったのだな、とその人は思った。
構成は、後代に成立する夢幻能の形式に近い。弟子がワキとなって諸国一見の僧を演じ、由緒や因縁のある故地を巡っていく。その中でワキは忽然とシテと行き合う。この忽然というものがどうやら重要らしく、ワキは、当初どうという身構えもなくシテと会話をしていくうち、徐々に異界に引き込まれ、相手が異類であり超常の存在なのだという事を察していく。やがてシテは豹変し、ワキにつらつらつらと語るその口上は、過去の残念のようでも、将来への提言のようでもある。
(豊富な記憶は豊富な暗合を産む)
とも思った。たとえ、以前ちょろっと興味を持った程度の四条河原の勧進田楽の事故が、劇の主題になっていた程度でも。
(劇中、ワキ僧の前に現われたシテ役の天狗は、あの桟敷崩れを天狗のいたずらなどではない、と弁明した。といってただの自然な事故とも言っていない。あれは正八幡大菩薩・春日大明神・山王権現の憤懣であり、そうしたものが堅牢地神を驚かせてしまったのは、世の為政者に徳がないからだ、云々……)
そうした胡乱な謡いをまじえて舞台上に舞うシテは面をつけていたが、ある瞬間、客席にいるその人を、見透かすように見つめてきた、気がする。ひょっとすると、面越しに、客のすべてに向けてそうした視線を送っていた可能性もあるが。
(妙なものを見たな)
翌日、朝早くにひとりで出立して、薄明るい峠の道行きをとぼとぼしながら考えた。
(奴らは別にめずらしい連中ではないが、ああいうのを見つけるにはこつがいる。……というよりは、そういうものを見つける目が必要だ。その目がなければ、誰も彼らを発見できない)
ワキとシテの関係と一緒だ。
(舞台を支配して動き続けているのはシテで、ワキはそれを見出して見届ける事しかできない、無力の存在だ。だが、そもそも見出して見届けるという事はそれじたいが稀有の能力でもある。発見してあげられる能力――ワキのそれがなければ、シテは最初からいないも同然、謡う事も舞う事もままならない)
彼ら妖怪は人々から無視されつつあった。おそれられてはいるし、なにか事が起これば、そうした超常のしわざなのではないかと取り沙汰もされる。しかしそのおそれからは、なにか大事なものが抜け落ちかけている気がした。
(その点では、私の縁起の仕事も一緒だな。なにかしら抜け落ちかけている。だから自分の使命なども見つからない――あるいは、稗田の子が当初の目的としていた使命は、実はもう完了してしまっているのかもしれない)
ここ数年の思索の中でうっすらと感じていた事だった。
(探しているなにかがいつまでも見つからない時、それがきっと今もあると幻を見続けるのはひとつの信念なので悪い事ではないが、自分に誠実とは言えない。おそらく私はもう用なしだ。天狗の彼らと同じように)
いつしかすとんと腑に落ちてしまっている。
(それならそれで、だ。使命などないのなら、私は私でなにか別の事をでっちあげればいい。それを一族の使命にして、自分で自分を信じ込ませてみよう。まやかしめいているかもしれないが、難しい事ではない。なぜならすべてを残す事は――)
山の風が吹き上がり、山肌が寒気を感じたようにぞわぞわと木々を逆立たせた。その人は考え事から引き戻された後もまだぼんやりしていて山道から薄く細くすじのように見える青い空から舞い降りてきた天狗たちは今朝別れた楽師たちでその彼女たちが稗田阿悟をひょいと持ち上げてしまい連れ去っていったその場面を目撃した者は誰もいない。
その人は机に向かっていたが、別に夢から覚めたわけではない事がわかるその理由は、自分が老け込んでしまっているからだった。書院の中で十年過ごすのも外で十年過ごすのも結局は何も変わらない、と突きつけるようになにも書かれていない草稿が机の上に置きっぱなしになっている。紙は、楮のくずの部分を使った荒い繊維で、日焼けしたように干からびていた。
屋敷内を巡ってみると、家人らは、その人に対して多少よそよそしいものの、年数相応に老けたり成長したり物故しながら、以前とほぼ変わりなく生活しているようだった。
(それでもなにかがおかしい)
と、その人は思った。
× × × × ×
五百年以上前の逸話である。人口の増加により、人間に押され気味だった幻想郷の妖怪の勢力を回復する為に、紫が立案、実行した。
これ以前の幻想郷は単なる人里離れた山奥に過ぎなかったが、幻想郷の周りに幻と実体の境界を創り、論理的に世界を創ってしまおうという計画である。
幻想郷の中を幻の世界、外の世界を実体の世界とする事で、外の世界で勢力が弱まってきた妖怪達を自動的に幻想郷に呼び込んでしまうという画期的なものである。
これにより、日本の外の国からも妖怪が移民してくる様になった。境界の効果は現在も続いている。
また、この計画の賢い所は、外の世界で妖怪が消えれば消えるほど、幻想郷では妖怪が強くなる事だ。外の世界が人間の天下である以上、幻想郷では妖怪の天下が続いている。
× × × × ×
この当時、幻想郷ではある政策が実行されていた。
しかし、それが最初から一貫した政策として存在していたかといえば、かなりあやしい。一連の流れを説明する言葉は当時存在せず(たとえあったとしても現代には残っておらず)、後に九代目御阿礼の子、稗田阿求がそれらをひとまとめにして、現代風の言葉として説明したのが実情なのだろう。
阿求がそれに名前をつけて以来、一連の政策は妖怪拡張計画と呼ばれている。
評価に困る政策である。
評価に困るその理由は、先にも述べたようにかなりなし崩し的な施策の連打だったらしい事、数百年にわたって続く混乱の直接的な原因となった事、なにより人間――具体的にいえば、後に人里と呼ばれる地域、集村化されつつある平地集落の人々――を決定的に敵に回してしまった事。
ゆえに妖怪拡張計画は失政とされている。だが妖怪社会には本質的に失政というものが存在せず、歴史的評価は常に浮遊している。人間との敵対関係にしたところで、なにもこの時代に始まったものではない。当時、妖怪たちは薄められあぶくのように消え去りかけていて、自分を発見する者を求めていた。その欲求のため、それまでなんとなく寄り添っていた者たちと敵対して滅ぼしあっても構わないほどに。
結論、妖怪拡張計画は誰もやりたがらないが、誰かがやらなければ先細りと破綻が見えている、そうした時代のあがきだった。
泥をかぶったのはひとりの妖怪の賢者だ。
別乾坤に送られた稗田阿悟は、やがて不本意ながらも自分の使命を発見する。そこで彼の思春期は終わった。
妖怪たちの思春期が始まってしまった。
御阿礼の子のそれぞれの性格や人格が独立しててかつそれでも自認がある意味自分なのは面白いですね。
稗田も幻想郷も自分たちの在り方を確立する必要に駆られた南北朝時代でした
ぼちぼち安定してきたかと思わせて実は一番の断絶の危機だったのでは