「もう、口に押し込めばいいじゃない」
「後々のことを考えますと……」
館の主、レミリアは従者である咲夜から報告を受けていた。なんでも、妹のフランドールが食事に手を付けないせいで、いつまでたっても食器を片付けられないというのだ。しかも、はじめは体調不良か精神によるものかと心配した姉であったが、配膳を無視し寝台にてだらしない姿勢で本を読むのをやめないという状況を聞くと、その心配が裏返り今度は呆れがのしかかった。
「確かに後を考えればそうね。それじゃあ、私があの子に直接言いに行った方がいいかしら」
「お願いいたします」
食事を口に押し込めというのはさすがに冗談ではあったが、それはさておき、片付けが進まないことと肉親が意味もなく食事を抜いていること、レミリアには当然どちらも歓迎する気にはなれなかった。
「大人しくしているかと思ったら、問題をまた起こして……本当にあの子ったら……」
「それでもお気遣いなさるお嬢様は妹様を本当に大事に思われているのですね」
「ふうん?貴女、片付けを進められそうだから機嫌がいいだけでしょう?」
「まあ、そんなことはありませんわ」
二人が階段を下りていくと次第に周囲が薄暗くなっていく。正確にはさらに薄暗くなっていく。というのも、館の地上階には窓があるとはいえ、吸血鬼の館であることから遮光されておりもとより薄暗い。しかし、地下のそれはまた別である。音がくぐもりながら響き、灯りの届かない廊下の隅には漆黒が根を張っている。掃除は行き届いているが、洋館の地下室という環境の特殊性は別である。これに至っては覆すことは難しい。常人であればここに長い間留め置かれると精神に異常をきたしても何ら不思議はない。温度は安定しているとはいえ、空気の流れを感じられるのは地下へ入り口が開くときのみ。それ以外のときは、根を張る暗闇と滞留した空気の圧迫感が常に存在しない咎を責め立て続ける感覚に襲われる。二人はそのような廊下を進み続け、やがて前に比較的大きな扉が姿を現した。
「フラン、入るわよ」
レミリアは扉をノックし声を掛けたが中から返事はない。しかし、その部屋の主の物と思われる異様な気配と、魔力と言うべきであろうか、力の圧は隠されていない。もとより隠す気もないらしい。やがて、外側からドアノブがゆっくり回された。
「うわ出た」
「何が出たのよ」
「出たというより入っただった?」
「……」
部屋に入った姉が目にしたのは、鈍い銀色の光沢を放つ配膳のための盆に乗ったまま手を付けられていない紅茶とケーキ、本などで散らかった床、そして寝台の上でなぜか背支持倒立の体勢をとりながら何らかの本を読んでいる妹の姿であった。
「妹様。冷めてしまった紅茶を淹れ直しますよ。」
「血は摂氏50度ぐらい以上だと固まっちゃうし、そもそも咲夜がいつも淹れてくれてる紅茶って初めからぬるいしあんまり変わらなくない?」
「……」
咲夜の真顔を見てレミリアは思わず咳払いをした。
「ごほん。フラン、まずはその姿勢をどうにかなさい」
「えー……せっかく読書しながら運動不足を解消するチャレンジしてたのに……」
「こんな姿見られたら笑いものにされるわよ。ここならいいと思ってるかもしれないけれど、日頃からちゃんとしてないと、人前でふとした時に出るかもしれないわよ」
「ストレッチってそんなに社会的に危ないものだったの?」
「……」
レミリアはため息とも断じられないほど小さく息を吐くと目をかすかに細めた。そしておもむろに寝台に寄ると、背支持倒立しているフランドールがその胴体に立てかけていた本をかっぱらった。
「そのどっちつかずの意味不明な行動をやめなさいって言ってるの。それと早く食事を済ませて。咲夜が片付けられないじゃない」
ふと本の内容を確認しようとしたレミリアであったが、よくわからない言語で書かれていることを察すると、そのまま閉じて左手に抱え直した。
「ああっ!アヴニが持っていかれた!身抜きの魚フライを配膳するなんて!」
「……はあ。また変な本に影響を受けてるのね。魚フライでもなんでもいいから、早いところ食べなさい」
「むー」
フランドールはしぶしぶと背支持倒立をやめテーブルに着くと、細く美しい蝋人形のような指でティーカップの位置を整え、フォークを軽く持った。
「何が『むー』よ。みんなあなたを待ってるの。はいはい食べた食べた。……ところで咲夜、アヴニってなによ」
「存じ上げません。そのため今しがた図書館まで行き、パチュリー様に事情を伝えて伺いました」
「相変わらず行動が早いわね」
「パチュリー様は微笑みを浮かべながら『それならデヴレティ・アリーイェのアブール・ファトのことよ』とおっしゃられ……おそらくお嬢様がからかわれていらっしゃるのかと……」
「最後のは言葉にしなくてもいいわよ!」
フランドールはほくそ笑んでいるとしか言えない表情をしながらその様子を眺めつつ、手元だけは美術品のような美しさを持つ所作でケーキを口に運んでいる。
「なによその顔」
「別に?いやあ、まさかお姉さまともあろうお方がねえ……って」
「五月蝿いわね。アヴニでもアブー……?とにかく知らなくても困らないし、変な本の知識クイズなんかどうでもいいのよ。さっさと食べたら食器を咲夜に渡しなさい」
「はーい」
満足したのか、フランドールは生地屑一つ残さずに最後の一口を終えると、慣れた手つきで食器を丁寧にそろえて盆ごと咲夜に手渡した。その様子を見て、ようやくひと段落付いたと判断したレミリアはため息をつくと、咲夜に一声かけて扉に向き直した。だがその時、後ろからふと妹の声がした。
「ちなみに、知らなくてもいいってこと言ってたけど……さっきのメフメト2世のことだよ。その詩集読んでたの」
「はぁ!?」
レミリアは思わず叫んだ。人間からしたらどうでもいい事柄でも妖怪にとってはそうではないことは多々存在する。このメフメト2世という人物は何を隠そう、吸血鬼という存在の由来である逸話の一つに関わる当事者であり、レミリアが末裔を自称したことがあるヴラド・ツェペシュの宿敵に他ならない。ツェペシュの子孫なのは自称であるとはいえ、メフメト2世を知らないという態度を良しとすることは何よりもレミリアの吸血鬼としてのアイデンティティの危機に繋がりかねない。
「あんたが変な呼び方してたから分からなかっただけよ!さすがに知ってるわよ!」
「でもパチュリーは分かったみたいだけど?」
「パチェも含めて意地が悪いのが問題よ。……まったく。なんでそんなものを読んでたのかは知らないけども……本は返すわ。だけど咲夜には迷惑をかけないこと。わかった?」
「はーい」
まったく反省してなさそうな妹に返し忘れていた本を渡したレミリアは、少しむっとした顔をして従者と共に部屋を後にした。
残されたフランドールは本を再び開いた。
「どこだっけ……この辺のような……あっこれだ」
先ほど閉じられたページを再び開いた。そこにはかつて「ドラキュラ」と対峙したときの顔とは違う、恋の路に迷える顔をした男の詩が著されていた。
「後々のことを考えますと……」
館の主、レミリアは従者である咲夜から報告を受けていた。なんでも、妹のフランドールが食事に手を付けないせいで、いつまでたっても食器を片付けられないというのだ。しかも、はじめは体調不良か精神によるものかと心配した姉であったが、配膳を無視し寝台にてだらしない姿勢で本を読むのをやめないという状況を聞くと、その心配が裏返り今度は呆れがのしかかった。
「確かに後を考えればそうね。それじゃあ、私があの子に直接言いに行った方がいいかしら」
「お願いいたします」
食事を口に押し込めというのはさすがに冗談ではあったが、それはさておき、片付けが進まないことと肉親が意味もなく食事を抜いていること、レミリアには当然どちらも歓迎する気にはなれなかった。
「大人しくしているかと思ったら、問題をまた起こして……本当にあの子ったら……」
「それでもお気遣いなさるお嬢様は妹様を本当に大事に思われているのですね」
「ふうん?貴女、片付けを進められそうだから機嫌がいいだけでしょう?」
「まあ、そんなことはありませんわ」
二人が階段を下りていくと次第に周囲が薄暗くなっていく。正確にはさらに薄暗くなっていく。というのも、館の地上階には窓があるとはいえ、吸血鬼の館であることから遮光されておりもとより薄暗い。しかし、地下のそれはまた別である。音がくぐもりながら響き、灯りの届かない廊下の隅には漆黒が根を張っている。掃除は行き届いているが、洋館の地下室という環境の特殊性は別である。これに至っては覆すことは難しい。常人であればここに長い間留め置かれると精神に異常をきたしても何ら不思議はない。温度は安定しているとはいえ、空気の流れを感じられるのは地下へ入り口が開くときのみ。それ以外のときは、根を張る暗闇と滞留した空気の圧迫感が常に存在しない咎を責め立て続ける感覚に襲われる。二人はそのような廊下を進み続け、やがて前に比較的大きな扉が姿を現した。
「フラン、入るわよ」
レミリアは扉をノックし声を掛けたが中から返事はない。しかし、その部屋の主の物と思われる異様な気配と、魔力と言うべきであろうか、力の圧は隠されていない。もとより隠す気もないらしい。やがて、外側からドアノブがゆっくり回された。
「うわ出た」
「何が出たのよ」
「出たというより入っただった?」
「……」
部屋に入った姉が目にしたのは、鈍い銀色の光沢を放つ配膳のための盆に乗ったまま手を付けられていない紅茶とケーキ、本などで散らかった床、そして寝台の上でなぜか背支持倒立の体勢をとりながら何らかの本を読んでいる妹の姿であった。
「妹様。冷めてしまった紅茶を淹れ直しますよ。」
「血は摂氏50度ぐらい以上だと固まっちゃうし、そもそも咲夜がいつも淹れてくれてる紅茶って初めからぬるいしあんまり変わらなくない?」
「……」
咲夜の真顔を見てレミリアは思わず咳払いをした。
「ごほん。フラン、まずはその姿勢をどうにかなさい」
「えー……せっかく読書しながら運動不足を解消するチャレンジしてたのに……」
「こんな姿見られたら笑いものにされるわよ。ここならいいと思ってるかもしれないけれど、日頃からちゃんとしてないと、人前でふとした時に出るかもしれないわよ」
「ストレッチってそんなに社会的に危ないものだったの?」
「……」
レミリアはため息とも断じられないほど小さく息を吐くと目をかすかに細めた。そしておもむろに寝台に寄ると、背支持倒立しているフランドールがその胴体に立てかけていた本をかっぱらった。
「そのどっちつかずの意味不明な行動をやめなさいって言ってるの。それと早く食事を済ませて。咲夜が片付けられないじゃない」
ふと本の内容を確認しようとしたレミリアであったが、よくわからない言語で書かれていることを察すると、そのまま閉じて左手に抱え直した。
「ああっ!アヴニが持っていかれた!身抜きの魚フライを配膳するなんて!」
「……はあ。また変な本に影響を受けてるのね。魚フライでもなんでもいいから、早いところ食べなさい」
「むー」
フランドールはしぶしぶと背支持倒立をやめテーブルに着くと、細く美しい蝋人形のような指でティーカップの位置を整え、フォークを軽く持った。
「何が『むー』よ。みんなあなたを待ってるの。はいはい食べた食べた。……ところで咲夜、アヴニってなによ」
「存じ上げません。そのため今しがた図書館まで行き、パチュリー様に事情を伝えて伺いました」
「相変わらず行動が早いわね」
「パチュリー様は微笑みを浮かべながら『それならデヴレティ・アリーイェのアブール・ファトのことよ』とおっしゃられ……おそらくお嬢様がからかわれていらっしゃるのかと……」
「最後のは言葉にしなくてもいいわよ!」
フランドールはほくそ笑んでいるとしか言えない表情をしながらその様子を眺めつつ、手元だけは美術品のような美しさを持つ所作でケーキを口に運んでいる。
「なによその顔」
「別に?いやあ、まさかお姉さまともあろうお方がねえ……って」
「五月蝿いわね。アヴニでもアブー……?とにかく知らなくても困らないし、変な本の知識クイズなんかどうでもいいのよ。さっさと食べたら食器を咲夜に渡しなさい」
「はーい」
満足したのか、フランドールは生地屑一つ残さずに最後の一口を終えると、慣れた手つきで食器を丁寧にそろえて盆ごと咲夜に手渡した。その様子を見て、ようやくひと段落付いたと判断したレミリアはため息をつくと、咲夜に一声かけて扉に向き直した。だがその時、後ろからふと妹の声がした。
「ちなみに、知らなくてもいいってこと言ってたけど……さっきのメフメト2世のことだよ。その詩集読んでたの」
「はぁ!?」
レミリアは思わず叫んだ。人間からしたらどうでもいい事柄でも妖怪にとってはそうではないことは多々存在する。このメフメト2世という人物は何を隠そう、吸血鬼という存在の由来である逸話の一つに関わる当事者であり、レミリアが末裔を自称したことがあるヴラド・ツェペシュの宿敵に他ならない。ツェペシュの子孫なのは自称であるとはいえ、メフメト2世を知らないという態度を良しとすることは何よりもレミリアの吸血鬼としてのアイデンティティの危機に繋がりかねない。
「あんたが変な呼び方してたから分からなかっただけよ!さすがに知ってるわよ!」
「でもパチュリーは分かったみたいだけど?」
「パチェも含めて意地が悪いのが問題よ。……まったく。なんでそんなものを読んでたのかは知らないけども……本は返すわ。だけど咲夜には迷惑をかけないこと。わかった?」
「はーい」
まったく反省してなさそうな妹に返し忘れていた本を渡したレミリアは、少しむっとした顔をして従者と共に部屋を後にした。
残されたフランドールは本を再び開いた。
「どこだっけ……この辺のような……あっこれだ」
先ほど閉じられたページを再び開いた。そこにはかつて「ドラキュラ」と対峙したときの顔とは違う、恋の路に迷える顔をした男の詩が著されていた。
駄々をこねている妹様がかわいらしかったです
ため息つきながらもかまってあげているレミリアにお姉ちゃん味を感じました
あとメフメト2世の詩人としての側面は普通に知らなかったので勉強になりました