「ふふ。私ね、識ってしまったのよ。魔理沙と霊夢の間には、途方もない秘密があるってことを……!」
「そりゃまあ、あの二人になら秘密の一つや二つはあるんじゃないの?」
「えっ、うどんさんってあの二人のことよく知ってるの?」
「私はうどんさんじゃない。まあ、なんだかんだ付き合いは長いからね。永遠亭が外に開いてからそれなりに経つわけだし」
鈴仙は、息を吐き落としながらそう言った。
目の前、金髪の少女がぺたりと座り込んでいるのは貝の上ではない。何処にでもある、お布団の上だ。博麗神社に常備された、お客様向けの布団の上。
永遠亭と比べれば狭い神社の中は、しかし住居としては広いほうだ。少なくとも、宴会の後に知り合いたちを泊まらせるくらいには。
……宴会の後にお泊りパーティをやるわよ、とは聴いていたけど。知ってる顔しかいないと思ってたのになー。
ついさっきまでは顔なじみと話していたはずなのに、いつの間にか見たことのない妖怪に絡まれていた。師匠からこの妖怪についての話を聴いていたのは幸いだったが――最近引きこされた異変に関わっているらしい。異変が起こっていたこと自体初耳だったが――話通りに、精神に不調をきたしている存在のようだ。
渡里ニナ。女神のような肉体とは裏腹に、精神はどこまでも子供であるらしい。よくみれば髪の手入れも碌にしていないようで、外見にも未熟さが見え隠れしている。そしてこの人懐っこい性格は、はたして美点と呼ぶべきかは難しいところだ。
自分は人見知りする方ではない、とは思う。幻想郷にやって来たばかりの頃ならばいざ知らず、最近は薬屋としての経験も手伝って、ヒトと話すことは楽しいとすら感じる。
それでも。この相手には少しばかりの気まずさを覚えざるを得ない。なにせこの妖怪が変質した理由の多くは、己の故郷にこそあるのだから。
「ええっと、うどんさんって月の兎なのよね? それなのに魔理沙たちと付き合い長いんだ」
「うどんさんじゃなくてウドンゲ……いやいや、鈴仙ね」
「鈴仙は月の兎なんでしょう?」
「今は地上の兎よ」
「あ、そうなの。じゃあ地上の人間は月に辿り着いてはいないって真実も知らないのかあ」
「……あー、それは本当よ。ううん、あんた本当に噂通りの奴ねえ……」
さっきからこの調子だ。一言二言助言してやればすぐに“真実”とやらの間違いに気が付くのだが、とにかく保持している情報が汚染されている。この眼で視てみても、ノイズが酷く波長どころの話ではない。
最近は魔理沙が傍について面倒を見ているらしい。あの意地悪なようで真面目な人間のことだ、さぞかし苦労しているのだろう。
その魔理沙は神社の裏手で霊夢と二人きりで夜風に当たっている。少しばかり眼に力を入れて視線を飛ばして視てみると、何やら短い波長が二つばかり観測された。背の高い方は非常に短い波長を持っていて、低い方はそれなりの長さを持っていた。つまりはいい感じに楽しくやっているらしい。
……うん。友達のそーいうところなんて、視ない方がいいわよねー。
「で、魔理沙と霊夢がなんだっけ?」
「あっごめん、話がずれていたわ。そうそう私、あの二人が秘密を持っていることを……秘密を共有していることに氣づいてしまったの!」
「ふーん」
先程も告げたことだが、霊夢と魔理沙が秘密を持っているなんてことは驚くに値しない。
例えばあの二人が付き合っていることを本人たちは――というか霊夢が――秘密にしているようだが、端から見ればバレバレである。
霊夢の反応が面白いからとみんなで気が付かないようにしているが、なんとも意地の悪いことだ。その中に自分も入っているのだからヒトのことは言えないが。
そしてその中に入っていない新参者にすら、今この場で秘密を暴かれようとしているというわけだ。南無。
とはいえ。ニナが二人にどのような誤解をしているのかは気に掛かるところだ。二人の友人として、陰謀めいた誤解は解いておかなければならないと思うだけの良心はある。
なのでテンション上げて目をキラキラさせるニナに一応質問をしてみると、
「聴いてあげるけど、どんな秘密を持っていると思ってるの?」
「ふふふ、聴いて驚かないでよ。なんとあの二人は――同じ日に爪を切っているのよ」
「は?」
「私この間見てしまったのよ。魔理沙と霊夢の爪が全く同じ日に短くなっているのを。その前の日に二人に会ったときには、間違いなく伸びていたのによ!」
「はあ」
「それによ? 私二人に爪を切った理由を聞いたのよ。そしたら霊夢はなんて言ったと思う? なんと顔を真っ赤にしながら気のせいじゃないのって誤魔化したのよ、必死になって!」
「あー? あ……あ。あー、ああ……」
恋人同士が、同じタイミングで爪を切っていた。
そう聞いて、ひとつ発想することがあった。そして霊夢の反応を鑑みるに、その発想は恐らく間違っていないのだろう。自分自身はそんなことをした経験があるわけではない。今後もきっとないだろう。
しかしながら、だ。
……なるほどねえ。二人もそういうことに興味あるんだ。べつに意外でもないけど。
そういう関係の二人が、そういうことをする場合は、爪を切ると聴いたことはある。相手の身体を傷つけないように、短く切ってやすり掛けもするのだとか。
つまりこれでニナも二人の関係性を知る側になったということだ。南無南無。
「あー、うん。それじゃあニナ、二人には秘密を知ったことを伝えない方がいいわね。魔理沙はともかく霊夢は恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれないから――」
「何言ってるのよ鈴仙! こんな邪悪は一刻も早く暴かれなければならないわ!」
「……ん?」
「力ある巫女と魔女の爪を同時に切り落としただなんて! これはきっと、かの邪神を降臨させるべく構築された儀式の下準備に違いないわ!」
「はあ」
「ほら、御伽噺にも出てくるでしょう? 魔女がイモリの尻尾やコウモリの目玉、それに魔女の爪を大鍋で煮込んで怪しげな薬を作るって! つまり魔理沙と霊夢は幻想郷を転覆させるような大儀式を画策しているのよ!」
「……やれやれ」
どうやらニナの知識はそれ自体が汚染されているだけではなく、頭の中から導き出される答えにさえノイズを走らせるようだ。
適当な与太話など、好き勝手に言わせておくことはできる。どうやらニナの方向性を修正する役割は魔理沙が担当しているようで、自分などたまたま居合わせただけの他人なのだから。
それでも。
……ま、そうね。
「だから鈴仙あなたも騙されちゃ駄目よ! 幻想郷が滅ぶところを見たくなければ今すぐ二人を、って、あ痛っ! 何するのー!?」
「何って見てのとおりデコピンよ。あのね、目の前で友達を悪く言われたらそりゃ私だって怒るわよ?」
「あ……う、ごめん」
「で、私からはもうひとつ。今度は医療従事者の立場でね。爪を切るっていうのは……うん、目的があってすることなのよ」
「目的?」
「そ。身体を清潔に保つ、事故で爪が剥がれないようにする、それになにより――相手を傷つけないようにするって目的があるの」
笑い話ならば与太話を振りまいたっていいだろう。世界や宇宙の在り方に嘘をつかれたとて、自分には関係のない話だ。
けれど。知っている誰かを貶める嘘を見逃せるほど自分の心は荒んでいない。
たかが爪切り。でもそれは相手を思っての行為に違いはない。そんな行為を悪いことだと誤読しているのならば、治したくなるのは当たり前のことだった。
「まったくもう。ほらニナ、手を出して」
「へ? う、うん」
「あーほら、爪が伸びてる。異変とやらが終わってからこっち、身の回りの手入れしてないんでしょ? だから爪を切るだなんてフツーの出来事に対して有りもしないでたらめを発想するのよ」
「うう……また私やっちゃったの……?」
「自覚が早くて助かるわ。駄目よ? 身近な相手が悪いことをしているだなんて妄想は」
……なーんて。私だって昔は、月の皆が人間に負けるだなんて嘘を信じてしまってたんだけど。
思い込みで地上まで逃げてきたことが、今にまで続く幸いに繋がったのはただの偶然だ。運がよかっただけよねと思うと知り合いのしたり顔が思い浮かんできたので想像の中で殴り飛ばしておく。
けど、そんな自分だから言えることがある。
「腕と身体を貸して」
「えっ」
「爪、切ってあげるから」
「う、うん」
他人の爪を切るときは、腕を脇に抱えるように確保して、こちらの左手で相手の右手を掴むのがコツだ。ふいに動かれても大丈夫だし、月兎の身であれば相手を力任せに押さえ込むこともできる。
ぱちんぱちんと爪を切り、布団の上に敷いた紙の上に落としていく。
「ん……爪切りの道具、いつも持ち歩いてるの?」
「仕事柄ね。たまにやるのよ、今日だって仕事帰りだし。あ、消毒はしてるから安心しなさい」
「仕事?」
「里人向けに薬を補充するだけの仕事……だったんだけど、いつの間にか人間の世話も少しだけするようになったのよ。あいつら、ちょっと見てないとすぐに怪我はするし病気になったりするんだから」
「……そっか。やっぱり月の兎じゃなくて、地上の兎なんだ」
「そうね。だからまあ、霊夢と魔理沙のことも含めて……人間のたちのことは正しく理解してほしいのよ」
「霊夢と魔理沙と、里人のことを?」
「……ついでに外の人間のことも、かな。これでも地上のことは気に入ってるのよ。地上の民になった身としてね」
先程ニナは、人が月に辿り着いたことは陰謀だと言った。
故郷の月、静かの海。かの跡地に残された人類の轍を肯定することは容易だ。あの星条旗をこの眼で目視したと言えばいいのだから――月の兎のままであったならば。
今は違う。今の自分は地上の兎なのだから、事実以外の意思で地上のコトを肯定したいと思う。
爪を切る行為は相手を思いやるからこそ行われることで。
人類は誰かから想いを託されたからこそ月に辿り着いて。
霊夢と魔理沙もそんな、思いやり思いやられる普通の人間なのだと、真実を伝えたいと思ったのだ。
「はあ仕方がない。あんた、たまに永遠邸に来なさい。私がカウンセリングしてあげる」
「永遠邸……! 宇宙人の巣窟、日々人類をアブダクションしていると噂のあの……!?」
「半分は正解だからたちが悪いわねー……ま、私の故郷がニナをそういうふうにしてしまったみたいだし。私も少しは面倒を見るわよ」
「……毎日爪を切ってくれるってこと?」
「毎日はしないわよ。というか次回は一人でやりなさいよ」
「えー」
言う内に左手の爪も切り終える。腕を開放してやれば、ニナは両手の先を見て目を輝かせていた。初めての体験がよっぽど嬉しかったと見える。
「ええと、ありがとう?」
「どういたしまして」
「もしかして鈴仙って優しいヒト?」
「そんなわけないじゃない。私はただ……うん、ただの地上の兎よ」
勘違いをしていて、臆病者で、周りに居心地の悪さを覚えていたかつての自分はもういない。
今の自分が正しいのかはわからないけれど、今が一番いいと感じているのは確かだ。
だから。例えニナが、ノイズだらけの心を持つ変質した妖怪だとしても。
自分が変われたように、きっとニナも変われるはずなのだ。悪意ある陰謀を抱くのではなく、視界の届く先を肯定する存在に。
霊夢や魔理沙の影響で。あるいはひょっとすると、自分が手を貸すことで。
当たり前にお布団の上で笑いあえる、そんな地上の民に。
「……そっか。じゃあ今度永遠邸に宇宙人捜しにいこうかな」
「歓迎するわ。取って捕まえることはないから安心しなさい」
「あ、でも」
「ん?」
「じゃあ結局二人が同時に爪を切っていたのって偶然だったの? なにかの符号を感じたのは気のせいだったの……?」
「う」
形はともあれ嘘はいけないと言ったばかりだ。誤魔化すことは容易ながら、今更ふてぶてしく嘘をつく気にはなれなかった。
なのでとりあえず少しばかり不義理ながら、差し障りのない事実を言っておくことにする。
「あーほら、霊夢と魔理沙はとっても仲がいいっていうか、私との関係とはまた形が別っていうか、距離が近いというか、だからお互いを思いやって爪を切ったというか、そういう感じじゃない?」
「うーんよくわかんない……そのあたりどうなの、魔理沙?」
「は?」
ニナの言葉に背後を振り向けば、いつの間にか部屋に戻ってきていた二人の姿があった。
肩をすくめて苦笑する魔理沙と、その隣で茹で上がっている霊夢を見て、ニナは笑顔でこう言った。
「鈴仙が教えてくれたの、魔理沙と霊夢はお互いを傷つけないように二人で爪を切ったんだって。それってどういうこと? 悪いコトをしていないって事実は信じることにしたんだけど、それでもやっぱり気になるわ。仲良しで距離が近い関係だとどうしてそんなことになるのか私に教えて……ちょっと霊夢! 霊夢! いきなり鈴仙を殴り始めてどうしたの! 目は駄目よ! 霊夢!!」
「そりゃまあ、あの二人になら秘密の一つや二つはあるんじゃないの?」
「えっ、うどんさんってあの二人のことよく知ってるの?」
「私はうどんさんじゃない。まあ、なんだかんだ付き合いは長いからね。永遠亭が外に開いてからそれなりに経つわけだし」
鈴仙は、息を吐き落としながらそう言った。
目の前、金髪の少女がぺたりと座り込んでいるのは貝の上ではない。何処にでもある、お布団の上だ。博麗神社に常備された、お客様向けの布団の上。
永遠亭と比べれば狭い神社の中は、しかし住居としては広いほうだ。少なくとも、宴会の後に知り合いたちを泊まらせるくらいには。
……宴会の後にお泊りパーティをやるわよ、とは聴いていたけど。知ってる顔しかいないと思ってたのになー。
ついさっきまでは顔なじみと話していたはずなのに、いつの間にか見たことのない妖怪に絡まれていた。師匠からこの妖怪についての話を聴いていたのは幸いだったが――最近引きこされた異変に関わっているらしい。異変が起こっていたこと自体初耳だったが――話通りに、精神に不調をきたしている存在のようだ。
渡里ニナ。女神のような肉体とは裏腹に、精神はどこまでも子供であるらしい。よくみれば髪の手入れも碌にしていないようで、外見にも未熟さが見え隠れしている。そしてこの人懐っこい性格は、はたして美点と呼ぶべきかは難しいところだ。
自分は人見知りする方ではない、とは思う。幻想郷にやって来たばかりの頃ならばいざ知らず、最近は薬屋としての経験も手伝って、ヒトと話すことは楽しいとすら感じる。
それでも。この相手には少しばかりの気まずさを覚えざるを得ない。なにせこの妖怪が変質した理由の多くは、己の故郷にこそあるのだから。
「ええっと、うどんさんって月の兎なのよね? それなのに魔理沙たちと付き合い長いんだ」
「うどんさんじゃなくてウドンゲ……いやいや、鈴仙ね」
「鈴仙は月の兎なんでしょう?」
「今は地上の兎よ」
「あ、そうなの。じゃあ地上の人間は月に辿り着いてはいないって真実も知らないのかあ」
「……あー、それは本当よ。ううん、あんた本当に噂通りの奴ねえ……」
さっきからこの調子だ。一言二言助言してやればすぐに“真実”とやらの間違いに気が付くのだが、とにかく保持している情報が汚染されている。この眼で視てみても、ノイズが酷く波長どころの話ではない。
最近は魔理沙が傍について面倒を見ているらしい。あの意地悪なようで真面目な人間のことだ、さぞかし苦労しているのだろう。
その魔理沙は神社の裏手で霊夢と二人きりで夜風に当たっている。少しばかり眼に力を入れて視線を飛ばして視てみると、何やら短い波長が二つばかり観測された。背の高い方は非常に短い波長を持っていて、低い方はそれなりの長さを持っていた。つまりはいい感じに楽しくやっているらしい。
……うん。友達のそーいうところなんて、視ない方がいいわよねー。
「で、魔理沙と霊夢がなんだっけ?」
「あっごめん、話がずれていたわ。そうそう私、あの二人が秘密を持っていることを……秘密を共有していることに氣づいてしまったの!」
「ふーん」
先程も告げたことだが、霊夢と魔理沙が秘密を持っているなんてことは驚くに値しない。
例えばあの二人が付き合っていることを本人たちは――というか霊夢が――秘密にしているようだが、端から見ればバレバレである。
霊夢の反応が面白いからとみんなで気が付かないようにしているが、なんとも意地の悪いことだ。その中に自分も入っているのだからヒトのことは言えないが。
そしてその中に入っていない新参者にすら、今この場で秘密を暴かれようとしているというわけだ。南無。
とはいえ。ニナが二人にどのような誤解をしているのかは気に掛かるところだ。二人の友人として、陰謀めいた誤解は解いておかなければならないと思うだけの良心はある。
なのでテンション上げて目をキラキラさせるニナに一応質問をしてみると、
「聴いてあげるけど、どんな秘密を持っていると思ってるの?」
「ふふふ、聴いて驚かないでよ。なんとあの二人は――同じ日に爪を切っているのよ」
「は?」
「私この間見てしまったのよ。魔理沙と霊夢の爪が全く同じ日に短くなっているのを。その前の日に二人に会ったときには、間違いなく伸びていたのによ!」
「はあ」
「それによ? 私二人に爪を切った理由を聞いたのよ。そしたら霊夢はなんて言ったと思う? なんと顔を真っ赤にしながら気のせいじゃないのって誤魔化したのよ、必死になって!」
「あー? あ……あ。あー、ああ……」
恋人同士が、同じタイミングで爪を切っていた。
そう聞いて、ひとつ発想することがあった。そして霊夢の反応を鑑みるに、その発想は恐らく間違っていないのだろう。自分自身はそんなことをした経験があるわけではない。今後もきっとないだろう。
しかしながら、だ。
……なるほどねえ。二人もそういうことに興味あるんだ。べつに意外でもないけど。
そういう関係の二人が、そういうことをする場合は、爪を切ると聴いたことはある。相手の身体を傷つけないように、短く切ってやすり掛けもするのだとか。
つまりこれでニナも二人の関係性を知る側になったということだ。南無南無。
「あー、うん。それじゃあニナ、二人には秘密を知ったことを伝えない方がいいわね。魔理沙はともかく霊夢は恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれないから――」
「何言ってるのよ鈴仙! こんな邪悪は一刻も早く暴かれなければならないわ!」
「……ん?」
「力ある巫女と魔女の爪を同時に切り落としただなんて! これはきっと、かの邪神を降臨させるべく構築された儀式の下準備に違いないわ!」
「はあ」
「ほら、御伽噺にも出てくるでしょう? 魔女がイモリの尻尾やコウモリの目玉、それに魔女の爪を大鍋で煮込んで怪しげな薬を作るって! つまり魔理沙と霊夢は幻想郷を転覆させるような大儀式を画策しているのよ!」
「……やれやれ」
どうやらニナの知識はそれ自体が汚染されているだけではなく、頭の中から導き出される答えにさえノイズを走らせるようだ。
適当な与太話など、好き勝手に言わせておくことはできる。どうやらニナの方向性を修正する役割は魔理沙が担当しているようで、自分などたまたま居合わせただけの他人なのだから。
それでも。
……ま、そうね。
「だから鈴仙あなたも騙されちゃ駄目よ! 幻想郷が滅ぶところを見たくなければ今すぐ二人を、って、あ痛っ! 何するのー!?」
「何って見てのとおりデコピンよ。あのね、目の前で友達を悪く言われたらそりゃ私だって怒るわよ?」
「あ……う、ごめん」
「で、私からはもうひとつ。今度は医療従事者の立場でね。爪を切るっていうのは……うん、目的があってすることなのよ」
「目的?」
「そ。身体を清潔に保つ、事故で爪が剥がれないようにする、それになにより――相手を傷つけないようにするって目的があるの」
笑い話ならば与太話を振りまいたっていいだろう。世界や宇宙の在り方に嘘をつかれたとて、自分には関係のない話だ。
けれど。知っている誰かを貶める嘘を見逃せるほど自分の心は荒んでいない。
たかが爪切り。でもそれは相手を思っての行為に違いはない。そんな行為を悪いことだと誤読しているのならば、治したくなるのは当たり前のことだった。
「まったくもう。ほらニナ、手を出して」
「へ? う、うん」
「あーほら、爪が伸びてる。異変とやらが終わってからこっち、身の回りの手入れしてないんでしょ? だから爪を切るだなんてフツーの出来事に対して有りもしないでたらめを発想するのよ」
「うう……また私やっちゃったの……?」
「自覚が早くて助かるわ。駄目よ? 身近な相手が悪いことをしているだなんて妄想は」
……なーんて。私だって昔は、月の皆が人間に負けるだなんて嘘を信じてしまってたんだけど。
思い込みで地上まで逃げてきたことが、今にまで続く幸いに繋がったのはただの偶然だ。運がよかっただけよねと思うと知り合いのしたり顔が思い浮かんできたので想像の中で殴り飛ばしておく。
けど、そんな自分だから言えることがある。
「腕と身体を貸して」
「えっ」
「爪、切ってあげるから」
「う、うん」
他人の爪を切るときは、腕を脇に抱えるように確保して、こちらの左手で相手の右手を掴むのがコツだ。ふいに動かれても大丈夫だし、月兎の身であれば相手を力任せに押さえ込むこともできる。
ぱちんぱちんと爪を切り、布団の上に敷いた紙の上に落としていく。
「ん……爪切りの道具、いつも持ち歩いてるの?」
「仕事柄ね。たまにやるのよ、今日だって仕事帰りだし。あ、消毒はしてるから安心しなさい」
「仕事?」
「里人向けに薬を補充するだけの仕事……だったんだけど、いつの間にか人間の世話も少しだけするようになったのよ。あいつら、ちょっと見てないとすぐに怪我はするし病気になったりするんだから」
「……そっか。やっぱり月の兎じゃなくて、地上の兎なんだ」
「そうね。だからまあ、霊夢と魔理沙のことも含めて……人間のたちのことは正しく理解してほしいのよ」
「霊夢と魔理沙と、里人のことを?」
「……ついでに外の人間のことも、かな。これでも地上のことは気に入ってるのよ。地上の民になった身としてね」
先程ニナは、人が月に辿り着いたことは陰謀だと言った。
故郷の月、静かの海。かの跡地に残された人類の轍を肯定することは容易だ。あの星条旗をこの眼で目視したと言えばいいのだから――月の兎のままであったならば。
今は違う。今の自分は地上の兎なのだから、事実以外の意思で地上のコトを肯定したいと思う。
爪を切る行為は相手を思いやるからこそ行われることで。
人類は誰かから想いを託されたからこそ月に辿り着いて。
霊夢と魔理沙もそんな、思いやり思いやられる普通の人間なのだと、真実を伝えたいと思ったのだ。
「はあ仕方がない。あんた、たまに永遠邸に来なさい。私がカウンセリングしてあげる」
「永遠邸……! 宇宙人の巣窟、日々人類をアブダクションしていると噂のあの……!?」
「半分は正解だからたちが悪いわねー……ま、私の故郷がニナをそういうふうにしてしまったみたいだし。私も少しは面倒を見るわよ」
「……毎日爪を切ってくれるってこと?」
「毎日はしないわよ。というか次回は一人でやりなさいよ」
「えー」
言う内に左手の爪も切り終える。腕を開放してやれば、ニナは両手の先を見て目を輝かせていた。初めての体験がよっぽど嬉しかったと見える。
「ええと、ありがとう?」
「どういたしまして」
「もしかして鈴仙って優しいヒト?」
「そんなわけないじゃない。私はただ……うん、ただの地上の兎よ」
勘違いをしていて、臆病者で、周りに居心地の悪さを覚えていたかつての自分はもういない。
今の自分が正しいのかはわからないけれど、今が一番いいと感じているのは確かだ。
だから。例えニナが、ノイズだらけの心を持つ変質した妖怪だとしても。
自分が変われたように、きっとニナも変われるはずなのだ。悪意ある陰謀を抱くのではなく、視界の届く先を肯定する存在に。
霊夢や魔理沙の影響で。あるいはひょっとすると、自分が手を貸すことで。
当たり前にお布団の上で笑いあえる、そんな地上の民に。
「……そっか。じゃあ今度永遠邸に宇宙人捜しにいこうかな」
「歓迎するわ。取って捕まえることはないから安心しなさい」
「あ、でも」
「ん?」
「じゃあ結局二人が同時に爪を切っていたのって偶然だったの? なにかの符号を感じたのは気のせいだったの……?」
「う」
形はともあれ嘘はいけないと言ったばかりだ。誤魔化すことは容易ながら、今更ふてぶてしく嘘をつく気にはなれなかった。
なのでとりあえず少しばかり不義理ながら、差し障りのない事実を言っておくことにする。
「あーほら、霊夢と魔理沙はとっても仲がいいっていうか、私との関係とはまた形が別っていうか、距離が近いというか、だからお互いを思いやって爪を切ったというか、そういう感じじゃない?」
「うーんよくわかんない……そのあたりどうなの、魔理沙?」
「は?」
ニナの言葉に背後を振り向けば、いつの間にか部屋に戻ってきていた二人の姿があった。
肩をすくめて苦笑する魔理沙と、その隣で茹で上がっている霊夢を見て、ニナは笑顔でこう言った。
「鈴仙が教えてくれたの、魔理沙と霊夢はお互いを傷つけないように二人で爪を切ったんだって。それってどういうこと? 悪いコトをしていないって事実は信じることにしたんだけど、それでもやっぱり気になるわ。仲良しで距離が近い関係だとどうしてそんなことになるのか私に教えて……ちょっと霊夢! 霊夢! いきなり鈴仙を殴り始めてどうしたの! 目は駄目よ! 霊夢!!」
鈴仙がきちんと大人してるのよきですね。
霊夢よりも魔理沙の方が余裕たっぷりなの好きです。